吉武 廣次(よしたけ ひろし、1911年 <明治44年> 5… 吉武 廣次(よしたけ ひろし、1911年 <明治44年> 5月15日 - 1997年 <平成9年> 1月29日)は、日本の経営者。横浜ゴム社長を務めた。位階は従四位。 福岡県出身。1935年に京都帝国大学経済学部を卒業し、1936年に橫濱護謨製造 (のちの横浜ゴム) に入社。1965年8月に取締役に就任し、1967年8月に常務、1969年8月に専務、1971年8月に副社長を経て、1973年2月に社長に就任した。1977年12月に会長に就任し、1981年3月に取締役相談役を経て、1983年3月に相談役に就任。 1982年11月に勲三等旭日中綬章を受章した。 1997年1月29日、肺炎のために死去。
もっと読む
谷 友幸(たに ともゆき、1911年5月13日 - 1981… 谷 友幸(たに ともゆき、1911年5月13日 - 1981年7月24日)は、日本のドイツ文学者、翻訳家。京都大学名誉教授。 東京市本郷区生まれ。1931年第六高等学校理科乙類卒業、1939年京都帝国大学文学部独文科卒業。戦後京大教養部助教授、1957年文学部助教授、1962年「ヘルダーリーン文学の基礎的研究」(未公刊)で文学博士、1967年教授、1975年定年退官、名誉教授。大谷大学文学部教授。初期にはライナー・マリア・リルケを主として研究、翻訳した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
もっと読む
松本 栄蔵(まつもと えいぞう、1911年5月11日 - 1… 松本 栄蔵(まつもと えいぞう、1911年5月11日 - 1988年12月8日)は、日本の経営者。日鉄鉱業社長を務めた。福岡県出身。 1935年に京都帝国大学経済学部を卒業し、1939年に日鉄鉱業に入社。1961年11月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1970年11月に副社長に就任し、1971年11月には社長に昇格。1979年6月には相談役に就任。 1988年12月8日肝不全のために死去。77歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
もっと読む
堀川直義(ほりかわ なおよし、1911年〈明治44年〉5月5… 堀川直義(ほりかわ なおよし、1911年〈明治44年〉5月5日 - 2006年〈平成18年〉1月12日)は、日本のマスコミ研究者、成城大学名誉教授。 京都府出身。弟は映画監督の堀川弘通。成城高等学校卒、京都帝国大学文学部哲学科心理学専攻卒、朝日新聞社入社、調査部に勤務しジャーナリズム研究を行い、1961年「新聞における取材と表言に関する科学的研究」で東洋大学より文学博士の学位を取得。のち成城大学教授、文芸学部長、1982年定年退任、名誉教授。1977年日本新聞学会会長。インタビューを「面接」と訳し、「面接博士」と呼ばれた。
もっと読む
吉井 信康(よしい のぶやす、1911年(明治44年)4月1… 吉井 信康(よしい のぶやす、1911年(明治44年)4月15日 - 没年不明)は、旧華族吉井家(旧吉井藩主鷹司松平家)14代当主。1924年(大正12年)から1946年(昭和21年)まで子爵(1947年の日本国憲法施行により華族制度廃止)。父は子爵吉井信宝。妻は宮地栄治郎の次女。 1936年京都大学経済学部卒業。1939年、宮地鉄工所(現・宮地エンジニアリンググループ)に入社し、1953年に経理課長代理、1959年に監査役となった。 頼宣1619-1667 | 光貞1667-1698 | 綱教1698-1705 | 頼職1705 | 吉宗1705-1716 | 宗直1716-1757 | 宗将1757-1765 | 重倫1765-1775 | 治貞1775-1789 | 治宝1789-1824 | 斉順1824-1846 | 斉彊1846-1849 | 慶福1849-1858 | 茂承1858-1906 | 頼倫1906-1925 | 頼貞1925-1954 | 頼韶1954-1958 | 剛1958-1965 | 宜子1965-現在 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
もっと読む
