堀田 健男(ほった たけお、1903年(明治36年)2月23… 堀田 健男(ほった たけお、1903年(明治36年)2月23日 - 1966年(昭和41年)11月28日)は、日本の内務官僚、実業家。官選県知事。勲三等旭日中綬章。 大阪府出身。堀田勇次の三男として生まれる。第三高等学校を卒業。1924年11月、高等試験行政科試験に合格。1925年、東京帝国大学法学部法律学科(仏法)を卒業。内務省に入省し土木局属となる。 以後、岩手県書記官・警察部長、内務省社会局書記官、厚生書記官などを歴任。 1942年7月、奈良県知事に就任し、戦時下の対応に尽力。1943年7月、企画院第三部長に転任。新潟県参事官、内務省国土局長を歴任。1945年9月、静岡県知事に転任し、戦災の復興に尽力した。
和田 博雄(わだ ひろお、1903年〈明治36年〉2月17日… 和田 博雄(わだ ひろお、1903年〈明治36年〉2月17日 - 1967年〈昭和42年〉3月4日)は、日本の政治家、農林官僚。農林大臣(第4代)、経済安定本部総務長官(第4代)、物価庁長官(第4代)。衆議院議員(6期)、参議院議員(1期)。 旧制中学校教員の息子として埼玉県川越市に生まれる。父が岡山県の中学校に転任したため、尋常小学校から旧制高校(六高)まで学校教育を岡山県で受ける。 旧制第六高等学校を経て、東京帝国大学法学部に進み、1925年卒業。後に企画院事件で検挙された者には社会主義運動出身者が多く、また和田自身は統制経済派であったが、社会主義・左翼系の学生運動に参加したことはない。 農林省入省。
山添 利作(やまぞえ りさく、1903年2月14日 - 19… 山添 利作(やまぞえ りさく、1903年2月14日 - 1979年7月7日)は、日本の農林官僚。農林事務次官を務め、退官後は農林漁業金融公庫総裁や日銀政策委員などを歴任した。長女・祥子の夫は参議院議員・衆議院議員を務めた藤井裕久。 京都府与謝郡岩滝町(現与謝野町)で父・山添小三郎、母・たかの次男として生まれる。1920年、京都府立宮津中学校を卒業し、第一高等学校仏法学科へ入学。1923年、一高を卒業し、東京帝国大学へ進学。在学中に高等試験行政科を合格し、1926年に農林省へ入省した。戦前から戦後に至るまで、蚕糸局での勤務が長く蚕糸行政には最も長く関与している。また戦後の農地改革では、その立案と実施に行政の責任者として取り組んだ。
伊藤 清(いとう きよし、1903年(明治36年)1月28日… 伊藤 清(いとう きよし、1903年(明治36年)1月28日 - 1980年(昭和55年)2月16日)は、日本の内務官僚、国会職員。官選島根県知事。位階は従三位。 東京府出身。伊藤徳次郎の三男として生まれる。第一高等学校を卒業。1925年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。同年11月、高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し兵庫県属となる。 以後、和歌山県課長、大阪府課長、京都府課長、東京府課長、厚生省児童課長、和歌山県総務部長などを経て、兵庫県部長・内政部長となる。 1945年9月、島根県知事に就任。戦後の復興に尽力。1946年1月、東京都次長に転じた。後に公職追放となる。 その後、特別調達庁契約局長、参議院事務局内閣委員会調査室長、東京家庭裁判所参与を務めた。
広橋 真光(ひろはし ただみつ、明治35年(1902年)12… 広橋 真光(ひろはし ただみつ、明治35年(1902年)12月11日 - 平成9年(1997年)5月21日)は、昭和時代の華族(伯爵)・内務官僚。近衛文麿・東條英機両首相の秘書官を務める。戦後、千葉県知事を1か月だけ務めた。 明治35年(1902年)、伯爵・広橋賢光の嫡男として誕生。明治43年(1910年)、襲爵。大正15年(1926年)に東京帝国大学を卒業し、翌年内務省に入省する。この年の12月2日、梨本宮家から規子女王が降嫁する。昭和15年(1940年)、近衛文麿首相の元で内閣総理大臣秘書官を務め、次の東條内閣でも留まった。 昭和22年(1947年)、千葉県知事・小野哲が突如参議院選挙への出馬を表明して辞任したために同県知事に転じる。
中尾 荘兵衛(なかお そうべえ、1902年(明治35年)12… 中尾 荘兵衛(なかお そうべえ、1902年(明治35年)12月7日 - 没年不明)は、昭和時代前期の台湾総督府官僚。 福岡県糟屋郡に生まれる。1921年福岡県立中学修猷館、1925年旧制福岡高等学校文科丙類を経て、1927年(昭和2年)12月、高等試験行政科に合格し、1928年(昭和3年)3月、東京帝国大学法学部法律学科(仏法)を卒業する。陸軍に入り陸軍工兵少尉に進む。同年7月、台湾総督府専売局書記を拝命し、1932年(昭和7年)3月、新竹州中壢郡守に就任した。1933年(昭和8年)10月、台中州内務部教育課長に転じ、内務部地方課長兼水利課長、交通局副参事兼府事務官道路港湾課兼財務局主計課勤務を歴任した。
