佐藤 たまき(さとう たまき、漢字表記=環、1972年4月 … 佐藤 たまき(さとう たまき、漢字表記=環、1972年4月 - )は、日本の古生物学者。専門は古生物学。首長竜の化石研究分野の日本に於ける開拓者。学位は、Ph.D.(カルガリー大学)。東京学芸大学教育学部自然科学系広域自然科学講座宇宙地球科学分野准教授を経て、神奈川大学理学部理学科教授。2016年猿橋賞受賞。
東京都立両国高等学校:39人
佐藤 たまき(さとう たまき、漢字表記=環、1972年4月 … 佐藤 たまき(さとう たまき、漢字表記=環、1972年4月 - )は、日本の古生物学者。専門は古生物学。首長竜の化石研究分野の日本に於ける開拓者。学位は、Ph.D.(カルガリー大学)。東京学芸大学教育学部自然科学系広域自然科学講座宇宙地球科学分野准教授を経て、神奈川大学理学部理学科教授。2016年猿橋賞受賞。
金井 高志(かない たかし、1963年1月24日 - )は、… 金井 高志(かない たかし、1963年1月24日 - )は、日本の弁護士、法学者。 専門は民法、知的財産法。学位は、修士(法学)。武蔵野大学教授。元慶應義塾大学法科大学院非常勤講師。東京都江戸川区出身。 著作に『民法でみる法律学習法』、『民法でみる知的財産法』等。 1981年 - 東京都立両国高等学校卒業。 1985年 - 慶應義塾大学法学部卒業。 1987年 - 慶應義塾大学大学院法学研究科修士課程修了。 1989年 - 弁護士登録。 1993年 - 米国コーネル大学法科大学院修士課程修了。 1992年 - 英国ロンドン大学大学院修士課程修了。 2013年 - LINE株式会社 監査役(- 2019)。
澤口 俊之(さわぐち としゆき、1959年2月23日 - )… 澤口 俊之(さわぐち としゆき、1959年2月23日 - )は、日本の神経科学者、認知神経科学者、実験心理学者。理学博士(京都大学)。武蔵野学院大学国際コミュニケーション学部教授。血液型O型。既婚。 高次脳機能、特に前頭前野の研究を専門とする日本の認知神経科学者。脳機能局在論の立場から脳構造の最小単位を複数の神経細胞の集まったコラムとし、コラムや複数のコラムが集まったモジュールおよび複数のモジュールが集まったフレームといった概念で脳内構造が能力因子と対応すると説明した多重フレームモデルを提唱している。また前頭前野におけるワーキングメモリ過程やそこでのモノアミン(特にドーパミンとノルアドレナリン)の役割に関する研究論文は学術雑誌Scienceに掲載され世界的に注目される。
猪口 孝一(いのくち こういち、1955年6月13日 - )… 猪口 孝一(いのくち こういち、1955年6月13日 - )は、日本の医師、教育者、日本医科大学名誉教授。専門は血液内科学、医学博士、日本医科大学大学院(1986年3月)。 社会福祉法人 仁生社 かつしか江戸川病院 院長。葛飾区医師会副会長。厚生労働省電離放射線業務上外検討委員。社会保険診療特別審査委員会審査委員。日本血液学会名誉会員。 1955年、東京都葛飾区金町生まれ。1968年、葛飾区立末広小学校卒業後、金町中学校卒業。1971年、東京都立両国高等学校卒業後、山形大学医学部医学科に進学、1981年卒業。卒業後日本医科大学第3内科学教室に入局。1982年、日本医科大学大学院医学研究科入学(基礎系生化学第1専攻:宿谷良一教授指導)。
道山 弘康(みちやま ひろやす、1955年月日 - )は、日… 道山 弘康(みちやま ひろやす、1955年月日 - )は、日本の農学者。学位は、博士(農学)〈筑波大学:博甲169号〉。元名城大学農学部教授。 東京都葛飾区出身。1973年3月、東京都立両国高等学校を卒業。1977年3月、東京教育大学農学部農学科卒業(比較環境農学研究室)を卒業。1982年4月、茨城県霞ヶ浦高等学校附属中学校・霞ヶ浦高等学校非常勤講師(化学)1983年3月、筑波大学大学院農学研究科博士課程修了(作物学研究室)4月。財団法人日本植物調節剤研究協会臨時職員。農林水産省農業技術研究所生理遺伝部生理第5研究室へ派遣研修(生育調節剤試験)6月、農林水産省農業技術研究所非常勤職員。信州大学教育学部助手(技術科栽培担当)1985年5月、文部省内地研究員として農林水産省農業生物資源研究所機能開発部生理活性物質研究室で「生理活性物質による作物の成育制御に関する研究」に従事。