間中 喜雄(まなか よしお、1911年4月11日 - 198… 間中 喜雄(まなか よしお、1911年4月11日 - 1989年11月20日)は、日本の外科医、鍼灸師、医学博士。 神奈川県足柄下郡小田原町(現小田原市)出身。 1935年に京都帝国大学医学部を卒業し、同大学病院で外科を習得後、父の開業した間中外科医院を継ぐ。第二次世界大戦に医師として従軍、1946年に復員すると間中外科医院を医療法人温和会間中病院に改組した。 西洋医学の医師でありながら、東洋医学、特に鍼灸医学の普及発展に貢献し1950年には日本東洋医学会の設立に参加した。1957年に京都大学医学部で医学博士号を取得、小田原医師会会長に就任。その後、中国やアメリカ、フランスなどで講演活動を行う。
もっと読む
岩野 見斉(いわの けんせい、1911年(明治44年)4月8… 岩野 見斉(いわの けんせい、1911年(明治44年)4月8日 - 1991年(平成3年)7月23日)は、第13代四日市市長。三重県員弁郡(現:いなべ市)出身。 1938年(昭和13年)3月、京都帝国大学法学部卒業。戦前は旧満州国官吏として勤務。戦後に東海財務局津財務部に奉職。1949年(昭和24年)以降、四日市市役所商工課長、庶務課長、秘書課長、総務部長、水道局長を歴任。 1964年(昭和39年)に市長平田佐矩から四日市市助役に任命され、次代の九鬼喜久男の元でも助役を務めた。1972年(昭和47年)に四日市市長選挙に無所属で立候補し、日本社会党の前川辰男候補と日本共産党の稲垣重郎候補と安藤素滋(無所属)候補との保守革新の3分裂の選挙となった末、当選する。
もっと読む
中山 治一(なかやま じいち、1911年4月6日 - 199… 中山 治一(なかやま じいち、1911年4月6日 - 1990年7月25日)は、日本の歴史学者。 京都市出身。1934年京都帝国大学文学部史学科卒。第三高等学校 (旧制)教授、名古屋大学文学部教授、大阪市立大学教授を務め、1974年定年退官、椙山女学園大学教授、愛知学院大学教授を務めた。歴史記述の方法論、西洋近代史を専門とした。
もっと読む
田畑 茂二郎(たばた しげじろう、1911年3月22日 - … 田畑 茂二郎(たばた しげじろう、1911年3月22日 - 2001年3月8日)は、日本の法学者。専門は国際法。学位は、法学博士(京都大学・論文博士・1961年)。日本学士院会員。京都府舞鶴市出身。
もっと読む
安井 謙(やすい けん、1911年3月22日 - 1986年… 安井 謙(やすい けん、1911年3月22日 - 1986年3月10日)は、日本の政治家。位階は従二位勲一等、勲章は旭日桐花大綬章。 参議院議長(第13代)、参議院副議長(第11代)、自治大臣(第4代)、国家公安委員会委員長(第13代)、総理府総務長官(第14代)、参議院議院運営委員長(第16代)、自由民主党参院議員会長(第10代)同参議院幹事長、参議院議員(6期)。 兄は公選初代東京都知事を務めた安井誠一郎。弟は雪印食品副社長の安井三郎。 岡山県岡山市出身。旧制岡山第二中学校、旧制第六高等学校文科乙類、1935年、京都帝国大学経済学部卒業。京都帝国大学在学中は学生運動に参加し、左翼思想に傾倒していたため周囲から「マルクス坊や」と呼ばれていた。
もっと読む
佐和 隆研(さわ りゅうけん/さわ たかあき、1911年3月… 佐和 隆研(さわ りゅうけん/さわ たかあき、1911年3月9日 - 1983年1月5日)は、日本の美術史家・仏教学者・真言宗の僧侶。京都市立芸術大学名誉教授。嵯峨美術短期大学元学長。密教美術や仏像研究の第一人者。密教図像学会会長も務めた。 広島県生まれ。インドネシア、インド、アフガニスタンなど仏教美術の伝流経路、源流地を訪ね歩いた。 経済学者の佐和隆光(京都大学名誉教授、滋賀大学学長)は息子。
もっと読む
西山 夘三(にしやま うぞう、1911年3月1日 - 199… 西山 夘三(にしやま うぞう、1911年3月1日 - 1994年4月2日)は、日本の建築学者で、都市計画家、建築家。住生活を科学的に研究する基礎を築き、戦後の住宅計画に大きな影響を与え、住宅問題や都市計画への視点を深めた。 大阪市此花区の安治川沿いの鉄工所の三男として生まれた。 西山一家の暮らした西九条は、重工業中心の工場地帯として発展した工場と長屋の密集地。1930年に第三高等学校理科乙類を卒業。京都帝国大学建築学科に進学し、クラスをDEZAMとし、同級生らとともにマルクス主義に共感を寄せた。またクラス会が東京の建築科学研究会京都支部となる。1931年、東京の4つの学校と共同で五大学建築展覧開会を東京にて開催。
もっと読む
