笠松 実(かさまつ みのる、1916年4月13日 - 197… 笠松 実(かさまつ みのる、1916年4月13日 - 1970年9月16日)は、大阪府出身のプロ野球選手(投手)。
大阪府:6,116人
笠松 実(かさまつ みのる、1916年4月13日 - 197… 笠松 実(かさまつ みのる、1916年4月13日 - 1970年9月16日)は、大阪府出身のプロ野球選手(投手)。
中尾 辰義(なかお たつよし、1916年(大正5年)4月1日… 中尾 辰義(なかお たつよし、1916年(大正5年)4月1日 - 2012年(平成24年)12月20日)は、日本の政治家。参議院議員(4期)。 鹿児島県日置郡串木野村(串木野町、串木野市を経ていちき串木野市)下名の後の串木野市元町に生まれる。1930年3月串木野高等小学校卒業。その後大阪市で学び、1936年3月旧制上宮中学校(現上宮高等学校)卒業、1940年3月大阪歯科医学専門学校(現大阪歯科大学)卒業。1940年12月歩兵入隊、1946年6月内地へ復員。1953年4月大阪市東区で歯科医院を開設し、創価学会に入会。 創価学会船場支部長から1957年(昭和32年)4月の参議院大阪府選挙区補欠選挙に創価学会系無所属として出馬したが落選。
中川 三郎(なかがわ さぶろう、1916年〈大正5年〉3月9… 中川 三郎(なかがわ さぶろう、1916年〈大正5年〉3月9日 - 2003年〈平成15年〉10月24日)は、「社交ダンスの父」と呼ばれる日本におけるモダンダンスの創始者。日本タップダンス界の祖。洋舞家。ニューヨーク市立大学シティカレッジ卒。大阪市出身。「日本のディスコの産みの親」とも呼ばれる。 「擬装の麗人」と呼ばれ、昭和の日本の興行界に一大センセーションを巻き起こした。妻は戦前にジャズ歌手として活躍した上村まり子。長男はタップダンサーの中川一郎(本名:大輔)。長女は女優でタップダンサーの中川弘子。次女は女優の中川姿子。三女は「スリー・チャッピーズ」の元メンバー、女優でタップダンサーの中川裕季子(女優当時の芸名:中川ゆき、本名:元子)。
八木沼 健夫(やぎぬま たけお、1916年(大正5年)2月2… 八木沼 健夫(やぎぬま たけお、1916年(大正5年)2月2日 - 1995年(平成7年)4月5日)は、日本の生物学者。クモの研究(クモ学)を専門とし、日本蜘蛛学会の会長を務めた。 大阪市南区(現・浪速区)に生まれる。旧制大阪府立堺中学校(現・大阪府立三国丘高等学校)から大阪府天王寺師範学校(現・大阪教育大学)に進み、本科第1部を卒業する。 1952年に東亜蜘蛛学会(現・日本蜘蛛学会)関西支部が設立されたときには、支部事務所は八木沼の自宅に置かれた。さらに、1954年には学会の本部が八木沼の在職していた追手門学院大学に移設される。 1961年、「蜘蛛の分類学的研究」により、北海道大学より理学博士の学位を取得した。
宮野 善治郎(みやの ぜんじろう、1915年(大正4年)12… 宮野 善治郎(みやの ぜんじろう、1915年(大正4年)12月29日 - 1943年(昭和18年)6月16日)は、大日本帝国海軍の軍人、戦闘機搭乗員。 海兵65期。最終階級は海軍中佐。 大阪府に生まれる。中河内郡龍華尋常小学校(現・八尾市立龍華小学校)、旧制大阪府立八尾中学校(現・大阪府立八尾高等学校)を経て、1938年(昭和13年)に65期生として海軍兵学校を卒業した。 八尾中学は野球がさかんで、宮野の在校中に春4回、夏2回の甲子園出場を果たした。同期にはのちに読売巨人軍の初代永久欠番「4」となる黒澤俊夫などもいたが、宮野は家庭の事情でクラブ活動には参加できず、官費で学べる海軍兵学校をめざす。
雲井 昭善(くもい しょうぜん/あきよし、1915年12月2… 雲井 昭善(くもい しょうぜん/あきよし、1915年12月24日 - 2017年12月5日)は、日本の僧侶、仏教学者。大谷大学名誉教授。インド学・仏教学専攻。 大阪府和泉市出身。1941年大谷大学文学部仏教学科卒。1961年「佛教と社会的基盤の研究」で東京大学文学博士。1956年大谷大学助教授、61年教授、86年定年、名誉教授、佛教大学教授。75-81年日本学術会議会員。2000年仏教伝道文化賞受賞。享年101。
