与田 剛(よだ つよし、1965年〈昭和40年〉12月4日 … 与田 剛(よだ つよし、1965年〈昭和40年〉12月4日 - )は、福岡県北九州市八幡東区生まれ、千葉県君津市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)・コーチ・監督、解説者・評論家。東京農業大学硬式野球部アドバイザー。1999年シーズン途中から2000年までの登録名は与田 剛士(読み同じ)。 現役時代は中日ドラゴンズで新人年(1990年)に最高球速157 km/hを記録するなど、抑え投手として活躍。その剛速球は「名前通りの剛球」と呼ばれた。 妻は元TBSアナウンサーの木場弘子。 福岡県北九州市八幡東区で生まれたが、3歳ないし5歳の時に千葉県へ転居した。姉が2人いる。剛の父親は福岡県嘉穂郡桂川町、母親は同県飯塚市の出身であり、父親は剛が出生した当時、八幡製鉄所に勤めていた。
森 昌彦(もり まさひこ、1965年8月25日 - )は、日… 森 昌彦(もり まさひこ、1965年8月25日 - )は、日本の元社会人野球選手(投手)、野球指導者である。アトランタオリンピック野球日本代表ではリリーフを務めた。
パンチ佐藤(パンチさとう、本名:佐藤 和弘(さとう かずひろ… パンチ佐藤(パンチさとう、本名:佐藤 和弘(さとう かずひろ)、1964年〈昭和39年〉12月3日 - )は、神奈川県出身のタレント、元プロ野球選手(外野手・内野手、右投左打)、野球解説者。愛称は「パンチ」。 川崎市立西中原中学校から武相高校へ進学。1982年春季関東大会準々決勝に進むが、関東学園大附高に延長14回敗退。同年夏の甲子園県予選の準々決勝にて、のちにプロで同僚となる高田誠を擁した法政二高に延長10回サヨナラ負けを喫する。 亜細亜大学に進み、同野球部に入部、最終年にはキャプテンを務めた。東都大学野球リーグでは、1年上の3年生エース三原昇の好投もあり1984年春季リーグにて優勝を経験。直後の全日本大学野球選手権大会決勝では、3年生エース西川佳明や秦真司捕手、島田茂、伊吹淳一(のち熊谷組)、若井基安ら強力打線の法大に延長11回惜敗、準優勝にとどまる。
阿波野 秀幸(あわの ひでゆき、1964年7月28日 - )… 阿波野 秀幸(あわの ひでゆき、1964年7月28日 - )は、神奈川県横浜市保土ケ谷区(現:旭区)出身の元プロ野球選手(投手、左投左打)、野球解説者・野球評論家。マネジメント契約先はスポーツビズ。 父親が地元の少年野球チームでコーチをしていたその影響から、小学4年生の時から野球を始める。横浜市立鶴ケ峯中学校時代、強豪東海大相模高校からの誘いを受けていたにもかかわらず、相模でやっていく自信が無かったこともあり、あえて公立の横浜市立桜丘高等学校を志望し、塾通いをして文武両道を目指した。桜丘高校では3年夏の神奈川大会4回戦で日大高校(決勝で法政二高に敗れた)に1-2で敗退し、甲子園出場経験はなかった。
古川 慎一(ふるかわ しんいち、1963年7月26日 - )… 古川 慎一(ふるかわ しんいち、1963年7月26日 - )は、東京都江戸川区出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。 ロサンゼルスオリンピック野球の金メダリスト。 春日部工業高校では投手として2年秋に県大会優勝で関東大会へ進むが準々決勝で印旛高校に敗退。1981年の全国高等学校野球選手権埼玉大会準決勝に進出するが、上尾高校に敗れる。卒業後は亜細亜大学に進学。大学3年から本格的に野手転向。東都大学野球リーグでは1984年春季リーグで優勝。同年の全日本大学野球選手権大会決勝に進むが、法大に延長11回惜敗、準優勝にとどまる。同年の日米大学野球選手権大会日本代表に選出され、またロサンゼルスオリンピック日本代表となり、金メダル獲得に貢献した。
鈴木 慶裕(すずき よしひろ、1963年5月21日 - )は… 鈴木 慶裕(すずき よしひろ、1963年5月21日 - )は、東京都大田区出身の元プロ野球選手(外野手)。 武相高では1981年の夏の甲子園神奈川大会で準々決勝に進出するが、日大高に敗退。武相高校では遊撃手だった。高校卒業後の1982年、亜細亜大学へ進学し、外野手に転向する。東都大学野球リーグでは同期三原昇(東芝)、1年下の阿波野秀幸の両エースを擁し、3年時の1984年春季リーグの優勝に貢献。同年の全日本大学野球選手権大会では決勝に進むが、3年西川佳明投手擁する法政大に延長11回法政2年山本貴のサヨナラ本塁打により3-×6で惜敗、準優勝にとどまる。リーグ通算85試合に出場し316打数76安打、打率.241、1本塁打、19打点。
