薄井 坦子(うすい ひろこ、1932年1月 – 2022年2… 薄井 坦子(うすい ひろこ、1932年1月 – 2022年2月)は、日本の看護学者。千葉大学名誉教授、宮崎県立看護大学初代学長、名誉教授。 広島県広島市生まれ。お茶の水女子大学文教育学部を卒業後、1961年に東京大学医学部衛生看護学科を卒業。日本医師会、東京女子医科大学病院などを経て、1965年東京女子医科大学看護短期大学教授、1975年千葉大学看護学部教授、1997年から宮崎県立看護大学で教鞭を取り (~2002年)、2011年まで初代学長を務めた。 看護学に関する文献・調査研究や、看護婦としての実践から「看護とは何か」を求めた。フローレンス・ナイチンゲールの唱えた看護論の翻訳でも知られ、日本翻訳文化賞を受賞した。
藤原 宰太郎(ふじわら さいたろう、1932年 - 2019… 藤原 宰太郎(ふじわら さいたろう、1932年 - 2019年5月21日)は、日本の小説家、推理作家・研究者。広島県尾道市出身。本名は宰(おさむ)。広島県立尾道北高等学校を経て早稲田大学第一文学部ロシア文学科卒業。推理研究家として多くの著作を刊行、他にも様々な活躍を続けた。 1968年3月にKKベストセラーズから刊行した『探偵ゲーム』を始め同様の推理クイズ本を量産し、推理クイズブームを創りだした。内容は、いわゆる殺人のトリック、密室なのにどうやって殺せたか、凶器はどこに隠したか、というものだった。これを見て該当する作品を読むという、ガイドブックのようなものとしても使用できるものであったが、一方でトリックがあらかじめ分かってしまうことも事実であった。
森滝 健一郎(森瀧 健一郎、もりたき けんいちろう、1932… 森滝 健一郎(森瀧 健一郎、もりたき けんいちろう、1932年 - 2016年7月16日)は、おもに水資源問題や災害問題などに経済地理学の立場から取り組む議論を展開した日本の地理学者、岡山大学名誉教授。 広島市生まれ。父である森滝市郎は、当時は広島高等師範学校で教鞭を執る倫理学者であり、後に原水禁運動の活動家としても知られるようになる人物であった。 東京大学教養学部教養学科で国際関係論を学び江口朴郎などの指導を受け、1956年に卒業した後は高校教員となった。定時制高校に教師として勤務しながら、1960年に東京大学大学院の地理学専攻に進み、1966年に「河川水利に関する地理学的研究 水系的水利秩序の諸類型」により東京大学から理学博士を取得した。
伊藤 秀三(いとう しゅうぞう、1932年 - 2025年5… 伊藤 秀三(いとう しゅうぞう、1932年 - 2025年5月6日)は、日本の生態学者。長崎大学名誉教授。専門は植物生態学。日本ガラパゴスの会会長、チャールズ・ダーウィン財団評議員、日本巨樹巨木林の会会長などを務める。 広島県竹原市出身。1955年、広島大学理学部生物学科卒業。同大学院理学研究科修了。理学博士。日本自然保護協会研究員などをへて、1970年長崎大学教養部教授となり、のち長崎大学環境科学部教授。1998年に退官し長崎大学名誉教授となる。 長崎県の島嶼部をはじめ、ハワイ諸島、ガラパゴス諸島、小笠原諸島の植生調査に従事。特に、ガラパゴス諸島については、1964年以来、計七回にわたって学術調査を行った。
中尾 堯(なかお たかし、1931年12月14日 - )、中… 中尾 堯(なかお たかし、1931年12月14日 - )、中尾堯文(なかお ぎょうぶん)。日本の歴史学者、仏教学者、立正大学名誉教授。仏教古文書学の観点からの日蓮遺文や曼荼羅本尊などを研究。 広島県三次市生まれ。 立正大学文学部史学科卒、1957年(昭和32年)同大学院修士課程修了、同文学部副手、助手。立正女子大学短期大学助教授。1974年(昭和49年)『日蓮宗の成立と展開 中山法華経寺を中心として』で、文学博士(東京教育大学)の学位を取得。 1979年(昭和54年)立正大学文学部教授。 2002年(平成14年)定年退任、名誉教授。日本古文書学会会長、文部省学術審議会専門委員、文化庁文化財保護審議会専門委員、千葉県文化財保護審議会委員などを歴任。
谷島 茂之(たにしま しげゆき、1931年11月5日 - 2… 谷島 茂之(たにしま しげゆき、1931年11月5日 - 2014年5月5日 )は、日本の経営者。広島県三原市出身。 1956年に明治大学商学部を卒業し、同年に西武百貨店に入社。1970年に西友に転じ、1974年に取締役に就任し、1980年に常務、1984年に専務、1986年5月に取締役を経て、1987年12月に忠実屋に転じ、1991年5月に社長に就任し、1994年3月にはダイエー副社長に就任。1996年6月から2000年6月までにサンテレビジョン社長を務めた。 2014年5月5日、死去。82歳没。
