尾高 朝雄(おだか ともお、1899年1月28日 - 195… 尾高 朝雄(おだか ともお、1899年1月28日 - 1956年5月15日)は、日本の法学者(法哲学)。日本学士院会員。第3期日本学術会議副会長。 漢学者で銀行家である尾高次郎の三男として生まれる。大韓帝国の釜山市生まれ。1916年に東京高等師範学校附属中学校(現:筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業した後、第一高等学校、東京帝国大学法学部卒業。初め外交官を志すも、親の反対により諦め、京都帝国大学文学部に進学し、文学部卒業後は大学院で哲学を研究する。京都帝国大学では西田幾多郎、米田庄太郎に師事した。 1927年、兄・豊作と共に、東京社会科学研究所を設立し、所長に大塚金之助を、常務理事に田辺寿利を、所員に杉本栄一や高島善哉を招くなどした。
本多 侃士(ほんだ かんじ、1899年1月21日 - 197… 本多 侃士(ほんだ かんじ、1899年1月21日 - 1974年8月19日)は日本の物理学者。東京大学名誉教授。工学博士。専門は雷の発生原因となる高圧放電現象の研究。 長野県下水内郡飯山町(現飯山市)生まれ。一家で仙台市に移り、旧制宮城県立仙台第二中学、旧制第二高等学校を経て、大正12年(1923年)東京帝国大学工学部電気工学科卒業。同年理化学研究所西研究室に入り、昭和6年(1931年)東大理学部非常勤講師、昭和12年(1937年)助教授、昭和14年(1939年)教授となり工業物理学講座担当。昭和19年(1944年)理研主任研究員となり本多研究室を開設。この間日本学術振興会特別委員会委員、学術研究会議研究班長を務めた。
崔 允植(チェ・ユンシク、朝鮮語: 최윤식、1899年 - … 崔 允植(チェ・ユンシク、朝鮮語: 최윤식、1899年 - 1960年8月3日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の大学教授、数学者(解析学・整数論)。 本貫は慶州崔氏(朝鮮語版)、号は東林(トンニム、동림)。 平安北道宣川出身。1917年に京城高等普通学校を卒業後、広島高等師範学校に官費留学し、1922年に東京帝国大学理学部数学科で学んだ。帰国後は京城高等工業学校と京城鉱山専門学校で教授を務めたほか、光復後は鉱山専門学校長を務めた。1946年に国立ソウル大学校数学科の初代主任教授となり、ソウル大学校文理科大学の学長を1年間務めた。1946年10月に朝鮮数物(数学・物理)学会(のちの大韓数学会)を創立し、初代会長を務めた。
花山 信勝(はなやま しんしょう、1898年(明治31年)1… 花山 信勝(はなやま しんしょう、1898年(明治31年)12月3日 - 1995年(平成7年)3月20日)は、日本の仏教学者、浄土真宗本願寺派の僧侶。東京大学名誉教授。 1898年、石川県金沢市で生まれた。第四高等学校を卒業し、東京帝国大学印度哲学科に進学。卒業後に同大学大学院に進んで日本仏教史を専攻した。 修了後は東洋大学教授に就いた。後に東京大学文学部教授、國學院大學教授を務めた。1935年、『聖徳太子御製法華経義疏の研究』で学士院恩賜賞を受賞。1942年、学位論文『勝鬘経義疏の上宮王撰に関する研究』を提出して文学博士号を取得。 1946年2月より、東大教授を務める一方で巣鴨拘置所の教誨師となり、東條英機ら7人のA級戦犯の処刑に立ち会った。
松坂 佐一(まつさか さいち、1898年11月13日 - 2… 松坂 佐一(まつさか さいち、1898年11月13日 - 2000年3月11日)は、日本の民法学者。現在の倉敷市生まれ。名古屋大学名誉教授。従三位勲二等旭日重光章。
玉蟲 文一(たまむし ぶんいち、1898年10月18日 - … 玉蟲 文一(たまむし ぶんいち、1898年10月18日 - 1982年7月26日)は、日本の物理化学者、東京大学名誉教授。
松井 正夫(まつい まさお、1898年〈明治31年〉10月1… 松井 正夫(まつい まさお、1898年〈明治31年〉10月10日 - 1956年〈昭和31年〉11月17日)は、日本の有機化学者、文部官僚。元文部省学校教育局大学教育課長、新潟高等学校の最後の校長、新潟大学理学部初代学部長。位階は正三位。 新潟県新潟市学校町通2番町(現 新潟市中央区学校町通2番町)の判事・松井郡治の長男として出生。 1916年(大正5年)3月に新潟中学校を卒業、1919年(大正8年)7月に第二高等学校を卒業、1922年(大正11年)3月に東京帝国大学理学部化学科を卒業。 1922年(大正11年)6月に山口高等学校教授に就任、11月から1924年(大正13年)3月まで陸軍に入隊のため山口高等学校を休職、1931年(昭和6年)12月から1933年(昭和8年)9月まで化学の研究のためドイツやアメリカに留学。
