池ノ上 孝司(いけのうえ たかし、1955年9月29日 - … 池ノ上 孝司(いけのうえ たかし、1955年9月29日 - )は、鹿児島県出身のハンドボール選手、指導者。1984年ロサンゼルスオリンピックハンドボール全日本男子代表。幻の1980年モスクワオリンピック代表でもあった。 鹿児島県立加治木工業高等学校、日本体育大学出身。 卒業後、湧永製薬に入社。同社ハンドボール部に所属。 全日本では、1978年デンマークで行われた世界選手権代表、1980年のモスクワ五輪、1982年西ドイツで行われた世界選手権代表、1984年のロサンゼルス五輪代表に選ばれている。 また、引退後は指導者としても活躍。ソニーセミコンダクタ九州監督、女子学生代表コーチなどを務めた。
星岩涛 祐二(ほしいわと ゆうじ、1955年7月25日 - … 星岩涛 祐二(ほしいわと ゆうじ、1955年7月25日 - )は、鹿児島県揖宿郡開聞町出身で陸奥部屋(入門時は井筒部屋)に所属した元大相撲力士。本名は野口 祐二(のぐち ゆうじ)。現役時代の体格は身長182cm、体重138kg。得意手は左四つ、上手投げ、蹴手繰り。趣味は野球観戦。最高位は東前頭14枚目(1989年7月場所)。愛称は「イワトナルド」(後述)。 中学時代は野球部に所属。4番打者を務めるなど活躍し、高校も推薦入学を勧められていた。しかし、知人の紹介で井筒親方(元前頭2・鶴ヶ嶺)を紹介され、中学3年生の時に井筒部屋へ入門。1970年5月場所にて、14歳で初土俵を踏んだ。 小兵だったが着実に番付を上げ、入門2年目には後に師匠となる元・星甲(後述)が一時期名乗っていた「星兜」の四股名を貰い、早くから将来を嘱望された。
片野坂 真哉(かたのざか しんや、1955年〈昭和30年〉7… 片野坂 真哉(かたのざか しんや、1955年〈昭和30年〉7月4日 - )は、日本の実業家。ANAホールディングス株式会社代表取締役会長兼取締役会議長。日本経済団体連合会副会長・理事。 鹿児島県笠沙町出身。ラ・サール中学校・高等学校を経て、1979年(昭和54年)に東京大学法学部卒業。同年全日本空輸に入社。2015年(平成27年)4月、ANAホールディングス代表取締役社長に就任。 全日空のスターアライアンス加盟に社長室グループ経営推進部の主席部員として主導的な役割を担った。2017年(平成29年)には経済界大賞を受賞した。 2021年(令和3年)、フランス共和国レジオン・ドヌール勲章シュヴァリエを受章。
諏訪 剛(すわ たけし、1955年6月23日 -)は鹿児島県… 諏訪 剛(すわ たけし、1955年6月23日 -)は鹿児島県出身の日本の柔道家。現役時代は95kg級の選手。身長172cm。 柔道は小学校3年生の時に始めた。鹿児島実業高校2年の時に地元で開催された国体高校の部で優勝を飾った。明治大学時代は低迷していたが、京葉ガスに入社後頭角を現して、1978年の講道館杯86kg級で優勝を飾った。1979年の選抜体重別では2位だった。その後階級を95kg級に上げると、1981年の講道館杯で2位となった。1982年には嘉納杯で優勝を飾った。1983年には講道館杯で優勝した。選抜体重別では3位だったものの世界選手権代表に選ばれた。しかし、世界選手権では初戦で敗れた。
松山 澄寛(まつやま すみひろ、1955年(昭和30年)6月… 松山 澄寛(まつやま すみひろ、1955年(昭和30年)6月11日 - 2024年7月24日)は、日本の実業家。鹿児島銀行代表取締役頭取兼九州フィナンシャルグループ代表取締役会長。 鹿児島県鹿屋市出身。広島大学政治経済学部卒後に鹿児島銀行に入行。総合企画部長や市場金融部長、武町支店長などを経て、2005年に同行の取締役に就任する。2011年には代表取締役専務に、2011年には代表取締役副頭取に就任した。 2019年6月に鹿児島銀行頭取と九州フィナンシャルグループ代表取締役会長への就任した。 2024年6月に鹿児島銀行頭取と九州FG会長を退任し、鹿児島銀行相談役に退く。 2024年7月24日午後0時58分、間質性肺炎のため鹿児島市内の病院で死去。
花増 幸二(はなます こうじ、1955年5月29日 - )は… 花増 幸二(はなます こうじ、1955年5月29日 - )は、鹿児島県川内市(現:薩摩川内市)出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ。 鹿児島玉龍高校では1年次の1971年、夏の甲子園に吉重敏信(早大)の控え投手として出場。準々決勝で桐蔭学園に完封負けを喫し、自身の登板機会は無かった。3年次の1973年には夏の県大会で準決勝に進出するが、鹿児島商に敗退。 高校卒業後は1974年に鹿児島大学へ進学し、九州地区大学野球選手権大会では2年次の1975年に優勝。体育の教員免許を取得するも、4年次の1977年オフにドラフト外で日本ハムファイターズへ入団。国立大学出身選手ということで話題となるが、一軍登板が無いまま1980年限りで現役を引退。
