疋田 耕造(ひきた こうぞう、1929年(昭和4年)1月1日… 疋田 耕造(ひきた こうぞう、1929年(昭和4年)1月1日 - )は、日本の実業家。コーナン商事創業者、初代代表取締役社長。 和歌山県新宮市生まれ。1945年(昭和20年)大阪市立住吉商業高等学校卒業。1951年(昭和26年)関西大学文学部英文科卒業。 寺下石油、木津川タンカー勤務を経て、28歳で石油商社「木津川石油商会」を立ち上げ、1961年「港南石油商会」創業、1970年(昭和45年)石油販売会社・日本燃料販売設立。石油危機をきっかけに事業の多角化を図るため、1978年(昭和53年)ホームセンター事業のコーナン商事設立。ホームセンターの草分けとして発展し、近畿地区トップのチェーンに成長させ、2001年には東証一部上場を果たした。
玉井 敬之(たまい たかゆき、1929年 -2026年 )は… 玉井 敬之(たまい たかゆき、1929年 -2026年 )は、日本近代文学研究者。学位は、文学博士(関西大学・論文博士・1978年)(学位論文「夏目漱石論」)。同志社大学教授・武庫川女子大学教授を歴任。 大阪市生まれ。関西大学文学部国文科卒。1978年「夏目漱石論」で関西大学より文学博士の学位を取得。同志社大学教授、2000年定年、武庫川女子大学教授。
塚田 新市(つかだ しんいち、1928年12月10日 - 2… 塚田 新市(つかだ しんいち、1928年12月10日 - 2004年10月3日)は日本の政治家。鹿児島県串木野市長(6期)。串木野市名誉市民。 鹿児島県串木野市下名(現いちき串木野市)出身。串木野の尋常高等小学校を1929年に卒業した後、大阪で鋳物工場の給仕や夜学の教師として働きながら苦学。1933年関西大学第二商業科卒業。1941年関西大学法文学部法律学科(現関西大学法学部)卒業。関大法科卒業後は東京に移り、築地本願寺近くの織物統制会社に就職。1944年5月、鹿児島県庁に入職。鹿児島県職業指導主事補(1944年)、地方事務官鹿児島県勤務(1946年)、鹿児島県議会事務局庶務課長(1951年)、調査課長(1955年)、鹿児島県民生労働部労政課長(1958年11月)、農政部農業経済課長(1963年5月)、衛生部医務課長(1965年)、鹿児島県監査委員事務局長(1967年6月)を経て、1968年7月より鹿児島県民生労働部長。
井上 次郎(いのうえ じろう、1928年4月6日 - 196… 井上 次郎(いのうえ じろう、1928年4月6日 - 1969年4月29日)は、昭和時代中期日本の実業家。現在のイオングループの源流となった企業の1社・シロの創業者。大阪府出身。 1928年(昭和3年)4月6日、大阪府豊能郡庄内村(現在の豊中市庄内)で飯田家に生まれる。関西大学経済学部を卒業後、井上米子との結婚に伴い入婿し井上姓となった。 1955年(昭和30年)、実兄の義雄と共同で衣類の生地小売、染色、機械販売およびアパートの賃貸を業務とする飯田株式会社を創業し、同年12月15日より米子と夫婦でアパートの1階を改装した店舗で婦人服の仕立業を始めた。1961年(昭和36年)6月、アパートを鉄筋コンクリート4階建て構造に建て替え「シロ」の1号店とする。
荒木 宏(あらき ひろし、1928年4月1日 - 1995年… 荒木 宏(あらき ひろし、1928年4月1日 - 1995年1月14日)は、日本の教育者、弁護士、政治家。衆議院議員(日本共産党公認、2期)を務めた。自由法曹団幹事。 神戸市出身。神戸商業大学(現・神戸大学)中退。小学校の教員をやりながら、関西大学法学部を卒業。1959年に弁護士となり、同年共産党に入党した。 1972年の第33回衆議院議員総選挙に旧大阪5区から立候補し1位で初当選を果たした。続く1976年の第34回衆議院議員総選挙でも同区から立候補し再選を果たすも、体調不良により1979年の第35回衆議院議員総選挙には立候補せず、政界からの引退を表明する。地盤は引退当時、堺市選出の大阪府議会議員であった藤田スミに譲る。
藤本 安騎生(ふじもと あきお、1928年3月4日 - 20… 藤本 安騎生(ふじもと あきお、1928年3月4日 - 2014年3月25日)は、日本の俳人。本名は井戸茂(いど しげる)。 兵庫県川西市生。関西大学法律学科卒。1979年、「運河」入会、右城暮石に師事。1982年、「運河」同人。2001年、「晨」同人。2003年、『深吉野』により第43回俳人協会賞。奈良を拠点に活動した。句集に『耳石』『夢の淵』『深吉野』『高見山』。2014年3月25日、心筋梗塞で死去。86歳。
