本田 博俊(ほんだ ひろとし、1942年〈昭和17年〉4月1… 本田 博俊(ほんだ ひろとし、1942年〈昭和17年〉4月11日 - )は、日本の自動車技術者、実業家。株式会社「無限」(現:M-TEC)の創業者。本田技研工業創業者・本田宗一郎の長男。 本田技研工業の創業者である本田宗一郎の長男として生まれる。 中学から高校時代に、父を介して浮谷東次郎に出会う。浮谷は、博俊が宗一郎から与えられた発売されたばかりのスーパーカブを乗り回しているのを記事で目にして興味を持ち、宗一郎に「あなたの息子の本田博俊さんと友人になりたい」との手紙を、私家版『がむしゃら1500キロ』に添えて送ったという。 日大豊山高校から日本大学理工学部へ入学後、芸術学部に転部し、工業デザイナーを志望する。
土谷 和夫(つちや かずお、1942年4月3日 - 没年不明… 土谷 和夫(つちや かずお、1942年4月3日 - 没年不明)は、日本の陸上競技(長距離走)選手。実業団を経て日本大学に入学し、1960年代にトラック競技やロードレースで活躍。のちにプロ野球のトレーニングコーチを務めた。 宮崎県出身。宮崎商業高校から八幡製鉄に所属し、1962年・1963年には全日本実業団駅伝に出場し区間賞を獲得している。日本大学に入学。 1964年4月に毎日マラソン(日本選手権大会・1964年東京オリンピック代表選考会を兼ね、オリンピックのマラソンコースで行われた)に出場、4位入賞。2位の円谷幸吉はマラソンを始めたばかりであり、4位の土谷がマラソン代表に選出される可能性もあったが、最終的には着順通り3人が代表選手に選ばれた。
千原 陽三郎(ちはら ようざぶろう、1942年3月30日 -… 千原 陽三郎(ちはら ようざぶろう、1942年3月30日 - )は、東京都出身の元プロ野球選手(投手、一塁手、外野手)。 日大三高では投手として1958年秋季東京大会決勝に進出。日大二高のエース井上善夫と投げ合い、0-1で完封負けを喫するが、1959年の春の選抜への出場を決める。選抜では2回戦(初戦)で松商学園に0-6で完封負け。同年夏は都予選準決勝で、またも日大二高の井上と投げ合うが4-5で惜敗、甲子園には届かなかった。 卒業後は日本大学へ進学。東都大学野球リーグでは在学中3度優勝。2年上に宮田征典がおり、一塁手と投手を兼ねて起用される。1961年の全日本大学野球選手権大会では、決勝で関大を降し優勝を飾る。
河合 伸光(かわい のぶてる、昭和17年(1942年)3月2… 河合 伸光(かわい のぶてる、昭和17年(1942年)3月21日 - )は日本の実業家。河合商事(株)の元代表取締役社長。 父は元米子市長の河合弘道。 昭和36年(1961年)県立米子東高校卒。 昭和40年(1965年)日本大学文理学部心理学科卒。小林脳行(株)東京本社勤務。昭和45年(1970年)同社退職。 昭和47年(1972年)河合商事を個人創業。昭和48年(1973年)株式会社に法人化。
菊池康雄(きくち やすお、1942年(昭和17年)3月16日… 菊池康雄(きくち やすお、1942年(昭和17年)3月16日 - )は日本の実業家、銀行家。栃木銀行の代表取締役頭取や第二地方銀行協会会長などを務めた。 栃木県出身で日本大学法学部卒。1965年に栃木相互銀行(現在の栃木銀行)に入行し、戸祭支店や東京支店などの支店長や経営企画部長を歴任し、1998年に同行取締役に就任する。常務、専務を経て、2005年に代表取締役副頭取、2009年に代表取締役頭取に就任した。 2013年に簗瀬悠紀夫の後任として栃木銀行では初の第二地方銀行協会会長に就任し、2015年まで務めた。 2016年に栃木銀行頭取を黒本淳之介に譲って代表取締役会長に就任し、2018年に退任した。
田口 佳史(たぐち よしふみ、1942年〈昭和17年〉3月8… 田口 佳史(たぐち よしふみ、1942年〈昭和17年〉3月8日 - )は、日本の東洋思想研究家、指導者学推進者。 1942年(昭和17年)生まれ。東洋思想研究家。指導者学推進者。株式会社イメージプラン代表取締役会長.。東洋思想指導者養成塾塾長。 大学卒業後、日本映画新社に入社。映画『東京オリンピック』ではチーフ監督を務めた。25歳の時、バンコク市郊外の農村で撮影中、突然水牛2頭に襲われ、瀕死の重傷を負うも奇跡的に生還。その入院中の老荘思想との運命的な出会いが、東洋思想研究家へと歩み出す契機となった。 主な著書『佐久間象山に学ぶ大転換期の生き方』『横井小楠の人と思想』『超訳 孫子』など多数。「東洋思想(儒・仏・道・禅・神道を有機的に融合させた思想や哲学)」を基盤とする独自の経営思想体系「タオ・マネジメント(東洋思想的経営論)」を構築・実践した。