天瀬 裕康(あませ ひろやす、1931年11月 - )は、日… 天瀬 裕康(あませ ひろやす、1931年11月 - )は、日本の小説家、文芸・SF評論家。日本の著名な同人作家。 本名、渡辺晋(わたなべ すすむ)。 広島県呉市に生まれる。旧制呉一中(現広島県立呉三津田高等学校)2年生のとき、学徒動員先の呉海軍工廠から自宅に戻って就寝中に被爆。 1961年3月、岡山大学大学院医学研究科内科学課程修了。医師。医学博士。本名でのSFファン活動も行い、SF同人誌「宇宙塵」では初期からの同人。また自身でも同人誌「イマジニア」を主宰していた。「SFマガジン」にコラムを連載したこともある。1969年8月には「日本SFファンダム賞」受賞。 2004年5月、広島ペンクラブ副会長。
長谷部 稔(はせべ みのる、1931年10月15日 - )は… 長谷部 稔(はせべ みのる、1931年10月15日 - )は、広島県出身の元プロ野球選手。ポジションは捕手。1956年の登録名は長谷部 健(はせべ たけし)。 旧制中学校の広島県立広島工業学校(現在の広島県立広島工業高等学校)時代に広島原爆に遭遇した経験を持つ。その後に学制改革などで広島県立広島工業学校が広島県立広島皆実高等学校になるなどした後に皆実高等学校では捕手で4番打者として活躍、高校3年夏の1949年第31回全国高等学校野球選手権大会予選の西中国大会決勝に駒を進めたが山口県立柳井高等学校に敗れて甲子園大会出場は成らなかった。 卒業後は土木技術者を目指していたが、1949年に翌年から地元初のプロ野球球団として創設される、広島カープの入団テストへ試しに参加した。
友竹 正則(ともたけ まさのり、1931年〈昭和6年〉10月… 友竹 正則(ともたけ まさのり、1931年〈昭和6年〉10月9日 - 1993年〈平成5年〉3月23日)は、日本の声楽家・バリトン歌手・詩人。広島県福山市出身。 広島県福山南高等学校(現・広島県立福山葦陽高等学校)から国立音楽大学声楽科に進み、卒業後二期会に所属。1955年、「カルメン」のモラレス役でオペラデビュー。 1960年、キングレコード専属となる。その後、童謡・オペラ・ミュージカルなど幅広く活躍し多くの人に親しまれた。 1979年1月から1981年12月まで、料理番組『くいしん坊!万才』で3代目レポーターを務めた。しかし大の梅干し嫌いであったため、番組内で梅干しが出された際も断るわけにはいかず、結局苦渋の表情で食べるシーンが後年の「NG大賞」などでも放送された。
渡辺 礼次郎(わたなべ れいじろう、1931年7月27日 -… 渡辺 礼次郎(わたなべ れいじろう、1931年7月27日 - )は、広島県府中市出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。 府中高校から明治大学に進学。東京六大学野球リーグでは1952年秋季リーグで打率.333の記録を残し、同じ明大の岩崎亘利と首位打者を分け合う。1953年秋季リーグでは、秋山登らの好投もあって戦後初優勝を飾った。リーグ通算71試合出場、227打数57安打、打率.251、0本塁打、26打点。 1954年に国鉄スワローズへ入団。1年目から一軍に上がり、9月から遊撃手として36試合に先発出場。一番打者としても20試合に起用される。その後も中村栄、大久保英男と定位置を争い、5年目となる1958年にはレギュラーを獲得した。
木村 現(きむら あらわ、1931年7月8日 - 2007年… 木村 現(きむら あらわ、1931年7月8日 - 2007年2月21日)は、広島県広島市出身のサッカー選手、サッカー指導者。名前の読みを「げん」とする資料もある。 長沼健、樽谷恵三は広島大学附属小学校からの幼馴染み。1945年被爆。広島高等師範学校附属中学(現広島大学附属高校)では、長沼・樽谷との超強力スリートップの高速右ウイングとして全国中等学校選手権(現・全国高等学校サッカー選手権大会)の戦後初優勝に貢献。3人のスピードは、当時の中学生レベルでは止められなかったと言われ、4試合で計21得点をたたき出した。決勝戦7-1のスコアは、戦後最多得点、及び大会最多得点差記録として現在も残っている。翌年国体も制覇。