原田 準平(はらだ じゅんぺい、1898年10月5日 - 1… 原田 準平(はらだ じゅんぺい、1898年10月5日 - 1992年4月7日)は、日本の鉱物学者。理学博士(東京帝国大学)。 神奈川県横浜市生まれ。1924年、東京帝国大学理学部卒業。1925年、熊本高等工業学校教授・第五高等学校教授。1929年、欧州の大学留学。1931年に北海道帝国大学理学部の地質学鉱物学教室創設とともに同助教授となり、1932年、同理学部教授。1939年 東京帝国大学 理学博士 「本邦産硼素鉱物の研究」。1947年北海道大学理学部教授。 1958年、理学部長。1962年に定年退官。北海道大学名誉教授。同年、新設の旭川工業高等専門学校校長となり、1970年に退職。1972年、旭川工業高等専門学校名誉教授。
伊藤 貞市(いとう ていいち、1898年9月27日 - 19… 伊藤 貞市(いとう ていいち、1898年9月27日 - 1980年10月10日)は、日本の地球科学者。専門は、鉱物学・結晶学。学位は、理学博士(東北帝国大学・論文博士・1939年)。東京大学名誉教授。1968年勲二等瑞宝章受章。大阪市出身。シカゴ大学などに在籍し、鉱物学者として活躍した伊藤順は貞市の子息である。 1954年、大分県木浦鉱山から新鉱物「亜砒藍鉄鉱」を発見し記載した。1960年、ナミビアで発見された新鉱物が「伊藤石」(itoite) と命名された。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
日野 巌(ひの いわお、1898年9月1日 - 1985年3… 日野 巌(ひの いわお、1898年9月1日 - 1985年3月13日)は、日本の農学者。 北海道生まれ。長州藩藩医・日野宗春の孫。筆名・日野青波。第六高等学校卒、東京帝国大学農学部卒。1930年農学博士。 1926年宮崎高等農林学校教授。日向郷土会を主宰、雑誌『日向(郷土志資料)』を刊行する。1940年には県立上代日向研究所の民俗部主査となる。1942年に陸軍司政官として南方に転出し、戦後は山口大学農学部教授、農学部長、宇部短期大学教授。(中公文庫に1980年死去とあるのはおそらく間違い)
竹中 勝男(たけなか かつお、1898年(明治31年)7月2… 竹中 勝男(たけなか かつお、1898年(明治31年)7月27日 - 1959年(昭和34年)1月26日)は、昭和期の社会福祉学者、政治家。参議院議員(1期)、同志社大学教授。文学博士。 長崎県北松浦郡平戸出身。1921年(大正10年)同志社大学文学部神学科を卒業。同年米国に留学し、ロチェスター神学校(英語版)でキリスト教社会学を学ぶ。1922年(大正11年)シカゴ大学に移り、1923年(大正12年)M. A. を取得した。帰国して1924年(大正13年)東京帝国大学大学院修学。東京学院で教え、日本基督教連盟幹事も務めた。1928年(昭和3年)同志社専門学校教員に就任。1936年(昭和11年)同志社大学文学部教授となり、社会学、社会政策、社会福祉学を担当。
江川 英文(えがわ ひでぶみ、1898年7月19日 - 19… 江川 英文(えがわ ひでぶみ、1898年7月19日 - 1966年8月21日)は、日本の法学者。専門は国際私法。学位は、法学博士(東京大学・論文博士・1962年)。東京大学名誉教授。正三位勲二等旭日重光章。弟子に池原季雄など。 1898年、東京府東京市生まれ。早稲田中学校、第一高等学校文科丙類を経て、1922年、東京帝国大学法学部法律学科に入学。 卒業後の1925年、東京帝国大学卒業、東京帝国大学助手に採用される。1927年、東京帝国大学助教授に昇任。1936年、教授に昇任。1959年3月、東京大学を定年退職。同年6月、東京大学名誉教授の称号を受けた。その後も1959年4月より立教大学法学部教授となり教鞭をとり続けた。
浅見 義弘(あさみ よしひろ、1898年(明治31年)6月2… 浅見 義弘(あさみ よしひろ、1898年(明治31年)6月28日 - 1991年(平成3年)5月6日)は、大正から昭和時代の電気工学者、通信技術者。 浅見竹三郎の三男として埼玉県深谷市に生まれる。1931年(昭和6年)分家する。旧制熊谷中学、旧制第一高校を経て、1922年(大正11年)東京帝国大学工学部電気工学科を卒業し、逓信省電気試験所研究員となる。1925年(大正14年)北海道帝国大学教授となり、12余年に渡り欧米各地に駐在し、帰国後の1936年(昭和11年)10月、工学博士となる。同年9月、北海道に行幸した昭和天皇に帯広市にて「高周波電気現象と其の応用」と題する進講を行った。第二次世界大戦後、1946年(昭和21年)9月、同大学応用電気研究所長、のち1960年(昭和35年)同大工学部長を経て、1962年(昭和37年)退官し、成蹊大学主任教授、1969年(昭和44年)同大工学部長となる。
