段 勲(だん いさお、1947年〈昭和22年〉8月24日 -… 段 勲(だん いさお、1947年〈昭和22年〉8月24日 - )は、日本のフリーライター。宮城県出身。東洋大学文学部卒。 『週刊ポスト』記者を経て、創価学会批判の記事を週刊誌に投稿することで有名となった。日蓮正宗の創価学会破門の際には積極的に記事を書き、反創価学会ライターとして創価学会から厳しく批判された。実兄の高橋公純は日蓮正宗の僧侶であり、自身も日蓮正宗信徒である。また一時期創価学会の会員であった事を自身の著書「創価学会・公明党の研究」で公表している。この他、社会関連、健康関連、宗教関連の著作がある。現在は『Forum21』を中心に執筆を進めている。段勲の著書によれば、大学卒業後アメリカ放浪体験があり、アメリカ人の友人も多いという。
熊谷 俊範(くまがい としのり、1947年8月5日 - 20… 熊谷 俊範(くまがい としのり、1947年8月5日 - 2010年3月14日)は、日本の実業家、発明家。エイブルコーポレーション及びシングルロケ運営会社シティレジャーの創業者。日本アミューズメントマシン協会(JAMMA)理事、アミューズメントビジネス研究会(ABSG)会長などを歴任。JAMMA役員として倫理部会長、消費・流通部会長及び流通委員長、AMショー委員などを務めた。 1947年(昭和22年)8月5日、樺太泊居郡泊居町に4人兄弟の末っ子として出生。熊谷家は祖父の代から樺太に渡り、山や海での権利を持つ樺太きっての豪商であった。常時ロシア人の従業員が数百人働いており、商売も繁盛し、生活も豊かだった。
会田 照夫(あいだ てるお、1947年6月5日 - 2021… 会田 照夫(あいだ てるお、1947年6月5日 - 2021年2月22日)は、埼玉県春日部市出身のプロ野球選手(投手)。アンダースロー投手であった。 子は3男で、エコノミストの会田卓司、プロ野球選手の会田有志(三男)がいる。 小学6年から野球を始め、中学3年の時に遊撃手から投手に転向。 上尾高等学校ではエースとして1964年秋季関東大会に進むが、1回戦で市銚子高に延長10回サヨナラ負け。翌1965年夏の甲子園県予選でも準々決勝に進出するが、大宮高校に敗退し甲子園出場はならなかった。高校の1年上に山崎裕之、同期に江田幸一がいる。 卒業後は高校時代の監督である野本喜一郎に引き連れられ、当時は東都大学野球リーグ二部に低迷していた東洋大学に進学。
山田 利明(やまだ としあき、1947年6月2日 - )は、… 山田 利明(やまだ としあき、1947年6月2日 - )は、中国哲学・道教学者、東洋大学名誉教授。 1947年、東京都で生まれた。東洋大学文学部中国哲学科で学び、1971年に卒業。同大学大学院に進み、修士課程修了。大正大学大学院博士課程に進み、1976年に満期退学。修了後は、大正大学文学部助手に採用された。1983年から1984年まで、カリフォルニア大学バークレー校客員研究員。1986年に東洋大学文学部講師となり、1990年に助教授、1997年に教授昇格。2018年名誉教授。 1995年、学位論文『六朝における道教儀礼の研究』を大正大学に提出して文学博士号を取得。
中島 信子(なかじま のぶこ、1947年3月25日 - )は… 中島 信子(なかじま のぶこ、1947年3月25日 - )は、日本の児童文学作家。 長野県大町市出身。子供の頃は、父親の仕事の都合で転校を多く経験した。東洋大学短期大学部進学。大学在学中に山本和夫に師事。また学内にメルヘン研究会を設立する。卒業後は、中学生向けの学習雑誌の編集者や、児童文学者協会事務局員を勤める傍ら、同人誌『トナカイ村』などに作品を投稿する。 後に創作活動に入り、1970年、「薫は少女」で第2回北川千代賞佳作を受賞し、デビュー。現代の社会を背景に、少女時代の揺れ動く心を生き生きと描いて、同世代の読者の共感を呼んだ。 2000年以降、長編の執筆から離れていたが、数年前からフードバンクの活動に関わり、その中で、子どもの貧困の現実を目の当たりにする。
高橋 重宏(たかはし しげひろ、1947年2月18日 - 2… 高橋 重宏(たかはし しげひろ、1947年2月18日 - 2011年12月8日)は、日本の福祉学者。東洋大学教授・日本社会事業大学学長などを歴任。 島根県江津市生まれ。島根県立江津高等学校を経て、1969年東洋大学社会学部応用社会学科社会福祉専攻卒業。1971年同大学院社会学研究科社会福祉専攻修士課程修了、1974年同博士課程満期退学。1986年「家族関係の健康化に関する研究」で東京大学より保健学博士の学位を取得。1973年淑徳短期大学助手、1974年専任講師、1979年関東学院大学専任講師、1981年駒澤大学文学部専任講師、1982年助教授、1988年教授となる。1999年日本社会事業大学教授。
