林 政治(はやし まさはる、1929年7月1日 - 2007… 林 政治(はやし まさはる、1929年7月1日 - 2007年3月18日)は、日本の彫刻家、日展審査員。広島県出身。 1929年、広島県安芸郡坂町に生まれる。1982年(昭和57年)、第14回日展にて特選(彫刻)受賞する。その後日展審査員を務め、2006年(平成18年)には文部科学大臣地域文化功労者表彰を受賞している。 2007年3月18日、胆管がんのため77歳で死去。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
池庄司 敬信(いけしょうじ けいしん、1929年6月9日 -… 池庄司 敬信(いけしょうじ けいしん、1929年6月9日 - 2007年7月31日)は、日本の政治学者・歴史学者。専門は、ロシア政治思想史・ロシア史。中央大学名誉教授。広島県福山市出身。 広島県立福山誠之館高等学校卒業。1953年中央大学法学部卒業。1958年同大学院法学研究科政治学専攻博士課程単位取得退学。同年、同法学部助手。1961年同法学部専任講師。1962年同法学部助教授。1968年同法学部教授。1970年イギリス・ロシアで在外研究。1978年中央大学学生部長。その後、同通信教育部長。2000年中央大学定年退職。同名誉教授。 学外として武蔵野市宅地開発等紛争調整委員、武蔵野市特別職報酬等審議会委員。
大歳 克衛(おおとし かつえ、1929年(昭和4年)4月16… 大歳 克衛(おおとし かつえ、1929年(昭和4年)4月16日 - 2014年(平成26年)6月8日)は、広島県出身の洋画家である。広島市立大学名誉教授、尾道市立大学名誉教授。中国文化賞を受賞。 1929年(昭和4年)4月16日、安佐郡緑井村(現・広島市安佐南区緑井)に生まれる。1948年(昭和23年)、旧制崇徳中学校を卒業。1954年(昭和29年)には東京芸術大学油絵科卒業。梅原龍三郎に師事する。1956年(昭和31年)より国画会に出品し初入選。1958年(昭和33年)、「海の詩」などで国画会新人賞を受賞する。翌年には安井賞候補にも選ばれる。 1962年(昭和37年)には国画会会員となり、1964年(昭和39年)より1年間パリに滞在。
長田 順行(ながた じゅんこう、本名:木谷順行、1929年4… 長田 順行(ながた じゅんこう、本名:木谷順行、1929年4月4日 ‐ 2007年8月31日)は広島県呉市出身の作家、海上自衛官、暗号研究者。日本暗号協会会長(1986年8月~)。 呉第一中学校(現広島県立呉三津田高等学校)を卒業後、1945年に海軍兵学校予科(第78期、昭和20年4月入校)に入校するが、終戦により閉校となる。1954年広島大学文学部哲学科を卒業。1955年防衛庁暗号専門機関に入り、暗号理論の研究及び解読に従事。1965年海上自衛隊暗号専門部隊に転じ、通信保全業務隊司令となり1983年1等海佐で退職した。 1986年8月日本暗号協会を設立し初代会長。暗号に造詣が深く、暗号関係の著作は1964年から刊行しており多数。
高橋 玄洋(たかはし げんよう、1929年3月24日 - )… 高橋 玄洋(たかはし げんよう、1929年3月24日 - )は、日本の脚本家、劇作家。島根県松江市出身。 松江生まれだが先祖伝来は広島県。松江市立内中原小学校2年のとき、父親が40歳になって大学へ入り直すため一家で広島市に移り、広島市立袋町小学校に転校。父親は教育者で、のち広島県尾道市助役を務めた。4年後父が大学を卒業し朝鮮へ赴任したため、平壌、釜山、新義州と少年時代を外地で過ごす。朝鮮船橋里小学校、平壌第一中学校、釜山中学校(現・釜山高等学校)と転校を繰り返し、新義州中学校4年のとき、海軍兵学校最後の78期生として入学。1945年8月6日原爆投下の日には、広島市郊外で勤労奉仕中で、当日市内に救援に入った。
桂 芳久(かつら よしひさ、1929年3月4日 - 2005… 桂 芳久(かつら よしひさ、1929年3月4日 - 2005年2月1日)は、日本の小説家・民俗学者・北里大学名誉教授。昭和後期から平成時代にかけて活躍した。 広島県高田郡吉田町(現:安芸高田市)の生まれ。 旧制広島県立第一中学校(現:広島県立広島国泰寺高等学校)の4年生のとき、広島市への原子爆弾投下に遭遇する。このとき学校は全滅したものの、勤労動員で郊外に滞在していたため生き残ることができた。少年期のこの経験は桂の心に深く残り、後々まで作品世界に何度も描かれることになった。 1950年に慶應義塾大学に入学する。 同年、劇作家の加藤道夫の紹介により三島由紀夫に認められ、1953年、三島の推薦で「群像」7月号に「棘草の蔭に」を載せ、文壇に登場。
