髙井 伸夫(たかい のぶお、1937年5月9日 - 2023… 髙井 伸夫(たかい のぶお、1937年5月9日 - 2023年2月7日)は、日本の弁護士。弁護士法人髙井・岡芹法律事務所の創業者、元代表社員。経営法曹会議幹事。社団法人日中協会理事。愛知県名古屋市出身。東京大学法学部卒業。専門分野は企業からの人事・労務問題、会社役員関係等々、使用者側に立つ労働法・労働問題。 この他、財団法人カシオ科学振興財団監事、財団法人労働科学研究所評議員、財団法人日本盲導犬協会理事長等々を歴任。
髙井 伸夫(たかい のぶお、1937年 - )は、日本の弁護… 髙井 伸夫(たかい のぶお、1937年 - )は、日本の弁護士。髙井・岡芹法律事務所会長。経営法曹会議幹事。社団法人日中協会理事。愛知県名古屋市出身。東京大学法学部卒業。 専門分野は企業からの人事・労務問題、会社役員関係等々、使用者側に立つ労働法・労働問題。
北島 敬介(きたじま けいすけ、1936年11月27日 - … 北島 敬介(きたじま けいすけ、1936年11月27日 - 2008年3月2日)は、東京都出身の検事総長、弁護士。正三位瑞宝大綬章。東京地検検事正時代には、ゼネコン汚職事件の捜査を指揮したことでしられている。
永田 恒治(ながた つねはる、1936年8月8日 - 201… 永田 恒治(ながた つねはる、1936年8月8日 - 2016年3月28日)は、日本の弁護士。松本サリン事件において、事件の第一通報者で、一時は事実上の容疑をかけられる状態にあった河野義行を、弁護士として支援したことで知られる。 長野県東筑摩郡山形村出身。 東京大学法学部卒業。当初は官僚を目指していたが、60年安保闘争の中で、向坂逸郎の指導下で政治運動に関わり、公安条例違反での逮捕も経験した。30歳を過ぎてから弁護士を志し、1972年に弁護士登録して、松本市で弁護士事務所を開業し、1991年から1992年にかけては長野県弁護士会の会長も務めた。 松本サリン事件の際には、警察が、被疑者不詳のまま河野宅を家宅捜索し、さらに河野に長時間の事情聴取を行なったこと、また、マスコミが河野を犯人同然に扱う報道を展開したことを厳しく批判し、河野の人権擁護と、後の名誉回復に尽力した。
木下 毅(きのした つよし、1936年6月10日 - )は、… 木下 毅(きのした つよし、1936年6月10日 - )は、日本の法学者(英米法)、弁護士(第一東京弁護士会)。法学博士(東京大学・課程博士・1971年)。 山口県下関市出身。伊藤正己に師事。 大木雅夫から盗作を指摘され、中央大学から調査を受けたが、著作権法違反とは断定できないが、引用先を明示していない個所が多数あり、学者として倫理上問題があったとして、2004年に職務停止3か月の懲戒処分を受けた。問題となった著書は『比較法文化論』と『アメリカ法入門・総論』の2冊。
濱田 邦夫(はまだ くにお、1936年5月24日 - )は、… 濱田 邦夫(はまだ くにお、1936年5月24日 - )は、日本の弁護士、裁判官。学位はLL.M.(ハーバード大学・1966年)。勲等は旭日大綬章。日比谷パーク法律事務所客員弁護士。「濱」が旧字体のため、新字体で浜田 邦夫(はまだ くにお)と表記されることもある。
一井 淳治(いちい じゅんじ、1936年2月11日 - 20… 一井 淳治(いちい じゅんじ、1936年2月11日 - 2023年10月31日)は、日本の政治家、弁護士(岡山弁護士会、一井法律事務所)。参議院議員(2期)を務め、民主党結成にも加わった。 東京大学法学部中退。1958年、司法試験に合格し司法修習13期(同期に堀田力、横山昭二、山花貞夫らがいた)。公明党顧問弁護士、岡山弁護士会副会長等を務めた。 1986年の第14回参議院議員通常選挙で岡山県選挙区に無所属で立候補し初当選。当選後、日本社会党に入党。1992年の第16回参議院議員通常選挙で再選。1995年、村山改造内閣の農林水産政務次官に就任。その後、社会民主党から旧民主党へ移籍。民主党結成後の1998年に行われた第18回参議院議員通常選挙で落選した。
中島 通子(なかじま みちこ、1935年9月9日 - 200… 中島 通子(なかじま みちこ、1935年9月9日 - 2007年7月29日(日本時間30日)) は、日本の弁護士。 東京出身。東京大学文学部、同法学部卒、1967年弁護士登録。中島通子法律事務所所長。日本弁護士連合会女性の権利に関する委員会委員長。女性労働問題が専門。日産自動車の男女差別定年制裁判などを担当し、男女雇用機会均等法制定にも貢献した。2007年、ハワイのハナウマ湾でシュノーケリングをしていた際に水難事故により死去。
