久納 美輝(くのう よしき、1994年 -)は、日本の歌人、… 久納 美輝(くのう よしき、1994年 -)は、日本の歌人、詩人。名古屋市出身。 愛知淑徳大学メディアプロデュース学部メディアプロデュース学科クリエイティブライティングコース(現、創造表現学部創造表現学科創作表現専攻)卒業。在学中に文芸同人誌『みみずく』を創刊主宰。卒業後、書店七月堂刊行の詩誌『インカレポエトリ』に参加。 2017年1月、歌論「孤独者としての寺山修司」により中部日本歌人会六十周年記念歌論賞佳作を受賞。同年3月には短歌結社まひる野に入会し、島田修三に師事。2019年11月、まひる野会員の立花開とともに同人短歌アンソロジー『くわしんふう』を刊行。2021年8月、短歌詠30首「嬌声と黙(もだ)」により結社新人賞である第66回まひるの賞を受賞。
向坂 くじら(さきさか くじら、1994年 - )は、日本の… 向坂 くじら(さきさか くじら、1994年 - )は、日本の詩人、小説家、エッセイスト。愛知県名古屋市生まれ。埼玉県在住。慶應義塾大学文学部卒業。「国語教室 ことぱ舎」主宰。ポエトリーリーディングユニット・Anti-Trenchの朗読担当。 1994年に名古屋市で生まれ、横浜市で育つ。高校時代は短歌に熱中した。 大学生の時に短歌サークルに入り、詩を本格的に書き始める。「くじら」のペンネームは学生時代から使用しており、由来は「クジラがかわいいから」だという。慶応義塾大学を卒業後、2016年にGt.クマガイユウヤとの詩の朗読とエレキギターのユニット「Anti-Trench」を結成する。 2021年、詩「食いちがう」でびーれびしろねこ社賞大賞を受賞する。
佐野 有美(さの あみ、1990年4月6日 - )は、日本の… 佐野 有美(さの あみ、1990年4月6日 - )は、日本の詩人、随筆家、講演活動家、歌手、タレントである。血液型O型。 愛知県豊川市出身で、短い左脚と3本の指以外を欠損している先天性四肢欠損症で生まれ、幼少期は乳児院で育つ。のちに家族とともに生活し、両親の希望と周囲の協力により小学校から高校までを通常学級で学ぶ。高校在学中はチアリーディング部で活動して地元で報道されて話題となる。 高校卒業後は事務職を経たのち、全国で講演を始める。2011年6月に、詩集『あきらめないで』から楽曲が制作されてテイチクエンタテインメントからCDアルバムが発売され、2011年の第53回輝く!日本レコード大賞で「企画賞」を受賞する。
千種創一(ちぐさ そういち、1988年 - )は、日本の歌人… 千種創一(ちぐさ そういち、1988年 - )は、日本の歌人、詩人、作家、翻訳家。 愛知県名古屋市生まれ。2005年頃、作歌開始。 2009年、東京外国語大学アラビア語学科在学中に三井修の授業「短歌創作論」の受講生らと「外大短歌会」創立。2010年、短歌同人誌「dagger」参加。2011年、韻文と散文の同人誌「ami.me」創刊に参加。2012年、東京外国語大学アラビア語学科卒業。中東のヨルダンやレバノンに住む。 2013年、短歌同人誌「中東短歌」創刊。連作「keep right」で塔新人賞。2014年、評論同人誌「ネヲ」参加。2015年、連作「ザ・ナイト・ビフォア」で歌壇賞次席。第1歌集『砂丘律』上梓。
佐藤 由明(さとう よしあき、1981年1月2日 - )は、… 佐藤 由明(さとう よしあき、1981年1月2日 - )は、日本の詩人、コンサルタント、カウンセラー。立教大学文学部卒。 1981年、愛知県豊橋市生まれ。愛知県立時習館高等学校へ進学。中高生時代はテニス活動に熱中。立教大学文学部卒。在学中は横山鉱一教授に師事。在学中に世界22カ国を回る。大学卒業後はアパレルメーカーに就職しメンタルケアを担当、その後ベンチャー企業を経て株式会社ポエガネイジアを設立。現在、同社代表取締役。
