スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
添田 隆司(そえだ たかし、1993年3月15日 - )は、… 添田 隆司(そえだ たかし、1993年3月15日 - )は、東京都出身の元サッカー選手、実業家。ポジションは、ミッドフィールダー(MF)。父はジブラルタ生命保険株式会社代表取締役社長の添田毅司。 幼稚園年少の時に横浜バディーFCでサッカーを始める。中学はBANFF横浜ベイ、高校は横河武蔵野FCユースでプレー。筑波大学附属小学校、筑波大学附属中学校・高等学校を経て、東京大学文科二類に現役合格。東京大学経済学部経済学科に進学し、経営学や経営戦略などを学んだ。東大では東京都大学サッカーリーグ1部の東京大学運動会ア式蹴球部でプレーし、2014年には主将を務めた。当初は卒業後サッカーに区切りをつけ、三井物産に就職する予定だった。
坂井 崇俊(さかい たかとし、1977年12月4日 - )は… 坂井 崇俊(さかい たかとし、1977年12月4日 - )は、日本の政治活動家、実業家。エンターテイメント表現の自由の会代表(編集長)、株式会社ニューカルチャーラボ代表取締役であり、2012年12月から2016年7月と、2019年7月から2020年12月に参議院議員山田太郎の公設第一秘書を務めた。 東京都港区出身。1996年筑波大学附属高等学校、2001年京都大学農学部生物機能科学科卒業。みずほ銀行で中小企業融資業務を務めていたが退社し、コンサルティング会社を4社渡り歩いた後、独立。2013年にエンターテイメント表現の自由の会を設立し、マンガ、アニメ、ゲーム等における表現の自由を擁護する運動を展開している。
大島 嘉仁(おおしま よしひと、朝: 오시마 요시히토, 1… 大島 嘉仁(おおしま よしひと、朝: 오시마 요시히토, 1976年10月23日 - )は、日本の経営者。公益財団法人国土育英会代表。株式会社MAGねっとホールディングス代表取締役社長。株式会社ブルーバード代表取締役社長。SFCG(旧:商工ファンド)創業者の大島健伸は父。 1999年3月、慶應義塾大学経済学部を卒業後、大島嘉仁は三井物産に入社する。その後、リーマン・ブラザーズに転職。2008年、アジアン・センチュリー・クエスト・キャピタルを経て、SFCG関連会社に入社する。その後、「株式会社MAGねっと」(後の株式会社MAGねっとホールディングス)代表取締役社長に就任。 2009年、SFCG(旧:商工ファンド)は民事再生法適用、のち破綻する。
戸賀崎 智信(とがさき とものぶ、1973年11月15日 -… 戸賀崎 智信(とがさき とものぶ、1973年11月15日 - )は、富山県高岡市出身の日本の会社役員。血液型はA型。
江尻 裕一(えじり ゆういち、1966年1月1日 - )は、… 江尻 裕一(えじり ゆういち、1966年1月1日 - )は、日本の実業家。株式会社よきとも代表取締役、アクセラパートナーズ株式会社代表取締役、エグゼクティブ・コーチ。住友商事、ソニー、楽天の各社において、20年以上に渡って中華圏及びアジアにおけるビジネスに携わる。現在は対話を通じた組織開発コンサルティングを提供する株式会社よきとも、ベンチャー企業や経営人材の育成を支援するアクセラパートナーズの経営を中心にコーチング,リーダーシップの視点から各種の活動に従事。 東京都大田区出身、筑波大学附属中学校・高等学校、慶応義塾大学理工学部を卒業。 住友商事株式会社、ソニー株式会社、楽天株式会社を経て現職。住友商事では自動車部にて欧米向け自動車OEM部品及び製造設備の輸出を担当した後、上海住友商事にて自動車課を立ち上げ、その後は日産ディーゼル工業株式会社(現UDトラックス株式会社)との東風汽車有限公司との合弁企業である東風日産ディーゼルの設立・運営に財務部長兼販売部長として携わる。
