藤田 清太郎(ふじた せいたろう、1967年〈昭和42年〉1… 藤田 清太郎(ふじた せいたろう、1967年〈昭和42年〉10月5日 - )は、日本の郵政・総務官僚。 大分県大分市出身。大分県立大分上野丘高等学校を経て、1991年(平成3年)、早稲田大学政治経済学部を卒業。同年4月、郵政省に入省。入省後、郵政省・総務省のほか、岡山県高梁郵便局、岐阜県庁、衆議院法制局、独立行政法人情報通信研究機構パリ事務所、金融庁、内閣サイバーセキュリティセンターなどで勤務し、情報流通行政局地上放送課長、同局郵政行政部郵便課長、同局郵政行政部企画課長、総務省大臣官房会計課長などを歴任。岐阜県庁に出向した際には、知事公室情報政策課長を務め、岐阜県の情報化施策推進を担当した。 2021年(令和3年)7月1日、経済産業省大臣官房審議官(IT戦略担当)、商務情報政策局付に就任。
西田 安範(にしだ やすのり、1962年1月17日 - )は… 西田 安範(にしだ やすのり、1962年1月17日 - )は、日本の財務官僚。財務省大臣官房総合政策課長や理財局次長、主計局次長(末席)、防衛省整備計画局長、防衛審議官などを歴任した。 大分県大分市出身。1980年 大分県立大分雄城台高等学校卒業。1984年 東京大学法学部第2類(公法コース)卒業、大蔵省入省。銀行局総務課。銀行局特別金融課、主税局総務課総務第一係長、八幡税務署長、国税庁調査査察部査察課長補佐、青森県総務部財政課長、財務省大臣官房企画官兼主税局税制第二課、大臣官房総合政策課長などを務める。2012年8月1日 大臣官房参事官(大臣官房担当)。2013年2月8日 理財局次長兼大臣官房参事官(大臣官房担当)。
菅久 修一(すがひさ しゅういち、1960年8月14日 - … 菅久 修一(すがひさ しゅういち、1960年8月14日 - )は、日本の公取官僚。消費者庁審議官、公正取引委員会経済取引局長等を経て、公正取引委員会事務総長。退官後、ベーカー&マッケンジー法律事務所シニア・コンサルタント。 大分県大分市出身。大分県立大分上野丘高等学校を経て、1983年東京大学経済学部経済学科卒業、公正取引委員会事務局入局、官房総務課配属。1991年外務省在ベルリン日本国総領事館領事。公正取引委員会審査部管理企画課課長補佐、公正取引委員会官房総務課課長補佐等を経て、1997年公正取引委員会審査局管理企画課上席審査専門官。1998年中央省庁等改革推進本部事務局企画官。 2000年公正取引委員会経済取引局企業結合課上席企業結合調査官。
藤田耕三(ふじた こうぞう、1959年〈昭和34年〉10月3… 藤田耕三(ふじた こうぞう、1959年〈昭和34年〉10月3日 - )は、日本の運輸・国土交通官僚。国土交通事務次官を務めた。 大分県大分市生まれ。大分県立大分舞鶴高等学校を経て、1982年3月、東京大学法学部第2類(公法コース)を卒業。国家公務員採用上級甲種試験(法律)に合格し、1982年4月に運輸省へ入省。 2013年8月1日から大臣官房総括審議官、2014年7月8日から鉄道局長、2016年6月21日から総合政策局長、2017年7月7日から大臣官房長を務めた。 2018年7月31日、国土交通審議官に就任(担務は交通関係施策の総括整理)。 2019年7月9日から国土交通事務次官を務め、2020年7月21日、退官。
佐藤 樹一郎(さとう きいちろう、1957年〈昭和32年〉1… 佐藤 樹一郎(さとう きいちろう、1957年〈昭和32年〉11月28日 - )は、日本の政治家、経産官僚。大分県知事(公選第20代)。無所属。大分県大分市長(公選第5代)を務めた。 大分県大分市生まれ。大分市立稙田小学校、大分市立稙田中学校、大分県立大分雄城台高等学校、東京大学経済学部卒業。 1980年、通商産業省入省。本省勤務の他、1995年から3年間、在サンフランシスコ日本国総領事館領事。2007年より独立行政法人経済産業研究所副所長、2009年より中小企業庁次長、2010年より独立行政法人日本貿易振興機構(ジェトロ)ニューヨーク事務所長。2012年に退官し、JSR株式会社入社。2014年、同社退職。
