徐 龍達(ソ・ヨンダル、1933年3月 - 2024年11月… 徐 龍達(ソ・ヨンダル、1933年3月 - 2024年11月25日)は、韓国の経営学者。桃山学院大学名誉教授。 1933年韓国、釜山で生まれる。1942年、9歳の時に来日。1951年関西大蔵高等学校卒業。1957年大阪市立大学商学部を卒業し、1963年神戸大学大学院経営学研究科博士課程を修了。 1963年に桃山学院大学経済学部で専任講師(日本の四年制大学でアジア人初の教授会構成員)となって教鞭をとり、1965年助教授、1971年教授に昇進。2003年定年退職。 2024年11月25日死去。91歳没。 教職の傍ら、外国籍の研究者が国公立の大学に採用されるよう市民運動を展開。1982年の「外国人教員任用法」の成立に尽力し、3300人を超える国公立大の外国人教員の採用に道筋を付けた。
恋坂 通夫(こいさか みちお、1933年 - 2019年)は… 恋坂 通夫(こいさか みちお、1933年 - 2019年)は、日本の教育者。元高等学校教諭。福井県日本高等学校教職員組合委員長。 詩人。本名:辻 健隆。旧姓:緩詰。 福井県遠敷郡口名田村(現・小浜市)で緩詰家の7人兄弟の末っ子として生まれる。生後間もなく、叔父叔母(血縁関係)にあたる辻家に養子に出され、一人っ子として育つ。 大阪市立大学卒業後、1956年、福井県立高等学校教諭に採用され、福井県立若狭高等学校教諭、福井県立羽水高等学校教諭を歴任し、1994年の定年退職まで、福井県日本高等学校教職員組合運動に携わり、委員長を務めた。 定年退職後は、福井市で喫茶店“パウリスタ”を自営。晩年は、永平寺町で暮らした。
大谷 泰照(おおたに やすてる、1933年 - )は、日本の… 大谷 泰照(おおたに やすてる、1933年 - )は、日本の英語教育学者、大阪大学名誉教授。 京都府生まれ。1956年大阪市立大学文学部卒業。桃山学院大学助教授、関西大学教授、大阪大学言語文化部教授、1995年退官、名誉教授、滋賀県立大学教授、名古屋外国語大学教授を歴任。
竹谷 正(たけたに ただし、1933年 - 2022年4月2… 竹谷 正(たけたに ただし、1933年 - 2022年4月2日)は日本の推理作家。大阪府生まれ。『宝石』、『別冊宝石』、『幻影城』に短編が掲載されている。 大阪市立大学医学部卒、同大学院修了。医学博士。同大学の眼科講師を経て、東大阪市で眼科医院を開業した。 1955年には推理小説誌『宝石』、翌年には『別冊宝石』で短編推理小説が入選し、それぞれ「新人二十五人集」の1編として掲載された。1977年の第2回幻影城新人賞小説部門に投じた「一流保険」は、受賞は逃したものの「推薦新人」の作として掲載された(入選作なし、佳作は加藤公彦、辻蟻郎、霜月信二郎)。 藤澤桓夫『文学雑誌』の同人。また、幻影城新人賞の受賞者を中心に結成された「影の会」のメンバーであり、『幻影城の時代 完全版』(講談社、2008年12月)では、影の会についてのエッセイを執筆し、資料として影の会メンバーが作成していた「影の会通信」を提供している。
片山 智行(かたやま ともゆき、1932年11月25日 - … 片山 智行(かたやま ともゆき、1932年11月25日 - )は、中国文学者。大阪市立大学名誉教授。 大阪市生まれ。1958年東京大学文学部中国文学科卒、1965年大阪市立大学大学院博士課程満期退学。1971年大阪市立大学講師、1973年助教授、1980年教授。1993年「魯迅のリアリズム 「孔子」と「阿Q」の死闘」で、文学博士(大阪市立大学)の学位を取得。1996年定年退官、名誉教授、関西外国語大学教授、同孔子学院理事。2003年退職。
斎藤 文男(さいとう ふみお、1932年10月28日 - 2… 斎藤 文男(さいとう ふみお、1932年10月28日 - 2022年11月30日)は、日本の法学者。九州大学名誉教授、福岡放送ニュースコメンテーター、執筆家、政治倫理・九州ネットワーク顧問。血液型A型。平成24年叙勲(瑞宝中綬章)受章。 奈良県出身、京都大学法学部卒業後、大阪市立大学大学院修士課程修了。専門は憲法、行政法、マスコミ法。 1961年から1996年までの間、九州大学教養学部と法学部の教授として教鞭を取った後、名誉教授となる。 教鞭を取る傍ら、情報公開条例や政治倫理条例作成をはじめとする地方自治実務関連の市民運動にも数多く携わる。 1995年より2009年3月27日まで福岡放送「めんたいワイド4:55→めんたいワイド」のコメンテーターとして出演(但し番組のリニューアルに伴い2005年からは18:17からのローカルニュースのみの出演となった)。
