小堺 昭三(こさかい しょうぞう、1928年5月24日 - … 小堺 昭三(こさかい しょうぞう、1928年5月24日 - 1995年3月7日)は、日本の作家。 福岡県大牟田市生まれ。旧制福岡県立八幡中学校卒。火野葦平の秘書を務め、のち『週刊文春』のルポライターを経て作家となる。1951年「朝鮮海峡」で新潮社文学賞佳作、1959年「基地」で芥川賞候補、1960年「自分の中の他人」で直木賞候補。『密告―昭和俳句弾圧事件』(ダイヤモンド社、1979年)では西東三鬼を特高のスパイと断定し、三鬼の遺族から版元ともども名誉毀損で民事提訴され、1983年に敗訴した。 戦記、昭和史、近代史実録もの、官能小説、また政界・実業界実録ものなど、週刊誌記者出身らしい作風で知られた。
菊竹 清訓(きくたけ きよのり、1928年4月1日 - 20… 菊竹 清訓(きくたけ きよのり、1928年4月1日 - 2011年12月26日)は、日本の建築家。一級建築士、博士(工学)。 福岡県久留米市出身。1944年、早稲田大学専門部工科建築学科入学。1945年に久留米駅舎コンペで1等、1948年に広島平和記念カトリック聖堂コンペで3等を獲得するなど、在学中から既に活躍していた。1950年、早稲田大学理工学部建築学科卒業、同年竹中工務店勤務。1952年村野・森建築設計事務所を経て、1953年に菊竹清訓建築設計事務所を開設。 1960年代後期から70年代にかけ、独自のデザイン論である『代謝建築論 か・かた・かたち』を掲げ、黒川紀章らとともに建築と都市の新陳代謝、循環更新システムによる建築の創造を図ろうとするメタボリズムを提唱する。
芳賀 綏(はが やすし、1928年3月17日 - 2017年… 芳賀 綏(はが やすし、1928年3月17日 - 2017年10月3日、日本の日本語学者。東京工業大学名誉教授。 福岡県北九州市出身。1953年に東京大学文学部を卒業し、1957年に東洋大学助教授となったのち、藤女子大学助教授、法政大学助教授、東京工業大学教授を歴任。1992年に定年退官、静岡県立大学教授に就任。その間西ドイツ・ボーフム大学客員教授、NHK部外解説委員も務めた。保守的な立場での政治評論も多く書いている。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
三沢 郷(みさわ ごう、本名:手島洋一、1928年2月26日… 三沢 郷(みさわ ごう、本名:手島洋一、1928年2月26日 - 2007年11月20日)は、日本の作曲家。福岡県福岡市出身。 旧制福岡中学(現:福岡県立福岡高等学校)を経て、1952年東京大学文学部哲学科美学専攻を卒業後、コーラス・グループ『フォー・コインズ』に参加。グループ解散後は作曲家に転向し、主にテレビドラマ、アニメーションの主題歌や劇伴音楽の作品を手掛けた。 1976年からはアメリカ合衆国に移住し、同地でも音楽活動を続けた。『エースをねらえ!』のCDブックレットには、滞在先のハワイからコメントを寄せている。 2007年11月20日(現地時間未明、日本時間同日夜)、カリフォルニア州パームスプリングス郊外の病院で死去。
田尻 宗昭(たじり むねあき、1928年2月21日 - 19… 田尻 宗昭(たじり むねあき、1928年2月21日 - 1990年7月4日)は、日本の海上保安官。日本で初めて公害事件の刑事責任を追及し「公害Gメン」と呼ばれた。 福岡市生まれ。1944年、宮崎県立宮崎中学校(現宮崎県立宮崎大宮高等学校)卒業。1948年、官立高等商船学校(静岡県)航海科を卒業。 門司海員養成所教官を経て海上保安庁に入り、巡視船船長などを務め李承晩ライン警戒、北洋海難救助などに従事した。1968年、四日市海上保安部警備救難課長。在職中、石原産業四日市工場、日本アエロジル四日市工場による四日市港への工場排水垂れ流しを摘発。日本の公害事件で初めて刑事責任を追及、行政と産業界の癒着にメスを入れた。
松岡 正文(まつおか まさふみ、1928年(昭和3年)2月1… 松岡 正文(まつおか まさふみ、1928年(昭和3年)2月12日 - )は、日本の政治家。福岡県山田市(現・嘉麻市)長(2期)。 福岡県出身。福岡県立嘉穂中学校(現・福岡県立嘉穂高等学校・附属中学校)卒。山田市議会議員、同議長、消防組合副議長などを経て、1985年、山田市長選挙に立候補し、初当選した。1期目の1988年に全国初の配偶者条項などを含めた政治倫理条例を制定した。1989年の市長選挙でも再選。1993年の市長選では元山田市議の武信弘隆に敗れて落選した。
