福羽 逸人(ふくば はやと/いつじん、1856年12月13日… 福羽 逸人(ふくば はやと/いつじん、1856年12月13日〈安政3年11月16日〉- 1921年〈大正10年〉5月19日)は、日本の造園家、園芸家、官僚、農学者。位階・勲等は正三位勲一等。爵位は子爵。宮内省で長く宮廷園芸技師として活躍、小豆島のオリーブや「福羽いちご」として知られるイチゴなど植物栽培、花弁果樹野菜等の品種改良など園芸分野で多く貢献をしたほか、新宿御苑をはじめとする宮内省管轄の庭園等の整備、武庫離宮(須磨離宮)の庭園設計、栗林公園北庭および日比谷公園西洋花壇の設計に当たった。 石見国津和野藩にて津和野藩士、佐々布利厚の三男として生まれる。父とは3歳のときに死別した。1872年(明治5年)、16歳のとき、国学者の同藩士・福羽美静の養子となる。
小藤 文次郎(ことう ぶんじろう、安政3年3月4日〔1856… 小藤 文次郎(ことう ぶんじろう、安政3年3月4日〔1856年4月8日〕 - 昭和10年〔1935年〕3月8日)は、日本の地球科学者。地質学、岩石学、鉱物学、火山学、地震学など、幅広く活躍した。ドイツ地理学を日本に導入し日本の地質学や地形学の揺籃期に活躍・貢献をした。また、多くの学生を育てた。 石見国(現在の島根県)津和野生まれ。藩校の養老館で漢学や蘭学を学ぶ。1870年、15歳の時、藩から大学南校(のちの開成学校、東京大学)に貢進生として上京し、英語、理学を修め卒業する。1877年(明治10年)、創立されたばかりの東京大学理学部地質学および採鉱学科に進学し、1879年(明治12年)東京帝国大学理学部地質学および採鉱学科の最初の卒業生。
向坂 弘(さきさか ひろむ、1856年2月15日(安政3年1… 向坂 弘(さきさか ひろむ、1856年2月15日(安政3年1月10日) - 1925年(大正14年)4月24日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)。弁護士。 出雲国松江(現在の島根県松江市)出身。松江藩藩校の修道館で学び、1874年(明治7年)より小学校教員を務めた。1881年(明治14年)より代言人の職に従事し、松江弁護士会副会長、同会長を歴任した。1889年(明治22年)、松江市会議員となり、議長に選ばれた。1898年(明治31年)、島根県会議員に選ばれ、同参事会員も務めた。 1903年(明治36年)、第8回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第9回、第10回でも再選された。
松本 鼎(まつもと かなえ、1856年2月10日(安政3年1… 松本 鼎(まつもと かなえ、1856年2月10日(安政3年1月5日) - 1928年1月23日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。位階は正四位・勲等は勲二等・軍功は功三級。 島根県簸川郡大社町で、出雲国造・千家家と北島家に仕える士族松本礼次郎の長男として生まれる。父は美保関町森山出身の志士・松本古堂(巌)の門人で、以前は寺本易直と名乗っていたが、養子に入り礼次郎となった。 1878年(明治11年)12月、陸軍士官学校(旧2期)を卒業し、翌年2月、砲兵少尉任官。1901年(明治34年)2月、野戦砲兵第12連隊長に就任。1902年(明治35年)11月、砲兵大佐に昇進した。 1903年(明治36年)5月、陸軍野戦砲兵射撃学校長となり、1904年(明治37年)2月、第1軍砲兵部長に発令され日露戦争に出征。
佐々田 懋(ささだ すすむ / すすみ、安政2年11月6日(… 佐々田 懋(ささだ すすむ / すすみ、安政2年11月6日(1855年12月14日) - 昭和15年(1940年)3月27日)は、日本の実業家、政治家。島根県多額納税者。佐々田合名会社社長。衆議院議員、貴族院議員。 孫・百合子は元中国電力会長櫻内乾雄の妻。 石見国那賀郡木田村(現・島根県浜田市)の豪農である佐々田家に生まれる。佐々田家は尼子義久の子佐々田宗久が、尼子氏の先祖である佐々木氏と妻の実家の名である田中氏の名を取って創始した。和漢学を修めた。 浜田県会議員、浜田県十五等出仕、那賀郡会議員、島根県会議員、島根県会議長を務めた。1890年(明治23年)7月、第1回衆議院議員総選挙に島根県第5区から出馬し衆議院議員に初当選。
錦織 竹香(にしこおり ちっこう、安政元年12月25日〈18… 錦織 竹香(にしこおり ちっこう、安政元年12月25日〈1855年2月11日〉 - 1945年〈昭和20年〉3月5日)は日本の教育者。本名は久美。 竹香は安政元年12月25日(1855年2月11日)、出雲国出雲郡神庭村に生まれた。父・錦織邦臣は神代神社の神官・小学校教師・医者であり、母・登喜は小学校で裁縫を教えていた。竹香は幼いころから手先の器用なことで知られており、とくに絵画は10歳から師に着いて竹の絵を好んで描いたため「竹香」の号を授けられた。 経歴としては1873年(明治6年)に出雲郡第三番小学習字世話係を申し付けられたのに始まり、翌1874年(明治7年)には第二十中学区神庭小学三等助教、さらに翌1875年(明治8年)には同小学兼荘原小学二等助教に就く。
