美土路 昌一(みどろ ますいち、1886年(明治19年)7月… 美土路 昌一(みどろ ますいち、1886年(明治19年)7月16日 - 1973年(昭和48年)5月11日)は、日本のジャーナリスト、実業家。全日本空輸初代社長、朝日新聞社社長を歴任した。号は春泥。 岡山県苫田郡一宮村(現・津山市)に所在する中山神社の社家の長男として生まれる。 津山中学校(現岡山県立津山高等学校)を卒業し、早稲田大学英文科に進むが、家計が苦しくなったため、早稲田を中退。つてをたどって、1908年1月東京朝日新聞社に入社。社会部員となる。1910年、飛行機の日本初飛行を取材したことで、空への関心が芽生える。 1914年8月に日本が第一次世界大戦に参戦すると、従軍記者として青島攻囲軍に参加。
佐藤 緑葉(さとう りょくよう、1886年7月1日 - 19… 佐藤 緑葉(さとう りょくよう、1886年7月1日 - 1960年9月2日)は、日本のジャーナリスト、小説家、翻訳家。本名は佐藤利吉(さとう りきち)。群馬県吾妻郡東村生まれ。
多田 満長(ただ みつなが、1886年(明治19年)4月14… 多田 満長(ただ みつなが、1886年(明治19年)4月14日 – 1951年(昭和26年)2月9日)は、日本のジャーナリスト・政治家で立憲民政党所属の衆議院議員。 千葉県君津郡神納村(現在の袖ケ浦市)出身。多田子之助の二男として生まれ、兄の昌太郎は君津郡会議員・神納村長を務めた。千葉師範学校に入学するが、病のため退学した。その後明治学院を経て、1911年(明治44年)に早稲田大学政治経済科を卒業した。卒業後は大日本通信社を創設し、社長を務めた。 1930年(昭和5年)、第17回衆議院議員総選挙に民政党公認で出馬し初当選。5回連続当選を果たした。その間、廣田内閣で逓信参与官を、阿部内閣で外務政務次官を務めた。
中野 正剛(なかの せいごう、1886年(明治19年)2月1… 中野 正剛(なかの せいごう、1886年(明治19年)2月12日 - 1943年(昭和18年)10月27日)は日本のジャーナリスト、政治家。東方会総裁、衆議院議員。号は耕堂。
東 則正(ひがし のりまさ、1886年1月11日 - 197… 東 則正(ひがし のりまさ、1886年1月11日 - 1976年4月27日)は、大正から昭和初期にかけてのジャーナリスト、実業家。政治団体東方会の設立者のひとり。 京都府愛宕郡八瀬村(現・京都市左京区八瀬)に生まれる。代々天皇家に奉仕する八瀬童子の出身。早稲田大学卒業後、大東汽船へ入社、中国に渡る。後に時事新報特派員となり、宋教仁、孫文、黄興、蔣介石らと親交を結ぶ。大正5年に中野正剛らと東方会を設立、雑誌「東方時論」を発行。大正8年に東方会を離脱、以後は実業家として活躍。戦後は八瀬にて余生を送った。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
永田 善三郎(ながた ぜんざぶろう、1885年(明治18年)… 永田 善三郎(ながた ぜんざぶろう、1885年(明治18年)6月11日 - 1950年(昭和25年)12月6日)は、日本のジャーナリスト・政治家。政治家としては憲政会→立憲民政党に所属し衆議院議員選挙に連続5回当選し海軍参与官を務めた。 静岡県周智郡久努西村(現在の袋井市)出身。1907年(明治40年)、早稲田大学政治科を卒業。台湾日日新聞社記者、満洲日日新聞社編集長、大連汽船株式会社天津支店長、永田鉱業株式会社社長を歴任した。 1924年(大正13年)、第15回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第19回に至るまで5回連続当選を果たした。その間、廣田内閣で海軍参与官に就任した。 さらに大連の漢字紙『関東報』の社長や静岡民友新聞社の社長も務めた。