斎藤 武雄(さいとう たけお、1902年(明治35年)12月… 斎藤 武雄(さいとう たけお、1902年(明治35年)12月4日 - 没年不詳)は、日本の内務官僚、実業家。官選福井県知事、兵庫県教育委員長。 広島県出身。斎藤元四郎の長男として生まれた。松山高等学校を卒業。1926年12月、文官高等試験行政科試験に合格。1927年、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。内務省に入省し北海道庁属となる。 以後、和歌山県社寺兵事課長、同秘書課長、同学務課長、同商工課長、同水産課長、岐阜県社会課長、同庶務課長、兵庫県都市計画課長、青森県書記官・警察部長、満州国奉天省警務庁長、満州国民政部労務司長、兵庫県第一部長、京都府内政部長などを歴任。 1946年1月25日、福井県知事に就任。
武部 英治(たけべ えいじ、1902年(明治35年)11月2… 武部 英治(たけべ えいじ、1902年(明治35年)11月2日 - 1973年(昭和48年)12月7日)は、昭和期の鉄道官僚、政治家。衆議院議員、実業家。 武部定吉の次男。として石川県能美郡小松町東町(現小松市東町)で生まれる。第四高等学校を経て、1925年(大正14年)11月、高等試験行政科に合格。1926年(大正15年)東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業した。1926年(大正15年)、鉄道省に入省する。1944年(昭和19年)に、台湾総督府交通局鉄道部長となり終戦を迎えた。戦後、運輸省事務官を務めて退官。1952年(昭和27年)10月の第25回衆議院議員総選挙で石川県第1区から改進党公認で出馬して当選し、衆議院議員に1期在任した。
新谷 寅三郎(しんたに とらさぶろう、1902年〈明治35年… 新谷 寅三郎(しんたに とらさぶろう、1902年〈明治35年〉10月30日 – 1984年〈昭和59年〉12月16日)は、日本の政治家、官僚。郵政大臣、運輸大臣を歴任。 新谷寅蔵の三男として、奈良県高市郡八木町(現・橿原市)で誕生。畝傍中学校(現・奈良県立畝傍高等学校)4年修了、1922年3月第一高等学校文科甲類、1925年東京帝国大学法学部政治学科を卒業。 逓信省に入省。灯台局長、海務院総務局長を経て、運輸通信省海運局長時代に東條英機首相から木造船の増産を命じられるも、「船釘を作る鉄が不足? 隠匿物資を探して来い」式のむちゃな指示にたまりかね辞職する。 戦後の1945年、同期入省の松前重義の要請により、逓信院次長となる(総裁は松前)。
稲田 穣(いなだ じょう、1902年〈明治35年〉10月8日… 稲田 穣(いなだ じょう、1902年〈明治35年〉10月8日 - 没年不明)は、昭和時代前期の台湾総督府官僚。花蓮港庁長。 茨城県水戸市に生まれる。1926年(大正15年)3月、東京帝国大学法学部を卒業し、在学中の1925年(大正14年)11月に高等試験行政科に合格する。大学卒業後直ちに台湾総督府に奉職し交通局逓信部書記を拝命する。海事課船舶掛長、基隆郵便局長、台中郵便局長、本部為替貯金課長、庶務課長兼為替貯金課長、監理課長、兼海事課長、本部保険課長兼為替貯金課長を経て、1941年(昭和16年)10月、台北州総務部長に就任した。1943年(昭和18年)3月、花蓮港庁長となり、その後、台湾総督府港務局長に就任した。
曽根原 弘(そねはら ひろし、1902年(明治35年)10月… 曽根原 弘(そねはら ひろし、1902年(明治35年)10月7日 - 1939年(昭和14年)4月25日)は、昭和時代前期の台湾総督府官僚。台中市尹。 長野県北安曇郡大町(現・大町市)に生まれる。長野県立大町中学校、松本高等学校を経て、東京帝国大学法学部政治科に入学。在学中の1925年(大正14年)11月高等試験行政科に合格し、翌年大学を卒業し、渡台する。 台湾総督府専売局書記として庶務課勤務を皮切りに、専売局副参事、台北州七星郡守、台南州虎尾郡守を経て、1933年(昭和8年)10月、台中市尹に就任した。ついで1935年(昭和10年)9月、台南州内務部教育課長に転じた。1939年4月、台湾総督府税関長在任中に死去した。
龍野 喜一郎(りゅうの きいちろう、1902年(明治35年)… 龍野 喜一郎(りゅうの きいちろう、1902年(明治35年)9月27日 - 1981年(昭和56年)5月29日)は、昭和期の日本の政治家、内務官僚、実業家。衆議院議員、官選鹿児島県知事、初代大川市長。 福岡県出身。第五高等学校を首席で卒業。1924年(大正13年)11月、高等試験行政科試験に合格。1925年(大正14年)東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。 内務省に入省し北海道庁属となる。 以後、栃木県学務課長、鹿児島県農務課長、千葉県学務課長、鳥取県書記官・警察部長、宮城県書記官・警察部長、内閣情報部第二課長、京都府学務部長、警視庁刑事部長、兵庫県警察部長、近畿地方総監府第一部長などを歴任。