堀 昌造(ほり しょうぞう、1855年(安政2年10月) -… 堀 昌造(ほり しょうぞう、1855年(安政2年10月) - 1918年(大正7年)6月3日)は、日本の政治家、衆議院議員(1期)。 石見国鹿足郡邑輝村(のち島根県鹿足郡喜時雨村→畑迫村、現・津和野町)生まれ。漢学と英語を学ぶ。銅山業を営み、畑迫村長となる。 1894年3月の第3回衆議院議員総選挙において島根5区から自由党公認で立候補したが落選した。同年9月の第4回衆議院議員総選挙では大手倶楽部から立候補して当選した。衆議院議員を1期務め、1898年3月の第5回衆議院議員総選挙は不出馬。1918年に死去した。
右田 古文(みぎた こぶん、1854年8月12日(安政元年7… 右田 古文(みぎた こぶん、1854年8月12日(安政元年7月19日)- 1933年(昭和8年)12月12日)は、明治から昭和初期の農業経営者、実業家、政治家。衆議院議員、島根県会議長。 石見国那賀郡田野原村(島根県那賀郡杵束村、弥栄村を経て現浜田市弥栄町田野原)で、豪農・右田常十郞の長男として生れ、右田古信の養子となった。津和野の福羽美静に師事し漢学を修めた。1892年(明治25年)6月、家督を相続した。 1874年(明治7年)木束部副戸長に就任。以後、田野原村会議員、町村浦連合会議員、杵束村会議員、町村組合会議員、田野原区会議員などを務めた。1885年(明治18年)島根県会議員に選出され、1894年(明治27年)同議長に就任。
12代 絲原 武太郎(いとはら ぶたろう、1853年11月1… 12代 絲原 武太郎(いとはら ぶたろう、1853年11月10日(嘉永6年10月10日)- 1911年(明治44年)3月10日)は日本の地主、実業家、政治家。鉄師絲原家12代、貴族院多額納税者議員。 出雲国仁多郡八川村大字大谷(現島根県仁多郡奥出雲町)で、鉄師糸原家11代・絲原権造の長男として生まれる。1895年(明治28年)父の死去に伴い家督を継承。1882年(明治15年)以降、島根県仁多郡横田村外三村戸長、仁多郡会議員、所得税調査委員、島根県農会評議員、八雲銀行頭取、松江銀行取締役などを務めた。1906年(明治39年)6月27日、島根県多額納税者として補欠選挙で互選されて貴族院多額納税者議員に任じられ、急性脳膜炎により死去するまで在任した。
8代 木佐 徳三郎(きさ とくさぶろう、旧姓・勝部、雅号・平… 8代 木佐 徳三郎(きさ とくさぶろう、旧姓・勝部、雅号・平疇、1853年7月11日(嘉永6年6月6日)- 1941年(昭和16年)10月23日)は、日本の地主、実業家、政治家。衆議院議員。木佐家8代当主。平田銀行頭取。族籍は島根県平民。 出雲国出雲郡坂田村(島根県簸川郡斐川町を経て現出雲市)で、地主、7代・勝部本右衛門栄忠の六男として生まれ、楯縫郡平田村(現出雲市)の7代・木佐徳三郎の養子となり、後に家督を継承し徳三郎を襲名した。幕末には最後の楯縫郡下郡役(したごおりやく)を務めた。 明治維新後、楯縫郡仮郷校取締、島根県第五十三・五十四両区戸長、兼学区取締心得、平田町会議員などを務め、1892年2月の第2回衆議院議員総選挙で島根県第三区から出馬して当選し、弥生倶楽部に所属して衆議院議員を一期務めた。
恒松 隆慶(つねまつ りゅうけい / たかよし、1853年6… 恒松 隆慶(つねまつ りゅうけい / たかよし、1853年6月17日(嘉永6年5月11日)- 1920年(大正9年)6月29日)は、日本の地主、政治家、実業家。衆議院議員。旧姓・楫野、幼名・鉄三郎。 石見国邇摩郡静間村(現島根県大田市)で、地主・楫野淳吉郎の三男として生まれ、慶応3年4月11日(1967年5月14日)に母の実家である安濃郡長久村の恒松家当主・六右衛門の養嗣子となる。泉全斎、恒松圭山(愛軒)から漢学を学んだ。 17歳で野井村年寄役に就任。1872年(明治5年)鳥井村外八ケ村戸長に就任し、以後、地租改正収穫検査顧問惣代、山野改租顧問人、邇摩郡・安濃郡書記などを務めた。1881年(明治14年)島根県会議員となる。
小川 蔵次郎(藏次郎、おがわ くらじろう、1853年6月17… 小川 蔵次郎(藏次郎、おがわ くらじろう、1853年6月17日(慶應元年8月5日)- 1936年(昭和11年)11月25日)は、明治後期から昭和初期の漁業指導者、実業家、政治家。衆議院議員、島根県島根郡野波村長。 出雲国島根郡、のちの島根県島根郡野波村(八束郡野波村、島根村、島根町を経て現松江市島根町野波)で、小川仙四郎の二男として生まれる。漢学を修めた。1896年(明治29年)7月、家督を相続した。 1889年(明治22年)野波村長に就任。また八束郡会議員、同議長を務めた。1906年(明治39年)島根県会議員に選出され2期在任し、参事会員も務めて1912年(明治45年)に退任した。 1912年5月、第11回衆議院議員総選挙(島根県郡部、立憲政友会)で初当選し、1917年(大正6年)4月の第13回総選挙(島根県郡部、立憲政友会)でも再選され、衆議院議員に通算2期在任した。