上野 季夫(うえの すえお、1911年(明治44年)2月26… 上野 季夫(うえの すえお、1911年(明治44年)2月26日 - 2011年(平成23年)10月19日)は、日本の物理学者(理学博士)。専門は天体物理学で、輻射輸達方程式の厳密解法における、世界的権威を成し遂げた。京都大学名誉教授、金沢工業大学名誉教授。東京府東京市(現在の東京都区部)出身。 1911年(明治44年)、東京市生まれ。京都帝国大学理学部宇宙物理学科へ進学、1937年(昭和12年)に卒業。在学中は同じ物理学者の荒木俊馬に師事。その後、7年間技術将校として陸軍に従事(1945年(昭和20年)陸軍少佐)し、1946年(昭和21年)京都大学理学部宇宙物理学教室に復帰。 教室復帰後、理学部講師、助教授を経て、1959年(昭和34年)から京都大学理学部教授(天体物理学担当)。
もっと読む
松村 正直(まつむら まさなお、1911年2月20日 - 2… 松村 正直(まつむら まさなお、1911年2月20日 - 2009年7月18日)は、日本の経営者。三菱倉庫社長、会長を務めた。富山県西礪波郡福光町(現・南砺市)出身。政治家の松村謙三の長男。 1934年に京都帝国大学法学部を卒業し、同年に三菱倉庫に入社。1962年に取締役に就任し、1966年に常務を経て、1968年から1977年までに社長を務めた。 2009年7月18日、心不全のために死去。98歳没。
もっと読む
坂田 昌一(さかた しょういち、1911年(明治44年)1月… 坂田 昌一(さかた しょういち、1911年(明治44年)1月18日 - 1970年(昭和45年)10月16日)は、日本の物理学者。元名古屋大学教授。湯川秀樹、朝永振一郎とともに日本の素粒子物理学をリードした。弟は、物理学者の坂田民雄。 東京市麹町区(東京都千代田区)で生まれる。旧制甲南高等学校を経て、1933年に京都帝国大学理学部物理学科を卒業する。理化学研究所、大阪帝国大学講師、京都帝国大学講師を経て1942年、名古屋帝国大学教授となる。湯川の中間子論の第2から第4論文の共著者である。 1942年、井上健と共に核力の起源となる中間子と当時宇宙線中に発見された中間子との違いを説明するために、二中間子論を提唱した。
もっと読む
森 一生(もり かずお、1911年1月15日 - 1989年… 森 一生(もり かずお、1911年1月15日 - 1989年6月29日)は、日本の映画監督、演出家である。通り名で「もり いっせい」とも呼ばれる。
もっと読む
池上 禎造(いけがみ ていぞう、1911年1月10日 - 2… 池上 禎造(いけがみ ていぞう、1911年1月10日 - 2005年12月15日)は、日本の国語学者。大阪大学名誉教授、京都大学名誉教授。 1911年(明治44年)1月10日、京都府京都市で誕生する。父は貞吉、母は満(みち)。呉服屋である「越前屋」の一人息子であった。 第三高等学校を経て、1930年(昭和5年)に京都帝国大学文学部文学科に入学。家業が傾いていたことから思うように本を買うことができなかったが、家業が倒産したことにより国語学者となる決意が固まった。1933年(昭和8年)に同国語学国文学専攻を卒業。卒業論文の題目は「上代特殊仮名遣の一考察」。 1938年(昭和13年)まで同大学院に在籍し、副手を勤めた。
もっと読む
長濱 政壽(ながはま まさとし、1911年1月1日 - 19… 長濱 政壽(ながはま まさとし、1911年1月1日 - 1971年5月21日)は、日本の行政学者、政治学者。京都大学名誉教授。辻清明と並ぶ行政学第2世代の一人。新潟県新潟市生まれ。「長浜 政寿」とも表記される。 1931年、新潟高等学校文科甲類卒業。1934年、京都帝国大学法学部政治科卒業。同年、京都帝国大学法学部助手。1936年、京都帝国大学法学部専任講師。1938年、京都帝国大学法学部助教授に就任。1945年、京都帝国大学法学部教授に就任。1956年、京都大学評議員。1960年、京都大学より法学博士を取得。1961年、国家公務員採用上級甲乙種試験専門試験委員。1967年、京都大学法学部長。1971年、京都大学評議員。
もっと読む
小倉 多加志(おぐら たかし、1911年 - 1991年)は… 小倉 多加志(おぐら たかし、1911年 - 1991年)は、日本のイギリス文学者、翻訳家、実践女子大学名誉教授。本名・小倉皐(読みは同じ)。1934年京都帝国大学文学部英文科卒。戦後、定年退職まで実践女子大教授を務め、オスカー・ワイルドを専攻とする研究活動をする傍ら、対訳の英語教科書の執筆のほかに、推理小説などの数多くの文芸作品を翻訳した。日本バートランド・ラッセル協会設立発起人の一人。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
