スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
斗鬼 正一(とき まさかず、1950年〈昭和25年〉 - )… 斗鬼 正一(とき まさかず、1950年〈昭和25年〉 - )は、日本の文化人類学者。専門は都市人類学、地域研究。江戸川大学社会学部現代社会学科文化人類学・民俗学コース名誉教授。明治大学文学部講師。明治大学大学院講師。 テレビ番組、「週刊女性」などの雑誌、新聞書評で、日本、世界の文化に関する解説し、論評も多数ある。 神奈川県鎌倉市生まれ。1969年、神奈川県立横浜翠嵐高等学校卒業、1973年、明治大学政治経済学部経済学科卒業、1979年、アテネ・フランセ英語科卒業、1975年、明治大学大学院修士課程修了、1984年、明治大学大学院博士後期課程単位取得満期退学、1982年、研数学館英語講師、1987年、江戸川女子短期大学講師、1990年、江戸川大学社会学部専任講師。
光岡 史朗(みつおか しろう、1949年〈昭和24年〉10月… 光岡 史朗(みつおか しろう、1949年〈昭和24年〉10月 - 2015年〈平成27年〉9月9日)は、日本のコピーライター・作家。 1949年生まれ。神奈川県出身。県立横浜翠嵐高校卒。高校時代から文学に親しむが、1967年高校3年のとき「10.8羽田事件」にショックを受け、急速に政治運動、マルクス主義に興味を抱く。明治大学に入学するが、その入学式の次の日から学生自治会室に入りびたる。 サークルは社会主義研究会。そこはブント=社学同の拠点サークルのひとつであった。そして1年生の後期から法学部委員長として活動し。ほとんど学生会館に泊り込みで、アジビラをつくり、立て看板を描き、毎朝校門でビラ撒きをする生活をおくる。
古川 安(ふるかわ やす、1948年 - )は、日本の科学史… 古川 安(ふるかわ やす、1948年 - )は、日本の科学史家、PhD。横浜商科大学助教授、東京電機大学教授、日本大学教授、化学史学会会長などを務めた。
松 あきら(まつ あきら、1947年12月3日 - )は、日… 松 あきら(まつ あきら、1947年12月3日 - )は、日本の女優[注 1]、政治家。元宝塚歌劇団花組トップスター。公明党顧問。本名、西川 玲子(にしかわ れいこ)。旧姓、松本(まつもと)。
江部 努(えべ つとむ、1947年10月30日 - )は日本… 江部 努(えべ つとむ、1947年10月30日 - )は日本の実業家。元NTT東日本社長。電気通信協会賞受賞。 神奈川県横浜市出身。1966年神奈川県立横浜翠嵐高等学校卒業、1970年一橋大学経済学部を卒業し、日本電信電話公社入社。盛岡電話局に配属。その後北海道総支社労働部長や経営企画本部担当部長を務めた。 2003年西日本電信電話代表取締役副社長、2007年日本電信電話代表取締役副社長中期経営戦略推進室長、2008年東日本電信電話代表取締役社長。固定通信と携帯電話サービスの融合を進め、2009年には光通信回線サービス「フレッツ光」の最大通信速度を、利用料金を従来のまま、従来の2倍の毎秒200メガビットに引き上げる新サービスを開始した。
崎元 讓(さきもと じょう、1947年9月11日 - )は、… 崎元 讓(さきもと じょう、1947年9月11日 - )は、日本のクラシック系ハーモニカ奏者。 世界ハーモニカ・コンクール第2位入賞者。CD「ポエム・ハーモニカ」により、2002年度文化庁芸術祭レコード部門で優秀賞受賞。日本音楽家ユニオン代表運営委員、日本芸能実演家団体協議会常任理事を歴任。現在CPRA(実演家著作隣接権センター)運営委員長。新垣勉らのCDのレコーディングに参加。テレビ、ラジオ、映画、CM音楽などの分野でも活躍。 現在CPRA(実演家著作隣接権センター)運営委員長。
白楽 ロックビル(はくらく ロックビル、本名:林 正男、19… 白楽 ロックビル(はくらく ロックビル、本名:林 正男、1947年1月4日 - )は、日本の生化学者・細胞生物学者・政治学者・生命科学者。お茶の水女子大学名誉教授。学位は理学博士。専門は、バイオ政治学、生化学、細胞生物学。 埼玉大学理工学部生化学科1期生。卒業研究で江上不二夫から糖タンパク質の生化学の指導を受けた。名古屋大学大学院理学研究科分子生物学専攻の大学院生の時、大沢文夫の下で、微小管系の生体運動の分子機構の生物物理学を研究した。1976年、29歳の時に、筑波大学生物科学系の講師に就任した。1980年、筑波大学生物科学系講師の時、アメリカ国立がん研究所・分子生物学部のケネス・ヤマダの下に2年間留学し、癌細胞の細胞生物学を研究し、フィブロネクチンのドメイン構造を決定した。
