荒木 俊馬(あらき としま、1897年〈明治30年〉3月20… 荒木 俊馬(あらき としま、1897年〈明治30年〉3月20日 - 1978年〈昭和53年〉7月10日)は、日本の天文学者、物理学者。専門は天体物理学、理論物理学、宇宙論。学位は、理学博士(京都大学・1929年)。京都大学名誉教授、京都産業大学初代総長。 1897年、荒木竹次郎・記寿の長男として熊本県鹿本郡来民町(後の鹿本町、現在の山鹿市)に生まれた。1903年、来民尋常小学校に入学。1906年、熊本市立碩臺尋常小学校に転校し、翌1907年に卒業した。1910年、熊本県立中学済々黌(現:熊本県立済々黌高等学校)に入学。1915年に済々黌を卒業し、広島高等師範学校理科一部に入学。1919年に同校を卒業。
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佐々 弘雄(さっさ ひろお、1897年〈明治30年〉1月23… 佐々 弘雄(さっさ ひろお、1897年〈明治30年〉1月23日 - 1948年〈昭和23年〉10月9日)は、日本の政治学者、ジャーナリスト、参議院議員。 1897年(明治30年)1月23日、衆議院議員佐々友房の三男として東京府東京市四谷区四谷箪笥町に生まれる。 東京府立第四中学校・第五高等学校を経て、東京帝国大学法学部政治学科に入学。吉野作造や美濃部達吉の薫陶を受け法学者・政治学者として将来を嘱望される。東京帝大では新人会に参加した。1920年(大正9年)卒業。 卒業後は直ちに東京帝国大学法学部副手・助手を経て、外務省欧米局の嘱託となり英仏独に2年間留学。特にドイツにおいては、ハイパーインフレの惨状やヴァイマル共和国の行き詰まり、そしてナチス勃興を目の当たりにし、反ヒトラー派となって帰国した。
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本田 正次(ほんだ まさじ、1897年1月20日 - 198… 本田 正次(ほんだ まさじ、1897年1月20日 - 1984年7月1日)は、日本の植物学者。東京大学名誉教授。昭和天皇の植物研究の相手も務め、伊豆や那須に同行した。熊本県熊本市出身。 1897年(明治30年)1月20日、熊本県熊本市に生まれた。熊本県立熊本中学校、第五高等学校を経て、1921年(大正10年)5月に東京帝国大学理学部植物学科を卒業し、同時に東京帝国大学助手に任じられた。 1931年(昭和6年)3月に博士(理学)の学位を授与され、1934年(昭和9年)4月に東京帝国大学助教授に就任した。1940年(昭和15年)7月には史蹟名勝天然紀念物調査会臨時委員となり、1942年(昭和17年)9月には史蹟名勝天然紀念物調査会委員となった。
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国崎 定洞(くにざき ていどう、1894年(明治27年)10… 国崎 定洞(くにざき ていどう、1894年(明治27年)10月5日 - 1937年(昭和12年)12月10日)は、日本の衛生学者・共産主義者・社会主義者。社会衛生学の創始者。ドイツで日本人の社会主義者グループを組織して、ドイツ共産党日本語部を結成した。しかしソビエト連邦移住後に大粛清により処刑された。 1894年に熊本県熊本市に生まれる。父の宗英は医師で、村医をしていた対馬で育った。13歳で単身、姉の嫁ぎ先である埼玉県川越町(現・川越市)の田中家に移り寄宿して川越高等小学校、川越中学校(現・埼玉県立川越高等学校)を卒業。さらに第一高等学校第3部(英語組)を卒業。一高では常に3番以内の成績だったという。
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鋳方 末彦(いかた すえひこ、1894年8月27日 - 19… 鋳方 末彦(いかた すえひこ、1894年8月27日 - 1976年9月10日)は、日本の植物病理学者。学位は、農学博士(九州大学・論文博士・1941年)。 熊本県下益城郡小野部田村(現・宇城市)生まれ。八代中学校(後の熊本県立八代中学校・高等学校の前身のひとつ)卒業。 1916年(大正5年)鹿児島高等農林学校卒業。農商務省福岡県農事試験場、岡山県農事試験場を経て農林省農事試験場技師に。「小麦条斑病に関する研究」で日本農学会賞を受賞。1941年(昭和16年)には、「柿の重要寄生性病害に関する病理並びに治病学的研究」で、九州大学より農学博士の学位を授与される。更に「いもち病防除に関する試験研究」で富民協会賞、「小麦縞萎縮病に関する研究」等で農林大臣賞受賞、など多くの賞に輝く。
