豊田 泰久(とよた やすひさ、1952年 - )は、日本の音… 豊田 泰久(とよた やすひさ、1952年 - )は、日本の音響設計家である。 広島県福山市生まれ。広島大学附属福山高等学校卒業後、1972年に九州芸術工科大学音響設計学科に入学し、コンサートホールの音響設計技術を学ぶ。1977年、永田音響設計入社。同社ロサンゼルス事務所とパリ事務所の代表を務めている。 1952年広島県福山市に生まれる。両親が音楽が好きで、父親は尺八を、母親は琴をやっていた。父はレコードも収集していて、あるときシューベルトの未完成交響曲のレコードを聴いてみたら、それがあまりにも衝撃的でそこからクラシックの世界にのめり込んでいく。中学に入ってからは吹奏楽部でサクソフォンを吹いていた。
三浦 和尚(みうら かずなお、1952年 - )は、日本の教… 三浦 和尚(みうら かずなお、1952年 - )は、日本の教育学者。専門は国語教育学。元愛媛大学教育学部教授、元愛媛大学教育学部長・大学院教育学研究科長。元愛媛大学教育学部附属幼稚園園長、元愛媛大学教育学部附属小学校校長。 1952年広島県広島市で生まれる。1974年広島大学教育学部高等学校教員養成課程卒業。1974年広島大学附属福山中学校・高等学校教諭(-1983年)、1991年広島大学附属中学校・高等学校教諭を経て、1991年愛媛大学教育学部助教授。1996年同教授。1997年愛媛大学教育学部附属幼稚園園長(-2001年)、2002年愛媛大学教育学部附属小学校校長(-2007年)、2012年愛媛大学教育学部学部長(-2016年)。
高橋 紳吾(たかはし しんご、1952年 - 2005年8月… 高橋 紳吾(たかはし しんご、1952年 - 2005年8月14日)は、日本の精神科医。元東邦大学医学部附属大橋病院精神神経科助教授。 広島県呉市の公務員の家に生まれる。広島県立呉宮原高等学校在学中人生に悩み、高校卒業後大谷大学文学部仏教学科に入るが、2年で中退し東邦大学医学部卒、1984年同大学院を修了し、博士論文「都市における憑依現象 宗教観からみた日本人の精神構造」で医学博士。1988年から1989年までルプレヒト・カール大学ハイデルベルク精神医学教室に留学し憑依現象の日独比較研究を行う。東邦大学医学部精神神経科医局長、同助手を経て、1987年から同講師。精神科病棟医長兼務。宗教団体の元信者のカウンセリングを長年行い、1995年のオウム真理教事件以後多くマスコミに出演、宮部みゆきの『模倣犯』でも協力者としてあげられるなど活躍したが、東邦大学医学部附属大橋病院精神神経科助教授在任中の2005年に死去。
川本 隆史(かわもと たかし、1951年12月8日 - )は… 川本 隆史(かわもと たかし、1951年12月8日 - )は、日本の哲学者(倫理学・社会哲学)。学位は、博士(文学)(東京大学・論文博士・1997年)。東北大学名誉教授、東京大学名誉教授、国際基督教大学特任教授。 広島市生まれ。広島学院中学校・高等学校を卒業後、1970年に東京大学教養学部文科一類に入学。法学部から文学部に転部し、1975年東京大学文学部倫理学科卒業。学位論文はカントの宗教哲学。1980年東京大学大学院人文科学研究科博士課程を単位取得退学。1997年、博士(文学)(東京大学)の学位を取得。 跡見学園女子大学文学部教授、東北大学文学部教授を経て、2004年度より、東京大学大学院教育学研究科教授。
蔵田 義雄(くらた よしお、1951年(昭和26年)12月1… 蔵田 義雄(くらた よしお、1951年(昭和26年)12月1日 - )は、日本の政治家。広島県東広島市長(3期)、広島県議会議員(2期)、東広島市議会議員(1期)等を務めた。 広島県東広島市八本松町生まれ。広島県立広島商業高等学校卒業。 1995年、東広島市議会議員選挙に出馬し、初当選。 1998年、東広島市議を任期途中で辞職。1999年、広島県議会議員選挙に無所属で立候補し初当選。2003年の県議選は自民党公認で立候補し再選。 2006年1月、広島県議会議員を2期目の任期途中で辞職。同年4月23日に行われた東広島市長選挙に立候補し、当時自由民主党政務調査会長であった中川秀直の二男の中川俊直との一騎打ちを制し、初当選した。
古賀 史生(こが ふみお、1951年10月4日-)は日本中央… 古賀 史生(こが ふみお、1951年10月4日-)は日本中央競馬会(JRA)美浦トレーニングセンター南に所属していた元調教師である。旧姓は望月。古賀末喜調教師の娘と結婚し古賀姓を名乗る。 1970年、広島県立呉三津田高等学校を卒業。浪人生活を経て翌1971年、成蹊大学法学部法律学科に入学。在学中は馬術部に所属していた。卒業後は馬に関わる仕事がしたいと思い、1975年、麻布獣医科大学獣医学部に入学。1979年に卒業し、獣医師免許を取得した。北海道の育成牧場での研修を経て1980年、JRA・美浦トレーニングセンターの斎藤籌敬厩舎で調教助手となる。1981年、古賀末喜厩舎に移籍。 1988年に調教師免許を取得し、翌1989年に厩舎開業。
