村田 享子(むらた きょうこ、1983年5月16日 - )は… 村田 享子(むらた きょうこ、1983年5月16日 - )は、日本の政治家。立憲民主党所属の参議院議員(1期)。 鹿児島県鹿児島市出身。鹿児島大学教育学部附属小学校、鹿児島大学教育学部附属中学校、鹿児島県立鶴丸高校卒業。2007年東京大学法学部卒業、派遣会社員やイタリアへの語学留学を経て、学士入学した早稲田大学文化構想学部を2011年に卒業。 2011年より柳田稔参議院議員の公設秘書を10年間務める。2014年には民主党広島県第7区総支部長に就任し、同年の第47回衆議院議員総選挙に立候補するも次点で落選。 2021年2月、日本基幹産業労働組合連合会(基幹労連)が翌年夏の第26回参議院議員通常選挙に村田を同労連代表の候補者として擁立すると決定。
郷原 拓男(ごうはら たくお、1977年8月23日 - )は… 郷原 拓男(ごうはら たくお、1977年8月23日 - )は、日本の政治家。鹿児島県鹿屋市長(1期)、元鹿児島県議会議員(3期)。 鹿児島県鹿屋市郷之原町生まれ。1996年、鹿児島県立鹿屋高等学校卒業。2002年、大阪大学経済学部を卒業し、日本航空に入社。2006年に退社し帰郷。保育園などを運営する家業に携わる傍ら、鹿児島大学大学院農学研究科修士課程に入り、2009年に修了する。2011年の鹿児島県議会議員に立候補するが落選。2015年の県議選で当選し(自民党公認)、県議を3期務める。 2025年6月、2026年2月に任期満了を迎える鹿屋市長選挙に立候補することを表明。2025年10月15日付で県議会議員辞職。
保岡 宏武(やすおか ひろたけ、1973年〈昭和48年〉5月… 保岡 宏武(やすおか ひろたけ、1973年〈昭和48年〉5月6日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(2期)。本名は保岡 広武。 父は第69代・第80代法務大臣の保岡興治。祖父に元衆議院議員の保岡武久と元和泊町長の武田恵喜光。 鹿児島県名瀬市(現・奄美市)生まれ。名瀬市立奄美小学校、私立池田学園池田中学校(1期生)、県立錦江湾高等学校理数科(20期生)、青山学院大学法学部卒業。 広告関連会社社員を経て、2000年に帰鹿し、鹿児島大学大学院農学研究科焼酎学専攻を修了。父・保岡興治衆議院議員の公設第一秘書を務め、鹿児島事務所長を歴任。 2017年10月8日、父・興治が膵臓がんにより療養生活に入ることを理由に当初予定していた第48回衆議院議員総選挙への立候補を断念することを発表。
湯元 敏浩(ゆもと よしひろ 1964年〈昭和39年〉5月1… 湯元 敏浩(ゆもと よしひろ 1964年〈昭和39年〉5月19日 - )は、日本の政治家、鹿児島県姶良市長(2期)。日本テレビで政治記者、コンプライアンス推進室考査部考査担当部長、情報カルチャー局担当部長などを務め、情報・報道番組のプロデューサーを担当した。 鹿児島県姶良市生まれ。鹿児島市立東谷山小学校、鹿児島大学教育学部附属中学校、鹿児島県立鶴丸高等学校卒業。1988年3月、早稲田大学法学部卒業。 大学卒業後、日本テレビへ入社。 同期入社の小栗泉と共に報道局に配属され政治記者として活躍。アナウンサーでは同期入社に福澤朗、村山喜彦、関谷亜矢子、永井美奈子もいた。 番組ディレクターを経て番組プロデューサーに就く。
大久保 明(おおくぼ あきら、1954年(昭和29年)8月2… 大久保 明(おおくぼ あきら、1954年(昭和29年)8月2日 - )は日本の政治家、医師。元鹿児島県大島郡伊仙町長(6期)。 熊本マリスト学園高等学校、鹿児島大学医学部卒業。徳之島徳洲会病院長などを歴任。 1999年、鹿児島県議会議員選挙に初当選。2001年、伊仙町長選挙に立候補し当選。以後連続6期務める。 2025年3月27日、同年10月に町長の任期満了を控えながら町議会議長に4月26日付の辞職願を提出し、受理された。大久保は過去の町長選で逮捕者が出たことなどに触れ、「町長選の過熱を防ぐためには一刻も早く選挙をするのが重要と考えた」と説明した。 同年5月11日に行われた町長選挙では自身が事実上後継指名した元伊仙町教育長の伊田正則が対立候補を破り初当選した。
