スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
山谷 えり子(やまたに えりこ、1950年〈昭和25年〉9月… 山谷 えり子(やまたに えりこ、1950年〈昭和25年〉9月19日 - )は、日本の政治家、著述家、元ニュースキャスター。自由民主党所属の参議院議員(4期)。 衆議院議員(1期)、国家公安委員会委員長(第88・89代)、拉致問題担当大臣、海洋政策・領土問題担当大臣、国土強靭化担当大臣、内閣府特命担当大臣(防災担当)、内閣総理大臣補佐官、参議院環境委員長、参議院参議院政府開発援助等に関する特別委員長、参議院参議院政治倫理の確立及び選挙制度に関する特別委員長、参議院北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員長、自由民主党参議院政策審議会長、自由民主党北朝鮮による拉致問題対策本部長などを歴任した。尾崎行雄記念財団顧問。
根岸 吉太郎(ねぎし きちたろう、1950年8月24日 - … 根岸 吉太郎(ねぎし きちたろう、1950年8月24日 - )は、日本の映画監督。東北芸術工科大学理事長。 東京都出身。東京都立駒場高等学校、早稲田大学第一文学部演劇学科卒業。 早稲田大学卒業後、1974年日活に入社。同期には池田敏春がいる。なおこの年はにっかつが映画制作再開に伴い10年ぶりに大学卒の新卒採用を再開した年でもあった。藤田敏八、曽根中生に師事。 早稲田卒業時の論文は、野田高梧の脚本における時間経過などがテーマであり「映画監督志望なのになんで小津ではなく野田か」と、仲間内でも笑う者や不思議がる者が多かったという。
中田 美知子(なかた みちこ、1950年〈昭和25年〉2月1… 中田 美知子(なかた みちこ、1950年〈昭和25年〉2月13日 - )は、日本のアナウンサー。東京都渋谷区出身。FM北海道(AIR-G')で常務取締役を務めた。本名は矢野 美知子。 2015年8月より札幌大学客員教授、2016年3月より中道リース社外取締役、同4月よりイオン北海道社外取締役、2018年1月より土屋ホールディングス社外取締役を務める。 東京都立駒場高等学校在学中にNHK杯全国高校放送コンテストに5位入賞。1972年慶應義塾大学文学部国文学科卒業後、北海道放送(HBC)にアナウンサーとして入社。同期には佐藤のりゆき、横田久がいる。 1974年、結婚を機にHBCを退社し、以後フリーアナウンサーとして活動。
増山 法恵(ますやま のりえ、1950年1月29日 - 2… 増山 法恵(ますやま のりえ、1950年1月29日 - 2021年6月30日から7月1日にかけての未明)は、日本の漫画原作者、小説家、書評家、映画評論家、音楽評論家。東京都出身。血液型はB型。 漫画家・竹宮惠子のプロダクションのプロデューサー兼ディレクターを20歳のときから務め、『変奏曲』の原作なども担当する。15年間務めたのち独立、フリーライターとして活動する。のりす・はーぜの筆名で、『風と木の詩』のその後を書いた小説『神の子羊』や、イギリスのパブリックスクールを舞台にしたミステリー『永遠の少年』を執筆。他に、増山のりえの名前で『アリス・ブック』『少女風雅』の編纂など。 幼少時から指が人よりもよく動いたという理由で、両親のすすめでピアノを習い始め、小・中学校時代は桐朋学園大学の『子供のための音楽教室』に通い、将来はプロのピアニストを目指していた。
谷口 由美子(たにぐち ゆみこ、1949年〈昭和24年〉1月… 谷口 由美子(たにぐち ゆみこ、1949年〈昭和24年〉1月9日 - )は、日本の翻訳家。ローラ・インガルス・ワイルダーの著作をはじめ、主にアメリカの児童文学の翻訳を行っている。本名、玉田由美子。 山梨県甲府市出身。1963年12月末に東京都世田谷区に転居、翌年4月都立駒場高等学校に進学。上智大学外国語学部英語学科4年のとき、1970年から1971年にかけて交換留学生として米国のセント・メアリ・カレッジ(英語版)で学ぶ。留学先の大学図書館に十代の初めごろから関心のあったローラ・インガルス・ワイルダー著の「小さな家シリーズ」(ローラ物語)の原書が所蔵されてあるのを見つけ、原書をこのときはじめて読み通している。
中村 泰久(なかむら やすひさ、1947年10月9日 - )… 中村 泰久(なかむら やすひさ、1947年10月9日 - )は日本の天文学者。北村正利に師事した。理学博士。