近藤 哲司(こんどう てつじ、1960年 - )は、日本の新… 近藤 哲司(こんどう てつじ、1960年 - )は、日本の新聞記者、ジャーナリスト。株式会社産業経済新聞社代表取締役社長。 長野県松本市出身。亜細亜大学経済学部卒業後の1987年に産経新聞社入社。1997年から約2年間、米スタンフォード大学に留学。同社編集局、東京本社の経済部、営業局開発部長、デジタルメディアセンター長、米スタンフォード大学アジア太平洋研究センター客員研究員などを経て、2009年から産経デジタル代表取締役社長。2013年から同社取締役デジタル担当を兼務し、2015年からは代表権のない取締役会長となる。その後、産経新聞社取締役、常務取締役を歴任し、2020年6月から専務取締役。2022年6月24日付で代表取締役社長に就任した。
星野 正則(ほしの まさのり、1959年10月22日 - )… 星野 正則(ほしの まさのり、1959年10月22日 - )は、日本の実業家。ドトールコーヒー代表取締役社長、ドトール・日レスホールディングス代表取締役社長、日本フランチャイズチェーン協会副会長。 新潟県出身。新潟県立新潟江南高等学校 卒業、1983年亜細亜大学法学部卒業、ドトールコーヒー入社。2000年取締役店舗開発本部長に昇格。2002年常務取締役店舗開発統括本部長。2004年専務取締役店舗開発統括本部長。2005年取締役副社長店舗開発統括本部長。2007年にドトール・日レスホールディングスが設立されると、同社取締役に就任。2008年からドトール・日レスホールディングス代表取締役社長を、2011年からはドトールコーヒー代表取締役会長も兼務し、自身の名を冠した星乃珈琲店の展開などを進めた。
宮本 賢治(みやもと けんじ、1959年9月9日 - )は、… 宮本 賢治(みやもと けんじ、1959年9月9日 - )は、兵庫県神崎郡市川町出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ・監督。
中田 良弘(なかだ よしひろ、1959年4月8日 - )は、… 中田 良弘(なかだ よしひろ、1959年4月8日 - )は、神奈川県横浜市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)・監督、野球解説者。 横浜市立平楽中学校から横浜高校に進学し同級生に副島保彦。1年秋は2番手投手ながら県大会準優勝で関東大会でも救援登板したが1回戦で敗退。その後はエースとして同期の佐野クリストとバッテリーを組み、1976年秋季県大会準決勝に進むが、東海大相模高に敗退。翌1977年夏の県大会でも、準々決勝で法政二高に敗れ、甲子園には出場できなかった。1年下のチームメートに遊撃手の吉田博之がいた。 卒業後は亜細亜大学に進んだが1年で中退。日産自動車に在籍していた先輩から誘われて入社。高卒時にも日産から誘いがあったが、亜大のセレクションに参加したところ矢野祐弘総監督が惚れ込んで進学することとなるも部の体質に馴染めずに中退したという。
グレート義太夫(グレートぎだゆう、1958年〈昭和33年〉1… グレート義太夫(グレートぎだゆう、1958年〈昭和33年〉12月26日 - )は、日本のお笑いタレント、ミュージシャン。本名は鈴木 正之(すずき まさゆき)。株式会社TAP所属。 東京都板橋区出身。私立京華高校卒業、亜細亜大学中退。 元小結の國登國生は叔父にあたる。 大学時代、音楽系サークルでドラマーとして活動しているうちに、プロミュージシャンを目指すようになる。バンド『雷神』を組み、アマチュアとして活動していた。 『ビートたけしのオールナイトニッポン』のリスナーであった義太夫は、ビートたけしのファンとなり弟子志願をするが、その際ドラムが特技であることを披瀝し、当時のたけしのバックバンド『シークレット・ポリス』に加入することになった。
大石 大二郎(おおいし だいじろう、 1958年10月20日… 大石 大二郎(おおいし だいじろう、 1958年10月20日 - )は、静岡県静岡市出身の元プロ野球選手(内野手)、監督、野球指導者、解説者、評論家。1987年から1990年までの登録名は、大石 第二朗(読みは同じ)。
松井 計(まつい けい、1958年7月5日 - )は、愛媛県… 松井 計(まつい けい、1958年7月5日 - )は、愛媛県八幡浜市出身の元小説家、元ホームレス。 横浜市神奈川区六角橋に生まれる。愛媛県立八幡浜高等学校卒。亜細亜大学経営学部を6年かけて卒業後、古書店勤務などを経て作家活動に入る。身長151cm。 1994年ごろ、若桜木虔が主催する作家集団、霧島那智に参加。松井永人(まつい えいじん)名義義で架空戦記小説や時代小説を発表する。2001年、住宅トラブルに、予定していた単行本の出版中止などが一挙に重なったため経済的に困窮し、借金を負い、幼い娘と身重の妻を福祉施設に預け、自らはホームレス生活を余儀なくされる。その後妻とは離婚。その半年間の体験を綴った『ホームレス作家』(幻冬舎刊)を上梓して以降、本名の松井計で作品を発表するようになった(著書の印税の半額を幻冬舎より前借りしたと「ホームレス作家」の続編「ホームレス失格」に記されている)また、「特定非営利活動法人面接交流の会」設立理事長職に就くも「ある事情」により即辞任。