鳥居 正男(とりい まさお、1947年 - )は、日本の実業… 鳥居 正男(とりい まさお、1947年 - )は、日本の実業家。神奈川県出身。ベーリンガーインゲルハイム日本法人元代表取締役社長。エスエス製薬元代表取締役社長。ノバルティス日本法人代表取締役社長。ローヌ・プーランク・ローラー日本法人元代表取締役社長。シェリング・プラウ日本法人元代表取締役社長。欧州製薬団体連合会(EFPIA Japan)副会長。 神奈川県出身。1966年、神奈川県立横浜翠嵐高等学校卒業。1971年に米国メリーランド州・ロヨラカレッジ経営学部卒業後、日本ロシュ(現・中外製薬)に入社し、在職中に上智大学国際学部(現・国際教養学部)経営学修士課程および、ハーバードビジネススクール・AMP(経営者養成プログラム)を修了。
五十嵐 洋一(いがらし よういち、1946年9月23日 - … 五十嵐 洋一(いがらし よういち、1946年9月23日 - )は、東京都出身のプロ野球審判員で元審判部副部長。 横浜翠嵐高校から法政大学を経て1967年パシフィック・リーグ審判部入局。前川芳男審判部長とは同期生である。審判員袖番号は1(1977年初採用から1998年自主退職まで、2004年以降は秋村謙宏審判員が付けている)。 大学浪人中にアルバイトでアマ野球の審判を行ったことが、プロ審判となるきっかけとなった。1986年の日本シリーズ第8戦で球審を務めるなど、着実にキャリアを積み重ねていたが、1998年12月25日、定年まで3年を残して連盟より契約解除処分を受けた。同年の11月23日、傷害事件を起こして、逮捕されたことが解雇の理由であった(連盟は依願退職を勧めたが、五十嵐はこれを拒否し「解雇してくれ」と言った)。
山口 慎弥(やまぐち しんや、1945年1月8日 - )は、… 山口 慎弥(やまぐち しんや、1945年1月8日 - )は、日本のアナウンサーである。NHK→TBSで活動した。「山口愼彌」または「山口慎彌」と表記する場合もある。 神奈川県出身。神奈川県立横浜翠嵐高等学校第15回卒業生。東京大学文学部卒業。1967年にNHKへ入局。盛岡局→大阪局で勤務した。1973年6月にTBSへ中途採用で入社。主にスポーツ番組(ラグビーなど)の実況・キャスターとして活動した。 のちにアナウンス職から離れ編成職となる。その後経理局経理部へ異動し、経理局次長兼経理部長、経営企画局長、執行役員(2004年 - 2007年)を務めた。経営企画局長時代には、役員会議の司会を務めることもあった。
秋元 征紘(あきもと ゆきひろ、1944年〈昭和19年〉 -… 秋元 征紘(あきもと ゆきひろ、1944年〈昭和19年〉 - )は、日本の実業家、作家。ワイ・エイ・パートナーズ(株)代表取締役、ジャイロ経営塾代表。株式会社ナイキジャパン元代表取締役社長。ゲラン株式会社元取締役会長・代表取締役社長。上智大学経済学部卒業、シドニー大学経済学部修士課程。神奈川県横浜市出身。 著書に「金の社員・銀の社員・銅の社員」「こうして私は外資4社のトップになった」「『ジャイロ経営』が社員のやる気に火をつける?パッション・カンパニー」がある。 1944年(昭和19年)神奈川県横浜市生まれ。上智大学経済学部を卒業、シドニー大学経済学部修士課程を修める。 1970年(昭和45年)日本精工(株)入社、2年後にニューヨークに3年駐在、トロントに5年駐在。
復本 一郎(ふくもと いちろう、1943年9月5日 - )は… 復本 一郎(ふくもと いちろう、1943年9月5日 - )は、日本の国文学者・俳人。神奈川大学名誉教授。専門は、近世・近代の俳文学。俳号は復本鬼ヶ城(おにがじょう)。「阿」の会代表。 愛媛県宇和島市生まれ。神奈川県横浜市で育ち、横浜市立青木小学校、横浜市立栗田谷中学校、神奈川県立横浜翠嵐高等学校を卒業。1966年、早稲田大学第一文学部文学科国文学専修卒業。1972年、同大学院博士課程単位取得満期退学、福岡教育大学助手。1973年、講師、1974年、助教授。同年、書籍 (『芭蕉における「さび」の構造』)で窪田空穂賞(早稲田大学国文学会)受賞。1977年、静岡女子大学文学部助教授。1979年10月、静岡大学人文学部助教授、1988年、教授。
