石坂 芳男(いしざか よしお、1940年1月9日 - )は、… 石坂 芳男(いしざか よしお、1940年1月9日 - )は、日本の実業家。米国トヨタ自動車販売社長や、トヨタ自動車副社長を歴任。藍綬褒章受章。 東京都町田市生まれ。東京都立立川高等学校を経て、1963年に一橋大学法学部を卒業。大学では堀口亘ゼミナールと自動車部に所属。1964年3月トヨタ自動車販売入社。入社直後から海外営業畑を歩み、オーストラリアと米国に駐在する。 1996年、米国トヨタ自動車販売社長に就任。値下げに踏み切った97年型トヨタ・カムリや、SUVを中心に、アメリカ合衆国でのトヨタ車販売量を増やした。また1997年からはカリフォルニア州で電気自動車の電力会社や地方自治体への販売を開始させた。
後藤 國利(ごとう くにとし、1940年(昭和15年)1月6… 後藤 國利(ごとう くにとし、1940年(昭和15年)1月6日 - )は、日本の実業家、政治家、林業家。うすき製薬株式会社代表取締役社長、臼杵市長、大分県議会議長、株式会社コアラ会長を歴任した。豊の国木造建築賞優秀賞入賞。 大分県臼杵市出身。地元の製薬会社うすき製薬の創業家の医師の子として生まれる。1964年に一橋大学社会学部を卒業し、三菱重工業神戸造船所で勤務した後、家業再建のため1966年からうすき製薬の代表取締役社長を務めた。 セメント工場建設反対の住民運動に関わったのをきっかけに、1975年から大分県議会議員を5期20年にわたって務め、1989年から約1年間は自由民主党大分県連の幹事長、1990年には県議会議長を務めた。
澤田 長二郎(さわだ ちょうにろう、1940年 - )は、日… 澤田 長二郎(さわだ ちょうにろう、1940年 - )は、日本の実業家。勲等は旭日双光章。津軽鉄道第6代代表取締役社長、東北鉄道協会会長、日本民営鉄道協会理事。 青森県五所川原市生まれ。平山為之助初代津軽鉄道社長は外祖父。青森県立五所川原高等学校を経て、1963年に一橋大学商学部を卒業。今井祐元富士フイルム代表取締役副社長は一橋大バドミントン部の同期で親しい。大学卒業後は三菱商事に入社し、タイ王国駐在、オーストラリア珪砂採掘会社社長、三菱商事資材部長を経て、2003年までエム・シー砿産代表取締役社長。 2004年、五所川原市に帰郷し、債務超過となっていた津軽鉄道の第6代代表取締役社長に就任。経費削減やイベント列車の拡充等を進め、地元の協力を得て、2008年までに義務付けられていた緊急保全整備事業の資金調達に成功し、鉄道存続に繋げた。
吉野 泰生(よしの やすお、 1939年10月5日 - 20… 吉野 泰生(よしの やすお、 1939年10月5日 - 2013年11月17日)は日本の実業家。元住友生命保険会長。 福岡県出身。1965年一橋大学商学部卒業、住友生命保険入社。営業畑を歩み、北九州支社長、岐阜支社長、東京開発部長、福岡支社長兼福岡法人営業部長、1988年取締役、1992年常務取締役、1995年専務取締役、1997年副社長等を歴任。企画部門を統括し、実力者として知られた。 2001年住友生命保険会長就任。同年社長に就任した横山進一とともに、外資系生命保険会社に対抗し、営業職員の評価基準を変え、中高年向け保険や、医療・介護分野の保険の営業を拡大させるなど、同社の経営にあたった。 2007年住友生命保険名誉顧問。
加藤 武雄(かとう たけお、1939年8月23日 - )は、… 加藤 武雄(かとう たけお、1939年8月23日 - )は、日本の実業家。加藤産業名誉会長。食料産業特別貢献大賞受賞。 茨城県出身。1964年一橋大学経済学部卒業。1968年加藤産業入社。1971年取締役本社営業部長。1974年常務取締役。1976年代表取締役専務。1979年代表取締役社長。2003年代表取締役会長。2009年旭日双光章受章。2011年取締役会長。2013年相談役名誉会長。2023年食料産業特別貢献大賞受賞。西宮商工会議所副会頭なども務めた。 加藤和弥加藤産業代表取締役社長は長男。
古沢 煕一郎(ふるさわ きいちろう、1939年3月12日 -… 古沢 煕一郎(ふるさわ きいちろう、1939年3月12日 - )は日本の実業家。中央三井信託銀行初代社長や、三井トラスト・ホールディングス会長兼社長、中央三井トラスト・ホールディングス会長を歴任。社団法人信託協会会長、東芝取締役報酬委員会委員長等も務めた。 三重県で生まれ、幼少期を過ごした。東京都立豊多摩高等学校を経て、1962年一橋大学社会学部卒業。同年三井信託銀行入行。 企画・融資部門を長く歩み、1991年三井信託銀行取締役、1998年同副社長、1999年同社長。中央信託銀行との合併にあたった。 2000年、三井信託銀行と中央信託銀行が合併して誕生した中央三井信託銀行の初代社長に就任。中央信託銀行が存続会社であったため、当初は会長に就任予定だったものの、会長空席のまま、社長に就任した。