もっと読む
野村 良樹(のむら よしき、1911年 - 1946年)は、… 野村 良樹(のむら よしき、1911年 - 1946年)は、日本の医学者、精神科医。旧制京都一中、旧制三高、京都帝国大学医学部卒業。 ウジェーヌ・ミンコフスキー『精神分裂病』(村上仁共訳) 弘文堂書房、1946年 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
もっと読む
奥平 泉一(おくひら せんいち、1910年 <明治43年> … 奥平 泉一(おくひら せんいち、1910年 <明治43年> 12月20日 - 1978年 <昭和53年> 3月26日)は、日本の経営者。住友信託銀行社長を務めた。位階は従四位。勲二等瑞宝章。 大分県出身。1934年に京都帝国大学経済学部を卒業し、同年に住友信託銀行に入行。1957年5月に取締役に就任し、1962年11月に常務、1963年7月に専務、1969年5月に副社長を経て、1972年5月から1976年9月までに社長を務めた。 1978年3月26日に腎不全のために死去。67歳没。死没日付をもって従四位に叙され、勲二等瑞宝章を追贈された。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
もっと読む
野田 又夫(のだ またお、1910年12月10日 - 200… 野田 又夫(のだ またお、1910年12月10日 - 2004年4月22日)は、日本の哲学者。京都大学名誉教授、甲南女子大学名誉教授。 1910年(明治3年)、大阪府で生まれた。旧制大阪府立高津中学校(大阪府立高津高等学校の前身)で学び、この時の同期生には森三樹三郎(大阪大学名誉教授)がいた。1927年(昭和2年)、同中学校を卒業し、旧制大阪高等学校へ進学。3年間を過ごしたのち、京都帝国大学文学部哲学科へ進学した。 大学では、旧制大阪高等学校時代から同窓の保田與重郎(日本浪曼派で知られる)らと共に雑誌を発行し、それを西田幾多郎に持っていくなどして西田と交流していた。野田が京都帝国大学に在学した時期は「京都学派」が興隆した時期であり、西洋哲学の研究評伝集・弘文堂「西哲叢書」で最年少の執筆者としてデカルトを担当した。
もっと読む
村上 至孝(むらかみ しこう、1910年10月31日 - 1… 村上 至孝(むらかみ しこう、1910年10月31日 - 1987年4月17日)は、日本の英文学者、翻訳家。 1933年京都帝国大学文学部英文科卒、第三高等学校教授、1949年京都大学教養部教授、1959年大阪大学文学部英文科教授、1974年定年退官、名誉教授、龍谷大学教授、大手前女子大学教授。1983年勲二等瑞宝章受章。 17-19世紀英国文学を専攻し、サッカレーなどの長篇小説、ヘンリー・フィールディングの悪漢小説の翻訳を行い、ロマン主義詩人の研究を行った。
もっと読む
相原 正一郎(あいはら しょういちろう、1910年 <明治4… 相原 正一郎(あいはら しょういちろう、1910年 <明治43年> 10月25日 - 1994年 <平成6年> 6月7日)は、日本の経営者。日本勧業角丸証券社長、平和不動産社長を務めた。京都府出身。位階は正五位。 1933年に京都帝国大学経済学部を卒業し、同年に日本勧業銀行に入行。1962年11月に日本勧業証券副社長に就任し、1964年11月には社長に昇格し、1967年10月に発足した日本勧業角丸証券でも社長を務めた。1970年11月から1975年11月までに東京証券取引所副理事長を務め、1977年6月から1987年6月までに平和不動産社長を務めた。 1976年9月に藍綬褒章を受章し、1982年4月に勲三等瑞宝章を受章。
もっと読む
