松井 稼頭央(まつい かずお、本名:松井 和夫〈読み同じ〉、… 松井 稼頭央(まつい かずお、本名:松井 和夫〈読み同じ〉、1975年10月23日 - )は、大阪府東大阪市出身の元プロ野球選手(内野手・外野手、右投両打)、野球解説者・野球評論家。 現役引退後は、2019年シーズンから埼玉西武ライオンズの二軍監督、一軍ヘッドコーチを歴任し、2023年シーズンから2024年シーズン途中まで一軍監督を務めた。現役時代も同球団で活躍し「(二代目)ミスターレオ」と呼ばれた。シーズン長打NPB記録保持者。日本人初の内野手メジャーリーガー。 妻はタレントの松井美緒。 幼稚園時代から野球漬けの毎日を送っていたが、それまでは規定がありチームに入れなかったものの、小学校3年生時に近所の上級生に誘われて若江ジャイアンツに入団。
桑田 真澄(くわた ますみ、1968年4月1日 - )は、大… 桑田 真澄(くわた ますみ、1968年4月1日 - )は、大阪府八尾市出身の元プロ野球選手(投手)、野球解説者・野球評論家、コーチ。 PL学園高校時代は清原和博との「KKコンビ」でチームを牽引し、1年生だった1983年の夏の甲子園、3年生だった1985年の夏の甲子園でそれぞれ優勝に貢献、甲子園通算20勝の戦後最多記録を保持する。1985年のプロ野球ドラフト会議でNPBの読売ジャイアンツ(巨人)から1位指名を受けて入団すると、1980年代末期から2000年代にかけてエース級の先発投手として活躍、通算442試合に登板して173勝141敗14セーブ、防御率3.55、1980奪三振を記録し、巨人の7度のセントラル・リーグ優勝、4度の日本シリーズ優勝に貢献した。
清原 和博(きよはら かずひろ、1967年8月18日 - )… 清原 和博(きよはら かずひろ、1967年8月18日 - )は、大阪府岸和田市出身の元プロ野球選手(内野手、右投右打)、野球評論家、タレント、YouTuber。愛称は「お祭り男」「(球界の)番長」。元妻はタレントの亜希。亜希との間の長男は清原正吾、次男は清原勝児。 PL学園高校時代は桑田真澄とともに投打の要として活躍、「KKコンビ」と呼ばれ、高校通算64本塁打を記録。1年生だった1983年の夏の甲子園、3年生だった1985年の夏の甲子園でそれぞれ優勝を経験した。高校野球の甲子園大会で記録した通算13本塁打は歴代最多記録である(春に4本、夏に9本)。 1985年のプロ野球ドラフト会議で西武ライオンズから1位指名を受けて入団、NPBでは1986年から2008年までの23年間にわたって西武、読売ジャイアンツ(巨人)、オリックス・バファローズの3球団でプレーし、通算2122安打、NPB歴代5位の525本塁打、同6位の1530打点を記録した。
水谷 真人(みずたに まさと、1967年8月12日 - )は… 水谷 真人(みずたに まさと、1967年8月12日 - )は、大阪市出身の文芸批評家。 東京大学理学部物理学科卒業、大阪大学大学院言語文化研究科修士課程修了。1999年、「批評と文芸批評と」が第42回群像新人文学賞評論部門の優秀作に選ばれる。理論的な批評に現代性が加わり、一部に根強い読者を持っている。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
西山 秀二(にしやま しゅうじ、1967年7月7日 - )は… 西山 秀二(にしやま しゅうじ、1967年7月7日 - )は、大阪府八尾市出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ、解説者・評論家。
土居豊(どい ゆたか、1967年3月16日 - )は、日本の… 土居豊(どい ゆたか、1967年3月16日 - )は、日本の文芸評論家、作家。「文芸レクチャラー」という肩書きも用いる。 大阪府生まれ。大阪芸術大学文芸学科卒。2000年村上春樹論の連載で関西文学選奨奨励賞受賞。2005年音楽小説『トリオ・ソナタ』を刊行し、小説家デビュー。園田学園女子大学などで講師を務める。村上春樹、司馬遼太郎から谷川流まで、現代の阪神間文学を幅広く評論対象とする。
岡本 英敏(おかもと ひでとし、1967年 - )は、日本の… 岡本 英敏(おかもと ひでとし、1967年 - )は、日本の文芸評論家。大阪府箕面市生まれ。大阪府立四条畷高等学校卒業。1990年慶應義塾大学文学部史学科西洋史学専攻卒業。1993年同大学院文学研究科修士課程修了、慶應義塾高等学校教諭。2002年慶應義塾湘南藤沢中等部・高等部教諭。 2010年「モダニストの矜恃 勝本清一郎論」で第17回三田文学新人賞評論部門受賞。