中村 洋二郎(なかむら ようじろう、1935年6月6日 - … 中村 洋二郎(なかむら ようじろう、1935年6月6日 - 2025年3月8日)は、日本の弁護士。新潟県弁護士会所属。1981年度新潟県弁護士会長、1987年度日本弁護士会連合会副会長を務めた。新潟県新潟市出身。
棚橋 祐治(たなはし ゆうじ、1934年10月13日 - )… 棚橋 祐治(たなはし ゆうじ、1934年10月13日 - )は、日本の弁護士。元通産官僚、第25代通商産業事務次官、石油資源開発社長、石油鉱業連盟会長。 岐阜県岐阜市生まれ。軍人であった父を3歳の時に亡くし、母と祖父母に育てられた。 岐阜県立岐阜北高等学校から東京大学法学部に入学。在学中は行政法・自治法が専門の田中二郎のゼミで学ぶ。ゼミの同期には片山虎之助(参議院議員、初代総務大臣)がいた。「広域行政の必要性」を説く田中からは自治省への入省を勧められ、片山も自治省でのキャリアを積む事となるが、棚橋は「日本はまだまだ経済発展が必要だ。出来るならば、産業政策を担う通産省に入りたい」と志した。 1958年、東大法学部を卒業し通商産業省入省。
杉浦 正健(すぎうら せいけん、1934年〈昭和9年〉7月2… 杉浦 正健(すぎうら せいけん、1934年〈昭和9年〉7月26日 - )は、日本の政治家、弁護士。自由民主党所属の元衆議院議員(6期)。法務大臣(第76代)、内閣官房副長官(政務担当、第2次小泉内閣・第2次小泉改造内閣・第3次小泉内閣)などを歴任した。 1990年2月の総選挙で大規模な買収を行い、岡崎市議会議員13人が逮捕され、同7人が書類送検された(杉浦事件)。17人もの市議を入れ替える補欠選挙を引き起こし、市政を混乱に陥れるが、自身の立件は免れ、2005年には法務大臣として初入閣した。2023年まで小池百合子都知事の政治団体「百乃会」の代表および会計責任者を務めた。 愛知県矢作町大字東本郷(現・岡崎市東本郷町字荒井前)に生まれる。
佐藤 欣子(さとう きんこ、1934年4月26日 - 200… 佐藤 欣子(さとう きんこ、1934年4月26日 - 2008年12月24日)は、日本の弁護士、法学者、評論家、秀明大学元教授。東京生まれ。旧姓斎藤。夫は政治学者の佐藤誠三郎、息子は評論家の佐藤健志。 父駒之助は郵政省に勤め、杉並郵便局長、鶴見郵便局長などを務めた。1948年母ツネ子が死去。欣子は、 東京地方検察庁、横浜地方検察庁を経て東京高等検察庁勤務。ハーバード大学研究員、国連アジア犯罪防止研修所次長、内閣総理大臣官房参事官、1981年退官し弁護士となる。
亀山 継夫(かめやま つぎお、1934年2月26日 - )は… 亀山 継夫(かめやま つぎお、1934年2月26日 - )は、日本の法律家、検察官、弁護士。元最高裁判所裁判官。 1956年、東京大学法学部卒業。司法修習生。1958年、横浜地方裁判所・家庭裁判所判事補。 1960年、法務省司法法制調査部付検事。1967年、法務省刑事局付検事。 1970年、法務省刑事局参事官。1976年、法務省刑事局青少年課長。 1979年、東京地方検察庁公判部副部長。1980年、東京地方検察庁刑事部副部長。 1981年、法務大臣官房審議官(刑事局担当)。1984年、東京高等検察庁刑事部長。最高検察庁検事。 1986年、札幌地方検察庁検事正。1988年、前橋地方検察庁検事正。1989年、最高検察庁総務部長。
板倉 宏(いたくら ひろし、1934年(昭和9年)1月15日… 板倉 宏(いたくら ひろし、1934年(昭和9年)1月15日 - 2017年(平成29年)4月28日)は、日本の法学者・弁護士。専門は刑法。学位は、法学博士(東京大学)。日本大学名誉教授。長男の板倉宏昭は、経営学者で東京都公立大学法人東京都立産業技術大学院大学教授。 神奈川県立湘南高等学校(同級生に佐々木信也・西村正雄がいる)を経て、東京大学法学部卒業。同大学院社会科学研究科博士課程(民刑事法学専攻)修了。司法試験第2次試験合格。団藤重光に師事し、1961年(昭和36年)3月、東京大学から『租税刑法の基本問題』により博士号取得。 1970年に日本大学法学部教授に就任、これ以後は法学部法学研究所所長・司法研究所所長・法科大学院教授等を歴任して2009年に日本大学名誉教授。