山本 勝一(やまもと まさかず、1928年(昭和3年)- 2… 山本 勝一(やまもと まさかず、1928年(昭和3年)- 2022年 (令和4年) 3月9日)は観世流能楽師。公益財団法人山本能楽会(山本能楽堂)会長。 大阪府出身、1943年(昭和18年)大阪府立高津中学校(旧制。現・大阪府立高津高等学校)卒業。1945年(旧制)関西大学予科卒業。 山本家は信州山本城主の諏訪盛重に起源を持ち、元禄時代に京都烏丸三条の五大両替商(大名貸)の一つ「伊勢屋」として栄えており、明治時代「伊弥太(貯蓄)銀行」として祖父の九代目弥太郎が経営していた。父の山本博之は大正時代に二十四世観世宗家(観世元滋)に入門、昭和初期に山本能楽堂(大阪市中央区)を建てるなど、能楽の大阪での普及に貢献した人物。
高桐 真(たかぎり まこと、1927年9月8日 - )は、日… 高桐 真(たかぎり まこと、1927年9月8日 - )は、日本の俳優。本名、道下 真二。 東京俳優生活協同組合、芸峰制作、ワシオ企画、鳥プロを経て、大木由美子オフィスに所属していた。 大阪府大阪市出身。呉服屋を営む父と母の二男四女の次男。関西大学経済学部卒業。大学在学中の1948年、劇団制作座を結成し、中心俳優として『三人姉妹』『罪と罰』『ルノアール群島』などに出演する一方、ラジオドラマ、テレビドラマにも出演。映画にも劇団の資金集めのため、『江戸っ子野郎と娘たち』(1960年、第二東映)を皮切りに各社の作品に助演した。制作座はのちに解散し、関西芸術座の創立メンバーを経てフリーとなる。 テレビドラマでは、NHK大河ドラマ『太閤記』(1965年)、『新・平家物語』(1972年)、『元禄太平記』(1975年)や、特撮テレビドラマ『忍者キャプター』(1976年)などにレギュラー出演した。
日下 章(くさか あきら、1927年7月22日 - 2004… 日下 章(くさか あきら、1927年7月22日 - 2004年1月10日)は兵庫県尼崎市出身のプロ野球選手、政治家。
蔭木 英雄(かげき ひでお、1927年3月30日 - 201… 蔭木 英雄(かげき ひでお、1927年3月30日 - 2017年9月 )は、日本の漢文学者、相愛大学名誉教授。 兵庫県神戸市湊東区荒田町生まれ。陸軍士官学校在学中肺結核に罹り陸軍病院で療養中に禅に触れる。1947年国立兵庫療養所で所内の参禅会に入り、青原寺和尚より英種居士の法名を受ける。1948年兵庫県揖保郡太市小学校助教諭、小・中・高校(全日制・定時制)に勤務しつつ1959年関西大学二部文学部東洋文学科卒、1970年同大学院博士課程満期退学、1975年「五山詩史の研究」で文学博士。相愛女子大学助教授、相愛大学教授、1995年定年退職、名誉教授。
大国 正巳(おおぐに まさみ、1927年2月20日 - )は… 大国 正巳(おおぐに まさみ、1927年2月20日 - )は、日本の経営者。山陽電気鉄道社長、会長を務めた。 兵庫県出身。1950年に関西大学法学部を卒業し、同年に山陽電気鉄道に入社した。1981年6月に取締役に就任し、1984年6月に常務、1987年6月に専務、1990年6月に副社長を経て、1992年6月に社長に就任。社長在任時には、1995年の阪神・淡路大震災の際には、鉄道の復旧の指揮を執り、阪神電気鉄道との直通特急を実現させた。1999年6月に会長に就任し、2001年6月には相談役に就任。 1996年4月に藍綬褒章を受章し、2001年11月に勲三等瑞宝章を受章。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
西 貞三郎(にし ていさぶろう、1927年 -2012年6月… 西 貞三郎(にし ていさぶろう、1927年 -2012年6月30日)は、日本の銀行家で住友銀行副頭取。 1946年和歌山県立和歌山商業学校卒業後に住友銀行に入行し、1953年関西大学経済学部卒業。 商業高校出身のノンキャリア組としては異例の出世を果たし、新宿支店長などを経て、住友銀行副頭取を歴任した。しかし、イトマン事件により1990年に副頭取を退任した。 ・日本経済新聞社編『ドキュメント イトマン・住銀事件』日本経済新聞社、1991年。
安藤 貞雄(あんどう さだお、1927年-2017年3月31… 安藤 貞雄(あんどう さだお、1927年-2017年3月31日)は、日本の言語学者、英語学者である。広島大学名誉教授。
