中薗 英助(なかぞの えいすけ、男性、1920年8月27日 … 中薗 英助(なかぞの えいすけ、男性、1920年8月27日 - 2002年4月9日)は、日本の小説家・推理作家。本名は中園 英樹(なかぞの えいき)。 福岡県遠賀郡上津役村(現北九州市八幡西区)出身。旧制福岡県立八女中学校(現福岡県立八女高等学校)卒業。在学中、西洋史を教わった渡辺啓助の影響で『新青年』を愛読するようになる。卒業後は満州を経て北京へ遊学し、同仁会語学校などに学ぶ。 1940年、北京大学の文学院を聴講しながら東亜新報の学芸記者となる。かたわら同人誌『燕京文学』に加わり、創作活動を開始。1942年、「第一回公演」で北支那文化賞を受賞。 1946年、引き揚げ帰国し、新聞記者を経てフリーのジャーナリストとなる。
一丸 章(いちまる あきら、男性、1920年7月27日 - … 一丸 章(いちまる あきら、男性、1920年7月27日 - 2002年6月12日)は、日本の詩人。 福岡市新柳町で生まれる。幼少時に両親と生き別れ、伯母の家で育つ。1937年、福岡県立福岡中学校(現福岡県立福岡高等学校)卒業。 「母音」「こをろ」「九州文学」「ALMEE」などに参加する。生まれつき病弱であり、戦後、KBCやNHKなどで脚本を書いたり、研究所員や短大・文化サークルの講師をつとめたりした。1966年、福岡県詩人会の創立に携わり、16年間代表幹事を務める。2001年、先達詩人顕彰(日本現代詩人会)。未完の長詩「美濃道行魂胆咄(みのへのみちゆきこんたんばなし)」がある。 没後、弟子の龍秀美の尽力により全詩集が刊行される。
髙村 健一郎(たかむら けんいちろう、1920年(大正9年)… 髙村 健一郎(たかむら けんいちろう、1920年(大正9年)7月14日 - 2006年(平成18年)2月14日)は、日本の財務官僚、日本専売公社職員。 福岡県大牟田市出身。1938年福岡県中学修猷館、1940年旧制福岡高等学校文科甲類を経て、1942年東京帝国大学法学部政治学科を卒業。 1942年に高等試験行政科に合格し、9月に大蔵省に入省したが、短期現役海軍主計科士官(9期)を志願し、同年9月に補修学生として海軍経理学校に入校。1943年(昭和18年)1月、海軍主計中尉に任官し経理学校を卒業し、長崎監督官事務所に配属。1944年(昭和19年)3月、海軍省主計局契約部第6課に転じ原価計算を担当。
北川 晃二(きたがわ こうじ、1920年6月4日 - 199… 北川 晃二(きたがわ こうじ、1920年6月4日 - 1994年2月27日)は、日本の編集者、ジャーナリスト、小説家。フクニチ新聞社社長。 福岡県添田町出身。 1938年福岡県中学修猷館を経て、1943年西南学院高等部英文科を卒業。 北京日本大使館調査課報道班に勤務。応召によって北支派遣軍第63師団から久留米師団に転属、同地で終戦を迎えた。 復員後、福岡市の図書出版惇信堂に入社し、南風書房を設立。1946年6月、真鍋呉夫らと文芸誌「午前」を創刊。創刊号に掲載された小説「逃亡」が火野葦平に賞賛され、第1回九州小説賞を受賞。編集者として檀一雄、三島由紀夫らの寄稿を得るなど手腕を発揮する一方、新鋭作家として注目され東京の文芸誌「群像」などに作品を発表した。
城野 禎三(きの ていぞう、1920年 (大正9年)5月15… 城野 禎三(きの ていぞう、1920年 (大正9年)5月15日 - 2011年 (平成23年)6月14日)は、日本の法学者。専門は、刑法・刑事訴訟法。 九州国際大学名誉教授。福岡県宗像郡出身。 官庁関係の学外委嘱の仕事も多く、大学では教務部長や学生部長を務め野球部などの顧問を引き受け体育系サークルの指導にも当たった。
栗本 尊子(くりもと たかこ、1920年(大正9年)5月9日… 栗本 尊子(くりもと たかこ、1920年(大正9年)5月9日 - 2019年(平成31年)1月22日)は、日本の声楽家(メゾソプラノ)・音楽教育者。二期会名誉会員(2017年時点)本名、栗本 尊(くりもと たか)。旧姓は、小鳥居。 福岡県筑紫郡大宰府町(現:太宰府市)にて、安楽寺五別当の小鳥居家の五女として生まれる。福岡女学校(現:福岡女学院中学校・高等学校)卒業。1941年(昭和16年)東京音楽学校(現:東京芸術大学)卒業。リア・フォン・ヘッサートに師事。1946年(昭和21年)長門美保歌劇団プッチーニ『蝶々夫人』のスズキ役でデビュー以来、長門美保歌劇団で活躍。1952年(昭和27年)に旗揚げされた二期会に参加。