大前 研一(おおまえ けんいち、1943年2月21日 - )… 大前 研一(おおまえ けんいち、1943年2月21日 - )は、日本の経営コンサルタント、起業家。 マサチューセッツ工科大学博士。マッキンゼー日本支社長を経て、カリフォルニア大学ロサンゼルス校公共政策大学院教授やスタンフォード大学経営大学院客員教授を歴任。 現在、ビジネス・ブレークスルー大学学長、韓国梨花女子大学国際大学院名誉教授、高麗大学名誉客員教授、(株)大前・アンド・アソシエーツ創業者兼取締役、株式会社ビジネス・ブレークスルー代表取締役社長等を務める。 「ボーダレス経済学と地域国家論」提唱者。 福岡県若松市(現北九州市若松区)出身、ただし幼少期。父・忠男は長崎県対馬の漁師の家に生まれた三男で、博多の百貨店に勤めていた時に陸軍に召集された陸軍大尉。
鈴木 恒夫(すずき つねお、1941年〈昭和16年〉2月10… 鈴木 恒夫(すずき つねお、1941年〈昭和16年〉2月10日 - )は、日本の政治家。 衆議院議員(6期)、文部政務次官(宮澤改造内閣・第2次森内閣)、環境政務次官(第2次橋本内閣)、衆議院文教委員長、文部科学大臣(第10代)を歴任した。 神奈川県横浜市港北区師岡町で出生。1953年3月 横浜市立大綱小学校卒業。1956年3月 横浜市立大綱中学校卒業。1959年3月 神奈川県立横浜翠嵐高等学校卒業。 1963年3月 早稲田大学政治経済学部卒業。4月 毎日新聞東京本社に入社。政治部記者として15年間勤務。 1977年7月 衆議院議員・河野洋平(新自由クラブ代表)の秘書になる。1983年12月 第37回衆議院議員総選挙に神奈川1区(中選挙区制)から初めて立候補し、落選。
高萩 光紀(たかはぎ みつのり、1940年12月3日 - )… 高萩 光紀(たかはぎ みつのり、1940年12月3日 - )は、日本の実業家。JXホールディングス初代代表取締役社長。春光懇話会会長、財団法人石油産業活性化センター理事長なども歴任。 東京市大森区(現東京都大田区)生まれ。父は電気技術者。神奈川県立横浜翠嵐高等学校を経て、1964年3月一橋大学法学部卒業。大学では蓼沼謙一ゼミ、硬式野球部に所属。4年生から野球部マネージャーを務めた。 1964年4月、大学の先輩から誘われ日本鉱業株式会社入社。石油部門を希望し、石油部門大阪支社配属される。1969年ライス大学大学院に留学。本社原油調達担当課長、水島製油所総務部業務課長などを務めた。 1991年知多製油所(現JXTGエネルギー知多製造所)副所長、1994年から株式会社ジャパンエナジー取締役、1998年から同社常務取締役、1999年から同社取締役常務執行役員兼日鉱金属株式会社監査役、2001年から株式会社ジャパンエナジー取締役専務執行役員、2002年同社代表取締役社長兼新日鉱ホールディングス株式会社取締役、2005年からアブダビ石油株式会社会長兼ジャパンエナジー石油開発株式会社会長、2006年から新日鉱ホールディングス株式会社代表取締役社長。
木村 政昭(きむら まさあき、1940年11月6日 - )は… 木村 政昭(きむら まさあき、1940年11月6日 - )は、日本の海洋地質学者、地震学者。琉球大学名誉教授。学位は、理学博士(東京大学)(1968年)。 地震予知と与那国島海底地形(海底遺跡)の研究で知られており、これらのテーマについて多数の一般向け科学書を著すとともに、テレビへの出演等も積極的に行っている。 地震予知については、1986年の伊豆大島三原山の噴火、1991年の雲仙普賢岳の噴火、1995年の兵庫県南部地震、2000年の三宅島の噴火、2004年の新潟県中越地震等を独自の「時空ダイアグラム」理論で予測したとしている。 また、古代史にも興味をもち、「邪馬台国沖縄説」を唱えている。ただし歴史学界からの支持を得るには至っていない。