井上 達夫(いのうえ たつお、1954年〈昭和29年〉7月3… 井上 達夫(いのうえ たつお、1954年〈昭和29年〉7月30日 - )は、日本の法哲学者。東京大学名誉教授。日本を代表するリベラリストであり、ハーバード留学期に交流を築いたジョン・ロールズやトマス・スキャンロン、マイケル・サンデルといった哲学者らと議論を行い、また彼らの議論を日本に紹介した第一人者である。 1954年(昭和29年)生まれ。大阪府出身、東京都墨田区育ち。墨田区立吾嬬第一中学校、東京都立両国高等学校を経て、東京大学法学部卒業。1970年に三島由紀夫が陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で自決した際に三島が通った東大法学部に興味を持ち、進学した。 東大法学部学士助手を経て、1983年に当時新設されたばかりの千葉大学法経学部助教授となる。
松沢 哲郎(まつざわ てつろう、1950年10月15日 - … 松沢 哲郎(まつざわ てつろう、1950年10月15日 - )は、日本の動物心理学者・霊長類学者。理学博士(京都大学)。元・京都大学高等研究院特別教授・京都大学霊長類研究所兼任教授。チンパンジーに人工言語を教えるプロジェクトを通じて霊長類の認知機能を研究し、「比較認知科学」と呼ばれる新領域の権威として世界的に知られる。 愛媛県生まれ。野外調査を重視する京都大学の伝統的な霊長類研究スタイルを受け継ぎ、数多い業績の中では、とくにチンパンジーが「じゃんけん」のルールを学習できることを証明し人間の4歳児並みの認知能力をもつとした論文などが高く評価されている。一般メディアへの出演や寄稿を積極的に行い、これらの研究を一般に分かりやすく解説する活動でも著名。
長谷川 勉(はせがわ つとむ、1950年2月18日 - ) … 長谷川 勉(はせがわ つとむ、1950年2月18日 - ) は、日本のロボット工学者。九州大学名誉教授。元熊本高等専門学校校長。文部科学大臣表彰科学技術賞等受賞。 東京都出身。東京都立両国高等学校を経て、1973年東京工業大学(のちの東京科学大学)工学部電子物理工学科卒業、工業技術院電子技術総合研究所入所。1987年東京工業大学工学博士。1992年九州大学工学部教授。2004年福岡県ロボット産業振興会議副会長。2009年九州大学大学院システム情報科学研究院教授。2013年九州大学名誉教授、熊本高等専門学校校長。2017年八代市教育振興基本計画策定委員会委員長、八代市振興総合計画策定審議会会長、八代市行財政改革推進委員会会長。
濱口 富士雄(はまぐち ふじお、1949年4月14日 - )… 濱口 富士雄(はまぐち ふじお、1949年4月14日 - )は日本の漢文学者、群馬県立女子大学元学長・名誉教授。漢和辞典『全訳 漢辞海』『例解小学漢字辞典』(ともに三省堂)の編者の1人。 1949年、東京都江東区深川にて生まれる。1965年、江東区立深川第三中学校を卒業、1968年、東京都立両国高等学校を卒業。 1973年、大東文化大学文学部中国文学科を特待生として卒業、1975年、東京教育大学(現:筑波大学)大学院文学研究科中国古典学専攻修士課程を修了、1978年、大東文化大学大学院文学研究科中国学専攻博士課程を満期退学。1994年、「清代考拠学の思想史的研究」で筑波大学より博士(文学)(乙種) 1980年、長野短期大学専任講師に就任、翌1981年、秋田大学専任講師に転任、1983年に助教授に昇任。
関野 吉晴(せきの よしはる、1949年1月20日 - )は… 関野 吉晴(せきの よしはる、1949年1月20日 - )は、日本の探検家・人類学者・外科医。武蔵野美術大学名誉教授。1999年植村直己冒険賞、2000年旅の文化賞(旅の文化研究所)。 東京都墨田区出身。父は小学校教諭。1975年一橋大学法学部卒業、1976年一橋大学社会学部中退、1982年横浜市立大学医学部医学科卒業。 一橋大学在学中に自ら探検部を創設。大学3年次の1971年に1年間休学し、3人で部隊を組みアマゾン川全流域を下る。その後南米中を旅行する。早稲田大学探検部にも参加し、現在は早稲田大学探検部OB会の二木会会員。留年、休学、編入と、7年間大学に在籍。 7年かけて法学部を卒業した後、一橋大学社会学部3年に編入して、探検家に必要な知識を身につけるため社会人類学のゼミを受講していた。