河村 章(かわむら あきら、1920年5月8日 - )は、福… 河村 章(かわむら あきら、1920年5月8日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
黒田 能行(くろだ よしゆき、1920年3月22日 - 20… 黒田 能行(くろだ よしゆき、1920年3月22日 - 2014年5月10日)は、元衆議院決算委員会(現・決算行政監視委員会)調査室長、元衆議院国家公務員労働組合委員長。1947年、第001回国会予算委員会で書記として任命されて以来、戦後日本の財政経済の調査に尽力した。また、高橋正雄(経済学者)のもとで政治思想を学び、社会運動家としても活動した。位階は従四位。 1920年、大日本帝国陸軍の陸軍中将・フィリピン方面軍司令官であった黒田重徳の長男として福岡県に生まれる。母方の祖父は南部式拳銃を開発した南部麒次郎。幼少期に東京府に移り、成蹊小学校に入学。父親は不在が多く、母親・春子の女手ひとつで育てられる。
石橋 幹一郎(いしばし かんいちろう、1920年(大正9年)… 石橋 幹一郎(いしばし かんいちろう、1920年(大正9年)3月1日 - 1997年(平成9年)6月30日)は、日本の実業家。ブリヂストンの社長・会長を務めた。ブリヂストンタイヤ創業者の石橋正二郎の長男。 石橋正二郎の長男として福岡県久留米市に生まれる。旧制・中学明善校(現在の福岡県立明善高等学校)、福岡高等学校 (九州大学教養部の前身)を卒業後、1年間の浪人を経て1937年、東京帝国大学に進学。1943年に東京帝国大学法学部を卒業後、海軍主計科の短期現役(略称「短現」、短期現役海軍主計科士官(10期))に志願して、同年9月、海軍経理学校に入学。1944年3月に卒業。東京監督官事務所監査官付となる。
木本 元敬(きもと げんけい、1920年(大正9年)2月22… 木本 元敬(きもと げんけい、1920年(大正9年)2月22日 - 2014年(平成26年)9月12日)は、日本の実業家。西日本鉄道第11代社長(1981年 - 1985年)を務めた。 福岡県小倉市(現北九州市)出身。医師の三男。福岡県立小倉高等学校を経て京都帝国大学を繰上げ卒業し、1942年(昭和17年)に西鉄の前身となる九州電気軌道に入社するも、まもなく太平洋戦争で陸軍の歩兵部隊に応召。フィリピン戦線でレイテ島の隣島の独立守備大隊長(少尉)を務めたが、足を負傷したため部隊を離脱。部隊はその後全滅し、九死に一生を得た。この経験から「私は一度無くしたはずの命を与えられた」と言って、西鉄や地域の発展に尽くすことを自らに課し、仕事に打ち込んだという。
安永 英雄(やすなが ひでお、1920年〈大正9年〉2月21… 安永 英雄(やすなが ひでお、1920年〈大正9年〉2月21日 - 2003年〈平成15年〉6月8日)は、日本の政治家、参議院議員(4期、日本社会党)。 福岡県鞍手郡若宮町(現宮若市)出身。1940年福岡師範学校(現・福岡教育大学)卒。小中学校の教諭になり、福岡県教組委員長や県労組評議会議長を歴任する。1968年の第8回参議院議員通常選挙で全国区から日本社会党公認で立候補して初当選した。2期務めた後1980年の第12回参議院議員通常選挙で落選。1983年の第13回参議院議員通常選挙では比例区から立候補して当選した。1995年春の叙勲で勲二等旭日重光章受章。同年引退。国会内では建設委員長や決算委員長を歴任し、党内では参院国対委員長や参議院議員会長などを務めた。
大島 襄二(おおしま じょうじ、1920年2月15日 - 2… 大島 襄二(おおしま じょうじ、1920年2月15日 - 2014年3月11日)は、日本の地理学者(文化地理学)。文学博士。関西学院大学名誉教授、元帝塚山学院大学教授。太平洋学会第三代会長。 地理学者として学術探検にも赴き、島嶼地理学、文化人類学者としても有名である。愛知県名古屋市生まれ。 以降快方に向かい、近江兄弟社中学校・高等学校、同志社高等学校で教鞭を執る(1953年まで)。
井上 正治(いのうえ まさはる、1920年2月11日 - 1… 井上 正治(いのうえ まさはる、1920年2月11日 - 1997年12月18日)は、日本の海軍軍人、法学者。専門は刑事法学。過失犯理論等を研究。法学博士(九州大学・1950年)。九州大学名誉教授。福岡県出身。 福岡県宗像市生まれ、山口県下関市育ち。旧制山口県立下関中学校、旧制福岡高等学校を経て、九州帝国大学進学。1942年、九州帝国大学法文学部卒業、高等文官試験司法科合格。1950年、法学博士(九州大学)。 海軍入営。最終階級は海軍法務大尉。1946年、九州帝国大学法文学部講師。1948年、九州大学法文学部助教授、1951年、同法教授。1953年、広島大学政経学部教授兼務、1967年第30代九州大学法学部長。