大桑 堉嗣(おおくわ いくじ、1942年3月1日 - )は、… 大桑 堉嗣(おおくわ いくじ、1942年3月1日 - )は、日本の実業家。オークワ代表取締役会長。日本チェーンストア協会副会長、日本スーパーマーケット協会副会長、和歌山県公安委員会委員長等も歴任。 三重県熊野市出身。日本大学商学部卒業。和歌山県和歌山市に本社を置き、南近畿(大阪府・奈良県・三重県)を中心にスーパーマーケットチェーンを展開しているオークワ創業者である大桑勇の長男である。現在、同社の代表取締役会長を勤めている。2008年3月、同年5月15日をもって、現職と兼任でCEOに就任する事が発表された。 その他、日本流通産業株式会社の代表取締役社長(代表者)や日本チェーンストア協会の副会長、日本スーパーマーケット協会の副会長も務めている。
杉浦 定雄(すぎうら さだお、1942年(昭和17年)2月2… 杉浦 定雄(すぎうら さだお、1942年(昭和17年)2月26日 - 2021年(令和3年)12月22日)は、日本の建築家。教育者。東京都千代田区生まれ。 日本大学理工学部建築学科の小林美夫研究室研究生時代に、第8次南極地域観測隊用の建物4棟を設計した南極建築設計委員会の初期メンバーになる。 株式会社アトリエ・Kの設立に参加し、代表取締役に就任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。 この項目は、建築・土木に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:建築/Portal:建築)。
大久保 満男(おおくぼ みつお、1942年2月24日 - )… 大久保 満男(おおくぼ みつお、1942年2月24日 - )は、日本の歯科医師。元日本歯科医師会会長。NPO法人ハート・リング運動 特別顧問。 1960年、静岡県立静岡高等学校卒業。1966年、日本大学歯学部卒業。1967年、歯科大久保医院を開設。1980年、静岡県立静岡北養護学校医。1985年~1988年、静岡市歯科医師会会長、1991年~1994年日本歯科医師会公衆衛生委員会委員、2000年~2006年、静岡県歯科医師会会長。2000年~2003年、日本歯科医師会理事を経て、2006年~2015年、同会長。日本歯科医師連盟会長、財団法人8020推進財団 理事長など要職を歴任。2009年、経済危機克服のための「有識者会合」メンバー。
中村 忠 (なかむら ただし、1942年2月22日 - ) … 中村 忠 (なかむら ただし、1942年2月22日 - ) は、日本の空手家で、世界誠道空手道連盟誠道塾の会長。段位は十段。樺太真岡郡真岡町(現在のロシア極東連邦管区サハリン州ホルムスク)出身。駒場東邦高校一期生。日本大学理工学部建築学科卒業。極真会館の発展に貢献し、大山倍達を支えた高弟で、大山の後継者とも云われた、初代首席師範である。 東京の椎名町に移住してから宮城敬のもとで空手道を習い始める。高校1年生の時に大山道場へ入門。大山倍達以下、師範代である安田英治・石橋雅史・黒崎健時らの指導を受ける。先輩の岡田博文・大山茂・渡辺一久・大山泰彦・千葉真一・郷田勇三らと稽古を重ね、1962年5月6日に黒帯 (初段) を允許された。
園田 博之(そのだ ひろゆき、1942年〈昭和17年〉2月1… 園田 博之(そのだ ひろゆき、1942年〈昭和17年〉2月19日 - 2018年〈平成30年〉11月11日)は、日本の政治家。位階は従三位。 内閣官房副長官(村山内閣・村山改造内閣)、厚生政務次官(宮澤内閣)、衆議院法務委員長、衆議院議員(11期)、太陽の党党首、次世代の党顧問、日本維新の会副幹事長、たちあがれ日本幹事長、自由民主党幹事長代理、同政務調査会長代理、新党さきがけ幹事長、同副代表兼総務会長兼党務幹事、同代表幹事などを歴任。 父は内閣官房長官、外務大臣、厚生大臣を務めた園田直、甥はアニメ監督の山崎理。 熊本県天草郡河浦町(現:天草市)生まれ。習志野市立習志野高等学校(野球部1期生)、日本大学経済学部卒業。
佐伯 泰英(さえき やすひで、1942年2月14日 - )は… 佐伯 泰英(さえき やすひで、1942年2月14日 - )は、日本の小説家、写真家。福岡県北九州市八幡西区生まれ。日本大学藝術学部映画学科卒。 実家は新聞販売店で、折尾駅構内で新聞販売などを行なっていた。当初は家業を継ぐ予定であったが、これを断念して芸術を志すようになる。1971年より1974年までスペインに滞在。のち、スペインと闘牛を題材にしたノンフィクション『闘牛士エル・コルドベス 1969年の叛乱』と『闘牛はなぜ殺されるか』、小説『ゲルニカに死す』を発表。スペインや南米など、スペイン語圏を舞台にした冒険小説や国際謀略小説を中心に良質のミステリー小説を数多く執筆するが、日本人になじみの薄い土地を舞台にしたせいか思うように売れず、ヒットに恵まれないまま1998年頃には仕事の依頼が激減。
