鹿野 忠雄(かの ただお、1906年(明治39年)10月24… 鹿野 忠雄(かの ただお、1906年(明治39年)10月24日 - 1945年(昭和20年)7月15日? 消息不明)は、東京生まれの博物学者。 理学博士で昆虫学者、探検家。 業績は多岐にわたり、生物地理学者、文化人類学者、民俗学者、または近年ではナチュラリストなどとしても知られる。 台湾を中心に東南アジアでさまざまな研究調査活動を行い、第二次世界大戦終戦直前の1945年夏、ボルネオ島北部で行方不明になり消息を絶った。当時38歳。 主な著書に『山と雲と蕃人と』などがある。 1906年(明治39年)10月24日 - 東京市淀橋区柏木(現東京都新宿区)に生まれる。 1919年(大正8年) - 12~13歳頃、月刊雑誌『昆虫世界』に初めての論文が掲載される。
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岡村 重夫(おかむら しげお、1906年10月21日 - 2… 岡村 重夫(おかむら しげお、1906年10月21日 - 2001年12月22日)は、日本の社会福祉学者。孝橋正一、嶋田啓一郎らとともに、日本の社会福祉理論の構築に貢献した。
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森脇 大五郎(もりわき だいごろう、1906年10月12日 … 森脇 大五郎(もりわき だいごろう、1906年10月12日 - 2000年4月25日)は、日本の生物学者。理学博士(1938年)。旧・東京都立大学名誉教授。専門は集団遺伝学。 1906年に大阪府で生まれる。東京帝国大学を卒業後、府立高等学校教授となる。1938年 東京大学理学博士 「The genetics of some mutant character in Drosopila ananassae(アナナス猩々蠅に於ける突然変異形質の遺伝)」。 1946年-1950年に校長に就任し、戦後の改編の中で東京都立大学附属高等学校校長を務める。1949年に東京都立大学教授となった。後東京都立大学学長にも就任した。
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森永種夫(もりなが たねお、1906年9月24日 - 199… 森永種夫(もりなが たねお、1906年9月24日 - 1995年3月25日)は、日本の郷土史家。 長崎県出身。1930年東京帝国大学文学部国文学科卒。長崎で高等学校教諭、長崎市立長崎高等学校教頭をへて長崎純心女子短期大学教授。「長崎犯科帳」を主として研究した。
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岡田 謙(おかだ ゆずる、1906年9月19日 - 1969… 岡田 謙(おかだ ゆずる、1906年9月19日 - 1969年9月5日)は、日本の社会学者、社会人類学者。 東京出身。東京帝国大学卒。1930年台北帝国大学講師、台湾の先住民族を研究。のち東京高等師範学校教授、東京教育大学教授。47年「未開社会に於ける家族」で東京帝大文学博士。51年ニューヨーク大学で在外研修。
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松川 七郎(まつかわ しちろう、1906年9月3日 - 19… 松川 七郎(まつかわ しちろう、1906年9月3日 - 1980年11月7日)は、日本の経済学者、一橋大学名誉教授。経済学史・統計学史専攻。日本学士院賞受賞。 宮城県出身。東京帝国大学経済学部卒。一橋大学教授、1967年ウィリアム・ペティ研究で日本学士院賞受賞。70年定年後、中央大学教授。77年退職。指導学生に竹村孝雄(元中央大学教授)など。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
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輿水 実(こしみず みのる、1906年9月 - 1986年3… 輿水 実(こしみず みのる、1906年9月 - 1986年3月5日)は、日本の国語学者・国語教育学者。国立国語研究所名誉所員。山梨県生まれ。1931年東京帝国大学文学部哲学科卒。三重師範学校教授、1941年青年文化協会東南アジア学院教授、国立国語研究所第二研究部長、のち同名誉所員、国語教育研究所長。長男は中国語学者の輿水優。
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木塚 静雄(きづか しずお、1906年8月31日 - 196… 木塚 静雄(きづか しずお、1906年8月31日 - 1966年)は、日本の家畜衛生学者。獣医師。 佐賀県藤津郡嬉野町(現・嬉野市)に生まれ、木塚貞吾の養子となる。1925年福岡県立中学修猷館、1930年3月第五高等学校理科甲類を経て、1933年3月東京帝国大学農学部獣医学科を卒業。 1933年5月農林水産省畜産局に入省。1937年7月宮城県種畜場(現・宮城県畜産試験場)長となる。1938年9月、鈴木梅太郎が院長を務めていた満洲国大陸科学院副研究官に転じ、1939年7月大陸科学院の機関である奉天獣疫研究所を兼任する。1945年3月高級ゼラチン研究により満洲国文化褒賞を受賞。1945年6月大陸科学院研究官となる。
