西村 貞二(にしむら ていじ、1913年11月20日 - 2… 西村 貞二(にしむら ていじ、1913年11月20日 - 2004年3月15日)は、日本の西洋史学者。東北大学名誉教授。兄はイギリス文学者の西村孝次で、従兄に文芸評論家の小林秀雄がいる。 京都府生まれ。1937年に東京帝国大学文学部西洋史学科を卒業。 東北大学文学部助教授、教授を務める。1977年に定年退官、名誉教授。 ルネサンス期を専門とし、近世・近代ヨーロッパの歴史家でも、伝記研究・訳書を多く出版した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
榎 一雄(えのき かずお、1913年(大正2年)11月11日… 榎 一雄(えのき かずお、1913年(大正2年)11月11日 - 1989年(平成元年)11月5日)は、日本の東洋史学者、東京大学名誉教授。正四位勲二等瑞宝章。 1913年、兵庫県明石郡垂水村(現・神戸市)で生まれた。神奈川県立横浜第三中学校を卒業。第一高等学校を1934年に卒業し、東京帝国大学文学部東洋史学科に入学。大学では白鳥庫吉の指導を受けた。 1943年9月より東京帝国大学文学部講師、1947年4月に東洋文庫研究員、1948年に東京大学文学部東洋史学科助教授に就任。1955年に教授昇進。1962年、学位論文『エフタル勃興前後の中央アジア』を東京大学に提出して文学博士号を取得。1974年に東京大学を定年退官。
岩崎 武雄(いわさき たけお、1913年11月10日 - 1… 岩崎 武雄(いわさき たけお、1913年11月10日 - 1976年10月20日)は、日本の哲学者、元東京大学文学部名誉教授。専門は、ドイツ観念論。
團藤 重光(だんどう しげみつ、1913年〈大正2年〉11月… 團藤 重光(だんどう しげみつ、1913年〈大正2年〉11月8日 - 2012年〈平成24年〉6月25日)は、日本の法学者。専門は、刑法・刑事訴訟法。裁判官。学位は、法学博士(東京大学・論文博士 1962年)。東京大学名誉教授。日本学士院会員、文化功労者。文化勲章受章。位階は正三位。勲等は勲一等。団藤 重光とも表記される。 東京帝国大学法学部助教授、東京大学法学部教授、東京大学法学部学部長、慶應義塾大学法学部教授、最高裁判所判事、社団法人学士会理事長などを歴任した。 山口県生まれ、岡山県育ちの法学者である。専門は刑事法全般に及び、戦後の日本刑事法学の第一人者である。東京帝国大学、東京大学、慶應義塾大学で教鞭を執ったのち、最高裁判所判事に就任した。
団藤 重光(だんどう しげみつ、正字体:團藤、1913年(大… 団藤 重光(だんどう しげみつ、正字体:團藤、1913年(大正2年)11月8日 - 2012年(平成24年)6月25日)は、日本の法学者。岡山県出身(ただし生まれは山口県)。東京大学名誉教授。1974–83年(昭和49–58年)最高裁判所判事。1981年(昭和56年)日本学士院会員。1987年(昭和62年)勲一等旭日大綬章。1995年(平成7年)文化勲章。
松本 達郎(まつもと たつろう、1913年11月2日 - 2… 松本 達郎(まつもと たつろう、1913年11月2日 - 2009年2月7日)は、日本の地質学者。 1913年、東京府東京市小石川区で心理学者・松本亦太郎の三男として生まれた。旧制静岡高等学校に入学し、在学中に地学を今野円蔵から学んだ。1933年、高等学校を卒業して東京帝国大学理科大学地質学科に進んだ。大学では小林貞一に師事。1936年に卒業論文『九州大野川盆地の地史学的研究』を提出して卒業し、同大学大学院に進んだ。大学院在学中は小林貞一のアメリカ留学と重なったため、その間併任となっていた東北帝国大学の矢部長克の指導を受けた。 1936年、九州帝国大学理学部助教授に就いた。1944年、英文執筆した学位論文『日本白亜系層序の基礎的研究』を東京帝国大学に提出し、理学博士号を取得。
白上 謙一(しらかみ けんいち、1913年10月23日 - … 白上 謙一(しらかみ けんいち、1913年10月23日 - 1974年9月5日)は、日本の生物学者。 東京府(杉並区)出身。父は白上佑吉。東京帝国大学理學部動物學科卒、同大学院、山梨医学専門学校、山梨県立高校教諭、山梨大学学芸学部助教授、教授、京都大学理学部教授を務め、60歳で在職中に死去した。動物発生学。