柿本 奨(かきもと つとむ、”奬”と書く場合もあり、1915… 柿本 奨(かきもと つとむ、”奬”と書く場合もあり、1915年11月30日 - 2000年5月)は、国文学者。大阪大学・追手門学院大学名誉教授。専門は中古文学。 大阪府岸和田市生まれ。岸和田中学校(現:大阪府立岸和田高等学校)、大阪高等学校卒、1938年京都帝国大学文学部国文科卒。大阪市立岡第二商業学校(現:大阪市立市岡商業高等学校)教諭、熊本師範学校教授、大阪第一師範学校教授、二度応召。戦後、大阪学芸大学助教授、67年校名変更で大阪教育大学教授、大阪大学教養部教授、79年定年退官、名誉教授、追手門学院大学教授。同名誉教授。
岡本 利三(おかもと としぞう、1915年10月20日 - … 岡本 利三(おかもと としぞう、1915年10月20日 - 2002年5月)は、大阪府出身のプロ野球選手(捕手、外野手)。
岩村 英郎(いわむら えいろう、1915年9月13日 - 1… 岩村 英郎(いわむら えいろう、1915年9月13日 - 1991年5月7日)は、日本の実業家。川崎製鉄社長、会長を務めた。大阪府大阪市出身。 1938年に東京帝国大学工学部冶金学科を卒業し、同年に川崎造船所に入社した。1950年に川崎製鉄に移り、常務、専務、副社長を経て、1977年6月に社長に就任し、1982年6月には会長に就任した。1988年6月に取締役相談役に就任し、1990年6月に相談役に就任した。 日本経営者団体連合会常任理事、日本卓球協会会長も務めた。 1985年11月に勲一等瑞宝章を受章。 1991年5月7日、肝不全のために死去。75歳没。
菊矢 吉男(きくや よしお、1915年8月31日 - 199… 菊矢 吉男(きくや よしお、1915年8月31日 - 1990年12月27日)は、大阪府出身のプロ野球選手、高校野球指導者。
中沢 伊登子(なかざわ いとこ、1915年(大正4年)8月2… 中沢 伊登子(なかざわ いとこ、1915年(大正4年)8月20日 - 2001年(平成13年)11月11日)は、日本の政治家。民社党参議院議員(2期)。 兵庫県出身。1933年(昭和8年)大阪府立阿倍野高等女学校(現・大阪府立阿倍野高等学校)卒、同校補習科修了。神戸生活協同組合理事、神戸市生活指導研究会指導員、宝塚市議会議員などを務める。 1965年(昭和40年)の第7回参議院議員選挙に民主社会党(後の民社党)公認で兵庫県選挙区から出馬して当選。1971年(昭和46年)の第9回参議院議員通常選挙で2選。1975年6月26日、衆議院外務委員会、ILO102号条約批准に伴う母性保護の国内措置が不充分と、攻撃。
小林 章(こばやし あきら、1915年(大正4年)7月10日… 小林 章(こばやし あきら、1915年(大正4年)7月10日 – 1999年(平成11年)8月1日)は、日本の昭和期の大蔵官僚、政治家。参議院議員、日本専売公社総務理事。 大阪府大阪市出身。大阪高等学校を卒業。1937年(昭和12年)10月、高等試験行政科試験に合格。1938年(昭和13年)東京帝国大学法学部政治学科を卒業した。同年、大蔵省に入省し主税局属となる。 以後、大阪税関総務部長、松山海運局監理部長、高松財務局経理部長、同関税部長、大蔵省管理局財務第二課長などを歴任した。 日本専売公社に移り、塩業課長、主計課長、仙台地方局長、本社綜合企画室長、塩脳部長、臨時塩業整備本部長、経理部長、企画部長、総務理事を歴任し、1964年(昭和39年)に退任した。
西村 公朝(にしむら こうちょう、1915年(大正4年)6月… 西村 公朝(にしむら こうちょう、1915年(大正4年)6月4日 - 2003年(平成15年)12月2日)は、日本の仏師・仏像修理技師・僧侶・東京芸術大学名誉教授。勲三等瑞宝章。前名:西村利作。位階は従四位。 大正4年(1915年)6月4日、大阪府三島郡富田村(現・高槻市富田町2丁目)に、父・利兵衛と母・ミツの長男として生まれた。 1935年、東京美術学校(現東京芸術大学)に入学。彫刻科木彫部で現代彫刻家を志す。4年生の時に同校の古美術研究旅行で京都・奈良をまわり、法隆寺・夢殿の救世観音に感激。1940年に卒業し、いったんは私立大阪工科学校(旧制)の図画教師となる。 1940年頃、学生時代の縁で法隆寺に通っていた際、偶然日本美術院(第二部)初代院長である新納忠之介も同寺を訪ねており、後進の明珍恒男が亡くなったばかりで、「美大出で誰か仏像の好きなやつはおらんか」と法隆寺の僧に尋ねると、「丁度相応しい者が金堂におります」と紹介され、新納から美術院への入所の誘いを受けた。