原田 譲二(はらだ じょうじ、1885年3月26日 - 19… 原田 譲二(はらだ じょうじ、1885年3月26日 - 1964年2月10日)は、日本のジャーナリスト。貴族院勅選議員。 岡山県後月郡西江原村(現・井原市)出身。1907年早稲田大学卒。報知新聞社に入り、1915年、東京朝日新聞社に入る。社会部長を経て、1925年、大阪朝日新聞社に入る。同社では編集局長から専務となり、1946年8月14日、貴族院勅選議員となった。貴族院議員は交友倶楽部に所属し翌1947年5月2日の貴族院廃止まで在職した。同年12月に公職追放を受けた。その後、追放解除となり、1964年に死去した。
石橋 湛山(いしばし たんざん、1884年〈明治17年〉9月… 石橋 湛山(いしばし たんざん、1884年〈明治17年〉9月25日 - 1973年〈昭和48年〉4月25日)は、日本のジャーナリスト、政治家、教育者(立正大学学長)。階級は陸軍少尉(陸軍在籍時)。位階は従二位。勲等は勲一等。 大蔵大臣(第50代)、通商産業大臣(第10・11・12代)、内閣総理大臣(第55代)、郵政大臣(第9代)などを歴任した。総理大臣在任期間は65日であり、日本国憲法下では羽田孜の64日に次いで2番目に短く、日本の憲政史上でも3番目の短さである。 早稲田大学から法学の名誉博士(Doctor of Laws)を贈られた(1957年10月20日授与)。 「明治国家のミリタリズム、インペリアリズムは世界の趨勢であったとしても、見落とされてはならないのがデモクラシーの醸成である。
山道 襄一(やまじ じょういち、1882年(明治15年)3月… 山道 襄一(やまじ じょういち、1882年(明治15年)3月15日 - 1941年(昭和16年)5月11日)は、日本の政治家、ジャーナリスト。所属政党は憲政会→立憲民政党→国民同盟→立憲民政党。衆議院議員を10期務めた。 広島県賀茂郡板城村福本(現・東広島市西条町福本)出身。1906年(明治39年)に早稲田大学大学部政治経済学科卒業。鳥取新聞社の主筆を務めた後、韓国に渡り、『大韓日報』の主筆となり、また習俗慣行の調査にあたった。韓国併合後、大韓日報が廃刊になると、雑誌『新半島』を経営し、朝鮮総督府の嘱託として引き続き習俗調査を行った。のちに『中国新聞』主筆も務めた。 1912年(大正元年)、衆議院広島県郡部補欠選挙に当選した。
橘 樸(たちばな しらき、1881年10月14日 - 194… 橘 樸(たちばな しらき、1881年10月14日 - 1945年10月25日)は、日本のジャーナリスト、評論家で、清末から日中戦争期にかけての中国で、『遼東新報』や『京津日日新聞』などに拠って活動した。 1881年、大分県臼杵の下級士族の家に長男として生まれた。中学時代は各地を転々とした後、第五高等学校に学んだが、退校処分となった。その後早稲田大学に入学したが、中退。 1905年に北海道に渡り、『北海タイムス』の新聞記者となった。しかし翌年の1906年に清末の大連へ渡り、『遼東新報』の記者となった。以降、記者として『京津日日新聞』『済南日報』といった新聞や、『日華公論』、『支那研究資料』、『月刊支那研究』、『調査時報』、『満蒙』、『新天地』、『読書会雑誌』、『満州評論』などの雑誌類に関わった。
山田 道兄(やまだ みちえ、1880年(明治13年)9月7日… 山田 道兄(やまだ みちえ、1880年(明治13年)9月7日 - 1936年(昭和11年)8月27日)は、日本の衆議院議員(憲政会→立憲民政党)、ジャーナリスト。 岐阜県武儀郡東武芸村(現在の関市)出身。早稲田大学政治経済科出身。扶桑新聞主筆、東京毎日新聞記者、読売新聞記者を経て、民友通信社を創設して社長を務めた。 1924年(大正13年)、第15回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、4回の当選を重ねた。その間、濱口内閣で農林参与官を務めた。
