吉川 蓮民(よしかわ はすみん、1997年2月9日 - )は… 吉川 蓮民(よしかわ はすみん、1997年2月9日 - )は、日本のAV女優、社会運動家。七堂 蓮未(しちどう はすみん)、藤本 香澄(ふじもと かすみ)名義でも活動している。 愛知県名古屋市生まれ。大成高等学校卒業。学生時代は『涼宮ハルヒの憂鬱』のアニソンなどを愛好していた。防衛医科大学校看護学科卒業後、3等陸尉として自衛隊で勤務した。風俗店での経験後、AV女優としてデビュー。女優としては松岡茉優似の美女とされる。 2023年4月23日に行われた世田谷区議会議員選挙に政治家女子48党から出馬し、1263票を得票するも落選した。 2023年6月18日、水着撮影会中止騒動を受けてあおちゃんぺが主宰した、職業差別に反対するパレードで行進を行った。
佐野 有美(さの あみ、1990年4月6日 - )は、日本の… 佐野 有美(さの あみ、1990年4月6日 - )は、日本の詩人、随筆家、講演活動家、歌手、タレントである。血液型O型。 愛知県豊川市出身で、短い左脚と3本の指以外を欠損している先天性四肢欠損症で生まれ、幼少期は乳児院で育つ。のちに家族とともに生活し、両親の希望と周囲の協力により小学校から高校までを通常学級で学ぶ。高校在学中はチアリーディング部で活動して地元で報道されて話題となる。 高校卒業後は事務職を経たのち、全国で講演を始める。2011年6月に、詩集『あきらめないで』から楽曲が制作されてテイチクエンタテインメントからCDアルバムが発売され、2011年の第53回輝く!日本レコード大賞で「企画賞」を受賞する。
吉村 靖孝(よしむら やすたか、1972年(昭和47年)8月… 吉村 靖孝(よしむら やすたか、1972年(昭和47年)8月23日 - )は、日本の建築家、建築活動家。(株)吉村靖孝建築設計事務所主宰。吉岡賞など受賞。 建築家の吉村英孝は弟。
山田 幸司(やまだ こうじ、1969年(昭和44年)1月23… 山田 幸司(やまだ こうじ、1969年(昭和44年)1月23日 - 2009年(平成21年)11月20日)は、日本の建築家、建築批評家、建築活動家。
ナガオカ ケンメイ(本名:長岡 賢明〈ながおかまさあき〉、1… ナガオカ ケンメイ(本名:長岡 賢明〈ながおかまさあき〉、1965年2月15日 - )は、日本のロングライフデザイン活動家。D&DEPARTMENT PROJECT代表取締役会長。『d design travel』発行人。京都造形芸術大学教授。武蔵野美術大学客員教授。人生を賭ける活動の軸は、「ロングライフデザイン」。 2015年、直営店である東京、大阪、福岡、富山に加え、パートナーショップの北海道、山梨、静岡、京都、鹿児島、沖縄、ソウルの計11か所に、デザインの道の駅と位置づけたショップ「D&DEPARTMENT」をつくり、生活者と作り手が集い、その土地「らしさ」について学び、対話できる場を提供している。
白井 康彦(しらい やすひこ、1958年 - )は、日本のフ… 白井 康彦(しらい やすひこ、1958年 - )は、日本のフリージャーナリスト、社会運動家。元中日新聞社社員。 愛知県名古屋市に生まれる。私立東海高等学校卒。一橋大学在学中の1980年、日本将棋連盟大学将棋において学生名人となる。 大学卒業後、中日新聞社に入社。消費者問題や貧困問題の取材に注力した。東京本社経済部、名古屋本社経済部、名古屋本社生活部、岐阜支社報道部などを経て、2010年8月より名古屋本社生活部編集委員となった。2018年に退社。 その後はフリージャーナリストとして、社会保障政策に関する執筆を行っている。また社会運動家として、2013年の生活扶助基準引き下げの取り消しを求める集団訴訟いのちのとりで裁判に深くかかわり、厚生労働省が提示した「生活扶助相当CPIに含まれる不適切な計算の実態を解明して社会の関心を高める活動を行っている。
