横山 利秋(よこやま としあき、1917年10月10日 - … 横山 利秋(よこやま としあき、1917年10月10日 - 1988年11月1日)は、日本の政治家、労働運動家。位階は正三位。 日本社会党所属の衆議院議員(11期)。 愛知県名古屋市生まれ。3歳のときに父親を亡くす。中京商業学校卒業後に鉄道員として鉄道省(当時)に就職。国鉄労働組合(国労)の結成に参加する。 1947年に日本共産党による国労の組合活動への介入に反発した国労組合員を中心に国鉄労組反共連盟(後に国鉄民主化同盟=国鉄民同)が結成されると、これに参加。1950年に民同の支持で国労本部企画部長となるが、団体として加盟していた日本労働組合総評議会(総評)が「平和四原則」を決定すると、これに則る形で「平和三原則」を盛り込んだ運動方針案を提出する。
本多 貫一(ほんだ かんいち、1917年(大正6年)10月3… 本多 貫一(ほんだ かんいち、1917年(大正6年)10月3日 - 2006年(平成18年)5月30日)は、日本の政治家。愛知県西尾市長(5期)。 愛知県西尾市出身。父親は西尾町長を務めた本多与三郎。1934年(昭和9年)、愛知県立西尾中学校(現・愛知県立西尾高等学校)卒業。1946年(昭和21年)4月30日、軍事功労により勲七等瑞宝章を受章。 1952年(昭和27年)、西尾町教育委員会委員に就任。織布業会社社長を務める。 1955年(昭和30年)4月、愛知県議会議員選挙・西尾市選挙区(定数1)に無所属で立候補するも、自由党現職の本田明治に敗れる。 本多は西尾市長の杉浦喜之助に3選出馬を強くすすめていたが、1969年(昭和44年)8月7日、杉浦は健康上の理由から不出馬を表明。
三治 重信(さんじ しげのぶ、1917年(大正6年)2月1日… 三治 重信(さんじ しげのぶ、1917年(大正6年)2月1日 - 1994年(平成6年)5月13日)は、日本の労働官僚、政治家。労働事務次官。参議院議員(民社党)。 横浜銀行取締役会長小川是は女婿。 愛知県西尾市出身。信太郎の五男。1939年(昭和14年)高等試験行政科合格。1940年(昭和15年)京都帝国大学農学部農林経済学科卒、内務省に入省。茨城県警部。 戦後労働省に移り、職業安定局長、労政局長、事務次官を歴任して退官。1972年(昭和47年)衆院選に立候補するが落選、1974年(昭和49年)の参院選で当選を果たす。(平成元年)党副委員長に就任。1992年(平成4年)引退。 趣味はゴルフ、テニス、読書。
江﨑 真澄(えさき ますみ、1915年〈大正4年〉11月23… 江﨑 真澄(えさき ますみ、1915年〈大正4年〉11月23日 - 1996年〈平成8年〉12月11日)は、日本の政治家。衆議院議員(17期)、総務庁長官、通商産業大臣、自治大臣、防衛庁長官などを歴任した。位階は正三位。 愛知県一宮市出身。旧制私立東邦商業学校から旧制第八高等学校(現・名古屋大学)に入学。八高に入ってすぐに肺結核にかかり、闘病生活中に小説を書き始める。1934年、雑誌『改造』の懸賞小説に、恋愛小説『長良』を応募し佳作となる。また、禅寺で修行するなどし、八高を中退する。その後、日本大学経済学部に進学する。作家を目指し、横光利一や菊池寛に紹介されるが、結局母校である東邦商業学校で教師となった。
江崎 真澄(えさき ますみ、1915年11月23日 - 19… 江崎 真澄(えさき ますみ、1915年11月23日 - 1996年12月11日)は、日本の政治家。衆議院議員(17期)、総務庁長官、自治大臣、防衛庁長官などを歴任した。
大場 栄(おおば さかえ、1914年〈大正3年〉3月21日 … 大場 栄(おおば さかえ、1914年〈大正3年〉3月21日 - 1992年〈平成4年〉6月8日) は、大日本帝国陸軍軍人、実業家、政治家。最終階級は大尉。有限会社丸栄産業代表取締役、蒲郡市議会議員。愛知県蒲郡市出身。 大場と大場隊の活躍は、元アメリカ合衆国海兵隊隊員ドン・ジョーンズ著の『タッポーチョ「敵ながら天晴」大場隊の勇戦512日(原題『OBA, THE LAST SAMURAI Saipan 1944-1945』)』(1982年刊行。中村定訳、祥伝社)としてノンフィクション小説となった。 2011年(平成23年)にはそれを原作とする映画『太平洋の奇跡 -フォックスと呼ばれた男-』(監督・平山秀幸)が公開され、竹野内豊が大場役を演じた。
浦野 幸男(うらの さちお、1914年1月14日 - 197… 浦野 幸男(うらの さちお、1914年1月14日 - 1977年1月16日)は、日本の政治家。衆議院議員(6期)、労働大臣(第38代)。自由民主党では宏池会に所属した。 科学技術庁長官の浦野烋興は娘婿。 愛知県西加茂郡猿投村(現豊田市四郷町下古屋)出身。父親の浦野本一は米穀飼料商を営んでいた。猿投第二尋常高等小学校(現豊田市立青木小学校)卒業。1930年3月、東邦商業学校(現東邦高等学校)卒業。日本大学政経科中退後は家業の米穀飼料商に従事する。1935年1月、応召して中国北部へ出征した。1946年1月、食糧営団西加茂支所長に起用される。 1947年、父親の浦野本一は猿投村長選挙に立候補し初当選。