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中川 重雄(なかがわ しげお、1906年8月24日 - 19… 中川 重雄(なかがわ しげお、1906年8月24日 - 1989年3月4日)は、日本の物理学者、教育者。立教大学理学部元教授・学部長、立教大学原子力研究所所長、立教大学野球部元部長。妻・京子は佐々木隆興の三女。 中川友次郎(内務・農商務官僚、群馬県知事)の三男として東京に生まれる。 1930年(昭和5年)東京帝国大学物理科を卒業。満鉄中央試験所職員、理化学研究所職員、大阪帝国大学理学部講師、佐々木研究所理事を務めた。 1949年(昭和24年)に、理化学研究所から立教大学理学部に赴任した中川重雄を中心に、立教大学宇宙線研究室が開設。理学部教授の中川が行う宇宙線観測実験の成果は新聞紙上を賑わせることとなった。
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石川 覚七郎衛門(いしかわ かくひちろうえもん、1906年(… 石川 覚七郎衛門(いしかわ かくひちろうえもん、1906年(明治39年)8月21日 - 1981年(昭和56年)4月30日)は、日本の教育学者。勲等は勲三等瑞宝章。熊本大学教授。 熊本県立八代高等女学校、熊本県立青年学校教員養成所教諭、熊本青年師範学校教授、熊本大学教育学部教授、熊本音楽短期大学教授、九州女学院短期大学教授などを歴任した。 熊本市下職人町に亀井豊作の四男として生まれる。1931年(昭和6年)第五高等学校文化乙類を卒業後、東京帝国大学文学部宗教史宗教学科入学。1932年(昭和7年)石川サイと結婚し石川姓となる。1933年(昭和8年)教育学科に転科。1936年(昭和11年)同大学教育学科卒。
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飯田 房太郎(いいだ ふさたろう、1906年(明治39年)8… 飯田 房太郎(いいだ ふさたろう、1906年(明治39年)8月7日 - 1975年(昭和50年)5月8日)は、昭和時代の土木工学者、実業家。 神奈川県に生まれる。1930年(昭和5年)東京帝国大学工学部土木工学科を卒業し、間組に入社。各出張所次長、土木部次長、取締役、常務および専務をへて1967年(昭和42年)副社長、1969年(昭和44年)社長に就任した。この間、大井川千頭堰堤や久野脇発電所の建設、羽田飛行場の拡張工事などに携わり、1952年(昭和27年)大井川水系の開発が始まると井川ダム、奥泉ダム、畑薙ダム(第一、第二)などを次々と完成させた。 ほか、日本土木工業協会・日本建設業連合会・日本経済団体連合会・海外建設協会などの理事、日本建設機械化協会・土木学会各会長などを歴任した。
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田中 二郎(たなか じろう、1906年(明治39年)7月14… 田中 二郎(たなか じろう、1906年(明治39年)7月14日 - 1982年(昭和57年)1月16日)は、日本の法学者。専門は行政法、租税法。東京大学名誉教授。兵庫県出身。1964年 - 1973年最高裁判所判事。1976年日本学士院会員、1980年文化功労者。位階は従二位。美濃部達吉門下。弟子に塩野宏、雄川一郎、藤田宙靖など。
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福島 正夫(ふくしま まさお、1906年7月11日-1989… 福島 正夫(ふくしま まさお、1906年7月11日-1989年12月14日)は、昭和・平成期の法制史学者・弁護士。社会主義法学・比較法学・日本近代法制史などの研究において業績を残した。 静岡県磐田郡見付町(現在の磐田市)出身。東京府立第五中学校・第一高等学校を経て、東京帝国大学法学部法律学科に入る。穂積重遠・末弘厳太郎の指導を受け、1928年には在学のまま高等文官試験行政科に合格。 1929年(昭和4年)の卒業後は日本不動産に入社しながら学問を続け、1931年には高等文官試験司法科にも合格し、翌年には弁護士登録を行う。ところが、1934年(昭和9年)に日本共産党に資金提供をしていたとして治安維持法違反で摘発されたために会社を退社に追い込まれ、同年東京帝国大学大学院に再入学、我妻栄の下で土地法の研究を行う。
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藤本 智董(ふじもと ちとう、1906年(明治39年)6月1… 藤本 智董(ふじもと ちとう、1906年(明治39年)6月12日 - 1984年(昭和59年)4月13日)は、日本の哲学者、倫理学者。福岡教育大学教授。福岡大学教授。