大場 惑(おおば わく、1955年5月13日 - )は、日本… 大場 惑(おおば わく、1955年5月13日 - )は、日本の作家、SF作家。息子の是枝俊悟は大和総研研究員。 鹿児島県鹿児島市に生まれる。熊本マリスト学園高等学校、東京理科大学理工学部を卒業。 大学を卒業した1982年にナムコへ入社。開発部へ配属となり、プログラマーとしてアーケードゲームの開発に従事。同社には4年ほど勤める。ナムコ在籍中の1984年、中編『コンタクト・ゲーム』(同作はSFファンジン大賞・創作部門も受賞)によって徳間書店の『SFアドベンチャー』からデビューした。以後、1980年代は主に同誌へ、1990年代前半は主に『SFマガジン』へ短編小説を寄稿。また、ナムコ在籍中には同社が発行していた『NG』でショートSFを数編執筆しているほか、後年ナムコがスーパーファミコンで発売した『ミリティア』のノベライズを手がけている。
西田 聖志郎(にしだ せいしろう、1955年5月3日 - )… 西田 聖志郎(にしだ せいしろう、1955年5月3日 - )は、日本の俳優、プロデューサー、鹿児島弁指導者。鹿児島県出身。本名及び旧芸名は西田 静志郎(読みは同じ)。別に静志郎(せいしろう)名義で活動していた時期もある。 幕末から明治にかけて活躍した歌人であり国学者の薩摩藩士・八田知紀は高祖父にあたる。 1974年鹿児島県立甲南高校卒業後、日本大学芸術学部演劇学科入学。「オンシアター自由劇場付属演技研究所」を経て「勝アカデミー」にて勝新太郎に師事。1981年NHKドラマ人間模様「海峡」で俳優デビュー。故郷鹿児島の先輩俳優である草野大悟の紹介により六月劇場に所属する。 1984年東芝EMIにスカウトされ歌手 (静志郎名義) としてもメジャーデビューし、NHK新人歌手オーディションに合格。
小磯 善彦(こいそ よしひこ、1955年3月6日 - )は、… 小磯 善彦(こいそ よしひこ、1955年3月6日 - )は、日本の政治家。公明党所属の東京都議会議員。東京都議会副議長。
武上 純希(たけがみ じゅんき、1955年2月26日 - )… 武上 純希(たけがみ じゅんき、1955年2月26日 - )は、日本の脚本家・小説家。鹿児島県出身。 ラ・サール高等学校、日活芸術学院技術科卒業。主にテレビシリーズのアニメーションや特撮ヒーロー物の脚本、或いはシリーズ構成等を手掛けている。過去には、本名の山崎 昌三()や谷本 敬次()の筆名を用いた事もあり。 アニメーション製作会社葦プロダクションの社員として編集に携っていたが、1981年には初期の企画時から文芸スタッフも兼ねていた同社のTVシリーズ作品『戦国魔神ゴーショーグン』の第6話「光る眼の悪魔」にて、本名の山崎昌三名義で脚本家としてのデビューを果たすことになる。翌年の『魔法のプリンセス ミンキーモモ』においても本名、もしくは谷本敬次の名義で脚本を担当。
新屋 晃(しんや あきら、1955年2月1日 - )は、鹿児… 新屋 晃(しんや あきら、1955年2月1日 - )は、鹿児島県出身のプロ野球選手(内野手)、プロ野球審判員。 鹿児島県の照国高校(現在の鹿児島城西高校)では、1972年夏の甲子園県予選準決勝に進むが、鹿児島商工に敗退。同年のドラフト会議で日拓ホームフライヤーズに6位指名され入団。1977年には一軍に定着し、二塁手として12試合に先発出場。7月には一番打者としても起用される。しかし1978年には出場機会が減少し、同年限りで引退。 1979年にパシフィック・リーグ審判部に入局した。審判員同期に、セントラル・リーグ元審判員の鷲谷亘がいる。審判員袖番号は29(1979年採用~2004年退職まで。※29は1977年初採用から1978年引退まで吉田正男がつけていた番号だったが現在は空番。
田島 信行(たじま のぶゆき、1955年2月1日 - )は、… 田島 信行(たじま のぶゆき、1955年2月1日 - )は、京都府出身(鹿児島県姶良郡牧園町生まれ)の元騎手・現調教助手。 同姓の騎手・田島良保の実家が近所にあり、血縁関係は無いが、その活躍に触発されて騎手を志す。中学校在学中に京都に移り、京都・服部正利調教師の内弟子となる。 中学校卒業後は馬事公苑騎手養成長期課程に入所し、修了後の1973年に服部厩舎からデビュー。 1973年3月3日の阪神第5競走4歳200万下・ニホンピロスピードで初騎乗を果たすが、福永洋一のホリタエイカンにアタマ差2着で初騎乗初勝利はならなかった。同31日の阪神第1競走3歳未勝利・ニホンピローヒルで初勝利を挙げ、7月28日の小倉で1日3勝、9月29日・30日の阪神で初の2日連続勝利、11月24日の中京では1日2勝を記録。