西岡 弘(にしおか ひろし、1915年5月13日 - 200… 西岡 弘(にしおか ひろし、1915年5月13日 - 2004年2月24日)は、日本の文学者。専門は中国文学。文学博士(國學院大學)。國學院大學名誉教授。 大阪府大阪市出身。大阪府立北野中学校卒業。1939年國學院大學高等師範部卒業。大修館書店入社。同大漢和辞典編集室所属。1943年日本大学法文学部文学科2部卒業。陸軍少年通信兵学校教官。1946年國學院大學文学部専任講師。1951年同文学部助教授。1961年3月31日に論題「中国古代の葬礼と文学」で國學院大學にて文学博士号を受く。1963年國學院大學文学部教授。1983年國學院大學図書館長。1986年國學院短期大学(現・國學院大學北海道短期大学部)2代学長。
吉岡 たすく(よしおか たすく、1915年4月24日 - 2… 吉岡 たすく(よしおか たすく、1915年4月24日 - 2000年5月22日)は、大阪府出身の児童文化研究家。テレビの教育相談番組で活動した。本名は吉岡 佐(読みは同じ)。 大阪府立生野中学を経て大阪府天王寺師範学校を卒業し、後に泉大津市に移住。1935年から大阪府高石市の小学校の教員や校長を務める傍ら、幼児教育・文化、童話などの研究を進めた。元日本サッカー協会会長である川淵三郎は、高石小学校教諭時代の教え子である。 1975年3月に退職後、研究活動を続けながら、全国各地で講演を行い、著作を発表。毎日放送『八木治郎ショー』レギュラー出演のほか、NHK教育テレビ『おかあさんの勉強室』にたびたび出演した。
山川 茂夫(やまかわ しげお、1915年2月26日 - 19… 山川 茂夫(やまかわ しげお、1915年2月26日 - 1990年5月30日)は、日本の経営者。阪急百貨店社長、会長を務めた。大阪府池田市出身。 1937年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に阪神急行電鉄に入社。1947年に分社化に伴い、阪急百貨店に転じ、1964年5月に取締役に就任し、1971年11月に常務、1975年5月に専務、1979年6月に副社長を経て、1986年6月に社長に就任した。1988年6月から会長を務めた。阪急電鉄取締役、関西テレビ放送取締役も務めた。 小学校からテニスをプレーしており、1985年にはダンロップグランドマスターズで優勝を果たした。 1990年5月30日心不全のために死去。
石井 象二郎(いしい しょうじろう、1915年2月12日 -… 石井 象二郎(いしい しょうじろう、1915年2月12日 - 2004年12月10日)は、日本の昆虫学者・農学者。 大阪府大阪市出身。1937年東京高等農林学校(現東京農工大学)卒業。農林省農事試験場昆虫部、佐賀県立農事試験場を経て、1946年京都帝国大学農学部卒。1956年「アズキゾウムシの寄生選好に関する研究」により、農学博士の学位を取得。農林省農業技術研究所技官を経て、1963年京都大学農学部教授となる。1978年定年退官、名誉教授。ゴキブリの集合フェロモンを発見し、昆虫の生理生化学的研究を進めた。日本応用動物昆虫学会会長、日本昆虫学会会長を務めた。1991年『イラガのマユのなぞ わたしの研究』で日本科学読物賞受賞。
神田 貞之助(かんだ ていのすけ、1915年2月8日 - 1… 神田 貞之助(かんだ ていのすけ、1915年2月8日 - 1997年4月23日)は、日本の物理学者。神戸大学名誉教授。理学博士。大阪府大阪市出身。