清水 文二郎(淸水、しみず ぶんじろう、1853年(嘉永6年… 清水 文二郎(淸水、しみず ぶんじろう、1853年(嘉永6年1月) - 1920年(大正9年)3月28日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 石見国邇摩郡大国村(のち島根県邇摩郡明治村→大国村→仁摩町、現・大田市)生まれ。漢学を学ぶ。日貫村(のち石見町、現・邑南町)連合会議員、同村学務委員、徴兵参事員、市木村(のちに瑞穂町(現・邑南町)と那賀郡旭村(のち旭町、現・浜田市)に分割)戸長、勧業諮問会員となる。 1890年の第1回衆議院議員総選挙において島根4区から無所属で立候補したが落選。1892年の第2回衆議院議員総選挙では弥生倶楽部所属で再び立候補して当選した。衆議院議員を1期務め、1894年3月の第3回衆議院議員総選挙では立憲改進党で立候補したが落選。
佐々木 善右衛門(ささき ぜんうえもん/ ぜんえもん、185… 佐々木 善右衛門(ささき ぜんうえもん/ ぜんえもん、1852年(嘉永5年1月) - 1917年(大正6年)8月16日)は、明治時代の政治家、実業家。衆議院議員(2期)。幼名は猪太郎。 出雲国能義郡荒島村(現島根県安来市)に生まれる。生家は代々商業を営んだ。和漢学を修めた。1881年(明治14年)島根県会議員に当選し、ついで常置委員となり、副議長を兼任した。1884年(明治17年)任期満了ののち、再度県会議員に再選される。ほか、地方衛生会委員を務めた。 1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では島根県第2区から出馬し当選。つづく第2回総選挙でも当選した。 1890年、松江日報社の設立に参画し総代となる。
山辺 丈夫(やまのべ たけお、1851年12月30日〈嘉永4… 山辺 丈夫(やまのべ たけお、1851年12月30日〈嘉永4年12月8日〉 - 1920年〈大正9年〉5月14日)は、日本の武士(津和野藩士)、明治期の紡績技師・実業家。従五位。 東洋紡(東証プライム)の創業者である。 嘉永4年(1851年)、石見国津和野城下の森町堀内にて津和野藩重臣・清水格亮(大目付、側用人を歴任し、明治維新後は権大参事を務めた)の二男として生まれる。幼名は虎槌または善蔵で、後に丈夫と改めた。4歳の時に同藩士の山辺正義の養子となる。 津和野潘の藩校であった養老館に学んだ後、1870年(明治3年)に藩の奨学制度によって文学修行の命を受け上京。当初は同藩出身の福羽美静の培達塾で学んでいたが、元来洋学を志していたため、西周の育英舎や中村敬宇の英学同人舎に移り英語や洋学を学んだ。
松浦 斌(まつうら さかる、嘉永4年8月22日(1851年9… 松浦 斌(まつうら さかる、嘉永4年8月22日(1851年9月17日) - 明治23年(1890年)1月17日)は、隠岐知夫郡西ノ島 (現隠岐郡西ノ島町) 出身の神職で焼火神社の神主。しばしば「隠岐航路開拓の先駆者」とされた。 斌は嘉永4年8月22日(1851年9月17日)、隠岐国知夫郡西ノ島の焼火神社の家に生まれた。16歳の時にで焼火権現の別当を継ぎ、1868年(明治元年)の神仏分離令によって還俗して神職となった。 また斌は山上に塾を開いて教育にも携わっており、1872年(明治5年)に学制が発布されると私宅の提供を申し出たり、美田村の各小学校に金10円の寄付を申し出るなどしている。1872年(明治5年)までは波止支校で教壇にも立っていた。
21代 田部 長右衛門(たべ/たなべ ちょうえもん、1850… 21代 田部 長右衛門(たべ/たなべ ちょうえもん、1850年10月16日〈嘉永3年9月11日〉 - 1942年〈昭和17年〉2月14日)は、明治から大正期の政治家、実業家、林業家。貴族院多額納税者議員。名は長秋。田部本家第21代当主。 出雲国能義郡母里村(伯太村、伯太町を経て現・島根県安来市)で宇山清左衛門の弟として生まれる。1874年(明治7年)1月、飯石郡吉田村(現・島根県雲南市吉田町吉田)でたたら製鉄業を営む20代田部長右衛門周重の養嗣子となる。1885年(明治18年)4月、家督を相続し、21代『田部長右衛門』を襲名する。 1879年(明治12年)、出雲国鉄師頭取に就任するが、洋鉄の流入により、1923年(大正12年)に和鉄経営を廃業した。
