立原 啓裕(たちはら けいすけ、1954年〈昭和29年〉1月… 立原 啓裕(たちはら けいすけ、1954年〈昭和29年〉1月12日 - )は、日本の俳優、タレント。 大阪府出身、奈良県桜井市育ち。関西圏を中心に、テレビ・ラジオで活躍している。滋賀県大津市在住。既婚。 桃山学院高等学校、大阪芸術大学芸術学部放送学科を卒業、1977年に劇団四季に入団し、浅利慶太に師事する。厳しい修行をしたが、ダンスが苦手だった為、夜中一人でダンスの特訓をし、浅利にそれが認められ入団三年目で、初の舞台を踏む。以後300本を超える舞台を経験したが、1982年に退団した。また、退団後大阪に戻りMC企画に所属し1994年に個人事務所「立原オフィス」を設立した。 退団後すぐに時代劇『暴れん坊将軍』にゲスト出演するが、劇団時代のリアクションの演技がスタッフ等の目を引き過ぎてしまい、カルチャーショックを受ける。
石田 修一(いしだ しゅういち、1954年 - )は、日本の… 石田 修一(いしだ しゅういち、1954年 - )は、日本の北海道出身の音楽科教諭。 柏市立柏高等学校吹奏楽部総監督、千葉県吹奏楽連盟副理事長、全日本吹奏楽連盟東関東支部理事、日本音楽教育文化振興会評議委員、日本管打吹奏楽学会副執行役員、日本高等学校吹奏楽連盟常任理事、日本バンドクリニック委員会委員、柏の葉吹奏楽団音楽監督、柏市民吹奏楽団顧問、尚美ミュージックカレッジ専門学校管弦打楽器学科客員教授、開智国際大学教育学部教授、開智アカデミックウインドオーケストラ顧問。 1954年、北海道札幌市で生まれる。小中学生時代を福岡県北九州市で過ごし、フルートやトランペット、ピアノを学ぶ。大阪芸術大学芸術学部音楽学科へ進学。
山田 和(やまだ かず、1954年 - )は、現代美術家、陶… 山田 和(やまだ かず、1954年 - )は、現代美術家、陶芸家。 愛知県常滑市に生まれる。1976年、大阪芸術大学芸術学部工芸学科陶芸コース卒業。卒業と同時に越前陶芸村に築窯。加藤唐九郎に師事。志野を中心に、赫釉織部や青織部などを制作。祖父は二代山田常山(本名:誠)、父は山田健吉(常滑焼日展作家)、伯父は三代山田常山(本名:稔、常滑焼人間国宝)。次男の山田大、甥も陶芸家。 1988年、ドイツにて穴窯制作(ヤン・コルヴィツ陶房)。記録映画「炎より生れる」制作に参加(マークスツエルナープロダクション)。1989年、ドイツにて作品制作、初窯。2020年、イギリス、ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館に作品収蔵、展示。
河野 康弘(こうの やすひろ、1953年11月13日 - )… 河野 康弘(こうの やすひろ、1953年11月13日 - )は、日本のジャズピアニスト。奈良県生駒市出身、奈良県立郡山高等学校卒業、大阪芸術大学芸術学部中退。 大学中退後、矢沢永吉のバックバンド、中村雅俊の伴奏などを務める。 1983年 ジャズピアニストとしてアルバム「ピース」河野康弘トリオ+1でデビュー。 1988年 リチャード・デイビス(B)とツアー。 1991年 湾岸戦争をきっかけに平和と環境保護をテーマに活動をはじめ組曲「四万十川」発表。 湾岸戦争をきっかけに、「ジャズ」というジャンルにとらわれず、スタンダードから童謡まで広く扱うようになる。 1992年 約450万台のピアノが眠っていることを知り「冬眠ピアノお目覚めコンサート」開始。
郷司 正巳(ごうじ まさみ、1953年9月14日-2009年… 郷司 正巳(ごうじ まさみ、1953年9月14日-2009年11月5日)は日本の写真家。 JRP「視点」奨励賞受賞。『アサヒカメラ』、『旅』、『世界』など各雑誌で活躍。 世界写真史上初めてベトナムの海の民を系統的に取材して刊行した写真集『ベトナム海の民』(2002年コニカフプラザギャラリーCで個展。一部初出『世界』2001年10月号、『アサヒカメラ』2002年12月号)では、自ら文章を添え、『北海道新聞』、『西日本新聞』、『週刊金曜日』、『フィガロジャポン』、『日本カメラ』、『旅』、『フォトコンテスト』などに好評価の書評が掲載された。 日本写真家協会ほかが主催した「日本の子ども60年—21,900日のドラマ—」では、1980年の作品が日本の写真家が撮影した日本の子どもの写真24,000点の作品のなかから、展示のための204点の1点として、選ばれた。
