中野 収(なかの おさむ、1933年4月26日 - 2006… 中野 収(なかの おさむ、1933年4月26日 - 2006年1月14日)は、日本の社会学者、法政大学名誉教授。
法政大学:186人
中野 収(なかの おさむ、1933年4月26日 - 2006… 中野 収(なかの おさむ、1933年4月26日 - 2006年1月14日)は、日本の社会学者、法政大学名誉教授。
角瀬保雄(かくらい やすお、1932年7月30日 - 202… 角瀬保雄(かくらい やすお、1932年7月30日 - 2021年8月2日)は、日本の会計学者。法政大学名誉教授。 東京生まれ。1956年早稲田大学第一商学部卒、明治大学大学院修了。96年「現代会計基準論」で京都大学より経済学博士の学位を取得。法政大学経営学部助教授、教授。2003年定年、名誉教授、2003-10年共同総合研究所いのちとくらし研究所理事長。
高橋 彦博(たかはし ひこひろ、1931年3月24日 - )… 高橋 彦博(たかはし ひこひろ、1931年3月24日 - )は、日本の政治学者。法政大学名誉教授。法政大学大原社会問題研究所嘱託研究員。研究テーマは日本現代史・政治史、社会労働運動史、日本の社会民主主義。 学派としては学部指導教授だった増島宏、大学院の指導教授だった中村哲に連なる。 長年にわたり日本共産党の「党員知識人」であったが、著書『左翼知識人の理論責任』の出版後、一方的に除籍される。以降は同時期に除籍となった加藤哲郎、後房雄とともに日本共産党批判の急先鋒に立つ。 また研究・指導活動のみならず、1984年の法政大学キャンパス移転の際には、社会学部学部長として学内の調整、移転反対勢力との交渉に尽力し、『法政大学百二十年史』の編集委員も務めた。
春田 一夫(はるた かずお、1931年3月 - )は、日本の… 春田 一夫(はるた かずお、1931年3月 - )は、日本の法学者。専門は債権総論(民法)。弁護士。元九州国際大学学長。 ドイツ民法の研究で知られる。フライブルク大学では民法学の権威フリッツ・リットナー博士に師事を受けた。1978年9月八幡大学で開催されたリットナー博士の学術講演会で通訳を務めた。 学外活動として九州法学会理事、北九州市商工会議所法律相談員、新日鉄労組法律相談員を務めた。他に民法の代理の研究から権利取得授権を元に第三者のためにする契約の法理を構築した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
遠藤孝(えんどう たかし、1930年8月5日 - )は、日本… 遠藤孝(えんどう たかし、1930年8月5日 - )は、日本の会計学者、駒澤大学名誉教授。 東京生まれ。法政大学大学院社会科学研究科博士課程満期退学、81年「財務会計制度の展開」で経済学博士。1962年駒澤大学商経学部専任講師、63年助教授、65年経済学部助教授、教授。2001年定年、名誉教授。
宇佐美 ミサ子(うさみ みさこ、1930年 - )は、日本史… 宇佐美 ミサ子(うさみ みさこ、1930年 - )は、日本史学者。宿場女郎について研究してきた。 神奈川県小田原市生まれ。1953年法政大学法学部通信教育部卒、小学校、中学校、高校教師をへて退職。1983年、法政大学文学部史学科卒、1989年、法政大学大学院人文科学研究科博士課程満期退学、1993年、「近世助郷制の研究」で文学博士。大学非常勤講師、町史・市史編纂委員、法政大学史学会評議員などを務めた。
立花 雄一(たちばな ゆういち、1930年(昭和5年) - … 立花 雄一(たちばな ゆういち、1930年(昭和5年) - )は、日本の歴史家。富山県生まれ。法政大学を卒業後、1963年同大学院修士課程修了。法政大大原社会問題研究所所員。横山源之助ほか明治期の下層社会を研究している。
市瀬 由自(いちのせ よしみ、1928年4月3日 - 没年不… 市瀬 由自(いちのせ よしみ、1928年4月3日 - 没年不明)は、日本の地理学者、地形学者。 長野県下伊那郡竜江村(現飯田市)に生まれ、1948年4月上京し、法政大学高等師範部地歴科に入学、資源科学研究所の嘱託研究員として勤務(1970年3月まで)する傍ら、1953年に文学部地歴科を卒業、新設された法政大学大学院人文科学研究科地理学専攻修士課程の第一期生として入学、1965年には博士課程を修了し、法政大学文学部専任講師、1968年助教授、1970年教授となり、1999年定年退職するまで、多くの学生を指導した。 河川源流部における地滑りや崩壊地の形成、付随する土砂暦の供給と運搬に関する研究に始まり、人間の生活の舞台として位置づけられる沖積平野を主に地殻運動の観点から調査し、平野の形成過程を吟味し、沿岸部の砂丘地形に関する研究や、平野の地形環境と遺跡の立地と分布に関する研究など、地形形成に関与する「河川の作用」をベースに研究を進めた。
