荒井 幸昭(あらい ゆきあき、1940年(昭和15年)6月2… 荒井 幸昭(あらい ゆきあき、1940年(昭和15年)6月23日 - 2019年(令和元年)6月14日)は、昭和から平成時代の政治家。山形県南陽市長。旭日小綬章。 中央大学法学部卒業。1976年(昭和51年)4月から17年3か月にわたり南陽市議会議員を務め、1994年(平成6年)4月からは同議長を務めた。1998年(平成10年)7月、南陽市長に当選し2期務めた。 市長在任中は、第4次南陽市総合計画の策定、公立置賜総合病院の開設、えくぼプラザ、赤湯小学校、交流プラザ「蔵楽」の建設、斎場整備などに尽くした。2011年春の叙勲で旭日小綬章を受章。
鈴木 正孝(すずき まさたか、1940年(昭和15年)6月2… 鈴木 正孝(すずき まさたか、1940年(昭和15年)6月22日 - )は、日本の官僚、政治家。元防衛医科大学校副校長。元参議院議員。静岡県出身。
沢辺 瀞壱(さわべ せいいち、1940年(昭和15年)4月2… 沢辺 瀞壱(さわべ せいいち、1940年(昭和15年)4月23日 - )は、日本の政治家。 飯能市議会議員(1期)、埼玉県議会議員(3期)、飯能市長(3期)を歴任。2019年春の叙勲で旭日中綬章を受章。 埼玉県英霊にこたえる会会長。飯能市英霊にこたえる会会長。明治神宮崇敬会飯能支部支部長。 飯能自動車学校の設置者。一男四女の父。 代々埼玉県飯能市岩沢の素封家として栄えてきた沢辺家は、瀞壱の祖父沢辺庄太郎が入間郡加治村の村長、父の沢辺浩(こう)が飯能町の町議会議員を務めるなど、地域のリーダーシップを取っていた。 飯能町立加治小学校の教員をしていた父の浩が1937年(昭和12年)に朝鮮全羅南道に一家で出向し、巨文島の小学校に校長として赴任している中、1940年(昭和15年)4月に誕生した。
猫田 孝(ねこた たかし、1940年4月8日 - )は、日本… 猫田 孝(ねこた たかし、1940年4月8日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の岐阜県議会議員(14期)。自由民主党岐阜県連会長代行。岐阜県政界に強い影響力を持ち、『岐阜のドン』とも呼ばれる。 岐阜県立大垣北高等学校、中央大学文学部卒業後、岐建株式会社(建設会社)に入社。1974年5月の岐阜県議会議員大垣市選挙区補欠選挙で初当選し、以後、14期連続当選。1989年には衆院選への立候補を目指したが、断念した。2003年6月には自由民主党岐阜県連幹事長に就任。 猫田の名を全国的に有名にしたのは2005年の郵政解散総選挙であった。当時の小泉純一郎首相は、郵政民営化法案の採決で造反した議員を公認せず、「刺客」候補を擁立すると決定。
本間 俊太郎(ほんま しゅんたろう、1940年(昭和15年)… 本間 俊太郎(ほんま しゅんたろう、1940年(昭和15年)2月26日 - )は、日本の政治家、俳人。元宮城県中新田町長、元宮城県知事。 政治家である本間俊一の長男として、宮城県加美郡中新田町(現在の加美町)に生まれ、中新田小学校、中新田中学校に学んだ。1954年(昭和29年)、東京都に移り、千代田区立一橋中学校(現在の千代田区立神田一橋中学校)、東京都立九段高等学校を経て、中央大学法学部を卒業。中央大学ペンクラブの友人に平井和正がいる。大学在学中に父が急死し、俊太郎ら兄弟の学業は、母・さよが本間薬局を開業したことに助けられた。 大学卒業後の1962年(昭和37年)4月、読売新聞社に入社、同社東北総局(仙台市)を経て、1965年(昭和40年)からは本社編集局(東京)記者として勤務した。
小島 敏男(こじま としお、1939年〈昭和14年〉11月1… 小島 敏男(こじま としお、1939年〈昭和14年〉11月11日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属。立正大学名誉教授。 文部科学副大臣(第2次小泉改造内閣・第3次小泉内閣)、防衛庁長官政務官(第1次小泉第1次改造内閣)、外務大臣政務官(第1次小泉内閣)、衆議院環境委員長、同北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員長、衆議院議員(4期)、埼玉県議会議長、埼玉県議会議員(4期)、熊谷市議会議長、熊谷市議会議員(3期)などを歴任。 熊谷市議会議員3期・同議長、埼玉県議会議員4期・同議長を経て、1996年の第41回衆議院議員総選挙に立候補するものの落選。1999年1月、中島洋次郎の議員辞職に伴い、同月21日付で繰上当選。