落合 英二(おちあい えいじ、1898年6月26日 - 19… 落合 英二(おちあい えいじ、1898年6月26日 - 1974年11月4日)は、日本の薬学者、薬化学者。東京大学名誉教授。 埼玉県浦和市生まれ。千葉師範学校附属小学校、千葉県立千葉中学校を卒業後、仙台の第二高等学校に入学する。東京帝国大学医学部薬学科卒業。東京帝国大学医学部薬学科薬化学教室第三代教授。アルカロイド、塩素化含窒素複素芳香環化合物について研究、その結果として、多数の新化合物を登場させた。1969年(昭和44年)文化勲章受章。 1928年(昭和3年) 東京大学 薬学博士 学位論文の題は「シノメニンの構造論」。 1898年(明治31年)6月26日 教育家落合初太郎の三男として埼玉県浦和で生誕、母はノブ。
菊池 勇夫(きくち いさお、1898年6月21日 - 197… 菊池 勇夫(きくち いさお、1898年6月21日 - 1975年7月13日)は、日本の法学者、九州大学名誉教授、日本学士院会員。 1898年、岩手県遠野で生まれた。第一高等学校を経て、東京帝国大学法学部に進学。卒業後は同大学の副手となった。 1924年、ILO東京支局職員として勤務。1926年より欧米に留学を命じられた。1928年、九州帝国大学助教授に就いた。1929年に教授昇格。1943年から1945年には法文学部長を務めた。 1949年、第9代九州大学総長に就いた。1953年、日本学士院会員に選出された。学界では日本労働法学会の初代代表理事をつとめた。1962年に九州大学を定年退官し、名誉教授となった。
清宮 四郎(きよみや しろう、1898年(明治31年)5月2… 清宮 四郎(きよみや しろう、1898年(明治31年)5月23日 - 1989年(平成元年)10月22日)は、日本の法学者。専門は憲法。学位は、法学博士(東北大学)。東北大学名誉教授。従三位勲二等旭日重光章。宮沢俊義とともに戦後の憲法学界をリードした。日本学士院会員。美濃部達吉門下。弟子に佐間忠雄、樋口陽一など。
西下 経一(にしした きょういち、1898年5月10日 - … 西下 経一(にしした きょういち、1898年5月10日 - 1964年1月17日)は、日本の国文学者、東京教育大学名誉教授。旧姓は岡村。 岡山県西北条郡津山町(現・津山市)出身。1922年東京高等師範学校国漢科卒業後、佐賀中学校教諭。東京帝国大学国文科選科を経て、1927年に本科卒。東大国文学研究室副手として源氏物語などの書誌研究を行う。 第六高等学校教授を経て、1953年「古今集の伝本の研究」で東京大学より文学博士の学位を取得。戦後は岡山大学教授、東京教育大学教授、上智大学教授。平安朝文学、特に古今集の和歌を専門とする。蔵書は没後に国文学研究資料館に収蔵された。
大町 文衛(おおまち ふみえ、1898年〈明治31年〉3月2… 大町 文衛(おおまち ふみえ、1898年〈明治31年〉3月27日 - 1973年〈昭和48年〉1月10日)は、昆虫学者、随筆家。三重大学名誉教授。文豪・大町桂月の次男。コオロギ類の研究で知られ、「コオロギ博士」と呼ばれた。 1898年(明治31年)3月27日、東京府で、大町桂月の次男として生まれる。兄は化学者の大町芳文[要出典]。1914年(大正3年)3月、東京府立第四中学校卒業。1917年(大正6年)3月、第一高等学校卒業。1921年(大正10年)7月、東京帝国大学農学部農学科卒業。在学中、石川千代松に師事して細胞遺伝学を学び、染色体の研究材料としてコオロギを取り上げたことをきっかけに、昆虫の種と進化の問題に取り組み、多くの成果を挙げた。
谷 安正(たに やすまさ、1898年〈明治31年〉3月25日… 谷 安正(たに やすまさ、1898年〈明治31年〉3月25日 - 1975年〈昭和50年〉2月8日)は、日本の応用物理学者。東京大学名誉教授。工学博士。 1898年3月25日、富山県滑川町(現在の滑川市)で生まれた。1921年に東京帝国大学理学部物理学科を卒業後、同大学工学部講師に着任し、1924年に助教授に昇任した。1941年に東京帝国大学航空研究所の所員となり、1942年に新設された東京帝国大学第二工学部の教授となった。1950年に東京大学生産技術研究所教授に転任し、1957年に同研究所所長を務めた。1958年に東京大学を定年退官し、名誉教授となった。その後、日本大学教授、富山県立大谷技術短期大学学長を務めた。