椋野 美智子(むくの みちこ、1956年3月25日 - )は… 椋野 美智子(むくの みちこ、1956年3月25日 - )は、日本の政治家、元厚生官僚。大分県日田市長(1期)。元大分大学福祉科学研究センター教授。専門は社会保障、福祉政策、少子化対策。1998年、第2次橋本龍太郎内閣において日本政府として初めて少子化をテーマとした平成10年版厚生白書「少子社会を考える-子どもを産み育てることに『夢』を持てる社会を」を小泉純一郎厚生大臣の下、責任執筆した官僚として知られている。 大分県日田市生まれ。1978年、東京大学法学部卒業。厚生省(現・厚生労働省)に入省。在フランス社会保障制度調査員、浦和市福祉部長、内閣府高齢社会対策参事官、厚生労働省社会・援護局総務課長など政府の保健医療福祉を所管する課を歴任。
瀧口 敬二(たきぐち けいじ、1955年〈昭和30年〉7月1… 瀧口 敬二(たきぐち けいじ、1955年〈昭和30年〉7月17日 - )は、日本の運輸・国土交通官僚。 大分県国東市出身。大分県立大分上野丘高校を経て、1979年3月東京大学法学部を卒業。 1979年4月運輸省入省、2007年7月10日国土交通省航空局管制保安部長、2008年7月4日大臣官房審議官(総合政策局・航空局)、2010年8月10日総合政策局次長。 2012年9月11日国土交通省鉄道局長に就任。JR北海道がレール検査データを改ざんするなどしていた問題で、2014年1月24日、野島誠社長に対してJR会社法に基づく監督命令と鉄道事業法による事業改善命令の命令書を手渡し、「再生に向けて全社一丸で着実に実行してほしい」と述べた。
関 荘一郎(せき そういちろう、1955年 - )は、日本の… 関 荘一郎(せき そういちろう、1955年 - )は、日本の環境官僚。勲等は瑞宝重光章。地球環境審議官や、環境事務次官を経て、公益財団法人日本産業廃棄物処理振興センター理事長。 大分県別府市出身。大分県立別府鶴見丘高等学校を経て。1978年東京大学工学部卒業、環境庁入庁。1986年タイ政府環境庁環境アドバイザー。1989年横浜市環境保全局出向。1997年環境庁地球環境部調整官。1998年世界銀行アジア太平洋局環境社会開発部門上級環境技術専門官。2001年環境省環境管理局ダイオキシン対策室長。2003年環境省環境管理局大気環境課長。2005年環境省廃棄物・リサイクル対策部産業廃棄物課長。2006年環境省廃棄物・リサイクル対策部廃棄物対策課長。
末綱 隆(すえつな たかし、1949年3月 - )は、日本の… 末綱 隆(すえつな たかし、1949年3月 - )は、日本の警察官僚。警視庁副総監、東宮侍従長などを歴任した。大分県別府市出身。BS-TBS番組審議会委員。
新貝 正勝(しんがい まさかつ、1944年2月4日 - )は… 新貝 正勝(しんがい まさかつ、1944年2月4日 - )は、日本の元政治家、官僚。元大分県中津市長。元・防衛研究所長。
広瀬 勝貞(ひろせ かつさだ、1942年6月25日 - )は… 広瀬 勝貞(ひろせ かつさだ、1942年6月25日 - )は、日本の通産・経産官僚、政治家。大分県知事(民選第15・16・17・18代)。
板井 康明 (いたい やすあき、1941年(昭和16年)2月… 板井 康明 (いたい やすあき、1941年(昭和16年)2月12日 - )は、日本の農林水産官僚。農林水産省東海農政局長を務めた。 大分県津久見市出身。大分県立津久見高等学校を卒業。 1963年4月に農林省に入省し、1993年7月に東海農政局長に就任した。1995年1月に退官。 退官後は2004年に家畜改良事業団理事長、2005年7月に中央畜産会専務理事といった役職に就いている。