沢本 与一(さわもと よいち、1880年(明治13年)5月1… 沢本 与一(さわもと よいち、1880年(明治13年)5月17日 - 1935年(昭和10年)1月16日)は、日本の衆議院議員(憲政会→立憲民政党)、ジャーナリスト。 山口県玖珂郡岩国町(現在の岩国市)出身。早稲田大学政治経済科を卒業し、新潟新聞や大阪新報の主筆を務めた。その後、久原鉱業株式会社で秘書役や北京事務所所長を務めた。 加藤高明内閣・第1次若槻内閣で江木翼司法大臣の秘書官を務め、1928年(昭和3年)の第16回衆議院議員総選挙で当選。その後、第17回・第18回の総選挙でも当選した。第2次若槻内閣では江木鉄道大臣の秘書官を、齋藤内閣では外務参与官を務めた。1933年(昭和8年)から翌年まで東京市助役。
丸山 幹治(まるやま かんじ、1880年〈明治13年〉5月2… 丸山 幹治(まるやま かんじ、1880年〈明治13年〉5月2日 - 1955年〈昭和30年〉8月16日) は、ジャーナリスト・政治評論家。 号・侃堂。 長野県埴科郡清野村(現長野市)の農家に生まれる。1901年東京専門学校(現・早稲田大学)邦語科行政科卒業、日本新聞に入社、翌年青森新聞主筆となり、日露戦争中に日本新聞に復帰し従軍記者となる。1906年京城日報編集長を務め、1909年大阪朝日新聞社入社。「天声人語」を執筆。のちニューヨーク特派員、通信部長を歴任。1918年には白虹事件のため、長谷川如是閑らとともに退社。 1928年大阪毎日新聞社に入社し、コラム「硯滴」を担当。まもなく東京日日新聞に移り、1953年まで短評論「余録」を担当。
菊竹 六鼓(きくたけ ろっこ、男性、1880年1月25日 -… 菊竹 六鼓(きくたけ ろっこ、男性、1880年1月25日 - 1937年7月21日)は、福岡県出身のジャーナリスト。五・一五事件に際し、福岡日日新聞の紙上で軍部批判・憲政擁護の論陣を張ったことで知られる。六鼓(六皷)は号で、本名は淳(すなお)。兄に政治家の菊竹博之がいる。 菊竹六鼓の論説は、昭和初期に軍が議会制民主主義をないがしろにした日本近代政治史の転換点において、一貫してメディアを通して戦う姿勢を見せたものであった。その代表は、大正期から護憲運動の擁護者で軍備縮小を進めた犬養首相を暗殺した五・一五事件についての論説であり、全国の大手新聞社が軒並み軍部支持の記事を掲げ、世論を軍国主義へ誘導し、あるいは軍国主義世論に迎合する中でのものであった。
神田 正雄(かんだ まさお、1879年(明治12年)3月18… 神田 正雄(かんだ まさお、1879年(明治12年)3月18日 - 1961年(昭和36年)8月2日)は、日本の衆議院議員(憲政会→立憲民政党)、ジャーナリスト。 栃木県那須郡芦野町(現在の那須町)出身。交代寄合旗本芦野家の家老の家に生まれる。父に芦野宿戸長・大田原宿戸長を歴任した神田貞、兄に経済学者の神田孝一がいる。 宮城農学校を経て、1901年(明治34年)に東京専門学校政治経済科(現在の早稲田大学)を卒業。同年、清国四川省学堂に教育顧問兼教習として招聘され、地理教科書を著した。1905年(明治38年)、アメリカ合衆国のコロンビア大学に留学し、さらにイギリスのオックスフォード大学にも留学した。
牧野 輝智(まきの てるとし 1879年(明治12年)1月4… 牧野 輝智(まきの てるとし 1879年(明治12年)1月4日 - 1941年(昭和16年)8月29日)は、日本のジャーナリスト、経済学者。専門は財政学。学位は経済学博士(東京帝国大学) 牧野鼎藏の三男として熊本県に生まれる。東京専門学校(現在の早稲田大学)を1897年(明治30年)に卒業して、熊本県立商業学校で英語や地理を教え、間もなく教頭になる。その後佐賀県立佐賀中学校、暁星中学校等の教壇に立つ。 同郷の大先輩である清浦奎吾が農商務大臣に就任すると、清浦の要請で農商務省特許局嘱託の農商務大臣秘書に転身し、清浦と久米金弥特許局長が創設した工業所有権保護協会の機関誌『工業所有権雑誌』の主幹も務める。
