石田 博三(いしだ ひろぞう、1939年7月10日 - 20… 石田 博三(いしだ ひろぞう、1939年7月10日 - 2023年4月30日)は、日本のプロ野球選手。滋賀県草津市出身。 滋賀県立大津東高等学校(1956年4月に膳所高等学校に改称)では投手として活躍。2年生の時、1956年春の選抜に出場。2回戦(初戦)で、この大会に優勝した中京商の安井勝(立大 - 丸善石油)と投げ合うが、延長10回裏にサヨナラ負けを喫する。同年夏は京滋大会決勝に進むが平安高に惜敗。翌1957年夏も京滋大会決勝で平安高に再度敗退し、甲子園出場を逸する。高校同期に三塁手の金村清がいた。 1958年に大阪タイガースに入団。高校時代に腰を痛めており、入団後すぐに投手から外野手に転向。
中村 邦夫(なかむら くにお、1939年〈昭和14年〉7月5… 中村 邦夫(なかむら くにお、1939年〈昭和14年〉7月5日 - 2022年〈令和4年〉11月28日)は、日本の実業家。位階は従三位。松下電器産業(パナソニック)元社長。プラズマテレビ事業を推進したが失敗し、社長退任後、1兆円を超える巨額の赤字を2年連続で計上し、経営危機を招いた。 大阪大学経済学部卒業。松下電器産業(現・パナソニック)を根底から180度改革した人物として有名で、幸之助存命時より松下の冠を外すよう進言し、幸之助は呆れて言葉が出なかった逸話を持つ。2008年(平成20年)10月に社名を「パナソニック株式会社」へ変更する礎を築き「旧来の幸之助神話を壊した男」の異名を取る。実際に幸之助の亡くなる直前に、アメリカ社長への栄転の体を取りつつ、飛ばされている。
馬場 章夫(ばんば ふみお、1939年〈昭和14年〉7月1日… 馬場 章夫(ばんば ふみお、1939年〈昭和14年〉7月1日 - )は日本のタレント、ラジオパーソナリティ、探検家。滋賀県高島郡高島町(現在の高島市)出身。既婚。 中学2年時まで滋賀県高島町で生活した後に、岡崎中学校の3年に編入。左京区北白川別当町に居住。高校3年時に大学を受験したが、1校も合格に至らず、1年間の浪人生活を経て京都市立芸術大学へ入学した。4人兄弟。8歳上の兄、姉がいる。 京都市立芸術大学への在学中に、探検部を創設。大学を6年がかりで卒業した後に、アフリカやミクロネシアを探検しては、その成果を新聞や雑誌に発表していた。本人によれば、日本人で初めて「プロ探検家」の肩書を名乗ったとされる。
伊吹 迪人(いぶき みちと、1938年7月5日 - 2006… 伊吹 迪人(いぶき みちと、1938年7月5日 - 2006年1月14日)は、日本の官僚。
横山 プリン(よこやま プリン、本名:清水 健雄、1938年… 横山 プリン(よこやま プリン、本名:清水 健雄、1938年〈昭和13年〉5月20日 - )は、タレント、フリーライター、放送作家。AB型。滋賀県大津市出身。 滋賀県立膳所高等学校を経て、1961年に立命館大学経営学部卒業。大学時代はジャズのドラマー,、また千日劇場の楽屋に出入りもしていた、このころ漫画トリオの横山ノックに横山フックが辞めるのでメンバー入りしてほしいと懇願されたが就職が決まっていたので固辞。就職してサラリーマン生活をしていたが3か月で辞め、大阪の繁華街でバンドボーイとして修業した後、再び芸人志望が強くなり横山ノックの元を訪れると横山やすしを紹介されお前ら組めと言われコンビを組み、初代横山たかしの名前をもらう。
国松 善次(國松 善次、くにまつ よしつぐ、1938年 4月… 国松 善次(國松 善次、くにまつ よしつぐ、1938年 4月1日 ‐ )は、日本の元政治家。元滋賀県知事(公選14・15代)。
大富 國正(おおとみ くにまさ、1938年2月5日 - )は… 大富 國正(おおとみ くにまさ、1938年2月5日 - )は、日本の実業家。株式会社エキスプレス代表取締役会長、株式会社エイ・アイ・シー代表取締役社長、株式会社ラヴス代表取締役会長、株式会社エキスプレススポーツ代表取締役会長。滋賀県大津市出身。 1961年(昭和36年)9月21日、テレビ番組の制作・技術協力などを行うプロダクション・株式会社エキスプレス設立、代表取締役社長に就任(現職会長)。テレビ中継車システムを導入。 1975年(昭和50年)2月、テレビ番組の美術作業(ヘアメイク)、ヘアメイクアーティストのマネージメントとプロモート業務をする株式会社エイ・アイ・シー設立、代表取締役社長に就任。