濱田 健一(はまだ けんいち、1950年7月21日 - )は… 濱田 健一(はまだ けんいち、1950年7月21日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(2期)、社会民主党政策審議会長(第4代)を歴任。 鹿児島県鹿児島市出身。鹿児島三育小学校、鹿児島市立甲東中学校、鹿児島県立鹿児島中央高等学校を経て、1969年4月に鹿児島大学教育学部入学。1974年3月に鹿児島大学教育学部を卒業し、小学校教師を経て1993年の第40回衆議院議員総選挙で旧鹿児島2区より村山喜一の後継者として日本社会党公認で出馬し、初当選。1996年の第41回衆議院議員総選挙では鹿児島4区より社会民主党公認で出馬し、自由民主党公認の小里貞利に敗れるも比例九州ブロックで復活し再選。その間、社民党政策審議会長等を歴任。
豊留 悦男(とよどめ えつお、1950年(昭和25年)6月1… 豊留 悦男(とよどめ えつお、1950年(昭和25年)6月17日 - )は、日本の政治家、教員。元鹿児島県指宿市長(3期)。 1963年に指宿市立柳田小学校、1966年に指宿市立北指宿中学校、1969年に鹿児島県立甲南高等学校をそれぞれ卒業。1973年3月、鹿児島大学教育学部卒業。同年4月、鹿児島県の教職員となる。喜入町立瀬々串小学校教頭(1996年就任)、出水市立米ノ津東小学校校長(2002年就任)、指宿市教育委員会学校教育課長(2005年就任)、鹿児島市立大龍小学校校長(2009年就任)などを歴任。 2010年(平成22年)2月7日に行われた指宿市長選挙に無所属で出馬。田原迫要市長の応援を受けた元県議の松元一広、元市議の東伸行、社会福祉法人理事長の徳永勝憲ら3候補との争いを制し初当選を果たす(豊留:10,088票、松元:7,316票、東:6,544票、徳永:3,858票)。
中村 征一(なかむら せいいち、1942年(昭和17年)8月… 中村 征一(なかむら せいいち、1942年(昭和17年)8月1日 - )は、日本の政治家。元福岡県筑後市長(2期)。 1965年(昭和40年)3月、鹿児島大学農学部卒業。同年4月、福岡県庁に入庁。2001年(平成13年)12月、筑後市の助役に就任。2007年(平成19年)4月、同市の副市長に就任。2009年(平成21年)10月、副市長を辞職。 2009年(平成21年)11月15日執行の筑後市長選挙に無所属で出馬。前筑後市議の弥吉治一郎を破り、初当選。同年12月3日、市長に就任。 2013年(平成25年)、無投票で再選。 76ある行政区を廃止し、11の小学校区コミュニティ協議会に再編する構想を打ち立てたところ、区長会と市議会のあいだで「高齢の市長の行政能力では限界がある」という共通認識が生まれた。
瀬戸口 嘉昭(せとぐち よしあき、1940年(昭和15年)1… 瀬戸口 嘉昭(せとぐち よしあき、1940年(昭和15年)11月13日 - )は、日本の政治家。元鹿児島県枕崎市長(1期)。 鹿児島県立枕崎高等学校を経て、鹿児島大学文理学部卒。鹿児島県教育次長、鹿児島県高校長協会理事長、県高野連会長、加世田市(現・南さつま市)教育長、鹿児島県立鶴丸高等学校校長などを経て、2006年の枕崎市長選挙に立候補し、現職の神園征を破って当選した。4年後の2010年の市長選挙で再選を目指したが、再び立候補した神園に敗れた。2014年の市長選挙でも再立候補したが、現職の神園に敗れた。
