米津 玄師(よねづ けんし、1991年〈平成3年〉3月10日… 米津 玄師(よねづ けんし、1991年〈平成3年〉3月10日 - )は、日本のシンガーソングライター、作曲家、作詞家、ギタリスト、音楽プロデューサー、ボカロP、イラストレーター、映像作家。本名同じ。ボカロPとしての名義は、ハチ。別名義として、蛙屋(かわずや)という名義も存在した。 徳島県出身。所属レーベルはソニー・ミュージックレーベルズ。 身長188 cm。血液型O型。2009年前後より、ボカロP・ハチとしてインターネットを中心に活動したあと、2012年に本人名義のアルバム『diorama』でソロデビュー。翌年、ユニバーサルシグマよりメジャーデビュー。2016年よりソニー・ミュージックレコーズへ移籍。
颯音(さつね、1983年 - )は、日本の作家。 徳島県麻植… 颯音(さつね、1983年 - )は、日本の作家。 徳島県麻植郡(現在の吉野川市)出身。 地元の高校卒業後、デザイン系の学校へと進学する。在学中に軽度うつ状態に陥り、「小学生時代から行っていた」というリストカットやOD(オーバードーズ)等の自傷行為に走り、当時からの記録を綴り、リストカットなどの過激な画像の掲載「リスカ日記」を公開している。2007年にフィクション小説「出来るだけ長く、出来るならずっと。」を発表した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
喜多 喜久(きた よしひさ、1979年3月6日 -)は、日本… 喜多 喜久(きた よしひさ、1979年3月6日 -)は、日本の小説家。 徳島県三好郡三加茂町(現・東みよし町)出身。香川県在住。徳島県立脇町高等学校卒業。東京大学薬学部卒業。東京大学大学院薬学系研究科修士課程修了。大手製薬会社の研究員として勤務する傍ら執筆活動を行なっていたが、2017年3月末を以て退職。専業作家となる 。2010年、『ラブ・ケミストリー』(応募時のタイトルは「有機をもって恋をせよ」)で第9回『このミステリーがすごい!』大賞優秀賞を受賞する。2011年、同作で小説家デビュー。ペンネームの由来は「名字は本名で、縁起のいい名前を」という思いから。井上喜久子のファンである。 「」内が喜多喜久の作品
山本 渚(やまもと なぎさ、1979年 - )は、日本の小説… 山本 渚(やまもと なぎさ、1979年 - )は、日本の小説家。徳島県出身・在住。 徳島県立城北高等学校に在学中、図書委員を務める。香川医科大学看護学科卒業後、主婦業の傍ら執筆した『吉野北高校図書委員会』で、2008年の第3回ダ・ヴィンチ文学賞編集長特別賞を受賞した。当時は岡山県在住、現在は徳島市在住。2018年、投稿作「アップル・デイズ」で第17回女による女のためのR-18文学賞友近賞を受賞。
妹尾 昌俊(せのお まさとし、1979年 - )は、日本の著… 妹尾 昌俊(せのお まさとし、1979年 - )は、日本の著作家。教育研究家。一般社団法人ライフ&ワーク代表理事。大阪キリスト教学院教育テック総研 副所長・客員教授。 徳島県出身。徳島県立脇町高等学校、大阪大学を卒業した。大学卒業後、京都大学大学院法学研究科行政学専攻に進学し、2004年に[要出典]修了した。 修了後は、野村総合研究所での勤務を経て2016年に独立した。独立後は、全国各地で学校や教育委員会向けの研修・講演などを手がけており、文部科学省より学校業務改善アドバイザーを委嘱され、中央教育審議会『学校における働き方改革特別部会』の委員を務め、スポーツ庁や文化庁の部活動ガイドライン作成検討会議委員や文科省・校務の情報化の在り方に関する専門家会議委員などを歴任する。