大西 昭男(おおにし あきお、1926年12月29日 - 2… 大西 昭男(おおにし あきお、1926年12月29日 - 2005年2月26日)は、英文学者。関西大学名誉教授。専門はヘンリー・ジェイムズ。 大阪府出身。1943年(昭和18年)大阪市立天王寺商業学校を卒業、1947年(昭和22年)関西大学専門部国漢科卒業。1951年(昭和26年)京都大学文学部英文科卒業、関西大学文学部助手、専任講師、助教授、1963年(昭和38年)教授、文学部長、1979年(昭和54年)学長、5期務め1994年(平成4年)退任。 1979年(昭和54年)「ヘンリー・ジェイムズの文学」で関西大学文学博士。関西大学名誉教授、学校法人関西大学理事長を務めた。 関西大教授の谷沢永一と親しく、学長選では谷沢が参謀となった。
西風 勲(にしかぜ いさお、1926年12月2日 - 202… 西風 勲(にしかぜ いさお、1926年12月2日 - 2023年5月16日)は、日本の政治家、社会運動家。元衆議院議員(1期)。関西大学卒業。 父・金之助は鉄工所勤務から1947年の第一回統一地方選挙で大阪市議会議員に当選(日本社会党→右派社会党→日本社会党→民主社会党→日本社会党)、7期務めた。 勲は1926年(大正15年)に大阪府で生まれ、大阪貿易学院を卒業。1950年代から大阪を基盤に社会党青年部で活動し、左派社会党青年部時代は社会主義協会色の強い左社綱領草案に反対し清水私案支持で論陣を張った。1954年(昭和29年)左派社会党本部青年部長に当選し上京、両社合同に二年遅れて青年部が統一すると、本部青年部長に選出される。
坂上 守男(さかがみ もりお、1926年10月28日 - 2… 坂上 守男(さかがみ もりお、1926年10月28日 - 2004年5月11日)は、日本の実業家。元京都新聞社代表取締役会長。山口県出身。 1950年に関西大学経済学部を卒業。1952年に京都新聞に入社し、社会部記者として活躍。人事部長、総務局長、専務などを経て1983年には代表取締役社長。1995年から会長を兼務し、1999年に代表取締役会長専任及び日本新聞協会副会長に就任した。2003年に相談役。 1997年からは関西大学経済人クラブ会長も務めた。京都府観光連盟及び京都市観光協会の会長を歴任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
中谷 鉄也(なかたに てつや、1926年(大正15年)5月1… 中谷 鉄也(なかたに てつや、1926年(大正15年)5月1日 – 1992年(平成4年)3月20日)は、昭和期の弁護士、政治家。衆議院議員。位階は正五位。 満州鉄嶺で陸軍将校・中谷亮一の長男として生まれる。1931年(昭和6年)に父の死去に伴い本籍地和歌山県伊都郡高野口町大字大野(現橋本市)に移った。名古屋陸軍幼年学校を経て陸軍士官学校(59期)に進み、終戦により1945年(昭和20年)8月31日に修業した。 1946年(昭和21年)関西大学法学部に入学。1948年(昭和23年)高等試験司法科試験に合格し、同年、関西大学を中退した。極東国際軍事裁判弁護人を務め、日本労働組合総評議会(総評)弁護団に加わった。
神吉 俊和(かんき としかず、1926年3月24日 - 20… 神吉 俊和(かんき としかず、1926年3月24日 - 2002年3月26日)は、兵庫県明石市出身のプロ野球選手。 明石中学校から関西大学に入学。1950年には春のリーグで最高殊勲選手を受賞する。 1951年に大洋ホエールズへ入団。1953年に引退。 その後、大都魚類の取締役を務めていた。 2002年に肺炎のため死去。 1男1女の父であり、それぞれ医者になっている。 ロビンスの選手時代に監督であった小西得郎が長男の名付け親である。 この項目は、野球選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ野球選手/P野球)。
土居 君雄(どい きみお、1926年3月23日 - 1990… 土居 君雄(どい きみお、1926年3月23日 - 1990年10月2日)は、日本の実業家。ドイ(カメラのドイ)創業者。広島県広島市出身。 1943年、関西甲種商業学校(現関西大学第一高校)卒業。戦後大阪で伯父の写真材料会社に勤務。左前となったため1956年、妻の郷里・福岡県福岡市で土居商店として独立した。当初は問屋から製品を仕入れ小売店に納入する二次卸だった。メーカー直結の問屋が流通経路を牛耳る時代、新参者が食い込む隙はなく苦戦。悩んだ末、末端の写真館やDPE店、土産物屋へのダイレクトメールを思いつく。これも当時は簡単に資料が集められず、市町村役場の商工係にアンケート用紙を送り顧客名簿を作成した。
