中山 寿彦(中山 壽彦、なかやま としひこ、1880年12月… 中山 寿彦(中山 壽彦、なかやま としひこ、1880年12月16日 - 1957年11月26日)は、日本の医師、政治家。日本医師会4代会長、貴族院議員、参議院議員、国務大臣。位階は従三位。勲等は勲二等。 兵庫県生まれ。1907年、東京帝国大学医学部を卒業。同年、東京医科大学附属病院助手となった。1920年、東京府豊多摩病院長に就任。東京府医師会長、同医師会附属下谷病院長、東京市理事、日本医療団東京支部事務局長、母子愛育会理事、公衆衛生院顧問、医師国家試験審議会委員などを歴任。 1946年(昭和21年)2月に日本医師会会長に就任した。戦後の新体制を準備していたが、GHQから戦争協力者に対する公職追放を医師会役員にも適用するという通告を受けて会長職を辞任した。
渡辺 三郎(渡邊 三郎、わたなべ さぶろう、1880年(明治… 渡辺 三郎(渡邊 三郎、わたなべ さぶろう、1880年(明治13年)12月2日 - 1951年(昭和26年)1月8日)は、日本の工学者、実業家、政治家。工学博士、貴族院勅選議員。旧姓・大河原。「特殊鋼」の命名者。 群馬県碓氷郡松井田駅(現安中市)で、商業・大河原新七、野恵夫妻の三男として生まれる。松井田町尋常高等小学校、群馬尋常中学校、第一高等学校工科を経て、1907年(明治40年)6月、東京帝国大学工科大学採鉱冶金学科を卒業。 大学卒業後、古河鉱業所 (株)(現古河機械金属)に入社し足尾鉱業所精錬課溶鋼係長に就任。1908年(明治41年)6月、実業家・渡辺福三郎、多満子夫妻の五女で従姉妹の那べと入夫縁組して渡辺と改姓。
大河内 輝耕(おおこうち きこう、1880年〈明治13年〉1… 大河内 輝耕(おおこうち きこう、1880年〈明治13年〉11月18日 - 1955年〈昭和30年〉5月2日)は、明治期から昭和期にかけての華族、政治家。貴族院議員。子爵。妻は徳川慶喜の八女の国子。 上野国高崎藩最後の藩主・大河内輝声の長男として生まれる。1882年(明治15年)父の死により家督を相続し、1884年(明治17年)7月8日に子爵を叙爵した。1901年(明治34年)7月に学習院高等科を卒業して、東京帝国大学法科大学に入り、1905年(明治38年)に卒業した。同年11月、文官高等試験に合格し、大蔵省に入り、主計局に配属された。その後、大蔵書記官、主計局主計課長、専売局主事、大蔵参事官、専売局理事、東京地方専売局長などを歴任した。
鮎川 義介(あゆかわ よしすけ/あいかわ よしすけ、 188… 鮎川 義介(あゆかわ よしすけ/あいかわ よしすけ、 1880年(明治13年)11月6日 – 1967年(昭和42年)2月13日)は、日本の実業家、政治家。日産コンツェルン創始者である。満洲重工業開発株式会社総裁、貴族院議員、帝国石油株式会社社長、石油資源開発株式会社社長、参議院議員などを歴任した。 明治13年(1880年)、旧長州藩士・鮎川弥八(第10代当主)を父とし、明治の元勲・井上馨の姪を母として山口県吉敷郡大内村(現在の山口市大内地区)に生まれる。 山口県立山口尋常中学校、旧制山口高等学校を経て、1903年(明治36年)に東京帝国大学工科大学機械科を卒業。芝浦製作所に入社。身分を明かさない条件で日給48銭の職工となる。
今村 武志(いまむら たけし、1880年(明治13年)11月… 今村 武志(いまむら たけし、1880年(明治13年)11月2日 - 1960年(昭和35年)8月21日)は、日本の官僚、政治家である。 戦前日本の統治における要職を歴任した後、戦時下および終戦直後の仙台市長を務めた。 1880年(明治13年)、宮城県宮城郡多賀城村(当時)に、農家の長男として生まれる。学歴は、宮城県中学校、第二高等学校を経て、東京帝国大学法科卒業。 1908年(明治41年)に大学卒業後は、高級官僚として朝鮮総督府に入り要職を歴任し、黄海道知事にも就任した。1931年(昭和6年)、内地に戻り、1932年の齋藤内閣発足とともに樺太庁長官となって、1938年まで務めた。退職後には、日本拓殖協会理事に就任した。
井上 柳梧(いのうえ りゅうご、1880年(明治13年)9月… 井上 柳梧(いのうえ りゅうご、1880年(明治13年)9月21日 - 1962年(昭和37年)3月6日)は、日本の蚕糸学者、政治家。上田蚕糸専門学校第2代校長、上田市長。農学博士。勲二等旭日重光章。 東京府本郷区駒込千駄木町(現東京都文京区)で、官僚・井上廉の息子として生まれた。1893年(明治26年)高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)を卒業[要出典]。1898年(明治31年)高等師範学校附属尋常中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業[要出典]。官界を志していたが科学分野への興味がまさり 東京帝国大学農科大学に進み農芸化学を専攻。1908年(明治41年)7月に卒業して大学院に進み、1911年(明治44年)蚕糸研究のためフランス、ドイツ帝国に留学。