熊谷 亮丸(くまがい みつまる、1966年 - )は、日本の… 熊谷 亮丸(くまがい みつまる、1966年 - )は、日本の経営者、経済学者、大和総研の代表取締役副社長 兼 副理事長 リサーチ本部長 チーフエコノミスト。政府税制調査会特別委員。特定複合観光施設区域整備推進会議委員。総務省「情報通信審議会」委員。経済同友会幹事、経済情勢調査会委員長。 1978年東京教育大学附属小学校(現・筑波大学附属小学校)、1984年に筑波大学附属中学校・高等学校を卒業。一浪し、東京大学文科一類に入学。1989年同大学法学部第2類(公法コース)卒業後、日本興業銀行に入行。同行調査部、興銀証券、みずほ証券、メリルリンチ日本証券を経て、2007年大和総研に入社。2010年 同社チーフエコノミスト、2014年 執行役員チーフエコノミスト、2017年 常務執行役員チーフエコノミスト。
鶴谷 武親(つるたに たけちか、1965年 - )は、日本の… 鶴谷 武親(つるたに たけちか、1965年 - )は、日本の実業家。早稲田大学大学院商学研究科(ビジネススクール)客員准教授。神奈川県生まれ。
片山 さつき(かたやま さつき、1959年〈昭和34年〉5月… 片山 さつき(かたやま さつき、1959年〈昭和34年〉5月9日 - )は、日本の政治家、大蔵官僚、実業家、行政書士。自由民主党所属の参議院議員(3期)、財務大臣(第25-26代)、内閣府特命担当大臣(金融)、租税特別措置・補助金見直し担当大臣。旧姓は、朝長(ともなが)。日本の憲政史上初の女性財務大臣である。 内閣府特命担当大臣(地方創生、規制改革、男女共同参画)、女性活躍担当大臣、参議院決算委員長、参議院外交防衛委員長、自由民主党金融調査会長を歴任した。元衆議院議員(1期)。元大蔵省主計官。公益財団法人日本不動産学会会員。株式会社片山さつき政治経済研究所元代表取締役。 埼玉県浦和市(現・さいたま市浦和区)生まれ。
河合 江理子 (かわい えりこ、1958年4月28日) は、… 河合 江理子 (かわい えりこ、1958年4月28日) は、日本の学者、実業家。京都大学名誉教授。 東京都出身。1977年東京教育大学附属高等学校(現・筑波大学附属高等学校)卒業後、渡米。1981年ハーバード大学学士(環境学特別専攻)。同年野村総合研究所研究員。1985年INSEAD大学院卒業。MBA取得。 その後、海外の経営コンサルタントやエコノミストを経て、1998年国際決済銀行職員年金基金運用責任者、上級ファンドマネージャー、2004年経済協力開発機構職員年金基金運用責任者、2008年スイスで起業。 2012年京都大学高等教育研究開発推進機構教授、2014年京都大学大学院総合生存学館教授。
菰田 正信(こもだ まさのぶ、1954年(昭和29年)6月8… 菰田 正信(こもだ まさのぶ、1954年(昭和29年)6月8日 - )は、日本の実業家。三井不動産株式会社代表取締役社長を経て、同社代表取締役会長、一般社団法人日本経済団体連合会副会長、一般社団法人不動産証券化協会会長、一般社団法人不動産協会会長、一般社団法人日本ショッピングセンター協会会長、日本テレビホールディングス株式会社取締役。 東京都大田区田園調布出身。1973年に東京教育大学附属高等学校を卒業。1978年に東京大学法学部を卒業し、三井不動産に入社。経営企画部長、常務取締役、専務取締役などを経て、2011年6月から代表取締役社長。2017年から不動産協会理事長。2020年から日本経団連副会長。
笹沼 泰助(ささぬま たいすけ、1953年11月23日 - … 笹沼 泰助(ささぬま たいすけ、1953年11月23日 - )は、日本の実業家。アドバンテッジ パートナーズ共同代表パートナー。 1953年生まれ。1972年に東京教育大学附属中学校・高等学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)卒業。 慶應義塾大学法学部政治学科卒業後、慶應ビジネススクール、ハーバード大学ジョン・F・ケネディ政治行政大学院修了 。 積水化学工業、ベイン・アンド・カンパニー、モニターカンパニーを経て、1992年アドバンテッジパートナーズを設立、現職。共同代表パートナーに就任。 研究論文、寄稿記事に「ベンチャー企業に見られる新しい競争原理」、「日本のベンチャー企業の競争戦略」、「日本企業の買収後の統合戦略」、「中堅企業の長期計画」、「ベンチャー企業の競争戦略」などがある。