憲仁親王妃 久子(のりひとしんのうひ ひさこ、1953年〈昭… 憲仁親王妃 久子(のりひとしんのうひ ひさこ、1953年〈昭和28年〉7月10日 - )は、日本の皇族。学者。高円宮家第2代当主。身位は親王妃。敬称は殿下。お印は扇(おうぎ)。勲等は勲一等。旧氏名は、鳥取 久子(とっとり ひさこ)。 高円宮憲仁親王の妃。憲仁親王は大正天皇の皇孫であり第125代天皇・現上皇明仁の父方のいとこである。 鳥取滋治郎第1女子。子爵・曾我祐邦の曽孫。大阪芸術大学客員教授を務める。日本サッカー協会の名誉総裁。2023年11月1日より公益財団法人日本バドミントン協会の名誉総裁。 東京都港区白金にて三井物産勤務・鳥取滋治郎、二三子(ふみこ)夫妻の長女として誕生。聖心女子学院附属幼稚園に入園。
成田 裕介(なりた ゆうすけ、本名裕一、1953年3月21日… 成田 裕介(なりた ゆうすけ、本名裕一、1953年3月21日 - )は、日本の映画監督。大阪芸術大学教授。日本映画監督協会理事。 秋田県出身。秋田県立秋田高校を卒業し、20数種の職業を経験する。1976年に若松孝二の若松プロに参加。その後フリーとなり、工藤栄一、加藤泰、崔洋一らの助監督として活動。1987年にテレビドラマ『あぶない刑事』第20話「奪還」にて監督デビュー。以後同作で多数のエピソードを演出する。 映画監督としては、1989年の『バカヤロー!2 幸せになりたい。』で初めてメガホンを取り、以後は『BE-BOP-HIGHSCHOOL』(Vシネマ版)、『新・湘南爆走族』等シリーズ物も数多く監督した。
吉田 正(よしだ せい、1953年(昭和28年)3月16日 … 吉田 正(よしだ せい、1953年(昭和28年)3月16日 -)は、山口県山口市出身の写真家。日本広告写真家協会会員。日本写真芸術学会会員。 山口県立山口高等学校卒。大阪芸術大学写真学科卒業後、大日本印刷(株)CDC(クリエイティブ・デザイン・センター)写真部に入社、コマーシャルフォトグラファーとして10年勤務の後に独立する。学生時代にアメリカ南部(セントルイス、ニューオーリンズなど)を撮影したモノクロの心象風景が彼の写真作品の原点となり、国内外の日常的なシーンを題材に静謐で情緒的な世界を展開し、スタイリッシュなモノトーンの作品として評されている。また、詩人の中原中也とは縁戚関係にあり、詩と写真のコラボレーション作品も発表している。
魔夜 峰央(まや みねお、本名:山田 峰央〈やまだ みねお〉… 魔夜 峰央(まや みねお、本名:山田 峰央〈やまだ みねお〉、1953年〈昭和28年〉3月4日 - )は、日本の男性漫画家。新潟県新潟市(現・同市中央区)出身。血液型はO型。通称(作品内での一人称)「ミーちゃん」。 新潟市立関屋中学校卒業後、新潟県立新潟南高等学校に入学。高校2年の夏休み中の8月28日より漫画を描き始め、以後毎日執筆を続けたとの事。大阪芸術大学に入学したが2年で退学。 1973年(昭和48年)、『別冊マーガレット』(集英社)1973年8月号「別マまんがスクール」で佳作受賞、同年『デラックスマーガレット』(集英社)1973年秋の号に掲載の『見知らぬ訪問者』でデビュー。当初は本名での作品発表であったが、後に現在のペンネームに改名[要出典]。
山形 季央(やまがた としお、1953年2月25日 - )は… 山形 季央(やまがた としお、1953年2月25日 - )は日本のアートディレクター、グラフィックデザイナー。 元資生堂宣伝制作室長・部長。元多摩美術大学グラフィックデザイン学科教授(〜2020)、大阪芸術大学グラフィックデザイン学科客員教授。 1953年、大阪府大阪市生まれ。 1976年、大阪芸術大学芸術学部デザイン学科卒業。同年、株式会社資生堂にグラフィックデザイナーとして入社。 1982年、宣伝部初代アートディレクターとしてパリに駐在。セルジュ・ルタンスと資生堂のグローバル・イメージ・キャンペーンを共創。( - 1986年) 1987年、アートディレクターとして、イプサや資生堂ホワイテスの立ち上げ、資生堂の国内外ブランドの広告やコミュニケーションデザインを担当。
久保 清一(くぼ せいいち、1953年〈昭和28年〉 - )… 久保 清一(くぼ せいいち、1953年〈昭和28年〉 - )は、日本の建築家。株式会社アルキービ総合計画事務所代表。大阪芸術大学大学院教授。JIA登録建築家。
石澤 典夫(いしざわ のりお、1952年8月16日 - )は… 石澤 典夫(いしざわ のりお、1952年8月16日 - )は、日本のフリーアナウンサー。大阪芸術大学放送学科アナウンスコース教授。元NHKアナウンサー。 1952年 神奈川県横浜市生まれ。横浜市立南高等学校、明治大学を卒業して1976年にNHK入局。鳥取局を皮切りに各地の放送局を巡る。『トライ&トライ』などへの出演を経て、『NHKニュース9』『NHKニュースおはよう日本』『NHKニュース7』(いずれも総合テレビ)などの報道番組でキャスターを務めた。1997年度から2001年度までは、『新日曜美術館』(Eテレ、当時は教育テレビ)の司会を担当。2009年10月からは、『ラジオ深夜便』(ラジオ第1)のアンカーに加わった。