本多 利夫(ほんだ としお、1939年(昭和14年)10月9… 本多 利夫(ほんだ としお、1939年(昭和14年)10月9日 - )は、日本の政治家。元千葉県鴨川市長。 千葉県鴨川市出身。中央大学法学部卒。旧鴨川市議会議員を4期14年務め、議長も務める。1990年の鴨川市長選挙に立候補し初当選、2005年に天津小湊町と合併するまで旧鴨川市長を4期務める(1994年から3期連続無投票当選)。2005年の合併後の鴨川市長選挙に立候補し、無投票で当選する。市長を1期務め、2009年に退任した。2010年に旭日中綬章を受章。2012年に鴨川名誉市民に推戴された。
長野 力(ながの ちから、1939年(昭和14年)9月19日… 長野 力(ながの ちから、1939年(昭和14年)9月19日 - )は、日本の政治家。元鹿児島県西之表市長(3期)、元西之表市議会議員(2期)。旭日小綬章受章。 鹿児島県西之表町(現西之表市松畠)生まれ。西之表市立住吉中学校、鹿児島県立種子島高等学校、中央大学法学部卒業。1964年4月、太陽銀行(現三井住友銀行)に入行し、1982年7月に太陽神戸銀行を退職。銀行退職後は田上病院(現種子島医療センター)に入職した。 1997年、故郷の西之表市の市議会議員選挙に立候補し、初当選した。2001年、市議再選。2004年、任期を1年弱残して市議を辞職した。 2005年、西之表市長選挙に自由民主党・民主党の推薦、公明党の支持を受けて立候補し、当選した。
長野 祐也(ながの すけなり、1939年6月27日 - 20… 長野 祐也(ながの すけなり、1939年6月27日 - 2018年6月25日)は、日本の政治家・政治評論家。鹿児島県議会議員、衆議院議員(3期)。 鹿児島県鹿児島市出身。鹿児島玉龍高等学校第9回卒、同級生には元厚生労働大臣の尾辻秀久がいる。高校時代は弁論部で活動し、1957年10月に広島大学主催の全国高校弁論大会に出場、演題「高校生の使命に思う」で優勝。1963年、中央大学法学部政治学科卒業。 田中茂穂参議院議員秘書や鹿児島県議会議員、新自由クラブ鹿児島県連代表を経て、1980年第36回衆議院議員総選挙では鹿児島1区において自由民主党公認・中曽根派所属の新人候補として初当選、以降3期連続で務める。
保岡 興治(やすおか おきはる、1939年5月11日 - )… 保岡 興治(やすおか おきはる、1939年5月11日 - )は、日本の政治家、元裁判官、弁護士 (東京弁護士会所属)。自由民主党所属の衆議院議員(13期)、党憲法改正推進本部長。法務大臣(第69代、第81代)、裁判官弾劾裁判所裁判長を歴任した。2016年10月からは裁判官訴追委員会委員長。
齋藤 博(さいとう ひろし、1939年(昭和14年)3月27… 齋藤 博(さいとう ひろし、1939年(昭和14年)3月27日 - )は、日本の政治家。所沢市名誉市民。埼玉県所沢市の元市長。中央大学商学部卒業。 1939年、所沢市議を務めた父・静の次男として埼玉県所沢市で生まれる。1971年に32歳で所沢市議会議員選挙に当選する。1979年に埼玉県議会議員選挙(自由民主党公認)に当選し、以後連続3期当選を果たした。 1988年に発生した埼玉県議団分裂問題では、分派の「自民党第1県議団」に参加するが、自民党埼玉県連の無条件復帰の呼びかけによって、6県議とともに自民党県議団へ復帰した。 1990年11月、齋藤は所沢市長選挙に無所属から出馬を表明し、県議選挙を見送る形を取ったが、1991年に現職の中井真一郎市長(無所属保守系)が不出馬を表明。
臼井 日出男(うすい ひでお、1939年1月3日 - )は、… 臼井 日出男(うすい ひでお、1939年1月3日 - )は、日本の政治家。勲等は旭日大綬章。
藤田 恵(ふじた めぐみ、男性、1939年 - )は、日本の… 藤田 恵(ふじた めぐみ、男性、1939年 - )は、日本の政治家。元徳島県木頭村長。 憲法9条と、川を守るのが信条。「河口から源流まで、鮎が自然遡上する川に戻す」(藤田恵の川を取り戻す20字定義)。ロシナンテ社月刊誌「むすぶ誌」へ「水問題原論(嶋津暉之著)を読む」「百姓の想い出」「凡夫の雑記帳」等連載中。「空」「唯識」「超情報場仮説と唯識」トインビー「歴史の研究」など勉強中。趣味は釣りなどの川遊びと野宿。ランニング、自転車、水泳、ギター。
橋本 文彦(はしもと ふみひこ、1938年12月20日 - … 橋本 文彦(はしもと ふみひこ、1938年12月20日 - )は、日本の政治家。元公明党衆議院議員(2期)。弁護士。 神奈川県出身。1963年中央大学法学部卒。卒業後は科学技術庁、通商産業省、東京都主税局に勤務する。その後司法試験を受け合格後、1970年に弁護士登録する。 1983年の第37回衆議院議員総選挙で、前回の選挙で落選して引退した小浜新次の後任として旧神奈川3区に公明党から出馬して初当選。第38回衆議院議員総選挙でも当選し、2期務めた。 1990年の第39回衆議院議員総選挙に立候補せず、選挙区では橋本の後継者として立候補した河上覃雄が当選した。
