宮澤 洋一(みやざわ よういち、1950年(昭和25年)4月… 宮澤 洋一(みやざわ よういち、1950年(昭和25年)4月21日 - )は、日本の政治家、元大蔵官僚。自由民主党所属の参議院議員(2期)、自民党税制調査会長(第35代)。
広島県:2,640人
宮澤 洋一(みやざわ よういち、1950年(昭和25年)4月… 宮澤 洋一(みやざわ よういち、1950年(昭和25年)4月21日 - )は、日本の政治家、元大蔵官僚。自由民主党所属の参議院議員(2期)、自民党税制調査会長(第35代)。
和田 慎二(わだ しんじ、本名:岩本 良文(いわもと よしふ… 和田 慎二(わだ しんじ、本名:岩本 良文(いわもと よしふみ)、1950年4月19日 - 2011年7月5日)は、日本の漫画家。広島県呉市出身。漫画原作者・挿絵画家としての仕事も手がけていた。
小丸 成洋(こまる しげひろ、1950年4月16日 - )は… 小丸 成洋(こまる しげひろ、1950年4月16日 - )は、日本の実業家、福山通運代表取締役社長。元日本放送協会経営委員会委員長。 広島県福山市出身。日本大学生産工学部管理工学科卒業後、1974年福山通運に入社。入社後は運行管理部長、福山北支店長などを務め、1989年に取締役、1997年6月に代表取締役社長となった。 本業以外では福山通運関連会社の代表取締役や、NHK経営委員会委員長などを歴任。また日本交通心理学会会員として、交通安全関係の研究・著作活動も行っている。 NHK経営委員長は、富士フイルムの幹部だった古森重隆の後任として就任したが、2010年暮れ以降、「もう年だから」と退任することを決めていた福地茂雄の後任となる会長の選任を巡って、様々な問題を引き起こした。
川口 孝夫(かわぐち たかお、1950年4月13日 - )は… 川口 孝夫(かわぐち たかお、1950年4月13日 - )は、日本の柔道家。広島県広島市出身。1972年ミュンヘンオリンピック柔道男子63kg級金メダリスト。身長164cm。 崇徳学園中学校 - 崇徳学園高等学校 - 明治大学。5歳の時、父の営む川口道場にて柔道を始めた。崇徳高校3年時(1968年)、インターハイ軽量級にて優勝。明治大学3年時(1971年)、世界柔道選手権大会(西ドイツ)軽量級優勝。明治大学4年時(1972年)、ミュンヘンオリンピック軽量級日本代表に選ばれ、同大会で優勝し、金メダリストとなった。決勝のブイダー(モンゴル)をわずか39秒の横四方固めで破った。 現在は、広島矯正管区武道教官を務める傍ら、川口道場を継ぎ、後進の育成に当たっている。
新原 芳明(しんはら よしあけ、1950年(昭和25年)3月… 新原 芳明(しんはら よしあけ、1950年(昭和25年)3月27日 - )は、日本の財務官僚。広島県出身。
田代 博(たしろ ひろし、1950年3月25日 - 2021… 田代 博(たしろ ひろし、1950年3月25日 - 2021年2月19日)は、日本の地理学者・地理教育者。元筑波大学附属高等学校教諭。日本地図センター相談役。日本において、地図学習の指導者として知られていた。富士山をこよなく愛した。 1950年、広島県尾道市生まれ。1972年に東京教育大学理学部地学科地理学教室を卒業後、神奈川県立高等学校教諭に着任した。同年、通勤中の交通事故で骨折。そのリハビリで山歩きをはじめ、山に興味を持つようになる。 1997年より筑波大学附属高等学校教諭。高校教員を42年間務め、2014年3月に退職した。2015年6月より日本地図センター常務理事・地図研究所長、2017年6月より同相談役。
村岡 達子(むらおか たつこ、1950年3月3日 - )は、… 村岡 達子(むらおか たつこ、1950年3月3日 - )は、日本の宗教家。オウム真理教の元幹部(代表代行)。宗教団体Aleph元副代表および元会長。ホーリーネームはウッタマー。 広島県福山市出身。高等学校卒業後,上智大学外国語学部に進学する.上智大学中退後、早稲田大学第二文学部仏文専修卒業。ロサンゼルスに進出した大手日本企業に勤務するが、倒産のため帰国。1988年7月にオウム真理教に入信。同年12月に出家。英訳仏典の日本語への翻訳や教祖麻原彰晃の海外渡航の際の通訳などを務める。 1995年のオウム真理教事件の発覚後に教団代表である麻原や代表代行である松本知子の逮捕により、同年6月に代表代行に就任。
