諸山 文彦(もろやま ふみひこ、1943年8月14日 - )… 諸山 文彦(もろやま ふみひこ、1943年8月14日 - )は、三重県出身の元バスケットボール選手・指導者。身長183cm。ポジションはフォワード。「ミスター・バスケットボール」の異名を持つ。 東橋北小学校でバスケを始め、橋北中学校では県大会の決勝に進んだ。 しかし、桑名高校進学後は陸上部に入部し、走り幅跳びと走り高跳びに取り組んだが、結果は残せず。そんな中、中学時代に指導を受けたことがあるバスケ部の顧問から誘われて1年の途中でバスケ部に転籍。再びバスケの世界に足を踏み入れた。高校3年に東京五輪に向けた強化合宿に招集されたのを機に、全日本で活躍。 日本大学進学後、大学バスケ界の名監督と謳われた細島繁の指導を受ける。
水谷 勝海(みずたに かつみ、1943年5月17日 - )は… 水谷 勝海(みずたに かつみ、1943年5月17日 - )は、元毎日放送チーフアナウンサー。現在は、CS放送・GAORAのチーフアナウンサー。 三重県桑名市出身。立命館大学文学部卒業後の1966年、毎日放送入社。同期には斎藤努がいた。主に野球、ゴルフ、バレーボール等のスポーツ中継を担当した。 特にゴルフ中継の実況アナウンサーとしての印象が強く、毎日放送主催の秋のビッグイベントである「インターナショナルツアー・ダンロップフェニックストーナメント」では1985年から1998年まで実況を担当した。その1985年、それまで先輩の井上光央が実況出来なかった日本人選手の大会制覇を水谷に実況を交代した途端、中嶋常幸(当時は「中島」と表記)が達成したことで大騒ぎになった話は有名である。
鬼頭 洋(きとう ひろし、1943年4月18日 - )は、元… 鬼頭 洋(きとう ひろし、1943年4月18日 - )は、元プロ野球選手。ポジションは投手。三重県出身。
山中 諄(やまなか まこと、1943年(昭和18年)2月1日… 山中 諄(やまなか まこと、1943年(昭和18年)2月1日 - )は日本の実業家。南海電気鉄道相談役。三重県阿山郡島ヶ原村(現在の伊賀市)生まれ。日本国有鉄道職員の父の転勤で、京都、奈良、大阪を転々とした。
三輪俊和(みわ としかず、1943年- )は、日本の経済学者… 三輪俊和(みわ としかず、1943年- )は、日本の経済学者、北九州市立大学名誉教授。 三重県四日市市生まれ。1973年(昭和48年)に神戸大学大学院経済学研究科博士課程中退、北九州大学の講師、助教授を経て、北九州市立大学の教授となる。2006年(平成18年)に大学を退職して名誉教授となる。2011年北九州市長選挙に日本共産党から出馬。「平和とくらしを守る北九州市民の会」事務局長。その後、健和看護学院の学院長となり2014年(平成26年)に看護学院を退職する。公益財団法人健和会北九州医療・福祉総合研究所所長。
三輪 信昭(みわ のぶあき、1942年11月7日 - )は、… 三輪 信昭(みわ のぶあき、1942年11月7日 - )は、日本の実業家、政治家。 衆議院議員(1期)、国民の生活が第一副幹事長・選挙対策委員会副委員長、カネ美食品株式会社社長、愛知県議会議員(4期)、新党きづな副代表などを歴任した。県議時代は「三輪敦昭」という名前で活動した。 三重県桑名郡(現在の桑名市)生まれ。三重県立桑名高等学校中途退学。親類が経営する惣菜店に勤務した後、1969年にカネ美食品を創業する。1971年3月に同社を株式会社化し、初代代表取締役に就任した。1983年に同社の代表取締役を退任し、その後は不動産会社を経営。なお、カネ美食品は2002年にユニーの持分法適用関連会社となった。
中川 清司(なかがわ きよつぐ 1942年9月18日 - )… 中川 清司(なかがわ きよつぐ 1942年9月18日 - )は日本の木工芸家。 重要無形文化財「木工芸」の保持者(いわゆる人間国宝)。木工芸の人間国宝としては7番目の認定者(2001年認定)。 京都府出身。桶指物師の家に生まれた。20歳より父中川亀一に師事。家業である桶のほかに主要作品として箱などが多い。、木の正目をあわせる「柾合わせ」の技法を考案。指物の高度な技術を用い小さな木片を数百から時には千以上つなげ幾何学的で美しい文様を描く木画の技法を得意とする。桶やせいろなどの質の高い日常品も製作するが、芸術品としての代表作には神代杉をよく用いる。 2007年(平成19年)には文化庁によって、中川の高度な技術を記録する目的で工芸技術記録映画 『木工芸 - 中川清司のわざ - 』が作られている。
