大宮 清(おおみや きよし、1916年 - 1944年)は、… 大宮 清(おおみや きよし、1916年 - 1944年)は、愛知県出身のプロ野球選手。ポジションは投手、捕手。
中央大学:2,693人
大宮 清(おおみや きよし、1916年 - 1944年)は、… 大宮 清(おおみや きよし、1916年 - 1944年)は、愛知県出身のプロ野球選手。ポジションは投手、捕手。
和泉 克雄(いずみ かつお、1916年 - 2010年2月1… 和泉 克雄(いずみ かつお、1916年 - 2010年2月1日)は、日本の詩人、俳人、グッピー研究家。 東京府東京市深川区(現東京都江東区)本所柳島生まれ。本名・牛次。中央大学商業学校卒業、アテネ・フランセ中退。1950-1980年「和泉熱帯魚研究所」を経営、おもにグッピー、卵生メダカ・卵胎生メダカを研究・繁殖。日本グッピー協会会長を務めた。
岩尾 裕純(いわお やすずみ、1915年12月27日 - 1… 岩尾 裕純(いわお やすずみ、1915年12月27日 - 1991年2月11日)は、日本の経営学者。中央大学・名古屋経済大学名誉教授。 岡山県出身。1940年中央大学商学部卒、1962年「中小企業の近代化」で商学博士。満州農産公社調査役、運輸調査局調査役を経て、1948年中央大学商学部講師、1950年助教授、1956年教授、商学部長、同大学企業研究所所長。1986年定年、名誉教授。名古屋経済大学教授、名誉教授。日本学術会議委員。
加藤 武德(かとう たけのり、1915年〈大正4年〉11月2… 加藤 武德(かとう たけのり、1915年〈大正4年〉11月21日 - 2000年〈平成12年〉2月9日)は、日本の政治家。位階は正三位。 岡山県知事(公選第6・7代)、自治大臣(第26代)、国家公安委員会委員長(第35代)、北海道開発庁長官(第40代)、参議院議員(5期)。剣道範士、全日本剣道連盟顧問。 弟に農林水産大臣の加藤六月、次男に自由民主党参議院議員の加藤紀文、義理の甥に自由民主党衆議院議員の加藤勝信、義理の兄に渡辺武次郎がいる。 岡山県笠岡市出身。旧制中央大学法学部を経て、内務省入省。1950年の参議院議員選挙に岡山県選挙区から自由党公認で出馬し初当選、当時の最年少参院議員だった。保守合同後、自由民主党に移り通算当選5回。
金 光俊(キム・グァンジュン、朝鮮語: 김광준、1915年1… 金 光俊(キム・グァンジュン、朝鮮語: 김광준、1915年11月15日 - 1971年2月24日または3月)は、大韓民国の警察公務員(警監)、政治家、弁護士。第3代春川警察署長、制憲・第2・5代韓国国会議員を歴任した。 本貫は義城金氏(朝鮮語版)。元国会議員の金命潤は弟、呉俊碩は妹の夫。 日本統治時代の江原道(現・慶尚北道)蔚珍郡平海出身。中央大学専門部法科卒。朝鮮弁護士試験合格、総督府普通文官試験合格、日本高等文官試験司法科・行政科合格。全羅南道道属・警務課長、第3代春川警察署長(1946年7月18日~1947年10月25日)、弁護士、無所属の国会議員、国会内務治安委員、憲法起草委員、高試司法行政両科委員、自由党党員、民主党所属の国会議員、民政党結党全党大会副議長を務めた。
芹沢 常行(せりざわ つねゆき、1915年11月2日 - 2… 芹沢 常行(せりざわ つねゆき、1915年11月2日 - 2005年11月21日)は、日本の警察官。 静岡県三島市出身。中央大学法学部二部卒。昭和35年(1960年)に施行された検視官制度において、日本初の検視官3名のうちの一人。 1939年警視庁巡査となる。警邏係、警務係を経て、1948年愛宕警察署捜査係長、1956年本所警察署刑事課長、警視庁刑事部鑑識課現場鑑識係長、同捜査第一課係長を経て、1960年日本で初めての検視官となる。検視官として、臨場した変死体は、15年間で約3,000体。その仕事ぶりからいつからか、「スッポンの芹さん」というあだ名が付けられる。その後、調布警察署長、警視庁刑事部地方課長、警視庁刑事部鑑識課長、板橋警察署長、警視庁刑事部検死官室長(刑事部理事官)を歴任。