あざの耕平(あざの こうへい、1976年1月28日 - )は… あざの耕平(あざの こうへい、1976年1月28日 - )は、日本の男性ライトノベル作家。徳島県阿南市出身。山口大学人文学部卒業。 第9回ファンタジア長編小説大賞において、『霧の都の吸血鬼』で最終選考に残る。その後『月刊ドラゴンマガジン』誌上で行われた第1回龍皇杯に『Dクラッカーズ』で出場(『月刊ドラゴンマガジン』1998年9月号掲載)するが、優勝は逃す。 1999年1月、富士見ファンタジア文庫より『ブートレガーズ 神仙酒コンチェルト』で文庫デビュー。『Dクラッカーズ』は、その後富士見ミステリー文庫にてシリーズ化し、新レーベルとして立ち上げられたばかりだった富士見ミステリー文庫を支える人気作となった。
原田 たけし(はらだ たけし、本名:原田剛、1972年11月… 原田 たけし(はらだ たけし、本名:原田剛、1972年11月29日 - )は、日本の絵本作家、超短編小説家。実業家。地域プランナー。 徳島県阿波市土成町出身。株式会社ワイヤーオレンジ代表取締役社長。 2001年9月、徳島で地域密着型の育児雑誌『ワイヤーママ』を創刊し、全国9都市にフランチャイズを展開する。2013年には、新出産祝いギフト『おむつ寿司』も手掛け、全国販売を開始。 またワイヤーオレンジ経営の傍ら、2014年に自伝的絵本『小学生のボクは、鬼のようなお母さんにナスビを売らされました。』を発売。 Amazon総合ランキングで1位に輝き、テレビ番組 フジテレビ『奇跡体験!アンビリバボー』、日本テレビ『世界一受けたい授業』で「エグいのに泣ける」と特集が組まれる。
高木 壮太(たかぎ そうた、1968年2月6日 - )は、日… 高木 壮太(たかぎ そうた、1968年2月6日 - )は、日本の(鍵盤楽器奏者)、音楽プロデューサー、映像作家、エッセイスト(本人は「戯作者」を自称)。 徳島県徳島市出身。徳島市立高等学校中退。1982年頃から音楽活動を開始し、1989年に上京。 1990年代以降、スタジオ・ミュージシャン、CM音楽作家、サポート奏者(GREAT3、BONNIE PINK、YUKI、EL-MALO、和田アキ子など)として活動するかたわら、ブルー・ボンゴス、ソウル・ミッション、GENERAL、LOVE ME TENDER、CAT BOYSなどのバンドないしユニットのメンバーとして活動している。 音楽プロデューサーとして、ソウル・ミッション、井の頭レンジャーズ、GOMUを手がけている。
山口 敏太郎(やまぐち びんたろう、本名:間 敏幸(はざま … 山口 敏太郎(やまぐち びんたろう、本名:間 敏幸(はざま としゆき)1966年〈昭和41年〉7月20日 - )は、日本の男性作家、YouTuber、タレント、コメンテーター。山口敏太郎タートルカンパニー代表取締役。怪獣プロレス株式会社取締役。神奈川大学経済学部卒業。放送大学大学院文化科学研究科修士号。徳島県徳島市出身。 作家としては主にオカルト、怪獣、UMAを扱った本を執筆している。「オカルト界の巨匠」、「オカルトのカリスマ」、「オカルト界の重鎮」と称される。また、「怪談師」「ガチ怪談」という言葉を造語する。後に、終戦直後まで「怪談師」という職業が実在していたことが判明し、結果的に言葉を復活させることになる。
くすのき しげのり(1961年 - )は、日本の児童文学作家… くすのき しげのり(1961年 - )は、日本の児童文学作家、童謡詩人。 徳島県出身。徳島大学卒業、鳴門教育大学大学院修了。教育関係の書籍では、楠茂宣 名義でも活動している。 徳島県立城北高等学校 在学中は文芸部に入り、大学在学中より児童文学の創作活動を始める。小学校教諭となった後も道徳や国語の時間の教材に使用する為に作品を書き続ける。 2002年に徳島県鳴門市立図書館副館長に着任、民間業者との共同運営や読書の推進活動に携わる。 2004年に脳梗塞となり数ヶ月入院、退院後のリハビリテーションを経て復帰する。この時の経験から2005年より「あなたの一日が世界を変える」の理念を世界に普及させる活動を始める。