甲斐 道清(かい みちきよ、1937年(昭和12年)11月1… 甲斐 道清(かい みちきよ、1937年(昭和12年)11月11日 - 2025年(令和7年)10月24日)は、日本の政治家。元滋賀県守山市長(2期)。 滋賀県守山市出身。実家は守山市にある臨済宗大徳寺派少林寺。6歳で得度する。同志社大学文学部を卒業。卒業後はマツダオート京都に就職し、課長となる。その後、守山市役所に入り、守山市土地開発公社に勤務し、同事務局長になる。1989年少林寺の住職に就く。 1995年守山市長選挙に立候補し初当選。1999年は無投票で再選。2003年に三選を目指したが、元守山市議の山田亘宏に敗れた。 2008年春の叙勲で旭日双光章を受章する。 2025年10月24日、病気療養中に守山市内の病院で死去した。
山本 邦山(やまもと ほうざん、1937年10月6日 - 2… 山本 邦山(やまもと ほうざん、1937年10月6日 - 2014年2月10日)は、滋賀県大津市出身の尺八演奏家、作曲家。元東京芸術大学教授、人間国宝。本名は山本泰正(やまもと やすまさ)。長男は尺八奏者の二代 山本邦山(二代目襲名前は山本真山)。 都山流尺八演奏を、父である山本鵬山に習う。のち中西蝶山門下に入る。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
長尾 真(ながお まこと、1936年〈昭和11年〉10月4日… 長尾 真(ながお まこと、1936年〈昭和11年〉10月4日 - 2021年〈令和3年〉5月23日)は、日本の情報工学者。位階は正三位。 京都大学工学部電子工学科卒業。京都大学総長、京都大学名誉教授、国際高等研究所所長、独立行政法人情報通信研究機構理事長、国立国会図書館長を歴任。 専門は、自然言語処理・画像処理・パターン認識。パターン認識の分野では、手書き文字の認識方式を提案した。この手法は、初期の郵便番号読み取り装置へ応用された。以降、電子図書館システムの研究を主に手がけている。自動翻訳やAIにつながる技術の原理を開発した。 自伝に「情報を読む力、学問する心」(ミネルヴァ書房、2010年)がある。
津久井 督六(つくい すけろく、1936年6月26日 - 2… 津久井 督六(つくい すけろく、1936年6月26日 - 2024年6月28日)は、日本の実業家。ツクイの代表取締役会長や社会福祉法人ひまわり福祉会理事長を勤めた。 山梨県竜王町出身。山梨県立甲府工業高等学校卒業。1955年に大同建設入社。1969年、津久井土木(現・ツクイ)設立。家族が患った認知症をきっかけに、1973年に福祉事業部を設立。訪問入浴サービスを開始した。2002年土木業から撤退する。 2012年に代表取締役社長を退任して代表取締役会長に就任し、2015年にツクイの代表取締役会長を退任した。 2024年6月28日、88歳で死去。
川島 信也(かわしま のぶや、1936年〈昭和11年〉3月2… 川島 信也(かわしま のぶや、1936年〈昭和11年〉3月24日 - 2023年〈令和5年〉11月15日)は、日本の政治家。長浜市長を通算3期12年務めた。 高島郡(現・高島市)生まれで長浜市在住 。1959年に東京大学法学部卒業後、日本国有鉄道に入社。米子鉄道管理局総務部人事課長、大阪鉄道管理局営業部旅客課長、ニューヨーク事務所次長、九州地方資材部長、本社経営計画室主幹を歴任し、1980年に退職。1983年の第37回衆議院議員総選挙(自由民主党公認)、1986年の第38回衆議院議員総選挙(自由民主党公認)、1990年の第39回衆議院議員総選挙(無所属)に続けて出馬するが落選した。 1991年11月12日に長浜市長に就任し1995年11月11日まで在任。
種村 直樹(たねむら なおき、1936年3月7日 - 201… 種村 直樹(たねむら なおき、1936年3月7日 - 2014年11月6日)は、日本の作家、随筆家、評論家。滋賀県大津市出身。 もとは毎日新聞社の記者だったが、1973年に鉄道に関連する記事執筆を専業とするフリーのライターとなり、レイルウェイ・ライターと称して鉄道に関するルポルタージュ、時事評論、紀行文、推理小説などを数多く発表した。 滋賀県立大津東高等学校(現在の滋賀県立膳所高等学校)、京都大学法学部卒業。 毎日新聞社の国鉄担当記者であった1972年に、その豊富な鉄道知識と新聞記者としての取材、執筆能力から、当時の『鉄道ジャーナル』編集長の竹島紀元に抜擢され、「列車追跡」など同誌のメインとなる特集記事を執筆するようになったほか、連載コラムも持つようになる。