渡辺 和博(わたなべ かずひろ、1950年〈昭和25年〉2月… 渡辺 和博(わたなべ かずひろ、1950年〈昭和25年〉2月26日 - 2007年〈平成19年〉2月6日)は、日本の編集者、漫画家、イラストレーター、エッセイスト。 1950年(昭和25年)、裕福な薬局の子供として、広島県広島市に生まれる。崇徳高等学校卒業。 運動神経は鈍かったものの、子供のころからメカ好き、オートバイ好きであった。高校時代に二輪免許を取得し、自動車雑誌の購読も始めた。後の自身の漫画作品にも、オートバイに関する内容や、それにまつわる青春群像ものが多く、いわゆる「エンスー」となっていった。 1968年(昭和43年)に上京後、東京綜合写真専門学校に入学してカメラマンを目指していたが中退した。
久保 允誉(くぼ まさたか、1950年〈昭和25年〉2月18… 久保 允誉(くぼ まさたか、1950年〈昭和25年〉2月18日 - )は、日本の実業家。エディオン会長。サンフレッチェ広島会長。 広島県広島市に生まれる。実父は第一産業(後のダイイチ/デオデオ/エディオンWEST、現エディオン WESTカンパニー)創業者の久保道正。1978年、早稲田大学商学部卒業。 1978年、第一産業に入社。取締役、常務取締役、専務取締役、副社長などを経て、1992年、代表取締役社長に就任。2002年、エディオンを設立、代表取締役会長に就任。2003年にエディオン取締役社長、デオデオ取締役会長に就任。2004年、暮らしのデザイン代表取締役会長を兼務。2007年、不祥事によりミドリ電化役員の引責辞任を受けて、同社会長に就任。
友永 義治(ともなが よしはる、1950年2月18日 - )… 友永 義治(ともなが よしはる、1950年2月18日 - )は、日本の陸上競技選手。日本陸上競技連盟副会長、日本実業団陸上競技連合理事長。 広島県庄原市宮内町出身。 1967年、広島県立三次工業高校(現・広島県立三次青陵高校)卒業後、日立に勤務。1969年 - 1974年、日本選手権400m6連勝。1972年 - 1975年、日本選手権200m4連勝。1970年、第6回アジア競技大会(バンコク)400mで46秒6の日本新記録で優勝。1972年ミュンヘンオリンピック400mに出場した。 日本実業団陸上競技連合理事長(2007年12月の五島哲会長の急死で一時会長代行兼務)を務め、企業チームの縮小問題や小林祐梨子の実業団大会出場問題などの折衝にあたる。
島田 洋八(しまだ ようはち、1950年〈昭和25年〉2月1… 島田 洋八(しまだ ようはち、1950年〈昭和25年〉2月13日 - )は、日本の漫才師、俳優。漫才コンビB&Bのひとり。岡山県笠岡市生江浜出身。福山盈進高等学校卒業。俳優活動する時の芸名は藤井洋八。かつては吉本興業に所属していたが、2016年から株式会社ポートレーブに所属、2022年に株式会社オフィスコットンに移籍している。兄は笠岡市議会議員で第45代議長の藤井義明。 ※B&Bとしての出演作はB&B (お笑いコンビ)参照。
島田 洋七(しまだ ようしち、1950年〈昭和25年〉2月1… 島田 洋七(しまだ ようしち、1950年〈昭和25年〉2月10日 - )は、日本の漫才師、タレント、作家。漫才コンビ「B&B」のメンバー。広島県広島市中区白島九軒町出身(基町生まれ)、佐賀県佐賀市在住。本名は徳永 昭広(とくなが あきひろ)。島田オフィス所属。 1980年代、漫才ブームのパイオニアとなり、月収1億円の時代から、人気急降下、そして2000年代のベストセラー作家と、ジェットコースターの様な激動の人生を歩むお笑い芸人である。その上がり下がりの人生を「シーソーか」と茶化したビートたけしの親友としても知られる。下の名前の読みは「ようひち」との表記説が多く言われているが、本人にいわく「どっちでもいいがわかりやすい『ようしち』が良い」との事(関西弁では質や七を「しち」ではなく、「ひち」と読むためである。
仁井谷 正充(にいたに まさみつ、1950年2月10日 - … 仁井谷 正充(にいたに まさみつ、1950年2月10日 - )は、日本の実業家、ゲームクリエイター。広島県三原市出身。ペンネームはMoo仁井谷。「Moo」は諸行無常の「無」から取っているという。