千葉 亀雄(ちば かめお、1878年(明治11年)9月24日… 千葉 亀雄(ちば かめお、1878年(明治11年)9月24日 - 1935年(昭和10年)10月4日)は、日本の作家、評論家、ジャーナリスト。 山形県酒田市に生まれ、5歳から母の実家がある宮城県美里町、13歳から仙台市で育つ。早稲田大学高等師範部中退。はじめ江東の号で小説を書いたが、以後国民新聞、読売新聞、時事新報、東京日日新聞など新聞の社会部長や学芸部長を務め、その傍ら文芸評論も書いた。『サンデー毎日』編集長として「サンデー毎日新人賞」を開始するなど大衆文学にもかかわる。 大正末から昭和初年にかけての大きな文学潮流となった「新感覚派」の命名者として知られる。 死後、小説家の登竜門として「千葉亀雄賞」が創設され、井上靖、沙羅双樹、黒岩重吾らを輩出した。
国木田 収二(くにきだ しゅうじ、1878年〈明治11年〉9… 国木田 収二(くにきだ しゅうじ、1878年〈明治11年〉9月1日 - 1931年〈昭和6年〉3月4日)は、明治から大正にかけての新聞記者、ジャーナリスト。号は北斗(ほくと)。 小説家である国木田独歩の弟。 1878年9月1日、広島県に生まれた。東京専門学校を卒業した後に國民新聞社に入り、兄の独歩とともに徳富蘇峰門下の逸材と称された。蘇峰は、独歩よりも収二の方が大成すると期待していたといわれる。 日清戦争で独歩が従軍記者として現地に派遣された際に、収二宛の手紙を模して戦況報告を送った『愛弟通信』は、兄弟愛の美談として喧伝された。 1899年(明治32年)に南洋諸島へ視察旅行をした。その後、神戸新聞社に主筆兼編集部長として入社した。
森 一兵(もり いっぺい、1877年6月10日 - 1945… 森 一兵(もり いっぺい、1877年6月10日 - 1945年11月13日)は大正から昭和前期にかけて活動した日本のジャーナリスト、写真家、新聞経営者。 1877年(明治10年)6月、岡山県勝田郡吉野村(現在の勝央町)で新谷英太郎の長男として生まれる。父の英太郎は旧勝北郡の2代目郡長を務め、岡山県立勝間田高等学校の前身校に当たる林園書院、のち勝間田農林学校の創立者として知られる名士であった。その後、父が養子となっていた新谷家から生家の森家へ復したことに伴い、森姓となる。 東京専門学校を卒業後、博文館に入社し『太陽』の記者を務めていたが三井銀行を経て安田財閥持株会社の安田保善社に入り、安田倉庫の大阪支配人に就いた。
小林 存(こばやし ながろう、1877年(明治10年)6月6… 小林 存(こばやし ながろう、1877年(明治10年)6月6日 - 1961年(昭和36年)3月10日)は、日本のジャーナリスト、民俗学研究家、歌人、俳人。名は「ぞん」とも読む。号は粲楼(さんろう)、粲楼学人、烏啼(うてい)。新潟県中蒲原郡横越村(現・新潟市江南区)出身。 1877年、小林祐保・ミン夫妻の末子として生まれる。小林家は代々、新発田藩蒲原横越組の大庄屋を務めた素封家で、郡内の有力地主の一つであった。横越小学校・亀田高等小学校を経て上京し、第一高等学校への進学を目指すが失敗し、東京専門学校(現・早稲田大学)に進学、坪内逍遥に学んだ。また、同校在学中の1894年に蒲原有明、山岸荷葉、林田春潮らと同人誌『落穂双紙』を発刊した。