大柴 邦彦(おおしば くにひこ、1958年5月5日 - )は… 大柴 邦彦(おおしば くにひこ、1958年5月5日 - )は、日本の政治家。山梨県北杜市長(1期)。元山梨県議会議員。元山梨県議会議長。 1958年(昭和33年)5月5日、山梨県北杜市明野町(旧:明野村)に生まれた。1977年(昭和52年)、山梨県立韮崎高等学校卒業。1981年(昭和56年)、亜細亜大学経営学部卒業。同年国際興業グループの山梨交通株式会社に入社。2006年(平成18年)、山梨貸切自動車株式会社取締役支配人。2011年(平成23年)山梨県議会議員選挙初当選(3期)、2019年(令和元年)第128代山梨県議会議長、全国都道府県議会議長会副会長。2020年(令和2年)、北杜市長選挙出馬のため山梨県議会議員を辞職。
萱野 志朗(かやの しろう 、1958年4月14日 - )は… 萱野 志朗(かやの しろう 、1958年4月14日 - )は、政治家、アイヌ民族活動家。萱野茂二風谷アイヌ資料館館長、アイヌ民族党の党首。北海道日高支庁の沙流郡平取町の町議会議員(2019年4月~2023年)。 1958年4月14日、北海道日高支庁の沙流郡平取町二風谷に、萱野茂と奥尻村出生平取町二風谷出身のれい子(旧姓は二谷)の間の次男として生まれる。 1981年3月に、亜細亜大学法学部を卒業する。そののち、大手広告会社に勤務する。1988年1月より、平取町二風谷アイヌ語教室事務局員を務める。1990年9月、佛教大学通信教育課程にて、学芸員の資格を取得する。 1992年4月より、萱野茂二風谷アイヌ資料館の副館長、学芸員を務める。
大山 尚雄(おおやま ひさお、1958年3月19日 - )は… 大山 尚雄(おおやま ひさお、1958年3月19日 - )は、日本の男性声優、ナレーター。東京都豊島区西巣鴨、新宿区中井出身。 東京都新宿区中井で育つ。 3歳の時に劇団こまどりに入団、子役として活動し、テレビドラマ、映画に出演。 実家が道路拡張工事のため、埼玉県浦和市(現さいたま市)に転居したことで芸能活動を休止し、中学、高校時代は野球部に所属し、埼玉県立与野高等学校の野球部の選手として活躍。 高校卒業後、亜細亜大学法学部に進学し、新聞配達をしながら通学、同大学卒業後、芝居に対しての情熱が再燃し、南原宏治が主宰していた劇団天地劇入団したが、劇団生活になじめず1年半ほどで退団。 1983年、東京俳優生活協同組合の俳協付属養成所に入所し、声優としての活動を始める。
奥井 智之(おくい ともゆき、1958年 - )は、日本の社… 奥井 智之(おくい ともゆき、1958年 - )は、日本の社会学者、亜細亜大学経済学部教授。 奈良県生まれ。1981年、東京大学教養学部相関社会科学卒業。1988年、東京大学大学院社会学研究科社会学専攻単位取得満期退学。1990年、亜細亜大学経済学部助教授、のち教授。和敬塾出身。
安次富 修(あしとみ おさむ、1956年2月20日 - )は… 安次富 修(あしとみ おさむ、1956年2月20日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の元衆議院議員(1期)。 現在の沖縄県宜野湾市出身。沖縄県立普天間高等学校、亜細亜大学経済学部卒業。衆議院議員國場幸昌秘書、宜野湾市議会議員(3期)、沖縄県議会議員(4期)を経て、2005年の第44回衆議院議員総選挙で自由民主党公認で沖縄県第2区から立候補し、選挙区では敗れたが重複立候補していた比例九州ブロックで当選。 2009年8月30日執行の第45回衆議院議員総選挙では、公明党の推薦も受け自民党公認で再選を目指すも、落選した。 2010年11月28日執行の宜野湾市長選挙に保守系候補として立候補したが落選した。
村嶋 修(むらしま おさむ、1956年1月12日 - )は、… 村嶋 修(むらしま おさむ、1956年1月12日 - )は、日本の元俳優。本名は同じ。 三重県尾鷲市出身。身長181cm、体重67kg。亜細亜大学経済学部卒業。 体育の教師になるつもりで大学で勉強していたが、1977年、大学在学中にテレビ番組『パンチDEデート』への出演がきっかけで芸能事務所からスカウトされ、デビュー。 1978年、特撮テレビドラマ『スターウルフ』の主演に抜擢され、SF作家の小松左京から東 竜也(あずま たつや)の芸名を与えられる。本作終了後は、テレビドラマ『明日の刑事』にレギュラー出演。 1980年のテレビドラマ『青春諸君!』のレギュラー出演を期に芸名を本名に戻し、1980年代前半までテレビドラマを中心に活動した。