国光 五郎(くにみつ ごろう、1880年(明治13年)9月3… 国光 五郎(くにみつ ごろう、1880年(明治13年)9月3日 - 1951年(昭和26年)2月3日)は、日本の政治家、山口県多額納税者。衆議院議員、地主。族籍は山口県士族。 山口県阿武郡萩(現在の萩市)に石津潤一の五男として生まれ、国光佐一の養子となった。1906年(明治39年)に東京帝国大学法科大学政治科を卒業した。高等文官試験に合格し、三重県属、内務属、佐賀県事務官、広島県事務官を歴任した。 1912年(明治45年)、第11回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。立憲政友会に所属。 その後、山口県会議員や岩田村長を務め、また農業を営み山口県農会長・帝国農会議員を務めた。 1935年(昭和10年)、衆議院で補欠当選を果たし、第19回衆議院議員総選挙・第20回衆議院議員総選挙でも再選された。
高崎 弓彦(たかさき ゆみひこ、1880年(明治13年)8月… 高崎 弓彦(たかさき ゆみひこ、1880年(明治13年)8月11日 - 1958年(昭和33年)4月9日)は、大正から昭和期の政治家、華族。貴族院男爵議員。 岡山県令・高崎五六の三男として生まれる。兄高崎安彦の死去に伴い、1911年(明治44年)1月31日、男爵を襲爵した。 学習院を経て、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を修了した。1906年、三井物産に入社し米国ニューヨーク支店勤務となる。その後、日本製鋼所社員に転じた。 1918年(大正7年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され、公正会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで4期在任した。その他、政府貸付金処理委員会委員、財政収支調整調査会委員を務めた。
雑賀 信三郎(雜賀、さいか しんざぶろう / のぶさぶろう、… 雑賀 信三郎(雜賀、さいか しんざぶろう / のぶさぶろう、1880年(明治13年)7月16日 - 1956年(昭和31年)8月3日)は、明治末から昭和前期の農業技術者、政治家、実業家。衆議院議員、山口県豊浦郡豊東村長。 山口県豊浦郡上保木村(豊東村上保木、菊川町を経て現下関市菊川町大字上保木)で、雑賀敬二郎の息子として生まれる。山口高等学校を経て、1907年(明治40年)東京帝国大学農科大学を卒業した。1908年(明治41)12月、一年志願兵として入営し、1911年(明治44年)4月、陸軍歩兵少尉に任じられ、のち歩兵中尉に昇進。 島根県農業技師に任官。熊本県農業技師に転じ、同県農商課長、熊本県農会幹事、同県産牛馬組合連合会副組長、同県茶業組合連合会顧問、熊本商業会議所特別議員、大日本産業組合熊本支部理事、大日本蚕糸業組合熊本支会商議員、同県実業団体連合会顧問などを務めた。
高橋 新八(たかはし しんはち / しんぱち、1880年(明… 高橋 新八(たかはし しんはち / しんぱち、1880年(明治13年)6月28日 - 1923年(大正12年)4月9日)は、明治から大正期の造船技術者、実業家、政治家、華族。貴族院男爵議員。旧名・新作。 英学者・高橋新吉の長男として生まれる。父の死去に伴い、1918年(大正7年)12月20日、男爵を襲爵した。 1909年7月(明治42年)東京帝国大学工科大学造船学科を卒業。神戸川崎造船所技師を経て、1917年(大正6年)八千代生命保険監査役に就任。その他、南国護謨監査役、輸出水産取締役、墨田川造船所社長などを務めた。 1922年(大正11年)5月13日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し、公正会に所属して活動し1923年4月8日まで在任した。
野田 亀喜(龜喜、のだ かめき、1880年(明治13年)4月… 野田 亀喜(龜喜、のだ かめき、1880年(明治13年)4月29日 - 1941年(昭和16年)5月29日)は、明治から昭和期の実業家、政治家、華族。貴族院男爵議員。 陸軍主計将校・野田豁通の二男として生まれる。父の死去に伴い、1913年(大正2年)1月30日、男爵を襲爵した。 学習院を経て帝国大学法科大学を修了。1910年(明治43年)日本建築用紙取締役に就任。その後、台東製糖取締役、木毛取締役、八千代銀行監査役、愛国旅行社社長などを務めた。 1918年(大正7年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され、公正会に所属して活動し、1932年(昭和7年)7月9日まで2期在任した。