大亀 徹(おおかめ とおる、1951年10月 - )は、日本… 大亀 徹(おおかめ とおる、1951年10月 - )は、日本の元警視庁警察官。 現在は、サンデー毎日の全国高校別大学合格ランキングを毎年購入し、大学受験雑誌、大学学部別偏差値ランキングを把握し、母校明治大学の教職員、大学関係者、在校生の不甲斐無さを叱咤激励している。 1951年(昭和26年)10月、広島県尾道市に生まれる。1969年(昭和44年)3月、広島県立尾道北高等学校卒業。1975年(昭和50年)3月、明治大学農学部農業経済学科卒業。同年3月、警視庁に入り巡査拝命 (麹町署・第八機動隊) 。 上級職等の官僚機構に関する知識がなく、警視庁入庁後に公務員の身分制の壁に強いショックを受け、気力、体力もない東京大学法学部卒のキャリア官僚に伍する方法として、1978年4月、明治大学二部法学部法律学科に学士入学する。
佐々江 賢一郎(ささえ けんいちろう、1951年(昭和26年… 佐々江 賢一郎(ささえ けんいちろう、1951年(昭和26年)9月25日 - )は、日本の外交官。公益財団法人日本国際問題研究所理事長、ホテルオークラ取締役、セーレン取締役、三菱自動車工業取締役、富士通取締役。アメリカ合衆国特命全権大使などを歴任した。 外務省経済局長、アジア大洋州局長、外務審議官(政務担当)を歴任し、2010年(平成22年)に民主党政権の野田内閣で外務事務次官として、韓国へ大幅に譲歩した「佐々江提案」を提示した。2012年(平成24年)にアメリカ合衆国特命全権大使に就いた。 岡山県倉敷市児島出身で、広島大学附属高等学校を経て1974年(昭和49年)に東京大学法学部を卒業した。 外務省に入省し、英語研修を経て緒方貞子国連難民高等弁務官の補佐官、内閣総理大臣秘書官などを経て、2002年(平成14年)に経済局長に就き、2005年(平成17年)1月からアジア大洋州局長として北朝鮮による日本人拉致問題や対中国外交などで交渉し、2008年(平成20年)に政務担当外務審議官に就いた。
神田 康秋(かんだ やすあき、1951年9月24日 - )は… 神田 康秋(かんだ やすあき、1951年9月24日 - )は、フリーアナウンサー(みづま工房にキャスティング事業を委託)。テレビ新広島の元アナウンサー。広島県安芸郡府中町出身。広島県立海田高等学校、東洋大学社会学部卒業後、1975年、テレビ新広島の開局とともに入社した。系列局の同期入社に元フジテレビアナの堺正幸、酒井ゆきえ(現・タレント)、田丸美寿々(現・ニュースキャスター)、和田圭(元記者)、伊藤治明 (元北海道文化放送)、浅見博幸(元仙台放送)、小笠原和人、坪郷佳英子(共に元福島テレビ)がいる。 小学生の頃は合唱団に入り活動、そこで周りから「声がいいね」と言われたこともあって、その頃からアナウンサーになる夢を持つ。
本多 忠(ほんだ ただし、1951年9月19日 - )は、日… 本多 忠(ほんだ ただし、1951年9月19日 - )は、日本の競泳選手。専門は背泳ぎ。山口県出身。 尾道高等学校時代、全国高等学校総合体育大会水泳競技大会で優勝している。高校卒業後は広島商科大学(現広島修道大学)に進学、日本学生選手権水泳競技大会の100m、200m背泳ぎで2年連続優勝している。大学卒業後はフジタに入社し競技を続けた。 1972年のミュンヘンオリンピックでは100m背泳ぎで8位、200m背泳ぎは予選敗退、田口信教・駒崎康弘・佐々木二郎との400mメドレーリレーで6位となった。 1976年のモントリオールオリンピックでは100m背泳ぎで予選落ち、田口信教・原秀章・柳館毅とのメドレーリレーで8位となった。
平野 賢己(ひらの けんみ、1951年9月15日 - )は、… 平野 賢己(ひらの けんみ、1951年9月15日 - )は、日本の空手家。広島県江田島市出身。 広島商科大学(現 広島修道大学)卒。少林寺流空手道五行舘 舘長九段、全日本格斗打撃空手道連盟元常任理事、全日本硬式空手道連盟元理事。 広島修道大学拳法部1971年入門、第八代主将。少林寺流空手道錬心舘初代宗家保勇に師事。その後信販会社ライフはじめ仕事の傍ら、月心会岡田俊郎会長、曲家道場長堀一洋館長、昭林流励武塾鶴田勝塾長、松涛会(国立市)の会長とも交流を深め技術を学ぶ。 最短30才で師範ライセンス取得後、1981年宮城県仙台市八幡支部開設を機に千葉県行徳支部、大阪市阿倍野支部、奈良県桜ヶ丘支部、東京三鷹支部、多摩支部を開設。
南 喜陽(みなみ よしはる、1951年9月10日 - 202… 南 喜陽(みなみ よしはる、1951年9月10日 - 2024年12月29日)は広島県広島市西区出身の日本の柔道家。身長162cm。得意技は背負投。 崇徳高校時代にインターハイを制して、卒業後は新日本製鐵広畑に入社。世界選手権では2連覇を達成してオリンピックでも金メダルが期待されるが、モントリオールオリンピックでは2回戦で敗れてメダルも取れず。現在は全日本柔道連盟の強化委員会特別委員。 2024年12月29日、姫路市の自宅で病気のため死去。73歳没。