小林 末男(こばやし すえお、1928年(昭和3年) - )… 小林 末男(こばやし すえお、1928年(昭和3年) - )は、日本の経営学者、経済学者。経済学博士(法政大学、1982年)。専門は経営管理で、特に行動科学的組織論。拓殖大学北海道短期大学学長、産業能率大学常務理事、同監事などを歴任。 北海道有珠郡壮瞥町生まれ。北海道庁立帯広中学校(旧制)に学び、北海道勇払郡野安部太小学校の代用教員となる。 上京し、学習院大学に学ぶが、1954年に中退して大正製薬に入社。その後、法政大学経済学部卒業。同大学院経済学研究科修了。1963年、産業能率短期大学能率科講師。1968年、拓殖大学商学部助教授。1972年、拓殖大学商学部教授。1977年、同大学院商学研究科教授。
阪下 圭八(さかした けいはち、1927年11月23日 - … 阪下 圭八(さかした けいはち、1927年11月23日 - 2012年)は、日本文学研究者、東京経済大学名誉教授。専門は古代日本文学。 東京生まれ。1950年、鎌倉アカデミア文学科卒業。1953年、法政大学文学部日本文学科卒業。1953年からの日本文学協会勤務を経て、1959年に法政大学文学部助手。1962年、法政大学大学院博士課程単位取得満期退学。西郷信綱に師事。1963年、東京経済大学専任講師。1966年、助教授を経て、1972年に教授。1998年、定年退職、名誉教授。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
藤田 省三(ふじた しょうぞう、1927年9月17日 - 2… 藤田 省三(ふじた しょうぞう、1927年9月17日 - 2003年5月28日)は、日本の政治学者(日本政治思想史)、法政大学名誉教授。戦後、丸山学派を代表する左派系の思想史家。 丸山眞男の弟子で、寡作ではあるが丸山学派を代表する。天皇制国家の構造分析は戦後思想史において画期的意味をもちつづける。鶴見俊輔らとともに行った『共同研究 転向』では中心的役割を果す。晩年に『藤田省三著作集』(みすず書房)が刊行されている。 愛媛県今治市出身。父藤作は大三島出身の小学校代用教員。兄2人姉2人の5人兄弟の末っ子だが、2人の兄はともに太平洋戦争で戦死した。今治中学校(現・愛媛県立今治西高等学校)を経て、陸軍予科士官学校に入学(当時の校長は牟田口廉也)。
大坪 稔(おおつぼ みのる、1927年(昭和2年)8月4日 … 大坪 稔(おおつぼ みのる、1927年(昭和2年)8月4日 - 1995年(平成7年)7月8日)は、日本の民法学者。鹿児島大学名誉教授、西日本短期大学学長。専門は財産法。 1927年(昭和2年)8月4日、福岡県八女市に生まれる。1953年(昭和28年)に法政大学法学部法律学科を卒業し、1955年(昭和30年)に同大学大学院社会科学研究科(私法学専攻)を修了する。 1957年(昭和32年)に西日本短期大学専任講師、1964年(昭和39年)に九州産業大学商学部助教授を経て、1967年(昭和42年)に同教授。1974年(昭和49年)に北九州大学法学部に転任し、1982年(昭和57年)に鹿児島大学法文学部に転任する。
丹治 健蔵(たんじ けんぞう、1927年2月8日 - 202… 丹治 健蔵(たんじ けんぞう、1927年2月8日 - 2023年12月26日)は、日本史学者。 東京府(現東京都杉並区)生まれ。1945年慶應義塾商業学校卒業。1950年法政大学専門部政治経済科卒業。1952年同大学文学部史学科卒業、1959年同大学院人文科学研究科日本史学専攻修士課程修了。1952~1961年玉川学園中学部・高等部教諭。1961~1964年法政大学第二工業高等学校講師。1964~1967年同大学文学部研究助手。1967年同大学大学院博士課程(授業料免除)を修了し、文学部兼任講師に就任。1985年「関東河川水運史の研究」で文学博士。その後、青山学院大学文学部・埼玉大学教育学部兼任講師、与野市総務部参事兼市史編さん室長・同市史編さん委員長、東京都日の出町史専門委員長、歴史地理学会常任委員、交通史研究会常任委員・監事、交通史学会顧問を務める。