岸田 一夫(きしだ かずお、1955年(昭和30年)12月3… 岸田 一夫(きしだ かずお、1955年(昭和30年)12月3日 - )は、日本の政治家。茨城県鉾田市議会議員(1期)、鉾田市長(2期)歴任。 茨城県鹿島郡大洋村(現在の鉾田市)出身。大洋村立大洋中学校、茨城県立鉾田第一高等学校卒業。1978年(昭和53年)3月、亜細亜大学法学部卒業。 1979年(昭和54年)9月、鹿行広域市町村圏事務組合の消防本部職員に採用される。 2015年(平成27年)3月、鉾田消防署長を退職。同年6月、鉾田市議会議員に順位2位で初当選。 2017年(平成29年)5月30日、任期満了に伴う鉾田市長選挙に立候補する意向を表明。第48回衆議院議員総選挙の影響で市長選は1週間前倒しされ、衆院選と同じ10月22日に実施された。
古屋 英夫(ふるや ひでお、1955年8月1日 - )は、千… 古屋 英夫(ふるや ひでお、1955年8月1日 - )は、千葉県富津市出身の元プロ野球選手(内野手)、プロ野球コーチ。 現役時代は日本ハムファイターズの主力選手として活躍。小柄ながらがっしりした体格で、長打力を持ち合わせていたことからボンバーという愛称で知られた。 富津市で漁師の家庭に生まれる。小学校3年生の時に肋骨にカリエスが見つかって摘出手術を行ない、回復のため父親の勧めで野球を始めた。優れた野球の才能を見せて6年生の頃から中学の練習にも参加し、天羽中学に進むと投手で四番打者を務めている。 複数の高校野球部から誘いを受け、木更津中央高校に進学。高校でも1年生の秋からエース、四番打者となる。1972年夏の甲子園県予選では2回戦で成東高の鈴木孝政と投げ合い、4-5で惜敗。
保坂 嘉弘(ほさか よしひろ、1955年3月30日 - )は… 保坂 嘉弘(ほさか よしひろ、1955年3月30日 - )は、日本の雑誌編集者、ゲームデザイナー、実業家。株式会社マッグガーデン代表取締役会長。持株会社であるIGポートの取締役を兼任。 秋田県出身。亜細亜大学経済学部卒業後、漫画原作者、ゲームデザイナーを経て1984年にエニックス(現スクウェア・エニックス)入社。元々はゲームプロデューサーであったが、コミック部門創設に参加し、『月刊少年ガンガン』の初代編集長となる。『ドラゴンクエスト4コママンガ劇場』の作家を主軸に、『週刊少年ジャンプ』など既存の少年誌や児童誌を参考にしつつ、ファンタジー色の強い少年漫画とギャグ漫画を前面に押し出して混沌とした独特の誌面を作り上げた。
ペマ・ギャルポ(チベット語: པདྨ་རྒྱལ་བོ〈ラテン… ペマ・ギャルポ(チベット語: པདྨ་རྒྱལ་བོ〈ラテン文字翻字形:Pema Gyalpo〉、1953年6月18日 - )は、日本の政治学者。チベット出身で日本に帰化したチベット系日本人。拓殖大学国際日本文化研究所教授、岐阜女子大学南アジア研究センターのセンター長、世界戦略総合研究所評議員、国際宗教自由連合副委員長。専門は、国際関係論、国際政治学。 亜細亜大学法学部卒業。モンゴル国立大学政治学博士。所属する学術機関はチベット文化研究所等多数。所属する芸能事務所はサラブレッド・プロモーション。 鈴木エイトは著書『自民党の統一教会汚染 追跡3000日』で、ペマ・ギャルポが2021年11月7日の「救国救世勝共大会2021」(国際勝共連合主催)に来賓として出席し、同連合の学生部長から紹介された旨を記している。
川島 英夫(かわしま ひでお、1953年 - )は、群馬県出… 川島 英夫(かわしま ひでお、1953年 - )は、群馬県出身のトレーナー、実業家。株式会社メジャー・トレーナーズ代表取締役社長。 群馬県立桐生工業高等学校、亜細亜大学時代は硬式野球部に所属。大学4年時に肘を故障したことからスポーツトレーナーを志す。 大学卒業後は小守スポーツマッサージに師事。その後、読売ジャイアンツのトレーナー・井上龍男に師事。 1979年4月に「メジャー・トレーナーズ」を新宿区四谷左門町に開業。 1983年3月には株式会社メジャー・トレーナーズを設立。 1984年8月のロサンゼルスオリンピックの野球日本代表のチームトレーナーとしてチームに所属。 1988年8月のソウルオリンピックの際も野球日本代表のチームトレーナーとしてチームに所属。
芦岡 俊明(よしおか としあき、1952年4月11日 - )… 芦岡 俊明(よしおか としあき、1952年4月11日 - )は、山口県岩国市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。右投右打。 岩国工高在学時は強打の内野手として知られたが、甲子園には出場できなかった。1970年のドラフトで大洋から7位指名されるも拒否し、亜細亜大に進学。東都大学野球リーグでは1971年の春季リーグで優勝を経験するが、自身の活躍の場はなく、その後は優勝に届かなかった。リーグ通算50試合出場、135打数18安打、打率.133、1本塁打、7打点。大学同期に林龍郎がいる。 1974年のドラフトでロッテより3位指名を受け入団。入団当初は主に遊撃手として起用されたが、飯塚佳寛の壁を破れず、あまり出場機会はなかった。