スージー鈴木(スージーすずき、Suzie Suzuki、19… スージー鈴木(スージーすずき、Suzie Suzuki、1966年11月26日 - )は、日本の音楽評論家、小説家、野球評論家(野球音楽評論家・野球文化評論家)、ラジオパーソナリティ、大学講師。 本名:鈴木 朗(すずき あきら)。大阪府東大阪市出身。 大阪府立清水谷高等学校卒業後、早稲田大学政治経済学部に進学。1988年、大学生時代にFM東京『東京ラジカルミステリーナイト』の「AUプロジェクト」に参加し、「スージー鈴木」の名でラジオデビューした。同大学卒業後、1990年博報堂入社。自動車・飲料・通信・トイレタリーなどのマーケティング分野で働き、2013年ACC CM FESTIVAL マーケティングエフェクティブネス部門グランプリ(ダイハツ・ムーヴ)を受賞した。
福井 栄一(ふくいえいいち、1966年11月3日- )は、上… 福井 栄一(ふくいえいいち、1966年11月3日- )は、上方文化評論家。 四條畷学園大学看護学部客員教授。関西大学社会学部非常勤講師。京都ノートルダム女子大学国際言語文化学部非常勤講師。認定NPO法人岸和田健老大学客員教授。法清寺「かしく祭」世話人。大阪府文化財愛護推進委員。 上方の芸能や歴史文化に関する講演、評論を行う。 朝日関西スクエア会員。剣道二段。 大阪府吹田市生まれ。箕面桜ヶ丘幼稚園卒。箕面市立箕面小学校卒。箕面市立第一中学校卒。大阪府立北野高等学校卒。中学校・高校時代は剣道部の部長を務めた。 京都大学法学部卒。京都大学大学院法学研究科修士課程修了。法学修士。学部時代の指導教官は村松岐夫教授(行政学)、大学院時代は大嶽秀夫教授(政治過程論)だった。
小森 健太朗(こもり けんたろう、1965年 - )は、日本… 小森 健太朗(こもり けんたろう、1965年 - )は、日本の小説家、推理作家、評論家、翻訳家。近畿大学文芸学部教授。 大阪府生まれ。大阪府立北野高等学校、東京大学文学部哲学科出身。 1982年、『ローウェル城の密室』が高沢則子名義で、史上最年少の16歳で第28回江戸川乱歩賞の最終候補作となり話題を集める。 1986年よりコミケットに参加。幻想・推理文学サークル「それぞれの季節」を主宰する。 1989年、東京大学文学部哲学科を卒業。 1994年、「コミケ殺人事件」で本格的にミステリ作家としてデビュー。 1997年、東京大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。2008年、近畿大学文芸学部文学科 講師着任。
深瀬 鋭一郎(ふかせ えいいちろう、1963年9月4日 - … 深瀬 鋭一郎(ふかせ えいいちろう、1963年9月4日 - )は、日本の美術評論家。深瀬記念視覚芸術保存基金代表。 大阪府吹田市生まれ。深瀬鋭次郎は父。
マグナム 北斗(マグナム ほくと、本名:平地 宏二、1963… マグナム 北斗(マグナム ほくと、本名:平地 宏二、1963年3月23日 - )は、日本のタレント、作家、実業家、スポーツ評論家。元AV男優。血液型A型。愛称はマグやん。 広島県三原市で生まれ、その後兵庫県加古川市等を転々として神戸市に移住。現在は大阪市西区のマンションに暮らす。中学校卒業後は単に受かったから、金を貰えるからという理由だけで1978年に航空自衛隊入隊。1980年に除隊後、バーテン、ラーメン屋、板前、パンクバンドのボーカル、DJ、などを転々とした。1985年、22歳の頃にバンドのスタジオ代欲しさにアダルトビデオに出演したのがアダルトビデオ業界に入るきっかけとなった。 自慢の巨根(約25cm)を武器に、人気AV男優として5年間でのべ500本以上の作品に出演しアダルトビデオ業界に悪名をとどろかせる。
木戸 克彦(きど かつひこ、1961年2月1日 - )は、大… 木戸 克彦(きど かつひこ、1961年2月1日 - )は、大阪府堺市西区出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ・監督、解説者・評論家。2024年から阪神タイガース Womenの監督を務める。TW統括とプロスカウトを兼務。 堺リトルリーグ出身。小学6年時には堺市の小学6年生が集まって毎年行われている連合運動会でソフトボール投げに出場し、当時の最高記録を樹立。長らくその記録は破られなかった。その後破られ、今の最高記録は木戸ではない。『週刊ベースボール』の江夏豊の連載によれば、堺市立浜寺中学校出身の阿野鉱二・和田徹・木戸の元プロ野球選手3人を「浜寺の3選手」と呼び、野球界では有名な呼び名だと書いている。