石川 敏治(いしかわ としはる、1912年(大正元年)9月1… 石川 敏治(いしかわ としはる、1912年(大正元年)9月10日 - 2015年(平成27年)6月16日)は、昭和から平成時代の政治家。愛知県高浜市長。 高浜市出身。1927年(昭和2年)高浜高等小学校卒業。 1947年(昭和22年)高浜町議会議員、1955年(昭和30年)同議長を経て、1973年(昭和48年)から高浜市長に4選。1989年(平成元年)引退した。
飯田 忠雄(いいだ ただお、1912年1月28日 - 201… 飯田 忠雄(いいだ ただお、1912年1月28日 - 2012年1月16日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期、公明党)、参議院議員(1期)、神戸学院大学教授。俳人。 愛知県名古屋市出身。1939年京都帝国大学法学部卒。同年満洲に渡り、総務庁協和会に勤める。1946年帰国し、翌年運輸省に入る。内閣調査室に出向、海上保安庁に戻ってからは、海上保安大学校の首席教授を最後に1969年に退職し神戸学院大学教授に就任した。 1974年の兵庫県知事選に公明党推薦で立候補するが落選、1976年の総選挙において兵庫3区から公明党公認で立候補して当選し2期務める。この間1977年4月18日の衆院法務委でロッキード事件の灰色高官を擁護する質問をした。
上村 千一郎(うえむら せんいちろう、1912年1月17日 … 上村 千一郎(うえむら せんいちろう、1912年1月17日 - 1991年3月20日)は、日本の政治家、弁護士。位階は正三位、勲等は勲一等。衆議院議員(10期)、環境庁長官(第10代)。 1912年(明治45年)1月17日、愛知県渥美郡福江町(現田原市福江町)に生まれた。祖父は実業家の上村杢左衛門であり、父は上村武太郎。12歳のときに父親を亡くした。 愛知県成章中学校(現愛知県立成章高等学校)、早稲田大学法学部卒業。大学卒業後にはドイツ留学の話があったが、千一郎を跡取りと考えていた祖父の杢左衛門が難色を示したことで御破算となった。大学院で憲法を学んだあと、豊橋市で弁護士を開業した。そのかたわら青年塾を開設し人材の育成に情熱を傾けた。
成瀬 幡治(なるせ ばんじ、1910年12月17日 - 19… 成瀬 幡治(なるせ ばんじ、1910年12月17日 - 1992年12月3日)は、日本の政治家、労働運動家。参議院議員(4期、日本社会党)。 愛知県西加茂郡小原村(現豊田市)に生まれる。本城小学校(現豊田市立本城小学校)卒業。1931年(昭和6年)、愛知第一師範学校専攻科卒業。教員となり、終戦後、愛知県教員組合の初代委員長に就任し、組合運動に参加。学校生活協同組合理事長なども務めた。 1950年(昭和25年)6月の第2回参議院議員通常選挙に愛知県選挙区から日本社会党公認で立候補し、地方区としては全国最多得票数で初当選を果たした。1962年(昭和37年)に3選。 1966年(昭和41年)、翌年2月執行の愛知県知事選挙の候補者に社会党は成瀬を擁立。
太田 一夫(おおた かずお、1910年11月19日 - 19… 太田 一夫(おおた かずお、1910年11月19日 - 1990年11月3日)は、日本の政治家、労働運動家。衆議院議員(5期、日本社会党)。保革を問わず「いっぷさん」と親しまれた。 愛知県矢作町大字渡(現岡崎市渡町字宮西)生まれ。碧海郡矢作高等小学校(現岡崎市立矢作中学校)を経て、1927年(昭和2年)に上京。東京市下谷区の岩倉鉄道学校(現岩倉高等学校)に入学。下谷区坂本町4丁目にあった東京朝日新聞の新聞販売店で住み込みで働きながら、昼間は学校に通う。1929年(昭和4年)10月、同校を首席で卒業。12月、名古屋鉄道に入社。 1945年(昭和20年)12月10日、名古屋鉄道労組を結成。1948年(昭和23年)8月、名古屋鉄道労組書記長、私鉄中部地連書記長に就任。
伊藤 一(いとう はじめ、1910年(明治43年)4月11日… 伊藤 一(いとう はじめ、1910年(明治43年)4月11日 - 1974年(昭和49年)9月26日)は、日本の政治家、内務官僚。1947年4月6日から1971年4月30日まで、24年の長きに渡って一宮市長を務めた(第5代-第10代)。一宮市名誉市民。 愛知県愛知郡鳴海町(現・名古屋市緑区)に生まれた。愛知県立一宮中学校(現・愛知県立一宮高等学校)卒業。1930年(昭和15年)3月、旧制第八高等学校卒業。1932年(昭和7年)10月、高等試験行政科試験に合格。1933年(昭和8年)に東京帝国大学法学部法律学科を卒業すると同時に内務省に入省し、地方事務官・厚生事務官・内務事務官を経験。陸軍司政官としてスマトラ島に渡り、ランボン州やパレンバンで産業部長を務め、現地で太平洋戦争終戦を迎えた。