下澤 嶽(しもさわ たかし、1958年 - )は、日本の市民… 下澤 嶽(しもさわ たかし、1958年 - )は、日本の市民活動家、社会学者(国際協力・NGO/NPO)。ジュマ・ネット共同代表、特定非営利活動法人国際協力NGOセンター理事、静岡文化芸術大学文化政策学部国際文化学科学科長。 特定非営利活動法人シャプラニール=市民による海外協力の会事務局長、特定非営利活動法人国際協力NGOセンター事務局長などを歴任した。 愛知県豊橋市出身。1981年 愛知大学法経学部経済学科卒業。英国 CSV (Community Service Volunteers) の1年間ボランティアに参加。帰国後、日本青年奉仕協会、世田谷ボランティア協会を経て、1988年にはシャプラニール(市民による海外協力の会)の駐在としてバングラデシュへ。
杉浦 ひとみ(すぎうら ひとみ、1956年6月10日 - )… 杉浦 ひとみ(すぎうら ひとみ、1956年6月10日 - )は、日本の弁護士、人権活動家。元日本女子大学の非常勤講師。 弁護士として子供、障害者、犯罪被害者、女性など社会的弱者の人権分野に重きを置いた訴訟を手がけ、2007年の参議院選挙東京都選挙区候補者として社民党から出馬したが落選した。東京都文京区在住。 奈良県生まれ、愛知県岡崎市育ち。1975年、愛知県立岡崎高等学校卒業。1979年、中央大学法学部法律学科卒業。結婚ののち、子供の問題を扱うために法曹を目指す。出産後、子供を育てながら39歳で司法試験に合格し、1999年に東京弁護士会(東弁)で弁護士登録して弁護士活動を開始。 以来、いじめ・体罰・虐待や少年事件、少年法改正、障害者、犯罪被害者などの社会的弱者、心的外傷後ストレス障害 (PTSD) 、ドメスティックバイオレンス・セクシャルハラスメント・性暴力の問題や訴訟を重点的に取り組み、東弁の人権擁護委員会副委員長、日弁連人権擁護委員会副委員長などを歴任。
西原 浩一郎(にしはら こういちろう、1953年 - )は、… 西原 浩一郎(にしはら こういちろう、1953年 - )は、日本の労働運動家。自動車総連顧問、金属労協顧問。元自動車総連会長、金属労協第9代議長、連合副会長。 名古屋市出身。1976年慶應義塾大学法学部法律学科卒業。日産自動車に入社。1985年9月全日産労組専従。1986年8月全民労協事務局次長。1990年10月日産労連調査政策局長。1992年10月全日産労組中央書記長。1994年全日産労組中央執行委員長。1997年9月日産労連事務局長。2000年4月日産労連会長代行、同年9月自動車総連副会長、日産労連会長。2008年9月自動車総連会長(2012年9月まで)、金属労協議長(2014年9月まで)、同年10月連合副会長。
加藤 倫教(かとう みちのり、1952年 - )は、日本の元… 加藤 倫教(かとう みちのり、1952年 - )は、日本の元左翼運動家・元新左翼、現農家。元日本共産党(革命左派)神奈川県委員会・元連合赤軍メンバー。刑務所の中で3-4年後に新左翼思想から転向し、出所後は農家となり、自民党員となった。 1952年愛知県刈谷市出身。高校2年の時に東海高等学校在学中に名古屋市内の繁華街で沖縄返還を求めるデモに偶然出会って以降、学生運動や新左翼運動にのめり込んだ。そして、3歳年上の長兄加藤能敬の影響で毛沢東を信奉し、「反米愛国」をスローガンに掲げ、「銃のみが政権を生み出す」といった毛沢東理論に基づき、銃砲店から猟銃・散弾実包などを強奪する事件を起こす新左翼テロ組織の中京安保共闘(日本共産党革命左派神奈川県委員会)に入った。