高瀬保(たかせ たもつ、1926年12月14日-1996年7… 高瀬保(たかせ たもつ、1926年12月14日-1996年7月25日) は、日本の地方史学者。 富山県射水郡本江村(現・射水市)出身。1953年法政大学経済学部卒。富山県内の中学・高校教諭。1981年富山県立新湊高等学校教頭を最後に退職、のち富山大学講師。この間、68年から87年まで富山県史の編纂に携わり、県史編纂室主幹を務めた。1986年には富山県古文書研究会を結成。88年10月から富山市郷土博物館長。
力石 定一(ちからいし さだかず、1926年10月6日 - … 力石 定一(ちからいし さだかず、1926年10月6日 - 2016年1月22日)は、日本の経済学者、社会工学者。法政大学名誉教授。 広島県尾道市生まれ。旧制三高から旧制東京大学経済学部に進み、学生運動に身を投じる。東大共産党細胞において渡邉恒雄らとの路線闘争を繰り広げ勝利。1948年には武井昭夫、沖浦和光らと全学連(全日本学生自治会総連合)を結成。全学連の理論面での指導者とされた。翌年6月3日に東大で学生大量処分に抗議する公聴会が開かれたとき、処分理由を説明する矢内原忠雄経済学部長に「キミはファシストだ」と難詰した(キミ、ボク論争)。 東大卒業後、国民経済研究所研究員を経て、法政大学工学部経営工学科教授(社会工学)。
渡辺 武(わたなべ たけし、1926年 - )は、日本の言語… 渡辺 武(わたなべ たけし、1926年 - )は、日本の言語学者、図書館短期大学名誉教授。 東京市神田区(現千代田区)生まれ。法政大学卒。コトバの会会員。日本ジャーナリスト専門学校講師をへて、図書館短期大学教授、1980年定年退官、名誉教授。主に話し方について教えた。
一柳 豊勝(いちやなぎ とよかつ、1925年(大正14年)5… 一柳 豊勝(いちやなぎ とよかつ、1925年(大正14年)5月16日 - 1993年(平成5年)7月20日)は、日本の学者。専門は社会保障、福祉行政。元龍谷大学社会学部教授。 1925年(大正14年)5月16日に愛知県名古屋市に生まれる。 法政大学法学部政治学科を卒業し、カリフォルニア州立大学ロサンゼルス校大学院でPolitical Science専攻博士課程を修了する。 中部圏都市問題研究所長、同朋大学文学部講師、同大学社会福祉学部助教授・教授を経て、龍谷大学社会学部教授に就任する。 1993年(平成5年)7月20日に脳内出血により死去、68歳。
丸山 吉五郎(まるやま きちごろう、1925年3月25日 -… 丸山 吉五郎(まるやま きちごろう、1925年3月25日 - 2020年8月9日)は、日本の体育学者。法政大学名誉教授、元関東学生陸上競技連盟会長。 1925年3月25日、埼玉県大里郡に生まれる。1943年に法政大学予科第二部に入学。大学では陸上競技部に属した。1944年10月、学徒出陣で前橋陸軍予備士官学校に配属され、終戦は宇都宮で迎えた。 復員後は法政大学に復学。1947年、復活した日本学生陸上競技対校選手権大会に出場し、110mハードルと走り幅跳で優勝した。 1948年に法政大学経済学部を卒業。体育教員として母校に務めた。1964年東京オリンピックでは強化コーチを務める。陸上競技に関する指導書・解説書を多く著し、NHKの陸上競技中継のテレビ解説も知られた。
杉山 茂雄(すぎやま しげお、1925年(大正14年)- )… 杉山 茂雄(すぎやま しげお、1925年(大正14年)- )は、日本の法学者。国際法専攻。法政大学名誉教授。財団法人国際法学会評議員、財団法人防衛学会及び防衛法学会理事、特殊法人北方領土問題対策協会研究委員。 1925年(大正14年)静岡市に生まれる。1943年(昭和18年)陸軍予科士官学校入校、翌年に予科士官学校卒業、同年に陸軍士官学校入校(59期)、在校中に終戦を迎えた。 1949年(昭和24年)法政大学法学部を卒業し、同助手(国際法専攻)。1952年(昭和27年)国立国会図書館調査立法考査局員(国際法担当)を務めながら、法政大学講師も兼任する。1968年(昭和43年)国立国会図書館調査立法考査局外務課長を辞任し、同年に法政大学教授に就任(国際法・法学担当)。
土井 輝夫(どい てるお、1925年 - )は、日本の法学者… 土井 輝夫(どい てるお、1925年 - )は、日本の法学者。専門は国際私法。学位は、Ph.D(ハーバード大学留学の際、取得)。早稲田大学名誉教授。 1925年生まれ。中央大学専門部を中退。1951年、法政大学法学部卒業。1957年、早稲田大学大学院法学研究科修士課程修了。修了後、ハーバード大学留学をし、博士号取得。帰国後、早稲田大学教授。早稲田大学法学部長なども務めた。1926年、早稲田大学名誉教授。著書は多数に上るが、共著で下記のものは最高水準のものである。 学部は法政だが大学院は早稲田であり、しかも当時の法学の世界でハーバードで学位を得るものはよほど優秀でないと無理であった。早稲田から帰国後すぐに就任要請がありすぐに引き受けた。
