山縣 昌夫(やまがた まさお、1898年(明治35年)1月4… 山縣 昌夫(やまがた まさお、1898年(明治35年)1月4日 - 1981年(昭和56年)3月3日)は、日本の船舶工学者。東京大学名誉教授。
東京都立日比谷高等学校:889人
山縣 昌夫(やまがた まさお、1898年(明治35年)1月4… 山縣 昌夫(やまがた まさお、1898年(明治35年)1月4日 - 1981年(昭和56年)3月3日)は、日本の船舶工学者。東京大学名誉教授。
大佛 次郞(おさらぎ じろう、1897年〈明治30年〉10月… 大佛 次郞(おさらぎ じろう、1897年〈明治30年〉10月9日 - 1973年〈昭和48年〉4月30日)は、日本の小説家・作家。大仏次郎(新字体)とも書く。本名は、野尻 清彦(のじり きよひこ)。 『鞍馬天狗』シリーズなど大衆文学の作者として有名なほか、歴史小説、現代小説、ノンフィクション、新作歌舞伎や童話などまでを幅広く手がけた。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。作家の野尻抱影(正英)は兄。 神奈川県横浜市英町(現在の横浜市中区)に生まれた。道成寺の山門の再建や本堂の修復などを手がけた宮大工・仁兵衛の子孫にあたる。父・政助は1850年(嘉永3年)5月27日、紀伊国日高郡藤井村(現在の和歌山県御坊市藤田町)で源兵衛の長男として生まれ、19歳の時に明治維新を経験して「狭いふるさとを出て、広い世界で活躍したい」と、和歌山市の倉田塾(吹上神社の神主・倉田績の家塾)に入り、その後日本郵船に入社し、勤勉実直な人だった清彦が生まれた時は単身赴任で宮城県石巻支店に勤務しており、その後四日市に移った。
桜井 英記(さくらい ひでき、1897年(明治30年)9月1… 桜井 英記(さくらい ひでき、1897年(明治30年)9月19日 - 1988年(昭和63年)2月7日)は、日本の都市計画家。内務省技師から、太平洋戦争後は日本の都市計画コンサルタントの草分けとなる桜井・森都市計画事務所を創始した。日本都市計画学会会長も務めた。 東京府東京市本郷区(現・東京都文京区)生まれ。東京府立第一中学校(現・東京都立日比谷高等学校)、第二高等学校を経て、1922年3月東京帝国大学工学部土木工学科を卒業。同年5月より内務省都市計画局に第1技術課に配属される。 1924年2月、帝都復興院技師。1925年8月からは内務省大臣官房都市計画課(内務技師)。主に山田博愛課長を補佐し復興計画とその事業予算をまとめる資料づくりにあったという。
渡 正監(わたり まさみ、1897年(明治30年)9月5日 … 渡 正監(わたり まさみ、1897年(明治30年)9月5日 - 1953年(昭和28年)2月7日)は、日本の内務官僚。上海共同租界警視総監。
長岡 正男(ながおか まさお、1897年7月7日 - 197… 長岡 正男(ながおか まさお、1897年7月7日 - 1974年11月20日)は、日本の技術者で実業家。第6代日本光学工業(現ニコン)社長。
藤山 愛一郎(ふじやま あいいちろう、1897年〈明治30年… 藤山 愛一郎(ふじやま あいいちろう、1897年〈明治30年〉5月22日 - 1985年〈昭和60年〉2月22日)は、日本の政治家、実業家。 外務大臣、経済企画庁長官、衆議院議員(6期)、日本商工会議所会頭、経済同友会代表幹事、初代日本航空会長、自民党総務会長などを歴任した。 藤山コンツェルン二代目。位階は従二位。勲等は勲一等。 東京王子に王子製紙専務取締役藤山雷太(佐賀県士族)の長男として生まれる。慶應幼稚舎時代、当時の官公立崇拝の強い風潮の中、父が福澤諭吉門下直系であるにも拘わらず第一高等学校(現東京大学教養学部)合格者数第一位を誇った府立一中(現東京都立日比谷高等学校)を受験するも失敗、慶應義塾普通部に進学した。
湯河元威(ゆかわ もとたけ、1897年5月18日 - 195… 湯河元威(ゆかわ もとたけ、1897年5月18日 - 1958年8月8日)は、日本の農商務官僚、教育者である。
阪本 瑞男(さかもと たまお、1897年3月6日 - 194… 阪本 瑞男(さかもと たまお、1897年3月6日 - 1944年7月5日)は、日本の外交官。第二次世界大戦中ドイツの将来に悲観的な見通しを持ち、日本の対英米戦争への参戦に反対したことで知られている。