加藤 能敬(かとう よしたか、1949年 - 1972年1月… 加藤 能敬(かとう よしたか、1949年 - 1972年1月4日)は、日本の革命運動家。連合赤軍メンバー。 愛知県刈谷市出身。東海中学校・高等学校を経て和光大学人文学部入学。京浜安保共闘に参加。 あさま山荘事件で逮捕された加藤兄弟(加藤倫教、その弟)は彼の弟達で、「加藤3兄弟」と呼ばれた。女性メンバーと交際していたのが元で、山岳ベース事件でリンチに遭い、死亡。22歳没。なお、相手は1月1日に殺害されている。 父親は小学校教員であったが、あさま山荘事件直前に引責辞職していた。
中島 恒雄(なかじま つねお、1947年(昭和22年)6月2… 中島 恒雄(なかじま つねお、1947年(昭和22年)6月26日- )は、日本の教育者、福祉活動家。尾州茶屋家17代当主。学位は教育学博士(フォーダム大学・1989年)。学校法人茶屋四郎次郎記念学園創立者・理事長、東京福祉大学・大学院総長・学長、学校法人たちばな学園創立者・理事長、理学・作業名古屋専門学校名誉校長、保育・介護・ビジネス名古屋専門学校校長、社会福祉法人茶屋福祉記念会茶屋とくしげ保育園理事長、社会福祉法人茶屋の園特別養護老人ホームたちばなの園白糸台創立者、特定非営利活動法人(NPO)日本・留学生交流援護会創設者、茶屋四郎次郎記念学術学会創設者(日本学術会議登録学術研究団体)、上海師範大学名誉教授、海南師範大学名誉教授、前ハーバード大学教育学大学院招聘学者、講道館柔道5段。
丹波 正史(たんば せいし、1947年4月12日 - )は愛… 丹波 正史(たんば せいし、1947年4月12日 - )は愛知県出身の部落解放運動家、地方議員。 愛知県海部郡甚目寺町(現・あま市)生まれ。父の丹波繁正は富山県の被差別部落の出で、社会大衆党神戸支部執行委員を経て、甚目寺町の町会議員を3期つとめた。母の弟の井村末次郎も甚目寺町の町会議員(日本共産党)を1期つとめた。甚目寺町の町会議員を正史自身も1期、正史の妻の真理も7期つとめている。 愛知県立中村高等学校在学中、18歳で日本共産党に入党。1974年、甚目寺町議に当選し、4年間にわたり愛知県部落解放運動連合会(略称・愛解連)委員長と兼任。1978年、31歳で全国部落解放運動連合会(略称・全解連)中央執行委員になり、1983年、35歳で全解連書記次長となる。
深津 泰彦(ふかつ やすひこ、1945年1月8日 - )は、… 深津 泰彦(ふかつ やすひこ、1945年1月8日 - )は、日本のバスケットボール選手、労働運動家、実業家。トヨタ自動車労働組合書記長や、トヨタアドミニスタ代表取締役社長、東京トヨタ自動車代表取締役会長、日本バスケットボール協会会長等を歴任した。 愛知県出身。安城市立安城西中学校、愛知県立安城高等学校を経て、名古屋大学卒業。トヨタ自動車男子バスケットボール部選手を経て、1979年トヨタ自動車労働組合副委員長。1982年トヨタ自動車労働組合書記長。トヨタ自動車常務取締役を経て、2003年トヨタアドミニスタ代表取締役社長。2007年東京トヨタ自動車代表取締役会長。2008日本バスケットボール協会副会長。
内田 雅敏(うちだ まさとし、1945年 - )は、日本の弁… 内田 雅敏(うちだ まさとし、1945年 - )は、日本の弁護士、社会運動家。 愛知県蒲郡市生まれ。愛知県立時習館高等学校卒業。1968年、早稲田大学法学部卒業。1975年、東京弁護士会登録。1978年、四谷総合法律事務所を設立した。 日弁連人権擁護委員会委員、同接見交通権確立実行委員会委員長、関東弁護士会連合会憲法問題協議会委員長を経て、日弁連憲法委員会幹事、西松安野友好基金運営委員会委員長を務める。弁護士としての通常業務の他に、中国人労働者の戦後補償問題、靖国問題などに関与した。 1992年の第16回参議院議員通常選挙では、PKO法案に賛成していた森田健作の野党統一候補(社会・民社・社民連)としての推薦に反発し、反対派候補として社会党、社民連の一部議員の支援を得て東京都選挙区から立候補したが、落選した。