鄭 憲柱または鄭 憲株(チョン・ホンジュ、朝鮮語: 정헌주、… 鄭 憲柱または鄭 憲株(チョン・ホンジュ、朝鮮語: 정헌주、1915年9月23日 - 1999年5月21日)は、大韓民国の実業家、教育者、政治家。交通部長官、国務院事務処長、第2・4・5・8・9代韓国国会議員を歴任した。 本貫は晋州鄭氏(朝鮮語版)。金大中夫人李姫鎬の甥の1人は娘婿である。 慶尚南道固城郡出身。1935年徽文高等普通学校(現・徽文高等学校(朝鮮語版))卒、1941年中央大学法学部卒。中央大学同窓会委員長に選ばれたことがきっかけに独立運動を展開したが、検挙され投獄された。出獄後は朝鮮陶器社長、大韓独立促成国民会副支部長、釜山韓洋貿易株式会社社長、三千浦中学校(朝鮮語版)・三千浦女子中学校校長(1948年〜1950年)、南陽学園理事長(1951年)、第2代国会憲法起草委員会委員・法制司法委員会常任委員・国防委員会常任委員、第4代国会内閣責任制改憲案起草特別委員会委員長、第二共和国憲法起草委員長、民主党慶尚南道党副委員長・泗川郡党委員長・中央常務委員・政策委員、民主党張勉内閣の交通部(現・国土交通部)長官(通算第10代、1960年8月~9月)、第10代国務院事務処長(1960年9月12日~1961年5月18日)、新民党慶尚南道党委員長、民主党政策審議会議長、新民党政務委員・政策審議委員会議長・選挙対策本部次長兼企画室長・党務委員、第28回UN総会韓国代表、第61回IPU韓国代表理事、新民党全党大会議長(1976年)、民主化推進協議会指導委員(1985年〜1988年1月)を務めた。
金 濬泰(キム・ジュンテ、朝鮮語: 김준태、1915年9月5… 金 濬泰(キム・ジュンテ、朝鮮語: 김준태、1915年9月5日 - 1987年10月1日または10月4日)は、満洲国および大韓民国の検察官、官僚、弁護士、政治家。第2・5・6代韓国国会議員。 慶尚北道清道郡出身。大邱公立商業学校(現・大邱商苑高等学校)、満州新京大同学院卒。中央大学法律研究所修了。1939年朝鮮弁護士予備試験合格、1943年高等文官試験司法科合格、その後満洲国国務院事務局で勤務した。弁護士として23年活動したほか、1948年に大邱地方検察庁検事、1958年に民主党清道郡党委員長・監察部長、1960年に民主党院内副総務・監察委員長・院内対策委員会委員、1961年に張勉第2次改造内閣の復興部政務次官、1963年に自由民主党結党発起準備委員会メンバー・同党政策委員、同年末からは民主共和党党務委員・院内副総務・中央常任委員・絶糧危機克服委員長・党紀委員を務めた。
具 喆会(ク・チョルェ、朝鮮語: 구철회/具喆會、1915年… 具 喆会(ク・チョルェ、朝鮮語: 구철회/具喆會、1915年7月26日または1918年 - 1965年1月27日)は、日本統治時代の朝鮮の独立運動家、大韓民国のジャーナリスト、実業家、政治家。第4代韓国国会議員。本貫は綾城具氏。 日本統治時代の京畿道水原出身。本籍地はソウル。中央大学予科、立教大学文学部卒。日本統治時代には抗日闘争により3年間投獄された。解放後は漢城日報政治経済部長、民衆日報幹部、水原新聞社社長、政界春秋社社長、国際ニュース社社長、自由新聞社常務取締役を務めた。政界入りした後は民主党中央委員・宣伝部次長・龍仁郡党委員長・京畿道党副委員長を歴任し、1958年の第4代総選挙で民主党の候補として龍仁郡選挙区から当選したが、後は民主党を離党し自由党に移籍した。
大原 亨(おおはら とおる、 1915年7月25日 - 19… 大原 亨(おおはら とおる、 1915年7月25日 - 1990年4月7日)は、日本の政治家。衆議院議員(11期、日本社会党)。 広島県豊田郡本郷町(現三原市)出身。1942年中央大学法学部卒。卒業後は読売新聞社に勤務する。戦後、小学校教員になり、広島県教職員組合委員長や日教組書記次長などを歴任。1952年の第25回衆議院議員総選挙に広島1区で左派社会党より立候補し落選。1955年の第27回衆議院議員総選挙でも落選した。1958年の第28回衆議院議員総選挙において日本社会党公認で立候補して当選。以後連続当選11回を数えた。 1975年2月に広島市長選に出馬し、落選している。 1990年1月の第39回衆議院議員総選挙に立候補せず、政界引退。
佐野 憲治(さの けんじ、1915年2月6日 - 1978年… 佐野 憲治(さの けんじ、1915年2月6日 - 1978年4月4日)は、日本の政治家。衆議院議員(7期)。
朴 海禎(パク・ヘジョン、朝鮮語: 박해정/朴海禎、1915… 朴 海禎(パク・ヘジョン、朝鮮語: 박해정/朴海禎、1915年または1916年7月21日 - 1966年2月6日)は、大韓民国の警察官僚、政治家。元交通部長官、制憲・第3・4・5代韓国国会議員。本貫は密陽朴氏。 日本統治時代の慶尚北道慶山郡(現・慶山市)出身。大邱公立高等普通学校、大邱師範学校講習科、中央大学専門部・法学部卒。光復後は慶尚北道警察局総務課長、警察庁警察学校副校長、安東警察署長、順天地方警察署長、民主党創設メンバー・中央委員・政策委員・慶山郡党委員長、国会財経委員・予決委員、民主党政権の交通部長官を務めた。 1966年2月6日、ソウル市西大門区の自宅にて脳溢血により死去。享年51。