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有泉 亨(ありいずみ とおる、1906年〈明治39年〉6月1… 有泉 亨(ありいずみ とおる、1906年〈明治39年〉6月10日 - 1999年〈平成11年〉12月20日)は、日本の法学者。専門は労働法。学位は法学博士(東京大学・論文博士・1962年)。東京大学名誉教授。弁護士。我妻栄門下。位階は正四位。 山梨県中巨摩郡白根町(現在・南アルプス市)出身。1928年、第一高等学校 (旧制)卒業。1932年、東京帝国大学法学部法律学科卒業。 1933年、同大学法学部助手。1940年、京城帝国大学法文学部助教授、1944年同法文学部教授、1946年本土に引揚げ後、法政大学法学部教授。1947年、東京大学社会科学研究所助教授。1948年、教授。1955年、所長。1962年、東京大学より法学博士の学位を受く。
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米澤 嘉圃(よねざわ よしほ、1906年6月3日 - 199… 米澤 嘉圃(よねざわ よしほ、1906年6月3日 - 1993年7月29日)は、日本の中国美術史学者。 東京大学名誉教授、武蔵野美術大学名誉教授。本名は芳男。 秋田県鹿角郡生まれ。父は鉱山技師の米澤萬陸。旧制暁星中学校、福岡高等学校を経て、1931年に東京帝国大学文学部美学美術史学科を卒業。1935年東方文化学院東京研究所所員、1949年東京大学東洋文化研究所教授、1950年文化財専門審議会委員、『国華』主幹などを務め、1967年定年退官後、武蔵野美術大学学長。1962-66年美術史学会代表。墓所は多磨霊園。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
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柴垣 和三雄(しばがき わさお、1906年5月30日 - 2… 柴垣 和三雄(しばがき わさお、1906年5月30日 - 2001年5月1日)は日本の数学者、九州大学名誉教授、学位は理学博士。専攻は数学。 1906年金沢市生まれ。1929年に東京大学理学部物理学科卒業。 1941年に「n変数の一つの実函数の此等変数のm(<n)個の方程式によって定義さる超曲面上におけるクルチカルポイントについて」で東京大学より理学博士号を取得。その後九州大学、東京理科大学理学部教授を歴任。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
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飯塚 浩二(いいづか こうじ、1906年4月3日 - 197… 飯塚 浩二(いいづか こうじ、1906年4月3日 - 1970年12月4日)は、日本の地理学者。人文地理学が専門。20世紀の日本を代表する地理学者の一人。 1906年、東京市本郷区(現:東京都文京区)で動物学者・飯塚啓の息子として生まれた。東京帝国大学経済学部で学び、1930年に卒業。1932年にフランス政府の給費学生の試験に合格し渡仏。留学してソルボンヌ大学地理学教室で学んだ。 1934年に帰国し、外務省国際文化事業部嘱託として勤務。1941年に立教大学経済学部教授に就いた。1943年、母校の東京帝国大学教授に就任し、同大の附属東洋文化研究所に勤務。東大の学部でも人文地理学の講義を受け持った。
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沼野井 春雄(ぬまのい はるお、1906年3月31日 - 1… 沼野井 春雄(ぬまのい はるお、1906年3月31日 - 1998年5月14日)は、日本の生物学者。東京大学名誉教授。理学博士。 茨城県水戸市生まれ。東京帝国大学理学部動物学科卒業後、大学院に通いながら旧制浦和高等学校で教鞭をとり、旧制浦和高等学校教授を経て、1949年(昭和24年)に東京大学理学部教授となる。定年退官後は、早稲田大学教育学部理学科生物学専修の教授に就任。。高校課程の生物教育にも大きく貢献し、旺文社より出版された『生物の研究』は特に有名で、ラジオ生物学講座の講師にもなり、多くの後進の生物学者を育てた。 また、早大教授時代は合気道部の部長も務めた。なお、中学は旧制豊山中学(現日本大学豊山高等学校)に学んだが、旧制新潟中学校から転入してきた作家の坂口安吾とは豊山中学時代の同級生である。
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鵜飼 信成(うかい のぶしげ、1906年(明治39年)3月9… 鵜飼 信成(うかい のぶしげ、1906年(明治39年)3月9日 - 1987年(昭和62年)5月10日)は、日本の法学者。専門は、憲法・行政法。学位は、法学博士(東京大学・論文博士・1956年)。元日本学士院会員。美濃部達吉門下。 1906年、東京都生まれ。 この他、1967年~1973年旧司法試験第二次試験考査委員を務めた この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