片桐 貞央(かたぎり さだひさ / さだなか、1880年(明… 片桐 貞央(かたぎり さだひさ / さだなか、1880年(明治13年)4月28日 - 1956年(昭和31年)1月7日)は、大正から昭和期の政治家、華族。貴族院子爵議員。旧姓・水野、幼名・央、法諱・宗昌。 旧紀伊新宮藩主・水野忠幹の六男として生まれる。先代、子爵・片桐貞健の死去に伴い家督を継承し、1892年(明治25年)8月16日、子爵を襲爵した。同年9月5日、貞央と改名した。 1911年(明治44年)9月、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。狩猟調査会委員、農林審議会委員、矢作水力役員、大阪タクシー自動車役員などを務めた。 1914年(大正3年)2月28日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し、研究会に所属して活動し、1939年(昭和14年)7月9日まで4期在任した。
高見 之通(たかみ ゆきみち、1880年〈明治13年〉3月2… 高見 之通(たかみ ゆきみち、1880年〈明治13年〉3月27日 - 1962年〈昭和37年〉10月30日)は、日本の政治家、弁護士。衆議院議員(当選7回)。族籍は富山県士族。 富山県富山市生まれ。富山県士族・高見之貫の長男。1908年、東京帝国大学法科大学英法科を卒業。弁護士の業務に従事する。 富山県東岩瀬町長(1926年1月15日から同年11月27日まで)、富山県売薬同業組合長を務め、1917年の第13回衆議院議員総選挙で初当選した。はじめ立憲政友会に所属し、1920年の第14回衆議院議員総選挙では政友会公認で立候補し当選している。その後政友会を離党して政友本党の結党に参加し、1924年の第15回衆議院議員総選挙では政友本党公認で立候補し当選している。
河野 喜蔵(こうの きぞう、1880年(明治13年)3月26… 河野 喜蔵(こうの きぞう、1880年(明治13年)3月26日 - 1942年(昭和17年)4月20日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)。弁護士。 岩手県西閉伊郡宮守村(現在の遠野市)出身。第四高等学校を経て、1913年(大正2年)に東京帝国大学法科大学を卒業し、翌年に弁護士試験に合格した。盛岡市に弁護士事務所を開業し、盛岡弁護士会副会長を務めた。1919年(大正8年)からは岩手県会議員に選出され、さらに同参事会員にも選出された。 1922年(大正11年)、衆議院補欠選挙で当選を果たした。
伊東 祐弘(いとう すけひろ、1880年(明治13年)3月2… 伊東 祐弘(いとう すけひろ、1880年(明治13年)3月23日 - 1931年(昭和6年)12月19日)は、日本の政治家、華族。貴族院子爵議員。 東京府出身。子爵・伊東祐帰の長男として生まれる。父・祐帰の死去に伴い、1894年(明治27年)5月15日、家督を相続し子爵を襲爵した。1907年(明治40年)東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。 父は飫肥藩(宮崎県)最後の藩主であったが、祐弘は父の旧領地ではなく伊東氏発祥の地である静岡県伊東市に進出。現地に別荘を建てたり、伊東水力電気の第二代会長に収まるなどの活動を見せた。祐弘の資産形成は手堅く成功を収め、1912年(大正元年)には東京府の多額納税者となっている。
橋本 定五郎(はしもと さだごろう、1880年〈明治13年〉… 橋本 定五郎(はしもと さだごろう、1880年〈明治13年〉3月7日 - 1947年〈昭和22年〉12月13日)は、日本の医師(外科医)、政治家・第6代埼玉県川越市長、実業家。川越同仁社長。 青森県八戸市十三日町生まれ。長助の五男。東京帝国大学医科大学卒業。医師開業。1923年、川越市医師会長就任。1926年、川越産婆看護婦学校長就任。川越産院長就任。 1930年、埼玉県医学会頭就任。1933年、川越脳病院管理者就任。1935年、川越市長就任。1936年、武州瓦斯監査役就任。 宗教は浄土宗。趣味は書画、盆栽。住所は川越市大字小仙波。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
佐竹 三吾(さたけ さんご、1880年(明治13年)3月5日… 佐竹 三吾(さたけ さんご、1880年(明治13年)3月5日 - 1976年(昭和51年)5月24日)は、明治末から昭和期の鉄道官僚、政治家、実業家。貴族院議員(勅選)、法制局長官。 岐阜県養老町出身。米穀商・佐竹柳三郎の三男として生まれ、佐竹鉄治郎の養子となる。岐阜中学、城北中学を経て第一高等学校に入学。1905年(明治38年)7月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を優等で卒業し銀時計を授与された。卒業後農商務省嘱託となり、同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。農商務属・商工局勤務、法制局参事官、満鉄理事を経て、1908年(明治41年)6月から1910年(明治43年)5月まで欧米に留学した。
