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諸葛 宗男(もろくず むねお、1946年 - )は、日本の教… 諸葛 宗男(もろくず むねお、1946年 - )は、日本の教育者、元東京大学公共政策大学院特任教授。研究分野は原子力研究開発政策、原子力安全規制政策、エネルギー環境政策。日本原子力学会社会環境部会長兼広報情報委員会委員兼ポジションステートメントワーキンググループ(WG)主査、日本原子力学会日本型性能保証研究専門委員会幹事、日本原子力学会原子力安全調査専門委員会委員、東京大学原子力法制研究会社会と法制度設計分科会幹事。 東京都生まれ。武蔵高等学校を経て東京大学工学部原子力工学科(現:システム量子工学科)卒。1970年の東京芝浦電機(現、東芝)入社後、動力炉・核燃料開発事業団(動燃、現日本原子力研究開発機構)に核燃料開発本部研究員として出向。
林 雅彦(はやし まさひこ、1944年(昭和19年)4月20… 林 雅彦(はやし まさひこ、1944年(昭和19年)4月20日 - )は、日本の国文学・民俗学者、明治大学法学部名誉教授 国際熊野学会代表委員。日本絵解き研究会代表。口承文芸研究。絵解き研究の第一人者である。 東京都台東区に生まれる。1966年に山梨大学教育学部国文科を卒業した。1974年に東京大学大学院人文科学研究科博士課程を単位取得退学した。 武蔵高等学校・中学校教諭を務めた後、学習院女子短期大学の助教授を経て、明治大学法学部に移り、教授に昇進した。2015年に定年退職する。 絵解き研究で1980年日本古典文学会賞を受賞した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
鮫島 宗明(さめじま むねあき、1943年12月9日 - 2… 鮫島 宗明(さめじま むねあき、1943年12月9日 - 2024年8月18日)は、日本の政治家、農学博士。元衆議院議員(3期)。帝京平成大学教授。 戦前に拓務大臣や逓信大臣、鉄道大臣を歴任した永井柳太郎は祖父。三木内閣で文部大臣を務めた教育社会学者の永井道雄はおじにあたる。 明治時代に活躍した元菊間藩士で日本基督教会の牧師三浦徹は曽祖父にあたる。 静岡県田方郡伊豆長岡町(現伊豆の国市)に生まれた。 武蔵高等学校、東京大学農学部卒業。東京大学大学院農学研究科博士課程修了。1975年、農林水産省に入省し、農水省国際農業研究所に配属される。1988年、農水省生物資源研究所研究室長。 1993年、第40回衆議院議員総選挙に日本新党公認で旧東京5区(定数3)から立候補し、新党ブームに乗って同区トップで当選した。
鶴木 眞(つるき まこと、1942年11月2日 - 2015… 鶴木 眞(つるき まこと、1942年11月2日 - 2015年7月15日)は、日本の国際政治学者。東京大学名誉教授。 東京生まれ。武蔵中学校・高等学校、慶應義塾大学法学部政治学科卒業。同大学院法学研究科博士課程満期退学。1967年慶應義塾大学法学部助手、1970年同専任講師、1973年同助教授、1979年同教授。1992年東京大学社会情報研究所教授、2002年『情報政治学』で法学博士(慶應義塾大学)。 2003年、東京大学を定年退官、名誉教授。同年、十文字学園女子大学・同短期大学学長。2007年、同大学学長を退任。2007年から松山大学教授(2013年まで)。 1979年から1981年まで外務省在イスラエル大使館専門調査員。
渡部芳紀(わたべ よしのり、1940年9月12日- )は、日… 渡部芳紀(わたべ よしのり、1940年9月12日- )は、日本文学研究者、中央大学名誉教授。宮沢賢治、太宰治、石川啄木など日本近代文学を専門とする。2020年瑞宝中綬章受章。 東京生まれ。東京大学文学部卒業、1971年同大学院人文科学研究科博士課程満期退学。1967年武蔵高等学校教諭、1971年立正大学教養部専任講師、1975年助教授、1976年中央大学文学部助教授、1984年教授。1986年日本近代文学会評議員。2011年定年退任、名誉教授。退任後は岩手県下閉伊郡山田町に移住した。2020年春、瑞宝中綬章受章。 妻の渡部紀子は芹沢光治良の研究者。
鈴木 守(すずき まもる、1938年11月30日 - )は、… 鈴木 守(すずき まもる、1938年11月30日 - )は、日本の医学者・教育者。元群馬大学学長、医学部長、上武大学学長、医学博士。 専門は寄生虫学。特に、マラリア対策研究、熱帯医学。 静岡県出身。私立武蔵高校卒業後、1964年千葉大学医学部卒業。1969年千葉大学大学院医学研究科博士課程修了。学位論文名は「トキソプラズマ色素試験Acessory Faetorの研究マウス細胞溶解因子の意義」。同年、東京大学医科学研究所細菌感染研究部を経て、1972年WHO上級研究者としてイギリスおよびアメリカに留学。 1974年東海大学助教授。1976年群馬大学教授となる。1998年、群馬大学医学部長。2001年、群馬大学副学長を経て、2003年より群馬大学長。