田辺 光彰(たなべ みつあき、1939年2月15日 - 20… 田辺 光彰(たなべ みつあき、1939年2月15日 - 2015年3月30日)は、日本の彫刻家。 1939年(昭和14年)、神奈川県横浜市生まれ。神奈川県立横浜翠嵐高等学校、多摩美術大学彫刻科を卒業後、イサム・ノグチと出会い、影響を受ける。巨大なステンレス鋼製のモニュメント作品を数多く手がけ、農業、野生稲、種の保全などをテーマに活動した。2015年(平成27年)3月30日、肺炎のため川崎市の病院で死去。76歳没。
横澤 彪(よこざわ たけし、1937年12月15日 - 20… 横澤 彪(よこざわ たけし、1937年12月15日 - 2011年1月8日)は、日本の元テレビプロデューサー。通称「オジン」。フジテレビプロデューサーを経て、吉本興業東京本社代表、専務取締役東京本部本部長などを歴任。鎌倉女子大学児童学部教授を経て、晩年はフリーの立場で活動した。群馬県出身。実父は元朝日新聞千葉支局長の横澤陸郎。
後藤 紀夫(ごとう のりお、1937年(昭和12年)1月22… 後藤 紀夫(ごとう のりお、1937年(昭和12年)1月22日 - )は、中部日本放送の元アナウンサー。 神奈川県出身で神奈川県立横浜翠嵐高等学校から早稲田大学卒業。主に1960年代〜1990年代にかけて、スポーツ中継を中心に活躍した。 『伝説の野球ティーム バンクーバー朝日物語』 岩波書店、2010年3月 ISBN 4000244558
田辺 裕(たなべ ひろし、1936年10月6日 - )は、日… 田辺 裕(たなべ ひろし、1936年10月6日 - )は、日本の人文地理学者、東京大学名誉教授、広尾学園小石川中学校・高等学校学園長、広尾学園中学校・高等学校前校長。田邉 裕と表記されることもある。 政治地理学の立場から、市町村の領域と内部構造について検討し、明治時代の市町村合併の研究などで高く評価された。また、フランスの地理学的研究に取り組み、フランス地理学の日本への紹介、日仏の文化交流にも関わった。また、国際的にはオーストリアの地理学会誌とスウェーデンの学会誌の編集顧問も務めている。 神奈川県生まれ。神奈川県立横浜翠嵐高等学校を経て、東京大学に進む。学生時代には文学青年の一面もあり、宮原昭夫らと文芸同人誌を作っていた。
井上 三千男(いのうえ みちお、1935年1月9日 - )は… 井上 三千男(いのうえ みちお、1935年1月9日 - )は、日本の俳優。本名は同じ。別名義:井上 三千雄。 神奈川県出身。神奈川県立横浜翠嵐高等学校卒業。サン・プロモーションに所属していた。
生島 治郎(いくしま じろう、1933年1月25日 - 20… 生島 治郎(いくしま じろう、1933年1月25日 - 2003年3月2日)は、日本の小説家。本名は小泉 太郎(こいずみ たろう)。早川書房の編集者から作家に転じ、『追いつめる』で直木賞を受賞した。日本に正統ハードボイルドを移植した功労者の一人。 上海生まれ。1945年2月に長崎に引き揚げ、6月に母の郷里・金沢に移る。そのため、被爆を免れた。その後、父が横浜で職を持ったため横浜に転居した。 転居に伴い神奈川県立横浜第二中学校3年に編入した。学制改革により翌年(1948年)には神奈川県立横浜第二高校(現在の神奈川県立横浜翠嵐高等学校)へと改組された同校で4年間学ぶ。同期に青木雨彦と宮原昭夫がいた。
青木 雨彦(あおき あめひこ、1932年11月17日 ‐ 1… 青木 雨彦(あおき あめひこ、1932年11月17日 ‐ 1991年3月2日)は、日本のコラムニスト、文芸評論家。 神奈川県横浜市出身。神奈川県立横浜翠嵐高等学校、早稲田大学文学部仏文科卒。同大学大学院修士課程修了。在学中は「早稲田大学現代文学会」に所属。会員に生島治郎、高井有一、富島健夫がいた。生島は神奈川県立横浜第二中学校(横浜翠嵐高等学校の前身)以来の友人でもある。 新聞記者として東京タイムズ社に勤務、学芸部長を務めた。その後、学習参考書編集者を経てコラムニスト・文芸評論家に。1972年から1978年まで『週刊朝日』に「人間万歳」を連載し、「アメヒコ節」で人気を博した。早川書房の『ミステリマガジン』誌では、読者の誌上登場コーナー「街角のあなた」のインタビュアーなども行っている。