岡 芳包(おか よしかね、1915年〈大正4年〉1月12日 … 岡 芳包(おか よしかね、1915年〈大正4年〉1月12日 - 1991年〈平成3年〉9月1日)は、日本の医学者。生理学者。 大阪府大阪市出身。大阪府立市岡中学校、浪速高等学校、大阪帝国大学医学部卒業。 1943年に大阪帝国大学(現大阪大学)講師、1945年に同大学助教授に就任。1945年7月、大阪大学医学博士。論文の題は「生体肝組織における酸化還元電位的場に関する研究」。 その後、1948年7月に新設の徳島医科大学(現徳島大学)初代教授に就任。1951年に新制大学の発足に伴い徳島大学教授となり、1967年に同大学医学部長に就任。 1975年より日本学術会議10・11期会員に選出、国際学術交流委員会会員・生理科学研究連絡委員会等を歴任。
室井 豊(むろい ゆたか、1915年 - 1965年10月6… 室井 豊(むろい ゆたか、1915年 - 1965年10月6日)は、大阪府出身のプロ野球選手。主なポジションは捕手。
阿部 醒石(あべ せいせき、本名:阿部 俊一(あべ しゅんい… 阿部 醒石(あべ せいせき、本名:阿部 俊一(あべ しゅんいち)、1915年 - 2011年5月18日)は、日本の書道家、合気道家。大阪府高槻市出身。合気道開祖植芝盛平の高弟で、植芝から非公式に合気道十段位を与えられた。 1934年に父親に勧められて書道を習い始め、1948年より書道教師として大阪府立北野高等学校で指導を始めた(1982年まで)。やがて書道家としての技術的・精神的な行き詰まりを感じた阿部は、二木謙三が主催する禊の練成会に参加する。この頃植芝盛平の弟子でもあった二木から合気道を勧められた。 1952年、以前から親交のあった田中万川の合気道道場で植芝と偶然出会い、直後に入門。阿部は書道と並行して合気道の修行を積む中で、書道、合気道、そして禊に共通する呼吸法に感銘を受け、やがて「気」の概念を理解するに至った。
新田 長夫(にった たけお、1914年〈大正3年〉12月9日… 新田 長夫(にった たけお、1914年〈大正3年〉12月9日 - 2005年〈平成17年〉3月5日)は、日本の実業家。ニッタ社長。大阪ゴム工業会相談役。ニッタ創業者新田長次郎の孫。ニッタ会長・新田長彦の父。 大阪府大阪市出身。新田長三の長男。1939年に大阪帝国大学工学部応用化学科を卒業、新田帯革製造所に入社した。1945年に新田ベルト、新田ゴム工業各取締役に選ばれ、ついで新田ゴム工業社長に就任。芦原自動車教習所取締役をつとめる。 住所は大阪市浪速区芦原町、堺市出島海岸通2丁目、兵庫県西宮市上甲東園1丁目・2丁目。宗教は真言宗。趣味は写真、水泳、ゴルフ。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。
滝沢 一(たきざわ おさむ、1914年11月10日 - 19… 滝沢 一(たきざわ おさむ、1914年11月10日 - 1993年7月11日)は、日本の映画評論家、ジャーナリスト、脚本家である。株式会社通信合同社代表。中川信夫との共同のペンネームは猿沢 丈介(さるさわ じょうすけ)。リアルタイムで作品を追い続けた、伊藤大輔、山中貞雄研究の第一人者である。 1914年(大正3年)、大阪市に生まれる。大阪府立市岡中学校(現・大阪府立市岡高等学校)卒業。 1933年(昭和8年)、マキノ・プロダクションの元宣伝部長・都村健らとともに、京都に合同通信社を興す。同社がのちに株式会社通信合同社となる。 1935年(昭和10年)、前年に市川右太衛門プロダクションに入社した、9歳上の友人・中川信夫と共同で脚本を執筆、『恥を知る者』『御用唄鼠小僧』を中川が監督した。
杉山 平一(すぎやま へいいち、1914年11月2日 - 2… 杉山 平一(すぎやま へいいち、1914年11月2日 - 2012年5月19日)は、日本の詩人、映画評論家、帝塚山学院大学名誉教授。 福島県生まれ。大阪府立北野中学校(旧制)、松江高等学校 (旧制)を経て、東京帝国大学文学部美学美術史学科卒業。在学中三好達治に認められ『四季 (詩雑誌)』に参加、文芸同人となる。卒業後、織田作之助らと『大阪文学』を創刊。1941年第2回中原中也賞(現在の同名の賞とは異なる)、1943年『夜学生』で文芸汎論詩集賞受賞。1987年大阪芸術賞受賞、2003年『戦後関西詩壇回想』で第5回小野十三郎賞特別賞受賞。2012年、詩集『希望』で第30回現代詩人賞を受賞。その他、兵庫県文化賞など受賞。