久野 忠治(くの ちゅうじ、1910年2月27日 – 199… 久野 忠治(くの ちゅうじ、1910年2月27日 – 1998年10月25日)は、日本の政治家。郵政大臣。正三位勲一等旭日大綬章。衆議院議員を14期務めた。元衆議院議員の久野統一郎は長男。愛称はクノチュー。 愛知県知多郡知多町(現・知多市)に、石材商・久野金之助の二男として生まれる。1929年に東海中学校(現・東海高等学校)を卒業後、家業に従事する。後に父親が設立した土建業「久野組」を引き継ぎ社長に就任。 1947年の第23回衆議院議員総選挙に旧愛知2区から民主党公認で立候補するも、次点で落選。 1949年の第24回衆議院議員総選挙に再び民主党公認で立候補し初当選を果たす(当選同期に池田勇人・前尾繁三郎・橋本龍伍・麻生太賀吉・小渕光平・西村英一・橋本登美三郎・福永健司・塚原俊郎・藤枝泉介・木村俊夫・稲葉修・河本敏夫・森山欽司・床次徳二・有田喜一など)。
榊原 金之助(さかきばら きんのすけ、1909年11月9日 … 榊原 金之助(さかきばら きんのすけ、1909年11月9日 - 1983年3月12日)は、日本の新聞記者、政治家。『東海新聞』(『東海愛知新聞』の前身)の創立者の一人。東海新聞社の社長を26年間務めた。また、愛知県議会議員を2期務めた。 愛知県額田郡常磐村大字大柳(現・岡崎市大柳町)に生まれる。祖父の事業の失敗から岡崎市の中心部に一家は移住。文選工見習いをしながら家計を助け、額田郡岡崎高等小学校(現・岡崎市立梅園小学校)を卒業。 1915年(大正4年)春、竹内京治が社主を務めていた日刊紙『岡崎朝報』に入る。やや遅れて入社したのが太田光二であった。太田は戯作的色合いの強かった同僚記者とは一線を画し、「時事漫談」という硬派の文章を執筆していたという。
宮田 一松(みやた いちまつ、1908年〈明治41年〉3月2… 宮田 一松(みやた いちまつ、1908年〈明治41年〉3月21日 - 1986年〈昭和61年〉5月2日)は、愛知県出身の政治家。刈谷市長(4期16年間)を務めた。 1908年(明治41年)3月21日、愛知県碧海郡依佐美村(現・刈谷市小垣江町上)に生まれた。1920年(大正9年)3月、碧海郡刈谷町の刈谷町立亀城尋常小学校を卒業した。 宮田家は瓦製造業者であり、1933年(昭和8年)に宮政製瓦工場の営業主となった。1951年(昭和26年)には短期間だけ三州瓦工業組合理事長を務めている。1962年(昭和37年)12月には宮政瓦工業株式会社の取締役社長に就任した。1965年(昭和40年)2月に刈谷ライオンズクラブが設立されると、1966年(昭和41年)6月まで初代会長を務めた。
高田 一郎(たかだ いちろう、1908年(明治41年)3月4… 高田 一郎(たかだ いちろう、1908年(明治41年)3月4日 - 1992年(平成4年)2月11日)は、昭和期の政治家。刈谷市長(1959年7月20日~1967年7月19日)。 1908年(明治41年)3月4日、愛知県一宮市に生まれた。父親は公務員。1930年(昭和5年)に明治大学政治経済学科を卒業し、愛知県庁に就職した。土木課、農林課、経済課、食糧課を経て、海部地方事務所長、渥美地方事務所長、中島地方事務所長などを歴任した。 愛知県額田地方事務所長を務めていた1956年(昭和31年)12月、1955年(昭和30年)から刈谷市長を務めていた竹中七郎によって刈谷市助役に起用された。刈谷市と愛知県のパイプ役を期待された人選である。
中野 四郎(なかの しろう、1907年(明治40年)1月25… 中野 四郎(なかの しろう、1907年(明治40年)1月25日 - 1985年(昭和60年)10月21日)は、日本の政治家。位階は正三位勲一等、勲章は旭日大綬章。衆議院議員(通算13期)、国土庁長官、碧南市長などを歴任した。 愛知県碧海郡新川町(現・碧南市)に中野久吉、さだ夫妻の四男として生まれる。生家はどじょう屋。小学校卒業後農機具店に奉公に出るが、13歳の時単身上京し、新聞配達などをしながら私立豊山中学校(現・日本大学豊山中学校・高等学校)で学ぶ。1923年9月に同校を中退。 愛知県出身のジャーナリストで衆議院議員でもあった鈴木正吾の紹介で、大正デモクラシー期を代表する論客の一人であった茅原華山の門下生となる。
浅岡 齋(あさおか ひとし、1906年10月17日 - 19… 浅岡 齋(あさおか ひとし、1906年10月17日 - 1983年3月22日)は、日本の官吏、政治家、実業家。岡崎市役所職員として戦災復興と都市計画事業に大きく貢献。また、岡崎市助役として3期12年にわたって竹内京治・太田光二市政を支えた。愛知県議会議員を1期務めた。 愛知県額田郡広幡町大字伊賀(現・岡崎市伊賀町)に生まれる。両親は岡崎町大字松本(現・岡崎市松本町)で置屋「浅岡」を営んでいた。上京し東京実業学校に学んだが2年で中退。19歳の時に豊橋市の騎兵連隊に入隊。1929年(昭和4年)、母親を心臓病で亡くす。意気阻喪した浅岡は除隊し、樺太の造林会社に活路を見出した。森林から伐採した木材を積んだイカダに一旦乗った以上、イカダをつなぐ一本の綱が切れたら一巻の終わりという過酷な仕事に「どこをどうしても貫き通すつもりで」打ち込んだものの、会社の事業不振から2年足らずで内地に引き揚げることとなる。