上田 高弘(うえだ たかひろ、1961年 - )は、日本の美… 上田 高弘(うえだ たかひろ、1961年 - )は、日本の美術評論家、立命館大学教授。専門はモダニズム美術。 大阪市出身。東京造形大学造形学部中退、東京芸術大学美術学部卒、同大学院博士後期課程満期退学。代々木ゼミナール講師、東北芸術工科大学芸術学部助教授、立命館大学文学部教授。 当初は画家志望だったが、藤枝晃雄の影響で美術批評の道に進む。 立命館大学の指導学生に千早茜がいる。
小林 裕彦(こばやし やすひこ、1960年 - )は、日本の… 小林 裕彦(こばやし やすひこ、1960年 - )は、日本の弁護士、ローカルタレント、温泉評論家である。岡山大学法務研究科の非常勤講師で、小林裕彦法律事務所の代表を務める。 1960年に大阪府大阪市で生まれる。 1984年に一橋大学法学部を卒業し、労働省に入省。1989年に司法試験に合格し、1992年に岡山弁護士会に登録する(第44期)。 2005年、岡山弁護士会の副会長を1年間務める。 2015年に岡山大学法務研究科の非常勤講師となる。2024年11月現在も現職。 2019年、岡山弁護士会の会長を1年間務める。 大阪市生まれ。岡山県岡山市北区に、自身の名を冠した小林裕彦法律事務所を構える。 秘湯巡りが趣味。
坂上 賢治 (さかうえ けんじ、1959年11月7日-) は… 坂上 賢治 (さかうえ けんじ、1959年11月7日-) は、大阪府出身の自動車評論家。 国内に於いて、繊維製品の一大産地である熊取町に生まれたことから、幼少期より化学・機械工学が身近にある生活を送る。大阪府立佐野工科高等学校から京都造形芸術大学を経て、1980年代は、京都を拠点に鈴鹿選手権等、関西圏の2輪ロードレースに出走する傍ら、生来の周辺環境から造詣が深い工業デザインに加え、グラフィックデザイナーとして活躍した。 1990年から、日刊自動車新聞社の取材記者を振り出しに、モータージャーナリズムの世界に進出した。同紙では特集紙面の編集主宰を主に、材料技術・デザイン・設計・生産・販売・整備・交通・モータースポーツと、幅広い領域での執筆活動を行う。
藤木 美奈子(ふじき みなこ、1959年 - )は、日本の評… 藤木 美奈子(ふじき みなこ、1959年 - )は、日本の評論家、作家、学者。 大阪市生まれ。実父は在日コリアン。貧困シングルマザーの子供として育ち、児童虐待やパートナーからのドメスティックバイオレンス(DV)を経験する。女子刑務所刑務官、会社経営を経て、1995年、雇用されずに働く女性の社会的自立を支援する「WANA関西」を設立。1999年、第14回統一地方選挙の大阪府知事選挙に出馬して落選。 大阪市立大学大学院修士課程修了、2008年同博士課程修了、「ホームレス支援におけるエンパワメントについての検討 更生施設入所者を対象としたSSTプログラムの実践を通して」で博士(創造都市)、龍谷大学准教授。
白石 真澄(しらいし ますみ、女性、1958年11月6日 -… 白石 真澄(しらいし ますみ、女性、1958年11月6日 - )は、日本の評論家である。関西大学名誉教授。内閣府規制改革会議福祉・保育・介護タスクフォース主査を務めた。 大阪府生まれ。1977年、大阪府立千里高等学校を卒業後、同志社女子大学家政学部に入学するも、1978年に同退学。1980年に関西大学工学部入学し、1984年に同卒業。1986年、関西大学大学院工学研究科修士課程修了。 政府各種委員会委員、コメンテーターとしてテレビ出演多数、子育てや共働き生活、女性の育児と仕事に関する著作がある。 一方、子育てと共働きについて、自身は家事のほとんどを同居の母親に任せ、急用時の保育所への迎えも近所の魚屋に頼んだという。
麻生 香太郎(あそう こうたろう、1952年10月7日 - … 麻生 香太郎(あそう こうたろう、1952年10月7日 - 2018年3月6日)は、日本の作詞家・音楽評論家・エンターテインメント評論家。大阪府大阪市曾根崎生まれ、兵庫県出身。 甲陽学院中学校・高等学校、東京大学文学部卒業。 東大を卒業しながらサラリーマンになるのが嫌な「就職試験逃避型」の人間で、作詞家になった。 1980年代半ばよりエンタテインメント・ジャーナリストに転身し、『1992年から1995年には週刊朝日でコラム「麻生香太郎の芸能みなと町」を連載し、日経エンタテインメント!』スーパーバイザーを務めていた。 『TVステーション』でも連載を務め、麻生もSEYMOURのペンネームでTM NETWORKや中森明菜に作詞を提供。