木村 耕三(きむら こうぞう、1913年10月10日 - 1… 木村 耕三(きむら こうぞう、1913年10月10日 - 1983年6月7日)は、日本の気象学者。理学博士。気象庁在職中、アメダスを完成させた業績で知られる。 1913年10月10日、東京都に生まれる。自宅は赤坂。父は銀座で医院を開業する医師。第八高等学校(名古屋市瑞穂区瑞穂町)を経て東京帝国大学理学部地震学科卒業。 新京市(現・吉林省長春市)の満州国中央観象台に就職。戦中は航空軍の気象将校として召集され、新京市で働く。階級は中尉。後輩にあたる将校たちが次々と結婚していったが、本人は平然とした様子で独身を貫いた。この頃熱心に読んでいたのはクローモフの『天気解析と予報入門』。戦後はソ連に1年8ヶ月抑留されたのち帰国。
窪 徳忠(くぼ のりただ、1913年〈大正2年〉9月25日 … 窪 徳忠(くぼ のりただ、1913年〈大正2年〉9月25日 - 2010年〈平成22年〉10月2日)は、日本の宗教民俗学者、東京大学名誉教授。 1913年(大正2年)東京生まれ。[1937年(昭和12年)東京帝国大学東洋史学科卒業。東京府立豊島師範学校教諭。1938年(昭和13年)応召され、1942年(昭和17年)召集解除となる。東方文化学院研究員、1949年(昭和24年)東京大学東洋文化研究所助教授。 40歳のころ、庚申信仰の起源を巡り中国伝来の道教三尸説起源説を主張し、それまで日本固有説を取っていた他の民俗学者たちと激論となり、国内の実地調査に入りまとめて論証した。 1962年(昭和37年)東京大学文学博士。
前田 泰次(まえだ やすじ、1913年9月21日 - 198… 前田 泰次(まえだ やすじ、1913年9月21日 - 1982年1月16日)は、工芸研究家、東京芸術大学名誉教授。日本金工史、東洋工芸史、工芸論を講じた。 鋳金家・田中後次の子として東京府大森町(現東京都大田区)に生まれる。東京府立第五中学、松本高等学校文科乙類を経て、東京帝国大学文学部宗教史学科卒。東京帝室博物館、大阪市立美術館勤務、東京美術学校助教授、1959年東京芸大教授。77年定年退官、名誉教授。文化財保護審議会専門委員、日本伝統工芸展鑑査委員。
齋藤 毅(さいとう つよし、1913年(大正2年)9月20日… 齋藤 毅(さいとう つよし、1913年(大正2年)9月20日 - 1977年(昭和52年)10月14日)は、昭和期の図書館学者。第4代の国立国会図書館副館長および第5代の図書館短期大学学長。 1913年、山口県大津郡三隅町(現・長門市)で生まれた。1934年に東京帝国大学文学部国文学科に入学。同期に金田一春彦らがいる。1937年3月に卒業。同大学大学院を経に進み、修了。 修了後は、仙台陸軍幼年学校国漢科教官として勤務。1941年、建国大学助教授を命じられ、満州国に渡った。 戦後は、1947年より衆議院事務局嘱託。同年国立国会図書館の職員として一般考査部部付室長、後に連絡調整課長、閲覧部長、総務部長を勤めた。
阿閉 吉男(あとじ よしお、1913年8月28日 - 199… 阿閉 吉男(あとじ よしお、1913年8月28日 - 1997年8月20日)は、日本の社会学者。名古屋大学名誉教授、創価大学名誉教授。 東京出身。府立六中(現都立新宿高等学校)を経て1937年東京帝国大学文学部社会学科卒。名古屋大学文学部助教授、1960年教授、1977年定年、創価大学教授。1993年退職。 ジンメル、マックス・ヴェーバーを研究。1970年日本社会学会会長。1980年「ジンメル社会学の方法」で日本学士院賞受賞。
神谷 宣郎(かみや のぶろう、1913年 <大正2年> 7月… 神谷 宣郎(かみや のぶろう、1913年 <大正2年> 7月23日 - 1999年 <平成11年> 1月10日)は日本の生物学者。専門は植物学、細胞生理学。位階は正四位。 東京府で生まれる。府立高等学校を経て、東京帝国大学(現・東京大学)理学部植物科を卒業後、同大学講師となる。1948年に同大学で理学博士号を取得後、1949年に大阪大学理学部教授に就任。1946年の東京大学講師在任中に神谷美恵子と結婚した。1977年に大阪大学名誉教授となり、基礎生物学研究所教授に転身する。1972年 - 1973年に日本植物生理学会会長を務めたほか、国際細胞生物学連合会会長を歴任した。1971年に日本学士院賞を受賞しており、1981年に日本学士院会員に選任された。
