塩谷 一夫(しおのや かずお、1920年〈大正9年〉1月2日… 塩谷 一夫(しおのや かずお、1920年〈大正9年〉1月2日 - 1989年〈平成元年〉12月28日)は、日本の政治家、元自由民主党所属衆議院議員。 静岡県磐田郡袋井町(現・袋井市)出身。袋井町長、中遠鉄道社長、袋井合同運送取締役を務めた塩谷桑平と、きく(古田庄太郎二女)の七男。1941年に早稲田大学政治経済学部卒業。 1946年、地方建設研究所長。1948年、静岡県教育委員会委員。1951年、同県社会教育協会事務局長、同県総務部秘書課長となり1955年、県民会館長を兼務する。1957年、同県企画調整部秘書課長。 1967年、静岡県教育委員会企画調整部長を経て、第31回衆議院議員総選挙に中選挙区時代の旧静岡3区から立候補し初当選(通算7回当選)。
二宮 文造(にのみや ぶんぞう、1920年〈大正9年〉1月1… 二宮 文造(にのみや ぶんぞう、1920年〈大正9年〉1月1日 - 2006年〈平成18年〉1月27日)は、日本の政治家。香川県高松市出身。東北帝国大学法文学部中退。参議院議員(4期)。 香川県高松市錦町に生まれた。1941年(昭和16年)早稲田大学専門部政治経済科を卒業。1944年(昭和19年)東北帝国大学法文学部を中退した。同年、朝日新聞東京本社に入社し、前橋支局勤務、札幌支局勤務を経て政治経済部記者となり、1951年(昭和26年)に退社した。 1959年(昭和34年)高松市議会議員に当選。1962年(昭和37年)7月1日、第6回参議院議員通常選挙で全国区から無所属で立候補し、初当選する(以降、連続4期在任)。
崔 成雄(チェ・ソンウン、朝鮮語: 최성웅、1920年 - … 崔 成雄(チェ・ソンウン、朝鮮語: 최성웅、1920年 - 1989年1月27日)は、大韓民国のジャーナリスト、政治家。第2代韓国国会議員。 慶南密陽出身。早稲田大学卒。大東新聞(大同新聞)密陽支局長、大韓青年団(韓国青年団)密陽郡団長、孤児院長を務めた。 国会議員在任中は郷校財産管理法案を提出した。 5・26政治波動の時、憲兵司令官の元容徳将軍の胸ぐらを掴んで「お前国会議員か」と言った。
菊池 渙治(きくち かんじ、1919年(大正8年)6月10日… 菊池 渙治(きくち かんじ、1919年(大正8年)6月10日 - 2003年(平成15年)6月16日)は、昭和時代後期から平成時代の政治家。青森県むつ市長。 青森県下北郡田名部町(現:むつ市)に生まれる。早稲田大学付属第二高等学院を経て、1943年(昭和18年)同大文学部を卒業する。一時東京府の私立佐藤高等女学校教諭を務めた後に帰郷し、田名部農業協同組合長・田名部町議会議員に。むつ市設置でむつ市議会議員になり、初代の市議会議長になると共に紅服装専門学校の設置者などを務める。 1967年(昭和42年)に青森県議会議員に転じ、2期目途中の1973年(昭和48年)に原子力船「むつ」の受け入れ阻止グループから請われる立場でむつ市長選に出馬。
田中 太郎(たなか たろう、1919年(大正8年)6月4日 … 田中 太郎(たなか たろう、1919年(大正8年)6月4日 - 2001年(平成13年)10月9日)は、昭和戦後から平成前期の実業家、政治家。長野県須坂市長。 長野県上高井郡須坂町(現須坂市)で、田中新十郎、田鶴の長男として生まれた。生家は代々須坂藩の御用達を務めた豪商「田中家」。長野中学校(現長野県長野高等学校)を経て、1942年(昭和17年)9月、早稲田大学商学部卒業。翌月に召集され1946年(昭和21年)7月に復員した。 1947年(昭和22年)須坂町議会議員となる。1953年(昭和28年)田中殖産 (有) を設立し社長に就任した。1964年(昭和39年)11月、長野県議会議員となり5期在任し、土木住宅委員長、農政林務委員を務める。
広沢 賢一(廣澤 賢一、ひろさわ けんいち、1919年〈大正… 広沢 賢一(廣澤 賢一、ひろさわ けんいち、1919年〈大正8年〉3月15日 - 2003年〈平成15年〉2月15日)は、日本の政治家、政治活動家。日本社会党から衆議院議員当選1回。男性。 東京府出身。1942年(昭和17年)早稲田大学政治経済学部卒。第二次世界大戦敗戦後、大内兵衛、鈴木茂三郎の社会主義政治経済研究所所員となり、1949年に日本社会党本部書記となる。その後、鈴木の秘書を務める傍ら、党政策審議会事務次長、組織部長企画室長を歴任。 1959年、浅沼稲次郎社会党書記長を団長とした中華人民共和国訪問団に随行した。浅沼は右派の出身で、左派で鈴木茂三郎・佐々木更三派の広沢を「ゴクサ(極左の誤読)」と呼んでいた。
兪 鳳淳(ユ・ボンスン、朝鮮語: 유봉순、1919年1月7日… 兪 鳳淳(ユ・ボンスン、朝鮮語: 유봉순、1919年1月7日または1921年 - 1980年9月13日)は、大韓民国の警察官、政治家。居昌邑(朝鮮語版)邑長、第3・4代韓国国会議員を歴任した。 日本統治時代の慶尚南道陜川郡出身。陜川公立普通学校(現・陜川初等学校(朝鮮語版))、大邱農林学校(現・大邱農業マイスター高等学校(朝鮮語版))を経て、早稲田大学校外生講義録修了。国立警察専門学校(現・警察人材開発院(朝鮮語版))、建国大学法政学部卒。警察官在任中は反共闘士として智異山地区における共匪の討伐に功績を残した。政界入り後は初代民選居昌邑(朝鮮語版)邑長、自由党陜川郡党委員長・中央委員、民議員を務めた。