栗原 蘆水(くりはら ろすい、1931年6月26日 - 20… 栗原 蘆水(くりはら ろすい、1931年6月26日 - 2010年6月30日)は、日本の書家。本名は靖。広島県福山市駅家町出身。 1950年広島県立府中高校卒業後、4年間天満屋デパートに勤務。1954年、脱サラして村上三島に師事し、大阪に住む。1962年、第5回日展で特選受賞。1965年、蘆交会を主宰し、書道文化の普及や後進の育成に尽力。1969年、改選第1回日展審査員就任、以後12回務める。1988年、日展文部大臣賞、1994年、日本芸術院賞などを受賞。日本を代表する書家として活躍した。翌1995年、日展理事就任。2001年、日本書芸院理事長に就任。同年、勲四等旭日小綬章受章。日展常務理事、全国美術振興会常務理事なども務めた。
熊本 哲之(くまもと のりゆき、1931年(昭和6年)6月4… 熊本 哲之(くまもと のりゆき、1931年(昭和6年)6月4日 - 2018年(平成30年)5月2日)は、日本の政治家。東京都世田谷区長(2期)、東京都議会議長(第35代)、東京都議会議員(6期)を務めた。 広島県呉市生まれ。中央大学法学部卒業。衆議院議員秘書を経て、1977年東京都議会議員選挙に立候補し、初当選。6期24年にわたって都議を務める。1988年、当時の鈴木俊一東京都知事の下で都庁舎の新宿への移転が行われるにあたり設置された新都庁舎建設特別委員会の委員長に就任。1995年、青島幸男都政下では地方分権推進特別委員長に就任し、同年9月には東京都議会議長に就任(1997年7月まで)。 1999年、都議を任期途中で辞職し、世田谷区長選挙に自民党・自由党推薦で立候補したが、現職の大場啓二に敗れた。
吉永 春子(よしなが はるこ、1931年(昭和6年)5月19… 吉永 春子(よしなが はるこ、1931年(昭和6年)5月19日 - 2016年(平成28年)11月4日)は、日本のジャーナリスト、テレビディレクター。TBS報道局長。現代センター代表。多くのドキュメンタリー番組を制作した。 広島県三原市生まれ。日本女子大学附属高等学校に入るため、高校生のときから上京、早稲田大学教育学部社会学科に入学した。東京に出てきて、初めて自分から勉強するようになり、社会の矛盾に気づき世の中の真実は何かという問題意識を持ち始めた。早大の学生演劇研究会「自由舞台」などで議論していくうち、ジャーナリストになって世の中のために働きたいと思うようになる。 1955年4月、開局したばかりのラジオ東京テレビ(KRT、後のTBS)に入社。
南 維三(みなみ いぞう、1931年4月17日 - )は、日… 南 維三(みなみ いぞう、1931年4月17日 - )は、日本の経営者。日立造船社長を務めた。広島県広島市出身。 1956年に広島大学工学部を卒業し、同年に日立造船に入社。1988年6月に取締役に就任し、1991年4月に常務、1992年4月に専務を経て、1993年6月に副社長に就任し、1995年6月には社長に昇格。2001年6月に相談役に就任。
田中 茂樹(たなか しげき、1931年(昭和6年)4月7日 … 田中 茂樹(たなか しげき、1931年(昭和6年)4月7日 - 2022年(令和4年)10月4日)は、日本の元マラソン選手、日本人初のボストンマラソン優勝者。広島県比婆郡敷信村(現・庄原市)出身。身長162cm。庄原市民栄誉賞。 1931年(昭和6年)4月7日、中国山地山間の農村・広島県比婆郡敷信村(現・庄原市)に生まれる。 14歳の時、国民学校での朝礼中、130キロ離れた広島市に投下された原爆の閃光を見た。まもなく大やけどを負った被爆者が、田中の村にもたくさん運び込まれて寺で焼かれた。「アメリカは人殺しの国じゃ」と憎悪を募らせた。 14歳で父を亡くし、2人の兄は軍隊に召集された。そのため牛の手綱を取り田畑を耕作し、母の農作業を手伝いながら1年遅れで広島県比婆西高等学校(現・広島県立庄原実業高等学校、庄原格致高等学校)比婆西高校に進学。
福原 黎三(ふくはら れいぞう、1931年4月2日 - 19… 福原 黎三(ふくはら れいぞう、1931年4月2日 - 1970年2月27日)は、広島県東広島市八本松町出身のサッカー選手、サッカー指導者。 1945年8月6日、原爆投下後の広島市に入り入市被爆。 1946年広島一中(のちの鯉城高等学校、現広島国泰寺高等学校)3年生のときにサッカーを始める。重松良典は一中サッカー部の1年先輩にあたる。また学校の同期には原田康夫(広島大学学長)、坂田正二(呉大学学長)、沢田昭二(名古屋大学名誉教授)、葉佐井博巳(広大名誉教授)などがいる。 全国中等学校蹴球大会(現全国高等学校サッカー選手権大会)が学制改革により全国高等学校蹴球選手権大会となった1948年に優勝した鯉城高校のフォワード(センターフォワードあるいはインサイドレフト)。