碧川 企救男(みどりかわ きくお、明治10年(1877年)4… 碧川 企救男(みどりかわ きくお、明治10年(1877年)4月27日) - 昭和9年(1934年)4月12日)は日本のジャーナリスト。 婦人運動家碧川かたの夫、映画カメラマン碧川道夫の父。 福岡県企救郡小倉町(後の小倉市、その後北九州市小倉区を経て現在は分区により小倉北区)に長崎裁判所小倉区裁判所長碧川真澄、みねの二男として生まれた。父真澄は、もと伊予新谷藩の下級武士。 米子の角盤高等小学校、鳥取中学(現在の鳥取西高等学校)を経て東京専門学校英語政治科(現在の早稲田大学)を卒業。北海道集治監釧路分監出張所(現在の網走刑務所)に行き、そこで一年間生活をした 明治35年(1902年)『小樽新聞』の論説記者になる。
薄田 斬雲(うすだ ざんうん、「すすきた ざんうん」とも、1… 薄田 斬雲(うすだ ざんうん、「すすきた ざんうん」とも、1877年(明治10年)1月27日 - 1956年(昭和31年)3月27日)は、日本の小説家・ジャーナリスト。伝記作品を多く残した。本名は貞敬。 青森県弘前町蔵主町(現・弘前市)出身。1895年(明治28年)青森県尋常中学校を経て、1899年(明治32年)に東京専門学校(現・早稲田大学)文学科選科を卒業。京成日報記者を経て早稲田大学出版部編集委員となる。1917年(大正6年)には衆議院議員野田卯太郎、頭山満、子爵で法学博士の田尻稲次郎らの組織した大民団(大民倶楽部)に加わり山田三七郎とともに運営本部の任にあたった。作家としては、デビュー当初は自然主義の影響下にある小説・戯曲・随筆などを発表していたが、徐々に関心のメインは伝記などへ移っていった。
山本 慎平(やまもと しんぺい、1876年(明治9年)1月2… 山本 慎平(やまもと しんぺい、1876年(明治9年)1月22日 - 1948年(昭和23年)5月21日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)、ジャーナリスト。 長野県更級郡稲荷山町(現在の千曲市)出身。1901年(明治34年)、東京専門学校(現在の早稲田大学)邦語政治科を卒業。長野新聞社・新潟日報社で主筆・社長を務める。 長野県会議員、同参事会員を経て、1924年(大正13年)の第15回衆議院議員総選挙に出馬し当選を果たす。第16回、第18回でも再選された。その後、稲荷山町長を務めた。 その他に、大日本法令出版株式会社取締役、帝国法規出版株式会社取締役、鹿曲川水力電気会社取締役などを務めた。
馬場 恒吾(ばば つねご、1875年7月13日 - 1956… 馬場 恒吾(ばば つねご、1875年7月13日 - 1956年4月5日)は、日本のジャーナリスト・政治評論家・実業家。ジャパンタイムズや国民新聞などで自由主義擁護の論陣を張る。第二次大戦後、読売新聞社社長。 岡山県邑久郡長浜村奥浦(現・瀬戸内市牛窓町)に、代々庄屋を務めた馬場家の長男として生まれる。1892年、京都の第三高等学校予科に入学。1895年、三高予科を修了し、仙台の第二高等学校入学。東北学院で押川方義が行っていた聖書の講義に通い、メソジストとして洗礼を受ける。1896年、二高中退。1897年、安部磯雄を追って同志社神学校(現・同志社大学神学部)に入学するが、葛藤の末キリスト教と決別し、一年弱で中退。
紫安 新九郎(むらやす しんくろう、1873年(明治6年)8… 紫安 新九郎(むらやす しんくろう、1873年(明治6年)8月17日 – 1952年(昭和27年)7月8日)は、衆議院議員(立憲国民党→公友倶楽部→憲政会→立憲民政党→翼賛議員同盟→翼賛政治会→無所属→日本自由党)、ジャーナリスト。号は蘇山。 兵庫県城崎郡田鶴野村(現在の豊岡市)出身。1897年(明治30年)、東京専門学校(現在の早稲田大学)に入学し、在学中に雑誌『二十世紀』を発刊した。1900年(明治33年)に卒業した後は博文館の編集局に入った。1901年(明治34年)から鎮西日報の主筆となり、1903年(明治36年)からは萬朝報で筆を執った。1907年(明治40年)、大阪市役所に入って商工課長となり、後に南区長に転じた。