福岡 道雄(ふくおか みちお、1936年2月4日 - 202… 福岡 道雄(ふくおか みちお、1936年2月4日 - 2023年11月15日)は、日本の彫刻家。晩年は「つくらない彫刻家」を名乗っていた。 1936年、大阪府堺市に生まれる。幼少時に中華民国北平市(現:北京市)に渡り、終戦後に帰国。中学2年まで滋賀県高島郡(現高島市)海津で過ごした。建築家を志し堺市立工業高等学校建築科に入学。京都市立芸術大学の彫刻科を受験するが失敗したことから、デッサンをやり直すために、1955年に堺市立工業高等学校を卒業後、大阪市立美術研究所に入所した。デッサンを学ぶために入所したものの、誤って彫刻室に入る。大阪市立美術研究所では、今村輝久、保田龍門に師事。 1958年の自身初の個展では、砂浜に石膏を流し込む技法を用いた独自の抽象彫刻を発表した。
飯高 京子(いいたか きょうこ、1936年 - )は、言語病… 飯高 京子(いいたか きょうこ、1936年 - )は、言語病理学博士、言語聴覚士、東京学芸大学名誉教授、上智大学教授。旧満州国 大連生まれ。1955年、私立近江兄弟社高等学校在学中に同学初の海外留学生として渡米後、米国ベリア大学教育学部を経て、ノースウェスタン大学言語障害学研究科博士課程修了。国際友和会理事、日本友和会書記長。 1997年には言語聴覚士法制定に関わった。
人見 武雄(ひとみ たけお、1935年1月5日 - )は、滋… 人見 武雄(ひとみ たけお、1935年1月5日 - )は、滋賀県出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。 大津東高(現膳所高校)では、1952年夏の甲子園県予選決勝で瀬田高に敗退、京津大会には進めなかった。日本大学へ進学。東都大学野球リーグでは在学中に5回優勝。1年生の春季リーグからレギュラーとなり三塁手、遊撃手として活躍。1954年秋季リーグでは穴吹義雄に次ぐ打率.345を記録。1955年春季リーグで優勝に貢献、最高殊勲選手賞を獲得した。直後の全日本大学野球選手権大会では、決勝で明大の秋山登に完封され準優勝。翌1956年の同大会でも、同じく決勝で関大の村山実に抑えられ準優勝に終わった。リーグ通算98試合出場、364打数101安打、打率.277、3本塁打。
林潤(はやし じゅん 1935年〈昭和7年〉-)は、日本の実… 林潤(はやし じゅん 1935年〈昭和7年〉-)は、日本の実業家。奈良生駒高速鉄道代表取締役社長、近畿日本鉄道株式会社専務取締役、土木学会理事。滋賀県近江八幡市出身。 1935年滋賀県近江八幡市生まれ。1953年近江兄弟社高等学校を卒業後、京都大学工学部土木工学科に入学。 1958年、近畿日本鉄道に入社。専務取締役を経て、1998年奈良生駒高速鉄道代表取締役社長に就任し、土木学会理事も務めた。
藤木 てるみ(ふじき てるみ、1934年(昭和9年)12月1… 藤木 てるみ(ふじき てるみ、1934年(昭和9年)12月11日 - )は、日本の漫画家。男性。かつては本名の 藤木 輝美(ふじき てるみ)や「ふじき てるみ」名義で活動していた。ヘビースモーカーである。 滋賀県犬上郡(現:彦根市地域)の出身で、先祖は彦根藩の藩士。 一向門徒衆と織田信長軍の闘いである石山合戦を藤木が描いて東本願寺出版部より出版された『石山軍記』は、「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えながらの迫力の戦闘シーンが活写されている。また 「歎異抄十余ヶ国上洛のナゾを検証する」(2002年7月「大法輪」大法輪閣)という論文も執筆している。 少年時代にはディズニーアニメや手塚治虫の影響を受けて漫画家をめざすようになった。
的場 順三(まとば じゅんぞう、1934年9月15日 - )… 的場 順三(まとば じゅんぞう、1934年9月15日 - )は、日本の大蔵・国土官僚。滋賀県出身。血液型はB型。第1次安倍内閣の内閣官房副長官(事務担当)を務めた。 大津市立皇子山中学校、滋賀県立大津東高等学校(現滋賀県立膳所高等学校)を経て、1957年 京都大学経済学部卒業後、大蔵省に入省(主計局総務課に配属)。同期に保田博(初代国際協力銀行総裁、大蔵事務次官、主計局長、大臣官房長)、内海孚(財務官、国際金融局長、在米国大使館公使)、森田一、藤田恒郎ら。 1962年7月 大臣官房調査課調査第二係長。1964年7月 伊勢崎税務署長。1973年7月 熊本県企画開発部長。主計局主計企画官(調整担当)、主計局調査課長、主計局主計官(文部、科学技術、文化担当)、主計局主計官(農林水産担当)、主計局総務課長などを経て、1982年6月 東京税関長。
