永田 満徳(ながた みつのり、1954年 - )は、日本の俳… 永田 満徳(ながた みつのり、1954年 - )は、日本の俳人。 熊本県人吉市出身。1987年、熊本大学教授・首藤基澄の勧めで俳句結社「未来図」年入会し、中村草田男門下の鍵和田秞子主宰に師事。同年、「火神」創刊に参加、首藤基澄主宰に師事。後に編集長を経て三代目主宰に就任。「火神」は写生を基本とし、自然・人生・社会の実相にアプローチする俳句を目指し、熊本という地方から日本の文化活動の発展に寄与する視点で発行されている。1995年、「未来図」新人賞を受賞し、翌年同人となる。2019年、「未来図」終刊、「秋麗」入会、同年同人。2003年より俳人協会熊本県支部事務局次長(2010年まで)、2015年、俳人協会熊本支部事務局長( - 2018まで)を務め、2019年に県支部長となり、熊本県俳句大会の運営や結社間の交流吟行句会の開催など、支部活動の活性化に尽力。
松木 薫(まつき かおる、1953年〈昭和28年〉6月13日… 松木 薫(まつき かおる、1953年〈昭和28年〉6月13日 - )は、北朝鮮による拉致被害者である日本人、日本国政府認定の拉致被害者。 松木薫は、1953年(昭和28年)6月13日、松木家の長男として福岡県八幡市(現、北九州市八幡東区)に生まれた。松木の両親は鹿児島県長島の出身で、戦後、台湾から引き揚げてきた。薫は女子が4人続いた後に初めて生まれた男の子であったので、たいへん可愛がられて育った。特に父親は薫が生まれて大喜びし、幼い薫を膝に乗せて魚の食べ方はじめ様々なことを教えた。また、朝早くから夜遅くまで働く両親を支えるため、8歳年上の長姉はよく薫を背負い、幼い妹たちの世話をし、朝は露天商をしていた母の仕事を助け、夕食のしたくをした。
島田 陽子(しまだ ようこ、1953年〈昭和28年〉5月17… 島田 陽子(しまだ ようこ、1953年〈昭和28年〉5月17日 - 2022年〈令和4年〉7月25日)は、日本の女優。一時芸名を島田楊子としていた。MIRAI PICTURES JAPAN業務提携。晩年は映画製作プロダクションエクシード株式会社を設立。 熊本県熊本市出身。駒沢学園女子高等学校卒業。 3歳からクラシックバレエを習い、高校まではバレリーナを目指していた。8歳の時に東京へ移住。中学1年生の時に劇団若草に入団。 テレビドラマのデビュー作は1970年度版の『おさな妻』第11話「貞操の危機」(東京12チャンネル=現・テレビ東京、1970年12月11日放送)。翌年、『続・氷点』では辻口陽子役を演じ、最終回の視聴率は42.7%に達した。
青木 まゆみ(あおき まゆみ、本名・西口まゆみ、1953年5… 青木 まゆみ(あおき まゆみ、本名・西口まゆみ、1953年5月1日 - )は、日本の競泳選手。オリンピック金メダリスト。現在は教師。熊本県山鹿市(旧菊鹿町)出身。
原 ゆたか(はら ゆたか、本名:原 裕。1953年〈昭和28… 原 ゆたか(はら ゆたか、本名:原 裕。1953年〈昭和28年〉4月28日 - )は、日本の児童文学作家、イラストレーター。熊本県出身。妻は絵本作家の原京子。 小学校時代は東京都北区赤羽台に住んだ。高校時代には兵庫県姫路市に住んでおり、よく姫路城の写真を撮っていた(兵庫県立鳴尾高等学校を卒業)。現在は東京都港区に在住している。 1973年、20歳でイラストレーターとしてデビュー。児童書の挿絵を手がけていたが、「絵を使ってページをめくる楽しさをもっと演出できるのでは」と思い、「レイアウトもすべてやらせて欲しい」と出版社に申し出たところ、「じゃあ描いてごらん」と言われたことからすべて自ら描くことになった。
米沢 嘉博(よねざわ よしひろ、1953年3月21日 - 2… 米沢 嘉博(よねざわ よしひろ、1953年3月21日 - 2006年10月1日)は、日本の漫画評論家、大衆文化評論家、編集者。 コミックマーケット準備会の第2代代表である。有限会社コミケット取締役社長、日本マンガ学会理事、手塚治虫文化賞選考委員、日本オタク大賞審査員なども務めた。「おたく四天王」の一人に挙げられる。愛称は米やん。名字について戸籍上は「米澤」表記であるが、普段は「米沢」表記を使っていた。 妻の英子(えいこ)はサークル「迷宮」以来の仲間。コミックマーケット準備会代表補佐として夫とともに運営に関わり、夫の死後は準備会副代表・有限会社コミケット社長に就任した。英子との間には1男2女の3人の子供がいる。