國分 正胤(国分、こくぶ まさたね、1913年(大正2年)7… 國分 正胤(国分、こくぶ まさたね、1913年(大正2年)7月21日 - 2004年(平成16年)7月7日)は、昭和から平成時代の土木工学者。国分青崖の孫。 東京府に生まれる。旧制七年制高等学校の旧制東京高等学校を経て、1936年(昭和11年)に東京帝国大学工学部土木工学科を卒業し、東京府に出仕する。1938年(昭和13年)から1945年(昭和20年)まで兵役に就く。1943年(昭和18年)東京帝国大学助教授を経て、1950年(昭和25年)吉田徳次郎の後任として東京大学教授となり、1974年(昭和49年)定年退官した。同年、武蔵工業大学教授に転じ1984年(昭和59年)まで務め、ついで足利工業大学顧問教授となった。
今村 成和(いまむら しげかず 1913年7月20日 - 1… 今村 成和(いまむら しげかず 1913年7月20日 - 1996年10月13日)は、日本の法学者。専門は、行政法・経済法。 学位は、法学博士(東京大学、1961年)(学位論文「国家補償法」)。北海道大学名誉教授、北海学園大学名誉教授。日本学士院会員。1985年勲一等瑞宝章受章。京城(後の韓国ソウル)生まれ。父は樺太庁長官の今村武志、柳宗悦は母方の伯父。 朝鮮京城生まれ。京城師範学校附属小学校・中学校卒業。1934年3月、 第二高等学校文科甲類卒業。1937年3月 - 東京帝国大学法学部政治学科卒業。 1937年4月、三菱商事株式会社入社(総務部文書課法規係勤務)。 1947年8月、公正取引委員会事務局事務嘱託。
宝月 欣二(ほうげつ きんじ、寳月 欣二、1913年 <大正… 宝月 欣二(ほうげつ きんじ、寳月 欣二、1913年 <大正2年> 7月10日 - 1999年 <平成11年> 12月19日)は、日本の植物学者。理学博士。東京都立大学名誉教授。専門は植物生態学。栄典は勲三等旭日中綬章。位階は正四位。 長野県長野市出身。長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校)、松本高等学校理科を経て、1938年東京帝国大学理学部植物学科卒業。同大学大学院修了(理学博士)。1944年東京大学副手を経て、1952年東京都立大学助教授、1954年同大学教授。退官後、同大学名誉教授。玉川大学教授。 日本植物学会会長、日本生態学会会長、旧環境庁自然環境保全審議会委員などを歴任し、勲三等旭日中綬章受勲。
井尻 正二(いじり しょうじ、1913年6月26日 - 19… 井尻 正二(いじり しょうじ、1913年6月26日 - 1999年12月1日)は、日本の地球科学者・古生物学者・地質学者。学位は、理学博士(九州大学・論文博士・1949年)。東京経済大学教授を歴任。北海道小樽市出身。 小樽で倉庫業・海産物商などを営む名家に生まれたが、父が政治に血道を上げて家業に身を入れず没落し、中学校を卒業後に家族で上京。稲穂尋常高等小学校4年生の時に、大きな塩の結晶を作り、先生に褒められたことをきっかけに理科に興味を持つ。旧制小樽市中学校(現・小樽市立長橋中学校)卒。小中学校の同級生に広谷俊二(日本共産党中央委員)がいる。 1933年4月、動物学者で大伯父に当たる東京帝国大学教授・谷津直秀の勧めで東京帝国大学理学部地質学科に進学、古生物・化石研究の道に進む。
永田 武(ながた たけし、1913年6月24日 - 1991… 永田 武(ながた たけし、1913年6月24日 - 1991年6月3日)は、日本の地球科学者である。岩石磁気学という分野を開いた。日本の南極観測を指導した。 愛知県岡崎市出身。第一東京市立中学、旧制第一高等学校、東京帝国大学を卒業後、東京大学地震研究所を経て東京大学教授に就任した。疎開中は挙母町(現・豊田市宮町)の浄覚寺に滞在した。奇しくも30年前に日本人で初めて南極へ向かった白瀬矗が晩年1946年同じ挙母町に転居し亡くなった後、白瀬の妻と次女タケコが浄覚寺に滞在している。1944年7月、東京大学 理学博士、論文名は「火山岩、自然残留磁気およびその地球磁気学的諸問題への応用について(英文) 」。
市古 宙三(いちこ ちゅうぞう、1913年(大正2年)6月1… 市古 宙三(いちこ ちゅうぞう、1913年(大正2年)6月19日 - 2014年(平成26年)6月21日)は、日本の中国史学者、お茶の水女子大学名誉教授。 1913年、山梨県で生まれた。東京帝国大学文学部東洋史学科で学び、1937年に卒業。 卒業後は、東亜研究所書員として勤務。戦後の1951年、お茶の水女子大学助教授に就いた。1957年に教授昇格。1969年から1971年まで文教育学部長、1972年からは附属図書館長も務めた。1976年、お茶の水女子大学学長に就任。1979年にお茶の水女子大学を定年退官し、名誉教授となった。同年4月からは中央大学教授として教鞭を執った。 2014年6月21日午前5時10分、老衰のため101歳で死去。