桂 信子(かつら のぶこ、1914年11月1日 - 2004… 桂 信子(かつら のぶこ、1914年11月1日 - 2004年12月16日)は、日本の俳人。日野草城に師事。「旗艦」「青玄」などを経て「草苑」を創刊・主宰。本名は丹羽信子(にわのぶこ)。大阪市出身。1980年代以降は箕面市の自宅で過ごした。 大阪府大阪市東区八軒家に生まれる。大阪府立大手前高等女学校卒業。1934年、日野草城の「ミヤコ・ホテル」連作に感銘を受け、翌年より句作を開始。どこにも投句しなかったが、1938年、草城主宰の「旗艦」を知り投句。1939年、桂七十七郎と結婚。1941年、「旗艦」同人。同年、夫が喘息の発作のため急逝、以後会社員として自活する。 1946年「太陽系」創刊に参加、草城主宰の「アカシヤ」同人。
西条 凡児(さいじょう ぼんじ、1914年〈大正3年〉10月… 西条 凡児(さいじょう ぼんじ、1914年〈大正3年〉10月17日 - 1993年〈平成5年〉5月31日)は、日本の漫才師、漫談師、放送タレント。本名:河内 弘明。 毒舌と鋭い社会風刺を売り物にした漫談で知られ、戦後の民間放送誕生初期に人気を博した。 大阪府大阪市生まれ。旧制浪華商業学校卒業、関西大学専門部中退。最初、五代目笑福亭松鶴に弟子入りするが芸人を志し、来阪した古川ロッパや初代大辻司郎に弟子入り志願をしたが断られ、知人の紹介で当時「漫談屋」と称していた花月亭九里丸の内弟子となる。「西条」の亭号は九里丸のペンネーム「西条ちかし」および西条八十から、「凡児」は麻生豊の漫画『只野凡児』から取ったとされる。
八田 竹男(はった たけお、1914年〈大正3年〉9月15日… 八田 竹男(はった たけお、1914年〈大正3年〉9月15日 - 1991年〈平成3年〉8月6日)は、吉本興業社長。興行師、芸能プロモーター。 大阪府の生まれ。旧制北野中学校(現大阪府立北野高等学校)、早稲田第一高等学院を経て、早稲田大学法学部中退。俳優の森繁久彌とは北野中学時代からの同級生で同い年であり、早稲田時代には一緒に演劇に熱中した。 戦前の1937年、吉本興業に入社。戦後は事業部、制作部の部長などを歴任。戦後は映画館経営に専念していた吉本興業に演芸部門を復活させ、うめだ花月、京都花月、なんば花月など演芸場を次々と開設し、今日の「笑いのヨシモト」を築き上げた。1977年には橋本鐵彦の後を継いで社長に就任。
新井 真一(あらい しんいち、1914年8月23日 - 20… 新井 真一(あらい しんいち、1914年8月23日 - 2012年1月9日)は日本の官僚、実業家。 大阪府堺市生まれ。日本万国博覧会協会の初代常任理事事務総長だったことで知られる。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
藤田 宗一(ふじた そういち、 1914年8月20日 - 1… 藤田 宗一(ふじた そういち、 1914年8月20日 - 1980年9月3日)は、大阪府大阪市出身のプロ野球選手(外野手)・コーチ・監督。
佐野川谷 安太郎(さのがわや やすたろう、1914年(大正3… 佐野川谷 安太郎(さのがわや やすたろう、1914年(大正3年)8月17日 - 2013年(平成25年)8月18日)は日本の実業家、元佐野安船渠(現・サノヤスホールディングス)社長、会長。大阪府大阪市出身。趣味は、ゴルフ。
木下 昌雄(きのした まさお、1914年 <大正3年> 7月… 木下 昌雄(きのした まさお、1914年 <大正3年> 7月3日 - 1995年 <平成7年> 7月19日)は、日本の経営者、工学博士。日立造船社長を務めた。位階は正四位。運動生理学者・木下東作の次男。兄は動物生理学者の木下治雄。妻・敦子は東京都知事・日本赤十字社社長を務めた東龍太郎の長女。 大阪府出身。1937年に東京帝国大学工学部船舶工学科を卒業。海軍造船大尉を経て、1940年に東京帝国大学工学部助教授に就任し、1946年に鉄道技術研究所での勤務を経て、1949年に日立造船に入社。1964年11月に取締役に就任し、1967年11月に常務を経て、1973年11月に副社長に就任し、1979年6月に社長に昇格。