川岸 光男(かわぎし みつお、1942年(昭和17年)9月1… 川岸 光男(かわぎし みつお、1942年(昭和17年)9月17日 - )は、日本の政治家。元三重県鈴鹿市長(2期)。元三重県議会議員(5期)。旭日中綬章受章。 三重県四日市市出身。1965年三重県立神戸高等学校卒。卒業後は本田技研に入り、労働組合で活動し、同社労働組合委員長となる。1979年三重県議会議員選挙に鈴鹿市選挙区から立候補し、当選。5期務め、1998年に第92代副議長となる。 2003年の鈴鹿市長選挙に立候補し、元県議らを破って当選する。※当日有権者数:144,525人 最終投票率:63.73%(前回比:-6.54pts) 2007年の市長選挙では無投票で再選。鈴鹿市長を2期務め、2011年に引退した。
中井 洽(なかい ひろし、1942年〈昭和17年〉6月10日… 中井 洽(なかい ひろし、1942年〈昭和17年〉6月10日 - 2017年〈平成29年〉4月22日)は、日本の政治家。位階は正三位。 衆議院議員(11期)、国家公安委員会委員長(第80・81代)、拉致問題担当大臣、内閣府特命担当大臣(防災)、法務大臣(第54代)、衆議院予算委員長、民社党副委員長、自由党副党首、民主党副代表などを歴任した。父は元衆議院議員の中井徳次郎。 満洲国新京市(現在の中国吉林省長春市)に生まれた。終戦後の1946年(昭和21年)9月に三重県上野市(現在の伊賀市)に引き揚げた。上野市立白鳳幼稚園・上野市立西小学校・上野市立崇広中学校を経て、東京都へ父と引越して東京都立立川高等学校、1969年(昭和44年)3月慶應義塾大学経済学部経済学科を卒業した。
大桑 堉嗣(おおくわ いくじ、1942年3月1日 - )は、… 大桑 堉嗣(おおくわ いくじ、1942年3月1日 - )は、日本の実業家。オークワ代表取締役会長。日本チェーンストア協会副会長、日本スーパーマーケット協会副会長、和歌山県公安委員会委員長等も歴任。 三重県熊野市出身。日本大学商学部卒業。和歌山県和歌山市に本社を置き、南近畿(大阪府・奈良県・三重県)を中心にスーパーマーケットチェーンを展開しているオークワ創業者である大桑勇の長男である。現在、同社の代表取締役会長を勤めている。2008年3月、同年5月15日をもって、現職と兼任でCEOに就任する事が発表された。 その他、日本流通産業株式会社の代表取締役社長(代表者)や日本チェーンストア協会の副会長、日本スーパーマーケット協会の副会長も務めている。
古川 タク(ふるかわ タク、本名:古川 肇郁(ふるかわ ただ… 古川 タク(ふるかわ タク、本名:古川 肇郁(ふるかわ ただいく)、1941年9月25日 - )は、日本の男性アニメーション作家、イラストレーター、絵本作家である。日本アニメーション協会(JAA)会長。日本漫画家協会参与。 任天堂社長の古川俊太郎は子。 三重県上野市(現・伊賀市)出身。三重県立上野高等学校、大阪外国語大学イスパニア語学科卒業。 アニメーションからイラスト、漫画と活躍は多岐に渡る。個人製作によるシンプルな画風ととぼけたユーモアのアニメーションで世界的な評価を受けた。線画タッチの作品が多いのはソール・スタインバーグの影響。日本ではNHKの『みんなのうた』を定期的な作品発表の場とした。
服部 重彦(はっとり しげひこ、1941年8月21日- )は… 服部 重彦(はっとり しげひこ、1941年8月21日- )は、日本の技術者、実業家。島津製作所代表取締役社長を経て、同社代表取締役会長、日本航空宇宙工業会副会長、京都工業会会長等を歴任した。
三上 治(みかみ おさむ、1941年4月9日 - )は、日本… 三上 治(みかみ おさむ、1941年4月9日 - )は、日本の編集者・文筆家・評論家、元政治運動家。 本名・味岡修。三重県出身。 三重県四日市市生まれ。三重県立四日市高等学校卒業。1960年、中央大学法学部政治学科に入学し、安保闘争に参加。1962年、再建された社会主義学生同盟の全国委員長になる。1966年、中央大学中退、第二次ブントに加わり、全共闘運動やベトナム反戦闘争にも加わる。1969年、ブント内部の党派闘争で統一派として赤軍派と対立する。 1969年4月28日の沖縄闘争で指名手配され、9月に逮捕。1970年、いったん保釈されるが、保釈取り消しで東京拘置所に入所。この間、神津陽と共に共産主義者同盟叛旗派をつくり、同派のリーダーとなる。