平尾 光司(ひらお こうじ、1939年 - )は、日本の実業… 平尾 光司(ひらお こうじ、1939年 - )は、日本の実業家。日本長期信用銀行副頭取、長銀総合研究所社長、信金中央金庫地域・中小企業研究所長、学校法人昭和女子大学理事長等を歴任。ベンチャーキャピタルやベンチャー企業の支援、買収などを行い、参画したイーバンク銀行(現楽天銀行)の監査役等も務めた。 東京都出身。1961年一橋大学社会学部卒業。大学在学中は宮崎省吾、川岸近衛、飯沼健真、酒井武史らと学生運動に参加し、また高島善哉ゼミで資本主義形成期の「キャプテンズ・オブ・インダストリー」の社会思想を学んだ。石弘光(元一橋大学学長)は大学の同期で友人。日本初の産業論である有沢広巳編集『現代日本産業講座』に、日本長期信用銀行(現SBI新生銀行)調査レポートが多数掲載されていたことから、大学卒業後は同行に入行、調査部配属。
酒井 武史(さかい たけし、1938年12月10日 - )は… 酒井 武史(さかい たけし、1938年12月10日 - )は、日本のジャーナリスト、実業家。武照舎創業者であり、のち休眠中の創土社を買収し、同社代表取締役を務めた。 1961年一橋大学卒業。大学在学中は、宮崎省吾、川岸近衛、平尾光司、飯沼健真らと学生運動に参加した。朝日新聞社記者を経て、1990年武照舎を設立し、大学の先輩である二瓶一郎が社長を務めていた新評論に委託する形で人文書の出版などを行った。2001年二瓶の新評論社長退任に伴い、休眠会社の創土社を買収し同社代表取締役に就任。出版不況が続く中、フェイスとの業務提携を行うなどし、版権を保有する人気ゲームブックの再販を進めるなどした。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
相沢 光哉(あいざわ みつや、1938年12月7日 - 20… 相沢 光哉(あいざわ みつや、1938年12月7日 - 2025年2月28日)は、日本の政治家、実業家。株式会社橘寿司代表取締役、宮城県寿司商環境衛生同業組合理事長、宮城県監査委員、自由民主党宮城県連幹事長、宮城県議会議長等を歴任した。 1951年仙台市立東二番丁小学校卒業。1954年東北学院中学校卒業。1957年東北学院高等学校卒業。1962年一橋大学商学部卒業、キリンビール入社。 1971年仙台市議会議員。1980年橘寿司代表取締役。1982年宮城県寿司商環境衛生同業組合理事長。1991年宮城県議会議員。2000年自由民主党宮城県民会議会長。2003年宮城県監査委員。2005年自由民主党宮城県連幹事長、日本李登輝友の会理事。
石津 進也(いしづ しんや、1938年8月23日 - )は、… 石津 進也(いしづ しんや、1938年8月23日 - )は、日本の実業家。旭硝子代表取締役社長、取締役会議長を歴任。ベルギー王国王冠勲章コマンドール章受章。
西田 一成(にしだ かずなり、1938年4月16日 - )は… 西田 一成(にしだ かずなり、1938年4月16日 - )は、日本の実業家。松下電工代表取締役社長や、同社取締役会議長、パナソニック名誉役員を務めた。 岐阜県出身。1962年一橋大学商学部卒業、松下電工入社。1972年朝日電器経理部長。1984年松下電工インテリア照明事業部電器営業企画部長。1989年中部電器営業部長。1995年松下電工経理部長。1996年松下電工取締役経理部長。1998年松下電工常務取締役。2000年から松下電工代表取締役社長を務め、クボタとの住宅外装事業の統合を行うなどした。2003年松下電工取締役会議長。2008年パナソニック名誉役員。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
小堀 暉男(こぼり てるお、1938年4月9日 - )は、日… 小堀 暉男(こぼり てるお、1938年4月9日 - )は、日本の実業家。三菱化成(現・三菱ケミカル)取締役副社長や、三菱ウェルファーマ(現・田辺ファーマ)2代目代表取締役社長を務めた。