米澤 嘉博(よねざわ よしひろ、1953年3月21日 - 2… 米澤 嘉博(よねざわ よしひろ、1953年3月21日 - 2006年10月1日)は日本の漫画評論家、大衆文化評論家、編集者、コミックマーケット準備会の第2代代表である。有限会社コミケット取締役社長、日本マンガ学会理事、手塚治虫文化賞選考委員、日本オタク大賞審査員なども務めた。「おたく四天王」の一人に挙げられる。愛称は米やん。
馬城 文雄(まのしろ ふみお、1953年3月3日 - )は、… 馬城 文雄(まのしろ ふみお、1953年3月3日 - )は、日本の実業家。日本製紙株式会社代表取締役前社長。元日本製紙連合会会長。 熊本県出身。熊本県立八代高等学校を経て、1975年九州大学農学部卒業、十條製紙(現日本製紙)入社。2000年日本製紙石巻工場原材料部長。2001年原材料本部林材部長兼海外植林推進室長。2006年取締役原材料本部長代理兼林材部。2007年取締役八代工場長。2009年取締役原材料本部長。2010年常務取締役原材料本部長。2012年常務取締役企画本部長。2014年から代表取締役社長を務め、洋紙の需要減退への対応にあたった。2016年から2018年まで日本製紙連合会会長。2019年6月27日、取締役会長。
村下 孝蔵(むらした こうぞう、1953年〈昭和28年〉2月… 村下 孝蔵(むらした こうぞう、1953年〈昭和28年〉2月28日 - 1999年〈平成11年〉6月24日)は、日本のフォークシンガー、シンガーソングライター。『初恋』『踊り子』『ゆうこ』『陽だまり』など、恋愛をテーマとした数々のヒット曲がある。熊本県水俣市出身。 水俣市立水俣第一小学校、水俣市立水俣第一中学校、鎮西高等学校、日本デザイナー学院広島校インテリアデザイン科卒業。 1953年2月28日、熊本県水俣市浜町仲之町通りで、映画館(村下興業社)を営む夫婦の第3子として生まれる。家には幾つもの土蔵があり、親族7家族が住む大きな家だったという。代々、男子は独立して蔵を持てという理由で、祖父の名は改蔵、父は昭蔵、兄は修蔵だった。
福田 浩一(ふくだ こういち、1953年(昭和28年)1月2… 福田 浩一(ふくだ こういち、1953年(昭和28年)1月25日 - )は、日本の銀行家。山口フィナンシャルグループ取締役会長。山口銀行取締役会長。
小山 静子(こやま しずこ、1953年 - )は、日本の教育… 小山 静子(こやま しずこ、1953年 - )は、日本の教育学・女性史学者、京都大学教授。専門は日本教育史・ジェンダー史。 熊本市生まれ。京都大学文学部に入学したが、3回生の時に教育学部に転学部した。1976年京都大学教育学部卒。1982年、同大学院教育学研究科博士課程退学。1993年、「良妻賢母思想の成立と展開」で教育学博士。1990年、立命館大学助教授、のち1996年に教授。2000年、京都大学大学院人間・環境学研究科助教授、のち2004年に教授。
平嶋 孝(ひらしま たかし、1953年生まれ)は日本のランド… 平嶋 孝(ひらしま たかし、1953年生まれ)は日本のランドスケープアーキテクト。 (株)大揮環境計画事務所を主宰。 熊本市生まれ。B型.水瓶座。1975年東京農業大学農学部造園学科卒業。1975年 積水化学工業に入社し、緑化技術開発を担当。 1976年 神奈川県の茅ヶ崎市役所技術吏員に転職。1979年 公栄整備工業取締役。 1983年に熊本で大揮環境施設計画事務所を設立。同年うるおいのある街づくり作品特選入選。1985年 県民提案入賞(郷土景観)。1986年 県民提案入賞(高齢化社会)。 1995年 大揮環境計画事務所に組織変更。 熊本の造園コンサルタントの草分け的存在で、熊本県立大学総合管理学部及び九州測量専門学校で非常勤講師も務めている。
田中 芳樹(たなか よしき、1952年〈昭和27年〉10月2… 田中 芳樹(たなか よしき、1952年〈昭和27年〉10月22日 - )は、日本の小説家。本名:田中 美樹(たなか よしき)。らいとすたっふに所属。代表作は『銀河英雄伝説』『創竜伝』『アルスラーン戦記』の三長編など。スペースオペラからファンタジー、現代を舞台とした小説、南北朝時代以降から南宋付近までの中国を舞台とした小説を発表している。 日本SF作家クラブ会員だったが、2023年4月現在は、会員名簿に名前がない。 熊本県本渡市(現:天草市)出身。1歳のころ熊本市に移住。熊本市立黒髪小学校、熊本市立桜山中学校、熊本商科大学付属高等学校を経て、1976年3月に学習院大学文学部国文学科卒業。1980年3月に同大学大学院文学研究科国文学専攻修士課程修了。