早稲田 昇(わせだ のぼる、1951年7月23日 - 201… 早稲田 昇(わせだ のぼる、1951年7月23日 - 2010年10月22日)は、日本の競泳選手。専門は自由形。1968年メキシコシティーオリンピック日本代表。 三原市立第三中学校、尾道高校、広島商科大学(現:広島修道大学)卒業。現役時代はフジタドルフィンクラブに所属していた。 全国中学校体育大会、全国高校総体でそれぞれ優勝経験がある。尾道高校の同級生には田口信教や本多忠らがおり、1968年と1969年の高校総体では男子総合優勝も達成した。 1968年のメキシコシティーオリンピックでは200m自由形と800mフリーリレーに出場し、ともに予選落ちとなった。 1970年のアジア競技大会では200m自由形で銀メダルを獲得し、400mフリーリレーと800mフリーリレーで2冠を達成した。
末田 正雄(すえだ まさお、1951年〈昭和26年〉7月18… 末田 正雄(すえだ まさお、1951年〈昭和26年〉7月18日 - )は、NHKの元エグゼクティブアナウンサー。現在は嘱託職。 広島県立呉三津田高等学校、明治学院大学卒業後1975年入局。入局以来、長く報道関連の番組を担当した。 高校在学中に、『NHK杯全国高校放送コンテスト』で全国5位に入賞した経験をもつ。 緊急地震速報チャイムの自動音声アナウンスを担当している。末田がNHKを定年退職した後も、引き続き使用されている。 2008年で、同期の桜井洋子ともども、NHKの内規による役職定年を迎えた。同時に『NHKニュース7』を降板。 深夜のラジオニュースを担当する際、ニュースを読み上げる前に「午前0時の時報をお伝えしました。
太田 房江(おおた ふさえ、1951年〈昭和26年〉6月26… 太田 房江(おおた ふさえ、1951年〈昭和26年〉6月26日 - )は、日本の政治家、実業家、タレント、通産官僚。本名は齊藤 房江(さいとう ふさえ)、「太田」は旧姓である。通称は「ふぅちゃん」。 参議院議員(2期)、経済産業副大臣兼内閣府副大臣(第2次岸田第1次改造内閣)、厚生労働大臣政務官(第3次安倍第1次改造内閣)、参議院文教科学委員長、大阪府知事(公選第15・16代)、岡山県副知事、通商産業省大臣官房審議官、自由民主党副幹事長、同参議院副幹事長、同政務調査会内閣第一部会長代理、自由民主党女性局長などを歴任。日本初の女性知事としても知られている。 国鉄社員の父の長女として広島県呉市に生まれる(現住所は大阪府豊中市新千里南町3丁目)。
成世 昌平(なるせ しょうへい、本名:堀邉 茂樹、1951年… 成世 昌平(なるせ しょうへい、本名:堀邉 茂樹、1951年6月10日 - )は、広島県三次市出身の演歌歌手。株式会社日本クラウン所属。既婚。所属事務所はハブ・マーシー。既婚、2女あり。 大阪市立都島工業高等学校卒業後、島津製作所に就職。高校在学中に落語家を目指し、桂米朝に弟子入り志願するが、「母ひとり子ひとりの家庭ならば、まずは仕事をしなさい」という趣旨の手紙が届き諦めた。Green2(グリーングリーン)のメンバー堀辺智寿(ほりべ ちず)は娘。 島津製作所在職中の1974年から独学で民謡の勉強を始め、1977年と1978年に「産経民謡大賞」(産経新聞社主催)の青年の部で連続優勝。1978年に島津製作所を退職。
観山 正見(みやま しょうけん、1951年5月22日 - )… 観山 正見(みやま しょうけん、1951年5月22日 - )は、日本の天文学者・宇宙物理学者。専門は理論天文学、とりわけ恒星および惑星系の形成過程。学位は、理学博士(課程博士・1981年)。国立天文台台長、自然科学研究機構理事、神戸大学大学院理学研究科惑星科学研究センター長・特命教授を歴任。岐阜聖徳学園大学第10代学長、岐阜聖徳学園大学短期大学部第13代学長。広島大学宇宙科学センター特任教授。 広島県東広島市出身。実家は室町時代から15代続く広島県東広島市(旧:賀茂郡福富町)にある本願寺派のお寺、長円寺。浄土真宗本願寺派僧侶の資格を持つ。 林忠四郎の弟子の一人で、広島大学附属中学校・高等学校卒業後京都大学理学部に進み、林が教授を務める京大理学部物理学科天体核物理学研究室に学んだ。
古田 陽久(ふるた はるひさ、1951年4月24日 - )は… 古田 陽久(ふるた はるひさ、1951年4月24日 - )は、世界遺産に関する研究者で、自身が設立したシンクタンクせとうち総合研究機構から刊行されている著書をはじめ、多数の著書がある。1998年に世界遺産総合研究所を設立し、所長となっている。 山口県萩市を本籍に広島県呉市生まれ。広島県立呉三津田高等学校卒業、慶應義塾大学経済学部卒業。15年間の総合商社勤務(日商岩井(現:双日))を経て、1990年(平成2年)シンクタンクせとうち総合研究機構を設立。1995年(平成7年)11月に、それまで資料の少なかったユネスコの「世界遺産」に関するデータを『世界遺産データ・ブック』(シンクタンクせとうち総合研究機構発行)として出版、朝日新聞の全国版(1995年12月14日朝刊大阪本社版では「生活予報」、東京本社版では「世界遺産ひと目で 140カ国、440件紹介」)で紹介される[要出典]。