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原田 敏明(はらだ としあき、1893年11月1日 - 19… 原田 敏明(はらだ としあき、1893年11月1日 - 1983年1月17日)は、日本の民俗学者、宗教学者。東海大学名誉教授。熊本県出身。 1893年、熊本県山本郡吉松村(現在の熊本市北区(鹿本郡植木町))に原田官太の二男として生れる。吉松尋常高等小学校、熊本県立鹿本中学校(現在の熊本県立鹿本高等学校)を卒業の後、1919年、神宮皇學館本科を卒業。東京帝國大學文学部宗教学宗教史学科選科に入学。姉崎正治の指導のもと、「ヘブライの宗教意識の発達」を研究テーマとする。1922年に選科、1927年に本科を卒業。東大在学中には宗教学研究調査を委嘱され、雑誌『宗教研究』の編集などにも携わっている。 青山学院、東洋大学、大谷大学、龍谷大学、九州帝國大學、日本大学、東京帝國大學、京都帝國大學、東京文理科大学、大正大学などに出講、また帝国学士院からの研究費補助、「本邦農耕儀礼の宗教民族学的研究」のテーマで有栖川宮記念奨学金を受けるなどして、研究生活に従事。
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田宮 貞亮(たみや さだすけ、1893年9月12日 - 没年… 田宮 貞亮(たみや さだすけ、1893年9月12日 - 没年不明)は、日本の医学者。 熊本県立玉名中学校(1911年卒業)を経て、岡山医学専門学校(現・岡山大学医学部)を卒業した。 1929年に東京帝国大学から医学博士号を取得した。 長く東京帝国大学伝染病研究所(現・東京大学医科学研究所)に務め、1933年には東京帝国大学医学部助教授となる。主にハンセン病の研究者であった。その後、熊本県の国立菊池療養所の所長に任命されたが3か月で辞任し、日本医科大学の教授となった。
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堀 潮(ほり うしお、1892年(明治25年)6月1日 - … 堀 潮(ほり うしお、1892年(明治25年)6月1日 - 1966年(昭和41年)4月18日)は、日本の思想史家。専門はイギリス政治思想、経済思想。一橋大学名誉教授。 熊本県玉名郡長洲町出身。熊本商業学校 (現・熊本県立熊本商業高等学校)在学中、のちに同僚となる村瀬玄に師事。1911年朝鮮銀行入行。1918年東京高等商業学校(現・一橋大学)本科卒業。外交官を志して、1920年に同校専攻部領事科専攻卒業。東京ではのちに尺八演奏家となった同郷の吉田晴風及びその母とともに、筑土八幡町の長屋の一隅を借りて生活した。 1920年堀光亀教授に請われ文部省在外研究員となるため、法政大学教授及び明治学院教授に就任。
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五十嵐 勇(いがらし いさむ、1892年(明治25年)1月1… 五十嵐 勇(いがらし いさむ、1892年(明治25年)1月18日 - 1986年(昭和61年)3月7日)は、日本の金属工学者。 1892年(明治25年)に熊本県に生まれる。1909年(明治42年)に熊本県立玉名中学校を卒業後、広島高等師範学校を経て、京都帝国大学理学部を卒業した。 住友金属工業伸銅所に勤務中の1938年(昭和13年)に航空機に使う超々ジュラルミンを開発した。戦後は1946年(昭和21年)から東北大学教授。その他、秋田大学や岩手大学の教授も務めた。退官後は熊本県熊本市に居住した。1986年(昭和61年)死去。
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影山 堯雄(かげやま ぎょうお、1886年8月10日 - 1… 影山 堯雄(かげやま ぎょうお、1886年8月10日 - 1983年5月22日)は、日蓮宗の僧、仏教史学者。 熊本県人吉市生まれ。1914年日蓮宗大学(現立正大学)卒、1926年日本大学法文学部宗教学科卒。日蓮宗宗学全書編纂委員。日蓮宗大学教授、立正大学教授、日蓮宗学研究所所長。1957年定年退任、名誉教授。1965年「江戸時代における法華教団の布教の研究」で立正大学文学博士。本地院日深上人。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
