スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
佳子内親王(かこないしんのう、1994年〈平成6年〉12月2… 佳子内親王(かこないしんのう、1994年〈平成6年〉12月29日 - )は、日本の皇族。身位は内親王。敬称は殿下。お印はゆうな。勲等は宝冠大綬章。 第126代・今上天皇(徳仁)の姪。今上天皇の弟宮で皇嗣(皇位継承順位第1位)である秋篠宮文仁親王の次女。皇位継承順位第2位の悠仁親王の姉。 上皇(第125代天皇・明仁)の孫である。 近親皇族として2014年(平成26年)12月に成年皇族となると、宮中行事に参列するほか、公務に携わっている。少年の主張全国大会や全国高校生手話パフォーマンス甲子園、全日本高等学校馬術競技大会などの出席が恒例となっており、外国公式訪問を経験するなど、公務の幅を広げ、最近では主だった皇族の活動を非常に多く担っている。
小室 眞子(こむろ まこ、1991年〈平成3年〉10月23日… 小室 眞子(こむろ まこ、1991年〈平成3年〉10月23日 - )は、日本の元皇族。アメリカ合衆国ニューヨーク州の弁護士・小室圭の妻。勲等は宝冠大綬章。 皇籍離脱前の身位は内親王で、皇室典範における敬称は殿下。旧名、眞子内親王(まこないしんのう)、お印は木香茨(もっこうばら)であった。 秋篠宮文仁親王と同妃紀子の第1女子(第1子)。今上天皇は伯父に、黒田清子(紀宮清子内親王)は叔母にあたる。妹に佳子内親王、弟に悠仁親王がいる。上皇と上皇后美智子の初孫。 皇族時代の住居は、東京都港区元赤坂の赤坂御用地内にある秋篠宮邸。改修工事に伴い、2019年(平成31年)2月から結婚まで「御仮寓所(ごかぐうしょ)」に両親及び妹弟と仮住まいしていた。
眞子内親王(まこないしんのう、1991年〈平成3年〉10月2… 眞子内親王(まこないしんのう、1991年〈平成3年〉10月23日 - )は、日本の皇族。秋篠宮文仁親王と同妃紀子の第1女子。第125代今上天皇の初孫。身位は内親王。皇室典範における敬称は殿下。成年に伴い、宝冠大綬章受章(旧勲等では勲1等宝冠章に相当)。学位はレスター大学修士(学術)(博物館学)。お印は木香茨(もっこうばら)。妹に佳子内親王、弟に悠仁親王がいる。現在、内親王では最年長。
絢子女王(あやこじょおう、1990年〈平成2年〉9月15日 … 絢子女王(あやこじょおう、1990年〈平成2年〉9月15日 - )は、日本の皇族。高円宮憲仁親王と同妃久子の第3女子。第123代大正天皇の皇曾孫。第125代今上天皇の皇従姪。姉に承子女王、千家典子がいる。身位は女王。皇室典範における敬称は殿下。お印は葛(くず)。栄典は宝冠牡丹章(旧制度での勲二等宝冠章に相当)。学位は修士 (福祉社会・城西国際大学)。現在、女王では最年少。
瑶子女王(ようこじょおう、1983年〈昭和58年〉10月25… 瑶子女王(ようこじょおう、1983年〈昭和58年〉10月25日 - )は、日本の皇族。身位は女王。敬称は殿下。お印は星。勲等は勲二等宝冠章。学位は学士(日本文化)(学習院女子大学・2006年)。第126代・今上天皇(徳仁)の再従妹(はとこ)にあたる。第123代大正天皇のひ孫。寬仁親王と同妃信子の第2女子。現在、存命中かつ皇籍離脱していない皇族14名のうちのひとりであり、天皇の血を直系で受け継ぐ男系皇族(親王・内親王・王・女王)8名のうちのひとりである。 寬仁親王と信子妃の第二子として誕生。松濤幼稚園から学習院幼稚園に移り、初等科・女子中等科・女子高等科を経て、学習院女子大学国際文化交流学部日本文化学科卒業。