武藤 徹一郎(むとう てついちろう、1938年〈昭和13年〉… 武藤 徹一郎(むとう てついちろう、1938年〈昭和13年〉4月16日 - 2024年〈令和6年〉2月16日)は、日本の医学者。東京大学名誉教授。癌研有明病院名誉院長。医学博士。専門は消化器外科学。台北生まれ。 1959年 武蔵中学校・高等学校卒業、1963年3月 東京大学医学部医学科卒業。1968年 同大学院第三臨床医学課程を修了し、医学博士の学位を取得、学位論文の題は「胃ポリープの病理組織学的研究 - とくに所謂腺腫性ポリープの形態発生とその癌化について」。同大学医学部第一外科教授、同附属病院長等を歴任。 1999年 癌研究会附属病院副院長に就任。2002年 同院長。2005年 癌研有明病院院長。
西江 雅之(にしえ まさゆき、1937年10月23日 - 2… 西江 雅之(にしえ まさゆき、1937年10月23日 - 2015年6月14日)は、日本の文化人類学者、言語学者。アフリカ諸語・文化研究が専門。 東京都出身。桑沢デザイン研究所ゼミマスター、東京外国語大学助教授、早稲田大学文学部教授を歴任。アフリカ諸語やピジン・クレオール語の研究の先駆者。23歳のとき日本で初めてスワヒリ語文法を発表した。東アフリカ、インド洋諸島、カリブ海領域の現地調査・研究に勤しんだ。著書に『ことばを追って』(1989年)、『異郷日記』(2008年)、『食べる』(2010年)など。 西江定(のち早稲田大学英語英文学科教授となる)の三男として東京市本郷区駒込林町(現:東京都文京区千駄木)に生まれる。
蓮見 音彦(はすみ おとひこ、1933年1月29日 -202… 蓮見 音彦(はすみ おとひこ、1933年1月29日 -2022年 )は、日本の社会学者。東京大学名誉教授。瑞宝重光章受章。 東京出身。父は海後宗臣東京大学名誉教授。祖父である蓮見義隆の養子となる。私立武蔵高校卒業、1955年東京大学文学部社会学科卒、1960年同大学院博士課程単位取得満期退学、東京女子大学専任講師、1963年助教授、1966年東京学芸大学助教授、1979年教授、1986年東京大学文学部教授、1991年定年前に退官、東京学芸大学学長、1998年和洋女子大学教授、2003年特任教授、2004年学長。1990年宮崎賞受章、1993年福武直賞受賞。2008年瑞宝重光章受勲。 福武直の衣鉢を継いで農村研究を行い、これを地域社会論へと広げ実証研究に成果をあげた。
由井 常彦(ゆい つねひこ、1931年〈昭和6年〉6月14日… 由井 常彦(ゆい つねひこ、1931年〈昭和6年〉6月14日 - )は、日本の経営史学者。学位は、経済学博士。明治大学名誉教授。専門は日本経営史・日本経済史。 長野県南佐久郡青沼村(現・佐久穂町)生まれ。与志本代表・由井七郎右衛門の息子、由井定右衛門の甥。 旧制武蔵高等学校を経て、東京大学経済学部卒業。1960年、東京大学大学院社会科学研究科経済史学博士課程修了。明治大学経済学部講師。1963年、助教授。1965年、「中小工業政策の史的研究」で東京大学より経済学博士の学位を取得。1968年、明治大学経営学部教授、日本経営史研究所専務理事に就任し、文部省大学設置審議会委員を務める。1998年に退官、名誉教授。
中村 たかを(中村 俊亀智 なかむら たかお・しゅんきち 1… 中村 たかを(中村 俊亀智 なかむら たかお・しゅんきち 1931年4月26日 - 2012年10月2日)は、日本の民俗学者・文化人類学者。国立民族学博物館・明海大学名誉教授。 東京生まれ。武蔵高等学校(旧制)卒、1954年武蔵大学経済学部卒、1957年東京都立大学大学院社会学研究科経済政策修士課程修了。1957年民族学協会附属民族学博物館研究員、1962年文部省史料館文部事務官、1972年国文学研究資料館助手、1973年国立民族学博物館創設準備室助手を併任、1974年同助教授、1976年教授。1988年辞職し名誉教授、明海大学経済学部教授。2002年退職、名誉教授。
松前 紀男(まつまえ のりお、1931年(昭和6年)2月11… 松前 紀男(まつまえ のりお、1931年(昭和6年)2月11日 - 2016年(平成28年)1月1日)は、日本の学者、実業家、作曲家。学位は社会科学博士(ストラスブール大学)。放送史、音楽史を専門とした。学校法人東海大学副理事長、東海大学平和戦略国際研究所所長、同松前記念館館長、同文明研究所長、同総合教育センター教授などをそれぞれ歴任した。東京都出身。 父は松前重義、妻澄子方の義父は池田清就。松前国際友好財団理事長や日本衛星放送取締役、エフエム東京取締役、札幌コンサートホールKitara館長なども務め、東海大学及び東海大学系列小・中・高等学校の校歌を作曲している。