佐伯 敏男(さえき としお、1902年(明治35年)9月1日… 佐伯 敏男(さえき としお、1902年(明治35年)9月1日 - 1963年(昭和38年)4月8日)は、日本の内務・厚生官僚。官選三重県知事。 東京府出身。佐伯頴雄の長男として生まれる。第一高等学校を卒業。1925年11月、高等試験行政科試験に合格。1926年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。内務省に入省し、東京府属となる。 以後、富山県経済部長、厚生省職業部課長、福井県総務部長、内務省監査官、厚生省勤労局動員部長、同勤労局長などを歴任。 1946年1月、三重県知事に就任。1947年3月、同県知事選挙に出馬のため知事を辞するが落選した。その後、配炭公団理事兼東海亜炭支団長、関西鉱燃社長を務めた。
近藤 英明(こんどう ひであき、1902年8月19日 - 1… 近藤 英明(こんどう ひであき、1902年8月19日 - 1991年10月27日)は、日本の内務官僚、国会職員。参議院草創期の1949年から1953年までの間、参議院事務総長を務めた。 島根県松江市出身。1927年に東京帝国大学法学部政治科を卒業し、内務省に入省。1931年12月に貴族院書記官に任ぜられ、以後、貴族院事務局で委員課長、議事課長、庶務課長を務めた。 この間、1935年の天皇機関説事件の際には、菊池武夫男爵による政府に対する緊急質問の通告を聞いた美濃部達吉から一身上の弁明のための発言通告を受け、近藤は恩師でもある美濃部に対し、一身上の弁明をせずに黙殺する方が賢明であり、菊池男爵のような右翼議員はいかによく説明しても納得するわけはなく、菊池が屈服したとしても背後の右翼勢力を刺激するだけである旨を伝えたが、美濃部は「お前の言うところは十分わかる。
川井 章知(かわい あきとも、1902年(明治35年)8月1… 川井 章知(かわい あきとも、1902年(明治35年)8月16日 - 1987年(昭和62年)11月2日)は、日本の内務官僚、国会職員。最後の官選静岡県知事。位階は正四位。 神奈川県出身。川井立の長男として生まれる。第一高等学校を卒業。1924年11月、高等試験行政科試験に合格。1925年、東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業。内務省に入省し、茨城県属となる。 1935年、山口県書記官・経済部長に就任。以後、千葉県労務部長、内務省計画局庶務課長、同省監査官、京都府内政部長、中国地方行政事務局次長などを歴任。 1947年3月、前任の小林武治が知事選に出馬のため辞任したことに伴い静岡県知事に就任。
加藤 進(かとう すすむ、1902年8月10日 - 1993… 加藤 進(かとう すすむ、1902年8月10日 - 1993年11月10日)は、日本の昭和期の官僚。正三位勲一等瑞宝章。北海道札幌市出身。 札幌二中、一高を経て、1926年に東京帝国大学法学部を卒業し、会計検査院に入る。1933年宮内省に移り、内匠寮主計課長・人事課長・総務局長などを歴任した後、1946年宮内次官、翌年宮内府次長。 1946年神奈川県を皮切りに始まった全国巡幸では、宮内大臣の松平慶民・侍従長の大金益次郎とともに企画・立案・実施の中心人物として活躍した。また、1945年12月に梨本宮守正王がA級戦犯に指名されたことから、GHQの対皇室政策に対して危機感を抱き、皇室・直宮家保全の立場から1947年の皇籍離脱を積極的に推し進めた。
迫水 久常(さこみず ひさつね、1902年(明治35年)8月… 迫水 久常(さこみず ひさつね、1902年(明治35年)8月5日 - 1977年(昭和52年)7月25日)は、日本の大蔵官僚、弁護士、政治家。位階は正三位。勲等は勲一等。 いわゆる「玉音放送」を起草した人物の一人として知られる。 内閣書記官長(第51代)、総合計画局長官、貴族院議員、衆議院議員(2期)、参議院議員(4期)、経済企画庁長官(第9・10代)、郵政大臣(第17代)、鹿児島工業短期大学学長(初代)などを歴任した。
柴野 和喜夫(しばの わきお、1902年7月2日 - 198… 柴野 和喜夫(しばの わきお、1902年7月2日 - 1982年12月18日)は、日本の政治家、農林官僚。滋賀県知事(第34代)。石川県知事(第44-45代)。参議院議員(1期)。石川県出身。