内藤 知周(ないとう ともちか、1914年11月20日 - … 内藤 知周(ないとう ともちか、1914年11月20日 - 1974年5月16日)は、社会運動家で、政治運動家。 出典は『内藤知周著作集』。 神奈川県横須賀市生まれ。1932年神奈川県立横須賀中学校(現・神奈川県立横須賀高等学校)卒業。1937年中央大学専門部法学科卒業。1941年東北帝国大学法文学部経済学科卒業。在学中に学生運動に加わり、1938年に検挙され無期停学。卒業後、繊維需給調整協議会に就職。大日本帝国陸軍自動車第31連隊に召集を受け、中国河北へ。 1946年に復員し、日本共産党に入る。同党山口県委員として徳山市で活躍。1948年同党地方委員・常任委員。1952年同党労対書記・政策委員会書記。
下光 軍二(しもみつ ぐんじ、1914年7月5日 - 200… 下光 軍二(しもみつ ぐんじ、1914年7月5日 - 2009年2月1日)は、日本の弁護士。1980年に破産したネズミ講「天下一家の会・第一相互経済研究所」の破産管財人。朝日法律相談所の設立メンバー。第一東京弁護士会所属。東京医科大学教授の下光輝一は息子。 1914年、広島県に生まれる。1941年、中央大学法学部卒業。1946年、弁護士開業。1949年、朝日新聞法律相談所を開設。 2009年、多発性脳梗塞にて死去。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。
遠藤 正則(えんどう まさのり、1914年(大正3年)6月3… 遠藤 正則(えんどう まさのり、1914年(大正3年)6月30日 - 2009年(平成21年)4月26日)は、昭和から平成時代の政治家。東京都文京区長。文京区名誉区民。 茨城県水戸市出身。茨城県立水戸中学校(現茨城県立水戸第一高等学校)を卒業後上京し、1933年(昭和8年)7月、東京市本郷区に奉職し、1939年(昭和14年)中央大学商学部二部を卒業した。戦時中は千葉県市川市国府台の高射砲隊にいた。のち文京区教育委員会学務課長、総務部長、助役を経て、1973年(昭和48年)12月、文京区長に就任した。1999年(平成11年)4月の任期満了まで6期24年務めた。この間、特別区長会会長を歴任した。ほか、特別区人事・厚生事務組合管理者、特別区協議会理事長を務めた。
角屋 正隆(すみや まさたか、1914年6月1日 - 200… 角屋 正隆(すみや まさたか、1914年6月1日 - 2008年4月29日)は、日本の経営者。東京出版販売(現在のトーハン)社長を務めた。新潟県出身。 1932年に東京堂に入社し、1934年に中央大学経済学部経済学科を卒業。1946年に日本出版配給を経て、1949年に東京出版販売に転職。 1961年5月に取締役に就任し、1967年に常務、1975年に専務を経て、1979年6月に副社長に就任し、1984年6月には社長に昇格。1987年6月には会長に就任。 2008年4月29日老衰のために死去。93歳没。
川口 弘(かわぐち ひろし、1914年5月3日 - 1998… 川口 弘(かわぐち ひろし、1914年5月3日 - 1998年7月11日)は、日本の経済学者。中央大学名誉教授。中央大学元学長。専門はケインズ経済学、金融論。 ケインズ経済学とりわけ「一般理論」の解釈において評価が高い。当時有力なコンメンタールだった伊東光晴、宮崎義一著「コンメンタール一般理論」にも一般理論解釈を巡って批判を行った。(中央大学経済学会 経済学論纂 川口弘教授古希記念論文集参照)また、日本経済評論社から刊行されているポストケインジアン叢書第1期にも深く関与しており、自身も訳出していると同時に所属していた中央大学経済学部、商学部の教員が中心となって作業がなされた。 学説的にみてイギリス・ケインジアンに近い。
足達 兼一郎(あだち けんいちろう、1914年(大正3年)3… 足達 兼一郎(あだち けんいちろう、1914年(大正3年)3月24日 - 1980年(昭和55年)2月11日)は、日本の政治家、旧鶴岡市第9代市長。栄典は、従六位・勲八等。
陶山 繫弘(すやま しげひろ、1914年3月23日 - 19… 陶山 繫弘(すやま しげひろ、1914年3月23日 - 1991年7月29日)は、日本の経営者。東京都民銀行頭取を務めた。鳥取県出身。 1939年に中央大学商学部を卒業。内国貯金銀行、復興金融公庫での勤務を経て、1952年に東京都民銀行に入社。 1961年に取締役に就任し、1968年5月に常務、1972年2月に専務を経て、1976年8月に副頭取に就任し、1979年6月には頭取に昇格。1982年6月に会長、1987年6月に取締役相談役を経て、1989年6月から相談役を務めた。 1983年11月に藍綬褒章を受章し、1989年4月に勲四等旭日小綬章を受章。 1991年7月29日肺炎のために死去。77歳没。