斎藤 幸子(さいとう さちこ、米倉(よねくら)に改姓、194… 斎藤 幸子(さいとう さちこ、米倉(よねくら)に改姓、1947年1月15日 - 2000年7月26日 )は、日本のスピードスケート選手。広島県出身。 東洋大学在学時の1968年グルノーブルオリンピックでは500m途中棄権、1000m26位、1500m18位。 三協精機入社後の札幌オリンピックでは500m9位、1000m18位だった。 全日本スピードスケート選手権大会では第33回、第37回、第38回、第40回と4度総合優勝。
阿修羅・原(あしゅら・はら、本名:原 進 / はら すすむ、… 阿修羅・原(あしゅら・はら、本名:原 進 / はら すすむ、1947年1月8日 - 2015年4月28日)は、日本のプロレスラー。長崎県北高来郡森山町(現・諫早市)出身。ラグビーの日本代表を経てプロレスに転向し、国際プロレスや全日本プロレスで活躍していた。 中学時代は柔道、諫早農業高校では当初は相撲に打ち込んでいたが、高校2年にラグビーに転向。この時からラグビー選手として頭角を現した。高校卒業後に上京し東洋大学を経て、拠点を東京から一旦大阪に移して1969年に近畿日本鉄道(近鉄)に入社。近鉄では入社数年後に駅係員として勤務していた実績がある。また、入社と同時に近鉄ラグビー部に所属した。 近鉄時代の1970年に日本代表に選出され、同年3月22日の秩父宮ラグビー場におけるブリティッシュ・コロンビア州代表戦でNO8として初キャップを獲得した。
中田 丑五郎(なかた うしごろう、1947年(昭和22年)1… 中田 丑五郎(なかた うしごろう、1947年(昭和22年)1月1日 - )は、日本の政治家。元徳島県勝浦町長(3期)。父は元勝浦町長である中田森蔵。 徳島県出身。1971年(昭和46年)、東洋大学法学部卒業。大学卒業後、同年に社団法人徳島県林業公社に入社。 1999年(平成11年)7月に勝浦町議会議員に当選。2003年(平成15年)6月、勝浦町助役に就任。 2006年(平成18年)2月、勝浦町長に当選。その後、2010年(平成22年)と2014年(平成26年)も当選3期を務める。 2018年(平成30年)1月28日の勝浦町長選挙では新人の野上武典に敗れ落選した。 2022年、旭日双光章受章。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
細川 昌俊(ほそかわ まさとし、1947年 - )は、香川県… 細川 昌俊(ほそかわ まさとし、1947年 - )は、香川県出身の実業家、元アマチュア野球選手。 香川県立志度商業高等学校ではエースとして活躍。1964年秋季四国大会県予選では準決勝に進むが、丸亀商に敗退。1965年ドラフト会議でサンケイスワローズに8位指名を受けるが拒否。 東洋大学に進学し外野手に転向。当時の東洋大は東都大学野球リーグ二部に低迷していたが。同期のエース会田照夫の好投もあり1966年秋季リーグで二部優勝。入替戦で芝工大を降し、5年ぶりに1967年春季リーグから一部昇格を果たす。しかし一部優勝には届かず、1968年春季リーグの3位が最高成績であった。1968年秋季リーグでは、専大の芝池博明から神宮球場バックスクリーン越えの本塁打を放ち注目を集める。
峯岸 照恭(みねぎし てるやす、1947年〈昭和22年〉- … 峯岸 照恭(みねぎし てるやす、1947年〈昭和22年〉- )は、日本の紙芝居師。元、千葉県松戸市職員。埼玉県三郷市出身。 東洋大学第2文学部教育学科を卒業後、1966年(昭和41年)に松戸市役所入庁。2002年(平成14年)に地域おこしの一環として紙芝居のコンテスト事業を提案したことがきっかけで、大阪府の紙芝居師である「ヤッサン」こと安野侑志を知って紙芝居師を志し、安野に師事する。2004年(平成16年)に人前で紙芝居を披露。 2008年(平成20年)に定年退職後、財団法人松戸みどりと花の基金の理事長職2年間を経て、2010年(平成22年)春にプロの紙芝居師となり、安野の弟子たちとともに「大江戸ヤッサン一座の紙芝居東京事務所」を設立。