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松村 武雄(まつむら たけお、1883年(明治16年)8月2… 松村 武雄(まつむら たけお、1883年(明治16年)8月23日 - 1969年(昭和44年)9月25日)は、日本の神話学者。 1883年、熊本県生まれ。旧制熊本中学校、旧制第五高等学校を経て、東京帝国大学文科大学英文科に進学。英文科在学中から神話研究を志し、卒業論文も神話をテーマに選んだ。1910年、大学を卒業し、大学院へ進学。 1919年、東京帝国大学文学部の講師となり、ギリシア神話の講義を担当した。1921年、学位論文『古代希臘の文化に現れたる神々の宗教的葛藤の研究』を提出して、文学博士の学位を取得。1921年からは旧制浦和高等学校に英語教授として勤務。同年、國學院大學に招かれて神話学を講義。
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田尻 常雄(たじり つねお、1877年 - 1957年4月1… 田尻 常雄(たじり つねお、1877年 - 1957年4月18日)は、日本の商学者。大正から第二次世界大戦中まで、長崎高等商業学校校長、横浜高等商業学校校長を務め、戦後は東京経済大学理事長、学長などを歴任した、
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井上 匡四郎(いのうえ ただしろう、1876年〈明治9年〉4… 井上 匡四郎(いのうえ ただしろう、1876年〈明治9年〉4月30日 - 1959年〈昭和34年〉3月18日)は、明治後期から昭和前期の工学者、政治家。工学博士、貴族院子爵議員。 熊本県出身。熊本藩儒学者・岡松甕谷の四男として生まれ、井上毅の養嗣子となる。1895年(明治28年)4月5日、養父の死去に伴い子爵を襲爵。東京府尋常中学、第一高等学校を経て、1899年(明治32年)7月、東京帝国大学工科大学採鉱冶金学科を優等で卒業し銀時計を授与された。さらに大学院に進み、同時に工科大学講師に就任。1900年(明治33年)2月、東京帝大工科大学助教授に進んだ。1901年(明治34年)9月、採鉱冶金学研究のため留学し、ドイツ、アメリカで学んだ。
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宇野 哲人(うの てつと、明治8年(1875年)11月15日… 宇野 哲人(うの てつと、明治8年(1875年)11月15日 - 昭和49年(1974年)2月19日)は、日本の儒学者。近代的な中国哲学研究の開拓者の一人。東京大学名誉教授。 1875年、熊本県熊本市出身。熊本藩士・宇野丈九郎の四男。済々黌、東京帝国大学漢学科卒業。卒業時には成績優秀者として恩賜の銀時計を明治天皇から賜る。 1907年(明治40年)前後、東京帝大助教授として、清朝末期の中国大陸に留学。同世代の東洋史学者桑原隲蔵と共に旅行している。次いで帝政期のドイツ留学、知見を得た西洋哲学の手法で中国哲学を読み解き講義著述した。東京帝国大学文学部支那哲学講座教授を務めた。この頃、渋沢栄一に頼まれて孫の渋沢敬三の家庭教師として月に1回『論語』の講義をした。
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狩野 直喜(かの なおき、1868年2月11日(慶応4年1月… 狩野 直喜(かの なおき、1868年2月11日(慶応4年1月18日) - 1947年(昭和22年)12月13日)は、日本の中国学者。中国文学、中国哲学、敦煌学に業績を残す。京都帝国大学名誉教授。字は子温、号に君山、半農人がある。内藤湖南・桑原隲蔵と並ぶ京都学派東洋史学の創始者の一人。肥後国(現:熊本県)生まれ。 1868年(明治元年)狩野直恒の三男として熊本市京町に生まれる。竹馬の友に中国文学者の古城貞吉がいる。1879年(明治12年)、創設まもない同心学舎に入学し、明治17年に後身の済々黌を卒業。その後上京し、共立学校で英語・数学を学んだのち、大学予備門に入り1892年(明治25年)に卒業。東京帝国大学文科大学漢学科に入学。
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田尻 寅雄(たじり とらお、1866年4月6日 - 1947… 田尻 寅雄(たじり とらお、1866年4月6日 - 1947年)は、日本の医学者。 東京芝白金に北里柴三郎が設立した「土筆ケ岡養生園」で医師として勤務し、同時に「私立衛生会伝染病研究所」の助手として細菌学研究に従事した。 熊本初のハンセン病病院、回春病院初代院長として、ハンナ・リデルを助け病院の充実に努めた。 1866年(慶応2年)熊本県玉名市天水町立花に肥後国田尻氏の本流として生まれる。 代々医師の家系で父であり医師、田尻宗彦(そうげん1824ー1896)は村田家と同様熊本藩の産科医として有名であった。細川家の上級医師(御目見医師)で、田尻宗彦の元には、唐津藩の命により草場見節が産婦人科の修行に来ていた。