設楽 洋(したら よう、1951年4月13日 - )は、日本… 設楽 洋(したら よう、1951年4月13日 - )は、日本の実業家。株式会社ビームス、株式会社ビームス クリエイティブの代表取締役。『第50回ベストドレッサー賞』受賞。タレントでファッションモデルである三浦りさ子(旧姓:設楽りさ子)の叔父。東京都新宿区生まれ。 慶應義塾大学経済学部卒業。愛称はタラちゃん。 1951年(昭和26年)東京都新宿区にてダンボール工場を営んでいた父・設楽悦三と母・設楽恭子の間に生まれる。太平洋のようにおおらかで、元気な子に育ってほしいという想いから「洋」と名付けられた。ビームスの副社長である遠藤恵司は小学校から大学生までの同級生。遠藤は「中学1年のときにコーラスグループを結成、以来バンドを組み、設楽は目立ちたがり屋で人を楽しませるのが好きな青年だった」と回顧する。
稲葉 延雄(いなば のぶお、1950年〈昭和25年〉11月1… 稲葉 延雄(いなば のぶお、1950年〈昭和25年〉11月11日 - )は、日本の実業家。日本放送協会(NHK)第24代会長。
水野 俊秀(みずの としひで、1950年4月19日 - )は… 水野 俊秀(みずの としひで、1950年4月19日 - )は、日本の実業家。三菱UFJリサーチ&コンサルティング代表取締役社長や、三信代表取締役社長を務めた。 東京教育大学附属中学校・高等学校(現筑波大学附属中学校・高等学校)を経て、1973年一橋大学経済学部卒業、三和銀行入行。資金部長を経て、2000年執行役員資金部長に昇格。2002年UFJ銀行執行役員総合資金部長、UFJホールディングス常務執行役員。2004年UFJホールディングス取締役専務執行役員、UFJ信託銀行取締役、UFJ銀行取締役専務執行役員。2005年三菱UFJフィナンシャル・グループ代表取締役専務、三菱UFJ信託銀行株式会社取締役。
鹿内 宏明(しかない ひろあき、1945年5月26日 - )… 鹿内 宏明(しかない ひろあき、1945年5月26日 - )は、日本の実業家、投資家。 フジサンケイグループ初代議長を務めた鹿内信隆の娘婿で養子。フジサンケイグループ会議議長代理、フジサンケイグループ会議第3代議長、フジテレビジョン会長、産経新聞社会長、ニッポン放送会長を歴任した。現在は株式会社鹿内事務所代表取締役。 東京都出身。父は医師で親族にも医師の多い家系に生まれる。 東京教育大学附属高等学校を卒業後、東京大学に入学。3年の時に小田実が著した『何でも見てやろう』に触発され、ボート部の先輩ら3人とジープを仕立てて、南米大陸を廻る旅に出た。 東京大学法学部第3類(政治コース)卒業後の1968年に日本興業銀行(現:みずほ銀行)に入行。
石上 大和(いしがみ やまと、1944年8月13日 - )は… 石上 大和(いしがみ やまと、1944年8月13日 - )は、日本の経営者。RKB毎日放送社長、会長を務めた。 東京都出身。1960年に東京教育大学附属中学校・高等学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業。1965年に東京大学文学部を卒業し、同年4月に毎日新聞社に入社。編集局政治部長を経て、1993年にRKB毎日放送に転職。 取締役、常務、東京支社長、専務を経て、2000年6月から2007年6月までに社長を務め、2007年6月から2010年6月までに会長を務めた。 著書に「民社党―中道連合の旗を振る「責任政党」」がある。
正田 修(しょうだ おさむ、1942年(昭和17年)10月1… 正田 修(しょうだ おさむ、1942年(昭和17年)10月11日 - )は日本の実業家。日清製粉グループ本社名誉会長相談役。