青木 政美(あおき まさみ、1955年1月3日 - )は、鹿… 青木 政美(あおき まさみ、1955年1月3日 - )は、鹿児島県出身の元プロ野球選手(投手)。 出水市立出水商業高等学校では、高校1年生の時からエースとして活躍してきた。これといった特別の記録は残していないが、将来性のある本格派投手だった。 1970年のドラフト会議で西鉄ライオンズに6位指名され入団。 一軍公式戦出場のないまま、1973年限りで引退した。引退後は鹿児島市内で食堂、だいこんの花を経営している。
久木山 亮(くぎやま りょう、1955年1月3日 - )は、… 久木山 亮(くぎやま りょう、1955年1月3日 - )は、鹿児島県出身の元プロ野球選手(投手)。 川内実業高等学校では、1972年の夏の県予選、準々決勝で名門・鹿児島商工に0-2で惜敗。 ともに入団した中島弘美と並ぶ九州高校球界指折りのサウスポー。内角のストレートと落差の大きいカーブで、1972年の公式戦12試合に平均11個の三振を奪っていた。 1972年のドラフト会議で太平洋クラブライオンズから4位で指名され入団。一軍出場のないまま、1974年限りで自由契約となり引退した。
倉元 綾子(くらもと あやこ、1955年-)は、日本の家政学… 倉元 綾子(くらもと あやこ、1955年-)は、日本の家政学者・生活科学者。医学博士。西南学院大学教授を務めた。 鹿児島県出身で、1973年鹿児島県立甲南高等学校卒業、1977年奈良女子大学家政学部食物学科卒業、1980年同大学院家政学研究科食物学専攻修了(家政学修士取得)、1984年大阪市立大学大学院医学研究科生理系専攻生化学修了(医学博士取得)。生化学若い研究者の会(生化若手の会)で活動。1984年神戸女学院大学家政学部食物学科助手、1990年湊川女子短期大学助教授、1994年、鹿児島県立短期大学助教授(2007年より准教授)。2018年4月より西南学院大学人間科学部児童教育学科教授。2019年10月より日本家政学会代議員。
原 浩一郎(はら こういちろう、1955年(昭和30年) -… 原 浩一郎(はら こういちろう、1955年(昭和30年) - )は、日本の小説家。また詩人として近江詩人会に所属。「魂の文学」というキャッチフレーズにて自身の活動を広報している。投稿文芸誌文芸エム編集責任者。鹿児島県川内市生まれ。 立命館大学法学部(政治学専攻)卒業。元家庭裁判所調査官。家裁から弁護士事務所を経て編集プロダクションに勤務。その後独立し、ソフト開発工房を自営し、並行して中学校非常勤講師、就労困難者支援講師、刑務所非常勤職員としても勤務。PFI方式の刑務所で使用する教育教材として、小説の執筆を始める。 2015年、投稿作「アクリル板」にて雑誌『文芸思潮』主催の第11回銀華文学賞(アジア文化社)最優秀賞受賞。
有馬 晋作(ありま しんさく、1955年 - )は、日本の行… 有馬 晋作(ありま しんさく、1955年 - )は、日本の行政学者。宮崎公立大学第8代学長・名誉教授。専門は行政学、地方自治論。博士(学術)。日本地方自治研究学会常任理事。 鹿児島県鹿児島市生まれ。1974年3月鹿児島県立甲南高等学校卒業。高校での部活動は化学部。1975年4月明治大学経営学部経営学科入学、1979年3月に卒業し、商業の高校教員免許を取得。1980年12月鹿児島県庁(鹿児島県上級行政職)に入職し、以降23年間勤務。県庁では高齢者福祉、過疎対策などを担当。その間に、自治省(現・総務省)財政局での「地方財政白書」の執筆や、鹿児島県大口市役所(現・伊佐市)での勤務を経験する。1996年4月鹿児島大学大学院法学研究科法学専攻へ入学して1998年3月修了し、修士(法学)の学位を授与される。
いわしげ 孝(いわしげ たかし、1954年〈昭和29年〉12… いわしげ 孝(いわしげ たかし、1954年〈昭和29年〉12月31日 - 2013年〈平成25年〉3月6日)は、日本の漫画家。鹿児島県鹿児島市出身。鹿児島県立鹿児島工業高等学校を経て二松學舍大学卒。血液型AB型。デビューから十数年は本名の岩重 孝(読みは同じ)で活動していた。 高校時代の1970年(昭和45年)に『週刊少年ジャンプ』(集英社)の第5回新人漫画賞で「小さな命」が入選、審査員である本宮ひろ志から「彼の作品は生命が感じられるね」と評価された。この作品が翌1971年の同誌正月号に掲載され、デビューを果たす。 当時のいわしげは意欲的に漫画を描いており、同じ年に「スクラップ」も同誌の上期手塚賞で佳作に選ばれたほか、続く下期手塚賞でも「ブルースを歌う少女」が佳作に選ばれている。
谷村 好一(たにむら こういち、1954年12月8日 - )… 谷村 好一(たにむら こういち、1954年12月8日 - )は、鹿児島県奄美大島出身の俳優。 ミスタースリムカンパニー出身者。通称は「NECO(ねこ)」。 音楽バンド「ズロースブラザーズ」のボーカル。 所属は株式会社エム・アール。 中野にてBAR「東京JOE」を経営している。 若い頃に初対面の小沢仁志と殴り合いの喧嘩をしたり、若山富三郎が主演していた連続テレビドラマに起用された際、大喜びする後輩たちをよそに若山の取り巻き勢と喧嘩になり、翌日に降板させられたことがある。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