山口 幸男(やまぐち ゆきお、1946年12月 - )は、日… 山口 幸男(やまぐち ゆきお、1946年12月 - )は、日本の地理学者・教育学者。群馬大学名誉教授。専門は社会科教育、郷土地理教育。 現在は群馬大学教育学部で社会科教育講座を開き、社会科教育研究室を開いて学生に指導をしている。郷土教育についての第一人者で、「上毛かるた」について専門的に調べていたりと、その専門分野に対する研究は熱心。趣味はウクレレ。
稲上 毅(いながみ たけし、1944年1月7日 - )は、日… 稲上 毅(いながみ たけし、1944年1月7日 - )は、日本の社会学者、東京大学名誉教授。専門は産業社会学。 1967年東京大学文学部倫理学科卒業、1969年同大学院社会学研究科博士課程中退。 その後、東京大学社会学科助手、1974年法政大学社会学部専任講師、1976年助教授、1983年教授、1994年東京大学文学部教授、2003年人文社会系研究科科長、文学部長、2005年定年退官、名誉教授、法政大学経営学部教授。社会保障審議会年金部会長(2006-9年)、2007年同退職、独立行政法人労働政策研究・研修機構理事長に就任。2013年同退職。 1997年、博士(社会学)(東京大学)の学位を取得。
青木 英一(あおき ひでかず、1942年 - )は、おもに工… 青木 英一(あおき ひでかず、1942年 - )は、おもに工業地理学を研究した日本の経済地理学者、敬愛大学名誉教授。 1962年に日本大学文理学部地理学科に入学し、地理学を学んだ。進路は就職を希望していたが籠瀬良明の勧めを受け、大学院への進学を志し、工業地理学の研究を始めた。 1966年に理工学研究科地理学専攻に進学し、東京教育大学の幸田清喜や、生産工学部の笹生仁のもとにも通って学んだ。 1971年に大学院を満期退学し、東京都立両国高等学校の教員となって地理を担当し、以降、都立高校の教員として働きながら研究を続けた。1984年には、「日本における工業都市の地域構造に関する研究 労働力需給を通して」により、日本大学から理学博士を取得した。
安斎 育郎(あんざい いくろう、1940年4月16日 - )… 安斎 育郎(あんざい いくろう、1940年4月16日 - )は、日本の医療工学者・物理学者・軍事学者・平和学研究者。工学博士(東京大学・1969年)(学位論文「放射線管理におけるPersonnel Monitoringに伴う不確定さの確率論的評価に関する研究」)。立命館大学特命教授・名誉教授、立命館大学国際平和ミュージアム名誉館長。専門は、放射線防護学、平和学。
宮田 隆(みやた たかし、1940年 - )は、日本の分子進… 宮田 隆(みやた たかし、1940年 - )は、日本の分子進化学者。京都大学名誉教授。DNA・タンパク質配列解析方法の開発と進化学的な発見の両面で成果を挙げた。 おもな研究業績として、ホモロジーサーチ(相同性検索)法の開発、同義・非同義置換数の概念と推定法の提案、オス駆動進化説の実証、複合系統樹による現存生物の最初の種分岐の解明、などがある。また、木村資生が提唱した分子進化の中立説(中立進化説)を実証する発見を多く行ったことでも有名。1990年代からは科学研究費プログラムのうち重点領域研究や学術創成研究の代表者として、日本の分子進化学を牽引した。その後の成果は、後生動物の遺伝子ファミリーの多様化時期の解析、最尤法を用いた分子系統樹推定法の改良、高速フーリエ変換を用いた多重配列整列法の開発、後生動物の系統関係と分岐時期についての解析など。