濱口 雄彦(はまぐち たけひこ 1896年8月24日 - 1… 濱口 雄彦(はまぐち たけひこ 1896年8月24日 - 1976年10月5日)は、元東京銀行頭取。(社)日本陶磁協会 第3代理事長。東京府出身。濱口雄幸の長男。弟に濱口巌根。長女・幸は船後正道(中小企業金融公庫総裁、環境事務次官、大蔵官僚)に、次女・淑は正田巌(日銀監事)に嫁いだ。
山田 作之助(やまだ さくのすけ、1896年(明治29年)4… 山田 作之助(やまだ さくのすけ、1896年(明治29年)4月22日 - 1995年(平成7年)5月20日)は、日本の会社役員、弁護士、裁判官。昭和セメント、肥後製糸各監査役。神戸弁護士会長[3]。最高裁判事[3]。衆議院議員山田喜之助の三男。
郷隆(ごう たかし、1895年10月26日 - 1944年4… 郷隆(ごう たかし、1895年10月26日 - 1944年4月18日)は、日本の教育者、ボート選手。
蜂谷 輝雄(はちや てるお 1895年10月4日 - 197… 蜂谷 輝雄(はちや てるお 1895年10月4日 - 1979年7月2日)は、日本の外交官。自由インド仮政府初代公使や内閣総理大臣秘書官を務めた。
村松 正俊(むらまつ まさとし、1895年4月10日 - 1… 村松 正俊(むらまつ まさとし、1895年4月10日 - 1981年9月20日)は、文明批評家、翻訳家。
濱田 庄司(はまだ しょうじ、1894年(明治27年)12月… 濱田 庄司(はまだ しょうじ、1894年(明治27年)12月9日 - 1978年(昭和53年)1月5日、本名象二)は、主に昭和に活躍した日本の陶芸家。次男の濱田晋作、三男の濱田篤哉、孫(晋作の次男)の濱田友緒はいずれも陶芸家。
濱田 庄司(はまだ しょうじ、1894年〈明治27年〉12月… 濱田 庄司(はまだ しょうじ、1894年〈明治27年〉12月9日 - 1978年〈昭和53年〉1月5日、本名象二)は、主に昭和時代に活躍した日本の陶芸家。民藝運動の中心的な活動家の一人であり、栃木県益子町に定住し、益子焼の中興の祖となった。 長男の濱田琉司は毎日新聞社記者。次男の濱田晋作、三男の濱田篤哉、孫(晋作の次男)の濱田友緒はいずれも陶芸家、四男の濱田能生は硝子工芸家。 神奈川県橘樹郡高津村(現・川崎市高津区溝ノ口)で、濱田久三の子として、母の実家である太田医院で生まれる。東京府立一中(現・東京都立日比谷高等学校)を経て、1913年(大正2年)、東京高等工業学校(後の東京工業大学)窯業科に入学、板谷波山に師事し、窯業の基礎科学面を学ぶ。
野元 為輝(のもと ためき、1894年(明治27年)8月29… 野元 為輝(のもと ためき、1894年(明治27年)8月29日 - 1987年(昭和62年)12月19日)は、日本の海軍軍人。第二次ソロモン海戦、南太平洋海戦に空母・「瑞鶴」艦長として参戦した。最終階級は海軍少将。
城戸 四郎(きど しろう、1894年8月11日 - 1977… 城戸 四郎(きど しろう、1894年8月11日 - 1977年4月18日)は、日本の映画プロデューサー。元松竹会長。現在の松竹社長迫本淳一は孫。
沢田 一郎(さわだ いちろう、1894年8月7日 - 198… 沢田 一郎(さわだ いちろう、1894年8月7日 - 1984年2月3日、享年89)は、元日本オリンピック委員会名誉委員、元ヤナセ常務。
徳川 夢声(とくがわ むせい、1894年4月13日 - 19… 徳川 夢声(とくがわ むせい、1894年4月13日 - 1971年8月1日)は、日本の弁士、漫談家、作家、俳優。ラジオ・テレビ番組などをはじめ、多方面で活動した日本の元祖マルチタレントとも言える人物である。本名は福原駿雄(ふくはら としお)。「彼氏」「恐妻家」の造語でも知られる。日本放送芸能家協会(現・日本俳優連合)初代理事長。
植村 甲午郎(うえむら こうごろう、1894年(明治27年)… 植村 甲午郎(うえむら こうごろう、1894年(明治27年)3月12日 - 1978年(昭和53年)8月1日)は、昭和初期から後期(1920年代 - 1970年代)の財界人、官僚。札幌オリンピック組織委員会会長。 経済団体連合会(現:日本経済団体連合会)創設に加わり事務局長となるも、公職追放となる。解除後、第3代経済団体連合会(経団連)会長(1968年(昭和43年) - 1974年(昭和49年) )。 東京府東京市に植村澄三郎の長男として生まれる。父の仕事の関係で、幼少期を札幌で過ごす。札幌区創成尋常小学校、慶應義塾幼稚舎、東京府立一中、第一高等学校を経て1918年(大正7年) 東京帝国大学法学部政治学科を卒業。