柳原 正樹(やなぎはら まさき、1952年5月13日 - 2… 柳原 正樹(やなぎはら まさき、1952年5月13日 - 2021年4月29日)は、日本のキュレーター。独立行政法人国立美術館理事長、京都国立近代美術館館長、富山県とやま美術政策顧問。 富山県下新川郡宇奈月町(現・黒部市)出身[リンク切れ]。 1975年大阪芸術大学芸術学部美術科卒業、富山県庁入庁。学芸員として、富山県立近代美術館の開設にあたった。杉山寧展などを担当。 1996年富山県立近代美術館普及課長。2006年富山県水墨美術館副館長。2010年同館長。2013年京都国立近代美術館館長。2017年独立行政法人国立美術館理事長、富山県とやま美術政策顧問。 2019年芸術選奨文部科学大臣賞(美術部門)選考委員、芸術選奨文部科学大臣新人賞(美術部門)選考委員。
中島 らも(なかじま らも、1952年4月3日 - 2004… 中島 らも(なかじま らも、1952年4月3日 - 2004年7月26日)は、日本の小説家、劇作家、随筆家、広告プランナー、放送作家、ラジオパーソナリティ、ミュージシャン。本名は中島 裕之(なかじま ゆうし)。ペンネームの由来は、無声映画時代の剣戟俳優、羅門光三郎から[4]。活動当初は「羅門」「Ramon」「らもん」等のペンネームで雑誌に詩の投稿をしており、仲間内でも「らもん」を名乗っていたが「読者に名前を覚えてもらいやすいように」と1982年に「らも」に改名した。本稿では名の表記を、原則として「らも」で統一する。
白石 潔(しらいし きよし、1952年2月19日 - 、愛媛… 白石 潔(しらいし きよし、1952年2月19日 - 、愛媛県南宇和郡愛南町出身)は、日本の芸術家(油絵画家)。額縁制作や屏風制作も手掛け、主に日本国内とドイツで活動を行なっている。国際学院埼玉短期大学幼児教育科の非常勤講師。感性脳科学教育研究会の会員。 2013年現在、油絵の他に屏風制作も手掛けており、日本とドイツを繋ぐ活動も行なっている。ドイツ国内に到来した日本ブームにより現地のファンが多く、和の心を持つ日本人画家として有名である。
小林 大作(こばやし だいさく、1952年〈昭和27年〉2月… 小林 大作(こばやし だいさく、1952年〈昭和27年〉2月14日 - )は、タレント・ラジオパーソナリティ・ナレーター。大阪芸術大学教授。 兵庫県神戸市垂水区出身。子供の頃から人前に出るのが好きな性格で、高校生時代からアマチュア漫才師として視聴者参加番組に出演して活躍するなどしていた。 桃山学院高等学校、大阪芸術大学卒業後に、ラジオDJとしてデビュー。1975年にラジオ関西の「神戸発日曜午後一時」のDJに抜擢され、以後8年間に渡りDJを務める。 1979年に「ズームイン!!朝!」(日本テレビ系)の関西担当キャスターとなり、独特の話術で全国の顔となる。1992年に脳卒中で倒れて降板した安達治彦に代わって「メモリーズ・オブ・ユー」(ABCラジオ)のDJに抜擢される。
萩原 芳樹(はぎわら よしき、1952年 - )は、放送作家… 萩原 芳樹(はぎわら よしき、1952年 - )は、放送作家、漫才作家。萩原芳樹事務所を自ら主宰。日本放送作家協会会員。芦屋市在住。 兵庫県姫路市生まれ。幼い頃から演芸が好きで中学生の頃には吉本新喜劇の井上竜夫と文通をしていた。兵庫県立姫路東高等学校在学中に、親の反対を押し切り横山やすしに師事し、漫才台本の添削の指導を受ける(但し正式に師弟関係は結んでいない)。 大阪芸術大学在籍中に、桂三枝(現・六代桂文枝)が命名した「ダッシュとんぺー」の芸名でMBSラジオ『MBSヤングタウン』やMBSテレビ『ヤングおー!おー!』の前説を担当。1年程で辞め、島田洋七と漫才コンビ「B&B」を結成したが、まもなく失踪という形で脱退する(当時の芸名は団順一でボケを担当。
長沖 渉(ながおき わたる、1951年10月17日 - )は… 長沖 渉(ながおき わたる、1951年10月17日 - )は、日本のテレビドラマ演出家、脚本家。元大阪芸術大学放送学科教授。 大阪府出身。父は、吉本興業の文芸部長を務めた漫才作家・脚本家で後に帝塚山学院短期大学の学長にもなった長沖一。 大阪府立阿倍野高等学校を経て、1976年に立命館大学文学部(専攻は西洋史)を卒業。同年、NHKに入局。 1996年の『ふたりっ子』など、大阪放送局制作の連続テレビ小説を中心に、多くのドラマ作品の演出を手がけた。 2009年からはフリーの演出家に転向、2010年の朝日放送『夏子と天才詐欺師たち』で初めて民放ドラマの演出を手がけた。 2012年の東海テレビ『鈴子の恋 ミヤコ蝶々女の一代記』(大石静との共同執筆)で脚本家としてもデビュー。
