石井 謙三(いしい けんぞう、1899年(明治32年)10月… 石井 謙三(いしい けんぞう、1899年(明治32年)10月7日 - 没年不明)は、日本の政治家。広島県松永市(現・福山市)長(2期)。 広島県松永町(のち松永市、現・福山市)出身。1918年(大正7年)旧制広島県立福山中学校(現・広島県立福山誠之館高等学校)卒業。旧制第六高等学校を経て、1925年(大正14年)東京帝国大学文学部英文学科卒業。翌年広陵中学校(現・広陵高等学校)教諭を経て、熊本県立中学済々黌(現・熊本県立済々黌高等学校)教諭、1929年(昭和4年)佐賀県立武雄中学校(現・佐賀県立武雄青陵中学校・武雄高等学校)、同佐賀中学校(現・佐賀県立佐賀西高等学校)、山口県立豊浦中学校(現・山口県立豊浦高等学校)各教諭を経て、1942年(昭和17年)山口県立萩中学校(現・山口県立萩高等学校)校長となる。
古野 清人(ふるの きよと、1899年10月6日 - 197… 古野 清人(ふるの きよと、1899年10月6日 - 1979年3月1日)は、日本の宗教社会学者。 1899年、福岡県生まれ。1921年(大正10年)3月、第三高等学校卒業。1926年、東京帝国大学文学部宗教学科を卒業。卒業後は、1928年11月から翌2月まで東京帝国大学付属図書館嘱託となる。1929年3月からは帝国学士院事務嘱託として勤務していたが、1940年10月に南満州鉄道東亜経済調査局嘱託となる。1943年1月18日に勅令第20号「民族研究所官制」によって民族研究所が文部省傘下の研究施設として設立されると移籍し、第3部(中部・西部アジア)・第5部部長(東南アジア・インド太平洋圏)を兼任した。
兎束 武雄(うづか たけお、1899年(明治32年)10月6… 兎束 武雄(うづか たけお、1899年(明治32年)10月6日 - 1969年(昭和44年)9月18日)日本の音楽家、教育者。バイオリニストで元東京芸術大学教授の兎束龍夫は実弟。 長野県上田市松尾町の銀行家兎束鐘一郎の長男として生まれる。1912年(大正元年)3月上田尋常小学校卒業。1919年(大正8年)3月旧制東京芝高輪中学校卒業、4月旧制青山学院入学。在学中に東京楽器研究所入所(山田耕筰主宰)セロ科3年修了。その後も山田耕筰のもとで学ぶ。東洋音楽学校(現東京音楽大学)中退。 1921年(大正10年)志願兵として高田輜重大隊入隊。1922年(大正11年)関東大震災で山田耕筰のオーケストラが解散となり上田へ帰郷。
林田 哲雄(はやしだ てつお、1899年(明治32年)10月… 林田 哲雄(はやしだ てつお、1899年(明治32年)10月6日 ‐ 1958年(昭和33年)2月14日) は、大正から昭和期の農民運動家・政治家。衆議院議員。 愛媛県周桑郡小松村新屋敷(小松町新屋敷を経て現西条市小松町新屋敷)で、明勝寺住職・林田孝純の二男として生まれた。幼くして父が死去し母に養育された。小松小学校、西条中学校(現愛媛県立西条高等学校)を経て大谷大学に進学。1922年(大正11年)全国水平社創立大会に参加し、大学を中退して帰郷し水平運動を起こした。 1922年設立の日本農民組合に1923年(大正12年)に加わり農民運動を推進し、1925年(大正14年)別子銅山大争議を支援した。
国会図書館(学術機関ポジトリデータベース) 杉平 顗智(すぎ… 国会図書館(学術機関ポジトリデータベース) 杉平 顗智(すぎひら しずとし、1899年(明治32年)10月5日 - 1984年(昭和59年)5月1日) 1899年(明治32年)10月5日 山梨県東山梨郡等々力村1582番地にて出生、父は了英、母はます。1984年(昭和59年)5月1日 山梨県東八代郡一宮町の病院にて85歳で死去。 京都大谷大学にて英文学など教える(英文学) 名古屋同朋大学(英文学) 1899年(明治32年)、山梨県勝沼町真宗大谷派仙光寺にて出生。 大正10年(真宗大谷大学専修科1年)の時 初秋 鈴木大拙博士に師事 1923年(大正12年)、大谷大学卒業。 1927年(昭和2年)、東京大学文学部英文科卒業。
山口 華楊(やまぐち かよう、1899年〈明治32年〉10月… 山口 華楊(やまぐち かよう、1899年〈明治32年〉10月3日 - 1984年〈昭和59年〉3月16日)は、山口華楊は日本画家。早くから動物画・花鳥画で知られ、戦後の京都画壇で中心人物の一人となった。 山口は1899年(明治32年)に京都市中京区で本名・米次郎として生まれた。父(安之助)は江戸時代からつづく友禅染めの彩色職人で、母親(なを)は京都市内で成功した絵具屋の娘だった。幼いころから絵を描くことを好み、5歳上の兄・松之助も後に玲熙(れいき)と号して菊池芳文に支持、帝展に入選を果たしている。 山口は1912年(明治45年)に京都市立格致尋常小学校を卒業すると、当時の日本画壇の大家だった西村五雲の画塾に入門する。