加藤 正二(かとう しょうじ、1914年3月3日 - 195… 加藤 正二(かとう しょうじ、1914年3月3日 - 1958年8月17日)は、香川県出身のプロ野球選手(投手、内野手、外野手)、大学野球指導者。実弟の稲垣定雄も元プロ野球選手。 旧制高松商業学校時代に甲子園大会に2度出場。中央大学では首位打者を4度獲得。1937年秋に記録した打率.577(26打数15安打)は現在でも東都大学野球連盟記録になっている。 1939年に名古屋軍に入団。1940年に入営するが、復帰した1943年に4本塁打で本塁打王を獲得。1948年に球団代表の赤嶺昌志が辞任に追い込まれると、後を追って、小鶴誠らと共に退団し、永田雅一が結成した大映球団に所属し大映球団が東急フライヤーズに合流する形で急映フライヤーズに移籍した。
尹 宅重(ユン・テクチュン、朝鮮語: 윤택중、1913年11… 尹 宅重(ユン・テクチュン、朝鮮語: 윤택중、1913年11月12日または12月16日 - 2002年1月26日)は、大韓民国の教育者、政治家。第2・4・5代韓国国会議員、全州明倫大学学長、檀国大学学長、文教部長官を歴任した。 本貫は坡平尹氏。号は嗚川または鳴川。 全羅北道益山郡出身。1936年中央高等普通学校卒、1939年普成専門学校法科卒、1943年中央大学法学部卒。中央中学校・普成専門学校・京城帝国大学勤務を経て、光復後は中央高等学校教師を務め、1945年9月に高麗青年党委員、1946年4月に西北学生援護会監査役を務めた。その後は金性洙の推薦で全羅北道文社局長・学務局長・教育局長などを務め、1948年の初代総選挙では全羅北道選挙委員会委員を務めた。
金 溶植(キム ヨンシク、1913年11月11日 - 199… 金 溶植(キム ヨンシク、1913年11月11日 - 1995年3月31日)は、大韓民国の政治家、外交官。本貫は金海金氏。 1913年、慶尚南道龍南郡にて誕生。1937年、日本の中央大学を卒業。1949年1月、外務部に入省。駐香港領事、駐ホノルル総領事、駐日本公使、駐フランス公使、駐ジュネーブ公使、駐フィリピン大使、駐国連大使、駐イギリス大使、駐アメリカ大使、外務部長官、国土統一院長官、無任所長官、大統領外交担当特別補佐官、大韓赤十字社総裁を歴任した。 1988年ソウルオリンピックの剰余金で創設された平和賞基金の委員長職を最後に公職を退いた。朝鮮戦争当時は釜山に避難し、慶尚南道知事官舎を利用した大統領官邸に寄宿した。
石原 登(いしはら のぼる、1913年(大正2年)10月6日… 石原 登(いしはら のぼる、1913年(大正2年)10月6日 - 2011年(平成23年)7月9日)は、日本の政治家。衆議院議員(3期)。 鹿児島県薩摩郡里村(現薩摩川内市)で、石原善之助の五男として生まれた。1930年熊本逓信講習所卒。1937年(昭和12年)中央大学経済科を卒業。日本特殊鋼管(のち八幡鋼管)創立委員となり、同総務課長、同企画課長を歴任した。 戦後の1946年の第22回衆議院議員総選挙において鹿児島県から諸派(民権同志会)から立候補して初当選する。当選後は協同民主倶楽部に入る(その後は協同民主党から無所属倶楽部)。翌年の第23回衆議院議員総選挙では鹿児島2区から立候補して再選。
河井 信太郎(かわい のぶたろう、1913年10月1日 - … 河井 信太郎(かわい のぶたろう、1913年10月1日 - 1982年11月15日)は、愛知県宝飯郡蒲郡町(現・蒲郡市)出身の検事。「東京地検特捜部生みの親」とされる。 1913年(大正2年)10月1日に愛知県宝飯郡蒲郡町(現・蒲郡市)に生まれ、愛知県立蒲郡農学校(現・愛知県立蒲郡高等学校)在学中に兄のいる東京に上京した。東京実業学校から中央大学法学部の夜間部を経て、高等文官試験に合格。官吏になるまでの間、海軍経理学校短期現役学生(いわゆる短現組)に選ばれたエリートであった。そこで経理・会計を修得したことが、のちの特捜時代に役立った。 東京地方検察庁の隠退蔵事件捜査部が1949年に東京地検特捜部に改組された時から特捜部に加わっており、経済事犯に対応するため中央大学経理研究所などで制度確立のための研究に没頭していた。
塚本 重頼(つかもと しげより、1913年〈大正2年〉7月2… 塚本 重頼(つかもと しげより、1913年〈大正2年〉7月24日 - 1992年〈平成4年〉4月10日)は、日本の裁判官、弁護士、法学者(英米法・労働法)。中央大学名誉教授。元最高裁判所判事。藍綬褒章、勲一等瑞宝章受章。岐阜県出身。 1936年中央大学法学部卒業。1937年高等試験司法科試験合格。8年間裁判官生活を送っていたが、1947年に弁護士に転身。昭和電工事件や造船疑獄などを担当。 1949年母校である中央大学法学部専任講師。1951年中央大学法学部教授に就任。1954年中央大学選任評議員。1958年法学博士の学位を取得。1979年3月中央大学依願退職。 1979年4月に最高裁判事となる。