白濵 信(しらはま まこと、1938年(昭和13年)12月1… 白濵 信(しらはま まこと、1938年(昭和13年)12月13日 - )は、日本の政治家。前平戸市長。 日本統治時代の台湾生まれ。第二次世界大戦終結後、両親の出身地である上五島に引き揚げ、後に平戸に移った。長崎県立猶興館高等学校卒業後、長崎県庁に入る。県庁在職中に中央大学第二部に学び(通信教育、東京事務所勤務中は夜間部通学)、卒業資格を取得した。 1996年(平成8年)11月、油屋亮太郎平戸市長が急逝した際、後継市長選に当時、県北振興局長であった白濵の出馬を求める声が高まり、同年12月の市長選に県庁を退職し立候補、無投票当選を果たした。以後、平成の大合併による新設合併を挟んで新旧平戸市の市長を延べ4期13年間務めた。
渡辺 惇夫(わたなべ あつお、別表記:渡邉 惇夫、1938年… 渡辺 惇夫(わたなべ あつお、別表記:渡邉 惇夫、1938年〈昭和13年〉11月14日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属。第84代新潟県議会議長、新潟県議会議員(9期)、新潟市議会議員(2期)。 1957年(昭和32年)、新潟明訓高等学校卒業。中央大学法学部卒業。1979年(昭和54年)の新潟市議会議員選挙に無所属で立候補して、初当選を果たした。同年5月2日に就任した。1983年(昭和58年)の選挙では自由民主党公認で立候補して、再選を果たした。1987年(昭和62年)の新潟県議会議員選挙に新潟市選挙区から、自民党公認で立候補して初当選を果たした。1991年(平成3年)の県議選で再選を果たした。
遠藤 武彦(えんどう たけひこ、1938年10月5日 - 2… 遠藤 武彦(えんどう たけひこ、1938年10月5日 - 2019年12月27日)は、日本の政治家。位階は従三位。 衆議院議員(6期)、農林水産大臣(第44代)、山形県議会議員、置賜農業共済組合組合長理事、山形県農業共済組合連合会会長理事、社団法人全国農業共済協会理事などを歴任した。愛称はエンタケ。 山形県米沢市出身。父は米沢市議会議長、山形県議をつとめ、山形農政に強い影響力を持っていた遠藤清海。現在の山形県立米沢興譲館高等学校を卒業後、1961年に中央大学文学部を卒業し、帰郷。県指導主事、米沢市農業協同組合理事などを務めた後、山形県議会議員(3期)を経て、1986年、第38回衆議院議員総選挙で衆議院議員に初当選。
横田 弘之(よこた ひろゆき、1938年8月29日 - )は… 横田 弘之(よこた ひろゆき、1938年8月29日 - )は、日本の政治家。勲等は旭日中綬章。 愛媛県議会議員(8期)、愛媛県議会議長(第95代)、地域政党愛媛維新の会代表などを務めた。 愛媛県宇和島市生まれ。宇和島市立明倫小学校、南宇和郡緑僧郡村立緑小学校、松山市立石井中学校、愛媛県立松山東高等学校、中央大学法学部法律学科卒業。 1964年に参議院議員の増原惠吉、1983年には衆議院議員の今井勇の秘書を務める。1991年に愛媛県議会議員選挙で立候補し、初当選した。 自由民主党に所属していたが、2010年の松山市長選挙では自民党推薦の新人候補を支持せず、野志克仁を応援したため、県連から除名処分を受ける(市長選では野志が当選)。
山根 敬則(やまね よしのり、1938年(昭和13年)6月3… 山根 敬則(やまね よしのり、1938年(昭和13年)6月30日 - )は、日本の政治家、実業家。元岡山県玉野市長(3期)。株式会社NICS(旧:日本情報管理システム)創業者。 大阪府大阪市にて生誕。幼少期に父の仕事の関係で岡山県玉野市へ転入する。岡山県立岡山朝日高等学校を経て、中央大学法学部へ進学した。 大学卒業後は、父が経営する山根船舶工業株式会社に入社。その後、父の死去に伴い同社の代表取締役社長に就任した。社長在任中は若くして玉野青年会議所(玉野JC)の第16代理事長を務めたほか、日本青年会議所岡山ブロック協議会会長、さらには日本青年会議所(日本JC)のアジア委員長、中国地区担当常任理事、監事など数多くの要職を歴任した。