小滝 強(こたき つよし、1950年1月28日 - )は、広… 小滝 強(こたき つよし、1950年1月28日 - )は、広島県出身の元サッカー選手。 実弟は東洋工業でディフェンダーとして活躍した小滝春男、フジタでフォワードとして活躍した小滝勇一。三兄弟が同時期に日本のトップリーグでプレーした初のケース。 現役時代は人に強いCB(ストッパー)。70年代の東洋工業で活躍し、1978年天皇杯決勝進出に貢献した。 また、代表では22歳の時にジュニア代表としてヨーロッパ遠征に参加。1974年Cキャップ1試合、1979年JSL選抜。
金井 誠太(かない せいた、1950年1月17日 - )は、… 金井 誠太(かない せいた、1950年1月17日 - )は、日本の自動車技術者、実業家。マツダ株式会社相談役。在広島メキシコ合衆国名誉領事。 広島県出身。広島大学附属高等学校を経て、東京工業大学工学部卒業後、1974年に東洋工業(現在のマツダ)に入社。一貫して開発畑を歩み、チーフエンジニアを務め2002年に発売された初代アテンザは132の賞を受賞し、世界的に高い評価を得た。2010年に発表されたSKYACTIV TECHNOLOGYの開発も指揮し、マツダ車の全ての要素を刷新した。2014年に代表取締役会長に就任し、2018年に退任。座右の銘は「敬天愛人」。マツダ財団理事長、中国経済連合会副会長、蔵前工業会広島県支部長なども務めた。
野地 照樹(のじ てるき、1950年1月16日 - )は、広… 野地 照樹(のじ てるき、1950年1月16日 - )は、広島県広島市出身の元サッカー選手(DF)、指導者。 現高知大学教育学部教授、サッカー部監督。 中1からサッカーを始める。広島大学附属高時代に福原黎三から指導を受けた。同世代に高田豊治がいる。 東京教育大学(現筑波大学) 体育学部体育学科に進み、蹴球部では主にセンターバックとして活躍、成田十次郎から指導を受け、高田や木之本興三らとプレーした。在学中に関東大学サッカーリーグ戦や第20回全国大学サッカー選手権大会で優勝した。1972年には成田が監督を兼務していた日本サッカーリーグ2部の読売サッカークラブ(現東京ヴェルディ)の選手として7試合に出場した。
丹古母 鬼馬二(たんこぼ きばじ、1950年1月4日 - )… 丹古母 鬼馬二(たんこぼ きばじ、1950年1月4日 - )は、広島県三原市出身の日本の俳優。本名は神田 満(かんだ みつる)。現代制作舎所属。身長165cm、体重64kg(ピーク時は97kgあった)。現在は東京都練馬区に在住。
三谷 博(みたに ひろし、1950年1月1日 - )は、日本… 三谷 博(みたに ひろし、1950年1月1日 - )は、日本の歴史学者。東京大学名誉教授、跡見学園女子大学教授。専門は日本近代史(明治維新史)。博士(文学、東京大学、1978年)。東京大学教授(1988年 - 2015年)。 広島県福山市生まれ。1972年東京大学文学部国史学科卒業。1978年同大学院人文科学研究科国史学専門課程博士課程単位取得退学、東京大学文学部助手。1979年学習院女子短期大学専任講師、1982年助教授。1988年東京大学教養学部助教授、1995年教授。1996年同総合文化研究科地域文化研究専攻教授(アジア・環太平洋地域文化大講座アジア太平洋文化交流論専攻)。2015年定年退職、名誉教授、跡見学園女子大学教授。
三好 春樹(みよし はるき、1950年 - )は、広島県生ま… 三好 春樹(みよし はるき、1950年 - )は、広島県生まれの介護、リハビリテーション(理学療法士)の専門家。生活とリハビリ研究所代表。
掛水 通子(かけみず みちこ、1950年 - )は、日本のス… 掛水 通子(かけみず みちこ、1950年 - )は、日本のスポーツ学者、東京女子体育大学名誉教授。 広島県福山市生まれ。1973年東京学芸大学特別教科教員養成課程保健体育科卒、1975年東京教育大学大学院修士課程体育学研究科体育学専攻修士課程修了、2012年鹿屋体育大学大学院博士後期課程体育学研究科体育学専攻修了、「日本における女子体育教師史研究」で体育学博士。1975年東京女子体育大学体育学部助手、79年講師、85年助教授、94年教授。2019年定年退職、名誉教授。