高取 英(たかとり えい、1952年1月17日 - 2018… 高取 英(たかとり えい、1952年1月17日 - 2018年11月26日、本名:非公開)は、日本の劇作家、演出家、マンガ評論家、編集者。男性。月蝕歌劇団代表。京都精華大学マンガ学部マンガプロデュースコース学科教授、大正大学表現学部客員教授を務めた。 大阪府堺市出身。大阪府立岸和田高等学校、大阪市立大学商学部卒業。 大阪市立大学の学生時代に白夜劇場を結成し、1974年に「白夜月蝕の少女航海紀」を作・演出。これが演劇のデビューとなる。 大学卒業後、寺山修司の取材・出版スタッフとなる一方、エロ劇画誌『漫画エロジェニカ』三代目編集長となり、『劇画アリス』編集長の亀和田武らと三流劇画ブームを起こす。『漫画エロジェニカ』は、最高12万部弱を売り上げた。
中山 康樹(なかやま やすき、1952年 - 2015年1月… 中山 康樹(なかやま やすき、1952年 - 2015年1月28日)は、日本の音楽評論家。
保志 学(ほし まなぶ、1951年8月27日 - )は、日本… 保志 学(ほし まなぶ、1951年8月27日 - )は、日本の放送作家、構成作家、演芸評論家。大阪市出身。本名は高木敬二。 1970年(昭和45年)大阪市立高校卒業。在校中に落語研究会を創設。竹々亭松梅を名乗る。後に、古典落語鑑賞会の解説者として関西の中学・高校60校を巡る。天満天神繁昌亭の募金呼びかけ人の1人。彦八まつりの企画を第一回から手がける。扇納祭は保志の企画。 1974年(昭和49年)桃山学院大学社会学部卒業。すぐに上新電機(株)に社内報編集担当として勤務。併せて社員会事務局を担当しながら社内報編集。社員会が母体になり労働組合を結成、専従に就く。学生時代から、作家・池上義一氏の主宰する文芸同人誌「わが仲間」に所属、文学修業に励む。
寺本 光照(てらもと みつてる、1950年1月22日-)は、… 寺本 光照(てらもと みつてる、1950年1月22日-)は、日本の鉄道研究家、鉄道写真家、鉄道作家、鉄道評論家、元公立小学校教諭(地方公務員)、鉄道友の会会員、鉄道運輸史研究会会員。 大阪府八尾市出身。柏原市在住。 幼き頃より鉄道に興味を示し、義務教育在籍中から鉄道写真を撮影するようになり、また並行して鉄道雑誌に投稿したり、鉄道の歴史を研究する活動を行っていた。趣味活動対象は主に日本国有鉄道(国鉄、なかでも旧大阪鉄道管理局や天王寺鉄道管理局管内を中心とした関西地区関連)・JRグループ(特に地元のアーバンネットワーク関連)であるが、近畿日本鉄道(近鉄)や京阪電気鉄道(京阪)や南海電気鉄道(南海)などの大手私鉄関連も行っている。
高野 恭壽(たかの やすひさ、1949年9月24日 - )は… 高野 恭壽(たかの やすひさ、1949年9月24日 - )は、大阪府守口市出身の日本の株式評論家、評論家、株式評論家、経済評論家。株式市場新聞社大阪支社長、株式新聞社大阪支社長を経て有限会社ティエムエスを設立。代表取締役。国際綜合研究所特別顧問。 株式市場新聞時代から40年以上、欠かさず日経新聞の記事を業種別にスクラップしており、世界経済を俯瞰して為替や原油価格を含めた外的要因を把握した上で企業の業績を加味して多様な角度から銘柄を選定している。さらに、同じく毎日主要銘柄のチャートを手書きで200銘柄以上書いており、その日々の積み重ねがあるからこそ日本経済全体の流れおよびその時々に主役として日経平均を押し上げていく業種および銘柄がわかり、暴落暴騰のきっかけが判断できる。
吉見 佑子(よしみ ゆうこ、本名:吉見裕子、1948年3月2… 吉見 佑子(よしみ ゆうこ、本名:吉見裕子、1948年3月22日 - )は音楽評論家・作詞家・歌手・声優。大阪府豊中市出身。 親も親戚も杵屋だらけの、いわゆる三味線一家の一人っ子として育ったが、周囲の期待に反して三味線や家元制度に興味を持たない青春時代を送る。 高校在学中に渡辺プロダクションのオーディションを受ける。最終オーディションで落選するが、審査員の宮川泰の紹介でジャズ・ボーカルのレッスンに半年間京都まで通い、コマーシャルソングの仕事に関わる。 その後、NHK大阪放送局付属演劇研究所に入所。修了後は、グループ・サウンズやフォークのコンサートの司会やラジオ番組のアシスタントの仕事を始め、関西圏限定でDJの仕事を増やしていく。
