柳瀬 璋(やなせ あきら 1933年(昭和8年)1月16日 … 柳瀬 璋(やなせ あきら 1933年(昭和8年)1月16日 - 2025年5月21日)は、日本のテレビディレクター、毎日放送元社長。 兵庫県芦屋市出身。1956年に早稲田大学法学部卒業。1957年(昭和32年)に大阪テレビ放送へ入社し、翌1958年(昭和33年)、朝日放送との合併に先立ち、1959年(昭和34年)3月1日にテレビ放送を開始する毎日放送へ転籍。 皇太子御成婚パレード、1964年東京オリンピック、日本万国博覧会などの報道ディレクターとして活躍、1980年(昭和55年)には現在も続く自社制作ドキュメンタリー枠『映像』の立ち上げにも参加した。 1985年(昭和60年)にテレビ編成局長、1989年(平成元年)取締役選任。
敷山 哲洋(しきやま てつひろ、1933年 - )は、兵庫県… 敷山 哲洋(しきやま てつひろ、1933年 - )は、兵庫県出身の実業家。日プラ株式会社創業者・代表取締役社長 。
生駒 友彦(いこま ともひこ、1932年8月25日 - 20… 生駒 友彦(いこま ともひこ、1932年8月25日 - 2009年4月27日)は、日本の実業家、サッカー選手・指導者。選手時代のポジションはGK。 兵庫県立神戸高等学校を経て、関西学院大学に入学し、サッカー部に所属。全関学(現役、OBで構成される混成チーム)の一員として鴇田正憲らと共に1953年、1955年の全日本サッカー選手権大会 (後の天皇杯全日本サッカー選手権大会)優勝に貢献した。 大学卒業後に新三菱重工業(後の三菱重工業)へ加入。井上健や北口晃らと共に創設期の同サッカー部を牽引し、1956年の都市対抗選手権準優勝、1959年の全日本実業団サッカー選手権大会準優勝などに貢献した。 日本代表としては竹腰重丸監督時代の1955年の東南アジア遠征で代表デビュー。
西藤 直人(さいとう なおと、1932年4月8日 - 201… 西藤 直人(さいとう なおと、1932年4月8日 - 2014年7月16日)は、日本の経営者。住友ゴム工業社長を務めた。兵庫県神戸市出身。 1958年11月に住友ゴム工業に入社し、1959年に神戸大学法学部を卒業。1975年3月に取締役に就任し、1988年3月に常務を経て、1992年3月に専務に就任。1995年3月には社長に昇格。1999年3月に会長に就任。 2014年7月16日肺炎のために死去。82歳没。
伊藤 満洲雄(いとう ますお 1932年(昭和7年)3月30… 伊藤 満洲雄(いとう ますお 1932年(昭和7年)3月30日 - )は、日本の実業家。父は初代内閣総理大臣の伊藤博文の次男・眞一。 兵庫県川辺郡塚口(現・尼崎市)に生まれる。名前は、同年に建国された満州国にちなむ形で満洲雄(ますお)となった。父は当時南満州鉄道に勤務していたが、満洲雄の生まれる前年に大阪勤務となっていた。 子供の頃から体が弱く、大阪市立曽根崎小学校に入学した年の秋に肺炎となり、阪大病院に入院、退院後も中耳炎に罹患した。当時両親からは「早く亡くなってしまうのではないだろうか」としばしば言われたという。 通学先はその後、塚口小学校に変更となる。父の転勤で東京の青南小学校に移った後、疎開により滋賀県の瀬田町立瀬田国民学校に転校した。
今井 和幸(いまい かずゆき、1931年4月13日 - 20… 今井 和幸(いまい かずゆき、1931年4月13日 - 2008年1月27日)は、日本の地方公務員、経営者。兵庫県副知事、サンテレビジョン会長を務めた。兵庫県豊岡市出身。勲三等旭日中綬章。位階は正五位。 1949年に兵庫県庁に入庁し、1954年に関西大学法学部を卒業。1993年から1997年までに副知事を務め、サンテレビジョン会長も務めた。 2008年1月27日肺炎のために死去。76歳没。
茂理 佳弘(もり よしひろ、1931年3月8日 - 2025… 茂理 佳弘(もり よしひろ、1931年3月8日 - 2025年12月28日)は、日本の経営者。西松屋チェーン社長、会長を務めた。 兵庫県姫路市出身。1953年に神戸商科大学を卒業し、1956年に西松屋を設立し、社長に就任。2000年5月に会長に就任し、2003年5月には名誉会長に就任。 2025年12月28日、老衰のため姫路市の病院で死去。94歳没。