黛 治夫(まゆずみ はるお、1899年10月2日 - 199… 黛 治夫(まゆずみ はるお、1899年10月2日 - 1992年10月29日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大佐。ビハール号事件におけるBC級戦犯として禁錮刑に処された。 1899年10月2日、群馬県北甘楽郡富岡町(現富岡市)で、養蚕製糸業を営む父・治良と母・かよの長男として生れる。姉・邦子は後に内田市太郎(最終階級は海軍大佐)と結婚している。富岡中学校、横浜一中を経て、1919年10月、海軍兵学校(47期)を卒業し、少尉候補生として練習航海に出発。1920年8月1日、海軍少尉に任官。1925年11月、海軍砲術学校高等科を卒業、「伊勢」分隊長となる。1926年11月、海軍砲術学校教官兼分隊長に任命。
松本 重治(まつもと しげはる、1899年〈明治32年〉10… 松本 重治(まつもと しげはる、1899年〈明治32年〉10月2日 - 1989年〈平成元年〉1月10日)は、日本のジャーナリスト。財団法人「国際文化会館」(東京都港区六本木)の専務理事。理事長。アメリカ学会の会長。
川口 松太郎(かわぐち まつたろう、1899年(明治32年)… 川口 松太郎(かわぐち まつたろう、1899年(明治32年)10月1日 - 1985年(昭和60年)6月9日)は、日本の小説家、劇作家。本名を松田松一とする資料もある。東京市浅草区生まれ。芸道物、明治物、時代物、現代風俗物と広く執筆。巧みな筋立てと独自の話術で庶民情緒を描いた大衆小説で多くの読者を獲得した。また、松田昌一の名で映画・演劇脚本も手がけ、大映専務などを務めた。特に、新生新派の主事として自作小説の脚色や演出を担当、昭和期の新派に欠かせない人気作家となり、作品の多くは新派の代表的演目となった。第1回直木賞受賞者で、映画化され大流行した『愛染かつら』の作者としても知られる。芸術院会員。文化功労者。
野口 弥太郎(のぐち やたろう、野口 彌太郎、1899年10… 野口 弥太郎(のぐち やたろう、野口 彌太郎、1899年10月1日 - 1976年3月23日)は、日本の洋画家、日本芸術院会員。 東京本郷区生まれ。その後朝鮮の仁川、東京、長崎県諫早市、神戸と移り住む。1920年、関西学院中学部卒後、川端画塾に学び、1922年、二科展で初入選。1926年、「一九三〇年協会」会員となる。1929年、フランスに渡り、サロン・ドートンヌに出品。1933年、帰国、独立美術協会会員となる。戦後、1949年から日本大学芸術学部教授。以後独立展に出品を続け、1962年、国際形象展同人。1964年、「セビラの行列」で毎日芸術賞受賞、1970年、日大を辞める。1972年、紺綬褒章受章。
佐方 繁木(さかた しげき、1899年(明治32年)10月1… 佐方 繁木(さかた しげき、1899年(明治32年)10月1日 - 1954年(昭和29年)4月8日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 熊本県出身。熊本中学校(現熊本県立熊本高等学校)卒業を経て、1920年(大正9年)5月、陸軍士官学校(32期)を卒業。同年12月、騎兵少尉に任官し騎兵第19連隊付となる。1928年(昭和3年)12月、陸軍大学校(40期)を卒業した。 1929年(昭和4年)8月、騎兵大尉に昇進し騎兵第23連隊中隊長に就任。1930年(昭和5年)8月、参謀本部付勤務となり、参謀本部員、参謀本部付(支那研究員)、参謀本部員を務め、1935年(昭和10年)8月、騎兵少佐に進級。
安部 三代治(あべ みよじ、1899年〈明治32年〉10月1… 安部 三代治(あべ みよじ、1899年〈明治32年〉10月1日 - 1973年〈昭和48年〉)は、日本の俳人、実業家。号は東水。 鳥取県西伯郡車尾村(現・米子市車尾)出身。安部亀次郎の三男。1914年、高等小学校を卒業し、坂口平兵衛本店に勤務する。1920年、坂口合名会社に入社し、理事・支配人となる。 島根水産、三光冷蔵、米子交通各社長、坂口木材、山陰石油、日ノ丸総本社、日ノ丸自動車、大同木材工業、山陰スバル各取締役、米子電車軌道、米子林産各監査役、鳥取県経営者協会副会長、鳥取県地方労働委員会委員、米子市危険物保安協会会長などをつとめた。 趣味は読書、旅行、俳句。宗教は曹洞宗。住所は米子市久米町。