高田 文之(たかだ ふみゆき、1946年(昭和21年)10月… 高田 文之(たかだ ふみゆき、1946年(昭和21年)10月6日 - 2013年(平成25年)1月24日)は、北海道を中心に活動していたローカルタレント・歌手。本名での活動も一部行っていたが、一般的には愛称「Mr.デーブマン(ミスターデーブマン)」で知られている。 東洋大学社会学部応用社会学科社会心理学専攻卒業。身長168cm、体重80kg。元々は札幌の有線放送会社の社員だったが、番組への出演をきっかけに地元放送局HBC(北海道放送) へ出向。その後、会社を辞してタレントに転向した。 愛称のデーブマンとは、その体型から来たものとも、デビルマン(小悪魔)に由来する意味も含まれているとも言われている。
清水 義和(しみず よしかず、1946年7月 - )は、日本… 清水 義和(しみず よしかず、1946年7月 - )は、日本の演劇研究・評論家、愛知学院大学名誉教授。 岐阜県大垣市生まれ。1969年東洋大学英文科卒、77年立正大学大学院英文学博士課程満期退学。愛知学院大学教養部助教授、教授、客員教授を経て現在は名誉教授。国際寺山修司学会会長。日本英語音声学会副会長。韓国音声学会終身会員。名古屋演劇ペンクラブ会員。松原英治・若尾正也記念演劇賞審査委員。88年日本英語音声学会賞受賞。98年韓国音声学会奨励賞受賞。
田岡 明(たおか あきら、1946年5月11日 - )は、山… 田岡 明(たおか あきら、1946年5月11日 - )は、山形テレビ(YTS)の元アナウンサー。北海道美唄市出身。東洋大学卒業後、1970年の山形テレビ開局と共に入社。退社後はデジサポ山形にて顧問を務めた。 (以上は田岡がアナウンス部在籍当時の部下) この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
蓮見 敏男(はすみ としお、1946年4月22日 - )は日… 蓮見 敏男(はすみ としお、1946年4月22日 - )は日本の実業家。マルエツ代表取締役副社長、ダイエー代表取締役社長、富士ソフト代表取締役副会長などを歴任した。 埼玉県出身。1969年東洋大学経済学部卒業、主婦の店ダイエー(現ダイエー)入社。企画部門や財務を長く担当し、1989年取締役に昇格。1994年マルエツ代表取締役副社長。1999年ダイエー常務取締役。2004年からダイエー代表取締役社長を務め、産業再生機構による支援企業決定までの間、福岡ダイエーホークスの株式のソフトバンクへの売却などを進めた。2005年富士ソフト副社長。2006年富士ソフト取締役副社長。2007年富士ソフト代表取締役副社長。
四代目 桂 文字助(かつら もじすけ、1946年〈昭和21年… 四代目 桂 文字助(かつら もじすけ、1946年〈昭和21年〉2月13日 - 2021年〈令和3年〉10月16日)は、東京都江東区出身の落語家。本名∶松田 治彦。出囃子は『外記猿』。「落語立川流きっての武闘派」「相撲噺のスペシャリスト」と評される。 神奈川県立神奈川工業高等学校卒業。噺家になる前は「デン助劇団」の役者を志し、松竹演芸場の裏方をしていた。 1964年4月、六代目三升家小勝に入門。「三升家勝松」を名乗る。前座時代の1966年5月15日、『笑点』(日本テレビ)の初代座布団運びとして、1967年1月22日まで出演。これにより七代目立川談志と繋がりができる。 1968年5月に二ツ目昇進。1971年に師匠・小勝が死去したため七代目立川談志門下に移り「立川談平」と改名。
新海 丈夫(しんかい たけお、1946年1月15日 - )は… 新海 丈夫(しんかい たけお、1946年1月15日 - )は、日本の俳優。長野県出身。いくよ事務所所属。劇団NLT出身。身長175cm。東洋大学卒業。 刑事ドラマなどで悪役を演じた。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
松園 俊志(まつぞの しゅんし、1946年-2019年)は、… 松園 俊志(まつぞの しゅんし、1946年-2019年)は、日本の観光学者。東洋大学名誉教授。日本国際観光学会(JAFIT)会長。2015年会長退任。2017年東洋大学教授を定年退職。東洋大学名誉教授に就任。
本間 明生(ほんま あきお、1945年8月31日 - )は、… 本間 明生(ほんま あきお、1945年8月31日 - )は、日本の経営者。角川書店社長を務めた。 新潟県出身。1968年に東洋大学経済学部を卒業し、同年に日教販に入社。 1970年に角川書店に転じ、1996年に取締役に就任し、2003年4月に常務、2004年6月に専務を経て、2005年4月に社長兼COOに就任。2008年4月に取締役相談役に就任。