松下 滿雄(まつした みつお、1933年6月19日 - )は… 松下 滿雄(まつした みつお、1933年6月19日 - )は、日本の法学者、弁護士。東京大学名誉教授、成蹊大学名誉教授、上智大学教授。専門は経済法。法学博士(東京大学、1968年)。独占禁止法の研究者として知られ、日米通商摩擦に関する紛争事例を分析する。父は第5代・6代・7代立教大学総長の松下正寿。東京府出身。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。
河上 和雄(かわかみ かずお、1933年4月26日 - 20… 河上 和雄(かわかみ かずお、1933年4月26日 - 2015年2月7日)は、日本の検察官・弁護士・法学者。 東京地検特捜部長、法務省矯正局長などを歴任し、最高検公判部長を最後に退官し、弁護士となった。駿河台大学名誉教授。位階は従三位。 検察官時代は刑法、刑事訴訟法に渡って多くの論文を執筆した。有名なものに、放火罪の既遂時期における新効用消失説がある。判例は、当該物が独立して燃焼に至った場合に既遂になるという独立燃焼説を採用しているが、これを現代の不燃性建造物の増加に対応できないと批判した上で、目的物の燃焼を必要とせず、火力によって効用を失うに至った場合に既遂になるとの説を提唱した。 テレビ番組は、日テレ系の番組に限って出演している。
西村 利郎(にしむら としろう、1933年4月10日 - 2… 西村 利郎(にしむら としろう、1933年4月10日 - 2006年10月21日)は、日本の弁護士である。渉外弁護士として知られ、設立した弁護士事務所は現在、四大法律事務所のひとつである西村あさひ法律事務所となっている。
吉原省三(よしはら しょうぞう、1933年3月29日 - 2… 吉原省三(よしはら しょうぞう、1933年3月29日 - 2018年10月13日)は、日本の弁護士。 兵庫県尼崎市出身。1955年司法試験合格。1956年東京大学法学部卒、三菱銀行入社。1965年弁護士・弁理士登録。吉原特許法律事務所を開設した。
安倍 晴彦(あべ はるひこ、1933年 - )は、日本の裁判… 安倍 晴彦(あべ はるひこ、1933年 - )は、日本の裁判官、弁護士。 裁判官で司法研修所所長などを歴任した安倍恕(はかる)の次男として長崎に生まれる。伯父は安倍能成。 1952年、福岡県立修猷館高等学校卒業。浪人や休学を経て、1960年、東京大学法学部卒業。結核に冒され、旧制中学時代から大学入学直後の2年間の療養所生活を含め、通算15年間ほどの療養や休養を強いられた。このような経験から弱者の権利に目覚め、退院後はセツルメントで社会活動をおこなう。 1960年、第14期として司法研修所に入所、同時に青年法律家協会に入会。京都での実務修習中、差別問題への関心から部落問題研究所に入会、その後も裁判官退官後に至るまで夏期講座や研究者全国集会に毎年のように参加。
越山 康(こしやま やすし、1932年12月20日 - 20… 越山 康(こしやま やすし、1932年12月20日 - 2009年11月27日)は、東京都出身の日本の法律家、弁護士。 東京都生まれ。成城学園高等学校、東京大学法学部卒業。 司法修習生時代の1962年、参議院選挙でのいわゆる「一票の格差」をめぐる訴訟を全国で初めて提起し、最高裁判所大法廷まで争うも敗訴した。その後も弁護士活動を通じて20件以上の提訴を起こした。1972年と1983年の衆議院選挙について、最高裁判所で違憲判決を得ている。 羽織・袴と口髭を生やして出廷する姿が、彼のトレードマークであったという。 2009年11月27日、中咽頭ガンのため76歳で死去。
半谷 恭一(はんや きょういち、1932年11月4日 - 2… 半谷 恭一(はんや きょういち、1932年11月4日 - 2011年2月5日頃)は、日本の元裁判官、元弁護士。茨城県古河市出身で、主に刑事裁判を担当。水戸家庭裁判所長、宇都宮地方裁判所長、東京高等裁判所部総括判事等を歴任し、退官後は公証人・弁護士を務めた。東京地裁部総括時代には、ロッキード事件児玉・小佐野ルートやダグラス・グラマン事件の審理などを担当した。