加計 朋吉(かけ ともきち、1918年〈大正7年〉12月25… 加計 朋吉(かけ ともきち、1918年〈大正7年〉12月25日 - 没年不明)は、日本の政治家(広島県山県郡加計町長)。 広島県出身。1941年、早稲田大学商科卒業。明電舎に入社。1947年、加計町長に当選。広島町村会理事を務め、1963年、町長に再選。 芸備銀行加計支店長加計慎太郎は従兄。家族は妻、長女。宗教は神道。住所は広島県山県郡加計町。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
長谷川 信(はせがわ しん、1918年12月4日 - 199… 長谷川 信(はせがわ しん、1918年12月4日 - 1990年10月28日)は、日本の政治家。参議院議員(3期)。位階は従三位。勲等は勲一等。 新潟県長岡市で生まれ育つ。旧制新潟県立長岡中学校(現新潟県立長岡高等学校)卒業後、旧制第一早稲田高等学院(現在の早稲田大学の教養課程)入学している。その後は、父の死去に伴い旧制早稲田高等学院を中退し、17歳で長谷川酒造社長に就任する。 その後、戦時中は1942年5月、南西方面艦隊海軍民政府に志願し、インドネシアのセレベス島マカッサルに勤務したとされている。1944年12月、帰国した。 終戦後、青年団活動を経て、上組村議、宮内町議、長岡市議を2期、新潟県議会議員を4期を務めあげた。
伊藤 孝次郎 (いとう こうじろう、1918年(大正7年)1… 伊藤 孝次郎 (いとう こうじろう、1918年(大正7年)11月12日 - 1992年(平成4年)5月10日)は、日本の地方政治家。東久留米市長を務めた。 山形県出身。早稲田大学専門部政経科に通い(1940年卒業)、1939年中外商業新報記者となる。翌年青島興亜新報支局長兼論説委員となる。戦後、東京タイムズに入り、社会部次長を経て、総理府公職訴願審査委員会事務局に勤める。その後、東京都久留米町議会(現・東久留米市議会)議員に当選。市制施行後に副議長に就任した。 1978年10月10日、東久留米市長の石塚政寿が汚職事件の責任をとり辞職。石塚の辞職に伴い11月26日に行われた市長選に社会党・共産党の推薦を得て立候補。
斉藤 滋与史(齊藤 滋与史、さいとう しげよし、1918年〈… 斉藤 滋与史(齊藤 滋与史、さいとう しげよし、1918年〈大正7年〉8月9日 - 2018年〈平成30年〉8月9日)は、日本の実業家・政治家。富士市名誉市民。静岡県知事(第47・48代)、建設大臣(第44代)、衆議院議員(6期)、富士市長、吉原市長、大昭和製紙社長などを歴任した。 大昭和製紙の創業者、斉藤知一郎の次男。防衛庁長官を務めた元衆議院議員の斉藤斗志二は甥で養子。 静岡県出身。五年制男子校・静岡県立沼津中学校(現:静岡県立沼津東高等学校 共学)を経て、早稲田大学商学部卒業。大学卒業後の1940年、父・斉藤知一郎が創業した大昭和製紙に入社した。1961年より大昭和製紙副社長。 1964年、吉原市長に初当選し1966年の市町村合併により初代富士市長。
上坂 昇(こうさか のぼる、1918年〈大正7年〉7月6日 … 上坂 昇(こうさか のぼる、1918年〈大正7年〉7月6日 - 2013年〈平成25年〉7月2日)は、日本の政治家。 福島県いわき市出身。磐城中学校(現・福島県立磐城高等学校)を経て、早稲田大学政治経済学部を卒業。日本水素(現・日本化成)に入社し、労働組合書記長、同委員長、平市議会議員、福島県議会議員等を経て、1972年(昭和47年)の第33回衆議院議員総選挙で、旧福島3区より日本社会党公認で初当選。連続6回当選し1990年(平成2年)の総選挙では立候補しなかった。その後、いわき市長選に立候補するが、岩城光英に敗北する。 1989年4月の春の叙勲で勲二等に叙され旭日重光章を受章する。 2013年7月2日、肺炎のため死去。
金 周黙(キム・ジュムク、朝鮮語: 김주묵/金周默、1918… 金 周黙(キム・ジュムク、朝鮮語: 김주묵/金周默、1918年1月14日または1920年 - 1988年11月8日)は、大韓民国のジャーナリスト、政治家。第4代韓国国会議員。 本貫は旧安東金氏。号は東石(トンソク、동석)。ジャーナリストの金相範は父、学者で元保健福祉部次官の金学黙は兄、演出家・プログラムディレクターの金在衡と金在衍、実業家の金在徽は甥。 日本統治時代の忠清北道陰城郡出身。京城公立高等普通学校、早稲田大学法学部卒。1958年の第4代総選挙では民主党の候補として陰城郡選挙区から出馬し当選したが、4・19事件の直前に自由党に鞍替えし、5・16事件の後にまた野党側に戻った。他には国務総理秘書官、韓国日報政治部長、朝鮮日報政治部長、民主党中央委員、大韓証券協会常勤副会長などを務めた。