川内 天子(かわち のりこ、1951年9月1日 - )は、日… 川内 天子(かわち のりこ、1951年9月1日 - )は、日本の芸能リポーターである。旧名は、川内 朋子(かわうち ともこ)。新潟県出身。身長155cm、血液型はB型。圭三プロダクション所属。 亜細亜大学法学部卒業後、虎の門病院で医療事務の仕事に就く。虎の門病院を退職後、29歳でラジオのリポーターとなる。日本テレビ『ルックルックこんにちは』で芸能リポーターとして出演したのが、テレビの初レギュラーとなる。2013年4月現在、TBS『大久保じゃあナイト』、中京テレビ『キャッチ!』、読売テレビ『朝生ワイド す・またん!』、RKB毎日放送『今日感テレビ』などに出演中。 歌舞伎関連を長く取材し、市川海老蔵には、海老蔵が初舞台を行った5歳の頃から取材をしている。
山本 春樹(やまもと はるき、1951年 - )は、外交官、… 山本 春樹(やまもと はるき、1951年 - )は、外交官、文筆家。新潟県生まれ。本名は山上春雄。東京都立忍岡高等学校卒業。1975年亜細亜大学卒業後、在ソ連日本大使館勤務。その後外務省に入省し、1984年在レニングラード(現サンクトペテルブルク)日本総領事館、94年在ボストン日本総領事館、97年在カザフスタン日本大使館、2003年在イエメン共和国日本大使館、2005年在デンバー日本総領事館、2008年8月在アラブ首長国連邦日本大使館一等書記官。
長谷川 勉(はせがわ つとむ、1950年9月8日 - )は、… 長谷川 勉(はせがわ つとむ、1950年9月8日 - )は、千葉県富津市出身の元プロ野球選手(投手)。 父は漁師。小学2年生の時から船を漕いで沖へ出ていた。木更津中央高等学校では、1968年の夏の甲子園千葉予選を、高校同期の宇佐美和雄投手との二本柱で勝ち進み、準決勝に進出。千葉商と対戦し、宇佐美が登板したが0-2で惜敗、甲子園への出場を逃した。 亜細亜大学へ進学。東都大学リーグでは1971年春季リーグで優勝を経験するが、1年上に山本和行投手がおり、登板機会には恵まれなかった。4年生の1972年春季リーグで初勝利。リーグ通算10試合に登板し5勝3敗を記録した。 卒業後は日産自動車に入社。1973年の都市対抗にはリリーフエースとして出場、先発の藤田康夫投手とのコンビで勝ち進む。
勝部 修(かつべ おさむ、1950年(昭和25年)7月4日 … 勝部 修(かつべ おさむ、1950年(昭和25年)7月4日 - )は、日本の政治家。元岩手県一関市長(3期)。 2009年10月2日、任期満了に伴う一関市長選挙に無所属で立候補。当時全国最高齢市長だった浅井東兵衛が引退したこの選挙には、他に新人2人が立候補した。勝部はこの選挙で、「経験を基に雇用対策に最善を尽くし、市のサービス力を向上させる」と強調した。10月9日、投開票が実施され、勝部は他の2人を大差で下し、初めての当選を果たした。2013年の市長選挙は無投票当選で再選、2017年の市長選挙でも無投票で三選された。2021年の市長選挙には出馬せず任期満了を持って退任した。 一関市長選挙開票結果 2009年(平成21年)10月9日(投票率 : 70.42%) 自身のホームページに、「政策の3本柱…3つの「きょうせい」」として、「競生」「共生」「協生」を掲げている。
富樫 宜資(とがし よしもと、1950年6月1日 - )は、… 富樫 宜資(とがし よしもと、1950年6月1日 - )は、日本の空手家。日本空手道無門会の創設者・代表(宗主会長)で段位は十段。山形県酒田市常禅寺出身。亜細亜大学出身。 高校時代からキックボクシングに興味を抱き、大学入学後、空手を稽古し始める。 1970年には10日間の山篭り修行をおこなう。同年の第2回オープントーナメント全日本空手道選手権大会に白帯でエントリーした。2回戦で西田幸夫と対戦するが判定負け。1971年の第3回全日本選手権では3回戦で佐藤勝昭に敗北。対戦した佐藤勝昭は試合内容を富樫の前額部に跳び膝蹴りをヒットさせ、大差の判定で勝利したと述べている。 1973年の6月から9月中旬まで奥多摩で100日間の山篭りを行い、空手の稽古に励んだ。
荒木 耕治(あらき こうじ、1950年〈昭和25年〉3月6日… 荒木 耕治(あらき こうじ、1950年〈昭和25年〉3月6日 - )は、日本の政治家。屋久島町長(3期)、元上屋久町議会議員(4期)。 1950年(昭和25年)3月6日、鹿児島県熊毛郡上屋久町(現・屋久島町)で生まれる。 1972年(昭和47年)、亜細亜大学経済学部を卒業する。 1995年(平成7年)、上屋久町議会議員選挙に出馬し、初当選。在任中に上屋久町議会議長を務める。 2007年(平成19年)11月11日、上屋久町と屋久町の合併による屋久島町発足に伴う屋久島町長選挙に出馬したが、旧屋久町長の日高十七郎に破れ、落選する。 2011年(平成23年)10月30日、任期満了に伴う屋久島町長選挙に出馬し、現職の日高十七郎らを破り、初当選。