大 公一郎(だい こういちろう、1938年4月1日 - 20… 大 公一郎(だい こういちろう、1938年4月1日 - 2021年6月22日)は、日本の実業家。あらた代表取締役会長や、生活協同組合コープさっぽろ生協会会長、全国化粧品日用品卸連合会会長、札幌市社会福祉協議会会長などを歴任した。 北海道函館市生まれ。1957年北海道函館東高等学校卒業。1961年一橋大学商学部卒業、レナウン商事入社。1963年に父・總一郎が経営する生活雑貨・化粧品卸の大加十全堂入社。1967年大加十全堂取締役営業部長に昇格。1969年、道内の卸売他社と合併して発足したダイカの専務取締役。1979年ダイカの代表取締役社長に就任、物流強化により業容の拡大を進めた。 1980年北海道卸粧業連合会副理事長。
茂木 賢三郎/第十三代茂木 七左衞門(もぎ けんざぶろう/も… 茂木 賢三郎/第十三代茂木 七左衞門(もぎ けんざぶろう/もぎ しちざえもん、1938年1月18日 - )は、日本の実業家。勲等は旭日中綬章。独立行政法人日本芸術文化振興会理事長。1973年にハーバード大学でMBAを取得し、のちにハーバード・ビジネス・スクール日本同窓会会長も務めた。日本芸術文化振興会の理事長に就任した後、先代の逝去を受けて、名前を七左衞門(しちざえもん)に改めた。茂木啓三郎は父、茂木友三郎は実兄。妻は東ソー創業者岩瀬徳三郎の孫。 1938年千葉県出身。1960年3月一橋大学経済学部卒業。大学時代は中山伊知郎ゼミナール、柔道部に所属。1960年4月東京銀行に入行。 キッコーマンが、野田醤油として設立されて以来、茂木家からは各家一世代に一人しか入社できないという不文律があったところ、既に兄の茂木友三郎が入社していたため、賢三郎は入社できないこととなっていたが、後に一族の本家である茂木本家茂木潤一郎(第十二代七左衞門)の養子となったことから、入社が可能となり、1962年東京銀行を退社し、キッコーマンに入社した。
江頭 邦雄(えがしら くにお、1937年10月1日 - 20… 江頭 邦雄(えがしら くにお、1937年10月1日 - 2008年4月7日)は、日本の実業家。味の素代表取締役社長・会長、経団連副会長、日本冷凍食品協会会長等を務めた。 長崎県佐世保市出身。長崎県立佐世保北高等学校卒業後、2年間の大学浪人生活を経て、一橋大学に入学。1962年同大学卒業。同年に味の素に入社。 1987年味の素取締役に就任、1997年に社長に就任、2005年に会長就任。味の素冷凍食品の分社化、油事業の分社化及びホーネンコーポレーションとの経営統合によるJ-オイルミルズ設立などを行う一方、ネスレやユニリーバなどと伍していくため世界中で積極的にM&Aを進めた。2003年欧州味の素食品設立。
松井 正俊(まつい まさとし、1937年7月22日 - )は… 松井 正俊(まつい まさとし、1937年7月22日 - )は、日本の実業家、第3代松井証券社長。
安崎 暁(あんざき さとる、1937年3月3日 - 2018… 安崎 暁(あんざき さとる、1937年3月3日 - 2018年5月26日)は、日本の実業家。小松製作所代表取締役社長や、日本建設機械工業会会長、国家公安委員会委員などを務めた。 1937年に陸軍大学校学生安崎操(のちに陸軍中佐・第6方面軍参謀や、自衛隊陸将・東北方面総監を歴任)の長男として、東京で生まれ、徳島県吉野川市鴨島町で育つ。1959年3月一橋大学社会学部卒業。中国経済史専攻。1961年3月一橋大学経済学部を卒業。理論経済学専攻。大学時代は小笠原流の弓道部に所属。後年には、私費を投じて大学の弓道場の建て直しを行った。 1961年4月小松製作所入社。同社では主に国際部門を担当し、海外事業展開を進めた。
三ツ井 康(みつい やすし、1937年(昭和12年)1月7日… 三ツ井 康(みつい やすし、1937年(昭和12年)1月7日 - 2021年(令和3年)5月3日)は、日本の実業家。フジテレビ副社長、共同テレビジョン社長、扶桑社社長などを歴任した。鹿児島県鹿児島市出身。 鹿児島市長を1期務めた三ッ井卯三男の長男として生まれる。 鹿児島県玉龍高等学校、一橋大学社会学部を卒業。森園幸男(人事院事務総長)、森元順司(光文社常務)は、高校の同級生。 1960年4月、フジテレビに入社。1988年4月、取締役に選任され、のち常務。1980年代、編成局の主要ポストを歴任し、フジの全盛期を支え、1981年初頭には、「楽しくなければテレビじゃない」のキャッチフレーズを案出し、開局当初の「母と子のフジテレビ」にとって替わる大ヒット作品となった。