伊藤 よし子(いとう よしこ、1905年12月30日 - 1… 伊藤 よし子(いとう よしこ、1905年12月30日 - 1991年3月24日)は、日本の政治家。日本社会党の衆議院議員(2期)。 急逝した夫の伊藤好道の地盤を継いで政治家の道を歩んだ。衆議院議員、愛知県会議員を務めた本多鋼治は義兄。 愛知県西加茂郡挙母町(現・豊田市昭和町4丁目)に雑貨商の成瀬保吉の三女として生まれる。旧姓は成瀬。挙母第一尋常小学校(現・豊田市立挙母小学校)から、「山の学校」と呼ばれた挙母尋常高等小学校(現・豊田市立童子山小学校)に進んだ。『改造』『解放』など大正デモクラシーを支えた雑誌に親しむ。当時、挙母町には書店は一軒しかなく、そこから西加茂郡全域に毎月配本される4冊の『改造』のうち1冊を伊藤がとっていたという。
穂積 七郎(ほづみ しちろう、1904年9月30日 - 19… 穂積 七郎(ほづみ しちろう、1904年9月30日 - 1995年12月10日)は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(7期)。 父は帝国議会議員を1期務めた鈴木麟三。兄は「アジア学生文化協会」などの設立者で社会教育家の穂積五一。義父は愛知県知事を1期務めた小畑忠良。新城市長の穂積亮次は子。 愛知県八名郡七郷村(現・新城市)出身。旧姓は鈴木。生まれる前の1904年6月27日に父を亡くした。 旧制愛知県豊橋中学校を経て、旧制第七高等学校造士館を1926年に卒業。同年東京帝国大学に入学。共に入学した兄の穂積五一は国家主義者らからなる「帝大七生社」に所属していたが、左翼の「新人会」とも交流し、両者の仲介も行った。
杉浦 彦衛(すぎうら ひこえ、1904年(明治37年)5月2… 杉浦 彦衛(すぎうら ひこえ、1904年(明治37年)5月28日 - 1980年(昭和55年)9月13日)は、日本の政治家。愛知県安城市長(3期)、愛知県議会議員(2期)、安城町議会議員(安城市議会議員)(1期)などを歴任した。位階は従五位。 愛知県出身。福釜信用組合の前身である報恩社の設立者、杉浦彦次(ひこじ)の長男として生まれた。愛知県立安城農林高等学校卒業。1929年(昭和4年)3月、東京農業大学農学部卒業。 アメリカ合衆国農務省昆虫局嘱託、全国販売農業協同組合連合会(全販連。全国農業協同組合連合会の前身)の農畜特産課長などを務め、戦時中は海軍省兵備局からバンコクに派遣され、農作物の現地指導にあたった。
福井 勇(ふくい いさむ、1903年5月20日 - 2006… 福井 勇(ふくい いさむ、1903年5月20日 - 2006年8月14日)は、日本の昭和期の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(6期)、参議院議員(1期)。現在の経世会の祖先にあたる周山会の一味だった。 愛知県蒲郡市出身。浜松高等工業学校(現静岡大学工学部)を卒業後、商工省に入省。官僚生活を経て1947年の第23回衆議院議員総選挙に旧愛知5区から日本自由党公認で出馬したが落選。1949年の第24回衆議院議員総選挙に民主自由党公認で出馬し初当選した。保守合同後は自民党に所属し、通算当選6回。文部・運輸政務次官などを歴任した。1973年秋の叙勲で勲二等旭日重光章受章。1975年からは参議院議員を1期務めた。
神田 健治(かんだ けんじ、1903年〈明治36年〉1月2日… 神田 健治(かんだ けんじ、1903年〈明治36年〉1月2日 - 1958年〈昭和33年〉1月22日)は、愛知県宝飯郡神ノ郷村(現・蒲郡市)出身の農業技術者・政治家。愛知県議会議員(2期)。蒲郡みかんの発展に貢献した。 1903年(明治36年)1月2日に愛知県宝飯郡神ノ郷村(現・蒲郡市)に生まれ、愛知県立蒲郡農学校(現・愛知県立蒲郡高等学校)を卒業した。 蒲郡におけるウンシュウミカン栽培の発展に傾注し、1933年(昭和8年)には母樹園(現・愛知県農業総合試験場蒲郡支所)の設立に関与した。また、1933年(昭和8年)には神ノ郷に農業用ため池の白龍池が造成されたが、神田はこの難事業の会計係を担っている。
伊藤 好道(いとう こうどう、1901年12月5日 - 19… 伊藤 好道(いとう こうどう、1901年12月5日 - 1956年12月10日)は、日本の政治家。左派社会党の衆議院議員(3期)。 愛知県西加茂郡根川村(現・豊田市長興寺)に生まれる。1914年(大正3年)、挙母第二尋常小学校(現・豊田市立根川小学校)卒業。1919年(大正8年)、明治中学校卒業(現・明治大学付属明治高等学校・中学校)。第一高等学校、東京帝国大学法学部に学び、新人会に参加。1925年(大正14年)に大学を卒業し、中外商業新報社(日本経済新聞の前身)に就職。またこの年、同郷の伊藤よし子と結婚。中外商業新報では『中外財界』編集主任・論説委員・経済部次長などを歴任、社会思想社の編集同人にも名を連ねた。