國本 良博(くにもと よしひろ、1949年〈昭和24年〉12… 國本 良博(くにもと よしひろ、1949年〈昭和24年〉12月25日 - )は、静岡県内で活動するフリーアナウンサー。元静岡放送(SBS)アナウンサー。 鳥取県智頭町出身。血液型O型。 亜細亜大学を卒業し、1973年に静岡放送(以降SBSと表記)へ入社後、SBSのテレビ・ラジオの両方でアナウンサーとパーソナリティーを務める。2009年12月25日にSBSを定年により退社し、以後も引き続きパーソナリティーとしてSBSの番組に出演。2013年3月まで『GOGOワイド くんちゃんのらぶらじ』に出演した。 ニックネームはヤング向けDJ番組の担当当初は名字から「クニちゃん」であったが、局アナ時代の後輩・荻島正己が「言いにくい」との理由から「クンちゃん」と変更し、浸透していったものである。
加藤 初(かとう はじめ、1949年12月20日 - 201… 加藤 初(かとう はじめ、1949年12月20日 - 2016年12月11日)は、静岡県富士市出身の元プロ野球選手(投手)、野球解説者、野球指導者。 吉原商業高校(1年次は吉原市立、2年次より富士市立)から亜細亜大学に進む。入学早々に膝を悪くし、実家近くの信頼ある鍼灸医の治療をうけ回復した。その帰京の際、亜細亜大学を中退した友人宅へ途中下車して寄り、一泊の予定だったが大学でのシゴキがあったことから三週間も滞在してしまい、復学しづらくなって入学後3ヶ月あまりで中退した。 社会人野球の大昭和製紙へ入社し、4年目にエースとして第42回都市対抗野球大会へ出場。秋の日本産業対抗野球大会では優勝候補の熊谷組を1安打完封して優勝に貢献した。
山本 和行(やまもと かずゆき、1949年6月30日 - )… 山本 和行(やまもと かずゆき、1949年6月30日 - )は、広島県出身の元プロ野球選手(投手)、野球解説者、プロ野球コーチ。
榎本 文克(えのもと ふみかつ、1947年12月6日 - )… 榎本 文克(えのもと ふみかつ、1947年12月6日 - )は 元福島テレビアナウンサー。 大分県出身、亜細亜大学卒業。1973年入社 報道部、秘書部長、仙台支社長、大阪支社長、営業業務局次長・ハウジング部長、営業業務局専任局長・ハウジング部長(2006年7月1日より)を経て、2007年12月末で定年退職。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
塩田 金次郎(しおた きんじろう、1947年〈昭和22年〉1… 塩田 金次郎(しおた きんじろう、1947年〈昭和22年〉11月13日 - )は、日本の実業家。政治家。元福島県石川郡石川町長(2期)。元福島県議会議員(自由民主党、4期)。 福島県石川郡石川町出身。学校法人石川高等学校を経て、亜細亜大学法学部中退。1972年に24歳でテープレコーダーのヘッドを製造する有限会社塩田工業を石川町内で創業。その後、テープレコーダーやビデオデッキの本体の組み立てなどで事業を拡大し、1991年に会社を株式会社に組織変更した。 政治面では1987年に石川町議会議員に当選。石川町議を2期務めた。1995年、福島県議会議員選挙に石川郡選挙区から無所属で立候補し、初当選。1999年に自民党公認で立候補し、再選。
渡辺 弘基(渡邊 弘基、わたなべ ひろき、1947年10月2… 渡辺 弘基(渡邊 弘基、わたなべ ひろき、1947年10月26日 - )は阪急ブレーブス・広島東洋カープに所属したプロ野球選手(投手)。福岡県出身。 日立一高では、1965年にエースとして夏の甲子園東関東予選決勝に進出。銚子商の木樽正明と投げ合うが0-9で大敗し、甲子園には出場できなかった。 亜細亜大学へ進学。東都大学リーグでは在学中に2度の優勝を経験。1年上に森永悦弘、西尾敏征(電電中国)の両投手がおり、4年生時には山本和行が台頭したため、あまり登板機会には恵まれなかった。リーグ通算22試合に登板し3勝6敗。 1969年のドラフトで東映が3位指名するも拒否し、社会人の日産自動車に入社。1970年の都市対抗に本田技研の補強選手として出場する。