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徳富 蘇峰(とくとみ そほう、1863年3月14日(文久3年… 徳富 蘇峰(とくとみ そほう、1863年3月14日(文久3年1月25日) - 1957年(昭和32年)11月2日)は、明治から昭和にかけての日本のジャーナリスト、思想家、歴史家、評論家。『國民新聞』を主宰し、大著『近世日本国民史』を著したことで知られる。
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竹添 進一郎(たけぞえ しんいちろう、1842年4月25日〈… 竹添 進一郎(たけぞえ しんいちろう、1842年4月25日〈天保13年3月15日〉- 1917年〈大正6年〉3月31日)は、日本の外交官、漢学者。名は漸、字は光鴻(こうこう、みつあき)、号は井井(せいせい)と称した。甲申政変時の朝鮮弁理公使であり、後に漢学者として活躍した。日本学士院賞受賞。熊本県近代文化功労者。 肥後国天草(現・熊本県上天草市大矢野町)生まれ。父である小田順左衛門(竹添筍園)は、肥前国島原出身の医者(熊本藩医)で、天草大矢野島に移り住み、上八幡宮の宮司二上出雲の娘である美加と結婚した。順左衛門は儒学者広瀬淡窓門下十八傑の一人でもあり、進一郎が幼い頃より儒学を教えた。 1855年(安政2年)15歳の時、天草より熊本に出て儒学者木下韡村の門下生となった。
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徳富 一敬(とくとみ かずたか、いっけい、文政5年9月24… 徳富 一敬(とくとみ かずたか、いっけい、文政5年9月24日(1822年11月7日) - 大正3年(1914年)5月26日)は、幕末から明治にかけての日本の儒学者(朱子学者)、官僚、教育者。徳富蘇峰、徳富蘆花の父。淇水(きすい)と号した。 肥後国葦北郡水俣郷(後の熊本県水俣市)に、惣庄屋の長男として生まれ、幼児には万熊、後には太多助、太多七などと称した。一敬の父は辛島塩井の高弟で、津奈木手永惣庄屋の徳富美信。美信は鶴眠と号し、肥後を訪れた頼山陽に会っている。 一敬は1837年から、近藤英助の私塾で教えを受けつつ藩校時習館に学ぶが、1842年に父の死去により惣庄屋の務めのため帰郷した。1845年に横井小楠の門下となった。
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山部 俊文(やまべ としふみ)は、日本の法学者。専門は経済法… 山部 俊文(やまべ としふみ)は、日本の法学者。専門は経済法。学位は、法学修士(一橋大学)。明治大学法学部教授。一橋大学名誉教授。 熊本県八代市生まれ。北方町立北方小学校、岐阜県本巣郡北方町・岐阜市学校組合立北方中学校を経て、1975年岐阜県立岐阜高等学校卒業。1980年一橋大学法学部卒業、伊藤忠商事入社。1983年一橋大学大学院法学研究科修士課程修了、法学修士。1986年一橋大学大学院法学研究科博士後期課程単位修得、日本学術振興会特別研究員。1987年一橋大学大学院法学研究科博士後期課程退学。指導教官は久保欣哉。 1988年一橋大学法学部専任講師。1991年同助教授。1993年から1994年までミュンスター大学客員研究員。
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永井 由佳里(ながい ゆかり)は、日本の情報学者、哲学者。国… 永井 由佳里(ながい ゆかり)は、日本の情報学者、哲学者。国立大学法人北陸先端科学技術大学院大学理事・副学長、日本創造学会会長、日本学術会議会員。 熊本県立済々黌高等学校を経て、1986年武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン学科卒業。1990年武蔵野美術大学大学院造形学研究科デザイン専攻修士課程修了、造形学修士。1999年筑波技術短期大学デザイン学科講師。2002年千葉大学大学院自然科学研究科博士後期課程修了、博士(学術)。 2004年筑波技術短期大学デザイン学科助教授。同年北陸先端科学技術大学院大学助教授。2007年北陸先端科学技術大学院大学准教授。2009年シドニー工科大学Ph.D.。2011年北陸先端科学技術大学院大学教授。