島津 勇典(しまづ ゆうてん、1938年(昭和13年)6月2… 島津 勇典(しまづ ゆうてん、1938年(昭和13年)6月26日 - )は、日本の政治家。元玉名市長(1期)、元熊本県議会議員(6期)、元熊本県議会議長。 熊本県出身。熊本県立玉名高等学校を経て、1967年(昭和42年)3月、中央大学法学部法律学科卒業。高田浩運参議院議員秘書を経て、1983年(昭和58年)4月、熊本県議会議員選挙に初当選。1999年(平成11年)11月、第71代同県議会議長に就任。2000年(平成12年)12月、12代自由民主党熊本県連幹事長に就任。 2005年(平成17年)10月3日、旧玉名市・岱明町・横島町・天水町の1市3町は対等合併し、新市制による玉名市が誕生する。これに伴って11月13日に行われた市長選挙に自由民主党の推薦を受けて出馬。
北村 哲男(きたむら てつお、1938年5月19日 - )は… 北村 哲男(きたむら てつお、1938年5月19日 - )は、日本の弁護士、政治家。元国会議員(参議院1期、衆議院1期)。 山口県で出生。東京都立広尾高等学校を経て、1963年、中央大学法学部を卒業。同年、24歳で司法試験に合格し、1966年司法修習18期経て弁護士登録。 1989年第15回参議院議員通常選挙で日本社会党新人比例候補として初当選、6年後1995年第17回参議院議員通常選挙は離党・不出馬。 中大法学部の先輩 山花貞夫が会計責任者の市民リーグから旧民主党結党に参加し、第41回衆議院議員総選挙に出馬、本来希望していた母校の広尾高校がある東京7区ではなく、比例南関東ブロックで出馬し当選。
二田 孝治(ふただ こうじ、1938年5月4日 - )は、日… 二田 孝治(ふただ こうじ、1938年5月4日 - )は、日本の元政治家。自由民主党所属の元衆議院議員(7期)。父は元衆議院議員・第2代天王町長を務めた二田是儀。
関谷 勝嗣(せきや かつつぐ、1938年〈昭和13年〉3月6… 関谷 勝嗣(せきや かつつぐ、1938年〈昭和13年〉3月6日 - )は、日本の政治家。自由民主党山崎派に所属。(財)愛媛県遺族会会長。 参議院議員(2期)、衆議院議員(8期)、郵政大臣(第53代)、建設大臣(第66代)、国土庁長官(第33代)などを歴任した。 愛媛県松山市三津浜出身。 愛媛大学教育学部附属小学校、愛媛大学教育学部附属中学校、愛媛県立松山北高等学校を経て、1960年、中央大学法学部政治学科卒業。カナダ、ブリティッシュ・コロンビア大学留学。 1964年4月、日本航空に入社。1967年10月、退社。1967年11月 関谷勝利議員秘書。1970年1月瀬戸内海放送取締役。1974年1月松山青年会議所理事長。
岡田 義弘(おかだ よしひろ、1937年(昭和12年)10月… 岡田 義弘(おかだ よしひろ、1937年(昭和12年)10月16日 - 2023年(令和5年)7月10日)は、日本の政治家。元兵庫県三田市長(2期)。 兵庫県姫路市出身。中央大学工学部卒。三田市役所に入り、助役などを務める。1999年(平成11年)の市長選に立候補し、初当選。2003年(平成15年)の市長選に再選。2007年(平成19年)に退任した。2015年、旭日小綬章受章。 2023年(令和5年)7月10日、誤嚥性肺炎のため、兵庫県三田市の病院で死去した。85歳没。死没日付をもって正六位に叙された。
山田 俊昭(やまだ としあき、1937年6月11日 - )は… 山田 俊昭(やまだ としあき、1937年6月11日 - )は、日本の政治家。第二院クラブ所属の元参議院議員(2期)。弁護士。 愛知県出身。1962年中央大学法学部卒。司法試験に合格後、1971年に弁護士登録。1986年の参院選で比例区から第二院クラブ公認で立候補したが落選(第3位)。1989年の参院選で比例区から第二院クラブ公認で立候補したが落選(第3位)。1992年いずみたくの死去に伴い繰上当選。同年の参院選で落選(第2位、名簿1位は青島幸男)。1995年青島幸男の東京都知事選挙立候補に伴い繰上当選。1998年の参院選に出馬せず引退した。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
平田 隆義(ひらた たかよし、1937年6月1日 - )は、… 平田 隆義(ひらた たかよし、1937年6月1日 - )は、日本の政治家。鹿児島県奄美市長(1期)。名瀬市長(3期)。名瀬市議会議員(3期)。 鹿児島県奄美市名瀬有良出身。鹿児島県立大島高等学校を経て、1961年中央大学法学部卒。東京での社会人生活の後、帰島して印刷会社を経営。奄美大島青年会議所理事長、名瀬市議を3期務め、1994年名瀬市長成田広男の辞職に伴う市長選に立候補して初当選。連続3期務めた。 2006年3月20日に名瀬市は住用村、笠利町と合併して奄美市が誕生。これに伴い、名瀬市長は3月19日付で退任となった。奄美市発足に伴う市長選挙に立候補し、拓殖大学教授の叶芳和を723票差で破った。