真鍋 呉夫(まなべ くれお、1920年1月25日 - 201… 真鍋 呉夫(まなべ くれお、1920年1月25日 - 2012年6月5日)は日本の作家・文筆家・俳人。 福岡県遠賀郡岡垣村(現・岡垣町)生まれの父甚兵衛、母オリとも俳人で父は天門(てんもん)、母は織女(おりじょ)と号していた。 福岡商業学校卒業後、1939年阿川弘之、島尾敏雄、那珂太郎らと同人誌「こをろ」を創刊。1941年、文化学院文学部に入学。句集『花火』(こをろ発行所)を自費出版。1946年復員後、北川晃二と一緒に文芸誌「午前」の編集に携わり、同郷の檀一雄を頼って1949年上京。檀一雄との交流は長く、その後30年にわたり兄事した。1949年、第一創作集『サフォ追慕』にて第21回芥川賞候補となり、新進作家として注目された。
江波 和子(えなみ かずこ、1920年1月24日 - 194… 江波 和子(えなみ かずこ、1920年1月24日 - 1947年)は日本の女優である。福岡県久留米市出身。女優の江波杏子は娘。
古森 敬造(こもり けいぞう、1920年(大正9年)1月21… 古森 敬造(こもり けいぞう、1920年(大正9年)1月21日 - 不明)は、日本の銀行員、実業家。ガダルカナル島の戦いにおける川口支隊の生還者の一人。三和銀行参与、象印マホービン常務取締役。 福岡県福岡市出身。松次郎、ツルの三男。1937年(昭和12年)に福岡商業学校(現・福岡市立福翔高等学校)を卒業後、三和銀行に入社。1940年に応召し、第18師団隷下の歩兵第124連隊に配属。連隊は川口支隊隷下として南方に向かい、ボルネオ島、ミンダナオ島、フィジー諸島攻略を経て、1942年(昭和17年)9月3日よりガダルカナル島の戦いに連隊本部附書記(上等兵、のち伍長)として参加。支隊本部とは別途舟艇で上陸したが、その直後より敵戦闘機の機銃掃射に遭い、連隊主力とともにアウステン山(英語版)で包囲孤立し、以後3か月にわたる籠城を耐えた。
土田 喜代一(つちだ きよかず、1920年1月20日 - 2… 土田 喜代一(つちだ きよかず、1920年1月20日 - 2018年10月15日)はペリリュー島から生還した日本兵。ペリリューの戦いでは海軍上等水兵、最終階級は海軍二等兵曹。 福岡県八女郡水田村(現・筑後市)生まれ。1935年(昭和10年)八女工業学校卒業。1943年(昭和18年)1月、佐世保第2海兵団に入団。同年4月、博多海軍航空隊(実習部隊)に配属された後、横須賀航海学校見張り科に入校。同年10月の鹿屋航空隊への配属を経て、第1航空艦隊第761海軍航空隊(主力・一式陸上攻撃隊)に配属。1944年(昭和19年)2月、マリアナ諸島テニアン島へ向かう。同年6月マリアナ沖海戦により、パラオ諸島ペリリュー島へ転進(撤退)し、第1航空艦隊西カロリン方面航空隊に移るり見張りの任務に就く。
真実 一男(まざね かずお、1920年 - 2004年12月… 真実 一男(まざね かずお、1920年 - 2004年12月26日)は、日本の思想史家。大阪市立大学名誉教授。元経済学史学会代表幹事。デヴィッド・リカード研究を専門とした。 長崎県壱岐石田町出身。小倉市立小倉商業学校(現福岡県立小倉商業高等学校)を経て、1938年長崎高等商業学校(現長崎大学)無試験入学。1943年東京商科大学(現一橋大学)を繰り上げ卒業。杉本栄一ゼミ出身。一貫してデヴィッド・リカードを専攻。 学徒出陣し薩摩半島で終戦を迎え、日本の降伏後、九州で語学教師などを務め、1949年から上京し杉本に師事。1951年長崎大学商業短期大学助教授兼長崎大学経済学部講師。1954年長崎大学経済学部助教授。
大崎 平八郎(おおさき へいはちろう、1919年12月15日… 大崎 平八郎(おおさき へいはちろう、1919年12月15日 - 2005年4月5日)は、日本の経済学者。横浜国立大学名誉教授。 1919年、福岡県飯塚市生まれ。横浜高等商業学校(現横浜国立大学)を卒業し、東京商科大学(現一橋大学)に進んだ。しかし太平洋戦争のため1942年9月に同大学を繰上げ卒業となり、入隊。機関砲中隊に配属されるが、病気のため現役免除となり、満鉄調査部に勤務。 戦後、横浜国立大学経済学部助教授となる。後に教授に昇進。1973年経済学部長。1985年に横浜国立大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は関東学院大学教授、神奈川大学教授として教鞭をとった。ユーラシア研究所名誉顧問。