森川 龍志(もりかわ りゅうし、1964年 - )は、愛知県… 森川 龍志(もりかわ りゅうし、1964年 - )は、愛知県在住の詩人・フランス文学者である。 研究対象はジュリアン・グラックやアンリ・ボスコ(英語版)など。詩集に『バルカロオレ』(1991年)など。
宋敏鎬(ソン・ミンホ、1963年 - )とは、日本の詩人。心… 宋敏鎬(ソン・ミンホ、1963年 - )とは、日本の詩人。心臓外科医。名古屋市生まれ。 1989年、名古屋大学医学部卒業。1984年から1987年まで「菊屋」同人。 1997年「ユリイカ」の新鋭詩人に選ばれる。 1998年『ブルックリン』で第3回中原中也賞を受賞。 2012年『真心を差し出されてその包装を開いてゆく処』で第14回小野十三郎賞を受賞。
ドリアン助川(ドリアン すけがわ、1962年6月17日 - … ドリアン助川(ドリアン すけがわ、1962年6月17日 - )は、日本の作家、詩人、歌手。明治学院大学国際学部教授。 東京都生まれ。中学卒業まで神戸市で育ち。アメリカンフットボールが出来る進学校に憧れ、名古屋市へ単身引っ越し東海高等学校に進学。同校卒業後、1浪して、早稲田大学第一文学部東洋哲学科に進学し、同大学を卒業。日本菓子専門学校通信課程卒業。早稲田大学時代には劇団を主宰し、卒業後は雑誌ライター、放送作家などを経て、1990年、東欧革命取材を契機に「叫ぶ詩人の会」を結成する。芸名であるドリアン助川として「言葉の復権」をテーマに、世の中の森羅万象を激しいロックに乗せて叫ぶ、独自のパフォーマンスで話題になる。
高柳 誠(たかやなぎ まこと、1950年9月13日 - )は… 高柳 誠(たかやなぎ まこと、1950年9月13日 - )は、日本の詩人、美術史家、元・玉川大学教授。 名古屋市生まれ、1975年同志社大学文学部国文学専攻卒業。1980年散文詩集『アリスランド』を上梓、82年『卵宇宙/水晶宮/博物誌』でH氏賞を受賞、89年『都市の肖像』で高見順賞受賞。97年詩画集三部作『月光の遠近法 <建石修志>』『触感の解析学<北川建次>』『星間の採譜術 <小林健二>』で藤村記念歴程賞を受賞。美術史研究者として、玉川大学文学部を経てリベラルアーツ学部教授を定年退任。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
稲葉 真弓(いなば まゆみ、1950年〈昭和25年〉3月8日… 稲葉 真弓(いなば まゆみ、1950年〈昭和25年〉3月8日 - 2014年〈平成26年〉8月30日)は、日本の小説家、詩人。本名は稲葉 眞弓(読み同じ、旧姓は平野)。 愛知県海部郡佐屋町(現:愛西市)生まれ。愛知県立津島高等学校卒業。 西脇順三郎の作品に衝撃を受けたことがきっかけで、高校在学時より詩作を始める。 1966年、高校2年生の時に文藝春秋が全国の高校生から募集した「アンネ・フランクに贈る詞」に応募して2位を獲得したことで、本格的に文学の道へ入ることを志すきっかけとなる。 東京デザイナー学院名古屋校在学中に詩集『白い日々を唄うために』を自主制作する。 専門学校卒業後、名古屋市内の建築デザイン会社に勤務しながら、同人誌「作家」に作品を発表する。
瀬尾 育生(せお いくお、1948年11月16日 - )は、… 瀬尾 育生(せお いくお、1948年11月16日 - )は、日本の詩人、ドイツ文学者。東京都立大学名誉教授。 愛知県名古屋市生まれ。1973年、東京大学文学部独文科卒業。東京大学大学院人文科学研究科独文科修士課程修了。1991年、湾岸戦争の際に藤井貞和と論争を行った。1996年、詩集『Deep purple』で第26回高見順賞を受賞。2006年、『戦争詩論 1910-1945』で第15回やまなし文学賞を受賞。2010年、稲川方人との共著『詩的間伐―対話2002-2009』で第1回鮎川信夫賞受賞。文芸評論家の神山睦美、詩人の福間健二などとGENIUSの会をつくり、ガリ版刷GIPを発行した。名古屋工業大学助教授、旧・東京都立大学教授、首都大学東京教授を経て、同名誉教授。