安部 彪(あべ たけし、1938年〈昭和13年〉1月20日 … 安部 彪(あべ たけし、1938年〈昭和13年〉1月20日 - 2025年〈令和7年〉2月1日)は日本の会計検査官僚。位階勲等は従三位瑞宝重光章。会計検査院事務総局次長、会計検査院事務総長、国民生活金融公庫副総裁(初代)などを歴任。血液型はB型。妻がいる。 大分県出身(母も大分県)。大分大学学芸学部附属中学校、大分県立大分上野丘高等学校、東京大学法学部卒業。1960年(昭和35年) 大蔵省に入省(銀行局金融制度調査官付)。1966年(昭和41年)7月 福知山税務署長。1982年(昭和57年)7月 会計検査院事務総長官房法規課長。1983年(昭和58年)6月 会計検査院事務総長官房総務課長。1984年(昭和59年)12月 会計検査院事務総局第三局審議官。
阿南 一成(あなん いっせい、1937年〈昭和12年〉7月1… 阿南 一成(あなん いっせい、1937年〈昭和12年〉7月18日 - )は、日本の官僚、政治家、実業家。 大分県竹田市出身。かつて中国管区警察局長や参議院議員、清和大学法学部教授。ZENTA株式会社保安顧問、 アルゼ株式会社(現ユニバーサルエンターテインメント)代表取締役社長などを歴任した。 2019年まで全国道路標識・標示業協会顧問。
鈴木 一郎(すずき いちろう、1934年6月23日 - 20… 鈴木 一郎(すずき いちろう、1934年6月23日 - 2013年3月10日)は、日本の政治家、農林官僚。大分県中津市長(4期16年間)。 大分県中津市出身の医師、鈴木圭吉の長男。圭吉は京都帝国大学卒業後、1939年に杵築市で医院開業。一郎は杵築市で育つ。杵築小学校、杵築中学校から東京都立日比谷高等学校に入学。東京大学法学部を卒業後、1957年農林省入省。水産庁参事官、通産省貿易局農水産課長、構造改善局課長、九州農政局次長、東京営林局長、東北農政局長などを歴任。1987年、中津市長に当選。2003年まで4期16年間、財政再建、教育文化施設の整備、中津港の拡充、ダイハツの誘致などに努めた。ダイハツ九州は中津を本社とし、工場は2004年に操業を開始して雇用を生み出している。
古田 徳昌(ふるた のりまさ、1928年3月27日 - 20… 古田 徳昌(ふるた のりまさ、1928年3月27日 - 2019年9月9日)は、日本の通商産業官僚。通商産業省貿易局長を最後に退官後、電源開発理事等を経て、マツダ第7代社長に就任。 大分県宇佐市出身。実兄は珉珉創業者であり日本画家の古田安夫。中津商業学校(現大分県立中津東高等学校)、大分経済専門学校(現大分大学経済学部)を経て、東京大学経済学部卒業。 1952年(昭和27年)、通商産業省入省。同期には杉山和男(通産省事務次官)、並木信義(名古屋市大教授)、小松国男(通産審議官)、小島英敏(経企次官)、谷村昭一(経企次官、日商専務理事)、服部典徳(工業技術院総務部長)、倉部行雄(防衛庁装備局長)、平林勉(官房審議官)などがいる。
秋吉 良雄(あきよし よしお、1926年(大正15年)2月8… 秋吉 良雄(あきよし よしお、1926年(大正15年)2月8日 - 没年不詳)は、日本の大蔵官僚。北海道開発事務次官、武富士社長、同副会長などを務めた。 大分県別府市出身。1947年9月:東京帝国大学法学部政治学科卒業。1947年10月:復興金融公庫経理部書記。1947年12月:高等試験行政科を合格。 1947年12月:大蔵省入省。管理局属。1949年6月:管財局外国財産課。1949年6月:門司税関監視部付。 1949年12月:門司税関長官房付。1950年5月:八戸税務署長。1952年3月:仙台国税局総務部総務課長。 1953年7月:主計局主計官補佐。1953年9月:主計局主計官補佐(農林係)。
