中村 重遠(なかむら しげとお、1840年12月25日〈天保… 中村 重遠(なかむら しげとお、1840年12月25日〈天保11年12月2日〉 - 1884年〈明治17年〉2月22日)は、明治時代の日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大佐。旧名進一郎。 1840年(天保11年)、宿毛村(現在の高知県宿毛市)に小野弥源次の子として生まれた。のち中村儀平の養子となる。山内氏固の家臣で1862年(文久2年)、宿毛文館の句読役になった。戊辰戦争では、1868年(明治元年)、東征軍に従ったが途中帰国し、宿毛出兵を説き機勢隊を編成しその責任者となる。北陸に進み功をあげる。 1871年(明治4年)[西暦年要検証]、兵部省七等出仕。のち陸軍少佐任官。1873年(明治6年)6月、陸軍省第4局第1課長に就任し、同年12月、熊本鎮台参謀長心得に転じ佐賀の乱に出征。
岩村 通俊(いわむら みちとし、1840年7月8日〈天保11… 岩村 通俊(いわむら みちとし、1840年7月8日〈天保11年6月10日〉- 1915年〈大正4年〉2月20日)は、日本の武士、官僚、政治家。鹿児島県令や初代北海道庁長官などを務めた。貫堂と号し、素水を俳号とする。栄典は正二位勲一等男爵。 明治時代に農商務大臣、宮中顧問官、北海道庁長官を務める。開拓官僚として赴任した北海道を調査し、北海道庁設置の必要性を政府に働き掛け、初代北海道庁長官となる。 土佐藩陪臣・岩村英俊を父に、長男として土佐国(現在の高知県)宿毛で生まれた通俊は、酒井南嶺の下で学問を学び岡田以蔵の下で剣術を学んだ。1869年(明治2年)には政府に出仕し聴訟司判事、箱館府権判事開拓判官を務める。
竹内 綱(たけうち(たけのうち) つな、1840年1月30日… 竹内 綱(たけうち(たけのうち) つな、1840年1月30日〈天保10年12月26日〉 - 1922年〈大正11年〉1月9日)は、日本の実業家、政治家。内閣総理大臣を務めた吉田茂は五男、麻生太郎と寬仁親王妃信子は外曾孫。 天保10年(1840年)、土佐藩家老・山内氏(伊賀氏、宿毛領主)の家臣竹内庄右衛門吉管の子として土佐国宿毛に生まれる。 目付役として大坂に宿毛蔵屋敷を建てるなど、主家の財政再建に尽力した。 慶応2年7月(1866年8月)、宿毛から16kmほど離れた阿満地浦(現在の安満地浦)にイギリス軍艦が停泊したことがあった。対応に苦慮した宿毛領主・山内氏理は、竹内に小銃200丁を備えた歩兵2個小隊を付けて接触させた。
小野 義眞(おの ぎしん / よしざね、1839年5月20日… 小野 義眞(おの ぎしん / よしざね、1839年5月20日〈天保10年4月8日〉 - 1905年〈明治38年〉5月9日)は、明治時代の実業家。通称は強一郎。従五位。岩村通俊、岩村高俊、林有造は従兄弟にあたる。 旧暦天保10年4月8日(1839年5月20日)、土佐藩宿毛(現高知県宿毛市)の大庄屋の家に生まれた。 慶応2年(1866年)宿毛領仕置役小頭として、大坂と宿毛の間を帆船「宿毛丸」で往来するようになった。慶応3年12月(1868年1月)には、高野山挙兵に参加した陸援隊士大江卓から金を調達して高野山へ送付するよう依頼されたという。 明治3年(1870年)、後藤象二郎が設立した商社蓬萊社の組合員となる。
岩崎 長武(いわさき ながたけ、1839年(天保9年12月)… 岩崎 長武(いわさき ながたけ、1839年(天保9年12月)- 1898年(明治31年)12月27日)は、幕末の土佐藩士。明治期の内務官僚、自由民権運動家。高知県権令。位階は正六位。 土佐国土佐郡高知金子橋(現高知県高知市)で土佐藩槍術指南役・岩崎長幸の二男として生まれる。 1872年、浜松県権参事、同参事を務めた。明治5年11月27日(1872年12月27日)、高知県権令に転任。立志社の民権運動に寛容で、1875年6月の第1回地方官会議で、民会の公選制を主張した。立志社系の人物を県庁に登用したことなどで、保守派の反発を受け1876年8月に権令を罷免された。 その後、民権運動家として活躍した。植木枝盛らと共に土佐国州会結成に尽力し、副議長に就任している。