三木 正太郎(みき しょうたろう、1913年6月11日 - … 三木 正太郎(みき しょうたろう、1913年6月11日 - 1988年10月4日)は、日本の思想史学者。皇學館大学教授。平田篤胤についての研究で知られる。 大阪府大阪市に生まれる。1934年(昭和9年)に大阪高等学校を卒業、1937年(昭和12年)に東京帝国大学文学部を卒業、東京帝国大学副手となる。 1938年(昭和13年)に応召される。1941年(昭和16年)に大阪府主事、浪速高等学校教授を嘱託されるが、再び応召される。1943年(昭和18年)に三度目の応召。1946年(昭和21年)に復員し、大阪府立図書館の司書となる。 1950年(昭和25年)に大阪府主事、1952年(昭和27年)に大阪社会事業短期大学助教授、1958年(昭和33年)に同大学教授。
朝比奈 正二郎(あさひな しょうじろう、1913年6月10日… 朝比奈 正二郎(あさひな しょうじろう、1913年6月10日 - 2010年11月28日)は、日本の生物学者(昆虫学)。トンボやムカシトンボ、ゴキブリなどの分類、生態の研究で知られ、日本蜻蛉学会の設立にも中心的に関わった。国際トンボ学会会長、日本昆虫学会会長、日本衛生動物学会会長、日本動物分類学会会長を歴任。薬学者で南極探検家の朝比奈菊雄は弟。 1913年、東京都文京区千駄木に生まれる。父は薬学者であり、また地衣類の分類学者でもあった朝比奈泰彦。父から昆虫採集の手ほどきを受けて、6歳頃からチョウなどの採集を始め、父の知り合いであった昆虫学者の三宅恒方にも接している。 東京府立六中(現:新宿高校)、成城高校を経て、1935年に東京帝国大学理学部動物学科(現:東京大学理学部)に進学。
松崎 壽和(まつざき ひさかず、1913年6月7日 - 19… 松崎 壽和(まつざき ひさかず、1913年6月7日 - 1986年5月30日)は日本の東洋考古学者。 1913年、山口県吉敷郡東岐波村(現・宇部市)生まれ。旧制山口高等学校を経て東京帝国大学文学部東洋史学科を卒業。1939~1940年、北京へ滞在し、興亜院嘱託を務める。その後、文部省嘱託の後、1948年旧制広島高等学校教授、1949年広島大学文学部助教授、1965年に教授となる。 広島大学では草戸千軒町遺跡、帝釈峡遺跡の発掘を指揮した。また、1971年にイラン学術調査隊の一員としてカスピ海東南岸で遺跡の調査を行った。1976年に広島県文化財審議会委員を務める。1977年に広島大学退官後、広島県埋蔵文化財調査センターの常務理事を務めた。
猪飼道夫(いかい みちお、1913年5月28日 - 1972… 猪飼道夫(いかい みちお、1913年5月28日 - 1972年1月3日)は、日本の運動生理学者。 愛知県出身。東京帝国大学医学部医学科卒。 1945年11月「頸反射の研究」で医学博士。 1950年お茶の水女子大学教授。東京大学医学部助教授を経て、1957年東大教育学部体育学科主任教授。 1958年から1年間米国に留学し、業績を挙げた。運動生理学の権威で1967年には国際体育会議の副会長も務めた。 1962年トレッドミル(自動式無限走行盤)を日本で初めて設置した。59歳で在任中に没。
工藤 篁(くどう たかむら、1913年5月27日 - 197… 工藤 篁(くどう たかむら、1913年5月27日 - 1974年12月11日)は、日本の中国語・文学者、東京大学名誉教授。 台湾台北州宜蘭市で小島義夫の子として生まれ、台湾総督府官吏の工藤清の養子となる。1932年台北高等学校卒、1936年東京帝国大学文学部支那哲学支那文学科卒業。在学中より竹内好らの中国文学研究会に入る。1939年東京商科大学予科講師、1940年教授。1949年一橋大学助教授、1950年3月東京大学教養学部中国語助教授、1963年教授、1974年3月定年退官、名誉教授、同年12月に死去。 1950、60年代の数少ない東大教養課程中国語教員として、多くの学生を現代中国研究者へと導いた。
小松 春雄(こまつ はるお、1913年5月26日 - 198… 小松 春雄(こまつ はるお、1913年5月26日 - 1988年5月11日)は、日本の政治学者、中央大学名誉教授。英国保守主義のエドマンド・バーク、その論敵トマス・ペインを研究した。 徳島県麻植郡鴨島町(現・吉野川市)出身。1938年東京帝国大学法学部政治学科卒。1939年東亜研究所研究員。1946年東京大学社会科学研究所研究員。その後、東京大学職員、法政大学法学部兼任講師を経て、1950年國學院大學政経学部助教授、1953年中央大学法学部助教授、1955年法学部教授、1962年「イギリス保守主義史研究」で中央大学で法学博士。1967年中央大学図書館長、1973年中央大学附属中学校・高等学校長、1974年日本政治学会理事長、1979年中央大学社会科学研究所初代所長、1984年中央大学定年退任、名誉教授、成蹊大学経済学部教授。