渡辺 公綱(わたなべ きみつな、1941年2月19日 - 2… 渡辺 公綱(わたなべ きみつな、1941年2月19日 - 2016年10月16日)は、日本の生物学者(分子生物学、生化学)。特にRNA研究において世界的なパイオニアの一人。東京大学名誉教授。 大阪府生まれ、三重県度会郡玉城町育ち。1967年3月、東京大学教養学部基礎科学科卒業、1972年3月、東京大学大学院理学系研究科相関理化学専門課程博士課程修了、理学博士。 1972年4月、三菱化成生命科学研究所研究員となる。1975年9月から1977年12月まで西ドイツのマックス・プランク実験医学研究所で博士研究員を務める。 1980年7月から東京大学農学部農芸化学科助教授、1983年4月に東京大学工学部助教授、1988年3月に東京工業大学大学院総合理工学研究科生命化学専攻教授、1990年6月に東京工業大学生命理工学部生体機構学科教授、1991年9月に東京大学工学部工業化学科教授、1993年に東京大学工学部工業化学科学科長、工学部化学系の学科再編に尽力。
福田 アジオ(ふくた アジオ、1941年(昭和16年)2月1… 福田 アジオ(ふくた アジオ、1941年(昭和16年)2月10日 - )は、日本の歴史学者・民俗学者。国立歴史民俗博物館名誉教授、元・神奈川大学外国語学部・大学院歴史民俗資料学研究科教授。柳田國男研究者。 三重県四日市市出身。 1963年に東京教育大学文学部史学科を卒業した。その後同大学大学院文学研究科に進み、1971年に文学研究科修士課程を修了した。 1977年に武蔵大学助教授となり、1984年に教授に昇進した。同年、国立歴史民俗博物館教授となる。 1993年に新潟大学に移る。1998年に神奈川大学教授となり、2011年まで務める。神奈川大学では非文字資料研究センター長を2010年3月まで兼務した。
岩本 進(いわもと すすむ、1941年1月27日 - )は、… 岩本 進(いわもと すすむ、1941年1月27日 - )は、三重県熊野市出身の元プロ野球選手(内野手)。 木本高校から1960年に読売ジャイアンツの入団テストに合格し、翌1961年に入団。1962年には遊撃手として一軍に昇格し、同年はイースタン・リーグで本塁打王と打点王を獲得。 1963年は春季キャンプの練習試合で頭部死球を受けたことで出遅れたが、4月5日に突然「就職先を探してくる」と言って合宿所を飛び出し、一時行方不明になる。結局実家へ帰っていたことがわかるが、この年に巨人から大毎オリオンズへ移籍していた堀本律雄から「まだやる気があるのなら、自分から球団(大毎)と話をしてやる」との手紙を受け、これがきっかけとなって同年5月21日に大毎オリオンズと契約して移籍。
小林 峻一(こばやし しゅんいち、1941年(昭和16年) … 小林 峻一(こばやし しゅんいち、1941年(昭和16年) - 2024年(令和6年)1月17日)は、日本のルポルタージュ・ノンフィクション作家。本名は小林靖彦(こばやし やすひこ)。 三重県津市生まれ。三重県立津高等学校を経て早稲田大学第一文学部独文科に入学するが、6年在籍後中退。 立花隆の下で『田中角栄研究』、『日本共産党の研究』の中心スタッフとして活躍し、ルポライターとして独立。 1994年、『闇の男―野坂参三の百年』(加藤昭共著)で第25回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。1994年6月23日号から4回にわたり『週刊文春』に掲載された小林執筆の「JR東日本に巣くう妖怪」は、JR東日本の労使双方から反発を喰らい、事実上3か月近くも、駅売店「キヨスク」から『週刊文春』が姿を消す事態を生んだ。
黒鷲 二千郎(くろわし にちろう、1940年11月10日 -… 黒鷲 二千郎(くろわし にちろう、1940年11月10日 - 没年不明)は、二所ノ関部屋に所属した元大相撲力士。本名は東 二千郎(ひがし にちろう)(二千六百)。現在の三重県尾鷲市出身。181cm、113kg。最高位は東十両3枚目。得意技は左四つ、寄り。 1958年5月場所に初土俵。1967年11月場所に十両昇進し、5場所連続で在位。1970年1月場所限りで廃業。廃業後は名古屋市で料理店を経営した。