森 周六(もり しゅうろく、1898年(明治31年)3月14… 森 周六(もり しゅうろく、1898年(明治31年)3月14日-1961年(昭和36年)2月4日)は、日本の農学者、農業工学者。専門は農業機械学。農学博士。九州大学教授。九州大学農学部長や日本学術会議会員を歴任。 鹿児島県大島郡瀬戸内町阿木名出身。医師の父の六男として生まれる。阿木名尋常小学校、鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)を経て、1919年(大正8年)第七高等学校造士館 (旧制)卒業。1922年(大正11年)東京帝国大学農学部農学科卒業。東大の恩師のすすめで同年より東京帝国大学農学部講師。1924年(大正13年)7月28日、九州帝国大学農学部助教授となる。1933年(昭和8年)4月19日、論文「本邦在来犂ニ関スル研究」で北海道帝国大学より農学博士号授与(農業機械関係では日本初)。
安岡 正篤(やすおか まさひろ、1898年〈明治31年〉2月… 安岡 正篤(やすおか まさひろ、1898年〈明治31年〉2月13日 - 1983年〈昭和58年〉12月13日)は、日本の易学者、陽明学者、思想家。私塾「金鶏学院」の設立、右翼政治団体「国維会」や学術団体「師友協会」の創立など、日本の伝統的な哲学・思想の「日本主義」の立場から保守派の長老として戦前から戦後に亘って活躍した。吉田茂(元内閣総理大臣)などの大物政治家とも深い交流があった。 1898年(明治31年)に現在の大阪府大阪市中央区長堀(旧順慶町)において、素封家の父・堀田喜と母・悦子の四男として誕生。堀田家は尾張の出身で紀氏の流れである。実兄に高野山金剛峯寺第403世座主の堀田真快がいる。 1904年(明治37年)に大阪市芝尋常小学校入学。
前田 利鎌(まえだ とがま、1898年(明治31年)1月22… 前田 利鎌(まえだ とがま、1898年(明治31年)1月22日 - 1931年(昭和6年)1月17日)は、日本の哲学者。大正教養主義の時代に荘子・禅・スピノザ・ニーチェなどを論じた。32歳の若さで病没した。主著に『臨済・荘子』。 夏目漱石の末弟子。松岡譲の友人。父は前田案山子。異母姉に前田卓、宮崎槌(宮崎滔天の妻)がいる。 1898年(明治31年)熊本県玉名郡小天村にて、名士の前田案山子(当時70歳)と妾・林ハナの第2子として生まれ、戸籍上は正妻・キヨとの第9子(末子)となる。 利鎌誕生の1年前、夏目漱石が前田家を訪れ、前田家がモデルとして登場する小説『草枕』の着想を得ていた。漱石はその後も数度来訪し、前田卓に抱かれた赤子の利鎌を、漱石が撫でたこともあった。
田辺 平学(たなべ へいがく、1898年1月17日 - 19… 田辺 平学(たなべ へいがく、1898年1月17日 - 1954年2月3日)は、日本の建築構造学者、防災研究者、建築家。日本の建築物、都市の不燃化の研究、啓蒙に務めた。東京工業大学名誉教授。 田辺政之助の子として京都府で生まれる。1922年、東京帝国大学工学部建築学科卒業後、神戸高等工業学校講師。1925(大正14)年、建築構造学研究のため、欧米に出張。ドイツとイギリス、アメリカ合衆国へ2年間滞在する。ドイツでは商店で火事に遭遇する。 帰国後の1929年、神戸高等工業学校教授。「鉄筋混凝土版の基本的事項に関する研究」で工学博士号を取得。東京工業大学教授を兼任。 1931年、日本建築学会学術賞受賞。
斎藤 晌(齋藤 晌、さいとう しょう、1898年1月15日 … 斎藤 晌(齋藤 晌、さいとう しょう、1898年1月15日 - 1989年5月11日)は、日本の哲学研究者、東洋大学名誉教授、明治大学名誉教授。 1898年、愛媛県生まれ。実家は宇和島藩の藩校の儒学者の家系で、早くから漢籍に親しむ。1924年、東京帝国大学文学部哲学科を卒業。 卒業後は東洋大学教授、大東文化学院教授などを務めた。1943年より日本出版会常務理事。1944年に辞職した。 太平洋戦争が終結すると、占領期にはかつての論説等が戦争協力にあたるとされ、公職追放の対象となった。公職追放解除後、1952年より明治大学教授、1953年からは東洋大学教授を兼任。1956年より東洋大学文学部長。1969年に定年退任した。