壺井 勘也(つぼい かんや、1951年8月17日 - )は、… 壺井 勘也(つぼい かんや、1951年8月17日 - )は、日本の彫刻家である。大阪芸術大学芸術学部環境デザイン学科教授。大阪府出身。
三林 京子(みつばやし きょうこ、1951年7月17日 - … 三林 京子(みつばやし きょうこ、1951年7月17日 - )は、日本の女優、落語家、声優・ナレーター。本名、宮永 佳代子。 大阪市住吉区(現・住之江区)粉浜出身。米朝事務所所属。文化審議会委員と大阪府教育委員、大阪芸術大学短期大学部専任教授などを歴任した。 実父は文楽の人形遣いで人間国宝の二世桐竹勘十郎。弟は同じく人形遣いの三世桐竹勘十郎(前名・吉田簑太郎)。同二世吉田簑太郎は甥に当たる。 文楽の人間国宝の家に生まれ育ったが、子供時代にNHK大阪放送児童劇団に入団。大谷中学校在学中の1965年より、東宝所属の大物女優・山田五十鈴に師事した。 1970年に大谷高等学校を卒業後、東宝演劇部と契約。
大前 純史(おおまえ じゅんし、1951年3月10日 - )… 大前 純史(おおまえ じゅんし、1951年3月10日 - )は、日本の画家。 1951年、兵庫県宍粟市に生まれる。 高校時代の1967年に現代美術作家に入門。また、京都国立近代美術館でマルセル盗難事件の数日前に観たロートレック展のロートレックの筆致の素晴らしさに感動する。 大阪芸術大学在学中は大阪万博・松下館の天井装飾の工事や大劇アルバイトサロンのボーイ、阿倍野区にあるアポロビル地下のパールでのバーテンや朝日放送のケーブルマンなど30種類ほどのアルバイトに明け暮れる。合間に当時は絶対的な地位にあったビートルズの似顔絵をひたすら描いて過ごす。 株式会社資生堂では宣伝部制作室にグラフィックデザイナーとして配属。
池田 清明(いけだ せいめい、1951年 - )は、日本の洋… 池田 清明(いけだ せいめい、1951年 - )は、日本の洋画家。 岡山県笠岡市神島出身。大阪芸術大学を卒業後、大阪府立高校に美術科教諭として勤務するようになる。美術教師と働く傍ら、1976年に第38回一水会展に<鍛冶屋>を出品し、初入選する。2年後の1978年に第40回一水会展に【放課後】を出品し、佳作賞を受賞。1981年に第43回一水会展に【若い先生】を出品、山下奨励賞を受ける。1987年には日展に入選され、1991年に日展で特選を受賞。1992年には小磯良平大賞展に入選し、1998年には六藝書房から画集を刊行する。2000年には大阪府立高校での教員を辞職し、第62回一水会展に【リハーサル】を発表し、一水会展文部大臣奨励賞が受賞される。
池辺 幸惠(いけべ ゆきえ、1950年(昭和25年)12月 … 池辺 幸惠(いけべ ゆきえ、1950年(昭和25年)12月 - )は、日本のピアニスト。日朝音楽芸術交流会会長。元大阪芸術大学講師。 広島県福山市出身。兵庫県宝塚市在住。 大阪教育大学附属高等学校池田校舎卒業後、 大阪芸術大学に入学、卒業。大阪教育大学大学院修了。 池辺は2012年4月に訪朝し「4月の春国際親善芸術祭典」に参加し、自作の"アリラン変奏曲"の演奏により賞を受賞している。以来北朝鮮の理解と交流・支援に深く携わり、北朝鮮への偏見と誤解、在日朝鮮人・朝鮮学校への差別をなくすさまざまな活動や、それらの主旨と反原発と9条を守る歌とピアノとスライドショーの"平和コンサート"を催している。 2019年7月、日朝音楽芸術交流会名誉会長だった小笠原美都子が死去、同年9月7日にアウィーナ大阪で開かれた小笠原を偲ぶ会では「平壌慕情」と「平壌賛歌」をピアノで弾き語り、「アリラン変奏曲」をピアノ演奏している。
唐仁原 教久(とうじんばら のりひさ、1950年8月25日 … 唐仁原 教久(とうじんばら のりひさ、1950年8月25日 - 2022年7月6日)は、日本のイラストレーター、アートディレクター。太宰治作品をはじめとする新潮文庫の装丁や、無印良品のポスターなど幅広く手掛けた。 鹿児島県薩摩川内市祁答院出身。祁答院町立大村中学校(現:薩摩川内市立祁答院中学校)で美術教諭だった日本画家・水墨画家の芝龍郎に絵を学ぶ。鹿児島県立宮之城高等学校(現:鹿児島県立薩摩中央高等学校)、大阪芸術大学芸術学部デザイン学科卒業。 1984年デザイン事務所「Happy Birthday Company(有限会社ハッピー・バースディ・カンパニー)」設立。1985年HB Gallery開廊。