吉川 経夫(きっかわ つねお、1924年6月4日 - 200… 吉川 経夫(きっかわ つねお、1924年6月4日 - 2006年8月31日)は、日本の法学者。法政大学名誉教授(刑法)。京都府京都市出身。長男の純は弁護士。弟の進三は同志社大学教授。 刑法学説の位置づけとしては、自由主義的でありながら、法律の権威を守ることも重視する、大場茂馬以来の後期旧派(後期古典派)の系譜に属する。 2006年8月31日19時、膵臓がんのため東京都内の自宅で死去。82歳没。
青木 宗也(あおき そうや、1923年11月2日 - 199… 青木 宗也(あおき そうや、1923年11月2日 - 1995年11月18日)は、日本の法学者(労働法)。法学博士(法政大学・論文博士・1960年)(学位論文「労働条件の労働法学的研究」)。法政大学名誉教授。法政大学元総長。正四位勲二等旭日重光章。 1923年11月2日、愛知県生まれ。1947年、法政大学法学部法律学科を卒業。法政大学大学院社会科学研究科修士課程修了、同博士課程単位取得満期退学。1960年、「労働条件の労働法学的研究」で法政大学より法学博士の学位を取得。同法学部助教授、教授を務めた。 1979年4月の東京都知事選挙では、社会党・共産党推薦の太田薫の確認母体「明るい革新都政をつくる会」の代表を務めた。
清岡 卓行(きよおか たかゆき、1922年(大正11年)6月… 清岡 卓行(きよおか たかゆき、1922年(大正11年)6月29日 - 2006年(平成18年)6月3日)は、日本の詩人、小説家、評論家、法政大学名誉教授。位階は従四位。 関東州の大連生れ。東京大学文学部仏文科で渡辺一夫に師事した。また、長らく、法政大学教授として新入生などにフランス語の基礎を、さらに、萩原朔太郎作品などをテキストに、人文特別講義を担当し、学部や専攻にかかわらず多くの学生を指導した。1996年に日本芸術院会員。 妻は作家の岩阪恵子(いわさか けいこ、本名 清岡惠子)。前妻の息子清岡智比古は、フランス語学者で明治大学理工学部教授。創作活動も行っている。 ロシア・日本の租借地であった大連で、生まれてから敗戦による本土引き揚げまでの20数年間(内地での一高、東大在学時を途中に挟む)を過ごす。
三井 嘉都夫(みつい かずお、1922年1月28日 - 20… 三井 嘉都夫(みつい かずお、1922年1月28日 - 2011年4月1日)は、日本の地理学者、陸水学者。法政大学名誉教授。 静岡県富士郡今泉村(現:富士市)に生まれ、幼い頃、調査で静岡県を訪問した多田文男(東京大学名誉教授)の薫陶を受け地理学を志すと単身、縁者を頼り東京の旧制麻布中学に進学した。その後、1937年に創設されたばかりの法政大学高等師範部地理歴史学科に1941年に入学後、学徒動員に応じる。戦時下の苦労と戦後の動乱期を乗り切り、1946年5月から資源科学研究所解散まで嘱託研究員として勤務する傍ら、夜間部として新たに開設された法政大学文学部地歴学科の第1期生として1950年3月に卒業。
山口 恵一郎(やまぐち けいいちろう、1921年(大正10年… 山口 恵一郎(やまぐち けいいちろう、1921年(大正10年)1月18日 - 1991年(平成3年)10月9日)は、日本の地理学者、地名研究家。 1921年(大正10年)1月18日、愛知県豊橋市に生まれる。旧制豊橋中学校卒業後、小学校教諭を務めるが、退職して上京。1942年(昭和17年)に法政大学高等師範部歴史地理科を卒業する。渡辺光に師事した。文科省図書局・教科書局を経て、1946年建設省国土地理院地図部研究員に勤務。地図部研究係長、技術院養成所(建設大学校)教官、同研究員などを歴任する。1960年からは国土地理院の代表として、海上保安庁水路部と共同で設立された「地名等の統ーに関する連絡協議会」の委員を勤めた。
生駒 勘七(いこま かんしち、1919年5月13日 - 19… 生駒 勘七(いこま かんしち、1919年5月13日 - 1987年5月16日)は日本の郷土史家、教育者。 長野県西筑摩郡福島町(現木曽町)生まれ。法政大学卒業。1941年に代用教員となり、1949年から木曽郡各地の小学校で教諭を務める傍ら、木曽谷の近世史や民俗学について広範な研究活動を展開し、一志茂樹らと木曽の中山道宿駅の調査にあたり、木曽馬や木曽の山林、御嶽山等に関する研究に従事する。また「木曽福島町史」や「三岳村誌」の編纂に当たる。 1963年に郷土文化研究会を設立して会長となり、会誌「木曽」を創刊。また木曽福島郷土館の建設に尽力し、同町文化財審議委員会委員長を務めた。1975年中日教育賞受賞。