阪本 善尚(さかもと よしたか、1942年2月14日 - )… 阪本 善尚(さかもと よしたか、1942年2月14日 - )は、日本の撮影監督。奈良県出身。 1964年日本大学藝術学部映画学科卒業後、岩波映画製作所に契約キャメラマンとして入社。同年開局した東京12チャンネル(現在のテレビ東京)『ハローCQ』でキャメラマンデビュー。その後、成島東一郎の弟子となり、勅使河原宏監督の『インディレース 爆走』(1967年)などの撮影助手に就く。1969年、大学時代から自主映画製作で知り合いだった大林宣彦に誘われ、コマーシャル(CM)キャメラマンとして、大林とのコンビで多くのテレビCMを手がけた。 大林とは『HOUSE ハウス』(1977年)以降、多くの劇場映画の撮影監督をコンビで務めている。
杉岡 邦由(すぎおか くによし、1942年2月10日 - 2… 杉岡 邦由(すぎおか くによし、1942年2月10日 - 2016年/2017年)は、日本の走高跳の選手。1959年から1972年にかけて日本選手権優勝6回、オリンピック出場4回(1960年ローマ、1964年東京、1968年メキシコシティー、1972年ミュンヘン)。走高跳の技術が飛躍的に発展した時代に選手として活動、正面跳び(はさみ跳び)・ベリーロール・背面跳びの3種の跳躍方法をマスターしながら記録を伸ばした。 1962年アジア競技大会(インドネシア・ジャカルタ)に出場し、走高跳で優勝した。 日本大学第二高等学校3年生であった1959年、日本選手権で優勝(2m00)。日本大学に進学・卒業ののち、八幡製鐵に入社した。
松野 輝洋(まつの てるひろ、1942年〈昭和17年〉1月2… 松野 輝洋(まつの てるひろ、1942年〈昭和17年〉1月27日 - )は、日本の元アナウンサー、政治家。元静岡県藤枝市長(2期)。 1964年(昭和39年)、日本大学芸術学部卒業し、静岡新聞に入社し記者となる。1967年(昭和42年)、静岡放送へ出向・移動し、アナウンサー、記者を歴任。主としてSBSテレビ夕刊等報道・スポーツ中継に出演した。1997年(平成9年)、静岡新聞・SBSグループのシティエフエム静岡に出向し、代表取締役専務となる。 藤枝市長選挙に立候補して、前の市助役や元市議など新人3人を破って初当選を果たした。 ※当日有権者数:-人 最終投票率:63.01%(前回比:-pts) 6月20日に就任した。
奥村 正彦(おくむら まさひこ、1942年1月20日 - 2… 奥村 正彦(おくむら まさひこ、1942年1月20日 - 2021年7月31日)は、日本の演出家、映画監督。日本映画監督協会会員。 福井県勝山市出身。実家は美容院。福井県立勝山高等学校卒、1965年、日本大学芸術学部映画学科卒業後、東京映画に入社。豊田四郎、佐伯幸三、小林正樹、増村保造らに師事。助監督を経て、1982年、花王 愛の劇場『トラック母ちゃん』で監督デビューする。 その後、東京映画を退社し、フリーランスの監督として現在まで多数のTVドラマを手がける。1999年には、初の劇場映画作品『虹の岬』を発表した。
岡本 おさみ(おかもと おさみ、1942年1月15日 - 2… 岡本 おさみ(おかもと おさみ、1942年1月15日 - 2015年11月30日)は、日本の作詞家。 鳥取県米子市出身。鳥取県立米子東高等学校、日本大学卒業。兄は浅見光彦ミステリーなどを手掛けた脚本家の岡本克己。 放送作家から作詞家に転身し、主にフォーク黎明期に活躍した。作曲者としての吉田拓郎とのコンビで知られ、森進一が歌って第16回日本レコード大賞を受賞した「襟裳岬」をはじめ多くの作品を生んだ。 1980年にリリースされた吉田拓郎のアルバム『アジアの片隅で』では、岡本らしいメッセージ性の濃い歌詞を提供している。強烈なメッセージ性を有した表題曲「アジアの片隅で」は12分を超える大作である。 SIONとはデビュー前から交流があり、音楽雑誌の新譜ジャーナルで連載していた『うたのことばが聴こえてくる』でデビュー前のシオンや共同作業中の詞を紹介している。
川上 浩(かわかみ ひろし、1942年1月5日 - )は、日… 川上 浩(かわかみ ひろし、1942年1月5日 - )は、日本の実業家。ヤマハの第7代社長を務めた。オーディオ機器製造の株式会社ソリッドアコースティックス取締役会長。 ヤマハ第4代、6代社長を務めた『ヤマハ中興の祖』川上源一の長男として東京都に生まれた。祖父はヤマハの第3代社長の川上嘉市。静岡県立浜松北高等学校に在校時はアーチェリー部を創立。高校2年の時にアーチェリー全日本選手権で優勝している。 1965年4月日本大学理工学部機械学科卒業、ソニーに入社しテープレコーダーの商品化開発に携わる。 1971年日本楽器製造(現在のヤマハ)入社。1972年に電気音響部長。1977年に同社取締役に就任。1979年常務取締役、1981年副社長就任。