栗城 壽夫(くりき ひさお、Hisao Kuriki、193… 栗城 壽夫(くりき ひさお、Hisao Kuriki、1932年9月4日 - )は、日本の法学者。専門は、憲法・比較憲法学・ドイツ憲法。大阪市立大学名誉教授、上智大学名誉教授。ドイツ・フライブルク大学 名誉法学博士。ドイツ憲法判例研究会(独: Forschungsgesellschaft für deutsches Verfassungsrecht (FdV), Japan)設立者、2013年4月から名誉代表。福岡県門司出身。 略歴は以下のとおり。 指導教官は林田和博(wikidata)。水波朗からも指導を受けた。 ◎ 大学の紀要等において国内で公表されているものについては、国立情報学研究所(NII)の学術情報ナビゲータ,通称:CiNii(サイニィ)サイトの論文情報検索、図書・雑誌情報検索(複数著者である場合は検索結果を詳細表示)を用いると、概ねリストアップされることが確認できています。
阪本 良男(さかもと よしお、1932年8月22日- 200… 阪本 良男(さかもと よしお、1932年8月22日- 2007年11月29日)は、日本の精神科医、阪本精神病理学研究所名誉所長。 坂本病院の阪本三郎の三男として大阪府に生まれる。兄は阪本健二。1956年京都大学農学部卒、1960年大阪市立大学医学部卒。1965年大阪市立大学医学博士。1971年杏林大学精神科助教授。阪本精神病理学研究所長、名誉所長。
弘原海 清(わだつみ きよし、1932年8月1日 - 201… 弘原海 清(わだつみ きよし、1932年8月1日 - 2011年1月3日)は、日本の地球科学者。専門は情報地質学。NPO法人「大気イオン地震予測研究会e-PISCO」を設立し、理事長を務めた。 兵庫県出石町(現・豊岡市)出身。大阪市立大学大学院理学研究科卒。1966年 大阪市立大学 理学博士 「地史学における火山岩体の取扱について」。 姫路工業大学助教授、大阪市立大学理学部教授などを経て、1993年、大阪市立大学理学部長。 理学部長在職中の1995年1月17日、兵庫県南部地震による阪神・淡路大震災が発生、大阪市立大学阪神大震災学術調査団の団長として、宏観異常現象の収集に取り組む。また、1990年には日本情報地質学会を設立し、初代会長に就任する。
駒村 秀雄(こまむら ひでお、1932年4月22日 - 20… 駒村 秀雄(こまむら ひでお、1932年4月22日 - 2003年10月21日)は、日本の経営者。アール・エフ・ラジオ日本社長を務めた。兵庫県出身。 1955年に大阪市立大学商学部を卒業し、同年に倉敷レイヨンに入社。日本水産での勤務を経て、1962年にラジオ関東(のちのアール・エフ・ラジオ日本)取締役に就任し、1965年に常務、1969年に副社長を経て、1987年には社長に就任。1994年に会長に就任。 2003年10月21日に虚血性心不全のために死去。71歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
西長明(にしなが あきら、1932年3月23日 - )は、日… 西長明(にしなが あきら、1932年3月23日 - )は、日本の化学者。大阪工業大学工学部応用化学科元教授。理学博士(大阪市立大学)。日本化学会第11回学術賞受賞者。 専門は、有機化学・有機金属化学/錯体化学、触媒化学・合成化学。 1963年大阪市立大学(現:大阪公立大学)大学院博士課程修了、理学博士(大阪市立大学)。同大学助手を経て、1965年京都大学工学部助手。1986年同学部合成化学教室助教授を経て、1987年大阪工業大学工学部応用化学科教授。1999年大阪工業大学退官。 京都大学・大阪工業大学工学部にて30年以上の長きに渡り教鞭を執り、特に有機金属化学/錯体化学・触媒化学・合成化学の研究・育成に努めた。
西尾 哲(にしお あきら、1932年3月10日 - )は、日… 西尾 哲(にしお あきら、1932年3月10日 - )は、日本の経営者。大阪府出身。 1957年に大阪市立大学(現大阪公立大学)理工学部高分子化学科を卒業し、同年に日商に入社。 1984年6月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1989年6月に副社長に就任し、翌年6月には社長に昇格した。1999年6月に相談役に就任した。 1998年11月に藍綬褒章を受章した。