宮島 将郎(みやじま まさろう、1937年〈昭和12年〉7月… 宮島 将郎(みやじま まさろう、1937年〈昭和12年〉7月27日 - 2025年〈令和7年〉5月23日)は、日本のテレビプロデューサー・実業家、元ラジオパーソナリティー、社会運動家、音楽家。 東京都新宿区出身。東京教育大学附属高等学校(現:筑波大学附属高等学校)卒、1962年(昭和37年)慶應義塾大学商学部卒。在学中は慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団に所属し副指揮者を務める。2025年(令和7年)現在埼玉県入間市に在住していた。 1962年(昭和37年)日本テレビ放送網株式会社入社、芸能局音楽班配属。教育・音楽番組を制作。宮島が最も気に入っている番組は幼児教育番組『カリキュラマシーン』だという。
大橋 光夫(おおはし みつお、1936年(昭和11年)1月1… 大橋 光夫(おおはし みつお、1936年(昭和11年)1月18日 - )は、日本の実業家。昭和電工(現:レゾナック・ホールディングス)社長、会長を務めた。公益財団法人日本台湾交流協会会長。慶應義塾評議員。国民政治協会会長。 父は政治家で労相や運輸相を務めた大橋武夫、祖父は元首相の濱口雄幸、富士銀行元頭取の岩佐凱実は義父。 東京に生まれる。東京教育大学附属中学校・高等学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を経て、1955年に慶應義塾大学経済学部経済学科に入学。 同大学を卒業後は三井銀行に就職したが、3年足らずで退職、1961年12月に昭和電工に入社する。 入社直後の1962年、昭和電工が八幡製鐵、カイザー・アルミニウムと合弁で設立する「スカイ・アルミニウム」計画のため、米国に派遣される。
吉田庄一郎(よしだ しょういちろう、1932年8月25日 -… 吉田庄一郎(よしだ しょういちろう、1932年8月25日 - )は日本の光学設計者、実業家。元ニコン社長・会長。
鹿島 昭一(かじま しょういち、1930年(昭和5年)8月1… 鹿島 昭一(かじま しょういち、1930年(昭和5年)8月12日 - )は日本の実業家、鹿島建設取締役相談役。工学博士(東京大学)。東京都出身。
石川 六郎(いしかわ ろくろう、1925年(大正14年)11… 石川 六郎(いしかわ ろくろう、1925年(大正14年)11月5日 - 2005年(平成17年)12月14日)は、日本の実業家。鹿島建設名誉会長、日本商工会議所第15代会頭。妻・ヨシ子は鹿島の第4代社長・鹿島守之助の娘。父は石川一郎初代経団連会長。 学位は工学博士(東京大学)。鹿島建設の社長・会長のほか、日本商工会議所及び東京商工会議所の名誉会頭、フジテレビジョン(現:フジ・メディア・ホールディングス)監査役、日本卓球協会第7代名誉会長、日本を守る国民会議顧問、日本会議顧問、東京メトロポリタンテレビジョン会長などを務めた。 東京府北豊島郡滝野川大字西ヶ原(現在の東京都北区西ヶ原)に生まれた。石川一郎、冨美子の六男。
嶋中 鵬二(しまなか ほうじ、1923年〈昭和7年〉2月7日… 嶋中 鵬二(しまなか ほうじ、1923年〈昭和7年〉2月7日 - 1997年〈平成9年〉4月3日)は、中央公論社社長。総合雑誌『中央公論』を中心に戦後の出版界に大きな業績を残したが、晩年は経営危機を招いた。嶋中雄作の次男。妻雅子(1924年 - 2004年)は政治学者蠟山政道の長女。子に中央公論社社長の嶋中行雄、エコノミストの嶋中雄二がいる。 1935年、東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)卒業。同級生に鶴見俊輔や永井道雄、中井英夫がいた。 1940年、東京高等師範学校附属中学校(現:筑波大学附属中学校・高等学校)卒業。旧制府立高校を経て東京帝国大学文学部独文科卒業。太平洋戦争中は、勤労動員で中島飛行機(現在の富士重工)の研究所に勤務。
諸橋 晋六(もろはし しんろく、1922年7月13日 - 2… 諸橋 晋六(もろはし しんろく、1922年7月13日 - 2013年6月23日)は、東京府北豊島郡出身の実業家、サッカー選手。
戸田 順之助(とだ じゅんのすけ、1918年(大正7年)12… 戸田 順之助(とだ じゅんのすけ、1918年(大正7年)12月1日 - 2013年(平成25年)10月9日)は日本の実業家、元戸田建設社長・会長。東京都出身。