木村 翔(きむら しょう、1931年- )は、日本の建築音響… 木村 翔(きむら しょう、1931年- )は、日本の建築音響工学者。日本大学名誉教授。日本騒音制御工学会認定技士。日大では理工学部建築学科で建築音響工学の木村研究室を主宰。出身者に杉山知之など。日本建築学会では学術理事(1984~1985)学会評議員(9期)学会音環境運営委員、学会環境工学委員会委員長(1988~1989)関東支部長(1990~1991)副会長(1992~1993)を歴任。他、日本建築センター遮音構造評定委員会委員長、日本音響学会評議員(第4期)等も務めた。工学博士。東京都生まれ。 1954年3月 日本大学旧工学部建築学科卒業。1956年3月 東京大学大学院数物系研究科建築学専攻修士課程(現・東京大学大学院工学系研究科建築学専攻修士課程)修了。
小野 茂(おの しげる、1930年11月15日 - 2014… 小野 茂(おの しげる、1930年11月15日 - 2014年9月10日)は、日本の英語学者、東京都立大学名誉教授。 東京府生まれ。父は官僚・政治家の小野哲。旧制武蔵高等学校卒、1953年東京大学文学部英文科卒業。同年学習院大学助手、1955年専任講師、1959年一橋大学専任講師、1962年東京都立大学助教授、1974年教授。1969年から1970年までペンシルヴェニア大学留学。1971年「英語法助動詞の発達」で文学博士(東京大学)。東京都立大学名誉教授、1988年昭和女子大学教授。2000年退職。中世英語英文学会会長、国際アングロサクソニスト学会(ISAS)名誉会員。妻は小野恭子(1930年 - )津田塾大学名誉教授[要出典](ジョイス研究)。
丸山 工作(まるやま こうさく、1930年6月16日 - 2… 丸山 工作(まるやま こうさく、1930年6月16日 - 2003年11月19日)は、日本の生化学者。千葉大学名誉教授。 東京府生まれ。父は作家の丸山義二、弟にドイツ文学者の丸山匠がいる。東京府立第四中学校(現・東京都立戸山高等学校)から武蔵高等学校 (旧制)を経て、1953年東京大学理学部動物学科卒業、1956年同大学院博士課程中退。 東京大学教養学部助手、1962年理学部助手、1965年教養学部助教授、1972年京都大学理学部教授、1977年千葉大学理学部教授、1994 - 1998年学長。1998年千葉大学で全国で初めて高校からの「飛び入学」制度を導入した。1999年大学入試センター所長、2001年理事長。
西山 茂夫(にしやま しげお、1930年1月1日 - )は、… 西山 茂夫(にしやま しげお、1930年1月1日 - )は、日本の医学者、皮膚科医。専門は血管炎、膠原病、全身疾患と皮膚。東京生まれ。
上田 誠也(うえだ せいや、1929年11月28日 - 20… 上田 誠也(うえだ せいや、1929年11月28日 - 2023年1月19日)は、日本の地球科学者。専門は地球物理学。東京大学名誉教授。理学博士。 東京府(現・東京都)出身。父の上田誠一は青森、山口両県の官選知事や警視庁特別高等警察部長等を歴任した内務官僚で、兄の上田誠吉は自由法曹団等で活動していた弁護士。 麹町小学校などを経て、旧制武蔵高等学校尋常科・高等科を卒業。1952年、東京大学理学部地球物理学科を卒業。1953年、東京大学地震研究所助手。1958年 東京大学理学博士「古地磁気学の手段としての熱残留磁気、特に反転熱残留磁気について」。 1963年、東京大学理学部助教授。1969年、東京大学地震研究所教授。
平井 聖(ひらい きよし、1929年7月10日 - )は、日… 平井 聖(ひらい きよし、1929年7月10日 - )は、日本の建築史家。専門は、日本建築史、特に住宅史。東京工業大学名誉教授。第7代昭和女子大学学長。 東京都生まれ。1952年、東京工業大学工学部建築学科卒業、同大学助手。1962年、「日本近世住宅に於ける殿舎平面と配置に関する研究」で工学博士。1963年、助教授、1974年、教授。1993年、定年退官、名誉教授。1969年多摩美術大学建築科で教えた。 昭和女子大学教授。2002-2020年、冬夏会会長。2003-2007年、昭和女子大学学長兼大学院委員長。福井県立歴史博物館館長。NHK大河ドラマの建築考証を1993年『炎立つ』から現在まで務めている。