治山 正次(はるやま しょうじ、1932年1月15日 - 2… 治山 正次(はるやま しょうじ、1932年1月15日 - 2022年12月17日)は、日本の経営者。はるやま商事の創業者。岡山県出身。 1954年に大阪市立大学を卒業。 1955年、玉野市に前身となるはるやま洋服店を創業。1973年にはるやま商事を設立して社長に就任。1978年、倉敷市の幹線道路沿いに初めて郊外型の店舗を出店し、1988年には岡山市内に大型店をオープン。以降、全国の主要幹線道路沿いに店舗を展開し、紳士服大手企業として発展させた。2003年6月に社長職を息子の正史に譲り、2009年まで代表取締役会長を務めた。2009年からは名誉会長に就任。 その後、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の感染拡大よる経営不振を理由に、2020年の株主総会で大株主である長女とともに正史ら経営陣の退任を要求。
渡利 陽(わたり あきら、1932年1月7日 - 2015年… 渡利 陽(わたり あきら、1932年1月7日 - 2015年10月7日)は、日本の経営者。ニチメン社長を務めた。兵庫県出身。 1954年に大阪市立大学経済学部を卒業し、同年に日本綿花に入社。1984年6月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1993年6月に副社長に就任し、1994年6月には社長に昇格した。2000年10月に会長に就任し、2001年6月から相談役を務めた。 1998年11月に藍綬褒章を受章した。 2015年10月7日心不全のために死去。83歳没。
佐久間 曻二(さくま しょうじ、1931年11月23日 - … 佐久間 曻二(さくま しょうじ、1931年11月23日 - )は、日本の実業家。WOWOW代表取締役会長兼最高経営責任者などを務め、経営危機にあった同社の再建を行った。 新潟県上越市で5人兄弟の末っ子として生まれる。実家は酒屋。1950年新潟県立高田高等学校卒業。1956年大阪市立大学大学院経営学研究科修了、松下電器産業(現パナソニック)入社。1980年経営企画室長。1983年取締役昇格。1987年から副社長を務めたが、ナショナルリース不正融資事件で1992年参与に降格。 再建者を探していた中山素平からの打診を受けた山下俊彦の紹介で、1993年から日本衛星放送(現WOWOW)代表取締役社長を務め、債務超過状態にあった同社の再建を行った。
市川 博邦(いちかわ ひろくに、1931年7月11日 - 2… 市川 博邦(いちかわ ひろくに、1931年7月11日 - 2016年3月2日)は、日本の経営者。象印マホービン社長を務めた。創業者市川重幸の弟でもある。 東京都出身。1956年に大阪市立大学文学部を卒業し、同年に協和魔法瓶工業(現在の象印マホービン)に入社。1961年に監査役に就任し、1968年に取締役、1977年に常務、1978年に専務を経て、1982年に副社長に就任し、1987年2月には社長に昇格。2001年2月に会長に就任。 1992年に藍綬褒章を受章。 2016年3月2日に呼吸不全のために死去。84歳没。
杉本 尚次(すぎもと ひさつぐ、1931年4月27日- 20… 杉本 尚次(すぎもと ひさつぐ、1931年4月27日- 2022年2月20日)は、日本の地理学者・文化人類学者。専攻は文化地理学。国立民族学博物館名誉教授・総合研究大学院大学名誉教授。 大阪府大阪市出身。大阪市立大学文学部文学研究科博士課程修了。国立民族学博物館教授・第5研究部長を経て、1992年3月末をもって定年退職、同名誉教授。その後は関西学院大学教授、大阪人間科学大学教授を務めた。 1968年、学位論文「日本における民家の地理学的研究」で大阪市立大学より文学博士の学位を取得。 2022年2月20日、死去。90歳没。死没日付をもって正五位に叙され、瑞宝中綬章を追贈された。
髙原 慶一朗(たかはら けいいちろう、1931年〈昭和6年〉… 髙原 慶一朗(たかはら けいいちろう、1931年〈昭和6年〉3月16日 - 2018年〈平成30年〉10月3日)は、日本の実業家。位階は従四位。 ユニ・チャーム創業者で、同社初代代表取締役社長や、日本経団連評議員会副議長等を務めた。第2代ユニ・チャーム代表取締役社長の髙原豪久は長男。 愛媛県川之江市(現四国中央市)生まれ。地元の中学校を総代で卒業し、松山高等学校を経て、大阪市立大学でマルクス経済学を学び、3年で卒論以外の必要単位を取得したため、指導教官の紹介状をもらい、4年目は一橋大学でケインズ経済学を学んだ。1953年大阪市立大学(現大阪公立大学)商学部卒業。卒業論文は「我が国の紙パルプ工業の実証的研究」。
