柳原 孝敦(やなぎはら たかあつ、1963年8月 - )は、… 柳原 孝敦(やなぎはら たかあつ、1963年8月 - )は、日本のスペイン文学者、翻訳家。東京大学大学院人文社会系研究科教授。現代文芸論所属。 専門は、スペイン語文学・思想文化論。博士(文学)。 鹿児島県名瀬市(現奄美市)出身。 1982年鹿児島県立錦江湾高等学校卒業、1989年東京外国語大学外国語学部スペイン語学科卒業、1991年東京外国語大学大学院外国語学研究科ロマンス系言語専攻修士課程修了、1995年東京外国語大学大学院地域文化研究科地域文化専攻博士後期課程を単位取得退学。 1996年法政大学経済学部にて助教授。2002年ロムロ・ガリェーゴス・ラテンアメリカ研究センター(ベネズエラ)訪問研究員となる。
望月 恒子(もちづき つねこ、旧姓・松岡、1953年 - 2… 望月 恒子(もちづき つねこ、旧姓・松岡、1953年 - 2022年4月22日)は、日本のロシア文学者。北海道大学名誉教授。北海道大学文学研究科・文学部長、副学長を歴任。専攻は19世紀~20世紀ロシア文学、第一次亡命ロシア文学。特にイヴァン・ブーニンの研究・紹介に注力した。 鹿児島県生まれ。1972年3月鹿児島県立甲南高等学校卒業。1976年3月東京大学文学部ロシア語ロシア文学専修課程卒業。1978年3月東京大学大学院人文科学研究科露語露文学専攻修士課程修了、文学修士。1983年3月東京大学大学院人文科学研究科露語露文学専攻博士課程単位取得退学。1995年から2005年、北海道大学大学院文学研究科助教授。
久冨木原玲(久富木原玲、女性、くふきはら れい、1951年-… 久冨木原玲(久富木原玲、女性、くふきはら れい、1951年- )は、国文学者、愛知県立大学名誉教授・学長。 鹿児島県出身。鹿児島県立鶴丸高等学校卒業後、1975年早稲田大学法学部卒業。1985年東京大学大学院人文科学研究科国文学専攻博士課程単位取得退学。1987年鹿児島女子短期大学専任講師となり、助教授、1993年共立女子短期大学助教授、教授、2006年愛知県立大学教授となり、2016年名誉教授、2018年学長となる。2016年度サンパウロ大学客員教授を務めた。2005年「源氏物語歌と呪性」で立教大学文学博士。
面高 俊宏(おもだか としひろ、1947年7月4日 - )は… 面高 俊宏(おもだか としひろ、1947年7月4日 - )は、日本の天文学者。理学博士。鹿児島大学名誉教授。専門は電波天文学(宇宙電波天文学)で、鹿児島県内の電波望遠鏡の誘致、運用をおこなった。 鹿児島県鹿児島市荒田出身。子どもの頃のガガーリンへの憧れ(小学6年生の時の夢は宇宙飛行士だった)から、宇宙研究の道に進んだ。 1966年3月に鹿児島県立甲南高等学校を卒業。名古屋大学理学部物理学科を経て、1975年に名古屋大学大学院理学研究科物理学専攻博士課程を修了。1979年杏林大学助手、講師。1983年鹿児島大学教養部助教授に着任。1990年鹿児島大学教養部教授に昇任。鹿児島市錦江湾公園への電波望遠鏡の誘致や1997年教養部廃止・理学部改組時の理学部宇宙コース開設に尽力。
谷川 道子(たにがわ みちこ、1946年7月 - 2024年… 谷川 道子(たにがわ みちこ、1946年7月 - 2024年1月9日)は、日本のドイツ文学者、東京外国語大学名誉教授。専門はドイツ演劇、特にブレヒトとハイナー・ミュラー。岩淵達治に師事。鹿児島県出身。