正田 彬(しょうだ あきら、1929年(昭和4年)1月13日… 正田 彬(しょうだ あきら、1929年(昭和4年)1月13日 - 2009年(平成21年)6月1日)は、日本の法学者。専門は経済法。学位は、法学博士(慶應義塾大学・論文博士・1968年)。慶應義塾大学名誉教授。カトリック信徒(洗礼名アロイジオ)。 正田彬は数学者・正田建次郎の長男としてベルリンで生まれる。父方の祖父は日清製粉グループ本社創業者の正田貞一郎、母方の祖父は天文学者の平山信。元日清製粉(現・日清製粉グループ本社)社長の正田英三郎は父方の叔父で、建築家の平山嵩は母方の伯父。また父方の従弟に医師・政治家の水島裕と日清製粉グループ本社名誉会長相談役の正田修が、父方の従妹に上皇后美智子が、母方の従兄に物理化学者の坪井正道がおり、父方の義理の伯父に化学者の水島三一郎が、母方の義理の伯父に地球科学者の坪井誠太郎が、母方の義理の叔父に元東洋製作所社長の佐竹義利がいる。
大河内一雄(おおこうち かずお、1928年(昭和3年)10月… 大河内一雄(おおこうち かずお、1928年(昭和3年)10月8日 - 2007年(平成19年)10月10日)は、日本の医学者、ウイルス学者 血清学者。九州大学名誉教授。 専門は輸血による感染症。 1963年にバルーク・サミュエル・ブランバーグが発見したオーストラリア抗原を肝炎患者の血液から分離し、B型肝炎ウイルスの発見につながった。この研究は輸血によるB型ウイルス性肝炎感染防止に応用され、輸血の安全性を高めることに大きく貢献した。その後も成人T細胞白血病ウイルスや、エイズウイルスの輸血による感染の研究に尽力した。
水島 恵一(みずしま けいいち、1928年8月3日 - 20… 水島 恵一(みずしま けいいち、1928年8月3日 - 2015年7月27日)は、日本の心理学者、文教大学名誉教授。 東京生まれ。父は東京大学名誉教授で学士院会員の化学者である水島三一郎。旧制武蔵高等学校を経て、東京大学法学部卒業。東京大学大学院人文科学研究科心理学専攻修了。1965年「自己疎外理論による非行性仮説設定とその臨床的検討」で早稲田大学より文学博士の学位を取得。横浜少年鑑別所技官、立正女子大学助教授、校名変更で文教大学人間科学部教授。文教大学学長(1996-2001)、2000年定年退任、名誉教授。2012年秋の叙勲で瑞宝中綬章を受章。墓所は多磨霊園。 次弟水島昭二は元東大教授、三弟水島裕は元参議院議員。
我妻 洋(わがつま ひろし、1927年6月17日 - 198… 我妻 洋(わがつま ひろし、1927年6月17日 - 1985年7月25日)は、日本の社会心理学者・文化人類学者。甲南大学助教授・カリフォルニア大学ロサンゼルス校教授・筑波大学教授・東京工業大学教授などを歴任。 日米文化比較の分野で活躍し、家族や性、差別などについて社会心理的側面から実証的比較研究を行った。 1927年6月17日、法学者・我妻栄の長男として東京都に生まれた。 東京高等師範学校附属小学校、同中学校を経て、旧制武蔵高等学校に進学。 東京大学文学部独文科に入学したが、心理学科に転じて1953年卒業。 1954年より米国へ留学し、ハーバード大学、ミシガン大学、カルフォルニア大学の各大学で文化人類学と臨床心理学を学ぶ。
田沼 肇(たぬま はじめ、1926年〈大正15年〉4月19日… 田沼 肇(たぬま はじめ、1926年〈大正15年〉4月19日 - 2000年〈平成12年〉8月9日)は、日本の社会学者・社会運動家。 群馬県桐生市生まれ。本籍東京市(現港区)。武蔵高等学校卒、1948年東京帝国大学経済学部卒、商工省調査統計局勤務。1950年法政大学大原社会問題研究所勤務、1963年同社会学部助教授、1964年教授。1970-1971、1978-1981年社会学部長。1993年退職、名誉教授。1983年原水爆禁止日本協議会代表理事。 1987年に発病し、1995年パーキンソン症状を伴う進行性核上性麻痺と診断される。1993年東京都重度心身障害者手当を申請するが、判定医の診断により却下される。
町田 茂(まちだ しげる、1926年〈大正15年〉2月22日… 町田 茂(まちだ しげる、1926年〈大正15年〉2月22日 - 2019年〈平成31年〉1月16日)は、日本の物理学者。専門は量子力学。理学博士(1959年)。京都大学名誉教授。 群馬県前橋市に生まれる。小学2年のときに千葉県へ移り、さらに東京へ転居。旧制武蔵高等学校を経て、1949年東京大学理学部物理学科卒、1959年理学博士。1952年広島大学講師、1955年立教大学助教授、1961年同教授、1966年京都大学理学部教授、1990年定年退官、名誉教授となる。1976年より日本学術会議員。
田中 郁三(たなか いくぞう、1926年1月13日 - 20… 田中 郁三(たなか いくぞう、1926年1月13日 - 2015年2月16日)は日本の化学者、理学博士。東京工業大学名誉教授。文化功労者。専門は光化学。 東京工業大学教授、学長などを歴任。光イオン化質量分析法の開発や、分子の電子状態を精密に測定する分子光化学の先駆的な手法開発などで知られる、光化学のパイオニア。