牛尾 治朗(うしお じろう、1931年2月12日 - 202… 牛尾 治朗(うしお じろう、1931年2月12日 - 2023年6月13日)は、日本の実業家。ウシオ電機株式会社の設立者である。同社 名誉相談役、取締役相談役、経済同友会特別顧問(終身幹事)、公益財団法人日本生産性本部会長(2003年から2014年)、名誉会長(2014年から2020年)などを務めた。。 平成8年度第22回経済界大賞受賞。平成10年財界大賞受賞。 兵庫県姫路市に牛尾家2代目牛尾健治・美津子の次男として生まれる。 祖父・牛尾梅吉は姫路商工会議所の2代目会頭を務め、播磨の振興に尽力した。父・健治は、姫路銀行頭取を務める傍ら中国合同電気→山陽配電(現在は分割されて関西電力・中国電力)を中心に電力・電機事業を手がけた。
三好 一彦(みよし かずひこ、1930年9月23日-)は、プ… 三好 一彦(みよし かずひこ、1930年9月23日-)は、プロ野球球団阪神タイガースの元球団社長。兵庫県西宮市在住。 兵庫県西宮市出身。旧制灘中学校を経て、神戸大学に進学し、大学在学時には野球部に所属していた。1953年に大学を卒業した後に阪神電気鉄道に入社した。1981年6月に取締役に就任し、1986年6月に常務、1989年6月に専務を経て、1996年6月から1997年6月までに取締役を務めた。 1985年には阪神タイガース取締役に就任、1990年から本社専務と兼任した上で球団社長となり、低迷するチームの再建のために甲子園球場のラッキーゾーン撤廃や若手育成施設「タイガース・デン」の建設や球団組織の改革などのチーム改革に取り組んだ。
香西 昭夫(こうさい あきお、1930年9月19日 - 20… 香西 昭夫(こうさい あきお、1930年9月19日 - 2012年8月25日)は、日本の実業家。住友化学社長を務めた。香西精の長男。香西泰は弟。 兵庫県神戸市出身。1954年に東京大学法学部を卒業し、同年に住友化学工業に入社。 1983年3月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1993年3月から2000年6月までに社長を務め、2000年から会長を務めた。社長在職時には、シンガポールの石油化学プロジェクトの拡張などを行い、クローバルカの推進と収益基盤の強化を行った。 2000年から2004年までに日本経済団体連合会副会長を務め、日本企業が国際競争に勝ち抜くための提言をまとめ、映画やゲームなどのコンテンツ産業の振興に尽力した。
片山 純男(かたやま すみお、1930年 <昭和5年> 3月… 片山 純男(かたやま すみお、1930年 <昭和5年> 3月7日 - 1998年 <平成10年> 10月10日)は、日本の経営者、農学博士。雪印乳業社長を務めた。位階は従四位。勲三等旭日中綬章。 兵庫県神戸市出身。1953年に東京大学農学部農芸化学科を卒業し、同年に雪印乳業に入社。1983年6月に取締役に就任し、1985年6月に常務、1988年7月に専務を経て、1990年6月に副社長に就任し、1993年6月に社長に昇格。1997年6月に副会長を経て、1994年5月に会長に就任。 1998年10月10日呼吸不全のために死去。68歳没。死没日付をもって従四位に叙され、勲三等旭日中綬章を追贈された。
瀬戸 雄三 (せと ゆうぞう、1930年2月25日 - 20… 瀬戸 雄三 (せと ゆうぞう、1930年2月25日 - 2013年5月13日) は日本の実業家。アサヒビール株式会社の社長時代にアサヒビールを業界ナンバーワンに導いた。2009年11月時点では、旭化成社外取締役を務めていた。慶應義塾評議員・理事。 1930年、兵庫県神戸市で生まれる。父親は貿易商。父親からは「金持ちのときは貧乏な顔を、貧乏なときは金持ちの顔をしろ」と教えられ、母親からは「人に迷惑をかけてはいけない」「人の悪口を言ってはいけない」「自分の自慢話をしてはいけない」と事あるごとに聞かされて育った。昭和13年(1938年)7月5日、豪雨を心配してその日のみ電車通学に付き添ってきた母親が二駅目の住吉駅で「雄三、危ないから家へ帰ろう」と強い力で右腕を引っ張って逆方向の電車に引き込んだ。
岩井 靖(いわい やすし、1930年2月9日 - 2012年… 岩井 靖(いわい やすし、1930年2月9日 - 2012年1月27日)は、日本の経営者。オリックス副社長、オリックス・ブルーウェーブ球団社長を務めた。父親は岩井雄二郎。 兵庫県神戸市出身。1953年に京都大学法学部を経て、1955年にアメリカのコーネル大学経営学部大学院を卒業し、同年8月に岩井産業に入社した。1969年6月にオリエント・リース(のちのオリックス)に転じ、1975年9月に取締役に就任し、1976年に常務、1988年12月に専務を経て、1991年10月には副社長に就任した。1995年7月にはオリックス球団社長に就任。1998年10月から1999年3月までに会長を務めた。 2012年1月27日、肺炎のために死去。