瓦 力(かわら つとむ、1937年〈昭和12年〉4月1日 ‐… 瓦 力(かわら つとむ、1937年〈昭和12年〉4月1日 ‐ 2013年〈平成25年〉1月13日)は、日本の政治家。位階は正三位。旧姓は戸島。 衆議院議員(12期)、防衛庁長官(第45・62・63代)、建設大臣(第65代)、内閣官房副長官(政務担当・鈴木善幸内閣)、自由民主党国会対策委員長(第38代)を歴任した。 石川県七尾市出身。石川県立七尾高等学校、中央大学法学部卒業。 益谷秀次の秘書を経て地盤を後継。いわゆる防衛族議員とされる。岳父は元カワラ金属社長の瓦辰二。 1988年、潜水艦なだしお事件の責任をとって防衛庁長官を引責辞任する。辞任の翌日から日本中の三十数遺族すべてを線香を持って訪ね歩いた。
井津 哲彦(いづ てつひこ、1937年(昭和12年)2月11… 井津 哲彦(いづ てつひこ、1937年(昭和12年)2月11日 - )は、日本の政治家。元高知県安芸市長。 高知県安芸郡北川村出身。1959年(昭和34年)中央大学文学部卒業。 1960年(昭和35年)安芸市役所に入り、1985年(昭和60年)総務部福利厚生課長などを経て、高知県文化環境部参事、県国際交流協会常務理事を歴任。1997年(平成9年)安芸市長に当選した。
土野 守(つちの まもる、1936年10月4日 - 2017… 土野 守(つちの まもる、1936年10月4日 - 2017年10月2日)は、日本の政治家。元岐阜県高山市長(4期)。 岐阜県高山市出身。1959年中央大学法学部卒。自治省に入り、北海道庁、沖縄開発庁、新潟県庁に出向する。自治省官房企画官、同参事官などを経て、1994年の高山市長選に立候補して初当選、2010年までの4期務めた。2012年に旭日小綬章を受章した。2017年10月2日、すい臓がんのため死去。
杉山 粛(すぎやま まさし、1936年〈昭和11年〉8月25… 杉山 粛(すぎやま まさし、1936年〈昭和11年〉8月25日 - 2007年〈平成19年〉5月31日)は、日本の政治家。むつ市長(6期)、青森県議会議員(4期)、むつ市議会議員(2期)。 青森県むつ市(旧大湊町)出身。父親はむつ市長の杉山勝雄。青森県立田名部高等学校を経て、中央大学法学部法律学科卒業。卒業後は青森銀行(現・青森みちのく銀行)に勤務した。 1967年(昭和42年)にむつ市議会議員に当選して2期務めた。1973年(昭和48年)に菊池渙治のむつ市長選出馬に伴う補欠選挙にむつ市選挙区から無所属で立候補して初当選を果たした。県議は4期務めた。 1985年(昭和60年)のむつ市長選挙に自民党と民社党の推薦を受けて立候補した。
坂本 恭一(さかもと きょういち、1936年(昭和11年)8… 坂本 恭一(さかもと きょういち、1936年(昭和11年)8月22日 - )は、日本の政治家・弁護士。熊本県出身。中央大学法学部卒業。元衆議院議員(2期)。現在は、坂本恭一法律事務所長。 熊本県に生まれる。1960年(昭和35年)中央大学法学部を卒業する。在学中は真法会に所属していた。1961年(昭和36年)司法試験合格。司法修習生を経て、1964年(昭和39年)弁護士登録。主に人権派弁護士として活動する。 1972年(昭和47年)12月10日、第33回衆議院議員総選挙に、熊本県第1区より日本社会党公認候補として立候補し、初当選する(以降2期)。1973年(昭和48年)には日ソ親善協会青年代表団団長としてソビエト連邦を訪問した。
尾形 智矩(おがた ちえのり、1936年8月11日 - 20… 尾形 智矩(おがた ちえのり、1936年8月11日 - 2008年2月20日)は日本の政治家。衆議院議員(1期、自由民主党)。苅田町長(3期)。 福岡県京都郡苅田町出身。中央大学法学部卒業。 1972年、第33回衆議院議員総選挙に保守系無所属で福岡4区(定数4)から立候補し落選(9人中8位)。1976年、第34回衆議院議員総選挙に無所属で福岡4区から立候補し落選(7人中7位)。 1977年苅田町長選挙に無所属で立候補し初当選。1981年、1985年と再選する。町長時代は、戦前から北九州工業地帯の一角を占めていた苅田町の工業地域化、インフラ整備、都市化を更に進め、積極的な企業誘致を行い、北九州空港を開港した。