中村 太郎(なかむら たろう、1918年1月2日 - 201… 中村 太郎(なかむら たろう、1918年1月2日 - 2011年4月22日)は、日本の政治家。参議院議員(3期)、労働大臣(第50代)。 山梨県東山梨郡勝沼町(現甲州市)出身。1941年、早稲田大学法学部を卒業。第二次世界大戦に陸軍主計大尉として満洲へ出征。 1950年、峡東貨物株式会社社長に就任し、山梨市教育委員会委員長などを歴任。1959年、山梨県議会議員に当選し4期務めた。その間、自由民主党山梨県支部連合政調会長、同議員団会長、県議会議長などを歴任。 1974年7月の第10回参議院議員通常選挙に山梨県選挙区から自由民主党公認で立候補し当選。以後、第12回、第14回参議院議員通常選挙で再選され3期務め、1992年7月の第16回参議院議員通常選挙には出馬せず引退した。
田沢 吉郎(たざわ きちろう、1918年1月1日 - 200… 田沢 吉郎(たざわ きちろう、1918年1月1日 - 2001年12月12日)は、日本の政治家。位階は正三位。 自由民主党所属の衆議院議員。青森県南津軽郡田舎館村出身。姓のうち「沢」の戸籍上の表記は「澤」。 津島文治元青森県知事の娘婿で、1947年、29歳で青森県議会議員に初当選。1960年、「津軽のケネディ」を名乗って衆議院議員選挙に立候補し、初当選。以来12回連続当選(当選同期に宇野宗佑・海部俊樹・亀岡高夫・仮谷忠男・細田吉蔵・小沢辰男・佐々木義武・谷垣専一・久保田円次・伊藤宗一郎・田川誠一・藤井勝志など)。 自民党内では宏池会(池田勇人→前尾繁三郎→大平正芳→鈴木善幸→宮澤喜一派)に属し、衆議院議院運営委員長、国土庁長官、自民党国会対策委員長、農林水産大臣、防衛庁長官などを歴任。
大柴 滋夫(おおしば しげお、1917年(大正6年)11月1… 大柴 滋夫(おおしば しげお、1917年(大正6年)11月11日 – 1998年(平成10年)11月12日)は、日本の政治家。衆議院議員(4期)、社会民主連合副代表。 山梨県北巨摩郡小淵沢村(現北杜市)生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。故郷の貧しい農村の状況を見て社会主義革命による変革を望み、1945年に日本社会党に入党。社会党が左右に分裂した際は左派社会党に所属した。以後党本部書記の地位に15年間あった他、中央執行委員・組織部長・総務部長などを歴任する。 1953年の第26回衆議院議員総選挙から旧東京2区(定数3)で立候補し、1960年の第29回衆議院議員総選挙で初当選。1963年の第30回衆議院議員総選挙では、自由民主党の菊池義郎、宇都宮徳馬を抑えトップ当選(大柴の当選により、割を食う形で社会党のベテラン加藤勘十が次点で落選した)。
田村 良平(たむら りょうへい、1917年10月13日 - … 田村 良平(たむら りょうへい、1917年10月13日 - 1995年12月16日)は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員(7期)。板垣退助先生顕彰会創立発起人兼顧問 。元自民党参議院議員の田村公平は長男。 高知県土佐山田町(現香美市)で、政治家・田村實、淑美の三男として生まれる。1940年早稲田大学政治経済学部卒。1947年に高知県議に初当選。5期務めた。1963年の第30回衆議院議員総選挙で吉田茂元首相の後継者として高知県全県区から立候補し当選する(当選同期に小渕恵三・橋本龍太郎・小宮山重四郎・伊東正義・田中六助・渡辺美智雄・藤尾正行・佐藤孝行・中川一郎・三原朝雄・鯨岡兵輔・西岡武夫・奥野誠亮など)。
中居 英太郎(なかい えいたろう、1917年(大正6年)9月… 中居 英太郎(なかい えいたろう、1917年(大正6年)9月27日 - 2007年(平成19年)1月2日)は、政治家。元日本社会党衆議院議員。岩手県宮古市出身。 1935年、岩手県立盛岡中学校(現・岩手県立盛岡第一高等学校)卒。早稲田大学に入るが中退する。中退後は帰郷し、家業の(株)中居製材所を継ぎ、社長となる。戦後、日本社会党に入党し、1947年、岩手県議会議員に当選し、2期務める。その後、石川金次郎の後継として1953年の衆議院議員選挙に当時の岩手1区から右派社会党公認で出馬し初当選。2期務めた後に民主社会党に参加し、1970年から1974年、1989年から1993年まで通算2期、地元の宮古市長を務めた。
朴 永鍾(パク・ヨンジョン、朝鮮語: 박영종、1917年2月… 朴 永鍾(パク・ヨンジョン、朝鮮語: 박영종、1917年2月19日 - 1959年4月28日)は、大韓民国のジャーナリスト、政治家。第3代韓国国会議員。 本貫は咸陽朴氏(朝鮮語版)。キリスト教徒。 日本統治時代の全羅南道光州郡出身。早稲田大学政治学部政治科卒。民族陣営の運動を行った後、光州青年団を組織した。解放後は独立促成中央協議会全南支部組織者、外務部書記官、ソウル新聞記者、湖南新聞編集局長、大韓青年団全羅南道団副団長を歴任した。1954年の第3代総選挙では自由党の候補として潭陽郡選挙区から当選し、国会内務委員・予決委員を務めたが、与党内のよくない所を糾弾したため、自由党から除名され民主党に入党した。