神山 繁(こうやま しげる、1929年1月16日 - 201… 神山 繁(こうやま しげる、1929年1月16日 - 2017年1月3日 )は、日本の俳優。広島県呉市出身。オフィス佐々木所属。海軍経理学校卒業。元妻は女優の文野朋子(1987年に死別)。晩年は京都府に在住していた。
光易 恒(みつやす ひさし、1929年 - )は、日本の物理… 光易 恒(みつやす ひさし、1929年 - )は、日本の物理学者。専門は海洋物理学。特に海洋波の研究で知られる。九州大学名誉教授 1929年、広島県生まれ。1945年に旧制崇徳中学校を卒業。1948年に旧制広島高等学校を卒業、1952年に広島文理科大学(現広島大学)を卒業、旧運輸省運輸技術研究所へ入る。高潮津波研究室長および波浪研究室長を経て、1965年に九州大学応用力学研究所助教授に転進、1967年同教授となる。後に同研究所所長をつとめた。1992年に九州大学を退官後は、広島工業大学環境デザイン学科教授に就任し、1999年に退職している。
名越 操(なごや みさお、1929年(昭和4年)- 1986… 名越 操(なごや みさお、1929年(昭和4年)- 1986年(昭和61年)6月14日)は、日本の平和運動家である。 広島県広島市に生まれる。広島市立高等女学校(現在の広島市立舟入高等学校)に在学中、広島市への原子爆弾投下により被爆し、原爆症を患った。卒業後は原爆症に苦しみながらも、1948年(昭和28年)に国鉄労働組合に加入し速記を身に着けた事から書記を担当する。 その後結婚し子供に恵まれたが、1964年(昭和39年)頃に次男が体調を崩し、翌1965年(昭和40年)に白血病の診断とされた。その次男は1968年(昭和43年)に死去するが、以降もその人生を描いた書籍の執筆を行い、後に刊行される。晩年は自身が被爆者となった事がきっかけで入退院を繰り返しながら、原子爆弾や水素爆弾等の核兵器の製作及び使用禁止といった平和活動を行った。
森野 善右衛門(もりの ぜんえもん、1928年12月7日 -… 森野 善右衛門(もりの ぜんえもん、1928年12月7日 - 2023年7月31日 )は、日本の神学者、牧師、翻訳家。東北学院大学名誉教授。 広島市生まれ。1945年群馬県立高崎中学校卒業。1948年松本高等学校理科甲類卒業。1953年広島文理科大学物理学科卒業。1957年東京神学大学大学院修士課程修了。日本基督教団信濃町教会、若草教会牧師。1966年東北学院大学助教授、教授。1996年定年退任、名誉教授。
池内 正昭(いけうち まさあき、1928年(昭和3年)10月… 池内 正昭(いけうち まさあき、1928年(昭和3年)10月2日 - 2020年(令和2年)9月18日)は、日本の銀行家。ジェーシービー (JCB) 元社長。広島県出身。 1952年京都大学法学部卒業。三和銀行(現:三菱UFJ銀行)入行。1976年取締役、1978年常務を経て1982年、谷村隆に引き抜かれ株式会社ジェーシービー (JCB) 専務に転じる。国際化に打って出た同社は、谷村-池内の師弟コンビで、日本初唯一のクレジットカード国際ブランドを確立した。1984年副社長、1990年社長。東京ディズニーランドオフィシャルカードやアッパープレミアムカード「ザ・クラス」、若年層向けゴールドカード「ネクサス」発行や「JCBプラザ」設立に尽力、北海道拓殖銀行の経営破綻時には、同行直系のカード会社エイチ・シー・ビー(HCB)を俊敏に子会社化した。
古賀 英三郎(こが えいざぶろう、1928年(昭和3年)9月… 古賀 英三郎(こが えいざぶろう、1928年(昭和3年)9月16日 - 1990年(平成2年)12月1日)は、日本の社会学者。
石河内 稔勝(いしごうち としかつ、1928年8月25日 -… 石河内 稔勝(いしごうち としかつ、1928年8月25日 - 2014年6月15日)は、日本の政治家、実業家。広島県沖美町議会副議長、広島県沖美町商工会長、広島県沖美町長を務めた。 広島県沖美町(現・江田島市)に生まれる。広島県立広島第二中学校(現・広島県立広島観音高等学校)を卒業後、外務省・文部省共同所管の南洋協会が運営する南洋学院に入学する。南洋学院在学中に終戦となり、その後内地の新制大学への転校を認められ、中央大学法学部に在籍する。 1977年から広島県沖美町議会議員選挙に5回連続当選を果たす。在任中に町議会の副議長を2度(1985年・1993年)務めた。1991年5月に広島県沖美町商工会長に就任し1998年11月の広島県沖美町長選挙で現職を破り第5代広島県沖美町長となる。