恒松 正敏(つねまつ まさとし、1952年8月3日 - )は… 恒松 正敏(つねまつ まさとし、1952年8月3日 - )は、日本の音楽家、画家。1978年から1980年までフリクションのギタリストとして在籍。以降は、自身のバンドや画家としての活動に力を置いている。熊本県人吉市出身。 熊本県立人吉高等学校卒業後、東京芸術大学に入学。同大学院に在学中の1978年にツネマツマサトシ名義で、1stシングル「Do You Wanna Be My Dog・g・g!」をゴジラレコードより発表。 その後、フリクションにギタリストとして加入し、バンド初のフルアルバム「軋轢」の制作に携わる。1980年に脱退後は、自身がボーカル・ギターを務めるE・D・P・S、町田康+THE GLORYにギタリストとして参加する。
新美 敏(にいみ さとし、1952年8月2日 - )は、熊本… 新美 敏(にいみ さとし、1952年8月2日 - )は、熊本県宇土市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ。 PL学園高校では3年次の1970年、エース投手・5番打者として夏の甲子園に出場。田代克業(中大-本田技研)との二本柱で勝ち進み、決勝に進出するが東海大相模に敗れ準優勝に終わる。同年秋の岩手国体では、決勝で大分商の小川清一に投げ勝ち優勝。PL学園では同期の新井宏昌、1学年下の行澤久隆がチームメイトであった。 高校卒業後、1971年に日本楽器へ入社。1972年の都市対抗では池谷公二郎との二本柱で勝ち進む。決勝では三菱自動車川崎の池田善吾と投げ合い完封勝ち、初優勝を飾る。この大会では3回戦で三菱名古屋から大会史上3人目の毎回奪三振を記録するなど大きな注目を浴び、橋戸賞を受賞。
正木 ゆう子(まさき ゆうこ、1952年6月22日 - )は… 正木 ゆう子(まさき ゆうこ、1952年6月22日 - )は、日本の俳人。本姓・笠原。 熊本県熊本市生まれ。熊本県立熊本高等学校、お茶の水女子大学卒業。大学時代の1973年、兄正木浩一に誘われて「沖」入会、能村登四郎に師事。また福永耕二、坂巻純子に親しむ。大学卒業後は広告会社に務め、1977年結婚。1986年、第一句集『水晶体』を私家版で刊行。 1991年、兄浩一が癌により死去、翌年に一周忌を機に遺句集『正木浩一句集』を編集刊行。1994年、第二句集『悠 HARUKA』刊行。1996年、澁谷道に誘われ俳句と連句の同人誌「紫薇」参加。2000年俳論集『起きて、立って、服を着ること』で第14回俳人協会評論賞受賞。
柏原 純一(かしわばら じゅんいち、1952年6月15日 -… 柏原 純一(かしわばら じゅんいち、1952年6月15日 - )は、熊本県八代市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ、解説者・評論家・YouTuber。 実家はイグサ農家で、母親は代用教員をしていたという家庭だった。4人きょうだいの第3子(姉、兄、妹がいる)。高校から本格的に野球を始め、八代東高校では3年次の1970年、春の選抜にエースとして出場。1回戦で日大三高の渡部良克(日大)と投げ合うも0-2で完封負けを喫した。同年の夏の甲子園県予選では、準々決勝で熊本一工に延長15回の末、敗退した。 同年のドラフトで南海ホークスから8位指名を受け、外野手として入団。当時は中央球界ではまだ無名の存在で、地元のファンがたまたま訪れていた南海のスカウトに紹介したことがそのままプロ入りに繋がったという。
原 幸雄(はら ゆきお、1952年6月13日 - )は、日本… 原 幸雄(はら ゆきお、1952年6月13日 - )は、日本のマーチングバンド指導者、トロンボーン奏者。日本マーチングバンド協会理事、日本マーチングバンド指導者協会公認指導員・本部検定委員・九州支部副理事長。 現在の熊本県合志市に生まれる。 1971年(昭和46年)に熊本県立熊本工業高等学校工業化学科を卒業。ヤマハ吹奏楽団浜松でトロンボーン奏者として活動した。 日本マーチングバンド指導者協会の公認指導員の資格を取得後、母校の熊本工業高等学校での指導や複数のイベントでのマーチング演出を手がける。熊本工業高等学校では全日本マーチングコンテストで9回の金賞を獲得した。2001年、九州吹奏楽連盟より九州吹奏楽コンクール10回出場指揮者として表彰された。