石田 桃子(いしだ ももこ、1950年〈昭和25年〉 - 2… 石田 桃子(いしだ ももこ、1950年〈昭和25年〉 - 2023年8月)は、日本の音楽家、歌手。 広島県広島市生まれ。父はNHKアナウンサーの石田武、弟は俳優、タレントの石田純一。 6歳の時に、父がNHK特派員に任じられたことからともにアメリカへ移住し、アンソニー・ダミーゴの元でピアノを学んだ。 桐朋女子高等学校音楽科にて、ピアノを大島正泰・加藤伸佳に、作曲を蒔田尚昊に師事。桐朋学園大学音楽学部作曲理論科卒業。 コンサートや音楽活動以外にもテレビ出演、ラジオパーソナリティー・l、講演会などに意欲的に取り込んでいた。生活のこともあり、音楽家だけではなく2022年からは梱包のアルバイトをしていたが高齢のため辞めていた。
八杉 佳穂(やすぎ よしほ・男性、1950年 - )は、日本… 八杉 佳穂(やすぎ よしほ・男性、1950年 - )は、日本の言語学者。国立民族学博物館名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授。専攻は中米言語学、中米文化史。主にマヤ文字やマヤ諸語を中心に行っている。学位は、博士(文学)。 広島県福山市出身。広島県立福山誠之館高等学校を経て、1972年に京都大学工学部を卒業し、1975年に同大学文学部卒業。1980年に国立民族学博物館助手、1990年に同助教授、1997年に同第2研究部教授、翌年1998年より同民族文化研究部教授となる。2015年3月末をもって、定年退職、4月1日付で名誉教授となる。 1991年より総合研究大学院大学 文化科学研究科を併任、2001年 同大学 文化科学研究科 地域文化学専攻長をつとめ、国立民族学博物館の定年退職に伴って2015年3月31日付で総研大の併任解除、名誉教授となる。
木川 眞(きがわ まこと、1949年12月31日 - )は日… 木川 眞(きがわ まこと、1949年12月31日 - )は日本の実業家。ヤマトホールディングス元会長、経済同友会副代表幹事。元ヤマト運輸社長。 広島県御調郡(現尾道市)向島町出身。広島大学附属三原小学校、広島大学附属三原中学校、杉並区立高井戸中学校を経て、1968年東京都立西高等学校卒業、1973年一橋大学商学部卒業、同年富士銀行入行。 1996年富士銀行総合企画部副部長。1998年富士銀行人事部長。2001年富士銀行執行役員人事部長。2002年みずほコーポレート銀行常務執行役員リスク管理グループ統括役員兼人事グループ統括役員。2004年みずほコーポレート銀行常務取締役リスク管理グループ統括役員兼人事グループ統括役員。
さだやす 圭(さだやす けい、本名:貞安 三郎(さだやす さ… さだやす 圭(さだやす けい、本名:貞安 三郎(さだやす さぶろう)、1949年12月7日 - )は、日本の漫画家。代表作は『おかしな2人』、『ああ播磨灘』など。 広島県三原市出身だが、大阪府で育ったため、広島弁は忘れたが大阪弁は話すことができる。デビュー作はRCCラジオの広島カープのラジオ中継を聴きながら執筆をしていた。さだやすはラジオ中継から「野球の面白さ」を教わったといい、これが後のデビュー2作目の作品や『なんと孫六』に活かされた。 1975年に『週刊少年キング増刊KINGオリジナル』(少年画報社)に掲載された『ヘラクレスの手』で漫画家デビュー。同年に貴ノ花利彰が優勝したことに感激し、これが後の『ああ播磨灘』に繋がっているとさだやすは話している。
山田 眞次郎(やまだ しんじろう、1949年12月3日 - … 山田 眞次郎(やまだ しんじろう、1949年12月3日 - )は日本の企業家、インクス(現SOLIZE)の創業者。 広島県出身。広島県立呉三津田高等学校を経て、1974年に青山学院大学理工学部機械工学科を卒業。同年、三井金属鉱業株式会社に入社し、自動車用ドアロックの設計に従事。1990年三井金属鉱業株式会社退社、同年株式会社インクスを設立。2008年、インクスは受注が決まっていた2社40億円のコンサルティングがリーマンショックの影響で取り消されたことにより、入居していた新丸の内ビルディングの年間家賃15億円が払えなくなり、三菱地所にビルからの退去を通告したが、定期借款契約だったため、契約期間の残りの家賃として約200億円を要求され退去もできず、2009年5月までには資金繰りに窮する状況に追い込まれた。