橋本 宗利(はしもと むねとし、1936年12月9日 - )… 橋本 宗利(はしもと むねとし、1936年12月9日 - )は、日本の経営者。広島ホームテレビ社長、会長を務めた。 広島県尾道市出身。1959年に一橋大学経済学部を卒業し、日本興業銀行に入行し、本店営業部で勤務していた。1965年5月に広島銀行監査役に就任し、取締役、常務、総務部長、専務、副頭取を歴任した。1989年6月から2008年6月までに広島ホームテレビの社長を務め、2008年6月から会長に就任した。。日本青年会議所副頭取、広島県選挙管理委員会委員長、朝日放送監査役も務めた。 1998年から2000年までに日本民間放送連盟副会長を務めた。
北岡 郊司郎(きたおか こうしろう、1936年11月14日 … 北岡 郊司郎(きたおか こうしろう、1936年11月14日 - 2020年9月21日)は、日本の経営者。大昭和製紙(現在の日本製紙)社長を務めた。 徳島県出身。1961年に一橋大学社会学部を卒業し、同年に大昭和製紙に入社した。1987年6月に取締役に就任し、1991年6月に顧問、1994年6月に常務、1999年6月に専務を経て、2001年3月から2003年3月までに社長を務めた。 2020年9月21日、肺血栓塞栓症のために死去。83歳没。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
南 敬介(みなみ けいすけ、1936年〈昭和11年〉3月1日… 南 敬介(みなみ けいすけ、1936年〈昭和11年〉3月1日 - 2016年〈平成28年〉11月6日)は、日本の実業家。富士銀行副頭取、東京建物会長、東京建物不動産販売社長。 不動産協会副理事長、不動産公正取引協議会連合会会長、首都圏不動産公正取引協議会会長、ロングライフビル推進協会代表理事・副会長、不動産流通経営協会理事、不動産証券化協会理事。 東京都生まれ。1958年一橋大学商学部卒業。同年株式会社富士銀行(現株式会社みずほフィナンシャルグループ)入行、1986年同行取締役、1991年同行副頭取、1994年同行常任監査役。 1995年富士銀行監査役兼東京建物株式会社取締役特別顧問、1997年同社代表取締役社長就任。
上原 英治(うえはら ひではる、1936年2月9日 - )は… 上原 英治(うえはら ひではる、1936年2月9日 - )は、日本の実業家。東京ガス相談役・前会長・元社長・経団連理事、経済同友会幹事を歴任。
大和屋 隆喜(やまとや たかき、1935年(昭和10年)11… 大和屋 隆喜(やまとや たかき、1935年(昭和10年)11月 - )は、日本の実業家。元新日鉄化学社長、新日本製鉄常務取締役。長崎県出身。 1935年(昭和10年)長崎県生まれ。1959年(昭和34年)一橋大学経済学部卒業後、八幡製鉄に入社。以後営業畑を歩み、八幡製鉄所生産業務部長・本社自動車鋼板販売部長などを経て、1989年(平成元年)6月、八幡製鉄所副所長。当時の好況に浮かれる所内の引き締めを図った。1991年(平成3年)堺製鉄所所長、1993年(平成5年)新日本製鉄常務取締役、1995年(平成7年)新日鉄化学副社長を経て、1997年(平成9年)同社社長に就任。新日鉄化学は当時、1994年(平成6年)の為替差損問題で経営危機に陥っており、副社長時代から一貫して経営再建に取り組んだ。
堀江 行而(ほりえ ゆきじ、1935年9月17日 - )は、… 堀江 行而(ほりえ ゆきじ、1935年9月17日 - )は、日本の経営者。井関農機社長を務めた。 静岡県出身。1958年に一橋大学経済学部を卒業し、同年4月に日本勧業銀行に入行。1988年6月に取締役に就任し、1990年3月に常務を経て、1992年3月に井関農機副社長に就任し、同年12月には社長に昇格。2001年4月には相談役に退いた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
北中 誠(きたなか まこと、1935年9月1日 - )は、日… 北中 誠(きたなか まこと、1935年9月1日 - )は、日本の実業家。公益財団法人小田急財団顧問。小田急電鉄では代表取締役社長として、バブル崩壊の影響を受け業績が悪化していた小田急グループの建て直しを図った。また日本民営鉄道協会副会長も務めた。 茨城県出身。1959年に一橋大学商学部を卒業し、小田急電鉄に入社。同社では、入社以来社長就任まで5年間を除き、33年間経理を担当した。1968年には知識の整理と確認のために公認会計士試験を受験し、合格した。 1975年に突如腹痛が生じたため、救急車で病院に搬送されたものの、盲腸との診断は出ず、いったん帰宅した。その夜、再び腹痛が生じたため、再度病院に行ったところ盲腸であると診断され、緊急手術を受けた。