郷 通子(ごう みちこ、1939年4月15日 - )は、日本… 郷 通子(ごう みちこ、1939年4月15日 - )は、日本の生物学者 ・生物物理学者。元お茶の水女子大学学長。名古屋大学名誉教授。元日本生物物理学会会長。理学博士(名古屋大学・1967年)(学位論文「生体高分子の統計力学とそれのポリヌクレオチドの融解転移への応用」)。 タンパク質の分子進化を研究。エクソン・イントロン構造の研究(GO Plot)からタンパク質の立体構造の単位であるモジュールの概念を初めて提唱した。 夫は生物物理学者で京都大学名誉教授の郷信広。 福岡県生まれ。1958年東京都立両国高等学校卒業。1962年お茶の水女子大学理学部物理学科卒業、1967年名古屋大学大学院理学研究科博士課程物理学専攻修了。
加藤 尚武(かとう ひさたけ、1937年5月18日 - )は… 加藤 尚武(かとう ひさたけ、1937年5月18日 - )は、日本の哲学者、倫理学者。京都大学名誉教授。公立鳥取環境大学名誉学長(初代学長)。人間総合科学大学特任教授。元東京大学特任教授。 ヘーゲル研究者であるが、シェリングなどドイツ観念論全般についての著述もある。1979年哲学奨励山崎賞受賞。 1980年代にバイオエシックス(生命倫理学)を日本に導入した。また近年は環境倫理についても積極的に発言を行っている。 環境倫理学と生命倫理学の分野をリード。脳死、原発など現代を鋭敏に捉える。著書に『ヘーゲルの「法」哲学』(1993年)、『新・環境倫理学のすすめ』(2005年)など。 東大在学中は共産主義者同盟(ブント)に加盟。
西村 恕彦(にしむら ひろひこ、1935年3月15日 - 2… 西村 恕彦(にしむら ひろひこ、1935年3月15日 - 2019年12月23日)は、日本の計算機科学者。機械翻訳や、COBOLをはじめとするプログラミング言語、情報処理に関わる用語、文字コード等の標準化を研究分野とした。 石川県金沢市に生まれる。父は旧制金沢医科大学(現・金沢大学)の医師であった。父の転勤により、富山市に移る。太平洋戦争中の1945年に魚津市にある母方の実家に疎開した。富山市立芝園中学校の1期生となり、校章をデザインする。 東京都立両国高等学校を経て東京大学に進学。1958年に東京大学理学部地質学科を卒業する。卒業後は東京大学文学部心理学科大学院に進み、1961年に修了した(修士号取得)。
戸田 禎佑(とだ ていすけ、1934年9月 - 2024年5… 戸田 禎佑(とだ ていすけ、1934年9月 - 2024年5月19日)は、日本の東洋美術史家、東京大学名誉教授。 千葉県出身。1953年東京都立両国高等学校卒、1957年東京大学文学部美術史卒、日本テレビ入社、同年退社。1959年大学院入学、1962年修士課程修了、博士課程中退、東京国立文化財研究所所員。 1971年東京大学東洋文化研究所専任講師、1972年助教授、1980-82年文献センター助教授併任、京都大学人文科学研究所助教授併任、早稲田大学、慶應義塾大学、上智大学、明治大学、名古屋大学、東北大学、神戸大学、岡山大学、九州大学、東京芸術大学、お茶の水女子大学、千葉大学非常勤講師併任。1982年東京国立文化財研究所教授、1988年文献センター教授併任、1992年文学部美術史学科教授、1995年定年退官。
江沢 洋(えざわ ひろし、1932年6月2日 - 2023… 江沢 洋(えざわ ひろし、1932年6月2日 - 2023年9月10日)は、日本の物理学者。学習院大学名誉教授。学位は、理学博士(東京大学・1960年)。東京府出身。専門は理論物理学。
栗田 健(くりた けん、1931年11月3日 - 2022年… 栗田 健(くりた けん、1931年11月3日 - 2022年1月 )は、日本の経済学者、明治大学名誉教授、顧問。東京都出身。元明治大学総長。 この間に北海道大学、新潟大学、東京大学で非常勤講師など歴任
望月 礼二郎(もちづき れいじろう、1931年1月20日 -… 望月 礼二郎(もちづき れいじろう、1931年1月20日 - 2021年2月1日)は、日本の法学者(英米法・比較法・民法)。東北大学名誉教授、神奈川大学名誉教授。東京出身