国木田 独歩(くにきだ どっぽ、1871年8月30日(明治4… 国木田 独歩(くにきだ どっぽ、1871年8月30日(明治4年7月15日) - 1908年(明治41年)6月23日)は、日本の小説家、詩人、ジャーナリスト、編集者。千葉県銚子生まれ、広島県広島市、山口県育ち。 幼名を亀吉、後に哲夫と改名した。筆名は独歩の他、孤島生、鏡面生、鉄斧生、九天生、田舎漢、独歩吟客、独歩生などがある。田山花袋、柳田國男らと知り合い「独歩吟客」を発表。詩や小説を書き、次第に小説に専心した。「武蔵野」「牛肉と馬鈴薯(じゃがいも)」といった浪漫的な作品の後、「春の鳥」「竹の木戸」などで自然主義文学の先駆とされる。また現在も続いている雑誌『婦人画報』の創刊者であり、編集者としての手腕も評価されている。
円城寺 清(えんじょうじ きよし、1870年(明治3年)11… 円城寺 清(えんじょうじ きよし、1870年(明治3年)11月 - 1908年(明治41年)10月21日)は、日本のジャーナリスト。号は天山。 1870年11月、佐賀県小城郡晴田村(現小城市)に生まれる。1889年12月11日、東京専門学校邦語政治科に入学する。 1892年7月15日に卒業した後に、郵便報知新聞に入社する。1893年9月1日号の第109回から1894年10月13日号の第296回までの「大隈伯昔日譚」の筆録者に抜擢される。1894年、郵便報知新聞を辞める。 1898年5月、憲政党の組織に伴い、『憲政党党報』の編集を主宰する。憲政党の分裂後、『憲政本党党報』の主任記者及び発行兼編輯人となる。
匹田 鋭吉(ひきた えいきち、1868年5月18日〈慶応4年… 匹田 鋭吉(ひきた えいきち、1868年5月18日〈慶応4年4月26日〉 – 1944年〈昭和19年〉11月9日)は、日本のジャーナリスト・政治家。立憲政友会所属の衆議院議員。 1868年5月18日、美濃国郡上郡八幡(現在の岐阜県郡上市)に於いて郡上藩士匹田重秋の長男として生まれる。1888年(明治21年)、東京専門学校(現在の早稲田大学)政治経済科を卒業。読売新聞社の記者となった後、1902年(明治35年)に富山日報の主筆に招かれ、1910年(明治43年)からは九州日報の主筆となった。さらに北陸タイムス主筆に転じ、1913年(大正2年)からは岐阜日日新聞社の社長兼主筆を務めた。 1915年(大正4年)、第12回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。
有田 温三(ありた おんぞう、1865年10月2日〈慶応元年… 有田 温三(ありた おんぞう、1865年10月2日〈慶応元年8月13日〉 - 1927年〈昭和2年〉2月27日)は、日本のジャーナリスト、政治家。衆議院議員(当選2回)。族籍は広島県平民。 安芸国賀茂郡西高屋村(現在の広島県東広島市)出身。有田久の二男。生家は代々農業を営む。京都本願寺普通教校を経て、1888年に東京専門学校(現早稲田大学)邦語政治科を卒業。山陽新報記者となり、後に安芸津新報主筆に転じ、さらに大阪朝日新聞に入って広島支局長を務めた。 1903年(明治36年)、広島県会議員に当選し、県参事会員及び地方森林会議員も務めた。1907年(明治40年)に広島市会議員に当選、下水道創立に尽力した。
辻 寛(つじ ゆたか、文久元年10月24日(1861年11月… 辻 寛(つじ ゆたか、文久元年10月24日(1861年11月26日) - 昭和4年(1929年)9月24日)は、衆議院議員(立憲政友会→立憲同志会→憲政会)、ジャーナリスト。 伊勢国三重郡水沢村(現在の三重県四日市市)に辻武平治の長男として生まれる。東京専門学校(現在の早稲田大学)を卒業後、三重県山田郡立中学校の教諭に任じられた。その後、三重新聞社の社長として経営にあたり、また雑誌「三重県人」の主幹となった。 三重県会議員を経て、1904年(明治37年)の第9回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第11回・第12回でも再選された。 その他、三重県農工銀行の監査役も務めた。