平松 守彦(ひらまつ もりひこ、1924年〈大正13年〉3月… 平松 守彦(ひらまつ もりひこ、1924年〈大正13年〉3月12日 - 2016年〈平成28年〉8月21日)は、日本の通産官僚、大分県知事。 「一村一品運動」の提唱者として有名である。その他、関西大学政策創造学部客員教授や立命館アジア太平洋大学 アドバイサリー・コミッティ名誉委員などを務めた。座右の銘は「継続は力なり」。マグサイサイ賞受賞者。 大分市出身。大分中学、第五高等学校を卒業。短期現役海軍主計科士官(12期)を志願。1944年(昭和19年)9月、海軍経理学校に入学し1945年に卒業。同年6月、海軍主計少尉に任官して終戦を迎え、その後、解員(復員)した。 1949年(昭和24年)3月、東京大学法学部を卒業後、1949年(昭和24年)旧商工省(後の通商産業省、現・経済産業省)に入省。
渡辺 美恵(わたなべ みえ、1917年〈大正6年〉5月23日… 渡辺 美恵(わたなべ みえ、1917年〈大正6年〉5月23日 - 没年不詳)は、日本の厚生官僚。日本の女性行政官第一号。 大分県大分郡谷村筒口(現・大分県由布市狭間町筒口)に生まれる。幼くして父を亡くしたため、母一人、姉一人の家庭であった。大分県立第一高等女学校(現・大分県立大分上野丘高等学校)を経て、明治大学専門部女子部(のち明治大学短期大学)法科に入り、1938年(昭和13年)卒業。明治大学専門部女子部では成績が優秀で卒業生総代として答辞を述べている。同年同大学法学部に入る。1941年(昭和16年)卒業。同郷の金光庸夫の世話で厚生省労働局に雇(やとい)として入り、労働局労務官室に配属される。
安藤 狂四郎(あんどう きょうしろう、1893年〈明治26年… 安藤 狂四郎(あんどう きょうしろう、1893年〈明治26年〉3月8日 - 1982年〈昭和57年〉2月14日)は、日本の内務官僚。官選府県知事。 大分県大分郡松岡村出身。地主・安藤勝市の四男として生まれる。大分中学、第五高等学校を経て、1918年7月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。同年10月、高等試験行政科試験に合格。同年11月、内務省に入り、新潟県属として内務部学務課に配属された。 1919年4月、新潟県警部・警察部警務課長に就任。以後、内務省衛生局保険課勤務、鹿児島県出水郡長、栃木県内務部農商課長、同庶務課長兼地方課長、東京府内務部庶務課長、岩手県書記官・警察部長、内務書記官・警保局高等課長、東京府書記官・学務部長、静岡県書記官・内務部長、東京府書記官・内務部長などを歴任。
佐藤 徳重(さとう とくしげ、1884年(明治17年)3月2… 佐藤 徳重(さとう とくしげ、1884年(明治17年)3月20日 - 没年不明)は、大正から昭和時代前期の朝鮮総督府官僚。群山府尹。平壌府尹。 佐藤健造の四男として、大分県大分郡、のちの南庄内村(庄内村、庄内町を経て現由布市)に生まれる。1903年(明治36年)陸軍士官候補生に合格し、歩兵第47連隊に入隊する。陸軍二等計手に進んだのち、1909年(明治42年)1月、陸軍判任文官試験に合格し、1911年(明治44年)5月、朝鮮総督府道書記に就任する。1919年(大正8年)4月、退官し東洋拓殖に入社。1921年(大正10年)4月、再び任官し、同年10月に忠清北道税務課長に就任した。 ついで平壌府内務課長、大邱府内務課長、統営郡守を経て、1931年(昭和6年)4月30日、群山府尹に就任した。
後藤 文夫(ごとう ふみお、1884年(明治17年)3月7日… 後藤 文夫(ごとう ふみお、1884年(明治17年)3月7日 - 1980年(昭和55年)5月13日)は大正・昭和の官僚・政治家。「天皇陛下の警察官」を自称し、新官僚の代表と見られた。戦後、日本の原子力発電導入に尽力した。
久保 三郎(くぼ さぶろう、1879年(明治12年)11月2… 久保 三郎(くぼ さぶろう、1879年(明治12年)11月23日 - 1934年(昭和9年)9月4日)は、日本の内務官僚、政治家。元千葉市長。 大分県宇佐郡豊川村(現:宇佐市)で生まれた。大分県立中津尋常中学校(現大分県立中津南高等学校)を経て、1903年7月、早稲田大学法律科を卒業。内務省に入省し三重県属となる。以後警保局に勤務し、千葉県長生郡長、同海上郡長、同印旛郡長、同千葉郡長、同香取郡長などを歴任。1924年8月、第2代千葉市長に就任し、1928年8月まで在任した。