喜瀬 浩(きせ ひろし、1947年〈昭和22年〉4月30日 … 喜瀬 浩(きせ ひろし、1947年〈昭和22年〉4月30日 - )は、フリーアナウンサー、元札幌テレビ放送(STV)のアナウンサーである。番組などでは「喜瀬ひろし」と表記されることもある。 北海道亀田郡亀田村(現:函館市)出身。 協和銀行に勤める父の転勤により、小学校から大学まで東京都世田谷区池尻及び町田市で育つ。 世田谷区立富士中学校、東京都立駒場高等学校、中央大学法学部政治学科卒業。 1970年札幌テレビ放送入社(同期は阿久津正行、平山恵美子、暮地雅子)。 1970年代後半よりラジオ番組を中心に担当し、日曜朝のベストテン番組「北海道 young Hit 10」などで人気を得た。 熱狂的な東京ヤクルトスワローズのファンである。
木畑 和子(きばた かずこ、1947年 - )は、日本の歴史… 木畑 和子(きばた かずこ、1947年 - )は、日本の歴史学者。成城大学名誉教授。専門は、ドイツ現代史、特にナチス・ドイツ時代のキンダートランスポート (Kindertransport) や「医学の犯罪」についての研究。 東京都世田谷区等々力に生まれる。東京都立駒場高等学校から、大学紛争期の東京女子大学に進み、西川正雄の指導を受け、以降、師事する。1970年に東京女子大学文理学部史学科を卒業し、東京都立大学大学院に進み、1972年に修士課程を修了した後、東京大学大学院修士課程に転じ、1974年にふたつめの修士を取得した。博士課程に進学し、1975年から1977年まで、ドイツ学術交流会 (DAAD) の留学制度によりミュンヘン大学に学び、帰国後の1981年に博士課程を単位取得退学した。
村田 健司(むらた けんじ、1946年7月8日 - )は、日… 村田 健司(むらた けんじ、1946年7月8日 - )は、日本のバリトン歌手、翻訳家。 1966年、東京都立駒場高等学校音楽科を卒業。1969年、東京芸術大学音楽学部声楽科を卒業。声楽を中山悌一、古沢淑子、疋田生次郎、ジャック・ジャンセン、カミーユ・モラーヌに師事。1972年、二期会研究生修了。同年、フランス政府給費留学生としてパリ音楽院へ入学、1975年に帰国する。 1984年、「プーランクの歌曲」に対し文化庁芸術祭優秀賞を受賞。 オペラは1974年にフランス・リヨン・オペラ座のアペルギス「運命論者ジャック」でデビュー。 帰国後は西武劇場、三谷礼二プロデュースのモーツァルト「フィガロの結婚」の伯爵、日本オペラ協会、池辺晋一郎「死神」の早川、東京オペラプロデュース、ミヨー「オルフェの不幸」のオルフェ、藤原歌劇団、ヴァイル「マハゴニー」のビル、東京室内歌劇団、プーランク「ティレジアスの乳房」の亭主、青島広志「火の鳥」のヤマト・タケル等に出演。
彦坂 尚嘉(ひこさか なおよし、1946年(昭和21年)6月… 彦坂 尚嘉(ひこさか なおよし、1946年(昭和21年)6月26日 - )は、日本の現代アーティスト。詩人、ノイズ音楽家。 元立教大学大学院特任教授。独自に開発した言語判定法を駆使して、芸術分析を展開する芸術分析家。芸術分析の領域は、美術、音楽、文学、味覚、人相に及ぶ多義性がある。日本ラカン協会会員。有限会社気体分子ギャラリー代表取締役社長。ネットアートショップ「きたいぶんしギャラリー3000」運営。 彦坂尚嘉は、1946年(昭和21年)6月26日、私生児として生まれた。戸籍上の母は、彦坂静。しかし静は実の祖母で、実母は戸籍上の姉であった和子であった。幼い頃、腸結核に罹患して、小学校1年・2年は学校には半分ほどしか出席していない。
渡辺 直子(わたなべ なおこ、1946年2月14日 - )は… 渡辺 直子(わたなべ なおこ、1946年2月14日 - )は、日本の歌手、タレント。元フジテレビアナウンサー。本名は料治 直子(りょうじ なおこ)。旧姓は渡辺。夫は元TBSアナウンサーで報道記者としても活動した料治直矢。 東京都生まれ。東京都立駒場高等学校を経て、1966年3月、青山学院女子短期大学英文科(のちの英文学科)を卒業した。1966年4月、フジテレビに入社した。入社直後に「ママとあそぼう!ピンポンパン」に起用され、初代お姉さんに就任した。明るく快活なキャラクターがお茶の間の人気を博した。1968年4月にフジテレビを退社し、フリーに転身した。「ママとあそぼう!ピンポンパン」専属となる。1971年10月の番組卒業後、タレント・歌手に転向し、子供を対象として活動した。
生方 卓(うぶかた すぐる、1946年 - )は、日本の経済… 生方 卓(うぶかた すぐる、1946年 - )は、日本の経済学者。専門は社会思想史、環境共生思想。生田9条の会会員。 1946年、千葉県に生まれる。東京都立駒場高等学校を経て1969年3月、明治大学一部政治経済学部経済学科を卒業。1971年3月、明治大学大学院政治経済学研究科経済学専攻博士前期課程修了、経済学修士。1974年3月、明治大学大学院政治経済学研究科経済学専攻博士後期課程単位取得満期退学。明治大学政治経済学部専任講師、助教授を経て、明治大学政治経済学部准教授。2017年3月、准教授のまま定年退職。