池田 秀雄(いけだ ひでお、1880年(明治13年)2月2日… 池田 秀雄(いけだ ひでお、1880年(明治13年)2月2日 - 1954年(昭和29年)1月20日)は、日本のジャーナリスト、内務官僚、政治家。衆議院議員。 佐賀県小城郡、のちの三日月村(三日月町を経て現小城市)出身。池田轍の三男として生まれる。第五高等学校を経て、1909年、東京帝国大学法科大学を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格するが、朝日新聞社に入社。1910年、内閣拓殖局属となる。以後、拓殖局書記官、長野県理事官、広島県理事官、宮城県視学官、岐阜県警察部長、外務事務官兼内務書記官、広島県・宮城県の各内務部長などを歴任。 1924年6月、秋田県知事に就任。同年12月、朝鮮総督府へ転じ殖産局長となる。
斎藤 真澂(さいとう しんちょう、1880年〈明治13年〉1… 斎藤 真澂(さいとう しんちょう、1880年〈明治13年〉1月2日 - 没年不明)は、昭和時代前期の日本の政治家。鉄道官僚。三重県宇治山田市長。 国井清廉の三男として岐阜県、のちの羽島郡笠松町に生まれ、斎藤光の入夫となる。1906年(明治39年)7月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。更に大学院に学んだ。帝国鉄道院に出仕し、同書記、同参事、鉄道局参事、札幌、仙台、各鉄道局運輸課長、鉄道監察官を経て、札幌鉄道局長および鉄道省監察局長に進んだのち退官する。その後、参宮急行電鉄専務取締役を経て、1935年(昭和10年)11月、宇治山田市長に就任した。1940年(昭和15年)1月、再選した。3期務め1946年(昭和21年)3月に退任。
松村 真一郎(まつむら しんいちろう、1880年〈明治13年… 松村 真一郎(まつむら しんいちろう、1880年〈明治13年〉1月2日 - 1963年〈昭和38年〉6月2日)は日本の農林官僚であり、退官後に貴族院議員及び参議院議員を務めた。 松村眞平とヒサの間に長男として生まれる。1906年(明治39年)、東京帝国大学法科大学を首席で卒業し、農商務属兼農商務大臣秘書官となる。同年、高等文官試験に合格し、特許局審査官と農商務参事官を兼任した。さらに農商務書記官に昇進し、大臣秘書官を兼ねた。1910年(明治43年)、法制局参事官に転じ、行政裁判所評定官を兼ね、1918年(大正7年)には法制局第一部長に就いた。その後、農商務省に戻って、畜産局長、商務局長、農林省水産局長、農林局長を歴任し、1929年(昭和4年)には農林次官に就任した。
塩野 季彦(しおの すえひこ、明治13年(1880年)1月1… 塩野 季彦(しおの すえひこ、明治13年(1880年)1月1日 - 昭和24年(1949年)1月7日)は、日本の司法官僚、政治家。司法大臣である。思想検事の主流として活動し、「塩野閥」などと言われた派閥を形作っていたことで知られている。(特捜検察と公安検察の対立参照。)
葛原 運次郎(くずはら うんじろう、1880年〈明治13年〉… 葛原 運次郎(くずはら うんじろう、1880年〈明治13年〉 - 1945年〈昭和20年〉12月)は、大正から昭和時代前期の政治家。青森県南津軽郡田舎館村長、弘前市長。 青森県南津軽郡豊蒔村(現在の田舎館村豊蒔)出身。東奥義塾から第二高等学校を経て、東京帝国大学文学部に進む。1905年(明治38年)文学部講師嘱託となり、市村瓚次郎の助手として満州へ渡る。帰朝後は、東奥義塾教師、千葉県成田中学校長など全国各地の校長を歴任し、1926年(大正15年)大館中学校から弘前中学校の第14代校長となる。 1931年(昭和6年)同校生徒の「嶽温泉籠城ストライキ」の責任を取り、翌春校長を辞職。1940年(昭和15年)田舎館村長となり、1942年(昭和17年)7月には弘前市長に就任した。
小山 東助(おやま とうすけ、1879年(明治12年)11月… 小山 東助(おやま とうすけ、1879年(明治12年)11月24日 - 1919年(大正8年)8月25日)は、衆議院議員(公友倶楽部→憲政会)、ジャーナリスト、教育者。号は鼎浦。 宮城県本吉郡気仙沼本郷(気仙沼町を経て現気仙沼市)出身。宮城県立尋常中学校、第二高等学校を経て、東京帝国大学文科大学哲学科に入学した。尋常中学校では吉野作造と回覧雑誌を発行し、高等学校でも吉野・内ヶ崎作三郎らと雑誌を編集した。大学でキリスト教と政治に傾倒し、海老名弾正の本郷教会に関係したほか、島田三郎に私淑した。 1903年(明治36年)に大学を卒業すると、島田が経営する東京毎日新聞社に入社した。その後、東京日日新聞に移り、また早稲田大学講師として倫理学・新聞学を担当した。
馬場 鍈一(ばば えいいち、1879年〈明治12年〉10月5… 馬場 鍈一(ばば えいいち、1879年〈明治12年〉10月5日 - 1937年〈昭和12年〉12月21日)は、日本の政治家、大蔵官僚。法制局長官、日本勧業銀行総裁、貴族院勅選議員、広田内閣大蔵大臣、第一次近衛内閣内務大臣を歴任した。積極財政派で、蔵相時代に大規模な省内人事の刷新や極端な積極財政を行った馬場財政で知られる。 東京府芝区(現在の東京都港区)に、旧幕臣・山本時光の長男として生まれる。時光は一時期日雇人夫に身をやつしていたと伝えられ、生家は貧しかった。後に鉄道技師で、旧会津藩士の馬場兼の婿養子となり改姓する。麹町区富士見小学校高等科3年から1892年(明治25年)4月に東京府尋常中学校2年へ編入学、1896年(明治29年)3月に尋中を卒業し、第一高等学校文科政治科へ入学。