入江為常(いりえ ためつね、1894年2月7日 - 1969… 入江為常(いりえ ためつね、1894年2月7日 - 1969年3月3日)は、日本の貴族院議員。子爵。入江為守の子。 東京府出身。学習院を経て1914年(大正3年)、東京府立一中卒業。家業である歌道を極める道には進まず、東京帝国大学に進学して理学部化学科を卒業。台湾総督府中央研究所技師を経て、1928年(昭和3年)に陸軍技師、次いで理化学研究所技師となった。1938年(昭和13年)から1947年(昭和22年)まで貴族院議員を務めたほか、東京女学館で講師も務めた。 妹の高木邦子は崇仁親王妃百合子の母。弟に入江相政。母・信子は柳原前光伯爵の長女で、柳原白蓮の異母姉、かつ大正天皇の生母・柳原愛子の姪にあたる。
牟田口 格郎(むたくち かくろう、1894年1月2日 - 1… 牟田口 格郎(むたくち かくろう、1894年1月2日 - 1945年7月24日)は、日本海軍の軍人。最終階級は海軍少将。
村田 孝生(むらた たかお/たかいき、1893年10月6日 … 村田 孝生(むらた たかお/たかいき、1893年10月6日 - 1953年4月3日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
坪井 誠太郎(つぼい せいたろう、1893年9月8日 - 1… 坪井 誠太郎(つぼい せいたろう、1893年9月8日 - 1986年9月22日)は、日本の地球科学者。専門は、地質学・鉱物学・岩石学。
岩元 禄(いわもと ろく 1893年5月23日- 1922年… 岩元 禄(いわもと ろく 1893年5月23日- 1922年12月24日)は日本の大正期の建築家。歴史主義から離れ、斬新なデザインの作品を設計し、建築を創造として捉えた姿勢は同世代、次世代の建築家に影響を与えた。建築家、建築教育者として将来を嘱望されていたが、病気のため早世した。 西陣電話局を設計し、逓信省営繕の中核をなす設計者の一人であった。夭折のため作品数は少ない。 1893年(明治26年)、鹿児島県鹿児島市照国町生まれ。幼少時に父が死去し、兄・岩元禎が一高教師となったのに伴い、上京。青山小学校、府立一中、一高を経て、1915年(大正4年)東京帝国大学工科大学建築学科に入学。1918年に卒業し、逓信省に入った。
三浦 三郎(みうら さぶろう、1893年3月26日 - 19… 三浦 三郎(みうら さぶろう、1893年3月26日 - 1974年10月17日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。関東憲兵隊司令官。
小林 謙五(こばやし けんご、1893年3月22日 - 19… 小林 謙五(こばやし けんご、1893年3月22日 - 1948年4月23日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。
千田貞季(せんだ さだすえ 1892年12月16日 - 19… 千田貞季(せんだ さだすえ 1892年12月16日 - 1945年3月8日)は、大日本帝国陸軍の軍人。栄典は従四位勲二等功四級。士候26期。栗林忠道大将とは同期。
酒井 康(さかい やすし、1892年3月11日 - 1986… 酒井 康(さかい やすし、1892年3月11日 - 1986年8月1日)は、日本の陸軍軍人。第17師団長・留守第56師団長・陸軍兵器本部企画部長等を歴任し、階級は陸軍中将勲一等に至る。東京府出身。
上田 辰之助(うえだ たつのすけ、1892年2月2日 - 1… 上田 辰之助(うえだ たつのすけ、1892年2月2日 - 1956年10月13日)は、日本の経済学者、思想史家。一橋大学名誉教授。日本学士院会員。ペンシルベニア大学博士。正三位勲一等瑞宝章、イタリア王国コンメンダトーリ・コローナ・イタリヤ受章。 東京市日本橋小網町出身。実家は上田回漕店。東京府立第一中学校(現東京都立日比谷高等学校)を経て、1914年に東京高等商業学校(現一橋大学)を卒業。1916年、同校専攻部貿易科を卒業し同校講師に就任。1917年には教授に昇格。1918年からペンシルベニア大学に留学して海運論を研究。1920年、ペンシルベニア大学博士(Ph.D.)。一橋では上田貞次郎教授に師事した。