堀口 勲(ほりぐち いさお、1931年 <昭和6年> 3月1… 堀口 勲(ほりぐち いさお、1931年 <昭和6年> 3月1日 - 2016年 <平成28年> 12月15日)は、日本の経営者。中国放送社長、会長を務めた。位階は正五位。 広島県広島市出身。1953年に広島大学工学部工業経営科を卒業し、同年に中国新聞社に入社。 1980年3月に取締役に就任し、1984年に常務を経て、1990年12月に広島市長選挙に出馬した平岡敬社長に代わり、中国放送社長に就任。1999年6月から2002年6月までに会長を務めた。 2002年11月に勲三等瑞宝章を受章。2016年死去。死没日付をもって正五位に叙された。
赤松 蕙子(あかまつ けいこ、1931年1月18日 - 20… 赤松 蕙子(あかまつ けいこ、1931年1月18日 - 2012年5月7日)は、広島県出身の俳人。本名蕙。 大柿町(現江田島市)生。旧制広島県立広島第一高等女学校を経て広島県広島有朋高等学校卒業。1947年、俳誌「雪解」に入会、皆吉爽雨に師事。1953年、山口県徳応寺に嫁ぐ。「鶴啼いて月に一滴づつの金」「眠りみなこの世にさめて櫻どき」など、宗教性を持ちつつ着想に富む句風。1975年、『白亳』により第15回俳人協会賞受賞。1994年、山口県選奨(芸術文化功労)受賞。 句集に『子菩薩』『白亳』『天衣』『散華』『月幽』『海戀』『佩香』。また、俳人協会の「自註現代俳句シリーズ(3期)」に『赤松蕙子集』がある。
三辺 信夫(みなべ のぶお、1931年1月16日 - 201… 三辺 信夫(みなべ のぶお、1931年1月16日 - 2019年8月1日)は、日本の経済学者。大阪市立大学名誉教授。専門は国際経済学、特に国際貿易論。 1931年に富山県高岡市で生まれた。1950年に広島県立尾道北高等学校を卒業し、大阪市立大学に進学。大学では名和統一の薫陶を受けた。1954年に卒業。その後は同大学大学院経済学研究科に進学し、1956年に修士号を取得。博士課程を単位取得退学。 その後は大阪市立大学助手に採用された。1961年には6月から8月の2か月間コロラド大学ボルダー校に留学し、マーティン・ブロンフェンブレンナー(英語版)の下で学んだ。その1か月後の1961年9月からはロチェスター大学大学院に進学し、、修士号(M.A.)と博士号(Ph.D.)を取得。
内山 康(うちやま やすし、昭和6年(1931年)1月13日… 内山 康(うちやま やすし、昭和6年(1931年)1月13日 - 平成4年(1992年)8月25日)は、広島県出身の実業家。レーザーテック株式会社の創業者。
吉原 英雄(よしはら ひでお、1931年(昭和6年)1月3日… 吉原 英雄(よしはら ひでお、1931年(昭和6年)1月3日 - 2007年(平成19年)1月13日)は、日本の画家、版画家。 広島県因島市出身。大阪府立天王寺高等学校卒業。京都市立芸術大学名誉教授。2007年に膵臓癌のため死去。 初期にはリトグラフの制作を行なうが、後にリトグラフと銅版を併用した。女性や静物などをモチーフとし、臨場感のある虚構空間を描き出すことで知られる。作品は現代人の不安や心理的真空感を反映したものと評される。
山本 清治(やまもと せいじ、1931年〈昭和6年〉1月1日… 山本 清治(やまもと せいじ、1931年〈昭和6年〉1月1日 - 2013年〈平成25年〉6月28日)は、日本の政治家。広島県三原市長(2期)。位階は正六位。 広島県出身。広島県立忠海高等学校卒業。三原市役所に入り、助役などを務める。1993年三原市長選挙に立候補し、無投票で当選する。1997年に再選。市長は2001年まで務めた。
上総 英郎(かずさ ひでお、1931年〈昭和6年〉1月1日 … 上総 英郎(かずさ ひでお、1931年〈昭和6年〉1月1日 - 2001年〈平成13年〉7月21日)は、文芸評論家。 広島県生まれ。本名・中村宏。早稲田大学文学部フランス文学科卒。同大学院修士課程修了。1967年『三田文学』で「共感と挫折」を発表し、文芸評論家として活動を開始。二松学舎大学教授を務めた。遠藤周作などキリスト教作家を論じた。