木下 和夫(きのした かずお、1919年〈大正8年〉11月7… 木下 和夫(きのした かずお、1919年〈大正8年〉11月7日 - 1999年〈平成11年〉2月13日)は、日本の経済学者。大阪大学名誉教授。財政政策、国民所得などの研究で知られる。位階は正四位。 福岡県大牟田市生まれ、八女市出身。1942年京都帝国大学経済学部卒。1958年「租税の経済理論」で関西学院大学経済学博士。 1948年大阪帝国大学経済学部助教授、1954年大阪大学教授。同大財政研究所長、経済学部長、1983年定年退官、名誉教授。1983年紫綬褒章、1990年前島賞、勲二等瑞宝章受勲。地方財政審議会会長など各種審議会の委員を務めた。1999年死去。死没日付をもって正四位に叙された。
古岡 勝(ふるおか まさる、1919年(大正8年)10月1日… 古岡 勝(ふるおか まさる、1919年(大正8年)10月1日 - 2005年(平成17年)9月30日)は、福岡県出身の武道家(無双流居合斬道創始者、無双直伝英信流居合道範士十段、柔道六段)、会社役員(学習研究社最高顧問)。武号は二刀斎。 居合は初め夢想神伝流を学び、次いで無双直伝英信流第21代・平井阿字斎より無双直伝英信流を学んだ。 1937年(昭和12年)福岡県立東筑中学校(現・福岡県立東筑高等学校)を卒業後、陸軍予備士官学校に入学。日中戦争に陸軍将校として従軍し、白兵戦で日本刀を使った経験が何度もあるという。最終階級は大尉。 戦後、学習研究社の創業者で叔父の古岡秀人に誘われ、東京に移住して同社に入社した。
天野 富勝(あまの とみかつ、1919年9月14日 - 19… 天野 富勝(あまの とみかつ、1919年9月14日 - 1985年12月18日)は、日本の水泳選手。福岡県直方市出身。 1937年、福岡県立鞍手高等学校卒業。八幡製鐵を経て日本大学に入学。大学時代の1938年8月10日に神宮プールで行われた第14回関東水上選手権大会の1500m自由形で当時の世界新記録(18分58秒8。1000m通過タイム12分33秒8も当時の世界新記録)を樹立した。同記録は1949年8月の全米水上選手権予選で橋爪四郎に破られるまで11年間保持された。
萬代 峰子(よろずよ みねこ、1919年〈大正8年〉6月28… 萬代 峰子(よろずよ みねこ、1919年〈大正8年〉6月28日。 - 没年不明)は、日本の女優。本名は、石川貴美。(石川貴美子とも。福岡県福岡市出身。芸名は萬代峯子、万代峰子、万代峯子とも表記される。愛称は「イシカワさん」。趣味は読書で、体重は11貫200匁。 福岡県立福岡高等女学校(現・福岡県立福岡中央高等学校)を卒業後、宝塚少女歌劇団(現・宝塚歌劇団)に入団。宝塚歌劇団25期生。宝塚一番の泣き虫とされた宝塚歌劇団を退団後は東宝劇団や新春座に所属。主に映画、舞台、テレビドラマなどで脇役として活躍する。第9回芸術祭賞奨励賞受賞。芸名は古今集から父がつけた。 一般社団法人映像コンテンツ権利処理機構においては不明権利者とされている。
安川 定男(やすかわ さだお、1919年6月17日 - 20… 安川 定男(やすかわ さだお、1919年6月17日 - 2007年1月14日)は、国文学者、中央大学名誉教授。文芸誌『同時代』同人。
樋口 隆康(ひぐち たかやす、1919年6月1日 - 201… 樋口 隆康(ひぐち たかやす、1919年6月1日 - 2015年4月2日)は、日本の考古学者。京都大学名誉教授。文学博士(京都大学・1962年)。 福岡県田川郡添田町に生まれる。小倉中学校、第一高等学校を経て、1943年京都帝国大学文学部史学科卒。 1957年京都大学文学部助教授、同年より敦煌を調査。1959年以降、京都大学学術調査隊に参加してインド、アフガニスタン、パキスタンなどの仏教遺跡を調査。1975年教授。1983年定年退官、名誉教授。泉屋博古館館長、奈良県立橿原考古学研究所長。なら・シルクロード博覧会・総合プロデューサー代行、シルクロード学研究センター所長、京都府埋蔵文化財調査研究センター理事長を歴任。