寺川 俊昭(てらかわ しゅんしょう、1928年7月28日 -… 寺川 俊昭(てらかわ しゅんしょう、1928年7月28日 - )は、仏教学者、浄土真宗僧侶、大谷大学名誉教授。
村田 英憲(むらた ひでのり、1928年7月20日 - 20… 村田 英憲(むらた ひでのり、1928年7月20日 - 2023年9月30日)は、日本の男性アニメーションプロデューサー。株式会社エイケン創業者、名誉会長。広島県広島市出身。 1945年8月6日、広島市で被爆し弟を亡くす。中央大学在学中に学生自動車連盟の初代委員長を務めた。 日本テレビジョン(TCJ。民放テレビ局の日本テレビホールディングス・日本テレビ放送網とは無関係)の映画部長だった1969年にアニメ部門を独立させて「株式会社TCJ動画センター」を設立。同年、朝日新聞に連載中の『サザエさん』に目を付け、宣弘社を通じてフジテレビにテレビアニメ版『サザエさん』の企画を持ち込み、製作を手掛け、国民的長寿番組とした。
村井 志摩子(むらい しまこ、1928年〈昭和3年〉7月12… 村井 志摩子(むらい しまこ、1928年〈昭和3年〉7月12日 - 2018年〈平成30年〉5月9日)は、日本の劇作家・演出家である。国内での活動よりも、むしろ国際的な活躍が目立つ。本名は葛井志摩子で、プロデューサー葛井欣士郎は夫。筆名は井村愛。 広島県広島市出身。広島県立広島第一高等女学校卒業。東京女子大学卒業。舞台芸術学院(第1期生)で土方与志に学び、卒業後、チェコに留学。カレル大学哲学部演劇科学科卒業。博士号取得。広島市の原爆ドーム世界遺産化推進委員(1994年 - 1996年)、日本チェコ協会理事などを務める。日本ペンクラブ会員。日本演出者協会会員。 代表作は「広島の女」。その他、劇作家の別役実、女優の楠侑子らと共に、かたつむりの会の公演に参加し、一貫して演出を担当していた。
田中 健五(たなか けんご、1928年(昭和3年)6月4日 … 田中 健五(たなか けんご、1928年(昭和3年)6月4日 - 2022年(令和4年)5月7日)は、日本のジャーナリスト、編集者、実業家。『諸君!』、『文藝春秋』、『週刊文春』編集長を経て、文藝春秋社長(第7代)。 広島県広島市出身。海軍兵学校教授であり、高松宮宣仁親王に英語を指導したことでも知られる田中酉熊の五男として生まれる。 都立一中から1945年(昭和20年)4月、海軍兵学校に第77期生として入学するも敗戦により退校、旧制東京高校を経て、1953年東京大学文学部独文科を卒業。就職難の時代、たまたま文藝春秋新社(現・文藝春秋)の試験を受け入社。半藤一利は同期生。当時の文藝春秋は社員数100人にも満たない小さな会社だった。
山手 治之(やまて はるゆき、1928年4月15日- )は、… 山手 治之(やまて はるゆき、1928年4月15日- )は、日本の国際法学者。立命館大学名誉教授。専門分野は、国際法・国際経済法・EU法(EC法)。広島県広島市出身。 昭和3年(1928年)4月15日、広島県安佐郡深川村(現広島市安佐北区)で生まれる。昭和17年(1942年)4月に旧制崇徳中学校へ入学。途中、海軍兵学校へ入学するが(1945年4月-8月、海軍兵学校第78期)、終戦後復帰し、昭和21年(1946年)3月に卒業する。昭和21年(1946年)9月に旧制山口高等学校理科甲類に進学し、昭和24年(1949年)卒業する。昭和24年(1949年)4月に旧制京都大学法学部に進学、昭和27年(1952年)には旧制京都大学大学院法学研究科に進学し、昭和29年(1954年)修了。