大橋 歩(おおはし あゆみ、1940年6月16日 - )は、… 大橋 歩(おおはし あゆみ、1940年6月16日 - )は、日本のイラストレーター、デザイナー。週刊「平凡パンチ」の表紙のイラストを創刊号から担当したことで知られる。本名、石井久美子。夫は彫刻作家の石井厚生。 三重県津市出身。三重県立四日市高等学校卒業。1959年、多摩美術大学絵画科油絵専攻入学。大学3年生の時、河原淳のゼミナールに入る。 1963年、イラストレーターを目指していた大橋は、大学4年生の時に同級生の紹介でヴァンヂャケットにデザイン画を持ち込む。そのとき会ったのが石津謙介の長男で企画部長の石津祥介で、その場で「メンズクラブ」のイラストを依頼される。1964年1月、「メンクラ」3ページに初めてイラストが掲載される。
福島 博憲(ふくしま ひろのり、1940年(昭和15年)5月… 福島 博憲(ふくしま ひろのり、1940年(昭和15年)5月19日 -) は、登山家であり、社会事業家。 1969年7月マッターホルン北壁の単独登攀は日本人初(世界第三登)。1973年9月日本エベレスト登山隊、南西壁隊員。関西大学二部体育会山岳部OB会所属。三重県名張市出身。 現在[いつ?]、スイス山岳会会員、第2次RCC同人、日本オセアニア交流協会理事。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
和田義彦(わだ よしひこ、1940年4月3日 - )は、日本… 和田義彦(わだ よしひこ、1940年4月3日 - )は、日本の画家。
久保 征弘(くぼ まさひろ、1940年4月2日 - )は、大… 久保 征弘(くぼ まさひろ、1940年4月2日 - )は、大阪府大阪市大正区出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ。 府立港高校から1959年に近鉄バファローへ入団。 1960年に一軍に上がり、4月16日には東映を相手に初先発。しかし張本勲に2本塁打を喫し5回途中で降板、敗戦投手となる。 1961年には50試合に登板、6月からは先発としても起用されるが8連敗に終わった。 1962年は開幕から先発陣の一角となり、中継ぎや抑えもこなしてリーグ最多の66試合に登板。28勝21敗と自身初の最多勝のタイトルを獲得、規定投球回(11位、防御率3.02)にも達する。 1963年は19勝12敗、防御率2.36と最優秀防御率にも輝いた。
斎藤 十朗(齋藤 十朗、さいとう じゅうろう、1940年〈昭… 斎藤 十朗(齋藤 十朗、さいとう じゅうろう、1940年〈昭和15年〉2月5日 - 2025年〈令和7年〉3月17日)は、日本の政治家。位階は従二位、勲等は桐花大綬章。自由民主党所属。参議院議員(6期)、厚生大臣(66代)、参議院議長(21・22代)、自由民主党参議院議員会会長等を歴任した。 厚生大臣・警察庁長官を務めた斎藤昇は父。妻は表千家家元千宗左の妹。 三重県伊賀市(旧伊賀町)出身。1958年(昭和33年)に東京教育大学附属中学校・高等学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業。 1962年(昭和37年)慶應義塾大学商学部卒業後、三井銀行、ロンドン大学留学を経て、父・昇の死去に伴う1972年(昭和47年)の参議院議員補選に父の後を継いで立候補して初当選する。
吉村 英夫(よしむら ひでお、1940年1月1日 - )は日… 吉村 英夫(よしむら ひでお、1940年1月1日 - )は日本の映画評論家、著述家。 1940年三重県津市に生まれる。久居中学校、三重県立津高等学校、早稲田大学教育学部国語国文科卒業。1962年4月、三重県立高等学校(国語科)教諭となる。1996年3月、津東高等学校退職。1997年4月~2006年3月三重大学(共通教育機構)非常勤講師。2001年4月、愛知淑徳大学非常勤講師。2007年4月愛知淑徳大学教授。2010年4月愛知淑徳大学非常勤講師、2015年3月退職。 1979年、キネマ旬報創刊60周年記念論文「『祇園の姉妹』と溝口健二の先駆性」で佳作入選。1982年、『男はつらいよの世界』刊行などによって三重県文化奨励賞(文学部門)受賞。