高木 剛(たかぎ つよし、1943年10月1日 - 2024… 高木 剛(たかぎ つよし、1943年10月1日 - 2024年9月2日)は日本の労働運動家。2005年から2009年まで、日本最大の労働組合団体、日本労働組合総連合会(連合)の会長を務めた。元国家公安委員会委員。 三重県生まれ、愛知県育ち。愛知県立旭丘高等学校を経て、1967年に東京大学法学部を卒業し、同年4月に旭化成工業へ入社。以後、労働組合運動に関わり、1973年には全旭化成労働組合連合会書記長となり、1977年には宮崎地方同盟(全日本労働総同盟(同盟)の宮崎県組織)会長となった。 1981年に外務省へ出向し、1982年からは在タイ日本国大使館一等書記官として勤務した。1984年に旭化成労組の上部組織であるゼンセン同盟の常任執行委員となり、1988年9月には同書記長、1996年9月には同会長に就任した。
磯貝 治良(いそがい じろう、1937年 - )は、日本の朝… 磯貝 治良(いそがい じろう、1937年 - )は、日本の朝鮮韓国に関わる作家、評論家、活動家。「在日朝鮮人作家を読む会」の主宰。金城学院大学非常勤講師。NPO法人「三千里鐵道」副理事長。 1937年、愛知県半田市生まれ。愛知大学法経学部経済学科卒業。1977年から名古屋で「在日朝鮮人作家を読む会」を主宰し、会の文芸誌『架橋』を発行。 大学講師、警備員などの仕事をしながら、新日本文学会、マダン劇グループ、外国人登録法反対運動、在日韓国人に対する参政権付与運動、NPO法人「三千里鐵道」など、主に朝鮮韓国に関わる様々な活動に参加している。 2006年には、全18巻に及ぶ『〈在日〉文学全集』(勉誠出版)を黒古一夫とともに編集した。
黒川 紀章(くろかわ きしょう、本名読み:くろかわ のりあき… 黒川 紀章(くろかわ きしょう、本名読み:くろかわ のりあき、1934年〈昭和9年〉4月8日 - 2007年〈平成19年〉10月12日)は、日本の建築家(一級建築士)、思想家、実業家、政治活動家。株式会社黒川紀章建築都市設計事務所代表取締役社長。日本芸術院会員。1986年にフランス建築アカデミーのゴールドメダルを受賞。日本を代表する建築家の一人。 1934年(昭和9年)に愛知県海部郡蟹江町に生まれた。父親の黒川巳喜も建築家である。 1953年(昭和28年)に東海高等学校を卒業。1957年(昭和32年)に京都大学工学部建築学科卒業。在学中は西山卯三に師事。卒業制作の題目は「A Project for Shopping Center」であった。
野々山 一三(ののやま いちぞう、1923年(大正12年)9… 野々山 一三(ののやま いちぞう、1923年(大正12年)9月24日 - 2013年(平成25年)1月19日)は、日本の労働運動家、政治家。参議院議員(2期)。 愛知県碧海郡富士松村(現・刈谷市井ケ谷町)の小作農の家に生まれる。高等小学校卒業後、国有鉄道米原機関区に就職した。1942年に日本国有鉄道名古屋鉄道教習所を卒業し、20歳で一人前の機関士となった。 召集され、1944年1月、フィリピン群島に送られる。同年夏、上陸用舟艇の艇長としてルソン島に転進。マニラ郊外に上陸後捕虜となる。1945年12月8日に輸送船に乗り、呉海兵団基地に帰還した。野々山の部隊は約960名編成されていたが、生存者はわずか20数名であった。