彬子女王(あきこじょおう、1981年〈昭和56年〉12月20… 彬子女王(あきこじょおう、1981年〈昭和56年〉12月20日 - )は、日本の皇族。身位は女王。敬称は殿下。2025年9月30日より三笠宮家3代当主。お印は雪(ゆき)。勲等は勲二等。学位は DPhil(オックスフォード大学・2011年)。 第126代・今上天皇(徳仁)の再従妹(はとこ)にあたる。第123代大正天皇のひ孫。寬仁親王と同妃信子の第1王女。 現在、存命中かつ皇籍離脱していない皇族14名のうちのひとりであり、天皇の血を直系で受け継ぐ男系皇族(親王・内親王・王・女王)8名のうちのひとりである。 彬子は、現在の内親王・女王(天皇と血縁関係にある女子で皇籍にある者)では最年長となる。また麻生太郎は伯父に当たり、大久保利通の来孫でもある。
黒田 清子(くろだ さやこ、1969年〈昭和44年〉4月18… 黒田 清子(くろだ さやこ、1969年〈昭和44年〉4月18日 - )は、日本の元皇族。上皇明仁、上皇后美智子の長女。伊勢神宮祭主(2017年〈平成29年〉6月19日 - )で、東京動物園協会副理事長・黒田慶樹の妻。勲等は勲一等。皇籍離脱前の身位は内親王で、皇室典範における敬称は殿下。旧名、清子内親王(さやこないしんのう)、諱は清子、御称号は紀宮(のりのみや)、お印は未草(ひつじぐさ)であった。第125代天皇明仁(上皇)と美智子(上皇后)の第1皇女子(2男1女のうち第3子)。第126代天皇徳仁及び秋篠宮文仁親王(皇嗣)の妹。学位は学士(国文学)(学習院大学・1992年〈平成4年〉)。 1969年(昭和44年)4月18日午後8時36分、皇太子明仁親王と同妃美智子夫妻(当時)の第三子(2男1女のうち第1女子)として宮内庁病院にて誕生。
千 容子(せん まさこ、1951年〈昭和26年〉10月23日… 千 容子(せん まさこ、1951年〈昭和26年〉10月23日 - )は、日本の元皇族。千宗室(茶道裏千家第16代家元)の妻。勲等は勲一等。皇籍離脱前の身位は内親王で、皇室典範における敬称は殿下。旧名、容子内親王(まさこないしんのう)、お印は楓(かえで)であった。三笠宮崇仁親王と同妃百合子の第2女子(3男2女のうち第4子)。明仁(上皇)は従兄、徳仁(第126代天皇)は従甥にあたる。姉に近衞甯子(甯子内親王)、兄に寬仁親王、桂宮宜仁親王、弟に高円宮憲仁親王がいる。学位は法学士。 松濤幼稚園、学習院初等科、学習院女子中等科、同高等科を経て、学習院大学法学部法学科に入学。3年修了後、スイスの全寮制の学校で学び、後にパリに移り、ソルボンヌ大学で学ぶ。
近衞 甯子(このえ やすこ、1944年(昭和19年)4月26… 近衞 甯子(このえ やすこ、1944年(昭和19年)4月26日 - )は、日本の元皇族。三笠宮崇仁親王と同妃百合子の第一女子。旧名、甯子内親王。近衛忠煇(日本赤十字社社長)夫人。お印は楠。勲等は勲一等。学位は文学士(学習院大学)。
正仁親王妃 華子(まさひとしんのうひ はなこ、1940年〈昭… 正仁親王妃 華子(まさひとしんのうひ はなこ、1940年〈昭和15年〉7月19日 - )は、日本の皇族。元華族。身位は親王妃。敬称は殿下。お印は石南花(しゃくなげ)。勲等は勲一等宝冠章。旧名は津軽 華子(つがるはなこ)。皇室会議議員。 常陸宮正仁親王の妃。常陸宮は昭和天皇の第2皇子であり、平成の天皇であり現上皇(明仁)の皇弟。 彼女は第126代今上天皇(徳仁)、皇嗣秋篠宮文仁親王の叔母に当たる。 第126代・今上天皇(徳仁)の叔父である、伯爵・津軽義孝の第4女子であり、戦後に皇室に嫁いだ妃の中で唯一の旧華族家出身者である。宮邸は、東京都渋谷区東にある常盤松御用邸。 1940年(昭和15年)7月19日、東京府東京市淀橋区(現:東京都新宿区下落合)の津軽伯爵邸にて華族・津軽義孝伯爵令嬢として誕生。