青木 英一(あおき ひでかず、1942年 - )は、おもに工… 青木 英一(あおき ひでかず、1942年 - )は、おもに工業地理学を研究した日本の経済地理学者、敬愛大学名誉教授。 1962年に日本大学文理学部地理学科に入学し、地理学を学んだ。進路は就職を希望していたが籠瀬良明の勧めを受け、大学院への進学を志し、工業地理学の研究を始めた。 1966年に理工学研究科地理学専攻に進学し、東京教育大学の幸田清喜や、生産工学部の笹生仁のもとにも通って学んだ。 1971年に大学院を満期退学し、東京都立両国高等学校の教員となって地理を担当し、以降、都立高校の教員として働きながら研究を続けた。1984年には、「日本における工業都市の地域構造に関する研究 労働力需給を通して」により、日本大学から理学博士を取得した。
城戸崎 博孝(きどさき ひろたか、1942年 - )は、日本… 城戸崎 博孝(きどさき ひろたか、1942年 - )は、日本の建築家。東京都出身。建築同人組織「アーキテクトファイブ」創設メンバーの一人。 -2006年グッドデザイン賞 -日本建築家協会優秀建築選2006 -日本建築学会作品選集2010 -日本建築家協会優秀建築選2006 -日本建築家協会優秀建築選2007 -BEST STORE OF THE YEAR 第16回優秀賞受賞 -日本建築学会作品選集2009 -日本建築家協会優秀建築選2009
古市馨(ふるいちかおる、1942年 - )は、舞台演出家。劇… 古市馨(ふるいちかおる、1942年 - )は、舞台演出家。劇団カッパ座主宰者。 日本音楽著作権協会会員 古市カオル、日本放送作家協会会員 あがた夢童(ペンネーム)。日本劇場演出空間技術協会会員。室蘭市生まれ。 カッパ座座長 古市馨の思想紹介 | 神戸カッパ友の会 – 1961年 伴淳三郎に師事 渡米し、レットスケルトンに学ぶ。1963年 芸映プロに入社 *役者として、テレビ出演「男は太郎」「おーい雲」「テンテコママ」等レギュラー出演 舞台「雲の上団五郎一座」(座長 森繁久弥)「南の島に雪が降る」(座長 伴淳三郎)等にレギュラー出演。 1965年 日本大学芸術学部演劇学科卒業。1968年 劇団カッパ座を設立。
三橋 博巳(みつはし ひろみ、1942年 - )は、日本の建… 三橋 博巳(みつはし ひろみ、1942年 - )は、日本の建築学者。日本大学教授、日本建築衛生管理教育センター会長、日本不動産学会会長、資産評価政策学会会長などを歴任した。 1966年日本大学理工学部建築学科卒業。1968年日本大学大学院理工学研究科修士課程修了。1994年日本大学博士(工学)。日本大学理工学部建築学科教授を経て、2000年日本雪氷学会理事。2003年日本建築学会総務理事。2006年日本環境共生学会副会長、日本不動産学会副会長。2008年日本不動産学会会長、地域マネジメント学会副会長。2009年資産評価政策学会会長。2013年マンションライフ継続支援協会代表理事。2019年日本建築衛生管理教育センター会長。
皆川 弘至(みながわ ひろし、1942年 - )上野学園大学… 皆川 弘至(みながわ ひろし、1942年 - )上野学園大学学長、尚美学園大学名誉教授、男性。 日本大学芸術学部卒業。大手出版社編集長、編集部長、制作担当常務、レコード会社社長等を歴任。音楽ジャーナリストを経て、日本を代表する音楽プロデューサーとして国内外で活躍。 クラシックでは、ウィーン・フィルをはじめ、ロンドン響、バイロイト祝祭管、モーツァルテウム管、等々からN響、読響等の国内外のオーケストラ、シェリング、デムス、プレヴィン、マズア、ハーガー等から朝比奈隆、山田一雄、岩城宏之、園田高弘、東敦子、原田茂生等の国内外演奏家と 400曲以上の作品を手がける。 クラシック以外の企画プロデュースも、ポップス、童謡、抒情歌、文学作品朗読、ドラマの録音から、楽譜出版、音楽映画演出、オペラ演出とジャンルは多岐に渡っている。
三野 正洋(みの まさひろ、1942年 - )は、日本の作家… 三野 正洋(みの まさひろ、1942年 - )は、日本の作家、戦史研究家、工学者。 1942年、千葉県に生まれる。1966年日本大学理工学部機械工学科卒業後、大手造船会社にて機関開発に従事。その後、日本大学生産工学部教養・基礎科学教室勤務。同専任講師、助教授、准教授を経て2007年に定年退職。その後非常勤講師(空気力学)を勤める。学部勤務中はホバークラフト、エアボート、風車システムの設計などに従事した。
諸橋 健一(もろはし けんいち、1942年 - 2024年4… 諸橋 健一(もろはし けんいち、1942年 - 2024年4月23日)は、日本の実業家。ムービーテレビジョンの創設者。日本大学芸術学部放送学科卒。 大学の級友に秘田余四郎の弟がいたことから秘田の会社である映画配給会社、日本テレピックスでアルバイトを始める。1965年に大学を卒業した後は同社に入社するも、秘田の死去により倒産。同社は秘田の弟により東京放映として再興され諸橋も参加する。 1967年、東京放映の事業が山田かつらの卸売りが中心になったことからニュージャパンフィルムに移籍し、ヨーロッパの映画の配給に関わる。 1973年、テレビ局の人間から、CM制作会社のビデオフィルムが映画部を立ち上げるので面倒を見て欲しいと頼まれ、同社に移籍。