渡辺 武三(わたなべ たけぞう、1922年10月10日 - … 渡辺 武三(わたなべ たけぞう、1922年10月10日 - 1982年4月23日)は、日本の政治家、労働運動家。民社党の衆議院議員(5期)。 愛知県碧海郡依佐美村(現・刈谷市小垣江町)の三州瓦を扱う商家に生まれる。11歳のときに父親を亡くす。1937年、高等小学校を卒業。1938年、豊田自動車工業株式会社に就職。1943年、豊田工科青年学校(現・トヨタ工業学園)を卒業。 徴兵され、中国大陸各地を転戦した。1946年、復員。1948年3月に全日本自動車産業労働組合が結成されると、同組合東海文部の法規対策部長に就任。1955年から挙母市(現・豊田市)議会議員を1期務めた。 1966年9月から1969年8月までトヨタ自工労働組合委員長を務めた。
横山 利秋(よこやま としあき、1917年10月10日 - … 横山 利秋(よこやま としあき、1917年10月10日 - 1988年11月1日)は、日本の政治家、労働運動家。位階は正三位。 日本社会党所属の衆議院議員(11期)。 愛知県名古屋市生まれ。3歳のときに父親を亡くす。中京商業学校卒業後に鉄道員として鉄道省(当時)に就職。国鉄労働組合(国労)の結成に参加する。 1947年に日本共産党による国労の組合活動への介入に反発した国労組合員を中心に国鉄労組反共連盟(後に国鉄民主化同盟=国鉄民同)が結成されると、これに参加。1950年に民同の支持で国労本部企画部長となるが、団体として加盟していた日本労働組合総評議会(総評)が「平和四原則」を決定すると、これに則る形で「平和三原則」を盛り込んだ運動方針案を提出する。
熊沢 光子(くまざわ てるこ、1911年8月9日 - 193… 熊沢 光子(くまざわ てるこ、1911年8月9日 - 1935年3月25日)は、戦前日本の社会運動家。大泉兼蔵のハウスキーパー (日本共産党)として日本共産党スパイ査問事件に巻き込まれ、逮捕後獄中自殺した。 愛知県名古屋市の弁護士の家庭に生まれる。愛知県立第一高等女学校在学中に教師村瀬示路のマルクス経済学の講義をきっかけにマルクス主義に目覚める。同校を1931年に卒業し、妹の勝子や仲間とともに部屋を借りてエスペラント語を学ぶ。愛知県庁に勤務。1931年、米よこせ運動や消費組合運動をしていた山本秋により社会運動に参加。1932年に上京し住み込みの女給となりカフェーを転々とし、同年秋の赤色ギャング事件の資金局本部事務員として検挙され、4か月留置の末、転向して釈放され帰郷。
成瀬 幡治(なるせ ばんじ、1910年12月17日 - 19… 成瀬 幡治(なるせ ばんじ、1910年12月17日 - 1992年12月3日)は、日本の政治家、労働運動家。参議院議員(4期、日本社会党)。 愛知県西加茂郡小原村(現豊田市)に生まれる。本城小学校(現豊田市立本城小学校)卒業。1931年(昭和6年)、愛知第一師範学校専攻科卒業。教員となり、終戦後、愛知県教員組合の初代委員長に就任し、組合運動に参加。学校生活協同組合理事長なども務めた。 1950年(昭和25年)6月の第2回参議院議員通常選挙に愛知県選挙区から日本社会党公認で立候補し、地方区としては全国最多得票数で初当選を果たした。1962年(昭和37年)に3選。 1966年(昭和41年)、翌年2月執行の愛知県知事選挙の候補者に社会党は成瀬を擁立。