島津 肇子(しまづ はつこ、1939年〈昭和14年〉11月1… 島津 肇子(しまづ はつこ、1939年〈昭和14年〉11月13日 - )は、日本の旧皇族。島津忠広の妻。北白川宮永久王と同妃祥子の第1王女子。旧名、肇子女王(はつこじょおう)。皇籍離脱前の身位は女王で、皇室典範における敬称は殿下。兄に北白川宮道久王がいる。 なお、香淳皇后に仕えた女官長保科武子は大叔母(父方の祖父の妹)にあたり、保科の後任女官長が母の祥子である。 北白川宮永久王と同妃祥子の第2子(第1王女子)として誕生。1940年(昭和15年)9月4日、永久王が出征中に殉職(戦死扱い)すると、その三年祭(三周忌)頃まで永久王の遺児として兄の道久王ともども、世間の注目を浴びる。1947年(昭和22年)10月14日、皇室典範第11条2項により、祖母・房子(明治天皇第7皇女子周宮房子内親王)や母、兄とともに皇籍離脱。
島津 貴子(しまづ たかこ、1939年〈昭和14年〉3月2日… 島津 貴子(しまづ たかこ、1939年〈昭和14年〉3月2日 - )は、日本の元皇族。島津久永の妻。勲等は勲一等。皇籍離脱前の身位は内親王で、皇室典範における敬称は殿下。旧名は、貴子内親王(たかこないしんのう)、諱は貴子、御称号は清宮、お印は橘であった。昭和天皇と香淳皇后の第5皇女子(第7子、末子)。第126代天皇・徳仁(今上天皇)と秋篠宮文仁親王の叔母。第125代天皇・明仁(上皇)と常陸宮正仁親王の妹。 1939年(昭和14年)3月2日午後3時55分、産気づいた香淳皇后は産殿に入り、午後4時35分に第5皇女(第7子、末子)を出産する。誕生時の身長は51.2cm(1尺6寸9分弱)、体重は3503g(935匁弱)であった。
酒井 通子(さかい みちこ、1933年〈昭和8年〉9月4日 … 酒井 通子(さかい みちこ、1933年〈昭和8年〉9月4日 - )は、日本の旧皇族。久邇宮朝融王と同妃知子女王の第3王女子。旧名、通子女王(みちこじょおう)。皇籍離脱前の身位は女王で、皇室典範における敬称は殿下。今上天皇の従伯母にあたる。 1933年(昭和8年)9月4日、久邇宮朝融王と同妃知子女王の第3王女子として誕生。御七夜の9月10日に「通子」と命名された。1947年(昭和22年)10月14日、皇室典範第11条1項により、皇籍離脱。皇籍離脱後は、「久邇 通子(くに みちこ)」と名乗った。その後は、大協石油(現・コスモ石油)に勤務。学習院大学時代の同級生だった永岡義久と結婚するも4年で離婚。その後、酒井省吾と知り合い結婚。
池田 厚子(いけだ あつこ、1931年〈昭和6年〉3月7日 … 池田 厚子(いけだ あつこ、1931年〈昭和6年〉3月7日 - )は、日本の元皇族、神社本庁総裁。勲等は勲一等。皇籍離脱前の身位は内親王で、皇室典範における敬称は殿下。旧名、厚子内親王(あつこないしんのう)、諱は厚子(あつこ)、御称号は順宮(よりのみや)、お印は菊桜であった。伊勢神宮祭主(1988年 - 2017年)。旧岡山藩主池田家第16代当主池田隆政の妻。昭和天皇と香淳皇后の第4皇女子。東久邇成子、久宮祐子内親王、鷹司和子の妹。第125代天皇・明仁(上皇)、常陸宮正仁親王、島津貴子の姉。東久邇信彦、高木文子、壬生基博、東久邇真彦、東優子の叔母。第126代天皇・徳仁(今上天皇)、秋篠宮文仁親王、黒田清子、島津禎久の伯母。