杉戸 清(すぎと きよし、1901年(明治34年)10月10… 杉戸 清(すぎと きよし、1901年(明治34年)10月10日 - 2002年(平成14年)4月24日)は、日本の政治家。元名古屋市長(3期)。 愛知郡則武村字香箱(現・名古屋市中村区)出身。名古屋中学校、第八高等学校を経て、東京帝国大学工学部土木工学科を卒業。1926年(大正15年)4月に名古屋市役所に入り、水道局長、名古屋市助役などを歴任する。 1961年(昭和36年)3月16日、名古屋市長の小林橘川が任期中に死去。職務代理者を務める。同年4月28日に行われた市長選に自民党の推薦を受けて立候補。元参議院議員の栗山良夫(社会党推薦)、元市議の横井亀吉(民社党推薦)らを破り初当選した。 名古屋市長として地下鉄の整備等に尽力した。
佐藤 観次郎(さとう かんじろう、1901年8月19日 - … 佐藤 観次郎(さとう かんじろう、1901年8月19日 - 1970年3月3日 )は、愛知県出身の日本の政治家、ジャーナリストである。衆議院議員8期(日本社会党所属)、中央公論編集長を務めた。愛称はサトカン。
太田 光二(おおた みつじ、1900年〈明治33年〉3月20… 太田 光二(おおた みつじ、1900年〈明治33年〉3月20日 - 1973年〈昭和48年〉1月7日)は、日本の政治家、新聞記者。第13-15代岡崎市長(3期)、愛知県会議員、岡崎市会議員、全国市長会副会長、日本消防協会副会長などを歴任した。 父親は伊賀八幡宮の神官の家来だった鈴木四郎三郎。鈴木が愛知県額田郡下山村田代(現・豊田市下山田代町)に逃れ、魚行商人をしていた頃、三男として生まれた。5歳の時、一家をあげて本籍地の岡崎へ戻った。のちに母方の実家の太田家を継ぐ。 広幡町立広幡尋常高等小学校(現・岡崎市立広幡小学校)を卒業後、教師として身を立てるつもりで足助町の准教員養成講習会に通う。免許を受ける際、修身の科目を落としたため教師の道は一旦閉ざされる。
早稲田 柳右衛門(早稻田 柳右エ門、わせだ りゅうえもん、1… 早稲田 柳右衛門(早稻田 柳右エ門、わせだ りゅうえもん、1900年2月25日 - 1984年4月15日)は、日本の政治家。位階は正三位。衆議院議員(12期)を歴任した。 愛知県小牧市出身。享栄商業学校卒業。1929年、瀬戸市会議員となる。 1946年、第22回衆議院議員総選挙に愛知県第1区から日本進歩党公認で立候補し初当選。1947年、第23回衆議院議員総選挙に旧愛知2区から民主党公認で立候補し再選。 1954年、保全経済会の顧問に就任していたため、保全経済会事件に関して、衆議院議員の平野力三、東洋大学教授の松本信次とともに証人喚問される。 1955年、第2次鳩山一郎内閣郵政政務次官。1960年、自民党愛知県連の初代会長に就任。
森 八三一(もり やそいち、1899年(明治32年)8月31… 森 八三一(もり やそいち、1899年(明治32年)8月31日 - 1990年(平成2年)6月9日)は、日本の政治家。参議院議員(4期)。参議院副議長(第12代)。 1917年(大正6年)愛知県立農林学校(現愛知県立安城農林高等学校)卒業。栃木県産組課長、中川農業協同組合組合長、全国購買農協連合会農産課長及び常務理事、日本藁工芸品統制常勤理事、全国農業会農産局長、全国農業協同組合連合会参事を歴任し、1950年(昭和25年)第2回参議院議員通常選挙で全国区から立候補し、初当選(無所属)、以降4期務める。 1954年(昭和29年)参議院農林委員長、1971年(昭和46年)参議院副議長。1972年(昭和47年)春の叙勲で勲一等瑞宝章受章。
石原 一郎(いしはら いちろう、1899年〈明治32年〉5月… 石原 一郎(いしはら いちろう、1899年〈明治32年〉5月18日 - 1972年〈昭和47年〉8月13日)は、日本の政治家。愛知県安城市長(2期)、愛知県議会議員(3期)、愛知県議会議長などを歴任した。位階は従五位。 愛知県碧海郡古井村(現・安城市古井町)出身。1918年(大正7年)3月、愛知県安城農林学校(現・愛知県立安城農林高等学校)卒業。1919年(大正8年)3月に愛知県農事試験場(現・愛知県農業総合試験場)練習生を修了後、安城町実業補習学校の助教諭となる。 1938年(昭和13年)4月に碧海郡役所書記となり、1940年(昭和15年)7月に愛知県庁官房室に転じ、1941年(昭和16年)4月、碧海地方事務所に勤務。
兼岩 伝一(かねいわ でんいち、1899年2月5日 - 19… 兼岩 伝一(かねいわ でんいち、1899年2月5日 - 1970年9月15日)は、日本の都市計画家、土木技術者、政治家。1935年に創刊された雑誌「区画整理」の表紙を飾った標語として知られる「土地区画整理は都市計画の母」の造語を生み出した。 1899年、愛知県丹羽郡布袋町(現・江南市)の中小製紙工場の家に生まれる。 岐阜市立岐阜商業、名古屋中学校、第八高等学校を経て、1925年東京帝国大学工学部土木工学科卒。内務省に入り復興局技師となる。その後、愛知県都市計画技師に転出。1936年、三重県に移り、都市計画課長となる。巨大コンビナートを生み出す四日市市などの都市計画を立案。 1942年には東京府道路課長に、1943年には埼玉県土木課長に就任する。