松井 憲一(まつい けんいち、1940年 - )は、浄土真宗… 松井 憲一(まつい けんいち、1940年 - )は、浄土真宗の僧。 三重県生まれ。1967年大谷大学大学院博士課程修了。大谷大学助手を経て、大谷大学非常勤講師。1963年から98年、真宗大谷派道専寺住職。98年より京都洛北で道光舎を主宰する。
小阪 憲司(こさか けんじ、1939年11月8日 - 202… 小阪 憲司(こさか けんじ、1939年11月8日 - 2023年3月16日)は、日本の精神科医、医学者。横浜市立大学名誉教授。学位は、医学博士(順天堂大学・1982年)。レビー小体型認知症(英: Dementia with Lewy Bodies; DLB)の発見者として知られる。三重県伊勢市出身。 1976年にレビー小体型認知症の症例を世界で初めて報告し、1978年にさらに3例を発表した。その後もレビー小体型認知症の診断、治療の発展に貢献した。その功績が評価され、2013年度朝日賞を受賞した。
奥田 務(おくだ つとむ、1939年(昭和14年)10月14… 奥田 務(おくだ つとむ、1939年(昭和14年)10月14日 - )は、日本の実業家。J.フロント リテイリング特別顧問。大丸社長を務め、松坂屋との経営統合にあっては主導的役割を担った。 三重県津市で7人兄弟の5人目として生まれる。祖父奥田喜一郎は明治末期に奥田証券を津市に創業。気性が荒く、芦屋市にも別邸を構えた相場師であった。奥田証券は大正期に入ると、大阪にも拠点を構え、三重県で最大の証券会社に成長した。父は慶應義塾大学経済学部の出身で、歌舞伎鑑賞が趣味の温和な性格だった。6人兄弟であるが、当時としては珍しく、父を含めてほとんどが東京六大学を出ていた。戦争によって母方の祖母が住んでいた飯南郡上蛸路(現・松阪市)に疎開し、祖母の家の近くで借家住まいを続けた。
津田 勉(つだ つとむ、1939年10月6日 - )は三重県… 津田 勉(つだ つとむ、1939年10月6日 - )は三重県の政治家で教育者。学校法人津田学園の創設者で初代理事長。津田学園最高顧問(現在)。1975年から1999年までの6期24年間に三重県議会議員として活動していた。元三重県議会議長。三重県四日市市小山田地区の美里町出身。平成21年に旭日小綬章を受勲。平成25年に県民功労者表彰(地方自治功労賞)を受ける。 昭和14年生まれで昭和27年3月に三重郡小山田村立小山田小学校(現在の四日市市立小山田小学校)を卒業。昭和30年3月に三重郡水沢村立水沢中学校(現在の四日市市立西陵中学校)を卒業。東洋町商店街周辺の富洲原地区民になり三重県立四日市高等学校普通科に通う。
三原 佐知子(みはら さちこ、1939年(昭和14年)5月2… 三原 佐知子(みはら さちこ、1939年(昭和14年)5月20日 - )は女流浪曲師。本名は鳥越幸子。浪曲親友協会所属、同協会理事。 三重県熊野市出身。叔父が浪曲の近江勝で実の父も浪曲好きで志したが悪声で断念。1954年の15歳で叔父の近江勝の元に入門し近江五十鈴名乗り、1955年に「出世のわらじ」で初舞台。1959年に小松千鶴と改名、1976年に「母恋あいや節」のラジオでの出演が評判を呼び一躍人気を得る。1978年6月に大阪郵便貯金ホール(上本町)で現在の三原佐知子に改名。 現在でも「一心寺」での会など積極的に口演を行なっている。浪曲だけにとどまらず民謡から歌謡曲も謡う。 他レコード、テープ、CD多数。
小川 敏明(おがわ としあき、1939年4月13日 - )は… 小川 敏明(おがわ としあき、1939年4月13日 - )は、三重県出身の元プロ野球選手。ポジションは捕手。
角谷 隆(かどや たかし、1939年 - 2022年3月)は… 角谷 隆(かどや たかし、1939年 - 2022年3月)は、三重県出身の元アマチュア野球選手(投手)。 宇治山田高等学校ではエースとして活躍。1955年秋季中部大会県予選決勝で宇治山田商工の中村稔と投げ合い完封勝ち。しかし中部大会準決勝で県岐阜商の田中和男に抑えられ甲子園出場を逸する。翌1956年夏の甲子園県予選は準決勝で四日市高に敗退。1957年夏は三岐大会に進むが、準決勝でエース河村保彦を擁する多治見工に敗れた。 慶應義塾大学に進学。東京六大学野球リーグでは立大、早大の後塵を拝し優勝には届かなかった。早大と優勝を争った1960年秋季リーグの早慶六連戦では5試合に登板、早慶戦の2回戦では勝利投手となる。