太田 一夫(おおた かずお、1910年11月19日 - 19… 太田 一夫(おおた かずお、1910年11月19日 - 1990年11月3日)は、日本の政治家、労働運動家。衆議院議員(5期、日本社会党)。保革を問わず「いっぷさん」と親しまれた。 愛知県矢作町大字渡(現岡崎市渡町字宮西)生まれ。碧海郡矢作高等小学校(現岡崎市立矢作中学校)を経て、1927年(昭和2年)に上京。東京市下谷区の岩倉鉄道学校(現岩倉高等学校)に入学。下谷区坂本町4丁目にあった東京朝日新聞の新聞販売店で住み込みで働きながら、昼間は学校に通う。1929年(昭和4年)10月、同校を首席で卒業。12月、名古屋鉄道に入社。 1945年(昭和20年)12月10日、名古屋鉄道労組を結成。1948年(昭和23年)8月、名古屋鉄道労組書記長、私鉄中部地連書記長に就任。
影山 正治(かげやま まさはる、1910年〈明治43年〉6月… 影山 正治(かげやま まさはる、1910年〈明治43年〉6月12日 - 1979年〈昭和54年〉5月25日)は、日本の右翼活動家、思想家、歌人。 愛知県豊橋市生まれ。家は神官。父は影山庄平。豊橋中(現在の愛知県立時習館高等学校)卒、國學院大學哲学科中退、在学時代から右翼運動に入り、1931年(昭和6年)全国大日本主義同盟、日本学生連合に参加、32年生産党常任中央委員、33年神兵隊事件で検挙。36年に維新寮を結成、39年これを大東塾と改め塾長となった。40年7月皇民有志決起事件で検挙、42年禁錮5年の判決を受けたが、43年には特赦となった。44年11月応召。1946年5月帰国。54年4月3日大東塾再建。
足立 一平(あだち いっぺい、1906年6月26日 - 19… 足立 一平(あだち いっぺい、1906年6月26日 - 1957年11月27日)は、日本の教育者、政治活動家。岩津農商学校(現・愛知県立岩津高等学校)の創立者として知られる。 愛知県額田郡広幡町(現・岡崎市)に生まれる。岡崎市立広幡尋常高等小学校、愛知県岡崎中学校(現・愛知県立岡崎高等学校)、大阪外国語学校ドイツ語科を卒業。文部省在外研究員としてドイツに留学。ベルリン大学卒業後、ソビエト連邦、アメリカ合衆国、イギリス、フランス、スウェーデン、中華民国などを視察した。また、フランスのニースで開かれた国際新教育会議に日本代表として出席した。 1933年(昭和8年)に帰国し、神戸高等商船学校教授に就任。
天野 末治(あまの すえじ、1901年1月21日 - 197… 天野 末治(あまの すえじ、1901年1月21日 - 1976年3月1日)は、日本の弁護士、社会運動家。扱った事件の多くは、小作争議、労働争議、思想弾圧事件などであり、自由法曹団東海支部結成においては指導的役割を果たした。愛知大学事件、大須事件の弁護団長として知られる。旧姓は柴田。 愛知県美合村大字岡村(現:岡崎市岡町字西側25番地)に、父柴田喜十、母たまの末っ子として生まれた。生家は農業で、当時その地方では養蚕が盛んであったことから、養蚕家が集まって蚕種製造組合を創った。父の柴田喜十は推されてその組合長となり、村会、信用組合などの役員などもした。 1914年(大正3年)、男川尋常高等小学校高等科を修了。
赤尾 敏(あかお びん、1899年〈明治32年〉1月15日 … 赤尾 敏(あかお びん、1899年〈明治32年〉1月15日 - 1990年〈平成2年〉2月6日)は、日本の政治家、右翼活動家、衆議院議員、大日本愛国党初代総裁。 当初は社会主義者であったが、1926年(大正15年)に「天皇制社会主義」を理想として民族主義者へ転向。1942年(昭和17年)には翼賛会非推薦で衆議院議員に当選し、親英米反共の反体制右翼として対英米戦争に反対した。1945年(昭和20年)の敗戦後、政治活動と講演活動を行い、1951年(昭和26年)親米反共を訴える大日本愛国党を創党した。特に銀座数寄屋橋などでの辻説法による気迫に溢れる街頭演説で有名であった。 赤尾敏は1899年(明治32年)1月15日、愛知県名古屋市の金物商の息子として生まれた。