4代 桜木 嘉右衛門(櫻木、さくらぎ かえもん、1838年8… 4代 桜木 嘉右衛門(櫻木、さくらぎ かえもん、1838年8月20日〈天保9年7月1日〉 - 1914年〈大正3年〉1月8日)は、幕末から明治時代の醸造家、政治家、実業家。貴族院多額納税者議員。名は正義。前名は馬之助。族籍は高知県平民。 3代目桜木嘉右衛門正利、鹿の二男として高知城下種崎町(現・高知市はりまや町)に生まれ、のち前名を改めて襲名する。藩政下、町内総組頭を務め、廃藩後は町内取締役となる。本業は酒造業で「葉柳」の醸造元。 1877年(明治10年)第七国立銀行が設立すると同取締役に就任。1881年(明治14年)帆走船運漕営業会社天佑社を設立し、相談役を経て社長に就任。1886年(明治19年)土佐郡酒造家連合会を設立し同会長に就任。
後藤 象二郎(ごとう しょうじろう、1838年4月13日〈天… 後藤 象二郎(ごとう しょうじろう、1838年4月13日〈天保9年3月19日〉 - 1897年〈明治30年〉8月4日)は、日本の政治家、実業家。名は象次郎とも表記される。栄典は正二位勲一等伯爵。土佐三伯の1人(他に板垣退助、佐佐木高行)。 土佐藩士・後藤正晴(馬廻格・150石)の長男として高知城下片町に生まれる。母は大塚勝従の長女。幼名は保弥太(やすやた)。通称は良輔(りょうすけ)だったが、後に象二郎と改名。諱は正本(まさもと)、後に元曄(もとはる)。字は日曄、暢谷、雲濤、不倒翁など。雅号に暘谷、雲濤、光海、鷗公など。 板垣退助とは竹馬の友で互いに「いのす(猪之助=板垣の幼名)」と「やす(保弥太=後藤の幼名)」と呼び会う仲であった。
楠目 正幹(くすめ まさみき、天保8年(1837年)9月1日… 楠目 正幹(くすめ まさみき、天保8年(1837年)9月1日 – 明治17年(1884年)9月3日)は、土佐藩出身の武士、明治政府の官僚・海軍法務官。通称は民五郎。土佐勤王党の血盟同志の一人である。官職は東京海軍軍法会議主理・海軍権大書記官。正六位・勲五等。また海軍中佐。 土佐郡潮江村(現在の高知市)に楠目民助の長男として生まれる。楠目藤盛(清馬)の実兄にあたる。土佐藩政下では小南五郎配下の役人として活動した。 文久元年(1861年)、武市半平太を主領とする土佐勤王党の誓書に署名し、血盟連盟した勤王志士の一人であった。この時期、尊王攘夷運動に深く関与していたことが知られる。 明治3年(1870年)、小栗義宣らとともに兵部省糺問権少佑に任じられ、同年中に兵部大録へ転じた。
片岡 源馬(かたおか げんま、天保7年10月9日(1836年… 片岡 源馬(かたおか げんま、天保7年10月9日(1836年11月7日) - 明治41年(1908年)11月2日)は、江戸時代後期(幕末)の武士(土佐藩士)、明治時代の官僚。明治維新後は片岡 利和(としかず)と称した。爵位は男爵。位階勲等は正三位勲二等。次代は従五位男爵片岡丈人。 天保7年(1836年)10月、土佐郡潮江村(現・高知市)の土佐藩士・永野源三郎の次男として生まれたが、佐川領主の家老深尾氏の家臣・那須橘蔵利家の養子となって那須盛馬と称し、佐川の鳥之巣村に移り住む。文久元年(1861年)、武市瑞山が結成した土佐勤王党に参加するが、八月十八日の政変を契機として前藩主山内豊信が勤王党弾圧を開始したことから、謹慎に処されている。
川田 小一郎(かわだ こいちろう、1836年10月4日(天保… 川田 小一郎(かわだ こいちろう、1836年10月4日(天保7年8月24日) - 1896年(明治29年)11月7日)は、日本の実業家、政治家。男爵。創業期の三菱の幹部であり、貴族院議員、第3代日本銀行総裁。 天保7年(1836年)8月24日 、土佐国土佐郡旭村(現在の高知県高知市)にて土佐藩の郷士・川田家に生まれた。正規の教育はまったく受けていないが、その理財の才を認められ、藩の会計方に登用される。藩営土佐商会で勧業・鉱山・通商の事務を担当。明治維新に際しては、難題であった伊予松山藩所有の別子銅山接収を平和裡に収拾している。 明治3年(1870年)、藩営の海運業社九十九商会の民営化に伴い、高級幹部(管事)として、石川七財と共に社主の岩崎弥太郎を補佐した。