山木戸 克己(やまきど こっき / こくき、1910年(明治… 山木戸 克己(やまきど こっき / こくき、1910年(明治43年)10月21日 - 2003年(平成15年)4月16日)は、日本の法学者。専門は、民事訴訟法・民事執行法・民事保全法・破産法・人事訴訟法・家事審判法・非訟事件手続法。学位は、法学博士(京都大学・論文博士・1962年)。神戸大学名誉教授。日本民事訴訟法学会名誉会員。日本学術会議会員、日本民事訴訟法学会理事長を歴任。 専門は、民事訴訟法・民事執行法・民事保全法・破産法・人事訴訟法・家事審判法・非訟事件手続法等。神戸大学名誉教授。元日本民事訴訟法学会理事長。元日本民事訴訟法学会名誉会員。元日本学術会議会員(第八期・第九期)。 訴訟法の領域だけではなく実体法にも造詣の深い訴訟法学者であり、訴訟法と実体法の架橋を常に念頭に置いた上で独自の訴訟法体系の樹立を試みていた。
もっと読む
平木 信二(ひらき しんじ、1910年10月5日 - 197… 平木 信二(ひらき しんじ、1910年10月5日 - 1971年12月30日)は、日本の実業家。元リッカーミシン社長。 現在の京都府長岡京市出身。 高等小学校卒業後、故郷を離れて日本紡績(後のユニチカ)に就職し、関西大学商学部夜間部を卒業。 1929年、8ヶ月間で祖父母、母を続けざまに喪った。あまりに短期間過ぎて平木家は墓地に埋葬する場所が無くて困ったと伝わる。 1934年に京都帝国大学経済学部を卒業後、計理士事務所を開設した。当時日中戦争の軍需景気でインフレが発生し、税法も新しくなったため税金の取り立てが厳しく、計理士の需要は非常に高かった。おかげで29歳の頃に平木はすでに結婚していたが、一家が一生生活に困らないほどの財産を築き上げた。
もっと読む
小川 環樹(おがわ たまき、1910年(明治43年)10月3… 小川 環樹(おがわ たまき、1910年(明治43年)10月3日 - 1993年(平成5年)8月31日)は、日本の中国文学者。京都大学名誉教授。字は「士解」。主著に「唐詩概説」「蘇軾」など初学者向けの啓蒙書や訳書も多数著している。角川書店『新字源』編者の一人。 1910年、京都府京都市で地質学者・小川琢治の子として生まれた。 第三高等学校で学び、1928年に卒業。京都帝国大学文学部に入学し、1932年年に卒業。その後は同大学大学院に進学した。1934年から1936年にかけて中国に留学。魯迅と周作人兄弟、章太炎、劉半農、郁達夫、銭鍾書ら同時代の文学者らと面識を得た。1938年に大学院を退学した。 1938年、東北帝国大学文学部講師に就いた。
もっと読む
中島 栄次郎(なかじま えいじろう、1910年(明治43年)… 中島 栄次郎(なかじま えいじろう、1910年(明治43年)8月18日 - 1945年(昭和20年)5月27日)は、日本の文芸評論家、詩人、哲学者。 京都帝国大学教授の田辺元のもとで、ニーチェの研究などに携わり、毎日新聞に文芸評論を書いた(その際の担当記者が井上靖)。 大阪高等学校 (旧制)の同級生を中心に文芸同人誌『コギト』の創刊メンバーである。はじめ沖崎猷之介の筆名を用い、第16号(昭和8年9月号)以後は本名で主に評論を、また詩、小説を発表した。また、文芸同人誌『日本浪漫派』の創刊メンバーである。その創刊号の巻頭に「浪漫化の機能」を執筆した。同人には第二号から太宰治、檀一雄、第三号からは伊東静雄、大山定一らが加わった。
もっと読む
津田 穣(つだ ゆたか、1910年〈明治43年〉8月4日 -… 津田 穣(つだ ゆたか、1910年〈明治43年〉8月4日 - 1955年〈昭和30年〉8月12日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。 京都府出身。1935年京都帝国大学文学部仏文科卒。第三高等学校講師、大阪高等学校(旧制)教授。 ブレーズ・パスカル『パンセ』の翻訳で知られる。 息子は俳優、声優、ナレーターの津田喬。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
もっと読む
高橋 邦雄(たかはし くにお、1910年〈明治43年〉7月2… 高橋 邦雄(たかはし くにお、1910年〈明治43年〉7月25日 - 1988年〈昭和63年〉8月26日)は、昭和期の地方公務員、政治家。参議院議員(1期)、群馬県副知事。 群馬県群馬郡車郷村富岡(箕郷町を経て現高崎市)で生まれる。旧制高崎中学、旧制松本高校を経て、1936年(昭和11年)京都帝国大学法学部を卒業した。 1936年、群馬県庁に入庁し総務部地方課に配属された。1937年(昭和12年)10月、充員召集令により歩兵第15連隊に入隊し1940年(昭和15年)1月に召集解除となったが、1941年(昭和16年)8月に再度充員召集を受けて東部38部隊に入隊し、1945年(昭和20年)4月に解除された。
もっと読む