多田 稔(ただ みのる、1931年 - )は、英米文学者、大… 多田 稔(ただ みのる、1931年 - )は、英米文学者、大谷大学名誉教授。専門は19世紀後半~20世紀前半の英米作家研究。 1931年、広島市生まれ。旧制山口県立徳山中学校を卒業し、旧制第六高等学校へ進む。その後京都大学文学部英文科へ進学し、1954年に卒業。 卒業後は京都府立嵯峨野高等学校教諭、明石工業高等専門学校助教授、1966年からは京都工芸繊維大学助教授、1971年同大学教授。セントオラフ大学で人文学博士(Ph.D.)を授与される。1984年より大谷大学教授、1987年文学研究科長、2002年帯広大谷短期大学学長。2008年退任。 京大英文学会(評議員歴任), 日本英文学会, 大学英語教育学会(関西支部長歴任), William Morris Sociely(ロンドン)(終身会員), 国際応用言語学会日本イエーツ協会, IASAIL JAPAN-アングロアイリッシュ協会アメリカ文学会, 国際真宗学会(評議員歴任), 東西宗教交流学会, 日本ソロー学会, 東京ラスキン協会 他
織井 青吾(おりい せいご:本名 浜井隆治、1931年(昭和… 織井 青吾(おりい せいご:本名 浜井隆治、1931年(昭和6年) - )は広島県出身のノンフィクション作家。
中山士朗(なかやま しろう、1930年11月22日-2022… 中山士朗(なかやま しろう、1930年11月22日-2022年10月12日 )は、日本の作家。 広島市生まれ。広島県立広島第一中学校在学中に被爆。早稲田大学文学部ロシア文学科卒業。1993年の『原爆亭折ふし』で日本エッセイスト・クラブ賞受賞。
堀場 清子(ほりば きよこ、1930年10月19日 - 20… 堀場 清子(ほりば きよこ、1930年10月19日 - 2025年1月10日)は、日本の詩人、女性史研究家である。 広島県広島市生まれ。父は陸軍軍人の堀場一雄。東京で育つが、縁故疎開先の広島で原爆被害を目撃する。早稲田大学文学部国文科卒業。鹿野政直の妻で本姓は鹿野。共同通信社勤務を経て詩作・評論に専念する。詩誌『いしゅたる』主宰。1990年、『イナグヤ ナナバチ/沖縄女性史を探る』で第5回女性史青山なを賞、1993年『首里』で第11回現代詩人賞受賞。2010年、第14回女性文化賞受賞。ほか高群逸枝、原爆被害の研究をおこなう。 2025年1月10日、老衰のため千葉県の高齢者施設で死去。94歳没。
岡崎 令治(おかざき れいじ、1930年〈昭和5年〉10月8… 岡崎 令治(おかざき れいじ、1930年〈昭和5年〉10月8日 - 1975年〈昭和50年〉8月1日)は、日本の生物学者(分子生物学)。広島市白島(現:中区白島)出身。 広島高等師範学校附属中学校(現:広島大学附属中学校・高等学校)2年の時、原子爆弾の黒い雨を浴びた(入市被曝)。その後、山口県立岩国中学校(現:山口県立岩国高等学校)、第五高等学校を経て、1953年、名古屋大学理学部生物学科卒業。発生生物学の山田常雄教授の下で形成体(オーガナイザー)について研究。 1960年、セントルイス・ワシントン大学のジャック・ストロミンジャーとアーサー・コーンバーグの下に留学。スタンフォード大学を経て、1963年、名古屋大学理学部化学教室の鈴木旺教授の講座の助教授として帰国。
甲斐 信枝(かい のぶえ、1930年10月3日- 2023年… 甲斐 信枝(かい のぶえ、1930年10月3日- 2023年11月30日)は、日本の絵本作家。広島県出身。京都府京都市右京区在住。 広島県の田畑が広がる農村地帯で、姉と弟三人とともに育った。広島県立高等女学校(府中高等女学校とも)3年のころから、疎開してきていた清水良雄(光風会会員、童話雑誌「赤い鳥」の画家)に師事する。清水の没後上京し、慶応義塾大学精神神経科に教授秘書として勤めていたが、やがて画家になることを決意する。帯の絵付けや、子どもに絵を教える仕事などさまざまなアルバイトをしながら、鈴木寿雄に童画を学んだ。 1970年に紙芝居『もんしろちょうとからすあげは』(童心社)を出版し、以後、身近な自然を題材にした科学絵本を手掛ける。
吉村 仁(よしむら ひとし、1930年9月27日 - 198… 吉村 仁(よしむら ひとし、1930年9月27日 - 1986年10月23日)は、日本の厚生官僚。公的健康保険制度の大改革を実現させた厚生省事務次官。広島県賀茂郡西条町(現・東広島市西条岡町)出身。 旧制広島県立広島第一中学校(現・広島県立広島国泰寺高等学校)三年のときに、広島への原爆投下があったが、出席番号が奇数だったために呉市の工場へ動員され、奇跡的に被爆を免れる。旧制官立広島高等学校(現・広島大学)を経て、1953年に東京大学法学部第3類(政治コース)卒業後、旧厚生省に入省する。薬害エイズ事件当時の薬務課長であり、元衆院議員の持永和見は同期。以降一貫して医療保険政策に携わり医療問題に取り組む。