吉田 恒昭(よしだ つねあき、1946年 - )は、日本の土… 吉田 恒昭(よしだ つねあき、1946年 - )は、日本の土木工学者。東京大学名誉教授。アジア・太平洋賞特別賞等受賞。 栃木県生まれ。1962年渋谷区立鉢山中学校卒業。1965年東京都立駒場高等学校卒業。サッカー部出身。 1971年東北大学工学部土木工学科卒業、日本工営入社。1977年国際開発センター研究員。 1978年ロンドン大学ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス大学院開発経済学専攻修士課程修了、M.Phil(経済学修士)。 1981年アジア開発銀行入行。1989年アジア開発銀行主任計画官。 1989年東京大学大学院工学系研究科教授。1992年博士(工学)。1998年アジア・太平洋賞特別賞受賞。
荒 岱介(あら たいすけ、1945年6月26日 - 2011… 荒 岱介(あら たいすけ、1945年6月26日 - 2011年5月3日)は、日本の新左翼活動家。「共産主義者同盟 (戦旗派)」(通称「日向派」「荒派」)代表、市民団体BUND代表。組織名は日向翔、赤目猫蔵、緒方哲生。 1945年6月、母親の疎開先の千葉県東葛飾郡関宿町(現・野田市)で生まれる。母親は陸軍中野学校の電話交換士、父親は運送業者だが小児マヒの後遺症による障害者であった。 渋谷区立幡代小学校、代々木中学、都立駒場高校に進む。中学と高校時代は野球部。1965年早稲田大学第一法学部入学。現代文学会に所属し文学活動を志していた。その年の秋よりベトナム戦争を背景に早大学費学館闘争がはじまり苦学生として闘争に参加。
村井 紀(むらい おさむ、1945年2月11日 - )は、日… 村井 紀(むらい おさむ、1945年2月11日 - )は、日本の近代思想の研究者、評論家、前和光大学表現学部教授。
鈴木良昭(すずき よしあき、1944年10月9日 - )は、… 鈴木良昭(すずき よしあき、1944年10月9日 - )は、東京都生まれのクラリネット奏者である。 東京都立駒場高等学校を経て、東京芸術大学卒業、及び同大大学院修了。クラリネットを三島勝輔、千葉国夫、北爪利世に師事した。 1968年、第37回日本音楽コンクール・管楽器部門第1位を受賞した。旧日本フィルハーモニー交響楽団を経て、1972年、新日本フィルハーモニー交響楽団創設に参加した。新日本フィル在団中に渡米し、1981年から1982年の1年間、元クリーヴランド管弦楽団首席奏者R.マルセラスに師事する。帰国後、再び新日本フィルで首席奏者を務め、2004年に定年退職した。 活動は、オーケストラにとどまらず、現代音楽の室内楽グループ『サウンド・スペース・アーク』のメンバーとして内外で活躍。
矢吹 申彦(やぶき のぶひこ、1944年4月7日 - 202… 矢吹 申彦(やぶき のぶひこ、1944年4月7日 - 2022年10月28日)は、日本のイラストレーター、グラフィックデザイナー、装丁家、随筆家。俳号は矢吹猿人(さるんど)。 東京都世田谷区出身。東京都立駒場高等学校卒業。1965年に桑沢デザイン研究所へ入学、1967年に同研究所抹籍。同年から、フリーのグラフィックデザイナー、イラストレーターに。専門学校時代から音楽雑誌のイラストなどを手がける。和田誠のアシスタントをしながら、雑誌『話の特集』のスタッフもつとめていた。 1969〜76年月刊『ニューミュージック・マガジン』のADと表紙絵を担当。1981〜1990年月刊『潮』、1983年〜季刊『教育と施設』、1992〜1995年月刊『東京人』各誌の表紙絵担当。
跡見 順子(あとみ よりこ、1944年 - ) は、日本の生… 跡見 順子(あとみ よりこ、1944年 - ) は、日本の生物学者。東京大学名誉教授。元跡見学園評議員。元日本女性科学者の会会長。文部科学大臣表彰科学技術賞受賞。 茨城県筑波郡小野川村(現在のつくば市)生まれ。東京都立駒場高等学校を経て、1967年お茶の水女子大学文教育学部保健体育学科卒業。1973年東京大学大学院教育学研究科体育学専門課程修士課程修了、教育学修士。1979同博士課程満期退学、東京大学教育学部助手。1980年教育学博士。1982年東京大学教養学部講師。1985年同助教授。1994年東京大学大学院総合文化研究科生命環境科学系教授。1998年日本運動生理学会理事。2000年日本宇宙生物科学会副会長。
加藤 登紀子(かとう ときこ、本名:藤本 登紀子、1943年… 加藤 登紀子(かとう ときこ、本名:藤本 登紀子、1943年〈昭和18年〉12月27日 - )は、日本初の女性シンガーソングライター、作詞家、作曲家、女優。日本訳詩家協会6代目会長。「おときさん」の愛称で親しまれている。 「百万本のバラ」(1987年 のヒット曲)の日本語歌詞作詞を行ったことや、「難破船」(自身の歌唱後、中森明菜がカバーした)の作詞作曲などでも知られる。『ほろ酔いコンサート』を50年以上に渡って開いている(2023年現在)。 城西国際大学観光学部で客員教授をした後、星槎大学共生科学科客員教授(2025年1月現在)。日本訳詩家協会会長に就任(2021年5月〜)。夫は学生運動活動家の藤本敏夫。