鷹司 和子(たかつかさ かずこ、1929年〈昭和4年〉9月3… 鷹司 和子(たかつかさ かずこ、1929年〈昭和4年〉9月30日 - 1989年〈平成元年〉5月26日)は、日本の元皇族。鷹司平通の妻。勲等は勲一等。皇籍離脱前の身位は内親王で、皇室典範における敬称は殿下。旧名、和子内親王(かずこないしんのう)。諱は和子、御称号は孝宮。お印は白菊であった。伊勢神宮祭主(1974年 - 1988年)。昭和天皇と香淳皇后の第3皇女子。第125代天皇・明仁(上皇)と常陸宮正仁親王は弟、第126代天皇・徳仁(今上天皇)と秋篠宮文仁親王は甥にあたる。 1929年(昭和4年)9月30日午前6時16分、宮中において昭和天皇と香淳皇后の第3皇女子として誕生。御七夜の10月6日午前9時に浴場の儀、午前11時に命名の儀が執り行われ「孝宮和子」と命名された。
東久邇 成子(ひがしくに しげこ、1925年〈大正14年〉1… 東久邇 成子(ひがしくに しげこ、1925年〈大正14年〉12月6日 - 1961年〈昭和36年〉7月23日)は、日本の旧皇族。盛厚王の妃。勲等は勲一等。旧名は、成子内親王(しげこないしんのう)、諱は成子(しげこ)、御称号は照宮(てるのみや)、お印は紅梅 (こうばい)。結婚から皇籍離脱前までの名は、盛厚王妃 成子内親王(もりひろおうひ しげこないしんのう)。昭和天皇と香淳皇后の第1皇女子(2男5女のうち第1子)。第126代天皇徳仁、秋篠宮文仁親王、島津禎久は甥、黒田清子(紀宮清子内親王)は姪に当る。また、久宮祐子内親王、鷹司和子、池田厚子、島津貴子は妹に、第125代天皇・明仁(上皇)と常陸宮正仁親王は弟に当る。
崇仁親王妃 百合子(たかひとしんのうひ ゆりこ、1923年〈… 崇仁親王妃 百合子(たかひとしんのうひ ゆりこ、1923年〈大正12年〉6月4日 - 2024年〈令和6年〉11月15日)は、日本の皇族、旧華族。大正天皇第4皇子で昭和天皇の弟宮の三笠宮崇仁親王の妃。身位は親王妃。敬称は殿下。勲等は勲一等。お印は桐(きり)。旧名は、高木 百合子(たかぎ ゆりこ)。2023年9月まで皇室会議予備議員。子爵・高木正得第2女子。 東京府東京市赤坂区赤坂青山高樹町(現:東京都港区南青山)の高木子爵邸に華族令嬢として誕生。華族・高木正得子爵の二女。母の邦子は入江為守子爵二女で夫の崇仁親王とは、はとこにあたる。姉に衣子、妹に桃子、小夜子がいる。 1928年(昭和3年)、女子学習院幼稚園に入園。
大給 湛子(おぎゅう きよこ、1919年(大正8年)8月2日… 大給 湛子(おぎゅう きよこ、1919年(大正8年)8月2日 - 2019年(令和元年)8月1日)は、日本の元皇族。朝香宮鳩彦王第2王女子。旧名は湛子女王。兄に孚彦王・正彦王、姉に紀久子女王がいる。大給義龍伯爵夫人。明治天皇の孫世代では最後の存命者であった。
北白川 祥子(きたしらかわ さちこ、1916年〈大正5年〉8… 北白川 祥子(きたしらかわ さちこ、1916年〈大正5年〉8月26日 - 2015年〈平成27年〉1月21日)は、日本の旧皇族、宮内庁女官長。北白川宮永久王の妃。旧名は、徳川 祥子(とくがわ さちこ)。皇族時代の身位は王妃で、皇室典範における敬称は殿下。 男爵徳川義恕と妻・寛子(津軽承昭伯爵令嬢)の二女として誕生した。姉は幼少期に夭折し、兄妹の唯一の女子として愛情を受けて育った。長兄の徳川義寛は昭和天皇の侍従長。次兄の津軽義孝は常陸宮妃華子の父に当たる。 東京女子高等師範学校を卒業後は、花嫁修業をする。1934年(昭和9年)6月19日、婚約が内定したことが、非公式に発表された。この際、祥子の人となりは「明朗な典型的近代女性」かつ「お茶の水時代にお伴もつれずにお獨りで毎日電車で通学されたほど平民的な方」と報じられた。