青木 一三(あおき いちぞう、1926年 - 1994年3月… 青木 一三(あおき いちぞう、1926年 - 1994年3月17日)は、日本のプロ野球選手スカウト。大阪府生まれ。関西大学卒業。「マムシの一三」と呼ばれた。
金 石範(きん せきはん、キム・ソクポム、김 석범、1925… 金 石範(きん せきはん、キム・ソクポム、김 석범、1925年10月2日 - )は、在日朝鮮人の作家。「慎洋根」を本名としており、本貫は居昌慎氏。朝鮮語では「金石範」と同じく「キム・ソクポム」と読む「金錫範」という名前も使っている。妻は久利定子(久益定子とも)。 済州島出身の両親の元で大阪市猪飼野で生まれた。戦時中に済州島で暮らし、朝鮮独立を目指す人々と知り合う。1945年、大阪で終戦を迎えた。直後にソウルに渡るも、1946年に日本に戻り、その後日本で暮らすようになる。関西大学専門部経済学科、京都大学文学部美学科卒業。 日本に戻った直後の1948年4月3日、故郷の済州島で、南側単独選挙に反対する左派島民の武装蜂起が起こる。
鷲見 康夫(すみ やすお、1925年4月11日 - 2015… 鷲見 康夫(すみ やすお、1925年4月11日 - 2015年10月12日)は、日本の抽象画家。 1925年(大正14年)、大阪府に生まれる。7歳のときに彦根に引っ越す。関西大学専門部経済科(旧制)、および立命館大学専門部経済科(旧制)を卒業後、大阪市立高等学校・中学校で美術と英語、社会科の教師となる。建設省建設大学校(建設美学)、大同工業大学(造形・意匠)、宝塚造形芸術大学、名古屋芸術大学(現代美術)、関西大学(絵画)などでも講師を務めた。1954年(昭和29)、中学の同僚の嶋本昭三の勧めにより第7回芦屋市展に作品を出典する。この時に吉原治良と知り合い、その後吉原に絵画を習うようになる。1955年(昭和30年)に具体美術協会に加入した。
秦 豊(はた ゆたか、1925年2月6日 - 2003年7月… 秦 豊(はた ゆたか、1925年2月6日 - 2003年7月29日)は、日本のニュースキャスター、政治家。参議院議員(2期)。 1925年愛媛県西条市に生まれる。1945年旧制関西大学専門部経済学科中退、NHKに入局し記者、アナウンサーとなる。 1950年レッドパージによりNHKを退職。翌1951年ラジオ九州入社。1957年同局で日米会談特派員、報道課長、制作部長、論説委員などを歴任。 1966年文化放送ニュースキャスター。1967年4月 - 1971年3月日本教育テレビニュースキャスター。夕方のANNニュース→ANN 夜のワイドニュースメインキャスター。1972年5月日本教育テレビの沖縄復帰記念式典中継特別番組の司会を務める。
鶴田 浩二(、1924年〈大正13年〉12月6日 - 198… 鶴田 浩二(、1924年〈大正13年〉12月6日 - 1987年〈昭和62年〉6月16日)は、日本の俳優、歌手。 昭和を代表する映画俳優の一人として数多くの映画やドラマに主演。戦後派として登場し、甘さと翳りを兼ね備えた天賦の美貌で一躍トップスターに躍り出た。若いころは絶世の美男子としてアイドル的人気を博したが、中年期からは任侠映画や戦争もので見せた渋い魅力で、日本映画界を代表するスターとして長らく君臨した。また、歌手としても独特の哀愁を帯びた声と歌唱法で知られた。 兵庫県西宮市出生。戸籍上の出身地は、静岡県浜松市。本名は小野 榮一()。 西宮時代、父と母が結婚していなかったのは、鶴田の父である大鳥の家が鶴田の母との婚姻を許可しなかったためである。
河村 良彦(かわむら よしひこ、1924年9月21日 - 2… 河村 良彦(かわむら よしひこ、1924年9月21日 - 2010年1月12日)は、日本の実業家。住友銀行(現:三井住友銀行)常務取締役を経て、イトマン社長を務めた。 1924年、6人兄弟の末っ子として山口県に生まれる。山口商業学校(戦後の商業高等学校に相当する学校)を1942年に卒業して、住友銀行に「ノンキャリア」行員として入行した。 磯田一郎(後に住友銀行頭取)は、住友銀行専務取締役だった1972年に、ノンキャリア行員ながら既に頭角を現していた河村について、下記の趣旨を述べている。 住友銀行下関支店へ配属の後、召集され中国大陸での転戦を経て復員。大阪市内の営業店へ転勤となる傍ら、働きながら関西大学経営学部(夜間)に7年間通い、1953年に卒業した。