吉田 澄夫(よしだ すみお、1902年〈明治35年〉6月17… 吉田 澄夫(よしだ すみお、1902年〈明治35年〉6月17日 - 1987年〈昭和62年〉2月26日)は、日本の国語学者、文部官僚。文学博士(東洋大学・論文博士・1958年5月14日)。埼玉大学名誉教授、武蔵野女子大学名誉教授、国語学会名誉会員。筆名は伊夜彦。 新潟県新潟市医学町通1番町(現 新潟市中央区医学町通1番町)の吉田真澄の次男として出生。 新潟師範学校附属小学校を経て、1919年(大正8年)3月に新潟中学校を4年で修了(四修)、1922年(大正11年)3月に新潟高等学校を卒業、1926年(大正15年)3月に東京帝国大学文学部国文学科を卒業。 1926年(大正15年)4月に文部省図書局国語調査嘱託に就任、5月から文部省臨時国語調査会嘱託を兼任、1934年(昭和9年)12月から文部省国語審議会書記を兼任、1940年(昭和15年)12月に文部省図書局国語課国語調査官に就任、1944年(昭和19年)11月から文部省国語審議会幹事を兼任。
北村 隆(きたむら たかし、1902年(明治35年)4月19… 北村 隆(きたむら たかし、1902年(明治35年)4月19日 - 1982年(昭和57年)8月4日)は、日本の内務・防衛官僚。岡山県和気郡三石村字三石(現:備前市)に、父北村貫皐、母古美津の長男として誕生。本籍地は岡山県邑久郡太伯村乙子(現:瀬戸内市)。 戦前は内務省警保局の官僚として特高警察や、警保局経済保安課課長、兵庫県警察部長を務めた。戦後はいわゆる「逆コース」に乗って復帰し、保安庁保安研修所、内閣国防会議事務局長などを歴任、叙勲された。
橋井 真(はしい まこと、1902年3月18日 - 1977… 橋井 真(はしい まこと、1902年3月18日 - 1977年11月11日)は、日本の商工官僚。
郡 祐一(こおり ゆういち、1902年(明治35年)3月16… 郡 祐一(こおり ゆういち、1902年(明治35年)3月16日 - 1983年(昭和58年)12月28日)は、日本の政治家、官僚。
稲田 周一(いなだ しゅういち、1902年(明治35年)2月… 稲田 周一(いなだ しゅういち、1902年(明治35年)2月26日 - 1973年(昭和48年)2月5日)は、日本の内務・宮内官僚。侍従長、官選滋賀県知事。位階は従二位。 現・東京都出身。政治学者・稲田周之助の長男として生まれる。開成中学校、第一高等学校を卒業。1924年11月、高等試験行政科試験に合格。1925年3月、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。内務省に入省し佐賀県属となり内務部産業課兼地方課に配属された。 1927年4月、地方事務官・群馬県工場監督官兼社会課長に就任。拓務事務官を経て、1931年12月、内閣官房に転じ内閣書記官・内閣官房総務課勤務となる。以後、内閣官房会計課長、同総務課長、兼同会計課長などを歴任。
矢野 謙三(やの けんぞう、1902年(明治35年)1月30… 矢野 謙三(やの けんぞう、1902年(明治35年)1月30日 - 没年不明)は、昭和時代前期の台湾総督府官僚、大日本帝国陸軍軍人。基隆市尹。 矢野槌太郎の三男として福岡県福岡市に生まれる。1920年(大正9年)福岡県立中学修猷館、1923(大正12年)年第五高等学校文科甲類を経て、1926年(大正15年)東京帝国大学法学部法学科卒業後、高等文官試験行政科試験に合格する。 同年12月、野砲兵第6連隊に入隊し、1929年(昭和4年)4月に陸軍砲兵少尉に進む。同年6月、台湾総督府属に転じ、総督官房文書課勤務となる。1931年(昭和6年)5月、同府地方理事官となり、新竹州竹南郡守に発令され、1934年(昭和9年)9月に同州内務部教育課長、1936年(昭和11年)10月に台北州内務部地方課長を経て、1937年(昭和12年)9月29日に基隆市尹に就任した。
渡辺 男二郎(わたなべ だんじろう、1902年(明治35年)… 渡辺 男二郎(わたなべ だんじろう、1902年(明治35年)1月14日 - 1980年(昭和55年)11月20日)は、日本の内務・警察官僚。最後の官選宮城県知事。 現在の広島県呉市出身。渡辺逸太郎の二男として生まれる。第三高等学校を卒業。1925年、東京帝国大学法学部を卒業。同年11月、高等試験行政科試験に合格。1926年5月、内務省に入省し、北海道庁属となる。 1929年8月、地方警視として青森県警察部勤務となる。さらに、山形県警察部、福井県警察部で勤務。1935年5月、地方事務官として三重県勤務となり、さらに東京府に移る。1939年4月、内閣東北局書記官に発令され、山口県経済部長、和歌山県内務部長、宮城県内務部長などを歴任。
関 外余男(せき とよお、1902年(明治35年)1月3日 … 関 外余男(せき とよお、1902年(明治35年)1月3日 - 2000年(平成12年)11月8日)は、日本の内務官僚。官選埼玉県知事、陸軍司政長官。旧姓・乾。 石川県金沢市で乾芳久の五男として生まれ、関薫の養子となる。第四高等学校を首席で卒業。1924年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1925年、東京帝国大学法学部を卒業。内務省に入省し千葉県属となる。 以後、愛媛県経済部長、福井県書記官・警察部長、対満事務局行政課長、徳島県書記官・総務部長、内務省監査官などを歴任。1942年8月、陸軍司政長官に発令され、第25軍軍政監部付(スマトラ島)として、ジャンビー州長官を1944年8月末まで務めた。