金井 正幸(かない まさよし、1952年5月25日 - )は… 金井 正幸(かない まさよし、1952年5月25日 - )は、熊本県出身の元プロ野球選手(投手)。
緒方 浩一(おがた こういち、1952年5月14日 - )… 緒方 浩一(おがた こういち、1952年5月14日 - )は、元競輪選手。現在は競輪評論家。熊本県出身。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第30期生。現役時は日本競輪選手会熊本支部所属。師匠は大里清一。 九州学院高等学校を経て、競輪学校に第30期生として入学。同期には高橋健二、小池和博らがいた。 1972年10月8日、武雄競輪場でデビューし1着。特別競輪(現在のGI)の決勝戦に8回進出した実績を持ち、最高着順は、1982年のオールスター競輪(高松競輪場)及び競輪祭の3着である。 緒方といえば、中野浩一、井上茂徳を中心とする、俗称九州軍団の参謀役として有名である。九州軍団が「結成」された理由は、当時、関東、南関東地区を中心に、勢力を西日本にまで拡大させていたフラワーラインに対抗するためであった。
宮本 輝子(みやもと てるこ、女性、1952年5月3日 - … 宮本 輝子(みやもと てるこ、女性、1952年5月3日 - )は、元バスケットボール選手である。 熊本県小川町(現・宇城市)生まれ。河江小学校、益南中学校、松橋高校卒業。ユニチカ山崎に入社し、タイトル獲得。1974年から3年連続で日本リーグベスト5にも選ばれる。 また、全日本にも選ばれ、1975年世界選手権では準優勝メンバーとなる。モントリオールオリンピック(第5位)にも出場した。
江越哲也(えごし てつや 1951年12月19日- )は、熊… 江越哲也(えごし てつや 1951年12月19日- )は、熊本県を拠点に活動する日本のラジオDJ。 熊本市出身。熊本市立壺川小学校、熊本県立済々黌高等学校、熊本大学卒業。 高石ともやに影響を受け、高校時代からフォークバンドを結成して熊本県内で人気を得る。その当時から熊本放送(RKK)でラジオ番組のレギュラーを持ち、同局ディレクターの薦めもあり、1973年6月に開催されたオールナイトニッポン主催の第1回全国DJコンテストに応募し、優勝。当時ニッポン放送アナウンサーだった糸居五郎とともに、アメリカで行われたDJ会議へ日本代表として参加。帰国後は、熊本でラジオDJ、タレントとして活躍。1989年6月1日にはFM802の開局番組を担当し、以降、同局の週末早朝生ワイドを8年間にわたって務めた。
大地 康雄(だいち やすお、1951年11月25日 - )は… 大地 康雄(だいち やすお、1951年11月25日 - )は、日本の俳優。熊本県熊本市生まれ。所属事務所はパイプライン。本名、下地 常雄。 父親は沖縄県宮古島市伊良部(旧・宮古郡伊良部町)出身。母親は宮古島市城辺(旧・宮古郡城辺町)出身。 石垣教育区立石垣中学校、琉球政府立八重山商工高等学校で生徒会長。卒業後、集団就職で上京する。最初は葛飾区のスーパーで働いていたが、同じ沖縄組の同僚が俳優になる為にオーディションを受けると言った為、自分も一緒にオーディションを受けることにした。そのオーディションで大地は受かったのだが、「俳優になるなんて夢のまた夢」という思いがあった為、その時は本格的に俳優を目指そうとは思わなかった。
魚住 昭(うおずみ あきら、1951年10月25日 - )は… 魚住 昭(うおずみ あきら、1951年10月25日 - )は、日本のフリージャーナリスト。ノンフィクション作家。講談社ノンフィクション賞受賞。 熊本県八代郡鏡町(現・八代市)出身。熊本大学教育学部附属中学校から熊本県立熊本高等学校に入学。テニス部に入り、高校3年時に国体、インターハイに出場。夏のインターハイでシングルスベスト16に進出した。現役で一橋大学法学部に入学。大学では卒業論文を提出せずに1年間留年し、読書とパチンコをして日々を過ごした。高校時代の同級生に山室信一(元京都大学教授)、大学前期クラスでの同級生に鈴木和宏(検察官、元福岡高等検察庁検事長)や藤巻健史(為替トレーダー、参議院議員)などがいる。