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佐川 尚(さがわ たかし)は、日本の化学工学者。京都大学大学… 佐川 尚(さがわ たかし)は、日本の化学工学者。京都大学大学院エネルギー科学研究科教授。 熊本県立熊本高等学校卒業。1987年熊本大学工学部合成化学科卒業。1989年熊本大学大学院工学研究科修士課程合成化学専攻修了。1990年熊本大学工学部助手。1995年博士(工学)。2000年京都大学エネルギー理工学研究所助手。2003年インペリアル・カレッジ・ロンドン訪問研究員。2006年京都大学エネルギー理工学研究所准教授。2012年京都大学大学院エネルギー科学研究科教授。
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原村 嘉彦(はらむら よしひこ)は、日本の工学者である。専門… 原村 嘉彦(はらむら よしひこ)は、日本の工学者である。専門は熱工学。神奈川大学工学部機械工学科教授。スターリングエンジンの研究で知られる。日本伝熱学会会員
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生田 琢己(いくた たくみ)は、日本の医師、医学者。専門は精… 生田 琢己(いくた たくみ)は、日本の医師、医学者。専門は精神医学。熊本県出身。 熊本県立玉名高等学校、九州大学医学部卒業。九州大学大学院医学研究科修了。医学博士号を取得した。 1967年(昭和42年)九州大学医学部助手、1973年(昭和48年)講師を経て1974年(昭和49年)に徳島大学医学部教授となった。同11月16日に徳島大学精神科神経科に就任し、1998年(平成10年)3月31日に教授退官する。退官後は名誉教授に推された。
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井島 博之(いじま ひろゆき)は日本の大学教授。 現在は九州… 井島 博之(いじま ひろゆき)は日本の大学教授。 現在は九州大学大学院教授を勤めている。 専門はものづくり技術やライフサイエンスなど。 熊本県立玉名高等学校を経て九州大学大学院修了。九州大学から博士号も取得している。 日本再生医療学会代議員や日本動物細胞工学会評議員なども歴任した。 2014年には日本生物工学会の第22回論文賞も受賞した。
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入江 克雅(いりえ かつまさ)は、日本の理学者。構造生物化学… 入江 克雅(いりえ かつまさ)は、日本の理学者。構造生物化学者。熊本県出身。 熊本県立玉名高等学校、京都大学理学部卒業。京都大学大学院修了。 2012年より名古屋大学細胞生理学研究センター・基礎生物学研究部門特任教授、2014年より助教授。 2021年より和歌山県立医科大学薬学部・薬品物理化学研究室准教授を務めている。
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上野 文男(うえの ふみお)は、日本の制御工学者。 熊本県立… 上野 文男(うえの ふみお)は、日本の制御工学者。 熊本県立玉名高等学校を経て熊本大学工学部を卒業後、九州大学大学院を修了した。大学院終了後の1974年から熊本大学工学部に勤務し、講師、助教授、教授を歴任したのち工学部長に就任した。また、情報センター長や評議員も務めた。 熊本大学を退官後は熊本大学名誉教授となり、崇城大学の教授に転じた。崇城大学でも名誉教授となっている。 1994年から2001年まで、熊本電波工業高等専門学校校長を務めた。
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内野 明徳(うちの あきのり)は日本の大学教授、理学博士。 … 内野 明徳(うちの あきのり)は日本の大学教授、理学博士。 また、熊本大学教育研究センター長なども歴任した。 熊本県に生まれる。熊本県立玉名高等学校を経て熊本大学理学部卒業。九州大学大学院理学研究科修了。 北海道大学から理学博士号を授与された。その後、熊本大学理学部の教員となり、助教授から教授に昇任した。 1994年など3回に渡り、熊日出版文化賞を受賞。2004年には地域環境保全功労者環境大臣表彰を受賞。
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太田 善郎(おおた よしろう)は、日本の医師、医学者。熊本県… 太田 善郎(おおた よしろう)は、日本の医師、医学者。熊本県出身。 熊本県立玉名高等学校、九州大学医学部卒業。九州大学大学院修了(医学系・内科)。 九州大学医学部講師、愛媛大学医学部助教授、佐賀県立病院・内科医長などを経て佐賀県立病院の10代目院長(好生館館長)に就任した。 その後、国際医療福祉大学リハビリテーション学部長・教授などを歴任し、現在[いつ?]は藤井整形外科の介護老人保健施設の施設長を務めている。