大島 新一(おおしま しんいち 1899年(明治32年)10… 大島 新一(おおしま しんいち 1899年(明治32年)10月1日 - 1979年(昭和54年)9月25日)は日本の政治家。石川県会議員(3期) 1899年10月鳳至郡櫛比村に生まれた。1914年3月櫛比尋常高等小学校高等科を卒業後、1915年1月輪島区裁判所門前出張所所属になり、1919年1月金沢地方裁判所所属の司法書士となった。1925年5月櫛比村会議員選挙に当選。1931年9月立憲民政党に属して石川県会議員選挙に当選、1935年再選され参事会員に選任されていた。1941年11月には副議長となった。副議長には1946年までつとめ県会議員としては1947年までその任にあたった。この間、1941年6月より門前町長として町政をとり1942年10月からは門前花業会長でもあった。
根岸 東一郎(ねぎし とういちろう、1899年〈明治32年〉… 根岸 東一郎(ねぎし とういちろう、1899年〈明治32年〉10月 - 1970年〈昭和45年〉)は、日本の元俳優、元映画監督、元脚本家である。本名同じ。 1899年(明治35年)10月、群馬県前橋市紅雲町に生まれる。 1917年(大正6年)旧制前橋中学校(現・群馬県立前橋高等学校)卒。明治学院から早稲田大学商学部へ進学して、卒業後は新劇団金星座に入り初舞台を踏む。1925年(大正14年)2月、日活京都撮影所に入社。同年、同撮影所第二部で製作された村田実・三枝源次郎共同監督による現代劇のサイレント映画『法を慕ふ女』に出演して映画デビューした。同社では現代劇俳優であった。 1928年(昭和3年)4月、マキノ・プロダクションに移籍。
引田 重夫(ひきた しげお、1899年(明治32年)10月 … 引田 重夫(ひきた しげお、1899年(明治32年)10月 - 没年不詳)は、日本の内務・厚生官僚。最後の官選岩手県知事。 北海道出身。引田楳太郎の二男として生まれる。第一高等学校を卒業。1923年12月、高等試験行政科試験に合格。1924年、東京帝国大学法学部を卒業。内務省に入省し大分県属となる。 以後、大分県速見郡長、同県社会課長、秋田県学務課長、同地方課長、福島県地方課長、同庶務課長、京都府庶務課長、宮崎県経済部長、厚生省職業部紹介課長、同業務課長、同職業局総務課長、長野県内政部長などを歴任。 1947年1月11日、岩手県知事に就任。県議会議員選挙、知事選挙などを執行して同年4月12日に知事を退任。
宮崎 謙太(みやざき けんた、1899年(明治32年)10月… 宮崎 謙太(みやざき けんた、1899年(明治32年)10月 - 1959年(昭和34年))は、日本の内務・文部官僚。官選佐賀県知事。 福岡県出身。第一高等学校を卒業。1923年、東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業。同年12月、高等試験行政科試験に合格。東京市に勤務した。 1926年、内務省に転じ石川県事務官となる。以後、愛知県事務官、神奈川県事務官、栃木県書記官・学務部長などを歴任。1939年4月、文部省に転じ同書記官・普通学務局学務課長に就任。その後、文部省大臣官房文書課長を務めた。さらに、岩手県書記官・総務部長、東京都官房長、同長官官房財務課長を歴任した。 1944年8月1日、佐賀県知事に就任。
大橋 理祐(おおはし りすけ、1899年(明治32年)10月… 大橋 理祐(おおはし りすけ、1899年(明治32年)10月 - 1954年(昭和29年)4月4日)は、大正から昭和前期の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。旧名・理三。 京都府京都市で西陣織物業・大橋理八の二男として生まれる。同志社大学経済科で学んだ。1925年(大正14年)家督を相続し理祐に改名した。 1923年(大正12年)陸軍歩兵少尉に任官し同中尉に昇進。退役後、家業の西陣織物業を営む。1930年(昭和5年)洋服部蝶屋商会を創業。その他、京都商工会議所副会頭、西陣織物工業組合理事長、全日本絹織物工業組合連合会理事、綾部製作所社長、(株) 三星取締役、京和商事取締役などを務めた。 日中戦争に出征し、留守第16師団副官、同司令部附、参謀本部調査事務嘱託などを務めた。
原 弘(はら ひろむ、1899年〈明治32年〉 9月29日 … 原 弘(はら ひろむ、1899年〈明治32年〉 9月29日 - 1974年〈昭和49年〉8月14日)は、日本の経営者。清水銀行頭取を務めた。 静岡県出身。1926年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、1930年3月に駿州銀行(のちの清水銀行)に入行。 1940年7月に常務、1947年2月に専務を経て、1971年4月には頭取に就任。 1974年8月14日に膵臓炎のために在任中に死去。74歳没。