目代 渉(もくだい わたる、1913年5月8日 - 2002… 目代 渉(もくだい わたる、1913年5月8日 - 2002年2月9日)は、日本の経営者、工学博士。東洋ゴム工業社長、会長を務めた。高知県高知市出身。 1937年に東京帝国大学理学部応用化学科を卒業し、東洋紡での勤務を経て、1944年9月に東洋ゴム工業に入社。1959年5月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1965年5月に社長に就任。1977年5月に会長に就任し、1983年6月には相談役に就任。 1977年に紺綬褒章を受章し、1978年に藍綬褒章を受章し、1983年11月に勲三等旭日中綬章を受章。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
高橋 浩一郎(たかはし こういちろう、1913年5月3日 -… 高橋 浩一郎(たかはし こういちろう、1913年5月3日 - 1991年8月21日)は、日本の気象学者。理学博士(東京帝国大学・論文博士・1948年)(学位論文「外插法に基く量的天気予報の研究」)。 東京市下谷区生まれ。父は医師で随筆家の高橋毅一郎。旧制東京高等学校を経て、1936年東京帝国大学理学部物理学科卒業、中央気象台に入る。1948年「外插法に基く量的天気予報の研究」で東京帝国大学より理学博士の学位を取得。気象研究所予報研究部長、札幌管区気象台長、気象庁予報部長、気象庁長官、筑波大学教授、1977年定年退官。日本気象協会副会長。1969年藤原賞受賞。
矢沢 大二(やざわ だいじ、1913年5月1日 - 1994… 矢沢 大二(やざわ だいじ、1913年5月1日 - 1994年5月29日)は、日本の地理学者である。(旧)東京都立大学教授、日本地理学会会長。紫綬褒章、勲三等旭日中綬章受章。 1913年、長野県諏訪郡上諏訪町(現諏訪市)で生まれた。旧制諏訪中学(現長野県諏訪清陵高等学校)時代に三沢勝衛の教えを受け、地理学を志した。旧制新潟高等学校理科乙類を経て、東京帝国大学理学部地理学科に進学。同大学を1936年に卒業した。 戦時中は陸軍参謀本部気象班長として勤務。 1950年、(旧)東京都立大学理学部助教授に就いた。1953年、学位論文『気候景観の地理学的研究』を東京大学に提出して理学博士号を取得。1959年に教授昇格。
赤塚 忠(あかつか きよし、1913年〈大正2年〉4月9日 … 赤塚 忠(あかつか きよし、1913年〈大正2年〉4月9日 - 1983年〈昭和58年〉11月28日)は、日本の中国学者。東京大学名誉教授。古代中国哲学・中国文学・金石学に広く業績がある。角川書店『新字源』編者の一人。 1913年、茨城県取手市に生まれた。東京帝国大学支那哲学科で学び、学生時代は宇野哲人や塩谷温に師事した。1936年に大学を卒業。1937年から1941年まで同大学大学院で学びつつ、郁文館中学と神戸商業大学(神戸経済大学)予科に勤務。二度応召して中国大陸に赴き、陸軍大尉として敗戦を迎えた。 戦後、神戸大学と神戸経済大学に勤務。神戸時代には京都大学人文科学研究所の貝塚茂樹の研究会に参加した。
伊木 正二(いき しょうじ、1913年4月6日 - 2010… 伊木 正二(いき しょうじ、1913年4月6日 - 2010年12月3日)は、日本の鉱山学者(工学博士)。 1936年(昭和11年)に東京帝国大学工学部鉱山及冶金学科を卒業後、三菱鉱業(現・三菱マテリアル)に就職。 1941年(昭和16年)に東京帝国大学助教授となり、1954年(昭和29年)には東京大学教授に昇任。 1974年(昭和49年)4月に定年退官、東京大学名誉教授の称号を授与された。 石炭鉱山における安全工学が専門分野。中でも坑内温度・坑内粉塵制御用の通気管理技術の研究に携わった。 昭和30年以降の石炭産業関連の重大災害時には、政府の依頼で災害調査団長としての任務を数々遂行した。 なお、功績を称えて、「伊木賞」(功績賞と奨励賞)という賞が設立(平成9年3月14日)されている。