紀平 悌子(きひら ていこ、1928年〈昭和3年〉2月2日 … 紀平 悌子(きひら ていこ、1928年〈昭和3年〉2月2日 - 2015年〈平成27年〉7月19日)は、日本の政治家。元参議院議員(1期)、元日本婦人有権者同盟会長。旧姓佐々。 福岡県福岡市に生まれるが、父佐々弘雄が九大事件で失職し、東京都港区に転居する。実家目前の、東京府立第三高等女学校(現東京都立駒場高等学校)に通う。4年時に飛び級で旧制聖心女学院に入る。戦中の混乱で休学するも戦後新制聖心女子大学専門部歴史科を卒業。 1948年10月9日、父の佐々弘雄が参議院議員在職中に病死。 1949年、新聞記者であった紀平行雄と結婚し紀平姓となる。しかし行雄はすぐに肺結核で倒れ、失業した。困り果てた悌子は、父親が生前褒めていた市川房枝を訪ねる。
中村 卓彦(なかむら たくひこ、1928年1月31日 - 1… 中村 卓彦(なかむら たくひこ、1928年1月31日 - 1995年3月10日)は、昭和から平成時代の労働運動家。日本鉄鋼産業労働組合連合会(鉄鋼労連)委員長。福岡県北九州市生まれ。 1945年4月陸軍幼年学校卒業、陸軍予科士官学校に入学、在学中に敗戦。1947年2月日本製鐵に入社、八幡製鐵所化工部に勤務。1951年3月明治工業専門学校二部卒業。1955年2月八幡製鉄労組専従執行委員。同年に八幡製鉄労組内のインフォーマルグループ・盟友会に入会。先輩の宮田義二が自宅で開いていた「宮田学校」の門下生にもなった。1960年8月同志会の蔀充にかわり八幡製鉄労組書記長に選出。1968年IMF-JC事務局次長。
関谷 ひさし(せきや ひさし、1928年1月14日 - 20… 関谷 ひさし(せきや ひさし、1928年1月14日 - 2008年2月25日)は、日本の漫画家。福岡県北九州市出身。本名:関谷久(読み方はペンネームと同じ)。 門司商業学校(現福岡県立門司大翔館高等学校)2年生の頃から漫画を描き始める。卒業後は松山練習航空隊入隊、自動車部品販売店勤務を経て、新九州新聞社に入社、タブロイド月3回刊の『まんが新九州新聞』の記者となる。社の経営が次第に思わしくなくなり、中央の漫画家に原稿料支払いが困難になると、代わりに作品を描いた。1957年に新聞の休刊とともに新九州新聞社を退社して上京。 本格的に漫画家生活に入った翌年の1958年には『ジャジャ馬くん』(『冒険王』)がヒットし人気を集めた。
相部 和男(あいべ かずお、1928年 - )は、日本の臨床… 相部 和男(あいべ かずお、1928年 - )は、日本の臨床心理学者。福岡県豊前市生まれ。 3歳の時に福岡県から満州の大連に家族と共に移り、1947年2月に出身地の福岡に引き揚げた。 少年院法務教官、保護観察所保護観察官を歴任した後、法務省福岡保護観察所調査連絡課長を最後に1989年退官。相部教育研究所所長を務めている。 過去には九州朝日放送で児童相談、テレビ西日本で教育相談を担当したこともある。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
滝口 豊広(たきぐち とよひろ、1927年12月22日 - … 滝口 豊広(たきぐち とよひろ、1927年12月22日 - 没年不明)は、福岡県出身の元プロ野球選手。 戦前の来歴は不明。戦後の1946年に西南学院中学部に入学するが、小倉中学監督の鬼塚格三郎にその才能を見出され、鬼塚の推薦で1947年に明治大学に入学。入学時すでに20歳と高齢だったため、若手捕手との争いに敗れ、主にブルペン捕手として活躍した。同期には牧野茂、山崎善平、菅原道裕などがいた他、1学年下に実弟が在籍していた。 明大専門部卒業後、同郷の先輩の誘いで1949年に大映スターズへ入団。しかしプロでもブルペン捕手としての起用が中心で、1軍出場は1試合のみだった。 その後は門司鉄道局でプレー。1952年、1953年の全国鉄硬式野球大会にも出場している。
高橋 久子(たかはし ひさこ、1927年9月21日 - 20… 高橋 久子(たかはし ひさこ、1927年9月21日 - 2013年12月21日)は、福岡県北九州市出身の労働省官僚。最高裁判所判事。位階勲等は従三位勲一等瑞宝章受章。 門司高等女学校卒業後に東京大学経済学部に進学。卒業後の1953年に労働省入省。内閣審議官、労働省婦人少年局長を歴任し、1982年に退官。 婦人少年協会会長、アジア女性交流・研究フォーラム理事長、21世紀職業財団会長を務めた後、1994年2月9日に女性としては初めて最高裁判所判事に任命される。当時の内閣は3人の女性閣僚がいた細川内閣であり、細川護煕は「大きなプレゼント」とコメントした。 2000年、勲一等瑞宝章受章。 1997年9月20日 最高裁判事を定年退官。