星埜 禎男(ほしの さだお、1926年 - 2004年2月1… 星埜 禎男(ほしの さだお、1926年 - 2004年2月17日)は、日本の物理学者。東京大学名誉教授。中性子回折・散乱研究が専門。 武蔵高等学校を卒業後、1948年3月、大阪大学理学部化学科を卒業。同年、大阪大学理学部副手。1949年4月、東京工業大学理学系助手。1959年4月、東京工業大学理工学部助教授。1960年5月、東京大学物性研究所助教授。1967年1月、同研究所教授。1987年3月に東京大学を定年退職し、同年、東京大学名誉教授となった。同年9月には筑波大学物理工学系教授に就任し、1990年3月に筑波大学を定年退職。 1958年、大阪大学理学博士。論文の題は「アルフア沃化銀の異常結晶構造の研究 」。
内田 祥哉(うちだ よしちか、1925年5月2日 - 202… 内田 祥哉(うちだ よしちか、1925年5月2日 - 2021年5月3日)は、日本の建築生産学者、建築家。東京大学名誉教授。日本学士院会員。一級建築士資格所有。 東京都生まれ。内田祥三(建築構造学の大家で東京帝国大学学長を歴任)の二男。兄は、敗戦後まもなく夭逝した建築家内田祥文。 武蔵高等学校 (旧制)を卒業。東京帝国大学工学部建築学科卒業後、逓信省、電気通信省を経て、日本電信電話公社建築部(現・NTTファシリティーズ)に勤務。 1961年、東京大学工学博士。論文の題は「建築構法の分析と綜合の研究」。 東京大学助教授-教授-名誉教授、明治大学教授、金沢美術工芸大学教授を歴任。1993年、日本建築学会会長。
長澤 敬之助(ながさわ けいのすけ、1924年10月26日 … 長澤 敬之助(ながさわ けいのすけ、1924年10月26日 - 2005年6月5日)は、日本の地球科学者。専門は鉱床学・鉱物学。東京都生まれ。 旧制武蔵高等学校を経て、1948年東京大学理学部地質学科卒業。同年4月より1951年3月まで同大学院に在籍。1951年5月名古屋大学理学部講師となり、1954年助教授に昇進。1961年名古屋大学より理学博士の学位を取得。論文の表題は「新潟県三川鉱山の鉱化作用に関する研究」。1877年静岡大学理学部教授に就任。大学評議員・理学部長などを歴任し、1988年停年退職、名誉教授となる。その後、常葉学園浜松大学の教授となり、経営情報学部長・副学長を勤める。1984~1986年日本鉱物学会会長、1985~1986年日本粘土学会会長。
梅沢 博臣(うめざわ ひろおみ、1924年9月20日 - 1… 梅沢 博臣(うめざわ ひろおみ、1924年9月20日 - 1995年3月25日)は、日本の理論物理学者。学位は、理学博士。アルバータ大学(カナダ)名誉教授。坂田昌一の弟子の一人で、場の量子論で世界的に著名。 兄弟に、梅澤純夫(有機合成化学、抗生物質研究)、梅澤濱夫(抗生物質カナマイシン発見)、梅澤邦臣(科学技術事務次官)がいる。 北海道に生まれる。出身は東京都。開成中学(東京)卒業後、旧制武蔵高校を経て名古屋帝国大学工学部電気工学科に入学。大学3年生の時から、理学部の坂田昌一のところに出入りするようになり、物理学の研究者となった。1947年に大学を卒業し、引き続き大学院に進学し、1952年に博士課程を修了して理学博士号を取得した(学位論文「素粒子の相互作用の構造について」 )。
碧海 純一(あおみ じゅんいち、1924年6月27日 - 2… 碧海 純一(あおみ じゅんいち、1924年6月27日 - 2013年7月18日)は、日本の法学者、法哲学者。東京大学名誉教授。日本バートランド・ラッセル協会理事。 分析哲学、批判的合理主義に近い立場から理論哲学として法哲学を展開し、以後の日本の法哲学に大きな影響を及ぼした。主著に『法哲学概論』『法と社会』など。 愛知県名古屋市出身。旧制武蔵高等学校では、講師であった下村寅太郎に紹介され、バートランド・ラッセルに触れる(後に日本バートランド・ラッセル協会設立発起人となっている)。 1944年(昭和19年)短期現役海軍主計科士官(12期)を志願。同年9月、海軍経理学校に入学。1944年10月、海軍主計見習士官。
諸井 勝之助(もろい かつのすけ、1924年2月3日 - 2… 諸井 勝之助(もろい かつのすけ、1924年2月3日 - 2018年1月5日)は、日本の会計学者。東京大学名誉教授、青山学院大学名誉教授。2000年勲二等瑞宝章受章。 東京府生まれ。永田甚之助の三男。母方の祖父は尾高次郎、曾祖父は尾高惇忠と渋沢栄一。秩父セメント社長諸井貫一(遠戚にあたる)の婿養子となる。 武蔵高等学校卒業。短期現役海軍主計科士官(12期)を志願。1944年9月、海軍経理学校に入学し1945年に卒業。同年4月、呉施設部宮崎地方施設事務所内務主任に就任。同年6月、海軍主計少尉に任官し佐世保施設部宮崎地方施設事務所内務主任となり終戦を迎えた。 1946年東京帝国大学経済学部商業科卒業、1950年東京大学経済学部助教授。