永山こうじ(ながやま こうじ、1954年12月6日 - )は… 永山こうじ(ながやま こうじ、1954年12月6日 - )は、鹿児島県姶良郡溝辺町出身の演歌歌手である。 1982年にコーラスグループ「アルバトロス」を結成し、同年12月16日にユニオンレコード(テイチク)より「原ひろしとアルバトロス」として『東京待ちぼうけ/長崎それとも神戸』(UE-531)をリリースしてデビュー。しかし、全国キャンペーン中にリーダーの原が病に倒れ、活動中止を経て1983年にキーボードの江本勝らと共に「江本勝とアルバトロス」として再度同シングルをリリースした。永山はリードボーカルを担当、当時の芸名は永山幸二。 1984年から1992年までコーラスグループ「ロス・インディオス」に在籍。
柳 弘之(やなぎ ひろゆき、1954年11月20日 - )は… 柳 弘之(やなぎ ひろゆき、1954年11月20日 - )は、日本の経営者。ヤマハ発動機社長、会長を務めた。 鹿児島県鹿児島市出身。 ラ・サール高校を経て、1978年に東京大学工学部を卒業し、同年にヤマハ発動機に入社。2007年3月に執行役員に就任し、2010年3月には社長に昇格。2018年1月には会長に就任。
柳田 稔(やなぎだ みのる、1954年〈昭和29年〉11月6… 柳田 稔(やなぎだ みのる、1954年〈昭和29年〉11月6日 ‐ )は、日本の政治家。基幹労連組合員。 法務大臣(第84代)、拉致問題担当大臣、参議院議員(4期)、衆議院議員(2期)、民主党幹事長代理、民主党参議院幹事長、民主党広島県連代表、国民民主党両院議員総会長、参議院財政金融委員長、参議院厚生労働委員長、参議院予算委員長等を歴任。血液型はA型。 鹿児島県鹿児島市出身。本籍は広島県福山市。鹿児島県立鶴丸高等学校を経て、1973年に東京大学教養学部理科I類に入学する(岩崎学生寮に在籍)が自主退学し、寿司屋で5年間修行を積んだ。1981年に東京大学工学部船舶工学科へ再入学し、1983年3月に卒業。
吉峯 英虎(よしみね ひでとら、1954年10月22日 - … 吉峯 英虎(よしみね ひでとら、1954年10月22日 - )は、日本の実業家。味の素冷凍食品株式会社代表取締役社長や、味の素株式会社アドバイザーを務めた。 鹿児島県出身。鹿児島県立鶴丸高等学校を経て、1978年一橋大学法学部卒業、味の素入社。1997年国際経営開発研究所PEDコース修了。2001年から米国味の素冷凍食品初代専任社長。2008年味の素外食デリカ事業部長。 味の素アミノ酸コンシューマープロダクト部長を経て、2009年味の素執行役員。2011年から味の素冷凍食品代表取締役社長を務め、主力商品への集中や、組織改編を行うなどした。2019年退任、味の素アドバイザー。2021年わらべや日洋ホールディングス取締役。
中野 雅之(なかの まさゆき、1954年10月 - )は、日… 中野 雅之(なかの まさゆき、1954年10月 - )は、日本の官僚・弁護士。山口県出身。元厚生労働省大臣官房政策評価審議官。元厚生労働省政策統括官(労働担当)。元厚生労働省労働基準局長。元財務省大臣官房審議官。 山口県出身。1973年、ラ・サール高等学校卒業。1979年、東京大学法学部卒業。大学卒業後、労働省に入省。1988年、熊本県商工観光労働部職業安定課長。1998年、労働省労働基準局安全衛生部計画課長。2000年、労働省労働基準局庶務課長。2001年、厚生労働省労働基準局監督課長。2002年、厚生労働省大臣官房参事官(会計担当)。2004年、厚生労働省大臣官房地方課長。2006年、厚生労働省大臣官房政策評価審議官。
川野 純治(かわの じゅんじ、1954年〈昭和29年〉9月2… 川野 純治(かわの じゅんじ、1954年〈昭和29年〉9月22日 - )は、日本の政治家、社会運動家。かつて存在した沖縄解放同盟準備会メンバー、一坪反戦地主会北部ブロック幹部(事務局次長)、ヘリ基地反対協議会元事務局次長、一般財団法人わびあいの里理事、前沖縄県名護市議会議員(3期)。 1975年、沖縄解放同盟準備会のメンバーとして、沖縄を訪問した皇太子明仁親王・皇太子妃美智子(現、上皇・上皇后)の車列に対し、ガラス瓶やスパナや石などを投げつける、白銀病院事件を起こし逮捕され、懲役1年6ヶ月の実刑判決を受け服役した。 その後は、社会民主党の推薦・公認を受け、名護市議会議員に当選し、3期議員として活動したが、2022年の市議選で落選した。