秦 豊吉(はた とよきち、1892年1月14日 - 1956… 秦 豊吉(はた とよきち、1892年1月14日 - 1956年7月5日)は、日本の実業家、演出家、翻訳家、随筆家、興行師。
田中 信男(たなか のぶお、1891年(明治24年)10月3… 田中 信男(たなか のぶお、1891年(明治24年)10月30日 - 1966年(昭和41年)12月4日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
須藤 栄之助(すどう えいのすけ、1891年9月24日 - … 須藤 栄之助(すどう えいのすけ、1891年9月24日 - 1969年1月20日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
水川 潔(みずかわ きよし、1891年(明治24年)6月21… 水川 潔(みずかわ きよし、1891年(明治24年)6月21日 - 1959年(昭和34年)2月8日)は、日本の農林官僚であり、全国穀類工業協同組合初代理事長、日本穀物検定協会理事長を務めた。岡山県出身。 1891年(明治24年)岡山県士族の父・水川龍太郎と母・與禰の長男として生れる。その後、旧制東京府立第一中学校(現:東京都立日比谷高等学校)、旧制第二高等学校理科丙類を経て、1921年(大正10年)4月、東京帝国大学農学部を卒業する。卒業後、農商務省へ技師として就職する。 農商務省で技師として入省し、1925年(大正14年)に、農林省(現:農林水産省)と商工省(現:経済産業省)に分割さたのに伴い、農林省へ所属する。
寺尾 進(てらお すすむ、1890年(明治23年)8月30日… 寺尾 進(てらお すすむ、1890年(明治23年)8月30日 - 1958年(昭和33年)11月21日)は、日本の商工官僚。実業家。
千田 貞敏(せんだ さだとし、1890年7月22日 - 19… 千田 貞敏(せんだ さだとし、1890年7月22日 - 1944年12月25日戦死認定)は、日本海軍の軍人。ビアク島の戦いにて戦死。戦死後、一階級進級し海軍中将。正四位勲二等旭日重光章。
岡 新(おか あらた、1890年〈明治23年〉7月16日 -… 岡 新(おか あらた、1890年〈明治23年〉7月16日 - 1958年〈昭和33年〉3月23日)は、日本の海軍軍人。第3代総力戦研究所所長。海兵40期首席、海大甲種22期首席、砲術校高等科18期首席。最終階級は海軍中将。 東京府麻布区、現在の東京都港区出身。旧制東京府立第一中学校より海軍兵学校第40期入校。入校時成績順位は150名中第38位、卒業時成績順位は144名中首席。海軍大学校も首席卒業。 太平洋戦争勃発直前に於ける総力戦研究所での活躍が知られている。 「スピード、スピード、これからの歴史は、今までの何倍、何十倍のスピードで進む。起ち上がるのも、亡び去るのも。」「若いときのひらめきには概して間違いがない。
木下一雄(きのした かずお、1890年5月27日 - 198… 木下一雄(きのした かずお、1890年5月27日 - 1989年5月26日)は、日本の教育学者。儒教風道徳教育を是とし、日教組と対立した。
三木 森彦(みき もりひこ、 1890年(明治23年)5月2… 三木 森彦(みき もりひこ、 1890年(明治23年)5月21日 - 1973年(昭和48年)7月28日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。東京都目黒区出身。
亀山 直人(かめやま なおと、1890年5月19日 - 19… 亀山 直人(かめやま なおと、1890年5月19日 - 1963年3月28日)は、日本の応用化学者。写真の色素増減や二次電池理論の研究等、日本の電気化学工業の発展に尽力した。
崔南善(チェ・ナムソン、1890年4月26日 - 1957年… 崔南善(チェ・ナムソン、1890年4月26日 - 1957年10月10日)は朝鮮の詩人、ジャーナリスト、歴史家である。号は六堂(ユクタン)。本貫は東州崔氏。