杉山 龍丸(すぎやま たつまる、1919年〈大正8年〉5月2… 杉山 龍丸(すぎやま たつまる、1919年〈大正8年〉5月26日 - 1987年〈昭和62年〉9月20日)は、私財を投げうってインドの緑化に尽力し、インドの緑の父(Green Father)と呼ばれる。 1919年、杉山直樹(夢野久作)、クラの長男として生まれる。福岡県福岡市出身。二男は三苫鉄児、三男は杉山参緑。 1935年(昭和10年)、祖父杉山茂丸没、1936年(昭和11年)、父杉山直樹没、祖父と父を相次いでなくす。 1937年(昭和12年)、福岡中学校(現福岡県立福岡高等学校)卒業。1938年(昭和13年)19歳、農園の土地を売らずに一家を養うために、陸軍士官学校(53期)に入学する。軍人が戦争反対運動をやらぬ限り戦争は止められないと考え、反戦活動を行い、憲兵隊に捕われる。
小島 直記(こじま なおき、1919年5月1日 - 2008… 小島 直記(こじま なおき、1919年5月1日 - 2008年9月14日)は、福岡県八女郡福島町(現・八女市福島)の生まれの小説家。経済人などの伝記小説で知られる。本名は小嶋直記。作家・小島英記は長男。 旧制福岡高等学校卒業。東京帝国大学経済学部商業学科を卒業。短期現役海軍主計科士官(10期)を志願し、1943年9月、海軍経理学校に入学し、1944年(昭和19年)3月に卒業して海軍主計中尉に任官。河和海軍航空隊に配属。1945年(昭和20年)3月、海軍主計大尉に昇進し、名古屋監督官事務所監査官付として終戦を迎えた。 戦後、私立八女津女子高等学校(現在の八女学院高等学校)や、母校でもある八女中学校(現在の福岡県立八女高等学校)で社会科の教師として教鞭を取り、詩人の松永伍一を教えたこともある。
上杉 佐一郎(うえすぎ さいちろう、1919年4月16日 -… 上杉 佐一郎(うえすぎ さいちろう、1919年4月16日 - 1996年5月10日)は、福岡県出身の部落解放運動家。部落解放同盟中央執行委員長。 福岡県三井郡御原村大道(現・小郡市二タ)の被差別部落で貧農の家庭に生まれる。農業だけでは食べていけないため、父は靴修理の行商に出、母は廃品回収業で生計を支えた。御原尋常小学校(現・小郡市立御原小学校)高等科卒業後、国鉄への就職試験に3度失敗し、家出生活を送っていたところ、騙されて北海道のタコ部屋に売り飛ばされ、重労働を経験。1934年、松本治一郎に救われて九州鉄道(西鉄)に入社。出征と復員の後、西鉄労働組合の役員となる。1940年4月、福岡二十四連隊第二機関銃隊に入隊。
甲木 清実(かつき きよみ、旧字体: 甲木 淸實、1919年… 甲木 清実(かつき きよみ、旧字体: 甲木 淸實、1919年(大正8年)4月10日 - )は、日本海軍の水上機操縦員。「ジェロニモ」の異名を持つエース・パイロットで、日本海軍で2名しかいない水上機エースのうちの1人。 零式観測機に搭乗し、南方戦線で戦果を挙げた。実戦部隊では零式観測機を皮切りに幾多の機種に搭乗した。各地を転戦しつつ太平洋戦争を生き延びた。 1919年(大正8年)4月10日、福岡県三潴郡蒲池村大字東蒲池(現:柳川市東蒲池)で生まれる。 1938年(昭和13年)6月、海軍佐世保海兵団に入団。1941年(昭和16年)5月、第54期操縦練習生を卒業。同期生に山崎市郎平(撃墜数14)。二座水上機の操縦員となる。
有吉 林之助(ありよし りんのすけ、1919年〔大正8年〕3… 有吉 林之助(ありよし りんのすけ、1919年〔大正8年〕3月31日 - 2008年〔平成20年〕12月1日)は、昭和から平成時代の政治家。福岡県筑紫郡太宰府町長、太宰府市長。 太宰府市出身。ハルピン学院卒業。 1947年(昭和22年)太宰府町議会議員、1971年(昭和46年)助役、1979年(昭和54年)町長、市制施行後、1983年(昭和58年)太宰府市長を歴任し、1987年(昭和62年)引退した。 ほか、古都太宰府を守る会理事長、九州アジア国立博物館を誘致する会会長を務めた。
高山 廣子(たかやま ひろこ、1919年3月25日 - 没年… 高山 廣子(たかやま ひろこ、1919年3月25日 - 没年不詳)は、日本の女優である。新漢字表記高山 広子、旧芸名仲上 八洲子(なかがみ やすこ)、君千代(きみちよ)、藤原 八洲子(ふじわら やすこ)、のちに高山 裕子とも名乗った。出生名仲上 ヤスエ(なかがみ やすえ)、結婚後本名上田 ヤスエ(うえだ やすえ)。『阿波狸合戦』、『歌ふ狸御殿』等の主演女優として知られる。 1919年(大正8年)3月25日、福岡県嘉穂郡飯塚町(現在の同県飯塚市)に生まれる。 1927年(昭和2年)、子役として、妹の仲上萩江とともに「仲上 八洲子」の名で、京都の阪東妻三郎プロダクションに入社、映画界にデビューした。