上野 隆紘(うえの たかひろ、1941年〈昭和16年〉12月… 上野 隆紘(うえの たかひろ、1941年〈昭和16年〉12月18日 - )は、日本のアナウンサー。元中国放送(RCC)アナウンサー。忠犬ハチ公の飼い主である上野英三郎の親戚にあたる。血液型はA型。 三重県津市(旧:久居市)出身。日本大学芸術学部放送学科卒。ラジオ三重(かつて存在した三重県の放送局。現在の東海ラジオ放送の前身)で局アナを務めた後、1965年中国放送(当時はラジオ中国)に入社。現場にこだわり約30年間にわたって広島市民球場から広島東洋カープの模様をラジオ・テレビの視聴者に届けた。ラジオ・テレビの実況の回数はRCC最多記録であり、1975年、カープが初優勝した時のラジオ実況も務めた。広島市民球場は昔はグラウンドの水はけが悪く、大雨の日に実況席の入口まで浸水することもあり、解説を務めたカープ初代監督・石本秀一をおんぶして浸水してないところまで運んだこともある。
加藤 眞(かとう しん、1941年12月13日 - )は、日… 加藤 眞(かとう しん、1941年12月13日 - )は、日本の実業家、エンジン技術者、レーシングカーデザイナーである。 株式会社サードの会長兼社長、株式会社シグマオートモーティブ会長、株式会社シグマ商事会長。父はトヨタ自動車販売社長加藤誠之。 1941年12月千葉県市川市に生まれる。 1965年日本大学理工学部工業経営学科(現・生産工学部)を卒業し、この当時父誠之()がトヨタ自動車販売で副社長であり「トヨタでもレースをやるようだから、そっちへ行ったらどうか」と入社を勧め、1965年4月トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)に入社し試作課(後に車両試験課に改名)配属となった。トヨタ社員時代の研修で、キャロル・シェルビーの元でレースシリーズに同行しエンジニアリングとレースチーム運営のノウハウを学ぶ。
堀内 岩雄(ほりうち いわお、1941年12月9日 - 20… 堀内 岩雄(ほりうち いわお、1941年12月9日 - 2015年3月4日)は、富山県滑川市出身のレスリング選手で日本大学教授。1964年東京オリンピックレスリング男子フリーライト級銅メダリスト。日本大学卒業。 2015年3月4日午後0時7分、糖尿病のため死去。73歳没。3月11日に葬儀・告別式が営まれた。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
後藤 忠治(ごとう ただはる、1941年12月4日 - )は… 後藤 忠治(ごとう ただはる、1941年12月4日 - )は、日本の実業家、元水泳選手。セントラルスポーツ創業者で、同社代表取締役社長を経て、代表取締役会長、社会スポーツセンター会長。 東京都葛飾区柴又生まれ。市川高等学校を経て、1964年日本大学商学部卒業、大丸入社。1964年東京オリンピックで400mリレー4位入賞という結果に終わったため、引退を決意し、退社。同年東京工機入社。1968年セントラルスポーツクラブ創業。1970年セントラルスポーツクラブ(現セントラルスポーツ)設立、同社取締役。1976年同社代表取締役副社長。1977年同社代表取締役社長。1987年パレスセントラルスポーツ取締役。
亀井 忠雄(かめい ただお、1941年12月1日 - )は、… 亀井 忠雄(かめい ただお、1941年12月1日 - )は、能楽師(葛野流大鼓方)。人間国宝(重要無形文化財保持者各個認定)。配偶者は歌舞伎囃子方九代目田中佐太郎。東京都出身。日本大学芸術学部卒業。
志村 直紀(しむら なおき、1941年11月27日 - )は… 志村 直紀(しむら なおき、1941年11月27日 - )は、日本の元スキージャンプオリンピック代表選手。 北海道夕張工業高等学校 - 日本大学 - 北海道拓殖銀行 1962年のユニバーシアードで7位となる(この大会で日本勢は上位7人中6人を占めた)。同年のノルディックスキー世界選手権(ポーランド・ザコパネ)では70m級で32位だった。1964年第9回インスブルックオリンピックで純ジャンプ70m級40位、90m級37位。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
坂田 栄一郎(さかた えいいちろう、1941年11月16日 … 坂田 栄一郎(さかた えいいちろう、1941年11月16日 - )は日本の写真家。週刊誌『AERA』での人物写真の撮影で知られる。東京都出身。 京北高等学校を経て、1965年日本大学芸術学部写真学科卒業。大学時代は写真屋などでアルバイトをしていた。卒業後、ライトパブリシティに入社。1966年に渡米し、ニューヨークにてリチャード・アヴェドンに師事した。 1970年、銀座ニコンサロンにて、個展『Just Wait』でデビューした。その後1971年に帰国し、CMや雑誌で活躍する。1988年に朝日新聞社がニュース週刊誌『AERA』を創刊し、2016年3月28日号まで、ずっと表紙写真を担当してきた。1993年には「アルル国際写真フェスティバル」で「アルル名誉市民賞」を受賞した。