河村 幹夫(かわむら みきお、1935年8月3日 - 201… 河村 幹夫(かわむら みきお、1935年8月3日 - 2019年11月27日)は、日本の実業家、経営学者、博士(経営学)、シャーロキアン。アーサー・コナン・ドイル研究の第一人者。日本推理作家協会名誉会員。長崎市生まれの愛知県育ち。
丸 磐根(まる いわね、1935年〈昭和10年〉7月17日 … 丸 磐根(まる いわね、1935年〈昭和10年〉7月17日 - )は、日本の実業家。日本銀行発券局長を経て、山陰合同銀行代表取締役頭取、同会長、島根経済同友会代表幹事、島根県商工会議所連合会会頭などを務めた。 島根県邑智郡川本町出身。1958年一橋大学法学部を卒業し日本銀行に入行。1984年6月日本銀行外国局次長、1985年1月日本銀行政策委員会室秘書役、1986年11月日本銀行発券局長。 1988年6月株式会社山陰合同銀行代表取締役副頭取、1992年6月同行代表取締役頭取、2002年6月同行代表取締役会長、2007年6月同行特別顧問。2013年6月退任。 1990年から2010年まで松江商工会議所会頭、島根県商工会議所連合会会頭、中国経済連合会副会長、1995年から2002年まで島根経済同友会代表幹事。
永瀬 正治(ながせ まさはる、1935年(昭和10年)6月1… 永瀬 正治(ながせ まさはる、1935年(昭和10年)6月10日 - )は日本の実業家。元永瀬石油取締役社長。元米子商工会議所会頭。米子空港利用促進懇話会会長を務め、同空港を核とした地域振興に尽力する。 父は永瀬石油元会長永瀬義春。 1958年(昭和33年)一橋大学商学部卒。同年永瀬石油勤務。 常務、専務を経て同社取締役社長。 1977年(昭和52年)ウベハウス中海工業取締役社長、山陰酸素工業監査役に就任。 (島根県簸川郡斐川村、鳥取県米子市尾高町・米子市宗像) この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
白岩 保(しらいわ たもつ、1935年4月8日- )は、日… 白岩 保(しらいわ たもつ、1935年4月8日- )は、日本の経営者。関西ペイント社長、会長を務めた。福島県出身。 1960年に一橋大学商学部を卒業し、同年に関西ペイントに入社した。1991年6月に取締役に就任し、1997年6月に専務を経て、1999年6月には社長に就任した。2002年6月に会長に就任し、2003年6月から相談役を務めた。 2004年4月には藍綬褒章を受章。
宮本 三喜彦(みやもと みきひこ、1935年3月5日 - 2… 宮本 三喜彦(みやもと みきひこ、1935年3月5日 - 2019年10月25日)は、日本の実業家。明治生命保険と安田生命保険の合併を実現させ、初代明治安田生命保険代表取締役会長を務めた。 熊本県出身。熊本県立八代高等学校を経て、1959年一橋大学社会学部卒業。安田生命保険入社。大学では一橋大学硬式野球部所属。 安田生命保険では営業畑を歩み、1971年新橋支店長、1983年取締役、1993年副社長。 1999年安田生命保険代表取締役社長。拡大路線を進めた。 2000年富国生命保険と業務提携開始。富国生命との統合も考えたものの、頓挫。 2001年東京建物、大成建設、朝日生命保険とともに、J-REITを組成。
鈴木 喬(すずき たかし、1935年1月18日 - )は、日… 鈴木 喬(すずき たかし、1935年1月18日 - )は、日本の実業家。エステー会長(元社長)。東京都渋谷区出身、一橋大学商学部卒業。 1935年(昭和10年)今でいう日用品のディスカウンターをしていた鈴木千蔵(エステー化学初代社長)の四男として東京都で生まれる。戦争にかり出された兄たちにかわり、小学生のころから家業を手伝う。東京大空襲で店を焼かれ、焼け野原のなか父のゼロからの再出発を支えた。 東京都立新宿高等学校を経て、商人になりたいという想いから叔父に勧められ一橋大学商学部に進学。すでに父と兄がエステー化学工業㈱(現エステー)を設立していたが「もっと広い世界で活躍したい」と考え、サラリーマンの道を選択する。