南 杏子(みなみ きょうこ、1961年 - )は、日本の小説… 南 杏子(みなみ きょうこ、1961年 - )は、日本の小説家、内科医。 徳島県徳島市生まれ。日本女子大学家政学部被服学科卒業。 大学(家政学専攻)を卒業後、編集プロダクションや主婦の友社での育児雑誌編集を経て、25歳で結婚。夫の転勤に伴ってイギリスへ転居し、外国での出産を経験。帰国後、乳幼児の病気を取材し記事を執筆した経験などから「もっと知りたい」と一念発起して、33歳、長女が2歳の時に東海大学医学部に学士編入する。卒業後、東京都内の大学病院老年内科などで勤務した後、スイスへ転居する。スイス医療福祉互助会顧問医などを務める。帰国後、都内の終末期医療専門病院に内科医として勤務する。 夫に伴って通い始めた小説教室で小説執筆にはまり作家・五十嵐貴久ら講師のもとで実践を学んで、2016年、大学時代に寝たきりの祖父を家で看取った介護体験や医師として多くの死を見届けた体験をもとに終末期医療や在宅医療を題材とした『サイレント・ブレス』で小説家としてデビューする。
大川 隆法(おおかわ りゅうほう、出生名:中川隆、1956年… 大川 隆法(おおかわ りゅうほう、出生名:中川隆、1956年〈昭和31年〉7月7日 - 2023年〈令和5年〉3月2日)は、日本の宗教家、思想家、作家。幸福の科学の創始者・総裁。 2022年12月時点、説法回数は3,500回、著作の公称の発刊点数は日本国内で3,100書、作詞・作曲を手がけた作品は450曲を超える。幸福の科学のほか幸福実現党、ニュースター・プロダクション、ARI Productionなど、幸福の科学グループの多くの企業・団体で会長や総裁職を勤めていた。 29歳年下の後妻(再婚)である大川紫央 (現総裁補佐)については、”坂本龍馬の生まれ変わり”であるとしている。 1956年7月、徳島県麻植郡川島町大字桑村(現在の吉野川市川島町桑村)に、日本共産党活動家で、畜産コンサルタントであった父・善川三朗(本名:中川 忠義、共産党名:中川只芳)と母・君子の次男として生まれた。
乾 荘次郎(いぬい そうじろう、1948年 - )は、日本の… 乾 荘次郎(いぬい そうじろう、1948年 - )は、日本の小説家。 徳島県徳島市生まれ。徳島県立城南高等学校卒業。早稲田大学中退。 1998年の第6回松本清張賞で最終選考に残り、一躍有名になる[大言壮語的]。その後、短編集「孤愁の鬼」で時代小説家としてデビュー。
山上 たつひこ(やまがみ たつひこ、本名:山上 竜彦(読み同… 山上 たつひこ(やまがみ たつひこ、本名:山上 竜彦(読み同じ)、1947年12月13日 - )は、日本の漫画家・小説家。小説家としての名義は山上 龍彦(本名と読み同じ)ならびに秋津 国宏(あきつ くにひろ)。 徳島県生まれ、大阪府育ち。現在は金沢市在住。大阪鉄道高校(現・大産大附属高校)卒業。代表作はディストピア漫画『光る風』、ギャグ漫画『がきデカ』『喜劇新思想大系』、漫画原作として『羊の木』など。 出生名は三宅 竜彦。養子に出されて森田姓となり、大阪に移ってから母方の旧姓の山上姓となる。 高校卒業後、大阪の日の丸文庫に入社し、編集の傍ら貸本劇画を描きはじめる。1965年 、日の丸文庫「影 別冊」掲載の『秘密指令0』で正式に漫画家デビュー。
赤松 光夫(あかまつ みつお、1931年3月3日 -)は、日… 赤松 光夫(あかまつ みつお、1931年3月3日 -)は、日本の小説家。青春小説・推理小説・時代小説・官能小説などで知られる。本名は赤松 光雄。 徳島県阿波郡市場町(現・阿波市市場町)で23代つづく浄土真宗尊光寺の僧侶の四男として生まれる。旧制阿波中学校(現・徳島県立阿波高等学校)から京都大学文学部卒。出版社に勤務し、女学生雑誌『高校家庭クラブ』の編集長をしていたが、石上玄一郎の主宰する同人誌『現象』に参加し、菊村到らとも知り合う。1960年から作家活動を始める。初め青春小説を書き、ファンレターに書かれていた経験を基に書いた「ロストラブ」シリーズはベストセラーになった。同時期にジュニア小説を書いていた川上宗薫は「おれと赤松はジュニア小説の柏鵬だ」と語っている。