佐藤 全弘(さとう まさひろ、1931年2月15日 - )は… 佐藤 全弘(さとう まさひろ、1931年2月15日 - )は、日本の宗教学者、大阪市立大学名誉教授。近代日本のキリスト教、特に新渡戸稲造を研究した。 大阪生まれ。大阪市立大学文学部卒。同大学院博士課程満期退学。同助教授、教授、1993年定年退官、名誉教授、関西外国語大学教授。キリスト教愛真高等学校理事長。なにわ聖書研究会主宰。2009年新渡戸・南原賞受賞。
右田 紀久恵(うだ きくえ、1931年2月11日 - )は、… 右田 紀久恵(うだ きくえ、1931年2月11日 - )は、日本の社会福祉学者。大阪府立大学名誉教授。 大阪府生まれ。1953年大阪市立大学家政学部卒。同大学院博士課程中退。1985年「英国における地方自治体社会福祉行財政の研究」で大阪市立大学より学術博士の学位を取得。1969-71年ロンドン大学客員研究員、シェフィールド大学客員教授。1973年大阪社会事業短期大学教授、1981年大阪府立大学教授、86年社会福祉学部長、1994年定年退官、名誉教授、東京国際大学教授、広島国際大学副学長・医療福祉学部教授。
三辺 信夫(みなべ のぶお、1931年1月16日 - 201… 三辺 信夫(みなべ のぶお、1931年1月16日 - 2019年8月1日)は、日本の経済学者。大阪市立大学名誉教授。専門は国際経済学、特に国際貿易論。 1931年に富山県高岡市で生まれた。1950年に広島県立尾道北高等学校を卒業し、大阪市立大学に進学。大学では名和統一の薫陶を受けた。1954年に卒業。その後は同大学大学院経済学研究科に進学し、1956年に修士号を取得。博士課程を単位取得退学。 その後は大阪市立大学助手に採用された。1961年には6月から8月の2か月間コロラド大学ボルダー校に留学し、マーティン・ブロンフェンブレンナー(英語版)の下で学んだ。その1か月後の1961年9月からはロチェスター大学大学院に進学し、、修士号(M.A.)と博士号(Ph.D.)を取得。
倉田 喜弘(くらた よしひろ、1931年1月14日- 202… 倉田 喜弘(くらた よしひろ、1931年1月14日- 2022年8月31日)は、日本の芸能史研究家。 大阪市生まれ。大阪市立大学経済学部卒業後、NHKに勤務。1966年、根岸登喜子と結婚。1988年、NHKを退職。その後は芸能史研究に専念する。特に、端唄を収録した『江戸端唄集』の編纂で知られる。2022年8月31日、肺がんのため死去。91歳没。
桑原 洋子(くわはら ようこ、1931年(昭和6年)1月6日… 桑原 洋子(くわはら ようこ、1931年(昭和6年)1月6日 - )は、日本の社会福祉学者。 北海道生まれ。1953年大阪女子大学文芸学部社会福祉学科卒業。56年大阪市立大学大学院法学研究科修士課程修了。佛教大学講師、1971年ロンドン大学上級法律学研究所に学ぶ。花園大学文学部教授、龍谷大学社会学部教授、2001年四天王寺国際仏教大学教授。 1994年「英国児童福祉制度史研究」で専修大学より博士(法学)の学位を取得。
樋口 欣三(ひぐち きんぞう、1931年 - )は、日本の英… 樋口 欣三(ひぐち きんぞう、1931年 - )は、日本の英文学者、大阪市立大学名誉教授。 大阪市生まれ。大阪市立大学人文学部英文科卒、同大学院文学研究科博士課程単位取得退学。大阪市立大学助教授、教授、名誉教授、関西大学教授、2000年退職。18-19世紀の英国文学を研究した。
開高 健(かいこう たけし、かいこう けん、1930年〈昭和… 開高 健(かいこう たけし、かいこう けん、1930年〈昭和5年〉12月30日 - 1989年〈平成元年〉12月9日)は、日本の小説家。組織と人間の問題を扱った『パニック』『裸の王様』や、ベトナム戦争取材の体験をもとにした『輝ける闇』などがある。また趣味の釣りについて世界各地での体験を綴ったエッセイ『フィッシュ・オン』『オーパ!』などでも知られる。 大阪市天王寺区で父・正義、母・文子との間に長男として生まれる。7歳の時に住吉区北田辺(現・東住吉区)へ転居。子供時代は、紙芝居と本が好きで、江戸川乱歩、山中峯太郎、海野十三などを読んでいた。1943年4月に旧制天王寺中学校(現・大阪府立天王寺高等学校)へ入学、勤労動員の合間に内外の文学作品を乱読した。