八田 嘉明(はった よしあき、1879年9月14日 - 19… 八田 嘉明(はった よしあき、1879年9月14日 - 1964年4月26日)は、日本の鉄道技術者、官僚、実業家、政治家。工学博士。東京府生まれ。
黒田 英雄(くろだ ひでお、1879年(明治12年)9月2日… 黒田 英雄(くろだ ひでお、1879年(明治12年)9月2日 – 1956年(昭和31年)11月1日)は、日本の大蔵官僚、政治家。大蔵次官、貴族院議員、参議院議員。
実吉 純郎(旧字体: 實吉 純郞、さねよし すみお、1879… 実吉 純郎(旧字体: 實吉 純郞、さねよし すみお、1879年(明治12年)6月9日 - 1948年(昭和23年)11月8日)は、明治から昭和期の医学者、政治家、華族。貴族院子爵議員、医学博士。 海軍軍医・実吉安純の長男として生まれる。父の死去に伴い、1932年(昭和7年)4月15日、子爵を襲爵した。 1907年(明治40年)7月、東京帝国大学医科大学を卒業。1910年(明治43年)ドイツ帝国に留学した。 1907年(明治40年)東京帝国大学医科大学副手となる。以後、同助手、私立高輪病院長、東京慈恵会医科大学教授、同会医院次長、同内科部長、鉄道嘱託医、医薬制度調査会委員などを務めた。 1933年(昭和8年)6月24日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し、研究会に所属して1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで2期在任した。
勝 正憲(かつ まさのり、1879年(明治12年)5月21日… 勝 正憲(かつ まさのり、1879年(明治12年)5月21日 - 1957年(昭和32年)11月11日)は、日本の大蔵官僚、政治家。衆議院議員、逓信大臣。 福岡県出身。元小倉藩士・勝平八郎の長男として生まれる。豊津中学、第五高等学校を経て、1905年(明治38年)7月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。塩務局属兼大蔵属となり横浜塩務局兼理財局国債課勤務となる。同年11月、文官高等試験に合格。 1906年(明治39年)12月、税務監督局事務官・大阪税務監督局勤務となり、以後、税務行政を担当する。1907年(明治40年)5月、松江税務監督局長に就任。さらに、兼松江塩務局長、長崎税務監督局長、鹿児島税務監督局長、長野税務監督局長、税務監督官・東京税務監督局、函館税関長、仙台税務監督局長、大蔵書記官・主税局国税課長、兼大蔵省参事官、東京税務監督局長、海外駐箚財務官(米国駐在)、兼米国大使館付などを歴任。
吉田 清風(よしだ きよかぜ、1879年(明治12年)5月7… 吉田 清風(よしだ きよかぜ、1879年(明治12年)5月7日 - 1937年(昭和12年)11月27日)は、明治から昭和期の政治家、華族。貴族院子爵議員。 東京府で外交官・吉田清成の長男として生まれる。父の死去に伴い、1891年8月20日、子爵を襲爵した。 学習院高等科を経て、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を修了。1911年(明治44年)7月10日、貴族院子爵議員に選出され、研究会に所属して活動し、死去するまで4期在任した。
吉野 小一郎(よしの こいちろう、1879年(明治12年)5… 吉野 小一郎(よしの こいちろう、1879年(明治12年)5月1日 - 1948年(昭和23年)6月20日)は、大正から昭和時代前期の政治家、実業家。衆議院議員。神奈川県津久井郡吉野町長。 吉野十郎の長男として神奈川県津久井郡吉野駅(吉野町、藤野町、相模原市を経て現同市緑区吉野)に生まれ、1900年(明治33年)12月、家督を相続する。学習院から第一高等学校を経て、1906年(明治39年)東京帝国大学法科大学政治科を卒業し、台湾銀行に入行。同行秘書課勤務・助役補を務めた。 1931年(昭和6年)奉天にて事業を興し、満州中央銀行の創立に関わり、奥地開発や日満経済の連携に尽くした。また、醸造酒販売会社を設立し日本酒の中国進出を行った。
武富 済(たけとみ わたる、1879年(明治12年)4月23… 武富 済(たけとみ わたる、1879年(明治12年)4月23日 - 1937年(昭和12年)4月20日)は、日本の検事、弁護士、衆議院議員(憲政会→立憲民政党)。正しくは武富 濟。
新庄 直知(しんじょう なおとし、1879年(明治12年)3… 新庄 直知(しんじょう なおとし、1879年(明治12年)3月16日 - 1945年(昭和20年)8月28日)は、明治から昭和期の鉄道技術者、政治家、華族。貴族院子爵議員。新荘と表記される場合がある。元常陸国の麻生藩主の家系。 本籍・茨城県行方郡麻生町。司法官・新庄直陳の長男として生まれた。父の死去に伴い、1913年(大正2年)6月20日、子爵を襲爵した。 1908年(明治41年)7月、東京帝国大学工科大学造兵学科を卒業。1910年(明治43年)鉄道院(後の日本国有鉄道の前身)技手に就任。その後、同技師、同嘱託などを務めた。 1917年(大正6年)3月10日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し、研究会に所属して活動し、1939年(昭和14年)7月9日まで4期在任した。