寺尾 正二(てらお しょうじ、1913年 <大正2年> 7月… 寺尾 正二(てらお しょうじ、1913年 <大正2年> 7月13日 - 2003年 <平成15年> 6月5日)は日本の裁判官、弁護士。位階は正三位。 愛媛県越智郡波方町(現今治市)生まれ。中央大学法学部卒業。1936年11月、司法科試験合格。1937年6月、司法官試補(東京)。1938年12月、札幌地方裁判所予備判事に就任。樺太地方裁判所、大阪簡易裁判所、大阪地方裁判所判事を経て、1952年2月に東京地方裁判所へ転任し、1961年まで最高裁判所調査官を兼任。この間、1957年には八海事件における死刑判決を破棄し、審理を広島高等裁判所へ差し戻す。 その後、徳島地方裁判所・徳島家庭裁判所所長を経て、1970年8月に東京高等裁判所へ転任。
永岡 光治(ながおか みつじ、1913年〈大正2年〉6月13… 永岡 光治(ながおか みつじ、1913年〈大正2年〉6月13日 - 1994年〈平成6年〉5月1日)は、昭和期の労働運動家、政治家。参議院議員(3期)、大分県宇佐市長、宇佐市名誉市民。 大分県宇佐郡長洲町(現宇佐市長洲)で生まれる。宇佐中学校(現大分県立宇佐高等学校)を経て、1934年(昭和9年)中央大学第二予科を卒業。さらに逓信官吏練習所第一部行政科を1936年(昭和11年)に卒業。逓信属、同事務官となり、東京中央電話局、逓信省郵務局に勤務した。 戦後、労働運動に参画し、全逓信従業員組合(のちの日本郵政公社労働組合)の結成と共に本省支部長に就任し、1947年(昭和22年)同中央本部書記長に就任。
寺前 武雄(てらまえ たけお、1913年〈大正2年〉6月12… 寺前 武雄(てらまえ たけお、1913年〈大正2年〉6月12日 - 1998年〈平成10年〉10月25日)は、日本の政治家。北海道北見市長(1975年 - 1987年、3期)。 北見市生まれ。1927年(昭和2年)、北海道庁野付牛中学校(旧制)卒業。札幌の司法書士事務所や弁護士事務所に勤務。1938年(昭和13年)兵役に就く。1945年(昭和20年)終戦により復員。その後、北見市農業共済組合に入る。同組合長を経て、1951年(昭和26年)に地元・北見市の市議会議員選挙に無所属で出馬し、初当選。以後、市議会議員を連続6期当選した。1959年(昭和34年)5月8日、第5代同市議会副議長に選出された。
和知 喜八(わち きはち、1913年4月25日 - 2004… 和知 喜八(わち きはち、1913年4月25日 - 2004年10月23日)は、東京出身の俳人。東京府町田町(現町田市)生。中央大学法学部法学科卒、日本鋼管(現JFEスチール、JFEエンジニアリング)に務める。1937年、「馬酔木」に投句。当初は樹峰と号した。1940年、加藤楸邨の「寒雷」創刊に参加。1952年、「寒雷」同人。1958年、職場俳句の仲間とともに「響焔」を創刊。1963年に休刊したが、1969年に復刊。1970年、「寒雷」清山賞受賞。1975年、「響焔」主宰に就任。1998年、高齢となったため「響焔」主宰を退き名誉主宰に就任。同年、現代俳句協会名誉会員。2004年、第4回現代俳句大賞受賞。
高 在珌(コ・ジェピル、朝鮮語: 고재필、1913年4月20… 高 在珌(コ・ジェピル、朝鮮語: 고재필、1913年4月20日 - 2005年1月17日)は満州国の官僚、大韓民国の政治家、弁護士、法学者、陸軍軍人。第15代保健社会部(現・保健福祉部)長官、第7・8・9・10代大韓民国国会議員を歴任した。 本貫は長興高氏(朝鮮語版)で高敬命(朝鮮語版)の子孫である。号は河南(ハナム、하남)。1920〜30年代に水原学生独立運動事件(水原高等農林学校事件)を主導した1人で独立有功者の高在千は兄。 日本統治時代の全羅南道潭陽郡生まれ。1933年光州高等普通学校卒。1936年中央大学予科修了、1939年同大法学部卒。1937年に満州高等文官試験に合格し、満洲国国務院総務庁高等官試補に任命され、同年12月大同学院第1部卒業(第11期生)。
大島 清(おおしま きよし、1913年3月31日 - 198… 大島 清(おおしま きよし、1913年3月31日 - 1984年5月15日)は、日本の経済学者。法政大学名誉教授、元法政大学大原社会問題研究所所長。マルクス経済学における農業経済学専攻。1941年、東北帝国大学卒業。1960年、法政大学経済学博士。 なお、同時期に同一大学でマルクス経済学を専攻していた金融論の大島清とは別人である。しかし、ともに傍系入学(旧制高等学校を卒業せずに入学すること)であり、しかも優秀だったことから、よく間違われた。