小島 徹三(こじま てつぞう、1899年9月29日 - 19… 小島 徹三(こじま てつぞう、1899年9月29日 - 1988年1月10日)は、弁護士、日本の政治家。法務大臣。帝国弁護士会理事、 第一東京弁護士会常議員。位階は正三位。 自由党衆議院議員(1946年から10期)。日本自由党では政務調査会理事、司法部部長、民主党では総務委員、政務調査会理事、議員運営部部会長を務めた。自民党では芦田均派→岸信介派→福田赳夫派に所属した。 兵庫県養父郡八鹿町(現・養父市)出身。造り酒屋の小島久右衛門の三男として生まれる。八鹿小、豊岡中、第一高等学校、東京帝国大学法学部仏法科卒業。 1922年(大正11年)、高等文官試験外交科及び行政科に合格。その後弁護士を開業。 1946年(昭和21年)、第22回衆議院議員総選挙に兵庫2区から初当選。
尾島庄太郎(おじま しょうたろう、1899年〈明治32年〉9… 尾島庄太郎(おじま しょうたろう、1899年〈明治32年〉9月28日 - 1980年〈昭和55年〉3月24日)は、英文学者、早稲田大学名誉教授。 富山県出身。早稲田大学英文科卒。オックスフォード大学卒。早稲田大学助教授、1949年教授。1952年「イギリス文学におけるセルト的要素」(鷲尾 1952)で早大文学博士。1970年定年退任、名誉教授、立正大学教授、明星大学教授。アイルランド文学、イェーツを研究。日本イェイツ協会初代会長。
曺 奉岩(チョ・ボンアム、そう ほうがん、朝鮮語: 조봉암、… 曺 奉岩(チョ・ボンアム、そう ほうがん、朝鮮語: 조봉암、1899年9月25日または1898年9月 - 1959年7月31日)は、朝鮮の独立運動家、のちに韓国の政治家。本貫は昌寧曺氏(朝鮮語版)、号は竹山(チュクサン、죽산)。社会民主主義者で、第一共和国時代における革新政党である進歩党の委員長を務めた。 妻は活動家の金祚伊。姓の「チョ」は真ん中の部分が曲の「曹」ではなく由の「曺」。 京畿道江華郡(現在の仁川広域市)出身。農業補習学校を卒業し江華郡庁の職員として働くが、三・一独立運動に参加して投獄される。釈放後の1921年に日本へ留学し、正則英語学校を経て中央大学で一年間政治学を学び、朴烈らと共に在日朝鮮人による社会主義団体「黒濤会」を結成した。
堀 豊彦(ほり とよひこ、1899年9月24日 - 1986… 堀 豊彦(ほり とよひこ、1899年9月24日 - 1986年4月9日)は、日本の政治学者。東京大学名誉教授。日本基督教団の会員。オランダ通詞・堀達之助の曾孫。子に倫理学者・英学者の堀孝彦がいる。 山口県赤間に村田豊作、ナリの三男として生まれる。1912年に母方の姓の堀になる。1913年鹿児島のバプテスト教会で青木澄十郎から洗礼を受ける。鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)および第七高等学校造士館 (旧制)卒業。1924年東京帝国大学法学部を卒業する。1926年よりイギリスのオックスフォード大学とドイツに留学し、1929年帰国後に台北帝国大学教授に就任する。 1942年より九州帝国大学教授になる。
三井 義夫(みつい よしお、1899年9月22日 - 195… 三井 義夫(みつい よしお、1899年9月22日 - 1959年1月2日)は、日本の彫金家。号は為楽。帝展・新文展・日展で活動し、日本芸術院賞を受賞した。 東京府東京市中根岸に生まれる。初め彫金家土田勝業に学び、のち海野家の門をたたき、さらに海野清に師事した。 東京美術学校金工科選科彫金部に学び、1928年に卒業した。 1927年、第8回帝展に「楽園之図手箱」が入選し、以後も帝展・新文展などに継続して出品した。 昭和初期から戦後にかけて彫金界で活動し、工芸諸展にも作品を発表した。1956年、第11回日展出品作「彫金象嵌花器」により日本芸術院賞を受賞した。 また、光風会工芸部会員としても活動した。
篠田 統(しのだ おさむ、1899年9月21日 - 1978… 篠田 統(しのだ おさむ、1899年9月21日 - 1978年8月10日)は、日本の食物史学者。東アジア食物史の開拓者として知られる。栄養生理学から食物史研究に転じた。 大阪府出身。1923年京都帝国大学理学部化学科卒業、同大学院動物学科に入学。1926年から1928年までユトレヒト大学(オランダ)、ミュンヘン大学(ドイツ)、ナポリ水族館(イタリア)に留学。1928年ユトレヒト大学から学位授与。1929年、京都帝大講師、同年「昆虫の腸の分泌に就て」で京大理学博士。1938年、関東軍防疫技師として従軍し、1940年には北支軍軍医部所属として昆虫防疫に従事。1945年8月まで北京衛生試験所技師を勤め、同年12月に引き揚げた。
武田 一郎(たけだ いちろう、1899年9月21日 - 19… 武田 一郎(たけだ いちろう、1899年9月21日 - 1973年12月23日)は、日本の教育学者、教育行政家。 北海道出身。東京文理科大学卒。奈良女子高等師範学校教授、戦後は文部省視学官となり教育行政に携わる。のちお茶の水女子大学附属小学校長、1964年定年退官、お茶の水女子大学名誉教授、北海道学芸大学学長、十文字学園女子短期大学学長。