赤尾 敏(あかお びん、1899年〈明治32年〉1月15日 … 赤尾 敏(あかお びん、1899年〈明治32年〉1月15日 - 1990年〈平成2年〉2月6日)は、日本の政治家、右翼活動家、衆議院議員、大日本愛国党初代総裁。 当初は社会主義者であったが、1926年(大正15年)に「天皇制社会主義」を理想として民族主義者へ転向。1942年(昭和17年)には翼賛会非推薦で衆議院議員に当選し、親英米反共の反体制右翼として対英米戦争に反対した。1945年(昭和20年)の敗戦後、政治活動と講演活動を行い、1951年(昭和26年)親米反共を訴える大日本愛国党を創党した。特に銀座数寄屋橋などでの辻説法による気迫に溢れる街頭演説で有名であった。 赤尾敏は1899年(明治32年)1月15日、愛知県名古屋市の金物商の息子として生まれた。
榊原 巌(さかきばら がん、1898年〈明治31年〉11月1… 榊原 巌(さかきばら がん、1898年〈明治31年〉11月17日 - 1994年〈平成6年〉11月30日)は、日本の経済学者、キリスト教(アナバプティズム)研究家、政治家、実業家。青山学院大学名誉教授。筆名は、吾妻 東一、福田 逸史。 妻は衆議院議員の榊原千代。息子はヒッポファミリークラブ創設者の榊原陽。 愛知県碧南市生まれ。1921年(大正10年)3月、官立神戸高等商業学校を中途退学する。同年4月に東京商科大学(現・一橋大学)本科に入学し、1924年(大正13年)3月に卒業する。同年4月に横浜社会問題研究所の研究員に就任する。 1926年(大正15年)6月から福島高等商業学校(現・福島大学)講師、1927年(昭和2年)7月から同校教授に就任する。
長谷部 広子(廣子 / ひろ / ひろ子、はせべ ひろこ、1… 長谷部 広子(廣子 / ひろ / ひろ子、はせべ ひろこ、1898年(明治31年)7月22日 - 1977年(昭和52年)6月18日)は、日本の教育者、政治家。参議院議員(1期)。 愛知県名古屋市で親弘の長女として生まれる。愛知県第一高等女学校(現愛知県立明和高等学校)を経て、1921年、東京女子高等師範学校家事科を卒業。三重県立飯南高等女学校(現三重県立松阪高等学校)教諭に就任。名古屋市立第一高等女学校(現名古屋市立菊里高等学校)教諭に転じ、1939年、椙山女子専門学校教授に就任した。 1950年、愛知県教育委員に就任。 1953年4月24日に行われた第3回参議院議員通常選挙に、革新統一候補として名古屋市の著名女性の支援などを受けて愛知県選挙区から無所属で出馬して初当選した。
安藤 孝三(あんどう こうぞう、1898年(明治31年)5月… 安藤 孝三(あんどう こうぞう、1898年(明治31年)5月3日 - 1985年(昭和60年)2月10日)は、日本の政治家、操縦士。衆議院議員(2期)。 愛知県知多郡岡田村(岡田町、知多町を経て現知多市)出身。1916年、名古屋港上空で米飛行士アート・スミスの曲芸飛行を見て航空界を志す。陸軍所沢飛行第四大隊に入り、一等飛行機操縦士となる。陸軍を除隊後、知多郡八幡村(現・知多市)に水上飛行場を開設する。その後、名古屋二見間の定期航空路や和歌山新宮間の航空路を開設する。その一方で1924年に安藤飛行機研究所を開き、所長となり、操縦士、機関士の育成などを行った。 1937年の第20回衆議院議員総選挙では旧愛知2区(戦前)から無所属で立候補して初当選。
久田 慶三(ひさだ けいぞう、1897年(明治30年)1月2… 久田 慶三(ひさだ けいぞう、1897年(明治30年)1月20日 - 1983年(昭和58年)7月29日)は、日本の政治家、実業家。愛知県常滑市長(5期)、西浦町長、西浦町議会議員、常滑市名誉市民。 愛知県常滑市出身。1911年(明治44年)、西浦町立第一尋常高等小学校卒業。西浦町議会議員、西浦町長、常滑市参与、常滑市助役などの公職を歴任した。 1959年(昭和34年)常滑市長に初当選。1979年(昭和54年)まで5期20年にわたり市政を担った。 市長在職中、老朽校舎解消のため4中学校、8小学校のすべてを鉄筋構造に改築し、さらに屋内運動場やプールも積極的に建設した。1968年(昭和43年)9月に愛知県陶磁器試験場(現在の「あいち産業科学技術総合センター 産業技術センター 常滑窯業試験場」)を移転新築、1970年(昭和45年)に常滑市陶磁器会館を建設し、業界の振興と発展に大きく寄与した。