島田 秀夫(しまだ ひでお、1915年6月27日 - 200… 島田 秀夫(しまだ ひでお、1915年6月27日 - 2005年11月3日)は、岡山県出身の会社役員、サッカー選手、第7代日本サッカー協会会長。 1928年に東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)、1933年に同附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業。附属中の同級生には、石川馨(東京大学名誉教授)、中村光夫(文芸評論家)、小川平四郎(初代駐中国大使)などがいる。 旧制水戸高校(現・茨城大学)を経て、1936年に東北帝国大学法文学部に入学。1940年3月に大学を卒業して三菱重工業に入社した。1941年に太平洋戦争の召集を受けて従軍、1945年にシベリア抑留に遭い、1947年に帰国。
市田 左右一(いちだ そういち、1910年12月30日 – … 市田 左右一(いちだ そういち、1910年12月30日 – 1986年6月30日)は、日本の実業家。国際サッカー連盟 (FIFA) 常任理事を日本人としてはじめて務めた。著名な切手収集家でもあり、日本の手彫切手の収集・研究に努めるとともに、多くの著作を通じてその成果を海外に紹介した。 1910年(明治43年)、市田幸四郎・四寿子夫妻の長男としてとして、東京に生まれる。父は日本におけるオフセット印刷の創始者と呼ばれる人物。母はキリスト教伝道者金森通倫の娘。市田家は神戸元町通で著名な写真館「市田写真館」を営んでおり、幸四郎は明治初年に神戸で活動した写真家市田左右太(1843年 - 1896年)から数えて3代目にあたる(ただし市田家は男子に恵まれず代々を養子で継いでおり、幸四郎も養子である)。
金森 九郎(かなもり くろう、1907年(明治40年)5月2… 金森 九郎(かなもり くろう、1907年(明治40年)5月26日 - 1977年(昭和52年)6月23日)は、日本の実業家。富士製鉄常務取締役、日本原色押花協会会長を務めた。位階は正四位。勲四等旭日小綬章。 姪・和子の長男は、第28代自由民主党総裁・第102代内閣総理大臣の石破茂である。 東京都渋谷区出身。牧師・金森通倫の四男。5歳の時に母が亡くなり、長姉の三寿子が母代わりとなる。 1925年、旧制東京高等師範学校附属中学校を卒業した。その後、旧制静岡高等学校を卒業した。1932年、東京帝国大学工学部冶金学科を卒業した。日鉄、八幡製鉄所に入り、広畑製鉄所研究所各勤務の後、1942年に東京帝国大学第二工学部冶金学科助教授となり、1945年には教授に就任する。
西園寺 公一(さいおんじ きんかず、1906年(明治39年)… 西園寺 公一(さいおんじ きんかず、1906年(明治39年)11月1日 - 1993年(平成5年)4月22日)は、日本の政治家、実業家。参議院議員(1期)、外務省嘱託職員、太平洋問題調査会理事などを歴任した。ゾルゲ事件に連座して逮捕、有罪となり、公爵家を廃嫡となった。 1906年(明治39年)11月1日、西園寺家の嫡男として神奈川県に誕生した。祖父は元老・西園寺公望、父は公望の婿養子となった西園寺八郎(実父は旧長州藩主の毛利元徳)で、母は公望の長女・新子である。 学習院初等科を経て、1924年(大正13年)に東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業。附属中の同級生には、朱牟田夏雄(東京大学名誉教授)、春山泰雄(サッカー日本代表)などがいた。
春山 泰雄(はるやま やすお、1906年4月4日 - 198… 春山 泰雄(はるやま やすお、1906年4月4日 - 1987年6月17日)は、東京都出身の会社役員、新聞記者、サッカー選手である。