葛西 治(かさい おさむ、1941年11月11日 - )は、… 葛西 治(かさい おさむ、1941年11月11日 - )は、日本の男性アニメーション演出家、アニメーション監督。北海道出身。 日本大学芸術学部卒業後の1964年、東映動画(現:東映アニメーション)に入社。村山鎮雄と薮下泰次の下で、アニメーションの演出を学んだ。 演出デビュー作は、『ひみつのアッコちゃん(第1作)』。その後は東映動画の演出家として、『アパッチ野球軍』『魔法使いチャッピー』『ゲッターロボG』『銀河鉄道999』『新竹取物語 1000年女王』など、数多くのテレビアニメの演出を担当した。 『あさりちゃん』『愛してナイト』『ゲゲゲの鬼太郎(第3作)』『魔法使いサリー(第2作)』『ドラゴンボールGT』など、監督(=チーフディレクター、シリーズディレクター)を務めたテレビアニメも数多い。
富野 由悠季(とみの よしゆき、1941年〈昭和16年〉11… 富野 由悠季(とみの よしゆき、1941年〈昭和16年〉11月5日 - )は、日本のアニメ監督、演出家、脚本家、漫画原作者、作詞家、小説家。日本芸術院会員。本人は演出家・原案提供者としている。日本初の30分テレビアニメシリーズ『鉄腕アトム』の制作に携わるなど、日本のテレビアニメに草創期から携わる。祖父は東京府南葛飾郡大島町(現・東京都江東区の一部)町長を務めた富野喜平次。 代表作は『機動戦士ガンダム』などのガンダムシリーズ、『伝説巨神イデオン』、または『聖戦士ダンバイン』他のバイストン・ウェル関連作品など。 キャリアを通じて複数のペンネームを用いている。 本名は富野 喜幸()で両親の喜平と幸子の一文字ずつをとって付けられた。
吉田 義勝(よしだ よしかつ、1941年10月30日 - )… 吉田 義勝(よしだ よしかつ、1941年10月30日 - )は、日本の元アマチュアレスリング選手。実業家。1964年東京オリンピックレスリングフリースタイル・フライ級金メダリスト。 北海道旭川市出身。北海道旭川商業高等学校定時制課程でアマチュアレスリングを始め、日本大学に進学。1964年、大学4年の時に全日本選手権で優勝したことで八田一朗(当時の日本レスリング協会会長)の指名で東京オリンピック代表に選出される。代表選出後は当時世界最強と言われ、日本選手が勝てなかった強敵のアリ・アリエフ(ロシア語版)(ソ連)打倒のために、当時のフライ級第一人者だった今泉雄策と徹底的にスパーリングを行ったという。 本番のオリンピックではアリエフ(ソ連)と5回戦で戦い、素早い動きでアリエフを封じ、アリエフが対戦相手を引き寄せる際に踵に体重が乗る癖を見抜いて終了間際にアリエフのバックを取ってポイントを奪い、1-0で勝利。
遠藤 雅也(えんどう まさなり、1941年10月28日 - … 遠藤 雅也(えんどう まさなり、1941年10月28日 - )は、日本の映画プロデューサー。東京都出身。千葉県我孫子市在住。日本大学芸術学部卒業。 この項目は、映画関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。
島田 耕(しまだ たがやす、1941年10月28日 - 20… 島田 耕(しまだ たがやす、1941年10月28日 - 2016年5月26日)は日本の音楽評論家。 執筆に関するテーマは多岐にわたるがメインとなるのはフォーク、カントリー、カントリー・ロック、ブルーグラス音楽。執筆以外に多数のレコードやCDなどの企画、監修、解説を行った。 1941年10月28日誕生。東京都品川区出身。 日本大学法学部卒業後、専門学校でグラフック・デザインを学ぶ。東京のデザイン事務所「新樹社」に入社し、数々のデザインを手掛ける。退社後、フリーランスの音楽執筆業に専念する。 高校時代より音楽同好会「サンデー・ウェスタン友の会」会誌、「C&W」誌などへの寄稿を始める。 1960年代初頭、高山宏之氏(カントリー・ブルーグラス音楽評論家)のアシスタントを経て、音楽雑誌「ミュージックライフ」にジョーンバエズに関する記事を掲載したのが音楽執筆の最初となった。
鈴木 ヤスシ(すずき ヤスシ、1941年10月9日 - )は… 鈴木 ヤスシ(すずき ヤスシ、1941年10月9日 - )は、日本の歌手、俳優、司会者、タレント、声優。東京都大田区出身。旧名は鈴木 やすし(読み同じ)。 日本大学鶴ヶ丘高等学校、日本大学経済学部卒業。 1953年に劇団に入団。1957年に『背番号16-川上哲治物語』(NTV系)で川上選手の少年時代の役でテレビ初出演。大学時代には「ダンディーウェスト」を結成し、ロカビリー全盛期時代に活動。渥美清の最初の付き人でもあった。 1961年、ジャズ喫茶に出演している時にスカウトされ、フジテレビ『ジャズ・トーナメント』の司会と歌でレギュラーに抜擢。以後、東京12チャンネル『スターボウリング』、フジテレビ『キンカン素人民謡名人戦』、フジテレビ『勝ち抜きエレキ合戦』、日本テレビ『ホイホイミュージックスクール』の司会を務め、その他タレント・俳優・声優としても活動。