渡辺 南都子(わたなべ なつこ、1943年8月14日 - )… 渡辺 南都子(わたなべ なつこ、1943年8月14日 - )は、日本の児童文学翻訳家。 東京都生まれ。東京学芸大学学芸学部国語科卒業。河出書房勤務ののち英米児童文学の翻訳家となる。
塚本 明子(つかもと あきこ、1941年11月1日 - )は… 塚本 明子(つかもと あきこ、1941年11月1日 - )は、日本の哲学者。東京大学名誉教授。 東京府東京市生まれ。1860年東京都立駒場高等学校卒業、1964年東京大学教養学部教養学科イギリス分科卒業、同大学院人文科学研究科比較文学比較文化専攻博士課程中退。 71年相模女子大学講師。74年退職しブリティッシュ・カウンシルでオックスフォード大学留学、85年哲学博士。論文は"Art as Performance-an Essay on Comparative Aesthetics"。79年筑波大学現代語現代文化助教授、87年東京大学教養学部助教授(英語)、91年教授、2002年定年退官、名誉教授、江戸川大学教授、ケンブリッジ大学客員教授、2005年大妻女子大学比較文化学部教授。
大宅 映子(おおや えいこ、本名:枝廣 映子、1941年(昭… 大宅 映子(おおや えいこ、本名:枝廣 映子、1941年(昭和16年)2月23日 - )は、日本のジャーナリスト、評論家、コメンテーター。 ジャーナリスト大宅壮一の三女。兄は詩人・大宅歩。芸能事務所ホリプロがマネジメントしている。 株式会社大宅映子事務所代表取締役、公益財団法人大宅壮一文庫理事長。(母・大宅昌から引き継いだ。) CNNj放送番組審議会委員、AXNエンタテインメント放送番組審議会委員、西武ホールディングス社外取締役、日本年金機構理事、公益財団法人日本国際フォーラム評議員、日本ゴルフ改革会議議長。元日本インフォメーションシステムズ (NIS) 代表取締役、元株式会社髙島屋社外取締役、元資生堂社外監査役。
加賀美 幸子(かがみ さちこ、旧姓・山田。1940年〈昭和1… 加賀美 幸子(かがみ さちこ、旧姓・山田。1940年〈昭和15年〉6月24日 - )は、日本のフリーアナウンサー、千葉市女性センター名誉館長、松下幸之助記念志財団評議員。 元NHKエグゼクティブアナウンサー(理事待遇)でNHKを代表するアナウンサーの一人であった。 夫はNHKディレクターを経て中央大学教授を務めた加賀美鉄雄。 1940年(昭和15年)、群馬県北群馬郡渋川町(現・渋川市)で生まれる。母方の伯父は渋川市長を務めた石北正司。渋川北小学校入学後、東京の小学校へ転校。東京都立駒場高等学校を経て、1963年(昭和38年)に立教大学文学部英米文学科を卒業し、NHK入局。以来定年まで一貫して東京アナウンス室勤務だった。
西巻 茅子(にしまき かやこ、1939年〈昭和14年〉4月2… 西巻 茅子(にしまき かやこ、1939年〈昭和14年〉4月27日 - )は、日本の絵本作家・画家・イラストレーター。代表作は『わたしのワンピース』『ちいさなきいろいかさ』など。 1939年、東京都に生まれる。洋画家の山口猛彦を父とし、母フミとの間に次女として生まれた。 1945年9月、千葉県山武郡に転居、1946年4月に千葉で小学校に入学したが、6月には東京に戻った。1955年、東京都立駒場高等学校に入学した。 1964年、東京芸術大学美術学部工芸科を卒業し、世田谷区に子どもに絵を教える『子どものアトリエ』を開いた。大学卒業後、銀座の版画工房でリトグラフを学び、アルバイトをしながらリトグラフの作品を作っていた。
荘司 貴和子(しょうじ きわこ、1939年 - 1979年6… 荘司 貴和子(しょうじ きわこ、1939年 - 1979年6月5日)は日本画家、抽象画家。 兵庫県神戸市生まれ。東京都立駒場高等学校芸術科を経て、1963年に東京芸術大学日本画科を卒業。高校の非常勤講師として絵画を教える傍ら制作活動に取り組み、新制作協会日本画部に出品、1973年と1974年には春季展賞を受賞した。1971年に結婚、夫の母である日本画家の荘司福とは共に取材旅行を行い制作に励む。1974年に結成された創画会にも出品を重ね、4年連続で春季展賞を受賞するなどしたが、1979年に腸癌で死去。享年39歳。 その作品は、加山又造により「稀有の才能に満ち」「日本画という制約の多いとも思える素材、技法で、日本画のみが可能と思える抽象作品を、地道に、しかも才能豊かに、一貫して発表しぬいて居られ」「胸をときめかして見たのである」と評された。