黒澤 俊夫(くろさわ としお、1914年6月10日 - 19… 黒澤 俊夫(くろさわ としお、1914年6月10日 - 1947年6月23日)は、大阪府出身のプロ野球選手(外野手)。
村山 修一(むらやま しゅういち、1914年5月30日- 2… 村山 修一(むらやま しゅういち、1914年5月30日- 2010年4月16日)は、日本の歴史学者。文学博士(京都大学・1961年)(学位論文「日本中世都市生活の研究:特に中世京都の都市生活における社会と宗教との関係を顧慮しての」)。大阪女子大学名誉教授。皇族が歴代門主を務めた妙法院に残る膨大な文献史料類の翻刻に尽力し、『妙法院日次記』として刊行された。方広寺(京の大仏)は、江戸時代に妙法院の管理下にあったことから、それについての研究も行った。1987年勲三等旭日中綬章受章。 大阪市生まれ。1937年、京都帝国大学文学部史学科卒業。1961年、「日本中世都市生活の研究:特に中世京都の都市生活における社会と宗教との関係を顧慮しての」で京都大学より文学博士の学位を取得。
満田 久輝(みつだ ひさてる、1914年5月27日 - 20… 満田 久輝(みつだ ひさてる、1914年5月27日 - 2006年3月10日)は、日本の農芸化学者。京都大学名誉教授。農学博士。専門は栄養化学、食品工学。大阪市出身。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
松若 正次(まつわか まさじ、1914年5月15日 - 没年… 松若 正次(まつわか まさじ、1914年5月15日 - 没年不明)は、昭和時代の大相撲力士。大阪府中河内郡柏原町(現柏原市)出身。中村部屋所属。本名は門下 正次。最高位は十両7枚目。得意技は突っ張り。 中村部屋に入門し、1934年5月場所で初土俵を踏む。順調に番付を上げ、1939年5月場所に十両に昇進。この場所は3勝12敗と大きく負け越し、1場所でその座を明け渡した。その後は勝ち越すことなく1940年5月場所に26歳で廃業した。
武部 本一郎(たけべ もといちろう、1914年4月24日 -… 武部 本一郎(たけべ もといちろう、1914年4月24日 - 1980年7月17日)は、日本のイラストレーター。出版美術家連盟会員、児童出版美術家連盟会員、少年文芸作家クラブ会員。 大阪府出身。ペンネームに城青児、宇田野武、宇多野武、鈴江四郎。父は日本画家の武部白鳳。1960年代から1970年代にかけてSFアートの世界で活躍した。 甲陽中学校卒業。在学中から画学校で絵を学ぶ。第二次大戦が終わった1945年に京都府に移住し、画業を開始。行動美術展覧に入展したのを始めとして数々の賞に入選するが、1953年頃より宇田野武の名前で街頭紙芝居を手がける。翌年から少年画報社からの依頼で『少年画報』に絵物語を描き始め、集英社の『おもしろブック』でも連載を行なった。
早川 真平(はやかわ しんぺい、1914年2月11日 - 1… 早川 真平(はやかわ しんぺい、1914年2月11日 - 1984年12月28日)は、日本のバンドネオン奏者。タンゴ楽団『早川真平とオルケスタ・ティピカ東京』代表。 1914年、大阪府生まれ。大阪府立天王寺中学校(現・大阪府立天王寺高等学校)卒業。25歳のとき、渡辺はま子の伴奏楽団を編成する。 1947年に、タンゴ楽団の『オルケスタ・ティピカ東京』を結成する。1950年には、原孝太郎と東京六重奏団の歌手の藤沢嵐子が、この楽団に加わる。後に、早川真平は、自分の妻子と別れ、藤沢嵐子と再婚する。1953年、1954年、1956年、1964年に、アルゼンチン演奏旅行を実現している。このころ、早川真平が使っていたバンドネオンのボタンは、クロマティク方式で、アルゼンチンや今の日本で使われているディアトニック方式とは別と、推定されている。