石井 祥(いしい しょう、1935年(昭和10年)1月8日-… 石井 祥(いしい しょう、1935年(昭和10年)1月8日-)は日本の実業家、銀行家。南日本銀行代表取締役頭取や会長を務めた。 鹿児島県出身で一橋大学経済学部卒。1957年に富士銀行に入行し、支店業務第三部長などを務める。 1985年に富士銀行を退職して旭相互銀行(後の南日本銀行)に入行し、専務取締役に就任する。相互銀行から普通銀行後の1992年に副頭取となり、1993年に頭取に就任する。2006年に頭取を森俊英に譲って代表取締役会長に就任した。 2009年に代表を降りて取締役相談役となり、2010年に取締役を退任する。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
郡山 史郎(こおりやま しろう、1935年 - )は、日本の… 郡山 史郎(こおりやま しろう、1935年 - )は、日本の実業家。シンガー日本代表や、ソニーPCL代表取締役社長、同社代表取締役会長、ソニー顧問、CEAFOM代表取締役、小僧com代表取締役社長などを歴任した。 鹿児島県指宿市生まれ。1954年ラ・サール高等学校卒業。1958年一橋大学経済学部卒業、伊藤忠商事入社。1959年ソニー入社。1973年シンガー入社。シンガー日本代表を経て、1981年ソニー映像事業部長 。1984年ソニー情報機器事業本部長。1985年ソニー取締役。1988年ソニー経営戦略本部長。1990年ソニー常務取締役。1991年ソニー一般地域統括本部長、資材本部長、サービス本部長、物流本部長。
鈴木 祥弘(すずき よしひろ、1934年11月29日 - 2… 鈴木 祥弘(すずき よしひろ、1934年11月29日 - 2012年11月9日)は、日本の実業家。NEC副社長や、日本インダストリアル・エンジニアリング協会会長、経団連規制改革推進部会長、行政改革推進本部規制改革委員会委員等を歴任した。 1959年一橋大学商学部卒業、日本電気入社。日本電気企画部長、日本電気副社長、日本電気特別顧問、NEC総研理事長、国際社会経済研究所副理事長、経団連規制改革推進部会長、行政改革推進本部規制改革委員会委員、公正取引委員会独占禁止懇話会社会的規制等ワーキンググループ委員等を歴任。1997年日本インダストリアル・エンジニアリング協会会長。2000年問題への対応を提言するなどした。
松本 知則(まつもと とものり、1934年2月10日 - 2… 松本 知則(まつもと とものり、1934年2月10日 - 2003年6月14日)は、日本の経営者。九州朝日放送の社長を務めた。 大分県出身。1957年に一橋大学社会学部を卒業し、同年に朝日新聞社に入社。取締役、名古屋本社代表、常務を経て、1993年8月に専務に就任。 1997年6月に九州朝日放送の社長に就任し、全国朝日放送取締役も兼任した。 2003年6月14日、肝不全、腎不全により死去。69歳没。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
高橋 宏(たかはし ひろし、1933年12月21日 - )は… 高橋 宏(たかはし ひろし、1933年12月21日 - )は日本の実業家。日本郵船副社長、郵船航空サービス社長、公立大学法人首都大学東京理事長、特定非営利活動法人一橋総合研究所理事長等を歴任。
吉田 忠明(よしだ ただあき、1933年12月9日 - 20… 吉田 忠明(よしだ ただあき、1933年12月9日 - 2018年2月19日)は、日本の大蔵官僚、実業家。東京国税局長を経て、トマト銀行社長、会長を務めた。 鳥取県八頭郡用瀬町出身。旧制鳥取県立鳥取第一中学校(現鳥取県立鳥取西高等学校)、鳥取県立八頭高等学校を経て、一橋大学経済学部を卒業し、1957年大蔵省(現:財務省)に入省(大臣官房文書課)。 1959年6月近畿財務局理財部。1960年6月東京国税局調査査察部。1961年6月銀行局金融制度調査官付。1964年7月広島国税局米子税務署長。1966年6月関東信越国税局総務部総務課長。1972年5月外務省在香港日本国総領事館領事。1979年6月東京国税局総務部長。
猪口 一郎(いのくち いちろう、1933年11月16日 - … 猪口 一郎(いのくち いちろう、1933年11月16日 - 2013年6月9日)は、日本の実業家。野村不動産社長、会長を務めた。 山形県出身。1958年に一橋大学商学部を卒業し、同年に野村證券に入社。 広島支店長、京都支店長、名古屋支店長、取締役、首都圏本部長、常務を歴任し、1987年12月に野村不動産専務に就任。副社長を経て、1992年6月から1995年6月までに社長を務め、1995年6月から1996年6月までに会長を務めた。 2013年6月9日、肺炎のために死去。79歳没。