福田 定良(ふくだ さだよし、1917年(大正6年)4月6日… 福田 定良(ふくだ さだよし、1917年(大正6年)4月6日-2002年(平成14年)12月11日)は、日本の哲学者。元法政大学教授。本名は瀬川行有(せがわゆきあり)。 1917年(大正6年)4月6日、東京に生まれる。1940年(昭和15年)に法政大学法文学部哲学科を卒業する。 戦時中は徴用労働者として南方戦線(ハルマヘラ島)に投入され、その体験記『めもらびりあ―戦争と哲学と私』を1948年(昭和23年)に発表する。 1948年(昭和23年)、法政大学教授に就任する。 1959年、加太こうじ、柳田邦夫、タカクラ・テル、佐藤忠男らと「大衆芸術研究会」を創設。 1970年(昭和45年)に学園闘争で法政大学を辞職、その後、だれもができる哲学を主張し、生活者の感覚に根ざした哲学を追求した。
木村 謙二(きむら けんじ、1912年7月5日 - 没年不明… 木村 謙二(きむら けんじ、1912年7月5日 - 没年不明)は、日本の心理学者・教育者。稚内北星学園、北星学園女子短期大学の学長を務めた。専門は特殊児童心理学で、日本における障害児教育の先駆者の一人。 北海道夕張市出身。1935年、北海道札幌師範学校を卒業して深川尋常高等小学校の教員となる。しかしキリスト教徒のため天皇礼拝を拒んだ事などが原因で1937年に辞職し、同年に上京して東京市内の尋常小学校の代用教員などを務めながら1943年に法政大学法文学部を卒業した。 法政大学商業学校教員などを経て、1951年に北海道大学教育学部の助教授となる。1954年からは、北星学園が開設した一年制の幼児教育専修学校で教育心理学の講義を担当している。
乾 孝(いぬい たかし、1911年8月19日 - 1994年… 乾 孝(いぬい たかし、1911年8月19日 - 1994年2月27日)は、日本の心理学者、法政大学名誉教授。専門は発達心理学。 東京で法学者・乾政彦の子として生まれる。1935年法政大学法文学部哲学科心理学専攻卒。城戸幡太郎に師事。助手、助教授をへて1946年教授、1976年定年、名誉教授。1947年民主主義科学者協会(民科)の哲学部会に参加、のちに人間科学部会、さらに心理学部会の結成に参加し、その中心となって活動。一方、1953年東京保育問題研究会の結成に関与した。児童文化問題にも造詣が深く、人形劇の創作や実践も行い、育児などに関して多くの一般書を書いた。 な日本応用心理学会名誉会員・日本社会心理学会名誉会員。
小島 忠治(こじま ちゅうじ、1911年2月7日 - 197… 小島 忠治(こじま ちゅうじ、1911年2月7日 - 1974年1月9日)は、日本の教育者、教育学者。 神奈川県横浜市出身。1943年法政大学文学部国漢科卒。小学校教師を務め、東横学園小学校校長、和光学園主事。日本私立小学校連合会副会長。国語教育が専門。
須山 卓(すやま たく、1910年 - 1981年)は、日本… 須山 卓(すやま たく、1910年 - 1981年)は、日本の経済学者、長崎大学名誉教授。 熊本県生まれ。1934年、法政大学法文学部卒。1958年、「華僑社会経済史研究」で拓殖大学経済学博士。満鉄東亜経済調査局副参事。大東文化大学教授、奥州大学教授。クアラルンプールJETRO事務局長、長崎大学経済学部教授、1977年、定年退官、九州産業大学教授。
太田青丘(おおた せいきゅう、1909年8月28日 - 19… 太田青丘(おおた せいきゅう、1909年8月28日 - 1996年11月15日)は、昭和・平成期の歌人、漢文学者、法政大学名誉教授。専門は中国詩学。文学博士。歌誌『潮音』主宰。妻(後妻)は歌人の太田絢子。青丘の娘は京都大学国語国文科卒の木村雅子(生母は満喜子)で『潮音』現主宰。 長野県東筑摩郡広丘村(現・塩尻市)生まれ。本名・兵三郎(ひょうざぶろう)。太田水穂の兄・嘉曾次の三男で、父の没後に水穂・四賀光子夫妻の養子となる。当初は漢詩の創作から始まり、1928年(昭和3年)水穂の歌誌『潮音』に入会。旧制武蔵高等学校を経て、1934年(昭和9年)東京帝国大学文学部中国文学科卒。東大大学院をへて文部省国民精神文化研究所所員。