武村 正義(たけむら まさよし、1934年〈昭和9年〉8月2… 武村 正義(たけむら まさよし、1934年〈昭和9年〉8月26日 - 2022年〈令和4年〉9月28日)は、日本の政治家、自治官僚、政治評論家。位階は従三位。 八日市市長、滋賀県知事(3期)、衆議院議員(4期)、新党さきがけ代表、内閣官房長官、大蔵大臣を歴任。政界引退後は龍谷大学客員教授、徳島文理大学大学院教授を務めた。 滋賀県蒲生郡玉緒村(現・東近江市柴原南町)の農家に生まれた。母を小学2年、祖父を中学3年、父を高校2年のときに亡くす。兄勘一。滋賀県立八日市高等学校では日本民主青年同盟に入って活動を行った。新聞部の部長だった2年生のとき、友人の書いた文章の内容が偏っているとして、担任が不掲載を求めた。
君野 健一(きみの けんいち、1934年7月10日 - )は… 君野 健一(きみの けんいち、1934年7月10日 - )は、滋賀県出身のプロ野球選手(一塁手、外野手)。右投右打。 滋賀県立瀬田高等学校では、エースとして1952年夏の甲子園予選京津大会決勝に進むが、山城高に敗退。 1953年に近鉄パールスへ入団し野手転向。1954年には8月から一塁手として起用され、11試合に先発出場を果たす。同年は1試合ながら四番打者も務めた。1955年はウエスタン・リーグで14打点を記録し、初代打点王に輝いた。1956年には武智修と併用され32試合、1957年には自己最多の51試合に先発する。しかしその後は故障もあって出場機会が減少、1958年限りで引退した。
田原 総一朗(たはら そういちろう、1934年〈昭和9年〉4… 田原 総一朗(たはら そういちろう、1934年〈昭和9年〉4月15日 - )は、日本のジャーナリスト、評論家、ニュースキャスター。元ドリームインキュベータ社外取締役。元東京12チャンネル(現:テレビ東京)ディレクター、元映画監督。日本国際フォーラム参与、政策委員。公益財団法人日印協会顧問、一般社団法人外国人雇用協議会顧問、NPO法人万年野党会長。芸能事務所のブルーミングエージェンシーと業務協力。 滋賀県彦根市出身。田原節子は2番目の妻、その妹に古賀さと子がいる。田原は2人の妻をいずれも癌で亡くしている。 近江商人の末裔。第二次世界大戦中は人並みな軍国少年で、「海軍兵学校を経て海軍に入り、特攻隊員として戦闘機に乗り敵の軍艦にぶつかって死ぬ」のが夢だった。
木村 晟(きむら あきら、1934年4月7日 - )は、日本… 木村 晟(きむら あきら、1934年4月7日 - )は、日本の国語学者、駒澤大学名誉教授。 滋賀県中主町(現野洲市)生まれ。近江兄弟社学園を経て、1957年日本大学文学部国文学科国語学専攻卒業。桜美林大学講師、神戸女子大学助教授、駒澤大学文学部助教授、教授、2002年「中世韻書の基礎的研究」で日大文学博士。2005年駒沢大を定年退職、名誉教授。近江野田教会は母教会。東京都東久留米市の久留米キリスト教会会員。 日本の古辞書の研究が専門だが、近江兄弟社に関する単著がある。
高谷 好一(たかや よしかず、1934年3月18日 - 20… 高谷 好一(たかや よしかず、1934年3月18日 - 2016年3月12日)は、日本の生態学者。京都大学名誉教授、滋賀県立大学名誉教授。専攻は東南アジア地域研究。 滋賀県守山市出身。京都大学理学部を経て、同大学院理学研究科修了。京都大学東南アジア研究センター助手・助教授を経て、1975年より同教授。1995年から2004年まで滋賀県立大学人間文化学部地域文化学科教授。2005年より、聖泉大学総合研究所所長・教授。2013年に瑞宝中綬章受章。 2016年3月12日、滞在先のインド・チャンディーガルのホテルにて81歳で没した。