足立 篤郎(あだち とくろう、1910年〈明治43年〉7月2… 足立 篤郎(あだち とくろう、1910年〈明治43年〉7月22日 - 1988年〈昭和63年〉8月14日)は、日本の政治家。位階は正三位、勲等は勲一等。 科学技術庁長官(第28代)、農林大臣(第43代)、衆議院議員(12期)などを歴任。 静岡県周智郡山梨村(現袋井市)生まれ。掛川中学校(現静岡県立掛川西高等学校)、旧制静岡高等学校を経て、1934年、京都帝国大学法学部を卒業。南満洲鉄道に入社する。戦後は静岡県農業共済組合連合会会長などを経て、1949年の第24回衆議院議員総選挙で吉田茂率いる民主自由党公認で旧静岡3区から立候補し、初当選。以後当選12回。 自民党では佐藤栄作派-田中角栄派に所属。
もっと読む
谷山 茂(たにやま しげる、1910年6月17日 - 199… 谷山 茂(たにやま しげる、1910年6月17日 - 1994年11月2日)は、日本の国文学者。大阪市立大学名誉教授、京都女子大学名誉教授。1984年角川源義賞受賞。 岡山県出身。1934年京都帝国大学文学部国文科卒業。大阪市立大学助教授、教授、1972年定年退官、名誉教授、京都女子大学教授、1977年同学長。1984年『新古今集とその歌人』で角川源義賞受賞。中世和歌文学、藤原俊成・定家の研究をした。「新編国歌大観」の代表編集委員、日本学術会議会員。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
もっと読む
大沢 一郎(大澤 一郎、おおさわ いちろう、1910年(明治… 大沢 一郎(大澤 一郎、おおさわ いちろう、1910年(明治43年)6月9日 - 1986年(昭和61年)9月12日)は、日本の検察官、弁護士。検事総長。 大阪市出身。第四高等学校を経て、1932年京都帝国大学法学部を卒業。司法官試補となり、法務省矯正局長、大阪地方検察庁検事正、最高検察庁刑事部長、法務事務次官、最高検次長検事、東京高等検察庁検事長などを歴任。 1973年2月2日、検事総長に就任。在任中、日教組ゼネスト事件、協同飼料株価不正操作事件、石油ヤミカルテル事件などを指揮した。 1975年1月25日、検事総長を勇退し退官した。その後、ロッキード事件で偽証罪に問われた小佐野賢治の弁護団に加わった。
もっと読む
島 恭彦(しま やすひこ、1910年6月5日 - 1995年… 島 恭彦(しま やすひこ、1910年6月5日 - 1995年9月28日)は、日本の経済学者。専門は財政学。学位は、経済学博士。京都大学名誉教授。福井県敦賀市生まれ。
もっと読む
東伏見 慈洽(ひがしふしみ じごう、1910年〈明治43年〉… 東伏見 慈洽(ひがしふしみ じごう、1910年〈明治43年〉5月16日 - 2014年〈平成26年〉1月1日)は、日本の僧侶。旧皇族。旧華族。久邇宮邦彦王の第3王子。旧名邦英王(くにひでおう)。香淳皇后の弟。第125代天皇・明仁(上皇)は甥、第126代天皇・徳仁(今上天皇)は大甥にあたる。妻は伯爵・亀井茲常の次女・東伏見保子。元衆議院議員・亀井久興は妻の甥。後述の経緯により1931年に皇族の身分ではなくなったが、皇族出身者としては記録に残る限りで一番長寿であった人物である(死去時点で103歳7か月16日、37851日)。 1910年(明治43年)、久邇宮邦彦王の第三男子として誕生。東伏見宮依仁親王・同妃周子より実子のように可愛がられており、子女がなかった同夫妻は、邦彦王と相談の上、当時9歳であった邦英王を東伏見宮に永く預かりの形で迎えることとなり、邦英王は、1919年(大正8年)10月26日の吉辰を卜して東伏見宮邸に移った。
もっと読む
鈴木 與平(すずき よへい、1910年(明治43年)5月11… 鈴木 與平(すずき よへい、1910年(明治43年)5月11日 - 1993年(平成5年)5月23日)は、日本の実業家。元鈴与会長。旧名 鈴木一郎。 静岡県出身。鈴与商店社長で貴族院議員、6代目鈴木與平の長男として生まれる。清水市立清水尋常高等小学校卒業。静岡県立静岡中学校から、旧制静岡高等学校へ進んだが、2年次から旧制成城高等学校に転学し、卒業した。1935年(昭和10年)、京都大学経済学部卒業。山下汽船入社。1937年(昭和12年)4月、鈴与商店に転じ、1940年(昭和15年)5月、鈴与商店並びに鈴与倉庫、清水食品各社長に就任。同年8月、静岡鉄道監査役に選ばれ、次いで取締役となる。1944年(昭和19年)、鈴与社長。
もっと読む