谷岡 太郎(たにおか たろう、1924年8月17日 - 20… 谷岡 太郎(たにおか たろう、1924年8月17日 - 2007年5月1日)は、日本の学校経営者、学校法人谷岡学園総長、大阪商業大学学長、大阪女子短期大学学長、中京女子大学学長、中京女子短期大学学長などを務めた。 奈良県生まれ。父は、大阪商業大学創立者の谷岡登。[要出典] 1950年に関西大学法学部を卒業し、大学院法学研究科に進み、1953年に中退。 1967年、大阪商業大学附属高等学校(後の大阪商業大学高等学校)第7代校長に就任し、1969年8月まで在任した。 1970年に学校法人清陵学園の理事長に就任し、1986年まで在任。 1974年12月、谷岡登の死去に伴い、学校法人谷岡学園理事長、大阪商業大学学長、大阪女子短期大学学長に就任。
小久保 実(こくぼ みのる、1923年9月25日-2011年… 小久保 実(こくぼ みのる、1923年9月25日-2011年6月21日)は、日本現代文学の研究者。 大阪府生まれ。関西大学卒、同大学院博士課程単位取得満期退学。関西大学、関西外国語大学助教授、園田学園女子短期大学助教授、大谷女子大学教授、帝塚山学院大学教授・名誉教授を務めた。堀辰雄を中心として現代日本文学を多く論じた。
山岡 一三(やまおか いちぞう、1923年(大正12年)4月… 山岡 一三(やまおか いちぞう、1923年(大正12年)4月2日 - 1996年(平成8年)2月25日)は、日本の土木工学者であり、教育者でもある。建設省を経て関西大学工学部教授。国際ジオシンセティックス名誉会員。岡山県高梁市出身。 1923年(大正12年)、岡山県上房郡(現:高梁市)の山岡信治郎の子として出生する。1942年(昭和17年)地元の旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)を卒業し、同年、山口県にある旧制山口高等学校理科へ進学する。 その後、同校を1945年(昭和20年)に卒業し、同年、京都帝国大学工学部へ進学。その直後日本は第二次世界大戦に敗北。戦後の混乱の中、1947年(昭和22年)山岡は3年次途中で卒業扱いとなり、同大学を卒業し、建設省へ入省する。
大前 朔郎(おおまえ さくろう 1922年10月1日 - 2… 大前 朔郎(おおまえ さくろう 1922年10月1日 - 2005年6月13日)は、日本の教育者、関西学院大学名誉教授、[経済学者] 京都府出身。1945年(昭和20年)関西学院大学経済学部卒業。後に関西学院大学経済学部教授となり、1952年(昭和27年)には撓競技同好会(翌年剣道部に改名)の部長も務めた。イギリスの社会政策学などに関連する翻訳、著作等を多数執筆した。 2005年(平成17年)6月13日、兵庫県西宮市の病院で死去。享年82歳。
原 曻(はら のぼる、1922年(大正11年)5月8日 - … 原 曻(はら のぼる、1922年(大正11年)5月8日 - 2016年(平成28年)2月14日)は、日本の政治家。大阪府岸和田市長。大阪府市長会顧問。 大阪府岸和田市出身。元特攻隊隊員。1956年(昭和31年)関西大学経済学部を卒業後、岸和田市役所に入る。1962年(昭和37年)青少年課長、1965年(昭和40年)職員課長、1970年(昭和45年)総務部長と昇進を続け、1973年(昭和48年)の岸和田市長選挙に立候補、社会党と共産党の推薦を得て、当時4選を狙っていた自民推薦の現職・中澤米太郎を破り初当選する。泉州地域では初めて社共共闘による革新市長が誕生した。 定住外国人(主に在日朝鮮人)への地方参政権付与を認める決議を採択し、韓国の当時の大統領盧武鉉より修交勲章崇礼章を授与された。
工藤 精一郎(くどう せいいちろう、1922年4月25日 -… 工藤 精一郎(くどう せいいちろう、1922年4月25日 - 2008年7月9日)は、日本のロシア文学者、翻訳家。本名は、工藤 精一(くどう せいいち)。日本ロシア文学会会員。 福島県生まれ。福島中学(現福島県立福島高等学校)卒業。ハルピン学院卒業。日ソ文化交流機関講師、関西大学教授等を務めた。 数多くのロシア文学・ロシア語文献を翻訳した。