五位塚 剛(ごいつか つよし、1954年(昭和29年)6月3… 五位塚 剛(ごいつか つよし、1954年(昭和29年)6月30日 - )は、日本の政治家。鹿児島県曽於市長(3期)、曽於市議会議員、末吉町議会議員などを歴任した。 鹿児島県曽於市出身。末吉町立光神小学校、末吉町立諏訪中学校卒業。1973年(昭和48年)3月、宮崎県立都城工業高等学校機械科卒業。同年4月、電気設備会社に就職。1976年(昭和51年)9月、空調設備会社に転職。1983年(昭和58年)6月、同社を退社。1984年(昭和59年)1月、有限会社五位塚冷暖房サービスを開業。 1987年(昭和62年)7月、末吉町議会議員に就任。計4回当選。 2005年(平成17年)7月1日、末吉町は財部町、大隅町と合併し、曽於市となり消滅。
合原 一幸(あいはら かずゆき、1954年6月23日 - )… 合原 一幸(あいはら かずゆき、1954年6月23日 - )は、日本の工学者。 東京大学国際高等研究所ニューロインテリジェンス国際研究機構副機構長、東京大学特別教授。学位は、工学博士。福岡県出身。 福岡県出身の数理工学者。カオスニューラルネットワークの概念を提唱したことで知られる。神経回路のような複雑性を持つネットワークを対象とした、複雑系やカオス理論の知見を応用した数理モデルの研究を行っている。 実家は電気屋で、一幸で三代目にあたる。モットーは「大統領のように働き,王様のように遊ぶ」。昆虫博士になることを夢見ていたが、カナダの学会で現在の昆虫学者が脳神経科学に近い研究をしていることを知り、夢が実現していたことを知った。
池之上 格(いけのうえ とおる、1954年5月19日 - )… 池之上 格(いけのうえ とおる、1954年5月19日 - )は、鹿児島県垂水市出身の元プロ野球選手(投手・内野手)。 アメリカンフットボールXリーグ・オービックシーガルズの池之上貴裕は親戚。 鹿児島県屈指の進学校・鶴丸高では3年次の1972年に春の県大会準々決勝で鹿児島商との延長18回引分け再試合を制すると決勝では鹿児島商工に延長10回完投勝利して優勝。夏の県大会は準々決勝へ進出するが、照国高に敗退。 同年のドラフト3位で南海ホークスに投手として入団し、最初の3年間は二軍で鍛えられる。 1976年4月10日の日本ハム戦(大阪)で初登板を果たすと、翌11日には早くも初勝利を挙げた。同年7月25日の近鉄戦(大阪)では1イニング3暴投の日本記録と1イニング11失点のパ・リーグワースト記録を喫した。
折田 悦郎(おりた えつろう、1954年5月- )は、日本の… 折田 悦郎(おりた えつろう、1954年5月- )は、日本の歴史学者。九州大学名誉教授。専門は、日本近代大学史・アーカイヴズ学。 鹿児島県南九州市出身。 1973年、鹿児島県立加世田高等学校卒業。1978年、九州大学文学部史学科卒業。1985年、九州大学大学院文学研究科史学専攻単位取得退学。同年から九州大学75年史編集室助手、『九州大学七十五年』編集の実務を担当。 1994年、九州大学大学史料室専任講師。2001年、九州大学大学史料室助教授。2005年、九州大学大学院人文科学研究院・大学文書館教授。 以後、大学アーカイヴズの活動を行うと同時に、2011年からは九州大学大学院統合新領域学府ライブラリーサイエンス専攻での教育にも従事している。
内山 昇(うちやま のぼる、1954年4月20日 - )は、… 内山 昇(うちやま のぼる、1954年4月20日 - )は、日本の元アマチュアボクシング選手。鹿児島県鹿屋市出身。 鹿児島県立鹿屋工業高校ボクシング部所属選手としてアマチュア・デビュー。 1973年4月より中央大学ボクシング部所属。全日本アマチュアボクシング選手権大会ではライトフライ級で3連覇(1974・1975・1976年)。1974年には、アジア競技大会銅メダル、1975年にはアジア選手権銀メダルを獲得した。 1976年にカナダ・モントリオールで行われたオリンピックライトフライ級に出場するも、1回戦敗退。 プロからも声がかかるも、大学最後の試合で目を負傷し、引退。
鮫島 一歩(さめしま いっぽ、1954年4月12日 - )は… 鮫島 一歩(さめしま いっぽ、1954年4月12日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) ・栗東トレーニングセンターに所属していた元調教師。 なお、佐賀競馬所属の元騎手・調教師である鮫島克也、およびその息子でJRA所属の騎手である鮫島良太・克駿兄弟とは血縁関係はない。 父は南日本新聞の記者で、競馬とは無縁の家庭で育つ。鹿児島南高等学校ではサッカー部に入ったが、1年生の夏休みに馬術部が鹿児島国体の強化校として指定され、好奇心で入部すると3年生の時にインターハイ団体で優勝する。監督は鹿児島市で上村乗馬苑を経営し、のちに冠名「トシ」で知られた馬主の上村叶。高校卒業後はブラジルで酪農をやる夢を抱き、北海道江別市の酪農学園大学に進学すると、また馬に乗りたいと再び馬術部に入部。