木村 武夫(きむら たけお、1910年4月3日 - 1986… 木村 武夫(きむら たけお、1910年4月3日 - 1986年12月29日)は、日本史学者、社会事業学者。栄照寺住職。 京都市生まれ。別名・武応。1933年京都帝国大学文学部国史学科卒。大阪経済大学助教授、教授、龍谷大学教授、神戸女子大学教授、種智院大学教授。
もっと読む
丸山 鉄雄(まるやま てつお、1910年(明治43年)4月1… 丸山 鉄雄(まるやま てつお、1910年(明治43年)4月1日 - 1988年(昭和63年)12月26日)は日本の芸能プロデューサー・音楽評論家。東京府出身。
もっと読む
青山 秀夫(あおやま ひでお、1910年3月21日 - 19… 青山 秀夫(あおやま ひでお、1910年3月21日 - 1992年2月16日)は、日本の経済学者。学位は、経済学博士・社会学博士。京都大学名誉教授。 岡山県出身。岡山第一中学(現:岡山朝日高校)、旧制第六高等学校を経て、京都帝国大学経済学部を卒業。その後、京都大学経済学部教授・学部長、京都大学経済研究所所長、関西学院大学社会学部教授、摂南大学経営情報学部教授、同学部長などを歴任した。
もっと読む
小谷 純一(こたに じゅんいち、1910年3月21日 - 2… 小谷 純一(こたに じゅんいち、1910年3月21日 - 2004年10月1日)は、日本の農業指導者、教育者、キリスト教伝道者。 全国愛農会を創設し、愛農学園農業高等学校の創立者で初代校長を務めた。 和歌山県和歌山市小豆島(あずしま)出身。生家は地主の農家で、その長男であった。旧制中学校を経て、1925年(大正14年)、京都府立高等蚕糸学校(現:京都工芸繊維大学)に入学する。在学中には西田天香の一燈園に参加していた。 1928年(昭和3年)に京都高等蚕糸卒業後、京都帝国大学農学部に進学。在学中、キリスト集会で佐藤定吉の伝道集会に参加したことから、無教会主義キリスト教徒となる。1933年京都帝国大学農学部を卒業後、加藤完治が茨城県で行っていた満蒙開拓青少年義勇軍運動に参加したが、右翼的な方向に変じた運動から離脱し、農林省による「農民道場」創設に関与した。
もっと読む
富和 宗一(とみわ むねかず、1910年(明治43年)3月1… 富和 宗一(とみわ むねかず、1910年(明治43年)3月14日 - 1991年(平成3年)2月5日 )は、日本の実業家。近畿日本鉄道(近鉄)の元社長(大阪電気軌道創立から9代目)。 奈良県大和郡山市出身。広島高等学校を経て1934年4月京都帝国大学法学部卒業とともに当時の大阪電気軌道に入社。同社が合併を経て近畿日本鉄道となったのち、1965年(昭和40年)5月25日に取締役となる。以後、1968年(昭和43年)11月25日常務取締役、1971年(昭和46年)5月25日専務取締役を経て、1973年(昭和48年)5月に取締役副社長に就任。1977年(昭和52年)6月22日、今里英三の後任として社長に就任する。
もっと読む
入江 仁士(いりえ ひとし、1910年 <明治43年> 2月… 入江 仁士(いりえ ひとし、1910年 <明治43年> 2月26日 - 1973年 <昭和48年> 9月28日)は、日本の経営者。大阪建物(現在のダイビル)社長を務めた。 広島県広島市出身。1935年に京都帝国大学法学部を卒業し、同年に大阪商船に入社。 1963年5月に取締役、1964年4月に大阪商船三井船舶常務、1965年5月に大阪建物常務を経て、1972年9月に社長に就任。 1973年9月28日、肝癌のために死去。63歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
もっと読む
村上 仁(むらかみ まさし、1910年1月26日 - 200… 村上 仁(むらかみ まさし、1910年1月26日 - 2000年11月1日)は、日本の医学者・精神科医。専門は精神病理学。京都大学名誉教授。元名古屋市立大学医学部教授、元兵庫医科大学医学部教授。学位は、医学博士。 西丸四方、島崎敏樹らと共に、日本の精神病理学第一世代を代表する人物である。精神医学の基礎領域である精神病理学を広く精神科臨床に根付かせるなど、日本の精神医学の発展に大きく貢献した。1964年には日本精神病理・精神療法学会を創設し、後に京都学派と呼ばれる多くの精神医学者を輩出した。フランス留学時にはジャネの心理学体系を学び、ウジェーヌ・ミンコフスキー、ルートヴィヒ・ビンスワンガー、メダルト・ボスなどの人間学的理解に加えて、ジークムント・フロイトの精神力動的視点から患者の精神構造の理解を試みた。