石川 元也(いしかわ もとや、1931年2月9日 - )は、… 石川 元也(いしかわ もとや、1931年2月9日 - )は、日本の弁護士。日弁連刑事法制委員会委員長、法務省法制審議会刑事法部会委員、自由法曹団団長などを歴任した。 長野県松本市に生まれる。松本第二中学(現:長野県松本県ヶ丘高等学校)、旧制松本高等学校を経て、1954年に東京大学法学部を卒業。学生時代にはメーデー事件で逮捕されたことがある。 1957年大阪弁護士会に弁護士登録。以降は証拠開示をはじめとする多くの新判例を引き出し、戦後の刑事訴訟法を憲法に基づいて実質化していく実践的な活動に尽力していく。 刑事弁護人の在り方について教えを受けた人物として毛利与一を挙げている。
新井 章(あらい あきら、1931年〈昭和6年〉1月2日 -… 新井 章(あらい あきら、1931年〈昭和6年〉1月2日 - 2025年〈令和7年〉1月27日)は、日本の法学者、弁護士。茨城大学名誉教授。 群馬県高崎市末広町に生まれる。高崎市立北小学校、旧制高崎中学校(現・群馬県立高崎高等学校)、旧制第一高等学校を経て、1954年(昭和29年)に東京大学法学部を卒業。1953年(昭和28年)司法試験に合格し、1956年(昭和31年)第二東京弁護士会登録の弁護士となる。1959年(昭和34年)から日本教職員組合の顧問弁護士。 砂川事件・朝日訴訟・堀木訴訟・全逓中郵事件・家永教科書裁判など数々の憲法裁判に携わる。茨城大学人文学部教授、1996年定年退官、名誉教授。
伊東 すみ子(いとう すみこ、1931年 - 1997年)… 伊東 すみ子(いとう すみこ、1931年 - 1997年)は、日本の弁護士、裁判官。 戦後日本の女性法曹として、先駆的な存在とされる[要出典]。1985年から1987年にかけて、国際連合総会の日本政府代表としても活動した。 静岡県に生まれる。1954年に東京大学法学部を卒業して、女性として戦後初の学士助手となる。同年、司法試験に合格後、1958年に司法修習生となり、1960年4月に弁護士登録した。 東京家庭裁判所調停委員ののち、東京高等裁判所判事、宇都宮家庭裁判所所長等を歴任した。 また、婦人問題懇話会(のち日本婦人問題懇話会)の発足当時からの会員として女性の地位向上にかかる活動に携わり、大学婦人協会会長、国際女性の地位協会会長を務めた。
花見 忠(はなみ ただし、1930年2月15日 - )は、労… 花見 忠(はなみ ただし、1930年2月15日 - )は、労働法学者、弁護士。上智大学名誉教授。法学博士(東京大学)。名誉法学博士(ルーヴァン大学)。専門は、労働法及び労使関係。特に、使用者の懲戒権、雇用平等の研究、ILO条約と日本の団結権に関する研究など。東京都出身。
奈良 次郎(なら じろう、1930年 - )は、日本の弁護士… 奈良 次郎(なら じろう、1930年 - )は、日本の弁護士、元判事、法学者。筑波大学、日本大学で教授として教鞭をとった。次女の奈良希愛はピアニスト。 1952年、東京大学法学部卒業。1954年、判事補に任官し、以降、最高裁判所調査官、大阪地方裁判所判事、東京高等裁判所判事等を歴任。1990年に判事を退官し、筑波大学教授。1995年、筑波大学を退官し、日本大学法学部教授に転じるとともに、弁護士登録。2000年、日本大学法学部教授を退任、以降は講師として法学部、法科大学院で教鞭をとる。四樹総合法律会計事務所、第二東京弁護士会所属。
松尾 和子(まつお かずこ、1929年10月31日 - 20… 松尾 和子(まつお かずこ、1929年10月31日 - 2024年4月10日)は、日本の弁護士、弁理士。中村合同特許法律事務所に所属した。 知的財産法に関する実務の第一人者として知られ、日本商標協会の設立、2005年の知的財産弁護士ネットワーク創設に携わる。内閣府知的財産戦略会議メンバー、経済産業省産業構造審議会知的財産政策部会委員など公職も務めた。 森永製菓副社長・取締役、秋田県醗酵工業社長を務めた白川順一の四女。夫は松尾浩也東京大学名誉教授。 2024年4月10日、死去。満94歳没。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