細川 巌(ほそかわ いわお、1919年3月12日 - 199… 細川 巌(ほそかわ いわお、1919年3月12日 - 1996年1月1日)は、日本の化学者、仏教学研究者。 福岡市生まれ。1944年広島文理科大学化学科卒業、広島師範学校助教授、47年教授。1949年福岡学芸大学久留米分校助教授。東京大学へ内地留学し、1955年「浅海底土の化学的研究」で東京大学理学博士。58年福岡学芸大学教授、1968年東京水産大学教授併任。75年福岡教育大学を退職、名誉教授。 「ひかり幼育園」を設立し、仏法に基づく幼児教育を行い、特に浄土真宗系の仏教研究を進めた。92年勲三等瑞宝章受勲。
馬場 元二(ばば もとじ、1919年2月11日 - 2015… 馬場 元二(ばば もとじ、1919年2月11日 - 2015年5月14日)は、日本の経済学者。経済学博士。元札幌大学及び札幌大学女子短期大学部学長。 福岡県八女市出身。1940年横浜専門学校高等商業科卒業。南満州鉄道調査部入社。1941年大日本帝国陸軍入隊。1945年復員。1951年九州大学経済学部卒業。1954年同大学院特別研究生修了。久留米大学商学部講師。1965年市邨学園短期大学商経科教授。1967年九州共立大学経済学部教授。1968年札幌大学経済学部教授。1969年学校法人札幌大学理事。1971年学校法人札幌大学理事長代理。1975年札幌大学学長に就任。1987年札幌大学学長・札幌大学女子短期大学部学長。
吉村 虎蔵(よしむら とらぞう、1919年2月3日 - 19… 吉村 虎蔵(よしむら とらぞう、1919年2月3日 - 1995年6月14日)は、日本の工学者。土木工学者。福岡県出身。工学博士。九州大学元教授。有明工業高等専門学校元校長。教育者。 1919年、福岡県福岡市生まれ。1941年九州帝国大学工学部土木工学科卒業。構造力学及び橋梁工学の理論的研究を専門とする。 1945年、内務省九州土木出張所に就く。民間を経て、1947年、福岡高等工業学校、1950年熊本工業専門学校、1951年熊本大学工学部、1952年同大学助教授に就き、1954年、工学博士となる。 1955年同大学工学部教授に就任。1973年九州大学工学部教授となる。1980年有明工業高等専門学校校長。
小野 周(おの しゅう、1918年(大正7年)9月5日 - … 小野 周(おの しゅう、1918年(大正7年)9月5日 - 1995年(平成7年)4月24日)は、日本の物理学者。学位は、理学博士(九州大学、1951年)(学位論文「臨界現象及び表面現象の統計熱力学」)。東京大学名誉教授。元群馬大学学長。日本物理学会会長を3期3年間務めた。勲二等旭日重光章受章。福岡県福岡市生まれ。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
玉井 栄(たまい さかえ、1918年5月26日 - 1953… 玉井 栄(たまい さかえ、1918年5月26日 - 1953年6月)は福岡県出身のプロ野球選手。
松本 安市(まつもと やすいち、1918年(大正7年)5月2… 松本 安市(まつもと やすいち、1918年(大正7年)5月25日 - 1996年(平成8年)3月6日)は、日本の柔道家。段位は講道館8段。 昭和天覧試合(1940年)準優勝者、第1回全日本選手権大会(1948年)優勝者であり、後に天理大学等で柔道師範や1964年東京オリンピック日本代表の監督を務めた。 福岡県久留米市で洋品雑貨の卸売業を営む家の長男として生まれる。福岡県中学明善校入学後は授業で柔道を経験したが、クラブ活動ではバレーボール部に所属。中学3年の始めに上級生の強引な勧誘を受け、嫌々ながら柔道を始めたというのが柔道人生への第一歩となった。 1937年4月に武道専門学校に入学するも、親元を離れた解放感から酒色に溺れ、不摂生が祟って2年生の9月には体調を崩して結核を患い、故郷・福岡での安静生活を余儀なくされる。
矢山 哲治(ややま てつじ、1918年4月28日 - 194… 矢山 哲治(ややま てつじ、1918年4月28日 - 1943年1月29日)は日本の詩人。九州帝国大学在学中、同人雑誌「こをろ」を主宰。福岡県福岡市出身。 1936年福岡県中学修猷館、1939年旧制福岡高等学校理科甲類を経て、九州帝国大学農学部繰り上げ卒業。福岡高校在学中から当時火野葦平の率いていた『九州文学』同人となり『九州文学』、『文藝首都』などに詩やエッセイを掲載。この時期1938年7月、福岡高校生であった矢山は『九州文学』を詩人の立原道造に贈り、文通を始め、当時立原が企図していた詩誌『午前』への参加を誘われた。 1939年、第一詩集『くんしやう』を上梓。この頃、保田與重郎、太宰治、檀一雄ら『日本浪曼派』の作家、評論家を愛読する。