東園 佐和子(ひがしぞの さわこ、1913年〈大正2年〉10… 東園 佐和子(ひがしぞの さわこ、1913年〈大正2年〉10月21日 - 2001年〈平成13年〉7月1日)は、日本の元皇族。北白川宮成久王と同妃房子内親王の第2王女子。東園基文子爵の妻。旧名は、佐和子女王(さわこじょおう)。皇籍離脱前の身位は女王で、皇室典範における敬称は殿下。兄に北白川宮永久王、姉に立花美年子(美年子女王)、妹に徳川多恵子(多恵子女王)がいる。明治天皇の孫にあたる。 1913年(大正2年)10月21日、北白川宮成久王とその妃で明治天皇の第7皇女子である房子内親王との間に第2王女子として生まれた。1923年(大正12年)4月1日、父宮成久王がパリ郊外で事故死し、母宮房子内親王も重傷を負う。
佐野 禮子(さの あやこ、1913年〈大正2年〉7月4日 -… 佐野 禮子(さの あやこ、1913年〈大正2年〉7月4日 - 2003年〈平成15年〉9月3日 )は日本の元皇族。旧名は、禮子女王。竹田宮恒久王と同妃昌子内親王の第1王女子。兄は、竹田宮恒徳王。佐野常光(佐野常羽の養子。一条実輝の次男)の妻。 1934年(昭和9年)3月、佐野常羽(佐野常民の子)伯爵の継嗣常光と結婚。その後は常行(1935年生)、明子(1936年生)、常武(1942年生) 常具(1946年生)の3男1女に恵まれた。青山霊園にある墓誌によると、洗礼名はマリヤ。
岩倉 靖子(いわくら やすこ、1913年(大正2年)1月17… 岩倉 靖子(いわくら やすこ、1913年(大正2年)1月17日 - 1933年(昭和8年)12月21日)は、日本の華族。岩倉公爵家出身。 共産主義に傾倒して検挙・起訴され(赤化華族事件)、保釈中に自殺した。 1913年(大正2年)1月17日、岩倉具張公爵の三女として誕生。元勲岩倉具視は曾祖父にあたる。 翌1914年に具張が金銭スキャンダルで隠居・愛人とともに失踪し兄具栄が襲爵、一家は世間の好奇の目を避けて一時、当時東京郊外であった猿楽町の西郷豊二家(西郷従道の六男、母櫻子の実家)に移り住む。この時期、大叔母にあたる森寛子の影響を受け、一家そろってキリスト教に入信する。靖子も教会に毎週通っていたが、洗礼は受けなかった。
鳥尾 鶴代(とりお つるよ、1912年5月25日 - 199… 鳥尾 鶴代(とりお つるよ、1912年5月25日 - 1991年12月27日)は、日本の子爵・鳥尾敬光の妻。旧姓下條(げじょう)。のち鳥尾佳代、鳥尾多江と名乗った。美貌と社交術に長け、マダム鳥尾としてマスコミを賑わせた。下条正雄の孫。 日本画家で貴族院議員の祖父・下條桂谷(正雄)の末子・小四郎の娘として、祖父の持つ東京市麹町区(現在の東京都千代田区)の豪邸で生まれ贅沢に育つ。母方祖父は津田出。1919年、女子学習院初等科に入学。平民出身のため華族の生徒からいじめられた。祖父が亡くなったことで麹町の家は嗣子の伯父のものとなり、1923年3月、鶴代一家は神奈川県大磯の祖父の別荘に転居。派手な都会暮らしに慣れた父は帝国ホテルにも部屋を借り、鶴代も1年ほどホテルから通学、その後一家は、麹町の伯父宅2階を借りるなど転居を繰り返し、最終的に隠田(現・原宿)に落ち着く。
宣仁親王妃 喜久子(のぶひとしんのうひ きくこ、1911年〈… 宣仁親王妃 喜久子(のぶひとしんのうひ きくこ、1911年〈明治44年〉12月26日 - 2004年〈平成16年〉12月18日)は、日本の皇族。元華族。高松宮宣仁親王の妃。 旧名、徳川 喜久子(とくがわ きくこ)。徳川慶久公爵令嬢。母は有栖川宮威仁親王の第2王女・實枝子女王。身位は親王妃。お印は初めが亀(かめ)、結婚後は撫子(なでしこ)。 1912年(明治45年)4月12日、両親に連れられ舞子別邸(兵庫県)で静養中の祖父有栖川宮威仁親王の元を訪れると、威仁親王は当時唯一の孫である喜久子を「喜久女、喜久女」と呼び可愛がったため、慰子妃の勧めで、夫妻はそのまま喜久子を舞子別邸に預けて帰京した。 1913年(大正2年)6月22日、病状が重篤となった威仁親王の元に宮内大臣渡辺千秋伯爵が派遣され、大正天皇第3皇男子の宣仁親王(当時8歳)に「高松宮」の称号を与えて有栖川宮家の祭祀を継承させる内諭が伝達された。