村田 兆治(むらた ちょうじ、1949年11月27日 - 2… 村田 兆治(むらた ちょうじ、1949年11月27日 - 2022年11月11日)は、日本のプロ野球選手(投手)、コーチ、解説者、評論家。広島県豊田郡本郷町(現:三原市)出身。旧名は村田 長次(読み同じ)である。 現役時代は東京オリオンズ→ロッテオリオンズで活躍した。そのダイナミックな投球フォームは、「マサカリ投法」と呼ばれていた。通算暴投の日本記録保持者(148回)。 長崎県対馬市の市民球団である『対馬まさかりドリームス』の監督を務めていた。 プロ野球選手を志したのは小学5年の時で、父に連れられて広島市民球場へナイターを観戦しに行ったことがきっかけだった。初めて生で見るプロの試合に鳥肌が立つほど興奮し、それ以来、プロ野球選手以外の将来は考えられなくなったという。
大田垣 耕造(おおたがき こうぞう、1949年11月8日 -… 大田垣 耕造(おおたがき こうぞう、1949年11月8日 - )は、アマチュア野球指導者。元東芝硬式野球部監督。シドニーオリンピック野球日本代表監督。広島県尾道市出身。
伊志嶺 朝秋(いしみね あさあき、1949年11月4日 - … 伊志嶺 朝秋(いしみね あさあき、1949年11月4日 - )は、日本の柔道家(八段)。広島県広島市出身。得意技は大外刈、巴投げ。 広島県広島市に次男として生まれる。両親は沖縄県出身で戦時中に広島に疎開した。ルーツは沖縄である。中学校から柔道を始め、崇徳高等学校卒業後には富士製鐵広畑製鐵所に就職するも、東洋大学に入り直した。 現役時代は南喜陽、川口孝夫、園田義男と軽量級で激しく競ったが、オリンピック出場は果たせなかった。 現役引退後は指導者となり、全日本柔道連盟入りして連盟広報委員会の委員を務めており、海外での柔道指導も行っている。
桐谷 広人(きりたに ひろと、1949年10月15日 - )… 桐谷 広人(きりたに ひろと、1949年10月15日 - )は、日本の将棋棋士、投資家。升田幸三実力制第四代名人門下。棋士番号120。2007年に引退。 広島県竹原市出身。将棋棋士の門をたたこうとしていたところ、紹介により同郷の升田幸三の弟子となった。1975年に桐谷のライバルとされた沼春雄と共に四段昇段を果たしプロ棋士となった。当時まだ珍しかった、研究派の棋士で「コンピューター桐谷」の異名をとった。棋風は居飛車党の受け将棋。相手の攻め駒を攻める、駒得を重視する戦術で、優勢になってもなお相手の攻撃の応接を継続する「マッサージ戦術」を得意として「桐谷マッサージ戦術」(青野照市)などと呼ばれた。また入玉が得意の棋士としても知られる。
小野 卓司(おの たくし、1949年9月27日 - )は、N… 小野 卓司(おの たくし、1949年9月27日 - )は、NHKの元エグゼクティブアナウンサー(2009年10月以降は定年延長を利用して嘱託職)。 広島県出身。広島県立因島高等学校、関西大学を卒業後、1973年入局。勤務先の各地では主に報道番組に携わってきた。 嘱託職となった現在においても、後方支援で各地の放送局へ出張するなど、精力的に活動している。
矢沢 永吉(やざわ えいきち、1949年〈昭和24年〉9月1… 矢沢 永吉(やざわ えいきち、1949年〈昭和24年〉9月14日 - )は、日本のロックミュージシャン、俳優。広島県広島市仁保(現:南区)出身。 前妻との間に2男1女、現妻は米国人とのクォーターで、2女2男の父親。 長女の矢沢洋子は二番目の妻との娘で歌手である。洋子とはサントリー「ザ・プレミアム・モルツ」のCMで親子共演をしている(2009年、2016年)。2017年、洋子と結婚したベーシストU.G(元ギターウルフ)は義理の息子に当たる。2021年1月22日、洋子が第1子となる女児を出産、2022年10月12日に第2子となる女児を出産。孫娘は矢沢を「じいじ」と呼び、矢沢もまた孫娘を愛でている。 父・永一は戦前、当時は高価だった自転車の販売店を営み、7–8人の丁稚を雇うような大きな店舗を構えていた。