岡本 綾子(おかもと あやこ、1951年4月2日 - )は、… 岡本 綾子(おかもと あやこ、1951年4月2日 - )は、広島県豊田郡安芸津町(現:東広島市)出身の女子プロゴルファー。樋口久子らと共に日本女子ゴルフの基盤を築いた名選手である[5]。日本の女子選手で初めて本格的にアメリカLPGAツアーに参戦した選手としても知られる。現在は広島県東広島市在住。
古今亭 菊丸(ここんてい きくまる、1951年4月1日 - … 古今亭 菊丸(ここんてい きくまる、1951年4月1日 - )は、広島県呉市出身の落語家。落語協会所属。出囃子は『勧進帳』。紋は『鬼蔦』。 崇徳高等学校卒業。広島修道大学在学中の1975年11月に二代目古今亭圓菊に入門、古今亭志ん八と共に楽屋入りし菊助と名乗る。翌年3月に広島修道大学商学部商業学科を卒業し、11月に池袋演芸場にて『たらちね』で初高座。 1980年6月、古今亭志ん八、古今亭菊松、金原亭駒平と共に二ツ目昇進、菊之助を襲名。 1990年3月に林家しん平、林家錦平、橘家半蔵とともに真打昇進。菊丸に改名。 趣味∶ハワイ旅行、ゴルフ。お気に入りのアロハシャツがユニクロでも買えることに気づいてショックを受けているらしい。
松本 薫(まつもと かおる、本名・同じ、1951年(昭和26… 松本 薫(まつもと かおる、本名・同じ、1951年(昭和26年)3月24日 - )は、狂言方大蔵流能楽師。京都能楽会会員。 1969年、広島大学附属中学校・高等学校卒業後、立命館大学法学部に入学(1977年、同大学卒業)。1974年、大学在学中に十二世茂山千五郎(のちの四世千作)に入門。同年、「瓜盗人」のアドで初舞台に立った。1984年には網谷正美、丸石やすしらと「狂言勉強会」を結成するなど活動の場を大きく広げた。その後この勉強会は「三笑会」として現在に至り、2004年には100回記念公演をしている。2006年にはこの活動が認められ、三笑会が京都府文化賞功労賞を受賞。 海外での活動にも積極的で、1984年にアメリカ・カナダでの海外公演を皮切りに、1999年には、フランス政府文化省・パリ市立劇場の後援で「MONNAIE DE SINGES」を制作。
松田 元(まつだ はじめ、1951年2月11日 - )は、プ… 松田 元(まつだ はじめ、1951年2月11日 - )は、プロ野球・広島東洋カープオーナー・代表取締役社長。広島県広島市、現在の中区出身。 曾祖父はマツダの実質的な創業者で2代目社長の松田重次郎、祖父はマツダ3代目社長の松田恒次、父はマツダ4代目社長の松田耕平。弟はアンフィニ広島・広島エフエム放送社長の松田弘、弘の子はオーナー代行の松田一宏。広島マツダ会長の松田哲也ははとこに当たる。 祖父から3代続けてカープオーナーである。 松田耕平の長男として広島で生まれる。広島大学附属高校卒業後、慶應義塾大学へ入学。1973年に大学卒業、その後アメリカ留学を経て1977年に東洋工業(現・マツダ)に入社した。
渡辺 英寿(わたなべ えいじゅ、1951年1月20日 - )… 渡辺 英寿(わたなべ えいじゅ、1951年1月20日 - )は、日本の医学者、脳神経外科医。医学博士(東京大学)。自治医科大学元教授。自治医科大学名誉教授。専門はてんかん外科、コンピュータ支援外科。元日本脳神経外科学会理事(元情報委員長)。 広島県広島市生まれ。広島大学附属高等学校を経て東京大学理科三類に入学し、1976年に東京大学医学部医学科を卒業して1976年に脳神経外科に入局する。 東京大学医学部附属病院、三井記念病院、東京都立墨東病院を経て、東京大学医学部生理学教室で3年間、伊藤正男教授の下で神経生理学を研鑽して医学博士号を取得した後、西ドイツエルランゲン大学脳神経外科に留学し、脳神経外科術中の神経誘発電位による聴神経機能モニタリング法の開発を行った。
もんた よしのり(1951年〈昭和26年〉1月8日 - 20… もんた よしのり(1951年〈昭和26年〉1月8日 - 2023年〈令和5年〉10月18日)は、日本の歌手、シンガーソングライター、俳優。兵庫県神戸市育ち。娘は元COLORの門田こむぎ。 1964年、ビートルズのコピーに熱中しバンド活動を開始。1967年、報徳学園高等学校に入学。ハンドボール部に在籍しながら、音楽にも没頭しR&Bやソウルなどを中心に歌う。1968年本格的に音楽活動を開始。 1970年、全日本フォークジャンボリーに中川イサトらと共に「インスタンツ」として出演。1971年、上京、シングル「この足の鎖ひきちぎりたい」でソロ歌手としてデビュー。1976年の「もんた頼命」名義でリリースした「どこへもゆきたくないな」『報知新聞』1976年7月19日付のレコード評では「ブルースを歌ってもいいぐらいの歌唱力。