辻 清明(つじ きよあき、1913年4月5日 - 1991年… 辻 清明(つじ きよあき、1913年4月5日 - 1991年7月30日)は、日本の政治学者、行政学者。東京大学名誉教授。 京都生まれ。三高を経て、1937年東京帝国大学法学部政治学科卒業、同学部助手となる。1938年6月、臨時召集のため歩兵第9連隊に入隊、1940年5月、同除隊し、研究に戻る。1942年東京大学法学部助教授、1951年同教授、1967年から1968年まで法学部長を務める。1974年定年退官、名誉教授、国際基督教大学教授。1979年文化功労者。1985年日本学士院会員。1987年12月、品川区名誉区民(服部良一(作曲家)ともに授賞)。1989年春、勲二等旭日重光章受勲。
山本 二三丸(やまもと ふみまる、1913年3月10日 - … 山本 二三丸(やまもと ふみまる、1913年3月10日 - 2011年12月3日)は、日本のマルクス経済学者、立教大学名誉教授。 愛知県豊橋市出身。第一高等学校卒、1936年東京帝国大学経済学部卒。1954年「再生産論」で立教大学経済学博士。1936年東京貯蓄銀行書記、1938年東亜研究所所員、1940年日本鉄鋼連合会書記、1941年鉄鋼統制会書記、日本鋼管書記、1946年立教大学経済学部助教授、1948年教授となり、1978年定年退任、名誉教授。愛知大学教授を務めた。マルクス経済学の厳密な検証において功績があったが、現実の世界経済、世界の社会主義国の崩壊など、理論と現実の乖離は大きく、大きな課題を残して2011年12月3日、98歳で逝去。
榊 米一郎(さかき よねいちろう、1913年(大正2年)3月… 榊 米一郎(さかき よねいちろう、1913年(大正2年)3月5日 - 2014年(平成26年)2月20日)は、日本の電子工学者。名古屋大学名誉教授、豊橋技術科学大学名誉教授。位階は従三位。 京都府京都市出身。父はサンスクリット学者で京都帝国大学名誉教授の榊亮三郎。1932年旧制第一高等学校理科甲類卒業、1935年東京帝国大学工学部電気科卒業、沖電気勤務、1939年名古屋帝国大学嘱託となり、助教授、1951年「磁気測定法に関する研究」で名古屋大学工学博士。1952年名古屋大学工学部教授。1967年 - 1969年工学部長。1974年定年退官、名誉教授、豊田工業高等専門学校校長、1976年退官、名誉教授、豊橋技術科学大学初代学長となる。
山中 宏(やまなか ひろし、1913年3月2日- 2008年… 山中 宏(やまなか ひろし、1913年3月2日- 2008年1月31日 )は、日本の経営者、商学博士。明治生命保険社長、会長を務めた。 東京都出身。1934年に東京帝国大学経済学部経済学科を卒業し、同年に明治生命保険に入社した。1955年に欧米を視察し、1957年に財務部長に就任し、取締役、常務、専務を経て、1972年4月に副社長に就任し、1974年4月には社長に昇格した。1982年4月に会長に就任し、1990年4月に取締役相談役に就任し、1998年4月から名誉相談役を務めた。 1950年から1958年までに成城大学で講師を務め、1959年から1969年までに東京大学で経済学講師を務めた。 1976年10月に藍綬褒章を受章し、1983年4月に勲二等旭日重光章を受章した。
堀米 庸三(ほりごめ ようぞう、1913年2月24日 - 1… 堀米 庸三(ほりごめ ようぞう、1913年2月24日 - 1975年12月22日)は、山形県河北町生まれの歴史家。専攻は西洋中世史。
太田邦夫(おおた くにお、1913年2月23日 - 1997… 太田邦夫(おおた くにお、1913年2月23日 - 1997年4月23日)は、昭和・平成期の病理学者。東京医科歯科大学、東京大学各名誉教授、日本医学会4代会長。 兵庫県神戸市にて大阪商船副社長の太田丙子郎の長男として生まれる。旧制第一高等学校を経て1937年(昭和12年)東京帝国大学医学部医学科を卒業し、陸軍軍医として北支やラバウルで死線を彷徨う。 東京帝大助手を経て1941年に同講師、1944年医学博士号取得、癌研究所病理部長、1948年東京医科歯科大学教授となる。癌研所長の中原和郎の推薦で、ニューヨーク市のスローン・ケタリング癌センター(en:Memorial Sloan Kettering Cancer Center、アルフレッド・スローン、チャールズ・ケタリングの寄付による研究施設)に留学し、外科病理を研修。