坪島 孝(つぼしま たかし、1928年4月13日 - 200… 坪島 孝(つぼしま たかし、1928年4月13日 - 2007年8月12日 )は、日本の映画監督。広島県東広島市出身。 1952年に早稲田大学第一商学部を卒業。大学在学中には邦画・洋画問わず、あらゆる映画を鑑賞し、映画監督を志して、大学卒業と同時に東宝に入社。しかし、この頃の東宝は東宝争議の影響で助監督の正式採用を中止していたため、演技事務(俳優への手当ての配当などを行う係)へと配属された。 3年間の演技事務を経て、1955年に助監督となり、山本嘉次郎、千葉泰樹、福田純らに師事。1963年、夏木陽介・星由里子主演の『写真記者物語 瞬間に命を賭けろ』で監督に昇進する。監督第2作目で、いきなり当時東宝のドル箱番組だったクレージー・キャッツ主演の『クレージー作戦 くたばれ!無責任』を任され、以降、東宝のクレージー映画において古澤憲吾と共にメイン監督として活躍する。
岡田 善雄(おかだ よしお、1928年3月10日 - 200… 岡田 善雄(おかだ よしお、1928年3月10日 - 2008年1月16日)は、日本の医学者(細胞工学)、医師。位階は従三位。勲等は勲一等。大阪大学名誉教授、文化功労者、文化勲章受章者。 大阪大学微生物病研究所教授、大阪大学細胞工学センターセンター長、財団法人千里ライフサイエンス振興財団理事長などを歴任した。 広島県呉市出身の細胞生物学者である。バイオテクノロジーの基本技術である「細胞融合現象」を発見した細胞工学のパイオニアとして知られている。大阪大学名誉教授。 大阪大学微生物病研究所助手となった後の1955年、ウイルスをがん細胞に注射したところ、見たこともない巨大細胞ができた。「生物の細胞は互いに細胞膜で隔てられ、受精などを除いて合体はありえない」という生物学の常識を覆す大発見の瞬間だった。
角 梨枝子(すみ りえこ、1928年3月7日 - 2005年… 角 梨枝子(すみ りえこ、1928年3月7日 - 2005年10月12日)は、日本の女優。 本名は角 泰枝(すみ やすえ)。広島県広島市翠町(現・南区)出身。父親は広島文理科大学数学教授だった。五人姉妹の末女。広島文理科大学付属小学校ー広島第一高女(現・広島皆実高校)を経て、1945年、神戸女学院音楽部に進学したが、同年8月帰郷したおり被爆したため中退。1947年大阪音楽大学進学。翌1948年、初代・ミスヒロシマに選定され、東宝からスカウトされて映画界入り。豊田四郎監督の『エデンの海』の主役に抜擢されるが、東宝争議により製作中止された。 同郷の杉村春子と親交があり、演技力をつけるため文学座の研究生として1年在籍。
広岡 富夫(ひろおか とみお、1928年2月20日 - 20… 広岡 富夫(ひろおか とみお、1928年2月20日 - 2009年9月26日[要出典])は、広島県呉市出身のプロ野球選手(内野手)。読売ジャイアンツで活躍した広岡達朗は弟。 呉二中から広島県庁に入り、軟式野球チーム「オール県庁」で強打の捕手として活躍していた。バッテリーを組んでいた渡辺信義が1951年に広島へ入団していて、広岡も「周囲からカープへ入ったらどう?」と言う声が起こって欲も得もなく、1952年に広島カープへ入団。公務員からプロ入団という珍しいケースであり、弟の達朗によると「子供のころから器用で、運動神経も私よりはるかにまさっていたがまさかプロになるとは思わなかった。私のプロへの道筋は、細々と芽生えていたんだ」と語っている。
石丸 和人(いしまる かずと、1928年2月17日 - )は… 石丸 和人(いしまる かずと、1928年2月17日 - )は、日本のジャーナリスト、翻訳家。 広島県呉市出身。1953年東京大学文学部独文科卒、毎日新聞社入社、外信部副部長、ワシントン支局長、編集委員、論説委員、1983年山形新聞社入社、論説委員。姫路獨協大学教授、2003年定年。
楢原 静(ならはら しずか、1928年 - )は、広島県三原… 楢原 静(ならはら しずか、1928年 - )は、広島県三原市出身の卓球選手。戦後1952年、インドのボンベイで開催された世界卓球選手権で西村登美江とペアを組み団体戦、ダブルス優勝。日本卓球初の世界王者となった。 楢原 静(ならはら しずか、1928年 - )は、広島県三原市出身の卓球選手。戦後1952年、インドのボンベイで開催された世界卓球選手権で西村登美江とペアを組み団体戦、ダブルス優勝。日本卓球初の世界王者となった。
児玉 辰春(こだま たつはる、1928年 - 2019年10… 児玉 辰春(こだま たつはる、1928年 - 2019年10月14日)は、日本の児童文学作家。 戦争を語り継ぐ絵本『まっ黒なおべんとう』の著者として知られる。 広島県大竹市出身。山口県立岩国工業高等学校、神奈川大学工学部卒業。 1954年より中学校の教師として勤務した。その頃から、子供たちへの平和活動を始める。1988年、広島市立三和中学校を最後に退職し、創作活動を開始した。 1990年に「よっちゃんのビー玉」が日本子どもの本研究会選定図書、1992年に「伸ちゃんのさんりんしゃ」日本図書館協会選定図書と全国学校図書館協議会「夏休みの本」に選ばれた。 2001年、戦争の悲惨さを語り継ぐ「新世紀に戦争を語り継ぐ会」を創設した。