尾堂 真一(おどう しんいち、1954年4月3日 - )は日… 尾堂 真一(おどう しんいち、1954年4月3日 - )は日本の実業家。日本特殊陶業代表取締役会長兼社長や、日本ファインセラミックス協会会長、日本自動車部品工業会会長、中部経済同友会代表幹事、涼仙ゴルフ倶楽部理事長、愛知県公安委員会委員等を歴任した。 鹿児島県で家具製造販売業者の子として生まれる。1967年鹿児島大学教育学部附属小学校卒業。1970年鹿児島大学教育学部附属中学校卒業。1973年鹿児島県立鹿児島中央高等学校卒業。1977年専修大学商学部卒業、日本特殊陶業入社。2005年米国特殊陶業社長。2007年取締役に昇格。2010年常務取締役。2011年から代表取締役社長を務め、自動車向け点火プラグの生産能力増強などを進めた。
江藤 正基(えとう まさき、1954年2月26日 - )は、… 江藤 正基(えとう まさき、1954年2月26日 - )は、日本のレスリング選手。鹿児島県鹿児島市出身。鹿児島県商工高等学校(現在の樟南高等学校)卒業。 高校卒業後、自衛隊体育学校に入る。1975年、全日本選手権フリースタイル57kg級で3位入賞。1978年、全日本選手権で準優勝。1979年、全日本選手権で2年連続の準優勝。1980年、フリースタイルからグレコローマンに転向。全日本選手権でまた準優勝。1982年、全日本選手権で2年ぶりの準優勝。1983年、日本選手権で初優勝。世界選手権では金メダルを獲得。1984年ロサンゼルスオリンピックレスリンググレコローマン57kg級に出場し、銀メダルを獲得した。
大田 弘子(おおた ひろこ、1954年2月2日 - )は、日… 大田 弘子(おおた ひろこ、1954年2月2日 - )は、日本の政策研究大学院大学学長。内閣府大臣官房審議官、内閣府政策統括官、経済財政担当大臣(第8代・9代)、内閣府規制改革推進会議議長、鹿児島県立鶴丸高等学校生徒会長、フランス・社会科学高等研究院日本語客員教授、株式会社みずほフィナンシャルグループ取締役会議長などを歴任。勲等は旭日重光章。 現在、公益財団法人日本生産性本部副会長(経済成長フォーラム座長、日本創成会議構成メンバー)、国立新美術館評議員、公益社団法人日本経済研究センター理事、独立行政法人宇宙航空研究開発機構広報対応外部委員会委員、公益財団法人日本製鉄文化財団評議員、政府税制調査会(内閣府)委員、資源エネルギー庁総合資源エネルギー調査会臨時委員、一般財団法人企業活力研究所社会保険料負担を考える研究会委員、国際公共政策研究センター番号制度に関する研究会委員、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会 経済・テクノロジー委員会委員長、株式会社日本取引所グループ社外取締役。
桐野 作人(きりの さくじん、1954年 -)は、作家、歴史… 桐野 作人(きりの さくじん、1954年 -)は、作家、歴史研究家。武蔵野大学政治経済研究所客員研究員 鹿児島県出水市出身。鹿児島県立出水高等学校卒業。1979年立命館大学文学部東洋史学専攻卒業。歴史関係出版社の編集長を経て、編集プロダクションを設立。戦国史、主に薩摩島津氏の研究が多く、『真説 関ヶ原合戦』(学習研究社,2000年)、『真説 本能寺』(学習研究社2001年)などの実証的な書籍も執筆している。 在野の研究者ではあるものの、桐野の研究は歴史学界でも肯定的に評価されている。本能寺の変について朝廷黒幕説を唱えていることで知られていたが、後に明智光秀の単独犯行であるものとして黒幕説を否定するようになった。
酒匂 一郎(さこう いちろう、1954年-)は、日本の法学者… 酒匂 一郎(さこう いちろう、1954年-)は、日本の法学者。法学博士、九州大学名誉教授。専門は法哲学(法理学)で、法システムの基本構造の他、多文化主義をめぐる現代正義論、情報社会の秩序問題、生命倫理と法、グスタフ・ラートブルフ及び関連の法思想、法的思考の比較思想史などについて研究。 1973年3月鹿児島県立加治木高等学校卒業。同年4月に九州大学法学部へ入学し、1978年3月に卒業。同年4月、九州大学大学院法学研究科基礎法学専攻へ進学し、1980年3月に修士課程修了、1984年3月に博士課程単位取得退学。同年4月から1986年3月まで九州大学法学部助手を務める。1987年3月に論文「全体性の法思想 その構造と展開」で九州大学より法学博士号授与。
月野木 隆(つきのき たかし、1954年 - )は、日本の映… 月野木 隆(つきのき たかし、1954年 - )は、日本の映画監督。 鹿児島県霧島市横川町出身。市立横川中学校時代は、剣道部で活躍した。昭和48年県立加治木高等学校卒業・映画監督・今村昌平主宰の横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)を1975年に1期生として卒業後、今村に師事した。『楢山節考』『女衒』『黒い雨』等の助監督を務め、『白い犬とワルツを』で監督デビューした。北野武の『その男、凶暴につき』の助監督も務めた。