浅岡 三郎(あさおか さぶろう、1914年〈大正3年〉2月8… 浅岡 三郎(あさおか さぶろう、1914年〈大正3年〉2月8日 - 没年不明)は、大阪府出身のプロ野球選手(投手、内野手、外野手)。 大阪府出身で北野中学卒業後はセミプロ(クラブチーム)の神戸ダイアモンドでプレー。1936年に東京セネタースへ誘われ入団。セネタースの先発投手として活躍し、1940年には初の二桁勝利となる14勝を挙げている。1941年には大洋軍に移籍し、この年も11勝を挙げている。1942年を最後に退団。浅岡は兼任で野手としても活躍し、425試合に出場している。浅岡によると当時のプロ野球はデーゲームのみで開催されていたため、大学の夜間部に通っていた。プロ野球退団後は応召により軍隊に入り、戦後は球界からは完全に離れた。
永野 孝(ながの たかし、1914年〈大正3年〉2月6日 -… 永野 孝(ながの たかし、1914年〈大正3年〉2月6日 - 没年不明)は、日本の保護司、福祉事業家。阪南福祉事業会理事長。岸和田市長をつとめた永野耕平の祖父。 大阪府岸和田市出身。永野勇吉の長男。1931年3月に大阪府立佐野工業学校卒業、同年4月に岸和田紡績に就職し、1933年に退社、家業の別珍加工業につく。同年に司法保護団体公道授産会を設立、非行少年の収容保護を開始、父親とともに従事する。 1938年7月に別珍加工業を廃業する。1943年、公道授産会を徴用工特別錬成道場に転換する。1945年8月、終戦により公道授産会を再発足する。1948年、児童福祉施設岸和田学園に転換する。1958年、岸和田学園理事長兼園長。
大泉 隆司(おおいずみ たかし、1914年1月8日 - 没年… 大泉 隆司(おおいずみ たかし、1914年1月8日 - 没年不明)は、昭和時代の大相撲力士。出羽海部屋→武隈部屋所属。本名は真光 弁。最高位は十両15枚目。 大阪府岸和田市出身。1932年2月、「眞光」の四股名で初土俵を踏む。元両國の武隈が部屋を出羽海部屋から独立した際に移籍した。1942年5月に十両に昇進、四股名も「大和泉」から「大泉」に改めた。この場所6勝9敗と負け越し、幕下に落ちた。1年後の1943年5月に廃業した。
岩本 博行(いわもと ひろゆき、1913年(大正2年)11月… 岩本 博行(いわもと ひろゆき、1913年(大正2年)11月4日 - 1991年(平成3年)10月29日)は、日本の建築家。竹中工務店常務。 大阪府に生まれる(出身地は岡山県勝田郡奈義町)。 1932年(昭和7年)、大阪市立都島工業学校建築科を卒業し、竹中工務店に入る。 竹中入社後に小林三造に指導を受ける。日本建築素材の色彩を用いて統一感を与えることを持論とし、職人(大工・棟梁)の伝統を受け継ぐ人物と目された。 九州支店設計部長(1959年)、大阪本店設計部長(1962年)、取締役技師長(1968年)を経て、1972年に常務取締役に就任した。 竹中工務店の創立80周年記念事業の「竹中大工道具館」創設(1984年)にも関与した。
織田 作之助(おだ さくのすけ、1913年(大正2年)10月… 織田 作之助(おだ さくのすけ、1913年(大正2年)10月26日 - 1947年(昭和22年)1月10日)は、日本の小説家。戦後、太宰治、坂口安吾、石川淳らと共に無頼派、新戯作派と呼ばれ「織田作(おださく)」の愛称で親しまれる。『夫婦善哉』で作家としての地位を確立。 1913年(大正2年)、大阪市南区生玉前町(現・天王寺区上汐4丁目、生魂小学校正門前付近)にて、仕出屋(後に『一銭天麩羅屋』に業態変更)「魚春」の織田鶴吉、たかゑの長男として生まれる。仕出屋とは言え、上汐町筋より路地を入った所謂『裏店』(うらだな)であったが、中央区上汐1丁目の一画(『近松門左衛門の墓』のすぐ東側)に当時の家並(表店と路地=長屋)が唯一残っている。
柴田 健三(しばた けんぞう、1913年10月17日 - 2… 柴田 健三(しばた けんぞう、1913年10月17日 - 2004年6月27日)は、日本の経営者。 大阪府大阪市出身。1935年に東京帝国大学工学部応用化学科を卒業し、同年に日本窒素肥料に入社した。1959年5月に取締役に就任し、1964年5月から1967年5月までに常務を務めた。 1966年5月に積水化学工業専務に就任し、1971年5月に副社長に就任し、1973年5月には社長に昇格した。1979年1月に取締役相談役に就任し、1982年6月から相談役を務めた。 1980年5月に藍綬褒章を受章し、1985年11月に勲二等瑞宝章を受章した。 2004年6月27日肺炎のために死去。90歳没。