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平山 行三(ひらやま こうぞう、1906年 2月27日– 1… 平山 行三(ひらやま こうぞう、1906年 2月27日– 1992年4月28日)は日本の法制史学者。 東京府東京市牛込区払方町の、海軍教授や海軍大学校教官を務めた平山順の三男として生まれる。父の弟である叔父に天文学者の平山信がいる。祖父の平山銓は旧幕臣であった。1924年に東京高等師範学校附属中学校を卒業。1928年に静岡高等学校を卒業し、東京帝国大学文学部国史学科に入学。1931年に卒業。卒業論文は「守護地頭制度の崩壊」。徳川林政史研究所研究員、和歌山県立日高高等女学校教諭、和歌山青年師範学校教諭を経て、1949年に和歌山大学助教授、1952年に同大学教授。1971年に退官し、同大学名誉教授。
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山本 時男(やまもと ときお、1906年2月16日 - 19… 山本 時男(やまもと ときお、1906年2月16日 - 1977年8月5日)は、日本の生物学者。名古屋大学名誉教授。理学博士(東京帝国大学、1936年)(学位論文「目高早期胚の律動性運動に関する研究」)。秋田県出身。祖父は秋田における自由民権運動の中心人物であった山本庄司、叔父(父時宜の弟)は砂防・植林技師の山本徳三郎。 メダカを主要な研究材料として選び、受精生理学、発生学を中心に多くの業績をあげ、受精波説を提唱した。1945年5月14日、第二次世界大戦の名古屋大空襲によって教室は全焼し、ほとんどすべての研究資料を失った。しかし、敗戦後、屈することなくメダカを用いて性分化の研究に新たに取り組んだ。
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竹腰 重丸(たけのこし しげまる、1906年2月15日 - … 竹腰 重丸(たけのこし しげまる、1906年2月15日 - 1980年10月6日)は、日本のサッカー選手、サッカー指導者、サッカー審判員、東京大学教授、芝浦工業大学教授。 大分県北海部郡臼杵町海部(現:臼杵市)出身。1918年に臼杵尋常小学校(現:臼杵市立臼杵小学校)を卒業。中学生の頃に大連に転居し大連第一中学校に入学。ここでサッカーと出会った。 1925年、山口高等学校から東京帝国大学(現在の東京大学)に進学し、その年の8月に開催された第7回極東選手権競技大会のサッカー日本代表に選出されて5月20日の中華民国代表戦で初出場した。 翌1926年にはア式蹴球部で関東大学リーグを初制覇、その後6連覇と続く東大黄金期の礎を築いた。
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加藤 誠平(かとう せいへい、1906年2月7日 - 196… 加藤 誠平(かとう せいへい、1906年2月7日 - 1969年5月7日)は、日本の林学者・造園家・登山家。森林利用学の分野で活躍、索道の技術研究、自然保養林制度制定にかかわり、また観光学や風景学、さらに橋梁の美学についても研究を重ねた人物。学位は、農学博士。東京大学名誉教授。放物線索理論による架空索理論の研究や伐木運材技術についての研究で業績をあげ、1957年日本農学賞受賞。著書に「林業土木学」「森林土木」などがある。元ヒマラヤ登山隊長。1963年夏、東大カラコルム遠征隊長を務めた。登山で全身リューマチにかかり、国立伊東温泉病院に入院し治療を受けていた。 父は宗教学者加藤玄智。東京生まれで、東京高等師範学校附属中学校を経て、1926年(大正15年)に旧制静岡高等学校卒業。
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秋元 波留夫(あきもと はるお、1906年1月29日 - 2… 秋元 波留夫(あきもと はるお、1906年1月29日 - 2007年4月25日)は、日本の医学者・精神科医。 長野県長野市出身。一家は旧諏訪藩士の家系。3歳時に一家で上京。旧制京華中学、1925年旧制松本高等学校理科甲類を卒業、1929年東京帝国大学(後の東京大学)医学部卒業。その後北海道帝国大学(後の北海道大学)医学部助手に就任。その後、東京帝国大学医学部副手、同学部講師、旧制金沢医科大学(後の金沢大学医学部)教授を経て1958年に東京大学医学部教授に就任した。1936年医学博士(北海道大学)。論文の題は「失行症本質論 」。 長く日本の精神医学界の権威として活躍。帝銀事件に関して、平沢貞通の有罪の証拠とされた精神鑑定の結果を誤りであると指摘し注目を集めた。