市川 重幸 (いちかわ しげゆき、1922年2月1日- 19… 市川 重幸 (いちかわ しげゆき、1922年2月1日- 1987年12月22日)は、日本の実業家、象印マホービン代表取締役社長、全国魔法瓶工業組合第3代理事長。大阪府出身。学位は法学士(関西大学・1944年)。栄典は藍綬褒章、従5位勲四等旭日小綬章。 1922年(大正11年)2月1日、象印マホービン創業者の市川銀三郎の子として大阪府に生まれた。 1944年(昭和19年)関西大学法学部政治学科を卒業後、同年12月に歩兵第22連隊入営。甲種幹部候補生試験合格後、浜松陸軍飛行学校入校。1945年(昭和20年)10月、陸軍少尉で除隊。 1951年(昭和26年)に取締役を経て、1961年(昭和36年)社長就任後、「象印」のブランド名を冠し、社名を象印マホービン株式会社に変更。
合力 栄(ごうりき さかえ、1922年 ‐ 2012年)は、… 合力 栄(ごうりき さかえ、1922年 ‐ 2012年)は、日本の商学者、(商学総論)。元 八幡大学 (現 九州国際大学)学長。佐賀県出身。 その後熊本学園大学教授、日本経営診断学会顧問、日本中小企業学会理事副会長などを勤める。 アララギ会に所属した事があり斎藤茂吉と九州の関係性を研究した書がある。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
上田 繁潔(うえだ しげきよ、1921年10月16日 - 2… 上田 繁潔(うえだ しげきよ、1921年10月16日 - 2011年5月20日)は、日本の政治家。第10代~第12代奈良県知事。 奈良県奈良市生まれ。旧制小学校を卒業後、奈良県庁で働きながら夜間の旧制金鐘中学(現:東大寺学園中学校・高等学校)に通学し、1946年関西大学経済学部卒業。奈良県庁に再度入庁し、各課長、総務部長を歴任、1975年下位副知事の後を受け副知事に就任した。 1980年9月、奥田良三知事が健康上の理由で辞任を表明すると、副知事を務めていた上田繁潔が10月の知事選挙に立候補して当選した。奈良県知事を3期11年余り務め、在任期間の後半はバブル景気に恵まれた。1988年に開催されたなら・シルクロード博覧会では、主催団体だった「財団法人なら・シルクロード博協会」の会長を兼任し、成功した。
平石 磨作太郎(ひらいし まさたろう、1921年10月9日 … 平石 磨作太郎(ひらいし まさたろう、1921年10月9日 - 1992年12月23日)は、日本の政治家。公明党衆議院議員(5期)。 高知県長岡郡大豊町出身。1943年関西大学専門部法律学科卒。東豊永村農業協同組合長を経て、高知市役所に入り、財政課長、厚生部長などを歴任する。公明党高知県本部に入り、1974年5月の参院補選と7月の通常選挙に高知県から公明党公認で立候補したが落選。1976年の第34回衆議院議員総選挙で高知県全県区から立候補して初当選。連続5期務めた。1990年の総選挙に立候補せず、政界から引退する。 1991年11月の秋の叙勲で、勲二等瑞宝章受章。 1992年12月23日、死去。
東井 正美(とおい まさみ、1921年9月10日 - 201… 東井 正美(とおい まさみ、1921年9月10日 - 2016年8月4日)は、日本の経済学者。関西大学名誉教授。専門は農業経済学。 大阪府生まれ。旧制金鐘中等学校、1947年関西大学経済学部を卒業。京都大学大学院経済学研究科で山岡亮一の下農業経済学を専攻し、1950年より母校の関西大学経済学部で教鞭を執り、1961年教授就任。『日本の農業政策』で経済学博士の学位を取得。1996年勲三等瑞宝章受章。 アメリカ農業問題に関して先駆的業績を残し、日本農業経済学会理事、関西農業経済学会(現:地域農林経済学会)副会長などを歴任。関西大学では経済学部長を務め、学長事務代行を一時兼務するなどして、大学紛争の収拾に奔走した。
中 義勝(なか よしかつ、1921年8月25日 - 1993… 中 義勝(なか よしかつ、1921年8月25日 - 1993年10月28日)は大阪府出身の法学者。専門は刑法。1946年(昭和21年)、関西大学法文学部卒業後、同大学法学部教授、学長。恩師は植田重正。 出世作は『輓近錯誤理論の問題点』。『間接正犯』では、安易に間接正犯を認める通説を厳しく批判した。『誤想防衛論』では、団藤説を厳しく批判した。 主観的違法要素と間接正犯を巡る中=中山論争は有名。『刑法上の諸問題』は重要な論文集。教科書として『講述犯罪総論』がある。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