申 石艸(シン・ソクチョ、朝鮮語: 신석초、1909年6月4… 申 石艸(シン・ソクチョ、朝鮮語: 신석초、1909年6月4日 - 1975年3月8日)は、大韓民国の詩人、ジャーナリスト、ソラボル芸術大学校(現・中央大学校)の教授。 本名は申 応植(シン・ウンシク、신응식/申應植)。本貫は高霊申氏。 大韓帝国忠清南道舒川で下級郷班の家に1男3女の中の末子として生まれた。1929年に京城府で詩人として文壇に登場し、1931年には渡日し留学生として法政大学哲学科で学んだが、1935年に病気により中退し帰国した。鄭寅普の紹介で李陸史と知り合い、『翡翠断章』、『パラチュム序詞』、『ヘビ』、『剣舞娘』、『芭蕉』などの詩を李陸史を通して子午線、詩学、文章などに発表した。
森 東吾(もり とうご、1909年(明治42年) - 200… 森 東吾(もり とうご、1909年(明治42年) - 2001年(平成13年)12月26日)は、日本の社会学者。大阪大学名誉教授、追手門学院大学名誉教授。専門は理論社会学、宗教社会学。 1909年(明治42年)、神奈川県に生まれる。1932年(昭和7年)に法政大学法文学部哲学科を卒業し、文部省に入省する。 文部省社会教育局、岡崎高等師範学校教員を経て、大阪大学助教授に就任する、のち教授。大阪大学を退官後、追手門学院大学教授に就任する。 2001年(平成13年)12月26日に死去、92歳。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
岡本 成蹊(おかもと せいけい、明治38年(1905年)7月… 岡本 成蹊(おかもと せいけい、明治38年(1905年)7月31日 - 1988年4月28日)は、日本のイギリス文学者、法政大学名誉教授。 鳥取県米子市東町出身。父は薬剤師の岡本正。 良善幼稚園、啓成尋常小学校、米子中学校(現米子東高校)を経て昭和5年(1930年)法政大学文学部英文科卒業。34年法政大講師、日本出版文化協会勤務ののち、46年法政大教授。60年「イギリスに於ける近代小説の形式 その系譜と要因」で法政大文学博士。文学部長をへて76年定年退職、名誉教授。埼玉医科大学の創立にかかわり教養部教授。 宗教は曹洞宗。趣味は野球、その他のスポーツ。 実業家の坂口平兵衛 (2代)とは幼稚園、小学校、中学校と同期であり、親しい関係にあった[要出典]。
岡垣 久晃(おかがき ひさあき、1905年(明治38年)7月… 岡垣 久晃(おかがき ひさあき、1905年(明治38年)7月30日-1992年(平成4年)11月30日)は日本の法律家。弁護士、元大阪高等裁判所判事。 1905年(明治38年)7月30日に京都府で生まれる。1928年(昭和3年)に法政大学法学部を卒業し、同年高等文官試験司法科に合格する。 京都地方裁判所判事などを経て、1967年(昭和42年)に和歌山地方裁判所長に就任し、1969年(昭和44年)に大阪高裁判事に就任する。 1975年(昭和50年)に勲二等瑞宝章を受章する。 1992年(平成4年)11月30日に死去、87歳。
細川 亀市(ほそかわ かめいち、1905年(明治38年)3月… 細川 亀市(ほそかわ かめいち、1905年(明治38年)3月2日 - 1962年(昭和37年)4月5日)は、日本の法学者、歴史学者、弁護士。元法政大学教授、元専修大学教授。専門は法制史、社会経済史。 香川県三豊郡麻村(現三豊市)に生まれる。1928年3月、法政大学専門部第二部政治経済科卒業。 1933年から法政大学で法制史を講義し、1936年に教授に就任する。1945年、『日本獄制史論』で法政大学から法学博士の学位を授与される。 1947年に公職追放されるが、1951年に解除される。1955年、専修大学教授に就任する。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
桝田 啓三郎(ますだ けいざぶろう、1904年〈明治37年〉… 桝田 啓三郎(ますだ けいざぶろう、1904年〈明治37年〉4月5日 - 1990年〈平成2年〉12月12日)は、日本の哲学者(ドイツ・アメリカ哲学)。東京都立大学名誉教授。キェルケゴール研究では、日本国内の第一人者であった。 愛媛県喜多郡大洲町(現大洲市)生まれ。生糸繭屑物商桝田與三郎の三男。1930年、法政大学文学部哲学科卒業。三木清の弟子であった。大学卒業後、法政大学で長く教鞭をとった。千葉大学、旧・東京都立大学などでも教えた。 卓越した語学力の持ち主で、キェルケゴール、ウィリアム・ジェームズ、フォイエルバッハ、フィヒテ、ベルクソン、デカルトを翻訳。特にキェルケゴールは、独学でデンマーク語を学び原典翻訳を行い、それまでドイツ語訳を使用することの多かった日本の研究状況を一変させた。