三田 国夫(みた くにお、1913年1月25日 - 没年不詳… 三田 国夫(みた くにお、1913年1月25日 - 没年不詳)は、日本の俳優である。三田 國夫と表記されることもある。 1913年(大正2年)1月25日、東京府東京市(現在の東京都)に生まれる。出生後まもなく福島県福島市に移住し、幼少期を過ごした。 1932年(昭和7年)、旧制目白中学校(現在の中央大学附属中学校・高等学校)を卒業後、満19歳の時に新劇俳優丸山定夫の門をたたき、新築地劇団に加入する。同年頃に上演された貴司山治の戯作『洋学年代記』などに出演。その後、1935年(昭和10年)に東宝の前身であるJ.O.スタヂオの研究生募集に合格し、三田は6ヶ月の課程を経て、東宝映画の専属俳優となる。以後、1940年(昭和15年)2月28日に公開された矢倉茂雄監督映画『遥かなる弟』や、1943年(昭和18年)3月25日に公開された黒澤明監督映画『姿三四郎』などに出演し、同所の脇役・端役俳優として活動した。
李 永浩(イ・ヨンホ、朝鮮語: 이영호、1913年 - 19… 李 永浩(イ・ヨンホ、朝鮮語: 이영호、1913年 - 1988年6月15日)は、大韓民国の実業家、政治家。第7代韓国国会議員。 黄海道出身。中央大学法学部卒。株式会社黄海社社長、海州市民会会長、東洋塗料株式会社取締役社長、農林(豊林)建設株式会社取締役会長、全国シルム協会会長、黄海道道民会長、民主共和党京畿道支部事務局長・中央党紀委員、第7代国会全国区国会議員を務めた。 1988年6月15日、ソウル大病院で老衰により死去。享年75。
金 用鉉(キム・ヨンヒョン、朝鮮語: 김용현、1913年また… 金 用鉉(キム・ヨンヒョン、朝鮮語: 김용현、1913年または1914年2月18日 - 没年不詳)は、大韓民国の政治家。制憲韓国国会議員。 本貫は羅州金氏(朝鮮語版)。第2代国会議員を務めた金用茂は兄。 全羅南道務安郡夢灘面出身。ソウル校洞国民学校(現・ソウル校洞初等学校(朝鮮語版))卒。ソウル中央中学校(朝鮮語版)4年修了。中央大学法科卒。故郷で農業に従事した後、1948年の初代総選挙で国会議員に当選し、韓国民主党務安郡党委員長を務めた。 朝鮮戦争の際、北朝鮮に拉致され以後消息不明。
栗田 英男(くりた ひでお、1912年(大正元年)12月20… 栗田 英男(くりた ひでお、1912年(大正元年)12月20日 - 1996年(平成8年)10月4日)は、日本の商人(肥料商)、実業家(東京毎夕新聞社主、鉱山経営者)、総会屋、衆議院議員、美術評論家(栗田美術館創設者)。中央大学法学部中退。 栃木県足利市の豪商出身。復員後の1946年第22回衆議院議員総選挙に、栃木県全県区から諸派扱いで初出馬したが落選。 翌1947年の第23回衆議院議員総選挙では、新設の旧栃木県第2区から民主党公認で立候補し、初当選。政界進出と同時に栗田政治経済研究所を設立した。 在職中、栗田の拠出した金が汚職に用いられた疑惑が持ち上がり、1948年の衆議院不当財産取引調査特別委員会で証人喚問された。
田中 武夫(たなか たけお、1912年(大正元年)12月8日… 田中 武夫(たなか たけお、1912年(大正元年)12月8日 – 1979年(昭和54年)1月31日)は、昭和期の労働運動家、政治家。衆議院議員。 兵庫県出身。1937年(昭和12年)中央大学法律科を卒業した。 1937年、鉄道省に入省し大阪鉄道局勤務となる。その後、川西機械製作所に転じ、労働組合を結成し委員長に就任した。1947年(昭和22年)日本社会党に入党。明石地区労働組合協議会議長、兵庫県労働組合会議副議長、東播労連会長、兵庫県地方労働委員、兵庫労働金庫理事などを務めた。 1952年(昭和27年)10月の第25回衆議院議員総選挙で兵庫県第3区から社会党左派公認で出馬したが落選し、次の第26回総選挙でも次点で落選した。
曺 在千(チョ・ジェチョン、朝鮮語: 조재천、1912年11… 曺 在千(チョ・ジェチョン、朝鮮語: 조재천、1912年11月9日または11月19日 - 1970年7月5日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の教育者、裁判官、検察官、警察官、政治家。慶尚北道知事、法務部長官、内務部長官、第3~6代韓国国会議員を歴任した。 本貫は昌寧曺氏(朝鮮語版)、号は逸雲(イルン、일운)。カトリック教徒。政治家の曺国鉉は親戚。 全羅南道光陽郡津月面またはソウルまたは慶尚北道達城郡出身。1933年大邱師範学校講習科卒。全羅北道青蝦公立普通学校教師、全羅北道南原公立普通学校訓導、全羅北道産業部農務科嘱託を経て、1940年中央大学法学科卒業または中退。在学中の1940年8月朝鮮弁護士試験合格、同年10月日本高等文官試験司法科合格。