井上 美代(いのうえ みよ、1936年6月13日 - 202… 井上 美代(いのうえ みよ、1936年6月13日 - 2022年5月21日)は、日本の政治家、女性運動家、元外交官。日本共産党所属の元参議院議員。党中央委員会憲法改悪反対闘争本部員。新日本婦人の会元会長。女性「九条の会」世話人代表。 佐賀県出身。中央大学法学部政治学科卒業。外務省に入省した。 1990年、新日本婦人の会会長となる。 1998年の第18回参議院議員通常選挙に東京都選挙区(改選数4)より日本共産党公認で立候補。自民党は現職の小野清子と新人の塚原宏司の2人を擁立したが共倒れし、井上は3番目の得票数で初当選した。 その後、病気療養のため、2004年の第20回参議院議員通常選挙には立候補せず、議員を引退した。
増本 一彦(ますもと かずひこ、1936年5月9日 - 20… 増本 一彦(ますもと かずひこ、1936年5月9日 - 2022年2月6日)は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員(日本共産党公認)。日本共産党神奈川県後援会代表委員。 神奈川県藤沢市出身。中央大学卒業後、弁護士を開業。日本共産党神奈川県委員や同県憲法会議幹事長を経て、1972年の第33回衆議院議員総選挙に旧神奈川県第3区から立候補し初当選を果たす。当選1回。 政界を引退した後は、現役の弁護士(横浜弁護士会所属)として、消費税をなくす会の常任世話人などを務めた。 2022年2月6日、胆管がんのため、鎌倉市内の病院で死去。85歳没。
山花 貞夫(やまはな さだお、1936年〈昭和11年〉2月2… 山花 貞夫(やまはな さだお、1936年〈昭和11年〉2月26日 - 1999年〈平成11年〉7月14日)は、日本の政治家、弁護士。 政治改革担当大臣(細川内閣)、衆議院懲罰委員長、衆議院議員(8期)、民主党選挙対策委員長(初代)、日本社会党委員長(第12代)、日本社会党書記長(第12代)などを歴任。 父は日本社会党副委員長、衆議院議員、参議院議員などを務めた山花秀雄。長男は衆議院議員を務めた山花郁夫。 東京都出身。早稲田中学校・高等学校、中央大学法学部法律学科卒業。22歳で司法試験に合格し、司法修習第13期を修了。司法修習の同期には堀田力、横山昭二、一井淳治らがいる。1961年に弁護士登録し、日本労働組合総評議会(総評)弁護団に加わっていた。
中島 衛(なかじま まもる、1935年(昭和10年)12月2… 中島 衛(なかじま まもる、1935年(昭和10年)12月23日 - 2013年(平成25年)11月5日)は、日本の政治家、実業家。位階は従三位。 科学技術庁長官(第48代)・総理府原子力委員会委員長(第48代)、衆議院議員(6期)等を歴任した。 父は元衆議院議員の中島巌。 長野県下伊那郡飯田町(現飯田市)生まれ。飯田高松高等学校(現長野県飯田高等学校)、中央大学経済学部卒業。大学卒業後、父・中島巌が経営する信南交通に入社。信南交通を経て地元・飯田市の青年会議所理事長を務める。 青年会議所での活動を通じて、仲間の企業家から政界への進出を勧められ、1972年の第33回衆議院議員総選挙に旧長野県第3区(定数4)から無所属で出馬したが、得票数6位で落選。
南野 京右(のうの きょうすけ、1935年12月16日 - … 南野 京右(のうの きょうすけ、1935年12月16日 - 2011年10月8日)は、日本の政治家。山口県長門市長(1期)。 長門市仙崎出身。山口県立大津高等学校 を経て中央大学経済学部卒。卒業後、家業の鮮魚仲買業の会社に就職。同社の社長や長門青年会議所理事長を務めた後、1983年に旧長門市議会議員に初当選。以後26年に渡り旧長門市議・長門市議を務め、旧長門市で4年間、合併後の長門市で4年間市議会議長を務めた。 2009年4月12日に行われた長門市長選挙に立候補し、現職の松林正俊らを破って初当選、新市二代目の長門市長に就任する。市長就任後は長門市の行財政改革や、地域の基幹になる農業と水産業、観光産業の活性化などに取り組んでいた。
大谷 忠雄(おおたに ただお、1935年9月19日 - 20… 大谷 忠雄(おおたに ただお、1935年9月19日 - 2009年9月27日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)、愛知県議会議員(4期)を務めた。 愛知県名古屋市出身。中央大学経済学部卒業。1963年の総選挙に愛知1区から無所属で立候補するも落選。 1976年12月、水平豊彦県議(名古屋市昭和区選出)が第34回衆議院議員総選挙に旧愛知6区から出馬し初当選。その後継として1979年4月、愛知県議会議員選挙に自民党公認で出馬し初当選を果たした。また、水平の秘書を務めた。 1993年6月18日、衆議院が解散。同年6月30日、新生党の小沢一郎代表幹事から要請を受け、同党から出馬することを決意。7月1