岩崎 弥太郎(いわさき やたろう、旧字体: 岩崎 彌太郞、天… 岩崎 弥太郎(いわさき やたろう、旧字体: 岩崎 彌太郞、天保5年12月11日〈1835年1月9日〉- 1885年〈明治18年〉2月7日)は、日本の実業家。土佐藩(現在の高知県)出身で、34歳の時、大阪府大阪市西区の土佐稲荷神社付近の堀江の辺りの大地主だった。現在の三菱財閥(現:三菱グループ)の源流企業であるが、明治政府が設立した共同運輸会社と話し合いの上合併し日本郵船が創設された。その年に岩崎彌太郎は50才で病死した。弟である三菱財閥2代目の岩崎弥之助とともに岩崎家の中心的人物であった。 天保5年12月(1835年1月)、土佐国安芸郡井ノ口村一ノ宮(現在の高知県安芸市井ノ口甲一ノ宮)の地下浪人・岩崎弥次郎と美和の長男として生まれる。
五藤 正亮(ごとう まさすけ、1835年〈天保6年〉 - 1… 五藤 正亮(ごとう まさすけ、1835年〈天保6年〉 - 1898年〈明治31年〉, Gotō Magobei Masasuke, 16th head of the Musō Jikiden Eishin-ryū)は、日本の武道師範。無双直伝英信流居合術第16代宗家。字は「孫兵衛」。無双直伝英信流道場再興の祖。 1835年(天保6年)、土佐国高知城下(現・高知県高知市)に生まれる。 居合を無双直伝英信流第15代宗家・谷村亀之丞自雄に師事し修行。 明治維新以後、廃刀令の煽りを受け剣道も居合も衰退し、また特に長谷川英信流居合は江戸時代藩外不出の「御留流(おとめりゅう)」で、町中に道場も無く、藩校の一部で伝えられたのみで、これを習った者が元々限られたのに加えて、廃藩置県後は藩の庇護も解かれ、存続の危機にあった。
真田 正穀(さなだ まさよし、天保5年(1834年)6月8日… 真田 正穀(さなだ まさよし、天保5年(1834年)6月8日 – 大正4年(1915年))は、土佐藩士。土佐藩の海軍・軍艦行政を担った官僚的藩士で、維新後は中央・地方官を歴任した。旧姓は武藤、別名・号に武藤広陵、颿(はやめ)があり、明治期に正穀、のち真田庵と改名した。 土佐藩の上士身分である御馬廻に属し、藩船運用・軍艦行政・蒸気機関教育などを担当した、土佐藩における海軍行政の専門家である。吉田東洋門下としても知られる。 天保5年(1834年)6月8日、土佐国高知城下下金子橋に生まれる。父は御馬廻・武藤万作。正穀は次男で、実兄の武藤清八は御山奉行を務めた。身分は上士・御馬廻である。 若年より藩政実務に通じ、藩船夕顔の船将を務めた。
沢辺 琢磨(さわべ たくま、天保5年1月5日〈1834年2月… 沢辺 琢磨(さわべ たくま、天保5年1月5日〈1834年2月13日〉- 大正2年〈1913年)6月25日〉は、日本ハリストス正教会初の正教徒(ハリスチャニン=クリスチャン)にして最初の日本人司祭である。聖名(洗礼名)はパウェル(パウロ)。旧姓は山本。 天保6年(1835年)、土佐国土佐郡潮江村(現在の高知市)に土佐藩の郷士である山本信道(1805-1858、代七)の長男として生まれる。幼名は数馬(かずま)。山本信道の父・山本信年(1780-1863、新四郎)の実弟・山本常八郎は同じ土佐郷士の坂本家に婿養子として入り坂本直足(1797-1855、八平)に改名した。坂本直足の次男が坂本龍馬であり、龍馬とは血縁及び実質上の親類同士である。
島本 仲道(しまもと なかみち、天保4年4月18日(1833… 島本 仲道(しまもと なかみち、天保4年4月18日(1833年6月5日) - 明治26年(1893年)1月2日)は、明治時代の官僚、法律家である。通称は審次郎、号は北洲。 土佐国土佐郡潮江村(現高知県高知市)で土佐藩士・島本卓次の二男として生まれた。土佐勤皇党に参加し終身刑の宣告を受けたが、戊辰戦争で伊予松山藩の征伐を命じられる。明治維新後、明治新政府で兵部省、司法省の官僚を歴任、江藤新平の右腕として近代日本国家の検察、警察、弁護士の機構制度の確立に尽力した。1873年、江藤の下野とともに司法省を退職し、東京と大阪に弁護士事務所を開く。 その後、自由民権運動に参加、1887年に保安条例で東京退去の処分を受けるも、明治憲法発布の恩赦で赦免された。
尾崎 忠治(おざき ただはる、天保2年2月2日(1831年3… 尾崎 忠治(おざき ただはる、天保2年2月2日(1831年3月15日) - 1905年(明治38年)10月16日)は、日本の武士、政治家。正二位勲一等男爵。 土佐国土佐郡高知城下(現高知県高知市)で土佐藩士・尾崎源之丞の次男として生まれ、奥宮慥斎に学ぶ。 維新後の明治3年(1870年)12月、刑部大解部に就任。翌年7月に刑部省が司法省と名を変え、司法大解部、同年10月に司法少判事、同8年(1875年)5月に長崎上等裁判所長心得、同17年(1884年)12月に東京控訴院長、同19年(1886年)8月には大審院長などの司法ポストを歴任した。同23年(1890年)8月に枢密顧問官。同33年(1900年)5月、男爵を授爵。