謝希徳(しゃ きとく、1921年3月19日 – 2000年3… 謝希徳(しゃ きとく、1921年3月19日 – 2000年3月4日)は中国の物理学者。1983年から1989年まで復旦大学の学長を務め、1989年から亡くなるまで大学顧問を務めた。同大学のアメリカ研究センターの設立を援助し、1977年に現代物理学研究所を設立した。 1982年から1992年まで中国共産党中央委員会の委員も務めた。 中国南東部の福建省泉州市出身。教育を重視する家庭に生まれた。父の謝玉銘はシカゴ大学でPh.D.を取得し、北京の燕京大学で教鞭をとっていた。 子供のころは北京で過ごした。1942年、厦門大学で物理学、数学の勉強を開始し、1946年に卒業した。上海大学で1年間教鞭をとり、アメリカのスミス大学で物理学の修士課程で勉強する奨学金を得ることができ、1949年に卒業した。
伊賀 定盛(いが さだもり、1921年(大正10年)2月28… 伊賀 定盛(いが さだもり、1921年(大正10年)2月28日 - 1990年(平成2年)9月1日)は、昭和期の労働運動家、政治家。衆議院議員(4期)、兵庫県城崎郡余部村長。 兵庫県城崎郡余部村(香住町を経て現香美町)出身。1944年(昭和19年)関西大学法文学部卒業。その後、中央大学でも学んだ。従軍し陸軍主計少尉で除隊した。 1947年(昭和22年)余部村長に初当選。兵庫県立豊岡高等学校教諭を務め兵庫県高等学校教職員組合但馬支部書記長に在任。1950年(昭和25年)兵庫県議会議員に初当選し、以後3期務める。兵庫県議会日本社会党議員団幹事長、兵庫県日本社会党県本部副委員長などを歴任した。 1967年(昭和42年)第31回衆議院議員総選挙で旧兵庫5区に日本社会党公認で立候補し初当選。
金 英煥(キム・ヨンファン、김영환、1921年1月8日 - … 金 英煥(キム・ヨンファン、김영환、1921年1月8日 - 1954年3月4日)は、大韓民国の軍人。韓国空軍創設者の1人。父に金埈元。兄に金貞烈。 1921年1月 に生まれる。1939年3月、京畿公立高等学校卒業。卒業後は津田沼飛行学校に入学。1944年、関西大学入学。航空部におり、学生航空の鳥人として有名であったという。1945年、学徒出陣して陸軍予備士官学校に入学。卒業後は砲兵少尉となり咸興地区で終戦を迎えた。 1946年1月、軍事英語学校卒業、任少尉(軍番10016番)。第6連隊の創設に参加して同連隊A中隊長。隊員の多くが共産主義で意見が合わず、ついに集団で殴打される事件が起きると中隊長を辞した。
有坂 隆道(ありさか たかみち、1921年1月2日 - 20… 有坂 隆道(ありさか たかみち、1921年1月2日 - 2004年6月18日)は、日本の歴史学者、関西大学名誉教授。専門は日本近世史。 1921年、東京生まれ。京都帝国大学文学部史学科で国史を専攻して卒業。1979年に学位論文『日本洋学史の基礎的研究』を関西大学に提出して文学博士の学位を取得。関西大学文学部助教授、後に教授。1992年に関西大学を定年退職し、名誉教授となった。 山片蟠桃や麻田剛立など日本洋学史を研究。古代史研究も行う。
李 一珪(イ・イルギュ、1920年12月16日 - 2007… 李 一珪(イ・イルギュ、1920年12月16日 - 2007年12月2日)は、大韓民国の第10代大法院長。本貫は韓山李氏(朝鮮語版)。 1943年9月、関西大学専門部第二部法科を卒業後、関西大学法文学部に進学するも同年11月学徒出陣し、高射砲陣地で終戦を迎えた。1948年第2回朝鮮弁護士試験に合格し、大邱地方法院(地方裁判所)、光州高等法院(高等裁判所)などで裁判官を歴任。1975年の人民革命党事件裁判では、大法院判事として被告人の死刑判決決定に際し唯一の少数意見を表明した。1988年には第10代大法院長(日本の最高裁長官に相当)に任命された。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
瓜生 清(うりう きよし、1920年(大正9年)10月26日… 瓜生 清(うりう きよし、1920年(大正9年)10月26日 - 1970年(昭和45年)11月9日)は、昭和期の労働運動家、政治家。参議院議員。 大阪府出身。1942年(昭和17年)関西大学専門部を卒業した。兵役に従事。 復員後、織布会社に入社。1949年(昭和24年)労働運動に加わり主に繊維産業対策に従事。大阪府地方労働委員、社会保障診療報酬支払基金理事、社会保障制度審議会(現社会保障審議会)委員などを務めた。 1965年(昭和40年)7月の第7回参議院議員通常選挙で全国区に民主社会党(民社党)公認で立候補して当選。民社党中央執行委員、同党選挙対策委員長、全国繊維産業労働組合同盟(のちゼンセン同盟)顧問などを務めた。