石橋 弘(いしばし ひろし、大正5年(1916年)10月1日… 石橋 弘(いしばし ひろし、大正5年(1916年)10月1日 - )は日本の実業家、政治家。元境港市議会議員(副議長)。旧姓松井。医師松井功の実兄。境港造船(株)代表取締役石橋雄器のは婿養子。 鳥取県西伯郡淀江町(現米子市)出身。 昭和17年(1942年)早稲田大学商学部卒業。同年合名会社石橋造船鉄工所代表社員に就任。昭和18年(1943年)(株)石橋造船鉄工所代表取締役就任。昭和32年(1957年)境港造船(株)代表取締役就任。 尊敬する人物は西郷隆盛、上杉謙信。座右の銘は「百術は一誠にしかず」。趣味は旅行、カメラ、読書。住所は境港市岬町。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
原田 文也(はらた ぶんや、1916年〈大正5年〉4月18日… 原田 文也(はらた ぶんや、1916年〈大正5年〉4月18日 - 2000年〈平成12年〉12月12日)は、昭和から平成初期の政治家。長野県茅野市長。 長野県諏訪郡玉川村(現茅野市)で、原田浜三郎、なか の二男として生まれた。早稲田大学商学部聴講生(講義録)修了。1932年(昭和7年)伊勢丹に入社し、その後、2年間兵役に就いた。1940年(昭和15年)日立航空機に移り、1945年(昭和20年)玉川村役場に入り、1852年(昭和27年)収入役に就任。1955年(昭和30年)合併で茅野町収入役となる。茅野市発足後、1958年(昭和33年)収入役、1963年(昭和38年)助役となる。1967年(昭和42年)に退職し、東洋精機興業に入社し事業部副部長に就任。
浜森 辰雄(はまもり たつお、1916年2月9日 - 200… 浜森 辰雄(はまもり たつお、1916年2月9日 - 2009年9月4日)は、日本の政治家。北海道稚内市出身。第4代 - 第11代北海道稚内市長(1959年 - 1991年)。 1939年札幌商業学校、1941年早稲田大学政治経済学部(旧制)卒業。 北海道議会議員(日本社会党会派)を経て、1959年稚内市長に初当選。以後連続8期務め、稚内の天皇とまで称された。1983年に7月にソビエト連邦を初訪し、両国のパイプ役として活躍。同年12月には、ソ連対外友好・文化交流団体連合会より友好促進記章を贈られた。また同年9月の大韓航空機撃墜事件では、遺族対策や報道陣対応でこの年は多忙を極めた。1991年に9選を目指すも落選。
韓 泰淵(ハン・テヨン、朝鮮語: 한태연、1916年1月5日… 韓 泰淵(ハン・テヨン、朝鮮語: 한태연、1916年1月5日 - 2010年9月20日)は、大韓民国の法学者、大学教授、政治家、ジャーナリスト。第6・9・10代韓国国会議員。 本貫は清州韓氏。号は栗山(ユルサン、율산)。キリスト教徒。 咸鏡南道永興郡出身。早稲田大学法学部卒。高等文官試験行政科合格。成均館大学校、ソウル大学校法科大学、東国大学校、漢陽大学校、東亜大学校大学院で教授を務めたほか、ソウル新聞主筆、韓国憲法学会会長などを務めた。1963年の第6代総選挙で初当選以降、1973年から1980年までは維新政友会所属の第9・10代国会議員を務めた。1972年の朴正煕大統領時代には葛奉根らと共に維新憲法の制定に参加した。
加賀谷 力司(かがや りきじ、1916年〈大正5年〉– 20… 加賀谷 力司(かがや りきじ、1916年〈大正5年〉– 2002年〈平成14年〉)は、日本の政治家・実業家。 林業、建設業を営む企業の経営に携わるとともに、地元秋田県を中心に、戦後日本の地域社会や林業振興・緑化推進に長年にわたって継続的な影響を与えた人物として知られる。 1916年に秋田県五城目町に生まれる。父・加賀谷直治は秋田県議会副議長を務めた政治家であり、加賀谷家は地域において代々公職と産業に携わってきた。秋田県立秋田高等学校、そして早稲田大学で教育を受けたのち、地元に戻り、木材・造林・建設業を中心とする家業を継承。企業経営と地域の活性化を通じて、地域の復興と発展に尽力した。 1951年(昭和26年)に五城目町議会議員に初当選、1956年には町議会議長に就任し、翌1957年より町長を務めた。
鯨岡 兵輔(くじらおか ひょうすけ、1915年(大正4年)9… 鯨岡 兵輔(くじらおか ひょうすけ、1915年(大正4年)9月15日 - 2003年(平成15年)4月1日)は、日本の政治家である。正三位勲一等旭日大綬章。 福島県石城郡四倉町(現・いわき市)出身。4歳の時に東京都足立区千住に転居。早稲田大学商学部卒業後召集され、陸軍航空大尉で終戦を迎えた。戦後、父の経営する鯨岡製袋に入り、1947年足立区議、1955年東京都議を経て、1963年旧東京10区から衆議院議員に初当選。連続12回当選した。鈴木善幸内閣の環境庁長官として、日中渡り鳥保護協定への調印や水俣病患者との対話を行った。1993年に非自民・非共産連立政権が誕生し土井たか子が衆議院議長に選出された際には、衆議院副議長として政治改革に協力した。