岩田 義道(いわた よしみち、1898年(明治31年)4月1… 岩田 義道(いわた よしみち、1898年(明治31年)4月1日 - 1932年(昭和7年)11月3日)は、日本の労働運動家、社会運動家、政治活動家。戦前期の非合法政党時代の日本共産党幹部であった。愛知県葉栗郡北方村(現・一宮市)出身。 松山高等学校を卒業。京都帝国大学経済学部に入学し、河上肇に師事する。だが在学中に京都学連事件に連座して逮捕され、禁錮10か月の判決を受けたため中退した。産業労働調査所で活動し、1927年(昭和2年)には日本共産党(第二次共産党)に入党する。「非常時共産党」時代には党中央委員に選出され、宣伝煽動部(アジプロ)、農民部で部長を務めたほか、活版印刷による『赤旗』の発行を指導した。
近藤 孝太郎(こんどう こうたろう、1897年3月24日 -… 近藤 孝太郎(こんどう こうたろう、1897年3月24日 - 1949年11月6日)は、日本の社会運動家、著述家、芸術家。大正期から昭和20年代前半にかけて、郷里岡崎市の社会主義運動および文化活動を牽引した。 愛知県額田郡常磐村大字米河内(現・岡崎市米河内町)の代々続く清酒醸造を業とする家に近藤伍三郎の長男として生まれ、祖母に育てられる。1914年(大正3年)、愛知県立第二中学校(現・愛知県立岡崎高等学校)卒業。芸術家になることを夢み、東京美術学校進学を希望するが父の反対にあい、やむなく東京高等商業学校(現・一橋大学)に進む。在学中から若山牧水に師事し「創作社」同人となった。この頃、府立一中の蔵原惟人、浅野晃らと同人誌『りらの花』(後『リラ』)発行。
市川 房枝(いちかわ ふさえ、1893年〈明治26年〉5月1… 市川 房枝(いちかわ ふさえ、1893年〈明治26年〉5月15日 - 1981年〈昭和56年〉2月11日)は、日本の婦人運動家、政治家。参議院議員(5期)。 1924年に「婦人参政権獲得期成同盟会」を結成。婦人参政権運動を主導した。終戦直後の1945年11月3日には「新日本婦人同盟」を結成。公職追放を受けるも、解除後の1950年に同団体を「日本婦人有権者同盟」に改称し、国会と女性を結び付ける運動を推し進めた。1953年に参議院議員に初当選。政界浄化、女性の地位や権利の向上に尽力した。 愛知県中島郡明地村字吉藤(現:一宮市明地)に生まれた。男2人、女4人の6人きょうだいで、市川は三女。誕生名は「ふさゑ」。
加藤 勘十(かとう かんじゅう、1892年(明治25年)2月… 加藤 勘十(かとう かんじゅう、1892年(明治25年)2月25日 - 1978年(昭和53年)9月27日)は、昭和期の政治家、労働運動家。衆議院議員(7期、日本社会党)、労働大臣(第2代)。碧水、率とも称した。 戦前の労働運動で活躍し、「火の玉勘十」の異名を取った闘士型の運動家。立憲民政党、国民同盟の衆議院議員を務めた加藤鯛一は実兄。婦人運動家、政治家の加藤シヅエは、夫人で「おしどり議員」として知られた。息子は加藤宣幸、娘は加藤タキ(多喜子)。 1892年(明治25年)2月25日に、愛知県丹羽郡岩倉村(現在の岩倉市)で生まれる。 日本中学などを経て、日本大学法学部中退。 当初は国家主義者として出発し、1918年(大正7年)シベリア出兵に参加するが、戦争の悲惨さを体験して、反戦・労働運動に転向した。