松田 秀知(まつだ ひでとも、1950年7月26日 - 20… 松田 秀知(まつだ ひでとも、1950年7月26日 - 2021年9月)は、日本のテレビドラマディレクター、演出家。 大阪芸術大学放送学科卒業後、フジテレビ契約ディレクターを経て1987年共同テレビに入社。共同テレビジョン部長待遇ゼネラルディレクターを経て、大阪芸術大学放送学科教授を歴任。 田村正和、陣内孝則、柳葉敏郎といった俳優と仕事をする機会が多く、近年は特に米倉涼子主演の連続ドラマで4作連続でメイン監督を務めており、その米倉主演の劇場版『交渉人 THE MOVIE』(2010年2月公開)も監督。松田にとって映画の初メガホンとなった。ちなみに米倉とは腹を分かち合って話せる間柄でもあったようで「喧嘩するほど仲が良い」関係だった模様。
佐々木原 保志(ささきばら やすし、1950年 - )は、日… 佐々木原 保志(ささきばら やすし、1950年 - )は、日本の撮影監督。北海道帯広市出身。 1968年北海道帯広三条高等学校卒業。1971年日活撮影所に契約カメラマンとして入社、1973年以降はフリーとなり、1982年の『ISAMI』で撮影監督としてデビュー。照明監督の安河内央之とは名コンビと謳われ、多数の作品を輩出。1988年日本映画撮影監督協会(J.S.C.)に入会し、2002年から副理事長を務める。2005年大阪芸術大学映像学科の教授に就任。 ※受賞歴のある作品は太字で表記
叶 精作(かのう せいさく、本名:田村 精作(たむら せいさ… 叶 精作(かのう せいさく、本名:田村 精作(たむら せいさく)、男性、1949年1月26日 - )は、日本の漫画家、イラストレーター。新潟県新潟市出身。大阪芸術大学キャラクター造形学科客員教授。 鉄道好きで、SLの機関士(運転士)を夢見る少年時代を送っていた。新潟県立新潟工業高等学校卒業後、NOKの静岡工場で設計課に勤務していたが、型にはまったサラリーマン生活に懲り、友人を頼り東京の板橋に上京。さいとう・たかを率いるさいとう・プロダクションの求人に応募。幸運にも採用されたことがきっかけで初めて漫画の世界に踏み込み、4年間のアシスタント生活の後、さいとうプロを退職する。 その後、紆余曲折を経てスタジオ・シップ(現・小池書院)で小池一夫に師事し、1973年に小池の原作による「からあ怒」で連載デビュー。
石田 研二(いしだ けんじ、1949年 - )は写真家。京都… 石田 研二(いしだ けんじ、1949年 - )は写真家。京都府出身。 大阪芸術大学デザイン学科卒業。写真家の野町和嘉に師事。その後、フリーとなり個展他、グループ展に多数参加し活躍する。 日本写真家協会会員、フォトボランティアJAPAN会員、日本写真芸術専門学校講師、東洋美術学校講師。
永坂 嘉光(ながさか よしみつ、1948年6月21日 - )… 永坂 嘉光(ながさか よしみつ、1948年6月21日 - )は、日本の写真家。大阪芸術大学写真学科教授。 故郷の高野山のほか、宗教と文化をテーマに日本各地やインド、ブータン、スリランカなどアジア各国で撮影している。 1948年6月21日、和歌山県高野山生まれ。 大阪芸術大学芸術学部卒業。岩宮武二に師事。 大阪芸術大学写真学科教授。 2019年3月、大阪芸術大学写真学科教授定年退職。 1970年代頃から故郷の高野山の撮影をライフワークとしてはじめる。1980年代前半より空海の足跡を辿って日本各地や中国で撮影。1990年ごろからは日本全国の霊場などを撮影しており、多数の写真集を出版している。 台南市中西区環河街、2019年3月2日(土)~4月14日(日))
里中 満智子(さとなか まちこ、女性、1948年1月24日 … 里中 満智子(さとなか まちこ、女性、1948年1月24日 - )は、日本の漫画家、大阪芸術大学教授。公益社団法人日本漫画家協会理事長(2018年6月 - )。大阪府大阪市都島区出身。描いた作品数は2019年時点で500を超える。 小学校入学に際して何か本を買ってあげるといわれ、親と本屋に行った際に、当時創刊された月刊なかよしを購入する。その中の手塚治虫『とんから谷物語』を好きになり、そこから少年マンガも読み始め『鉄腕アトム』や、すでに連載が終わっていたが当時はまだ珍しかった単行本になっていた『ジャングル大帝』を愛読した。『火の鳥』を模倣して自分で書いた『海のオーロラ』で時間の流れをコマ割りで読者に確実に伝える手塚の技法を模倣した。
村居 正之(むらい まさゆき、1947年4月20日 - )は… 村居 正之(むらい まさゆき、1947年4月20日 - )は、日本画家。日本芸術院会員、日展理事、大阪芸術大学教授美術学科長。金沢美術工芸大学客員教授。 父玄之助 (大正5年10月28日生)と母ハナ江 (大正9年3月21日生)の次男として京都市で生まれる。京都市立日吉ヶ丘高等学校美術工芸コース日本画科卒業後、池田遙邨に師事。日本芸術院会員、日展理事、大阪芸術大学教授 美術学科長。2019年に「月照」で恩賜賞・日本芸術院賞受賞。