望月 良和(もちづき よしかず、1941年(昭和16年)10… 望月 良和(もちづき よしかず、1941年(昭和16年)10月2日 - )は、日本の政治家。元静岡県伊豆の国市長(2期)。元大仁町長(4期)。元大仁町議会議員(1期)。元静岡総合研究機構理事。 静岡県出身。静岡県立韮山高等学校を経て、日本大学短期大学部商経学科を卒業後、印刷会社を設立。1987年(昭和62年)静岡県大仁町議会議員に就任(1期)。1991年(平成3年)4月、静岡県大仁町長に就任(4期)。2004年(平成16年)5月、静岡県立大仁高等学校後援会会長。 2003年(平成15年)7月に設置した合併協議会設立準備会を経て、同年10月22日に発足させた伊豆長岡町・韮山町・大仁町合併協議会の会長となり、合併協定の調印や合併議案の議決など進行役として協議に尽力した。
岡 宏(おか ひろし、1941年10月1日 - 2024年1… 岡 宏(おか ひろし、1941年10月1日 - 2024年11月8日)は、日本のバンドマスター、指揮者、作曲家、テナーサックス奏者、芸能プロダクション社長。本名:金好植(キム・ホシク)。元妻は歌手のキム・ヨンジャ。NHK教育テレビ『テレビでハングル講座 』の音楽を監修・担当した。 日本大学芸術学部に在籍中、日本大学ソサエティ楽団にアルトサックス奏者として入団。文化放送大学対抗バンド合戦において「マ・カレナ」のソロで優勝。在学中ビクターオーケストラの専属となり、卒業後プロの道に入る。その後テナーサックスのソロプレイヤーとなる。 1974年にクリアトーンズ・オーケストラを結成し、その指揮者として活動。
栗原 稔(くりはら みのる、1941年9月26日 - )は、… 栗原 稔(くりはら みのる、1941年9月26日 - )は、日本の政治家。埼玉県秩父市長(2期)、埼玉県議会議員(5期)を務めた。 埼玉県秩父市生まれ。1979年(昭和54年)4月以来5期19年にわたり、埼玉県議会議員として県政の一翼を担い、この間、1994年(平成6年)3月には第95代埼玉県議会議長に就任した。 2003年(平成15年)4月に秩父市長となり、4市町村(秩父市、吉田町、荒川村、大滝村)の合併を成し遂げた。2005年(平成17年)5月新秩父市の初代市長に就任。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
吉田 豊明(よしだ とよあき、1941年9月22日 - )は… 吉田 豊明(よしだ とよあき、1941年9月22日 - )は、日本の俳優。本名は同じ。 大阪府出身。日本大学藝術学部卒業。プロモーション・プラス・ワン、中里事務所に所属していた。 1957年、大阪テレビのスタジオドラマ『赤胴鈴之助』の主役に一般公募の中から選ばれ、俳優デビュー。1962年に東映ニューフェイスの第10期として東映へ入社。同期には小林稔侍・池田駿介がいる。1969年より刑事ドラマ『特別機動捜査隊』に石原刑事役でレギュラー出演した。 一般社団法人映像コンテンツ権利処理機構においては不明権利者とされている。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
井上 大輔(いのうえ だいすけ、本名及び旧芸名:井上 忠夫(… 井上 大輔(いのうえ だいすけ、本名及び旧芸名:井上 忠夫(いのうえ ただお)、1941年9月13日 - 2000年5月30日)は、日本のミュージシャン、作曲家。東京都出身。日本大学豊山高等学校、日本大学芸術学部卒業。 有楽町(数寄屋橋)の寿司・おでん料理の店・富可川本店の長男として生まれる。祖父の忠治郎は山形県米沢市から上京し、官吏や俳優、土工など様々な職を転々としたが、店を一代で築いた人物。また東京音頭の元となる盆踊り大会を企画した旦那衆の一人であった。泰明小学校入学し、コーラス部に所属。日本大学附属豊山高校2年からブラスバンドでクラリネットを吹き始める。その後、日本大学芸術学部に進学し、映画学科演出コースから音楽学科作曲部門に移り、学生バンドを作ってジャズ喫茶などでモダン・ジャズを演奏していた。
藤 竜也(ふじ たつや、本名:伊藤 龍也、1941年〈昭和1… 藤 竜也(ふじ たつや、本名:伊藤 龍也、1941年〈昭和16年〉8月27日 - )は、日本の俳優。愛称は「ツモちゃん」。妻は芦川いづみ。藤竜也エージェンシー所属。 北京生まれ、神奈川県横浜市育ち。横浜市立戸部小学校、関東学院中学校・高等学校卒業、日本大学芸術学部演劇学科中退。 父は北京滞在中に現地召集を受け戦死。母、弟と三人で福井県敦賀市に引き揚げる。父の実家を頼り、神奈川県横浜市に行くが一家は離散し、竜也は逗子市の孤児院に入れられたが3日で脱走。小学校時代は葉山町などで過ごす。大学在学中に銀座の日劇前でデートの待ち合わせ中にスカウトされて、日活に入社。1962年に『望郷の海』でスクリーンデビュー。