竹田 青嗣(たけだ せいじ、1947年〈昭和22年〉10月2… 竹田 青嗣(たけだ せいじ、1947年〈昭和22年〉10月29日 - )は、日本の哲学者・文芸評論家・音楽評論家。早稲田大学名誉教授。元早稲田大学国際教養学部教授。大学院大学至善館教授。在日韓国人二世。 『〈在日〉という根拠』(1983年)で登場し、フッサールの現象学に影響を受けて独自の現象学を構築。人間論を中心に幅広く批評を展開する。著書に『自分を知るための哲学入門』(1990年)、『近代哲学再考』(2004年)など。 通常用いている韓国名は、姜修次(カン・スチャ、강수차)。戸籍名は、姜正秀(カン・ジョンス、강정수)。「竹田青嗣」は、太宰治の小説「竹青」から付けた筆名であり、日本名ではない。 大阪府出身。
田原 八郎(たはら はちろう、1947年 - )は、日本の哲… 田原 八郎(たはら はちろう、1947年 - )は、日本の哲学者・評論家、民俗学者。 大阪府大阪市に生まれる。大阪府立大手前高等学校を経て、東京大学文学部哲学科を卒業した。引き続き同大学大学院に進み、比較文学比較文化専攻を博士課程満期退学した。 大谷女子大学専任講師、富山国際大学助教授を経て、教授となる。 また、京都大学体育会ボクシング部監督、日本アマチュアボクシング連盟理事を務めた。 はじめヘーゲル哲学を研究していたが、次第に関心をボクシングから日本史、心性史などに移行させ、多くの著作がある。 日本民俗を「神事・農耕・渡世」の三つに分け取り分け「渡世」の民俗を研究の中心にしている。 相撲・歌舞伎・花柳・侠客・博徒・渡り鳥・魚屋・人斬り・医師などの渡世集団の存在を挙げ、新選組も「人斬り」の「剣戟戦闘渡世集団」と位置付けている。
平尾 隆弘(ひらお たかひろ、1946年10月3日 - )は… 平尾 隆弘(ひらお たかひろ、1946年10月3日 - )は、日本の女性雑誌・週刊誌・文芸雑誌等の発掘編集者(acquisitions editor)にして記者、また文芸評論家。クレア編集長、週刊文春編集長、文藝春秋編集長、株式会社文藝春秋社長・日本文学振興会理事長を歴任。 大阪に生まれる。小学校時代はNHK児童劇団に所属し実家は吹田市にあった。小学校時代から新聞を作り、大阪府立茨木高等学校では卓球部に所属する傍ら、同人雑誌を作った。1965年、茨木高等学校を卒業。神戸市外国語大学に入学し、英米語学科を1970年に卒業した。 神戸市外国語大学への進学理由は、一浪後に第一志望の京都大学受験に失敗し、国公立二期校から受験先を選ぶ際に大阪外国語大学は勉強していない地理が必修だったことと、大阪大学と神戸市外国語大学に合格した友人の姉が神戸市外国語大学に進学していたことによる。
山本 健治(やまもと けんじ、1943年12月12日 - )… 山本 健治(やまもと けんじ、1943年12月12日 - )は、フリーライター、評論家、政治家。愛称はヤマケン。 地方議員時代には、高槻市議会議員を2期、大阪府議会議員を1期務めた。 大阪府守口市出身。吉本新喜劇所属の池乃めだかとは小学校時代の同級生である。1962年3月大阪府立清水谷高等学校を卒業し、同年4月立命館大学に入学する。大学時代には自治会委員長を務めていた。1966年4月、大阪読売広告社(読売新聞大阪本社の関連会社であり、読売広告社との関係はない)に入社。その後、村田製作所に勤務を経て1975年4月、大阪府高槻市議会議員に当選し、二期務める。1983年4月の統一地方選にて大阪府議会議員に当選し、一期務めた。
土井 正博(どい まさひろ、1943年12月8日 - )は、… 土井 正博(どい まさひろ、1943年12月8日 - )は、大阪府柏原市出身の元プロ野球選手(外野手、一塁手)、野球指導者、野球解説者、野球評論家。
古川 嘉一郎(ふるかわ かいちろう、1942年〈昭和17年〉… 古川 嘉一郎(ふるかわ かいちろう、1942年〈昭和17年〉10月15日 - 2025年〈令和7年〉11月29日)は、日本のフリーライター、放送作家、演芸評論家。 大阪市出身。立命館大学文学部卒業。広告制作スタジオ勤務、コピーライターを経て、藤本義一に師事。テレビ・ラジオ番組の企画・構成に携わる。1985年「秋田實賞」受賞。手がけた番組には『9年9組つるべ学級』『浪速なんでも三枝と枝雀』『晴れ時々たかじん』『たかじんnoばぁ~』など。雑誌『上方芸能』編集委員、『上方漫才大賞』、『日本放送演芸大賞』の選考審査員、藤本が総長の心斎橋大学の講師なども務めた。 娘に古川真穂(元4D-JAM)がいる。 2025年11月29日死去。