仁科 和雄(にしな かずお、1933年8月13日 - 202… 仁科 和雄(にしな かずお、1933年8月13日 - 2023年7月16日)は日本の実業家。元髙島屋代表取締役会長。 東京都立大泉高等学校を経て、一橋大学卒業。大学時代は準硬式野球部に所属、大学4年時には東都大学一部リーグ戦で準優勝した。 三和銀行副頭取を経て、1993年髙島屋代表取締役副社長就任。横浜高島屋との合併を指揮した。仁科は次期社長とみられていたが、その後、高島屋商法違反事件が起き、事件当時総務統括の代表取締役であったことため社長就任が困難になり、代表取締役会長に就任。1996年にはタカシマヤタイムズスクエアを開設。高島屋相談役、特別顧問、特別区人事委員会委員、自由時間倶楽部代表等も務めた。
梶原 德二(かじわら とくじ、1933年7月 ‐ )は、日本… 梶原 德二(かじわら とくじ、1933年7月 ‐ )は、日本の実業家・発明家。 菓子・食品加工機械メーカー梶原工業株式会社および株式会社カジワラグループの代表取締役会長を務める。 1960年代初頭、焦げつきを防ぐ自動加熱攪拌装置「煮炊撹拌機(かくはんき)」を世界で初めて開発し、食品機械分野の自動化技術を切り開いた。以来、加熱・攪拌・成形機などの特許を多数取得し、食品製造現場の効率化と品質向上に寄与している。 2023年には「食料産業特別貢献大賞」を受賞し、長年にわたり日本の食品産業機械化に貢献した功績が評価された。また、一橋総合研究所理事長として、産学官連携・地域イノベーション支援にも取り組んでいる。
村木 文郎(むらき ふみろう、1933年5月27日 - 20… 村木 文郎(むらき ふみろう、1933年5月27日 - 2019年11月14日)は、日本の実業家。野母商船グループ会長。旅客船業界に係る各種団体の会長・委員等を務め、海運事業振興に努めた。 1933年長崎県生まれ。祖父は野母商船創業者の村木清三郎、父は日本旅客船協会の設立に関わり、同協会会長を務めた村木信一郎。長崎県立長崎東高等学校を経て、1956年一橋大学商学部卒業後、野母商船に入社。1964年専務を経て、1991年社長。2006年から2011年まで日本旅客船協会会長を務め、高速道路無料化に反対するなど業界の意見を発信した。また、離島を多く抱える長崎県における海上交通の振興にも努め、島民らを対象として運賃を割引する制度を打ち出すなどした。
鳥海 巖(とりうみ いわお、1933年2月22日 - 201… 鳥海 巖(とりうみ いわお、1933年2月22日 - 2014年1月10日)は日本の実業家。丸紅社長・会長、東京国際フォーラム社長、東京都交響楽団理事長、経済同友会副代表幹事を歴任。
児島 章郎(こじま あきろう、1933年1月18日 - 20… 児島 章郎(こじま あきろう、1933年1月18日 - 2015年3月17日)は、日本の経営者。ダイセル化学工業(現在のダイセル)社長、会長を務めた。東京都出身。 1956年に一橋大学経済学部を卒業し、同年に大日本セルロイドに入社。1983年6月に取締役に就任し、1985年6月に常務を経て、1987年6月に副社長に就任し、1988年6月には社長に昇格。1999年6月に会長に就任。 2015年3月17日腸閉塞のために死去。82歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
加野 忠(かの ただし、1933年 - )は日本の実業家、経… 加野 忠(かの ただし、1933年 - )は日本の実業家、経済学者。元ソロモン・ブラザーズ銀行日本代表、博士(経済学)(中央大学・論文博士・2009年)。 北海道小樽市出身。1957年一橋大学経済学部卒業。大学では都留重人ゼミナールに参加。1962年イェール大学大学院修士課程修了。一橋都留ゼミの同期に、仲澤泰彦(元日本電気常務)、近藤久也(元フジテレビディレクター)、関根友彦(元ヨーク大学教授)、岩崎八男(通産官僚、元中小企業庁長官)などがいる。 大学卒業後東京銀行に入行し証券部長等を経て、1985年退社。セキュリティ・パシフィックに移り、円スワップ取引部門の立ち上げを行う。その後ソロモン・ブラザーズで銀行子会社の設立を行う。