もっと読む
小幡 謙三(おばた けんぞう、1910年1月24日 - 19… 小幡 謙三(おばた けんぞう、1910年1月24日 - 1992年5月9日)は、日本の経営者。石川県出身。 1933年に京都帝国大学法学部を卒業し、旭ベンベルグ絹糸での勤務を経て、1947年3月に旭化成工業取締役に就任し、その後は常務、専務を歴任した。 1965年12月に積水化学工業顧問に就任し、1966年2月に社長に就任し、1971年5月に会長に就任した。 1972年5月にユニチカ社長に就任し、1974年3月から1977年3月までに会長を務めた。 1970年から1990年までに積水ハウス会長を務め、讀賣テレビ放送監査役も務めた。 1992年5月9日心不全のために死去。82歳没。
もっと読む
山口 平四郎(やまぐち へいしろう、1910年(明治43年)… 山口 平四郎(やまぐち へいしろう、1910年(明治43年)1月9日 - 2010年(平成22年)1月17日)は、日本の地理学者。立命館大学名誉教授。元人文地理学会会長。授勲勲三等瑞宝章。 日本において第二次世界大戦前から一貫して交通地理学研究を続けてきた唯一の人物。人文地理学会の発足に参画し、機関紙「人文地理」の発刊と頒布にも尽力。 陸軍中将・山口勝の四男として神奈川県横須賀市に生まれる。山口家の本拠は東京にあったが、父が軍人だった関係で小学校を2度転校した。小学生時より地理に関心を持ち、世界の高山や大河を表にしたり、国々や都市の人口、産物、鉄道などの統計を収集したりした。東京開成中学校を経て、1927年(昭和2年)4月、浦和高等学校文科甲類入学。
もっと読む
田中 敦(たなか あつし、1910年1月8日 - 1998年… 田中 敦(たなか あつし、1910年1月8日 - 1998年10月24日)は、日本の経営者。倉敷紡績社長、会長を務めた。 京都府亀岡市出身。1935年に京都帝国大学法学部を卒業し、同年に三和銀行に入行。1944年4月に倉敷紡績に転じ、1955年6月に取締役に就任し、1959年6月に常務、1962年3月に専務を経て、1964年6月に副社長に就任し、1965年6月に社長に昇格。1979年7月には会長に就任し、1987年6月から相談役を務めた。 1982年11月に勲三等旭日中綬章を受章した。 1998年10月24日、心不全のために死去。88歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
もっと読む
内多 毅(うちだ たけし、1910年1月7日 - ?)は、英… 内多 毅(うちだ たけし、1910年1月7日 - ?)は、英文学者。 京都府出身。第三高等学校卒、1935年京都帝国大学文学部英文科卒。陸軍中尉。1962年「Henry Fieldingの小説The life of Mr. Jonathan Wild, the great(1743)における諷刺の研究」で京都大学文学博士。第三高等学校教授、大阪市立大学助教授、教授、1966年東海大学文学部教授、文学部長、81年定年退任、名誉教授。十八世紀英文学研究会を組織した。
もっと読む
山本 捨三(やまもと すてぞう、1910年〈明治43年〉- … 山本 捨三(やまもと すてぞう、1910年〈明治43年〉- 没年不明)は、国文学者。熊本女子大学名誉教授。 滋賀県生まれ。1935年(昭和10年)京都帝国大学文学部国文科卒。関西学院大学助教授、相愛女子短期大学教授、熊本女子大学教授、名誉教授、大谷女子大学教授。
もっと読む
小野 隆祥(おの りゅうしょう、1910年〈明治43年〉 -… 小野 隆祥(おの りゅうしょう、1910年〈明治43年〉 - 1986年〈昭和61年〉)は、日本近代文学研究者。太宰治研究家の小野正文の兄。 青森県下北半島生まれ。旧制青森中学校(現:青森県立青森高等学校)、旧制弘前高等学校を経て、1932年京都帝国大学文学部哲学科を卒業。 1953年、労働者農民党より第26回衆議院議員総選挙に岩手1区から出馬するが、候補者中最下位得票で落選。その後修紅短期大学教授を務めた。
もっと読む
南波浩(なんば ひろし、1910年-2000年6月29日)は… 南波浩(なんば ひろし、1910年-2000年6月29日)は、国文学者、同志社大学名誉教授。 京都府生まれ。京都帝国大学大学院修了。同志社大学助教授、教授、1981年定年退任、名誉教授、梅花女子大学教授。
もっと読む