下村 健(しもむら たけし、1930年8月20日 - 200… 下村 健(しもむら たけし、1930年8月20日 - 2006年4月29日)は、日本の厚生官僚。元社会保険庁長官。広島県広島市中区吉島出身。愛称は「シモケン」。
岸田 俊輔(きしだ しゅんすけ、1930年〈昭和5年〉7月2… 岸田 俊輔(きしだ しゅんすけ、1930年〈昭和5年〉7月29日 - )は、日本の大蔵官僚、銀行家。国税庁調査査察部長、大阪国税局長、国税庁次長、証券局長、広島銀行副頭取、同行会長などを務めた。 衆議院議員岸田正記の二男。衆議院議員岸田文武の弟。第100代・第101代内閣総理大臣岸田文雄の叔父。 広島県広島市出身。東京都立第一中学校、東京高等学校(現東京大学教育学部附属中等教育学校)、東京大学法学部第1類(私法コース)卒業。東大法学部第1類在学中に国家公務員六級職試験を合格。1955年 大蔵省に入省(大臣官房財務参事官室)。 1962年7月 萩税務署長。1963年7月 国税庁調査査察部調査査察課長補佐。
谷川 和穂(たにかわ かずお、1930年7月21日 - )は… 谷川 和穂(たにかわ かずお、1930年7月21日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(12期)、法務大臣(第49代)、防衛庁長官(第41代)などを歴任した。「谷川和穂」の戸籍上の正式表記は旧字体の「穗」。
高橋 秀(たかはし しゅう、1930年〈昭和5年〉6月30日… 高橋 秀(たかはし しゅう、1930年〈昭和5年〉6月30日 - )は、日本の画家、版画家、彫刻家。元独立美術協会会員、倉敷芸術科学大学名誉教授、文化功労者。本名は髙橋 秀夫(たかはし ひでお)。本名の姓の「髙」 はいわゆる「はしごだか」であるが、筆名の姓の「高」 はいわゆる「くちだか」である。 広島県立府中中学校(現、広島県立府中高等学校)を卒業後に化粧品の訪問販売をしながら絵を描いていた頃(1948年)、終戦後に府中町(現、広島県府中市)に疎開していた二科会の画家、北川実のアトリエに出入りするようになる。そこで北川の油彩画、およびピカソやマティスの画集を目にして、美術の世界に目覚める。 高橋は1959年の第3回安井賞候補新人展、翌年の第4回展に安井賞候補として出品した後、1961年に3回目の候補となり《月の道》でようやく安井賞を受賞した。
平山 郁夫(ひらやま いくお、1930年6月15日 - 20… 平山 郁夫(ひらやま いくお、1930年6月15日 - 2009年12月2日)は、日本の日本画家、教育者。位階は従三位。勲等は文化勲章。東京芸術大学名誉教授、文化功労者。 東京芸術大学美術学部教授、東京芸術大学美術学部学部長、東京藝術大学学長(第6・8代)、財団法人文化財保護振興財団理事長、日本育英会会長、財団法人日本美術院理事長、東京国立博物館特任館長などを歴任した。 広島県出身の日本画家、教育者である。日本美術院理事長、一ツ橋綜合財団理事、第6代・第8代東京芸術大学学長などを務めた。文化功労者として顕彰され、のちに文化勲章を受章した。広島県名誉県民、広島市名誉市民、鎌倉市名誉市民などの称号を授与されている。
田中 純夫(たなか よしお、1930年〈昭和5年〉5月5日 … 田中 純夫(たなか よしお、1930年〈昭和5年〉5月5日 - )は、日本の元競泳選手。 広島市に生まれる。5歳頃から水泳を始めた。広島市立広瀬小学校、広島県立広島第二中学校を経て、1949年(昭和24年)早稲田大学に入学する。 大学在学中、1952年ヘルシンキオリンピックに競泳日本代表として男子400m自由形に出場し14位に終わった。
小久保 均(こくぼ ひとし、1930年4月16日 - )は大… 小久保 均(こくぼ ひとし、1930年4月16日 - )は大韓民国慶尚北道生まれの作家。1937年両親の故郷広島に引き揚げる。広島大学文学部卒業。1972年「折れた八月」で直木賞候補に、1977年「夏の刻印」で芥川賞候補になる。小久保は言う、「広島は小説の材料に事を欠かない所だ」と、小説を始めようとする人に訴える。そして「お前はここが悪いのだ」と、手厳しい。<要出典>