松井 桂三(まつい けいぞう、1946年9月 - )は、広島… 松井 桂三(まつい けいぞう、1946年9月 - )は、広島県広島市出身、兵庫県在住のアートディレクター、グラフィックデザイナー。大阪芸術大学短期大学部・デザイン美術学科教授。松井桂三有限会社主宰。様々な企業・ブランドのアートディレクションを手がけている。 広島県立広島国泰寺高等学校、大阪芸術大学デザイン学科を中退後、髙島屋宣伝部に入り広告デザインを多数手がける。独立後、Apple Computerデザインコンサルタント、政府広報のシンボルマーク、関西国際空港株式会社のシンボルマークなどを手がける。また、ヒロココシノのブランディングのアートディレクションほか、多岐にわたり上質なデザイン・ブランディングを手がける。
織田 憲嗣(おだ のりつぐ、1946年 - )は、日本の家具… 織田 憲嗣(おだ のりつぐ、1946年 - )は、日本の家具デザイナー、椅子研究家、東海大学名誉教授。 高知県出身。大阪芸術大学芸術学部デザイン学科卒業。百貨店宣伝部勤務、フリーのイラストレーター、北海道東海大学(現在は東海大学に統合され同校の札幌キャンパスとなっている)教授、東海大学芸術工学部くらしデザイン学科教授を歴任。 イラストレーション、広告デザイン、家具デザイン アドバタイジングデザインとイラストレーション。椅子のデザインの体系化。
武本 比登志(たけもと ひとし、1946年 - )は、日本の… 武本 比登志(たけもと ひとし、1946年 - )は、日本の画家(油彩画家)。大阪府大阪市出身。ポルトガルの風景を、独特の赤を多用し、独自の画風を確立。 来歴1946年、愛媛県新居浜市出身の画家・武本憲太郎(1911-2012)の次男として、大阪市東住吉区に生まれる。父が主宰する土曜日児童画教室で幼少の頃より絵に親しむ。 育和幼稚園、桑津小学校、東住吉中学校を経て浪速高等学校に入学。美術部に入部し、本格的に油彩を描き始める。このときの同期には、上久保良文(イラストレーター)が、先輩に吉田定一(児童文学、詩人、画家)、1年後輩には、はるき悦巳(漫画家・じゃりン子チエ)などがいる。また、顧問の藤井満の下、今も50年目を迎えるOB展、NACK展(茶臼山画廊)、NACKシニア展(マサゴ画廊)、スケッチ会など盛んに活動が行われている。
塚本 邦彦(つかもと くにひこ、1945年10月 - )は、… 塚本 邦彦(つかもと くにひこ、1945年10月 - )は、日本の教育者。大阪芸術大学学長兼学校法人塚本学院理事長。関西・歌舞伎を愛する会代表世話人。 大阪芸術大学、大阪医療大学のほか、大阪芸術大学短期大学部、専門学校、幼稚園の計8教育機関を率いており、理事長就任後、大阪芸術大学の演奏学科学科にポピュラー音楽コースを設立し、教授に財津和夫を迎えたり、キャラクター造形学科を新設し、学科長に里中満智子を、教授陣に、小池一夫、池上遼一を招いたりしている。 三重県伊勢市出身。1969年、大阪教育大学中学校教員養成課程卒業。大阪樟蔭高等学校で社会科を、大阪芸術大学で教育学などを教えた後、学校法人塚本学院法人本部勤務。
池上 遼一(いけがみ りょういち、男性、1944年5月29日… 池上 遼一(いけがみ りょういち、男性、1944年5月29日 - )は、日本の漫画家。大阪芸術大学キャラクター造形学科教授を務めており、劇画家と紹介されることもある。 福井県越前市(旧:武生市)出身。小学生のころから貸本漫画に慣れ親しむ。 中学卒業後、大阪に移り看板屋の仕事をしながら漫画を描き始める。1962年、漫画短編誌『魔像』(日の丸文庫)に掲載された「魔剣小太刀」で貸本漫画家デビュー。岩井しげおらのアシスタントをしながら漫画を描くが生活苦で断念、看板屋の仕事に戻る。 1966年、投稿した読切作品「罪の意識」が『ガロ』に掲載され、これを読んだ水木しげるが青林堂の長井勝一にスカウトを依頼。水木のアシスタントになるべく上京する。
小野寺 昭(おのでら あきら、1943年〈昭和18年〉9月1… 小野寺 昭(おのでら あきら、1943年〈昭和18年〉9月19日 - )は、日本の俳優、元大阪芸術大学短期大学部客員教授。本名は同じ。柊企画を経て、フロム・ファーストプロダクション所属。 北海道帯広市出身。北海道帯広三条高等学校卒業。 もともと引っ込み思案の恥ずかしがり屋で、人前で何かをすることが苦手だった。地方公務員の父親がアマチュア劇団を主宰しており、舞台を覗いた時に、普段できないことをお芝居という力を借りて別人になってできることに興味を持ち俳優を志す。高校時代に演劇部の部長として『夕鶴』の与ひょう役を演じ、高校演劇コンクールで地区代表に選ばれて北海道大会に出場した。高校卒業後、東京で児童劇団を主宰していた父親の元劇団仲間を頼って、上京する。