早川 廣中(はやかわ ひろなか、1935年(昭和10年)9月… 早川 廣中(はやかわ ひろなか、1935年(昭和10年)9月10日 - )は、日本の政治家。元会津若松市長。 福島県立会津高等学校、中央大学法学部を卒業。八田貞義衆議院議員の秘書や中央大学経済学部教授を歴任し、1987年(昭和62年)の会津若松市長選挙で初当選を果たす。1991年(平成3年)の市長選で、山内日出夫に敗北。 現在は、財団法人白虎隊記念館の理事長を務める。
田口 信夫(たぐち のぶお、1935年〈昭和10年〉9月2日… 田口 信夫(たぐち のぶお、1935年〈昭和10年〉9月2日 - )は、日本の政治家。元熊本県宇土市長(3期)。 中央大学経済学部卒業。卒業後は熊本県庁に入庁し、農政部次長と福祉生活部次長などを歴任し退職。退職後、助役を務める。 1998年(平成10年)宇土市長選挙に立候補し、元同市議会議長と元同市議会副議長の新人をそれぞれ破って初当選を果たした。 ※当日有権者数:-人 最終投票率:73.22%(前回比:-pts) 2006年(平成18年)の市長選は新人2人との争いになったが、これを破って3選を果たした。 ※当日有権者数:30,155人 最終投票率:68.28%(前回比:-pts) 2010年(平成22年)の市長選は新人2人との争いとなったが、元同市職員の元松茂樹に敗れた。
海野 義孝(うみの よしたか、1935年8月18日 - )は… 海野 義孝(うみの よしたか、1935年8月18日 - )は、日本の政治家。公明党所属。参議院議員(1期)を歴任。 愛知県出身。中央大学経済学部卒業後、勧角証券に入社。株式部長を経て、勧角証券総合研究所取締役を務めた。1995年の参院選に比例区に新進党から立候補して当選。新進党解党後は公明に加わり、1998年11月に新公明党結成に参加した。2001年の参院選に出馬しないで引退した。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
吉田 達男(よしだ たつお、1935年7月5日 - 1998… 吉田 達男(よしだ たつお、1935年7月5日 - 1998年1月16日)は、日本の政治家、参議院議員(1期)。 鳥取県出身。1959年、中央大学法学部卒。鳥取大学農学部林政研究室勤務の後、岩美町商工会を設立、経営指導員や事務局長を経て、1967年鳥取県議会議員に5選。この間に農民運動や労働者福祉運動などで活動し、小田川流域土地改良区理事長や商工協会役員等を歴任した。1989年の第15回参議院議員通常選挙で鳥取選挙区から無所属で立候補して当選。のち、共同会派「日本社会党・護憲共同」入りした。1995年の第17回参議院議員通常選挙では落選した。1996年、岩美町長に当選。1997年に病気のため辞職。
三木 忠雄(みき ただお、1935年〈昭和10年〉5月14日… 三木 忠雄(みき ただお、1935年〈昭和10年〉5月14日 - 2005年〈平成27年〉2月27日)は、日本の政治家。1962年中央大学商学部2部卒業。参議院議員(4期)。 1935年5月14日に徳島県徳島市で生まれる。1958年より創価学会本部事務総局に勤務。その後、同企画局長、同事務総局次長。1968年に国政選挙出馬のために創価学会事務総局退職。1968年7月7日、第8回参議院議員通常選挙に、全国区から、公明党推薦で立候補し、当選する(以降、連続4回)。参議院予算委員会、参議院運輸委員会、参議院沖縄特別委員会などの委員長や理事を歴任する。公明党中央執行委員、公明党労働局長、公明党国民運動本部長、公明党参議院国会対策委員長に就任。
狩野 勝(かのう まさる、1935年〈昭和10年〉4月26日… 狩野 勝(かのう まさる、1935年〈昭和10年〉4月26日 - )は、日本の政治家。自由民主党に所属し、衆議院議員(2期)、千葉県議会議員(5期)、同議長を務めた。 群馬県勢多郡敷島村(赤城村を経て現・渋川市)に生まれる。曾祖父は敷島村長、父は赤城村会議員を務めた。先祖は源心寺の狩野新右衛門浄天であるという。群馬県立渋川高等学校を経て、1959年(昭和34年)中央大学法学部政治学科を卒業。 1959年(昭和34年)自由国民連合結成に際し青年・学生部長として参加。のち財団法人国民協会本部に勤務。 1971年(昭和46年)の千葉県議会議員選挙では落選。1974年(昭和49年)の千葉県議会議員補選で初当選し、5期にわたって務めた。