一色 真理(いっしき まこと、1946年10月19日 - )… 一色 真理(いっしき まこと、1946年10月19日 - )は、日本の詩人。男性。アレゴリーを駆使した散文詩や、夢を素材にした作品を手掛ける。 愛知県名古屋市生まれ。東海高等学校、早稲田大学第一文学部露文専修卒業。鮎川信夫に私淑し、第30回H氏賞を受賞。日本現代詩人会会員。日本文芸家協会会員。草思社の元社員で、「ピアノの本」の編集長などを務めた。月刊詩誌「詩と思想」編集長を経て、若い詩人のためのモノクローム・プロジェクト代表。詩人としての活動の他、1994年から12年間、インターネット上に開設された共同夢日記「夢の解放区」を主宰する。現在も自らのブログ「ころころ夢日記」で日々の夢を描き続ける。
黒岩 隆(くろいわ たかし、1945年- )は、日本の詩人、… 黒岩 隆(くろいわ たかし、1945年- )は、日本の詩人、精神科医。 愛知県名古屋市生まれ。広島大学医学部卒業。1966年より『詩学』に投稿を開始、詩誌『地球』などをへて、1972年『歴程』同人となる。1990年、神奈川県厚木市の相州病院理事長。2006年『海の領分』で日本詩歌句大賞、2017年『青蚊帳』で歴程賞、三好達治賞を受賞。2019年日本現代詩人会会長。2026年『南天鳩』で現代詩人賞を受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
渥美 育子(あつみ いくこ、1940年 - )は、日本の詩人… 渥美 育子(あつみ いくこ、1940年 - )は、日本の詩人、アメリカ文学者、実業家。 愛知県名古屋市出身。父は名古屋市で区長や教育長を務めた渥美善三、母は愛知県立大学教授を務めた渥美かをる。 青山学院大学文学部英米文学科卒業後留学し、ブリティッシュ・コロンビア大学、アイオワ大学創作科に学び、ラドクリフ・カレッジ、ハーヴァード大学研究生、1976-82年青山学院大学助教授。『フェミニスト』編集長。その後渡米しジャパニーズ・センターを設立。のち帰国し、グローバル教育研究所理事長。 1970年代には日本女性学会立ち上げにも参画したフェミニストであったが、帰国後は倫理法人会とつながりのある日本母親連盟の理事長を務めるなど、反動保守的スタンスをとるようになっている。
北川 透(きたがわ とおる、1935年8月9日 - )は、日… 北川 透(きたがわ とおる、1935年8月9日 - )は、日本の詩人・文芸評論家。本名は磯貝 満(いそがい みつる)。愛知県碧南市出身。 梅光学院大学特任教授。中原中也賞選考委員。現代詩から北村透谷、萩原朔太郎、中原中也論など著書多数。 1935年(昭和10年)に愛知県碧南市に生まれる。1958年(昭和33年)に愛知学芸大学(現・愛知教育大学)学芸学部国語科を卒業。高校教諭を経て、1962年(昭和37年)に詩誌「あんかるわ」を創刊し、詩と批評を掲載する。1990年(平成2年)に同誌を廃刊させ、1991年(平成3年)には山口県下関市に移住して梅光女学院大学教授となった。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