村井 勉(むらい つとむ、1918年3月31日 - 2008… 村井 勉(むらい つとむ、1918年3月31日 - 2008年10月31日)は、日本の実業家。アサヒビール代表取締役社長、東洋工業(現:マツダ)代表取締役副社長、住友銀行(現:三井住友銀行)代表取締役副頭取、JR西日本代表取締役会長等を歴任した。1988年勲二等旭日重光章受章。 福岡県小倉市堺町(現:北九州市小倉北区)で円応寺住職の二男として生まれ、その後村井家に養子に出された。旧制小倉中学(現:福岡県立小倉高等学校)を経て、1942年9月、戦時中の半年繰り上げで東京商科大学(現:一橋大学)を卒業。当時の住友グループにおける一括採用試験に合格。内定者面接にて、「銀行に行くのが嫌な人は手を挙げなさい」と言われ挙手したにも関わらず住友銀への配属となるが、出社することなく召集となり10月に小倉歩兵連隊に入隊。
福永 武彦(ふくなが たけひこ、1918年(大正7年)3月1… 福永 武彦(ふくなが たけひこ、1918年(大正7年)3月19日 - 1979年(昭和54年)8月13日)は、日本の小説家、詩人、フランス文学者。
三宅 春恵(みやけ はるえ、旧字体: 三宅 春惠、旧姓:豊田… 三宅 春恵(みやけ はるえ、旧字体: 三宅 春惠、旧姓:豊田、1918年〈大正7年〉3月13日 - 2005年〈平成17年〉12月9日)は、日本の声楽家(ソプラノ)・オペラ歌手・音楽教育者。二期会の創設者の一人。夫はピアニストでフェリス女学院短期大学教授兼学長の三宅洋一郎。 福岡市生まれ。父は英文学者・九州帝国大学教授の豊田実。1939年(昭和14年)東京音楽学校を卒業する。ヘルマン・ヴーハープフェニッヒに師事。 実質的なデビューは1939年(昭和14年)12月の新交響楽団(現: NHK交響楽団)定期演奏会のベートーヴェン『フィデリオ』マルツェリーネである。 戦時中の1945年(昭和20年)1月においても新交響楽団の演奏会に出演しているのが確認できる。
篠原 康次郎(しのはら こうじろう、1918年2月17日- … 篠原 康次郎(しのはら こうじろう、1918年2月17日- 2018年2月7日)は、日本の実業家。広島相互銀行頭取や広島総合銀行会長を務めた。藍綬褒章受章、オーストリア共和国有功大栄誉報賞受賞、広島経済大学名誉博士。 福岡県福岡市出身。福岡商業学校(現福岡市立福翔高等学校)、長崎高等商業学校を経て、1941年12月に旧制東京商科大学(現一橋大学)を卒業し、1942年1月日本銀行に入行。短期現役海軍主計科士官(12期)を志願。1944年9月、海軍経理学校に入学し1945年(昭和20年)に卒業。同年6月、海軍主計少尉に任官し、秋田県田沢湖付近の補給工場で終戦を迎える。 1945年福岡に復員し、1945年10月から1年間広島支店に配属。
永末 英一(ながすえ えいいち、 1918年1月2日 - 1… 永末 英一(ながすえ えいいち、 1918年1月2日 - 1994年7月10日)は、大日本帝国海軍の軍人(短期現役士官)。日本の政治家。民社党委員長、衆議院議員(通算10期)、社会主義インターナショナル副議長。
長岡 文雄(ながおか ふみお、1917年12月18日 - 2… 長岡 文雄(ながおか ふみお、1917年12月18日 - 2013年?)は、日本の教育者、教育学者。 福岡県八女市出身。書道の雅号 長岡 光邨(こうそん)。1937年福岡県小倉師範学校本科第一部卒。小倉師範附小に勤務時、24歳で文部省 師範学校中学校高等女学校教員検定試験「習字」に当時の最年少で合格した。書道家として東京の学校への就職を薦められたが、同時期に奈良女子高等師範学校附小からの招聘を受け、迷った末、教育者としての道を歩むことを決心する。1943年奈良女子高等師範学校附属小学校教諭となり、木下竹次の「学習法」を引き継ぎ、戦後は重松鷹泰と共に「奈良プラン」を樹立した。 長岡は、「教育は、ひとりひとりの子どもが、人間としての可能性をぎりぎりまで発現していくように手伝うことであり、個性的思考の深化を支援して、人間としての生き方を創造させることである。