井川 憲明(いかわ のりあき、1939年 - )は、日本の農… 井川 憲明(いかわ のりあき、1939年 - )は、日本の農学者。元明治大学農学部教授。日本感性工学感性商品研究部会副会長、日本景観学会理事、NPO法人グリーンサイエンス21運営委員。 三重県熊野市出身。物理化学と環境倫理学を専門に研究。経営資源の一つとして感性に注目し、「感性工学」という研究ジャンルを確立した。 1997年明治大学 農学博士。論文の題は「食品のテクスチャ-に関する研究 -標準化のテクスチャ-と新テクスチャ-試論 」。
遠山 敦子(とおやま あつこ、1938年12月10日 - )… 遠山 敦子(とおやま あつこ、1938年12月10日 - )は、日本の文部官僚。財団法人新国立劇場運営財団顧問。公益財団法人トヨタ財団理事長。公益財団法人パナソニック教育財団理事長。財団法人日本いけばな芸術協会会長。日本・トルコ協会副会長。2007年6月に株式会社NHKエンタープライズの社外取締役、2008年6月には株式会社電通の監査役にも就任している。東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会評議員。
熊沢 誠(くまざわ まこと、1938年9月21日 - )は、… 熊沢 誠(くまざわ まこと、1938年9月21日 - )は、日本の経済学者。専攻は、労使関係論・社会政策論。甲南大学名誉教授。 息子の熊沢透も経済学者で福島大学教授。 三重県四日市市出身。1961年、京都大学経済学部経済学科卒業、1966年、京都大学大学院経済学研究科博士課程修了。 1966年甲南大学経済学部講師、1969年助教授、1974年教授、1986年経済学部長。2006年退職。 1970年から中岡哲郎、大森誠人らと「労働分析研究会」を開始。労働のなかでの人間復権を追求し、1999年より研究会「職場の人権」を創設、代表を務める。NPO法人「労働と人権 サポートセンター・大阪」共同代表理事。
井上 哲夫(いのうえ てつお、1938年(昭和13年)7月1… 井上 哲夫(いのうえ てつお、1938年(昭和13年)7月12日 - 2019年(平成31年)2月21日)は、日本の政治家。三重県出身で、参議院議員(1期、三重県選挙区)、第15代四日市市長(3期)を務めた。 三重県四日市市海蔵地区生まれ。三重県立四日市高等学校、名古屋大学法学部卒業。 民間企業で働きながら司法試験に26歳で合格。司法修習20期を経て、弁護士登録。司法修習の同期には高村正彦(元外務大臣)、江田五月(参議院議長)、横路孝弘(衆議院議長)、神崎武法(元公明党代表)、松尾邦弘(元検事総長)らがいる。四日市市ぜんそく公害訴訟の原告弁護団の一員を務める。 その後三重県弁護士会会長も務める。
石井 智(いしい さとし、1938年5月1日 - )は、日本… 石井 智(いしい さとし、1938年5月1日 - )は、日本の政治家。元日本社会党衆議院議員(2期)。 1938年(昭和13年)生まれで、三重県出身。1957年(昭和32年)に三重県立宇治山田高等学校を卒業。横浜ゴムに入社した。その後伊勢市議会議員(2期)三重県議会議員(2期)を経て、日本社会党の角屋堅次郎衆議院議員の後継者となった。 1990年(平成2年)の第39回衆議院議員総選挙で三重2区から立候補して初当選をした。1993年(平成5年)の第40回衆議院議員総選挙で再選されて、藤波孝生(無所属)を破り、三重県唯一の日本社会党衆議院議員となり、2期を務めた。民主党が結党された際には新党に加わらず社会民主党の所属議員となり、1996年(平成8年)の第41回衆議院議員総選挙には、藤波孝生の衆議院議員復帰の動きに対して選挙区での再選の可能性がない事から総選挙立候補を辞退して、政界から引退した。
高橋 正勝(たかはし まさかつ、1938年(昭和13年)2月… 高橋 正勝(たかはし まさかつ、1938年(昭和13年)2月26日 - )は、三重県出身の元プロ野球選手(投手)。 三重県三重郡菰野町出身。水谷貞雄監督率いる四日市高校では巽一、島田光二の1年後輩になる。1955年にエースとして春季中部大会決勝に進み、岐阜高を降し優勝。同年夏の甲子園三重県予選も勝ち抜き、三岐大会決勝で岐阜商の清沢忠彦に投げ勝って夏の甲子園への出場を決める。大会では準々決勝で西岡清吉、土居章助のいた城東高に完封勝利、準決勝では優勝候補の中京商を破る。決勝は坂出商の岡崎秀智(中大-電電関東)に投げ勝ち4-1で初優勝を飾る。8月には全日本高校選抜チームとして初のハワイ遠征を果たす。同年の神奈川国体は準決勝で立命館高の富永格郎を打ち崩し、決勝は浜中祥和のいた若狭高との接戦を4-3で制しまたも初優勝。