山崎 甚右衛門(山﨑 甚右衞門、やまざき じんうえもん、19… 山崎 甚右衛門(山﨑 甚右衞門、やまざき じんうえもん、1934年〈昭和9年〉1月17日 - 2025年〈令和7年〉10月25日)は、日本の政治家、元滋賀県野洲町長(3期)・野洲市長(1期)。 滋賀県野洲市出身。滋賀県立野洲高等学校卒。野洲町役場に入り、総務部長、助役などを経て、1995年の野洲町長選挙で野洲町長に当選した。町長を3期務め、2004年野洲町は合併により野洲市が発足。合併後の市長選挙に立候補し、無投票で当選。野洲市長を1期務め、2008年に退任した。2009年、旭日小綬章受章。 2025年10月25日、うっ血性心不全のため守山市内の病院で死去。91歳没。叙従五位。
川崎 彰彦(かわさき あきひこ、1933年9月27日-201… 川崎 彰彦(かわさき あきひこ、1933年9月27日-2010年2月4日)は、日本の詩人、作家。 群馬県生まれ。兄は英文学者の川崎寿彦。太平洋戦争末期から滋賀県の農村で暮らす。滋賀県立八日市高等学校を経て、1958年早稲田大学第一文学部露文科卒。在学中は五木寛之、三木卓らと交流。北海道新聞函館支社記者として働きながら「新日本文学」「函館勤労者文学」に執筆。1965年「まるい世界」で第三回新日本文学賞佳作。1967年退社し、大阪府で作家生活に入る。大阪文学学校講師。
大辻 秀夫(おおつじ ひでお、1933年9月15日 - )は… 大辻 秀夫(おおつじ ひでお、1933年9月15日 - )は、滋賀県出身の元プロ野球選手。
西出 昌弘(にしで まさひろ、1933年3月3日 - 201… 西出 昌弘(にしで まさひろ、1933年3月3日 - 2019年3月26日)は、日本のコントラバス奏者。滋賀県大津市出身。 関西交響楽団、ABC交響楽団を経て、1957年から京都市交響楽団首席。京都市立芸術大学、大阪音楽大学、同志社女子大学他講師。 1955年 東京芸術大学委託修、滋賀大学卒。今村清一、岡田二郎に師事。 趣味:オートバイ(ハーレー、BMW)、車(ミニクーパー)、ヨット(ヨーロッパ級J94。滋賀県立膳所高等学校ヨット部監督)
西村 惠信(にしむら えしん、1933年(昭和8年) - )… 西村 惠信(にしむら えしん、1933年(昭和8年) - )は、日本の仏教学者。臨済宗妙心寺派の僧。花園大学名誉教授。同大学元学長。文学博士。滋賀県出身。東近江市の興福寺前住職。 花園大学仏教学部卒業。京都大学大学院文学研究科博士課程(宗教哲学専攻)修了。 1933年、滋賀県で生まれる。1956年に花園大学仏教学部(禅宗学)を卒業。1956年、南禅寺専門道場にて寒松軒紫山全慶老師に就いて参禅辨道 。 1960年、アメリカ・ペンシルヴェニア州ペンデルヒル宗教研究所に留学しキリスト教を研究した。1970年、京都大学大学院文学研究科博士課程(宗教哲学専攻)修了。 1970年、花園大学教授に就任、2002年に同大学の副学長を経て学長に就任。
小園 蓉子(こぞの ようこ、1932年10月16日 - 20… 小園 蓉子(こぞの ようこ、1932年10月16日 - 2025年7月10日)は、日本の女優。本名は佐藤敦子。滋賀県大津市出身。 戦後すぐに横浜に移住。1948年に神奈川県立横浜平沼高等学校に進学する。同期に岸恵子、日比野恵子がいた。 1951年に松竹大船に入社し映画、中村登監督『恋文裁判』でデビューする。1955年に『絵島生島』を最後に松竹を退社。1956年に日活専属契約を結び、『姉さんのお嫁入り』で初主演する。1968年に日活を退社。フリーとなりテレビドラマに活躍する。
出目 昌伸(でめ まさのぶ、1932年10月2日 - 201… 出目 昌伸(でめ まさのぶ、1932年10月2日 - 2016年3月13日)は、日本の映画監督。滋賀県八日市市(現:東近江市)出身。滋賀県立八日市高等学校、早稲田大学文学部卒業。 1957年に東宝入社。黒澤明、松林宗恵、堀川弘通、古澤憲吾らの助監督を務め、1968年、内藤洋子主演の『年ごろ』で監督に昇進。その後、『俺たちの荒野』『その人は女教師』など、それまでの東宝青春映画とは一線を画す作品を監督する。 東宝退社後の1980年代中盤からは、東映で吉永小百合主演による『天国の駅』『玄海つれづれ節』、織田裕二、仲村トオル、風間トオルら若手スターによる反戦映画『きけ、わだつみの声』、岩下志麻と吉永小百合の2大女優初競演が話題となった『霧の子午線』など、大作映画を次々と手がける。