佐々木 高行(ささき たかゆき、1830年11月26日〈文政… 佐々木 高行(ささき たかゆき、1830年11月26日〈文政13年10月12日〉- 1910年〈明治43年〉3月2日)は、江戸時代末期(幕末)から明治期の日本の政治家。爵位は侯爵。幼名は万之助、通称は三四郎。初名は高喜(たかあつ)、高春(たかはる)と称し、高行(たかのり)に改名した後に、現在の名称に改名した。佐佐木高行とも表記される。土佐三伯の1人(他に板垣退助・後藤象二郎)。著作である日記『保古飛呂比』は幕末・維新期の第一級資料として知られる。 藩士と郷士の身分が確立されている土佐藩の中で上士の板垣退助や谷干城と同じく、郷士に対し寛大だった人物として有名。明治政府高官の中でも保守派を代表する1人であり、明治天皇の信任を楯に政治体制を巡り伊藤博文らと争った。
小畑 美稲(おばた うましね、1829年10月22日(文政1… 小畑 美稲(おばた うましね、1829年10月22日(文政12年9月25日) - 1912年11月12日)は、幕末から明治の武士(土佐藩士)、裁判官、政治家。元老院議官、貴族院議員、錦鶏間祗候、正二位、男爵。幼名・孫二郎または孫次郎。 土佐国土佐郡一宮村(高知県土佐郡一宮村を経て現高知市)で、土佐藩士・小畑美穂の長男として生まれる。奥宮慥斎から陽明学を学ぶ。土佐勤王党に加わり尊王攘夷運動を推進。文久3年(1863年)、土佐勤王党の獄により入獄した。 明治維新後に赦免され新政府に出仕。明治2年7月(1869年)、弾正大巡察に就任。以後、弾正権少忠、司法大解部、司法少判事を歴任。 明治5年8月(1872年)、茨城裁判所長に就任。
神山 郡廉(こうやま くにきよ、文政12年1月13日〈182… 神山 郡廉(こうやま くにきよ、文政12年1月13日〈1829年2月16日〉 - 1909年〈明治42年〉8月20日)は、幕末の土佐藩士、明治期の内務官僚・政治家。県令、元老院議官、貴族院男爵議員、錦鶏間祗候。通称・左多衛。雅号・郡風、君風。 土佐国高知城下中島町で、土佐藩士・神山久左衛の五男として生まれ、神山左平の養子となる。吉田東洋により藩の要職に抜擢された。慶応元年(1865年)、大目付に就任。慶応2年(1866年)、第二次長州征討に当たって、家老・福岡宮内と共に広島に赴き、幕府からの出兵督促を拒否した。慶応3年10月 (1867年)の大政奉還において、建白書に連署した。 王政復古後、慶応3年12月12日(1868年1月3日)、参与に就任。
斎藤 利行(さいとう としゆき、1822年2月2日〈文政5年… 斎藤 利行(さいとう としゆき、1822年2月2日〈文政5年1月11日〉- 1881年〈明治14年〉5月26日)、旧名渡辺 弥久馬(わたなべ やくま)は、幕末の土佐藩家老。漢学者。明治政府に出仕して刑部大輔・参議・元老院議官を務めた。同藩士・斎藤利成の子。長子は将棋棋士の斎藤雅雄八段。カーデザイナーの齋藤利明は玄孫。 若くして藩主山内豊煕の御側物頭として仕えるが、おこぜ組に加わったことから1843年(天保14年)に反対派によって失脚させられる。後に吉田東洋の命によって復職し、近習目付、上士銃隊総練教授などを歴任後、慶応年間には仕置役・家老となる。1867年(慶応3年)に長崎で起きた土佐藩士によるイギリス水兵殺害事件では、後藤象二郎とともにイギリス公使ハリー・パークスと交渉して補償問題を解決した他、佐々木高行とともに坂本龍馬とも結んで武器調達に活躍した。
小南 五郎(こみなみ ごろう、文化9年(1812年)10月 … 小南 五郎(こみなみ ごろう、文化9年(1812年)10月 - 明治15年(1882年)2月22日)は、幕末の土佐藩士。名は良和。通称は五郎、五郎右衛門。迅衝隊士。 土佐国土佐藩下土佐郡大川筋(現高知県高知市大川筋2丁目)に生まれる。 大目付をつとめ、1853年に山内容堂より側用役として抜擢される。 安政の大獄時には、井伊直弼の容堂に対する追及をかわす為に、小南などの重臣が身代わりとなって幽閉処分を受ける。のちに復帰し大目付に就任するが、尊皇攘夷主義の土佐勤皇党に協力的だったため、勤皇党弾圧時には任を解かれ、失脚。勤皇党盟主武市瑞山をはじめ、平井収二郎、間崎哲馬ら同志が相次いで切腹に追い込まれる中、小南も武士の位を剥奪され、町人と同じ位に落とされるという屈辱的な処罰を受ける。