前田 終止(まえだ しゅうじ、1947年(昭和22年)7月2… 前田 終止(まえだ しゅうじ、1947年(昭和22年)7月25日 - )は、日本の政治家。前鹿児島県霧島市長(3期)。元鹿児島県牧園町長(1期)。元鹿児島県議会議員(4期)。鹿児島県市長会、鹿児島県観光連盟で副会長、環霧島会議、錦江湾奥会議で会長を務めた。 鹿児島県霧島市の旧牧園町中津川地域出身。鹿児島県立牧園高等学校(現:鹿児島県立霧島高等学校)を経て、1970年(昭和45年)亜細亜大学法学部卒業。1971年(昭和46年)、衆議院議員中尾宏の秘書になる。1972年に自由民主党に入党。1977年(昭和52年)、衆議院議員二階堂進の秘書になる。 2度の落選を経て、1987年(昭和62年)、鹿児島県議会議員選挙で初当選。
内田 俊雄(うちだ としお、1946年11月24日 - )は… 内田 俊雄(うちだ としお、1946年11月24日 - )は、アマチュア野球指導者。元亜細亜大学硬式野球部監督、現・拓殖大学野球部監督。広島県広島市出身。
大橋 穣(おおはし ゆたか、1946年5月29日 - 202… 大橋 穣(おおはし ゆたか、1946年5月29日 - 2025年7月18日)は、東京都新宿区出身(富山県氷見市生まれ)のプロ野球選手(遊撃手)・コーチ・監督。 愛称は「ペロ」(現役時代、打つ時、捕球の時、舌を出す癖があることから)。台湾における表記は大橋 穰(正体字)。 パ・リーグ初の遊撃手部門のダイヤモンドグラブ賞(現・ゴールデングラブ賞)を受賞している。 中学時代に野球を始めると同時に遊撃手となり、以後ずっと遊撃でプレーする。日大三高では、1年次の1962年に控え内野手として夏の甲子園に出場するが、準々決勝で村上公康のいた西条高に敗れる。2年次の1963年には同期のエース若宮秀雄を擁し秋季東京大会に優勝し、3年次の1964年に行われる春の選抜出場を決める。
岡田 正裕(おかだ まさひろ、1945年7月27日 - )は… 岡田 正裕(おかだ まさひろ、1945年7月27日 - )は、熊本県熊本市出身の元陸上競技選手・現指導者。専門は現役時・指導者ともに長距離走である。鎮西高等学校、亜細亜大学出身。 大学3年時には主将を務め、第43回箱根駅伝で母校を初出場に導く。同大会では9区を走り区間9位。チームは総合11位でシード権を逃した。4年時の第44回大会では3区を走り区間10位。チームは総合8位で初のシード権を獲得した。 1968年に地元食品メーカーのフンドーダイに就職。営業として社業に従事しながら陸上競技を継続。九州一周駅伝に10年連続出場し、33歳で現役を引退。 1986年から地元のスーパーマーケットチェーン・ニコニコドーに出向し女子陸上部を創設、監督に就任する。
鯉渕 信一(こいぶち しんいち、1945年〈昭和20年〉 -… 鯉渕 信一(こいぶち しんいち、1945年〈昭和20年〉 - )は、茨城県出身のモンゴル語学者。亜細亜大学名誉教授、元学長。 1963年3月に茨城県立水戸商業高等学校を卒業し、同年4月に亜細亜大学経済学部経済学科に入学。第二外国語の授業でモンゴル語を選択したことにより、モンゴル語と出会う。1973年に在モンゴル日本国大使館に派遣員として勤務。モンゴル国立大学交換教授を経て、1976年に亜細亜大学アジア研究所講師として着任。1989年には同研究所教授に就任。1992年には同大学国際関係学部教授となり、2000年から2003年には同大学の第6代学長を務める。2010年より亜細亜大学名誉教授。
岩本 紘一(いわもと こういち、1944年11月29日 - … 岩本 紘一(いわもと こういち、1944年11月29日 - )は、日本の元アマチュア野球選手(主に内野手)、監督。 鳥取県米子市出身。米子東高校では岡本利之監督の指揮の下、2年生の時、1961年の春の選抜に一塁手として出場。エース矢滝伸高(関大-米子東監督)が準々決勝で敦賀高を相手に延長16回23奪三振の1試合最多記録を達成、準決勝に進むが高松商に敗退した。1962年夏も東中国大会準決勝に進出するが、槌田誠のいた倉敷工に惜敗、甲子園出場を逸する。高校の2期先輩に1960年春の選抜準優勝メンバーの宮本洋二郎、清水賢がいる。 1963年に亜細亜大学に進学、野球部に入部すると同時に中心選手として活躍し、三塁手として出場した。
碓氷悟史(うすい さとし、1944年3月27日- )は、日本… 碓氷悟史(うすい さとし、1944年3月27日- )は、日本の公認会計士・会計学者。亜細亜大学名誉教授。 東京都生まれ。1967年亜細亜大学商学部商学科卒業、1972年明治大学大学院商学研究科商学専攻博士課程単位取得退学、亜細亜大学経営学部専任講師、1975年助教授、1980年教授となり、1983-1988年日本経済短期大学教授、1999-2001年、2003-2004年亜細亜大学短期大学部教授、その間は亜細亜大学教授。2015年定年となり、名誉教授。