浅沼 信爾(あさぬま しんじ、1938年 - )は、日本出身… 浅沼 信爾(あさぬま しんじ、1938年 - )は、日本出身のエコノミスト、国際公務員。クーン・ローブ投資銀行極東代表事務所代表、世界銀行アジア第1局長、一橋大学教授等を歴任した。 三重県伊勢市生まれ。1961年一橋大学経済学部卒業、東京銀行(現三菱UFJ銀行)入行。卒業論文ではアルバート・O・ハーシュマンの不均衡成長論を研究した。 1964年、第3期YPPで世界銀行に入行。世銀のYPPに参加したのは日本人として初めてで、また当時世銀の日本人スタッフは大蔵省から出向してきていた1名のみであった。経済局、極東局、プロジェクト局農業部でエコノミストを務めた。 卒論で扱ったハーシュマンのインドでのプロジェクトに参加したのち、GHQで農地改革を担当した3人のエコノミストのうちの1人であるウィリアム・ギルマーティンや、同じくGHQで農協設立などを行ったシーク・タカハシに師事し、カントリー・エコノミストとしての修練を積んだ。
金森 正(かなもり ただし、1937年(昭和12年)10月5… 金森 正(かなもり ただし、1937年(昭和12年)10月5日 - )は、日本の政治家。国民民主党三重県連代表。衆議院議員(1期)、三重県議会議員(4期)、四日市市議会議員(4期)、民主党・旧国民民主党三重県連代表などを務めた。 勲章は藍綬褒章2000年(平成12年)、旭日小綬章2007年(平成19年)。 三重県四日市市生まれ。三重県立四日市工業高等学校卒業後、富士電機(現富士電機リテイルシステムズ)に入社。四日市市最大の労働組合である富士電機労組に加入し、組合活動に従事する。 1975年に四日市市議会議員選挙に立候補して初当選した。以後当選4回。1990年に四日市市議を辞職して、三重県議会議員選挙の補欠選挙に立候補して当選。
宇江 敏勝(うえ としかつ、1937年8月25日 - )は、… 宇江 敏勝(うえ としかつ、1937年8月25日 - )は、日本の小説家、著述家。 現在の三重県尾鷲市出身。炭焼きの家で育ち、和歌山県立熊野高等学校卒業後、和歌山の山林で働く。同人誌『VIKING』に参加し、小説やエッセイを書く。1980年に自伝「山びとの記」を発表し話題となった。
前岡 勤也(まえおか きんや、1937年8月13日 - )は… 前岡 勤也(まえおか きんや、1937年8月13日 - )は三重県亀山市出身の元プロ野球選手。旧姓、旧登録名(1958年まで)は井崎勤也(いざき きんや)。
真城 千都世(まき ちとせ、1937年7月12日 - )は、… 真城 千都世(まき ちとせ、1937年7月12日 - )は、日本の女優。松竹歌劇団(SKD)出身。劇団内のユニット「スリーキャナリーズ」の元メンバー。一般社団法人映像コンテンツ権利処理機構においては不明権利者とされている。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
池森 賢二(いけもり けんじ、1937年6月1日 - )は、… 池森 賢二(いけもり けんじ、1937年6月1日 - )は、日本の実業家、エンジェル投資家。ファンケル創業者で、同社代表取締役社長や、代表取締役会長ファウンダー、日本通信販売協会会長等を歴任した。 三重県宇治山田市(現伊勢市)で東洋紡績技術者の次男として生まれる。産業能率短期大学中退後、1959年小田原瓦斯入社。1973年小田原瓦斯退社。1980年無添加化粧品事業を創業。1981年ファンケル設立、同社代表取締役社長。1999年東京証券取引所第一部上場。2003年ファンケル代表取締役会長。2004年ファンケル取締役会長。2005年ファンケル名誉会長。2013年ファンケル代表取締役会長執行役員。2017年ファンケル代表取締役会長執行役員ファウンダー。