眞理 ヨシコ(まり ヨシコ、1938年〈昭和13年〉12月4… 眞理 ヨシコ(まり ヨシコ、1938年〈昭和13年〉12月4日 - )は、日本の童謡歌手、声優、女優、東洋英和女学院大学名誉教授。本名、佐藤 美子(さとう よしこ)。旧芸名は真理ヨシコ。東京芸術大学音楽学部声楽科卒業。 岐阜県で生まれ、間もなく親の転勤で東京都へ転居。東京都立駒場高等学校芸術科(後に東京都立芸術高等学校として分離独立するも閉校)在学中より、東京芸術大学の講師だった酒井弘に師事。その後、深緑夏代にシャンソンの指導を受ける。東京芸術大学音楽学部声楽科を卒業。1961年、東京芸大2年の時NHKのオーディションに合格し、NHK『歌の広場』のニュー・ボイスとなる。 その後、『おかあさんといっしょ』(当時はうたのえほん)の初代うたのおねえさんに就任。
八村義夫(はちむら よしお、1938年10月10日 - 19… 八村義夫(はちむら よしお、1938年10月10日 - 1985年6月15日)は、日本の現代音楽の作曲家。東京都出身。 9歳よりヴァイオリンを習い始め、「桐朋学園子供のための音楽教室」に入室。柴田南雄、入野義朗らに聴音、音楽理論、ソルフェージュ等の指導を受ける。中学より作曲とピアノを松本民之助に師事。1954年に東京都立駒場高等学校芸術科にヴァイオリン専攻として入学。 1957年に東京芸術大学作曲科に入学。在学中に、「オーケストラのためのレントとアレグロ」が第29回音楽コンクールにて第3位を受賞。島岡譲に師事し、1961年に東京藝術大学を卒業。芸大卒業後は都立高校の非常勤講師、東京理科大学のオーケストラ部の指導などで生計を立てていたが、和声への研鑽を深めるべく、東京芸大大学院に入学。
鳥居 清光(とりい きよみつ、1938年1月27日 -202… 鳥居 清光(とりい きよみつ、1938年1月27日 -2021年5月24日)は、日本の女性画家、浮世絵師、舞台美術家。鳥居派9代目当主。本名は、鳥居せつ子。鳥居派8代目・5代清忠の娘で、鳥居派で初の女性浮世絵師である。東京都町田市在住。日本舞台美術家協会会員、国際浮世絵学会会員、日本演劇協会会員木版画や鳥居派伝統の歌舞伎絵看板だけでなく、歌舞伎の衣裳や舞台美術も手がけ、舞台装置図のような立体図も制作。鈴本演芸場番組表の表紙絵も描いていた。 東京都出身。鳥居派8代目・5代清忠(言人)の娘として生まれる。幼少より家業の手伝いをしていたが、兄・元宏が映画監督の道に進んだため、鳥居派を滅ぼすまいとした父から画法を伝授された。
野中 ユリ(のなか ゆり、1938年 - )は日本の美術家。… 野中 ユリ(のなか ゆり、1938年 - )は日本の美術家。銅版画、平版、印刷版画、デカルコマニー、コラージュ、パステル、油彩、タブロー・コラージュ、オブジェ、装丁、挿画の分野で活動。 画家の野中曜子の娘として東京府に生まれる。東京都立駒場高等学校卒業。1953年頃から銅版画を始め、関野凖一郎や駒井哲郎や瀧口修造に師事。それ以来、正規の美術学校には入らず、独学で研鑽を積む。1957年、瀧口の推薦で瀧口企画のグループ展「銅版画展」(タケミヤ画廊)に出品。同年「第1回東京国際版画ビエンナーレ展」(東京国立近代美術館)にも出品。1959年の第1回個展で澁澤龍彦の知遇を得る。
桐島 洋子(きりしま ようこ、1937年7月6日 - )は、… 桐島 洋子(きりしま ようこ、1937年7月6日 - )は、日本のエッセイスト、ノンフィクション作家。長女はモデル・元歌手・女優の桐島かれん、次女はエッセイストの桐島ノエル、長男は写真家の桐島ローランド。スペイン語通訳者の大瀬瓊子は母方の従姉妹。 一時期、経済学者の青木昌彦と事実婚関係にあった。その奔放な生き方から元祖翔んでる女と呼ばれ、同語が1970年代に流行語になった。 東京生まれ。父は三菱財閥に勤務していたが、元来は画家志望で、やはり三菱の重役だった祖父の命令で東京帝国大学(現・東京大学)経済学部を卒業し跡継ぎになった。教養ある文化人だった父から様々なことを教わった。母は医師の娘で父に見初められ結婚するが、財界人の娘を嫁にと考えていた姑に気に入られず苦労する。
張 富士夫(ちょう ふじお、1937年〈昭和12年〉2月2日… 張 富士夫(ちょう ふじお、1937年〈昭和12年〉2月2日 - )は、日本の実業家、元トヨタ自動車代表取締役社長、同社元名誉会長。 株式会社デンソー社外監査役、株式会社豊田自動織機社外取締役、東和不動産株式会社監査役、東海旅客鉄道株式会社社外取締役、公益財団法人日印協会理事・副会長、一般財団法人日中経済協会代表理事・会長、一般財団法人全日本剣道連盟会長。勲等は旭日大綬章。 トヨタ自動車代表取締役副会長、同社代表取締役会長(第4代、工販分離前から数えると第8代)を務めたほか、社団法人日本経団連副会長、社団法人日本自動車工業会会長、財団法人道路システム高度化推進機構理事長、財団法人高速道路調査会副会長、財団法人財務会計基準機構理事、財団法人駐車場整備推進機構会長、内閣の教育再生会議委員、国土開発幹線自動車道建設会議委員、ソニーの社外取締役を務めた。