大森 信和(おおもり のぶかず、1951年9月3日 - 20… 大森 信和(おおもり のぶかず、1951年9月3日 - 2004年7月5日)は、日本のギタリスト、音楽プロデューサー、音楽専門学校講師。熊本県人吉市出身。 <シングル・バス通りより> 甲斐バンド中最年長であり、意思決定のそれなりに大きい要素だった。甲斐よしひろはいつも「大森さん」とさん付けで呼んでいた。甲斐バンド時代、甲斐よしひろら他のメンバーが外出先で第三者と喧嘩をすると、よく仲裁に入っていた。愛用のギター、ギブソン・レスポールから奏でられる独特のチョーキングは「泣きのギター」として、甲斐バンド独自のサウンドの中核を担っていた。甲斐バンド時代、唯一リード・ヴォーカルをとった作品が「アップル・パイ」であり、アルバム「らいむらいと」に収録されている。
山室 信一(やまむろ しんいち、1951年(昭和26年)8月… 山室 信一(やまむろ しんいち、1951年(昭和26年)8月23日 - )は、日本の歴史学者・政治学者。専門は、近代日本政治史・近代法政思想連鎖史。京都大学名誉教授。「憲法9条京都の会」世話人。 1951年、熊本県熊本市で生まれた。1970年に熊本県立熊本高等学校を卒業し、東京大学法学部政治学科に進んだ。1975年に同大学を卒業。 1975年4月、衆議院法制局参事となった。1978年4月、東京大学社会科学研究所助手に採用された。1983年、東北大学文学部附属日本文化研究施設講師に転じた。1985年に助教授昇格。翌1986年に京都大学人文科学研究所助教授となった。 1998年5月、同教授に昇格。2003年、学位論文『思想課題としてのアジア:基軸・連鎖・投企』を京都大学に提出して法学博士号を取得。
迫丸 金次郎(さこまる きんじろう、1951年7月27日 -… 迫丸 金次郎(さこまる きんじろう、1951年7月27日 - )は、熊本県出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。1978年より登録名を迫丸 公勝(さこまる こうしょう)としている。 熊本第一工業高等学校では1969年夏の甲子園県予選準決勝で熊本工に敗退、中九州大会には進めなかった。 卒業後は愛知学院大学へ進学し 同大学野球部所属。愛知大学リーグでは、1年春のリーグ戦で新人賞に選ばれた。同郷同期のエース小林秀一を擁し、1973年春季リーグで優勝を飾る。同年の全日本大学野球選手権大会でも3本塁打の活躍で初めて決勝に進出するが、中大の田村政雄に抑えられ敗退、準優勝にとどまる。同年の第2回日米大学野球選手権大会日本代表にも小林とともに選出された。
吉村 和郎(よしむら かずお、1951年7月6日 - )は日… 吉村 和郎(よしむら かずお、1951年7月6日 - )は日本の柔道家(八段)。熊本県出身。現役時代の階級は71キログラム級。 熊本県熊本市に4人兄妹の末弟として生まれ、兄の影響や父親の勧めで小学校1年次時より柔道を始める。典型的なスパルタ教育をする父(ただし、柔道には素人であった)の元、体を大きくするために練習前にうどんやラーメンを食べさせられ、練習後にも必ず牛乳を3本飲ませられたほか、兄たちが強かった関係で、小学校高学年になると少年部のみならず一般部の稽古にも参加していたため、柔道家としての礎が築かれていった。 兄が通っていた柳川商業高校(現・柳川高校)に進学し、1年次にインターハイの県予選で準優勝、これを勇んで父に報告すると「そんな調子なら柔道をやめろ」と激怒されたため、この父親を見返すために高校時代は土日を含め毎日のように猛練習を積んだ。
上村 春樹(うえむら はるき、1951年<昭和26年>2月1… 上村 春樹(うえむら はるき、1951年<昭和26年>2月14日 - )は、日本の柔道家(講道館9段)。 1976年モントリオールオリンピックの柔道無差別級金メダリスト。引退後は全日本柔道連盟会長(2009年4月 - 2013年8月)、国際柔道連盟指名理事(2007年9月 - 2013年8月、2015年8月 - )、第5代講道館館長(2009年4月 - )等を歴任している。 熊本県下益城郡小川町(現・宇城市)出身。生来の肥満体を案じた両親に勧められ小学校5年生の時に柔道を始めた。6年生で出場した地域の小学生大会で優勝を果たしたが、上村は「周りの子が体重40kg前後なのに対し自分だけ70kgだったから優勝して当たり前」「翌日に学校の朝礼で表彰された時は嬉しいを通り越して恥ずかしかった」と述懐している。