志摩清英(しま きよひで 1890年(明治23年)2月25日… 志摩清英(しま きよひで 1890年(明治23年)2月25日 - 1973年(昭和48年)11月7日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。
河原 春作(かわはら しゅんさく、1890年(明治23年)1… 河原 春作(かわはら しゅんさく、1890年(明治23年)1月14日 – 1971年(昭和46年)10月11日)は、日本の文部官僚、教育者。
入間野 武雄(いるまの たけお、1890年〈明治23年〉1月… 入間野 武雄(いるまの たけお、1890年〈明治23年〉1月6日 - 1958年〈昭和33年〉7月3日)は、日本の大蔵官僚。帝国銀行2代目頭取、日本専売公社総裁。 岩手県胆沢郡水沢町(のち水沢市、現在の奥州市)出身。1904年、水沢で小学校を終えると上京し東京市赤坂区霊南坂町十七番地の従兄弟にあたる斎藤実方に単身寄留。東京府立一中(現・東京都立日比谷高等学校)、旧制一高を経て、1914年高等文官試験に合格。同年東京帝国大学法学部政治学科卒。 大蔵省入省後、横須賀・厩橋各税務署長、名古屋税務監督局経理部長、神戸税関総務課長、東京税務監督局経理部長、同局間税部長、大蔵事務官、主税局勤務、銀行検査官、営繕管財局総務部長、1932年内閣総理大臣秘書官兼大蔵書記官、1934年銀行検査官兼営繕管財局理事、大臣官房会計課長、専売局販売部長、造幣局長、預金部長、1937年銀行局長、1940年退官。
赤城 正蔵(あかぎ しょうぞう、赤城 正藏、1890年〈明治… 赤城 正蔵(あかぎ しょうぞう、赤城 正藏、1890年〈明治23年〉 - 1915年〈大正4年〉3月11日)は日本の出版人。個人事業として菊半裁判(現在の一般的な文庫本サイズであるA6判よりやや大きい)の『アカギ叢書』を刊行した。日本における文庫本出版の先駆者として知られている。 1890年(明治23年)、東京市麹町区三番町(現在の東京都千代田区九段南)の和菓子屋「雪華堂」の次男として生まれる。番町小学校を経て東京府立第一中学校を卒業、出版社・同文館に就職する。 6年間の同文館勤務を経て、1914年(大正3年)1月に出版業者として独立、3月に個人事業として菊半裁判の『アカギ叢書』を創刊した。第1編はヘンリック・イブセン『人形の家』(村上静人訳、1914年3月30日発行)であった。
横山 白虹(よこやま はっこう、1889年(明治22年)11… 横山 白虹(よこやま はっこう、1889年(明治22年)11月8日 - 1983年(昭和58年)11月18日)は、俳人、医師。本名は健夫(たけお)。 本籍地は山口県大津郡深川町(現・長門市)。
笠原 幸雄(かさはら ゆきお、1889年(明治22年)11月… 笠原 幸雄(かさはら ゆきお、1889年(明治22年)11月6日 - 1988年(昭和63年)1月2日)は、日本の陸軍軍人。陸軍中将。ロシア通の参謀として知られていた。
抜山 平一(ぬきやま へいいち、1889年9月23日-196… 抜山 平一(ぬきやま へいいち、1889年9月23日-1965年8月18日)は、東京府東京市出身の電気工学者。
岩村 清一(いわむら せいいち、1889年〈明治22年〉9月… 岩村 清一(いわむら せいいち、1889年〈明治22年〉9月14日 - 1970年〈昭和45年〉2月9日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 東京府芝区(現・東京都港区)出身。1889年(明治22年)9月14日、岩村定高(初代三重県令:現在の知事)の子として生まれる。 旧制東京府立第一中学校より海軍兵学校第37期入校。入校時成績順位は180名中第54位、卒業時成績順位は179名中第8位。その後、海軍大学校甲種19期を29名中首席で卒業。 岩村の妻は高木八尺東大教授の妹。 評論家・医学博士の加藤周一は大甥。 岩村の同期に、井上成美海軍大将、小沢治三郎、草鹿任一、浮田秀彦、小松輝久、桑原虎雄、桑折英三郎、大川内伝七海軍中将、岩下保太郎海軍少将などがいる。
鍋島 直縄(なべしま なおただ、1889年5月6日 - 19… 鍋島 直縄(なべしま なおただ、1889年5月6日 - 1939年4月29日)は日本の政治家、実業家、華族。