西本 瑛泉(にしもと えいせん、1928年 - 2023年9… 西本 瑛泉(にしもと えいせん、1928年 - 2023年9月28日)は、日本の陶芸家。日展を中心に活動し、1999年に作品「玄窯縄文譜『黎明』」で日本芸術院賞および恩賜賞を受賞した。 日展の工芸美術分野で活動した。1978年の第10回日展で特選、1982年の第14回日展で再特選を受賞した。2023年9月28日死去。 1993年、第32回日本現代工芸美術展出品作「縄文彩器」により内閣総理大臣賞を受賞した。 1998年には第19回広島文化賞を受賞した。 1999年、作品「玄窯縄文譜『黎明』」に対して平成10年度日本芸術院賞・恩賜賞が授与された。
古林 尚(ふるばやし たかし 1927年11月20日 - 1… 古林 尚(ふるばやし たかし 1927年11月20日 - 1998年12月30日)は日本の文芸評論家。本名の読み方は「ひさし」。 広島県府中町に生まれる。海軍小学校、県立府中中学校(現・広島県立府中高等学校)、旧制姫路高等学校(現・神戸大学)理科乙類卒業。1950年、早稲田大学露文科入学。同年、早稲田大学10月闘争に立会い、1952年には10月闘争の記録『真実のあかしのために』を日高書店から刊行した。1953年、日本近代文学研究所の所員となる。1954年早稲田大学を卒業。 高校で国語教師を務め、また大学で近現代文学を教える傍ら、主としてマルクス主義・戦後民主主義の立場から戦後日本文学を研究し、文芸評論を発表。
川井 健(かわい たけし、1927年8月23日 - 2013… 川井 健(かわい たけし、1927年8月23日 - 2013年5月15日)は、日本の法学者。学位は法学博士。専門は民法。第11代一橋大学学長、一橋大学名誉教授。広島市生まれ。位階は従三位。父の川井清一郎は川井訓導事件で知られる教育者。 我妻栄の最後の弟子であるとされている[要出典]。北海道大学法学部教授を経て、1971年4月、長らく民法の専任教員が好美清光1名しかいなかった一橋大学法学部の教授に島津一郎とともに就任する。1986年には今井賢一商学部長が学長選の学生投票で除斥され、種瀬茂学長が心労で急逝するなど混乱が生じる中、学園紛争期の都留重人第6代学長以来となる史上2人目の一橋出身者以外の学長として、第11代一橋大学学長に選出された。
武田 正彦(たけだ まさひこ、1927年7月15日 - 20… 武田 正彦(たけだ まさひこ、1927年7月15日 - 2007年2月15日)は、日本の弁護士、実業家。 広島県呉市出身。1953年(昭和28年)- 東京大学法学部卒業。1956年(昭和31年)- 神戸家裁判事補。1959年(昭和34年)- 神戸簡裁判判事。同年アメリカミシガン大学ロー・スクール留学。1961年(昭和36年)- 福岡家裁判事補、判事。1964年(昭和39年)- 弁護士登録。以来、主に渉外、特許事件を担当する。1972年(昭和47年)- ピエール・カルダンの日本代理店「ピエール・カルダン・ジャパン」(PCJ)を設立。社長、カルダンブランドを日本に定着。その後、長くカルダン本社国際戦略のアドバイス役を務めた。
若山 彰(わかやま あきら、1927年7月4日 - 1998… 若山 彰(わかやま あきら、1927年7月4日 - 1998年12月9日)は、日本の歌手。広島県三原市出身。武蔵野音楽大学卒業。元妻は「花の素顔」「マリモの唄」などで知られる歌手の安藤まり子。墓所は広島県三原市の香積寺にある。 広島県で繊維問屋を営む家に生まれ、不自由なく育つ。幼少の頃より歌好きであったが、旧・広島文理科大学在学中に出場した音楽コンクールで3位入賞を果たしたことで、本格的に歌の道を志し、武蔵野音楽学校へ入学し直す。 当初はオペラ歌手を目指していたが、在学中に伊藤久男の「イヨマンテの夜」のバックコーラスのアルバイトをしたことで流行歌の魅力にとりこになり、作曲家の米山正夫に師事。大学卒業後の1951年、24歳で日本コロムビアから「星空」でデビュー。