岩橋 徹(いわはし とおる、1927年9月4日 - )は、日… 岩橋 徹(いわはし とおる、1927年9月4日 - )は、日本の地質学者、教育者。静岡大学名誉教授。 1993年4月1日-1994年8月常葉学園大学教育学部教授。 2010年4月瑞宝中綬章受章。 アメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコに生まれる。1945年福岡県立中学修猷館、1948年旧制福岡高等学校理科甲類を経て、1952年九州大学理学部地質学科を卒業。同年同大学大学院前期課程(旧制)に入学し、1954年4月中退して同大学理学部助手となる。 1962年3月九州大学より論文「”佐世保炭田”炭の石炭化度の地質学的研究」で理学博士の学位を取得。1964年4月九州大学教養部講師となる。 1965年4月静岡大学教育学部助教授に転じ、1970年6月同教授に就任。
加藤 知弘(かとう ともひろ、1927年8月30日 - 20… 加藤 知弘(かとう ともひろ、1927年8月30日 - 2005年12月6日)は、日本の西洋史学者である。 1927年(昭和2年)、福岡県福岡市で生まれる。福岡県立筑紫丘高等学校を経て、1953年(昭和28年)に九州大学文学部を卒業し、九州大学助手となる。 翌1954年(昭和29年)に大分大学学芸学部に赴任し、1976年(昭和51年)に大分大学教育学部教授となる。1987年(昭和62年)からは大分大学教育学部長を務めた。1991年(平成3年)に大分大学を定年退官し、名誉教授となる。 1992年(平成4年)から大分県立芸術文化短期大学教授。1997年(平成9年)に『バテレンと宗麟の時代』で、ポルトガル大使館よりロドリゲス通事賞を受賞するとともに、地中海学会の地中海学会賞を受賞。
入江 杏子(いりえ きょうこ、1927年7月14日 - 20… 入江 杏子(いりえ きょうこ、1927年7月14日 - 2025年4月24日)は、日本の女優。檀一雄『火宅の人』の恵子のモデル。 福岡県出身。父は大阪毎日新聞の記者・入江邦太郎。本名・久恵。福岡高等女学校卒。 1947年、檀一雄が福岡で設立した劇団・珊瑚座で檀と知り合う。舞台芸術学院をへて、1951年劇団民芸附属演技研究所に入り、1956年同劇団入団。1956年8月、青森県蔦温泉に檀とともに行き、帰京後同棲する。1957年2月、檀と浅草千束町のマッサージ屋の二階に転居。1976年1月、檀と死別。 2025年4月24日午前9時15分、東京都内で老衰のため死去。97歳没。生涯独身だった。
出光 昭介(いでみつ しょうすけ、1927年7月13日 - … 出光 昭介(いでみつ しょうすけ、1927年7月13日 - 2023年12月20日)は、日本の実業家。出光興産名誉会長。 1927年、福岡県北九州市で出光佐三の長男として生まれる。東京府立第一中学校、府立高等学校を経て、ハーバード大学へ進学した。その後、出光興産へ入社する。1981年6月から第5代社長に就任し 、1993年5月まで務めた。会長を経て、2001年に代表権の無い名誉会長に退いた。 出光美術館(2代目館長)、松ヶ岡文庫(理事長)、一般財団法人不審菴(1981年理事)、表千家同門会(1996年東京支部長、2004年名誉会員、2011年東京支部名誉支部長)などでの文化的活動にも積極的に参加した。
稲葉 三千男(いなば みちお、1927年(昭和2年)3月10… 稲葉 三千男(いなば みちお、1927年(昭和2年)3月10日 - 2002年(平成14年)9月8日)は、日本の社会学者、政治家。東京大学名誉教授。元東京都東久留米市長(3期)。位階は正四位。勲等は勲三等瑞宝章。東久留米市議会議員の間宮みきは次女。 福岡県福岡市生まれ。広島県立広島商業学校、第一高等学校 (旧制)を経て、1953年、東京大学文学部社会学科卒業。東京大学大学院社会科学研究科社会学専門課程(B)新聞学に進学、在学中1958年より東京大学新聞研究所(現東京大学大学院情報学環・学際情報学府)助手。1962年に助教授、1972年に教授に昇格し、1980年から1984年まで、新聞研究所長を務めた。
石村 善治(いしむら ぜんじ、1927年2月19日 - 20… 石村 善治(いしむら ぜんじ、1927年2月19日 - 2025年8月9日)は、日本の法学者。専門は、憲法のほか、メディア法・プレス法・言論法・情報法。ジャーナリズム論。特に、大学にて「マス・メディア論」の開講した草分け的存在であった。福岡県福岡市出身。 福岡市立福岡商業学校(現:福岡市立福翔高等学校)入学後、福岡県立福岡中学校(現:福岡県立福岡高等学校)に転校、卒業。1947年旧制福岡高等学校卒業。1950年東京大学法学部政治学科卒業。1950年から5年間病気療養。1955年福岡商科大学短期大学助手。1956年福岡大学法経学部助手。1958年同法経学部専任講師。1959年同法学部専任講師。1961年同法学部助教授。