立花 美年子(たちばな みねこ、1911年〈明治44年〉5月… 立花 美年子(たちばな みねこ、1911年〈明治44年〉5月6日 - 1970年〈昭和45年〉4月10日)は、日本の元皇族。北白川宮成久王と同妃房子内親王の第1王女子。立花種勝の妻。旧名は、美年子女王(みねこじょおう)。皇籍離脱前の身位は女王で、皇室典範における敬称は殿下。兄に北白川宮永久王、妹に東園佐和子(佐和子女王)と徳川多恵子(多恵子女王)がいる。明治天皇の孫にあたる。 1911年(明治44年)5月6日、北白川宮成久王とその妃で明治天皇の第7皇女子である房子内親王との間に第1王女子として生まれた。 学生時代の学習院初等科から女子学習院(現在の学習院女子中・高等科)においては、高松宮妃喜久子と同級で仲が良かったという。
雍仁親王妃勢津子(やすひとしんのうひ せつこ、1909年〈明… 雍仁親王妃勢津子(やすひとしんのうひ せつこ、1909年〈明治42年〉9月9日 - 1995年〈平成7年〉8月25日)は、日本の皇族。秩父宮雍仁親王の妃。旧名は松平節子(まつだいら せつこ)。身位は親王妃。お印は菊(きく)。 旧会津藩主・松平容保の六男で外交官の松平恆雄の長女。母は鍋島直大(侯爵、佐賀藩11代藩主)の娘・信子。 父の任地イギリスのロンドンで生まれる。生後数か月で帰国し、その後北京、天津、ワシントンの領事館・大使館で少女期を過ごす。1925年(大正14年)に渡米し、米国ワシントンD.C.のフレンドスクール(現シドウェル・フレンズ・スクール)で学び卒業。いわゆる帰国子女で、英語に堪能なだけでなく、外国人を前にした英語のスピーチはお手のものだったという。
松浦 董子(まつら ただこ / しげこ、1908年(明治41… 松浦 董子(まつら ただこ / しげこ、1908年(明治41年)7月12日 - 1989年(平成元年)1月22日)は、日本の旧華族。父は旧平戸藩第12代藩主松浦詮伯爵の次男で分家の松浦靖(まつら はかる)子爵、陸軍中佐で大正天皇の侍従を務めた人物。母は久我通久侯爵の次女・節子(さだこ)。戦後凋落しながらも自尊心を守り続けたことで知られ、その生き方は死とともにマスコミで大きく取りあげられた。 1925年(大正14年)、女子学習院卒業。1928年(昭和3年)、久邇宮邦彦王の次男で帝国陸軍中尉だった久邇邦久侯爵と見合い結婚する。邦久には離婚歴があり董子は後妻だった。夫妻は渋谷宮益坂の1万坪の豪邸に住まい、使用人に囲まれた生活を送る。
今城 誼子(いまき よしこ、1907年〈明治40年〉6月 -… 今城 誼子(いまき よしこ、1907年〈明治40年〉6月 - 1993年〈平成5年〉2月12日)は、日本の華族。香淳皇后付の女官。今城定政子爵の長女。 女子学習院高等科卒業、1929年より当時の皇太后(貞明皇后)に出仕、「浜菊掌侍」という源氏名で呼ばれた。皇太后は宮中祭祀に熱心で、旧来の皇室の慣習を厳格に守る人物であり、今城は出仕中に強くその考えに傾倒したものと思われる。1951年の皇太后の崩御後、当時の侍従次長・甘露寺受長の紹介で香淳皇后に出仕することとなった(女官昇任は1953年4月10日)。皇后の信頼が極めて厚くなり、それを背景に宮中で強い影響力を振るうに至ったが、入江相政(1969年〈昭和44年〉 - 1985年〈昭和60年〉まで侍従長)ら昭和天皇付の側近と対立、最終的には昭和天皇の支持を得た天皇側近たちによって、1971年(昭和46年)、自主退職に追い込まれる。