荒谷 俊治(あらたに しゅんじ、1930年4月1日 - 20… 荒谷 俊治(あらたに しゅんじ、1930年4月1日 - 2020年1月1日)は、日本の指揮者。日本指揮者協会元会長。 広島県東広島市に生まれる。福岡県中学修猷館、旧制福岡高等学校を経て、1953年、九州大学法学部を卒業し、1955年、同文学部を卒業。九州大学在学中は、九大フィルハーモニーオーケストラ、福岡合唱協会に所属し指揮を行い、指揮法を石丸寛、作曲を高田三郎に師事する。 1959年、東京放送合唱団を指揮してデビュー。1968年、東京フィルハーモニー交響楽団指揮者に就任。1969年、文化庁派遣在外芸術研修員としてアメリカに留学し、ジョージ・セルのもとで研究して、1970年、クリーヴランド管弦楽団を指揮。
青山 五郎(あおやま ごろう、1930年3月4日- 2008… 青山 五郎(あおやま ごろう、1930年3月4日- 2008年1月15日)は、日本の実業家。『洋服の青山』の名称で知られる紳士服チェーン大手、青山商事の創業者。広島県府中市出身。日本でいち早く郊外型店舗を導入したとされる。讀賣テレビ放送社長を務めた青山行雄、第3代府中市長を務めた青山春雄は実兄。青山商事社長の青山理は長男。
梶山 季之(かじやま としゆき、1930年1月2日 - 19… 梶山 季之(かじやま としゆき、1930年1月2日 - 1975年5月11日)は、日本の小説家・ジャーナリスト。ルポライターとして梶 季彦、少年少女向け推理・冒険小説(ジュブナイル作品)の著者として梶 謙介のペンネームがある。 週刊誌創刊ブーム期に代表的なトップ屋として活躍、その後『黒の試走車(テストカー)』『赤いダイヤ』などの産業スパイ小説、経済小説でベストセラー作家となり、推理小説、時代小説、風俗小説、社会小説、痛快小説、SF小説、時代小説、実録小説、少年少女向けの冒険小説等とあらゆる分野に作品を残した多才・多作の作家であった。酒の飲み過ぎにより取材先の香港で45歳で客死。昭和一桁生まれの最後の無頼派的な文士といわれ、磯田光一は「戦後文壇の自爆者」と評した。
樽谷 恵三(たるや けいぞう、1930年 - 2015年7月… 樽谷 恵三(たるや けいぞう、1930年 - 2015年7月6日)は、広島県出身のサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはフォワード(FW)。 長沼健、木村現は、広島高等師範附属小学校(現広島大学附属小学校)からのチームメイト。広島高等師範附属中学(現広島大学附属高校)、樽谷はセンターフォワードとして、右インナーFW長沼、右ウイングFW木村との超強力布陣で全国中等学校選手権(現・全国高等学校サッカー選手権大会)の戦後初優勝に貢献。3人のスピードは、当時の中学生レベルでは止められなかったと言われ、4試合で計21得点をたたき出した。決勝戦7-1のスコアは、戦後最多得点、及び大会最多得点差記録として現在も残っている。
重松 良典(しげまつ よしのり、1930年 - 2018年)… 重松 良典(しげまつ よしのり、1930年 - 2018年)は、日本の実業家。広島県広島市出身。 元サッカー日本代表。1965年日本サッカーリーグ(JSL)創設に尽力した人物の一人。のちに日本プロ野球界に転じ1970年代の赤ヘル旋風時の広島東洋カープ球団代表。Jリーグ・ベルマーレ平塚における最後の社長であり、湘南ベルマーレ創設に尽力した人物の一人。 1945年8月6日、広島市への原子爆弾投下により被爆した。 重松ら旧制広島県立第一中学校(現国泰寺高校)3年生60人は、爆心地から2.2キロメートルに位置した舟入川口町の軍需工場に学徒勤労動員で来ており、ちょうど8時の朝礼が終わった後のことだった。倒れてきた設備機械により級友の一人が亡くなり、多数の怪我人を出した。
辻 奎子(つじ けいこ、1930年〈昭和5年〉 - 1985… 辻 奎子(つじ けいこ、1930年〈昭和5年〉 - 1985年〈昭和60年〉8月2日)は、日本の平和運動家。広島市への原子爆弾投下での被爆者の1人であり、国際平和運動の10フィート運動にボランティアで参加した後、同運動による映画を世界各国へ送る運動を続け、大きな反響を呼んだ。 1930年に広島県で誕生した。広島県立第一高等女学校に在学中の1945年(昭和20年)8月6日、広島原爆により自宅で被爆した。自身の被爆に加えて、実父を喪った。それまでは平凡な主婦であったが、このことで反核に対する強い思いを抱くようになった。 1980年(昭和55年)に10フィート運動が開始されると、ボランティアとして参加。