磯村 隆文(いそむら たかふみ、1930年(昭和5年)12月… 磯村 隆文(いそむら たかふみ、1930年(昭和5年)12月8日 - 2007年(平成19年)11月26日)は、日本の政治家、経済学者。大阪市長(第16代)、大阪市助役、大阪市立大学名誉教授。経済学博士(大阪市立大学)。大阪市出身。 大阪市立大学では経済学部長等の要職を務めたが、1990年に西尾正也大阪市長(当時)に請われ、大阪市助役に就任。行政マンに転身した。 1995年に西尾市長の後継として、共産党以外のいわゆる「オール与党」の推薦で大阪市長選に立候補して初当選。観光やスポーツ振興による都市活性化をめざす「国際集客都市」を公約し、西尾市長時代に浮上した大阪オリンピック構想をその目玉とした。 公約に基づき、任期中には多くの集客施設を開業させ、負の遺産となった(2023年9月時点でなにわの海の時空館のみ売却出来ておらず、「大阪市最後の負の遺産」として残存)。
小林健吾(こばやし けんご、1930年5月29日- )は、日… 小林健吾(こばやし けんご、1930年5月29日- )は、日本の会計学者。滋賀大学名誉教授、青山学院大学名誉教授。 愛知県岡崎市出身。愛知県立岡崎高等学校卒業、1954年名古屋大学経済学部卒業。1956年名古屋大学大学院経済学研究科修士課程修了。1975年コロンビア大学卒、1980年「直接原価計算」で大阪市立大学より経営学博士の学位を取得。1957年名城大学法商学部講師、1961年専修大学商経学部助教授、1962年経営学部助教授、1968年滋賀大学経済学部助教授、1971年教授、1986年名誉教授、青山学院大学経営学部教授。2001年定年、名誉教授、青森公立大学経営経済学部教授、2005年LEC会計大学院教授、2010年特任教授。
飯田 修三(いいだ しゅうぞう、1930年5月10日 - 2… 飯田 修三(いいだ しゅうぞう、1930年5月10日 - 2006年12月3日)は、日本の経営学者・会計学者。 京都市出身。大阪市立大学卒。1961年同大学院博士課程満期退学。79年「生産性分析論」で大阪市大商学博士。1961年富山大学経営短期大学部講師、助教授、龍谷大学経済学部助教授、教授、1981年岡山大学経済学部教授、94年定年退官、名誉教授 追手門学院大学教授、兵庫大学教授、大阪人間科学大学副学長。管理会計論。
吉田 憲治(よしだ けんじ、1930年(昭和5年)1月17日… 吉田 憲治(よしだ けんじ、1930年(昭和5年)1月17日 - 2014年(平成26年)6月29日)は日本の実業家、元トマト銀行社長・会長。岡山県津山市出身。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
山下 高之(やました たかのぶ、1930年1月14日 - 2… 山下 高之(やました たかのぶ、1930年1月14日 - 2007年11月9日 )は、日本の経営学者。学位は、経営学博士(立命館大学・論文博士・1981年)(学位論文「近代的管理論序説 テイラー・システム批判」)。立命館大学名誉教授。 東京府(現荒川区)出身。京都大学経済学部卒。 大阪市立大学大学院経済学研究科博士課程満期退学。1981年「近代的管理論序説 テイラー・システム批判」で立命館大学より経営学博士の学位を取得。立命館大学経営学部講師、助教授、教授。1994年退任、名誉教授。あと中京学院大学教授を五年間勤める。
藤田 弘子(ふじた ひろこ、1930年 - 2023年)は、… 藤田 弘子(ふじた ひろこ、1930年 - 2023年)は、日本の小児科医。ダウン症の研究で知られる。元・大阪市立大学生活科学部教授。兵庫県の兵庫県立塚口病院で長期にわたり、自ら考案したダウン症の赤ちゃん体操の指導を担当した。日本ダウン症療育研究会の前身であるダウン症療育研究会を立ち上げ、ダウン症の赤ちゃん体操の指導者の研修制度を始めた。 1930年大阪で生まれる。1953年大阪府立女子大学文学部社会福祉学科卒業。1959年大阪市立大学医学部卒業。1962年京都大学医学部小児科医局を経て、同年10月より大阪市立大学生活科学部児童学科勤務。1994年3月同学部人間福祉学科教授退職。 1969年医学博士(大阪大学)。