小尻 源峰(こじり げんぽう、1927年<昭和2年>5月12… 小尻 源峰(こじり げんぽう、1927年<昭和2年>5月12日 - 2011年<平成23年>3月13日)は日本画家である。師は森谷南人子。広島県尾道市出身で現在は岐阜県在住。 白峰会会長。等迦会特別会員。弟子は星月ノ友(旧雅号・小尻紗弘) 1927年(昭和2年)に広島県尾道市で生まれる。幼い頃にリウマチ熱にかかり、心臓弁膜症という重い障害が残る。6歳まで尾道市で過ごすが、父親の転勤のため大阪府島屋町へ転居する。室戸台風の被害に遭い、家が廃屋となった為、一時吹田町に転居する。その後、再び島屋町に戻り、島屋小学校へ転校後、卒業。 西野田工業高校に進学するが、1941年(昭和16年)12月8日太平洋戦争が勃発し、在学中に志願兵として、広島の呉海兵団に入隊。
小野 敦子(おの あつこ、1927年〈昭和2年〉5月2日 -… 小野 敦子(おの あつこ、1927年〈昭和2年〉5月2日 - )は、日本の女優。広島県出身。身長146cm、体重43.5kg。本名は松本 敦子(旧姓、小野)。東京女子厚生専門学校卒業。 広島県賀茂郡(後の安芸津町。現在の東広島市)で生まれる。 1943年、新生新派に入り、舞台で活動。退団後はラジオでの活動も開始する。1949年に木の実座を結成。グループ・てえぶら、東京俳優生活協同組合、希楽星に所属していた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
可部 恒雄(かべ つねお、1927年(昭和2年)3月9日 -… 可部 恒雄(かべ つねお、1927年(昭和2年)3月9日 - 2011年(平成23年)2月3日)は、日本の裁判官、弁護士、最高裁判所判事。位階は正三位。 広島県・可部寅蔵の二男。父・寅蔵は広島市猿猴橋町で呉服商を営んでいた。 旧制広島高師附属中学、旧制広島高校、東京大学法学部卒。1952年(昭和27年)判事補任官。水戸地裁所長、最高裁首席調査官、東京地裁所長等を経て、1988年(昭和63年)福岡高等裁判所長官に就任。 1990年(平成2年)から最高裁判所判事を務める。就任あいさつでは「重い職責を担うことになった。気力、体力、勇気をふりしぼり、困難にめげず、最後までがんばりたい」と述べた。 1997年4月2日の愛媛県靖国神社玉串料訴訟大法廷判決では三好達と共に国側主張を支持し反対意見を出した。
粟根 昭二郎(あわね しょうじろう、1927年2月25日 -… 粟根 昭二郎(あわね しょうじろう、1927年2月25日 - )は日本の七宝工芸作家。長男は七宝工芸作家の粟根仁志。広島における七宝制作・普及の草分け的存在であると共に、西日本においての先駆者。 広島県三原市糸崎町で粟根豊一の長男に生まれる。1965年に妻・知恵と結婚して以降七宝の技術を学び始め、広島市に夫婦で七宝教室を開設。1977年に第24回日本伝統工芸展に初入選。1984年には日本工芸会正会員に認定され、同諸工芸部会幹事や同諸工芸部会展実行委員を歴任。2005年に地域文化功労者表彰(文部科学大臣)を受賞した。 七宝を始めた当初、西日本には指導者がおらず、全国の工房や美術館などを巡り、独学で技術を身につけた。
粟本 昭夫(あわもと てるお、1927年2月12日 - 20… 粟本 昭夫(あわもと てるお、1927年2月12日 - 2025年)は、日本のイエズス会司祭、宗教家、教育者。
佐々木 久子(ささき ひさこ、1927年2月10日 - 20… 佐々木 久子(ささき ひさこ、1927年2月10日 - 2008年6月28日)は、日本の編集者、評論家、随筆家である。雑誌『酒』(1955年 - 1997年)編集長。「カープを優勝させる会」を旗揚げし奔走したことで知られる。 広島県広島市出身。3歳から酒をたしなむ。広島女子商業学校(現広島翔洋高等学校)を経て広島大学に進学。1945年には広島市への原子爆弾投下により爆心地から1.9km離れた自宅で被爆。自身は母親と共に救出されたが、5年後には父親を原爆症により亡くした。第二次世界大戦後は広島で青年運動・平和運動・新劇などの活動もしていた。 大学卒業後、NHK広島放送局勤務を経て、単身で上京。1955年4月、雑誌『酒』を創刊。