船田 享二(ふなだ きょうじ、1898年〈明治31年〉1月1… 船田 享二(ふなだ きょうじ、1898年〈明治31年〉1月13日 - 1970年〈昭和45年〉3月14日)は、日本の法学者(ローマ法)、教育者、政治家。教育者として作新学院院長。政治家として衆議院議員(当選3回)、行政管理庁長官、賠償庁長官。叙従三位、叙勲一等授瑞宝章。 政治家一家として知られた「船田三兄弟」の次男で、衆議院議長となった船田中は兄、自治大臣や運輸大臣などを歴任した藤枝泉介は実の弟にあたる。また夫人の船田文子は主婦連副会長をつとめた。 1898年1月13日、船田兵吾(作新学院創設者)の次男として、栃木県宇都宮市に生まれる。一高を経て1921年東京帝国大学法学部英法科卒業。1924年から1926年までローマ法研究のためフランス・ドイツ・イタリア・イギリスに留学。
山縣 昌夫(やまがた まさお、1898年(明治35年)1月4… 山縣 昌夫(やまがた まさお、1898年(明治35年)1月4日 - 1981年(昭和56年)3月3日)は、日本の船舶工学者。東京大学名誉教授。
田中 誠二(たなか せいじ、1898年 - 1994年)は、… 田中 誠二(たなか せいじ、1898年 - 1994年)は、日本の法学者。専門は商法。一橋大学名誉教授、法学博士。1981年12月12日から1994年まで日本学士院会員。
西尾 滋(にしお しげる、1898年 - 1980年7月6日… 西尾 滋(にしお しげる、1898年 - 1980年7月6日)は、日本の地球科学者。専門は鉱床学。 旧制暁星中学校・第一高等学校を経て、1922年に東京帝国大学工学部鉱山学科を卒業、ただちに同学部講師に就任。同時に理学部地質学科大学院に2年間在籍し、教授の加藤武夫や助教授の坪井誠太郎の訓育を受け、また助手であった鈴木醇や坪谷幸六の知遇を得る。1924年に助教授に昇進し、鉱山学科において当時の教授であった平林武を補佐し,鉱物学・地質学・鉱山学などの実習を担当する。 1940年、東京帝国大学より工学博士の学位取得。博士論文の表題は「別子鉱山含銅黄鉄鉱ノ研究」。同年6月より、文部省在外研究員としてアメリカ合衆国のカリフォルニア大学に留学するも、1941年11月、日米関係の悪化により派遣された引き揚げ船である龍田丸に乗船して帰国。
中川 善之助(なかがわ ぜんのすけ、1897年〈明治30年〉… 中川 善之助(なかがわ ぜんのすけ、1897年〈明治30年〉11月18日 - 1975年〈昭和50年〉3月20日 )は、日本の法学者。東北大学名誉教授、金沢大学名誉教授。正三位勲一等。日本の家族法の権威である。 1897年、東京府(現・東京都)神田で生まれた。金沢第一中学校、第四高等学校を経て、東京帝国大学に進学。穂積重遠門下で法学を学び、1921年に東京帝国大学法学部を卒業。 1922年9月、東北帝国大学法文学部助教授に就任し、民法学第一講座を担当した。1927年、東北帝国大学法文学部教授に昇格。1940年、第2代仙台法経専門学校校長に任命された。以後、死去するまで同校校長を務めた。 1961年、東北大学を定年退官し、名誉教授となった。
吉村 茂樹(よしむら しげき、1897年(明治30年)11月… 吉村 茂樹(よしむら しげき、1897年(明治30年)11月14日 - 1985年(昭和60年)4月16日)は、日本史学者。 広島県出身。東京帝国大学卒。1936年(昭和11年)に東京帝大史料編纂所編纂官。1952年(昭和27年)、東京大学史料編纂所第一研究部長として、朱雀天皇千年式年祭に先立ち御事績を昭和天皇に進講した。1954年(昭和29年)に東京大学史料編纂所教授。1958年(昭和33年)に定年退官、上智大学教授。1967年(昭和42年)に退職。専門は平安・鎌倉時代の政治・法制、古文書学。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
平岩 馨邦(ひらいわ よしくに、1897年〈明治30年〉11… 平岩 馨邦(ひらいわ よしくに、1897年〈明治30年〉11月10日 - 1967年〈昭和42年〉10月2日)は、日本の動物学者・哺乳類学者(理学博士)。九州大学農学部教授、福岡女学院大学短期大学部初代学長等を歴任した。 1897年生まれ。広島文理科大学、九州大学農学部教授、学生部長。父は平岩愃保(日本メソヂスト教会第2代監督)。祖父は宗門改役の幕臣・平岩馨明。 1937年、東京帝国大学より理学博士の学位を取得。学位論文は「Studies on a bopyrid, Epipenaeon japonica Thielemann(アカエビヤドリムシ(エピペネオン・ジャポニカ・ティールマン)に関する研究)」。