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李 孝祥(イ・ヒョサン、朝鮮語: 이효상、1906年1月14… 李 孝祥(イ・ヒョサン、朝鮮語: 이효상、1906年1月14日 - 1989年6月18日)は、大韓民国の詩人、哲学者、教授、政治家。第6・7代国会議長、参議員、第6・7・9・10代韓国国会議員。 本貫は星山李氏(朝鮮語版)。号はハンソル。カトリック教徒。 1906年に大邱で生まれた。1930年に東京帝国大学(現・東京大学)文学部独文学科卒、帰国後は嶠南学校で教職を務め、1940年に校長に就任した。解放後は慶尚北道学務局長を経て、1952年に慶北大学校文理科大学教授に着任した。1954年にルーヴェン・カトリック大学で哲学と文学を修学し、帰国後は慶北大学校文理科大学の初代学長を務めた。他には大倫教育財団理事、嶺南大学校財団理事長、国際新聞編集者協会・アジア新聞編集者協会韓国代表、大邱毎日新聞社理事など教育・新聞界でも活動した。
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小谷 正雄(こたに まさお、1906年1月14日 - 199… 小谷 正雄(こたに まさお、1906年1月14日 - 1993年6月6日)は、日本の分子物理学者、生物物理学者。理学博士。東京大学・東京理科大学名誉教授、東京理科大学元学長。京都府京都市生まれ。明仁上皇の教育係を務めた。 田艇吉の二男哲と、柏原銀行頭取や柏原町長を務めた小谷保太郎の長女ふきの子として生まれる。父が小谷家に婿養子に入ったため、小谷姓を名乗った。 1929年に東京帝国大学理科大学物理学科を卒業。卒業後は、東京帝国大学工学部講師、理学部助教授、後に教授昇進。東京大学理学部長、大阪大学基礎工学部教授をつとめた。また京都大学でも教鞭をとり、京都大学兼任教授も務めた。 1960年に日本生物物理学会を創設。
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楫西光速(かじにし みつはや、1906年1月9日-1964年… 楫西光速(かじにし みつはや、1906年1月9日-1964年3月19日)は、日本の経済史学者。 大阪市西区出身。1923年、大阪高等学校文科に入学。1926年3月に卒業し、翌月、東京帝国大学経済学部経済学科に入学。1929年に卒業。1958年「下総行徳塩業史」で東京大学経済学博士。大阪の商業学校で教えたのち、1938年に渋沢敬三のアチック・ミューゼアム(のちの日本常民文化研究所)研究員。戦後1948年法政大学教授となり、1950年東京教育大学教授。この間、土屋喬雄を助けて『渋沢栄一伝記資料』を編集。『東京商工会議所史』の編纂に当たったほか、日本資本主義発達史を中心とする多数の著書、論文、社会科の教科書も執筆した。
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大谷東平(おおたに とうへい、1905年12月29日-197… 大谷東平(おおたに とうへい、1905年12月29日-1977年5月5日)は、日本の気象学者。学位は、理学博士(論文博士・1947年)(学位論文「止風線および集風線の研究」)。 東京出身。旧制第一高等学校を経て、東京帝国大学理学部卒業。1947年「止風線および集風線の研究」で理学博士の学位を取得。1928年中央気象台嘱託、1939年11月気象技師、1945年7月満州国中央観象台長、1946年大阪管区気象台長、1963年気象大学校長、1964年気象研究所長、1966年退職。天気予報の技術分野に大きな影響を与えた。
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柳瀬 良幹(やなせ よしもと、1905年(明治38年)11月… 柳瀬 良幹(やなせ よしもと、1905年(明治38年)11月17日 - 1985年(昭和60年)2月18日)は、日本の行政法学者。学位は、法学博士(1952年)。日本学士院会員。東北大学名誉教授。行政法学から憲法の諸問題を研究する。その理詰めの論述は、ハンス・ケルゼンに通ずる。和歌山県生まれ。美濃部達吉門下。 参考文献:藤田宙靖『行政法学の思考形式〔増補版〕』(木鐸社・2002年)
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保柳 睦美(ほやなぎ むつみ、1905年11月3日 - 19… 保柳 睦美(ほやなぎ むつみ、1905年11月3日 - 1987年8月16日)は、日本の地理学者。理学博士(東京帝国大学)。防衛大学校教授、東京都立大学 (1949-2011)教授、立教大学教授などを歴任。 長野県更級郡稲荷山町(現千曲市)生まれ。旧制東京府立第一中学、旧制第一高等学校を経て、1930年東京帝国大学理学部地理学科卒業。1947年「亜細亜乾燥地域における最近の気候変化・土地の砂漠化問題」で、理学博士(東京帝国大学)。 京城帝国大学助教授、文部省視学官、防衛大学校教授を経て、1960年東京都立大学 (1949-2011)教授、1967年立教大学教授。