大黒 清勝(おおぐろ きよかつ、1726年〈享保11年〉 -… 大黒 清勝(おおぐろ きよかつ、1726年〈享保11年〉 - 1790年3月28日〈寛政2年2月13日〉)は、土佐藩士、日本の武道師範。無双直伝英信流居合術第11代宗家。字は「元右衛門」。長曾我部氏の支流で、本姓は秦氏。 享保11年(1726年)、土佐藩士(馬廻役・300石)・大黒好勝(文之丞)の三男として土佐国高知城下(現・高知県高知市)に生まれる。 武士の嗜みとして、無双直伝英信流居合を、林安太夫政詡より習う。 明和2年(1765年)、父好勝の跡目相続。 安永6年(1777年)、馬廻組頭、天明2年(1782年)大目付(大監察)切支丹改役、翌年(1783年)、軍備御用兼帯となる。 長谷川英信流居合の伝書を林安太夫政詡から受け、第11代宗家となる。
堀内 佳(ほりうち けい、本名:同じ、10月18日 - )は… 堀内 佳(ほりうち けい、本名:同じ、10月18日 - )は、 高知県四万十市生まれの男性シンガーソングライター。 血液型はO型。命や人権などを主なテーマに、学校関係を中心に国内・海外と幅広く、ギター弾き語りのコンサートを続けている。 ラジオ番組「堀内佳のきまぐれターンテーブル(RKC高知放送)」のパーソナリティ。30年以上のラジオパーソナリティ歴がある。 令和元年度人権擁護功労賞 法務大臣表彰(ユニバーサル社会賞)受賞。高知県観光特使、四万十市観光大使。 1歳の時、先天性網膜膠腫(目の癌)により両眼球を摘出、全盲となる。5歳の時、親元を離れ高知市の高知県立盲学校に入学。中学生になった頃からレコードなどの音だけを頼りに、独学でギターを弾き始める。
千崎 敏司(せんざき びんし、8月10日 - )は、高知県土… 千崎 敏司(せんざき びんし、8月10日 - )は、高知県土佐市出身で埼玉県越谷市在住のタレント・ボーカリスト・ラジオDJ・司会者・レポーター・ナレーター・リング&スタジアムDJ・イラストレーター・中国香港玩具評論家・玩具プロデューサーである。本名は千﨑 敏司(せんざき としじ)。愛称は「せんちゃん」「千ちゃん」「SEN」。 19歳時にダンスショー・イベント・ライブハウス等で司会や歌などのエンターテインメント活動を行いながら、「イトーヨーカドー」で玩具を学ぶためアルバイトを始める。 22歳の時にエンターテインメント活動を行う傍ら、土屋品子とその秘書だった鈴木義弘から刺激を受け、タレントの幅をさらに広げ始める。
合田 泰吾(ごうだ だいご、7月10日 - )は、元高知さん… 合田 泰吾(ごうだ だいご、7月10日 - )は、元高知さんさんテレビのアナウンサー。高知県土佐市出身。 eスポーツブランド「RAGE」が実施するVALORANTやAPEXの大会演出を経て、現在はNTT docomoでコンテンツを制作している。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:アナウンサー)。
伊藤 実沙子(いとう みさこ 2月12日 - )は、エフエム… 伊藤 実沙子(いとう みさこ 2月12日 - )は、エフエム高知の女性パーソナリティ。高知県高知市出身。香川県RNCアナウンスカレッジ卒業。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
紫月 音寧(しづき おとね、1月25日 - )は、宝塚歌劇団… 紫月 音寧(しづき おとね、1月25日 - )は、宝塚歌劇団・星組に所属する娘役。
山崎 正恭 は、日本の政治家。中道改革連合所属の衆議院議員(… 山崎 正恭 は、日本の政治家。中道改革連合所属の衆議院議員(3期)。高知県議会議員(1期)を務めた。
渡部 猛 は、日本の声優、俳優。高知県出身。
武内 則男 は、日本の政治家。高知県三原村長(1期)。