宮原 昭夫(みやはら あきお、1932年8月5日 - )は、… 宮原 昭夫(みやはら あきお、1932年8月5日 - )は、日本の小説家。1972年に第67回芥川賞を受賞した。 神奈川県横浜市生まれ。中学3年から神奈川県立横浜翠嵐高等学校にかけての同期に青木雨彦と生島治郎がいた(ただし宮原は高校在学中に胸を患って数年間休学している)。早稲田大学第一文学部露文科卒業。同人誌「木靴」に参加し、太宰治の門弟として知られる小山清に師事した。 1963年、『ごったがえしの時点』を出版。1966年、「石のニンフ達」で文学界新人賞を受賞して文壇デビューし、第56回芥川賞候補に挙がる。以後「やわらかい兇器」「待っている時間」でも同賞候補に挙がり、1972年、「誰かが触った」で第67回芥川賞受賞を果たした。
赤塚 行雄(あかつか ゆきお、1930年9月24日-2015… 赤塚 行雄(あかつか ゆきお、1930年9月24日-2015年3月29日)は、日本の評論家。中部大学名誉教授。専門は、文学、犯罪、青年問題など。
三浦 隆(みうら たかし、1930年5月27日 - 2011… 三浦 隆(みうら たかし、1930年5月27日 - 2011年8月23日)は、日本の政治家。衆議院議員(3期)。 戦前無産政党で活動し戦後衆議院議員を務めた三浦寅之助の息子として、神奈川県横浜市に生まれる。横浜市立幸ヶ谷小学校、神奈川県立横浜第二中学校(現在の神奈川県立横浜翠嵐高等学校)、横浜市立大学から早稲田大学大学院修士課程修了を経て、関東学院大学で教鞭を取った(憲法専攻)。 1976年の総選挙に民社党公認で神奈川1区から出馬。この時は落選するが1979年の総選挙で初当選、以後3期連続当選。この間、党統制委員(1981年~1985年。落選後も1989年~1994年。うち1990年~1992年は政策審議会副会長も兼任)・党学生対策委員長(1983年~1984年)・党市民団体対策委員長(1985年)を歴任し、衆議院交通安全対策特別委員会理事(1986年)を務めた。
森田 哲弥(森田 哲彌、もりた てつや、1930年 <昭和5… 森田 哲弥(森田 哲彌、もりた てつや、1930年 <昭和5年> 1月2日- 2014年 <平成26年> 6月8日)は、日本の会計学者。一橋大学名誉教授。1990年日本会計研究学会会長。1972年日本会計研究学会学会賞受賞、1980年日本会計研究学会太田賞受賞、1979年日経・経済図書文化賞受賞。位階は正四位。 神奈川県横浜市生まれ。1945年神奈川県立横浜第二中学校(現神奈川県立横浜翠嵐高等学校)第3年学年修了、海軍兵学校予科入学。1946年東京商科大学(現一橋大学)予科入学、1953年東京商科大学卒業。1954年東京商科大研究科退学。1956年一橋大学大学院商学研究科修士課程修了、1959年一橋大学大学院商学研究科博士課程単位修得退学。
武井 昭夫(たけい てるお、1927年1月29日 - 201… 武井 昭夫(たけい てるお、1927年1月29日 - 2010年9月2日)は、日本の文芸評論家、全学連初代委員長。 神奈川県横浜市出身。横浜第二中学校、府立高等学校を経て東京大学文学部西洋史学科中退。東京大学在学中の1948年に全日本学生自治会総連合(全学連)結成に参画し、初代委員長に就任した。層としての学生運動論を唱え、学生は労働者階級の指導を受けなくとも、階級闘争の主体たり得ると主張[要出典]。1950年、日本共産党の50年分裂の際、同党統一委員会に属して除名される。1952年、新日本文学会(中野重治書記長、花田清輝編集長)に加入し、常勤編集部員となり、文芸評論活動を始める。戦争責任などで古い世代を批判する急先鋒にたつ。
山口 健二(やまぐち けんじ、1925年8月15日 - 19… 山口 健二(やまぐち けんじ、1925年8月15日 - 1999年6月12日)は、日本の政治活動家、アナキスト、作家。日本社会党と日本共産党に双方に入党し、共産党では志田派として中核自衛隊にも参加したが、後に両党から除名された。 1925年横浜市に生まれる。横浜第二中学校卒業後、1942年東京美術学校油画科入学、1943年第一高等学校文科入学、1944年旅順高等学校入学。旅順高等学校での学生生活が関東軍指揮下であることに反発し、朝鮮人の友人三人とともに脱走し、満州、朝鮮半島を南下し、日本本土に戻る。戦時下には太宰治に私淑し、1942、3年頃太宰の自宅を訪問し面会。 長野県で終戦を迎え、第一次日本アナキスト連盟に参加。