小林 正夫(こばやし まさお、1933年 - )は、日本の実… 小林 正夫(こばやし まさお、1933年 - )は、日本の実業家。日本製紙代表取締役社長、日本ユニパックホールディング代表取締役社長、日本製紙グループ本社代表取締役会長、日本製紙連合会会長、財務会計基準機構理事長等を歴任した。藍綬褒章、旭日重光章受章。 1955年に一橋大学経済学部を卒業し十條製紙株式会社(現日本製紙株式会社)入社。1984年取締役。常務、専務を経て、1996年第2代日本製紙株式会社代表取締役社長に就任。製紙業界の大型合併が続く中、当初合併を否定してた大昭和製紙株式会社と2001年に事業統合し、株式移転により持株会社となる株式会社日本ユニパックホールディング(現日本製紙株式会社)を設立。
奥田 碩(おくだ ひろし、1932年〈昭和7年〉12月29日… 奥田 碩(おくだ ひろし、1932年〈昭和7年〉12月29日 - )は、日本の経営者、トヨタ自動車元社長、同社元会長。 日本経営者団体連盟会長、日本経済団体連合会会長、内閣特別顧問、日本郵政取締役兼指名委員長兼報酬委員長、国際協力銀行総裁、トヨタ財団会長などを歴任した。勲等は旭日大綬章。 三重県津市出身。三重県立津中学校(現・三重県立津高等学校 疎開を機に転校)、松阪北高等学校(現・三重県立松阪工業高等学校)を経て、1955年に一橋大学商学部を卒業。奥田務(元J.フロント リテイリング会長兼CEO)は実弟。 幼少時は、祖父(奥田喜一郎)や父が三重県最大の証券会社・奥田証券を営んでおり裕福だった。
髙橋 治朗(たかはし じろう、1932年(昭和7年)11月2… 髙橋 治朗(たかはし じろう、1932年(昭和7年)11月20日 - 2023年(令和5年)10月25日)は、日本の実業家。名港海運社長、会長、名古屋商工会議所会頭、日本商工会議所副会頭、名古屋中小企業投資育成社長等を歴任。 愛知県名古屋市瑞穂区出身。名港海運創業者の髙橋儀三郎の次男。のちの名古屋港ガーデンふ頭付近で育ち、1956年に一橋大学商学部を卒業し、大阪商船(現商船三井)入社。 1961年名港海運に移る。1974年取締役に就任。常務、副社長を経て、1995年に代表取締役社長、2001年には代表取締役会長に就任。 2010年から名古屋商工会議所会頭を務め、名古屋港の国際バルク戦略港湾選定に尽力。
田口 栄一(たぐち えいいち、1932年9月14日 - 20… 田口 栄一(たぐち えいいち、1932年9月14日 - 2022年4月18日)は、日本の経営者。三菱レイヨン(現在の三菱ケミカル)社長、会長を務めた。 東京都出身。1955年に一橋大学商学部を卒業し、同年に三菱レイヨンに入社。1985年6月に取締役に就任し、1989年6月に常務、1991年6月に専務を経て、1993年6月に社長に就任。200年6月に会長に就任し、2004年6月から相談役を務めた。 2022年4月18日老衰のために死去。89歳。
平野 友明(ひらの ともあき、1932年(昭和7)5月20日… 平野 友明(ひらの ともあき、1932年(昭和7)5月20日 - 2017(平成29)年12月22日)は日本の実業家。三菱銀行代表取締役専務や、日本信託銀行の社長、会長等を歴任した。 島根県出身。1957年に一橋大学経済学部を卒業し、三菱銀行に入行。入行後は労働組合の委員長を務めたほか、1978年から2年間は、経営不振により無配に転落していた三菱金属(現三菱マテリアル)に出向し、同社の経営再建に尽力した。その後三菱銀行に戻り、業務企画部副部長、渋谷支店長、総合企画部長、代表取締役常務等を経て1993年5月に三菱銀行代表取締役専務に就任。 1994年8月、バブル景気時に行った不動産向け融資などの焦げ付きにより経営不振が続いていた日本信託銀行の社長に就任。
高須 司登(たかす しとみ、1932年(昭和7年)4月25日… 高須 司登(たかす しとみ、1932年(昭和7年)4月25日 - 2019年(令和元年)8月1日)は、日本の実業家。位階は従三位。元中国電力代表取締役社長、元中国経済連合会会長。 1956年(昭和31年)一橋大学法学部卒業、同年中国電力株式会社入社。 1989年(平成元年)中国電力株式会社取締役総合企画室第一企画室長、1991年(平成3年)中国電力株式会社常務取締役、1993年(平成5年)中国電力株式会社取締役副社長、1995年(平成7年)中国電力株式会社代表取締役社長、2001年(平成13年)中国電力株式会社取締役会長、同年中国経済連合会会長、2005年(平成17年)株式会社もみじホールディングス監査役兼任。