三浦 矢一(みうら やいち、1912年(大正元年)9月7日 … 三浦 矢一(みうら やいち、1912年(大正元年)9月7日 - 2005年(平成17年)3月29日)は、昭和期の政治家、華族。貴族院子爵議員。 華族・三浦松二郎の長男として生まれる。父の死去に伴い、1931年(昭和6年)10月7日、子爵を襲爵した。 1936年(昭和11年)中央大学法学部を卒業。同年、南満州鉄道に入社。大陸鉄道従事員援護会でも勤務した。 1946年(昭和21年)8月22日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し、研究会に属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した。
林 百郎(はやし ひゃくろう、1912年6月10日 - 19… 林 百郎(はやし ひゃくろう、1912年6月10日 - 1992年6月1日)は、日本の政治家、弁護士。日本共産党衆議院議員。日本共産党議員所属初の「永年在職議員表彰」
水島 廣雄(みずしま ひろお、1912年4月15日 - 20… 水島 廣雄(みずしま ひろお、1912年4月15日 - 2014年7月28日)は、京都府舞鶴市出身の実業家、民法学者。日本興業銀行勤務を経て、そごうの会長、社長を務めた。東洋大学名誉教授、法学博士。担保法の権威としても知られた。
金 達鎬(キム・ダロ、キム・ダルホ、朝鮮語: 김달호、191… 金 達鎬(キム・ダロ、キム・ダルホ、朝鮮語: 김달호、1912年3月26日 - 1979年3月4日)は、日本統治時代の朝鮮、満州国および大韓民国の検察官、裁判官、弁護士、政治家。第3代韓国国会議員。号は端斎。 日本統治時代の慶尚北道尚州郡(現・尚州市)出身。中央大学法学部卒業または中退、大学1年時高等試験合格。司法官試補、朝鮮総督府の光州・清津地方法院の判事を経て、満州国で弁護士をしていたが神社参拝拒否と抗日行為を理由に退職させられた。解放後はソウル高等検察庁次長検事、法興編纂委員、考試委員を経て、1954年の第3代総選挙で国会議員に当選し、1956年に進歩党副委員長を務めた。1958年の進歩党事件により入獄したが、大法院による無罪判決を経て4・19革命で釈放された。
佐々木 吉蔵(ささき きちぞう、1912年3月10日 - 1… 佐々木 吉蔵(ささき きちぞう、1912年3月10日 - 1983年1月23日)は、日本の陸上競技選手。 秋田県鹿角郡小坂村(現在の小坂町)に生まれる。1929年に大館中学校(現在の秋田県立大館鳳鳴高等学校)を卒業し、小坂鉱山花岡支社に入社し、明治神宮大会の男子100mで優勝する。 翌年、東京高等師範学校に進み、日本陸上競技選手権大会の男子200mで優勝し、ついで1931年には一般対抗学生選手権の4×100mリレーの学生チームの第2走者として、41秒6で当時の日本記録を樹立した。 1932年ロサンゼルスオリンピック代表に選ばれたが、怪我のために辞退した。つづく1936年ベルリンオリンピックでは男子100メートルに出場した。
阿部 功(あべ いさお、1912年2月18日 - 1980年… 阿部 功(あべ いさお、1912年2月18日 - 1980年2月15日)は、日本の投擲競技選手。 1936年ベルリンオリンピックにハンマー投で出場。 北海道札幌郡円山町(現在の札幌市中央区)生まれ。札幌師範学校附属小学校、北海中学校(現在の北海高等学校)に進む。北海中学校在学中には、砲丸投で北海道選手権を獲得。 中央大学に進学、在学中に1933年・1934年と日本陸上競技選手権大会ハンマー投種目で優勝。1934年9月9日には日本記録となる48.98mを投擲し、同年10月10日には49.10mに日本記録を更新した。 中央大学を卒業し、1936年ベルリンオリンピック出場時には鉄道省所属。 第二次世界大戦後、1947年の日本陸上競技選手権大会で3度目の優勝を果たす。
上林 与市郎(かんばやし よいちろう、1912年1月1日 -… 上林 与市郎(かんばやし よいちろう、1912年1月1日 - 1993年6月8日)は、日本の政治家。 日本社会党衆議院議員(6期)。社会民主連合顧問。 1982年勲二等瑞宝章、1983年羽黒町名誉町民(現・鶴岡市名誉市民)、1993年正五位。 山形県東田川郡泉村(現・鶴岡市羽黒町泉)に生まれる。 中央大学法学部卒業後、郷里に戻り、社会の民主化と新しい労農漁民運動の構築に専心。1947年、新憲法下における初の衆院総選挙旧山形2区から日本社会党公認で出馬。連続6期務め、阿部昭吾が秘書として仕える。 議員在任中は、衆院決算常任委員長などを務めたほか、社会党中央執行委員を歴任。加えて全日本農民組合連合会書記長に就き、農民組合組織の統一運動に尽力。