山田 敏雅(やまだ としまさ、昭和24年(1949年)9月8… 山田 敏雅(やまだ としまさ、昭和24年(1949年)9月8日 ‐ )は、日本の政治家、実業家、通産官僚。元衆議院議員(1期)。 広島県福山市出身。京都大学工学部卒業、東京大学工学部大学院修了後、通産省入省。 2000年6月25日の第42回衆議院議員総選挙に民主党から立候補し、広島7区では自民党の宮澤洋一に敗れ落選したものの、比例中国ブロックで復活し、初当選した。 2003年、7月27日告示・8月3日投票の広島県福山市長選挙に立候補し、衆議院議員を失職。立候補に際し、民主党を離党した。しかし、三好章市長(2004年辞職直後に逝去)に敗れ、落選。同年の第43回衆議院議員総選挙にも無所属で立候補したが落選した。
イエス 玉川(いえすたまがわ、本名:深見輝義、1949年9月… イエス 玉川(いえすたまがわ、本名:深見輝義、1949年9月7日 - )は、浪曲師、漫談家。広島県三原市(旧賀茂郡大和町)出身。ジャイロスコープ所属
中原 文夫(なかはら ふみお、1949年8月15日 - )は… 中原 文夫(なかはら ふみお、1949年8月15日 - )は、日本の小説家。 広島県広島市生まれ。本名・田部知恵人。一橋大学商学部卒業。文藝春秋社に勤務し、出版部長、編集委員などを歴任する。1994年「不幸の探究」で第111回芥川賞候補。句誌「風鈴」、歌誌「短歌人」に所属する俳人・歌人でもある。日本文藝家協会会員。元早稲田大学大学院政治学研究科非常勤講師。 「神隠し」所収の『不定期バスの客』は「世にも奇妙な物語」で映像化されたほか、ダンカン主演・脚本の映画『生きない』の原案にもなった。 2018年、NHK「ラジオ深夜便」で短編小説「再会のゆくて」が兼清麻美アナウンサーによって朗読された。 近年は「正論」や「文藝春秋オピニオン」などに、勅撰和歌集の現代での復活を訴える論考を寄稿している。
甲賀 真理子(こうが まりこ、1949年7月30日 - )は… 甲賀 真理子(こうが まりこ、1949年7月30日 - )は、日本のファッションデザイナー。広島県豊田郡安浦町(現・呉市)出身。広島県立呉三津田高校 - 東京学芸大学中退。1973年、文化服装学院卒業。 1974年、ニコル入社。ニコルブランド担当デザイナーとなる。1979年、ZELDA(ゼルダ)のチーフデザイナーに就任。年2回のコレクションを発表。1986年、同社取締役。ゼルダをMARIKO KOUGAと改め、1989年、マリコ・コウガ・アールを発表。1998年、ニコルを退職し、(株)マリコ・コウガを設立した。 ソワール(「MARIKO KOUGA Fil Dore」)やワールド(「LAMiAViTA」)などの数多のプロジェクトにて指揮やライセンス事業を手掛けてきたほか、日本を代表するファッションデザイナーとして東京ファッションデザイナー協議会とともに若手クリエイターの支援などにも取り組んでいる。
神浦 元彰(かみうら もとあき、1949年7月7日 - 20… 神浦 元彰(かみうら もとあき、1949年7月7日 - 2016年5月4日)は、日本の軍事ジャーナリスト。広島県世羅郡世羅西町(現・世羅町)出身。 被爆二世。広島県立世羅高等学校(1学年1学期修了後経済的な事情で中退)、陸上自衛隊少年工科学校(12期生、3年次中退)、広島県立広島国泰寺高等学校定時制卒業。 写真専門学校を中退後、報道カメラマン等を経て1977年に小山内宏らと共に軍事学セミナーを発足。その後『週刊プレイボーイ』誌などで軍事ジャーナリストとしての活動に入る。 2004年4月から2005年3月まで放送されていた『HOT'n HOT お気に入りに追加!』(ニッポン放送)の木曜パートナーとして出演していた。
山本 和行(やまもと かずゆき、1949年6月30日 - )… 山本 和行(やまもと かずゆき、1949年6月30日 - )は、広島県出身の元プロ野球選手(投手)、野球解説者、プロ野球コーチ。
石井 みどり(いしい みどり、1949年(昭和24年)6月2… 石井 みどり(いしい みどり、1949年(昭和24年)6月23日 - )は、日本の政治家。元参議院議員(2期)。 ノートルダム清心中学校・高等学校卒業、1976年(昭和51年)、鶴見大学歯学部卒業。1980年(昭和55年)、広島市内に小児歯科医院を開業する。広島県歯科医師会常務理事、日本歯科医師会常務理事、日本歯科医師連盟(日歯連)顧問、厚生労働省内で厚生科学審議会地域保健健康増進栄養部会委員、社会保障審議会介護給付費分科会委員、口腔機能向上研究班委員など歯科医師としての要職を歴任した。 2007年(平成19年)7月29日に執行された第21回参議院議員通常選挙に自由民主党公認で比例区から立候補、逆風により苦戦した自民党において初当選した。