末吉 俊信(すえよし としのぶ、1927年2月11日 - 2… 末吉 俊信(すえよし としのぶ、1927年2月11日 - 2016年2月24日)は、元プロ野球選手。ポジションは投手。サイドスローでカーブやシュートを得意とした。
岡部 和慶(おかべ かずよし、1927年 - 2010年)と… 岡部 和慶(おかべ かずよし、1927年 - 2010年)とは、日本の孔版家。ガリ版の職人・指導者。 多色刷りの技術、写真・クレヨン画・水彩画・油絵・木版画・浮世絵・水墨画のように見える技術など、様々な技術を駆使して作品を作り上げる。文字においても、楷書体・ゴシック・明朝体・新聞活字などを使い、3ミリ・2ミリの文字で冊子を作ったり、A3より大きな紙のポスターを作ったりしている。立体製版 、クレヨン画のような描き方、還元法 といった様々な技術を、挿し込む絵に取り入れていた。2008年 「第5回 北九州技の達人」に認定・表彰。
杉山 参緑(すぎやま さんろく、1926年(大正15年)11… 杉山 参緑(すぎやま さんろく、1926年(大正15年)11月14日 - 1990年(平成2年)4月14日)は、日本の詩人。祖父は政財界のフィクサーともいわれた杉山茂丸、父は作家の夢野久作、兄はインドの緑の父(Green Father)と呼ばれる杉山龍丸である。 1926年、夢野久作の三男として福岡市に生まれる(長男・杉山龍丸、次男・三苫鐵児)。1945年(昭和20年)、福岡中学(現福岡県立福岡高等学校)卒業後、陸軍に従軍し終戦を迎える。その後福岡に戻り、1949年(昭和24年)、西南学院専門学校商業科を卒業する。大学卒業後は志賀島村立西戸崎小学校に1年間勤務し、退職後筥崎宮・宇美八幡宮で神官の見習いとなり、1951年(昭和26年)、福岡市のバプテスト教会で洗礼を受ける。
伊豆 利彦(いず としひこ、1926年11月10日 - 20… 伊豆 利彦(いず としひこ、1926年11月10日 - 2017年12月8日 )は、日本の国文学者。日本近代文学専攻。横浜市立大学名誉教授。 福岡県直方市生まれ。1950年東京大学文学部国文学科卒業。横浜市立大学文理学部助教授、教授。1992年定年退官、名誉教授。日本文学協会に属し、左翼的立場から日本近代文学を研究する。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
上田 三千夫(うえだ みちお、1926年10月25日-200… 上田 三千夫(うえだ みちお、1926年10月25日-2002年4月14日)は、日本競馬会、国営競馬、日本中央競馬会に所属した騎手、競走馬調教師。騎手時代に二冠馬ダイナナホウシユウの主戦騎手を務めたことで知られる。 福岡県小倉市(現・北九州市)出身(出生地は宮崎県)。旧姓は和田。1939年に小倉競馬場所属の調教師、上田武司に弟子入りし、のち養子となる。 1943年に騎手免許を取得し、春季宮崎競馬より騎乗、3日目で初勝利を飾ったが、上田が応召したために渋川久作厩舎に移籍。1944年3月に一旦騎手を廃業した。 戦後、1946年9月に再び騎手免許を取得。高橋直三厩舎の所属となったが、1948年には京都競馬場に厩舎を構えた上田厩舎に復帰し、主戦騎手を務めるようになった。
牛尾 鋭之助(うしお えいのすけ、1926年10月3日 - … 牛尾 鋭之助(うしお えいのすけ、1926年10月3日 - )は、日本の実業家。 牛尾卯三の三男として福岡県に生まれる。1945年福岡県中学修猷館(第5学年卒業)を経て、1951年東京大学経済学部商業学科(現・経営学科)を卒業。 1951年三菱銀行に入行。茨木支店長、池袋支店長、経営相談所長、本店営業第一部長などを経て、1981年6月取締役に就任。同年7月日本橋支店長、1983年1月地方監督役となる。 1983年3月三菱油化(現・三菱ケミカル)常務となり、1988年3月専務に就任。1990年6月営業総括兼関連事業部担当となる。 1992年6月三菱油化ビーシーエル(現・LSIメディエンス)社長に就任。