安 龍大(アン・ヨンデ、朝鮮語: 안용대、1912年または1… 安 龍大(アン・ヨンデ、朝鮮語: 안용대、1912年または1913年1月13日または1915年 - 1999年5月6日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の官僚、政治家、弁護士。泗川郡・咸安郡・昌原郡・居昌郡郡守、第2・4代韓国国会議員を歴任した。 本貫は順興安氏(朝鮮語版)。号は南史。 日本統治時代の慶尚北道慶州郡(現・慶州市)出身。1940年、中央大学法学部卒。1941年に高等文官試験行政科合格し、朝鮮総督府属、咸鏡南道属として泗川郡・咸安郡・昌原郡・居昌郡守を務めた。解放後は総務処人事局銓叙課長、国会内務委員会専門委員、国務院事務処人事課長、居昌厚生協会長、社会教育協会長、居昌オリンピック後援会会長、山林会支部長などを務めた。
川口 正吉(かわぐち しょうきち、1912年 - 1982年… 川口 正吉(かわぐち しょうきち、1912年 - 1982年2月25日)は、日本の翻訳家。 新潟県三条市生まれ。中央大学経済学部卒業。英語の小説、ノンフィクションを翻訳。キューブラー・ロスの『死ぬ瞬間』がベストセラーになった。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
矢吹 幸太郎(やぶき こうたろう、1912年(明治45年) … 矢吹 幸太郎(やぶき こうたろう、1912年(明治45年) - 2009年(平成21年)4月18日)は、日本の元裁判官・弁護士。元札幌地方裁判所判事。矢吹法律事務所初代所長。中央大学法学部卒業。福島県出身。 この他、司法研修所教官も務める 法律の得意分野は特になく、法律全般を扱うが、大学では、商法を講義。 子息は、北海学園大学教授の矢吹徹雄。 『全国弁護士大観』(法律新聞社編集・発行、2007年) この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
藤田 義光(ふじた よしみつ、1911年11月30日 - 1… 藤田 義光(ふじた よしみつ、1911年11月30日 - 1986年6月26日)は、日本の政治家。位階は従三位。 自由民主党衆議院議員(9期)。無派閥。 熊本県生まれ。1937年中央大学法学部を卒業。大学在学中は、真法会に所属。朝日新聞記者を経て、1949年、第24回衆議院議員総選挙において熊本1区で民主党から立候補し、初当選。1962年9月、第2次池田第2次改造内閣で自治政務次官に就任。1969年、日本社会党と公明党から衆議院内閣委員長解任決議案が提出されたが61票差で否決。1979年の四十日抗争では、大平正芳に投票する。 1986年の第38回衆議院議員総選挙に10期目を目指して立候補したが、選挙期間中となる同年6月26日、死去した。
小林 純一(こばやし じゅんいち、1911年11月28日 -… 小林 純一(こばやし じゅんいち、1911年11月28日 - 1982年3月5日)は、日本の児童文学作家、童謡詩人。日本音楽著作権協会常務理事を務めた。 現在の東京都新宿区生まれ。本名は小林純一郎。中央大学経済学科を中退した。北原白秋に師事し、東京市、日本出版文化協会、日本少国民文化協会などに勤務しながら、第二次「赤い鳥」「チクタク」などに童謡を投稿した。戦後は文筆に専念した。日本童謡協会、日本児童文学者協会の設立に関与し、理事長、常任理事を務めた。 1971年に日本童謡賞功労賞、1979年に日本童謡賞、1978年に『少年詩集・茂作じいさん』で赤い鳥文学賞を受賞した。また没後の1982年に日本童謡賞特別賞、1995年に「小林純一・芥川也寸志遺作集 こどものうた」で日本童謡賞特別賞を受賞した。
山本 廣治(やまもと ひろじ、1911年(明治44年)5月1… 山本 廣治(やまもと ひろじ、1911年(明治44年)5月1日 - 1992年(平成4年)4月16日)は、日本の実業家。滋賀県出身。1935年(昭和10年)に日本銀行入行。東亜研究所主任研究員(交通)を経て、1945年(昭和20年)に国土計画へ入社。近江鉄道代表、西武鉄道取締役、西武バス社長などを歴任、同時に(社)東京バス協会会長、(社)日本バス協会副会長他、運輸省関連要職を務める。社主堤康次郎の衆議院議長時代は堤清二と共に議長秘書官として政治活動を支えた。 1986年(昭和59年)、勲三等旭日中綬章を受章。