橋本 政実(政實、はしもと まさみ、1902年(明治35年)… 橋本 政実(政實、はしもと まさみ、1902年(明治35年)1月2日 - 1962年(昭和37年)2月20日)は、日本の内務・警察官僚。官選県知事。旧姓・坂井。位階は正四位。勲三等旭日中綬章。 長崎県出身。橋本家の養子となる。第八高等学校を卒業。1924年11月、高等試験行政科試験に合格。1925年、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業し東京市事務員となる。1926年、内務省に転じ東京府属となる。 以後、高知県書記官・警察部長、情報局情報官・第四部長などを歴任。1944年7月、岐阜県知事に就任。1945年4月に茨城県知事に転じ、終戦を迎えた。同年8月、内務省警保局長に就任。同年10月、公職追放となり退官した。
田中 不破三(たなか ふわぞう、1901年(明治34年)12… 田中 不破三(たなか ふわぞう、1901年(明治34年)12月28日 - 1994年(平成6年)3月8日)は、日本の鉄道官僚・政治家。衆議院議員、内閣官房副長官。 宮崎県南那珂郡飫肥町(現日南市)で生まれた。田中猛の養子となる。第一高等学校を卒業。1926年12月、高等試験行政科試験に合格。1927年(昭和2年)東京帝国大学法学部政治学科を卒業。鉄道省に入省し広島駅助役となる。 以後、鉄道省事務官、広島鉄道局経理部長、鉄道省監督局総務課長、同総務局主計課長、大臣官房文書課長、情報局情報官、技術院参技官、鉄道監、門司鉄道局長、鉄道総局総務局長などを歴任。 1949年(昭和24年)1月、第24回衆議院議員総選挙で宮崎県第2区に民主党から立候補し当選。
島田 叡(しまだ あきら、1901年〈明治34年〉12月25… 島田 叡(しまだ あきら、1901年〈明治34年〉12月25日 – 1945年〈昭和20年〉6月26日)は、日本の内務官僚、沖縄県知事(官選第23代)。 第二次世界大戦末期、沖縄戦時の知事であり、「島守」として知られる。座右の銘は、「断じて敢行すれば鬼神も之を避く」。 1901年(明治34年)、兵庫県武庫郡須磨村(現在の神戸市須磨区)の開業医・島田五十三郎の長男として生まれた。須磨尋常高等小学校(現 神戸市立西須磨小学校)尋常科から兵庫県立第二神戸中学校(旧制神戸二中、現 兵庫県立兵庫高等学校)へ進学。須磨小、神戸二中では重成格(内務官僚、鹿児島県知事、参議院議員)と同期。第三高等学校を経て、1922年(大正11年)に東京帝国大学法学部へ入学。
木島 虎蔵(虎藏、きしま とらぞう、1901年〈明治34年〉… 木島 虎蔵(虎藏、きしま とらぞう、1901年〈明治34年〉12月18日 - 1983年〈昭和58年〉7月29日)は、昭和期の鉄道技術者・官僚、実業家、政治家。参議院議員、日本通運会長。旧姓は上山。 鳥取県気高郡湖山村(現鳥取市)で農業・上山昇の二男として生まれ、八頭郡若桜町、木島可恵の養嗣子となる。1926年(大正15年)3月、東京帝国大学工学部機械工学科を卒業。1929年(昭和4年)10月、高等試験行政科試験に合格し、1930年(昭和5年)3月、東京帝国大学経済学部経済学科を卒業した。同年、鉄道省に入省し鉄道局技手に任官。 その後、金沢運輸事務所長、鉄道総局業務局保安課長、運転局運行課長、札幌鉄道局長、総裁室勤務、運輸総局輸送局長、日本国有鉄道理事などを歴任した。
鈴木 一(すずき はじめ、1901年〈明治34年〉11月27… 鈴木 一(すずき はじめ、1901年〈明治34年〉11月27日 - 1993年〈平成5年〉11月19日)は、日本の農林官僚。第42代内閣総理大臣鈴木貫太郎の長男。 東京高等師範学校附属中学校(現:筑波大学附属中学校・高等学校)、旧制第一高等学校を経て、1925年文官高等試験行政科試験に合格。翌年東京帝国大学法学部卒業。 大学卒業後は農林省に入り、農林属、水産局に勤務し、農林事務官、山林局、畜産局勤務を経て、農林大臣秘書官となる。日中戦争が始まり、召集され、陸軍主計中尉となり、1940年に召集解除となる。その後は農林省に戻り、文書課長、大阪営林局長、山林局長を歴任した。 1945年、父の鈴木貫太郎が昭和天皇の組閣大命を拝受して第42代内閣総理大臣に就任した際には、綜合計画局参事官兼内閣総理大臣秘書官となった。
池田 直(いけだ すなお、1901年 <明治34年> 11月… 池田 直(いけだ すなお、1901年 <明治34年> 11月19日 - 1985年 <昭和60年> 7月13日)は、日本の政治家・官僚。佐賀県知事を5期20年務めた。位階は正三位。 佐賀県佐賀郡川副町出身。旧制佐賀中学校、旧制佐賀高等学校文科甲類を経て、1929年に東京帝國大学(東京大学の前身)法学部を卒業し、会計検査院に入庁。戦時中には南方司政官を務めた。 1952年から1959年2月まで7年以上の間、会計検査院事務総長を務めた。1959年4月に佐賀県知事選に出馬し初当選。1979年まで連続5期にわたり在任した。赤字だった県財政の立て直しや、米作りの推進、若楠国体、佐賀医科大学の誘致などを進めた。