朝融王妃知子女王(あさあきらおうひともこじょおう、1907年… 朝融王妃知子女王(あさあきらおうひともこじょおう、1907年〈明治40年〉5月18日 - 1947年〈昭和22年〉6月28日)は、日本の皇族。伏見宮博恭王と同妃経子の第3王女子。久邇宮朝融王の妃。香淳皇后の義姉。 1907年(明治40年)5月18日午前10時45分、伏見宮博恭王と同妃経子の第3王女子(第6子)として誕生。15分先に生まれた敦子女王(清棲幸保伯爵夫人)とは一卵性の双生児姉妹である。なお、後から生まれたほうを兄または姉とする風習もあるが、出生順通り、先に生まれた敦子女王が姉である。双生児であることは誕生当初から公表され、2人は引き離されることなく、ともに養育された。1925年(大正14年)に結婚し、朝融王妃となる。
三条西 信子(さんじょうにし のぶこ、1904年〈明治37年… 三条西 信子(さんじょうにし のぶこ、1904年〈明治37年〉3月30日 - 1945年〈昭和20年〉11月8日)は、日本の元皇族、華族。久邇宮邦彦王と同妃俔子の第2王女子。三条西公正侯爵夫人。旧名は、信子女王(のぶこじょおう)。皇籍離脱前の身位は女王で、皇室典範における敬称は殿下。香淳皇后の妹であり、第125代天皇・明仁(上皇)の叔母、第126代天皇・徳仁(今上天皇)の大叔母にあたる。 1904年(明治37年)3月30日午前3時、久邇宮邦彦王と同妃俔子の第2王女子(第4子)として誕生。御七夜の4月5日に「信子」と命名された。 久邇宮家は兄弟も多く、財政的にゆとりがある状況ではなかった。こうした中、姉良子女王と妹智子女王は年齢も近く、何事も一緒に過ごした。
恒憲王妃 敏子(つねのりおうひ としこ、1903年〈明治36… 恒憲王妃 敏子(つねのりおうひ としこ、1903年〈明治36年〉5月16日 - 1995年〈平成7年〉3月23日)、のちに賀陽 敏子(かや としこ)は、日本の旧皇族。賀陽宮恒憲王の妃。九条道実公爵令嬢。貞明皇后は叔母、昭和天皇は従兄にあたる。戦後皇籍離脱。
香淳皇后(こうじゅんこうごう、1903年〈明治36年〉3月6… 香淳皇后(こうじゅんこうごう、1903年〈明治36年〉3月6日 - 2000年〈平成12年〉6月16日)は、日本の第124代天皇・昭和天皇の皇后(在位: 1926年〈昭和元年〉12月25日 - 1989年〈昭和64年〉1月7日)。諱は、良子(ながこ)。お印は、桃。 久邇宮家出身の生まれながらの皇族であり、誕生から昭和天皇の践祚以前は、名と身位は「良子女王(ながこじょおう)」と称され、皇室典範における敬称は「殿下」であった。 1924年(大正13年)1月26日に摂政宮皇太子裕仁親王(のち昭和天皇)と成婚し、2男5女を儲けた。1926年(大正15年/昭和元年)12月25日、大正天皇の崩御及び昭和天皇の践祚に伴い、皇后に冊立された。
伏見 朝子(ふしみ ときこ、1902年〈明治35年〉6月20… 伏見 朝子(ふしみ ときこ、1902年〈明治35年〉6月20日 - 1971年〈昭和46年〉4月3日)は、日本の旧皇族。元華族。博義王の妃。一条実輝公爵令嬢。母は、細川護久侯爵令嬢・悦子。旧名は、一条 朝子(いちじょう ときこ)。皇籍離脱前の身位は王妃で、皇室典範における敬称は殿下。皇族時代の名は、博義王妃 朝子(ひろよしおうひ ときこ)であった。 香淳皇后とは女子学習院の同級生で、梨本宮家の方子女王と並んで昭和天皇のお妃候補の一人であったとされる。後に学習院の同窓会組織「常磐会」の会長も務める。1919年(大正8年)12月23日に、博義王と結婚、翌年北海道を訪れている。1男3女をもうける。関東大震災時は皇族による被災者の慰問活動として、1923年(大正12年)9月23日に新宿区(当時の淀橋町)の被災児童避難所を慰問・視察した。