江藤 隆(えとう たかし、1951年 - )は、日本の国土交… 江藤 隆(えとう たかし、1951年 - )は、日本の国土交通技官。千葉市下水道局長や、国土交通省下水道部長、公益財団法人日本下水道新技術機構理事長等を歴任した。 熊本県生まれ。熊本県立熊本高等学校を経て、1976年九州大学大学院工学研究科土木工学専攻修了、建設省入省。1982年建設省中部地方建設局建設専門官。1995年日本下水道事業団計画部計画課長代理。1987年石川県土木部参事兼下水道室長。1989年石川県土木部下水道課長。1990年建設省都市局下水道部下水道企画課長補佐。1992年日本下水道事業団技術開発研修本部技術開発部技術開発課長。1993年日本下水道事業団業務部援助課長。1994年日本下水道事業団工務部工務課長。
宮田 和保(みやた かずやす、1951年 - )は、日本の経… 宮田 和保(みやた かずやす、1951年 - )は、日本の経済学者。北海道教育大学名誉教授。専門は社会経済学(マルクス経済学)・言語論。 熊本県上益城郡益城町生まれ。北海道大学経済学部卒業。同大学大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。北海道大学で唐渡興宣のゼミに所属。北海道教育大学教育学部岩見沢校助教授、教授を経て、名誉教授。基礎経済科学研究所、経済理論学会に所属。
友枝 敏雄(ともえだ としお、1951年 - )は、日本の社… 友枝 敏雄(ともえだ としお、1951年 - )は、日本の社会学者、大阪大学人間科学研究科教授。
本田 英一(ほんだ えいいち、1950年12月22日 - )… 本田 英一(ほんだ えいいち、1950年12月22日 - )は、日本の実業家。コープこうべ理事長、日本生活協同組合連合会会長。 福岡県出身。熊本県立熊本高等学校を経て、1974年神戸大学法学部卒業、灘神戸生活協同組合(現コープこうべ)入職。1997年経営企画室長。2001年常任理事に昇格。2005年常務理事。2007年専務理事。2011年組合長理事。2011年兵庫県生活協同組合連合会会長理事。2015年日本生活協同組合連合会副会長。2017年から日本生活協同組合連合会代表理事会長を務め、第2次中期方針に則し、行政との連携などにあたった。
前田 亨(まえだ とおる、旧名:享。1950年12月16日 … 前田 亨(まえだ とおる、旧名:享。1950年12月16日 - )は、熊本県出身のプロ野球審判・元プロ野球選手。
夏 夕介(なつ ゆうすけ、1950年10月30日 - 201… 夏 夕介(なつ ゆうすけ、1950年10月30日 - 2010年1月27日)は、日本の俳優。本名、田浦 久幸(たうら ひさゆき)。
赤星 慶治(あかほし けいじ、1950年(昭和25年)9月2… 赤星 慶治(あかほし けいじ、1950年(昭和25年)9月23日 - )は、日本の海上自衛官。第29代海上幕僚長。熊本県出身。 哨戒機PS-1およびP-3Cのパイロット出身で、飛行時間は約4,000時間である。
有吉 京子(ありよし きょうこ、1950年9月14日 - )… 有吉 京子(ありよし きょうこ、1950年9月14日 - )は、日本の漫画家。熊本県熊本市出身。1971年、第9回マーガレットまんが研究生に入選した「仔ネコと少女」が『別冊マーガレット』夏の増刊号に掲載されデビュー。1976年に連載開始された『SWAN』はシリーズ累計で2千万部を超え、バレエマンガの金字塔として評価されている。 熊本県熊本市出身。2歳ずつ年の離れた三人姉妹の次女。1963年、九州女学院中学校に進学。中学2年から漫画の投稿を始め、編集者からは激励の手紙をもらう。1969年に九州女学院高等学校を卒業後は漫画家を目指すため上京することを決意、費用を稼ぐためにアルバイトを始め、姉の援助もあり19歳の秋に上京する。
梅山 秀幸(うめやま ひでゆき、1950年8月31日 - )… 梅山 秀幸(うめやま ひでゆき、1950年8月31日 - )は、日本の国文学・朝鮮文学者。桃山学院大学国際教養学部教授。 熊本県人吉市生まれ。1974年京都大学文学部国文科卒、同大学院博士後期課程満期退学。大阪城南女子短期大学講師、1986年岐阜経済大学助教授、教授、2002年桃山学院大学国際教養学部教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