山元 勉(やまもと つとむ、1932年8月5日 - 2010… 山元 勉(やまもと つとむ、1932年8月5日 - 2010年1月4日)は、日本の政治家。衆議院議員(通算4期)。 滋賀県出身。滋賀大学卒業後、小学校教師として勤務する傍ら組合活動を行う。その後、専従役員として滋賀県教職員組合委員長等を務める。 1983年、第13回参議院議員通常選挙に日本社会党公認で滋賀県選挙区より立候補するが、自由民主党候補の河本嘉久蔵に大差で敗れ落選。1990年に行われた第39回衆議院議員総選挙に日本社会党公認で旧滋賀県全県区より立候補し当選。以後4期連続当選を果たす。 1996年、旧民主党結党に参加。小選挙区制施行後の1996年の第41回衆議院議員総選挙では滋賀県第1区から立候補。
中江 陽三(なかえ ようぞう、1932年6月15日 - )は… 中江 陽三(なかえ ようぞう、1932年6月15日 - )は、元NHKアナウンサー。現在はフリー。
福井 達雨(ふくい たつう、1932年3月25日 - 202… 福井 達雨(ふくい たつう、1932年3月25日 - 2022年9月6日)は、日本の教育者。滋賀県近江八幡市生まれ。
中村 功一(なかむら こういち、1932年(昭和7年)3月1… 中村 功一(なかむら こういち、1932年(昭和7年)3月10日 - )は、日本の政治家。元東近江市長(1期)、元八日市市長(3期)。旭日小綬章受章。 滋賀県八日市市(現・東近江市)出身。滋賀県立神愛高等学校(現・滋賀県立八日市高等学校)卒。滋賀県庁に入り、企画部水政室長、県議会事務局長、農林部長などを経て、八日市市助役となる。 1994年の八日市市長選挙に立候補して初当選、3期務めた。3期目途中の2005年2月11日、八日市市は近隣4町と合併し「東近江市」が発足した。発足直後の東近江市長選挙に立候補し、元県議の西澤久夫を破り初当選した。同市長は1期務め、2009年に引退。2015年に東近江市の名誉市民に選ばれた。
西岡伸太(にしおか しんた、1932年 - )は、日本の写真… 西岡伸太(にしおか しんた、1932年 - )は、日本の写真家。滋賀県草津市生まれ。二科会写真部特別会員。(社)日本写真家協会会員。(社)日本広告写真家協会功労会員。シュピーゲル写真家協会名誉顧問。京都丹平会長。滋賀写真家協会顧問。草映会主宰。 1952年より山沢栄子に師事。以後、琵琶湖やその周辺の写真を撮り続ける。毎日新聞日本写真美術展文部大臣賞、第7回ブルーレーク賞、平成10年度滋賀県文化賞を受賞。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
梅沢 節男(うめざわ せつお、1931年5月9日 - 201… 梅沢 節男(うめざわ せつお、1931年5月9日 - 2013年11月12日)は、日本の大蔵官僚。国税庁長官、公正取引委員会委員長などを歴任した。 旧制滋賀県立膳所中学校(現・滋賀県立膳所高等学校)を経て、京都大学法学部を卒業。同年、大蔵省に新制後期組で入省。同期に西垣昭(海外経済協力基金総裁、大蔵事務次官、主計局長、大臣官房長、理財局長、経済企画庁長官官房長)、大竹宏繁(大和銀行総合研究所初代理事長、経済企画庁事務次官、経済企画審議官)ら。 1982年当時、次官だった高橋元は元主税局長で、田中角栄内閣において税制二課長だった際、自動車新税を企画立案するなど税のエキスパートとして知られていた。省内では第二臨調が打ち出した「増税なき財政再建」が建前にすぎず、いずれ大型増税に踏み切ることを予想し、従来の主計局長 - 大蔵事務次官という省内バランスを崩して主税出身の高橋を次官に据え、福田幸弘主税局長(のち国税庁長官)とのラインでその布陣を敷いた。
団 鬼六(だん おにろく、1931年4月16日(戸籍上は9月… 団 鬼六(だん おにろく、1931年4月16日(戸籍上は9月1日) - 2011年5月6日)は、日本の小説家・脚本家・演出家・エッセイスト・映画プロデューサー・出版人。 SMものなどの官能小説の第一人者として著名である。代表作に『花と蛇』。多くの作品が映画化された。作家活動の他、鬼プロダクションを設立して、ピンク映画やSM雑誌を手掛けた。将棋雑誌の出版も行った。 本名は黒岩幸彦(くろいわ ゆきひこ)。初期のペンネームに黒岩松次郎、花巻京太郎。なお、本人の弁によると“鬼六”の読みは、“おにろく”でも“きろく”でもどちらでも構わないとのこと。 滋賀県彦根市の映画館「金城館」を経営する父のもとに生まれ、幼い頃から映画を楽しむと同時に実家の映画館は遊び場でもあった。