楠元 香代子(くすもと かよこ、1954年 - )は、日本の… 楠元 香代子(くすもと かよこ、1954年 - )は、日本の彫刻家。崇城大学名誉教授、鹿児島市立美術館第16代館長。日展会員、日本彫刻会会員。 鹿児島県霧島市出身(旧:国分市出身)。鹿児島県立国分高等学校で美術部に所属。鹿児島大学教育学部美術科で彫刻家の中村晋也に師事。学生時代に仲間と3人で鹿児島女流彫塑会を立ち上げ、毎年展覧会を開催する。1975年に日展初入選。1977年、日展新人選抜展出品。1979年、東京学芸大学大学院修士課程修了。高等学校や崇城大学などで後進を育成しながら彫刻制作を続け、日展などの公募展で精力的に作品を発表。1980年、白日会会員推挙。同年、日本彫刻会会員推挙。1991年、日展会員推挙。
上甫木昭春(かみほぎ あきはる、1954年 - )は、日本の… 上甫木昭春(かみほぎ あきはる、1954年 - )は、日本の造園学者。大阪府立大学大学院生命環境科学研究科教授。学術博士。専門分野は、緑地計画および地域生態学。大阪府、兵庫県、神戸市、豊中市、吹田市、大阪狭山市などにおいて、土地利用審査会、河川審議会、都市計画審議会、環境審議会、文化財審議会などの委員を務める。社会的活動は「大阪湾見守りネット」や「阪神・都市ビオトープフォーラム」など。 鹿児島県生まれ。1979年大阪府立大学大学院農学研究科農業工学専攻修士課程修了後、株式会社景観設計研究所、兵庫県立人と自然の博物館などを経て現職。 主な著書として、『検証・学校ビオトープ』(大阪公立大学共同出版会、2009)、『大阪湾の自然と再生』(大阪公立大学共同出版会、2008)、『生態学からみた里やまの自然と保護』(講談社、2005)、『農学から地域を考える』(大阪公立大学共同出版会、2003)、『身近な森の歩き方』(文英堂、2003)などを分担執筆。
二木 昭人(ふたき あきと、1954年 - )は、日本の数学… 二木 昭人(ふたき あきと、1954年 - )は、日本の数学者。学位は、理学博士(東京大学)。東京工業大学名誉教授。専門分野は微分幾何学。ケーラー・アインシュタイン計量の存在に関する二木不変量の構成で知られる。千葉大学を経て、東京工業大学助教授、教授、東京大学教授を歴任。日本数学会の「幾何学賞」「秋季賞」を受賞。
根本 祐二(ねもと ゆうじ、1954年 - )は、日本の経済… 根本 祐二(ねもと ゆうじ、1954年 - )は、日本の経済学者。東洋大学名誉教授兼国際PPP研究所リサーチ・パートナー。公共政策、インフラ、都市開発、地域開発等が専門。九州フィナンシャルグループ社外取締役。 鹿児島県鹿児島市出身。鹿児島県立鹿児島中央高等学校卒業後、1974年に東京大学経済学部に入学、卒業後の1978年に日本開発銀行(現:日本政策投資銀行)に入行。鹿児島事務所、大阪支店、プロジェクト・ファイナンス部、経済企画庁調査員、設備投資研究所主任研究員、ブルッキングス研究所(米国)客員研究員、首都圏企画室長、地域企画部長などを経て、2006年4月東洋大学大学院経済学研究科公民連携専攻教授に就任。
三浦 浩一(みうら こういち、1953年〈昭和28年〉12月… 三浦 浩一(みうら こういち、1953年〈昭和28年〉12月4日 - )は、日本の俳優。鹿児島県出身。妻は同じくかつて東京キッドブラザースに所属していたタレントの純アリス。次男は元俳優の三浦孝太、三男は俳優の三浦涼介。特技は剣道。現在は東京都在住。 父はサラリーマンで、鹿児島県で生まれ、3歳のとき、父の転勤で東京に引っ越す。中学2年まで東京で育ち、中学3年のとき岐阜県に引っ越す。愛知県名古屋市でも暮らした。 岐阜県立長良高等学校卒業後、日本大学芸術学部へ進学したが、中退。バー勤務やセールスマンなど、様々な仕事に就く。1977年秋、劇団東京キッドブラザースに所属し、東由多加や柴田恭兵らとともに活躍する。
津止 正敏(つどめ まさとし、1953年11月 - )は、日… 津止 正敏(つどめ まさとし、1953年11月 - )は、日本の福祉学者、立命館大学名誉教授。介護・障害児保育。 鹿児島県生まれ。鹿児島県立甲南高等学校を経て、1977年立命館大学産業社会学部卒、95年同大学院社会学修士課程修了。京都市社会福祉協議会をへて、立命館大学産業社会学部教授。2009年に「男性介護者と支援者の全国ネットワーク」を起ち上げ、事務局長を務める。2019年定年退職、名誉教授。