原田 一美(はらだ かずみ、1926年8月24日 - 201… 原田 一美(はらだ かずみ、1926年8月24日 - 2016年3月1日 )は、日本の児童文学作家。日本児童文学者協会会員。徳島ペンクラブ理事。徳島県麻植郡(現・吉野川市)山川町出身。 1947年徳島師範学校本科卒業後、県内の小学校・中学校で教員を務めたほか、徳島市教育委員会・徳島県教育委員会などで勤務、1987年3月、徳島市立富田小学校校長を最後に退職。 1961年に出版された『ホタルの歌』は第1回学研児童文学賞ノンフィクション部門を受賞、全国学校図書館協議会課題図書にも選定された。その後、『出会いがあって』で第1回石森延男児童文学賞を受賞。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
佃 實夫(つくだ じつお、1925年(大正14年)12月27… 佃 實夫(つくだ じつお、1925年(大正14年)12月27日 - 1979年3月9日)は、日本の小説家、文献学者。 徳島県阿南市出身。徳島青年師範学校中退。郵便局員、教員、徳島県立図書館司書、横浜市立図書館司書。 1959年「ある異邦人の死」で芥川賞候補。晩年徳島に在住したモラエスを描いたもので、1966年には大部の『わがモラエス伝』を上梓した。幕末・明治期を舞台として、『阿波自由党始末記』などの小説を書いた。1969年にポルトガル文化勲章受章。また文献学にも通じ、日外アソシエーツの『現代日本執筆者大事典』の編纂に携わった。 ポルトガル文化勲章(1969年) この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
瀬戸内 寂聴(せとうち じゃくちょう、1922年〈大正11年… 瀬戸内 寂聴(せとうち じゃくちょう、1922年〈大正11年〉5月15日 - 2021年〈令和3年〉11月9日)は、日本の小説家、天台宗の尼僧。位階は従三位。俗名:晴美(はるみ)。僧位は権大僧正。1997年文化功労者、2006年文化勲章。天台寺名誉住職、徳島市名誉市民、京都市名誉市民、二戸市名誉市民。天台寺住職、比叡山延暦寺禅光坊住職、敦賀女子短期大学学長を務めた。 作家としての代表作は、『夏の終り』『花に問え』『場所』など多数。1988年以降は『源氏物語』に関連する著作が多く、新潮同人雑誌賞を皮切りに、女流文学賞、谷崎潤一郎賞、野間文芸賞などを受賞した。 大正・昭和・平成・令和と4つの時代を生きた作家である。
中川 静子(なかがわ しずこ、1919年(大正8年)3月22… 中川 静子(なかがわ しずこ、1919年(大正8年)3月22日 - 1994年(平成6年)1月27日)は、日本の作家。 宗教団体 幸福の科学を設立した大川隆法(現・総裁)の伯母(大川隆法の父・善川三朗の姉)である。 1919年(大正8年)、徳島県麻植郡東山村(現・吉野川市)生まれ。川島尋常高等小学校卒、私立順心高等女学校中退。後、様々な職を経験する。 1942年(昭和17年)、第3回『文庫』懸賞短篇小説で、二等当選。受賞作「寄附徴収員」。徳島県の同人誌『飛行船』などで執筆を始める。小説「幽囚転々」が直木賞候補になって間もなく出版社のすすめで上京した。中野あたりのアパートで執筆生活をはじめたが、充分な準備の無いままの都会の一人暮らしゆえ、作品の完成もままならず、1年後には故郷徳島に帰ることになった。
岡田みゆき(おかだ みゆき、1917年(大正6年)10月5日… 岡田みゆき(おかだ みゆき、1917年(大正6年)10月5日 - 2008年(平成20年)1月12日)は、日本の小説家。徳島県徳島市出身。徳島県女子師範学校専攻科卒業。 徳島市で生まれ、徳島県女子師範学校専攻科を卒業。卒業後は小・中学校教諭を務める傍ら、同人誌『徳島作家』に参加し創作を続ける。1960年(昭和35年)に「谷間の神」が第3回婦人公論新人賞佳作に選ばれる。1961年(昭和36年)、「石ころ」が芥川龍之介賞候補に選ばれる。徳島県作家協会理事を歴任。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