伊藤 修(いとう おさむ、1896年3月30日 - 1969… 伊藤 修(いとう おさむ、1896年3月30日 - 1969年6月14日)は、日本の弁護士、政治家。参議院司法委員長および法務委員長(初代)。 名古屋市生まれ。1921年、日本大学法科卒。1922年、弁護士となる。中部日本農民組合および日本農民組合岐阜県連の常任顧問、岐阜市会議員、東亜興業、旭炭鉱、関東重工業、三富士製作所、朝日精機、旭電気工業および日本社会公論の社長、日本社会新聞岐阜県総局長、社会文化大学名誉学長、富田高等女学校理事、岐阜弁護士会会長、岐阜地方裁判所調停委員。1952年、右派社会党岐阜県連委員長。青年民主主義擁護連盟本部会長。浄土真宗。東京都新宿区下落合に龍山荘を構えていた。 1966年4月の春の叙勲で勲二等に叙され、瑞宝章を受章する。
杉浦 喜之助(すぎうら きのすけ、1895年(明治28年)1… 杉浦 喜之助(すぎうら きのすけ、1895年(明治28年)12月1日 - 1975年(昭和50年)10月5日)は、日本の政治家。愛知県西尾市長(2期)。 愛知県西尾市生まれ。1911年(明治44年)、福地村立福地尋常高等小学校(現・西尾市立福地北部小学校)卒業。1919年(大正8年)、西尾町の肴町の金物店、小岸屋に養子に入り、杉浦姓となる。 1940年(昭和15年)、西尾町議会議員に初当選。戦後、西尾町議会議長として、市制施行の実現に尽力する。1952年(昭和27年)、西尾信用金庫理事長に就任。 1953年(昭和28年)12月15日、西尾市誕生とともに市議会議員となる。1957(昭和32年)、市議会議長に就任。
岡本 謹平(おかもと きんぺい、1895年(明治18年)11… 岡本 謹平(おかもと きんぺい、1895年(明治18年)11月1日 - 1973年(昭和48年)10月12日)は、昭和期の政治家・薬剤師。愛知県碧海郡刈谷町長(1948年~1950年)、刈谷市長(1950年~1955年)。 1895年(明治18年)11月1日、愛知県碧海郡刈谷町(現・刈谷市広小路)に生まれた。旧制千葉医学専門学校薬学科(千葉大学の前身)を卒業して薬剤師となり、大日本帝国陸軍薬剤官少尉を経て、1914年(大正3年)に刈谷町に岡本薬局を開業した。1941年(昭和16年)から1948年(昭和23年)まで区長を務めた。 1947年(昭和22年)に学制改革が行われると、碧海郡刈谷町では学校建設の資金が問題となり、1948年(昭和23年)9月には石原平一郎町長が辞任する騒動となった。
永田 安太郎(ながた やすたろう、1895年(明治28年)7… 永田 安太郎(ながた やすたろう、1895年(明治28年)7月15日 – 1955年(昭和30年)5月13日)は、日本の政治家、弁護士。衆議院議員(1期)、愛知県会議長、愛知県会議員(4期)などを歴任した。 愛知県碧海郡長瀬村大字橋目字毘沙門(現岡崎市)に永田半兵衛の次男として生まれた。安城農林学校を卒業後、家事の農業に従事していたが、明治大学専門部法律学科に入学した。1917年(大正6年)7月、同大学を卒業。1922年(大正11年)に弁護士試験に合格し弁護士を開業した。1937年(昭和12年)には名古屋弁護士会長に就任した。 1927年(昭和2年)9月25日の愛知県会議員選挙に碧海郡選挙区から立憲民政党公認で出馬し初当選。
竹中 七郎(たけなか しちろう、1895年(明治28年)4月… 竹中 七郎(たけなか しちろう、1895年(明治28年)4月25日 - 1959年(昭和34年)7月23日)は、大正から昭和期の医師、政治家。参議院議員(1期)、愛知県碧海郡刈谷町長、刈谷市長。刈谷市名誉市民。 愛知県碧海郡刈谷町肴町(現刈谷市)で、紺屋業・竹中石松の長男として生まれる。1913年(大正2年)、愛知県立第二中学校(現愛知県立岡崎高等学校)卒業。1918年(大正7年)愛知県立医学専門学校(現名古屋大学医学部)を卒業した。同年、愛知県立愛知病院(現名古屋大学医学部附属病院)に勤務し、1921年(大正10年)耳鼻咽喉科病院を開業した。 1932年(昭和7年)刈谷町会議員に選出され、以後、刈谷町長、愛知県町村長会長、愛知県会議員などを務めた。
石田 千太郎(いしだ せんたろう、1894年(明治27年)8… 石田 千太郎(いしだ せんたろう、1894年(明治27年)8月5日 - 没年不詳)は、日本の逓信官僚、政治家。朝鮮総督府逓信局長、愛知県議会議員(5期)、朝鮮石炭株式会社社長などを歴任した。 愛知県丹羽郡犬山町(現在の犬山市)出身。1914年(大正3年)、逓信官吏練習所を卒業し、通信書記補、逓信属を務めた。1921年(大正10年)11月、高等試験行政科に合格し、翌年に朝鮮総督府属となった。同理事官、平安北道地方課長、同秘書課長、林野調査委員会事務官、江原道警察部長、平安南道警察部長、慶尚南道警察部長、殖産局鉱山課長を歴任。1938年(昭和13年)、平安南道知事に就任し、さらに厚生局長を経て、1942年(昭和17年)に逓信局長となった。