浜畑 賢吉(はまはた けんきち、1942年〈昭和17年〉10… 浜畑 賢吉(はまはた けんきち、1942年〈昭和17年〉10月29日 - 2024年〈令和6年〉7月2日)は、日本の俳優。大阪芸術大学教授・舞台芸術学科長。 妻は上村香子。うたた賢は実弟。オフィス・ミヤモト所属。 東京都出身。東京都立広尾高等学校卒業、東海大学工学部機械工学科中退。 劇団俳優座養成所第15期の出身。養成所修了後の1966年、劇団四季に入団。 1968年のテレビドラマ『進め!青春』で新米教師・高木進役を演じて当たり役となる。 第一生命ホールで上演された『カナマゾフの兄弟』で初舞台を踏み、日生劇場などで上演された『コーラスライン』は、1979年の初演以来、主人公のザック役として800回以上にわたって出演した。
吉田 カツ(よしだ かつ、1939年11月4日 - 2011… 吉田 カツ(よしだ かつ、1939年11月4日 - 2011年12月18日)は、日本のイラストレーター。本名、吉田勝彦(よしだ かつひこ)。 兵庫県多紀郡城北村(現、丹波篠山市)出身。 1961年、大阪美術学校(現、大阪芸術大学)デザイン科を卒業後、平沢志郎デザイン室で働き始めるが3か月で退職。 1963年、オギノスタジオ入社。 1968年、オギノスタジオ退社、旭通信社入社。 1970年、旭通信社退社。 1973年、妻・智恵子と大阪で挙式。 1974年、『ローリング・ストーン』誌の仕事をきっかけにキョードー東京の出版物や『GORO』 、『アドリブ』、『月刊プレイボーイ』等の雑誌のイラストレーションを手がけるようになる。
守谷 史男(もりや ふみお、1938年4月8日 - )は、日… 守谷 史男(もりや ふみお、1938年4月8日 - )は、日本の画家。行動美術協会会員、大阪芸術大学教授。大阪府茨木市在住。放送作家の守谷武己は実子。
坂本 新太郎(さかもと しんたろう、1937年(昭和12年)… 坂本 新太郎(さかもと しんたろう、1937年(昭和12年)1月2日 - )は、日本の造園学者。元大阪芸術大学環境デザイン学科教授。学術博士(千葉大学)。技術士。都市緑化技術開発機構(現 都市緑化機構)の創設者。特定非営利活動法人 環境再生 理事長。 島根県出身。1960年、千葉大学園芸学部造園学科卒業。建設省に入省し、都市局都市計画課などを経て、1985年建設省公園緑地課長、国際花と緑の博覧会協会政府苑副苑長、1988年建設大臣官房審議官を歴任。1991年、第13回日本公園緑地協会北村賞。1995年、英国王立キュー植物園の日本庭園ゾーン勅使門修復と日本庭園築造工事プロジェクトに関わった。2008年(平成20年)秋の叙勲で瑞宝中綬章受章。
牧口 一二(まきぐち いちじ、1937年〈昭和12年〉 - … 牧口 一二(まきぐち いちじ、1937年〈昭和12年〉 - 2024年〈令和6年〉9月26日)は、日本のグラフィックデザイナー、障害者運動家、作家。 大阪府出身。大阪美術学校(現・大阪芸術大学)卒業。障害者の社会進出、自立などを考え、精力的に活動し、障害者に代わる新しい言葉の模索もしている。現在、被災障害者支援「NPO法人 ゆめ・風10億円基金」事務局長、障害者文化情報研究所所長。大阪市立大学、桃山学院大学、関西学院大学非常勤講師。障害者だからこそ見える社会の矛盾を鋭く指摘している。 満1歳の頃、脊髄性小児マヒ(ポリオ)にかかり、歩くことが不自由になる。小学校2年の頃から松葉杖で通学することが出来るようになり、中学、高校、美術学校と、全て地域の学校に通う(現在は車イスを使っている)。
井上 青龍(いのうえ せいりゅう、1931年 - 1988年… 井上 青龍(いのうえ せいりゅう、1931年 - 1988年8月18日)は、日本の写真家。高知県土佐市生まれ。 1951年より岩宮武二に師事。大阪・釜ヶ崎地域の写真を撮り続け、1961年に『人間百景—釜ヶ崎』で第5回日本写真批評家協会新人賞、カメラ芸術新人賞を受賞する。 1976年に大阪芸術大学芸術学部写真学科講師となり、1977年に同大学助教授、1987年に同大学教授となった。 1988年、徳之島での撮影中に波にさらわれて事故死した。享年57。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
辻 久子(つじ ひさこ、本名:坂田 久子、1926年3月16… 辻 久子(つじ ひさこ、本名:坂田 久子、1926年3月16日 - 2021年7月13日)は、日本のヴァイオリニストである。大阪芸術大学名誉教授。辻久子弦楽塾塾長。