磯村 豊太郎(いそむら とよたろう、1868年12月20日(… 磯村 豊太郎(いそむら とよたろう、1868年12月20日(明治元年11月7日) - 1939年(昭和14年)10月26日)は、明治期の官僚、実業家、貴族院議員。 豊前国中津生まれ。慶應義塾卒業後、後藤新平の紹介で安岡雄吉らと共に1880年(明治13年)、逓信省入り。その後まもなく辞職して日本銀行に転じ、また転じて三井家に入る。益田孝と面会し三井物産に入社。北海道炭礦汽船に移り社長に就任。日本工業倶楽部四代目総裁を務めた。また、1929年(昭和4年)7月1日には貴族院議員に勅選され、研究会に所属して死去するまで在任した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
永松 為治郎(ながまつ ためじろう、1865年 (慶応元年)… 永松 為治郎(ながまつ ためじろう、1865年 (慶応元年) - 1939年 (昭和14年) )は、日本の実業家、官僚。 1865年、豊前国宇佐郡、のちの大分県宇佐郡駅館村に生まれる。 1886年、熊本県庁に奉職。1897年、大蔵省煙草専売局に入省。専売支局長に任じられた後、大蔵省本局勤務となる。その後退官し、実業界へ転ずる。 1907年、大日本共同運輸会社 (同社発起人に日比谷平左衛門、平沼専蔵、村井吉兵衛、福澤桃介) 専務取締役に就任。 1913年、ラサ島燐礦 (現ラサ工業) の創立とともに監査役に就任。また当時、精製糖におけるシェア第2位の名古屋製糖取締役、第5位の横濱製糖 (現DM三井製糖ホールディングス) 支配人も務めた。
中上川 彦次郎(なかみがわ ひこじろう、嘉永7年8月13日〈… 中上川 彦次郎(なかみがわ ひこじろう、嘉永7年8月13日〈1854年10月4日〉 - 1901年〈明治34年〉10月7日)は、明治時代の官吏、実業家、ジャーナリスト。三井財閥の工業化と三井銀行の不良債権処理を推進し、三井家の最高議決機関である「三井家同族会」を設置。「三井中興の祖」として高く評価されている。従五位。三井合名理事長。福澤諭吉の甥(母・婉が諭吉の姉)にあたる。三女はタレント・参議院議員の藤原あき。名字の読みは「なかかみがわ」とされたものもあるが、正しくは「なかみがわ」である。 現在の大分県中津市金谷森ノ丁に豊前中津藩士・中上川才蔵・婉夫妻の長男として生まれる。婉は福澤百助の娘で、諭吉の姉にあたる。
広瀬 貞文(ひろせ さだふみ、嘉永6年(1853年)9月 -… 広瀬 貞文(ひろせ さだふみ、嘉永6年(1853年)9月 - 大正3年(1914年)4月15日)は、明治・大正期の官吏、法学者、儒学者。衆議院議員(5期)、国民協会所属。号は、濠田(ごうでん)。 豊後国日田郡豆田町(現大分県日田市)に儒学者・広瀬青邨の長男として生まれる。 家塾の咸宜園で漢学を修め、朝吹英二が証人となり、明治8年(1875年)慶應義塾本科に入学し、明治11年(1878年)に本科を卒業した。在学中から碩学の士とうたわれ、刑法、治罪法などの法律学を研究。千葉県属から司法省属、大審院書記を経て内務省に入る。帰郷して、大分県教英中学校長、埼玉県尋常師範学校漢文科教授嘱託、台湾総督府事務嘱託等を歴任し、明治40年(1907年)に日田町長(四代目)に就任。