井上 和久(いのうえ かずひさ)は、日本の理学療法士、保健学… 井上 和久(いのうえ かずひさ)は、日本の理学療法士、保健学者(生活環境支援理学療法・予防理学療法)。学位は博士(医学)(東京医科歯科大学)。埼玉県立大学保健医療福祉学部准教授。 田無病院リハビリテーション部での勤務を経て、埼玉県立大学保健医療福祉学部講師などを歴任した。 生活環境支援理学療法、予防理学療法を専攻する保健学者である。下肢筋群のバランス機能に関する研究が知られている。田無病院にて理学療法士として勤務したのち、埼玉県立大学で教鞭を執った。 高知学園が設置・運営する高知高等学校に進学した。さらに、同じく高知学園が設置・運営する高知リハビリテーション学院に進学し、理学療法学科にて学んだ。
浜田 豪太 は、日本の政治家。高知県香南市長(2期)。元高知… 浜田 豪太 は、日本の政治家。高知県香南市長(2期)。元高知県議会議員(2期)。
山下 倫範(やました みちのり)は、日本の学者。高知県出身。… 山下 倫範(やました みちのり)は、日本の学者。高知県出身。立正大学名誉教授。前同大学データサイエンス学部データサイエンス学科(実験数学研究室)教授。公益社団法人パーソナルコンピュータユーザ利用技術協会元常任理事。特定非営利活動法人パーソナルコンピュータ利用技術学会元会長。国際ICT利用研究機構代表理事。
岡上 菊栄 は、日本の社会福祉活動家。高知県高知市の児童養護… 岡上 菊栄 は、日本の社会福祉活動家。高知県高知市の児童養護施設である高知博愛園(こうちはくあいえん)の初代園母(園長)。40年以上にわたって恵まれない子供たちの保護と育成に尽くし、明治時代から昭和時代にかけて、社会事業に一生を捧げた。
川村 文乃 は、日本の元アイドル、元女優で、ハロー!プロジェ… 川村 文乃 は、日本の元アイドル、元女優で、ハロー!プロジェクトに所属する女性アイドルグループ・アンジュルムの元メンバー(6期)および2代目サブリーダー。高知県出身で、同地を中心に活動した元ジュニアアイドル。はちきんガールズの元メンバー。本名同じ。旧芸名は川村 あやの(読みは同じ)。
北代 正臣(きただい まさおみ、生年不詳 - 1908年〈明… 北代 正臣(きただい まさおみ、生年不詳 - 1908年〈明治41年〉1月25日)は、幕末の土佐藩士、明治期の官僚・裁判官。青森県権令。名・恕、幼名・忠吉。 土佐国土佐郡小高坂村(現高知県高知市西町)で、北代正親の長男として生まれる。土佐勤王党に加わり国事に奔走。藩では勘定人小荷駄高作配役、山内容堂上京の御供達御算用役并切手役、長崎出張御用金方などを務めた。 明治政府に登用され明治元年(1868年)、外国官御用掛に就任。以後、外務大禄、民部省監督権正、同省庶務正などを歴任。明治5年(1872年)、大蔵省六等出仕に就任。1873年6月、青森県で給禄について菱田重禧権令と弘前士族の間で対立が起こり、政府は北代を派遣した。
沢本 盛弥(さわもと もりや、旧字体: 澤本 盛彌、生没年不… 沢本 盛弥(さわもと もりや、旧字体: 澤本 盛彌、生没年不詳)は、江戸時代末期の武士、日本の陸軍軍人。 盛弥は仮名(通称)、諱(実名)は幸則「ゆきのり」。土佐藩士。 迅衝隊士六番隊銃手として戊辰戦争に従軍。後に大日本帝国陸軍軍人となる。文献によっては沢本守也と表記。北光社の沢本楠弥は同族。 沢本氏(澤本氏)の祖は彦右衛門といい、戦国時代に大津城 (土佐国) 城主天竺孫四郎に仕えていたが、細川氏の庶流天竺氏は長宗我部国親に滅亡させられた。江戸時代になり、4代目藩主山内豊昌から土佐藩に仕えた一族と伝わる。それ以外の一族末裔は全国に拡散した。 土佐国長岡郡介良村出身。 会津戦争の二本松陣営にて、沢本盛弥(以下沢本)を含めた新政府軍の兵士三人が民家で飲酒をしてしまい、軍法違反となった。
荒木 初子 は、高知県宿毛市沖の島弘瀬出身の日本の保健婦(現… 荒木 初子 は、高知県宿毛市沖の島弘瀬出身の日本の保健婦(現・保健師)。
畠山 園佳(はたけやま そのか、11月28日 - )は、元テ… 畠山 園佳(はたけやま そのか、11月28日 - )は、元テレビ高知のアナウンサー。 土佐女子中学高等学校を卒業後、お茶の水女子大学文教育学部へ進学する。大学在学中、インターネット接続サービス So-net の広報活動に従事する「So-net キャンパスサポーターズ」のメンバーを務めていた(4期生)。また、在学中にはテレビ朝日アスクにも通っていた。 大学を卒業後、2010年にテレビ高知に入社。同局のアナウンサーを務めた後、2014年に退社した。その後も同年9月3日から同局で放送されていた『土佐もんTaste』に出演していたが、番組出演は2015年3月18日に放送の第14回が最後となっている。 その後は地方公務員に転じ、2015年4月1日から高知県庁の職員を務めている。