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依田 新(よだ あらた、1905年9月30日 - 1987年… 依田 新(よだ あらた、1905年9月30日 - 1987年5月11日)は、日本の心理学者。 東京市麻布生まれ。学習院教授依田豊の長男。第八高等学校卒業。1929年、東京帝国大学心理学科卒業。 東京文理科大学助手。1937年、東京高等師範学校講師。1938年、教授。1936年から児童学研究会に参加し、さらに教育科学研究会教育科学研究部会に参加。戦時下弾圧を受ける。1948年、東京文理科大学教授。1949年、校名変更で東京教育大学教授。 1951年、名古屋大学教授(1958年まで東京教育大学教授併任)。1954年まで名古屋大学教育学部学部長。 1956年、東京大学教育学部教授(1959年まで名古屋大学併任)。
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杉浦 健一(すぎうら けんいち、1905年(明治38年)8月… 杉浦 健一(すぎうら けんいち、1905年(明治38年)8月16日 - 1954年(昭和29年)1月15日)は、日本の文化人類学者である。 愛知県岡崎市の生まれ。東京帝国大学(現在の東京大学)卒業後、同大学院に入学するが中退する。その後は日本国内の辺地民俗学の調査の参加や、1937年(昭和12年)に南洋庁に入庁した事により、人類の調査のため1941年(昭和16年)に退職するまで5度ミクロネシアやパラオ等当時日本の直轄下であった南洋諸島を訪問した。またこの頃に文部省(現在の文部科学省)に入省し、同省の民族研究所の研究員として活動する。 第二次世界大戦後はアメリカ国内における文化人類学の影響もあり、親族組織論等多彩な人類学の研究に携わる。
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杉田元宜(すぎた もとよし、1905年8月15日 - 199… 杉田元宜(すぎた もとよし、1905年8月15日 - 1990年1月14日)は、日本の物理学者、科学史家、一橋大学名誉教授。 熊本県八代町(現・八代市)生まれ。高知育ち、甲南高等学校卒、1929年東京帝国大学理学部物理学科卒、逓信省勤務、1934年海軍機関学校教官、1945年東京産業大学教授、1949年一橋大学法学社会学部教授、「過渡的現象の熱力学」で京都大学理学博士。1951年一橋大学社会学部教授。1969年一橋大定年退官、名誉教授、青山学院大学教授、1976年退職。妻は日系カナダ人。没後、正四位勲三等瑞宝章叙勲。墓所は多磨霊園(25-1-60) ゼミの指導学生に北畠能房(環境学者、京都大学名誉教授)、鶴野史朗(アイ・アール ジャパンホールディングス創業者)、有賀貞一(CSK副社長、ミスミグループ本社副社長、リアルワールド会長等を歴任)など。
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竹内 敏雄(たけうち としお、1905年7月11日 - 19… 竹内 敏雄(たけうち としお、1905年7月11日 - 1982年12月12日)は、日本の美学者。東京大学名誉教授。愛知県豊橋市二川生まれ。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
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松村 一人(まつむら かずと、1905年7月11日 - 19… 松村 一人(まつむら かずと、1905年7月11日 - 1977年6月22日)は、日本の哲学者。法政大学名誉教授。 1905年、山口県生まれ。1933年、東京帝国大学哲学科を卒業。プロレタリア科学研究所、唯物論研究会に参加。 戦後は民主主義科学者協会哲学部会の雑誌「理論」の編集に関わる。1964年より法政大学教授。毛沢東主義者であった。
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守田 栄(もりた さかえ、1905年(明治38年)6月22日… 守田 栄(もりた さかえ、1905年(明治38年)6月22日 - 1998年(平成10年)7月5日)は、日本の学者。専門は騒音制御工学。 1905年6月22日生まれ。1931年3月、東京帝国大学理学部物理学科卒業、同大学航空研究所小幡研究室研究生。1933年、東京電気(現: 東芝)研究所入所。1954年9月から1963年まで、東京芝浦電気(現: 東芝)マツダ研究所主任研究員。1955年1月、理学博士(東京大学)。1961年8月から1967年12月まで、リオン技術部長。1967年、工学博士(東京工業大学)。1968年1月から1971年3月まで、日本大学工学部教授。1971年12月から1986年3月まで、中央公害対策審議会専門委員・航空公害研究センター所長。