長戸路 政行(ながとろ まさゆき、1929年8月13日 - … 長戸路 政行(ながとろ まさゆき、1929年8月13日 - )は、日本の弁護士。敬愛大学名誉教授。 千葉県千葉市生まれ。長戸路政司の三男。千秋、長戸路信行の弟。1955年東京大学法学部卒。東京弁護士三会交通事故処理委員、毎日新聞社交通事故法律相談所嘱託相談員、千葉敬愛経済大学教授、千葉県土地収用委員、千葉県建築紛争審査委員。1996年兄信行の死による学校法人千葉敬愛学園理事長・敬愛大学学長。2001年退任。2009年4月旭日中綬章受章。
名本 公洲(なもと きみくに、1929年7月12日 - )は… 名本 公洲(なもと きみくに、1929年7月12日 - )は、日本の弁護士、大蔵官僚。日本銀行政策委員会大蔵省代表委員、全国地方銀行協会副会長などを務めた。 東京大学法学部法律学科在学中に司法試験と国家公務員六級職試験に合格。東大法学部法律学科を卒業し、1953年4月 大蔵省入省(管財局外国財産補償課)。1959年10月 足利税務署長。 その後は主計局給与課長補佐、主計局主計官補佐(防衛係主査)、外務省在インド大使館一等書記官などを務める。 1971年7月 大臣官房参事官。1972年1月1日 人事院事務総局給与局給与第二課長。1973年7月23日 主計局主計官(地方財政、大蔵、補助金担当)。1975年7月10日 環境庁企画調整局企画調整課長。
尾崎 行信(おざき ゆきのぶ、1929年4月19日 - 20… 尾崎 行信(おざき ゆきのぶ、1929年4月19日 - 2014年3月9日)は、日本の裁判官、弁護士。最高裁判所裁判官を務めた。位階は正三位。 明治から戦後まで衆院議員を務め「憲政の神様」と呼ばれた政治家・尾崎行雄の孫である。戦時中に祖父が起訴された尾崎不敬事件で、一審は有罪だったが大審院では逆転無罪となった時に「戦争中のひどい時代に立派な判決を出す人がいる」と感銘を受けたという。 三重県出身。尾崎行雄と繁の二男・彦麿の長男として生まれる。旧制宇治山田中学校(49期)、旧制成蹊高等学校(23回生)を経て、1953年に東京大学法学部卒業。 嘱託尋問調書の証拠能力を否定したロッキード事件「丸紅ルート」の大法廷判決、靖国神社などへの玉串料の公費支出を違憲とした愛媛県靖国神社玉串料訴訟の大法廷判決に関わったほか、裁判長として「がん告知義務訴訟」などの判決に携わった。
柴田 睦夫(しばた むつお、1928年7月28日 - 201… 柴田 睦夫(しばた むつお、1928年7月28日 - 2013年4月26日)は日本の弁護士、政治家。衆議院議員(日本共産党公認、通算5期)。元静岡第一テレビアナウンサーの柴田将平と元NHK福岡放送局キャスターの柴田文子は孫にあたる。 福岡県三井郡立石村(現・小郡市)出身。福岡県立朝倉中学校2年で大阪の陸軍幼年学校に転入、旧制福岡高校、東京大学法学部政治学科卒業後、厚生省勤務を経て、1954年弁護士を開業、東京合同法律事務所に入る。弁護士時代は自由法曹団に所属し、松川事件や藤本事件などの弁護団に加わった。この間、1956年には千葉市中央区に柴田睦夫法律事務所を開設、同法律事務所は後に千葉第一法律事務所と名を変え、現在に至る。
宮原 守男(みやはら もりお、1928年2月20日 - 20… 宮原 守男(みやはら もりお、1928年2月20日 - 2021年12月14日)は、日本の弁護士。東京大学法学部卒業。福岡県福岡市中央区出身。日本基督教団顧問弁護士。日本基督教団新泉教会所属。創価学会顧問弁護士。親族に大蔵大臣を勤めた北村徳太郎がいる。 ロッキード事件主任弁護士を務めたほか、本田技研工業、丸紅、川崎製鉄(現・JFEホールディングス)等の顧問弁護士を歴任した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
伊従 寛(いより ひろし、1927年(昭和2年)11月28日… 伊従 寛(いより ひろし、1927年(昭和2年)11月28日 - 2020年(令和2年)6月29日)は、日本の元公正取引官僚、弁護士。元公正取引委員会委員。シティユーワ法律事務所顧問(オフ・カウンセル)。勲二等瑞宝章受章。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