野田 壽雄(のだ ひさお、1913年2月23日 - 2004… 野田 壽雄(のだ ひさお、1913年2月23日 - 2004年4月8日)は北海道大学名誉教授。大阪府生まれ。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
岩生 周一(いわお しゅういち、1913年1月9日 - 19… 岩生 周一(いわお しゅういち、1913年1月9日 - 1999年2月5日)は、日本の地球科学者。専門は、鉱床学・堆積岩岩石学。福岡県久留米市生まれ。 1931年旧制福岡高等学校理科甲類を卒業し、東京帝国大学理学部地質学科に入学。1935年同卒業。1938年地質調査所(現:産業技術総合研究所)の技師に任官。1942年第一次山西学術調査研究団に参加した。1953年東京大学教養学部地学教室の教授となる。1969年同理学部地質学教室教授に転任し、1973年定年・退職、名誉教授となる。その後、1973~1978年千葉大学理学部教授を務めた。また、日本学術振興会など諸機関の委員を歴任し、戦後の日本の復興に非金属資源開発の面から大いに貢献した。
伊沢 凡人(いざわ ぼんじん、1913年 - 2008年4月… 伊沢 凡人(いざわ ぼんじん、1913年 - 2008年4月)は、漢方医、薬物療法学者。 山梨県生まれ。本名・光三。東京帝国大学医学部・生薬学教室選科卒。1960年「ダイオウの薬理学的作用機転に関する実験的研究」で徳島大学医学博士。鍼灸師。日本大学講師、東京都嘱託などを経て、都下の医療用植物資源調査のかたわら、いざわ漢法ビル2Fクリニックを開く。同顧問、漢法科学財団代表理事、東洋医学国際研究財団評議員、東京都生薬協会相談役などを務め、福島県安達太良山山麓に薬草園も設営。息子の伊沢和光は順天堂大学医学博士、いざわ漢法クリニック代表。
窪田 志一(くぼた しいち、1913年〈大正2年〉 - 19… 窪田 志一(くぼた しいち、1913年〈大正2年〉 - 1984年〈昭和59年〉4月1日)は、鹿児島県日置郡伊集院町(現:日置市)出身の歴史家、政治運動家 彼の歴史研究は、祖母の福永ウメより、家伝の『かたいぐち記』『異端記』という古文書を渡されたことに始まる。。この『かたいぐち記』『異端記』に、記されていた岩屋梓梁(いわやしんりょう)の業績調査のため南九州各地をまわり、その後研究結果を自家出版した。 彼の著作中、祖母の福永ウメから受け継いだ『かたいぐち記』『異端記』のことは、まとめて「易断史料」と呼ばれていることが多い。この「易断史料」については、最後まで公開が行われず、また著書の中でも、原文らしきものがほとんど引用されていないことから、その実在自体も疑われる。
大井 正(おおい ただし、1912年12月17日 - 199… 大井 正(おおい ただし、1912年12月17日 - 1991年1月27日)は、日本の哲学者。明治大学名誉教授。 山形県出身。1938年東京帝国大学文学部哲学科卒。1970年「唯物史観の形成過程」で明治大学経済学博士。満鉄調査局員、高崎市立短期大学教授、明治大学政経学部助教授、教授を務め、1984年定年、名誉教授となる。
松岡 英夫(まつおか ひでお、1912年12月9日 - 20… 松岡 英夫(まつおか ひでお、1912年12月9日 - 2001年4月8日)は、日本の政治評論家、歴史家。 新潟県新潟市生まれ。1938年東京帝国大学卒業、東京日日新聞社に入社、戦後、毎日新聞政治部長、論説委員、編集局次長を経て、政治評論家に。1971年から『サンデー毎日』の「サンデー時評」を担当、幕末史の研究者でもあり、1979年『大久保一翁』で毎日出版文化賞受賞。1983年の東京都知事選に、革新統一候補として立候補し、148万2169票を獲得したが、鈴木俊一に敗れた。2001年、肺炎のため88歳で死去。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
中村 元(なかむら はじめ、1912年(大正元年)11月28… 中村 元(なかむら はじめ、1912年(大正元年)11月28日 - 1999年(平成11年)10月10日)は、日本のインド哲学者、仏教学者、比較思想学者。東京大学名誉教授、日本学士院会員。勲一等瑞宝章、文化勲章、紫綬褒章受章。 1912年 (大正元年) 11月28日、島根県松江市殿町にて生まれる。元年生まれだったことから、元と名付けられた。 1925年 (大正14年)、東京市立誠之小学校(現・文京区立誠之小学校)を卒業。1930年 (昭和5年)、東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を腎臓病により1年間休学後、4年で修了。1933年 (昭和8年)旧制第一高等学校を卒業。在学中、須藤新吉と亀井高孝から学問の基本を学び、ブルーノ・ペツォルトから仏教の話を聞く。