草柳 大蔵(くさやなぎ だいぞう、1924年(大正13年)7… 草柳 大蔵(くさやなぎ だいぞう、1924年(大正13年)7月18日 - 2002年(平成14年)7月22日)は、日本の評論家、ノンフィクション作家、ジャーナリスト。 妻はきもの研究家の石川あき(本名は草柳アキ、1927年 - )。長女はテレビキャスターの草柳文惠。 神奈川県横浜市鶴見区出身。横浜二中、旧制府立高校を経て、1945年(昭和20年)に東京帝国大学へ入学した。間もなく学徒出陣となり、特攻隊員(特別操縦見習士官)を志願する。敗戦後は復学し、1948年(昭和23年)に東京大学法学部政治学科を卒業(在学中に改称)した。 八雲書店に入社し、編集者として『中野重治国会演説集』などを手がけるが、1949年(昭和24年)に人員整理で退職し、自由国民社編集者、産経新聞記者(経済担当)等を経験した。
田治米 鏡二(たじめ きょうじ、1919年6月24日 - 2… 田治米 鏡二(たじめ きょうじ、1919年6月24日 - 2018年12月5日)は、日本の物理学者・地震学者。北海道大学名誉教授。専門は応用地球物理学・弾性波動論。
佐藤 謙三(さとう けんぞう、1910年11月5日 - 19… 佐藤 謙三(さとう けんぞう、1910年11月5日 - 1975年1月25日)は、国文学者。國學院大學元学長。 1910年、神奈川県横浜市で生まれた。横浜第二中学校在学時に、関東大震災が発生し、自宅で被災した。國學院大學予科を経て、國學院大學国文科で学んだ。1933年に卒業し、同大学国文研究室助手に採用された。1935年に予科講師、1945年に予科教授に昇格。 戦後、1946年に文学部教授となった。1961年、学位論文『平安時代文学の研究』を國學院大學に提出して文学博士号を取得。1964年から文学部長を務め、1970年には國學院大學学長に就任した。1973年より病のため入院治療にあたったが、1975年、学長在職中に死去。
柴本 重理(しばもと しげみち、1909年11月24日 - … 柴本 重理(しばもと しげみち、1909年11月24日 - 1992年6月21日)は、日本の経営者。ブリヂストンタイヤ社長を務めた。長野県下高井郡延徳村(現・中野市)出身。 旧制神奈川県立横浜第二中学を経て、1933年に東京帝国大学経済学部経済学科を卒業し、1933年に内国貯金銀行に入行、1939年にブリヂストンタイヤに入社。1947年12月に取締役に就任し、1949年に常務、1958年に専務を経て、1963年3月に副社長に就任し、1973年5月に社長に昇格。1981年3月に会長、1982年3月に取締役相談役を経て、1983年3月から相談役を務めた。 1971年4月に藍綬褒章を受章し、1980年4月に勲二等旭日重光章を受章した。
土門 拳(どもん けん、1909年〈明治42年〉10月25日… 土門 拳(どもん けん、1909年〈明治42年〉10月25日 - 1990年〈平成2年〉9月15日)は昭和時代に活躍した日本の写真家。 リアリズムに立脚する報道写真、日本の著名人や庶民などのポートレートやスナップ写真、寺院、仏像などの伝統文化財を撮影し、第二次世界大戦後の日本を代表する写真家の一人とされる。また、日本の写真界屈指の名文家としても知られた。 土門は、1950年代の前半頃から「社会的リアリズム」を標榜(後年本人が告白したところでは、実質的には社会主義リアリズムであったという)、「絶対非演出の絶対スナップ」を主張し、日本の写真界に一時期を画した。当時、リアリズム系の写真家としては、木村伊兵衛と双璧をなした。
馬場 啓之助(ばば けいのすけ、1908年11月23日 - … 馬場 啓之助(ばば けいのすけ、1908年11月23日 - 1988年11月2日)は、日本の経済史学者、一橋大学名誉教授。一橋大学経済学部長、一橋大学学長(事務取扱)、社会保障研究所所長等を務めた。 福井市生まれ。横浜育ち。福井市足羽小学校、横浜小学校、第二横浜中学校(現神奈川県立横浜翠嵐高等学校)を経て、1931年東京商科大学(現一橋大学)本科卒。山内得立に師事。 東亜研究所副調査員などとして研究。外務省嘱託として香港への派遣や、大日本帝国陸軍比島軍政監部付を務め、村田省蔵の比島調査委員会で杉村広蔵委員の下、補助委員として調査に従事した。 杉村が理事を務めた交易営団で総務部総務課長代理などを経て、戦後は農林省農業総合研究所計画部長を経て、1952年学習院大学教授、56年一橋大学教授、61年経済学部長、「近代経済学方法論」で一橋大経済学博士。