高橋 源一郎(たかはし げんいちろう、1951年1月1日 -… 高橋 源一郎(たかはし げんいちろう、1951年1月1日 - )は、日本の小説家、文学者、文芸評論家。明治学院大学教授。
喜多村 悦史(きたむら えつし、1951年(昭和26年) -… 喜多村 悦史(きたむら えつし、1951年(昭和26年) - )は、日本の元厚生官僚、社会福祉学者。東京福祉大学大学院社会福祉学研究科教授、一般財団法人日本ウエルネス協会理事。博士(社会福祉学)。専門は社会保障、労働法、財政。 広島県福山市生まれ。京都大学法学部を卒業後、1974年(昭和49年)、厚生省に入省し、社会保険制度の企画・運営に従事する。内閣府経済社会総合研究所総括政策研究官、財団法人結核予防会専務理事等を経て、現在は東京福祉大学大学院社会福祉学研究科教授。2011年(平成23年)、「国民保険創設(社会保障の統合)とその財政見通し」により、東京福祉大学から博士(社会福祉学)を取得した。
髙田 惠子(たかた けいこ、1951年 - )は、日本の翻訳… 髙田 惠子(たかた けいこ、1951年 - )は、日本の翻訳家。「高田 恵子」と表記される場合もある。 広島県広島市生まれ。 1974年津田塾大学学芸学部英文科卒業。
石野 伸子(いしの のぶこ、1951年 - )は、日本のジャ… 石野 伸子(いしの のぶこ、1951年 - )は、日本のジャーナリスト、新聞記者。産経新聞「夕焼けエッセー」生みの親で、「あさが来た」ブームの火付け役。 広島県生まれ。大阪外国語大学(現大阪大学外国語学部)ドイツ語学科を卒業、1974年(昭和49年)産経新聞社入社。産経新聞大阪本社編集局社会部を経て文化部。2000年(平成12年)文化部長。2003年編集局次長。2005年東京本社編集局編集委員。2008年大阪本社編集局編集委員兼特別記者。ラジオ大阪 News Tonight いいおとなの「アンカーマン」も務めた(コメンテーター、2018年3月29日で降板)。 文化部長時代の2002年(平成14年)4月1日、産経新聞の夕刊(関西圏)で連日、読者の投稿コーナー「夕焼けエッセー」を開始させたが、新聞の顔と言える1面(表紙)に掲載する方針は大きな反響を呼び、スタート時点までに寄せられた作品だけで196点にのぼる人気となった。
河野 和久(こうの かずひさ、1950年12月30日 - )… 河野 和久(こうの かずひさ、1950年12月30日 - )は広島県出身の元サッカー選手。ディフェンダー(DF)。 山陽高等学校では崎谷誠一、平田和資らと共に1967年全国高等学校サッカー選手権優勝(洛北と両校優勝)、国体3位。3年時の翌1968年全国高等選手権は準優勝(0ー1初芝)。ユース日本代表にも選出され、1969年第11回アジアユース選手権(AFCユース選手権)に出場した。この時の代表メンバーは18人中9人が広島出身者の同学年で、多くが日本サッカーリーグ(JSL)各チームの主力選手として活躍した。(詳細は崎谷誠一の項目を参照)。 高校卒業後、日立入りし、忠実なサイドバックとして長くレギュラーとしてプレーした。
小原 秀男(こはら ひでお、1950年12月29日 - 20… 小原 秀男(こはら ひでお、1950年12月29日 - 2015年10月2日)は、広島県広島市佐伯区出身のサッカー選手・指導者。 広島県立広島工業高等学校卒業。3年時の1968年、同級の荒井公三らと全国高等学校サッカー選手権3位。ユース日本代表にも選ばれ第11回アジアユース選手権(AFCユース選手権)出場。この時の代表メンバーは18人中9人が広島出身者で、多くが日本サッカーリーグ(JSL)に進み、各チームの主力選手として活躍した。(詳細は崎谷誠一の項目を参照)。 高校を卒業後、1969年に東洋工業(現マツダ)へ入社、東洋工業サッカー部(のちのマツダSC、現サンフレッチェ広島)の選手として活躍した。
西本 哲雄(にしもと てつお、1950年12月16日 - )… 西本 哲雄(にしもと てつお、1950年12月16日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、バレーボール指導者。1972年ミュンヘンオリンピック金メダリスト。 広島県広島市宇品(現南区宇品)出身。中学まではサッカー選手で、バレーボールは未経験だったが、崇徳高校入学後にバレーボール部に入部。体の大きさを買われてエースアタッカーとして鍛えられ、3年時の1968年、セッター・主将の米田一典らと高校総体で中大附属高校を降し優勝。同年国体では、柳本晶一がまだアタッカーだった大商大付属高校と当時のライバル校を降し優勝、崇徳初の高校2冠の原動力となった。(春高バレーは1970年から) 1969年、高校卒業後、先輩・猫田勝敏らのいた地元チーム・専売広島(現JTサンダーズ)入りし、猫田と共にチームを牽引した。