山崎 直胤(やまさき / やまざき なおたね、1852年7月… 山崎 直胤(やまさき / やまざき なおたね、1852年7月13日〈嘉永5年5月26日〉 - 1918年〈大正7年〉2月4日)は、明治期の官僚。内務省初代県治局長、山梨県知事(官選第6代)、三重県知事(官選第4代)、宮内省調度局長、錦鶏間祗候。旧名・賢吾。 豊前国下毛郡諫早村(現大分県中津市三光諫早)出身。山崎直高の長男として生まれる。明治3年6月(1870年)、新政府に出仕し民部省十四等出仕となる。新設の工部省に移り、明治4年9月(1871年)、造船中師に任官。 明治5年2月(1872年)、産業技術調査のためフランスへ出張。ウィーン万国博覧会事務官も務めた。1875年1月に帰国。1877年1月、太政官少書記官となり、さらに同大書記官を務める。
横田 国臣(よこた くにおみ、嘉永3年8月9日(1850年9… 横田 国臣(よこた くにおみ、嘉永3年8月9日(1850年9月14日) - 1923年(大正12年)2月24日)は、明治・大正時代の司法官僚、法律家。法学博士。司法次官、検事総長、大審院院長(現在の最高裁判所長官)等を歴任。法典調査会第三部長(刑法起草責任者)。和仏法律学校(現在の法政大学)校長。位階勲等は正二位勲一等。爵位は男爵。 肥前島原藩士・横田宗雄の長男として豊前国宇佐郡辻村(現在の大分県宇佐市)に生まれる。1865年、日田の咸宜園に入塾し、漢学などの各種学問を学ぶが、同期に清浦奎吾(後の内閣総理大臣)がおり親友となった。横田は清浦の力添えも得ながら出世していくことになる。 中津市学校を経て、1872年に上京し数え年23歳で慶應義塾(現在の慶應義塾大学)に入学し、1873年に清浦の斡旋で埼玉県の師範学校教諭となった。
山中 幸義(やまなか ゆきよし、1849年3月12日(嘉永2… 山中 幸義(やまなか ゆきよし、1849年3月12日(嘉永2年2月18日)- 1899年(明治32年)3月19日)は、明治期の内務官僚、政治家。貴族院多額納税者議員。幼名・麟趾、麟司。 豊前国宇佐郡、のちの大分県宇佐郡高家村(四日市町を経て現宇佐市)で山中柳平の四男として生まれ、従兄弟・山中幸左衛門の養子となる。 漢籍を鷺海量容、広瀬林外に師事した。1868年(明治元年)澤宣嘉九州鎮撫総督が長崎に着任後、それに従い戊辰戦争に従軍した。その後、慶應義塾で学んだ。 1873年(明治6年)6月、司法省十三等出仕となり、同年7月、権少解部に就任。1874年(明治7年)3月、内務省に転じ新治県少属となる。
長 冰(ちょう ひょう、弘化3年(1846年) – 明治16… 長 冰(ちょう ひょう、弘化3年(1846年) – 明治16年(1883年)11月26日)は、幕末から明治期にかけての勤皇の志士、官僚、漢詩人、画家。漢学者長三洲の弟。明治初期の学制起草に関与し、のち陸軍省御用掛を務めた人物である。諱は革。通称は綱吉・四郎・子金、号は士金・斉などを用いた。画家としては長古雪として知られる。 弘化3年(1846年)に長梅外の子として生まれる。安政3年(1856年)1月、兄・長三洲の紹介により、11歳で咸宜園に入学した。 慶應3年(1867年)には忠勇隊に属し、幕末動乱期の活動にも関与した。 明治維新後、兄・三洲とともに新政府の教育制度整備に深く関わり、明治5年(1872年)には学制起草委員の一人として『学制一覧』の編集を担当した。
野尻 邦基(のじり くにもと、1843年12月11日(天保1… 野尻 邦基(のじり くにもと、1843年12月11日(天保14年10月20日)– 1910年(明治43年)8月1日)は、幕末の岡藩士、明治期の官僚、政治家。衆議院議員。旧姓・首藤。幼名・長之助、半之允。 豊後国直入郡竹田町(大分県直入郡竹田町を経て現竹田市)で、岡藩士・野尻雙馬の長男として生まれる。藩校・由学館、経武館で学び、その後、長崎に遊学した。文武に通じ、廃藩置県後は岡県の少属、大属を歴任。その後、大分県庁に出仕し、中属、権大属、大属、兼任判事、大分県属、同警部、大分郡長、直入郡長を歴任した。その後、1886年(明治19年)大蔵省御用掛に転じ、主税官、佐賀県書記官、高知県書記官を務めた。 1901年(明治34年)7月、朝倉親為の死去に伴う第6回衆議院議員総選挙大分県第3区補欠選挙で当選し(首藤邦基名義)、1904年(明治37年)3月の第9回総選挙で大分県選挙区から出馬して再選され、衆議院議員を通算2期務めた。