渡辺 行男(渡邊 行男、わたなべ ゆきお、1926年8月16… 渡辺 行男(渡邊 行男、わたなべ ゆきお、1926年8月16日 - )は、日本近代政治史学者。 福岡県豊前市生まれ。明治大学文学部中退。衆議院事務局に入り、1977年より憲政記念館で憲政資料の調査・収集・展示に当る(企画調査主幹)。帰郷し福岡県豊前市立図書館長を経て著述業に専念する。
内藤 武敏(ないとう たけとし、1926年〈大正15年〉6月… 内藤 武敏(ないとう たけとし、1926年〈大正15年〉6月16日 - 2012年〈平成24年〉8月21日)は、日本の俳優、ナレーター。本名は同じ。 福岡県小倉市出身。旧制常磐中学校、日本大学予科卒業。劇団民藝、其田事務所を経て、さいど事務所に所属していた。 血液型はAB型。身長165cm、体重60kg。 映画制作を志し、俳優養成所へ入所。当初は演出家希望だったが、指導者の勧めで演劇コースへ進む。 1950年、宇野重吉・加藤嘉・北林谷栄・鈴木瑞穂らと共に劇団民藝の創立に参画するも、1970年に退団。 1952年に公開された吉村公三郎監督の『暴力』でスクリーンデビュー。 大河ドラマへ多数出演したほか、山口百恵主演の赤いシリーズでは3作品でナレーションを担当していた。
三重野 栄子(みえの しげこ、1926年5月10日 - 20… 三重野 栄子(みえの しげこ、1926年5月10日 - 2013年11月27日)は、日本の政治家。社会民主党の参議院議員(2期)。位階は従四位。 福岡県大牟田市出身。福岡第一師範学校を経て、九州帝国大学経済学部に入学。1951年(昭和26年)に卒業した。同年岩田屋に入社、労組書記長などを務めた。1962年(昭和37年)日本社会党に入党。1983年(昭和58年)筑紫野市議に初当選。1988年(昭和63年)社会党福岡県本部副委員長に就任。1990年(平成2年)の小野明参議院副議長の死去にともなう参院福岡補選に立候補して初当選。自民党候補との一騎討ちを制した。1995年(平成7年)の第17回参議院議員通常選挙でも再選。
天野 哲夫(あまの てつお、1926年3月19日 - 200… 天野 哲夫(あまの てつお、1926年3月19日 - 2008年11月30日)は、日本の小説家。 覆面作家沼正三の著作として出版された奇書『家畜人ヤプー』について、作者であると告白したことで知られる。 福岡市出身。市立福岡商業(現・福岡市立福翔高等学校)卒。戦前は満州を放浪、戦後は種々の職業を経て1967年から校正者として新潮社に勤務。その傍ら小説を執筆し、沼正三の代理人を名乗っていたが、1982年、自身が『家畜人ヤプー』の作者のひとりであると公表。その真偽や関与の程度をめぐってはなお論争があるが、沼正三の著作のうち『家畜人ヤプー』の後半部分や『マゾヒストMの遺言』の著者は天野であることが確かとされる。
石田 霞村(いしだ かそん、1926年2月15日 - )は、… 石田 霞村(いしだ かそん、1926年2月15日 - )は、日本の書家。福岡県生まれ。 1926年(大正15年)福岡県大牟田市に生まれる。石田霞洞、辻本史邑、広津雲仙に師事。山陽書道会会長、日本書道協会理事、日本教育書道連盟審査員参与、世界芸術振興認定作家。第七次中華民国親善訪問代表。
中西 績介(なかにし せきすけ、1926年〈大正15年〉2月… 中西 績介(なかにし せきすけ、1926年〈大正15年〉2月6日 - 2025年〈令和7年〉1月24日)は、日本の政治家。位階は従三位、勲等は旭日大綬章。 福岡県田川郡香春町出身。香春町名誉町民。衆議院議員(9期)、総務庁長官(第18代)、社会民主党副党首などを歴任。 福岡県田川郡採銅所村(現香春町)生まれ。旧制田川中学(現福岡県立田川高等学校)、三重農林専門学校(現三重大学生物資源学部)卒業。水泳選手として国体に連続出場した経験がある。福岡県内の公立中学校、高校で理科と農業の教諭を務めたが、校長着任拒否闘争により懲戒免職され、1976年(昭和51年)旧福岡4区から社会党公認で衆院選に出馬し初当選。
筑後山 一政(ちくごやま かずまさ、1926年1月8日 - … 筑後山 一政(ちくごやま かずまさ、1926年1月8日 - 1978年3月12日)は、福岡県柳川市(旧福岡県山門郡)出身で立浪部屋に所属した元大相撲力士。本名は石橋 一政(いしばし かずまさ)。185cm、106kg。最高位は東十両2枚目。得意技は右四つ、寄り。 福岡県柳川市の中學伝習館(現在の福岡県立伝習館高等学校)から中央大学法学部に進み、卒業直前に召集、大きな体に合う軍服が無かったため、陸軍気象部に配属され終戦を迎えた。卒業後は農林省に入省。 官僚時代に横綱・羽黒山政司一行が巡業で柳川に来た際に勧誘されて立浪部屋に入門することになり、その翌年1948年5月場所に初土俵を踏む。1954年3月場所に十両に昇進。