水口 周平(みなくち しゅうへい、1879年3月12日 - … 水口 周平(みなくち しゅうへい、1879年3月12日 - 1957年2月27日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 岐阜県大野郡清見村(現高山市)出身。1903年、医学専門学校済生学舎卒。東京帝国大学医科で学び、産婦人科専科修了。日露戦争に従軍し、二等軍医となる。その後、大野郡会議員、清見村長、岐阜県会議員、同議長を歴任する。 1946年の第22回衆議院議員総選挙において岐阜県から日本自由党公認で立候補して当選する。衆議院議員を1期務め、翌1947年の第23回衆議院議員総選挙には出馬しなかった。 このほか清見村森林組合長、同村農業会長、岐阜県農業会理事、日本警防協会特別会員、清見村国民健康保険診療所医師を務めた。
服部 英明(はっとり えいめい、1879年(明治12年)3月… 服部 英明(はっとり えいめい、1879年(明治12年)3月6日 - 1952年(昭和27年)12月31日)は、日本の衆議院議員(立憲民政党)、弁護士。 愛知県中島郡祖父江町(現在の稲沢市)で服部増次郎の次男として生まれる。1907年(明治40年)、東京帝国大学法科大学独法科を卒業した。弁護士事務所を開業し、東京第一弁護士会評議員を務めた。また 麻布獣医専門学校・麻布獣医畜産学校(現在の麻布大学)の理事・教授を務めた。 1924年(大正13年)、第15回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第17回、第19回、第20回(補欠)でも当選を果たした。 その他、東京瓦斯株式会社法律顧問、中外製薬株式会社取締役などを務めた。
森岡 京次郎(もりおか きょうじろう、1879年2月5日 -… 森岡 京次郎(もりおか きょうじろう、1879年2月5日 - 1920年6月27日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 奈良県山辺郡出身。東京帝国大学政治科卒。森岡銀行頭取、日本紙業、玉造倉庫運輸信託各(株)社長となる。 1920年の第14回衆議院議員総選挙において奈良2区から無所属で立候補して当選する。選挙中に森岡銀行が取り付け騒ぎに遭って破綻したため、当選から間もない6月27日、預金者に申し訳ないとして短刀で自殺を図り死去した。
赤池 濃(あかいけ あつし、1879年〈明治12年〉1月27… 赤池 濃(あかいけ あつし、1879年〈明治12年〉1月27日 - 1945年〈昭和20年〉9月10日)は、日本の内務官僚、政治家。静岡県知事、警視総監、貴族院議員。 長野県埴科郡南条村(現・坂城町)出身。赤池七右衛門の長男として生まれる。東京府立一中、第一高等学校を経て、1902年7月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。内務省に入り、京都府属となり内務部第一課に配属。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1904年5月、内務属・大臣官房秘書課兼地方局勤務となり、以後、福島県参事官、同県事務官、滋賀県事務官・警察部長、愛知県事務官・警察部長、兵庫県事務官・警察部長などを歴任。 1913年6月、内務省本省に戻り内務書記官に就任。
水野 直(みずの なおし、1879年(明治12年)1月5日 … 水野 直(みずの なおし、1879年(明治12年)1月5日 - 1929年(昭和4年)4月30日)は、日本の華族(子爵)・政治家。貴族院の院内会派・研究会の幹部で、加藤高明内閣の陸軍政務次官。水野宗家第18代当主。旧紀伊新宮藩主・水野忠幹の五男。養父は旧結城藩当主家の水野忠愛。妻は旧菊間藩主・水野忠敬の三女・貞子。教育調査会会員、臨時教育会議委員、学習院御用掛、鉄道会議臨時議員などを歴任した。 1879年(明治12年)1月5日、旧紀伊新宮藩藩主・水野忠幹の五男として東京府で生まれる。1884年(明治17年)10月に水野宗家第17代当主・水野忠愛の養嗣子となって同年12月に家督を相続する。1903年(明治36年)、東京帝国大学法科大学卒業。
朱 深または朱 㴱(しゅ しん、1879年〈光緒5年〉 - … 朱 深または朱 㴱(しゅ しん、1879年〈光緒5年〉 - 1943年〈民国31年〉7月2日)は、中華民国の政治家・検察官・法務官僚・実業家。字は博淵。北京政府では安徽派に属し、後に中華民国臨時政府、南京国民政府(汪兆銘政権)華北政務委員会にも参加した。 清末に日本へ留学する。1912年(民国元年・明治45年)7月、東京帝国大学法学部法律学科(ドイツ法兼修)を卒業し、併せて法学士の称号を取得した。 帰国後の1912年7月26日に北京政府で法典編纂会纂修となり、翌1913年(民国2年)8月24日には総検察庁検察官に任命された。さらに京師地方検察庁検察長署理や京師高等検察庁検察長署理も務めている。1915年(民国4年)1 月27日、中大夫の位階を授与され、上大夫銜を加えられた。