李 方子(り まさこ、朝: 이방자〈イ・バンジャ〉、1901… 李 方子(り まさこ、朝: 이방자〈イ・バンジャ〉、1901年〈明治34年〉11月4日 - 1989年〈平成元年〉4月30日)は、日本の元皇族であり、李王垠の妃。梨本宮守正王と同妃伊都子の第1王女子。肥前佐賀藩主・鍋島直正の曾孫。旧名は、方子女王(まさこじょおう)。皇室典範における敬称は殿下。 宮家(梨本宮家)の第1王女子(女王)として生まれ、日本国内で王公族として皇族に準じる待遇をうけた李垠(旧大韓帝国、高宗第七皇子)に嫁した。「李方子」とは、第二次世界大戦後、王公族としての身分を喪失したことにより夫の姓を名乗ったものである。 1901年(明治34年)11月4日、梨本宮守正王と同妃伊都子夫妻の第1王女子(第1子)として誕生し、御七夜の11月11日に「方子」と命名された。
貞明皇后(ていめいこうごう、1884年〈明治17年〉6月25… 貞明皇后(ていめいこうごう、1884年〈明治17年〉6月25日 - 1951年〈昭和26年〉5月17日)は、日本の第123代天皇・大正天皇の皇后(在位:1912年〈明治45年/大正元年〉7月30日 - 1926年〈大正15年/昭和元年〉12月25日)。諱は節子(さだこ)。お印は藤。旧氏名は、九条 節子(くじょう さだこ)。 昭和天皇の母。元華族。公爵・九条道孝令嬢。ハンセン病の予防など救らい事業や福祉事業、蚕糸業(絹糸)奨励などに尽力した。一夫一妻制での最初の皇后。藤原氏から立后した最後の例である。 1884年(明治17年)6月25日、公爵九条道孝の四女として、生母の野間幾子の実家である東京府神田錦町(現:東京都千代田区神田錦町)で誕生。
梨本 伊都子(なしもと いつこ、1882年〈明治15年〉2月… 梨本 伊都子(なしもと いつこ、1882年〈明治15年〉2月2日 - 1976年〈昭和51年〉8月19日)は、日本の旧皇族。梨本宮守正王の妃。鍋島直大侯爵令嬢。妹に松平信子。お印は桂。旧名は、鍋島 伊都子(なべしま いつこ)。皇籍離脱前の身位は王妃で、皇室典範における敬称は殿下。皇族時代の名は、守正王妃 伊都子(もりまさおうひ いつこ)であった。 1882年(明治15年)2月2日、駐イタリア特命全権公使・鍋島直大の次女としてローマで生まれた。母は広橋胤保の五女・榮子。「イタリア(伊太利亜)の都の子」の意味で伊都子(いつこ)と命名される。生後7か月目に一家は帰国し、東京府麹町区永田町二丁目1番地(現在の東京都千代田区永田町)の鍋島本邸で育てられた。
文仁親王妃紀子 は、日本の皇族。旧名は川嶋 紀子。身位は親王… 文仁親王妃紀子 は、日本の皇族。旧名は川嶋 紀子。身位は親王妃。敬称は殿下。お印は檜扇菖蒲(ひおうぎあやめ)。勲等は勲一等宝冠章。皇室会議予備議員。
守谷 絢子 は、日本の元皇族。日本郵船社員およびNPO法人「… 守谷 絢子 は、日本の元皇族。日本郵船社員およびNPO法人「国境なき子どもたち」理事・守谷慧の妻。勲等は宝冠牡丹章。
承子女王 は、日本の皇族。
愛子内親王 は、日本の皇族。諱は愛子、御称号は敬宮(としのみ… 愛子内親王 は、日本の皇族。諱は愛子、御称号は敬宮(としのみや)、お印はゴヨウツツジ(五葉つつじ)。勲等は宝冠大綬章。身位は内親王。敬称は殿下。日本赤十字社常勤嘱託職員。今上天皇と皇后雅子の第1皇女。上皇と上皇后美智子の皇孫にあたる。2000年代に誕生した初の皇族で、2000年代に誕生した唯一の女性皇族でもある。現在、女性皇族11方かつ内廷皇族の最年少者。
千家 典子 は、日本の元皇族。出雲大社権宮司・千家国麿の妻。… 千家 典子 は、日本の元皇族。出雲大社権宮司・千家国麿の妻。勲等は宝冠牡丹章。