濵田 益嗣(はまだ ますたね、1937年(昭和12年)5月6… 濵田 益嗣(はまだ ますたね、1937年(昭和12年)5月6日 - )は、日本の実業家。株式会社赤福前代表取締役会長(10代目当主、2代社長)、株式会社濵田総業社長。元皇學館大学常任理事、伊勢商工会議所会頭、アイティービー会長(代表権はない)。男性。三重県伊勢市出身。父は濵田裕康、母は佳代子。妻は現赤福社長(4代)の濵田勝子、 最初の名前は益種で、1962年から1963年の間に改名したとされる(『伊勢年鑑』)。 赤福9代目当主、裕康の長男として生まれた。生後9か月にして出征していた父親を戦争で失い当主となるが、実際は8代当主の未亡人である濵田ますが切り盛りし、赤福が1954年に企業化した際、ますが企業としての赤福初代社長に就任している。
三平(さんぺい、1937年4月1日 - )は、大相撲の呼出。… 三平(さんぺい、1937年4月1日 - )は、大相撲の呼出。本名:伊藤三平。三重県一志郡一志町(現・津市)出身、高砂部屋所属。 小父は呼び上げの名人・多賀之丞。長兄も呼出であった(光之助)。 1950年9月初土俵。裁縫が得意で、呼出の袴の修繕を一手に引き受けていたという。 最終場所の初日の結びの一番で、柝の音を間違ったタイミングで鳴らしてしまうというハプニングがあった。
森川 八洲男(もりかわ やすお、1937年3月2日 - 20… 森川 八洲男(もりかわ やすお、1937年3月2日 - 2022年3月2日)は、日本の会計学者。明治大学名誉教授。元日本簿記学会会長。 三重県津市出身。1959年明治大学商学部卒、1964年同大学院商学専攻博士課程単位修得退学、77年「フランス会計発達史論」で商学博士の学位を取得。明治大学商学部助教授、教授。商学部長在任時は、91年に発覚した替え玉受験事件に対し、徹底した情報開示の姿勢で、事態収拾。2005年日本簿記学会会長。2007年定年となり、名誉教授。2016年瑞宝中綬章を受勲した。
大矢知 浩司(おおやち ひろし、1937年2月28日 - )… 大矢知 浩司(おおやち ひろし、1937年2月28日 - )は、日本の会計学者。経営学博士(1978年)。滋賀大学経済学部教授・青山学院大学経営学部教授・九州産業大学教授を歴任。 三重県四日市市出身。大阪市立大学卒、1963年神戸大学大学院経営学研究科会計学博士課程満期退学。1978年「アメリカにおける会計監査の生成と発展に関する研究」で経営学博士。滋賀大学経済学部助教授、教授、1983年青山学院大学経営学部教授、2000年九州産業大学教授。
上之郷 利昭(かみのごう としあき、1936年(昭和11年)… 上之郷 利昭(かみのごう としあき、1936年(昭和11年)11月3日 - 2006年(平成18年)9月16日)は、日本のジャーナリスト、ノンフィクション作家。 三重県出身。明治学院大学卒業。英国ロイター通信社や東京新聞(中日新聞社)社会部記者として、約2年にわたって世界各国で取材。1977年以来、フリーに。幅広い分野に関する多くの著書がある。 2006年9月16日午後7時58分、進行胃癌のため東京都板橋区の病院で死去。69歳没。
城田 隆(しろた たかし、1936年11月3日 - 2017… 城田 隆(しろた たかし、1936年11月3日 - 2017年10月14日)は、日本の経営者。三重テレビ放送社長を務めた。 三重県桑名市出身。1959年に名古屋大学教育学部を卒業し、同年に東海テレビ放送に入社。1995年6月に取締役に就任し、2000年6月に常務を経て、2003年6月から2008年6月までに三重テレビ放送社長を務めた。 2017年10月14日に肝内胆管がんのために死去。80歳没。
青山 敏彦(あおやま としひこ、1936年8月5日 - )は… 青山 敏彦(あおやま としひこ、1936年8月5日 - )は、三重県出身のラジオ体操指導者、元日本体育大学教授。NHKテレビ・ラジオ体操指導者を28年間務め、全国ラジオ体操連盟理事長を経て、現在は同連盟の名誉会長を務める。 三重県四日市市生まれ。 1959年に日本体育大学体育学部を卒業し、同大学の助手に就任。1960年から2年間、デンマークのオレロップ国民高等体操学校(デンマーク語版)(現:オレロップ体育アカデミー)へ留学。1981年より日本体育大学の教授職となり、1991年に退職するまで32年間教職を務めた。 1971年、NHKテレビ・ラジオ体操指導者に就任。1999年まで28年間務め、同年開始のNHK『みんなの体操』検討委員会の一員として考案、発表に携わる。