上條 勉(かみじょう つとむ、1905年7月20日 - 19… 上條 勉(かみじょう つとむ、1905年7月20日 - 1983年5月7日)は、日本の航空機技術者。三菱重工業名古屋航空機製作所(現・三菱重工業名古屋航空宇宙システム製作所)機体部設計課技師、技術部設計課技師を経て、新三菱重工業名古屋航空機製作所小牧工場初代工場長、同名古屋航空機製作所副所長を歴任。クリスチャン。 日露戦争終結間近の、1905年(明治38年)7月20日、長野県松本市北深志東ノ丁に警察署勤務の上條亀十郎の三男として誕生した。2年前にライト兄弟が動力飛行に成功している。1906年(明治39年)から、父亀十郎は浅野総一郎が経営していた茨城県真壁町の浅野石材部(浅野石材工業株式会社)勤務になった。
高木 東六(たかぎ とうろく、1904年7月7日 - 200… 高木 東六(たかぎ とうろく、1904年7月7日 - 2006年8月25日)は、主に昭和期に活躍した日本の作曲家。
岡田 桑三(おかだ そうぞう、1903年6月15日 - 19… 岡田 桑三(おかだ そうぞう、1903年6月15日 - 1983年9月1日)は、日本の映画俳優、映画プロデューサー。俳優としての芸名は「山内光(やまのうち ひかる)」。 横浜の商家の娘・よねと番頭の美平の間に生まれる。ドイツ、ソ連で舞台美術、映画、写真の技術を学んだ。日活、松竹で俳優として映画に出演する一方、日本プロレタリア映画同盟、写真・映画団体「国際光画協会」、写真集団「日本工房」、「中央工房」などに関わり、プロパガンダグラフ雑誌「FRONT」を発行する「東方社」の創設に参加。多くの映画人、写真家、美術家らに影響を与えた。戦後は、南方熊楠遺稿の出版に関わった後、東京シネマを興し、科学映画を中心とする短編映画が、内外で高く評価されたことで、そのプロデューサーとして知られた。
冲中 重雄(おきなか しげお、1902年〈明治35年〉10月… 冲中 重雄(おきなか しげお、1902年〈明治35年〉10月8日 - 1992年〈平成4年〉4月20日)は、日本の内科学者。東京大学名誉教授、元日本学士院会員。日本学士院恩賜賞受賞。文化勲章受章。勲等は勲一等瑞宝章。位階は従三位。石川県金沢市生まれ。 石川県金沢市で、大日本帝国陸軍軍人の太田米丸(田中義一の同期でのちに陸軍大佐)の家に生まれる。兄に大日本帝国陸軍中将の太田米雄がいる。伊予松山藩藩士で国学者の太田満穂は曽祖父。 1909年、岡山県師範学校附属小学校(現・岡山大学教育学部附属小学校)入学。その後、東京府北豊島郡王子尋常高等小学校(現北区立王子小学校)に転校。 1921年に父が亡くなったため、父のいとこで医師の冲中磐根と養子縁組をする。
駒井 健一郎(こまい けんいちろう、1900年(明治33年)… 駒井 健一郎(こまい けんいちろう、1900年(明治33年)12月17日 - 1986年(昭和61年)10月2日)は、日本の実業家、第三代日立製作所社長・会長。
芳崎 せいむ(よしざき せいむ、8月6日 - )は、日本の漫… 芳崎 せいむ(よしざき せいむ、8月6日 - )は、日本の漫画家。神奈川県出身。神奈川県立横浜翠嵐高等学校、立教大学文学部史学科卒。[要出典] 1989年、秋田書店『ボニータ』に掲載の「あかちゃんと天使」でデビュー。 2018年、「アブラカダブラ〜猟奇犯罪特捜室〜」で第1回さいとう・たかを賞を受賞。 日本漫画家協会会員。
愛河 里花子 は、日本の声優、女優、歌手。神奈川県横浜市出身… 愛河 里花子 は、日本の声優、女優、歌手。神奈川県横浜市出身。アトミックモンキー所属。旧芸名は川添 なおみ、神無月 なお。