向谷 匡史(むかいだに ただし、1950年12月3日 - )… 向谷 匡史(むかいだに ただし、1950年12月3日 - )は、広島県呉市出身の作家、僧侶、武道家(日本空手道昇空館館長)、保護司。 拓殖大学を卒業後、週刊誌記者を経て作家に。 1950年12月3日、広島県呉市に生まれる。広島県立呉宮原高等学校卒業。一浪して拓殖大学政経学部政治学科入学、74年卒業。高校時代から空手を始める。 在学中から漫画雑誌の活版ページなどに記事を書いていて、大学4年時に在学のまま小規模の経済雑誌に就職。次いで、夕刊スポーツ紙「内外スポーツ」で競馬担当。卒業はあきらめていたが、4月になり、授業料納付の案内が来ないので、まさかと思いつつ大学に行って問い合わせると、無事、卒業していたので本人が驚いたという。
崎谷 誠一(さきや せいいち、1950年12月1日 - )は… 崎谷 誠一(さきや せいいち、1950年12月1日 - )は、広島県似島出身の元サッカー選手。 山陽高等学校でフォワード、あるいは攻撃的MFとして2年時の1967年、全国高等学校サッカー選手権で優勝(洛北と第二延長を含む120分0-0で両校優勝)、国体3位。2年生でユース日本代表に選出される。3年時の翌1968年には主将として全国高等選手権準優勝(0ー1初芝)。翌1969年第11回アジアユース選手権(AFCユース選手権)に出場した。この時の代表メンバーは18人中9人が広島出身者の同学年で、崎谷は八幡製鉄、山陽の同級・河野和久は日立、県立広島工業の荒井公三は古河電工、小原秀男は東洋工業、修道の大谷栄一は三菱重工、広島市商の河本博は八幡製鉄と、日本サッカーリーグ(JSL)に進み、いずれもチームの主力選手として活躍した。
池辺 幸惠(いけべ ゆきえ、1950年(昭和25年)12月 … 池辺 幸惠(いけべ ゆきえ、1950年(昭和25年)12月 - )は、日本のピアニスト。日朝音楽芸術交流会会長。元大阪芸術大学講師。 広島県福山市出身。兵庫県宝塚市在住。 大阪教育大学附属高等学校池田校舎卒業後、 大阪芸術大学に入学、卒業。大阪教育大学大学院修了。 池辺は2012年4月に訪朝し「4月の春国際親善芸術祭典」に参加し、自作の"アリラン変奏曲"の演奏により賞を受賞している。以来北朝鮮の理解と交流・支援に深く携わり、北朝鮮への偏見と誤解、在日朝鮮人・朝鮮学校への差別をなくすさまざまな活動や、それらの主旨と反原発と9条を守る歌とピアノとスライドショーの"平和コンサート"を催している。 2019年7月、日朝音楽芸術交流会名誉会長だった小笠原美都子が死去、同年9月7日にアウィーナ大阪で開かれた小笠原を偲ぶ会では「平壌慕情」と「平壌賛歌」をピアノで弾き語り、「アリラン変奏曲」をピアノ演奏している。
國廣(国広) 敏文(くにひろ としふみ 、1950年11月1… 國廣(国広) 敏文(くにひろ としふみ 、1950年11月19日 - )は、日本の政治学者。専門は、政治学、政治社会学、比較政治、フランス現代政治。立命館大学名誉教授。 広島県大竹市生まれ。1969年3月、私立崇徳高等学校卒業。1975年3月、明治大学政治経済学部政治学科卒業。その後、同大学院政治経済学研究科政治学専攻修士課程修了、同専攻博士課程単位取得退学。明治大学では田口富久治教授(名古屋大学名誉教授)に師事。1990年4月より立命館大学産業社会学部助教授、1998年に教授、2016年3月定年退職。続いて2021年3月まで特別任用教授。
座本 大汪(ざもと だいおう、1950年11月12日 - )… 座本 大汪(ざもと だいおう、1950年11月12日 - )は広島県福山市赤坂町生まれの書家。日展総理大臣賞受賞者である劉蒼居や、毎日芸術賞を受賞した金子卓義に師事。2010年に開かれた自身の還暦記念個展を評価され2011年6月9日に第24回毎日書道顕彰・芸術部門を受章。 1950年11月12日、広島県福山市赤坂町に生まれる。 1957年より兵庫県に移住し、活動拠点を兵庫県加古川市に定める。 1984年の第16回日展に初入選し、以降第29回日展までの期間で計9回入選。 2000年に自身が代表を務める書法研究嚶嚶を発足し、これまで師事を仰いだ劉蒼居の言葉「字を書くということは人間修行の総称である」を教訓に、漢字書家として古典研究に務める。
緒方 喜治(おがた よしはる、1950年11月1日‐)は、元… 緒方 喜治(おがた よしはる、1950年11月1日‐)は、元NHKアナウンサー。現在はフリーアナウンサーとして、ボイスワークスとマネジメント協力を結んでいる。 広島県広島市出身。山口県立防府高等学校から広島県立広島国泰寺高等学校を経て慶應義塾大学法学部政治学科卒業後、1974年にNHKへ入局。 スポーツアナとして1981年から2004年春場所まで大相撲中継の実況を担当(特に1990年代中盤から2001年頃には初日ならびに千秋楽の実況を務めることもあった。ただ、同時期に活躍していた石橋省三、内藤勝人よりも年下であったこと、1995年以降は藤井康生の担当回数が増加したことが影響して、緒方の担当回数は限定的であった)。