岡崎 運兵衛(おかざき うんべえ、1850年8月5日(嘉永3… 岡崎 運兵衛(おかざき うんべえ、1850年8月5日(嘉永3年6月28日)- 1919年(大正8年)12月17日)は、日本の地主、実業家、政治家。衆議院議員。旧姓・高橋、幼名・権作、雅号・雲隣。 出雲国神門郡稗原村(現島根県出雲市)で、豪農・高橋佐十郎の二男として生まれ、10歳で松江堅町の豪商・先代岡崎運兵衛の養子となる。江戸の昌平坂学問所で学び、帰郷後、藩儒・澤野修輔、中村守手などに師事し、さらに南画を天野漱石に学んだ。慶応3年(1867年)養父の死去に伴い18歳で家督を継承し、運兵衛を襲名した。 維新後、自由民権運動に加わり自由党に入党。松江町会議員、松江市会議員、同議長、島根県会議員、同副議長、同議長を歴任。
小泉 八雲(こいずみ やくも、1850年6月27日 - 19… 小泉 八雲(こいずみ やくも、1850年6月27日 - 1904年(明治37年)9月26日)は、ギリシャ生まれの新聞記者(探訪記者)、紀行文作家、随筆家、小説家、日本研究家、日本民俗学者。東洋と西洋の両方に生きたとも言われる。 出生名はパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)。ラフカディオが一般的にファーストネームとして知られているが、実際はミドルネームである。アイルランドの守護聖人・聖パトリックにちなんだファーストネームは、ハーン自身キリスト教の教義に懐疑的であったため、この名をあえて使用しなかったといわれる。 日本・東京府豊多摩郡大久保村西大久保
浅原 才市(あさはら さいち、1850年4月2日(嘉永3年2… 浅原 才市(あさはら さいち、1850年4月2日(嘉永3年2月20日) - 1932年(昭和7年)1月17日)は、浄土真宗の妙好人のひとり。石見の才市と呼ばれる。「口あい(くちあい)」と称せられる信心を詠んだ多数の詩で知られ、「日本的霊性」として鈴木大拙によって世界的に紹介された。
10代 桜井 三郎右衛門(櫻井 三郎右衛門、さくらい さぶろ… 10代 桜井 三郎右衛門(櫻井 三郎右衛門、さくらい さぶろうえもん、1849年7月31日〈嘉永2年6月12日〉 - 1908年〈明治41年〉1月27日)は明治時代の政治家、実業家、島根県の大地主。貴族院多額納税者議員。旧姓は神田。諱は直達。族籍は島根県平民。 出雲国神門郡下古志村(現・島根県出雲市下古志町)出身。神田猪蔵の三男。仁多郡上阿井村(現・奥出雲町上阿井)・桜井源兵衛の養子となる。 家業の製鉄は明治10年代に入ると、洋鉄の流入その他により経営が次第に苦しくなり、秦、絲原、田部の各鉄師と連盟して島根県に対して鉄山炉の経営資金拝借方を願い出たが、聞き入れられなかった。これにくじけず、施設の近代化に努力し地方製鉄業の模範となる改革を行う。
松本 正友(まつもと まさとも、1849年7月19日(嘉永2… 松本 正友(まつもと まさとも、1849年7月19日(嘉永2年5月30日) - 1916年(大正5年)8月10日)は、日本の政治家、衆議院議員(1期)。 石見国美濃郡虫追村(のち島根県美濃郡中西村、現・益田市)生まれ。漢学を学ぶ。1868年、津和野藩より庄屋に任ぜられ、のち、戸長となる。島根県会議員、虫追村会議員、村連合会議員、郡所得税調査委員、日本赤十字社地方委員、同島根支部幹事、徴兵参事員、所得税調査委員、島根県会副議長、中西村農会長、同村会議員、日本赤十字社正社員となる。 1894年9月の第4回衆議院議員総選挙において島根5区から自由党公認で立候補して落選した。1898年3月の第5回衆議院議員総選挙で自由党から立候補したが落選。
吉岡 倭文麿(よしおか しずまろ、1849年(嘉永2年9月)… 吉岡 倭文麿(よしおか しずまろ、1849年(嘉永2年9月)- 1897年(明治30年)4月18日)は、明治時代の政治家。神職。衆議院議員(2期)。別名・要男、要人。 高橋権兵衛の四男として、隠岐国周吉郡矢尾村(島根県周吉郡西郷港町、中町、西郷町を経て現隠岐の島町)に生まれる。幼くして父母を亡くし、12歳の時に同郡西町(西郷町を経て現隠岐の島町)の吉岡家の養子となり、13歳にして家督を相続した。その後、15歳にして養父を失う。医師の野津徹斎や田中鼎助につき和漢学を修めた。1868年(慶応4年)隠岐騒動で自治政府の警護頭取を務めた。その後、戊辰戦争に従軍した。1871年(明治4年)水祖神社神官となり、八尾小学校訓導、神道教導職、郡書記、郡学務委員、戸長を歴任した。
福岡 世徳(ふくおか つぐのり、嘉永元年10月15日(184… 福岡 世徳(ふくおか つぐのり、嘉永元年10月15日(1848年11月10日) - 昭和2年(1927年)1月30日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)、松江市長。弁護士。 出雲国松江に吉田蔵六の二男として生まれ、福岡至仙の養子となった。法律を学び、弁護士を開業。1889年(明治22年)、松江市長に選出された。 松江市長退任後の1912年(明治45年)、第11回衆議院議員総選挙に出馬し当選を果たした。