大見 為次(おおみ ためじ、1894年(明治27年)5月6日… 大見 為次(おおみ ためじ、1894年(明治27年)5月6日 - 1962年(昭和37年)5月)は、日本の政治家。安城町会議員(1920年-1947年)、安城町長(1947年-1952年、2期)、初代安城市長(1952年-1959年、2期)、愛知県会議員(1931年-1955年)、愛知県議会議長(1947年-1950年)。 元衆議院議員の大見正は孫。 1894年(明治27年)5月6日、愛知県碧海郡安城村字出郷(現・安城市新田町)に生まれた。1907年(明治40年)に愛知県立農林学校(現・愛知県立安城農林高等学校)に入学し、1911年(明治44年)3月に卒業した。農林学校卒業後には青年団の学習会である双葉会に入会し、機関誌『双葉集』の1914年(大正3年)3月号には「農業組織改革に於ける組合中心主義」という論考を発表している。
塚原 嘉一(つかはら かいち、1894年 - 1959年)は… 塚原 嘉一(つかはら かいち、1894年 - 1959年)は、愛知県東春日井郡小牧町春日寺(現在の小牧市)出身の実業家・政治家。小牧町長(1944年 - 1945年)。 朝鮮・満州・中国などに毛織物を輸出した塚原毛織の創業者である。1935年(昭和10年)頃の塚原毛織は約500人もの従業員を抱える大工場だった。塚原毛織には若い女工が多かったことから、小牧高等女学校(現在の愛知県立小牧高等学校)の開校に力を注いだ。名鉄小牧線の開業、町村立組合春日井病院(現在の小牧市民病院)の開院などにも尽力している。
市川 房枝(いちかわ ふさえ、1893年〈明治26年〉5月1… 市川 房枝(いちかわ ふさえ、1893年〈明治26年〉5月15日 - 1981年〈昭和56年〉2月11日)は、日本の婦人運動家、政治家。参議院議員(5期)。 1924年に「婦人参政権獲得期成同盟会」を結成。婦人参政権運動を主導した。終戦直後の1945年11月3日には「新日本婦人同盟」を結成。公職追放を受けるも、解除後の1950年に同団体を「日本婦人有権者同盟」に改称し、国会と女性を結び付ける運動を推し進めた。1953年に参議院議員に初当選。政界浄化、女性の地位や権利の向上に尽力した。 愛知県中島郡明地村字吉藤(現:一宮市明地)に生まれた。男2人、女4人の6人きょうだいで、市川は三女。誕生名は「ふさゑ」。
白木 一平(しらき いっぺい、1893年4月26日 - 19… 白木 一平(しらき いっぺい、1893年4月26日 - 1948年10月17日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 愛知県出身。1910年愛知県立農林学校(現・愛知県立安城農林高等学校)卒。農業の傍ら、郵便局長、奥町(現・一宮市)会議員、中島郡会議員、同副議長、奥町教育会長、同農業会長、中島郡農会長、愛知県農会幹事長、蘇東耕地整理組合長、愛知県農業保険組合連合会副会長、中部種苗(株)取締役社長となる。 1946年の第22回衆議院議員総選挙で愛知1区(大選挙区)から日本進歩党公認で立候補して当選。党内では会計監督となった。翌1947年の第23回衆議院議員総選挙には出馬しなかった。後、公職追放となった。
鈴木 茂三郎(すずき もさぶろう、1893年2月7日 - 1… 鈴木 茂三郎(すずき もさぶろう、1893年2月7日 - 1970年5月7日)は、日本の政治家、第2代日本社会党委員長。ジャーナリスト、エッセイストとしても知られた。
神戸 眞(かんべ しん、1892年11月8日 - 1967年… 神戸 眞(かんべ しん、1892年11月8日 - 1967年7月13日)は、日本の政治家。愛知県小牧市長(3期)、衆議院議員(2期)、愛知県会議員(4期)、篠岡村長などを歴任した。 愛知県東春日井郡陶村(現小牧市)生まれ。1906年(明治39年)3月、小牧町小牧尋常高等小学校(現小牧市立小牧南小学校)卒業。 1929年(昭和4年)3月、篠岡村会議員に就任。その後、愛知県会議員、篠岡村長などを務め、1942年(昭和17年)10月8日から1945年(昭和20年)12月3日まで県会議長を務めた。 戦後、最初に行われた1946年(昭和21年)4月の第22回衆議院議員総選挙に大選挙区制の旧愛知1区から日本進歩党公認で立候補し初当選。
千賀 康治(せんが こうじ、1892年9月11日 - 195… 千賀 康治(せんが こうじ、1892年9月11日 - 1956年2月24日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期)、愛知県会議員(3期)、岡崎市会議員(4期)などを歴任した。横に大きく伸びた口ひげから「おひげさん」の愛称で親しまれた。 愛知県額田郡岡崎町連尺(現・岡崎市)で木綿問屋を営む千賀伝三郎の五男として生まれる。愛知県第二師範学校附属小学校、愛知県立第二中学校(現・愛知県立岡崎高等学校)卒業。木綿織物業に従事する。 1928年(昭和3年)10月5日に行われた岡崎市会議員選挙に立候補し初当選。千賀は立憲民政党の岡崎支部である岡崎民政倶楽部に属していたが、当選の翌月、他の若手の民政党員と共に分派し岡崎民政青年団を結成した。