平野 喜八郎(ひらの きはちろう、1920年〈大正9年〉8月… 平野 喜八郎(ひらの きはちろう、1920年〈大正9年〉8月21日 - 2010年〈平成22年〉10月24日)は、日本の政治家。元岐阜県各務原市長。岐阜県郡上市(旧・郡上郡大和町)出身。
芳本 甚二(よしもと じんじ、1920年〈大正9年〉7月23… 芳本 甚二(よしもと じんじ、1920年〈大正9年〉7月23日 - 2014年〈平成26年〉7月5日)は、日本の政治家。元奈良県御所市長(5期)。位階は正五位。勲四等瑞宝章。 奈良県出身。1943年〈昭和18年〉関西大学法学部卒。1946年〈昭和21年〉福助足袋に入社。1952年〈昭和27年〉に退社し、家業の芳本商店を継ぐ。1978年〈昭和53年〉御所市長選挙に立候補し、初当選する。市長を5期務め、任期途中の1996年〈平成8年〉に退任した。1997年叙勲で勲四等瑞宝章を受章。2014年〈平成26年〉死去。死没日付をもって正八位から正五位に進階。
金春 信高(こんぱる のぶたか、1920年(大正9年)4月1… 金春 信高(こんぱる のぶたか、1920年(大正9年)4月12日 - 2010年(平成22年)8月7日)は、シテ方金春流能楽師。七十九世金春流宗家。 七十八世金春八条(光太郎)の長男として奈良に生まれる。1942年に関西大学専門部第二部国漢科卒業。1951年に宗家を継承。1956年東京に拠点を移す。東京における流派の活動基盤整備を進めるとともに、金春流では廃絶していた能演目を復曲して流勢挽回を図った。また謡本の刊行を担当し、他流に比べて遅れていた謡本の改訂を行った。女性能楽師の育成にも尽力。能楽協会理事長・日本能楽会会長を歴任。1990年4月、勲四等瑞宝章。2010年パーキンソン症候群のため死去。
杉原 四郎(すぎはら しろう、1920年(大正9年)3月30… 杉原 四郎(すぎはら しろう、1920年(大正9年)3月30日 - 2009年(平成21年)7月24日)は、日本の経済学者・思想史家。専攻は経済学史・社会思想史・経済思想史。甲南大学・関西大学名誉教授。 京都市で生まれる。1929年第三高等学校を卒業し、京都帝国大学経済学部に進学。柴田敬のゼミナールで学んだ。1941年に学士試験に合格し、翌年卒業。 1942年から京都帝国大学経済学部助手を務めた。1950年に退官し、関西大学経済学部教授に転じた。在任中は同学部長も務めた。1956年、学位論文『ミルとマルクス:現代経済思想の二大源流に関する比較研究』を関西大学に提出して経済学博士号を取得。1970年に関西大学を退職し、名誉教授となった。
中河 美芳(なかがわ みよし、 1920年2月22日 - 1… 中河 美芳(なかがわ みよし、 1920年2月22日 - 1944年7月12日)は、鳥取県鳥取市出身のプロ野球選手(一塁手、投手)である。
金谷 治(かなや おさむ、1920年2月20日 - 2006… 金谷 治(かなや おさむ、1920年2月20日 - 2006年5月5日)は、日本の東洋学者。専門は、中国哲学、特に中国古代思想史)。2003年勲二等瑞宝章受章。 1920年、三重県阿山郡上野町(現・伊賀市)生まれ。早くに両親を亡くし、兄弟の庇護の下、関西大学第二商業学校、関西大学専門部国漢文専攻科で学んだ。在学中、石濱純太郎に師事。石濱の勧めにより武内義雄が在任していた東北帝国大学法文学部文科に進学し師事した。しかし太平洋戦争の戦況悪化を受け、1944年9月に学徒出陣で東北帝国大学を繰り上げ卒業し入隊、大陸に出征した。 復員後、大学院に復学、旧制弘前高等学校嘱託講師となった。1948年、東北大学法文学部講師となり、武内義雄が退官し、しばらく空席になっていた支那学第一講座を引き継いだ。
金 璿(キム・ソン、1920年 - 2004年)は、大韓民国… 金 璿(キム・ソン、1920年 - 2004年)は、大韓民国の第19代法務部次官。 1943年9月関西大学専門部法科を卒業後、1944年6月関西大学法文学部中退。朴正煕維新体制時代の1973年〜1974年まで第19代法務部次官を務めた後、1990年代後半には大韓弁護士協会会長などを歴任した。