木村 龜二(木村 亀二、きむら かめじ、1897年11月5日… 木村 龜二(木村 亀二、きむら かめじ、1897年11月5日 - 1972年3月15日)は、日本の法哲学者、刑法学者。東北大学名誉教授。従三位勲二等旭日重光章。法学博士。兵庫県出身。 牧野英一と並ぶ主観主義刑法学の大家。教科書(『刑法総論』)は、逝去後も、阿部純二教授によって1978年(昭和53年)に増補されている。 1921年に東京帝国大学法学部を卒業後、穂積重遠の推挙で同法学部助手となり、法理学の研究に従事し、1926年に九州帝国大学教授となるが、1927年、九州帝国大学法文学部内訌事件で大学を追われる。その後、当時東京帝国大学教授であった牧野英一に誘われ、牧野の研究室で主として新派刑法学、刑事政策の研究に従事するようになる。
三島 一(みしま はじめ、1897年10月24日 - 197… 三島 一(みしま はじめ、1897年10月24日 - 1973年10月12日)は、東洋史学者。東洋大学教授、二松學舍大学教授、明治大学教授、戦後に専修大学教授。専門は唐代寺院経済史。 1897年、実業家・三島桂のの長男として埼玉県で生まれた。幼少の頃は病弱な体質で、大森の小学校に入学したのは、9歳の時であった。東京府立第四中学校に入学したが、中学も2年遅れで卒業。同級生には羽仁五郎がいた。中学卒業の年は祖父・三島中州が没した年であり、また自身も病の床に就いたため第一高等学校の受験を失敗。第三高等学校に入学して学び、1920年に卒業。 東京帝国大学の東洋史学科に入学、池内宏および加藤繁の指導を受けた。
田中 敬吉(たなか けいきち、1897年(明治30年)10月… 田中 敬吉(たなか けいきち、1897年(明治30年)10月23日 - 1975年(昭和50年)1月13日)は、日本の機械工学者。第33期日本機械学会会長。東京帝国大学教授、千葉工業大学教授・学長、上智大学教授を歴任。東京帝国大学航空研究所で、航研機やA-26の開発に携わった。 三重県亀山市出身。第八高等学校を経て、1922年東京帝国大学機械科卒業。東京帝国大学航空研究所嘱託、助教授を務め、1929年「円錐座吸気弁の空気の流動研究(実験的研究・理論的研究)」により工学博士を取得。1930年航空原動機研究のため欧米を訪れた後、1933年教授となる。1939年より東京工業大学教授を兼任。1949年千葉工業大学学長、1957年名古屋大学教授、1961年上智大学教授・理工学部長。
片桐 英郎(かたぎり ひでお、1897年9月21日 - 19… 片桐 英郎(かたぎり ひでお、1897年9月21日 - 1987年9月18日)は日本の農芸化学者。農学博士(東京帝国大学、1938年)。専門は発酵化学。 長野県下伊那郡根羽村生まれ。1919年旧制第二高等学校卒業、1922年東京帝国大学農学部農芸化学科卒業。東京帝大の助手から、1924年京都帝国大学農学部助教授、欧米留学から1927年に帰国後、1929年同教授、1960年退官、名誉教授。1963年から1965年まで日本農芸化学会会長を務める。1982年日本学士院会員選出。著作に「酵素化学工業」などがある。 乳酸菌の生化学、ラセミアーゼの発見、醱酵菌類によるビタミンB2関連物質の生産、有機発酵酸及び微生物の代謝に関する研究、繊維原料の発酵精錬に関する研究などで業績を上げた。
内田 亨(うちだ とおる、1897年8月24日 - 1981… 内田 亨(うちだ とおる、1897年8月24日 - 1981年10月27日)は、日本の動物学者。北海道大学 名誉教授。学位は理学博士(東京帝国大学・1923年)。専門は動物分類学など。ウチダザリガニの献名者としても知られる。 1897年(明治30年)8月24日:静岡県生まれ。東京帝国大学理学部卒業。1923年(大正12年)4月、日本動物学会の機関誌「動物学雑誌」の編集委員のひとりであった江崎悌三が九州に異動となり、編集委員会は、岸田久吉、内田 亨の2名体制になったが年末に平岩馨邦が新たに加わり3名体制になった。1924年(大正13年)度末の日本動物学会評議員会の席で、1923年(大正12年)末に編集委員となった平岩馨邦が辞職を申し出たが入れられず、かわりに岸田久吉が勇退することになった。
橋爪 檳榔子(はしづめ びんろうじ、1897年8月17日 -… 橋爪 檳榔子(はしづめ びんろうじ、1897年8月17日 - 1963年11月8日)は、日本の医師、薬学者、日本における医療評論家の先駆者とされる。本名は恵(めぐみ)。男性。 長野県松本市出身。弟に橋爪健、橋爪克巳(1903-1983)がいる。1922年東京帝国大学医学部薬学科卒、1927年千葉医科大学卒。三共製薬社員、別府化学薬品代表、日本薬学会編集主任。川端康成の友人。