木南 岩男(きみなみ いわお、1930年(昭和5年)1月1日… 木南 岩男(きみなみ いわお、1930年(昭和5年)1月1日 - 2022年(令和4年)1月16日)は、日本の実業家。新宮運送創業者。全国商工会連合会副会長、兵庫県商工会連合会会長、兵庫県共済協同組合理事長、新宮観光協会副会長、たつの市商工会会長、その他多くの公職を歴任。1962年(昭和37年)に興した運送会社で創業以来、死亡事故0を続け、エコドライブコンテスト 環境大臣賞、エコドライブ活動コンクール最優秀賞、環境大臣賞『環境保全功労者表彰』、『あおぞら大賞』(兵庫県)、『鈴木賞』などの受賞歴がある。 2014年には旭日小綬章受賞。また、たつの市商工会会長時代には、地方創生の一環として、御津町室津の牡蠣と龍野の醤油をコラボレーションした「牡蠣しょうゆ」を開発し、ヒットさせ地域の活性化にも貢献したほか、公職でも多くの実績を残した。
木村 碩志(きむら ひろし、1930年〈昭和5年〉 - 20… 木村 碩志(きむら ひろし、1930年〈昭和5年〉 - 2012年〈平成24年〉5月10日)は、日本の企業家、薬学者。アース製薬の元常務取締役で、同社の大ヒット商品「ごきぶりホイホイ」開発の中心人物。同社の前身である株式会社木村製薬所の創業者・木村秀蔵を祖父に持つ。兵庫県赤穂市出身。
大西 和男(おおにし かずお、1929年12月1日 - 20… 大西 和男(おおにし かずお、1929年12月1日 - 2021年5月24日)は、日本の経営者。 兵庫県神戸市出身。1953年に神戸経済大学経済学部を卒業し、同年に住友林業の前身である東邦農林に入社。 1980年12月に取締役に就任し、常務を経て、1984年12月に社長に就任し、1994年6月には会長に就任。1998年6月に取締役相談役を経て、2000年6月から相談役を務めた。 2021年5月24日老衰のために死去。91歳没。
蟻 二郎(あり じろう、1929年10月27日 - 1996… 蟻 二郎(あり じろう、1929年10月27日 - 1996年1月1日)は、アメリカ文学者、批評家、太陽社社長。本名・三宅二郎。 兵庫県姫路市出身。東京外国語大学英米科卒業、東京大学英文科大学院修了、群馬大学勤務。1961年、磯田光一、小野二郎、近藤耕人、柘植光彦、中井多津夫らと第16次『新思潮』(晶文社)を創刊、1964年まで続いた。1971年、明治大学専任講師を辞任。 1967年、出版社・太陽社を興し、大学の語学テキストのほか、アメリカ文学や、ヒッピー文化に関する翻訳、自らの著作を刊行する。1979年、神保町で古書店「ワンダーランド」を開いた。 雑誌『新批評』に、英文科教授平井正穂から不当な扱いを受けたとして告発文を発表した。
木下 幹彌(きのした みきや、1929年10月13日 - )… 木下 幹彌(きのした みきや、1929年10月13日 - )は、日本の経営者。ウシオ電機社長を務めた。兵庫県神戸市出身。 1951年に神戸経済専門学校を卒業し、1965年7月にウシオ電機に入社した。1979年7月から1980年12月までに社長を務めた。すかいらーく監査役、リンガーハット取締役なども歴任。
雀部 昌吾(ささべ しょうご、1929年7月3日 - )は、… 雀部 昌吾(ささべ しょうご、1929年7月3日 - )は、日本の経営者。バンドー化学社長を務めた。 兵庫県神戸市出身。1952年に関西学院大学経済学部を卒業し、同年に阪東調帯ゴム(現・バンドー化学)に入社。 1974年5月に取締役に就任し、1980年6月に常務、1986年6月に専務を経て、1988年には社長に就任。1998年6月に会長を経て、2006年6月には相談役に就任。 1995年11月に藍綬褒章を受章し、2018年11月に旭日小綬章を受章。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
菅井 基裕(すがい もとひろ、1929年6月15日 - 20… 菅井 基裕(すがい もとひろ、1929年6月15日 - 2022年6月9日)は、日本の実業家。阪急電鉄(現阪急阪神ホールディングス)代表取締役社長や、同社代表取締役会長を務めた。 兵庫県出身。関西学院高等部を経て、1953年に関西学院大学経済学部卒業。同年に京阪神急行電鉄(現阪急阪神ホールディングス)入社。1983年6月に取締役に昇格。1986年6月に常務、1988年6月に専務を経て、1990年6月には副社長に就任した。 1993年から阪急電鉄代表取締役社長を務めた。社長在任時には、1995年の阪神・淡路大震災で被災した神戸線などの路線の復旧の陣頭の指揮を執り、流通事業の参入などを行い、従来の鉄道事業に依存したビジネスモデルの脱却を図った。