池島 重信(いけじま しげのぶ、1904年(明治37年)1月… 池島 重信(いけじま しげのぶ、1904年(明治37年)1月2日 - 1991年(平成3年)8月18日)は、日本の哲学者、文芸評論家。専門はドイツ哲学。法政大学名誉教授。 1904年(明治37年)1月2日に茨城県水戸市に生まれる。1929年(昭和4年)に法政大学法文学部哲学科を卒業する。 法政大学助手を経て講師になるが、1935年(昭和10年)の法政騒動で野上豊一郎たちと共に辞職、日本放送協会教養部に勤務し、教養部副部長に就任する。 戦後、1946年(昭和21年)に法政大学に復職し、文学部助教授に就任、教授・文学部長などを歴任する。 1991年(平成3年)8月18日に死去、87歳。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
伊豆川 浅吉(いずかわ あさきち、1903年(明治36年)1… 伊豆川 浅吉(いずかわ あさきち、1903年(明治36年)11月3日 - 1968年(昭和43年)8月24日)は、日本の水産学者、歴史学者。元東京水産大学教授。専門は漁業史、水産経済学。 1903年11月3日、神奈川県小田原市に生まれる。1922年4月に横浜高等工業学校応用化学科に入学し、1925年3月に卒業。1927年に旭水産に入社し、1928年に小田原市場に入社する。 1935年、法政大学経済学部を卒業し、1937年に法政大学大学院を修了、小野武夫に師事する。アチック・ミューゼアム研究所員、東京帝国大学助手を経て、1948年に鹿児島水産専門学校教授(後の鹿児島大学水産学部)に就任する。1950年、『日本鯨漁業の経済的研究』で農学博士(九州大学)を取得する。
森 嘉兵衛(もり かへえ、1903年6月15日 - 1981… 森 嘉兵衛(もり かへえ、1903年6月15日 - 1981年4月8日)は、日本の歴史学者、岩手大学名誉教授、経済学博士。主な研究テーマは南部藩を中心とする近世史だが、中尊寺金色堂の調査にも参加するなど、活動分野は多岐にわたった。 岩手県盛岡市の豪商の家に生まれる。盛岡中学から法政大学経済学部に進み、小野武夫の下で近世日本経済史を研究した。1929年卒業。岩手県教育会書記を務め、岩手師範学校教授。 1947年、昭和天皇が岩手県に戦後巡幸された際に拝謁し、岩手県の開拓史について奏上する。その後、1949年に岩手大学教授、1969年定年退官。学内では学芸学部長、教育学部長を歴任した。退官後は、盛岡短期大学講師や富士大学教授を務めた。
中村 信敏(なかむら のぶとし、1903年(明治36年)1月… 中村 信敏(なかむら のぶとし、1903年(明治36年)1月23日 - 1978年(昭和53年)11月17日)は、日本の法律家。元東京高検刑事部長、退官後、弁護士としてロッキード事件、日通事件等に携わる。妻・榮子は陸軍少将篠原四郎の長女。 1903年(明治36年)、北海道小樽市にて生まれる。1928年(昭和3年)に法政大学法学部を卒業し、司法試験に合格後、検察官に任官し、1931年(昭和6年)9月東京地方裁判所検事に任官される。検察官として中野正剛の逮捕事件、炭鉱国管疑獄事件などに携わる。東京高等検察庁刑事部長などを務め、1951年(昭和26年)退官後、弁護士として、ロッキード事件で児玉誉士夫、日通事件で福島敏行の弁護人を務める。
佐瀬 昌三(させ しょうぞう、1902年7月8日 - 200… 佐瀬 昌三(させ しょうぞう、1902年7月8日 - 2001年6月23日)は日本の政治家、法律家、法学博士、衆議院議員、裁判官、法政大学教授、弁護士 1902年(明治35年)7月8日に千葉県山武郡上堺村(現在の横芝光町屋形)で生まれる。 法政大学法学部に入学し、在学中は法政大学弁論部に所属。1924年(大正13年)に法政大学卒業。同年高等文官試験行政科、司法科に合格し、検事に任官する。1930年(昭和5年)に法政大学講師となり、フランスに2年間留学をする。パリ法科大学で刑事法学研究室に所属し刑事法学を専攻する。 帰国後、1932年(昭和7年)に判事に転官し、東京地方裁判所判事の傍ら法政大学教授に就任し、刑法及び仏法の講義を行う。
近藤 忠義(こんどう ただよし、1901年11月10日 - … 近藤 忠義(こんどう ただよし、1901年11月10日 - 1976年4月30日)は、日本の日本文学者、法政大学名誉教授。専門は日本近世文学、特に近松門左衛門などの歌舞伎研究。樋口一葉などの近代文学も論じた。 兵庫県神戸市生まれ。県立神戸第一中学校(現・兵庫県立神戸高等学校)、第六高等学校を経て、1927年に東京帝国大学文学部国文科卒業。同年、府立第六中学校(現・都立新宿高校)の講師となる。1929年、智山専門学校教授。1930年、東京音楽学校・東京女子大学兼任講師。1931年、師である藤村作の娘美耶子(近藤宮子)と結婚。1932年、思想問題により東京音楽学校講師を解任される。1933年、法政大学および日本体育専門学校(現・日本体育大学)講師。