郷 ちぐさ(ごう・ちぐさ、9月5日生まれ - )は、高知県幡… 郷 ちぐさ(ごう・ちぐさ、9月5日生まれ - )は、高知県幡多郡清水町(現・土佐清水市)生まれの元宝塚歌劇団雪組男役トップスターでタレント。 愛称はチャッチー。身長(宝塚歌劇団時代の公称)163cm、出身校清水中学校。 1972年に結婚のため退団・完全引退して久しかったが21世紀と同時に突如芸能活動に進出した異色の宝塚歌劇団卒業生である。 好きな花は、薄いブルーの紫陽花。 高峰妙子・・初代瀧川末子・・奈良美也子・・汐見洋子・・神代錦・・打吹美砂・・越路吹雪・・淀かほる・・星空ひかる・・麻鳥千穂 ・・甲にしき - 安奈淳、松あきら&瀬戸内美八 - 榛名由梨&安奈淳 - 安奈淳 - 松あきら - 松あきら&順みつき - 順みつき - 高汐巴 - 大浦みずき - 安寿ミラ - 真矢みき - 愛華みれ - 匠ひびき - 春野寿美礼 - 真飛聖 - 蘭寿とむ - 明日海りお - 柚香光 - 永久輝せあ(現役) 秋田露子・・初代春日花子・・初代大江美智子・・久美京子・・打吹美砂・・日下輝子・・宮城野由美子・・鳳八千代・・夏亜矢子・・美和久百合・・竹生沙由里・・上原まり(固定でない) - 上原まり&北原千琴 - 美雪花代 - 若葉ひろみ - 秋篠美帆 - ひびき美都 - 森奈みはる - 純名里沙 - 千ほさち - 大鳥れい - ふづき美世 - 桜乃彩音 - 蘭乃はな - 花乃まりあ - 仙名彩世 - 華優希 - 星風まどか - 星空美咲(現役) 高砂松子 - 初代瀧川末子 - 奈良美也子 - 三浦時子 - 汐見洋子 - 神代錦 - 打吹美砂 - 大路三千緒 - 藤波洸子 - 打吹美砂 - 畷克美 - 美吉左久子 - 淡路通子 - 恵さかえ - 但馬久美 - 宝純子 - 北小路みほ - 未沙のえる - 星原美沙緒 - 磯野千尋 - 夏美よう - 高翔みず希 - 美風舞良(現役) 秩父晴世 - 打吹美砂 - 楓茂美 - 玉野ひかり - 日下輝子 - 櫻野美也子 - 玉野ひか留 - 美山しぐれ - 桃山千歳 - 桂木ゆたか - 睦千賀&桂木ゆたか - 御幸沙智子&歌川波瑠美 - 歌川波瑠美 - 藤園さとみ - 銀あけみ - 宝純子 - 北小路みほ - 未沙のえる - 磯野千尋 - 一原けい - 梨花ますみ - 高翔みず希 - 悠真倫 - 紫峰七海 - 花野じゅりあ - 芽吹幸奈 - 冴月瑠那 - 美風舞良 - 航琉ひびき - 紫門ゆりや(現役) 紅羽真希(現役)
くさなぎ ゆうぎ(8月23日 - )は日本の女性漫画家、イラ… くさなぎ ゆうぎ(8月23日 - )は日本の女性漫画家、イラストレーター。高知県出身、土佐女子中学高等学校卒業生。 レトロゲームマニアで、特にアドベンチャーゲームが好き。ゲームメーカーではサンソフトを好み、『れとろげ。』作品中でも『へべれけ』のキャラクターが描かれることが多い。自身のブログ「俺とお前のナゾラーランド」のタイトルは『ナゾラーランド』に由来する。 2000年、ヒット出版社の成人向け漫画雑誌「D-ANGE」でデビュー。同期デビューに東浦希美(現・藤守郁乃)、小倉夕奈。2011年現在は、アンソロジーやゲーム雑誌などを中心に執筆している。 2010年、マイクロマガジン社のGAME BRIDGEにて白川嘘一郎原作の『れとろげ。
樋口 綾子(ひぐち あやこ、本名:宇佐美 綾子、旧姓:樋口、… 樋口 綾子(ひぐち あやこ、本名:宇佐美 綾子、旧姓:樋口、6月11日 - )は、元NHK高知放送局の契約キャスター、元岩手朝日テレビ (IAT) のアナウンサー。 高知県安芸市出身。立命館大学法学部卒業[要出典]。 大学を卒業後、2001年4月にNHK高知放送局の契約キャスターとなる。NHKとの契約の終了後、2004年4月に岩手朝日テレビへ移籍した。岩手朝日テレビを退社後、2008年から再びNHK高知放送局の契約キャスターを務めていた。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