粟津 號(あわづ ごう、1945年6月18日 - 2000年… 粟津 號(あわづ ごう、1945年6月18日 - 2000年3月15日)は、日本の俳優。本名は粟津 祐教(あわづ ゆうきょう)。秋田県男鹿市出身。東洋大学法学部卒業。妻は詩人の船木倶子。 日活ロマンポルノの初期から後期にかけて活躍した男優の一人である。 浄土真宗大谷派貴栄山・円応寺の住職で歌人としても活躍した粟津祐逸(1915-1973 俳号・爽明)の長男として生まれる。 船越中学校3年生のとき、東映教育映画『なまはげ』に、地元中学生3000人の中から選ばれ主演した。1961年、県立秋田高等学校入学。1964年、父の母校・東洋大学法学部へ入学する。クラブは吟詠会に所属。 卒業後、寺を継ぐつもりでいたが、「男なら中央で活躍してみろ。
酒井 勲(さかい いさお、1945年2月28日 - 202… 酒井 勲(さかい いさお、1945年2月28日 - 2024年7月20日)は、日本の経営者。八千代銀行頭取を務めた。 東京都出身。1968年に東洋大学経済学部を卒業し、同年4月に八千代信用金庫(のちの八千代銀行)に入社した。取締役、常務、専務を経て、2007年6月に副頭取に就任し、2010年6月には頭取に昇格。2014年10月から2016年4月までに東京TYフィナンシャルグループ会長を務めた。 2024年7月20日、死去。79歳没。
降幡 賢一(ふりはた けんいち、1945年〈昭和20年〉- … 降幡 賢一(ふりはた けんいち、1945年〈昭和20年〉- )は、日本の元新聞記者。1989年(平成元年)朝日新聞珊瑚記事捏造事件での記事を書いたことで知られる。 長野県諏訪郡下諏訪町出身。諏訪清陵高校、東洋大学社会学部を経て、東京大学新聞研究所を中退した。1969年、朝日新聞社に入社した。2010年に退社後、日本エッセイスト・クラブ理事、東京経済大学講師を務めた。 1995年のオウム真理教事件以来、オウム事件関連裁判を長期に渡って傍聴し続け、『オウム法廷』シリーズとして連載・発表した。新実智光は降幡を意識した発言をしたことがある。
宮川 八岐(みやがわ やき、1945年- )は、日本の教育者… 宮川 八岐(みやがわ やき、1945年- )は、日本の教育者、教育学者。 北海道生まれ。1969年東洋大学文学部国文科卒、埼玉県公立小学校教員、1989年埼玉県草加市立小山小学校教頭、1991年草加市教育委員会学務課課長補佐、1992年埼玉県草加市立氷川小学校校長、1994年文部省初等中等教育局教科調査官、2000年文部科学省初等中等教育局視学官(教科調査官併任)2004年独立行政法人国立妙高少年自然の家所長、2005年日本体育大学体育学部教授、2009年國學院大學人間開発学部教授。2015年退職。
佐藤正明(さとう まさあき、1944年12月23日- )は、… 佐藤正明(さとう まさあき、1944年12月23日- )は、日本のノンフィクション作家。 山形県生まれ。東洋大学卒。日本経済新聞に入り記者として活躍。1982年「トヨタ・GM提携交渉に関する特報」で、新聞協会賞(ニュース部門)を受賞。1996年『ホンダ神話』で大宅壮一ノンフィクション賞受賞。自動車業界の内幕もので知られる。
天の 夕づる(てんの ゆうづる、1944年9月15日 -)は… 天の 夕づる(てんの ゆうづる、1944年9月15日 -)は、日本の元講談師。ポルノ講談を演じて講談界が紛糾し分裂する騒動を引き起こした。 東京都足立区北千住出身。東洋大学国文学科(第2部)を卒業後、東京教育大学附属聾学校の教員となる。 1969年、教員を続けながら田辺一鶴の門下となり、田辺夕鶴と名のって艶っぽい声や色気を前面に押し出したポルノを主題とした芸風で評判となる。師の一鶴は「面白い。薦めはしないけどやってみろ」と許可を出す。 1971年12月、教員の職を辞し講談師に専念する。 1973年2月、二代目 神田山陽の預かりとなり、天の夕づると改名する。 1973年5月、本牧亭の高座に布団を持ち込み、襦袢をはだけ肌を露出し淫靡にふるまった芸風が問題となり、講談協会の分裂騒動を引き起こす。
上垣内 誠(かみごうち まこと、1944年6月30日 - )… 上垣内 誠(かみごうち まこと、1944年6月30日 - )は、広島市出身の元プロ野球選手(外野手・内野手)。
澤 好摩(さわ こうま、本名:澤孝(さわ たかし)、1944… 澤 好摩(さわ こうま、本名:澤孝(さわ たかし)、1944年5月22日 - 2023年7月7日)は、俳人。 東京都城東区(現江東区)生まれ。1963年、東洋大学在学中に俳句研究会に参加。翌年に坪内稔典らと全国学生俳句連盟を結成。「いたどり」「青玄」「草苑」を経て1968年に坪内稔典、攝津幸彦らと同人誌「日時計」創刊(1974年終刊)。1971年、折笠美秋の誘いで「俳句評論」に参加し高柳重信に師事。また「俳句研究」編集に携わる。1973年、「俳句研究」第1回五十句競作にて佳作第一席。1978年、夏石番矢、林桂らと同人誌「未定」を創刊(1990年退会)。1991年「円錐」創刊、編集発行人を務める。