上村 和也(かみむら かずや、1937年(昭和12年)-)は… 上村 和也(かみむら かずや、1937年(昭和12年)-)は、日本の比較文学者・英文学者。外国人による日本文化論を研究・翻訳。鹿児島大学名誉教授、湘潭大学名誉教授、佐賀大学元教授。 鹿児島県出身(生まれは満洲国の奉天)。言語学者上村孝二鹿児島大学名誉教授の長男。父・孝二の鹿児島県師範学校赴任にともない4歳で鹿児島市へ移る。鹿児島県立甲南高等学校、九州大学卒業。1961年(昭和36年)九州大学大学院文学研究科修士課程修了。鹿児島県立短期大学助教授を経て、鹿児島大学教授となり1996年(平成8年)度まで比較文学と英文学を教えた。鹿児島大学退官後は佐賀大学文化教育学部教授も務めた。 訳書にパーシヴァル・ローエル『神々への道』(平岡厚と共訳)、サー・フィリップ・シドニー『アストロフェルとステラ 付 サーティン・ソネッツ』(大塚定徳ほか共訳)があるほか、クルト・ジンガー(英語版)の翻訳も学術誌で発表。
根本 道也(ねもと みちや、1934年 - )は、日本のドイ… 根本 道也(ねもと みちや、1934年 - )は、日本のドイツ語学者・ドイツ文学者。九州大学名誉教授。 1934年、鹿児島県鹿児島市で生まれた。九州大学文学部独文科で学び、卒業。同大学大学院修士課程を修了。 その後は福岡女子大学講師に就いた。後に助教授昇格。その後、九州大学教養部教授となった。1998年に九州大学を定年退官し、名誉教授となった。 専門は、ドイツ語語彙論、ドイツ・ロマン派文学。
谷口 茂(たにぐち しげる、1933年2月1日 - 2019… 谷口 茂(たにぐち しげる、1933年2月1日 - 2019年)は、日本のドイツ文学者、宗教学者、小説家。明治学院大学名誉教授。 鹿児島県大崎町生まれ。鹿児島県立志布志高等学校を経て、1959年東京大学文学部ドイツ文学科卒業。1964年同大学院宗教学科博士課程満期退学。大学院ではマルティン・ルターの宗教改革について研究した。 明治学院大学一般教育部講師、助教授を経て教授となる。2001年に定年退任し、名誉教授。 大学在学中から文学サークルで活動し、1959年には季刊誌「雙面神」の同人となって長編「彼岸花」の連載や椎名麟三論の発表をおこなっていた。1961年「めじろ塚」で芥川賞候補となり、1968年に作品集『若き医師の告白』を刊行。
阿蘇 瑞枝(あそ みずえ、1929年4月24日 - 2016… 阿蘇 瑞枝(あそ みずえ、1929年4月24日 - 2016年5月21日)は、日本の国文学者、万葉学者。 鹿児島県出身。日本統治時代の朝鮮の全州で生まれ、終戦後に鹿児島県に引き揚げ。鹿児島県立串木野高等学校を経て、鹿児島大学文理学部文学科卒業。国語教師を経て東京大学大学院に入学し、同博士課程修了。1972年「柿本人麻呂の研究」で文学博士の学位を取得。山梨英和短期大学教授、共立女子大学文芸学部教授を経て、1991年日本女子大学文学部教授、1998年昭和女子大学特任教授。
中村了昭(なかむら りょうしょう、1927年 - )は、日本… 中村了昭(なかむら りょうしょう、1927年 - )は、日本のインド哲学・古典インド文学者、鹿児島国際大学名誉教授。専攻はインド古代・中古の文化・哲学史。『ラーマーヤナ』原典完訳刊行を行った。 鹿児島県生まれ。旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校(現鹿児島県立甲南高等学校)を経て、1944年海軍兵学校第76期入校(1945年学校解散により修了)。1949年旧制第七高等学校造士館(現鹿児島大学)文科卒業。1953年旧制東北大学文学部卒業。卒業論文は「数論偈諸註の比較対照の研究」。東北大学大学院文学研究科博士課程印度哲学専攻満期。金倉円照が恩師。後に、1977年「サーンクヤ哲学の研究」で文学博士(立正大学)。
橋本 郁雄(はしもと いくお、1923年2月16日-2009… 橋本 郁雄(はしもと いくお、1923年2月16日-2009年1月22日)は、日本のドイツ語・ドイツ文学者。学習院大学名誉教授、一橋大学元教授。ドイツ語学およびドイツ語史が専門で、特に日本の中世ドイツ語研究においては中枢を占める学者だった。また、小学館の『独和大辞典』など、独和辞典の編纂に注力した。 鹿児島県鹿児島市皷川町出身。父は第七高等学校造士館 (旧制)漢文学教授の橋本精次。祖父の自聽(よりさと)は明治初期に東京から招かれ谷山小学校校長などを務めた人物。 鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)を経て、1942年3月に第七高等学校造士館文科乙類を卒業。1944年に東京帝国大学文学部独文科を卒業したが、学年短縮や学徒出陣在隊中の卒業のため実際に大学で学ぶことができたのはわずか1年半だった。