小森 幹男(こもり みきお、1929年4月12日 - 202… 小森 幹男(こもり みきお、1929年4月12日 - 2021年4月18日)は、日本の経営者。能勢電鉄社長を務めた。兵庫県西宮市出身。 1953年に京都大学工学部機械工学科を卒業し、同年に京阪神急行電鉄(現在の阪急電鉄)に入社。 1984年6月に取締役に就任し、1987年6月に常務、1990年6月に専務を経て、1992年6月から1998年6月までに能勢電鉄社長を務めた。池田銀行監査役を務めた。 2021年4月18日心不全のために死去。92歳没。
中内 守(なかうち まもる、1929年3月15日 - 201… 中内 守(なかうち まもる、1929年3月15日 - 2017年8月27日)は、日本の経営者。サンテレビジョン社長を務めた。兵庫県神戸市出身。中内功の弟。 1952年に神戸大学経済学部を卒業し、同年に東亜紡織に入社。1962年にダイエー系列の紳士服専門店であるロベルトに転じ、1970年には社長に就任し、1985年にサンテレビジョン副社長に就任し、1987年6月から1996年6月までに社長を務め、1987年4月にはオリエンタルホテル取締役に就任。 2017年8月27日心不全のために死去。88歳没。
山田 恭一(やまだ きょういち、1928年3月31日 - … 山田 恭一(やまだ きょういち、1928年3月31日 - 2010年7月2日)は、日本の経営者。そごう社長を務めた。 兵庫県神戸市出身。旧制松山高等学校を経て、京都大学農学部水産学科へ入学した。在学中は学生運動を行っていた一方、同じ大学・学部の出身者という縁で李登輝と接点を持つことになる。 1952年に大学を卒業し、そごうに入社。そごう神戸店(現在の神戸阪急)に配属後、7年ほど東京店を中心に新人研修など人事を担当していた。1964年に神戸店に復帰後、1970年4月に取締役に就任した。神戸店に戻る際、水島廣雄に将来のため神戸店を何とかするよう言われたところから、水島はサラリーマン経営者ながらロマンに情熱を燃やす男であり、将来の人のためを思っていると感じた。
坂田 浩一(さかた こういち、1928年3月5日 - 200… 坂田 浩一(さかた こういち、1928年3月5日 - 2006年9月28日)は、日本の経営者。日本テレコム社長、会長を務めた。兵庫県神戸市出身。 1951年に早稲田大学理工学部機械工学科を卒業し、同年に日本国有鉄道に入社。1983年11月に常務理事に就任し、1985年6月に理事兼技師長を経て、1986年12月に鉄道通信(のちの日本テレコム)社長に就任。1998年6月に会長に就任。 1998年11月に勲二等旭日重光章を受章。 2006年9月28日肺炎のために死去。78歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
中尾 正幸(なかお まさゆき、1927年〈昭和2年〉6月30… 中尾 正幸(なかお まさゆき、1927年〈昭和2年〉6月30日 - 没年不明)は、日本の実業家。カネユキ精肉店店主。兵庫県食肉環境衛生同業組合・同食肉協同組合明石支部副支部長。志方食肉組合理事。志方油脂組合長。日ノ出市場商人会会長。 兵庫県印南郡志方町(現・加古川市)出身。志方町立高等小学校を卒業。趣味は登山、ボウリング。宗教は浄土真宗本願寺派。住所は兵庫県印南郡志方町志方。 事業所は兵庫県明石市二見町東二見。家族は妻、長男・政国(加古川食肉産業協同組合理事長)、次男がいる。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
太田 敏郎(おおた としろう、1927年5月20日 - 20… 太田 敏郎(おおた としろう、1927年5月20日 - 2020年1月15日)は、日本の実業家。ノーリツ創業者で、同社代表取締役社長や、神戸商工会議所副会頭などを務めた。 兵庫県姫路市出身。1945年海軍兵学校卒業。同期に平松一朗(元京浜急行電鉄社長)、小林公平(元阪急電鉄社長)、志村文一郎(元電気化学工業社長)等。 タイル職人植松清次の風呂を事業化するため、1950年に神戸市で能率風呂商会を設立したが連鎖倒産の憂き目に合う。 1951年能率風呂工業(現ノーリツ)設立、同社取締役就任。ガス給湯器の開発で成功し、プロパンガスの普及もあり家庭への浴室普及が促進されるという大きな社会的影響を与えた。 1964年に取締役会で代表取締役社長を解任される。