大藏 律子(おおくら りつこ、旧姓・中釜(なかがま)、193… 大藏 律子(おおくら りつこ、旧姓・中釜(なかがま)、1939年4月19日 - )は、日本の政治家、市民活動家。元神奈川県平塚市長(2期)、元平塚市議会議員(4期)。 鹿児島県川辺郡万世町小湊(現・南さつま市加世田小湊)に生まる。万世町立小湊小学校、加世田市立小湊中学校(加世田市立万世中学校に統合され現・南さつま市立万世中学校)、鹿児島県立加世田高等学校を経て、1958年鹿児島大学文理学部理学科(現・理学部)に入学し、2年次秋に化学科の専門課程へ進む。1962年、鹿児島大学文理学部を卒業して栗田工業に入社し、横浜市にある中央総合研究所に勤務。入社翌年の春頃から労働組合活動にかかわる。結婚退職後、1967年(昭和42年)3月に平塚市に転居。
今給黎 久(いまきいれ ひさし、1932年(昭和7年)2月2… 今給黎 久(いまきいれ ひさし、1932年(昭和7年)2月24日 - 2013年(平成25年)7月19日)は、昭和から平成時代の政治家。実業家。新聞記者。鹿児島県枕崎市長。 枕崎市出身。鹿児島県立枕崎高等学校を経て、1956年(昭和31年)鹿児島大学文理学部を卒業し、サンケイ新聞大阪本社に入社。東京本社経済部次長、サンケイ商業新聞社報道部長、サンケイリビング新聞社編成局長などを歴任した。 1990年(平成2年)1月、枕崎市長に当選し、2002年(平成14年)1月まで3期務めた。
上山 和人(かみやま かずと、1929年11月25日 - 2… 上山 和人(かみやま かずと、1929年11月25日 - 2010年8月13日)は、日本の政治家、元参議院議員(社会民主党)。 鹿児島県薩摩郡川内町(のちの川内市、現薩摩川内市)出身。1954年鹿児島大学教育学部卒。 鹿児島県高教組委員長を経て、1986年の第14回参議院議員通常選挙で鹿児島県選挙区から日本社会党公認で立候補するが落選。1992年の第16回参議院議員通常選挙で再出馬し当選。1998年の第18回参議院議員通常選挙では無所属で立候補したが落選した。 2010年8月13日、肺炎のため死去。
赤崎 義則(あかさき よしのり、あかざき よしのり、1927… 赤崎 義則(あかさき よしのり、あかざき よしのり、1927年(昭和2年)9月11日 - 2019年(平成31年)4月12日)は、日本の政治家。鹿児島市長(第19代、5期)。鹿児島市助役(第24代)。位階は従四位。 鹿児島県日置郡東市来村(後に東市来町、日置市)出身。東市来町の小学校から、旧制鹿児島県立伊集院中学校(現鹿児島県立伊集院高等学校)を経て、陸軍予科士官学校在籍中に敗戦により学校解散となり復員。1948年3月鹿児島農林専門学校農学科(現鹿児島大学農学部)卒業。1949年2月鹿児島市役所に入職。市役所では農林部経営課長(1965年11月)、農林部指導課長、財政部管財課長(1969年9月)、総務局行政部職員課長(1973年7月)、総務局行政部長(1975年7月)、総務局長(1977年7月)を経て、1984年3月助役に就任した。
冨永 茂穂(とみなが しげほ、1925年11月10日 - 2… 冨永 茂穂(とみなが しげほ、1925年11月10日 - 2017年10月29日)は日本の政治家。鹿児島県串木野市長(2期)。 鹿児島県串木野市(いちき串木野市)羽島出身。小学3年生のとき家族とともにブラジルへ渡り、5年後に帰国。1948年に旧制鹿児島県立工業専門学校(現鹿児島大学工学部)機械科を卒業。商事会社員、参議院議員秘書を経て、1951年串木野市役所に入職。串木野市の水道課長、市長公室長、企画課長、新港対策室長、総務企画室長などを経て、1985年10月18日串木野市収入役に就任。1987年6月9日串木野市助役に就任し、1991年6月9日再任。 1995年串木野市長に初当選し(無所属で1月15日当選)、2月5日に1期目就任。