谷 欽太郎(たに きんたろう、1878年(明治11年)12月… 谷 欽太郎(たに きんたろう、1878年(明治11年)12月9日 - 1951年(昭和26年)9月16日)は、日本の台湾総督府官僚、政治家、実業家。衆議院議員。 富山県下新川郡仏田村(現富山県魚津市)で、谷平吉の長男として生まれ、1897年4月、谷順平の長女・寿意と結婚し婿養子となる。第四高等学校を経て、1904年7月、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。1905年8月、文官高等試験行政科試験に合格した。 1906年2月、台湾総督府に入り、同属、同専売局書記、同事務官、同脳務課長などを歴任した。1913年に退官。 1915年3月、第12回衆議院議員総選挙に富山県郡部から立憲政友会所属で出馬して当選し、衆議院議員を一期務めた。
久留 義郷(ひさとめ よしさと、1878年(明治11年)11… 久留 義郷(ひさとめ よしさと、1878年(明治11年)11月30日 - 1957年(昭和32年)8月18日)は、日本の政治家、鉄道官僚、弁護士。衆議院議員(2期)。仙台鉄道局長等を歴任。 鹿児島県徳之島亀津(現在の大島郡徳之島町)生まれ、出身。鹿児島高等中学造士館補充科、予科を経て、学校制度の変更により鹿児島県立尋常中学造士館を1897年(明治30年)に卒業。熊本の第五高等学校を1900年(明治33年)に卒業して、東京帝国大学法科大学へ進学。泉二新熊は高等中学予科、高等学校、大学での先輩で、第五高等学校時代には熊本の丹後寺に同宿した。また、法科大学では、泉二に相談して助言を受け、独法科を選んだ。
宮田 光雄(みやた みつお、1878年(明治11年)11月2… 宮田 光雄(みやた みつお、1878年(明治11年)11月25日 - 1956年(昭和31年)3月8日)は、日本の官僚、政治家。内閣書記官長、衆議院議員、貴族院議員。
宮田 光雄(みやた みつお、1878年(明治11年)11月2… 宮田 光雄(みやた みつお、1878年(明治11年)11月25日 - 1956年(昭和31年)3月8日)は、日本の官僚、政治家。内閣書記官長、衆議院議員、貴族院議員。 三重県一志郡八ツ山村(後に白山町、現在は津市)の村長で酒造を営む素封家宮田宇吉の長男として、同村八対野の屋敷に於いて生まれる。愛知一中、三高、帝国大学法科大学卒業(のちの東京大学法学部)。 貴族院官僚として奉職するも、衆議院議員として三重県より立候補、その後は貴族院勅選議員として活躍した。原敬首相の目にとまり1919年(大正8年)6月28日、福島県知事として赴任。1922年(大正11年)6月12日に加藤友三郎内閣で内閣書記官長として抜擢され、福島県知事を退任し、大腸癌を患う加藤友三郎首相にかわり国政を取り仕切る。
田辺 治通(たなべ はるみち、明治11年(1878年)10月… 田辺 治通(たなべ はるみち、明治11年(1878年)10月17日 - 昭和25年(1950年)1月30日)は、日本の逓信官僚・政治家。大阪府知事・内閣書記官長・逓信大臣・内務大臣を歴任した。山梨県出身。妻は杉山叙の養子である正四位勲二等東京府士族杉山四五郎の養妹である真知。 山梨県東山梨郡神金村(現在の甲州市)の酒造業者の次男に生まれる。明治38年(1905年)に東京帝国大学法科大学を卒業後、逓信省に入省する。横浜郵便局長、大阪郵便局長、逓信監理局書記官、同事務官、逓信省参事官兼為替貯金局事務官、大阪逓信局長、東京逓信局長を務めフランスに留学した後、無線電信法の制定に尽力するなど、通信行政の専門家として活躍して大正13年(1924年)には通信局長になり、「通信閥」の長と見られていた。
笠原 忠造(かさはら ちゅうぞう、1878年(明治11年)1… 笠原 忠造(かさはら ちゅうぞう、1878年(明治11年)10月7日 - 1926年(大正15年)11月12日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)、弁護士。 長野県長野市に、薬種商を営む笠原十兵衛の長男として生まれる。1906年(明治39年)、東京帝国大学法科大学英法科を卒業し、長野市に弁護士事務所を開いた。弁護士業のかたわら、長野市会議員、同議長、長野県会議員、同議長を務めた。 1912年(明治45年)、第11回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第15回衆議院議員総選挙でも再選を果たした。 その他に、田川炭鉱株式会社常務取締役、京浜電力常務取締役、帝国石膏株式会社取締役を務めた。