杉本 茂雄(すぎもと しげお、1926年12月4日 - 20… 杉本 茂雄(すぎもと しげお、1926年12月4日 - 2002年4月2日)は兵庫県神戸市出身のサッカー選手、実業家。選手時代のポジションはHB、FB。 兵庫県立第一神戸中学校を経て関西学院大学法学部に入学。在学中はサッカー部に所属した。1948年3月に大学を卒業し、同年4月に京阪神急行電鉄(現:阪急電鉄)に入社。 同社入社後もサッカーを続け、鴇田正憲らと共に「関学クラブ/全関学」(現役、OBで構成される混成チーム)の一員として1950年、1953年および1955年の全日本選手権大会 (現:天皇杯全日本サッカー選手権大会)の優勝に貢献した。 1951年2月11日の全関西戦で日本代表として初出場 し、1951年3月にインドで開催されたアジア競技大会、1954年3月の1954 FIFAワールドカップ・予選など国際Aマッチ3試合を6試合に出場した。
関本 忠弘(せきもと ただひろ、1926年11月14日 - … 関本 忠弘(せきもと ただひろ、1926年11月14日 - 2007年11月11日)は日本の実業家・技術者。位階は従三位。1980年より1998年にかけて日本電気株式会社(NEC)の社長と会長を務め、この間に日本電気を日本電信電話公社(現・NTT)に依存する〝国策企業〟から、世界中にコンピュータ、半導体、通信機などを売る総合電機メーカーに成長させた。 兵庫県神戸市生まれ。神戸市立川池小学校(現・神戸市立会下山小学校)、旧制瀧川中学校(四修)、旧制姫路高等学校理科甲類(首席)を経て、東京大学理学部物理学科を卒業。 1948年、日本電気に入社。入社後は同社の中央研究所で研究に従事し、PCM(パルス符号変換方式)の研究等を行う。
熊谷 直彦(くまがい なおひこ、1926年8月19日- )… 熊谷 直彦(くまがい なおひこ、1926年8月19日- )は、日本の経営者。三井物産社長、会長を務めた。兵庫県神戸市出身。 1951年に京都大学法学部を卒業し、同年に三井物産に入社した。1979年8月に人事部長に就任し、取締役、常務、専務を経て、1988年6月に副社長に就任し、1990年6月には社長に昇格した。1996年6月に会長に就任し、2000年6月から相談役を務めた。 経済団体連合会副会長も務めた。 1991年4月には藍綬褒章を受章し、2017年4月に旭日大綬章を受章した。
亀高 素吉(かめたか そきち、1926年4月14日 - 20… 亀高 素吉(かめたか そきち、1926年4月14日 - 2012年10月1日)は、元神戸製鋼所社長・会長。 神戸市出身。1946年に兵庫県立神戸経済専門学校を卒業、さらに1950年に神戸経済大学(現神戸大学)を卒業後、神戸製鋼所に入社。 1977年に取締役に就任。その後、常務、専務、副社長を経て、1987年に社長に就任した。社長在任時代、USスチール、テキサス・インスツルメンツ(TI)、アルミナム・カンパニー・オブ・アメリカなどとの合弁事業を展開し、複合経営化を推進した。1996年から1998年までは会長を歴任。 また、秘書室長だった頃から、ラグビー部(現在の神戸製鋼コベルコスティーラーズ)の強化に尽力。
藤井 繁克(ふじい しげかつ、1926年1月28日 - 20… 藤井 繁克(ふじい しげかつ、1926年1月28日 - 2011年6月17日)は、日本の実業家。大手釣具メーカー「がまかつ」の創業者、元社長、元会長。 1926年1月28日、兵庫県西脇市に生まれる。 1955年、がまかつの前身である「蒲克釣本舗」を創業。当初は他メーカーから鈎を仕入れて商売をしていたが、強度に不満があり鈎の自社開発を始めた。 1968年、株式会社に改組して「株式会社がまかつ」を設立。釣り針の素材や加工法の研究に拘り、海外にも拠点を置くなど、日本を代表する業界大手釣具メーカーに築き上げた。 2011年6月17日、脳出血のため西脇市の病院で死去。85歳没。2011年7月20日に「社葬・お別れの会」が執り行われた。