田中 栄一(田中 榮一、たなか えいいち、1901年10月8… 田中 栄一(田中 榮一、たなか えいいち、1901年10月8日 - 1980年2月1日)は、昭和期の日本の政治家、官僚。位階は従三位。 第61代警視総監(在任期間:1948年3月7日 - 1954年6月29日)。東京中学から第八高等学校を経て東京帝国大学法学部出身。 東京府東京市浅草区(現・東京都台東区浅草)生まれ。薩摩士族の血を引く。祖父は西南戦争で西郷隆盛側に立って戦い討ち死にした。幼少期に父と死別、母とは生別、兄弟は離散して親戚に預けられ、小学校を出ると別府のホテルで給仕として働いた。たまたま訪れた客の海軍士官から「偉くなりたいなら上京して勉強せよ」と激励され、苦学の末に東京帝大法学部に入学する。
岡本 三郎助(おかもと さぶろうすけ、1901年(明治34年… 岡本 三郎助(おかもと さぶろうすけ、1901年(明治34年)9月30日 - 1951年(昭和26年)5月29日)は、日本の内務・警察官僚。最後の官選滋賀県知事。 広島県沼隈郡鞆町(現・福山市)出身。岡本龍太郎の二男として生まれる。1925年、東京帝国大学法学部英法科を卒業。1926年12月、高等試験行政科試験に合格。1928年、東京高等工業学校建築科を卒業。内務省に入省し、鹿児島県属となる。 以後、鹿児島県警部、同学務部社会課長、新潟県警視、愛知県警察部保安警務課長、京都府警察部警務課長、興亜院書記官、秋田県書記官・警察部長、栃木県経済部長などを歴任。 1942年1月、滋賀県内務部長に就任。柴野和喜夫知事が石川県知事選挙に立候補のため辞任し、1947年3月、滋賀県知事に昇格。
岡松 成太郎(おかまつ せいたろう、1901年 <明治34年… 岡松 成太郎(おかまつ せいたろう、1901年 <明治34年> 9月29日 - 1991年 <平成3年> 7月18日)は、日本の官僚、経営者。商工次官、北海道電力社長を歴任。位階は従三位。勲二等旭日重光章。 東京府出身。父は京大法科教授・岡松参太郎。東京府立第四中学校、第一高等学校を経て、1925年に東京帝国大学法学部卒業。1928年、商工省入省。特許局属。1940年、総力戦研究所員、以後、東北地方鉱山局長、軍需省管理局長、商工省商務局長、燃料局長などを経て、石炭庁次長兼総務局長に。1947年に商工次官に就任。 退任後は、日本商工会議所専務理事、北海道電力社長を3期6年務め、江別火力発電所や送電・変電の整備に尽くした。
劔木 亨弘(劒木 亨弘、けんのき としひろ、1901年9月3… 劔木 亨弘(劒木 亨弘、けんのき としひろ、1901年9月3日 - 1992年11月29日)は、日本の政治家、文部官僚。参議院議員(4期)、文部大臣(第88-89代)。位階は正三位。 福岡県田川郡大任村(現大任町)に、開業医・劔木元享の長男として生まれる。豊津中学、第五高等学校を経て、1927年、東京帝国大学法学部を卒業。2年後の1929年、文部省に入省する(嘱託)。香川県学務課長、本省教学局思想課長、専門教育局大学教育課長などを務め、戦後の1947年、学校教育局次長となり、6・3・3・4制導入に伴う法整備や予算確保に尽力する。その後大学学術局長、文部事務次官を経て、1951年、周囲の推しにより福岡県知事選に出馬するも落選、首相吉田茂のはからいにより、内閣官房副長官に就任する。
古川 兼秀(ふるかわ かねひで、1901年(明治34年)9月… 古川 兼秀(ふるかわ かねひで、1901年(明治34年)9月2日 - 1974年(昭和49年))は、昭和時代前期の朝鮮総督府官僚。咸鏡北道知事。平安南道知事。 古川兼定の二男として、福島県若松市(現会津若松市)に生まれる。1925年(大正14年)東京帝国大学法学部政治科を卒業し、朝鮮総督府に奉職する。専売局属、江原道地方課長、平安南道地方課長、咸鏡北道財務部長、黄海道警察部長、平安北道警察部長、警務局図書課長、保安課長などを経て、1942年(昭和17年)10月、咸鏡北道知事に就任した。のち平安南道知事に任じた。
横川 信夫(よこかわ のぶお、1901年8月1日 - 197… 横川 信夫(よこかわ のぶお、1901年8月1日 - 1975年11月10日)は、昭和期の農林官僚、政治家。参議院議員(1期)、栃木県知事(公選第4-7代)。 栃木県宇都宮市の出身。宇都宮中学校、第二高等学校理科甲類を経て、1925年東京帝国大学農学部卒業、農林省に入省。青森営林局の技手を振り出しに林野畑を歩き、1939年満洲国林野局計画課長、1944年同林野総局林産課長、1945年東満総省林政庁長となる。 同年、ソ連軍の侵攻によりシベリアに抑留される。1948年に帰国。林野庁に入り、1950年に林野庁長官になる。 退官後の1953年の第3回参議院議員通常選挙全国区に自由党から出馬して当選する。