大納川 憲治(だいながわ けんじ、1949年5月17日 - … 大納川 憲治(だいながわ けんじ、1949年5月17日 - )は、広島県吉田町出身で木瀬部屋所属の元大相撲力士。本名は長本 憲治(ながもと けんじ)。最高位は幕下11枚目。力士時代の体格は身長180cm、体重120kg。得意手は右四つ、寄り。 1965年5月場所初土俵(同期には元大関貴ノ花)。1969年3月場所三段目優勝。 昭和40年代半ばより甚句を唄い始める。 昭和50年代は、相撲甚句のトリを務める。巡業中などは彼の甚句を聴きたいがために親方衆、関取衆がわざわざ出向いて聴き惚れたと云う伝説を持つ。 最終場所は1980年9月場所。現役時代より歌唱力の高さを評価され数社よりレコードを発売する。 現在は、全国大納川相撲甚句会の総師範として活躍中。
町田 健一(まちだ けんいち、1949年5月11日 - )は… 町田 健一(まちだ けんいち、1949年5月11日 - )は、日本の教育学者。国際基督教大学教授を定年退職後、北陸学院大学学長、北陸学院大学短期大学部学長を務めた。 東京都杉並区生まれ。1968年日本三育学院高等学校卒業。1973年東京学芸大学教育学部数学科卒業。1976年国際基督教大学大学院教育学研究科理科教育法・物理専攻修了。1984年カリフォルニア大学リバーサイド校大学院教育学研究科教育心理学専攻修了、Ph.D.。日本三育学院中学校教諭、広島三育学院中学校教諭を経て、1992年国際基督教大学助教授。1997年同準教授。2003年同教授。2015年定年退職、北陸学院大学学長、北陸学院大学短期大学部学長。
藤田 雄山(ふじた ゆうざん、1949年〈昭和24年〉4月1… 藤田 雄山(ふじた ゆうざん、1949年〈昭和24年〉4月19日 - 2015年〈平成27年〉12月18日)は、日本の政治家。参議院議員、広島県知事(第59、60、61、62代)。 1989年、参院選に自民党から立候補し当選。任期途中の1993年に広島県知事選に44歳で初当選、当時全国最年少の知事に就任。4期16年務めた。参議院議長を務めた藤田正明の長男。 1949年4月19日生まれ。広島県広島市翠町(現:南区翠)出身。藤田正明の長男。父親の藤田正明は藤田組(現:フジタ)に勤務(後に同社副社長)。弟が2人、妹が1人いる。 修道高等学校から成蹊高等学校に転入。1972年3月、慶應義塾大学商学部卒業。
福本 潤一(ふくもと じゅんいち、1949年3月23日 - … 福本 潤一(ふくもと じゅんいち、1949年3月23日 - )は、日本の政治家。広島県広島市出身。東京大学大学院修了。元参議院議員(2期)。
所 賢一(ところ けんいち、1949年3月15日 - )は、… 所 賢一(ところ けんいち、1949年3月15日 - )は、日本の元競泳選手。競泳指導者。広島県大竹市出身。 1949年に広島県に生まれる。広島県立大竹高等学校に進学。第20回国民体育大会に出場。広島県高等学校選手権に出場し、400m、1500m自由形優勝。中国高等学校選手権に出場し、400mリレー4位。第21回国民体育大会に出場。 中央大学に進学。日本選手権水泳競技大会に出場し400m自由形5位。中央大学水泳部主将になる。日本学生選手権水泳競技大会に出場し、400m自由形2位、1500m自由形3位。 和歌山県立伊都高等学校教師になる。第26回国民体育大会に出場し400m自由形教員部優勝(大会新記録)。
秋田 建三(あきた けんぞう、1949年3月12日 - )は… 秋田 建三(あきた けんぞう、1949年3月12日 - )は、NHKの元チーフアナウンサー。 広島県出身。東京都立立川高等学校を経て横浜市立大学卒業後、1971年入局。 初任地は室蘭局で、その後大津局→山口局→東京アナウンス室→富山局→津局→名古屋局→大津局→岐阜局→名古屋局(2006年6月〜)と、全国を転々とした。 大津局のFMリクエストアワーを担当していた当時のニックネームは「大津の海老蔵」。 最後の地となった2度目の名古屋時代はデスク業務を担当した。 ◦ アナウンス統括