折小野 良一(おりおの りょういち、1919年1月25日 -… 折小野 良一(おりおの りょういち、1919年1月25日 - 1986年10月20日)は、昭和期の地方公務員、政治家。衆議院議員(2期)、延岡市長(2期)。 鹿児島県薩摩郡宮之城町(現さつま町)出身。1935年旧制宮崎県立妻中学校(現:宮崎県立妻高等学校)卒業。1938年第七高等学校造士館(現:鹿児島大学)卒業。1941年京都帝国大学法学部卒。延岡市総務課長を経て、同市長三浦虎雄によって助役に起用。1960年の延岡市長選挙に立候補。現職の青木善祐を1139票差で破り初当選。延岡市長を戦後初めて2期務める。1965年、助役に房野博(後に延岡市長)を起用。1966年、衆議院議員総選挙立候補のため延岡市長退任。
松形 祐堯(まつかた すけたか、1918年2月26日 ‐ 2… 松形 祐堯(まつかた すけたか、1918年2月26日 ‐ 2007年8月23日)は、日本の政治家、官僚。 宮崎県知事(公選第10‐15代)、林野庁長官を歴任。 宮崎県えびの市出身。宮崎県立小林中学校(現・宮崎県立小林高等学校)、鹿児島高等農林学校(現・鹿児島大学農学部)、九州帝国大学農学部卒業。1942年農林省に入省。林野庁長官などを歴任後、1976年の参議院議員補欠選挙に宮崎県選挙区から自由民主党公認で立候補したが落選。1979年当時の宮崎県知事黒木博の任期途中での辞職により同県知事選に立候補し当選、2003年まで宮崎県知事を6期務めた。6期目では全国で最高齢の知事であった。2004年旭日大綬章受章。
宮之原 貞光(みやのはら さだみつ、1917年10月4日 -… 宮之原 貞光(みやのはら さだみつ、1917年10月4日 - 1983年10月29日)は、日本の政治家。日本社会党参議院議員(2期)。日本教職員組合中央執行委員長。龍郷町名誉町民。 鹿児島県大島郡龍郷町生まれ。戸口小学校から鹿児島県立大島中学校 (旧制)に進学し卒業。1938年鹿児島県師範学校(現・鹿児島大学教育学部)卒。鹿児島県内の小中学校の教員となる。鹿児島県教職員組合から日本教職員組合に入り、書記次長、書記長、副委員長を経て、1962年に中央執行委員長に就任した。1971年の第9回参議院議員通常選挙で全国区から日本社会党公認で立候補して当選。2期務める。国会内では建設委員長、公害及び交通安全対策特別委員長などを歴任した。
池田 正辰(いけだ まさとき、1916年3月7日 - 198… 池田 正辰(いけだ まさとき、1916年3月7日 - 1982年5月30日)は、日本の政治家。鹿児島県姶良郡蒲生町長(3期)。 鹿児島県蒲生町(当時・蒲生村、現:姶良市の一部)出身。1933年旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校(現:鹿児島県立甲南高等学校)卒業。1936年に第七高等学校造士館(現:鹿児島大学)を卒業。1940年に京都帝国大学経済学部卒業。日本石油株式会社に入社し勤務するが、1941年に応召し、1946年に復員。1947年に鹿児島県庁職員となり、鹿児島県東京事務所長、鹿児島県林務部長などを歴任。旧制中学時代の恩師でもある小山田政弘蒲生町長の後継として、郷里の町長選に出馬し無投票当選して、1973年5月より第11代蒲生町長。
香月 熊雄(かつき くまお、1916年1月25日 - 199… 香月 熊雄(かつき くまお、1916年1月25日 - 1995年6月18日)は日本の政治家。 佐賀県知事を務めた。 1916年1月25日、佐賀県杵島郡白石町で出生。鹿児島高等農林学校(現・鹿児島大学農学部)を卒業後、佐賀県庁に入庁。農林部長を15年務めた後、県農協中央会副会長となった。その後、副知事を経て、1979年の佐賀県知事選挙で初当選。1991年まで連続3期12年を務めた。在任中、広大な環濠集落が見つかった吉野ヶ里遺跡の保存を決めている。4選となる1991年の選挙への出馬にも意欲を示したが、前年に胆石手術で入院するなど健康上の問題があり、多選への批判もあった事から出馬を断念。副知事の井本勇が後継者となった。