三田 高三郎(みた たかさぶろう、1899年(明治32年)1… 三田 高三郎(みた たかさぶろう、1899年(明治32年)1月22日 - 没年不詳)は日本の法曹、法学者。元東京地裁判事、元愛知大学・東洋大学・法政大学教授、専門は民事法・フランス法。 1899年(明治32年)1月22日、群馬県に生まれる。1927年(昭和2年)に司法試験に合格、1928年(昭和3年)に法政大学法文学部法律学科を卒業する。司法官試補を経て、1929年(昭和4年)に判事に任官し、浦和、熊谷、横浜の各裁判所を経て、1936年(昭和11年)に東京民事地裁判事に就任する。また、法政大学法学部でフランス法の講師を務める。1943年(昭和18年)にシンガポール高等法院付陸軍司政官、1945年(昭和20年)にハノイ控訴院検事長を務める。
蓮見 重治(はすみ しげはる、1896年(明治29年)12月… 蓮見 重治(はすみ しげはる、1896年(明治29年)12月2日 - 1988年(昭和63年)1月26日)は、日本の法律家、法学者。弁護士、元仙台高等裁判所判事、元東北学院大学教授。 1896年(明治29年)12月2日に栃木県那須郡境村に生まれる。1924年(大正13年)に法政大学専門部法律科を卒業する。 1925年(大正14年)に52号試験に合格し、翌年弁護士を開業する。1930年(昭和5年)に、裁判官に転進し、台湾総督府法院判官に任官する。 仙台高裁判事を最後に退官し、退官後は東北学院大学法学部教授(専門は刑法)に就任する。 1988年(昭和63年)1月26日、老衰により死去、91歳。 1970年(昭和45年)に勲二等瑞宝章を受章する。
角田 幸吉(かくた こうきち、1896年(明治29年)5月2… 角田 幸吉(かくた こうきち、1896年(明治29年)5月27日 - 1966年(昭和41年)4月7日)は日本の政治家、法学者、弁護士。衆議院議員(2期)、東洋大学教授。 1896年(明治29年)5月27日、宮城県に生まれる。1921年(大正10年)に法政大学専門部法律科を卒業、弁護士試験に合格し、弁護士業に従事する。1939年(昭和14年)から法政大学で講師を務め、後に教授に就任し、1943年(昭和18年)に『日本親子法論』で法学博士(法政大学)を取得する。 1947年(昭和22年)の第23回衆議院議員総選挙、1949年(昭和24年)の第24回衆議院議員総選挙に出馬し、連続当選する。初代衆議院人事委員長、裁判官弾劾裁判所裁判長、自由党総務を務める。
小谷 勝重(こたに かつしげ、1890年〈明治23年〉12月… 小谷 勝重(こたに かつしげ、1890年〈明治23年〉12月24日 - 1963年〈昭和38年〉10月27日)は、日本の法律家。最高裁判所裁判官、弁護士。 1890年(明治23年)12月24日、京都府に生まれる。子供の頃は「とても7歳までもつまい」と医者に言われたほど体が弱く、弱い者びいきとして弁護士を志す。1914年(大正3年)、法政大学専門部法律科を卒業する。弁護士試験に合格後、大阪で開業する。 1929年(昭和4年)、大阪弁護士会副会長に、1946年(昭和21年)、大阪弁護士会会長に就任する。1941年(昭和16年)『日本取引所法制史論』で法政大学より法学博士を授与される。 裁判官任命諮問委員会による諮問の結果、1947年(昭和22年)、最高裁判所裁判官に任命される。
郁 華(いく か、チェコ語: YU Hua(ユ フア)、18… 郁 華(いく か、チェコ語: YU Hua(ユ フア)、1884年 - 1939年11月23日)は、中華民国の司法官、法学者。江蘇高等法院第二分院刑事庭庭長、東呉大学教授。郁風(zh:郁風)の父、郁達夫の兄でもある。字は曼陀。 1884年、清国浙江省富陽県生まれ。1904年に日本に官費留学し、早稲田大学清国留学生部師範科、法政大学専門部法律科を卒業。1910年に帰国し、挙人となり七品小京官に任じられた。清国滅亡後、1912年に法官資格を取得し京師高等審判庁推事、北京政府大理院推事に就任する。 1913年に日本の司法制度を視察するため日本に派遣される。この視察に弟の郁達夫も同行し日本に留学している。
藤井 甚太郎(ふじい じんたろう、1883年3月25日 - … 藤井 甚太郎(ふじい じんたろう、1883年3月25日 - 1958年7月9日)は、大正・昭和期の日本史学者。法政大学文学部名誉教授。明治維新史の実証主義的研究の先駆者として活躍した。