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ハインリヒ・デュモリン(ドイツ語: Heinrich Dum… ハインリヒ・デュモリン(ドイツ語: Heinrich Dumoulin、1905年5月31日 - 1995年7月21日)は、ドイツ出身で日本で活動した聖職者、比較思想史学者。 1905年、ドイツのラインラント・ウェベリングホーフィンで生まれた。1924年にイエズス会入会。1933年、司祭に叙階。オランダのファルケンブルヒ大学で学び、卒業。フランスのファルツ大学でも学び、ベルリン大学大学院で神学博士号を取得。 1935年に来日。1936年~1939年東京帝国大学で宗教史・東洋思想を学んだ。1946年、学位論文『賀茂真淵』を東京大学に提出して文学博士号を取得。1941年に上智大学講師となり、後に助教授、教授昇格。
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鈴木 竹雄(すずき たけお、1905年5月23日 - 199… 鈴木 竹雄(すずき たけお、1905年5月23日 - 1995年12月9日)は、日本の商法学者。東京大学名誉教授。
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阿部 吉雄(あべ よしお、1905年〈明治38年〉5月12日… 阿部 吉雄(あべ よしお、1905年〈明治38年〉5月12日 - 1978年〈昭和53年〉5月30日)は、日本の中国哲学者。 1905年、山形県山形市で生まれた。山形中学校を経て、東京帝国大学文学部支那哲学科に入学。1928年、卒業論文『荀子の研究』を提出して同大学を卒業。同大学大学院に進学した。 1930年、東方文化学院東京研究所の助手となり、服部宇之吉の「儀礼鄭注補正」の助手を務めた。1935年に同研究所研究員となり、「朱子経説の淵源」の題目で研究を進めた。 1941年、京城帝国大学法文学部助教授として赴任。当地で朝鮮儒学に関心を抱いた。李退渓と闇書の思想的血縁関係について著した専門書をまとめたものの、公刊直前に敗戦となり、原稿ともども失う。
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谷 信一(たに しんいち、1905年5月8日 - 1991年… 谷 信一(たに しんいち、1905年5月8日 - 1991年1月21日)は、日本の美術史家。日本近世美術史専攻。東京国立博物館勤務。 1905年、三重県安濃郡安西村の素封家・駒田家生まれ。父の姉の家を継ぎ谷家へ養子に入る。第八高等学校卒業後、1930年3月東京帝国大学文学部美術史学科を卒業、同年4月東京帝国大学文学部副手、1932年7月東京帝国大学史料編纂所嘱託を経て、1942年3月京城帝国大学助教授に任官したが、1946年8月大学廃止により退官帰国した。 引き揚げ後は、1946年より美術研究所研究員、1949年5月東京芸術大学美術学部講師、1952年神戸大学文理学部教授となり、1952~1958年まで東京芸術大学教授を兼任した。
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小沢 久之丞(おざわ きゅうのじょう、正字体:小澤久之亟、1… 小沢 久之丞(おざわ きゅうのじょう、正字体:小澤久之亟、1905年4月22日 - 1988年12月14日)は、日本の工学者、航空機技術者である。斬新な真空チューブ列車を考案した。 愛知県名古屋市出身。東京帝国大学工学部船舶工学科を卒業。三菱重工業名古屋航空機製作所に就職し、第二次世界大戦中は四式重爆撃機「飛龍」を開発した。 1949年より名城大学理工学部教授に就任し、1971年から1972年まで学長を務めた。 1949年に『音速滑走体の構想』を発表した。1959年から愛知県の鍋田干拓地(現・弥富市)や農学部のあった鷹来キャンパス(春日井市)で実験をおこなった。真空パイプの中を走らせることで空気抵抗を減らす超音速滑走体の研究を進めた。
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湊 顯(湊 顕、みなと あきら、1905年(明治38年)4月… 湊 顯(湊 顕、みなと あきら、1905年(明治38年)4月2日 - 1992年(平成4年)3月20日)は、日本の薬学者。薬学博士。専門は臓器薬化学。北海道薬科大学初代学長。千葉大学名誉教授。位階は従三位。 岩手県生まれ。1930年(昭和5年)東京帝国大学医学部薬学科卒業。同年、同医学部助手。1937年(昭和12年)東京薬学専門学校講師。1942年(昭和17年)千葉医科大学薬学専門部教授。1951年(昭和26年)千葉大学薬学部教授。1962年(昭和37年)同薬学部長。1974年(昭和49年)千葉大学停年退官。同名誉教授。北海道薬科大学初代学長に就任。1984年(昭和59年)北海道薬科大学退職。1992年死去。
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竹脇 潔(たけわき きよし、1905年(明治38年)3月1日… 竹脇 潔(たけわき きよし、1905年(明治38年)3月1日 - 1988年(昭和63年)1月16日)は、日本の動物学者である。 富山県富山市に生まれ、後に上京し東京帝国大学理学部(現在の東京大学大学院理学系研究科・理学部)動物学科に入学する。1928年(昭和3年)に卒業後は留学のため渡米し、シカゴ大学に入学した。卒業後は帰国し母校の助手を経て講師となり、教鞭を執り1936年(昭和11年)には理学博士を取得する。 その後は助教授を経て1948年(昭和23年)には教授に昇格。1955年(昭和30年)には皇居に招かれて生物学に関する合同進講に出席。「内分泌 特にホルモン間の相関問題に就き」と題する進講を行った。