黒田 正夫(くろだ まさお、1897年(明治30年)7月2日… 黒田 正夫(くろだ まさお、1897年(明治30年)7月2日 - 1981年(昭和56年)7月10日)は、日本の登山家、工学博士。大同工業大学名誉教授、理化学研究所名誉研究員、日本金属学会、日本応用物理学会、雪氷学会名誉会員。 1897年東京府で出生。旧制高千穂中学校(第2回)卒業、1922年東京帝国大学冶金学科卒業。 1938年「軟鋼の降服点発生機構」により工学博士の学位を受ける。1954年地球物理及び鋳物の国際会議に出席のためイタリア及び瑞独英仏を視察。合金の色軟鋼の力学的性質金属の破壊機構溶接の強さ防弾鋼板の弾撃耐力積雪等の研究に成果を挙げ、日本機械金属応用物理鉄鋼雪水古事記その他諸学会に属す。
篠田 英雄(しのだ ひでお、1897年6月27日 - 198… 篠田 英雄(しのだ ひでお、1897年6月27日 - 1989年12月26日)は、日本の哲学者、翻訳家。 1897年、千葉県で生まれた。東京帝国大学哲学科で学び、卒業。1934年、在日中のブルーノ・タウトと相識り、以降交流を続けた。1938年のタウト没後にエリカ・タウト夫人から日本に関する著書、日記の原稿を託され、その整理と翻訳に当たった。 また岩波文庫版のカントの主著、クラウゼヴィッツ『戦争論』など、重版し読み継がれる訳業を行った。『岩波西洋人名辞典』(岩波書店 1956、新版1981)のいくつかの項目も執筆している。
松井三雄(まつい みつお、1897年6月21日 - 1983… 松井三雄(まつい みつお、1897年6月21日 - 1983年3月19日)は、日本の教育心理学者。東京大学名誉教授。 山口県美祢郡出身。1923年東京帝国大学文学部心理学科卒。体育研究所、東京文理科大学教授、東京大学教授、1961年定年退官、名誉教授、日本大学教授、鶴川女子短期大学学長。1983年退任。日本学術会議会員。 体育心理学、スポーツ心理学のほか、音楽教育についても研究した。
徳川 宗敬(とくがわ むねよし、旧字体:德川 宗敬、1897… 徳川 宗敬(とくがわ むねよし、旧字体:德川 宗敬、1897年(明治30年)5月31日 - 1989年(平成元年)5月1日)は、日本の林学者、陸軍軍人、政治家、教育者、神職。階級は陸軍少尉。位階は従三位。勲等は勲一等。爵位は伯爵。最終学歴は東京帝国大学農学部林学科卒業。学位は農学博士(東京帝国大学)。
田中 誠二(たなか せいじ、1897年5月30日 - 199… 田中 誠二(たなか せいじ、1897年5月30日 - 1994年12月23日)は、日本の法学者。専門は商法。学位は、法学博士(東京帝国大学・論文博士・1939年)。一橋大学名誉教授。初代一橋大学法学部学部長を歴任。1981年12月12日より日本学士院会員。授勲勲二等瑞宝章。 指導学生等に堀口亘(一橋大学名誉教授)、好美清光(一橋大学名誉教授)、吉永榮助(一橋大学名誉教授)、加美和照(中央大学名誉教授)などがいる。 田中ゼミ出身者に堀口亘(一橋大学名誉教授)、好美清光(一橋大学名誉教授)、並木俊守(元日本大学教授、人気弁護士)、加美和照(中央大学名誉教授)、原茂太一(元青山学院大学教授)、佐藤節子(元青山学院大学教授)、柿沼幸一郎(元公正取引委員会委員)、岡村勲(元日本弁護士連合会副会長)、倉島研二(元法務省法務総合研究所教官)など。
山極 一三(やまぎわ かずみ、1897年(明治30年)4月2… 山極 一三(やまぎわ かずみ、1897年(明治30年)4月26日- 1968年(昭和43年)5月19日)は、日本の医学者、生理学者、脳波研究者。医学博士。 日本人初の脳波研究者である。ただし帰国後は脳波研究からは手を引く。興奮伝導に関する理論研究に専念した。 東京高等歯科医学校(後の東京医科歯科大学)教授を務めた。 長野県小県郡西塩田村で出生、2,3才の頃東京に移る。大正4年に東京府立第三中学校を卒業、大正8年に第一高等学校を卒業、大正13年に東京帝国大学医学部医学科を卒業。昭和6年12月から橋田邦彦研究室の助教授を務めた。橋田門下での最優秀の学者と評される。 昭和8年、ヨーロッパへ留学。昭和11年まで主にケンブリッジ大学のエドガー・エイドリアン(1932年ノーベル生理学賞受賞)の下でヒト頭皮上計測脳波黎明期の研究に従事した。