佐竹 義利(さたけ よしとし、1904年10月2日 - 19… 佐竹 義利(さたけ よしとし、1904年10月2日 - 1989年1月19日)は、日本の実業家・華族(男爵)。東洋製作所社長。 佐竹東家(旧出羽秋田藩主・佐竹氏の分家)第23代当主・佐竹義準男爵の長男として東京府(現・東京都)に生まれた。1924年、父の死に伴い家督を継ぎ、男爵を襲爵。 東京高等師範学校附属中学校、旧制水戸高等学校を経て、1930年に東京帝国大学工学部航空工学科を卒業し、三菱航空機名古屋製作所に入社した。就職先に三菱系の企業を選んだのは妹の操子が三菱財閥の創業者一族・岩崎彦弥太に嫁いでいることが関係していたと考えられている。三菱重工業、東洋機器製作所勤務を経て東洋製作所の社長に就任。
正田 英三郎(しょうだ ひでさぶろう、1903年9月21日 … 正田 英三郎(しょうだ ひでさぶろう、1903年9月21日 - 1999年6月18日)は日本の実業家。群馬県邑楽郡館林町(現・館林市)出身。
大河内 信威(おおこうち のぶたけ、1902年7月24日 -… 大河内 信威(おおこうち のぶたけ、1902年7月24日 - 1990年7月12日)は、日本の美術史家、美術評論家、実業家、社団法人日本陶磁協会第5代理事長。 元共産党員。別名・小川信一。号は風船子。一時、磯野姓を名のる。 理化学研究所第3代所長・理研産業団創始者で貴族院議員を務めた子爵大河内正敏の長男。高等師範付属中学時代から左翼思想に興味を抱き、旧制浦和高校に進学すると学内に思想研究会を組織。2年在学時には読売新聞(大正12年5月30日長官)に埼玉県警察の黒表(ブラックリスト)に上がっているとする記事が掲載された。東京帝国大学では学生運動組織「新人会」に参加。小川信一のペンネームで、左翼文化団体の指導者となり、『日本資本主義発達史講座 第2部 資本主義発達史』の「労働者の状態及び労働者運動史」などの著作を発表。
岩崎 隆弥(いわさき たかや、1896年11月2日 - 19… 岩崎 隆弥(いわさき たかや、1896年11月2日 - 1983年6月2日)は、日本の実業家。三菱財閥のオーナー・岩崎家の一員で、三菱合資会社社長を務めた岩崎久弥の次男。 東京府(現:東京都)出身。 1909年に東京高等師範学校附属小学校(現:筑波大学附属小学校)、1915年に東京高等師範学校附属中学校(現:筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業。1921年に東京帝国大学工学部を卒業。1922年英国グラスゴー大学に留学。 1926年の帰国後三菱製紙に入社。1943年三菱瓦斯(現在の三菱瓦斯化学とは別会社)の会長、1944年三菱製紙の会長に就任。 太平洋戦争後の1947年、財閥解体政策により、父久弥、兄彦弥太、弟恒弥と共に財閥家族に指定され、三菱傘下企業の全役職を辞任。
渋沢 敬三(しぶさわ けいぞう、正字体:澁澤 敬三、1896… 渋沢 敬三(しぶさわ けいぞう、正字体:澁澤 敬三、1896年〈明治29年〉8月25日 - 1963年〈昭和38年〉10月25日)は、日本の実業家、財界人、民俗学者、政治家。第16代日本銀行総裁、第49代大蔵大臣(幣原内閣)。祖父・渋沢栄一から渋沢子爵家当主及び子爵位を引き継いだ。 1896年(明治29年)8月25日、渋沢栄一の長男・篤二と妻・敦子の長男として生まれる(敬三の下に弟が2人がいる)。「敬三」は論語の一節「言忠信にして行篤敬ならば蛮貊()の邦といえども行われん」(衛霊公第十五)より栄一が命名した。敦子の父(母方の祖父)は羽林家の公卿出身の元老院議官を務めた伯爵橋本実梁。 東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)、東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業。
諸井 貫一(もろい かんいち、1896年1月11日 - 19… 諸井 貫一(もろい かんいち、1896年1月11日 - 1968年5月21日)は、東京府(現東京都)生まれの実業家。セメント製造事業の開拓を手掛けた諸井恒平(渋沢栄一とは親類関係に当たる)の長男で、東諸井家12代当主。秩父セメント(現太平洋セメント)社長、秩父鉄道会長、埼玉銀行(現埼玉りそな銀行)会長、日本煉瓦製造会社会長を歴任し、経済団体連合会(経団連)の創設など日本の近代化に深く貢献した。従三位勲一等。