大野 正男(おおの まさお、1927年9月3日 - 2006… 大野 正男(おおの まさお、1927年9月3日 - 2006年10月28日)は、日本の弁護士。最高裁判所判事。 東京府出身。小学生時代に大蔵官僚であった父大野龍太が帝人事件で逮捕・起訴され、無実の罪で3年半のあいだ未決勾留された経験から弁護士志望となる。 第一高等学校 (旧制)を経て、1951年、東京大学法学部卒業。在学中は政治思想史の丸山眞男ゼミに所属。一旦会社勤めをした後、1954年に弁護士登録。弁護士としては海野普吉に師事。弁護士としては悪徳の栄え事件、砂川事件、西山事件、全逓中郵事件、羽田空港デモ事件、飯塚事件、芸大事件を担当した。 1993年4月に最高裁判事に就任。1997年9月に定年退官。
武田 正彦(たけだ まさひこ、1927年7月15日 - 20… 武田 正彦(たけだ まさひこ、1927年7月15日 - 2007年2月15日)は、日本の弁護士、実業家。 広島県呉市出身。1953年(昭和28年)- 東京大学法学部卒業。1956年(昭和31年)- 神戸家裁判事補。1959年(昭和34年)- 神戸簡裁判判事。同年アメリカミシガン大学ロー・スクール留学。1961年(昭和36年)- 福岡家裁判事補、判事。1964年(昭和39年)- 弁護士登録。以来、主に渉外、特許事件を担当する。1972年(昭和47年)- ピエール・カルダンの日本代理店「ピエール・カルダン・ジャパン」(PCJ)を設立。社長、カルダンブランドを日本に定着。その後、長くカルダン本社国際戦略のアドバイス役を務めた。
丹宗 暁信(たんそう あきのぶ、1927年6月2日 - 20… 丹宗 暁信(たんそう あきのぶ、1927年6月2日 - 2014年1月31日)は、日本の法学者(経済法)、弁護士。法学博士(九州大学)。北海道大学教授、千葉大学教授を歴任。「丹宗昭信」とも表記される。佐賀県出身。 1952年(昭和27年)東京大学法学部卒業。1957年(昭和32年)同大学院(旧制)特別研究生修了(指導教授:田中二郎)。 1958年(昭和33年)九州大学法学部助教授(経済法ほか担当)。1960年(昭和35年)フルブライト奨学金でコロンビア大学ロースクール(コロンビア・ロー・スクール)等に留学。1962年(昭和37年)2月「経済法学の体系化のための基礎理論の考察」で九州大学より法学博士の学位を取得。
筧 栄一(かけい えいいち、1927年5月27日 - 201… 筧 栄一(かけい えいいち、1927年5月27日 - 2013年5月15日)は、日本の弁護士(登録番号:22838)。検事総長。位階は正三位。 島根県隠岐郡西郷町(現・隠岐の島町)出身。1940年 東京府立第一中学校入学。同期に山口光秀(大蔵事務次官)、杉山和男(通産事務次官)、手島冷志(外務審議官)、柳健一(駐韓大使)ら官界を中心に活躍した者のほかに出光昭介(出光興産会長)などがいる。その後一高を経て、1951年に東京大学法学部政治学科卒業。1953年に検察官となる。 1975年に法務省人事課長となり、以後、1978年に佐賀地方検察庁検事正、1979年に法務省大臣官房長、1982年、最高検検事、1983年、法務省刑事局長、1985年に法務事務次官に。
可部 恒雄(かべ つねお、1927年(昭和2年)3月9日 -… 可部 恒雄(かべ つねお、1927年(昭和2年)3月9日 - 2011年(平成23年)2月3日)は、日本の裁判官、弁護士、最高裁判所判事。位階は正三位。 広島県・可部寅蔵の二男。父・寅蔵は広島市猿猴橋町で呉服商を営んでいた。 旧制広島高師附属中学、旧制広島高校、東京大学法学部卒。1952年(昭和27年)判事補任官。水戸地裁所長、最高裁首席調査官、東京地裁所長等を経て、1988年(昭和63年)福岡高等裁判所長官に就任。 1990年(平成2年)から最高裁判所判事を務める。就任あいさつでは「重い職責を担うことになった。気力、体力、勇気をふりしぼり、困難にめげず、最後までがんばりたい」と述べた。 1997年4月2日の愛媛県靖国神社玉串料訴訟大法廷判決では三好達と共に国側主張を支持し反対意見を出した。
中村 稔(なかむら みのる、1927年1月17日 - )は、… 中村 稔(なかむら みのる、1927年1月17日 - )は、日本の弁護士・弁理士・詩人・評論家。中村合同特許法律事務所パートナー、日本商標協会顧問、公益財団法人日本近代文学館名誉館長、第二東京弁護士会所属、日本芸術院会員、文化功労者。 中松特許法律事務所弁護士、中村・山本・武田合同特許法律事務所代表パートナー、中村合同特許法律事務所代表パートナー、日本商標協会会長(初代)、財団法人日本近代文学館理事長(第6代)、社団法人日本商事仲裁協会常任理事、日本芸術院第二部部長などを歴任した。 千葉県木更津市生まれ。父・光三は、尾崎秀実、リヒャルト・ゾルゲの予審担当の主任判事。東京府立第五中学校から第一高等学校を経て、1950年、東京大学法学部法律学科卒業。