永島 卓(ながしま たく、1934年(昭和9年)7月20日 … 永島 卓(ながしま たく、1934年(昭和9年)7月20日 - 2016年(平成28年)7月27日)は、日本の政治家、詩人。愛知県碧南市長(3期)。 愛知県碧南市生まれ。愛知県立碧南高等学校卒業後、結核に侵され、療養中に詩作を始めた。病気が治ったときに「楽に入れるところ」と碧南市役所の試験を受け、合格。1958年(昭和33年)に入庁。市役所勤務の傍ら、『現代詩手帖』『あんかるわ』『菊屋』などに詩を発表した。また、詩誌『碧南詩人』『反碧南文化』を編集。 経済環境部長や建設部長などを歴任し、中部電力碧南火力発電所(現・JERA碧南火力発電所)の誘致に関わった。1995年(平成7年)3月、市役所を総務部長で定年退職。
阿久根 治子(あくね はるこ、1933年〈昭和8年〉 - 2… 阿久根 治子(あくね はるこ、1933年〈昭和8年〉 - 2013年〈平成25年〉)は、児童文学作家、童謡詩人。 1933年(昭和8年)、名古屋市生まれ。愛知県立女子短期大学(現・愛知県立大学)国文科にて、当時の学長、高木市之助に師事、上代日本文学を学ぶ。1954年(昭和29年)に卒業後、約9年中部日本放送(CBC)に勤務。担当は音楽係。勤務中より童話等を発表。1955年、アンデルセン生誕150年祭実行委員会に参加。 1961年(昭和36年)、「「モクモク町」のある1年」を発表、講談社50周年記念児童文学賞入選候補作となる。 1963年(昭和38年)、中部日本放送を退職、中日新聞に「ぼくとアリンコピチくん」など数十編を連載。
丸地 守(まるち まもる、1931年10月24日 - 202… 丸地 守(まるち まもる、1931年10月24日 - 2025年10月17日)は、日本の詩人。 愛知県豊橋市生まれ。中央大学法学部卒。2001年現代詩人会理事長を務めた。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
粟津 則雄(あわづ のりお、1927年(昭和2年)8月15日… 粟津 則雄(あわづ のりお、1927年(昭和2年)8月15日 - 2024年(令和6年)4月19日)は、日本の文芸評論家、フランス文学者、美術評論家、詩人、翻訳家。日本芸術院会員。「歴程」同人。法政大学名誉教授。 1927年、愛知県西尾市生まれ。京都府立第一中学校、第三高等学校で学び、卒業した。1948年、東京帝国大学文学部仏文科に入学。1952年に東京大学を卒業し、その後はフランス文学の翻訳、美術評論等を多く手掛けた。 1964年に法政大学経済学部助教授となり、後に教授昇格。1997年に法政大学を定年退職して名誉教授となった。草野心平と1960年代に出会って以降、生涯にわたって交友が深く、後にいわき市立草野心平記念文学館長を務めた。
山本 悍右(やまもと かんすけ、1914年3月30日 - 1… 山本 悍右(やまもと かんすけ、1914年3月30日 - 1987年4月2日)は、名古屋市を拠点に、戦前から戦後にかけて活動した日本の写真家、詩人、編集者である。 1930年代から1940年代にかけて、名古屋の前衛的な詩・写真・出版のネットワークのなかで、シュルレアリスム写真やフォトモンタージュを制作し、詩誌『夜の噴水』の編集・発行、VOUへの参加、写真グループ青憧社の会報『CARNET BLEU』の編集など、詩・写真・出版をまたぐ活動を展開した。 その活動は戦時下の統制強化と重なり、『夜の噴水』の終刊や警察の取り調べを経験し、ナゴヤ・フォトアバンガルドの改称と解散にも直面した。 没後は2001年の東京ステーションギャラリーにおける回顧展、2013年のJ・ポール・ゲティ美術館での「Japan's Modern Divide」展、2021年・2022年のメトロポリタン美術館・テート・モダン共同企画「Surrealism Beyond Borders」展、名古屋市美術館、東京都写真美術館の展覧会などを通じて再評価が進んだ。