荒井 公三(あらい こうぞう、1950年10月24日 - 2… 荒井 公三(あらい こうぞう、1950年10月24日 - 2020年12月27日[要出典])は、日本の元サッカー選手、日本代表選手。広島県佐伯郡能美町(現江田島市)出身。 広島工業高校3年時の1968年、全国高等学校サッカー選手権3位。ユース日本代表にも選出され第11回アジアユース選手権(AFCユース選手権)出場。この時の代表メンバーは18人中9人が広島出身者で、多くが日本サッカーリーグ(JSL)に進み、各チームの主力選手として活躍した。(詳細は崎谷誠一の項目を参照)。 所属した古河電工でも日本代表でも1970年代の主力選手の一人として活躍。所属チームでは若き古河を象徴するダイナミックなMFとして守備を引き締め永井良和、奥寺康彦らと1976年、古河電工念願の日本サッカーリーグ初制覇、天皇杯制覇の二冠、翌1977年のJSLカップ制覇などに貢献した。
井上 幸信(いのうえ ゆきのぶ、1950年9月25日 - )… 井上 幸信(いのうえ ゆきのぶ、1950年9月25日 - )は、広島県出身の元プロ野球選手(投手)。
新宅 よしみつ(しんたく よしみつ、1950年9月20日 -… 新宅 よしみつ(しんたく よしみつ、1950年9月20日 - )は、日本の漫画家。広島県呉市倉橋島出身。別名:新宅 善光(読みは同じ)。 高校を中退し、1967年に上京後、井上智に弟子入り。その後、久松文雄、梅本さちおのアシスタントを経て1972年、少年マガジン増刊号にて「闇に光る眼」でデビュー。後に永井豪のダイナミックプロでもアシスタントとして活動している。 2018年現在は画家としても活動しており、広島県呉市で絵画展を開いている。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
今中 哲二(いまなか てつじ、1950年9月18日 ~ )は… 今中 哲二(いまなか てつじ、1950年9月18日 ~ )は、日本の工学者(原子力工学)。京都大学原子炉実験所助教 兼 京都大学大学院工学研究科都市環境工学専攻助教。瀬尾健とチェルノブイリ原子力発電所事故後の追跡調査を中心に活動した。工学修士。広島県出身。熊取六人衆の1人。
小島 敏文(こじま としふみ、1950年9月7日 - )は、… 小島 敏文(こじま としふみ、1950年9月7日 - )は、日本の政治家。勲等は旭日重光章。 衆議院議員(4期)、広島県議会議員(7期)、厚生労働大臣政務官、復興副大臣を歴任した。EM菌議員連盟に所属する。 広島県世羅郡世羅町生まれ。広島県立世羅高等学校を経て、大東文化大学経済学部経営学科卒業。1973年に中山正暉衆議院議員秘書となり、1980年からは宮澤喜一衆議院議員秘書を務める。 1983年、広島県議会議員に初当選し、以後7期連続当選。2002年には広島県議会副議長に就任。 2009年7月23日、広島県議会議員を辞職し、同年8月の第45回衆議院議員総選挙に広島6区にから自由民主党公認で出馬したが、国民新党の亀井静香に67,479票差で敗れた。
漁田 武雄(いさりだ たけお、1950年8月6日 - )は、… 漁田 武雄(いさりだ たけお、1950年8月6日 - )は、日本の心理学者(認知心理学・実験心理学・環境的文脈依存記憶)。学位は文学博士(広島大学・1991年)。静岡大学名誉教授、静岡産業大学経営学部教授。 広島大学教育学部助手、国立特殊教育総合研究所精神薄弱教育研究部研究員、静岡大学教養部助教授、静岡大学情報学部教授、静岡大学大学院情報学研究科教授、静岡大学情報学部情報社会学科学科長、日本認知心理学会理事、静岡大学大学院創造科学技術研究部教授などを歴任した。 1950年8月、広島県広島市に生まれた。広島市立段原小学校、広島学院中学校を経て、広島学院高等学校を卒業する。父親から大学進学を反対されたため、やむなく家出のような状況で広島市を離れ、1969年4月に横浜国立大学に入学する。
中島 敏文(なかじま としふみ、1950年7月29日 - )… 中島 敏文(なかじま としふみ、1950年7月29日 - )は、広島県高田郡吉田町(現・安芸高田市)の元騎手・元調教師である。 実父・中島時一も元騎手、中島啓之は実兄。 父・時一は戦前の騎手・調教師で、牝馬のヒサトモで1937年の東京優駿をレコードタイムで制覇している。父母の疎開先の広島で生まれ、時一のダービー優勝時には啓之と敏文はまだ生まれていなかった。 1968年に京都・上田武司厩舎の騎手候補生となり、1969年3月にデビュー。同期には田村正光、上野(伊藤)清章、須貝四郎、楠孝志、内田国夫、西浦勝一がいる。同1日の京都第5競走障害5歳以上未勝利・フェアダッシュで初騎乗を果たすが、落馬で競走中止というほろ苦いデビューとなった。