坂本 武(さかもと たけし、1899年(明治32年)9月21… 坂本 武(さかもと たけし、1899年(明治32年)9月21日 - 1974年(昭和49年)5月10日)は、日本の俳優。本名は永石 武平。 松竹蒲田撮影所で軽妙な脇役として活躍し、斎藤寅次郎監督らによる短篇喜劇映画に多く出演した。小津安二郎監督作品にも常連出演し、『出来ごころ』『浮草物語』などの「喜八もの」では主人公の喜八を演じて人気を得た。上記以外の出演作品に『カルメン故郷に帰る』『煙突の見える場所』など。 1899年(明治32年)9月21日、兵庫県赤穂郡坂越村(現在の赤穂市坂越)に、漁師の父・安吉と母・ます江の5人兄弟の長男として生まれる。坂越尋常高等小学校卒業後、大阪の時計店に勤めるうち、松旭斎天勝一座の奇術を観に行き、舞台からの呼びかけに奇術の相手として飛び入り出演する。
木村 岳風(きむら がくふう、1899年9月20日-1952… 木村 岳風(きむら がくふう、1899年9月20日-1952年7月1日)は、日本の吟道家。本名は松木 利次(まつき としつぐ)。日本詩吟学院の創設者で、近代吟詠の祖と称される。著書に『皇漢名詩の吟じ方』などがある。 長野県諏訪郡上諏訪町(現・諏訪市)生まれ。高島小学校を経て、旧制諏訪中学中退。上諏訪町役場ので勤務している際に、上司の上原栄から朗吟を習った。1922年に上京するが、関東大震災に際しての材木販売などで失敗するなど、商売での失敗が続いた。 一方で、教育者の伊藤長七が木村の吟詠の才能を見出し、伊藤が校長を務める東京府立第五中学校(現・小石川中等教育学校)の全校生徒の前で詩吟の講習を開かせたり、芸名を「嶽風」から「岳風」に改めさせた。
池見 茂隆(いけみ しげたか、1899年(明治32年)9月1… 池見 茂隆(いけみ しげたか、1899年(明治32年)9月18日 - 1973年(昭和48年)12月19日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員(1期)。 福岡県糟屋郡仲原村(現粕屋町)で、実業家・池見辰治郎の長男として生まれる。幼少期に福岡市博多柳町に転居した。福岡市立福岡商業学校(現福岡市立福翔高等学校)を経て、早稲田大学商科で学んだ。 その後、家業の池見合資会社社員、酒精会社重役となる。その他、大日本酒精監査役、大日本酒類醸造取締役、文化味噌社長、池見(合)代表社員、九州製作所社長なども務めた。 政界では福岡市会議員に在任した。1949年(昭和24年)1月の第24回衆議院議員総選挙で福岡県第1区から民主自由党公認で出馬して当選し、衆議院議員に1期在任した。
小笠原 道生(おがさわら みちなり、1899年(明治32年)… 小笠原 道生(おがさわら みちなり、1899年(明治32年)9月16日 - 1955年(昭和30年)11月27日)は、文部官僚。 和歌山県出身。小笠原誉至夫の長男として生まれた。旧制和歌山中学時代には野球部員として第1回および第2回の全国中等学校優勝野球大会に出場している。第四高等学校を経て東京帝国大学医学部に進み、1925年(大正14年)卒業。文部省に入り、体育官兼体育研究所技師、大臣官房体育課長を経て、体育局長となる。体育研究所長となり、戦時中に退官した。 戦後は大映監査役、同取締役、文部省厚生振興会会長、横綱審議委員を務めた。
砂野 仁(いさの まさし、1899年9月15日 - 1979… 砂野 仁(いさの まさし、1899年9月15日 - 1979年6月30日)は、日本の実業家。川崎重工業社長、会長を務めた。 京都府与謝郡加悦町出身。1926年に京都帝国大学経済学部を卒業し、1927年に川崎造船所に入社した。主に労務畑に携わり、1954年に川崎航空機副社長に就任し、同社の再建に尽力し、1959年に川崎重工業取締役に就任し、1961年12月に社長に就任した。1969年12月から1973年11月までに会長を務めた。 1969年6月から1976年11月までに神戸商工会議所会頭と日本商工会議所副会頭を務め、日本ルーマニア経済委員会会長、ソ連東欧貿易会会長、関西経済連合会常任理事なども歴任した。
岡本 忠雄(おかもと ただお、1899年(明治32年)9月1… 岡本 忠雄(おかもと ただお、1899年(明治32年)9月15日 - 1956年(昭和31年)12月18日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 広島県出身。1924年東京帝国大学英法科卒。札幌逓信局庶務課長、熊本逓信局経理課長、満洲国郵政総局副局長、同北安省次長、同総務庁地方処長を経て、運輸通信省海運総局総務局長、東京逓信局長、総裁官房考査室主査、参議院運輸委員会専門員となる。 1952年の第25回衆議院議員総選挙において広島3区で自由党公認で立候補して落選。翌1953年の第26回衆議院議員総選挙で当選した。1955年の第27回衆議院議員総選挙では日本民主党から立候補したが落選した。1956年12月18日死去、57歳。