三浦 信由(みうら のぶよし、1944年5月11日 - )は… 三浦 信由(みうら のぶよし、1944年5月11日 - )は、日本の陸上競技(中距離走)選手。旧姓:松田。 大分県宇佐郡院内村景平(現在の宇佐市院内町景平)出身。陸上競技を行っていた3歳上の兄に刺激され、小学校5年生の時に陸上競技を始める。院内町立竜東中学校3年生のとき、全国中学校放送陸上競技大会に出場し3000m競走で優勝、大分県中学校駅伝会では宇佐郡チームの優勝に貢献。駅伝の強豪であった大分県立四日市農業高等学校(現在の大分県立宇佐産業科学高等学校)に進学し、1962年(昭和37年)には全国高等学校駅伝競走大会に大分県代表として出場した。 大分県陸上競技協会理事長であった池中康雄(東洋大学出身)の勧めで東洋大学に入学。
石水 勲(いしみず いさお、1944年〈昭和19年〉5月4日… 石水 勲(いしみず いさお、1944年〈昭和19年〉5月4日 - 2021年〈令和3年〉9月26日)は、日本の実業家、経営者。石屋製菓名誉会長。 北海道札幌市の製菓メーカー石屋製菓の創業者である石水幸安の長男にあたる。また、元北海道放送所属のアナウンサー・山田泰子は義娘である(長男の妻)。 関東州大連市生まれ。戦後日本に引き揚げ、広島県広島市、北海道深川市、札幌市で育つ。北海道札幌工業高等学校を経て東洋大学経済学部経営学科を卒業後、1967年(昭和42年)に実父・幸安が経営する石屋製菓に入社。入社後は、仕事の後に菓子職業訓練校に入り、菓子作りを学んだ。専務などを経て1980年(昭和55年)に代表取締役社長に就任。
高野 紀元(たかの としゆき、1944年2月 - )は、東洋… 高野 紀元(たかの としゆき、1944年2月 - )は、東洋大学理事、日本郵便監査役、伊藤忠商事顧問。日本の外交官。
割田 剛雄(わりた たけお、1944年 - )は、栃木県出身… 割田 剛雄(わりた たけお、1944年 - )は、栃木県出身の日本の仏教研究者。書籍編集者。東京ライフデザインアカデミー主任講師。 1944年、栃木県に生まれる。 1967年、東洋大学文学部仏教学科卒業。 1972年、東洋大学大学院文学研究科仏教学専攻博士課程満期退学。 1973年 国書刊行会に入社。編集長に就任したのち専務取締役を歴任。1992年、国書刊行会を退職し、有限会社国書サービスを設立し、代表取締役に就任した。 国書刊行会時代から、以下のような出版文化関連の表彰を受けた書籍の編集を担当している(太字は国書刊行会発行書籍)。 2004年 東京ライフデザインアカデミー主任講師に就任。「日本の伝統文化」「日本人の信心=神さま、仏さま、ご先祖さま」「暮らしになじむ日本仏教」などをテーマに講義をおこなっている。
宮本 勝彬(みやもと かつあき、1943年12月13日 - … 宮本 勝彬(みやもと かつあき、1943年12月13日 - )は、日本の政治家、教諭。元熊本県水俣市長(2期)。 熊本県熊本市出身。東洋大学文学部卒業。1967年(昭和42年)、中学校教諭として水俣市に赴任。小中学校の教諭、小中学校長を経て、2001年(平成13年)4月、市教育委員会教育長に就任した。 2003年(平成15年)、東亜道路工業の子会社のIWD東亜熊本が、市内山間部(同市長崎、同市湯出)に産業廃棄物処理施設建設を計画。同年5月11日に地元説明会を開催すると、これを契機として2004年(平成16年)6月、産廃反対の市民団体「水俣の命と水を守る市民の会」(以下、水の会)が発足。水の会は約2万人分の署名を集めて,反対運動を展開した。
谷口好市(たにぐち こういち、1943年11月29日 - )… 谷口好市(たにぐち こういち、1943年11月29日 - )は日本の実業家、ラオックス元社長。ラオックス創業者の谷口正治は父。 東京都出身。1966年に東洋大学経済学部卒業後、朝日無線電機(後のラオックス)入社。 戸塚店店長などをつとめた後、1976年に取締役、1981年に副社長を経て、1995年6月に代表取締役社長に就任。 パソコン販売の拡大などで、1998年10月には当時の通商産業大臣から表彰を受ける。他にも免税店事業への注力や、ホビー・エンタテインメント系専門店の新業態を立ち上げるなどしたが、経営不振のため2005年6月に社長を退く。社長退任後は取締役相談役、のちに相談役となった。 現在は朝日無線電機の代表取締役をつとめている。