秋月 新太郎(あきづき しんたろう、1841年9月13日(天… 秋月 新太郎(あきづき しんたろう、1841年9月13日(天保12年7月28日) - 1913年(大正2年)5月10日)は明治時代の日本の官僚、漢詩人。女子高等師範学校長、貴族院議員を務めた。号は天放。 豊後国佐伯藩(現在の大分県佐伯市)の藩儒秋月橘門の長男として生まれ、咸宜園で学んだ。1871年(明治4年)、兵部省(のち陸軍省)に出仕し、兵部大録に進んだ。西南戦争の際には征討軍団書記官として従軍し、さらに陸軍省総務局報告課長、参謀本部編纂課長、太政官少書記官、参事院議官、太政官権大書記官を歴任した。その後内務省で参事官、図書局長、大臣秘書官を歴任した。 1894年(明治27年)、女子高等師範学校校長に就任して1897年(明治30年)まで務め、文部省参事官も兼ねた。
中村 元雄(なかむら もとお、1839年10月15日(天保1… 中村 元雄(なかむら もとお、1839年10月15日(天保10年9月9日) - 1903年(明治36年)1月24日)は、日本の政治家、大蔵・内務官僚。群馬県知事、貴族院議員、錦鶏間祗候。幼名は豊作、別名は平太夫、少介。 豊後国日田出身。町年寄・中村善右衛門の子。咸宜園に入り広瀬淡窓に学んだ。明治元年(1868年)、日田県諸取調掛となり、同県大属、大分県権典事を歴任。1874年頃に大蔵省租税大属に転じ、租税寮七等出仕、大蔵省権少書記官、同権大書記官などを務めた。1886年、大蔵省主税局長に就任。 1891年4月、群馬県知事に就任。廃娼の方針を維持し、水利組合の設置や、養蚕糸業の振興に尽力した。1896年1月に知事を退任し、同年1月31日、貴族院勅選議員に任じられ死去するまで在任。
島 惟精(しま いせい、天保5年4月1日〈1834年5月9日… 島 惟精(しま いせい、天保5年4月1日〈1834年5月9日〉 - 1886年〈明治19年〉5月11日)は、幕末の府内藩士、明治期の内務官僚、政治家。初代岩手県令、元老院議官。通称は唯蔵。 豊後国大分郡千歳(現大分市)において延岡藩代官・阿南胖助の二男として生まれ、府内藩医・安東芳庵の養子となり、のち島姓を名乗った。佐藤龍之進に漢学を学び、広瀬淡窓、塩谷宕陰の塾に入る。さらに昌平黌で学ぶ。京都で志士と交わるなどして帰郷し、藩校遊焉館(大分市立荷揚町小学校の前身)の儒官となる。勤王論者として活動したため、幕府に捕えられ入獄した。その後、脱獄して藩政顧問となり、府内藩の藩論を勤皇に統一することに貢献した。
長 三洲(ちょう さんしゅう、天保4年9月23日(1833年… 長 三洲(ちょう さんしゅう、天保4年9月23日(1833年11月3日) - 明治28年(1895年)3月13日)は、豊後国生まれの勤皇の志士、官僚、漢学者、書家、漢詩人。諱は炗(ひかる)。幼名は富太郎、のち光太郎、太郎。字は世章。号は三洲(三州)のほか、蝶生、韻華、秋史、紅雪、楂客など。 勤皇の志士として倒幕運動に半生を捧げ、戊辰戦争を戦う。その後、山口藩の藩政改革に携わる。明治3年、上京し、太政官制度局の官僚となる。明治5年には文部官僚として、師の広瀬淡窓の咸宜園の学制を基礎に据え、日本の学制の礎を築いた。また、明治書家の第一人者で、近代学校制度の中に習字を位置づけた第一の功労者である。また漢学者、漢詩人としての名声高く、漢学の長三洲、洋学の福澤諭吉として明治前半期の教育界の双璧を成した。