伊藤 唯真(いとう ゆいしん、別表記:伊藤 唯眞、1931年… 伊藤 唯真(いとう ゆいしん、別表記:伊藤 唯眞、1931年(昭和6年)3月14日 - )は、日本の仏教学者・浄土宗僧侶(浄土門主・総本山知恩院第88世門跡)。佛教大学名誉教授。 1931年、滋賀県甲賀郡(現:湖南市)石部町に生まれた。1948年に旧制滋賀県立膳所中学校卒業し、佛教大学に入学。1953年に卒業し、同志社大学大学院文学研究科に進学。民俗学、文化史学を専攻した。1955年に修士課程を修了し、文学修士号を取得。同研究科博士課程に進み、1955年に単位取得後満期退学。 1961年、佛教大学講師に就いた。1966年に文学部史学科助教授、1974年に同教授に昇格。1981年、学位請求論文『日本聖仏教史の研究:浄土教への関与を中心として』を佛教大学に提出して文学博士号を取得。
川又 良也(かわまた よしや、1931年(昭和6年)2月9日… 川又 良也(かわまた よしや、1931年(昭和6年)2月9日 - 2019年(令和元年)7月12日)は、日本の法学者。専門は商法・アメリカ海事法。京都大学名誉教授。大隅健一郎門下。 京都大学百年史編集委員会『【部局史編 1】第4章: 大学院法学研究科・法学部』京都大学後援会、1997年。https://hdl.handle.net/2433/152980。
井村 裕夫(いむら ひろお、1931年(昭和6年)2月4日 … 井村 裕夫(いむら ひろお、1931年(昭和6年)2月4日 - )は、日本の医学者、医学博士。京都大学名誉教授・元総長。第27代日本学士院院長。専門は内分泌代謝病学、糖尿病学。 1931年、滋賀県神崎郡八日市町(現:東近江市)生まれ。滋賀県立八日市高等学校卒業。1954年京都大学医学部医学科卒業、医学博士。米国カリフォルニア大学内科研究員、京都大学講師、神戸大学医学部教授、京都大学医学部教授、同大学医学部長を経て、1991年~1997年京都大学総長。同時に国立大学協会会長。京大総長選挙は当時、立候補も他者推薦も無しで各教官が適任と思う人物を紙に書く制度であったため予期せず突如選ばれ、研究を一時中断するほど多忙であったという。
西川 幸治(にしかわ こうじ、1930年12月20日 - )… 西川 幸治(にしかわ こうじ、1930年12月20日 - )は、日本の歴史学者。専攻は都市史。京都大学名誉教授、滋賀県立大学名誉教授・元学長。 滋賀県彦根市出身。京都大学工学部建築学科卒業後、同大学院工学研究科(建築学専攻)単位取得。1959年京都大学助手、1964年講師、1966年助教授、1977年教授を務める傍ら、1985年から1991年まで同埋蔵文化財研究センター長を併任し、1994年同退官、名誉教授。1995年より、滋賀県立大学教授および人間文化部長を経て、2001年より日高敏隆の後任として同学長を2005年まで務めた。2005年より国際日本文化研究センター客員教授を務める。 1968年京都大学より工学博士。
上田 篤(うえだ あつし、1930年〈昭和5年〉8月12日 … 上田 篤(うえだ あつし、1930年〈昭和5年〉8月12日 - )は、日本の建築学者・建築家・都市環境空間デザイナー。専門は、都市計画・比較文明論。学位は、工学博士(京都大学・1971年)。 滋賀県彦根市出身(出生地は大阪府。里帰り出産後の生育地は、引き揚げまで満洲の奉天市、北支の濰縣(中国語版)、青島市。)。京都大学助教授・大阪大学教授・京都精華大学教授を経て、京都精華大学名誉教授。上田篤都市建築研究所主宰。 専門は主に建築工学であり、主な作品に「橋の博物館」「大阪万国博覧会お祭り広場」「旭川市平和通買物公園」などがある。 しかしながら、建築分野で評価を受ける反面、近年は古典分野の執筆活動を展開している。
饗庭 孝男(あえば たかお、1930年〈昭和5年〉1月27日… 饗庭 孝男(あえば たかお、1930年〈昭和5年〉1月27日 - 2017年〈平成29年〉2月21日)は、日本の文芸評論家、フランス文学者。青山学院大学名誉教授。 西欧の文化や風土と、その精神や思想を、時に日本と対比しつつ考察論述した。 代表作に『石と光の思想』(1971年)、『幻想の都市』(1992年)、『知の歴史学』(1997年)など。 フランス文学を専門とし、日本や西欧の文化、思想を広く研究。近代日本文学の存在意義を問うた著作も多い。 滋賀県大津市生まれ。父は滋賀県視学。名古屋市在住を経て、湖北の故地饗庭村に移り、1949年(昭和24年)滋賀県立高島高等学校卒業、1953年(昭和28年)、南山大学人文学部卒業、南山大学文学部助手。