鶴峯治(つるみね おさむ、1941年8月21日 - 2015… 鶴峯治(つるみね おさむ、1941年8月21日 - 2015年2月2日)は鹿児島県出身の元オリンピック競泳日本代表選手である。種目は平泳ぎ。 この項目は、水泳に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:スポーツ/PJ:水泳)。
黒沢 隆(くろさわ たかし、1941年8月20日 - 201… 黒沢 隆(くろさわ たかし、1941年8月20日 - 2014年3月15日)は、日本の建築家。住宅作家。建築評論家。 多くの建築家(仙田満、内藤廣、塚本由晴など)を輩出している戦後日本における有数の実験高校であった神奈川県立湘南高等学校卒業。 1965年日本大学理工学部経営工学科建築専攻卒業。1967年まで東京大学教養学部にて教鞭をとっていた生田勉の下での研究生を経て、1971年日本大学大学院博士課程修了。1973黒沢隆研究室を設立。住宅を中心に設計活動を展開し、建築家・磯崎新に「解体の世代」と呼ばれた。その一方で、篠原一男の住宅に対し批判を展開したことでも有名な論客として活動している。生田勉や近江栄の影響を受け、学生時代より多くの建築批評を発表。
蔡 瀾(チャイ・ラン、広東語: Choi3 Laan4, 潮… 蔡 瀾(チャイ・ラン、広東語: Choi3 Laan4, 潮州語: Chùa Lāng、1941年8月18日 - 2025年6月25日)は、シンガポール/香港の映画製作者。コラムニスト、作家、美食家。日本に留学した経験がある。 香港で多方面の事業に携わる。原籍は広東省潮州。マカオ籍を取得した。 イギリス領マラヤのシンガポールで生まれた。父・蔡文玄は詩人で、若い頃潮安市照門蔡村から東南アジアへ移り住み、後にショウ・ブラザーズのスタジオの責任者となった。母・洪芳娉は小学校の校長だった。蔡瀾は第3子であり、幼少のときは劇場の上の階に寝泊りしていた。 14歳の時すでに一篇の文章を『南洋商報』に発表し、フランスに行き絵を学ぶことを望んでいたが、16歳の時日本に留学することを決め、日本大学芸術学部映画科に入学し、学びながらショウ・ブラザーズで働き、日本駐在マネジャーと翻訳を担当した。
小笠原 猛(おがさわら たけし、1941年8月18日 - 2… 小笠原 猛(おがさわら たけし、1941年8月18日 - 2011年12月26日)は、主に特撮テレビドラマ作品を手掛けた日本の映画監督・演出家。東京都港区出身。 父親は東映のプロデューサーの小笠原久豊。その関係からか映画監督を志し、日本大学藝術学部入学。しかし、1961年に中退し、NET(現・テレビ朝日)に契約社員として入社。その後1962年に東映テレビ・プロダクションに移籍。以後『ザ・ボディガード』、『特別機動捜査隊』、『特捜最前線』、『鉄道公安官』などの一般ドラマや『快傑ズバット』、『忍者キャプター』などのキャラクターものの東映テレビプロ制作の作品で助監督を務める。特に村山三男、田中秀夫、奥中惇夫らに師事していた。
石橋 蓮司(いしばし れんじ、1941年〈昭和16年〉8月9… 石橋 蓮司(いしばし れんじ、1941年〈昭和16年〉8月9日 - )は、日本の俳優、声優、演出家。本名は同じ。 東京府荏原区出身。日本大学高等学校卒業、日本大学藝術学部映画学科中退。アートプランニング、第七企画を経て、「劇団第七病棟」主宰。オフィス・ロータス所属、株式会社アルファエージェンシーに業務委託。 身長178cm。血液型はAB型。妻は緑魔子。 建具職人だった父と母が離婚し、母のほうについた。母、姉、弟の4人と戸越の連れ込み旅館で育つ。 中学生時代の1954年、母親に連れられ当時近所にあった劇団若草に所属。同年13歳のとき東映児童劇映画第1回作品『ふろたき大将』で主役デビュー。17歳で劇団若草を辞め、東映児童劇団に身を預ける。
浜野 安宏(はまの やすひろ、 1941年7月22日 - )… 浜野 安宏(はまの やすひろ、 1941年7月22日 - )は、京都府京都市出身の日本のライフスタイルプロデューサー。 高校時代は美術を志し上京したが、すぐに美術より映画に興味を持ち、日本大学芸術学部映画演出科に進学。同時期にセツ・モードセミナーにも入学。 ファッション、新業態開発、建築プロデュース、等の幅広い分野で活躍しているが、釣り師(フライ・フィッシャーマン)としてもその名は知れ渡っている。川釣りを愛好している為、自然保護にも積極的に力をいれている。 70歳を迎え、映画監督の道へ! ※2019年9月29日 アメリカ.ハリウッドの映画祭 ファミリーフイルム大賞 最優秀監督賞を受賞。 23rd Family Film Awards Winner2019 Best Director