鹿山 誉(かやま ほまれ、1915年〈大正4年〉2月26日 … 鹿山 誉(かやま ほまれ、1915年〈大正4年〉2月26日 - 没年不明)は、日本の海軍軍人、実業家、作家。最終階級は海軍少佐。『海軍第十六防空隊』など多数の日本軍関係本の著者。 徳島県生。旧制徳島県立徳島中学校(現・徳島県立城南高等学校)卒業後、1934年(昭和9年)に海軍兵学校に入学した。 海兵65期として1938年(昭和13年)に卒業する。八雲・陸奥・剣埼・夕立・村雨・五月雨などの海軍軍艦および艦艇に乗船した。[要出典] 1940年(昭和15年)に舞鶴鎮守府第一特別陸戦隊副官になる。1941年(昭和16年)に夕立と村雨の砲術長兼分隊長、1943年(昭和18年)に海軍第16防空隊長になる。1944年(昭和19年)海軍少佐に昇進し、1945年(昭和20年)に海軍兵学校教官兼海軍兵学校監事となる。
北条 民雄(ほうじょう たみお、旧字体:北條 民雄、1914… 北条 民雄(ほうじょう たみお、旧字体:北條 民雄、1914年(大正3年)9月22日 - 1937年(昭和12年)12月5日)は、徳島県出身の小説家。ハンセン病となり隔離生活を余儀なくされながら、自身の体験に基づく作品「いのちの初夜」などを遺した。本名:七條 晃司(しちじょう てるじ)。 1914年9月、日本統治時代の朝鮮の首都京城(現・ソウル)に生まれる。生後間もなく母親と死別し、徳島県阿南市下大野町に育つ。 1932年に結婚。1933年、19歳のとき、ハンセン病を発病し破婚。翌1934年、東京府北多摩郡東村山村の全生園に入院。入院後、創作を開始した。川端康成に書簡を送って原稿の閲読を乞い、以降は川端に師事する。
富士 正晴(ふじ まさはる、本名:冨士正明、1913年10月… 富士 正晴(ふじ まさはる、本名:冨士正明、1913年10月30日 - 1987年7月15日)は、日本の小説家、詩人、版画家。多くの有名作家を輩出した『VIKING (同人誌)』の創刊同人であり、3度の芥川賞候補、直木賞候補となり、晩年は竹やぶに囲まれた自宅に引きこもって活動し、「竹林の隠者」と呼ばれた。毎日出版文化賞、大阪芸術賞、関西大賞大詩仙賞受賞。 徳島県三好郡山城谷村(現三好市)出身。両親はともに小学校の訓導をしていた。家族と神戸に転居し、神戸第三中学校卒業。 1931年旧制第三高等学校理科甲類に進学。志賀直哉を訪問したところ、竹内勝太郎を紹介されて師事する。1932年、野間宏(のちに富士の妹と結婚して義弟となる)や桑原静雄とともに、詩の同人誌『三人』を創刊。
木本 正次(きもと しょうじ、1912年10月5日 - 19… 木本 正次(きもと しょうじ、1912年10月5日 - 1995年1月26日)は、日本の小説家。毎日新聞元編集委員。 1912年(大正元年)10月5日、徳島県海部郡牟岐町出身。 神宮皇學館(現皇學館大学)卒業後、毎日新聞に入社。 毎日新聞時代は新聞記者として数々の出来事の現場取材を経験。 毎日新聞中部本社報道部長、毎日新聞西部本社ラジオ報道部長、毎日新聞大阪本社整理部顧問を務め、毎日新聞東京本社及び大阪本社では出版局参与を務めた。 毎日新聞記者を務める傍ら、小説家としての活動を並行して進め、1960年(昭和35年)に『刀塚』が直木賞候補となった。 木本の代表作である『黒部の太陽』は、毎日新聞東京本社編集委員在任中の1964年(昭和39年)に、毎日新聞連載小説として発表した作品である。
三田 華子(みた はなこ、本名:三ツ田 ハナ子、1900年(… 三田 華子(みた はなこ、本名:三ツ田 ハナ子、1900年(明治33年)5月15日 - 1983年(昭和58年)10月13日)は、徳島県徳島市出身の小説家。 徳島の民話や伝説に取材した郷土色豊かな作品を残しており、その功績が認められ1977年に第3回徳島県文化賞を受賞。 1900年5月15日、徳島県徳島市古物町(現・南新町)に生まれる。1916年11月、三ツ田富蔵と結婚する。1932年、新聞社募集の民謡に『阿波小唄』が一等に入選する。 1935年、一家で上京する。1939年、日本大学文学部芸術科に入学する。在学中、1年生の時に『二つの公休日』が文芸推薦候補となり、2年生の時に『石切場』が芥川賞候補となり、3年生の時に『祖父』が文芸推薦賞となる。