市川 雅(いちかわ みやび、1937年1月15日 - 199… 市川 雅(いちかわ みやび、1937年1月15日 - 1997年2月10日)は、舞踊評論家。 東京出身。本名・雅章。東京都立駒場高等学校卒、1960年早稲田大学第一法学部卒、1970年同大学院文学研究科博士課程満期退学。 この間渡米、1980年には大野一雄の欧米公演に同行、日本の現代舞踊などを海外に紹介する。アジア国際舞踊フェスティバルなどの開催にも尽した。ヴァーツラフ・ニジンスキーについての訳業がある。 93年早大客員教授。
三宅 康文(みやけ やすぶみ、1937年 - )は、東京都出… 三宅 康文(みやけ やすぶみ、1937年 - )は、東京都出身の男性書体デザイナー。
功力 靖雄(くぬぎ やすお、1936年 10月21日- )は… 功力 靖雄(くぬぎ やすお、1936年 10月21日- )は、日本の野球指導者。東京都出身。東京都立駒場高等学校、東京教育大学卒業。 元筑波大学硬式野球部監督。22年間、43シーズン指揮をとり、チームを首都大学野球連盟で3度の優勝に導く。1987年には第18回明治神宮野球大会にて優勝し、国立大学初の日本一を達成。教え子の中からは多くの指導者も誕生し、全国で活躍。大学の地元茨城県では、秋に筑波大学野球部出身者が野球部監督・部長を務める高校が参加する功力杯という大会が行われ、功力の功績を讃えている。筑波大学名誉教授。
山本 正(やまもと ただし、1936年3月11日 - 201… 山本 正(やまもと ただし、1936年3月11日 - 2012年4月15日)は、日本を代表する国際主義者。日本とアメリカを始めとするその他の国との民間交流の強化を先駆的に提唱した。 山本は、渋沢雅英(MRAハウス元理事長)らと共に民間外交や個人間の交流が国際関係において重要な役割をするという考え方を提唱した。渋沢雅英らと共に1970年に外交政策シンクタンクの日本国際交流センター(英語版)(JCIE)を設立し、2012年に死去するまで理事長を務め、二国間関係や民間組織の間の交流を促進した。1967年には、日米の政策立案者や政策の専門家らが両国間の問題を議論するための場である下田会議の設立に貢献した。
堀越 善明(ほりこし よしあき、1935年7月27日 - )… 堀越 善明(ほりこし よしあき、1935年7月27日 - )は、日本の映画監督、演劇の演出家である。本名大野 裕司(おおの ゆうじ)でも活動し、別名斎藤 功(さいとう いさお)、橘 明(たちばな あきら)でも作品を発表している。 1935年(昭和10年)7月27日、東京府東京市(現在の東京都)に生まれる。 第二次世界大戦後の1951年(昭和26年)4月、新制高校の東京都立駒場高等学校に進学し、1954年(昭和29年)3月の卒業後に小幡欽治の劇団炎座に入団、演出部に所属する。当時の同劇団には久保田猛、清水元、石崎一正、中庸助、草村礼子らがいた。1959年(昭和34年)、テレビ映画の製作会社で助監督の職を得る。
齋藤 龍 (さいとう りゅう、女性、1935年3月 - 20… 齋藤 龍 (さいとう りゅう、女性、1935年3月 - 2025年7月28日)は、日本の音楽学者、音楽教育者、文筆家。旧姓は渡邊。 横浜市で初の女性助役に任命された。財団法人横浜市芸術文化振興財団理事長も務めた。 教育者の渡邊潜龍・カツの一人娘として横浜市鶴見区に生まれる。横浜市立磯子国民学校(現・横浜市立磯子小学校)、鶴見女子中学校 から神奈川県立希望ヶ丘高等学校に進学。希望ヶ丘高等学校では男女共学実施後の女子1期生で、式典でピアノ演奏に起用されたりしたが、3年生のときに芸術科を新設した東京都立駒場高等学校に移る。ピアニストを志望し、石渡日出夫よりピアノの指導を受けた。東京芸術大学音楽学部楽理科に進み、音楽学を服部幸三に師事し、西洋音楽史を専攻する。
杉山 明子(すぎやま めいこ、1934年2月23日 - 20… 杉山 明子(すぎやま めいこ、1934年2月23日 - 2023年6月8日)は、日本の社会学者(社会調査)・統計学者である。神奈川県出身。 父は工学者の堀義路。祖父は実業家・聖職者の堀卯三郎。実業家の堀義人は甥。政治学者の秋野豊は従弟。政治学者の潮田江次は従叔父。 北海道生まれ。1957年に津田塾大学学芸学部数学科を卒業後、同年NHKに入局。同・放送世論調査所(現・放送文化研究所)主任研究員を経て、1988年より東京女子大学現代文化学部教授。日本行動計量学会理事長(2000 - 2006年)、社会調査士資格認定機構(現、社会調査協会)副機構長(2003 - 2007年)等を歴任。実業家でグロービス経営大学院大学学長、グロービス・キャピタル・パートナーズ代表パートナーの堀義人は甥。