山田 勝(やまだ まさる、1942年12月8日 - )は、日… 山田 勝(やまだ まさる、1942年12月8日 - )は、日本の商学者。 駒澤大学名誉教授。専門は商業史 経営史。日本貿易学会常任理事などを歴任。 1967年亜細亜大学商学部商学科卒業。1969年駒澤大学大学院商学研究科修士課程修了。1972年同大学院商学研究科博士課程単位取得。1974年駒澤大学経営学部専任講師、1978年同助教授、1984年同教授。1990年学生部長(評議員兼務)、1993年同教務部長(評議員兼務)、1995年経営学部学科主任、1997年駒澤大学同窓会東京都支部会長代行、同江戸川区支部参与、1997年経営学部長(理事兼務)、1997年同窓会常任幹事・幹事長。1972年日本貿易学会理事、1976年常任理事、2000年江戸川区情報公開・個人情報保護審査会委員を歴任。
菅沼 守人(すがぬま もりと、1942年(昭和17年)7月2… 菅沼 守人(すがぬま もりと、1942年(昭和17年)7月27日 - )は日本の合気道家。合気道(合気会)八段。NPO法人合気道祥平塾(福岡市)理事長・道場長。全日本合気道連盟理事。国際合気道連盟高等委員。合気道創始者植芝盛平最晩年の内弟子の一人。 福島県猪苗代町(旧千里村)の専業農家に生まれる。父親は大東亜戦争に出征し、昭和21年日本帰国前に病没した。福島県立会津高校時代棒高跳び選手として地方大会で活躍、順天堂大学体育学部に入学しオリンピック出場を目指すも、猛練習が祟り肝炎を発症し断念、大学を中退し帰郷するが、体育教師を目指し1963年(昭和38年)亜細亜大学に入学、同時に合気道部に入部し田村信喜に指導を受ける。
岩淵 慶造(いわぶち けいぞう、1942年1月18日 - )… 岩淵 慶造(いわぶち けいぞう、1942年1月18日 - )は、日本のイラストレーター。SF、ミステリ、児童文学等の挿絵で知られる。 青森県弘前市出身。子供の頃から絵に親しみ、中学・高校では美術部に所属した。1962年に上京し、亜細亜大学商学部へ入学。1966年に卒業した。 その後一時はフリーの商業デザイナーとして働くが、イラストレーターへの転身を目論み、早川書房にイラストを持ち込む。はじめ『ミステリマガジン』編集長の各務三郎に会うが、彼から『SFマガジン』編集長・南山宏のほうへ廻され、そこでイラストレーターとしての初仕事を得る(『SFマガジン』1967年8月号で、掲載された小説レイ・ブラッドベリ「火と霜」および眉村卓「Expo'87」の挿絵を描いた)。
植木 政明(うえき まさあき、1939年3月24日 - 20… 植木 政明(うえき まさあき、1939年3月24日 - 2024年7月14日)は、日本の松濤館流空手家。 東京都出身。16歳の時、杉浦初久二の下で高校3年の時に空手を、1人だけの生徒として開始。柔道から始めたにもかかわらず、自分は体が小さすぎることを気にしていたが、スピードを重視する空手に興味を持つ。このとき彼は1年を通して訓練、開発し、その後亜細亜大学に進学し卒業した後には指導者のプログラムに参加するように励まされた。 植木の空手は基本とスタンスに重点を置いており、彼は形のトレーニングを十分に理解することが上達への恩恵を受けると信じている。 青年時代、競技にも非常に興味があり、第8回JKA全国空手道選手権大会(1965年)では、形の部1位と組手の部2位で大会の総合優勝者となり、3年後の第11回JKA全日本空手道選手権(1968年)で彼は組手と形を制して、再び総合優勝を飾っている。
堀 泰一郎(ほり たいいちろう、1935年4月24日 - … 堀 泰一郎(ほり たいいちろう、1935年4月24日 - )は、日本の政治家。宮崎県(旧)小林市長(3期)、(新)小林市長(1期)。 宮崎県西諸県郡小林町(現・小林市)出身。亜細亜大学商学部卒。高等学校教諭を経て、小林市議会議員、同議長となり、1995年の小林市長選挙で初当選した。同年4月26日に就任した。 2003年の選挙で新人を破って3選を果たした。 ※当日有権者数:32,127人 最終投票率:77.96%(前回比:-pts) 須木村との合併で新「小林市」となるため、2006年3月19日に市長を退任した。同年4月の市長選で無投票初当選し、初代市長となる。同月23日に就任した。 2010年の選挙には立候補しなかった。
山蔭 基央(やまかげ もとひさ、1925年〈大正14年〉3月… 山蔭 基央(やまかげ もとひさ、1925年〈大正14年〉3月11日 - 2013年〈平成25年〉7月4日)は、山蔭神道家第79世である。 1925年(大正14年)、岡山県に生まれる。 大東亜戦争中、「皇典講究所」にて学ぶ。途中肺炎にかかり、仮死状態の中で異次元世界を経験したとされる。回復後、「神道の修行」に入った。 1947年(昭和22年)、中山忠徳の猶子となる。応神天皇以来伝承されている山蔭神道の哲理を学び、1949年(昭和24年)、「山蔭家第79世」になる。古神道の研究を行う。 1954年に文部大臣認証法人「山蔭神道」を興し、管長となる。1960年、亜細亜大学経済学部に入学し、近代経済学を研究する。