伊坂 重昭(いさか しげあき、1926年12月25日 - 2… 伊坂 重昭(いさか しげあき、1926年12月25日 - 2000年4月10日)は、日本の弁護士、元検察官。 平和相互銀行監査役を務め、同銀行をめぐる不正経理事件で逮捕された。 1926年12月25日、北海道札幌市にて生まれる。札幌師範付属小学校、札幌第一中学校を卒業し、東京都に出て武蔵高等学校(旧制)を経て東京大学(旧制)法学部に進学。二年生の時に高等文官試験に一発合格した。 卒業後は検事となり、1950年(昭和25年)、23歳時に宇都宮地方検察庁に赴く。初めて担当した詐欺事件では実刑判決まで持ち込んだ。その後は横浜地方検察庁を経て東京地方検察庁刑事部、同庁特別捜査部に勤める。検事としては経済犯罪の捜査に定評があったとされる。
前田 宏(まえだ ひろし、1926年10月17日 - 201… 前田 宏(まえだ ひろし、1926年10月17日 - 2017年12月25日)は、日本の弁護士(登録番号:21882)。元検事総長。日本テレビホールディングス株式会社・日本テレビ放送網株式会社社外取締役。 東京府生まれ。旧制東京高校から東京帝国大学法学部を経て、軍隊に応召されて入隊するも、敗戦後に復員。1951年に検事に任官。その後、内閣法制局参事官、法務省刑事局刑事・総務各課長、大臣官房人事課長、甲府地検検事正、法務大臣官房長、刑事局長、法務事務次官、東京高検検事長を歴任。1985年には次官として検察庁事務章程(昭和60年4月6日法務省令1号)の設置を推進し検察官の権限を拡大した。 1988年3月24日に検事総長に就任。
上田 誠吉(うえだ せいきち、1926年9月8日 - 200… 上田 誠吉(うえだ せいきち、1926年9月8日 - 2009年5月10日)は、日本の弁護士。社会運動にも積極的にかかわった。 兵庫県神戸市生まれ。1929年東京へ転居し、1933年麹町小学校に入学。その後、旧制武蔵高等学校尋常科・高等科を経て、1948年東京大学法学部卒。在学中に兵役、敗戦を迎える。50年弁護士登録、東京弁護士会、自由法曹団に加わる。メーデー事件や松川事件、白鳥事件などで弁護を担当。宮澤・レーン事件についての著作もある。74-84年自由法曹団団長。 父は内務官僚の上田誠一。地球物理学者の上田誠也は弟。
松本 善明(まつもと ぜんめい、本名:まつもと よしあき、1… 松本 善明(まつもと ぜんめい、本名:まつもと よしあき、1926年5月17日 - 2019年6月24日)は、日本の弁護士、日本共産党名誉役員、公益財団法人いわさきちひろ記念事業団評議員。元衆議院議員。最初の妻は画家のいわさきちひろ(1974年死別)。 大阪府生まれ。北野中学校(現:大阪府立北野高等学校)卒業。海軍兵学校(75期)で終戦を迎え、1948年(昭和23年)東京大学法学部政治学科在学中に日本共産党に入党。1949年(昭和24年)大学を卒業して国会秘書となり、1950年(昭和25年)にいわさきと結婚。1951年(昭和26年)司法試験合格、1952年(昭和27年)に司法修習生となり、1954年(昭和29年)からは弁護士として、松川事件やメーデー事件、労働争議に関わる。
原後 山治(はらご さんじ、1926年(大正15年)1月1日… 原後 山治(はらご さんじ、1926年(大正15年)1月1日 - 2008年(平成20年)8月25日)は、日本の弁護士。 1926年和歌山県生まれ。1951年(昭和26年)東京大学法学部政治学科を卒業。1973年(昭和48年)から日本弁護士連合会理事。1981年(昭和56年)から1987年(昭和62年)まで同連合会の法廷委員会委員長を務めた。 在日韓国人の司法修習生採用をめぐる問題で弁護団長を務め、外国籍の人に門戸を開いた。このほか、法廷傍聴人のメモをめぐり「知る権利」が争われた訴訟、法廷外での弁護士仲裁制度の創設などに尽力した。 2008年8月25日、肺炎のため死去。墓所は多磨霊園。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