金 沃周(キム・オクチュ、朝鮮語: 김옥주、1915年6月3… 金 沃周(キム・オクチュ、朝鮮語: 김옥주、1915年6月3日 - 1980年9月12日)は、日本統治時代の朝鮮の労働運動家、独立運動家、大韓民国の教員、政治家。制憲韓国国会議員。 元国会議員の金善周(朝鮮語版)は兄。 全羅南道光陽郡津上面出身。光陽公立普通学校(現・光陽西初等学校(朝鮮語版))、ソウル養正高等普通学校、早稲田大学法科卒。朝鮮化学工業株式会社に入社したが、朝鮮人の労働者待遇改善を求めた運動および反日思想事件に関与したため、10ヶ月間投獄された。解放後は光陽津上国民学校教員、無所属の制憲国会議員、大韓民国憲法・政府組織法起草委員を務めた。国会議員在任中の1949年に国会フラクチ事件の連座により懲役6年を言い渡された。
石田 博英(いしだ ひろひで、1914年(大正3年)12月1… 石田 博英(いしだ ひろひで、1914年(大正3年)12月12日 - 1993年(平成5年)10月14日)は、日本の政治家。位階は正三位、勲等は勲一等、勲章は旭日大綬章。衆議院議員(14期)。通称は名を音読みした「バクエイ」。所属した自由民主党では1969年から1971年まで党内派閥の二日会を率いた。 政務では労働大臣(第14・17・18・22・23・39代)、運輸大臣(第47代)、内閣官房長官(第16・17代)を、衆議院では議院運営委員長(第6代)などを歴任した。 政界引退後の晩年および死後に、ソビエト連邦のスパイであったことを指摘する情報が複数発見されたが、立件されなかった(後述)。 秋田県山本郡二ツ井町(現能代市)で生まれ、大館市で育つ。
阿部 助哉(あべ すけや、1914年9月14日 - 1995… 阿部 助哉(あべ すけや、1914年9月14日 - 1995年4月22日)は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(5期)。
具 興南(ク・フンナム、朝鮮語: 구흥남/具興南、1914年… 具 興南(ク・フンナム、朝鮮語: 구흥남/具興南、1914年5月20日 - 1966年12月27日発見)は、大韓民国の教員、公務員、実業家、政治家。第3・4代韓国国会議員。本貫は綾州具氏(綾城具氏)。 日本統治時代の全羅南道和順郡生まれ、現在のソウル特別市西大門区出身。平壌崇実中学校、早稲田大学英文科卒。 ソウル公立農業学校の教員、交通部総務課長、ソウル大学校予科講師を経て、釜山に移り韓国通運の社長を務めた。外資モータープール協会会長を経て、1954年の第3代総選挙では自由党の候補として和順郡選挙区から国会議員に当選し、1958年の第4代総選挙でも同様に当選した。任期中の1956年に国会復興委員長を務め、和順郡綾州面一帯の干ばつを解消するために同郡寒泉面に貯水池の建設を主導した。
五島 虎雄(ごとう とらお、1914年〈大正3年〉3月24日… 五島 虎雄(ごとう とらお、1914年〈大正3年〉3月24日 - 1985年〈昭和60年〉10月22日)は、日本の政治家(社会党所属の衆議院議員、神戸市会議員)。孫は公認会計士、税理士で神戸市会議員の五島大亮。 熊本県熊本市小島町(現・熊本市西区小島)出身。1937年、早稲田大学法学部卒業。宇治川電気を経て1943年、山陽電鉄に入社。 戦後同社労組中央委員副委員長委員長、神戸市議(1947年4月30日から1951年4月29日)、兵庫県地労委委員5期、左派社会党同県連書記長、神戸労協常任委員、交通協幹事、県地評組織部長、兵庫労働金庫神戸生協各理事を経て、1953年に実施された衆院選に兵庫1区から立候補立候補したが次点で落選。
向山 一人(むかいやま かずと、1914年2月10日 - 1… 向山 一人(むかいやま かずと、1914年2月10日 - 1995年12月21日)は日本の実業家、政治家。衆議院議員(2期)、参議院議員(1期)。 長野県上伊那郡中箕輪村(後の中箕輪町、現在の箕輪町)生まれ。旧制長野県伊那中学校(現長野県伊那北高等学校)を経て、早稲田大学附属高等工学校卒業。古河電工無線研究所研究課長を退職して、1940年東京市荏原区(現品川区)に「興亜工業社」(現KOA) を設立した。1955年伊那毎日新聞設立。1963年には建設省の専門委員、1964年興亜ソリッド社長、1967年には日本経済団体連合会常任理事を歴任した。1977年コーア会長に就任。 1962年紺綬褒章受章。1962年5月長野県箕輪町教育施設費のため100万円寄付により1963年2月2日紺綬褒章受章(飾版)、寄付の功績顕著として木杯一組台付を賜った。
金 仁湜(キム・インシク、朝鮮語: 김인식、1913年12月… 金 仁湜(キム・インシク、朝鮮語: 김인식、1913年12月22日 - 2008年2月25日)は、日本統治時代の朝鮮の独立運動家、ジャーナリスト、大韓民国の政治家。制憲韓国国会議員。 本貫は金海金氏。号は海石(ヘソク、해석)。 日本統治時代の黄海道海州(現・黄海南道海州市)出身。1929年に光州学生運動に参加したため、海州高校から退学し中国で高校課程を終えた。早稲田大学法学部卒業後は東亜日報海州支局長、製材業・製薬業経営を経て、解放後に西北青年会黄海道委員長、大同青年団黄海道団長・総本部西北事務処長を歴任した。1948年の初代総選挙で当選した後、制憲国会で政府内親日派粛清に関する建議特別調査委員会委員長、国家保安法代表発議者を務めた。