八代 亜紀(やしろ あき、1950年〈昭和25年〉8月29日… 八代 亜紀(やしろ あき、1950年〈昭和25年〉8月29日 - 2023年〈令和5年〉12月30日)は、日本の演歌歌手、女優、タレント、画家。熊本県八代郡金剛村出身。 幼少の頃から父親の歌う浪曲を子守唄代わりに聴きながら育つ。この影響もあり歌が好きで、地元の歌唱コンクールに出場していた。 八代亜紀が小学5年生の時、たまたま父親が買ってきたジュリー・ロンドンのレコードを聴き、そのハスキーボイスに魅せられる。ハスキーボイスの持ち主だった八代は、その声に若干のコンプレックスがあったが、ジュリーの声質に勇気づけられ、クラブ歌手になることを意識するようになる。 八代市立第六中学校卒業後、九州産業交通にバスガイドとして就職する。
姜 尚中(カン サンジュン、朝鮮語:강 상중、英語:Kang… 姜 尚中(カン サンジュン、朝鮮語:강 상중、英語:Kang Sang-jung, 1950年〈昭和25年〉8月12日 - )は、在日韓国人の政治学者、思想家、エッセイスト。東京大学名誉教授・熊本県立劇場館長兼理事長。長崎県の学校法人鎮西学院学院長・理事。鎮西学院大学の初代学長。専門は政治学・政治思想史。特にアジア地域主義論・日本の帝国主義を対象としたポストコロニアル理論研究。所属事務所は三桂。 熊本県熊本市出身。在日韓国人二世。通名は永野 鉄男(ながの てつお)。姜尚中の日本式の音読みは「キョウ ショウチュウ」。メディアで論客として活躍。日本の偏狭なナショナリズムを否定し、韓国・朝鮮に対する歴史的な偏見を指摘する。
中嶋 憲正(なかしま けんせい、1950年(昭和25年)7月… 中嶋 憲正(なかしま けんせい、1950年(昭和25年)7月11日 - )は、日本の政治家。元熊本県山鹿市長(4期)。 熊本県鹿本郡稲田村(現・山鹿市鹿本町)生まれ。熊本県立鹿本高等学校卒業。 1988年4月、鹿本町議会議員に初当選。1996年、鹿本町長に初当選。 2005年1月15日、旧山鹿市、鹿本郡鹿央町・鹿北町・鹿本町・菊鹿町が新設合併し、新市制の山鹿市が誕生。これに伴い同年2月20日に行われた山鹿市長選挙に立候補し初当選した。 2021年の市長選には立候補しなかった。2022年、旭日中綬章受章。
矢村 正(やむら ただし、1950年7月5日 - 2024年… 矢村 正(やむら ただし、1950年7月5日 - 2024年10月3日)は、元競輪選手。現役時代は日本競輪選手会熊本支部に所属、ホームバンクは熊本競輪場。日本競輪学校(当時)第26期生。選手登録番号8208。 後述するが、中野浩一の師匠的な役割を果たした選手として有名だった。 デビューは1969年5月24日、26期生としてホームバンクである熊本競輪場で迎え1着。またこの開催では完全優勝も果たす。 現役時代、164cmという小柄な体格ながらも武器としていた鋭いダッシュ力を生かし、高松記念では4連覇を達成。特別競輪(現在でいうGI)においても、高松宮杯(1973年)、競輪祭競輪王戦(1978年)で決勝3着の実績があるほか、1983年の第26回オールスター競輪までは特別競輪に出場した。
村田 信一(むらた しんいち、1950年7月 - )は、日本… 村田 信一(むらた しんいち、1950年7月 - )は、日本の地方公務員。熊本県宇土市出身。熊本県副知事や、熊本県特別顧問、熊本空港ビルディング代表取締役社長等を歴任した。 1969年熊本県立済々黌高等学校卒業。1973年熊本大学法文学部卒業、熊本県入庁。秘書課長、商工観光労働部次長、環境生活部長等を経て、副知事を務めた。2016年5月に副知事を退任後、6月より熊本空港ビルディング代表取締役社長を経て、2016年に設立されたくまもとDMCの代表取締役社長に就任し、熊本地震の被害を受けた観光業の支援を行った。2020年瑞宝中綬章受章。同年熊本県信用保証協会会長。
清原 憲一(きよはら けんいち、1950年6月28日 - )… 清原 憲一(きよはら けんいち、1950年6月28日 - )は、元熊本放送(RKK)社員で、同局の元アナウンサー。通称「憲兄ィ」。 熊本県宇土郡三角町(現:宇城市)出身、熊本県立済々黌高等学校、高崎経済大学卒業。1974年RKKに入社。 2010年4月1日付けでアナウンサー職を離れ、報道制作局専任局次長兼RKK学苑長となる。 座右の銘は「一生初心」。