井口 洋夫(いのくち ひろお、1927年2月3日 - 201… 井口 洋夫(いのくち ひろお、1927年2月3日 - 2014年3月20日)は、日本の化学者(物理化学)。勲等は文化勲章。学位は理学博士(東京大学)。東京大学名誉教授、日本学士院会員、文化功労者。位階は従三位。 東京大学理学部助教授、東京大学物性研究所教授、分子科学研究所教授・所長、岡崎国立共同研究機構機構長、国際高等研究所副所長、豊田理化学研究所所長のほか、学士会理事長などを歴任した。 1927年2月3日、広島県広島市段原(現在の南区段原)生まれ。炭素原子の持つπ電子の重なりにより、有機物質内の分子間で電子が移動し導電性を示すことを実証した。東京大学、分子科学研究所、国際高等研究所、豊田理化学研究所などで研究に従事した。
亀田 良一(かめだ りょういち、1927年(昭和2年)2月1… 亀田 良一(かめだ りょういち、1927年(昭和2年)2月1日 - 2018年(平成30年)12月28日)は、日本の実業家。政治家。広島県尾道市長(4期)。位階は従五位。旭日小綬章受章。 広島県尾道市出身。1951年、早稲田大学政治経済学部卒。1956年、亀田海運を会社組織にして独立する。尾道青年会議所理事長、尾道商工会議所副会頭などを経て、1995年、尾道市長に立候補し、現職の博田東平を破って当選する。1999年と2003年は無投票当選。尾道市長を3期務め、2007年に退任した。2008年春の叙勲で旭日小綬章を受章。2018年に死去。死没日付をもって従五位に叙された。
川崎 展宏(かわさき てんこう、本名ではのぶひろ、1927年… 川崎 展宏(かわさき てんこう、本名ではのぶひろ、1927年1月16日 - 2009年11月29日)は、日本の俳人・国文学者。広島県出身。 呉市生まれ。父は海軍士官。1953年、東京大学文学部国文学科卒業。1958年、同大学院満期退学。米沢女子大学、共立女子大学を経て、明治大学法学部教授。 東京府立第八中学校(現・東京都立小山台高等学校)で加藤楸邨に教わり、のちに俳句を楸邨に師事、「寒雷」に参加する。1970年、森澄雄の「杉」創刊に参加、編集を務める。1980年、超結社の同人誌「貂」を創刊、2003年まで代表を務め、2004年より名誉代表となる。1991年、句集『夏』で読売文学賞受賞。1998年、句集『秋』で詩歌文学館賞、評論『俳句初心』で俳人協会評論賞受賞。
廣中 俊雄(ひろなか としお、1926年10月23日 - 2… 廣中 俊雄(ひろなか としお、1926年10月23日 - 2014年2月24日)は、日本の法学者。広島県広島市出身。東北大学名誉教授。専門は民法、法社会学。ほか財産法、契約法。日本の公安警察も研究した。
力石 定一(ちからいし さだかず、1926年10月6日 - … 力石 定一(ちからいし さだかず、1926年10月6日 - 2016年1月22日)は、日本の経済学者、社会工学者。法政大学名誉教授。 広島県尾道市生まれ。旧制三高から旧制東京大学経済学部に進み、学生運動に身を投じる。東大共産党細胞において渡邉恒雄らとの路線闘争を繰り広げ勝利。1948年には武井昭夫、沖浦和光らと全学連(全日本学生自治会総連合)を結成。全学連の理論面での指導者とされた。翌年6月3日に東大で学生大量処分に抗議する公聴会が開かれたとき、処分理由を説明する矢内原忠雄経済学部長に「キミはファシストだ」と難詰した(キミ、ボク論争)。 東大卒業後、国民経済研究所研究員を経て、法政大学工学部経営工学科教授(社会工学)。
青山 吉信(あおやま よしのぶ、1926年8月20日 - 2… 青山 吉信(あおやま よしのぶ、1926年8月20日 - 2006年6月29日)は、日本の歴史学者、日本女子大学名誉教授。英国中世史が専門。 1926年、広島県で生まれた。東京大学文学部西洋史学科で学び、1952年に卒業。 卒業後は、東洋大学助教授に就いた。1961年、日本女子大学助教授に転じた。後に教授昇格。1997年に日本女子大学を定年退任し、名誉教授となった。2000年に勲三等瑞宝章を受章。
柘植 一雄(つげ かずお、1926年8月1日 - 1996年… 柘植 一雄(つげ かずお、1926年8月1日 - 1996年11月30日 )は、日本の西洋史学者。専門は、古代ギリシャ史・ヘレニズム史。関西学院大学教授、文学部長、学長を歴任した。 1926年、広島県広島市生まれ。1948年、関西学院大学文学部神学科に入学するも、1951年に文学部史学科に転科する。粟野頼之祐に師事し、古代ギリシャ史・ヘレニズム史を専攻。同大学院博士課程を経て、1956年に文学部嘱託助手となり、1972年、教授に就任する。文学部長を歴任後、1989年から、学長を2期5年務めた。1995年3月に同大学退職。