髙橋 真梨子(たかはし まりこ、1949年〈昭和24年〉3月… 髙橋 真梨子(たかはし まりこ、1949年〈昭和24年〉3月6日 - )は、日本の女性歌手、作詞家。本名は広瀬 まり子(ひろせ まりこ)。旧姓は髙橋。広島県廿日市市生まれ、福岡県福岡市育ち。身長155cm。血液型はA型。夫はミュージシャンのヘンリー広瀬。 スポーツ観戦を趣味とする。所属レコード会社はビクターエンタテインメント。所属芸能事務所はザ・ミュージックス。公式ファンクラブはPaper Moon(ペーパームーン)。 父・森岡月夫は広島鉄道局、母・髙橋千鶴子は広島市内の銀行に、それぞれ勤務時の1945年8月6日、米軍の原子爆弾投下により被爆。母はダンサーでもあり、広島のダンスホールで両親は出会い結婚し1949年、まり子が生まれた。
髙橋 真梨子(たかはし まりこ、1949年3月6日 - )は… 髙橋 真梨子(たかはし まりこ、1949年3月6日 - )は、日本の歌手、作詞家。旧芸名、高橋 まり。本名、広瀬 まり子(ひろせ まりこ)旧姓、髙橋。
浅野 啓司(あさの けいし、1949年2月22日 - )は、… 浅野 啓司(あさの けいし、1949年2月22日 - )は、広島県福山市草戸町出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ、解説者。 創部3年目の福山電波工業高校へ進学し、1965年には2年生エースとして夏の広島県大会で活躍。低めに球を集める抜群の制球力で、伊原春樹がいた北川工、山本和行・三村敏之がいた広島商を撃破。50イニングを投げ1失点の好調で決勝まで勝ち上がったが、広陵高の河本和昭に完封され敗退、甲子園出場を逸する。同期の岡田英樹(太平洋クラブ)とバッテリーを組み、高校の1学年下の後輩に村田兆治がいた。 1966年に別の選手を見に来ていたサンケイアトムズのスカウトの目に留まり、同年の第1次ドラフト9位で入団。
小川 知子(おがわ ともこ、1949年〈昭和24年〉1月26… 小川 知子(おがわ ともこ、1949年〈昭和24年〉1月26日 - )は、日本の女優・歌手。広島県広島市生まれ 、東京都北区育ち。 1970年前後に、人気アイドル歌手として有名になる。1980年代は『金曜日の妻たちへ』などのテレビドラマに出演。1990年代は幸福の科学の関係者として知られた。 広島市の生まれ。祖父は近衛兵を務めた。3歳の時、東京王子に転居。北区立王子小学校の同級生に羽田健太郎がいる。 バレエを習いながら小学校5年の時東宝児童劇団に入り1960年、日本テレビドラマ『ママちょっと来て』でデビュー。 子役としてドラマの出演の他、精華学園女子中学校在学中から日本テレビのバラエティ番組『九ちゃん!』の司会などで活躍。
伊原 春樹(いはら はるき、1949年1月18日 - )は、… 伊原 春樹(いはら はるき、1949年1月18日 - )は、広島県甲奴郡上下町(現・府中市)生まれ出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。 1971年から1973年の登録名は「伊原 春植」(いはら しゅんしょく)。 ニックネームは「ハル」。 6人兄弟の次男で女4人、男2人の4番目であった。 上下中学校卒業後、1964年に北川工業高校へ進学。古葉竹識の実弟である古葉福生監督の指導を受け、3年次の1966年夏の甲子園県予選では4番打者・三塁手として活躍。福山工との準決勝で本塁打を放ち決勝に進出するが、広島商の山本和行に完封を喫し、甲子園出場を逸する。 高校卒業後は1967年に芝浦工業大学へ進学し、東都大学野球リーグでは在学中2度の優勝を経験。
須山 成二(すやま せいじ、1949年1月15日 - )は、… 須山 成二(すやま せいじ、1949年1月15日 - )は、広島県出身の元プロ野球選手。ポジションは捕手、投手。 広陵高校では1965年の夏の甲子園に控え捕手として出場、2回戦で報徳学園に敗退。同年秋季中国大会に同期の清水由則(日本鋼管-日本鋼管福山)、田村忠義両投手とバッテリーを組み出場。準決勝で米子東高に敗れ春の選抜出場を逸する。翌1966年夏も県予選で敗退。中国地方でナンバーワンの捕手といわれ、その強肩には定評があった。3年生時には打率.280を記録。1年下のチームメートに河井昭司外野手がいる。 1966年第1次ドラフト会議で広島カープから1位指名を受け入団。1年目の1967年には1試合のみであったがマスクを被る。