白山和久(しらやまかずひさ、1924年- )は、日本の建築構… 白山和久(しらやまかずひさ、1924年- )は、日本の建築構造学者。建築材料学者。筑波大学名誉教授(構造工学系)。日本学術振興会委員、建築研究所長、建築住宅国際機構会長など歴任。東京生まれ。 1947年、東京大学第二工学部建築学科卒業。1951年、旧建設省建築研究所入所。第二研究部に。1975年、建築研究所長就任。1977年、筑波大学構造工学系教授就任。1985年、退官。同年、工学院大学工学部教授。 主な著書に『建築施工技術ハンドブック』 (1979年)『建築新素材・新材料』(1991年)『気泡コンクリート』 (1964年)など。受賞歴にセメント協会論文賞、日本建築学会賞論文賞および大賞など。
早川 幸男(はやかわ さちお、1923年〈大正12年〉10月… 早川 幸男(はやかわ さちお、1923年〈大正12年〉10月16日 - 1992年〈平成4年〉2月5日)は、日本の物理学者(宇宙物理学)、素粒子物理学者。名古屋大学名誉教授。専門は、高エネルギー天体物理学、宇宙論、赤外線天文学。愛媛県新居郡新居浜町(現・愛媛県新居浜市)出身。二男は同じく物理学者の早川尚男。 卒業研究に朝永ゼミに入ったことをきっかけに素粒子、宇宙線の研究を始める。卒業後友人の碓井恒丸(名古屋大学名誉教授)の紹介で気象台に勤めて素粒子論的宇宙線の研究を始める。初期の論文は素粒子論の応用の色彩が強かったが渡米後、本格的な宇宙線研究者になる。1953年にはγ線天文学の提唱、1955年には宇宙線の超新星起源説等を唱えた。
永井 道雄(ながい みちお、1923年 <大正12年> 3月… 永井 道雄(ながい みちお、1923年 <大正12年> 3月4日 - 2000年 <平成12年> 3月17日)は、日本の教育社会学者。文部大臣(第95代)。位階は正三位。 戦前に立憲民政党幹事長や拓務大臣、逓信大臣、鉄道大臣を務めた永井柳太郎の次男。 東京に生まれる。東京高等師範学校附属小学校(現:筑波大学附属小学校)卒業。当時の同級生には哲学者の鶴見俊輔、中央公論社社長の嶋中鵬二、作家の中井英夫らがいる。東京高等師範学校附属中学校(現:筑波大学附属中学校・高等学校)、旧制武蔵高校を経て、京都帝国大学文学部を卒業。京都大学人文科学研究所助手、米国へ留学し、1952年オハイオ州立大学で教育社会学のPh.D.を取得。
頼 惟勤(らい つとむ、1922年〈大正11年〉2月2日 -… 頼 惟勤(らい つとむ、1922年〈大正11年〉2月2日 - 1999年〈平成11年〉7月15日)は、日本の中国学者。お茶の水女子大学名誉教授。頼聿庵の末裔。 東京府生まれ。父は東京高等学校教授の頼成一で、惟勤は頼山陽の6代目の子孫(山陽の子・聿庵の末裔)。1939年(昭和14年)(旧制)私立武蔵高等学校卒業後、1943年(昭和18年)学徒出陣で、東京帝国大学文学部支那哲学支那文学科を繰り上げ卒業し出征。1944年(昭和19年)、海軍少尉。1945年(昭和20年)、中尉。 復員後は、倉石武四郎の世話で京都帝国大学教務嘱託。1949年(昭和24年)、東京大学文学部副手。1952年(昭和27年)、お茶の水女子大学専任講師、のち1959年(昭和34年)に助教授、1964年(昭和39年)に教授。
滋賀 秀三(しが しゅうぞう、1921年〈大正10年〉5月1… 滋賀 秀三(しが しゅうぞう、1921年〈大正10年〉5月1日 - 2008年〈平成20年〉2月25日)は、日本の法学者(東洋法制史)。東京大学名誉教授、日本学士院会員。 1921年、山口県岩国町で生まれた。東京で育ち、旧制武蔵高等学校を経て、東京帝国大学法学部に入学。中国法制史を専攻し、石井良助に師事。1943年に法学部を卒業した。卒業後は、戦時下であったが大学院特別研究生に採用された。 1948年、東京大学法学部助教授に就任し、東洋法制史の授業を担当。1959年に同教授に昇格。1962年、学位論文『中国家族法の原理』を東京大学に提出して法学博士号を取得。1969年『中国家族法の原理』(1967年)で日本学士院賞受賞。
島津 一郎(しまづ いちろう、1921年5月 - 2007年… 島津 一郎(しまづ いちろう、1921年5月 - 2007年1月29日)は、日本の法学者。専門は民法、家族法。学位は法学博士(東北大学・1962年)。一橋大学名誉教授。中川善之助門下。弟子に奥山恭子(横浜国立大学名誉教授)、許末恵(青山学院大学教授)など。 横浜市生まれ。1934年3月埼玉県立師範学校附属小学校(埼玉大学教育学部附属小学校の前身)卒業、1941年武蔵高等学校(旧制)(武蔵中学校・高等学校の前身)卒業、1943年東北帝国大学法文学部法科第1類卒業。1962年東北大学より法学博士の学位を取得。 1943年東北大学法文学部助手。1945年召集により富山連隊入隊。1949年助手論文「社会家族と自然家族」を書き、新設の金沢大学法文学部の法科の助教授に就任。