早間 玲子(はやま れいこ、Reiko Hayama、193… 早間 玲子(はやま れいこ、Reiko Hayama、1933年 - 2025年1月20日)は日本人初のフランス政府公認建築家営業権収得によるフランスの建築家。 1933年東京に生まれる。世界第二次大戦中、学童集団疎開により青森県まで戦火を逃れたが、帰郷して目前に現れた東京の一面焼け野原の跡に大きな衝撃を受ける。このとき、人間の環境を築きたいという衝動にかられる。都立第三女子高等学校(都立駒場高等学校)卒業、1958年横浜国立大学工学部建築学科を卒業。 *写真4点は、写真家ファブリス・ランベール撮影 (4photos par Fabrice RAMBERT, Photographe)
白鳥 あかね(しらとり あかね、1932年7月18日 - 2… 白鳥 あかね(しらとり あかね、1932年7月18日 - 2024年9月14日)は、日本の映画スクリプター、脚本家。新藤兼人の『狼』に見習いスクリプターとして参加し、同年日活に入社した。神代辰巳の多くの作品に関わり、最近は篠原哲雄ら若手の監督とも組んでいる。現在は日本映画学校の講師他、KAWASAKIしんゆり映画祭の実行委員長も務める。 東京府生まれ。疎開先の京都から府立第三高等女学校に戻り、新制都立駒場高校を卒業した。その後早稲田大学仏文科へ。 1955年父・神崎清の知り合いだった新藤兼人の近代映画協会で記録見習いを始め、日活に入社。1956年『狙われた男』で一本立ち。1972年『隠し妻』で脚本家としてもデビューする。
佐々木 たづ(ささき たず、1932年〈昭和7年〉6月28日… 佐々木 たづ(ささき たず、1932年〈昭和7年〉6月28日 - 1998年〈平成10年〉4月3日)は、日本の児童文学作家。 童話集『白い帽子の丘』で厚生大臣児童福祉文化賞、『ロバータ さあ歩きましょう』で日本エッセイスト・クラブ賞、『わたし日記を書いたの』で野間児童文芸賞推奨作品賞を受賞している。 東京都出身。本名は佐々木多津。 1950年(昭和25年)、東京都立駒場高等学校在学中の18歳のときに突然片目を失明する。手術をするも回復せず、やむなく高校を中退する。その後緑内障と診断され、手術によって眼圧は抑えられたものの、1953年(昭和28年)には両目の視力を完全に失う。失明後は英語と点字とタイプライターを学習し、横浜竹の丸の訓盲院という眼の不自由な子供のための施設で1年間過ごす。
川瀬 白秋(かわせ はくしゅう、1930年4月25日 - 2… 川瀬 白秋(かわせ はくしゅう、1930年4月25日 - 2013年7月31日)は、東京出身の日本の筝曲、胡弓演奏家。母の前田白秋に筝曲、胡弓を、川瀬里子に九州地歌を、岩井真吾に声楽、作曲を学ぶ。都立駒場高校卒業。本名は薫(かおる)。昭和38年に2代白秋を襲名し、生田流白秋会家元となる。平成11年胡弓独奏「鶴の巣ごもり」などで芸術選奨。16年歌舞伎下座における三曲演奏、とくに胡弓のすぐれた技術、ならびに「楊貴妃(ようきひ)」「二枚櫛(にまいぐし)」の作曲・演奏で芸術院賞。 内弟子に白秋会代表の川瀬露秋(かわせろしゅう)を持つ。 代表曲に「千鳥の曲」「鶴の巣籠」「松竹梅」などがありどれも日本舞踊愛好家に絶大な信頼と実績と人気を博している。
上遠 恵子(かみとお けいこ、1929年7月17日 - )は… 上遠 恵子(かみとお けいこ、1929年7月17日 - )は、日本のエッセイスト、翻訳家。レイチェル・カーソン日本協会会長。 東京都出身。東京薬科大学卒業。1974年、ポール・ブルックス(英語版)『生命の棲家』(後に『レイチェル・カーソン』と改題)を訳出。研究室勤務、学会誌編集者を経て、現在エッセイスト。レイチェル・カーソン日本協会理事長を経て会長。 1929年:東京・田園調布にて誕生。父親は昆虫学者。東京帝国大学理学部を卒業後、農林省(現:農林水産省)に勤務する技官だった。両親がクリスチャンだったため、幼児洗礼を受ける。 1936年:小学校入学。 1941年:太平洋戦争勃発。田園調布のあたりもB29の空襲を受けるが、生家は被害を免れた。
蒔田 さくら子(まきた さくらこ、1929年1月11日 - … 蒔田 さくら子(まきた さくらこ、1929年1月11日 - 2021年8月8日)は、日本の歌人。本名・浜高家さくら子。東京都豊島区目白生まれ。 東京府立第三高等女学校(現在の東京都立駒場高等学校)卒業。 1946年(昭和21年) 「をだまき」に入社。高瀬一誌らと中河幹子(小説家・中河与一の妻)に師事。その後、「短歌人」に入会し小宮良太郎に師事した。 1953年(昭和28年)、「短歌人」が編集委員制度移行の際、編集委員に就任。以後55年間に渡って編集に携わる。 1982年(昭和57年)歌集『紺紙金泥』で第9回日本歌人クラブ賞。 1994年(平成6年)、歌集『鱗翅目』で第15回ミューズ女流文学賞。 1983年(昭和58年)より1987年(昭和62年)まで現代歌人協会理事。