岩崎 彦弥太(いわさき ひこやた、1895年9月15日 - … 岩崎 彦弥太(いわさき ひこやた、1895年9月15日 - 1967年9月8日)は、三菱財閥のオーナー・岩崎家の一員で、三菱合資会社元社長・岩崎久弥の長男。 東京府(現:東京都)出身。 1908年に東京高等師範学校附属小学校(現:筑波大学附属小学校)、1913年に東京高等師範学校附属中学校(現:筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業。その後、旧制学習院高等科を経て1920年に東京帝国大学文学部社会学科を卒業。 一旦大学院に進むが、1922年英国に留学し、帰国後の1926年に三菱合資会社に入社。1934年副社長に就任。三菱財閥傘下の企業の取締役にも就任した。戦前の長者番付では常連と化しており、1939年公表の納税額は日本一となる228万2076円を記録。
渋沢 秀雄(しぶさわ ひでお、1892年10月5日 - 19… 渋沢 秀雄(しぶさわ ひでお、1892年10月5日 - 1984年2月15日)は、東京市出身の実業家・文化人。 渋沢栄一の四男として兜町の洋館で生まれる。幼少時は邸宅の近くにあった日本橋川で泳いでいた。 大学時代の1916年から1917年ころに親戚筋の女性と結婚し、長男の和男(アコーディオン演奏者)・華子(小説家)ら2男2女を成すも離婚する。1917年、東京帝国大学法科大学仏法科卒業。日本興業銀行に勤務したが、1年半勤めて退職。欧米で住宅事情を学び、設立間もない田園都市株式会社に取締役として入社する。この会社は、田園調布や洗足田園都市の計画的で大規模な宅地開発を行い、その開発地区のための鉄道敷設・電力供給、多摩川園遊園地の運営も行った。
久能木 慎治(久能木 愼治、くのき しんじ、1892年〈明治… 久能木 慎治(久能木 愼治、くのき しんじ、1892年〈明治25年〉9月16日 - 没年不明)は、日本の弁護士、弁理士、久能木法律事務所主、会社役員。関東興業監査役。 東京府人・久能木宇兵衛の二男。久能木宇兵衛の弟。鈴木信太郎、團伊能、山田珠樹らと共に構想し、1917年、『攻魂珠』が創刊される。東京高師附属中学、第一高等学校を経て、1918年、東京帝国大学法科大学仏法科卒業。事務所を設立し、開業する。一般の法律事務に従事する。 趣味は乗馬、釣り。宗教は浄土宗。住所は東京日本橋室町2丁目。
渋沢 正雄(しぶさわ まさお、1888年〈明治21年〉11月… 渋沢 正雄(しぶさわ まさお、1888年〈明治21年〉11月1日 - 1942年〈昭和17年〉9月10日)は、日本の実業家。子爵・渋沢栄一の三男。日満鉄鋼販売、石川島自動車製作所、富士製鋼各社長。東京石川島造船所専務取締役。日本製鐵常務取締役兼八幡製鐵所長。族籍は東京府平民。 渋沢栄一の三男で、渋沢篤二、渋沢武之助の弟、渋沢秀雄の兄。渋沢敬三、渋沢信雄、渋沢智雄の叔父。渋沢雅英と渋沢裕の大叔父。1906年に東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業。第一高等学校を経て1915年、東京帝国大学法科大学経済学科卒業。同年分家する。第一銀行に入り1917年、これを辞する。 渋沢貿易、富士製鋼、汽車製造、石川島造船所、石川島自動車、石川島飛行機、秩父鉄道、富士鋼材商会、日本鋼製建具、日本煉瓦製造、日本鋼管各会社の重役だったが1932年末、総ての関係会社を辞任し製鉄業に専念する。
岩崎 輝弥(岩崎 輝彌、いわさき てるや、1887年(明治2… 岩崎 輝弥(岩崎 輝彌、いわさき てるや、1887年(明治20年)6月18日 - 1956年(昭和31年)9月17日)は、日本の実業家。日本における鉄道趣味の先駆者である。 岩崎弥之助・早苗夫妻の三男として東京府(現・東京都)に生まれる。 1899年(明治32年)に高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)、1905年(明治38年)に東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業。東京帝国大学農科大学実科(現・東京農工大学農学部)を卒業。 三菱の創業者一族・岩崎家に生まれたこともあって大学卒業後は実業界に進んだ。 輝弥は実業家としては酪農業に従事しており、立川養豚場や吉屋信子の代表作『安宅家の人々』のモデルとなったことで知られる子安農園を経営したことで知られている。