奥 並継(おく なみつぐ、文政7年(1824年)12月 - … 奥 並継(おく なみつぐ、文政7年(1824年)12月 - 明治27年(1894年)2月26日)は、幕末・明治期の志士、国学者、書家、明治期日本の大蔵官僚である。字は子紹、菱池(菱池は宇佐神宮境内の池名)と号す。 豊前国宇佐村(現大分県宇佐市)の藤波氏に生まれ、宇佐神宮祠官漆島姓の奥氏の養嗣子になる。12歳で広瀬淡窓の門に入り、後に帆足万里に学んだ。 嘉永5年(1852年)、宇佐神宮官人代に任じられ、従五位下対馬守に叙せられた。安政2年(1855年)、江戸に出て平田篤胤の門に入り国学を修めた。 文久3年(1863年)、飄然して京都に出遊して憂国の志士と交わり、国事疾走の生活が始まる。丁度三条実美卿らの七卿落ちとなり、勤王攘夷党の蹉跌をみるや、憤慨し直ちに宇佐に帰り、豊前国、豊後国の志士らと語らい勤王倒幕の先鞭をつけんとしてならず、弟の時枝重明と共に日田の獄舎に投じられ、3年を経て即位の大赦により出獄した。
永松 健次(ながまつ けんじ)は、日本の国土交通官僚。国土交… 永松 健次(ながまつ けんじ)は、日本の国土交通官僚。国土交通省海事局次長等を経て、日本船員雇用促進センター理事長。 大分県宇佐市出身。東京都立国立高等学校を経て、1984年一橋大学経済学部卒業、運輸省入省。国家安全保障政策研究なども行い、1987年からイラン・イラク戦争下にペルシャ湾岸地域に駐在し船舶安全確保対策の取りまとめにあたった。1998年運輸省九州運輸局自動車部長。 経済企画庁物価局物価管理室長、内閣府国民生活局消費者企画課国際室長を経て、アメリカ同時多発テロ事件翌年の2002年から運輸政策研究機構国際問題研究所在ワシントン研究室次長を務め、アメリカ合衆国国土安全保障省とテロ対策の研究に従事。
吉良 裕臣 (きら ひろおみ)は、日本の総務官僚。総務省大臣… 吉良 裕臣 (きら ひろおみ)は、日本の総務官僚。総務省大臣官房長、総務省総合通信基盤局長等を経て、KDDI執行役員副社長。 大分県竹田市出身。大分県立大分上野丘高等学校を経て、1978年東京大学法学部卒業、郵政省入省。総務省郵政行政部長を経て、2010年総務省大臣官房長。2012年から総務省総合通信基盤局長を務め、モバイル接続料算定に係る研究会を立ち上げ、ドミナント規制見直しにあたった。2015年退官、東京海上日動火災保険顧問。2017年KDDI執行役員副社長リスクマネジメント本部担当。 2025年(令和7年)春の叙勲で瑞宝中綬章を受章した。
丸山 洋司(まるやま ようじ)は、日本の文部科学官僚。ノンキ… 丸山 洋司(まるやま ようじ)は、日本の文部科学官僚。ノンキャリア初の文部科学省局長として、文部科学省初等中等教育局長を務めたのち、ノンキャリア初の事務次官級として文部科学審議官に昇格。退官後、文部科学省参与を経て、公立学校共済組合理事長。 大分県出身。1981年に大分県立大分上野丘高等学校卒業後、大学受験浪人となり、同年 国家公務員採用初級試験(行政事務)合格。1982年 大分医科大学事務局入局。同総務部勤務を経て、上司の勧めで転任試験を受け、1988年 文部省配属。自治官僚出身の間島正秀の下で自治体経営を学びたいと考え、法政大学大学院公共政策研究科修士課程に入学し、2017年に修了。修士。 文部科学省大臣官房会計課地方財政室長、文部科学省初等中等教育局財政課教育財政室長等を経て、2016年 文部科学省初等中等教育局特別支援教育課長。
谷 謹一郎(たに きんいちろう)は、明治時代の大蔵官僚、実業… 谷 謹一郎(たに きんいちろう)は、明治時代の大蔵官僚、実業家。幕末に豊後佐伯藩に生まれ、維新後大蔵省に出仕、松方正義秘書を務めた後、民間に下り、日本生命保険取締役、日本勧業銀行理事、富士製紙常務取締役、川崎造船所常務取締役、東海生命社長等を務めた。 嘉永元年(1848年)8月23日、豊後佐伯藩士泥谷永祚の長男として生まれた。7歳で藩校四教堂に入学し、10歳で秋月橘門に句読を学んだ。明治2年(1869年)橘門に従い東京に上り、慶應義塾で英語を学んだ。上京後、泥谷(ひじや)姓を改め、谷姓を称した。 松方正義が九州を巡回した際に知遇を得、明治4年(1871年)内務省、大蔵省に出仕した。1875年(明治8年)大阪造幣局に勤務した後、1877年(明治10年)帰京し、大蔵大臣秘書官、総理大臣秘書官等を歴任した。