美能 幸三(みの こうぞう、1926年7月31日 - 201… 美能 幸三(みの こうぞう、1926年7月31日 - 2010年3月17日)は、日本の実業家。元ヤクザ。広島県呉市の美能組初代組長。広島県呉市出身。広島抗争の中心人物の一人であり、後にそのいきさつを描いた『仁義なき戦い』の原型となる獄中手記を書いた人物である。詳細は広島抗争、『仁義なき戦い』の項を参照。 大正15年(1926年)7月31日、広島県呉市に生まれる。父親は退役軍人で海軍工場に勤め、母親は小学校の教員だった。呉第二中学校(現在の広島県立呉宮原高等学校)2年で退学し、毎日ぶらぶらとしていたが、昭和17年(1942年)に大日本帝国海軍に志願し大竹海兵団に入団、ラバウル、硫黄島を転戦しトラック島で終戦を迎え、浦賀に上陸し昭和20年(1945年)11月26日、復員。
木庭 教(きにわ さとし、1926年7月28日 - 2008… 木庭 教(きにわ さとし、1926年7月28日 - 2008年5月23日)は日本の元プロ野球スカウトである。「スカウトの神様」と呼ばれ、1975年から始まる広島東洋カープ黄金時代を創った影の主役と言われている。
粟屋 敏信(あわや としのぶ、1926年〈大正15年〉7月2… 粟屋 敏信(あわや としのぶ、1926年〈大正15年〉7月25日 - 2016年〈平成28年〉9月4日)は、日本の政治家、建設官僚。衆議院議員 (5期)。位階は従三位。 広島県広島市出身。旧制広島高等師範学校附属中学校、旧制広島高等学校、東京大学法学部卒業後、旧建設省に入省し、建設事務次官等を歴任。 退官後の1983年(昭和58年)の第37回衆議院議員総選挙では、灘尾弘吉の地盤を継承し旧広島1区から自由民主党公認で立候補したが落選。1986年(昭和61年)の第38回衆議院議員総選挙で初当選。以後5期連続当選。 第40回衆議院議員総選挙は新生党、第41回衆議院議員総選挙は新進党、その後、太陽党、民政党を経て、第42回衆議院議員総選挙は無所属の会から立候補し当選(広島2区)。
渡辺 襄(わたなべ のぼる、1926年5月6日 - 2007… 渡辺 襄(わたなべ のぼる、1926年5月6日 - 2007年6月16日)は、毎日新聞社社長。 広島県福山市出身。1949年東京大学法学部卒。同年毎日新聞社に入社。政治部記者になり、政治部副部長、論説委員、論説主幹などを務め、1983年に取締役に就いた。1986年専務兼主筆、翌1987年に社長に就任した。1992年には相談役となり、1996年から顧問となった。また、1988年から2001年まで横綱審議委員を務めた。
熊野 剛雄(くまの よしお、1926年5月3日 - 2020… 熊野 剛雄(くまの よしお、1926年5月3日 - 2020年11月24日)は、日本の経済学者。専修大学名誉教授。 広島県尾道市出身。1951年東京大学経済学部卒業。同年大学院中退。角丸証券(現・みずほ証券)入社。1965年同社調査部長。日本証券経済研究所主任研究員(のち理事)、1968年専修大学経営学部講師。1977年教授、同経営研究所長。97年定年、名誉教授。証券経済学会代表理事、日本学術会議会員も務めた。1998年から20余年にわたり、大槻久志のペンネームで金融と経済の啓蒙書を刊行した。
寺西 忠成(てらにし ただしげ、1926年4月25日 - 1… 寺西 忠成(てらにし ただしげ、1926年4月25日 - 1999年1月14日)は、広島県広島市出身の元サッカー選手・サッカー指導者。元八幡製鉄サッカー部監督、東福岡高等学校コーチ。 広島一中(現広島県立国泰寺高校)から広島高等師範学校(現広島大学)を経て1949年、当時サッカー不毛の地といわれていた九州の八幡製鉄サッカー部に入団。まだ発足二年目の八幡製鉄サッカー部は同好会レベルで、企業内スポーツ部がまだレクリエーションとしか見られていなかった時代、引き抜きや本社転勤話を断り、無名だったチームの主力フォワード(FW)として活躍した。入社二年目の1951年監督就任。同年日本代表候補となるが、社用が忙しくなり合宿に参加できず、この年インド・ニューデリーで第1回が行われたアジア競技大会には出場出来なかった。
宝山 省二(ほうざん しょうじ、1926年4月5日 - )は… 宝山 省二(ほうざん しょうじ、1926年4月5日 - )は、広島県出身の元プロ野球選手。右投右打で、ポジションは三塁手。