中村 鋭一(なかむら えいいち、1930年1月22日 - )… 中村 鋭一(なかむら えいいち、1930年1月22日 - )は、日本のタレント。男性。
野口 幸一(のぐち こういち、1929年〈昭和4年〉8月13… 野口 幸一(のぐち こういち、1929年〈昭和4年〉8月13日 - 1993年〈平成5年〉10月29日)は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(5期)。 滋賀県彦根市生まれ。旧制滋賀県立彦根中学校(現・滋賀県立彦根東高等学校)中退。1950年(昭和25年)逓信講習所卒。その後、郵政事務官になり、全逓滋賀県委員長、滋賀地評議長などを経て、1976年(昭和51年)の第34回衆議院議員総選挙で滋賀全県区から日本社会党公認で立候補して当選。5期務めた。 1990年(平成2年)の第39回衆議院議員総選挙に立候補せず、政界から引退する。 1993年10月29日、死去。64歳没。同年11月12日、特旨を以て位記を追賜され、死没日付で従四位勲二等に叙され、瑞宝章を追贈された。
杵屋 佐之忠(きねや さのただ、1929年5月21日 - 2… 杵屋 佐之忠(きねや さのただ、1929年5月21日 - 2017年4月6日)は、長唄三味線方・付け師。本名は廣瀬 忠夫。 滋賀県大津市で生まれ、大阪府で育つ。1947年、疎開先の栃木県日光市で杵屋栄暁に入門。1949年に上京し初世・杵屋佐之助に師事。1949年9月、杵屋忠雄の名で歌舞伎初舞台。1955年、杵屋佐之忠を允許。以降、2017年まで付け師として前進座歌舞伎に携わる。 『蛸』『祇王寺物語』など 『魚屋宗五郎』『佐倉義民伝』『お染の七役』『人情噺・文七元結』『不破』『奴の小万・裾模様沖津白浪』『東海道四谷怪談』『三人吉三廓初買』『土蜘蛛退治』『髪結新三』『春若丸』『唐茄子屋』『鳴神』『冥途の飛脚』『本町糸屋の娘』など(劇団前進座) 『怪談・牡丹燈籠』(文学座)ほか
増井 金典(ますい かねのり 1928年11月10日 - 2… 増井 金典(ますい かねのり 1928年11月10日 - 2026年5月3日)は、日本の国語学者。滋賀県甲賀市出身、大津市在住。立命館大学大学院修士課程修了。幼少期より言葉に関心を持ち、ある時、自分の名前の由来(「金」は父親の名前から、「典」は出生日が昭和天皇即位の御大典だったことから)を知って一層関心を高めた。滋賀県内の中学校・高等学校の国語教師を経て、1987年より滋賀女子短期大学(現滋賀短期大学)で語源や滋賀県内の方言の研究に努める。現在滋賀短期大学名誉教授。2000年には方言研究で滋賀県文化功労賞を受賞した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
山中 典士(やまなか のりお、1928年8月21日 - 20… 山中 典士(やまなか のりお、1928年8月21日 - 2017年1月20日)は、装道礼法きもの学院、社団法人全日本きものコンサルタント協会の創立者である。 滋賀県米原市出身。1943年(昭和18年)に海軍飛行予科練習生(甲飛13期)となり、1945年(昭和20年)に鈴鹿海軍航空隊で終戦を迎える。京都外国語短期大学卒業。 1964年(昭和39年)に「装道礼法きもの学院」と「全日本きものコンサルタント協会」を創立し、協会は1969年(昭和44年)に通商産業省、1992年(平成3年)に文部省に社団法人として認可を受ける[要出典]。 2017年(平成29年)1月20日、心不全のため逝去した。 笑顔が可愛く、博識、お人柄も素晴らしい方でした。
花登 筺(はなと こばこ、1928年〈昭和3年〉3月12日 … 花登 筺(はなと こばこ、1928年〈昭和3年〉3月12日 - 1983年〈昭和58年〉10月3日)は、日本の小説家、脚本家。本名は、花登 善之助(はなと ぜんのすけ)。 1928年(昭和3年)滋賀県大津市上北国町(現・長等1丁目)の近江商人の家に生まれる。旧姓名・川崎善之助。花登家へ嫁いだ姉・八重の養子となり、花登姓に改めた。滋賀県立大津商業学校を経て、同志社大学商学部に進学。 1947年(昭和22年)北国町青年団の一員として演劇活動を始める。1948年(昭和23年) 大津で自主劇団人間座の結成に参加。その後「文芸座」を設立し、地元の芝居小屋や大津市中央公民館などで文芸作品を上演する。1951年(昭和26年)同志社大学商学部卒業。