川村 輝夫(かわむら てるお、1942年〈昭和17年〉- )… 川村 輝夫(かわむら てるお、1942年〈昭和17年〉- )は、音楽評論家。元・KBS京都ディレクター、テレビ制作局長、ラジオ制作局長。 関西フォークの黎明期の1960年代から1970年代、音楽番組を担当し高石ともや、ザ・フォーク・クルセイダーズらをバックアップしたことから映画『パッチギ!』で大友康平が演じる京都の放送局のディレクター役のモデルとされる。フォークソングはもちろん、カントリー・ミュージック、ブルーグラスやジャズ、クラシック、映画音楽、蓄音機などにも詳しい。 大阪府池田市生まれ、関西学院大学文学部美学科卒業。在学中グリークラブ指揮者として活躍する。3年連続日本一の後、招待演奏の指揮を務める。
川西 政明(かわにし まさあき、1941年8月5日 - 20… 川西 政明(かわにし まさあき、1941年8月5日 - 2016年8月26日)は、日本の文芸評論家。日本文芸家協会、日中文化交流協会会員。 大阪府大阪市生まれ。広島県尾道市出身。 1965年、中央大学商学部卒業後、河出書房新社へ入社し、文芸編集者生活時代には『高橋和巳作品集』、『埴谷雄高作品集』などを編集、渡辺淳一の担当だった。 1972年に退社後、文芸評論活動に専念。戦後派文学や新日本文学会で活動した作家に関する論考が多い。 1997年『わが幻の国』で第25回平林たい子文学賞受賞。 2006年に『武田泰淳伝』で第17回伊藤整文学賞(評論部門)を受賞。
坂口 正大(さかぐち まさひろ、1941年2月19日 - )… 坂口 正大(さかぐち まさひろ、1941年2月19日 - )は日本中央競馬会栗東トレーニングセンターに所属していた元調教師で現在は競馬評論家である。 同志社香里中学校・高等学校、同志社大学卒業。父の坂口正二も元調教師でハマノパレード等を管理した。長男の坂口貴大は調教助手。元調教師の坂口正則は従兄弟に当たる。 1965年にアメリカのカリフォルニア競馬・グリーンステッド厩舎でエキササイズボーイ(調教助手)となった後、1966年に父の坂口正二厩舎で調教助手となる。1974年に調教師免許を取得し、1976年に厩舎を開業。初出走は同年3月7日、阪神競馬第10競走のレイクルーラーで落馬・競走中止という珍しい記録である。
一枝 修平(いちえだ しゅうへい、1940年7月24日 - … 一枝 修平(いちえだ しゅうへい、1940年7月24日 - )は、大阪府大阪市天王寺区出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ、解説者・評論家。
出谷 啓(でたに けい、1940年〈昭和15年〉6月14日 … 出谷 啓(でたに けい、1940年〈昭和15年〉6月14日 - )は、日本の音楽評論家。 大阪府豊中市出身。関西大学文学部独文科卒。 高校生から大学生の頃に、東映京都撮影所で時代劇のサウンドトラックの写譜のアルバイトに従事する。関西大学文学部独文学科を卒業後、1964年に京都の楽器・レコード店の十字屋(現JEUGIA)に入社する。1971年に退社、独立しフリーの音楽評論家となる。 当時きわめて人気の高かった晩年のカール・ベームの演奏を、リズムの硬直した凡演と酷評した。晩年のベームを神格化するような音楽愛好家全体の雰囲気からすれば傍若無人ともいえる批評活動を行ったが、今日のベームの評価からすれば、そのスタンスはあながち的外れではなかった。
藤井 栄治(ふじい えいじ、1940年2月1日 - )は、大… 藤井 栄治(ふじい えいじ、1940年2月1日 - )は、大阪府堺市出身の元プロ野球選手(外野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。
森 祇晶(もり まさあき、本名・旧登録名:森 昌彦〈もり ま… 森 祇晶(もり まさあき、本名・旧登録名:森 昌彦〈もり まさひこ〉、1937年〈昭和12年〉1月9日 - )は、大阪府豊中市生まれ、岐阜県岐阜市出身の元プロ野球選手(捕手、右投左打)・コーチ・監督、解説者・評論家。 読売ジャイアンツ(巨人)のV9時代に正捕手を担い、「V9の頭脳」の異名を取った。また引退後、西武ライオンズ監督時代に在任9年間でチームを8度のリーグ優勝、6度の日本一に導き、西武黄金時代を築いた。 兄の森和彦も元プロ野球選手(外野手)。 岐阜市立長森中学校出身。野球は中学生から始め、当初は内野手であったが2年時に捕手に転向。岐阜県下随一の進学校・岐阜高校では伊藤利夫監督の指導で開花し、3年次の1954年に夏の甲子園に強打の捕手兼主将として出場したが、1回戦で泉陽高に完封負けを喫する。