仲 新(なか あらた、1912年11月24日 - 1985年… 仲 新(なか あらた、1912年11月24日 - 1985年8月7日)は、日本の教育学者。三重県出身。旧姓・矢口。1937年、東京帝国大学文学部教育学科卒。名古屋大学助教授、教授を経て、1962年に東京大学教育学部教授。1973年、定年退官、青山学院大学教授、のち日本大学教授。学校教育史、地方教育史を研究。地方教育史研究会会長。
島崎 敏樹(しまざき としき、1912年11月8日 - 19… 島崎 敏樹(しまざき としき、1912年11月8日 - 1975年3月17日)は、日本の医学者、精神科医。専門は精神病理学。東京医科歯科大学名誉教授。医学博士。 東京医科歯科大学医学部精神医学教室初代教授となり、日本における精神病理学の礎を築いた。西丸四方、村上仁らと共に、日本の精神病理学第一世代を代表する人物である。 村上仁、西丸四方らと共に、日本の精神病理学第一世代を代表する人物である。精神医学の基礎領域である精神病理学を広く精神科臨床に根付かせるなど、日本の精神医学の発展に大きく貢献した。島崎は人間を「個々の症状の寄せ木細工としてでなく、人格の深みから孤立化していく人間像としてとらえなおそう」とする学風で知られており、主論文『精神分裂病における人格の自律性の意識の障碍』は日本における精神病理学の嚆矢となった。
太田 博太郎(おおた ひろたろう、1912年11月5日 - … 太田 博太郎(おおた ひろたろう、1912年11月5日 - 2007年1月19日)は、日本の建築史家。東京大学名誉教授。日本学士院会員。九州芸術工科大学学長等をつとめた。 1912年、東京生まれ。誠之小学校を経て、1932年旧制武蔵高等学校を卒業。この頃から建築史に関心を深め、奈良・京都の古建築に親しんだ。1935年、卒業論文「東大寺南大門の研究」を提出して、東京帝国大学工学部建築学科を卒業した。 1937年、妙成寺国宝建造物修理事務所助手となり、1939年、法隆寺国宝保存工事事務所助手となる。1943年、東京帝国大学助教授に就任。1960年、東京大学教授。1957年、学位論文『中世建築の基礎的研究』を東京大学に提出して工学博士の学位を取得。
山崎 正一(やまざき まさかず、1912年11月4日 - 1… 山崎 正一(やまざき まさかず、1912年11月4日 - 1997年8月17日)は、日本の哲学者。東大名誉教授。臨済宗の僧侶。谷中・興禅寺先住職。
藤田 若雄(ふじた わかお、1912年11月2日 - 197… 藤田 若雄(ふじた わかお、1912年11月2日 - 1977年1月2日)は、日本の法学者。専門は労働法。東京大学名誉教授。 北海道出身。東京帝国大学法学部卒。 住友鉱業に入社、1946年職員組合委員長。西南学院専門学校講師、1949年東京大学社会科学研究所助手、1950年講師、1968年教授。1973年定年退官、名誉教授、国際基督教大学教授。労働組合を誓約集団ととらえる理論を展開した。矢内原忠雄に学んだキリスト教徒。旧蔵資料は専修大学図書館に「藤田若雄文庫」として遺る。
小沢 正夫(おざわ まさお、1912年11月 - 2005年… 小沢 正夫(おざわ まさお、1912年11月 - 2005年)は、日本の国文学者、愛知県立大学名誉教授。 1912年、東京で生まれた。本籍・茨城県古河市。暁星中学校、浦和高等学校を卒業し、東京帝国大学国文科に進んだ。1935年に同大学を卒業。 1936年より愛知淑徳高等女学校教諭として勤務。1938年からは愛知県第一高等女学校教諭として勤務した。 太平洋戦争後の1947年、愛知県立女子専門学校教授に就いた。1950年に同専門学校が愛知県立女子短期大学となると、同大学助教授となった。1957年に教授昇格。1961年、学位論文『古代歌学の形成についての研究』を東京大学に提出して文学博士号を取得。1966年、愛知県立大学教授に転じた。
原 敬吾(はら けいご、1912年10月28日 - 1975… 原 敬吾(はら けいご、1912年10月28日 - 1975年3月24日)は、日本史学者。 東京生まれ。1936年東京帝国大学文学部国史学科卒。東京大学史料編纂所所員を経て、学習院女子短期大学教授。日本宗教史が専門。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。