三好 行雄(みよし ゆきお、1926年〈大正15年〉1月2日… 三好 行雄(みよし ゆきお、1926年〈大正15年〉1月2日 - 1990年〈平成2年〉5月20日)は、日本の国文学者。東京大学名誉教授。近代文学を幅広く研究し、学界の中心的存在と目された。作品論の提唱者とされる。 福岡県飯塚町(現・飯塚市)に生まれる。第五高等学校理科卒業、九州帝国大学理学部入学ののち、新制東京大学文学部国文学科に入学。同大学大学院修了後、1955年(昭和30年)より共立女子大学専任講師、助教授、1959年(昭和34年)立教大学助教授を経て、1962年(昭和37年)東大国文科助教授となる。東大国文科で初めての近代専攻の教員だった。1972年(昭和47年)同教授。1981年(昭和56年)文学部長。
天本 英世(あまもと ひでよ、1926年1月2日 - 200… 天本 英世(あまもと ひでよ、1926年1月2日 - 2003年3月23日)は、日本の俳優。一時期、「あまもと えいせい」の読みを用いていたこともある。福岡県若松市(現:北九州市若松区)出身。本籍は佐賀県鳥栖市。身長180cm、体重65kg。
草場 良八(くさば りょうはち、1925年〈大正14年〉11… 草場 良八(くさば りょうはち、1925年〈大正14年〉11月16日 - 2020年〈令和2年〉3月13日)は、日本の裁判官。第12代最高裁判所長官。 横浜地裁や東京地裁に勤務。東京地裁では学生事件を裁き、刑事裁判が専門。その後、最高裁秘書課長として新聞記者への広報活動をした。最高裁経理局長、甲府地裁所長、東京高裁判事を歴任。最高裁事務総長では矢口洪一最高裁長官を補佐して簡裁の統廃合を進め、長年の懸案であった法廷撮影の部分緩和をまとめた。その後、東京高裁長官に就任。 1989年11月27日に最高裁判事に就任。 最高裁判事就任から3ヶ月後の1990年2月に最高裁長官に就任。長官就任の挨拶では「長年にわたって築き上げてきた司法のよき伝統を受け継ぎ、国民から一層、信頼されうる司法の確立のため全力を尽くす」と述べた。
東條 敏夫(とうじょう としお、1925年(大正14年)11… 東條 敏夫(とうじょう としお、1925年(大正14年)11月9日 - 2014年(平成26年)10月30日)は、日本の陸軍軍人、航空自衛官。陸士59期。 陸軍大将で内閣総理大臣を務めた東條英機の三男。陸軍士官学校在校中に昭和20年(1945年)の敗戦を迎えた。戦後は航空自衛隊に入り、空将補(空軍少将相当)で退官した。
大橋 敏雄(おおはし としお、1925年〈大正14年〉11月… 大橋 敏雄(おおはし としお、1925年〈大正14年〉11月3日 - 2017年〈平成29年〉1月31日)は、日本の政治家。元衆議院議員(8期)。旭日重光章、正四位。 のちに、創価学会の反対派(批判者)になり、創価学会への批判活動を行っていた。 詳細は「創価学会#創価学会に対する批判」を参照。 1925年11月3日、福岡県八幡市に生まれる。 1940年、福岡市立城西高等小学校(現・福岡市立城西中学校)卒業。卒業後は佐世保海軍工廠、土浦海軍航空隊に入る。戦後、運送会社を経営した後、西日本相互銀行(現・西日本銀行)、聖教新聞社業務部に勤務する。 1962年、福岡県議会議員選挙・北九州市八幡区選挙区に公明政治連盟公認で出馬し初当選(連続2回)する。
権堂 義幸(ごんどう よしゆき、1925年7月 - 2012… 権堂 義幸(ごんどう よしゆき、1925年7月 - 2012年2月25日)は日本の学校法人経営者、理事長、政治家。 1925年(大正14年)7月、福岡県小倉市生まれ。1944年(昭和19年)旧制常磐中学校(現・常磐高等学校)卒業(第11期生)。1943年(昭和18年)相撲部にて全国大会出場、個人戦で準優勝。1951年(昭和26年)の小倉市議選で初当選、以来小倉市議並びに北九州市議を通算5期。 会社役員を経て、1967年(昭和42年)学校法人常磐学園(常磐高等学校)理事に就任。1969年(昭和44年)には、学校法人常磐学園常磐高等学校理事長に就任し、その後、学校法人明経学園美萩野臨床医学専門学校、学校法人美萩野学園美萩野女子高等学校・小倉日新館中学校、学校法人飯塚学園飯塚日新館中学校・日新館高等学校 (福岡県)(廃校)、学校法人若松学園高稜高等学校、学校法人萩学園萩国際大学(現・至誠館大学)、財団法人創生奨学会の理事長を歴任。