水野 健次郎(みずの けんじろう、1913年〈大正2年〉10… 水野 健次郎(みずの けんじろう、1913年〈大正2年〉10月7日 - 1999年〈平成11年〉4月15日 )は、日本の実業家。ミズノ社長・会長を務めた。父はミズノ創業者の水野利八(次男)。長男はミズノ会長の水野正人、次男はミズノ社長の水野明人。位階は正五位。 大阪府大阪市出身。1936年に大阪帝国大学理学部化学科を卒業。大日日本電線での勤務を経て、1942年5月に美津濃取締役に就任。1947年に副社長に就任し、1969年には社長に昇格した。社長在任時には、1969年にアメリカに現地法人を設立するなど、ミズノを世界有数のスポーツ用品メーカーに育て上げた。1988年に会長に就任。 1972年から1994年までに関西経済同友会幹事を務めた。
藤本 東一良(ふじもと とういちりょう、1913年6月27日… 藤本 東一良(ふじもと とういちりょう、1913年6月27日 - 1998年9月17日)は、日本の洋画家、日本芸術院会員。リズミカルな筆触、明快な色調の風景画を得意とした。 静岡県伊豆下田生まれ。生後間もなく大阪に移住。1930年、鹿子木孟郎、赤松麟作に師事する。1931年(昭和6年)大阪天王寺中学校(現・大阪府立天王寺高等学校)卒業後、上京して川端画学校に学ぶ。1935年(昭和10年)東京美術学校入学。寺内萬治郎、藤島武二に師事。1937年(昭和12年)ポール・ゴーギャンに憧れて南洋旅行。1939年(昭和14年)光風会展で初入選、F氏賞を受賞、第3回海洋美術展でも海軍協会賞を受賞。1940年、東京美術学校を卒業、第4回海洋美術展で朝日新聞社賞を受賞。
小篠 綾子(こしの あやこ、1913年(大正2年)6月15日… 小篠 綾子(こしの あやこ、1913年(大正2年)6月15日 - 2006年(平成18年)3月26日)は、日本のファッションデザイナーである。同じくファッションデザイナーとなったコシノ三姉妹(コシノヒロコ、コシノジュンコ、コシノミチコ)の母親としても知られる。
森繁 久彌(もりしげ ひさや、1913年5月4日 - 200… 森繁 久彌(もりしげ ひさや、1913年5月4日 - 2009年11月10日)は、日本の俳優、歌手、コメディアン、元NHKアナウンサー。最終期はアクターズセブン所属。別表記に森繁久弥。
森繁 久彌(もりしげ ひさや、1913年5月4日 - 200… 森繁 久彌(もりしげ ひさや、1913年5月4日 - 2009年11月10日)は、日本の俳優、歌手、コメディアン、元NHKアナウンサー。最終期はアクターズセブン所属。別表記に森繁久弥。
岡本 良一(おかもと りょういち、1913年4月29日 - … 岡本 良一(おかもと りょういち、1913年4月29日 - 1988年8月2日)は、日本の歴史学者。 大阪府大阪市生まれ。1938年、京都帝国大学文学部史学科を卒業。 明浄高等女学校教諭を経て、1942年から大阪市に職員採用され、大阪城天守閣に配属され、大阪城主任として1968年3月に退職するまで26年間天守閣に勤務する。 退職後に、関西大学、羽衣学園短期大学の講師となる。大阪市史料調査会・理事、堺市立博物館・初代館長などを歴任する。1969年3月から研究・著作に専念する。 1988年8月2日、大阪市内の病院で肝臓癌で死去。
岡田 誠三(おかだ せいぞう、1913年3月8日 - 199… 岡田 誠三(おかだ せいぞう、1913年3月8日 - 1994年6月21日) は、日本の小説家である。 大阪府大阪市出身。大阪府立生野中学校(現大阪府立生野高等学校)、大阪外国語学校(現大阪大学外国語学部)を経て、朝日新聞社に入社。記者として南方戦線に従軍した経験を基に、短編小説『ニューギニア山岳戦』を著し、1944年上半期の第19回直木賞を受賞した。その後も朝日新聞学芸部記者として映画評などの記事を書き続け、定年退職後に創作活動を本格的に開始。サラリーマンの老後を描いた『定年後』はベストセラーになり、テレビドラマ化された。ほかに『定年後以後』、大塩平八郎の乱をモチーフにした『雪華の乱』などの作品がある。