岡本 清(おかもと きよし、1930年3月25日 - )は、… 岡本 清(おかもと きよし、1930年3月25日 - )は、日本の会計学者。千葉県船橋市出身。一橋大学名誉教授、東京国際大学名誉教授。 専門は、原価計算・管理会計。日経・経済図書文化賞、日本会計研究学会学会賞受賞。第16期日本学術会議会員。2009年瑞宝中綬章受章。 千葉県船橋町(現:船橋市)出身。松本雅男門下。弟子に、廣本敏郎(一橋大学名誉教授、公認会計士・監査審査会長)・尾畑裕(一橋大学名誉教授)・小林啓孝(慶應義塾大学名誉教授)等がいる。モルガン銀行日本代表を務めた藤巻健史(元参議院議員)・石川千晶(公認会計士、情報公開・個人情報保護審査会委員)なども岡本ゼミ出身。 翻訳家の岡本浜江(日本児童文芸家協会顧問、児童文化功労者)は妻。
鈴木 敬(すずき けい、1920年12月16日- 2007年… 鈴木 敬(すずき けい、1920年12月16日- 2007年10月18日)は、日本の美術史家。東京大学名誉教授、日本学士院会員。
奈良林 祥(ならばやし やすし、1919年(大正8年)4月2… 奈良林 祥(ならばやし やすし、1919年(大正8年)4月22日-2002年(平成14年)9月12日)は、日本の医学者・医学博士。性の研究者。東京生まれ。
町田 甲一(まちだ こういち、1916年12月9日 - 19… 町田 甲一(まちだ こういち、1916年12月9日 - 1993年10月5日)は、日本の美術史家。名古屋大学教授等を経て、武蔵野美術大学名誉教授。 1916年、東京府東京市麹町区で日本画家・町田曲江の子として生まれた。東京府立第三中学校で学ぶが、病気のため2年遅れて1936年に卒業。同年、姫路高校に進学。卒業直前の1940年3月に治安維持法違反の疑いで神戸詩人事件に連座して検挙され、18ケ月にわたって拘禁された。1942年、東京帝国大学文学部に入学して美学を専攻した。大学では、児島喜久雄の下で学んだ。1944年に卒業し、その後は同大学大学院に進学。 1946年からは大学院在籍のまま、長尾美術館へ勤務。
中村 哲(なかむら あきら、1912年2月4日 - 2003… 中村 哲(なかむら あきら、1912年2月4日 - 2003年8月10日)は、日本の政治学者、憲法学者。法政大学総長、参議院議員。父方の叔母に竹越光代(婦人運動家、歴史家・政治家竹越与三郎の妻)がいる。 東京府出身。府立三中、旧制成城高等学校(現成城大学)を経て、1934年に東京帝国大学法学部卒業(美濃部達吉門下生)。台北帝国大学文政学部の助教授・教授を経て、戦後我妻栄の引きで法政大学法学部教授に。法学部長・常務理事を歴任し、1968年に法政大学総長となった。 総長就任時は学生運動が激しく、学内で内ゲバ殺人事件(海老原事件)が発生するなど危機的な状況にあったが、警官隊の学内導入をほのめかした秦野章警視総監と対立しながらも大衆団交を繰り返し、終に警官隊を導入することなく事態を乗り切った。
木内 信蔵(きうち しんぞう、1910年11月19日 - 1… 木内 信蔵(きうち しんぞう、1910年11月19日 - 1993年4月7日)は、日本の地理学者。専門は人文地理学。東京大学名誉教授。 東京出身。浦和高等学校卒、東京帝国大学理学部地理学科卒。大学院、理学部助手、講師を経て、1949年に東京大学教養学部助教授。1950年「都市の地理学的研究」で東京大学より理学博士の学位を取得。1954年、教養学部に人文地理学教室を創設。1956年に教授。1971年、定年退官、名誉教授、成城大学教授。1975年、ジョージ・デビッドソン賞受賞。1981年、定年退任。1959年、ベルリン地理学協会から日本人初のカール・リッター賞を受けた。
吉田 精一(よしだ せいいち、1908年〈明治41年〉11月… 吉田 精一(よしだ せいいち、1908年〈明治41年〉11月12日 - 1984年〈昭和59年〉6月9日)は、日本の国文学者、東京大学教授。専門は近代文学。学位は、文学博士(東京大学・論文博士・1960年)。 1940年(昭和15年)の処女作『近代日本浪漫主義研究』で頭角を現し、1951年(昭和26年)より日本近代文学会の中心となる。また、1983年(昭和58年)に近代日本文学の分野で初めて日本学士院会員となった。 文献学批判の立場から、独自の美学的根拠にたつ実証研究を確立した。芥川龍之介、永井荷風、谷崎潤一郎といった現代作家を研究対象とすることは当時のアカデミズムでは異例のことである。東京大学の教授だった時期は短く、名誉教授にはなっていない。