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北村 義男(きたむら よしお、1905年(明治38年)2月2… 北村 義男(きたむら よしお、1905年(明治38年)2月21日 - 1979年(昭和54年)12月1日)は、日本の医学者。石川県七尾市出身。第四高等学校(現:金沢大学)、東京帝国大学(現:東京大学)医学部卒業。 1930年(昭和5年)に東京帝国大学医学部卒業後、1930年(昭和11年)に医学博士号を取得。1936年(昭和28年)に徳島大学教授となる。1954年(昭和29年)から1956年(昭和31年)までは同大学医学部付属病院(現:徳島大学病院)の院長も兼任していた。その後は医学部長を経て1970年(昭和45年)に同大学学長に就任。 1977年(昭和52年)に四国女子大学(現:四国大学)学長に就任したが、1979年(昭和54年)に満74歳で逝去。
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後藤 以紀(ごとう もちのり、1905年2月10日 - 19… 後藤 以紀(ごとう もちのり、1905年2月10日 - 1992年2月12日)は、日本の電子工学者。明治大学名誉教授。京都府生まれ。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
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牧野 巽(まきの たつみ、1905年2月10日 - 1974… 牧野 巽(まきの たつみ、1905年2月10日 - 1974年11月3日)は、日本の社会学者、東京大学名誉教授。中国の家族を専門とした。 1905年、牧野謙次郎の長男として東京で生まれた。東京帝国大学文学部に入学し、社会学科で戸田貞三に師事した。同門の弟弟子には清水幾太郎がいた。牧野巽は清水幾太郎を弟と思い、清水幾太郎は牧野巽を兄と思い親しくしていた。1929年に卒業。 1929年4月、母校の東京帝国大学社会学研究室副手に就いた(〜1930年4月)。翌1930年、東方文化学院研究所所員になった。その後、東京高等師範学校教授。 1947年、『儀礼及び礼記に於ける家族と宗教』を東京帝国大学に提出して文学博士号を取得。
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佐藤 信衛(さとう のぶえ、1905年2月8日 - 1989… 佐藤 信衛(さとう のぶえ、1905年2月8日 - 1989年5月20日)は、日本の哲学者、文芸評論家・同人作家。 茨城県生まれ。1928年東京帝国大学哲学科卒。1937年法政大学講師。三木清とともに『文學界』同人となる。 戦後1951年法政大学教授。1973年退任。 この項目は、哲学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:哲学)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
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波多野 完治(はたの かんじ、1905年2月7日 - 200… 波多野 完治(はたの かんじ、1905年2月7日 - 2001年5月23日)は、日本の心理学者。文学博士。ジャン・ピアジェの発達心理学を中心に学び、アンリ・ワロンなどを紹介、また文章心理学、創作心理学、視聴覚教育などに多数の著作がある。
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金子 武蔵(かねこ たけぞう、1905年1月21日 - 19… 金子 武蔵(かねこ たけぞう、1905年1月21日 - 1987年12月31日)は、日本の哲学者、倫理学者。東京大学名誉教授。日本学士院会員。 1905年、高知県で実業家・金子直吉の次男として生まれた。第三高等学校を経て、東京帝国大学文学部哲学科を卒業。 法政大学教員などを経て、1935年に東京帝国大学倫理学講座講師に就任。1938年、同助教授に昇格。1945年、学位論文『ヘーゲルの国家論』を東京帝国大学に提出して文学博士号を取得。 和辻哲郎の後任として東京大学倫理学科教授となった。1957年2月2日、実存主義協会を設立し、機関誌『実存主義』を通して日本における研究をリードした。学内では文学部長を務め、1965年に東京大学を定年退官。
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