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岡村 一郎(おかむら いちろう)は日本の医学者、寄生虫学者。… 岡村 一郎(おかむら いちろう)は日本の医学者、寄生虫学者。 熊本県立玉名中学校(1928年卒業)、第五高等学校を経て、熊本医科大学を卒業した。 1942年に熊本医科大学より医学博士号を取得した。 熊本医科大学助教授、熊本医科大学附属医専教授を歴任した。長崎に原子爆弾が投下された際には国の命令で派遣されている。戦後は熊本大学医学部教授となり、寄生虫学を専門とする。 日本学術会議議員なども務めた。熊本大学医学部教授を退官後は名誉教授となり、1980年から熊本女子大学(現。熊本県立大学)の学長を1986年まで務めた。学長在任中の1985年に大学を会場として日本英学史学会全国大会が開催された折「大会会長」となり、その縁で夏目漱石の熊本時代を題材にした文章を学会誌『英学史研究』に寄稿した。
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坂口 秀哉(さかぐち ひでや)は、日本の研究者、医学者(神経… 坂口 秀哉(さかぐち ひでや)は、日本の研究者、医学者(神経内科医)。 熊本県に生まれる。熊本県立玉名高等学校、熊本大学医学部、京都大学大学院医学研究科修了。 2008年より熊本大学医学部附属病院・研修医、2012年より理化学研究所・発生再生化学総合研究センター・リサーチアソシエイト、2016年より京都大学iPS細胞研究所特定研究員などを経て2020年より理化学研究所・上級研究員(研究リーダー)を務めている。
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櫻井 倫(さくらい りん)は日本の林学者、農学者、大学教員。… 櫻井 倫(さくらい りん)は日本の林学者、農学者、大学教員。 熊本県立玉名高等学校を経て1996年に東京大学農学部を卒業した。東京大学大学院農学生命科学研究科に進学・修了後,2007年に東京大学大学院農学生命科学研究科森林科学専攻の特任助手となった(同年に特任助教)。その後、2009年に助教となった 。 2015年からは宮崎大学農学部に移り、森林緑地環境科学科の准教授を務めている。 他の職歴として、森林利用学会の理事などを務めている。
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連川 貞弘(つれかわ さだひろ)は、日本の工学者。専門は材料… 連川 貞弘(つれかわ さだひろ)は、日本の工学者。専門は材料科学・工学。 熊本県立玉名高等学校をへて、1985年熊本大学工学部金属工学科卒業。1987年九州大学大学院総合理工学研究科 材料開発工学専攻 修士課程修了。 1990年より九州大学助手、1997年より東北大学助教授、2008年より熊本大学教授に就任。 2018年熊本大学工学部副工学部長、2020年に工学部長兼大学院自然科学教育部長に就任した。
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西丸 雄也(にしまる かつや)は、日本の医師(内科学専門)、… 西丸 雄也(にしまる かつや)は、日本の医師(内科学専門)、医学者。熊本県出身。 熊本県立玉名高等学校、九州大学医学部卒業。九州大学大学院医学研究科修了。医学博士号を取得した。 1965年九州大学医学部助手、1971年講師を経て、1973年に福岡大学医学部助教授となる。その後、教授となった。
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福島 重廣(ふくしま しげひろ)は日本の工学者。専門は計測工… 福島 重廣(ふくしま しげひろ)は日本の工学者。専門は計測工学や知能情報学。 熊本県立玉名高等学校を経て京都大学工学部を卒業後、同大学大学院工学研究科を修了した。1973年から運輸省電子航法研究所に技官として勤務した。 1974年から京都工芸繊維大学に移り助手や講師を歴任した。1989年からは九州工業大学に移り助教授となった。この間、1983年に京都大学より論文"Digital image analysis of a class of gastric radiograms"(胃X線充満像のディジタル画像解析)にて工学博士号を取得している。 2003年からは九州大学の教授を務めている。