荒川 克郎(あらかわ かつろう、1926年1月26日 - 2… 荒川 克郎(あらかわ かつろう、1926年1月26日 - 2021年6月6日)は、日本の経営者。神戸新聞社社長を務めた。兵庫県神戸市出身。 1948年に関西学院大学経済学部を卒業し、1949年に神戸新聞社に入社した。1976年に監査役に就任し、1979年に取締役、1982年に専務を経て、1987年に社長に就任。1997年に会長を経て、1999年に相談役に就任。社長在任時には、1995年の阪神淡路大震災の際には、本社屋に大きな被害が出ている中でも、京都新聞社の協力を得た上で新聞の発行を継続した。1998年11月に勲二等瑞宝章を受章。 2021年6月6日老衰のために死去。95歳没。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。
龍野 富雄(たつの とみお、1926年1月22日 - 199… 龍野 富雄(たつの とみお、1926年1月22日 - 1998年2月8日)は、日本の経営者。兵庫県神戸市出身。 1948年に神戸経済大学を卒業し、同年に大建産業に入社。 1974年5月に取締役に就任し、1978年6月に丸紅常務に就任し、専務、副社長を経て、1987年6月に社長に就任した。1992年に副会長に就任した。 1998年2月8日心筋梗塞のために死去。72歳没。
山岡 淳男(やまおか ただお、1925年〈大正14年〉11月… 山岡 淳男(やまおか ただお、1925年〈大正14年〉11月28日 - 2013年〈平成25年〉8月18日)は、日本の実業家で、三代目ヤンマー(現・ヤンマーホールディングス)社長。ヤンマーグループを発展させ、中興の祖と評される。1963年から約35年間、社長を務めた。2010年から名誉会長。 1925年(大正14年)11月、山岡孫吉の次男として兵庫県に生まれる。1943年(昭和18年)旧制甲陽中学校卒(現在の甲陽学院中学校・高等学校、22回卒)、1948年(昭和23年)3月に早稲田大学理工学部を卒業後、アメリカ合衆国のコロンビア大学大学院留学を経て、1953年(昭和28年)2月、ヤンマーディーゼル株式会社(当時)に入社した。
與田 純次(よだ じゅんじ、1925年11月19日 - )(… 與田 純次(よだ じゅんじ、1925年11月19日 - )(別名:與田治郎右衛門) は、日本の実業家、戦争体験語り部。元大使館員。兵庫県城崎郡竹野村(現:兵庫県豊岡市)出身。長男は東邦大学医学部医学科教授(医学博士)の与田仁志。元阪神タイガース監督兼選手の村山実、神戸大学名誉教授(農学博士)の保田茂は妻の従兄弟にあたる。2017年、父の代まで十数代に渡り襲名されていた名跡、與田治郎右衛門(よだじろうえもん)を襲名。 大正14年(1925年)、兵庫県城崎郡竹野村(現:兵庫県豊岡市)に生まれる。先祖は、江戸時代初期から寛文12年(1672年)頃、寛保2年(1742年)頃から寛政8年(1796年)まで庄屋(江戸時代の村役人である地方三役の一つ)を務めており、北前船(江戸時代に日本海海運で活躍した北国廻船)の船主でもあった。
鴇田 正憲(ときた まさのり、1925年6月24日 - 20… 鴇田 正憲(ときた まさのり、1925年6月24日 - 2004年3月5日)は、兵庫県神戸市出身のサッカー選手、経営者。1940年代から1950年代の日本を代表する右ウイング。 神戸市立西灘小学校、兵庫県立第一神戸中学校(現:兵庫県立神戸高校)を経て、1944年に関西学院大学経済学部に入学。在学中はサッカー部に所属し、関西学生サッカーリーグなどで優勝した。 1950年3月に大学を卒業後、1950年4月に田辺製薬(現:田辺三菱製薬)に入社。サッカー部では、賀川太郎とのコンビで活躍し、全日本実業団サッカー選手権大会で6連覇を含む7回の優勝に貢献。また、杉本茂雄らと共に「関学クラブ/全関学」(現役、OBで構成される混成チーム)の一員として全日本選手権大会 (現:天皇杯全日本サッカー選手権大会)で4回の優勝の優勝に貢献した。
金井 宏之(かない ひろゆき、1925年5月16日 - 20… 金井 宏之(かない ひろゆき、1925年5月16日 - 2012年1月26日)は、日本の実業家、切手収集家。 繊維機器・不織布メーカーである金井重要工業の社長・会長。切手収集家としてはモーリシャスの切手コレクションで世界的に知られ、財団法人切手文化博物館理事長、有馬切手文化博物館(神戸市)館長を務めた。 1925年5月16日、兵庫県尼崎市生まれ。裕福な実業家を父に持ち、5歳の時にはじめて切手を収集した。13歳の時に趣味にのめりこみ、大学在学中に2つの切手収集クラブを設立した。金井は早稲田大学で政治経済学を学んだあと、日本大学で工学の学位を取得した。大学修了後、祖父が設立した繊維機械製造会社に勤務。