ひろさちや(本名:増原 良彦(ますはら よしひこ)、1936… ひろさちや(本名:増原 良彦(ますはら よしひこ)、1936年〈昭和11年〉7月27日 - 2022年〈令和4年〉4月7日)は、日本の宗教評論家。仏教思想家。 自称「仏教原理主義者」。多数の一般向けの解説書を執筆。 大阪府大阪市に生まれ、大阪府立北野高等学校を経て、東京大学で印度哲学、仏教学を学び、気象大学校で20年間教鞭を執る。教員生活の傍ら、「ひろさちや」のペンネームで平易な言葉で多数の入門書を執筆し、一般の人々に仏教を身近な物として再認識させた。自身は浄土宗の信者だった。
富岡 多惠子(とみおか たえこ、1935年〈昭和10年〉7月… 富岡 多惠子(とみおか たえこ、1935年〈昭和10年〉7月28日 - 2023年〈令和5年〉4月8日)は、日本の詩人・小説家・文芸評論家。日本芸術院会員。上方お笑い大賞選考委員。静岡県伊東市在住。本名は菅多 恵子、夫は現代美術家の菅木志雄。 1935年(昭和10年)大阪府大阪市出身。大阪府立桜塚高等学校、大阪女子大学文学部英文科卒業。 池田満寿夫と同棲していたことがあり、当初は詩人として出発。卒業後は高校教師を務めたが、上京して多くの詩集を出し、『物語の明くる日』(1961年)以降は小説に転じた。多数の詩・小説・評論・エッセイがある。また映画のシナリオも書いている。 1969年6月、菅木志雄と結婚。
堺屋 太一(さかいや たいち、1935年7月13日 - 20… 堺屋 太一(さかいや たいち、1935年7月13日 - 2019年2月8日)は、日本の政治家、通産官僚、小説家、評論家。位階は従三位。勲等は旭日大綬章。 経済企画庁長官(第55・56・57代)、内閣特別顧問、内閣官房参与などを歴任した。また、株式会社堺屋太一事務所および株式会社堺屋太一研究所の代表取締役社長であり、様々な博覧会のプロデューサーとしても活動していた。 本名は池口 小太郎(いけぐち こたろう)であり、ペンネームの由来は、先祖の商人が安土桃山時代に堺から谷町に移住した際の名前である「堺屋太一」から採ったものである(堺屋は屋号にあたる)。 谷町に近い大阪市東区岡山町(現:中央区玉造)生まれ。
田川 律(たがわ ただす、1935年3月15日 - 2023… 田川 律(たがわ ただす、1935年3月15日 - 2023年1月28日)は、日本の音楽評論家、舞台監督、歌手、料理研究家、翻訳家、ミステリ評論家。 1935年、大阪市生まれ。本名、永島律〈ながしま・ただす〉。1960年、大阪大学文学部国史学科卒業。 関西フォークの全盛期に、鑑賞団体「大阪労音」事務局に勤務。大阪労音事務局時代に、助言者的な立場で関わっていた音楽評論家の中村とうよう、飯塚晃東と知り合う。 1968年、東京に移る。 1969年4月に飯塚晃東、小倉エージらとともに、中村とうようを編集長とする雑誌「ニューミュージック・マガジン(現ミュージック・マガジン)」創刊に参加。 1970年、フリーとなり、音楽評論、舞台監督、レコーディングディレクターなど様々な音楽関連の仕事を体験。
堀本 律雄(ほりもと りつお、1935年1月20日 - 20… 堀本 律雄(ほりもと りつお、1935年1月20日 - 2012年1月14日)は、大阪府大阪市出身のプロ野球選手(投手)、コーチ、解説者・評論家。 桃山学院高校では3年次の1952年、夏の大阪府大会で準決勝に進出するが、明星高に敗退。高校卒業後は1953年に立教大学へ入学するが、同期のエース東実や1年下の杉浦忠の陰に隠れ、あまり活躍の機会はなかった。専ら他校のエースを真似た練習台の投手であった。他の大学同期に矢頭高雄がおり、一年下に長嶋茂雄がいた。大学卒業後は1957年に日通浦和へ入社し、同年の都市対抗では3勝を挙げて決勝に進出。熊谷組の島津四郎と投げ合うも完封を喫するが、この大会の久慈賞を獲得。
奥田 継夫(おくだ つぐお、1934年〈昭和9年〉10月28… 奥田 継夫(おくだ つぐお、1934年〈昭和9年〉10月28日 - )は、日本の児童文学作家・評論家・翻訳家。 大阪府出身。大阪府立住吉中学校(旧制)進学、同級生には眉村卓がいた。卒業後、同志社大学文学部国文科に進学。在学中に乙骨淑子、柴田道子、山下明生、掛川恭子らと同人誌「こだま」に参加、卒業後に創作活動に専念する。 1968年、自らの太平洋戦争中の集団疎開の体験をもとに書いた処女作『ボクちゃんの戦場』(理論社)にてデビューした。この作品は1985年大澤豊の監督、前田吟や藤田弓子ら出演で映画化された。 1988年『この心さわぐ冒険、愛』(ほるぷ出版)が第35回産経児童出版文化賞の「推薦」に選ばれた。