赤木 鉄夫(あかぎ てつお、1899年〈明治32年〉9月14… 赤木 鉄夫(あかぎ てつお、1899年〈明治32年〉9月14日 - 没年不明)は、昭和時代前期の逓信官僚。陸軍司政長官。 伊勢次郎の三男として岡山県に生まれる。旧制岡山中学、旧制六高を経て、1924年(大正13年)に東京帝国大学法学部独法科を卒業する。逓信省に奉職し、同省経理局主計課勤務、釧路郵便局長、中央電話局府加入課長、札幌逓信局規画課長、広島逓信局監督課長、地方海員審判所審判官、東京地方逓信局海事部長、東京都市逓信局監督課長、中央航空研究所総務部長、貯金局総務課長、逓信書記官・逓信官吏練習所長を経て、1942年(昭和17年)8月、陸軍司政長官に就任した。1944年(昭和19年)8月、名古屋逓信局長に就任した。
野口 弥吉(のぐち やきち、1899年9月14日 - 200… 野口 弥吉(のぐち やきち、1899年9月14日 - 2002年2月23日)は、日本の作物学者、東京大学名誉教授。
坂本 幸男(さかもと ゆきお、のち改名して坂本日深(にちじん… 坂本 幸男(さかもと ゆきお、のち改名して坂本日深(にちじん)、1899年(明治32年)9月12日 - 1973年(昭和48年)2月10日)は、日蓮宗系の仏教学者、僧侶。 1899年、岡山県津島生まれ。日蓮宗不受不施派の家系。東京帝国大学文学部印度哲学科を卒業する。卒業後は東洋大学教授となる。1948年より立正大学仏教学部教授となり、翌1949年には学部長を務める。1954年、「慧苑の華厳教学の研究 特に教判論を中心として」で東北大学より文学博士の学位を取得。身延山久遠寺第84世・深見日円の弟子となり日深と改名。1966年立正大学に法華経文化研究所を設立して所長となる。1968年、立正大学学長に就任。
宮木 広大(1899年〈明治32年〉9月12日 - 没年不明… 宮木 広大(1899年〈明治32年〉9月12日 - 没年不明)は、昭和時代前期の拓務官僚、農商務官僚、台湾総督府官僚。 東京市に生まれる。第二高等学校を経て、1923年(大正12年)3月に東京帝国大学経済学部を卒業し、農商務省に入省し商務局属となる。翌年11月、高等試験行政科に合格。農商務省鉱山監督局書記官、商工事務官、拓務事務官、拓務書記官、拓務局事業課長、同局南洋課長、ブラジル赴任を経て、1940年(昭和15年)5月に新竹州知事に就任し、1942年(昭和17年)7月に台南州知事に転じた。1943年(昭和16年)退官した。 その後、台湾拓殖理事を務めた。戦後、公職追放となった。
牛山 栄治(うしやま えいじ、1899年9月12日 - 19… 牛山 栄治(うしやま えいじ、1899年9月12日 - 1979年2月11日)は、日本の教育者、歴史家。山岡鉄舟の研究の第一人者。 1899年、埼玉県に生まれる。16歳の頃から小倉鉄樹の薫陶を受けた。東京高等師範学校、次いで日本大学で日本史を専攻、卒業後は教育者として中等教育に従事する傍ら、山岡鉄舟の研究に打ち込み多数の著作を残した。 1947年(昭和23年)、東京都中学校長会が発足すると1957年まで副会長を務めたほか、1949年(昭和24年)には文化庁による第1期国語審議会の委員を務めるなど公的な組織にも参加した。 1966年(昭和41年)、日本大学豊山女子高等学校が開校すると初代学長に就任、1970年(昭和45年)まで務めた。
河野 貞子(こうの さだこ、1899年9月11日 - 198… 河野 貞子(こうの さだこ、1899年9月11日 - 1984年2月12日)は、日本の料理研究家。 山口県熊毛郡田布施村(現田布施町)出身。広島県立広島高等女学校卒業。1919年から十数年にわたり商社勤務の夫とともにアメリカ合衆国に滞在、料理と家事を研究。1930年帰国後、西洋料理の知恵を日本料理に取り入れながら新しい家庭料理を創出、テレビ番組でも人気だった。1981年勲五等宝冠章受勲。
谷川 一男(たにがわ / たにかわ かずお、1899年(明治… 谷川 一男(たにがわ / たにかわ かずお、1899年(明治32年)9月11日 - 1954年(昭和29年)1月17日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 福岡県出身。測量業・谷川常吉の息子として生まれる。小倉中学校(現福岡県立小倉高等学校)を経て、1921年(大正10年)7月、陸軍士官学校(33期)を卒業。同年10月、騎兵少尉に任官し騎兵第5連隊付となる。1924年(大正13年)10月、騎兵中尉に昇進し、1926年(大正15年)2月、兵科を航空兵に転科し航空兵中尉に任官。1929年(昭和4年)11月、陸軍大学校(41期)を卒業した。 1930年(昭和5年)12月、下志津陸軍飛行学校教官に就任。