古関 金子(こせき きんこ、1912年(明治45年)3月6日… 古関 金子(こせき きんこ、1912年(明治45年)3月6日 - 1980年(昭和55年)7月23日)は、日本の声楽家、詩人。旧姓、内山。夫は、作曲家の古関裕而。 1912年(明治45年)、内山安蔵・みつの六女として、愛知県渥美郡高師村(現・豊橋市)に生まれる。家族は、長兄と女性10人(うち、長女・次女・三女・八女は早世)。父・安蔵は、豊橋市に駐屯していた陸軍第十五師団に蹄鉄・馬具・蹄油などの物資を納入する「内山安蔵商店」を営んでいたが、金子が12歳の時(1924年(大正13年)10月3日)に死去。その後は母親が家業を引き継ぎ、子育てをした。 金子は、幼い頃からお転婆で、音楽と文学が好きでオペラ歌手を目指していたという。
岩瀬 正雄(いわせ まさお、1907年11月27日 - 20… 岩瀬 正雄(いわせ まさお、1907年11月27日 - 2003年5月18日)は、愛知県豊橋市出身の詩人。 愛知県豊橋市岩田町に生まれた。名古屋電気学校を中退している。17歳から詩作を行い、1928年(昭和3年)に上京した。高村光太郎の知偶を得て、1929年(昭和3年)に高村や草野心平らと新詩人会を結成。1932年(昭和7年)に初の詩集『悲劇』を発表した。『日本未来派』を経て『オルフェ』同人。1932年頃には豊橋市に帰郷して社会教育活動を始め、豊橋勤労少年会主事、豊橋連合青年団主事を務めたのちに、1945年(昭和20年)に豊橋市役所に就職した。1954年(昭和29年)に『炎天の楽器』で第3回中部日本詩人賞詩人賞を受賞。
中野 嘉一(なかの かいち、1907年4月21日 - 199… 中野 嘉一(なかの かいち、1907年4月21日 - 1998年7月23日)は、日本の詩人、歌人、精神科医。 愛知県碧海郡高岡町堤村(現:豊田市)出身。刈谷中学校(現:愛知県立刈谷高等学校)、慶應義塾大学医学部卒。在学中から前田夕暮に師事して歌集を刊行する。1944年から45年は軍医としてヤップ州メレヨン島に駐留し過酷な状況を日記に記し戦後は詩歌を著した。 精神科医として、東京武蔵野病院で太宰治の主治医を務めた。新短歌運動、シュールレアリスム運動に加わり、1951年に詩誌『暦象』を創刊、主宰する。1952年に詩集『春の病歴』で第1回中部日本詩人賞、1976年に『前衛詩運動史の研究』で第9回日本詩人クラブ賞を受賞する。
丸山 三四子(まるやま みよこ、1907年〈明治40年〉3月… 丸山 三四子(まるやま みよこ、1907年〈明治40年〉3月4日 - 1995〈平成7年〉12月26日)は、詩人・丸山薫の妻。詩人としてまだ収入の乏しかった時期の丸山を、マネキンとしての仕事で支えた。昭和初期のマネキンの事情を綴った書籍『マネキン・ガール』の著者として知られる。旧姓は高井。 1907年、愛知県知多郡有松町(現・名古屋市)で誕生した。先進的な父の方針で、横浜の捜真女学校に入学後、家庭の事情で名古屋の金城女学校に転校した後、愛知県立第一高等女学校専攻科(現・愛知県立明和高等学校)を卒業した。 1927年(昭和2年)、丸山薫と結婚した。丸山薫が詩人としてまだ芽が出ていなかったため、働き口を捜して知人のもとを訪れたところ、三四子の働き口ならあるとして、東京マネキン倶楽部を紹介され、マネキンとなった。