清水浩昭(しみず ひろあき、1943年6月29日-2025年… 清水浩昭(しみず ひろあき、1943年6月29日-2025年5月18日)は、日本の社会学者、家族社会学者。一般社団法人新情報センター理事、長寿社会開発センター評議員、国立社会保障・人口問題研究所研究評価委員長。 専門は家族社会学・老年社会学・人口学。 東京市(現目黒区)生まれ。1966年明治大学政経学部政治学科卒業。1972年東洋大学大学院社会学研究科社会学専攻博士課程満期退学。1991年「高齢化社会と家族構造の地域性 人口変動と文化伝統をめぐって」で東洋大学社会学博士。1987年厚生省人口問題研究所人口動向研究部長、1992年流通経済大学社会学部教授。ほか、放送大学客員教授、大正大学非常勤講師、財団法人長寿社会開発センター研究情報部長、日本大学文理学部社会学科教授などを歴任。
上野 美記夫(うえの みきお、1943年1月20日 ‐ )は… 上野 美記夫(うえの みきお、1943年1月20日 ‐ )は、北海道函館市出身の元アマチュア野球選手・元アマチュア野球指導者。 北海道函館市で育ち、函館有斗高等学校では1番打者で遊撃手を務めた。 卒業後、富士製鉄室蘭に入団すると1年間プレーした。 1963年4月に東洋大学に入学したのと同時に20歳で函館大学付属有斗高等学校の監督に就任し、1998年3月に定年を迎えるまで35年間指導した。就任10年目の1972年、第4回明治神宮野球大会で監督として初の明治神宮野球大会出場を果たした(通算5度の出場で1勝5敗)。就任11年目の1973年、第45回選抜高等学校野球大会で監督として初の選抜高等学校野球大会出場を果たした(通算6度の出場で4勝6敗)。
鈴木 太郎(すずき たろう、1942年12月22日 - )… 鈴木 太郎(すずき たろう、1942年12月22日 - )は俳人。俳誌「雲取」主宰。本名は宏。 福島県生まれ。東洋大学文学部国文学科卒業。 1966年、加藤楸邨に師事、俳誌「寒雷」に入会(1970年、退会)。1970年、森澄雄に師事、「杉」創刊に参加。翌年、第1回杉賞を受賞。1984年、同人誌「晨」創刊に参加(1997年、退会)。1990年、超結社の勉強会「塔の会」に入会(その後、幹事)。1997年、「雲取」を創刊し、主宰。
神 太郎(じん たろう、1942年〈昭和17年〉8月31日 … 神 太郎(じん たろう、1942年〈昭和17年〉8月31日 - 2024年〈令和6年〉11月7日)は、日本の俳優、タレント、ディスクジョッキー、ナレーター。 福島県郡山市出身。東洋大学経済学部卒業。オフィス・トゥー・ワン所属。 父親は判事で、小学生時代まで福島県郡山市で過ごし、中学・高校時代は岩手県盛岡市で過ごす。 大学時代は放送研究会に所属。大学在学中から俳優として活動。 大学卒業後、落語家を志し立川談志に弟子入り。1年ほど修行を積むが、低音の声質が「落語家向きではない」と指摘され断念。1968年、ラジオ関東の深夜ラジオ番組『ヒット・ゴー・リーダーズ』のDJで芸能界デビュー。 芸名は、「神」という字が好きだったのと、神という字が日本的に見えたので名前も純日本風にということで「太郎」を選んで名付けた。
鈴木 誉志男(すずき よしお、1942年3月23日 - )は… 鈴木 誉志男(すずき よしお、1942年3月23日 - )は、茨城県那珂郡勝田町(現・ひたちなか市)出身の実業家。サザコーヒー創業者・会長。息子の鈴木太郎はサザコーヒー代表取締役社長。 1942年(昭和17年)3月23日に茨城県那珂郡勝田町(現・ひたちなか市)に生まれた。父親は勝田宝塚劇場の経営者だった鈴木富治。1964年(昭和39年)に東洋大学法学部法律学科を卒業。1966年(昭和41年)には株式会社東京楽天地に入社し、江東楽天地の興行プロデューサーとなった。1969年(昭和44年)に郷里に戻ると、勝田宝塚劇場の一角に7坪・15席の珈琲店 且座(さざ)を開店させた。専門雑誌でコーヒーの焙煎方法について学び、日本国外のコーヒー生産地を訪れて勉強に励んだ。