西山 関一郎(關一郎、にしやま かんいちろう、1848年11… 西山 関一郎(關一郎、にしやま かんいちろう、1848年11月7日(嘉永元年10月12日)- 1903年(明治36年)7月4日)は、明治期の医師、政治家。衆議院議員、島根県会議長。 出雲国神門郡荻杼村(島根県簸川郡川跡村、出雲町を経て現出雲市)で、医師、2代・西山沙保、やゑの長男として生まれる。儒学を今市の伊藤宜堂に学んだ。その後、神戸洋学館で英語を学び、1870年(明治3年)大阪医学校(現大阪大学医学部)に入学し4年間修学。その後上京し、佐々木東洋の私塾主幹に就任。1874年(明治7年)に帰郷し開業した。 1876年(明治9年)9月に公立松江病院が開設され院医に就任。1977年(明治10年)12月、院長心得となり1881年(明治14年)まで在任。
江角 柳四郎(えすみ りゅうしろう、1848年4月10日(嘉… 江角 柳四郎(えすみ りゅうしろう、1848年4月10日(嘉永元年3月7日)- 1906年(明治39年)3月22日)は日本の地主、実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。 出雲国出雲郡、のちの原鹿村(簸川郡久木村を経て現島根県出雲市斐川町原鹿)で、豪農の家に生まれる。機業を営み、簸川銀行取締役などを務めた。また、島根県元出雲郡連合村戸長、島根県会議員、久木村会議員、同村長などを歴任。1904年、貴族院多額納税者議員に選出され、同年9月29日に就任し、死去するまで在任した。 公益事業にも関心が高く、貧民救済、公共建築・道路修繕・衛生事業、居村児童への奨学金支給などに多額の寄付を行った。
小豆澤 亮一(あずきざわ りょういち、1848年 - 189… 小豆澤 亮一(あずきざわ りょういち、1848年 - 1890年)は、明治時代日本の肖像画家。号は碧湖(へきこ)。 1848年(弘化5年/嘉永元年)、出雲国松江城下(現在の島根県松江市)に豪商・小豆澤浅右衛門の長男として生まれる。日本画を学んだ後に上京し、写真家・洋画家の横山松三郎に弟子入りした。横山は白黒写真に油絵具で着色してカラー化する「写真油絵」の考案者であったが、1884年(明治17年)に横山が死去した後は小豆澤がこの技法の継承者となる。 1885年(明治18年)7月1日、専売特許条例が施行された。小豆澤は7月9日に写真油絵の技法で特許を出願し、10月7日付で権利を取得する。この技法は通常の描画に比べて細密な作業が求められるため視力の低下に悩まされた。
石橋 孫八(いしばし まごはち、1847年〈弘化4年〉 - … 石橋 孫八(いしばし まごはち、1847年〈弘化4年〉 - 1915年〈大正4年〉5月7日)は、日本の政治家、島根県の地主。島根県会議員。衆議院議員(島根県第三区選出、当選1回)。族籍は島根県平民。 出雲国楯縫郡平田村(島根県楯縫郡平田町、簸川郡平田町、平田市を経て現出雲市)出身。家は代々農業を営む。漢学を修める。治水を以て大いに名がある。 1894年、第4回衆議院議員総選挙で島根県第3区より選ばれて衆議院議員となる。国民協会、大手倶楽部に所属。第11議会解散後候補を伊藤啓一郎に譲る。 住所は島根県簸川郡平田町(のちの平田市、現・出雲市)。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
金子 有卿(かねこ ありのり、1846年1月18日(弘化2年… 金子 有卿(かねこ ありのり、1846年1月18日(弘化2年12月21日)- 1923年(大正12年)1月16日)は、日本の政治家、神職、華族。貴族院男爵議員。有郷と表記される場合がある。 石見国安濃郡川合村(現島根県大田市川合町川合)で物部神社社家・金子有久の二男として生まれる。元治元年7月7日(1864年8月8日)父の隠居に伴い家督を相続し第47代石見国造となる。1875年(明治8年)9月、華族に列せられ、1884年(明治17年)7月8日、男爵を叙爵した。 明治4年(1871年)物部神社権宮司に就任し、権大講義、大教正、神道大社教副管長などを歴任。明治元年(1868年)から川合国漢塾を設け神道教育と共に国漢教育を行い、また、皇典講究所委員にも就任した。
千家 尊福(せんげ たかとみ、弘化2年8月6日〈1845年9… 千家 尊福(せんげ たかとみ、弘化2年8月6日〈1845年9月7日〉 - 大正7年〈1918年〉1月3日)は、日本の宗教家、政治家。80代出雲国造、出雲大社宮司。神道大社教(1946年出雲大社教に改称)創立者で初代管長、元老院議官、貴族院議員、埼玉県知事(第4代)、静岡県知事(第4代)、東京府知事(第17代)、司法大臣(第14代)、東京鉄道株式会社社長などを歴任した。位階は従二位。勲等は勲一等。爵位は男爵。 出雲大社の宮司を務める出雲国造家に生まれ、神道大社派を創始する。その後、神道大社教に改称し管長に就任するなど、教派神道たる出雲大社教の礎を築いた。元老院議官を経て、第1回貴族院男爵議員選挙にて貴族院議員に選出される。