永射 保(ながい たもつ、1953年10月3日 - 2017… 永射 保(ながい たもつ、1953年10月3日 - 2017年6月24日)は、鹿児島県川辺郡大浦町(現:南さつま市)出身のプロ野球選手(投手)・コーチ。元陸上自衛官。 指宿商高時代は、3年次の1971年に夏の県大会2回戦で鹿屋工高を相手にノーヒットノーランを記録するが、準々決勝で中学時代のチームメイトである定岡智秋のいた鹿児島実高に敗退した。なお永射も同校から声が掛かっていたが野球で進学することを避けた。在学中は珠算、簿記などの検定にも合格している。 1971年ドラフト3位で広島東洋カープに入団した。 プロ入り後は外木場義郎の投球を見てレベルの高さを痛感。 1973年5月には初先発の機会も与えられたが、広島では1勝も挙げられなかった。
堂免 一成(どうめん かずなり、1953年9月24日 - )… 堂免 一成(どうめん かずなり、1953年9月24日 - )は、日本の化学者。東京大学特別教授・名誉教授、信州大学特別栄誉教授、理学博士。太陽光エネルギーと水だけで貴重な水素を生み出し、水素を燃料としてだけでなく二酸化炭素(CO2)と触媒させることでプラスチックを製造し、環境に有害な炭素を排出せず繰り返し使うことが可能となる光触媒の研究で知られる。 鹿児島県日置郡阿多村(後に金峰町)中津野、現在の南さつま市金峰町中津野生まれ。金峰町立大田小学校、鹿児島市立玉江小学校、金峰町立阿多中学校で学ぶ(後に阿多中は金峰中学校、大田小は阿多小学校に統廃合、金峰中・阿多小ともに現 南さつま市立金峰学園)。鹿児島市にあるラ・サール高等学校を経て、東京大学教養学部前期課程理科一類に入学し、理学部化学科に進級。
市之瀬 洋一(いちのせ よういち、1953年7月11日 - … 市之瀬 洋一(いちのせ よういち、1953年7月11日 - )は、日本の音楽ディレクター、ヴォーカリスト。(有)ヴォイスフィールド代表取締役。鹿児島県南九州市(旧・川辺郡川辺町)出身。鹿児島県立甲南高等学校および東京藝術大学音楽部声楽科卒業。ディズニー作品を中心に吹き替えの音楽ディレクターを務める。 鹿児島県の旧・川辺町に生まれ、小学校入学時に加世田市(現・南さつま市)に転居し、小学校4年時に鹿児島市に転居。小中学生の頃から合唱部に所属。 鹿児島県立甲南高校では生徒会長を務め、鶴丸高校とのスポーツ交流戦(甲鶴戦)を立案。 高校の合唱部の先輩が芸大に進学したのをきっかけに自身も志望し、1年の浪人を経て東京藝術大学に入学し声楽を学ぶ。
塗木 弘幸(ぬるき ひろゆき、1953年〈昭和28年〉7月2… 塗木 弘幸(ぬるき ひろゆき、1953年〈昭和28年〉7月2日 - )は、日本の政治家。鹿児島県南九州市長(3期)。 鹿児島県川辺郡知覧町(現・南九州市の一部)出身。1972年(昭和47年)3月、鹿児島県立甲南高等学校卒業。 2007年(平成19年)4月、知覧町議会議員選挙において無投票で初当選。同年12月1日、川辺町・知覧町・頴娃町が合併して南九州市が発足。これに伴って行われた南九州市議会議員選挙に出馬し当選。2011年(平成23年)、2期目の当選。 2015年(平成27年)12月13日に行われた南九州市長選挙は、知覧町出身の塗木、川辺町出身で前市議長の森田隆志、頴娃町出身で前市議の蓮子幹夫の新人3名の争いとなった。
八板 俊輔(やいた しゅんすけ、1953年〈昭和28年〉6月… 八板 俊輔(やいた しゅんすけ、1953年〈昭和28年〉6月30日 - )は、日本の政治家、新聞記者。鹿児島県西之表市長(3期)。 鹿児島県西之表町(現・西之表市)生まれ。西之表市立榕城小学校、西之表市立榕城中学校卒業。1972年(昭和47年)3月、鹿児島県立鶴丸高等学校卒業。1977年(昭和52年)3月、早稲田大学政治経済学部卒業。同年4月、朝日新聞社に入社。2012年(平成24年)6月、同社を退職。 2015年(平成27年)10月、ルポルタージュ『馬毛島漂流』を上梓。 2017年(平成29年)3月の西之表市長選の再選挙で初当選した。 2017年1月29日執行。市域の無人島・馬毛島で政府が検討する米軍空母艦載機による陸上空母離着陸訓練(FCLP)の受け入れにつき、八板は反対を訴え立候補。
定岡 智秋(さだおか ちあき、1953年6月17日 - )は… 定岡 智秋(さだおか ちあき、1953年6月17日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身の元プロ野球選手(内野手)。
中西 茂(なかにし しげる、1953年〈昭和28年〉5月1日… 中西 茂(なかにし しげる、1953年〈昭和28年〉5月1日 - )は、日本の政治家。元鹿児島県鹿屋市長(3期)。 鹿児島県鹿屋市出身。1972年(昭和47年)3月、鹿児島県立鹿屋高等学校卒業。1976年(昭和51年)3月、九州大学経済学部卒業。同年4月、鹿児島県庁へ入庁。2011年(平成23年)4月、同庁の農政部長に就任。 2013年(平成25年)8月9日、翌年の鹿屋市長選挙への立候補を視野に入れ、鹿児島県庁を退職。 2014年(平成26年)1月19日に行われた鹿屋市長選挙に無所属で出馬。自由民主党の推薦を受けた現職の嶋田芳博市長との一騎討ちを制し初当選した。2月5日、市長就任。選挙の結果は以下のとおり。