竹中 恵美子(たけなか えみこ、1929年11月19日 - … 竹中 恵美子(たけなか えみこ、1929年11月19日 - 2025年7月1日)は、日本の経済学者、大阪市立大学名誉教授。専門は労働経済学。戦後の女性労働研究のパイオニアとして知られる。 岐阜県大垣市出身。大阪商科大学(現・大阪市立大)卒。甲南大学助教授、1972年「現代労働市場の理論」で大阪市大経済学博士。1974大阪市立大教授。1993年定年退官、花園大学教授、龍谷大学教授。2001年 - 2007年ドーンセンター館長。2024年、瑞宝中綬章受章。 戦後日本の女子労働について研究。女性運動、自治体の政策立案にも参加。夫は姜在彦、長男は社会学者・早稲田大学教授の竹中均。 2025年7月1日、多臓器不全のため東京都内の病院で死去。
田中 敏弘(たなか としひろ、1929年5月20日 - 20… 田中 敏弘(たなか としひろ、1929年5月20日 - 2020年3月12日)は、日本の思想史家。関西学院大学名誉教授。元長崎県立大学学長。元経済学史学会代表幹事。 兵庫県神戸市生まれ。1953年大阪商科大学(現大阪市立大学)卒業。同年関西学院大学助手に着任。1959年から1961年までシラキュース大学大学院、コロンビア大学大学院に留学し、シラキュース大学修士(MA)の学位を取得。1974年から1年間グラスゴー大学客員研究所、ケンブリッジ大学客員研究員。1988年コロンビア大学客員研究員。1990年吉林大学交換教授。1991年かから1993年まで経済学史学会代表幹事。1995年から2000年までアメリカ経済思想史研究会代表幹事。
氏原 寛(うじはら ひろし、1929年1月30日 - 201… 氏原 寛(うじはら ひろし、1929年1月30日 - 2019年7月8日)は、日本の臨床心理学者・臨床心理士。専門は臨床心理学。ユング派である。元帝塚山学院大学大学院人間科学研究科教授。 1929年、大阪府生まれ。京都大学文学部史学科に入学し、西洋史学を専攻した。戦後の1953年、京都大学文学部を卒業。 卒業後は、大阪市立南高等学校教諭となり、大阪市教育研究所所員となった。一方で、大阪市立大学大学院生活科学研究科で学び、卒業した。1977年、大阪外国語大学教授に就任。1984年からは大阪市立大学生活科学部教授。1990年、学位論文『「意識の場」理論と心理臨床の実践的研究』を大阪市立大学に提出して学術博士の学位を取得。
安達 和郎(あだち かずお、1929年 - 没年不詳)は、日… 安達 和郎(あだち かずお、1929年 - 没年不詳)は、日本の化学者。大阪工業大学名誉教授。理学博士(大阪市立大学)。元応用化学教室担当。 専門は、有機合成化学・構造有機化学・機能性有機材料、物理化学/物質科学・化学熱力学。 大阪市立大学(現:大阪公立大学)大学院にて理学博士(大阪市立大学)。1962年大阪工業大学工学部応用化学科講師、応用化学教室を担当。同学科助教授、教授を経て、1991年大阪工業大学名誉教授。 大阪工業大学工学部応用化学科にて約30年の長きに渡り教鞭を執り、1958年の同学科開設後の初期の応用化学(特に、有機合成化学・物理化学/物質科学)研究・育成に貢献した。 主な所属学会は、日本化学会、有機合成化学協会など。
中岡 哲郎(なかおか てつろう、1928年7月12日 - 2… 中岡 哲郎(なかおか てつろう、1928年7月12日 - 2024年1月6日)は、技術史学者、大阪市立大学名誉教授。 妻・百合は経済学者浅沼万里の妹。次男の中岡俊介は経済学者で国士舘大学准教授。 京都府生まれ。京都府立第一中学校卒業。海軍兵学校に進むが4か月で敗戦。1947年に第三高等学校に入学。自然弁証法研究会で広重徹と出会う。 1950年に卒業して京都大学進学。1953年京都大学理学部宇宙物理学科卒業。在学中1951年の京大天皇事件で昭和天皇への質問状を書いた。 1953年 - 1960年定時制高校教諭。1960年、『現代における思想と行動』で、三一新書の200点記念懸賞論文を受賞し、退職して薮内清の弟子となる。
金田 龍之介(かねだ りゅうのすけ、1928年6月15日 -… 金田 龍之介(かねだ りゅうのすけ、1928年6月15日 - 2009年3月31日)は、日本の俳優。本名は同じ。1970年頃までは異体字で表記された金田竜之介名義の作品もある。血液型はA型。三男は俳優の金田拓三。過去の出演作品については、金田 龍之介権利継承者である満里子夫人から、オフィス天童に委任されている。