中村 祐七(なかむら ゆうしち、1845年5月20日〈弘化2… 中村 祐七(なかむら ゆうしち、1845年5月20日〈弘化2年4月15日〉 - 1915年〈大正4年〉6月10日)は、日本の実業家。中村組合資会社業務執行社員。姫路水力電気相談役。族籍は兵庫県平民。 石見国邑智郡口羽村(現・島根県邑智郡邑南町)の人である。島根県平民・中村彌三八の二男。1874年、姫路に来て陸軍用達となる。1882年、分家して一家を創立する。1887年、加東郡青野ヶ原を開いて軍馬養成所に充て1891年、伯耆大山を開く。始終力を軍用に尽くす。1915年6月10日、死去。年71。住所は姫路市龍野町1丁目。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
八幡 信太(やわた しんた、1845年(弘化2年10月)- … 八幡 信太(やわた しんた、1845年(弘化2年10月)- 1925年(大正14年)12月20日)は、幕末の村役人、明治から大正期の農業経営者・政治家。衆議院議員。旧名・信左衛門。 隠岐国穏地郡代村(島根県穏地郡代村、五箇村、隠岐郡五箇村を経て現隠岐の島町)で生れた。和漢学を修め、庄屋を務めた。農林業を営む。 1868年(慶応4年)隠岐騒動では、自治政府の総会所・撃剣頭取を務めた。その後、区戸長、代村戸長、大区副区長、島根県会議員(5期)、徴兵参事員などを務めた。また三等郵便局長に在任した。 1894年(明治27年)3月、第3回衆議院議員総選挙(島根県第6区、無所属)で当選し、湖月派に所属して衆議院議員に1期在任した。
7代 遠藤 嘉右衛門(えんどう かえもん、1844年10月2… 7代 遠藤 嘉右衛門(えんどう かえもん、1844年10月2日(弘化元年8月21日)- 1914年(大正3年)11月29日)は日本の地主、銀行家、政治家。貴族院多額納税者議員、遠藤嘉右衛門家7代当主、旧姓・神田。 のちの島根県で神田助左衛門の二男として生まれ、簸川郡今市町(現出雲市)の地主、6代・遠藤嘉右衛門の養子となる。後に家督を継承し嘉右衛門を襲名した。 1877年以降、島根県会議員、簸川郡会議員などを務め、補欠選挙で当選し1911年6月2日、貴族院多額納税者議員に任じられ、同年9月28日の任期満了まで一期在任した。その他、簸川銀行頭取などを務めた。 公益事業にも関心が高く、災害救援、貧民救済、公衆衛生・学校建設・道路修繕事業などに多額の寄付を行った
庄司 栄三郎(しょうじ えいざぶろう、1835年4月12日(… 庄司 栄三郎(しょうじ えいざぶろう、1835年4月12日(天保6年3月15日) - 1896年(明治29年)10月21日)は、日本の政治家。鳥取県会見郡渡村長(初代)。元渡村会議員。 出雲国島根郡新庄村(のち島根県八束郡本庄村、現・松江市)出身。渡村(現・鳥取県境港市渡町)の医者門脇春哲家の奉公人であったが、同家の長男健三郎が“本庄司”に婿入りの際、その俊敏な働きぶりを見込まれて本庄司の番頭として迎えられた。後に本庄司当主の妹をめとって庄司姓を名乗り、“西庄司”と号した。 初代戸長を務め、同家の大黒柱には今なお血税騒動で受けた傷跡が残る。大祥寺北に尋常小学校を新築する等初代村長として村政の基礎を築いた。
入江 文郎(いりえ ぶんろう / ふみお、1834年5月16… 入江 文郎(いりえ ぶんろう / ふみお、1834年5月16日(天保5年4月8日) - 1878年(明治11年)1月30日)は江戸時代末期から明治時代初期にかけての日本のフランス学者。旧松江藩士。旧名・泉、字を原伯といい、観寮(かんりょう)と号した。本姓は劉。 幕末におけるフランス学先駆者の1人であり、幕府の蕃書調所(のち開成所)教授方となってフランス語の翻訳と指導に従事。明治に入ると新政府の大学教官としてフランスに派遣され、研究のかたわら留学生総代を務めたが、病のためパリで客死した。 天保5年4月8日(1834年5月16日)、松江藩医入江元範の子として出雲国島根郡松江に生まれる。支藩広瀬藩の藩儒山村黙斎、次いで松江藩儒妹尾謙三郎(雨森精斎)に学び、嘉永7年(1854年)から江戸に遊学。
福羽 美静(ふくば びせい(「よししず」とも)、天保2年7月… 福羽 美静(ふくば びせい(「よししず」とも)、天保2年7月17日(1831年8月24日) - 明治40年(1907年)8月14日)は、日本の国学者・宮内官僚。通称は「文三郎」、号は「木園」、「硯堂」。 1831年(天保2年)、津和野藩士・福羽美質の長男として生まれた。幼少の頃に軽業(かるわざ、曲芸)師の真似をしようとして綱渡りをした際に誤って転落、腰部の関節を挫傷したために身長が伸びず、大人になっても5尺(約151.5cm)に満たなかったといわれる。父の友人から諭されて勉学に励み、1849年、19歳で藩校・養老館に入学して漢学や山鹿流兵学を学んだ。また荒木田守武の和歌に感銘を受け、歌道にも精進した。