須藤 久(すどう ひさし、1933年10月18日 - 201… 須藤 久(すどう ひさし、1933年10月18日 - 2017年1月2日)は、日本の映画監督、脚本家、映画評論家、思想評論家。 ドキュメンタリー映画や思想や生き方についての評論集の著作を数多く輩出している。 大阪府生まれ、幼少期に山口県下関市に移住、戦時中に川棚温泉に疎開後、再び下関市に戻り旧制豊浦中学に入学、学校制度の変更後山口県立豊浦高等学校在学中、新聞部に所属、山口県秋吉台でおこなわれた1泊2日の反戦・平和キャンプ集会に参加、県警警備部刑事の撮影した写真によって参加が学校に明るみに出て、反省文を提出すれば無期停学にするという学校の処分を、何もやましい事がないのに反省文は出せないと拒否し、強制退学となる。
久保田 カヨ子(くぼた かよこ、1932年6月25日 - 2… 久保田 カヨ子(くぼた かよこ、1932年6月25日 - 2019年8月27日)は、日本の教育評論家。 大阪府出身。大阪市立東高等学校を卒業。1955年に久保田競と結婚。その後2児の母になり『0歳からの育児法』という教育法も実施し夫の脳科学理論に基づいた本を出版。エチカの鏡〜ココロにキクTV〜に出演。久保田式育児法「AKANON教室」プログラム監修、その他、久保田乳幼児教室「くぼたのうけん」を主宰。 2019年8月27日、呼吸不全により87歳で死去。
矢野 絢也(やの じゅんや、1932年〈昭和7年〉4月27日… 矢野 絢也(やの じゅんや、1932年〈昭和7年〉4月27日 - )は、日本の政治家、政治評論家。 衆議院議員(9期)、公明党委員長(第4代)、大阪府議会議員(1期)などを歴任した。位階勲章は旭日大綬章。 のちに、創価学会を脱会した。 詳細は「創価学会#創価学会に対する批判」を参照。 大阪府八尾市出身。大阪府立山本高等学校卒業。1953年(昭和28年)、創価学会に入会。当時は京都大学経済学部3回生だった。1955年(昭和30年)3月、同大学卒業。同年4月、大林組に就職。 1963年(昭和38年)の大阪府議会議員選挙に大阪市生野区選挙区から立候補し初当選。 1967年(昭和42年)1月29日に行われた第31回衆議院議員総選挙に旧大阪4区から公明党公認で立候補し、トップで初当選を果たした。
高橋 敷(たかはし おさむ、1929年12月11日-2015… 高橋 敷(たかはし おさむ、1929年12月11日-2015年7月6日)は、宇宙物理学者、教育評論家。 大阪府堺市出身。松山高等学校(旧制)卒、京都大学理学部卒、1959年同大学院宇宙物理学博士課程満期退学、小・中・高校教師ののち、宇宙学者・教育研究者として南米、ヨーロッパに招かれ、八年間を過ごす。ペルー中部大学教授(教育学)、ベネズエラ東部大学教授(理学部)を務め、その体験に基づいた『みにくい日本人』がベストセラーとなる。のち大阪府教育研究所。東海学園大学教授を務めた。
谷沢 永一(たにざわ えいいち、谷澤 永一とも、1929年6… 谷沢 永一(たにざわ えいいち、谷澤 永一とも、1929年6月27日 - 2011年3月8日)は、日本の国文学者、文芸評論家、書誌学者。専門は書誌学、日本近代文学。関西大学名誉教授。 大阪府大阪市出身。大阪市立大江小学校、旧制大阪府立天王寺中学校(現在の大阪府立天王寺高等学校)を経て、1947年関西大学予科に入学。1952年関西大学文学部国文学科卒業。1955年関西大学文学部助手、1957年関西大学大学院文学研究科博士課程単位取得。1959年同大学文学部専任講師、1962年同助教授、1968年同教授。1972年「日本近代文学評論史研究」で関西大学より文学博士の学位を取得。 1980年、書評コラムを集めた『完本 紙つぶて』でサントリー学芸賞を受賞。
廓 正子(かまえ まさこ、1929年 - )は、演劇・演芸評… 廓 正子(かまえ まさこ、1929年 - )は、演劇・演芸評論家。元産経新聞社大阪文化部記者・編集委員。 大阪市生まれ。樟蔭女子専門学校(現・大阪樟蔭女子大学)国文科卒業後、産経新聞社入社。大阪文化部で古典芸能や宝塚歌劇など舞台を中心とした記事に携わる。司馬遼太郎とは文化部の同僚であった。 演劇・演芸評論家として雑誌・新聞などに多数の評を執筆。書籍や各種パンフレットなどの執筆、大阪市文化財保護審議会委員、大阪文化祭賞選考委員、人形浄瑠璃因協会理事、文化庁芸術選奨(演劇部門・古典芸能部門・大衆芸能部門・舞踊部門)選考委員なども務める。