藤本 昭(ふじもと あきら、1928年4月20日 - 201… 藤本 昭(ふじもと あきら、1928年4月20日 - 2019年7月16日)は、日本の経済学者、神戸大学名誉教授。中国経済が専門。 1928年、大阪市で生まれた。大阪商科大学経済学科で学び、戦後の1951年に卒業。 卒業後は大阪市立大学経済研究所助手に採用され、日本の繊維産業の調査研究に従事。しかし、経済研究所にアジア研究グループが組織されるとメンバーとなり、本格的に中国経済研究を始めた。1957年に講師昇格。1963年に神戸大学経済学部助教授となり、1971年に教授昇格。1973年、学位論文『新中国の国家財政の研究』を神戸大学に提出して経済学博士号を取得。1992年に神戸大学を定年退官し、名誉教授となった。
山上 達人(やまがみ たつんど、1928年3月26日 - 2… 山上 達人(やまがみ たつんど、1928年3月26日 - 2004年)は、日本の会計学者。商学博士(論文博士・1971年)(学位論文「生産性会計論」)。大阪市立大学名誉教授、奈良産業大学名誉教授。 大阪市出身。大阪商科大学卒業。1960年大阪市立大学大学院経済学研究科博士課程満期退学。1971年「生産性会計論」で商学博士の学位を取得。関西大学商学部講師、助教授、大阪市立大学商学部助教授、教授。1991年定年退官、名誉教授、奈良産業大学教授。2003年退任、名誉教授。
中瀬 寿一(なかせ としかず、1928年3月23日 - 20… 中瀬 寿一(なかせ としかず、1928年3月23日 - 2001年8月26日)は、日本史・経営史学者。 大阪府出身。同志社中学校卒、旧制大阪高等学校卒、1954年大阪市立大学経済学部卒、年表編纂委員となる。関西国民文化会議、大阪総評十年史代表編纂委員。1969年「日本広告産業発達史研究」で中央大学商学博士。大阪産業大学助教授、教授、1972-1973年、1978年経営学部長、1998年定年、名誉教授。
藤田 整(ふじた せい、1928年 - 2018年)は、日本… 藤田 整(ふじた せい、1928年 - 2018年)は、日本の経済学者。専門は社会主義経済、ソビエト経済。大阪市立大学名誉教授、大阪経済法科大学名誉教授。 大阪市立大学経済学部長、大阪経済法科大学学長、比較経済体制学会代表幹事等を歴任した。 京都府生まれ。父は経済学者の藤田敬三(大阪市立大学名誉教授、大阪経済大学第3代学長)。大阪府立北野高等学校定時制を経て、1955年一橋大学経済学部卒業。1961年一橋大学大学院社会学研究科博士課程修了。指導教官野々村一雄。1965年『社会主義経済と価値法則』で一橋大学社会学博士。審査員野々村一雄、高島善哉、岡稔。 1963年大阪市立大学経済学部講師。1966年助教授。
小西 輝夫(こにし てるお、1927年 - )は、日本の精神… 小西 輝夫(こにし てるお、1927年 - )は、日本の精神科医。 大阪市立医学専門学校(のち大阪市立大学医学部)卒、1959年「精神薄弱児における爪床部毛細血管像の生体顕微鏡的観察」で大阪市大医学博士。松下電器産業健康管理センターに勤務し、副所長、松下記念病院院長、1984佛教大学教育学部教授。98年定年退任。仏教、芸術家の精神にも関心が深かった。 この項目は、医療関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:医学と医療、PJ:医学、PJ:歯学)。
姜 在彦(カン ジェオン、朝鮮語: 강재언、英語: KANG… 姜 在彦(カン ジェオン、朝鮮語: 강재언、英語: KANG je-on, 1926年10月25日 - 2017年11月19日)は、朝鮮半島出身の歴史学者。朝鮮近代史、思想史を専門とした。花園大学客員教授。小説家の司馬遼太郎と親しかった。 1926年、日本統治下の済州島で生まれた。済州農業高校を卒業。 太平洋戦争終結後、朝鮮半島は解放されたが、1948年に朝鮮戦争が始まるとその初期に日本へ密航した。大阪商科大学で経済学を学び、同大学研究科を修了。その後は、 大阪市立大学など関西圏の多くの大学で非常勤講師を務めた。次第に研究テーマを朝鮮史に変え、1981年に学位論文『朝鮮の開化思想』を京都大学に提出して文学博士号を取得。
岩尾 秀嶺(いわお しゅうれい、1926年8月15日 - 2… 岩尾 秀嶺(いわお しゅうれい、1926年8月15日 - 2010年12月20日)は、日本の理論物理学者。 長野県上水内郡[要出典]出身。長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)を経て、名古屋大学理学部物理学科を卒業した。その後、大阪市立大学(現・大阪公立大学)大学院理学研究科、およびロチェスター大学大学院博物学をそれぞれ修了した。[要出典] シラキュース大学、ジェノヴァ大学、ベルン大学、東京教育大学(現・筑波大学)勤務を経て、金沢大学理学部助教授に就任、のち同大学理学部教授に昇進した[要出典]。定年退官後、同大学名誉教授。 名古屋自由学院短期大学(のちの名古屋芸術大学短期大学部)教授も務めた[要出典]。