デーモン閣下(デーモンかっか、紀元前98038年11月10日… デーモン閣下(デーモンかっか、紀元前98038年11月10日 - 、英語表記:His Excellency Demon Kakka)は、日本の音楽家、マルチタレント、ジャーナリスト。ロックバンド聖飢魔IIのボーカリスト。POWERPLAY所属。早稲田大学社会科学部卒業。デーモン小暮(1985年)、デーモン小暮閣下(2000年)、デーモン閣下(2010年以降)と名称を変更している。通称は、デーモン、閣下。自身は人間の体を借りた悪魔と自称しており、生年月日は「紀元前98038年11月10日」だとしている。「世を忍ぶ仮の姉」はTBSテレビ元報道キャスターの小暮裕美子。 「紀元前98038年11月10日に発生、地獄の都Bitter Valley地区出身」を称する、前地獄副大魔王にして悪魔教教祖。
北芝 健(きたしば けん、生年未公表10月22日 - )は、… 北芝 健(きたしば けん、生年未公表10月22日 - )は、元警視庁刑事で日本の警察ジャーナリスト・漫画原作者・作家・空手家、犯罪心理学者。 日本経済大学大学院講師(「パブリックインテリジェンス研究」)。 生年は公表されていない。 東京都葛飾区出身。父は内科医、母は小児科医。早稲田大学卒業。貿易会社に勤務ののち警察官となる。 警察学校初任科を修了後、所轄署派出所を経て、刑事講習を受ける。その間に選挙取締本部、特別捜査本部での捜査を経験。 その後警視庁語学研修、公安講習を経て公安警察に配属され、外国要人の警護なども担当する。 早稲田大学大学院にて犯罪社会学研究のため退職。その後、警視庁OB団体に所属。
陳 独秀(ちん どくしゅう)は、中華民国の革命家・ジャーナリ… 陳 独秀(ちん どくしゅう)は、中華民国の革命家・ジャーナリスト・政治家。字は仲甫、号は実庵。中国共産党の設立者の一人で、初代総書記に選出された。
飯塚 真紀子(いいづか まきこ)は、日本のジャーナリスト。
加藤 順子 は、フォトジャーナリスト。元ウェザーマップ所属の… 加藤 順子 は、フォトジャーナリスト。元ウェザーマップ所属の気象予報士である。東京都出身。
塚本 和人(つかもと かずと)は、日本のジャーナリスト。朝日… 塚本 和人(つかもと かずと)は、日本のジャーナリスト。朝日新聞シンガポール支局長、元上海支局長。早大卒 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
近野 宏明(こんの ひろあき)は、日本のジャーナリスト。元日… 近野 宏明(こんの ひろあき)は、日本のジャーナリスト。元日本テレビ報道局記者、解説委員。新潟県出身。 新潟県立新津高等学校、早稲田大学第一文学部卒業後、1995年4月同社入社。同期には下川美奈(記者)、矢島学(アナウンサー)、魚住りえ(現フリーアナウンサー)、町亜聖(現フリーアナウンサー)らがいる。報道局に配属。報道局社会部記者として活躍したのち2001年3月よりキャスター室兼務となり、重大な事件・事故、緊迫する世界、大規模災害時にはこれまで数多くの特設ニュースを担当した他、朝の情報番組やワイドショーのニュースコーナーや真相報道 バンキシャ!のニュースキャスターも務めた。11年目の春からは平日夕方の『NNNニュースプラス1』のちの『NNN Newsリアルタイム』のメインキャスターを笛吹雅子キャスターと共に担当した。