川崎 肇(かわさき はじめ、1884年〈明治17年〉11月1… 川崎 肇(かわさき はじめ、1884年〈明治17年〉11月11日 - 1948年〈昭和23年〉1月23日)は、日本の東京川崎財閥の実業家、ゴルファー。川崎銀行副頭取、川崎信託社長、東武鉄道取締役、阪和鉄道取締役などを歴任した。「駒沢育ち」を代表するゴルファーの一人。 初代川崎八右衛門の孫。八右衛門の娘なかとその婿の茨城県出身の川崎東作との長男で、叔父に2代目川崎八右衛門。弟の川崎甲子男は国華徴兵、日華生命、帝国火災、福徳生命の社長や明和銀行頭取などを務めた。妻のキヨは金子堅太郎の娘。 9歳で家督を相続。東京高等師範学校附属中学校(現筑波大学附属高等学校)を経て、1903年東京高等商業学校(現一橋大学)予科入学。
永持 源次(ながもち げんじ、1884年7月23日 - 19… 永持 源次(ながもち げんじ、1884年7月23日 - 1978年8月18日)は、日本の陸軍軍人、実業家。陸軍砲工学校長。最終階級は陸軍中将。
今村 次吉(いまむら じきち、1881年(明治14年)3月1… 今村 次吉(いまむら じきち、1881年(明治14年)3月15日 - 1943年(昭和18年)4月17日)は、日本の大蔵官僚、実業家。東京帝国大学卒業。大日本蹴球協會(日本サッカー協会の前身)初代会長。大日本レスリング協会(日本レスリング協会の前身)会長。大日本陸上競技連盟(日本陸上競技連盟の前身)顧問。 今村有隣(1841年-1924年)の次男として生まれる。有隣は明治・大正期の著名なフランス語学者。また兄の今村新吉(1874年-1946年)は京都帝國大學教授を務め、日本の精神病理学者の先駆者と呼ばれた人物である。 1891年に東京高等師範学校附屬小學校(現・筑波大学附属小学校)、1897年に東京高師附屬中學校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業。
岩崎 俊弥(いわさき としや、明治14年(1881年)1月2… 岩崎 俊弥(いわさき としや、明治14年(1881年)1月28日 - 昭和5年(1930年)10月16日)は日本の実業家で、旭硝子の創業者。
八田 嘉明(はった よしあき、1879年9月14日 - 19… 八田 嘉明(はった よしあき、1879年9月14日 - 1964年4月26日)は、日本の鉄道技術者、官僚、実業家、政治家。工学博士。東京府生まれ。
岩崎 小弥太(いわさき こやた、1879年(明治12年)8月… 岩崎 小弥太(いわさき こやた、1879年(明治12年)8月3日 - 1945年(昭和20年)12月2日)は、日本の実業家で、三菱財閥の4代目総帥。男爵。 2代目岩崎弥之助(岩崎弥太郎の弟)の長男として東京府(現・東京都)に生まれた。母は後藤象二郎の長女早苗である。 1891年(明治24年)に高師附属小(現・筑波大附小)、1896年(明治29年)に高師附属中(現・筑波大附中・高)を卒業。旧制第一高等学校入学。一高の寮同室には馬場鍈一がいた。一高を経て明治32年に東京帝国大学法科大学に入学するが翌年の明治33年に中退。 1905年(明治38年)ケンブリッジ大学を卒業し、翌年の明治39年に帰国して三菱合資会社の副社長となり、明治41年に父弥之助の死去に伴い男爵を継承して1916年(大正5年)には従兄である3代目岩崎久弥(弥太郎の長男)の後を継いで社長に就任、三菱財閥の4代目となった。
岩下 文雄 は、日本の経営者。東京芝浦電気(現在の東芝)社長… 岩下 文雄 は、日本の経営者。東京芝浦電気(現在の東芝)社長を務めた。
村瀬 逸三 は、日本の経営者。大正海上火災保険社長を務めた。
川崎 大次郎 は、日本の実業家、第百生命保険代表取締役会長・… 川崎 大次郎 は、日本の実業家、第百生命保険代表取締役会長・社長。