柴立 芳文(しばたて / しばたての[要検証 – ノート] … 柴立 芳文(しばたて / しばたての[要検証 – ノート] よしふみ、1915年(大正4年)8月12日 - 1975年(昭和50年)8月5日)は、昭和期の日本の農林業指導者、政治家。参議院議員(1期)、鹿児島県議会議長。 息子も県議会議長を務めた柴立鉄彦(7期)。孫も 現 県議会議員 柴立鉄平(1期)。 鹿児島県肝属郡大根占村神川(現錦江町)に生まれ、同郡田代村(現:錦江町)の柴立家の養子となる。鹿屋中学校(現鹿児島県立鹿屋高等学校)を経て、鹿児島高等農林学校林学科を卒業した。王子製紙に入社して終戦を迎えた。 故郷に引揚げ、1947年(昭和22年)田代村議会議員に選出され同議長も務めた。1951年(昭和26年)鹿児島県議会議員に選出され5期在任し、同副議長(2期)、同議長(2期)も務めた。
泉 芳朗(いずみ ほうろう、1905年3月18日 - 195… 泉 芳朗(いずみ ほうろう、1905年3月18日 - 1959年4月9日 )は、日本の政治家、詩人、教育者。名瀬市長(1期)。 鹿児島県大島郡伊仙村生まれ。1924年3月、鹿児島県立第二師範学校(現・鹿児島大学教育学部)卒業。卒業後は、小学校の教員として鹿児島と東京の学校を転々とした。1931年、日本大学専門部国文科中退。 1950年8月、奄美大島社会民主党を結成し、書記長、中央執行委員長を歴任した。同年、群島議会議員選挙に同党公認で立候補したが、次点で落選した。1951年2月、奄美大島復帰協議会を結成して、議長となった。同年8月1日から5日まで日本復帰の断食祈願を行った。その後、奄美各地で決起集会が開かれ、参加者が24時間の断食を行うなどの広がりを見せた。
平瀬 實武(実武、ひらせ さねたけ、1901年11月17日 … 平瀬 實武(実武、ひらせ さねたけ、1901年11月17日 - 1994年1月18日)は、日本の政治家、革新首長。第15代鹿児島市長、第2代鹿児島県串木野市長、第6代串木野町長。鹿児島県議会(鹿児島県会)議員、鹿児島市会議員、同副議長も歴任した。串木野市名誉市民。位階は従五位。 鹿児島市下荒田町の旧家・最上家に生まれる(平瀬は養子先の姓)。旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校(現:鹿児島県立甲南高等学校)を経て、1922年旧制第七高等学校造士館(現:鹿児島大学)文科卒業、1926年に東京帝国大学農学部農業経済学科卒業。同じ下荒田町出身で後輩の佐多忠隆とは、旧制中学生(通う中学は別)と旧制七高生のとき、ともに社会主義について勉強した。
田中 勝之助(たなか かつのすけ、1901年(明治34年)3… 田中 勝之助(たなか かつのすけ、1901年(明治34年)3月16日 - 1945年(昭和20年)8月6日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。 島根県那賀郡今市村丸原(現浜田市旭町丸原)で、酒造業・田中勝聴の長男として生まれる。島根県立浜田中学校を経て、1923年(大正12年)鹿児島高等農林学校を卒業。その後、家業を継いだ。今市村会議員を務めた。日中戦争で応召して足かけ4年間従軍し、陸軍歩兵中尉に昇進した。 1942年(昭和17年)3月、島根県会議員に当選し、帝国在郷軍人会那賀郡連合会分会長も務めた。同年4月、第21回衆議院議員総選挙に非推薦で島根県第2区から出馬して当選し翼賛政治会に参加。