各務 章(かがみ あきら、1925年6月1日 - 2012年… 各務 章(かがみ あきら、1925年6月1日 - 2012年2月7日)は、日本の詩人。教育者。 福岡市に生まれる。1943年福岡県中学修猷館を卒業。1944年召集されて満洲へ出征するが、翌年肺結核のため帰国。1945年旧制福岡高等学校を経て、1948年九州大学法文学部法科を卒業。 胸部外科手術を受けた後、1952年福岡県立鞍手高等学校教諭となり、福岡県立教育研究所(福岡県教育センターの前身)研究員、福岡県立修猷館高等学校教頭、福岡県立福岡高等学校教頭、福岡県教育庁主任指導主事、福岡県立筑紫中央高等学校校長、福岡県立筑紫丘高等学校校長、九州女子高等学校(現・福岡大学附属若葉高等学校)校長を歴任。 学生時代の1944年に、湯川達典、田中小実昌らと回覧誌『止里加比(とりかひ)』を出版。
遠藤 達雄(えんどう たつお、1925年4月1日 - 198… 遠藤 達雄(えんどう たつお、1925年4月1日 - 1989年7月5日)は、九州工業大学名誉教授。福岡県出身。旧制福岡中学(現福岡県立福岡高等学校)卒業、九州大学大学院博士課程修了。 不規則に変動する荷重による金属疲労を評価するレインフロー法(雨だれ法:w:rainflow-counting algorithm)を開発。この功績により、「Mr.RainFlow」と称される。
野口 正明(のぐち まさあき、1925年3月7日 - 200… 野口 正明(のぐち まさあき、1925年3月7日 - 2004年3月24日)は、福岡県飯塚市出身のプロ野球選手(内野手、外野手、投手)。 飯塚商業学校卒業後、1942年名古屋軍に内野手として入団。同年5月、プロ野球史上最長イニング記録の28イニングを戦った対大洋戦では、六番・一塁手として出場。翌1943年、投手に転向し12勝をあげ、石丸進一、西沢道夫らと共に投手陣の柱として活躍した。この頃、晩年の沢村栄治からも安打を放っている。1944年9月に行われた日本野球総運動大会にも参加し、その後応召された。 戦時中は満州で憲兵として活躍していたが、シベリア抑留を経験。栄養失調で倒れ、生死の境を彷徨ったが、戦友の看護により一命を取り留める。
廣渡 文利(ひろわたり ふみとし、1925年3月5日 - 2… 廣渡 文利(ひろわたり ふみとし、1925年3月5日 - 2007年7月24日)は、日本の地球科学者。専門は鉱物学・鉱床学。福岡県福津市生まれ。 旧海軍兵学校を経て、1950年に九州大学理学部地質学科を卒業。翌年九州大学理学部助手となる。1956年通産省工業技術院地質調査所(現産業技術総合研究所)に転任、1966年九州大学理学部助教授となり、1973年同教授に昇任。1988年九州大学定年退官。1962年、九州大学より理学博士の学位を取得。論文の表題は「Manganese ore deposits in Ryoke metamorphic zone.」。1986~88年日本鉱物学会(現日本鉱物科学会)会長。
四島 司(ししま つかさ、1925年〈大正14年〉1月1日 … 四島 司(ししま つかさ、1925年〈大正14年〉1月1日 - 2015年〈平成27年〉2月23日)は、日本の銀行家。位階は正五位。 福岡県福岡市出身。父は福岡無尽(後の福岡相互銀行、福岡シティ銀行、現・西日本シティ銀行)創業者の四島一二三。1949年(昭和24年)に慶應義塾大学経済学部を卒業し、1951年(昭和26年)11月に一二三が経営する福岡相互銀行に入行した。 1956年(昭和31年)5月に取締役に就任し、1958年(昭和33年)5月に常務、1967年(昭和42年)5月に専務を経て、1969年(昭和44年)5月に一二三の後任として頭取に就任。2003年(平成15年)6月までに務めた。 1985年(昭和60年)11月に藍綬褒章を受章し、1995年(平成7年)4月に勲二等瑞宝章を受章。
塚本 悦郎(つかもと えつろう、1924年11月30日 - … 塚本 悦郎(つかもと えつろう、1924年11月30日 - 2014年8月16日)は、福岡県出身のプロ野球選手(外野手)。 明善中を経て西南学院経済専門学校を卒業。戦前にプロ球団を保有し、日本野球連盟への復帰を目指す西日本鉄道に進む。1948年の都市対抗にチーム初出場。武末悉昌の好投もあって決勝に勝ち進み星野組と対戦、初参加で初優勝を果たす。武末以外のチームメートにも宮崎要、武末悉昌、上野義秋、深見安博、大崎憲司、伴勇資ら、のちにプロ球団の主力となる選手が揃っていた。 1950年に西日本鉄道が創立した西鉄クリッパースへ入団する。1952年には外野陣の一角として起用され、規定打席には届かなかったが打率.308を記録。