芹川 洋一(せりかわ よういち、1950年4月22日~ )は… 芹川 洋一(せりかわ よういち、1950年4月22日~ )は、日本の政治ジャーナリスト、日本経済新聞社客員編集委員、日本生産性本部上席フェロー、東海大学客員教授。 1950年4月22日、熊本県熊本市生まれ、熊本市立白川中学校卒業、69年熊本県立熊本高校卒業。1975年東京大学法学部政治コース、76年公法コース卒業、同大学新聞研究所修了。 76年日本経済新聞社に入社、静岡支局に配属。79年~2005年政治部所属、編集委員、次長、政治部長(01年~05年)。06年~08年大阪編集長などを経て、11年論説委員長、16年論説主幹、18年論説フェロー、24年客員編集委員。 BSテレ東番組『NIKKEI日曜サロン』キャスター(18年10月~24年3月) 19年度日本記者クラブ賞受賞[1] 1.2019年4月26日日経https://www.nikkei.com/article/DGXMZO44259300W9A420C1CR8000/ 2.日経BOOKプラス https://bookplus.nikkei.com/atcl/catalog/23/08/04/00940/ 3.NIKKEI 150th KEY PERSONS https://www.nikkei.co.jp/nikkeiinfo/about/ourhistory/key-persons/toshie-obama.html
福永 栄助(ふくなが えいすけ、1950年4月16日 - )… 福永 栄助(ふくなが えいすけ、1950年4月16日 - )は、熊本県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手、外野手。フジテレビアナウンサーの福永一茂は息子。
星子 誠一(ほしこ せいいち、1950年4月9日 - )は、… 星子 誠一(ほしこ せいいち、1950年4月9日 - )は、日本の編集者、実業家。元「Viva Rock」「SHOXX」「Création」「Zy.」創刊編集長。編集プロデューサー、クリエイティブ・ディレクター、イベントプロデューサーでもある。
蓑茂 寿太郎(みのも としたろう、1950年2月23日 - … 蓑茂 寿太郎(みのも としたろう、1950年2月23日 - )は、日本の造園学者、農学者、熊本県立大学理事長(初代)。農学博士。造園学・都市農村計画・環境計画・公園計画を専門としている。東京農業大学名誉教授、熊本県立大学名誉フェロ―、公園財団理事長、熊本市都市政策研究所所長、熊本県立大学客員教授。日本造園学会名誉会員、日本都市計画学会名誉会員 東京農業大学を卒業し、東京農業大学地域環境科学部教授、造園科学科長、大学院農学研究科造園学専攻主任教授、副学長、学校法人東京農業大学理事を歴任。その他に(社)日本造園学会会会長、(社)日本都市計画学会副会長、農村計画学会副会長を歴任。建設省都市計画中央審議会専門委員、国土交通省国家試験委員等を歴任。
折木 良一(おりき りょういち、1950年(昭和25年)2月… 折木 良一(おりき りょういち、1950年(昭和25年)2月10日 - )は、日本の元陸上自衛官。熊本県津奈木町出身。第31代陸上幕僚長、第3代統合幕僚長。1等陸佐までの職種は野戦特科。 熊本県立八代高校を経て、1972年(昭和47年)3月に防衛大学校(第16期)を卒業し、陸上自衛隊に入隊。第3特科群長、陸幕補任課長、同装備部長を経て、 2003年(平成15年)3月に陸将に昇任、第9師団長、陸幕副長、中部方面総監の要職を歴任し、2007年(平成19年)3月、第31代陸上幕僚長に就任。2009年(平成21年)3月には統合幕僚長に就任した。統合幕僚長就任直後に発生した北朝鮮による弾道ミサイル発射実験への対処、ソマリア沖の海賊対処及び自衛隊ハイチPKO派遣並びに自衛隊南スーダン派遣の実施計画の制定し、2011年(平成23年)3月に発生した東日本大震災では、3自衛隊10万人の統合任務部隊を編成、史上初の災害派遣態勢を確立して北澤俊美防衛大臣(当時)の指揮を補佐した。
上田 純一(うえだ じゅんいち、1950年 - )は、日本の… 上田 純一(うえだ じゅんいち、1950年 - )は、日本の日本史学者、京都府立大学特任教授。 熊本県熊本市生まれ。京都府立大学文学部卒業、九州大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学。1995年「九州中世禅宗史の研究」で九大文学博士。九州大学文学部助手、福岡市教育委員会(博物館準備室)などを経て、京都府立大学文学部歴史学科教授。2016年定年退任、特任教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。