井上 信也(いのうえ しんや、ラテン文字: Shinya I… 井上 信也(いのうえ しんや、ラテン文字: Shinya Inoué、1921年1月5日 - 2019年9月30日)は、日本出身の生物学者、顕微鏡学者。アメリカ合衆国国籍。駐ハンガリー公使井上庚二郎の長男としてイギリス・ロンドンで出生。末妹はピアニストの井上二葉。 細胞生物学における偏光顕微鏡、ビデオ顕微鏡の開祖とされ、著書「Video Microscopy」は、顕微鏡学者必携の名著である。井上以前には存在を疑問視すらされた紡錘体を直接観察することにより、その存在を最終的に証明し、長年にわたる論争に終止符を打った。また、レクチファイ偏光光学系など、偏光顕微鏡をはじめ各種の顕微鏡の革命的な技術を発明・開発してきた。
井上 勝也(いのうえ かつや、1920年10月9日 - )は… 井上 勝也(いのうえ かつや、1920年10月9日 - )は、日本の化学者、千葉大学名誉教授。 東京生まれ。1943年東京帝国大学理学部化学科卒業、工業技術院資源環境技術総合研究所、1948年燃料研究所(公害資源研究所)、1954年「石炭のレオロジー的研究」で東京大学理学博士。1959年八幡製鉄(新日本製鉄)先端技術研究所、1967年千葉大学理学部教授、84年定年退官、名誉教授、神奈川大学理学部教授、91年退職。
霜田 光一(しもだ こういち、1920年〈大正9年〉10月5… 霜田 光一(しもだ こういち、1920年〈大正9年〉10月5日 - 2023年〈令和5年〉5月29日)は、日本の物理学者。理学博士。東京大学名誉教授。理化学研究所名誉研究員。日本学士院会員(第2部第5分科)。位階は正四位。文化功労者。勲二等瑞宝章受章者。 埼玉県北足立郡浦和町(現・さいたま市)出身。明星学園小学部、明星学園中学部、旧制武蔵高等学校を経て、1943年(昭和18年)東京帝国大学理学部物理学科卒業。 東京大学理学部教授、理化学研究所主任研究員、慶應義塾大学理工学部教授、レーザー学会会長、日本物理教育学会会長を歴任。専門はレーザー分光(laser spectroscopy)、量子エレクトロニクス、物理教育。
渡辺 正雄(わたなべ まさお、1920年1月7日 -2005… 渡辺 正雄(わたなべ まさお、1920年1月7日 -2005年5月4日)は、日本の科学史家、東京大学名誉教授。 専門は科学文化史、日英科学交流史、キリスト教と科学など。弟子に榎本恵美子や小川真里子。 東京出身。私立武蔵高校卒。東京帝国大学卒。1961年「一七八〇-一八五〇年期の英国に於ける熱理論の発展」で東京教育大学文学博士。1962年「熱運動論発展の過程」で東京大学理学博士。東京女子大学助教授、中央大学教授、1968年東京大学教養学部教授、1980年定年退官、名誉教授、新潟大学教授、東京電機大学教授、国際基督教大学教授。1993年、勲三等旭日中綬章受章。 『科学史フォーラム』第8号、2005年10月5日
小川 政亮(おがわ まさあき、1920年1月 - 2017年… 小川 政亮(おがわ まさあき、1920年1月 - 2017年5月7日)は、日本の法学者、日本社会事業大学名誉教授。専攻は社会保障法。 東京出身。1939年に武蔵高等学校高等科を卒業し、東京帝国大学法学部法律学科に入学。在学中、東京市内外の軍事扶助受給者や少年労働者への訪問調査を行い、彼らの生活実態や意識に触れた。1941年(昭和16年)に大学を繰り上げ卒業した。卒業前に徴兵検査を受け、第二種乙種合格となり、1942年(昭和17年)2月1日に近衛歩兵第2連隊に配属された後、幹部候補生として前橋陸軍予備士官学校に入った。ふたたび近衛歩兵に戻り、1945年(昭和20年)4月に伊勢警備隊に転属して終戦を迎えた。
斎藤 平蔵(さいとう へいぞう、1919年 - 2005年)… 斎藤 平蔵(さいとう へいぞう、1919年 - 2005年)は、日本の建築環境学者。東京大学工学部教授、東京理科大学理工学部教授を歴任。工博。 著書に『建築気候』 (大学講座建築学環境編 1、共立出版)『都市環境と人間』『建築設備の実務Ⅰ』(現代建設実務大系、監修)など。受賞は空気調和・衛生工学会学会賞 論文賞、日本建築学会賞大賞受賞など。
平井 信義(ひらい のぶよし、1919年 - 2006年7月… 平井 信義(ひらい のぶよし、1919年 - 2006年7月7日)は、日本の児童心理学者・文筆家・医師。大妻女子大学名誉教授。 東京生まれ。1941年 (昭和16年) 東京帝国大学文学部独文科卒。1944年 (昭和19年) 東北帝国大学医学部卒。1957年 (昭和32年) 名古屋大学より医学博士の学位を取得。 小児科医、母子愛育会愛育研究所所員、お茶の水女子大学教授、1970年 (昭和45年) 定年退官、大妻女子大学教授(児童学)、1990年(平成2年)退任、名誉教授。 ウィーン大学でハンス・アスペルガーに学び、自閉症を研究した。『「心の基地」はおかあさん』が140万部のベストセラーとなったほか、多数の著書を著した。