瓜生 正美(うりゅう まさみ、1924年11月30日 - 2… 瓜生 正美(うりゅう まさみ、1924年11月30日 - 2021年6月27日)は、日本の劇作家・演出家。青年劇場顧問。 福岡県若松市(現・北九州市若松区)出身。旧制第五高等学校卒業、九州大学中退。 この項目は、舞台芸術に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:舞台芸術)。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
中尾 武(なかお たけし、1924年10月24日 - 200… 中尾 武(なかお たけし、1924年10月24日 - 2001年12月17日)は、日本の経営者。富士電機社長、会長を務めた。 福岡県北九州市出身。1948年に神戸経済大学を卒業し、同年に富士電機製造(のちの富士電機)に入社。1974年11月に取締役に就任し、1977年6月に常務、1981年6月に専務を経て、1986年6月に副社長に就任し、1987年2月に社長に昇格。1992年6月に会長に就任し、1995年6月には相談役に就任。 1988年11月に藍綬褒章を受章。 2001年12月17日急性循環不全のために死去。77歳没。
志岐 守哉(しき もりや、1924年10月7日 - 1994… 志岐 守哉(しき もりや、1924年10月7日 - 1994年1月9日)は、日本の経営者。三菱電機社長、会長を務めた。福岡県大川市出身。 1947年に東京大学工学部電気工学科を卒業し、同年に三菱電機に入社した。1979年に取締役に就任し、常務、専務を経て、1985年6月に社長に就任し、1992年6月に会長に就任した。 日本電機工業会会長、日本電子機械工業会会長、トロン協会会長、経団連常任理事、経済同友会幹事なども歴任した。 1986年に毎日工業技術賞を受賞し、1989年に藍綬褒章を受章した。 1994年1月9日消化管出血のために死去。69歳没。
石村 善助(いしむら ぜんすけ、1924年(大正13年)9月… 石村 善助(いしむら ぜんすけ、1924年(大正13年)9月14日 - 2006年7月30日)は、日本の法学者。専門は、民法・法社会学。学位は、比較法修士(Master of Comparative Law (M.Comp.L.))、法学博士(東京大学・論文博士・1961年)。東京都立大学名誉教授。2003年4月、勲三等瑞宝章受章。 福岡県福岡市生まれ。誕生日(9月14日)がオイゲン・エールリッヒと同一である。実家は福岡市の土産菓子として知られる鶴乃子などを製造販売する石村萬盛堂。 東京帝国大学在学中の勤労動員で静岡県の山村に滞在時、学生の状況を知るため巡回していた教授陣の一員であった川島武宜と出会う。
宇野 晃司(、1924年〈大正13年〉4月21日 - 200… 宇野 晃司(、1924年〈大正13年〉4月21日 - 2003年〈平成15年〉7月28日)は、日本の俳優、ダンス講師である。本名は鵜野 満雄(うの みつお)。福岡県出身。 1924年(大正13年)4月21日、福岡県大牟田市に生まれる。 福岡県立三池中学校(現在の福岡県立三池高等学校)を経て、1944年(昭和19年)に日本映画学校を卒業。同年、東宝演技課へ映画学校より派遣入社する。そして戦後、1948年(昭和23年)に公開された黒澤明監督映画『醉いどれ天使』でやくざ役として映画デビューし、以後も東宝を中心に数多くの作品に出演した。また、ウルトラシリーズ第1作目『ウルトラQ』(TBSテレビ、1966年)では、杉本カメラマン役として準レギュラー出演していた。
三隅 二不二(みすみ じゅうじ/じふじ、1924年(大正13… 三隅 二不二(みすみ じゅうじ/じふじ、1924年(大正13年)3月21日 - 2002年(平成14年)5月31日)は、日本の心理学者。専攻は社会心理学。文学博士。元九州大学教授、大阪大学名誉教授、筑紫女学園大学・短期大学元学長。財団法人集団力学研究所初代所長。 福岡県出身。クルト・レヴィンによって創始されたグループ・ダイナミックス(集団力学)を日本に紹介し、その普及と発展に力を注いだ。リーダーシップをパフォーマンスとメンテナンスの2つの機能の複合として捉えるPM理論で世界的に知られる。 日本グループ・ダイナミックス学会の設立に尽力し、2代目会長に就任。以来、長きに渡って同学会の幹部を務める。また九州大学教育学部教授在任中の1967年(昭和42年)、学界と地元企業の交流の場として集団力学研究所を設立。
安恒 良一(やすつね りょういち、1924年3月15日 - … 安恒 良一(やすつね りょういち、1924年3月15日 - )は日本の政治家。元日本社会党参議院議員(連続3期)。