紀平 悌子(きひら ていこ、1928年〈昭和3年〉2月2日 … 紀平 悌子(きひら ていこ、1928年〈昭和3年〉2月2日 - 2015年〈平成27年〉7月19日)は、日本の政治家。元参議院議員(1期)、元日本婦人有権者同盟会長。旧姓佐々。 福岡県福岡市に生まれるが、父佐々弘雄が九大事件で失職し、東京都港区に転居する。実家目前の、東京府立第三高等女学校(現東京都立駒場高等学校)に通う。4年時に飛び級で旧制聖心女学院に入る。戦中の混乱で休学するも戦後新制聖心女子大学専門部歴史科を卒業。 1948年10月9日、父の佐々弘雄が参議院議員在職中に病死。 1949年、新聞記者であった紀平行雄と結婚し紀平姓となる。しかし行雄はすぐに肺結核で倒れ、失業した。困り果てた悌子は、父親が生前褒めていた市川房枝を訪ねる。
大野 靖子(おおの やすこ、1928年1月30日 - 201… 大野 靖子(おおの やすこ、1928年1月30日 - 2011年1月6日)は、日本の脚本家。 東京市麻布区出身。本名は大野靖(オオノヤス) 。1945年、東京都立第三高等女学校卒業。 さまざまな職を転々としながら、演劇活動に熱中。三好十郎に師事。児童劇団の脚本が青江舜二郎に評価されたのが縁で、子ども番組「お父さんの職場」の構成に携わる。以降、1962年からフジテレビ、NHK、テレビ朝日など各局でテレビドラマの脚本を手がけた。 時代劇から現代劇まで幅広く手掛け、向田邦子、橋田壽賀子らと共に女流脚本家の地位を確立した。 特にフジテレビでは、五社英雄ディレクターと組んで「三匹の侍」「眠狂四郎」などの時代劇や、岡田太郎ディレクターと組んでメロドラマ、森川時久ディレクターとは社会派の「若者たち」と、多様なジャンルで活躍。
森山 眞弓(もりやま まゆみ、1927年〈昭和2年〉11月7… 森山 眞弓(もりやま まゆみ、1927年〈昭和2年〉11月7日 - 2021年〈令和3年〉10月14日)は、日本の労働官僚、政治家。位階は正三位。旧姓名は古川 眞弓。 労働省婦人少年局長、参議院議員(3期)、衆議院議員(4期)、環境庁長官、内閣官房長官(女性初)、文部大臣、法務大臣、白鷗大学学長(2007年2月 - 2013年3月)などを歴任した。 北海道硫黄株式会社社長の古川俊雄の三人姉妹の長女として生まれた。津田塾専門学校外国語学科(現・津田塾大学)へ入学。極東国際軍事裁判において翻訳のアルバイトをしていた。津田塾専門学校を卒業後、女性として初めて東京帝国大学法学部法律学科(現在の東京大学法学部)へ入学(同期東大入学に中根千枝がいる)。
森山 眞弓(もりやま まゆみ、1927年(昭和2年)11月7… 森山 眞弓(もりやま まゆみ、1927年(昭和2年)11月7日 - )は、日本の元官僚(労働官僚)、元政治家。旧姓名は古川 眞弓。
七尾 伶子(ななお れいこ、本名:臼井 伶子(うすい れいこ… 七尾 伶子(ななお れいこ、本名:臼井 伶子(うすい れいこ)、1925年〈大正14年〉1月12日 - 2006年〈平成18年〉7月2日)は、日本の女優、声優。 東京市赤坂区(現・東京都港区)に生まれる。 東京府立第三高等女学校(現・東京都立駒場高等学校)在学中の1942年、子供の頃から好きだった歌や芝居が忘れられず、設立されたばかりのNHK東京放送劇団の試験を受け、一期生として合格。卒業と同時に養成所に入り、2年後に卒業。初めての出演は、全国にある国立病院の傷痍軍人向け慰問放送のドラマの主役だった。 その後、ラジオ漫画『サザエさん』『西遊記』、ラジオドラマ『君の名は』に出演するなど声優の草分けとして活躍。
厨川 圭子(くりやがわ けいこ、1924年〈大正13年〉11… 厨川 圭子(くりやがわ けいこ、1924年〈大正13年〉11月11日 - )は、日本の翻訳家。 夫は英文学者・厨川文夫。旧姓は広瀬 圭子(ひろせ けいこ)。 オスカー・ワイルド、サマセット・モームなどを訳し、後年は児童書を多く訳した。 厨川圭子は、医師・広瀬季雄の娘として中華民国奉天市(現・中華人民共和国瀋陽市)で生まれた。1942年に東京府立第三高等女学校を卒業、1944年には津田英学塾を卒業した。終戦後の1946年、慶應義塾大学文学部英文科に女子学生の第一期生として入学し、西脇順三郎、厨川文夫に師事して1949年卒業した。 1949年、1月に前妻と離婚した厨川文夫と同年7月結婚。1950年、単身でアメリカへ1年間留学。