中尾 嘉伸(なかお よしのぶ、1934年〈昭和9年〉12月2… 中尾 嘉伸(なかお よしのぶ、1934年〈昭和9年〉12月27日 - 2009年〈平成21年〉6月27日)は、日本の政治家、元岡山県津山市長(3期)。 岡山県英田郡美作町(現・美作市)出身。中央大学法学部卒。製紙会社を経営し、津山青年会議所理事長、津山商工会議所副会頭などを務める。1995年、津山市長に当選。3期務める。3期目の途中であった2006年(平成18年)1月、再開発ビル「アルネ・津山」への税金投入が批判を浴び、市長解職(リコール)成立で失職した。同年3月の津山市長選挙に立候補したが、元岡山県議会議長の桑山博之に敗れた。 2009年に胃癌で死去した。
青木 勇(あおき いさむ、1934年(昭和9年)11月16日… 青木 勇(あおき いさむ、1934年(昭和9年)11月16日 - )は、日本の政治家。元東京都葛飾区長。旭日小綬章受章。 福岡市出身。1961年(昭和36年)中央大学法学部を卒業し、葛飾区役所に奉職。葛飾区第三出張所長、企画室副主幹、厚生部国民年金課長、教育委員会事務局学務課長、選挙管理委員会事務局長、企画部企画課長、企画部予算課長、企画部主幹、企画部長、総務部長を経て、1991年(平成3年)厚生部長および助役に就任。1993年(平成5年)葛飾区長に当選した。 2014年 春の叙勲で旭日小綬章を受章
小池 正孝(こいけ まさたか、1934年〈昭和9年〉7月9日… 小池 正孝(こいけ まさたか、1934年〈昭和9年〉7月9日 - )は、日本の政治家、元千葉県四街道市長(1期)。 東京都出身。中央大学法学部卒。四街道市でメダカを保護するNPO法人の理事となり、当時、四街道市が進めていた地域交流センターの建設や保育所民営化に反対する活動を行った。 2008年(平成20年)の市長選挙に立候補し。「ハコモノ行政」からの脱却などを訴えて、現職の高橋操を150票差で破って、初当選する。 2010年(平成22年)、脳梗塞を発症して市内の病院に入院。リハビリ治療に専念していたが、公務復帰の目途が立たない状況となり職務を続けることが困難となったため、任期半ばで辞職した。 また割り箸アートの作家としても知られており、これまでに数々の作品を発表している人物でもある。
日野 市朗(ひの いちろう、1934年2月17日 - 200… 日野 市朗(ひの いちろう、1934年2月17日 - 2003年7月6日)は、日本の弁護士、政治家。位階は従三位、勲章は勲一等瑞宝章。 仙台弁護士会副会長、衆議院議員(8期)、日本社会党政策審議会長(第14代)、衆議院災害対策特別委員長、衆議院農林水産委員長、郵政大臣(第61代)、社会民主党副党首などを歴任した。 宮城県桃生郡河北町(現石巻市)生まれ。仙台第二高等学校を経て、1956年中央大学法学部法律学科卒業、同大学院修了。1961年に司法試験に合格し、司法修習第16期を修了(同期に佐々木秀典)。1964年、宮城県仙台市で弁護士事務所を開業。1973年には仙台弁護士会副会長に就任した。 父である日野吉夫の衆議院議員引退に伴い、成田知巳日本社会党委員長(当時)の勧めを受け、1976年の第34回衆議院議員総選挙に日本社会党公認で旧宮城県第2区から立候補し、初当選。
砂田 圭佑(すなだ けいすけ、1933年11月21日 - 2… 砂田 圭佑(すなだ けいすけ、1933年11月21日 - 2015年9月6日)は、日本の政治家。衆議院議員(3期)を務めた。 兵庫県神戸市出身。おじの砂田重政、従兄の砂田重民も衆議院議員を務めている。 中央大学経済学部卒業後、議員秘書などを歴任し、第40回総選挙に砂田重民の後継候補として自民党公認で旧兵庫1区より出馬したが落選。次の第41回総選挙では兵庫1区で敗れたものの、比例近畿ブロックで自民党名簿1位で復活し初当選。 第42回総選挙においても同様に小選挙区では新進党→民主党の石井一に敗れての比例復活当選となる。中央省庁再編後の第2次森改造内閣で、財務大臣政務官に就任。 第1次小泉内閣で、財務大臣政務官に2度目の就任。
古川 太三郎(ふるかわ たさぶろう、1933年7月23日 -… 古川 太三郎(ふるかわ たさぶろう、1933年7月23日 - )は、日本の法律家、政治家、弁護士。元参議院議員(1期)。 京都市で出生し、1956年中央大学法学部法律学科卒業。1960年26歳で司法試験合格し、司法修習15期を経て、1963年弁護士開業。 福井弁護士会副会長など経て、1989年第15回参議院議員通常選挙で(民主改革連合の前身)連合の会新人として定数1の福井県選挙区で初出馬初当選。1994年羽田内閣国土政務次官。1995年第17回参議院議員通常選挙で落選。 1996年旧民主党公認で第41回衆議院議員総選挙の福井1区に出馬、比例復活もならず落選。