畠山 久尚(はたけやま ひさなお、1905年1月20日 - … 畠山 久尚(はたけやま ひさなお、1905年1月20日 - 1994年2月11日)は、日本の地球物理学者。 新潟県北蒲原郡新発田町生まれ。1922年旧制東京府立第三中学校卒業。1925年旧制第一高等学校理科甲類卒業。1928年東京帝国大学理学部物理学科を卒業し、中央気象台に入る。1949年気象研究所長、1958年東京管区気象台長、1963年気象庁長官。1965年退官、のち二松學舍大学教授、1975年名誉教授。 1938年10月に、地磁気湾形変化の研究を発表した。1940年「地磁気及び地電流の湾型変化並に脈動に関する研究」で理学博士の学位を取得。
金子 泰藏(かねこ たいぞう、1904年(明治37年)10月… 金子 泰藏(かねこ たいぞう、1904年(明治37年)10月23日 - 1987年(昭和62年)5月17日)は、日本の商学者、教育者、通訳者で一橋学院、東京国際大学の創立者である。1973年に勲三等旭日中綬章受章。 1904年10月23日、東京の浅草で生を受ける。旧制府立三中に進学し、卒業後、東京商科大学(現・一橋大学)に入学した。在学中に後の国連大使・加瀬俊一と知り合い、同じ語学クラブとして英語を学ぶことになる。大学卒業後、東京商工会議所に就職し、外国課長として貿易業務を行いながら、新設されたばかりの上智大学にて教授として英語を教えていた。1941年太平洋戦争が開始されると、三菱、三井と共に軍需産業を行っていた日本鉱業の海外課長となり、海外調査の業務全般を行う。
武藤 重勝(むとう しげかつ、1904年2月4日 - 199… 武藤 重勝(むとう しげかつ、1904年2月4日 - 1990年6月19日)は、日本の詩人、図書館情報学者。 1904年(明治37年)、日本統治下の台湾に生まれる。幼少期を父の郷里である宮崎県児湯郡高鍋町で過ごし、東京府の旧制第三中学校(現在の東京都立両国高等学校)を経て旧制宮崎中学校(現在の宮崎県立宮崎大宮高等学校)へ移る。旧制宮崎中5年生の時には武者小路実篤が児湯郡木城町に開いていた「新しき村」を友人らと訪問し、実篤の薫陶を受けている。 旧制宮崎中を卒業後、立教大学文学部哲学科に進学。1930年(昭和5年)に卒業した後、そのまま大学図書館の職員となる。1938年(昭和13年)、神戸市が募集していた『神戸市歌』(初代、1951年廃止)の歌詞募集において応募作が一等入選で採用された。
西川 寧(にしかわ やすし、1902年〈明治35年〉1月25… 西川 寧(にしかわ やすし、1902年〈明治35年〉1月25日 - 1989年〈平成元年〉5月16日)は、20世紀を代表する日本の書家、金石学者、中国文学者、西域出土晋代墨蹟の書道史的研究で文学博士(慶應義塾大学)。字は安叔。号は靖闇。贈正三位(没時叙位)、贈勲一等瑞宝章(没時陞叙)。息子の西川杏太郎は奈良国立博物館長、東京国立文化財研究所所長を歴任した仏像を中心とした日本彫刻史の研究者。 明治の大家、西川春洞の三男として東京に生まれる。俗に「昭和の三筆」の一人とも言われる。現代の書壇に最も影響を及ぼし、書の巨人と呼ばれ、文字学研究者として、また書壇を驚かす強烈なインパクトの作品を数々残した。子に美術史研究者の西川杏太郎がある。
守随 憲治(しゅずい けんじ、1899年3月10日 - 19… 守随 憲治(しゅずい けんじ、1899年3月10日 - 1983年2月7日)は、近世日本文学研究者、東京大学教養学部・実践女子大学名誉教授。
山極 一三(やまぎわ かずみ、1897年(明治30年)4月2… 山極 一三(やまぎわ かずみ、1897年(明治30年)4月26日- 1968年(昭和43年)5月19日)は、日本の医学者、生理学者、脳波研究者。医学博士。 日本人初の脳波研究者である。ただし帰国後は脳波研究からは手を引く。興奮伝導に関する理論研究に専念した。 東京高等歯科医学校(後の東京医科歯科大学)教授を務めた。 長野県小県郡西塩田村で出生、2,3才の頃東京に移る。大正4年に東京府立第三中学校を卒業、大正8年に第一高等学校を卒業、大正13年に東京帝国大学医学部医学科を卒業。昭和6年12月から橋田邦彦研究室の助教授を務めた。橋田門下での最優秀の学者と評される。 昭和8年、ヨーロッパへ留学。昭和11年まで主にケンブリッジ大学のエドガー・エイドリアン(1932年ノーベル生理学賞受賞)の下でヒト頭皮上計測脳波黎明期の研究に従事した。