佐々木 道雄(ささき みちお、1897年4月16日 - 19… 佐々木 道雄(ささき みちお、1897年4月16日 - 1996年2月2日)は、日本の経営学者。 三重県出身。三高を経て1920年東京帝国大学経済学部卒。同大助手となり、同年経済学士を取得、1923年より助教授、1925年ベルリン高等商業学校留学。 1951年「アメリカのFinancial Mathematics」で東京大学経済学博士。明治大学商学部教授。1969年定年、名誉教授、和光大学教授を務めた。98歳まで生きた。
永田 年(ながた すすむ、1897年(明治30年)4月5日 … 永田 年(ながた すすむ、1897年(明治30年)4月5日 - 1981年(昭和56年)12月31日)は、昭和時代の土木工学者、台湾総督府官僚、内務官僚、実業家。 福岡県出身。1922年(大正11年)東京帝国大学工学部土木工学科卒業。台湾総督府、内務省土木局、満州国交通部を経て、電力界へ転じ東北振興電力および日本発送電にて勤務する。1951年(昭和26年)北海道電力副社長、1952年(昭和27年)電源開発理事を経て、1953年(昭和28年)佐久間発電所建設所長を兼務する。ついで、1957年(昭和32年)土木部長、1960年(昭和35年)電源開発顧問を経て、東京電力技術最高顧問に就任した。 ほか、国際大ダム会議副総裁、日本大ダム会議会長、日本ACI会長などの要職を歴任した。
我妻 榮(わがつま さかえ、1897年〈明治30年〉4月1日… 我妻 榮(わがつま さかえ、1897年〈明治30年〉4月1日 - 1973年〈昭和48年〉10月21日)は、日本の法学者。専門は民法。学位は法学博士(東京大学)、東京大学名誉教授、米沢市名誉市民。文化勲章、贈従二位(没時叙位)・贈勲一等旭日大綬章(没時叙勲)。憲法改正に伴う家族法大改正の立案担当者の一人。鳩山秀夫に師事。弟子に有泉亨、川島武宜、四宮和夫、幾代通、加藤一郎、鈴木録彌、星野英一、西原道雄など。 山形県米沢市出身。英語教師の父・又次郎と家計のたしにするため、自宅で中学生相手に国・漢・数学を教えた母・つるの長男として生まれる。5人の子における唯一の息子であったため、父母を安心させなければという気持ちから一心に勉強に励んだ。
我妻 榮(わがつま さかえ、1897年〈明治30年〉4月1日… 我妻 榮(わがつま さかえ、1897年〈明治30年〉4月1日 - 1973年〈昭和48年〉10月21日)は、日本の法学者。専門は民法。学位は法学博士(東京大学)、東京大学名誉教授、米沢市名誉市民。文化勲章、贈従二位(没時叙位)・贈勲一等旭日大綬章(没時叙勲)。憲法改正に伴う家族法大改正の立案担当者の一人。鳩山秀夫に師事。弟子に有泉亨、川島武宜、四宮和夫、幾代通、加藤一郎、鈴木録彌、星野英一、西原道雄など。 山形県米沢市出身。英語教師の父・又次郎と家計のたしにするため、自宅で中学生相手に国・漢・数学を教えた母・つるの長男として生まれる。5人の子における唯一の息子であったため、父母を安心させなければという気持ちから一心に勉強に励んだ。
馬場 敬治(ばば けいじ、1897年(明治30年)3月22日… 馬場 敬治(ばば けいじ、1897年(明治30年)3月22日 - 1961年(昭和36年)8月10日)は、日本の昭和期の経営学者である。 東京大学名誉教授、千葉工業大学元学長。大正15年7月10日の日本経営学会創立会議に臨席する。人間関係論にもとづく経営学理論をとなえ、組織論の基礎を確立した。
久保 岩太郎(くぼ いわたろう、1897年3月13日 - 1… 久保 岩太郎(くぼ いわたろう、1897年3月13日 - 1980年4月29日)は、日本の法学者。専門は国際私法。学位は、法学博士(東京大学・論文博士・1953年)。一橋大学名誉教授。山口弘一の弟子。 香川県木田郡十河村(現高松市)生まれ。1916年旧制香川県立高松中学校(現香川県立高松高等学校)卒業、1919年旧制山口高等商業学校(現山口大学経済学部)卒業。1923年東京商科大学(現一橋大学)卒業。論争を機に交流のあった江川英文との縁で、1953年東京大学より法学博士の学位を取得。 大学院の指導学生に秌場準一(一橋大学名誉教授)、海老澤美廣(元名古屋高等裁判所判事、元青山学院大学教授)。 1923年4月関西学院大学高等商業学部教授、1938年東京商科大学附属商学専門部教授兼東京商科大学講師、1940年東京商科大学教授兼任、1949年東京商科大学教授、1951年一橋大学法学部教授、1955年から1957年まで一橋大学法学部長及び評議員。
平野 義太郎(ひらの よしたろう、1897年3月5日 - 1… 平野 義太郎(ひらの よしたろう、1897年3月5日 - 1980年2月8日)は、日本のマルクス主義法学者、中国研究者、平和運動家。