吉田 茂(よしだ しげる、1878年〈明治11年〉9月22日… 吉田 茂(よしだ しげる、1878年〈明治11年〉9月22日 - 1967年〈昭和42年〉10月20日)は、日本の外交官、政治家。位階は従一位。勲等は大勲位。旧姓:竹内(たけうち)。 内閣総理大臣(第45・48・49・50・51代)、外務大臣(第73・74・75・78・79代)、農林大臣(第5代)、第一復員大臣(第2代)、第二復員大臣(第2代)、衆議院議員(7期)、貴族院議員(勅選議員)、皇學館大学総長(初代)、二松學舎大学舎長(第5代)、日本自由党総裁(第2代)、民主自由党総裁、自由党総裁(初代)を歴任した。 東久邇宮内閣や幣原内閣で外務大臣を務めたのち、内閣総理大臣に就任し、1946年5月22日から1947年5月24日、及び1948年10月15日から1954年12月10日まで在任した。
工藤 隆治(くどう りゅうじ、1878年(明治11年)8月5… 工藤 隆治(くどう りゅうじ、1878年(明治11年)8月5日 – 1966年(昭和41年)12月7日)は、日本の海軍軍人、政治家。徳島市長。最終階級は海軍主計大佐。 徳島県麻植郡西尾村(現在の吉野川市)出身。1906年(明治39年)、東京帝国大学法科大学政治科を卒業。海軍に入って、中主計、大主計、主計少監、主計中監、主計大佐と累進し、海軍省経理局第二課長・海軍大学校教官、広海軍工廠会計部長を歴任した。1924年(大正13年)、予備役編入。 1928年(昭和3年)、東京市主事・商工課長に就任。1932年(昭和7年)に品川区長となり、1936年(昭和11年)からは下谷区長を務めた。 1937年(昭和12年)、徳島市長に選出され、1941年(昭和16年)まで在任した。
荻田 悦造(おぎた えつぞう、1878年(明治11年)6月1… 荻田 悦造(おぎた えつぞう、1878年(明治11年)6月1日 - 1943年(昭和18年)6月1日)は、日本の衆議院議員(庚申倶楽部)。弁護士。 三重県多気郡相可村(現在の多気町)出身。1905年(明治38年)に東京帝国大学法科大学独法科を卒業し、農商務属となった。統監府が設置されると書記官となり、朝鮮総督府書記官を経て、1917年(大正6年)に朝鮮総督府総務局長に就任した。 1920年(大正9年)、第14回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。 その後、第一東京弁護士会所属の弁護士となった。
戸沢 民十郎(とざわ たみじゅうろう、1878年〈明治11年… 戸沢 民十郎(とざわ たみじゅうろう、1878年〈明治11年〉5月20日 – 1952年〈昭和27年〉9月23日)は、衆議院議員(憲政会→立憲民政党)、司法参与官。弁護士。 香川県小豆郡安田村(現在の小豆島町)生まれ。1909年(明治42年)、東京帝国大学法科大学独法科を卒業し、高松市で弁護士事務所を開業した。1914年(大正3年)、高松市会議員に当選。1918年(大正7年)、香川県会議員に当選した。その後、東京市で弁護士事務所を開いた。 1924年(大正13年)、第15回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、5回連続当選を果たした。その間、第2次若槻内閣で司法参与官を務めた。 また南満洲太興合名会社の理事となり、同社の子会社の天図鉄道公司の総弁に就任した。
岡田 忠彦(おかだ ただひこ、1878年〈明治11年〉3月2… 岡田 忠彦(おかだ ただひこ、1878年〈明治11年〉3月21日 - 1958年〈昭和33年〉10月30日)は、日本の内務官僚、政治家。埼玉県(官選第17代)、長野県(官選第14代)、熊本県知事(官選第16代)、内務省警保局長、衆議院議員(8期)、厚生大臣(第11代)、衆議院議長(第35代)。 岡山県、のちの岡山市小橋町(現中区小橋町)出身。岡田吟平、多嘉恵の長男として生まれた。岡山中学校、第一高等学校を経て、1903年東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。 官界に入り逓信省鉄道書記となる。1903年(明治36年)11月、第10回文官高等試験行政科合格。 内務省に移り1906年静岡県事務官、1915年東京府内務部長、1916年埼玉県知事、1921年長野県知事、1922年熊本県知事。
本多 真喜男(ほんだ まきお、1878年〈明治11年〉3月2… 本多 真喜男(ほんだ まきお、1878年〈明治11年〉3月20日 - 1951年〈昭和26年〉12月18日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期)。 愛媛県宇和郡久枝村(東宇和郡上宇和村久枝、宇和町を経て現西予市)で素封家に生まれた。1905年、東京帝国大学独法科卒。同大学院に進み、商法を専攻する。農業を営み、愛媛県議、相続税調査委員、小作争議調停委員となる。東宇和農学校教授嘱託、伊予醸造試験所、愛媛木材各(株)社長、卯之町銀行、宇和商業銀行各頭取、愛媛県山林会副会頭、東宇和乾繭組合長などを務める。。 1930年の第17回衆議院議員総選挙において愛媛3区(当時)から立憲民政党公認で立候補して当選する。