寺園 勝志(てらぞの かつし、1901年(明治34年)7月2… 寺園 勝志(てらぞの かつし、1901年(明治34年)7月25日 - 1998年(平成10年)2月11日)は日本の政治家、元官僚。鹿児島県知事や南日本放送会長を務めた。 1901年(明治34年)、姶良郡栗野村(のちの栗野町、現在の湧水町栗野地域)出身。旧制鹿児島県立第一鹿児島中学校を経て東京帝國大学(現・東京大学)を卒業。 内務官僚となり 、厚生省部長、鹿児島県経済部長、同県副知事などを経て、1955年(昭和30年)から鹿児島県知事を3期12年務めた。在任中、戦後の混乱で厳しい財政の中で農業振興や交通・通信の整備に尽力し、大隅半島の広大なシラス台地である笠野原台地に大規模灌漑で農業用水を提供する土地改良事業をおこなった。
下山 定則(しもやま さだのり、1901年〈明治34年〉7月… 下山 定則(しもやま さだのり、1901年〈明治34年〉7月23日 - 1949年〈昭和24年〉7月6日、(死亡日時は不詳)は、日本の鉄道官僚。運輸次官、日本国有鉄道総裁(初代)などを歴任した。 兵庫県神戸市出身。司法官であった父の英五郎は、同県有馬郡高平村木器(こうづき)(現在の三田市木器)の出身であった。転勤に従い少年時代は転校を繰り返していた。転校するたびにその都市の主要駅の時刻表を暗記して人気者になっていたという。静岡中学、津中学、三高卒業。静岡中学時代は野球部(現在の静岡高校野球部)でピッチャーを務めた。三高時代には稚内から[疑問点 – ノート]鹿児島まで駅名を暗唱して友人から「鉄道」というあだ名をつけられた。
磯部 巌(いそべ いわお、1901年(明治34年)7月21日… 磯部 巌(いそべ いわお、1901年(明治34年)7月21日 - 1998年(平成10年)9月8日)は、日本の内務官僚。日本中央競馬会保健組合顧問。(株)山一土建相談役。弁護士磯部醇の長男。 愛知県名古屋市出身。1924年(大正13年)高等試験行政科試験合格。1925年(大正14年)東京帝国大学法学部法律学科(独法)卒業。内務省に入り警保局図書課勤務を経て1927年(昭和2年)島根県警防課長となり、山梨・滋賀・長崎各県事務官、行政裁判所評定官、大分県学務部長、厚生省社会保険局庶務課長、茨城・兵庫・福井・福島各県内政部長、秋田県知事を歴任。 1949年(昭和24年)、参議院労働委員会専門員に任ぜられる。
高橋 敏雄(たかはし としお、1901年〈明治34年〉6月2… 高橋 敏雄(たかはし としお、1901年〈明治34年〉6月24日 - 1967年〈昭和42年〉11月15日)は、日本の内務・厚生官僚。官選群馬県知事。 長崎県東彼杵郡佐世保村(現佐世保市)で、父・高橋敏二郎、母・三九重の長男として生まれる。1909年(明治42年)1月、東京市に移り、府立第一中学校(現東京都立日比谷高等学校)、第一高等学校を卒業。1924年11月、高等試験行政科試験に合格し、翌年12月、高等試験司法科試験にも合格した。1926年3月、東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業。内務省に入省し社会局属となる。 以後、地方事務官、宮内書記官、厚生書記官、厚生大臣官房人事課長、厚生大臣秘書官、内務省大臣官房人事課長、内務大臣秘書官などを歴任。
慶谷 隆夫(けいや たかお、1901年4月29日 - 197… 慶谷 隆夫(けいや たかお、1901年4月29日 - 1972年11月27日)は、台湾総督府官僚。伊勢市長(4期)。 三重県出身。1926年東京帝国大学法学部政治学科卒。台湾総督府に入り、台中州勧業、地方、水利の各課長、新竹州警務部長、庶務、海事、社会の各課長、高雄州総務部長などを務め、1943年花蓮港庁長になる。戦後、帰国後の1946年宇治山田市長選挙に立候補したが落選。1947年三重県監査委員に就任する。1949年8月宇治山田市長に初当選。戦後の復興期にあり、都市基盤の整備、産業の振興、福祉の向上、教育施設の整備充実などに力を入れた。2年後の1951年の選挙では無投票で再選。翌1952年の市長選で中西幸重に敗れて落選した。
澤 重民(さわ しげたみ、1901年(明治34年)4月29日… 澤 重民(さわ しげたみ、1901年(明治34年)4月29日 - 1993年(平成5年)12月21日)は、日本の内務官僚、実業家。官選奈良県知事。 実兄に空母「瑞鶴」飛行隊長として真珠湾攻撃に参加した嶋崎重和がいる。 三重県出身。澤重元の長男として生まれる。第八高等学校を首席で卒業。1924年11月、高等試験行政科試験に合格。1925年、東京帝国大学法学部法律学科を首席で卒業。内務省に入省し社会局属となる。 以後、国際労働機関帝国事務局勤務、佐賀県勤務、岐阜県勤務、内務省土木局河川課長、同地方局監督課長、同会計課長などを歴任。 1943年7月、奈良県知事に就任。戦時下の対応に尽力。1945年2月、厚生省衛生局長に転任。