小林 胖(こばやし ゆたか、1917年11月17日 - 19… 小林 胖(こばやし ゆたか、1917年11月17日 - 1980年8月11日)は、日本の図書館情報学者。名前は「ばん」とも呼ばれた。 1917年 (大正6年) 11月17日東京に生まれる。漢籍に凝っていた父親が四書五経から「胖」という字を選び名付けた。1930年 (昭和5年) 、戸山小学校卒業後、武蔵高等学校尋常科へ入学、同高等科へ進み1939年卒業。同年東京帝国大学理学部化学科へ入学し、1941年12月卒業した。 1942年、三井化学工業株式会社研究員となるが、在職のまま兵役徴集に応じ、陸軍工兵学校幹部候補生隊で教育を受けた後に、満洲へ向かった。1943年、独立工兵大隊勤務中に発病し予備役となって帰国、三井化学工業に勤務し終戦となった。
戸田 盛和(とだ もりかず、1917年10月20日 – 20… 戸田 盛和(とだ もりかず、1917年10月20日 – 2010年11月6日)は、日本の物理学者。 専門は、統計力学・凝縮系物理学・数理物理学・可積分系。特に戸田が導入した格子模型は完全可積分系の典型として有名で、「戸田格子」の名を得ている。東京教育大学名誉教授。 東京府生まれ。旧制武蔵高等学校を経て、1940年に東京帝国大学理学部物理学科を卒業、京城帝国大学、旧制東京文理科大学で助教授を務めたのち、1951年に東京文理科大学教授に昇格した。そして東京教育大学(東京文理科大学の後身)を定年前に退職したのち、千葉大学、横浜国立大学、放送大学の教授を歴任した。 まず東京大学の卒業研究として液体の構造を研究し、その成果を後に「液体構造論」(共立出版、1947年)、「液体理論」(河出書房、1947年)として出版した。
田村 三郎(たむら さぶろう、1917年〈大正6年〉1月8日… 田村 三郎(たむら さぶろう、1917年〈大正6年〉1月8日 - 2015年〈平成27年〉12月4日)は、日本の農芸化学者(生物有機化学)。位階は従三位。勲等は文化勲章。学位は農学博士(東京大学・1954年)。東京大学名誉教授、日本学士院会員、文化功労者。 満州国大陸科学院での勤務を経て、東京帝国大学農学部副手、東京大学農学部教授、富山県立技術短期大学学長、東京農業大学教授などを歴任した。 1917年(大正6年)、群馬県吾妻郡沢田村(現・中之条町)四万温泉で旅館業を営む田村茂三郎の三男として生まれる。1929年(昭和4年)上京し、旧制武蔵高等学校を卒業。1939年(昭和14年)東京帝国大学農学部農芸化学科を卒業。
高野 雄一(たかの ゆういち、1916年11月3日 - 20… 高野 雄一(たかの ゆういち、1916年11月3日 - 2004年3月25日)は、日本の法学者。専門は国際法。学位は、法学博士(東京大学・論文博士・1962年)。東京大学名誉教授。著書『国際組織法』(初版1961年)はこの分野の代表的な著作として知られる。 弁護士・高野弦雄の長男。1941年東京帝国大学法学部卒業、同助手。指導教官は横田喜三郎。1944年より外務省条約局勤務。1948年、法政大学教授。1949年、東京大学法学部助教授、1956年に教授。1977年定年退官後、上智大学法学部教授、1988年より八千代国際大学政治経済学部教授を務めた。1992年勲三等旭日中綬章受章。日本のポツダム宣言受諾を無条件降伏とする説に反対し、江藤淳を支持した。
浜口 隆一(はまぐち りゅういち、1916年3月26日 - … 浜口 隆一(はまぐち りゅういち、1916年3月26日 - 1995年1月2日)は、日本の建築評論家・建築史家。東京大学助教授等を経て、日本大学理工学部教授に就任。 東京生まれ。1938年東京帝国大学工学部建築学科卒業。丹下健三と共に前川國男建築設計事務所に入所。その後東京帝国大学大学院岸田研究室に進み、1943年に大学院修士課程修了。建築史の講師任用になるがいったん辞し、1948年東京大学助教授となるが、のち退官して評論家。1966年から1977年まで日本大学理工学部建築学科教授。
前田 直典(まえだ なおのり、1915年11月18日 - 1… 前田 直典(まえだ なおのり、1915年11月18日 - 1949年9月18日)は、日本の東洋史学者(モンゴル史・元朝史を研究)。京都市上京区生まれ。闘病・夭逝のため研究生活は短いものであったが、鈔法を始めとする元朝に関する実証的な研究、また中国史における新たな時代区分論を提唱したことで知られる。