胡桃沢 源人(くるみさわ げんじん、1902年(明治35年)… 胡桃沢 源人(くるみさわ げんじん、1902年(明治35年)8月6日 - 1992年(平成4年)3月23日)は、日本の洋画家である。本名は源市。 長野県松本市の生まれ。矢野橋村が設立した大阪美術学校に入学し、在学中の1928年(昭和3年)に自身の作品が帝展に初入選される。1929年(昭和4年)に卒業後は、斎藤与里の門人となった。1935年(昭和10年)には東光会の会員となり、1941年(昭和16年)及び翌1942年(昭和17年)には2年連続で新文展に出品され特選となる。 その後は大阪美術学校の後輩だった日本画家の融紅鸞と結婚し、1964年(昭和39年)には浪速芸術大学(現在の大阪芸術大学)の教授となり、会員だった東光会の理事長や大阪市立美術研究所の講師も務めた。
山盛 由果(やまもり ゆか、10月27日 - )は、日本の女… 山盛 由果(やまもり ゆか、10月27日 - )は、日本の女性声優。大阪府出身。青二プロダクション所属。 大阪芸術大学初等芸術教育学科卒業。ヒューマンアカデミー大阪校卒業。 資格は司書資格、幼稚園教諭一種免許。趣味は回転寿司食べ比べ。特技はイラスト描画、消しゴムハンコ作り。方言は大阪弁。 テレビ番組でのナレーションやボイスオーバーの出演が多い。 太字はメインキャラクター。 この項目は、声優(ナレーターを含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJ:アニメ/PJ:声優)。
金田 陽介(かねだ ようすけ、10月17日 - )は、日本の… 金田 陽介(かねだ ようすけ、10月17日 - )は、日本の漫画家。三重県鈴鹿市出身。男性。 読み切り『氷山』で第84回週刊少年マガジン新人漫画賞佳作を受賞。同作が『マガジンSPECIAL』2010年8月号に掲載、デビューする。 渡辺静のアシスタントを経て、2012年(平成24年)から2014年(平成26年)まで『星天高校アイドル部!』を連載。2015年(平成27年)から2019年(令和元年)にかけては『寄宿学校のジュリエット』を連載した。 大阪芸術大学芸術学部キャラクター造形学科卒業。 私生活では既婚者であり、2020年(令和2年)8月18日に第1子が誕生した。 全て講談社の「講談社コミックス」より刊行される。
金澤 洪充(かなざわ ひろみつ、10月16日 - )は、日本… 金澤 洪充(かなざわ ひろみつ、10月16日 - )は、日本の男性アニメーション演出家、アニメ監督。大阪府吹田市出身、大阪市旭区育ち。 大阪芸術大学映像学科卒業後、アリスソフトを経てGoHandsに所属していたが、2019年7月からフリーランスとなり、2022年5月現在は大阪芸術大学の映像学科講師として勤めながらフリーのアニメ演出家としても活動している。 大学在学中からアリスソフトにアルバイトとして出入りし、正式に所属した後は「ちみろいむ」名義でファンクラブ専用サイトの設営、企画、管理、広報、版権管理などを担当していた。アリスソフト退社後はテレビアニメ作品のデザインや3D関係を担当。 『無敵王トライゼノン』で商業用アニメーション制作に初参加、『プリンセスラバー!』にてアニメ監督を初担当。
祖山 桃子(そやま ももこ、10月14日 - )は、日本の女… 祖山 桃子(そやま ももこ、10月14日 - )は、日本の女性声優。埼玉県出身。青二プロダクション所属。 大阪芸術大学芸術学部放送学科卒業。 中学、高校時代は合唱部に所属していた。 2011年に創設された大阪芸術大学の放送学科声優コースの第1期生である。 趣味は歌唱、洋画・海外ドラマ鑑賞、ハリウッド女優モノマネメイクである。 青二プロダクションの同期にれいみがいる。 太字はメインキャラクター。
木村 真一郎(きむら しんいちろう、10月4日 - )は、日… 木村 真一郎(きむら しんいちろう、10月4日 - )は、日本の男性アニメ監督・演出家。別名義にきむらしんいちろう、キムラシンイチロウ、常磐鐘鳴、村木一真。愛称はキムシン。広島県出身。 幼少期は、父親がタンカー船員だった為に家を長く空ける事が多く、母親と共に時代劇やドラマ等を観て過ごす事が多かった。アニメに関しては『タイガーマスク』が印象に残っていると言い、その原作漫画やアニメ雑誌も愛読していた。 教員免許取得を目的として、大阪芸術大学芸術学部美術学科油画コースへ進学。在学中は漫画アニメーション研究会CASに所属し、漫画家・田中政志や、アニメ監督・加戸誉夫らと同期。 大学卒業後、動画スタッフとしてじゃんぐるじむに入社するも、演出業務に興味が移り、程無くスタジオワールドへ制作進行として移籍し、先輩となる小島正幸・桜井弘明らの下で演出助手として研鑽も深める。