酒井 喜四(さかい きし、1901年4月25日 - 1974… 酒井 喜四(さかい きし、1901年4月25日 - 1974年7月1日)は、日本の官僚・実業家。 帝国石油総裁・社長を務めた。 北海道札幌市出身。1924年に東京帝国大学法学部を卒業し、農商務省に入省。商工事務官、商工省鉱山局燃料課長、燃料局第一部油政課長兼資源課長兼商工書記官、燃料局石油部長、札幌鉱山局長などを歴任。商工事務官時代に旧石油業法の起案に携わり、1934年の同法の成立に尽力した。1941年10月鉄鋼局長、1943年鉄鋼統制販売株式会社社長。戦後も商工省燃料局長を務めたが、1947年に退官。同年の第23回衆議院議員総選挙において北海道1区から立候補したが落選した。1948年に帝国石油総裁となり、1950年の民営化後も引き続き1952年まで社長を務めた。
吉富 滋(よしとみ しげる、1901年〈明治34年〉4月15… 吉富 滋(よしとみ しげる、1901年〈明治34年〉4月15日 - 1946年〈昭和21年〉10月18日)は、日本の内務・厚生官僚。官選高知県知事。 山口県出身。吉富瀬兵衛の二男として生まれる。第一高等学校を卒業。1928年10月、文官高等試験行政科試験に合格。1929年、東京帝国大学法学部英法科を卒業。内務省に入省し、神奈川県属となる。 以後、福島県教育課長、同地方課長、島根県警察部特別高等警察課長、兵庫県警察部外事課長、内務省社会局事務官、厚生事務官、軍事保護院書記官、同業務局業務課長、厚生省大臣官房会計課長などを歴任。 1946年1月、高知県知事に就任。県立学校の統合、四国配電株式会社重役陣の改組、県内の復興などに取り組んだ。
武若 時一郎(たけわか ときいちろう、1901年(明治34年… 武若 時一郎(たけわか ときいちろう、1901年(明治34年)4月 - 没年不詳)は、日本の内務官僚。最後の官選広島県知事。 京都府出身。武若喜太の長男として生まれた。第八高等学校を卒業。1925年、東京帝国大学法学部法律学科(仏法)を卒業。内務省に入省し東京府属となる。1926年12月、高等試験行政科試験に合格した。 以後、京都府社会課勤務、内務属・土木局勤務、内務事務官、内閣紀元二千六百年祝典事務局書記官、内閣情報部書記官、神祇院書記官兼秘書官、造神宮主事、外務書記官、近畿地方行政事務局次長などを歴任。 楠瀬常猪が知事選挙に立候補するため広島県知事を辞任したことを受け、近畿地方行政事務局次長であった武若が事実上の選挙管理知事として任命され、1947年3月14日に40代官選広島県知事に就任。
佐藤 栄作(さとう えいさく、旧字体:榮作、1901年(明治… 佐藤 栄作(さとう えいさく、旧字体:榮作、1901年(明治34年)3月27日 - 1975年(昭和50年)6月3日)は、日本の鉄道官僚、政治家。「政界の団十郎」「早耳の栄作」の異名を持ち、内閣総理大臣として日韓基本条約批准、非核三原則提唱、沖縄返還をなし遂げる。7年8か月の連続在任記録を持ち、「人事の佐藤」と評された。ノーベル平和賞を受賞したが、死後に核持ち込みの密約が発覚する。吉田学校の代表格。
伊能 繁次郎(いのう しげじろう、1901年〈明治34年〉3… 伊能 繁次郎(いのう しげじろう、1901年〈明治34年〉3月10日 - 1981年〈昭和56年〉6月12日)は、日本の運輸官僚・政治家。運輸事務次官に任じられたのち国政に転身し、参議院議員となり、防衛庁長官などを歴任した。 千葉県佐原町(現在の香取市)川岸に生まれる(ただし、本籍は同県中山村北方(現在の市川市北方)にあった)。 第四高等学校・東京帝国大学英法学科を経て、1926年(大正15年)に鉄道省入省(東鉄局書記)、1935年(昭和10年)より在外研究員として欧米各国の交通事情を調査、帰国後の1939年(昭和14年)には鉄道監察官に任じられる。 その後、1943年(昭和18年)運輸通信省書記官兼大臣官房文書室長、翌年には門司鉄道管理局長を歴任、戦後には運輸省鉄道総局長官となった。
野田 清武(のだ きよたけ、1901年2月15日 - 196… 野田 清武(のだ きよたけ、1901年2月15日 - 1963年5月13日)は、日本の農林官僚、満州国官吏。徳島県知事。 佐賀県出身。野田清種の二男として生まれる。第一高等学校を経て、1924年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。1923年12月、高等試験行政科試験に合格。1924年、農商務省に入り食糧局属となる。1925年4月、農商務省が農林省と商工省に分割され、農林属となる。以後、営林局山林事務官、同局事務官、農林事務官、産業組合事務官、農林書記官などを歴任。 その後、満州国に転じ、国務院実業部理事官に就任。以後、農務司農政科長兼墾務科長、地籍整理局事務官、実業部理事官、総務庁参事官などを歴任。