遠藤 栄(えんどう さかえ、1906年3月17日 - 199… 遠藤 栄(えんどう さかえ、1906年3月17日 - 1997年6月)は、愛知県南設楽郡新城町(現・新城市)出身の詩人・児童文学作家。児童文学同人誌『若木』を主催。 1947年(昭和22年)から1967年(昭和42年)まで三好町立三好中学校で教員を務めながら画家としても活動した遠藤稲子は妹。遠藤栄の詩「逝く春」をイメージした油彩の大作「逝く春」なども描いている。 1906年(明治39年)3月17日、愛知県南設楽郡新城町(現・新城市)に生まれた。父は駐在所の巡査を務めていた遠藤寅吉、母はたい。姉に君代、妹に稲子がいる。明治末期には新城町からたいの故郷である岡崎市に転居し、1912年(大正元年)に岡崎で尋常小学校に入学した。
佐藤一英(さとう いちえい、1899年(明治32年)10月1… 佐藤一英(さとう いちえい、1899年(明治32年)10月13日 - 1979年(昭和54年)8月24日)は、日本の詩人。 愛知県中島郡祖父江町に生まれ、萩原町高松(現・一宮市)に育つ。萩原尋常高等小学校卒業。愛知第一師範学校中退、早稲田大学英語科中退。「青騎士」など、いくつかの雑誌を主宰、編集。1931年から1932年に発行した『児童文学』は、宮沢賢治が童話「北守将軍と三人兄弟の医者」「グスコーブドリの伝記」を発表したことで知られる。木曽川高校をはじめ、郷里の小・中学校、高等学校の校歌の作詞も手掛けている。 1939年、『空海頌』で第1回詩人懇話会賞を受賞。1979年、民間人として最初の一宮市政功労者となった。
大鹿 卓(おおしか たく、1898年〈明治31年〉8月25日… 大鹿 卓(おおしか たく、1898年〈明治31年〉8月25日 - 1959年〈昭和34年〉2月1日)は、日本の小説家、詩人。 愛知県海部郡津島町(現:津島市)生まれ。本名は大鹿 秀三(ひでぞう)。金子光晴の実弟である。 東京府立第一中学校を経て、京都帝国大学経済学部中退、秋田鉱山専門学校卒業。化学教師を務めながら詩を書く。1935年「野蛮人」で『中央公論』懸賞小説二席。1937年「探鉱日記」で芥川賞候補。1942年『渡良瀬川』で新潮社文藝賞受賞。
野口 米次郎(のぐち よねじろう、1875年〈明治8年〉12… 野口 米次郎(のぐち よねじろう、1875年〈明治8年〉12月8日 - 1947年〈昭和22年〉7月13日)は、明治・大正・昭和前期の英詩人、小説家、評論家、俳句研究者。海外の文芸思潮の紹介に携わり、また海外に日本文化を紹介した。イサム・ノグチの父親。内田魯庵からノーベル文学賞の受賞を待望された。 愛知県海部郡津島町(現・津島市)生まれ。雑貨店を営む父・傳兵衛、母・久己(くわ)の四男として生まれた。10歳で英語を学び始める。 1888年(明治21年)生家を離れ名古屋で英学を学び、ユニオン第四読本、スマイルズ著『自助論』を学ぶ。1889年(明治22年)愛知県尋常中学校(現・愛知県立旭丘高等学校)に入学し、ザ・セカンド・ナショナル読本を学ぶも、1890年(明治23年)2月退学し、四日市から海路で上京、伯父である鵜飼大俊和尚旧居である芝・増上寺の通元院に寄寓し、のち現在の銀座に当たる京橋にあった長兄野口秀之助の知人である磯長宅に寄寓。
服部 擔風(はっとり たんぷう、慶応3年11月16日(186… 服部 擔風(はっとり たんぷう、慶応3年11月16日(1867年12月21日) - 昭和39年(1964年)5月27日)は、明治・大正・昭和にかけて活躍した漢詩人・書家。「最後の漢詩人」とも言われる。 1867年(慶応3年)、尾張国海西郡鯏浦(現在の愛知県弥富市鯏浦)に生まれる。戦国時代の土豪服部友貞の子孫で、大地主の家の次男であった。幼名は粂之丞(くめのじょう)。1882年(明治15年)、尾張藩の儒者森村大朴に漢籍を学ぶ。大朴は粂之丞の熱心さに感心し、漢詩を作るように勧めた。1884年(明治17年)村田梅村の水月吟社に入る。ここで漢詩人の森春涛らの影響を受ける。粂之丞は、名を擔風と改め、詩の研究とともに詩作に励んだ。