藤原 富男(冨男、ふじわら とみお、1926年 <大正15年… 藤原 富男(冨男、ふじわら とみお、1926年 <大正15年> 1月22日 - 2004年 <平成16年> 4月22日)は、日本の経営者。大日本製薬社長を務めた。位階は正五位。 京都府出身。1948年に大阪商科大学を卒業し、同年に大日本製薬に入社。 1970年1月に取締役に就任し、1974年1月に常務、1975年8月に専務を経て、1977年8月に副社長に就任し、1981年8月には社長に昇格。 1993年6月に会長、1999年6月に取締役相談役を経て、2001年6月に名誉相談役に就任。 1991年11月に藍綬褒章を受章し、1999年4月に勲三等瑞宝章を受章。 2004年4月22日呼吸不全のために死去。
鄭 輝東(チョン・フィドン、朝鮮語: 정휘동、1925年5月… 鄭 輝東(チョン・フィドン、朝鮮語: 정휘동、1925年5月30日 - 2012年7月5日)は、大韓民国の政治家、実業家。第10・11・12代韓国国会議員。本貫は東萊鄭氏(朝鮮語版)。 日本統治時代の慶尚北道尚州郡に生まれた。尚州国民学校(現・尚州初等学校)、大阪高等商業学校卒。一燈園農事研究所専門課程、成均館大学校経営行政大学院、嶺南大学校経営大学院修了。在日本居留民団京都本部副団長、京都韓国人商工会副会長、在日韓国人体育会副会長を歴任した。 第10代総選挙に無所属で立候補して初当選した。国会議員3期務めたほか、大韓消防協会顧問、社団法人尚州セマウル教育院設立者、社団法人尚州文化院長、学校法人尚州南山学院理事長、尚州薬酒株式会社代表理事、韓日合資株式会社パシフィックホテル代表理事、民主正義党中央委員会農林畜産分科委員長、前現職国会議員民友会会長を務めた。
本田良寛(ほんだ よしひろ、1925年〈大正14年〉2月27… 本田良寛(ほんだ よしひろ、1925年〈大正14年〉2月27日 - 1985年〈昭和60年〉7月1日)は、昭和後期の医師。日雇い労働者への奉仕的な医療で「釜ヶ崎の赤ひげ」「西成の赤ひげ」と呼ばれた。 大阪府大阪市城東区鴫野西の開業医の家に生まれる。大阪偕行社附属小学校(現・追手門学院小学校)、大阪府立八尾中学校(修業5年間の旧制中学校、現・大阪府立八尾高等学校)を経て、徳島医学専門学校(旧制医学専門学校)に入学。太平洋戦争の戦災の設備不良で徳島医専が廃校となったため、大阪市立医学専門学校(現・大阪市立大学の医学部の源流)に編入し卒業。父の開業医を継ぐ。 1963年(昭和38年)大阪市西成区萩之茶屋の大阪府済生会今宮診療所の所長に就任。
塚原 鉄雄(つかはら てつお、1924年〈大正13年〉6月2… 塚原 鉄雄(つかはら てつお、1924年〈大正13年〉6月25日 - 1993年〈平成5年〉12月13日)は、日本の国語学者・国文学者。大阪市立大学名誉教授。
林 直道(はやし なおみち、1923年3月31日 - 202… 林 直道(はやし なおみち、1923年3月31日 - 2023年1月6日 )は、日本のマルクス経済学者・百人一首研究家。大阪市立大学名誉教授。専門は、恐慌論、日本経済論。関西勤労者教育協会副会長。百人一首について歌織物説を唱える。 1923年、大阪市に生まれる。1946年大阪商科大学卒。1977年野呂栄太郎賞受賞。1964年大阪市立大学教授、1974年「景気循環の研究」で大阪市大経済学博士。1983年同名誉教授、大阪経済法科大学教授。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
駒井 茂春(こまい しげはる、1923年1月8日 - 199… 駒井 茂春(こまい しげはる、1923年1月8日 - 1998年11月12日)は、日本の経営者。ダスキン社長を務めた。大阪府大阪市出身。 1943年に大阪商科大学高等部商業科を卒業。安宅産業、自営業、クントクでの勤務を経て、1963年にダスキンの創業に参加し、取締役、副社長を経て、1979年11月に社長に就任。1994年6月から1998年6月までに会長を務めた。 1998年11月12日心不全のために死去。75歳没。