貴司 山治(きし やまじ、本名:伊藤 好市、明治32年(18… 貴司 山治(きし やまじ、本名:伊藤 好市、明治32年(1899年)12月22日 - 昭和48年(1973年)11月20日)は、日本のプロレタリア文学の小説家、劇作家。 徳島県鳴門市鳴門町高島生まれ。新聞記者などの職業を経て文筆家となる。 昭和2年(1927年)、朝日新聞が阪東妻三郎のために「五千円」(当時)の懸賞をかけ、映画小説を募集。本名伊藤好市名でこれに応募した『霊の審判』が一等入選。朝日新聞紙上で連載される。 昭和3年(1928年)、松竹配給・阪妻プロ製作で新春早々に『霊の審判』映画化が発表され話題となるが、松竹と阪妻の思惑が一致せず、三月封切りの予定が結局製作中止となる。 昭和4年(1929年)日本プロレタリア作家同盟の創立に参加し、プロレタリア文学の大衆化を唱える。
海野 十三(うんの じゅうざ)、1897年(明治30年)12… 海野 十三(うんの じゅうざ)、1897年(明治30年)12月26日 - 1949年(昭和24年)5月17日)は、日本の小説家、SF作家、推理作家、漫画家、科学解説家。「日本SFの始祖の一人」と呼ばれる。本名は佐野 昌一(さの しょういち)。 徳島市徳島本町に生まれ、幼少期は安宅町の祖父の家で育つ。徳島市立福島小学校3年生の時、神戸に移住。神戸一中(現兵庫県立神戸高等学校)を卒業後、早稲田大学理工科で電気工学を専攻。逓信省電務局電気試験所に勤務しながら、機関紙などに短編探偵小説を発表。 1928年(昭和3年)、雑誌『新青年』から依頼を受け、探偵小説「電気風呂の怪死事件」を発表して本格的文壇デビュー。
今井 邦子(いまい くにこ、1890年〈明治23年〉5月31… 今井 邦子(いまい くにこ、1890年〈明治23年〉5月31日 - 1948年〈昭和23年〉7月15日、旧姓山田、本名くにえ)は、徳島市出身の「アララギ」の歌人、小説家。後に短歌誌「明日香」を創刊した。山田邦子名で新聞記者もしていた。夫は立憲政友会衆議院議員の今井健彦。通産省事務次官を務めた両角良彦は甥にあたる。 明治23年(1890年)、徳島市に生まれる。父山田邦彦(1857年 - 1909年)は官吏であり、また和歌も詠んだ。当時は徳島県学務課長の任にあった。明治25年、2歳(1892年)のとき父母と離れ、父の郷里である長野県下諏訪町の祖父母のもとに預けられた。少女期より、文才に長け、当時、文学少女の憧れの的であった「女子文壇」にしばしば詩を投稿し、度重なる入賞をし、文才の閃きを見せていた。
生田 花世(いくた はなよ、1888年(明治21年)10月1… 生田 花世(いくた はなよ、1888年(明治21年)10月14日 - 1970年(昭和45年)12月8日)は、作家、詩人、女性解放運動家。82年の生涯のうちの14年間、生田春月と同棲した。 徳島県板野郡泉谷村(現・上板町)で、砂糖や藍玉を製造する旧家・西崎安太郎の長女に生まれた。父は村長も務めたが、家は維新後衰えていた。 1903年(明治36年)(15歳)、県立徳島高等女学校2年に編入し、『明星』誌、『文章世界』誌などに投稿した。美しくない容貌と145cmと身長が低いことに劣等感を持っていた。服装は生涯飾らなかった。上京後は貧しい田舎出身者であることも劣等感となった。 卒業後、教員免許を取得し県職員の教員となり、1906年半田小学校の、翌1907年松島小学校の教員となり、病弱の詩人横瀬夜雨に文通の指導を受けて詩作し、『女子文壇』誌に投稿し、同誌の主筆、河井酔茗にも師事した。
旺季 志ずか(おうき しずか)は日本の脚本家、小説家。徳島県… 旺季 志ずか(おうき しずか)は日本の脚本家、小説家。徳島県阿南市出身。血液型はB型である。