真喜屋 実男(まきや さねお、1924年4月1日 - 198… 真喜屋 実男(まきや さねお、1924年4月1日 - 1980年3月9日)は、日本の経営者、弁護士。沖縄電力社長を務めた。沖縄県出身。 1951年に東京大学法学法律学科を卒業。1953年6月に琉球巡回裁判所判事に就任し、1954年1月に琉球検察庁検事、1955年1月に琉球政府法務局長、1959年1月に琉球上訴裁判所判事、1970年6月に琉球銀行取締役を経て、1972年10月に琉球生命保険社長に就任。1977年6月には沖縄電力社長に就任。 1980年3月9日脳内出血のために在任中に死去。55歳没。
佐藤 庄市郎(さとう しょういちろう、1924年2月16日 … 佐藤 庄市郎(さとう しょういちろう、1924年2月16日 - 2024年5月20日)は、日本の弁護士。最高裁判所判事。 福島中学校(現福島県立福島高等学校)、第一高等学校、東京大学法学部卒業。戦時中に海軍に取られ、戦後に復学して1950年に弁護士になる。翌1951年に外国人弁護士とともに事務所を開いた渉外弁護士の草分け。石油会社、商社の顧問弁護士などをし、日弁連事務総長、第一東京弁護士会長を務めた。1988年の日弁連会長選挙に立候補したが、敗れた。 1990年2月に最高裁判事に就任。 1994年2月に定年退官。TBSビデオ問題では当時の郵政省から特別調査員として招かれた。 1996年、勲一等瑞宝章受章。
後藤 昌次郎(ごとう しょうじろう、1924年1月15日 -… 後藤 昌次郎(ごとう しょうじろう、1924年1月15日 - 2011年2月10日)は岩手県出身の弁護士(東京弁護士会所属)。 岩手県和賀郡黒沢尻町(現・北上市)生まれ。旧制黒沢尻中学校(現岩手県立黒沢尻北高等学校)卒業、旧制第一高等学校文科および理科卒業、東京大学法学部を経て、1954年に弁護士となる。 かかわった主な事件として松川事件、八海事件、青梅事件、土田・日石・ピース缶爆弾事件、警視総監公舎爆破未遂事件、日大闘争警官傷害致死事件などがある。1992年に東京弁護士会人権賞受賞した。神戸連続児童殺傷事件では冤罪を主張しており、A少年を偽計による「自白調書」で逮捕・勾留した警察官・検察官を告発している。
伴 正一(ばん しょういち、1924年1月1日 - 2001… 伴 正一(ばん しょういち、1924年1月1日 - 2001年5月26日)は、日本の弁護士、外交官。1972年から1977年まで第2代青年海外協力隊事務局長を務め、青年海外協力隊事業の立ち上げに尽力した。 1924年1月1日、香川県丸亀市に生まれる。父親は、税務署に勤務する官吏。1936年、(旧制)土佐中学校に入学。 1938年、海軍経理学校へ入学(33期)。卒業後、霜月に配属され、同艦艇でマリアナ沖海戦にも参戦した。1945年6月、内海海軍航空隊に異動。8月15日の終戦は、出張中の大分市で迎えた。 1946年、第二復員省を辞し、東京大学に入学。1948年、高等文官試験司法科に合格。大学卒業後、弁護士として活動を始める。
林 藤之輔(はやし とうのすけ、1923年12月14日 - … 林 藤之輔(はやし とうのすけ、1923年12月14日 - 1987年8月6日)は、日本の弁護士。最高裁判所判事。大阪府出身。 1923年(大正12年)に大阪・天満にある酒造家の生まれ。戦時中の1944年(昭和19年)に学徒出陣で海軍に応召され、終戦時は主計少尉。復員後、1946年(昭和21年)に高等試験司法科に合格し、1947年(昭和22年)に東京大学法学部を卒業。新司法制度の中で発足した司法修習生の第1期生となる。2年間の司法修習の後、色川幸太郎に従って大阪弁護士会に弁護士登録をし、色川事務所に所属した。 数々の労働事件や民事紛争を手がける。大阪駅前の土地明け渡し訴訟も依頼され、地主側の代理人を務めたが、あくまで相手を説得する姿勢を取り続けて解決した。
徳永 功(とくなが いさお、1923年8月22日 - 200… 徳永 功(とくなが いさお、1923年8月22日 - 2005年6月25日)は、日本の検察官、弁護士。熊本県生まれ。 短期現役海軍主計科士官(11期)を志願し、1944年2月に海軍主計見習尉官となり海軍経理学校に入校。同年9月に経理学校を卒業し、同年12月、海軍主計少尉に任官。1945年9月に主計中尉に進んで予備役に編入された。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。