陣幕 久五郎(じんまく きゅうごろう、文政12年5月3日(1… 陣幕 久五郎(じんまく きゅうごろう、文政12年5月3日(1829年6月4日) - 明治36年(1903年)10月21日)は、出雲国意宇郡意東村(現・島根県松江市東出雲町下意東)出身で秀ノ山部屋(入門時は滝登部屋)に所属した大相撲力士。第12代横綱(江戸最後の横綱)。本名は石倉 槇太郎(いしくら まきたろう)。 「負けず屋」と言われた強豪で、明治維新の後に大阪頭取総長となり横綱の代数を創案した。 文政12年5月3日(1829年6月4日)に、出雲国意宇郡意東村の農家に生まれる。14歳だったある日、兄と友人の3人で小舟に乗って海釣りを楽しんでいると、昇った月が3個に分割してその間に3個の星が出ているのが見え、左から右へ旋回する様子が15分ほど見られた。
西 周(、1829年3月7日〈文政12年2月3日〉- 189… 西 周(、1829年3月7日〈文政12年2月3日〉- 1897年〈明治30年〉1月31日) は、日本の啓蒙思想家・教育者、官僚。西 周助とも。爵位は男爵。 石見国津和野藩(現:島根県津和野町)の御典医の家柄。幼名、経太郎。父・西時義(旧名・森覚馬)は森高亮の次男で、川向いには西周の従甥(森高亮の曾孫)にあたる森鷗外の生家がある。西の生家では、彼がこもって勉学に励んだという蔵が保存されている。 漢学の素養を身につける他、天保12年(1841年)に藩校・養老館で蘭学を学んだ。安政4年(1857年)には蕃書調所の教授並手伝となり津田真道と知り合い、哲学ほか西欧の学問を研究。文久2年(1862年)には幕命で津田真道・榎本武揚らとともにオランダに留学し、ライデン大学でシモン・フィッセリング(ドイツ語版)に法学を、またカント哲学・経済学・国際法などを学ぶ。
荒川 亀斎(あらかわ きさい、文政10年4月25日(1827… 荒川 亀斎(あらかわ きさい、文政10年4月25日(1827年5月20日) - 明治39年(1906年)10月14日)は、島根県松江市横浜町出身の彫刻家である。名は明生、通称は重之輔。木彫りの彫刻等が有名であるが、機械器具の発明家でもある。 幼少期から彫刻界の天童と謳われ、地元では名の通った彫刻家だった。彫刻だけでなく、日本画、国学、書道、金工などを幅広く身につけた。1893年シカゴ万博に「稲田姫像」を出品して優等賞、1900年パリ万博に「征韓図」を出品して銅牌を受賞した。1890年小泉八雲と出会い、その後も交流が長く続いた。1906年死去。洞光寺に葬られた。 明治期に西洋から導入された「美術」という概念のもと成立した近代木彫の分野では、高村光雲がその最初の人物とされることが多い。
中沼 了三(なかぬま りょうぞう、 1816年9月6日(文化… 中沼 了三(なかぬま りょうぞう、 1816年9月6日(文化13年8月15日)- 1896年(明治29年)5月1日)は隠岐国周吉郡中村(現在の島根県隠岐の島町中村)出身の儒学者。名は之舜。了三は通称。字は魯仲。号は葵園(きえん)。贈正五位。 文化13年8月15日(1816年9月6日)隠岐国(島根県隠岐の島)で医師の中沼養碩、母テツの三男として生まれる。天保6年(1835年)京都に上り、山崎闇斎の流れを汲む崎門学派浅見絅斎の学統である鈴木遺音(恕平)の門下として儒学を学んだ。天保14年(1843年)、鈴木遺音の没後に葵園浅見安正の学統を承け、京都で開塾。学習院講師、孝明天皇の侍講となる。門人には西郷従道、桐野利秋、川村純義、千葉貞幹、松田重助らがあり、中沼塾は薩摩藩士が多く、竹村東野門下でもあった中岡慎太郎も西郷隆盛との接触を図り入門している。
岩谷 九十老(いわや くじゅうろう、1808年7月21日(文… 岩谷 九十老(いわや くじゅうろう、1808年7月21日(文化5年6月28日) - 1895年(明治28年)3月12日)は、江戸時代後期-明治時代の公共事業家。石見国安濃郡川合村(現在の島根県大田市)の豪農。名は善九郎、善右衛門。 1808年7月21日(文化5年6月28日)、岩谷孝兵衛、もんの第七子として生まれる。もんの乳の出が悪く、小作農に預けられ、板の間に蓆を敷いて寝たり、麦飯さえ食べられず、芋飯を食べて育つという幼児期を過ごす。家に帰ってからも使用人と同じく働きながら、近所の医師土江三圭の下で読書・習字を習う。孝兵衛は九十老に家督を継ぐ器量があると見定め、学問をさせたと見られる。また、土江の塾で貝原益軒や太宰春台の本を読み、実用的な学問を学ぶ。