田邊 國男(田辺 国男、または田邉 國男、たなべ くにお、1… 田邊 國男(田辺 国男、または田邉 國男、たなべ くにお、1913年9月24日 - 2005年12月19日)は、日本の政治家。位階は正三位。自由民主党衆議院議員、山梨県知事、鈴木改造内閣の総理府総務長官、沖縄開発庁長官を歴任したほか、田辺酒造店主でもある。 山梨県塩山市下於曽(現在の甲州市)に生まれる。造酒業を営む田辺家の次男。田邊宗英の甥にあたる。父の田邊七六は戦前に実業界から衆議院議員となった人物で、立憲政友会に所属し幹事長を務め、戦後も日本進歩党に所属し、自民党山梨県連初代会長を務め山梨県政に影響力を持っていた。 1938年(昭和13年)に早稲田大学政治経済学部を卒業し、1958年(昭和33年)に第28回衆議院議員総選挙において旧山梨全県区から立候補し初当選して以来、通算当選9回(当選同期に安倍晋太郎・倉成正・斎藤邦吉など)。
田邊 圀男(田辺 国男、たなべ くにお、1913年9月24日… 田邊 圀男(田辺 国男、たなべ くにお、1913年9月24日 - 2005年12月19日)は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員、山梨県知事、鈴木改造内閣の沖縄開発庁長官、総理府総務長官を歴任したほか、田辺酒造店主。
斎藤 栄三郎(齋藤 榮三郎、さいとう えいざぶろう、1913… 斎藤 栄三郎(齋藤 榮三郎、さいとう えいざぶろう、1913年6月19日 - 2000年7月9日)は、日本の政治家、経済評論家。自由民主党所属の参議院議員(3期)、 科学技術庁長官(44代)。東京出身。早稲田大学商学部卒業。商学博士、法学博士、文学博士。 1931年、旧制日本大学中学校(現在の日本大学第一高等学校)卒業。1936年早稲田大学商学部卒業後、日本経済新聞社に入社。上海支局長、シンガポール支局長などを歴任した。 1949年には「一九四一~五年に於ける日本経済の実証的研究」にり早稲田大学から商学博士、1959年には「賠償の実証的研究」により中央大学から法学博士、1965年には「イスラムの社会思想」により東洋大学から文学博士を、それぞれ論文博士として取得した。
国井 重典(くにい しげのり、1913年〈大正2年〉3月12… 国井 重典(くにい しげのり、1913年〈大正2年〉3月12日 - 1953年〈昭和28年〉12月27日)は、日本の政治家、旧鶴岡市第7代市長。 1913年(大正2年)山形県飽海郡酒田町(現・酒田市)に鐙谷一郎の4男として生れ、 国井家の養子となる。1930年(昭和5年)山形県立酒田中学校(山形県立酒田東高等学校)を卒業する。 1936年(昭和11年)に早稲田大学法学部を卒業。卒業後は 鶴岡水力電気株式会社に入社する。 1946年(昭和21年) 加藤精三市長の下で鶴岡市助役に就任し、 鶴岡市消防長も務める。 1951年(昭和26年)4月、鶴岡市会議員に当選する。 1952年(昭和27年)10月に 鶴岡市長に当選する。
渋谷 昇次(澁谷、しぶや しょうじ、1913年(大正2年)3… 渋谷 昇次(澁谷、しぶや しょうじ、1913年(大正2年)3月5日 - 2001年(平成13年)9月17日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員、静岡県志太郡大井川町長。 静岡県出身。1938年(昭和13年)早稲田大学大学専門部商科を卒業した。 桜組商事、南興水産(パラオ本社)、焼津水産などで勤務。大東亜省の委嘱によりマニラ日本人会書記に就任した。 帰国後、網代冷凍代表取締役、日本漁民組合副組合長、日本社会党静岡県支部連合会青年部長などを務めた。 1946年(昭和21年)4月の第22回衆議院議員総選挙で静岡県全県区から日本社会党公認で出馬して当選し、衆議院議員に1期在任した。この間、社会党漁民部長、全国漁民協議会事務局長などを務めた。
金 相道(キム・サンド、朝鮮語: 김상도、1913年または1… 金 相道(キム・サンド、朝鮮語: 김상도、1913年または1914年8月19日または1917年 - 1986年12月5日)は、大韓民国のシルム選手、実業家、政治家。初代慶尚北道議会(朝鮮語版)議員、第3・4代韓国国会議員を歴任した。 日本統治時代の慶尚北道永川郡(現・永川市)出身。嶠南学校2年修了または中退、早稲田大学法文学部校外生・講義録修了。嶺南体育会理事、慶北果物同業理事、慶北織物同業理事、大韓武術会副会長、慶北食糧対策委員、慶尚北道議会議員、琴湖学園理事長、第3・4代国会懲戒資格委員会委員長、第4代国会馬山事件調査特別委員会委員長、自由党永川甲区党委員長・慶尚南道党組織部長・中央監察部長、民衆党慶北第14地区党委員長を務めた。