家高 康彦(いえたか やすひこ)は、日本の格闘技ジャーナリス… 家高 康彦(いえたか やすひこ)は、日本の格闘技ジャーナリスト。千葉県出身。早稲田大学卒。自身も極真空手及び養神館合気道の経験を持つ。尚、極真空手は初段を取得している。 福昌堂発行の雑誌「月刊空手道」の編集部を経て、大学時代の友人・小島一志らと共に夢現舎の創設メンバーとなり、雑誌「月刊武道空手」副編集長として活躍するが、後に退社。1994年4月、大山倍達死去による極真会館の分裂騒動において、遺族派に招かれしばらく行動を共にする。遺族派の崩壊後も独自に同騒動を調査し、2006年「極真大乱」を発表し注目される。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
小倉 正男(おぐら まさお)は、政治・経済ジャーナリスト、ラ… 小倉 正男(おぐら まさお)は、政治・経済ジャーナリスト、ライター。 早稲田大学第一法学部卒。東洋経済新報社で記者・編集者、企業情報部長、金融証券部長、編集局次長、名古屋支社長・中部経済倶楽部専務理事などを歴任。著書に『M&A資本主義』『トヨタとイトーヨーカ堂』(共に東洋経済新報社刊)、『日本の「時短」革命』『倒れない経営―クライシス・マネジメントとは何か』『「第四次産業」の衝撃』(いずれもPHP研究所刊)など。2012年から「小倉正男の経済コラム」をウェブで連載中。マネジメント事務所は青山shinofiice。
信太 謙三(しだ けんぞう)はジャーナリスト、中国問題専門家… 信太 謙三(しだ けんぞう)はジャーナリスト、中国問題専門家。元東洋大学社会学部教授、元時事通信記者。中国語が堪能で、記者時代には、香港・北京・上海の各支局に勤めた。公益財団法人新聞通信調査会理事、元国立研究開発法人科学技術振興機構・中国総合研究交流センター主任調査員。 上記著作『天孫降臨』は「本格的縄文エンタメ小説」として出版されたもので、2019年5月、KKベストセラーズから出版された歴史まんが『新日本縄文書紀』(竹姫 (漫画家)=ちくひめ=作)の原作となった。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
辻 浩平(つじ こうへい)は 日本のジャーナリスト。NHK報… 辻 浩平(つじ こうへい)は 日本のジャーナリスト。NHK報道局国際部記者。 早稲田大学政治経済学部卒業後、2002年4月 NHK入局。初任地は鳥取放送局。地方記者を経て報道局国際部に配属。その後、海外特派員としてエルサレム支局に赴任。のちに同支局長を務め、在任期間中はパレスチナ問題等の取材を経て帰国。報道局政治部に異動。政治記者として国内外の政治取材を経て渡米、ワシントン支局に赴任。駐在記者としてアメリカ事情やトランプ支持者やアメリカ各地で広がる対立や分断等の取材やレポート等を務め、その後ウラジオストク支局に赴任。2022年から続くウクライナ情勢を継続的に取材やレポートを重ねた。 帰国後の2025年4月より、『国際報道2025』のメインキャスターに藤重博貴アナウンサーと共に就任。
山田 俊浩(やまだ としひろ、1971年(昭和46年 - )… 山田 俊浩(やまだ としひろ、1971年(昭和46年 - )は、日本のジャーナリスト、編集者。東洋経済新報社の「東洋経済オンライン」編集長、「週刊東洋経済」編集長などを歴任。編集局次長 会社四季報センター長として、会社四季報、会社四季報オンライン、会社四季報AIなどの企業情報事業を統括。 埼玉県越谷市出身。埼玉県立浦和高等学校、早稲田大学政治経済学部卒業。1993年に東洋経済新報社に入社。1995年から記者。精密、情報通信、金融、電機など幅広い産業分野を取材。2001年から2003年には「月刊金融ビジネス」編集部に所属。同誌上にて成毛眞氏を聞き手に世界最先端の金融事情を2人の先生から学ぶ「東京金融道」の連載を担当。