大国 隆正(おおくに たかまさ、寛政4年11月29日〈179… 大国 隆正(おおくに たかまさ、寛政4年11月29日〈1793年1月11日〉 - 明治4年8月17日〈1871年10月1日〉)は、幕末・明治維新期の国学者、神道家。石見国津和野藩出身。 別姓は野之口。名に一造、匠作、仲衛など。諱は秀文、秀清、隆正。字は子蝶。号は葵園、佐紀乃屋。 津和野国学の泰斗として、国学史上の四大人観を確立し、「文武虚実論」に代表される学問論を残した。神道家としては石見国に於ける大国主信仰の復興にも貢献した。 津和野藩士今井秀馨の子として江戸桜田江戸藩邸に生まれた。 1805年(文化3年)に平田篤胤の門下となり国学を学ぶ。さらに昌平黌においても古賀精里に儒学を学ぶが、こちらは文化7年去っている。
岡 熊臣(おか くまおみ、天明3年3月9日(1783年4月1… 岡 熊臣(おか くまおみ、天明3年3月9日(1783年4月10日) - 嘉永4年8月6日(1851年9月1日))は、幕末に活躍した日本の国学者。石見国鹿足郡木部村(現・島根県鹿足郡津和野町)出身。 富長山八幡宮の神官・岡忠英の子として生まれる。本居宣長の影響を受け、村田春門の下で国学を学ぶ。1811年から神職自祭葬運動を展開した。1815年には家塾の桜蔭館を開いた。1849年、津和野藩校・養老館初代国学教師に就任。津和野国学隆盛の礎を築いた。 本居宣長と平田篤胤の思想を折衷し、独自の論考を構築した『千世の住処』、『古事記伝』を模した『日本書紀私伝』などの著書を著した。 1907年、従四位を追贈された。
高橋 啓恵(たかはし けい、7月21日 - )は、日本のなぞ… 高橋 啓恵(たかはし けい、7月21日 - )は、日本のなぞなぞ作家。島根県出身、東京都在住。 高校卒業後に上京し、バスガイドを勤めた。バスガイドとして様々な世代の客層を相手する中、観光案内だけでは飽きてしまう小さな子供へのレクリエーションの一つとして、行き先に因んだなぞなぞを出していた。当初は既存の本から題材に合うものを探していたが、自身で作った方がいいとオリジナルのなぞなぞを出すようになった。オリジナルのなぞなぞなどのガイド活動は好評を得、指名率ナンバーワンのガイドになり、日本バス協会より優良バスガイドとして表彰されたこともあった。 趣味でなぞなぞを書き溜めていくうちにストックは1000問を超えた。
ぽんとごたんだ(7月15日 - )は、日本の漫画家。島根県飯… ぽんとごたんだ(7月15日 - )は、日本の漫画家。島根県飯南町出身。バンタンゲームアカデミーイラスト・マンガ学部マンガクリエイター専攻を卒業。
森野あるじ(もりの -5月24日-)は日本のFlashクリエ… 森野あるじ(もりの -5月24日-)は日本のFlashクリエーターである。島根県出雲市出身。 Flashムービーの作成やイラストなどを手がける。特にFlashムービーでは完成度の高いアニメーションを多用した本格的なものを制作する。青池良輔、ポエ山、FROGMANと共に『Flashアニメ四天王』の一人と呼ばれていた。 当時ギャグ・MAD系が主流だった日本Flashアニメ界に革命を巻き起こしたと言われる。 かつては印刷関係のデザイナーをしており、Webサイトのインターフェース用にMacromedia Flashを購入したことをきっかけにFlashアニメを作り始めたという。 代表作は『HANOKA〜葉ノ香〜』、『つきのはしずく』、『YUKINO』、『The Mother Mars』、『ホシノ☆オニオン』など。
母里 由美子(もり ゆみこ、3月19日 - )は、日本の作曲… 母里 由美子(もり ゆみこ、3月19日 - )は、日本の作曲家、歌手、ピアニスト、アレンジャー、音楽プロデューサー。六子のサポートメンバーであり、ピアノとコーラスを担当する。有限会社ミューズランプに所属していた。 島根県安来市出身。血液型O型。年齢不詳希望[要説明]。 趣味は料理と匂い[要説明]。そして後悔しながらの飲酒。
中岡 みずえ(なかおか みずえ、1月22日 - )は、山陰地… 中岡 みずえ(なかおか みずえ、1月22日 - )は、山陰地方を拠点にタレント活動をしているラジオパーソナリティ。血液型はA型、星座はみずがめ座。 島根県飯石郡赤名町(後の赤来町、飯南町)出身。12歳まで同町で過ごした後、中学から松江市で生活する。 その後は山陰地方でラジオパーソナリティとして活動。山陰放送 (BSS) が制作するラジオ番組のほか、ケーブルテレビコミュニティチャンネルの番組やローカルCMにも出演している。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
川又 咲紀 は、日本将棋連盟(関西本部)所属の女流棋士、Yo… 川又 咲紀 は、日本将棋連盟(関西本部)所属の女流棋士、YouTuber。森雞二九段門下。女流棋士番号は56。島根県出雲市出身。つくば開成高等学校卒。同じく女流棋士の福間香奈は実姉。
鬼虫 兵庫(おにむし ひょうご)は、日本の作家、インディーゲ… 鬼虫 兵庫(おにむし ひょうご)は、日本の作家、インディーゲーム制作者。島根県出身。