村岡 四郎(むらおか しろう、1899年 <明治32年> 9… 村岡 四郎(むらおか しろう、1899年 <明治32年> 9月10日 - 1975年 <昭和50年> 5月28日)は日本の実業家。京阪電気鉄道社長、京福電気鉄道会長などを務めた。京阪中興の祖と呼ばれる[要出典]。位階は正四位。勲二等旭日重光章。 神奈川県橘樹郡城郷村(現在の横浜市港北区小机町)出身。立教中学校(現:立教池袋中学校・高等学校)、第三高等学校を経て東京帝国大学法学部を卒業。近畿日本鉄道(近鉄)社長を務めた佐伯勇は三高・東京帝大の後輩に当たる。1923年、京阪電気鉄道に入社。運輸部門でキャリアを積む。乗客掛長時代(1927年 - 1936年)には「琵琶湖周遊乗車船券」を発売して、琵琶湖鉄道汽船との競争を優位に導く。
平井 新(ひらい あらた、1899年9月10日 - 2000… 平井 新(ひらい あらた、1899年9月10日 - 2000年3月9日)は、日本の社会思想史学者。慶應義塾大学経済学部長・大学院経済学研究科委員長・名誉教授・野球部長。福岡市出身 。
室原 知幸(むろはら ともゆき、1899年9月10日 - 1… 室原 知幸(むろはら ともゆき、1899年9月10日 - 1970年6月29日)は、松原・下筌ダムの建設反対運動(いわゆる蜂の巣城紛争)を主導した住民運動家である。 1899年(明治32年)9月10日に熊本県阿蘇郡小国町で生まれる。1923年(大正12年)に早稲田大学専門部政治学科を卒業後、郷里で家業であった山林業を継ぐ。小国町町議会議員を3期務め、戦後には小国町の公安委員会の委員長も務めた。 1953年(昭和28年)の西日本水害を受け、建設省は筑後川治水対策の一環として1957年(昭和32年)に熊本・大分県境に下筌ダムの建設を計画。これに対して、室原は「暴には暴」「法には法」をスローガンに掲げて、実力闘争、法廷闘争の両面で反対運動を主導した。
渡辺 俊雄(渡邊 俊雄、わたなべ としお、1899年(明治3… 渡辺 俊雄(渡邊 俊雄、わたなべ としお、1899年(明治32年)9月9日 - 没年不明)は、日本の実業家。渡邊工業社長。名古屋螺子製作所(現:メイラ株式会社)創業者。息子は作曲家の渡辺宙明。孫は、映画・ドラマ・アニメ等の音楽やさだまさしのアレンジャーとして知られる渡辺俊幸。曽孫(俊幸の娘)は芸術家アイドルとして活動するマコ・プリンシパル(渡辺真子)。 新潟県長岡市出身。旧家・渡邊毅夫の長男として生まれる。父・毅夫は教育界で活躍し、女学校校長や渡邊工業取締役を務めた。 長岡中学を卒業後、九州の明治専門学校機械科に入学。1923年(大正12年)首席で同校を卒業後、豊国セメント株式会社に入社し、名古屋工場に勤務する。
関 鑑子(せき あきこ、1899年(明治32年)9月8日 -… 関 鑑子(せき あきこ、1899年(明治32年)9月8日 - 1973年(昭和48年)5月2日)は、日本の声楽家、音楽教育者、音楽評論家。プロレタリア音楽同盟の委員長に選ばれ、「アカイ歌手」と騒がれた。 第二次世界大戦後、日本共産党員として同党の文化政策に基づく実践活動を行い、国内外において、日本のうたごえ運動の創始者と見なされるようになった。 父 関厳(美術評論家。雅号 "関如来")、母 トヨの長女として、東京都本郷区龍岡町(当時)に生まれる。弟に関忠亮。関家は代々郡山藩の江戸詰め御典医の家系で、読売新聞の美術担当だった父親は美術評論の草分けであり、鑑子が生まれた時はパリ万国博覧会 (1900年)へ出品する美術品の鑑定官をしていたことから、娘の名に「鑑」の字をつけ、秋生まれであったことから「アキ」と読ませた。
舘脇 操(たてわき みさお、1899年9月8日 - 1976… 舘脇 操(たてわき みさお、1899年9月8日 - 1976年7月18日)は、日本の植物学者。 神奈川県横浜市生まれ。1918年、北海道帝国大学予科入学。農学部に進み、植物学教室の宮部金吾に学ぶ。1924年同大学卒業。1933年農学博士取得、1945年理学博士取得。1935年北海道帝国大学助教授を経て1952年に北海道大学教授となり、1958年からは北海道大学附属植物園長を兼務した。1963年、定年により北大を退職した後は酪農学園大学、札幌商科大学教授を歴任。 植物分類地理学を専門とし、森林生態学に業績をあげた。1949年に北海道文化賞、1960年に日本農学賞、1972年に北海道新聞文化賞を受賞した。