本間 俊一(ほんま しゅんいち、1912年11月18日 - … 本間 俊一(ほんま しゅんいち、1912年11月18日 - 1958年8月20日)は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員。中新田町長、宮城県知事を務めた本間俊太郎は長男。 宮城県加美郡中新田町(現・加美町)出身。古川中学校(現・宮城県古川高等学校)、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。大学卒業後、1935年に中外商業新報社、1939年に読売新聞社に入社し社会部記者となる。その後、郷里に戻り、1945年8月に中新田町(現在の加美町)長となる。 1946年(昭和21年)第22回衆議院議員総選挙に日本進歩党から立候補し当選する。当選回数通算6回。第1次吉田内閣の農林参与官、第2次吉田内閣の通産政務次官、自由党副幹事長、衆議院決算委員長などを歴任した。
澤田 紋(さわだ あや、1912年(明治45年)4月14日 … 澤田 紋(さわだ あや、1912年(明治45年)4月14日 - 1986年(昭和61年)7月24日)は、日本の政治家。初代阿南市長。早稲田大学法学部中退。徳島県阿南市日開野町出身。 早稲田大学法学部を中退後、旧富岡町収入役・町長を歴任。 1958年(昭和33年)5月に阿南市が発足し、初代市長に就任。1970年(昭和45年)まで12年間に渡り阿南市長を務めた。市長在任中は旧神崎製紙、阿南工業高等専門学校、徳島県立阿南工業高等学校等の誘致や各産業の振興に努めた。市長退任後は社会福祉協議会会長、四国治水期成同盟会会長、阿南信用金庫理事長等を歴任した。 1986年(昭和61年)の没日をもって阿南市名誉市民に選定される。
長谷川 峻(はせがわ たかし、1912年4月1日 - 199… 長谷川 峻(はせがわ たかし、1912年4月1日 - 1992年10月19日)は、日本の政治家。位階は正三位勲一等、勲章は旭日大綬章。自由民主党衆議院議員。宮城県栗原郡築館町(現在の栗原市)出身。 旧制宮城県築館中学校(現・宮城県築館高等学校)、早稲田大学専門部政経科卒業後、1933年に九州日報社(現 ・西日本新聞社)に入社。記者として活躍。この頃、緒方竹虎、中野正剛との知遇を得て、両雄の下で政治のイロハを学ぶ。1945年、緒方が東久邇宮内閣の国務大臣に就任すると、その秘書官を務めた。内閣では総理大臣の東久邇宮稔彦王の「国民諸君から直接手紙をいただきたい」との意向のもとで緒方のアイデアにより国民からの投書を募っていたが、稔彦王がすべての手紙を読むわけにもいかず、「平衡感覚を持った人」たる元記者の長谷川が手紙の整理役を務めた。
李 相敦(イ・サンドン、朝鮮語: 이상돈、1912年3月20… 李 相敦(イ・サンドン、朝鮮語: 이상돈、1912年3月20日 - 1997年7月14日)は、大韓民国の実業家、ジャーナリスト、政治家。制憲・第5・6代韓国国会議員。 本貫は慶州李氏。号は青居(チョンゴ、청거/靑居)。 日本統治時代の忠清南道天安郡出身。光州学生運動に関わったことにより公州高普中退、1933年徽文高等普通学校卒。早稲田大学第一高等学院を経て、1939年に早稲田大学政治経済学部経済科卒。卒業後は東亜日報に入社して記者・編集局論説部論説委員を務めたが、翌1940年に強制廃刊された。その後は京城天一薬房庶務課長、東亜薬品工業創立者・常務理事、韓国民主党中央執行委員・宣伝部次長、民主国民党宣伝部次長、民主党天安乙区党委員長・中央常務委員・政策委員を務めた。
福家 俊一(ふけ としいち、1912年〈明治45年〉3月3日… 福家 俊一(ふけ としいち、1912年〈明治45年〉3月3日 - 1987年〈昭和62年〉4月17日)は、日本の政治家。勲二等従四位。衆議院議員総選挙に15回立候補し、当選は6回。ニックネームは「政界の寝業師」、「政界の怪物」。 香川県高松市出身。旧制大阪府立生野中学校(現大阪府立生野高等学校)卒業、早稲田大学専門部中退。少年時代に東京憲兵隊本部で甘粕正彦の給仕を務めたことを機に、満洲に渡って満洲国の機関紙「斯民」の記者となる。満洲人脈のメンバーとなり、岸信介と深い仲を築く。軍部と外務省興亜院の肝いりによって上海に国策新聞「大陸新報」が創設され、1937年に25歳で社長就任。白根松介男爵や美濃部達吉の嘆願を受け、同社では美濃部亮吉(達吉の長男で、後の東京都知事)や向坂逸郎、高橋正雄など人民戦線事件で検挙された左派知識人たちを積極的に雇い入れた。
権 仲敦(クォン・ジュンドン、朝鮮語: 권중돈/權仲敦、19… 権 仲敦(クォン・ジュンドン、朝鮮語: 권중돈/權仲敦、1912年2月17日または11月17日 - 1983年または1985年6月27日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の公務員、政治家。第10代国防部長官、第2・3・4・5・8代韓国国会議員、国家保衛立法会議議員を歴任した。 本貫は安東権氏(朝鮮語版)。日本名は権田仲敦。 日本統治時代の慶尚北道永川郡(現・永川市)出身。普成高等普通学校(現・普成高等学校(朝鮮語版))を経て、1940年早稲田大学政治経済学部卒。慶尚北道労働局長、永川穀物株式会社理事、初代総選挙慶尚北道選挙委員、民主党慶尚北道党委員長・副議長、憲政同志会宣伝部長、民主党政権の国防部長官(通算第10代、1960年9月12日~1961年1月30日)、新民党中央常任委員会議長(1961年)、民政党中央委員会議長(1964年)・全党大会議長、民衆党指導委員(1967年)、新民党指導委員(1969年)・鍾路区党委員長(1972年)・全党大会議長・政務委員(1973年)、国家保衛立法会議議員(1980年)を務めた。