渋谷 俊彦(しぶや としひこ、1942年(昭和17年)2月2… 渋谷 俊彦(しぶや としひこ、1942年(昭和17年)2月28日 - )は、日本の政治家。初代鹿児島県出水市長(新市制、3期)、出水市長(旧市制、2期)、出水市議会議員(旧市制、4期)などを歴任した。 先祖は渋谷氏。(出水郷土史に因る)[要出典] 鹿児島県出水市出身。1967年(昭和42年)2月、東洋大学経済学部卒業。1968年(昭和43年)4月から1972年(昭和47年)12月まで池田清志衆議院議員の秘書を務めた。同年同月から1974年(昭和49年)3月まで自由民主党東京都連事務局職員および鯨岡兵輔衆議院議員の秘書を務めた。 1982年(昭和57年)11月から1995年(平成7年)3月まで旧出水市議会議員を4期務めた。
佐伯 守(さえき まもる、1942年 - )は、日本の哲学者… 佐伯 守(さえき まもる、1942年 - )は、日本の哲学者・法学者(法哲学)。元松山大学法学部教授。哲学・倫理学・法哲学専門。 松山市生まれ。東洋大学大学院博士課程満期退学、毎日新聞嘱託。横浜国立大学講師、琉球大学教育学部助教授、1989年松山大学法学部教授、2013年退職。
加瀬 忠(かせ ただし、1941年12月25日 - )は、日… 加瀬 忠(かせ ただし、1941年12月25日 - )は、日本の教育家、元陸上選手。元マドリッド日本人学校校長、元スペイン・フェリペII世大学翻訳学部PROFESOR。千葉県銚子市出身。 加瀬は、1961年箱根駅伝に憧れて東洋大学経済学部に入学し、現役時代はキャプテンとしてチームをまとめた。2年時には箱根駅伝にも出場している(第38回大会:8区区間7位)。その後、1966年~1974年、東洋大学陸上競技部箱根駅伝チームのコーチ、監督として黎明期の東洋大学箱根駅伝チームを佐々木秀幸と共に指導する。 1994年、文部省の派遣で、スペイン・マドリッド日本人学校校長として赴任し、在外教育施設の管理・運営にあたる。
市村俊和(いちむら としかず、1941年(昭和16年)12月… 市村俊和(いちむら としかず、1941年(昭和16年)12月12日 - )は、日本の武道家、合気道家。 1966年から1986年までスウェーデンに住み、同時期にスウェーデンで合気道を指導した。また、デンマークとフィンランドで責任者として、これら3カ国の居合道の発展に貢献し、フィンランドで初めて合気道の演武を行った。1977年に合気会6段、1969年に居合道で錬士6段を修めた。そして武道の教えに関連して、マクロビオティックと言霊についても指導を行った。 1957年に東京にある合気会本部道場で合気道をはじめ、西尾昭二師範に師事した。1961年、東洋大学に進学後、合気道部(当時同好会)の創立に関わる。
石見 利勝(いわみ としかつ、1941年(昭和16年)8月1… 石見 利勝(いわみ としかつ、1941年(昭和16年)8月14日 - )は、日本の政治家。兵庫県姫路市長(4期)。 父は元姫路市長の石見元秀。 6人きょうだいの第4子として兵庫県飾磨郡余部村(現・姫路市)に生まれる。余部村立余部小学校、姫路市立白鳥中学校、兵庫県立姫路西高等学校を経て、京都大学理学部宇宙物理学科、東洋大学工学部建築学科卒業。東京工業大学大学院に進学し、石原舜介研究室で都市計画を専攻。1973年、東京工業大学大学院理工学研究科博士課程を修了し、工学博士号を取得した。1974年より東京工業大学助手。1979年、建設省建築研究所主任研究員に着任し、1983年には同研究所第六研究部都市防災研究室長に就任した。
渡辺 信英(わたなべ のぶひで、1941年(昭和16年)7月… 渡辺 信英(わたなべ のぶひで、1941年(昭和16年)7月 - )は、日本の法学者。博士(社会福祉学)、東北福祉大学名誉教授、郡山東都学園学校長、仙台北学園学校長。公益財団法人仙台微生物研究所理事、全国保育士養成協議会常任理事。聖和学園短期大学学長 北海道函館市出身。北海道函館中部高等学校を経て、1970年に東洋大学大学院法学研究科博士課程を満期退学。1968年東北福祉大学の助教授に就任した。1979年に同教授となる。その後学生部長などを務め、1990年に社会福祉学部長、大学院社会福祉学研究科長、2002年、通信教育部が設置された際には、初代の通信教育部長も歴任した。 2008年に、総合福祉学部からスピンオフして設置された総合マネジメント学部長を兼務し、2009年4月より学長補佐、2015年4月より総合福祉学部長兼務解除の上で副学長に就任。