JET(ジェット、1月17日生)は、日本の女性漫画家。 本名… JET(ジェット、1月17日生)は、日本の女性漫画家。 本名、門脇佳代。高知県高知市出身。1985年、少年漫画誌「少年キャプテン」に『ロマンティックにゃほどとおい!』でデビュー。以後、少女漫画に移行する。代表作に『倫敦魔魍街』、『柳生剣鬼抄』など。 少女向け漫画誌の枠にとらわれない、骨太で、髪の毛に至るまで筆で描いたような流麗な線で、強い吸引力の色気漂う画風。男性はたくましく、時に体毛まで描き、女性はグラマーに描く。『倫敦魔魍街』、『柳生剣鬼抄』のような見た目の年齢を含み、中年男性の主人公がいる。 金田一耕助物やシャーロック・ホームズ物の推理小説を漫画化しているが、時代考証に基づく正確な描写ではなく「格好良さ」を重視したデザインを行っている。
土佐緑 清太 は、高知県高知市出身で、阿武松部屋所属の現役大… 土佐緑 清太 は、高知県高知市出身で、阿武松部屋所属の現役大相撲力士。本名は光内 洸太。身長180.8cm、体重139.6kg、血液型はO型。最高位は西幕下11枚目(2021年7月場所)。
広末 涼子 は、日本の女優。本名、廣末 涼子(読み同じ)。個… 広末 涼子 は、日本の女優。本名、廣末 涼子(読み同じ)。個人事務所R.H代表取締役社長。高知県高知市出身。1990年代後半にアイドル、歌手としても活動。中性的かつ透明感のあるイメージでアイドルとしてデビューし、新人ながらドコモのポケベルのCMに大々的に名前を出して出演したことが切っ掛けで若者の間で大きな話題となり、広末が女子高生であった1996年 - 1999年に「ヒロスエブーム」が起こった。2000年代以降は社会現象を起こした過去が頻繁に報じられるとともに、国民的女優として高い知名度を誇る。
岩川 美花 は、日本の女子プロボクサー。元WBO・IBF女子… 岩川 美花 は、日本の女子プロボクサー。元WBO・IBF女子世界アトム級王者。高知県香南市出身。姫路木下ボクシングジム所属。2025年6月現在、日本人女子プロボクサーとしては郷司利也子に次いで2番目、世界王座経験者としては男女通じて最年長である。
西澤 保彦 は、日本の小説家・推理作家・SF作家。高知県安芸… 西澤 保彦 は、日本の小説家・推理作家・SF作家。高知県安芸市生まれ。高知県高知市在住。高知県立安芸高等学校、米国私立エカード大学創作法専修卒業。
小笠原 守美(おがさわら もりみ)は高知県出身の日本の柔道家… 小笠原 守美(おがさわら もりみ)は高知県出身の日本の柔道家。56kg級及び61kg級の選手。 岡豊高校2年の時には高校選手権の56kg級で3位に入った。1993年にはミキハウスに入社すると、階級を61kg級に上げた。1995年の実業個人選手権では決勝でオーストラリア出身である西興産業のリエン・シーイーを破って優勝した。1996年の実業個人選手権では2連覇を飾った。続く全国女子体重別では3位に入った。福岡国際では鄭成淑に敗れるが2位になった。1997年に大阪で初開催となった女子のワールドカップ国別団体戦では3位だった。体重別では決勝まで進むと、淑徳中学教員の北爪弘子を注意で破って初優勝を飾るも、実績で北爪を下回ることから世界選手権代表には選出されなかった。
こかむもは、日本の漫画家・イラストレーター。高知県南国市出身… こかむもは、日本の漫画家・イラストレーター。高知県南国市出身。 2020年、『まんがタイムきららMAX』(芳文社)にて「ぬるめた」を2月から4月に渡りスペシャルゲスト掲載し、商業漫画家デビュー。同年5月から同誌にて連載中。
柴岡 三千夫(しばおか みちを)は、高知県宿毛市出身の日本の… 柴岡 三千夫(しばおか みちを)は、高知県宿毛市出身の日本の教育者。 陸上自衛隊少年工科学校13期、日本体育大学体育学部卒業。1976年体育健康クラブ創設(後のタイケン学園)、「たくましさつくり理論」を提唱した。日本幼児体育協会専務理事。社団法人幼少年体育振興協会専務理事、全国の幼稚園・保育園約3200園の定期指導と巡回派遣事業を実施、国内最大の幼児体育指導団体に成長させた。当初から全国の幼稚園・保育園・スポーツ関連団体での幼児・子どもの指導に携わり、1976年より毎年実施している幼児体育健康教育講集会(旧・幼児体育指健康教育指導者講習会・研修会を含む)は、全国の幼稚園、保育園からその理論と実技について高い評価を得、同講習会の実行委員を兼任するかたわら主席講師としての後輩の指導に当たり、不毛であった幼児体育の概念をまとめ、組織化したことは現在に至るまで大きな実績をのこしている。