實吉 達郎(さねよし たつお、1929年11月29日 - 2… 實吉 達郎(さねよし たつお、1929年11月29日 - 2025年9月23日)は、日本の動物研究家、作家。未確認動物「UMA」の命名者として知られる。 シャーロック・ホームズの研究家でもあり、日本シャーロック・ホームズ・クラブ会員である。 子爵實吉安純の孫として広島県(父の赴任地・呉市)に生まれる。学習院幼稚園から学習院初等科、学習院中等科を経て、東京農業大学卒業後、宮内庁下総御料牧場、野毛山動物園に勤務。 1955年から1962年までブラジルで動物を研究。帰国後、動物作家として活躍。また、数多くのテレビ番組に出演している。 娘はシンガーソングライターのさねよしいさ子、風水鑑定士の佐々木啓乃。
花岡 圭三(はなおか けいそう、1929年10月25日 - … 花岡 圭三(はなおか けいそう、1929年10月25日 - 2023年2月14日)は、日本の自治官僚。 1929年、広島県三原市出身、三原城そばの商家の五男として生まれる。旧制忠海中学校、旧制第六高等学校を経て東京大学法学部政治学科に入学。忠海中学校在学中に学徒動員を経験。海軍士官学校への入学を志していたが、終戦も学徒動員先で迎えることとなった。 東京大学卒業後の1953年に自治官僚となる。 沖縄返還に際し、物価や関税の急激な変動に晒される“新”沖縄県民の声に耳を傾け東奔西走した。 兵庫県、山形県、福岡県等の出向を経て、1980年に大阪府知事岸昌に請われて大阪府副知事に就任。 1983年7月に自治大学校校長となり、1984年7月に自治省財政局長に就任。
榮久庵 憲司(えくあん けんじ、1929年9月11日 - 2… 榮久庵 憲司(えくあん けんじ、1929年9月11日 - 2015年2月8日)は、日本の工業デザイナー。GKデザイングループ創設者。静岡文化芸術大学名誉教授。 GKインダストリアルデザイン研究所所長、世界デザイン機構会長、第4代桑沢デザイン研究所所長、静岡文化芸術大学デザイン学部学部長などを歴任。 東京府生まれ。ハワイ、広島県育ち。両親は広島の出身で僧侶だった。榮久庵祥二元日本大学芸術学部教授は弟。父の跡を継ぐため1945年、江田島の海軍兵学校から原爆が投下された8月の終わりに広島市へ入る。実家の戒善寺は爆心地から500メートルのところにあった。焼け野原に焼けただれた寝台の枠や鉄かぶと、自転車、路面電車が壊れてひっくり返っていた。
渡辺 信義(わたなべ のぶよし、1929年8月23日 - 2… 渡辺 信義(わたなべ のぶよし、1929年8月23日 - 2006年9月18日)は、広島県三次市三良坂町出身の元プロ野球選手(投手)。 私立日彰館中学校卒業後、広島県庁の軟式野球チーム「オール県庁」で広岡富夫とバッテリーを組む。剛速球投手として知られていた渡辺はある日、広島球団から呼び出しがあって広陵高へ行ってみると石本秀一監督が立ち合ってのテストであった。ものの10分ほど投げると「カープへ来ないか」と誘われたが、渡辺に入る気は無く、県庁の職員からも「なんで渡世稼業みたいな世界に入らないけんのや」と猛反対された。結局、渡辺は「独身だったし、測量や設計の技術者だったこともあって食べることには心配ない。
森井 忠良(もりい ちゅうりょう、1929年7月25日 - … 森井 忠良(もりい ちゅうりょう、1929年7月25日 - 2011年4月23日)は、日本の政治家。衆議院議員、厚生大臣(第78代)を務めた。勲二等旭日重光章。 広島県呉市生まれ。1953年早稲田大学法学部を卒業、日本電信電話公社入社。 全電通呉分会委員長、呉市議、広島県議を経て、1972年12月衆議院議員総選挙旧広島県第2区に日本社会党公認で立候補し初当選。旧広島2区は谷川和穂、池田行彦、中川秀直ら、有力政治家がひしめく全国有数の激戦区だったが以後当選7回。 1986年7月衆参同日選で落選。1990年2月衆院選に返り咲き当選を果たし社会党も善戦した。 1993年念願の政権交代が実現。 1994年4月、細川内閣が退陣し羽田内閣が成立するも、村山富市委員長たち社会党執行部による連立与党から離脱表明に反発。
信岡 資生(のぶおか よりお、1929年7月21日 - 20… 信岡 資生(のぶおか よりお、1929年7月21日 - 2018年12月21日 )は、日本のドイツ語学者。成城大学名誉教授。 広島県尾道市生まれ。旧制広島高等学校卒、1952年東京大学独文科卒、愛媛大学助教授、大阪学芸大学助教授、中央大学教授を経て、1979年成城大学経済学部教授、2000年定年退任、名誉教授。ドイツ語学院ハイデルベルク講師。1979年 - 1989年、月刊『基礎ドイツ語』(三修社)編集長。2009年秋瑞宝中綬章受勲。