大久保 一久(おおくぼ かずひさ、1950年7月22日 - … 大久保 一久(おおくぼ かずひさ、1950年7月22日 - 2021年9月12日)は、日本のミュージシャン、フォークシンガー、シンガーソングライターである。薬剤師でもある。血液型はA型。愛称は「クボやん」。広島県呉市出身。広島県立呉宮原高等学校を経て、昭和大学薬学部卒業。
川崎 清貴(かわさき きよたか、1950年7月11日 - )… 川崎 清貴(かわさき きよたか、1950年7月11日 - )は、日本の陸上競技選手。男子円盤投元日本記録保持者。中京大学体育学部卒業。身長198cm、体重100kg。 日本選手権6回優勝。日本記録を6回更新した選手で、1979年4月22日に出した60m22cmは、2017年まで陸上競技最古の日本記録として残っていた。 広島県呉市出身。広島県立広高等学校~中京大学卒業。中京大時代の1970年からインカレ3連覇。大学卒業後は大昭和製紙に入社し活躍。1973年から日本選手権2連覇。 1974年には梁川昌三が樹立した52m22の日本記録を10年ぶりに更新する52m86の日本新記録をマーク。1975年、53m18の日本新記録を樹立。
米田 一典(よねだ かずのり、1950年6月24日 - 20… 米田 一典(よねだ かずのり、1950年6月24日 - 2012年2月26日)は、日本のバレーボール元選手・指導者。元全日本女子バレーボールチーム監督、チャレンジリーグ・仙台ベルフィーユ監督を歴任。広島県広島市安佐南区出身。 崇徳高校3年生時の1968年高校総体で、セッター・主将として中大附属高校を降し優勝。同年国体では柳本晶一擁する大商大付属高校を降して優勝し、2冠を達成した。 1973年、法政大学在学中に日立女子バレーボール部にコーチとして就任。1975年、監督に昇格し日立を常勝チームに育て上げた。 1974年には全日本女子チームコーチに就任、山田重雄監督の片腕として活躍し、1976年モントリオールオリンピック、1977年W杯の金メダル獲得に貢献した。
市地 洋子(いちじ ようこ、1950年6月21日 - )は、… 市地 洋子(いちじ ようこ、1950年6月21日 - )は、日本の元女優・元歌手。本名同じ。別名義、安芸 晶子 (あき まさこ)。 広島県東広島市出身。上野学園高等学校卒業。芸映に所属していた。 1968年、広島県立賀茂高等学校在学中に、埼玉県に住んでいた姉を頼って上京して、上野学園高等学校に転校。1969年の高校卒業後に東京音楽学院に入学、スクールメイツに入団する。同年、NHKのテレビドラマ『若い日』でデビューし、松竹映画『ミヨちゃんのためなら全員集合!!』で映画初出演。 1970年、東映映画『三匹の牝蜂』に、大原麗子、夏純子とともに主役に抜擢される。その後、NETのバラエティ番組『びっくり大ショック』のアシスタントや、特撮テレビドラマ『ミラーマン』のレギュラー出演を経て、1973年に安芸晶子に改名し、東宝映画『狼の紋章』に出演。
平田 生雄(ひらた いくお、1950年6月17日 - 200… 平田 生雄(ひらた いくお、1950年6月17日 - 2009年4月3日)は、広島県広島市出身の元サッカー選手(MF/DF)、元サッカー指導者(JFA 公認S級コーチ)。 幼少期は長嶋茂雄に憧れた野球少年であったが、小学6年時の1962年に似島へ戻った事が転機となる。当時実家の2階には広島市立似島中学校サッカー部を創部した渡部定彦が下宿していたほか、似島は当時「サッカーの島」と言われたほどサッカーの盛んな所で、進学した似島中で渡部の指導の下サッカーを始めることになる。似島は第1次世界大戦で中国・青島にいたドイツ軍人の捕虜収容所のあったところで、このドイツ人からサッカーを習って大正期の広島のサッカーがレベルアップして、日本のサッカー先進地域になったというエピソードがある。
硤合 憲三(そあい けんそう、1950年5月3日 - )は、… 硤合 憲三(そあい けんそう、1950年5月3日 - )は、日本の有機化学者。学位は、理学博士(東京大学・1979年)。東京理科大学理学部第一部応用化学科教授を経て、同名誉教授。不斉自己触媒反応(硤合反応)の発見者。2012年紫綬褒章受章。2023年瑞宝中綬章受章。広島県安芸郡府中町出身。 有機化学 (不斉合成,不斉自己触媒,不斉の起源,不斉触媒,自己増殖,有機合成) 有機亜鉛化合物がアルデヒドに付加する反応は、適当な触媒により活性化され、多くの不斉反応も知られているが、その中でピリミジン-5-カルボアルデヒドに対するジイソプロピル亜鉛の付加反応が、生成物の2級アルコール自身に触媒される、すなわち自己触媒反応であることと、さらにその過程で非常に大きな不斉増幅が起こることを発見した。