上村 千一郎(うえむら せんいちろう、1912年1月17日 … 上村 千一郎(うえむら せんいちろう、1912年1月17日 - 1991年3月20日)は、日本の政治家、弁護士。位階は正三位、勲等は勲一等。衆議院議員(10期)、環境庁長官(第10代)。 1912年(明治45年)1月17日、愛知県渥美郡福江町(現田原市福江町)に生まれた。祖父は実業家の上村杢左衛門であり、父は上村武太郎。12歳のときに父親を亡くした。 愛知県成章中学校(現愛知県立成章高等学校)、早稲田大学法学部卒業。大学卒業後にはドイツ留学の話があったが、千一郎を跡取りと考えていた祖父の杢左衛門が難色を示したことで御破算となった。大学院で憲法を学んだあと、豊橋市で弁護士を開業した。そのかたわら青年塾を開設し人材の育成に情熱を傾けた。
阪上 安太郎(さかがみ やすたろう 1912年(明治45年)… 阪上 安太郎(さかがみ やすたろう 1912年(明治45年)1月9日 - 1984年(昭和59年)2月27日)は、日本の政治家、水球選手。衆議院議員を6期務め、衆議院功労議員として表彰された。 1932年ロサンゼルスオリンピック、1936年ベルリンオリンピックに出場した。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。 この項目は、水泳選手(飛込競技選手・アーティスティックスイミング選手・水球選手を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:スポーツ/PJスポーツ人物伝)。
酒井 暊(さかい あきら、1911年(明治44年)9月29日… 酒井 暊(さかい あきら、1911年(明治44年)9月29日 - 1993年(平成5年)11月28日)は、日本の政治家。元小松島市長(4期)。徳島県小松島市出身。 1933年(昭和8年)、早稲田大学専門部商科卒業。同年に徳島県庁に就職。県庁では秘書課長・労政課長・福祉課長・建築課長・板野地方事務所長・農政課長を歴任。 1957年(昭和32年)に小松島市長に当選。1973年(昭和48年)まで4期を務めた。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
小野寺 喜得 (おのでら きとく、1911年 <明治44年>… 小野寺 喜得 (おのでら きとく、1911年 <明治44年> 9月16日 -1993年 <平成5年> 4月4日) は、日本の地方政治家。岩手県一関市長(5期)。位階は従五位。勲四等旭日小綬章。 岩手県西磐井郡真滝村(現・一関市)生まれ。1936年早稲田大学政治経済学部政治学科卒。卒業後は岩手県庁に入り、6年間勤務したのち、一関市役所に移る。1958年教育長、翌1959年助役となり、1963年一関市長に当選する。 市長在職中は国立一関工業高等専門学校や日本電気の誘致、駅前など土地区画整理事業の実施、両磐地区広域市町村圏指定、同地区広域消防組合の発足、市役所の移転、国土庁モデル定住圏策定圏域選定、東工業団地の造成と工場誘致などに参画した。
川崎 秀二(かわさき ひでじ、1911年(明治44年)9月1… 川崎 秀二(かわさき ひでじ、1911年(明治44年)9月14日 - 1978年(昭和53年)2月22日)は、日本の政治家。位階は正三位勲一等、勲章は瑞宝章。父親は立憲民政党代議士の川崎克。元厚生労働大臣の川崎二郎は次男。 大阪府大阪市生まれ。1929年(昭和4年)旧制芝中学校卒業。1935年(昭和10年)早稲田大学政治経済学部を卒業。早大時代は陸上部に所属する傍ら、学内の弁論大会に参加し、痛烈な軍部批判を行って入賞したこともある。卒業後はNHKに入局するも、戦時中は応召により中国大陸を転戦、この時の経験から、戦後日中友好運動に挺身することとなる。 企画部副部長を最後にNHKを退職し、戦後初の総選挙となった1946年(昭和21年)の第22回衆議院議員総選挙に父親の地盤を引き継いで旧三重1区から日本進歩党公認で立候補し当選、以後当選11回を数える(当選同期に小坂善太郎・二階堂進・江﨑真澄・小沢佐重喜・石井光次郎・坂田道太・水田三喜男・村上勇・井出一太郎・早川崇・中野四郎など)。
田坂 敬三郎(たさか けいざぶろう、1911年〈明治44年〉… 田坂 敬三郎(たさか けいざぶろう、1911年〈明治44年〉8月15日 - 1998年〈平成10年〉4月25日)は、日本の政治家。愛媛県今治市議会議員、今治市長などを歴任した。 1935年(昭和10年)に早稲田大学を卒業。1947年(昭和22年)4月に今治市議会議員に初当選。2期目には今治市議会の副議長を務めた。 1954年(昭和29年)1月に行われた今治市長選挙に立候補し、稲本早苗、山沢和三郎、福島照一を破り初当選。田坂は当時で42歳であり、若き市長の誕生となった。 1958年(昭和33年)1月の今治市長選挙では無投票当選し、再選。1962年(昭和37年)1月の今治市長選挙では3選を目指して立候補したが、羽藤栄市に破れ落選した。