岩瀬 弥助(いわせ やすけ、旧字:岩瀨彌助。1867年11月… 岩瀬 弥助(いわせ やすけ、旧字:岩瀨彌助。1867年11月1日(慶応3年10月6日) - 1930年(昭和5年)1月3日)は、日本の実業家・慈善家。幼名は吉太郎。西尾鉄道初代社長を務めたほか、私財を投じて岩瀬文庫をも創設した。 三河国西尾城下の須田町(現・愛知県西尾市)にて、肥料商を営む岩瀬弥蔵の長男として生まれる。小学校を卒業すると家業を継いだ。1887年(明治20年)20歳の時に本家の猪代治が亡くなったため、本家の山本屋へ養子に入る。その際、猪代治の長女と結婚し、祖父の名を襲名して四代目弥助を名乗る。同年、旧西尾藩士・矢島貞廉(やじま ていれん)が中心となって結成した、法律、経済、社会問題について学ぶ「談話会」に入会し幹事となる。
太田 松次郎(おおた まつじろう、1863年3月28日(文久… 太田 松次郎(おおた まつじろう、1863年3月28日(文久3年2月8日)- 1886年(明治19年)2月19日)は、明治時代の自由民権運動家である。 三河の幡豆郡一色村(現在の愛知県西尾市)に豪商の家系の子として生まれる。若くして自由民権運動に参加し、内藤魯一らと共に国会の開設に携わった。その後は自由党に入党し同党の本部で様々な活動の補佐に携わり、1880年(明治13年)には政治活動をまとめた著書である『政法論』を執筆する。 翌1881年(明治14年)には『自由権理論』の出版にも携わり、後に東京や横浜を中心に日本各地で演説活動や新聞および雑誌といったマスメディアに論説を発表することにも力を入れた。
村松 愛蔵(むらまつ あいぞう、安政4年3月2日(1857年… 村松 愛蔵(むらまつ あいぞう、安政4年3月2日(1857年3月27日) - 昭和14年(1939年)4月11日)は、日本の政治家、キリスト教伝道者、社会事業家。 藩校成章館(現愛知県立成章高等学校)で伊藤鳳山から儒学を学ぶ。16歳で上京。東京外国語学校ロシア語学科に入学。レフ・メーチニコフの門下生となる。板垣退助の思想に影響を受け、帰郷後、鈴木孝之助、広中鹿次郎たちと「恒心社」を結成。 自由民権運動に加わり、私擬憲法「日本国憲法草案」を起草、愛岐日報に発表した。飯田事件により投獄されたが、1889年大赦により出獄した。 下宿先の娘きみと結婚後、1894年(明治27年)自由党から衆議院選挙に立候補するが落選。
武田 準平(たけだ じゅんぺい、1839年1月9日(天保9年… 武田 準平(たけだ じゅんぺい、1839年1月9日(天保9年11月24日) - 1882年(明治15年)1月2日)は、明治期の日本の医師、愛知県議会初代議長、自由民権運動家。民権結社、進取社副社長。明治生命保険(現・明治安田生命保険)創立者の阿部泰蔵は実弟。 1838年(天保9年)三河国八名郡下吉田村(現・愛知県新城市)の医者・豊田鉉剛の次男として生まれたが、18歳の時に、宝飯郡森村(現・豊川市)の武田家の養子となる。 江戸に出て、蘭方医の伊東玄朴が開いた象先堂に入門して医学を学び、1859年(安政6年)に宝飯郡森村に帰り開業する。その後、1869年(明治2年)修道館の教官となり、青少年の教育にも携わった。
林 金兵衛(はやし きんべえ、文政8年1月1日(1825年2… 林 金兵衛(はやし きんべえ、文政8年1月1日(1825年2月18日) - 明治14年(1881年)3月1日)は、明治初期の日本の政治家、農民運動家。本名、林金兵衛重勝。 上条城主小坂氏の末裔で林家28代目当主(今井兼平からかぞえて)。 父に林重郷、息子に林小参(養子)を持つ。幕末の義勇隊の一つである草薙隊の隊長でもある。 尾張国春日井郡上条村(現在の愛知県春日井市上条町)に林家の二男として生まれた。嘉永2年(1849年)に父が亡くなって家を継ぎ、父から金兵衛の名を受け継いで林金兵衛重勝と名乗った。 安政5年(1858年)、水野代官所総庄屋に就き、人々の生活が安定するように努めた。特に、明治9年(1876年)から明治14年(1881年)にかけて、春日井郡の地租改正反対運動の中心人物として活動していた。