山崎 剛太郎(やまさき こうたろう、1917年12月16日 … 山崎 剛太郎(やまさき こうたろう、1917年12月16日 - 2021年3月11日)は、日本の詩人、フランス文学の翻訳家。 福岡県福岡市生まれ。早稲田大学文学部仏文科卒。在学中加藤周一、福永武彦らの『マチネ・ポエティク』同人となり、卒業後外務省勤務を経て東宝東和に入社し、『大いなる幻影』など多数のフランス映画の字幕翻訳を行う。調布学園女子短期大学教授、早稲田大学講師を歴任した。1979年、フランス政府より芸術文化勲章シュヴァリエを受勲。1990年、フランス政府より芸術文化勲章オフィシエを受勲される。 2021年3月11日、肺炎のため東京都港区内の病院で死去。103歳没。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
森田 欽二(もりた きんじ、1917年12月11日 - 19… 森田 欽二(もりた きんじ、1917年12月11日 - 1979年4月13日)は、日本の政治家、教育者。自由民主党衆議院議員(1期)。 福岡県甘木市(現・朝倉市)出身。福岡県立朝倉中学校を経て福岡県福岡師範学校卒。甘木市立石小教諭、福岡県視学委員を務めた後、1947年(昭和22年)に福岡県議会議員となる。以来6期当選を重ね、1967年(昭和42年)から1969年(昭和44年)まで県議会議長に就いた。1972年(昭和47年)に県議を辞任し、第33回衆議院議員総選挙で福岡1区から自由民主党公認で立候補したが落選。次の1976年(昭和51年)第34回衆議院議員総選挙で初当選する。衆議院では農林水産委員を務め農林行政に対する高い見識と実行力で注目された。
緒方 研二(おがた けんじ、1917年 <大正6年> 11月… 緒方 研二(おがた けんじ、1917年 <大正6年> 11月21日 - 2009年 <平成21年> 10月31日) は、日本の技術者。日本電気 (NEC)副社長や、NECエンジニアリング社長、テレビジョン学会会長、電子通信学会会長などを歴任した。従四位、勲二等瑞宝章受章。父は緒方竹虎元副総理。岳父に名和武。 福岡県福岡市出身。東京府立第四中学校、第一高等学校を経て、伊藤庸二の勧めで、1941年東北帝国大学工学部電気工学科を卒業した。在学中大日本帝国海軍委託生となり、1942年海軍技術士官に任官して、横須賀海軍工廠に配属され、横須賀砲術学校に入校した。 タラワ島や、マキン島でレーダーサイトの整備にあたったのち、海軍技術研究所に転属する。
白水 隆(しろうず たかし、1917年9月14日 - 200… 白水 隆(しろうず たかし、1917年9月14日 - 2004年4月2日)は、日本の昆虫学者。九州大学名誉教授。専門はチョウ類の分類学、生物地理学。日本および東アジアのチョウ類研究を牽引した基礎生物学者の一人である。 1917年9月14日、福岡県福岡市生まれ。1938年旧制宮崎高等農林学校(宮崎大学農学部の前身)卒業、1941年九州帝国大学農学部卒業。1942年2月九州帝国大学農学部副手、同年6月助手。1944年召集令状を受け鹿児島県の志布志に配属されるも1年で除隊となり、研究室に戻った。九州大学教養部助教授を経て、1963年九州大学教授。1981年定年退官、同大学名誉教授。 日本および東アジアのチョウ類の研究で著名。
葉室 鐵夫(はむろ てつお、1917年(大正6年)9月7日 … 葉室 鐵夫(はむろ てつお、1917年(大正6年)9月7日 - 2005年(平成17年)10月30日)は、福岡県福岡市出身の日本の元競泳選手。日本競泳界黎明期の選手のひとりで、亡くなるまでは大阪府高石市に在住していた。
長谷川 毬子(はせがわ まりこ、1917年(大正6年)8月8… 長谷川 毬子(はせがわ まりこ、1917年(大正6年)8月8日 - 2012年(平成24年)1月29日)は、日本の画家、イラストレーター、実業家。元姉妹社社長で、長谷川町子美術館では理事長、二代目館長を歴任。 漫画家の長谷川町子は実妹。町子のマネジメントや外部との折衝を一手に担い、町子の死後も『サザエさん』の版権管理に大きな影響力を持ち続けた。 佐賀県小城郡東多久村(現在の多久市東多久町)生まれ。その後福岡市に移り、筑紫女学園を卒業する。卒業後の1934年(昭和9年)、父の死に伴い、家族とともに福岡から東京へ移住。洋画家の藤島武二に弟子入り、川端画塾に通う。 家計を支えるために出版社へ挿絵を持ち込んでいたところ、その絵が菊池寛の目に留まったことで、婦人倶楽部に連載された小説「女性の戦い」(1938年(昭和13年)1月 - 1939年(昭和14年)5月連載)の挿絵を担当。