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松永 信智(まつなが のぶとも)は日本の制御工学者。熊本大学… 松永 信智(まつなが のぶとも)は日本の制御工学者。熊本大学教授。 研究分野は機械力学やものづくり技術などである。 熊本県立玉名高等学校を経て熊本大学工学部を卒業した。熊本大学大学院工学研究科を修了後の1993年にオムロンに入社した。オムロンではメカトロニクス制御機器やプロセス制御機器の開発などに従事した。 その後、2003年から母校である熊本大学の助教授となった。2012年には教授に昇格した。
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本里 義明(もとざと よしあき)は、日本の工学者。熊本大学名… 本里 義明(もとざと よしあき)は、日本の工学者。熊本大学名誉教授。専門はイオン工学。 熊本県に生まれる[要出典]。 熊本県立玉名中学校(現・熊本県立玉名高等学校・附属中学校、1936年卒業)、旧制第五高等学校を経て、[要出典]1942年に京都帝国大学工学部を卒業した。 1944年に旧制熊本工業専門学校の教授に就任した。同校は学制改革により熊本大学工学部となる。本里も1953年に熊本大学教授に移った。1970年からは工学部長を務め、1985年に定年退官して名誉教授となった。この間、1951年に京都大学より工学博士号を取得している。 大学退職後は熊本市で技術コンサルタントを営んだ。
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山本 清人(やまもと きよひと、生没年不明)は、日本の医師、… 山本 清人(やまもと きよひと、生没年不明)は、日本の医師、医学者。 熊本県に生まれる。熊本県立玉名中学校(現・熊本県立玉名高等学校・附属中学校、1927年卒業)、旧制第五高等学校を経て、九州帝国大学医学部を卒業した。 卒業後は母校である九州帝国大学の研究員となる。他の教授や研究員が太平洋戦争に次々と応召されたため、1942年に講師の身分ながら外科部門の責任者となる。終戦後の1948年に、国立別府病院(現・国立病院機構別府医療センター)に移り、外科部長を経て、[要出典]院長に就任した。退職後は名誉院長に推された。
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吉永 萌(よしなが すげる)は日本の医学者、医師。 熊本県出… 吉永 萌(よしなが すげる)は日本の医学者、医師。 熊本県出身。熊本県立玉名中学校(1910年卒業)[要出典]、第五高等学校を経て、九州帝国大学医学部を大正6年に卒業した。 専門は内科学、公衆衛生学で、大学卒業後、直ちに九州帝国大学医学部第三内科教室に入局し、助手となった。 大正13年には九州帝国大学から医学博士号を受けている。 公衆衛生学の第一人者として、昭和の初期には欧米に出張し、欧米の工場衛生や医事衛生などを視察した[要出典]。 その際の、初見を昭和12年に「吾が輩の出張報告欧米の工場衛生と医事衛生」と題して出版し、今現在でもその本は、産業医学・環境衛生学分野の初期資料となっている[要出典]。
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渡辺 桂吉(わたなべ けいきち)は日本の医師、医学者。 熊本… 渡辺 桂吉(わたなべ けいきち)は日本の医師、医学者。 熊本県立旧制玉名中学校を経て日本医科大学を卒業した。日本医大卒業後は熊本県立病院[要検証 – ノート]の耳鼻科の医師となった。 また、1957年10月には熊本大学医学部から博士号が授与されている。 その後も長く熊本県立病院[要検証 – ノート]に勤務し、耳鼻科の科長などを歴任後の1983年に院長に就任した。 また、院長就任と同時に附属の看護学校(熊本医療センター附属看護学校)の校長に就任している。院長を退任後は名誉院長に推された。
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渡辺 公一郎(わたなべ こういちろう)は日本の理学者。九州大… 渡辺 公一郎(わたなべ こういちろう)は日本の理学者。九州大学名誉教授。 専門は自然科学、固体地球科学や防災工学である。 熊本県立玉名高等学校を経て九州大学理学部を卒業した。その後、九州大学大学院理学研究科を修了した。 大学院修了後の1985年から母校である九州大学の助手となった。1992年から助教授に、2002年から教授となった。 また、他の職歴として資源地質学会の評議員なども歴任した。
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