菱川 文博(ひしかわ ふみひろ、1925年(大正14年)2月… 菱川 文博(ひしかわ ふみひろ、1925年(大正14年)2月1日 - 2017年(平成29年)1月11日)は、日本の地方官僚、実業家。広島と長崎で相次いで原子爆弾の被害を受けた二重被爆者のひとり。 兵庫県阪神県民局長、コナミ工業株式会社名誉会長、株式会社G-7ホールディングス社外取締役を歴任した。 兵庫県明石市大蔵町で出生。父は兵庫県庁の職員、母は助産師(両親の略歴については後述)。両親はいずれも仕事で忙しかったので、菱川は祖母ために育てられた。 明石市立人丸小学校卒業後、旧制県立明石中学校(のちの兵庫県立明石高等学校)に進学。相撲が好きで、幼少時は強かったが、このときは周囲より体が小さかったので入部をあきらめ、吹奏楽部に入り大太鼓を担当した。
伊藤 昌寿(いとう よしかず、1925年 <大正14年> 1… 伊藤 昌寿(いとう よしかず、1925年 <大正14年> 1月18日 - 2006年 <平成18年> 2月18日)は、日本の経営者、工学博士。兵庫県神戸市出身。位階は正四位。 1948年に京都大学農学部農林化学科を卒業し、同年に東洋レーヨン(のちの東レ)に入社。 1970年11月に田代茂樹会長の抜擢により、取締役に就任し、1973年11月に常務、1978年6月に副社長を経て、1981年1月に社長に就任した。1987年4月に会長に就任し、1995年6月から相談役に就任した。 日本化学会会長なども歴任。 2006年2月18日心不全のために死去。81歳没。死没日付をもって正四位に叙された。
黒田 善弘(くろだ よしひろ、1924年11月25日 - 2… 黒田 善弘(くろだ よしひろ、1924年11月25日 - 2010年5月20日)は、日本の経営者。住友製薬社長、会長を務めた。兵庫県尼崎市出身。 1947年に東京大学法学部政治学科を卒業し、同年に住友化学工業に入社。 1977年に取締役に就任し、1980年に常務、1982年に専務を経て、1984年10月に住友製薬副社長に就任し、1986年3月から1989年3月までに社長を務めた。 2010年5月20日腎細胞がんのために死去。85歳没。
北野 祐次(きたの ゆうじ、1924年8月3日 - 2013… 北野 祐次(きたの ゆうじ、1924年8月3日 - 2013年2月12日)は、日本の実業家。関西スーパーマーケットの創業者でもある。 大阪府出身。1941年に私立中外商業学校(現在の兵庫県立尼崎北高等学校)を卒業。大阪鉄道管理局での勤務を経て、1959年に関西スーパーマーケットを設立し、社長に就任。2002年4月には会長に就任。。 1985年4月に藍綬褒章を受章した。。 2013年2月12日、肺炎のために死去。88歳没。
日下部 悦二(くさかべ えつじ、1923年 <大正12年> … 日下部 悦二(くさかべ えつじ、1923年 <大正12年> 10月31日 - 2021年 <令和3年> 3月11日)は、日本の経営者。古河電気工業社長、会長を務めた。位階は正四位。 兵庫県豊岡市出身。1946年に京都帝国大学工学部電気化学科を卒業し、同年に古河電気工業に入社した。1972年11月に取締役に就任し、1975年5月に常務、1977年6月に専務、1982年6月に副社長を経て、1983年6月に社長に就任。1989年6月に会長に就任し、1995年6月から相談役を務めた。 1985年4月に藍綬褒章を受章し、1993年11月に勲二等旭日重光章を受章。 2021年3月11日、心不全のために死去。
鳥井 道夫(とりい みちお、1923年1月22日 - 201… 鳥井 道夫(とりい みちお、1923年1月22日 - 2011年2月6日)は、日本の実業家。サントリー名誉会長。龍谷大学経済学部客員教授。 父はサントリー創業者である鳥井信治郎。妻は日本生命第5代社長弘世現の娘の準子。長男にサントリー副社長、3代目マスターブレンダーの鳥井信吾がいる。京都近鉄百貨店社長の若林誠郎、メルボ紳士服オーナーの清水貞夫大阪マルビル会長の吉本晴彦など関西の財界人や祇園・先斗町の元芸子など、同じ大正12年(1923年)生まれのメンバーで構成する「いのしし会」を開いており、酒食など行動を共にしていた。