森重 敏(もりしげ さとし、1922年10月15日 - 20… 森重 敏(もりしげ さとし、1922年10月15日 - 2007年5月28日)は、日本の国語学者、国文学者、奈良女子大学名誉教授。 鹿児島県鹿児島市生まれ。1945年京都帝国大学国文科卒。京都女子大学助教授、奈良女子大学助教授、教授、1986年定年退官、名誉教授、天理大学教授、1996年退任。 1999年、勲三等旭日中綬章を受章。2007年5月28日、肺癌のため死去。没後正四位叙勲。
中島 河太郎(なかじま かわたろう、1917年6月5日 - … 中島 河太郎(なかじま かわたろう、1917年6月5日 - 1999年5月5日)は、日本のミステリー文学評論家、アンソロジスト、国文学者。本名は、中嶋馨(なかじま かおる)。日本推理作家協会第7代理事長。日本ミステリー文学大賞受賞者。和洋女子大学元学長・名誉教授。江戸川乱歩の薫陶を受けた推理小説研究の第一人者で、推理小説に加え国文学・民俗学の書誌学者としても知られる。別名に小城魚太郎、石羽文彦、玉井一二三。 鹿児島県鹿児島市生まれ。鹿児島県立第一鹿児島中学校、第七高等学校造士館を経て、東京帝国大学文学部国文科で中世説話文学を専攻する。旧制中学時代から兄の影響で「新青年」を読み始め、探偵小説に親しむ。
田中 睦夫(たなか むつお、1911年(明治44年)7月10… 田中 睦夫(たなか むつお、1911年(明治44年)7月10日 - 1978年(昭和53年)7月22日)は、日本の英文学者。和洋女子大学教授。専門はイギリス小説で、日本におけるサマセット・モーム研究の第一人者だった。 鹿児島県谷山村(現・鹿児島市)上福元出身。1918年(大正7年)谷山男子尋常小学校入学。1924年(大正13年)鹿児島県立第二鹿児島中学校(旧制、現鹿児島県立甲南高等学校)入学、1929年(昭和4年)卒業。1930年(昭和5年)青山学院英語師範科入学。同科卒業。1934年(昭和9年)私立福山中学校(旧制、現鹿児島県立福山高等学校)教諭、1939年(昭和14年)東京府立第七中学校(旧制、現東京都立墨田川高等学校)教諭、1946年(昭和21年)東京都立第三中学校(旧制、現東京都立両国高等学校・附属中学校)教諭。
山口 正(やまぐち ただし、1909年(明治42年)8月26… 山口 正(やまぐち ただし、1909年(明治42年)8月26日 - 2000年(平成12年)5月26日)は、日本の国文学者。茨城大学名誉教授。上代文学、特に『万葉集』が専門だが、作文教育にも関わった。 鹿児島県加治木(現・姶良市加治木町)生まれ。鹿児島県立加治木中学校 (旧制)を経て、1930年3月第七高等学校造士館 (旧制)文科卒業。1933年東京帝国大学文学部国文科卒業。海城中学校(現・海城高等学校)教諭、1936年長野県飯田中学校(現・長野県飯田高等学校)教諭、釜山高等女学校教諭、水戸高等学校教授、茨城大学文理学部助教授、教養部教授、1975年定年退官、名誉教授。2000年5月26日、虚血性心不全のため死去。
有永 弘人(ありなが ひろと、1906年12月1日 - 19… 有永 弘人(ありなが ひろと、1906年12月1日 - 1992年4月8日)は、日本のフランス文学者。東北大学名誉教授、文学博士。 鹿児島県鹿児島市生まれ、福岡県築上郡千束村(後の豊前市)野田出身。1924年3月、旧制福岡県立築上中学校(福岡県立築上中部高等学校および福岡県立青豊高等学校の前身)卒業。1927年3月、旧制福岡高等学校(九州大学教養部の前身)文科丙類卒業。1930年3月、東京帝国大学文学部仏蘭西文学科卒業。1931年4月から1932年3月まで東京帝国大学大学院に在籍。1932年4月から1933年8月まで広島文理科大学・広島高等師範学校(現広島大学)講師。1933年9月、東京帝国大学文学部副手となる。