山本 信明(やまもと のぶあき、1941年5月 - )は新潟… 山本 信明(やまもと のぶあき、1941年5月 - )は新潟県北蒲原郡出身の日本の柔道家。 水原高校から東洋大学へ進学すると、釣込腰と大内刈のコンビネーションを武器に全日本学生柔道優勝大会などで活躍した。 卒業後は海外雄飛を夢見て、1970年にポルトガルへ旅立つと、さらにはヨーロッパやアフリカ各地でも柔道指導を行うようになった。1971年にユーゴスラビアのベオグラードに立ち寄った際にはレスリングのユーゴスラビアジュニア王者だったラドミール・コバセビッチを見出して柔道への転向を勧めると、コバセビッチは柔道選手となり、東海大学へ留学することになった。1973年にエジプトのアレクサンドリアで柔道指導を行った際には、YMCAでバスケットボールに取り組んでいたモハメド・ラシュワンを見出して柔道を勧めると、ラシュワンは柔道を始めた。
今上 益雄(いまがみ ますお、1941年 - )は、日本の法… 今上 益雄(いまがみ ますお、1941年 - )は、日本の法学者・弁護士。東洋大学名誉教授。 東京・深川生まれ。1964年司法試験合格後、1965年東洋大学法学部卒業。1965年同法学部助手、1969年同法学部専任講師、1973年同法学部助教授、その後、弁護士活動の傍ら立教大学非常勤講師、労働研修所非常勤講師、東京法経学院講師を兼任して、1982年東洋大学法学部教授に就任。1998年から2002年まで東洋大学法学部長を二期務めた。2002年から2004年まで東洋大学大学院法学研究科委員長。 2004年より東洋大学専門職大学院法務研究科法務専攻(東洋大学法科大学院)教授に就任し、2004年から2007年まで同法科大学院初代院長となる。
大塚 浩(おおつか ひろし 1940年12月12日 - )は… 大塚 浩(おおつか ひろし 1940年12月12日 - )は、東京都新宿区出身の元アナウンサー。 東洋大学経済学部経済学科卒業後、1964年4月に新潟放送へ入社。同期には上野勝、大倉修吾、平林勝芳がいる。 入社2ヶ月後の6月16日には新潟地震が発生するが、翌17日にラジオで放送された災害特別番組ではヘリコプターからの被害の状況を伝えた。 1979年には第5回アノンシスト賞ラジオCM部門で受賞。 別冊ラジオパラダイス「DJ名鑑」(1987年刊)には、「大洋ホエールズ、KUWATA BAND、井上陽水、ビートルズ、F1レースを徹底的に応援している」と紹介されている。 柔道初段(1988年の時点)。原子力発電所取材のために取得したという放射線業務従事者の資格を持っている。
宮寺 勝利(みやでら かつとし、1940年11月4日 - 2… 宮寺 勝利(みやでら かつとし、1940年11月4日 - 2025年5月20日)は、東京都目黒区出身のプロ野球選手(捕手)・解説者。 荏原高校では1958年に全国高等学校野球選手権東京大会で5回戦まで進出するが、明治高に敗退。高校卒業後は東洋大学に進学。東都大学リーグでは、高校同期の広沢忠雄(電電東京)とバッテリーを組み、1961年秋季二部リーグで優勝。入替戦で専大を降し、1962年春季リーグから一部リーグへの初昇格を果たす。同季は三沢今朝治(駒大)に次ぐ、リーグ2位の打率.409を記録し、ベストナイン(捕手)にも選出された。 大学卒業後の1963年に読売ジャイアンツへ入団するが、在籍中の公式戦出場は僅か32試合に留まった。
松本 寿昭(まつもと としあき、1940年(昭和15年)10… 松本 寿昭(まつもと としあき、1940年(昭和15年)10月1日 - )は、日本の社会学者、社会福祉学者。専攻は、自殺予防の社会学、社会病理学、高齢者の生きがい、育児・子育て論。 大妻女子大学名誉教授、日本自殺予防学会常務理事(1999.4-2015.9)。 愛媛県東宇和郡宇和町中川村杢所出身。(現愛媛県西予市宇和町杢所) 年間3万人前後という日本における自殺予防の方法論の確立に向けた研究に取り組んでいる。特に、社会学・社会福祉学の方法論を駆使し、地域での実証的な研究に早くから取り組む(この分野の論文・著書多数)。また、子どものいじめ・自殺問題を無くすための方法を育児・子育てのあり方に着目し、母親との面接や実態調査を踏まえ検討している。
井出 共治(いで ともはる、1940年 - 2010年)は、… 井出 共治(いで ともはる、1940年 - 2010年)は、日本の建築家。斜面開発を得意とし「斜面の魔術師」の異名を持つ。1972年、株式会社SUM建築研究所を設立し斜面地を有効に活用した数々の建築を手掛ける。 葉山ハートセンターで2000年グッドデザイン賞金賞(建築環境デザイン部門)と、2001年医療福祉建築賞を受賞。2004年湯河原のリゾートマンションでグッドデザイン賞を受賞。また中国にて2004年アジア住居環境計画設計アイデア賞を受賞。2013年神奈川県川崎市のマンションヒルサイド久末で日本建築家協会25年賞を受賞。 「デザインには意味と意思がある」が彼の口癖であった。東京都生まれ。 東京雑司ヶ谷に生まれる。