西岡 喜平(にしおか きっぺい、1899年(明治32年)9月… 西岡 喜平(にしおか きっぺい、1899年(明治32年)9月8日 - 没年不明)は、日本の政治家。元小松島市長。旧制神戸育英高等学校卒業。徳島県小松島市出身。 小松島市出身。1916年(大正5年)、旧制神戸育英高等学校中退。 その後、小松島町役場に就職し、土木係技手・土木係主任・土木課長を経て1947年(昭和22年)に小松島町助役に就任。1949年(昭和24年)には小松島町長に就任。 1951年(昭和26年)に初代小松島市長に当選。1953年(昭和28年)まで2期を務めた。また小松島選挙管理委員長等を歴任した。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
八木 宗十郎(やぎ そうじゅうろう、1899年(明治32年)… 八木 宗十郎(やぎ そうじゅうろう、1899年(明治32年)9月7日 - 1981年(昭和56年)2月5日)は、日本の政治家、実業家。 山口県出身。明治大学専門部商科卒業。1923年、父祖が代々経営していた八木呉服店(現ちまきやホールディングス。百貨店は山口井筒屋が継承。)に入社。1937年、ちまきや八木取締役社長。山口県会議員、同参事会員を務めた。1942年、翼賛政治体制協議会から出馬し、衆議院議員に当選。山口商工会議所会頭も25年間に亘り務めるなど、戦前戦後にかけて山口県政治・経済の中心的役割を担った。戦後は公職追放を経て、NHK経営委員など公職の傍ら、岸信介首相の後援会長として岸政権を側面から支援した。
青野 武一(靑野武一、あおの ぶいち、1899年(明治32年… 青野 武一(靑野武一、あおの ぶいち、1899年(明治32年)9月7日 - 1959年(昭和34年)12月9日)は、大正・昭和期の労働運動家、政治家。位階は正五位。 衆議院議員(4期)。配偶者は青野 喜代子。長男は青野 宏、次男は青野 徹、孫は青野 義弘、青野 光俊[要出典]。 愛媛県新居郡、のちの西条市で生まれる。高等小学校を卒業後、八幡製鐵所に入り職工として勤務。日本労友会に加わり、1920年(大正9年)同製鐵所の大争議に参加した。日本労友会が解散した後、1925年(大正14年)九州民権党が結成され執行委員に就任。その後、日本大衆党、労農大衆党、社会大衆党、日本無産党などの八幡支部書記長を務めた。
西川 政一(にしかわ まさいち、1899年9月5日 - 19… 西川 政一(にしかわ まさいち、1899年9月5日 - 1986年6月4日)は、日本の経営者。日商岩井社長、会長を務めた。兵庫県氷上郡竹田村(現在の丹波市)出身。 1924年に神戸高等商業学校(現神戸大学)を卒業し、同年に鈴木商店に入社した。1928年に高畑誠一、永井幸太郎に誘われて、日商の設立に加わり、1958年11月には社長に就任した。岩井産業との合併に尽力し、1968年に日商岩井初代社長に就任した。1969年11月から1972年6月までに会長を務めた。 バレーボール選手でもあり、日本のバレーボールの先達・多田徳雄に神戸高商時代にバレーボールの指導を受け、日本代表(全日本)にも選ばれた。その後多田らと関西排球協会を設立し、普及活動にも力を入れ、1948年5月から1977年3月までに日本バレーボール協会会長も務めた。
金 声浩(キム・ソンホ、朝鮮語: 김성호/金聲浩、1899年… 金 声浩(キム・ソンホ、朝鮮語: 김성호/金聲浩、1899年9月5日または1900年 - 没年不詳)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の検察官、裁判官、弁護士、実業家、政治家。初代全羅南道議会(朝鮮語版)議員、第3代韓国国会議員を歴任した。 全羅南道康津郡出身。日本大学専門部法科卒。朝鮮弁護士試験・高試司法科合格。光州地方法院木浦支庁上席検事・首席判事、光州地検木浦支庁長、東光学校校長、大韓国民党木浦市党委員長、初代全羅南道議会議員、韓国金属工業会長、国民会木浦支部支部長、自由党全羅南道党副委員長、朝鮮建国青年会全南委員長、木浦体育会会長、第3代国会金融界不正事件および農林部疑惑事件国政監査特別委員会委員長を務めた。
杉山 亮太郎(すぎやま りょうたろう、1899年 <明治32… 杉山 亮太郎(すぎやま りょうたろう、1899年 <明治32年> 9月5日 - 1974年 <昭和49年> 11月12日)は、日本の経営者、銀行家。清水銀行頭取を務めた。位階は従五位。 静岡県出身。1923年に早稲田大学商学部商学科を卒業し、同年9月に駿州銀行(のちの清水銀行)に入行。 1940年4月に常務を経て、1947年2月には頭取に就任した。1971年4月には会長に就任。 1960年5月に黄綬褒章を受章し、1969年11月に勲四等瑞宝章を受章した。 1974年11月12日、心筋梗塞のため死去した。75歳没。死没日付をもって従五位に叙された。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。