丸野 弥高(まるの やこう、1900年3月20日-1976年… 丸野 弥高(まるの やこう、1900年3月20日-1976年3月22日)は、日本の国文学者。明治大学名誉教授。 鹿児島県鹿児島市平之町に生まれ、鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)を1918年3月に卒業。同校3年次に1年休学しており、その間、文学書を読みあさっていた。また、当時の校長の方針で旧制第二鹿児島中では国語の副読本に田山花袋の随筆「椿」が使われており、この頃から自然主義文学に興味を抱く。 1926年3月に第七高等学校造士館 (旧制)を、1930年に東京帝国大学文学部国文学科をそれぞれ卒業。旧制第七高校では文芸部に入っていた。また、学生時代から「潮騒」主宰の太田水穂に師事して短歌をつくる。
島津 久基(しまづ ひさもと、1891年(明治24年)4月1… 島津 久基(しまづ ひさもと、1891年(明治24年)4月16日 - 1949年(昭和24年)4月8日)は、国文学者。東洋大学教授、東京大学教授、文学博士。 生家は島津氏分家・花岡島津家。鹿児島県鹿児島市の天文館通りにあった花岡島津屋敷で生まれ育つ。鹿児島県立第一鹿児島中学校(旧制)を経て、第七高等学校造士館(旧制)に進み、1913年に卒業。1916年東京帝国大学文科大学を卒業。東大在学中、芳賀矢一の知遇を受ける。また、成績優秀のため、卒業時に恩賜銀時計を受ける。大学院に入り勉学を続ける。 1919年日本大学講師となり、同年第一高等学校(旧制)教授となった。1922年、母校の東京帝国大学助教授となったが、1924年に病気のため休職し1926年に退職。
萬造寺 齊(まんぞうじ ひとし、1886年(明治19年)7月… 萬造寺 齊(まんぞうじ ひとし、1886年(明治19年)7月29日 - 1957年(昭和32年)7月9日)は、日本の歌人、小説家、英文学者。鹿児島県生まれ。 鹿児島県日置郡串木野町羽島(現在のいちき串木野市)の裕福な地主の家に生まれる。旧制川内中学から旧制第七高等学校を経て東京帝国大学英文科卒業。東京で与謝野鉄幹に師事し、「明星」、「スバル」に参加、堀口大學から「短編実作者の第一人者」と評された。また石川啄木、高村光太郎、北原白秋、森鷗外らと親交し、東大卒業後は愛媛県西条中学校などで教鞭をとった。 28歳の時、加世田の私有地を売った資金で「我等」を創刊するも下宿の火事により原稿が消失、廃刊。京都に移り住み、「街道」を発行して再起を図るも1944年、戦時統制による紙不足でまたも廃刊、戦後は農地改革により地主としての地位を失い、故郷に戻る願いも叶わず1957年、京都で70年の生涯を終えた。
昇 曙夢(のぼり しょむ、1878年7月17日 - 1958… 昇 曙夢(のぼり しょむ、1878年7月17日 - 1958年11月22日)は、日本のロシア文学者。正教会の信徒であり、ニコライ・カサートキンの門下生の一人としても知られる。晩年には奄美群島の本土復帰運動に尽力した。 奄美群島加計呂麻島実久村芝(現鹿児島県大島郡瀬戸内町)生まれ。本名・直隆。 島の小学校を出ると鹿児島に行き、鹿児島正教会に通い間もなく洗礼を受けた。聖名はパウェル。 1895年、上京。1896年、日本正教会の教育機関である東京の正教神学校に入学。1903年、同校を卒業。在学中から評伝『露国文豪 ゴーゴリ』を執筆し、明治37年(1904年)刊行。卒業と同時に正教神学校講師として心理学・論理学を講じた。