大村 清一(おおむら せいいち、旧字体: 大村淸一、1892… 大村 清一(おおむら せいいち、旧字体: 大村淸一、1892年(明治25年)5月4日 - 1968年(昭和43年)5月24日)は、日本の内務官僚、弁護士、政治家。衆議院議員(6期、自由民主党)。貴族院議員(勅選)、防衛庁長官(第2代)、内務大臣(第65代)。日本林業協会長、相模女子大学長。 防衛庁長官を務めた大村襄治は子。岳父は東大名誉教授本多静六。 岡山県津山市に生まれる。大村吉五郎の長男。 鹿児島高等農林学校卒業の後、1917年(大正6年)京都帝国大学法科大学独法科卒業。同大学院修了。内務省に入省。土木局属。鹿児島県揖宿郡長、東京市主事、地方、復興局、内務、鉄道各事務官、内務書記官、長野、神奈川県知事となり、長野県知事を2度務め話題になった。
川崎 末五郎(かわさき すえごろう、1892年(明治25年)… 川崎 末五郎(かわさき すえごろう、1892年(明治25年)2月20日 - 1971年(昭和46年)11月8日)は、日本の内務官僚、政治家。福島県知事(官選第31代)、衆議院議員(5期)。旧姓は神田。 京都府出身。神田槌之助の三男として生まれ、衆議院議員川崎安之助の養子となる。鹿児島高等農林学校を経て、1916年、京都帝国大学法科大学政治学科を優等で卒業し、銀時計を授与された。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し警視庁警部となる。 以後、東京府属、兵庫県警視、台湾総督府事務官、朝鮮総督府事務官、内務書記官・警保局図書課長、兵庫県書記官・学務部長、兵庫県立神戸高等商業学校校長取扱、内務書記官・警保局高等課長などを歴任。
藤本 虎喜(ふじもと とらき、1892年2月16日 - 19… 藤本 虎喜(ふじもと とらき、1892年2月16日 - 1981年11月11日)は、日本の政治家、農業技術者。衆議院議員(1期)、国民協同党所属。 熊本県上益城郡甲佐町出身。鹿児島高等農林学校農学科卒業。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
浜田 政壮(濱田 政壯、はまだ まさたけ、1864年11月1… 浜田 政壮(濱田 政壯、はまだ まさたけ、1864年11月10日(元治元年10月11日)- 1937年(昭和12年)3月2日)は、明治から昭和初期の医師、政治家。衆議院議員、宮崎県会議長。旧姓は池田。 日向国諸県郡、のちの宮崎県東諸県郡倉岡村(現宮崎市)で、池田政順の二男として生れ、薩摩藩郷士・浜田戸太の養子となる。宮崎学校で中等教育を修め、高鍋の城竹窓に師事し漢学を修めた。1884年(明治17年)鹿児島県立医学校(のち県立鹿児島医科大学、現鹿児島大学)を卒業。上京して高木兼寛に医学を学び、1887年(明治20年)3月、医術開業免許を取得した。 その後、宮崎町(現宮崎市)で医院を開業。1896年(明治29年)伝染病研究所(現東京大学医科学研究所)講習科を卒業。
三浦 得一郎(みうら とくいちろう、安政3年3月10日〈18… 三浦 得一郎(みうら とくいちろう、安政3年3月10日〈1856年4月14日〉 - 1934年〈昭和9年〉3月14日)は、日本の衆議院議員(憲政会)、陸軍副参政官。陸軍軍医監(少将相当官)。 日向国臼杵郡恒富村(現在の宮崎県延岡市)出身。延岡藩校医学館、鹿児島医学校、長崎医学校を経て、陸軍軍医学校を卒業。1883年(明治15年)、陸軍軍医試補に任官し、陸軍軍医補、陸軍二等軍医、陸軍一等軍医と昇進していった。1894年(明治27年)、日清戦争にあたって病院船神祐丸の院長を務めた。1907年(明治40年)12月8日、軍医監に任命された。その間、福岡衛戍病院院長、丸亀衛戍病院院長、医務局衛生課長、関東都督府陸軍軍医部長、第三師団軍医部長を歴任した。