小池 勇二郎(こいけ ゆうじろう、1922年〈大正11年〉8… 小池 勇二郎(こいけ ゆうじろう、1922年〈大正11年〉8月6日 - 2013年〈平成25年〉5月24日)は、日本の実業家。長女は東京都知事の小池百合子。 兵庫県神戸市生まれ。宮城県・小池喜兵衛、兵庫県・かつの二男。1944年(昭和19年)、中央大学専門部商学科卒業。1947年(昭和22年)、立川医薬品工業営業部長。第二次世界大戦中は海軍中尉となり満洲国有鉄道経理部に所属した。(詐称疑惑あり) 終戦後はペニシリンなどを扱う闇市で財を成し、石油を扱う貿易会社を複数経営したほか、関西経済同友会の幹事を歴任した。その際にエジプト、サウジアラビア、クウェートなどのアラブ諸国の指導者層との人脈を形成する。
中内 㓛(なかうち いさお、1922年〈大正11年〉8月2日… 中内 㓛(なかうち いさお、1922年〈大正11年〉8月2日 - 2005年〈平成17年〉9月19日)は、日本の実業家。ダイエー創業者。 戦後の日本におけるスーパーマーケット (GMS) の黎明期から立ち上げに関わり、近年の消費者主体型の流通システムの構築を確立させ、日本の流通革命の旗手として大きく貢献した。 ダイエー会長・社長・グループCEOを歴任したほか、日本チェーンストア協会会長(初代、10代、14代)・名誉会長(初代)、日本経済団体連合会副会長を務めたほか、自身が設立した学校法人中内学園(流通科学大学)学園長・理事長、財団法人中内育英会の理事長も務め、教育者としての一面もあった。 名前の正式な用字は「功」ではなく「㓛」(「工+刀」、㓛:U+34DB)。
伊藤 淳二(いとう じゅんじ、1922年7月10日 - 20… 伊藤 淳二(いとう じゅんじ、1922年7月10日 - 2021年12月19日)は、日本の実業家。武藤絲治に認められ、のちにカネボウ会長になる。日本航空元会長。建築学者の横尾義貫は従兄にあたる。江藤新平の曾孫。
鈴木 正(すずき ただし、1922年 <大正11年> 7月8… 鈴木 正(すずき ただし、1922年 <大正11年> 7月8日 - 2008年 <平成20年> 2月28日)は、日本の経営者。山陽電気鉄道社長、会長を務めた。位階は正五位。 兵庫県神戸市出身。1947年に京都大学法学部政治学科を卒業し、同年に山陽電気鉄道に入社した。1963年11月に取締役に就任し、1971年6月に常務、1978年6月に専務、1981年7月に副社長を経て、1986年6月に社長に就任。1992年6月に会長に就任し、1995年6月には相談役に就任。 1995年11月に勲三等瑞宝章を受章。2008年死去。死没日付をもって正八位から正五位に進階した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
上杉 年一(うえすぎ としかず、1922年1月6日 - 20… 上杉 年一(うえすぎ としかず、1922年1月6日 - 2002年3月8日)は、日本の経営者、工学博士。山陽特殊製鋼社長を務めた。兵庫県姫路市仁豊野出身。父は上杉源蔵(元 福徳相互銀行)。 桃李小学校(現 姫路市立砥堀小学校)、旧制姫路中学(現:兵庫県立姫路西高校)卒業。1945年に東京帝国大学工学部冶金工学科を卒業し、1949年5月に山陽特殊製鋼に入社。1959年5月に取締役に就任し、1961年5月に常務、1974年12月に専務を経て、1981年2月に副社長に就任し、1986年6月には社長に昇格。1989年6月に取締役相談役に就任し、1992年6月に相談役に就任。 常務時代に、山陽特殊製鋼倒産事件が起こる。
三木 良一(みき りょういち、1921年12月23日 - 1… 三木 良一(みき りょういち、1921年12月23日 - 1991年7月8日)は、日本の経営者。神戸新聞社社長を務めた。 兵庫県神戸市出身。1946年に京都帝国大学法学部を卒業し、同年に神戸新聞社に入社。1967年に取締役に就任し、1975年に常務、1981年に専務を経て、1982年12月に社長に就任。 1987年2月から1990年2月までに会長を務め、デイリースポーツ社社長も務めた。 1991年7月8日、膵臓癌のために死去。69歳没。
渡辺 寿男(わたなべ としお、1921年4月11日 - 20… 渡辺 寿男(わたなべ としお、1921年4月11日 - 2008年11月19日)は、日本の経営者。山陽電気鉄道社長、会長を務めた。兵庫県神戸市出身。 1942年に京都帝国大学工学部機械工学科を卒業し、1945年に山陽電気鉄道に入社。1966年11月に取締役に就任し、1973年5月に常務、1977年6月に専務を経て、1981年6月に社長に就任。1986年6月に会長を経て、1991年6月から相談役を務めた。 2008年11月19日に死去。87歳没。