蜷川 虎三(にながわ とらぞう、1897年2月24日 - 1… 蜷川 虎三(にながわ とらぞう、1897年2月24日 - 1981年2月27日)は、日本の政治家、経済学者、統計学者。初代中小企業庁長官。元京都府知事(1950年 - 1978年)。 東京府東京市深川区深川入船町(現在の東京都江東区木場一丁目)の材木商の家に生まれた。旧制東京府立第三中学(現:東京都立両国高等学校・附属中学校、同学年に正木ひろし(弁護士)がおり、英語教諭だった北昤吉(北一輝の弟)の授業を受ける)、農商務省水産講習所(現:東京海洋大学)卒業後、京都帝国大学経済学部に入学、1923年に卒業。1927年、同助教授となる。当初はマルクス経済学者の河上肇に私淑し、漁業水産経済学を研究していたが、ドイツに留学後、『統計利用に於ける基本問題』で経済学博士号を取得するも教授に昇格するのはずっと遅く1942年(昭和17年)だった。
武者 金吉(むしゃ きんきち、1891年(明治24年)2月2… 武者 金吉(むしゃ きんきち、1891年(明治24年)2月22日 - 1962年(昭和37年)11月7日)は日本の地震学者、地理学者、英語教師。本業である英語教師としての業務のかたわら、独学で地震学を学んだ。ほとんど独力で膨大な量の歴史地震に関する史料を収集し、『増訂大日本地震史料』としてまとめた。 1891年(明治24年)2月22日(戸籍上は3月1日)、東京市本所区向島須崎町(現在の墨田区)に生まれる。浅田家の第4子であったが、間もなく武者家の養子となる。 府立三中を経て、1910年(明治43年)9月、早稲田大学文学部英文学科に入学。1911年7月と1912年7月の2回、首席となり早稲田大学特待生となって授業料を免除される。
榎本 重治(えのもと じゅうじ、明治23年〈1890年〉1月… 榎本 重治(えのもと じゅうじ、明治23年〈1890年〉1月16日 - 昭和54年〈1979年〉11月30日)は、大日本帝国海軍の海軍書記官(海軍高等文官)、日本の弁護士・国際法学者。 東京府立第三中学校(現:東京都立両国高等学校・附属中学校)、第二高等学校を経て、東京帝国大学法科大学英法科に進み、大正2年(1913年)11月に高等文官試験行政科に合格し、大正3年(1914年)7月に東京帝大を卒業した。 鉄道院書記を経て、大正4年(1915年)10月、大日本帝国海軍の高等文官たる海軍書記官(当時の官名は海軍省参事官)に任官し、高等官七等(奏任官、中尉相当)に叙された。 昭和13年(1938年)10月、高等官一等(勅任官、海軍高等文官の最高位、各省次官〈高等文官〉や陸海軍中将〈高等武官〉に相当)に叙された。
北沢 新次郎(きたざわ しんじろう、1887年2月21日 -… 北沢 新次郎(きたざわ しんじろう、1887年2月21日 - 1980年1月3日)は、日本の経済学者、社会運動家、早稲田大学名誉教授。労働問題、社会政策を専門とし、東京経済大学学長なども務めた。 東京出身。府立三中(現東京都立両国高等学校)を経て早稲田大学に学び、アメリカ合衆国へ5年間留学して、1911年に「Industrial Revolution of England and Japan」でノースカロライナ大学からM.A.を、1914年には「Japanese Finance during Russo-Japanese War」でジョンズ・ホプキンス大学からPh.D.を取得した。1915年に商学部講師として教職に就き、1916年には教授となって、「工業経済」、「社会政策」といった科目を担当しながら、実質的に労働問題についての研究教育を行なうとともに、1919年には早稲田大学の学生を中心とした学生運動団体であった建設者同盟の顧問となった。