相澤 清晴(あいざわ きよはる、1959年 - )は、日本の… 相澤 清晴(あいざわ きよはる、1959年 - )は、日本の電子画像工学者。東京大学大学院情報理工学系研究科電子情報学専攻の教授。専門分野は、画像処理とマルチメディア処理。モデルベース符号化とマルチメディアライフログへの貢献が評価され、2012年に電子情報通信学会フェロー、2016年に米国IEEEフェローに選出された。 1983年、1985年、1988年に東京大学で電気工学の学士号、修士号、博士号を取得。1990年から1992年までイリノイ大学客員助教授を務めた。 これまで、画像符号化、画像処理、コンピュテーショナルセンサ、マルチメディア、コンピュータビジョン分野の研究に従事。その黎明期からライフログの研究を先導し、特に、画像処理で支援する食事記録FoodLogを創出した。
大谷 英典(おおたに ひでのり)はtvk営業本部大阪支社長。… 大谷 英典(おおたに ひでのり)はtvk営業本部大阪支社長。 神奈川県立横浜翠嵐高等学校、立教大学社会学部社会学科(体育会ハンドボール部 · 門奈直樹ゼミ)を卒業後、1988年にtvk入社。東京支社営業部、制作部、情報部、報道制作局プロデューサー、報道制作局制作部副部長、営業本部営業局営業一部長、営業本部営業戦略室長、コンテンツ局制作一部長、tvkコミュニケーションズ取締役(ミューコムカンパニー社長執行役員、エンタープライズカンパニー執行役員兼務)、tvkコミュニケーションズ制作部プロデューサー、コンテンツ局次長・制作二部長を経て、現職。
岡村 仁美 は、TBSテレビの社員、元アナウンサー。
後藤 真一(ごとう しんいち)は日本の財務官僚。タンザニア駐… 後藤 真一(ごとう しんいち)は日本の財務官僚。タンザニア駐箚特命全権大使。 神奈川県立横浜翠嵐高等学校を経て、1982年早稲田大学政治経済学部政治学科卒業、大蔵省入省(関税局国際第一課)。1985年7月名古屋国税局調査査察部国税調査官。1986年7月建設省住宅局住宅政策課。1988年7月仙台国税局鶴岡税務署長。1989年7月国税庁直税部法人税課課長補佐。1990年ハーバード大学ロースクール・ケネディ行政学院。1991年7月関税局国際調査課課長補佐。1993年7月国際金融局調査課課長補佐。1994年7月東京国税局課税第二部次長。1995年7月大阪国税局課税第二部長。1997年7月在スイス日本国大使館一等書記官。
後藤 正之(ごとう まさゆき)は、日本の経済官僚。財務省財務… 後藤 正之(ごとう まさゆき)は、日本の経済官僚。財務省財務総合政策研究所次長や、農林水産省大臣官房政策評価審議官、大阪大学大学院国際公共政策研究科教授などを歴任した。 神奈川県立横浜翠嵐高等学校を経て、1980年に横浜国立大学経済学部卒業後、経済企画庁に入庁し、経済白書作成や、国民経済計算等に従事した。 1986年経済協力開発機構(OECD) 経済統計総局国別審査局国別審査第1課エコノミスト(日本・アイルランド経済調査)。2006年内閣府経済社会総合研究所国民経済計算部長。2007年財務省財務総合政策研究所次長。2009年三菱UFJリサーチ&コンサルティング調査部主任研究員。 2011年内閣府大臣官房審議官(大臣官房担当)。
鮫島 正洋(さめじま まさひろ)は、日本の弁理士、弁護士。作… 鮫島 正洋(さめじま まさひろ)は、日本の弁理士、弁護士。作家の池井戸潤と交流があり、『下町ロケット』に登場する神谷弁護士のモデルとしても知られる。 神奈川県立横浜翠嵐高校を経て、1985年3月、東京工業大学金属工学科卒業。同年4月、藤倉電線株式会社(現:株式会社フジクラ)入社。電線材料の開発に従事し、筆頭発明者として40件を超える特許出願を行った。在職中の1991年11月、弁理士試験に合格。1992年3月、日本アイ・ビー・エム株式会社に入社し、知的財産部に所属する。IBM社のノーベル賞発明である酸化物超伝導にかかる基本特許の権利化に携わる。1996年11月、司法試験最終試験合格。1997年3月、同社退職。
手使海 ユトロ(てしかい ユトロ、男性)は、日本の作曲家・編… 手使海 ユトロ(てしかい ユトロ、男性)は、日本の作曲家・編曲家、シンセサイザー奏者、音楽プロデューサー。日本音楽著作権協会会員[要出典]。本名は小笠原 寛、かつて本名名義で活動していた[要出典]。神奈川県横須賀市出身。清泉小学校、栄光学園中学校、神奈川県立横浜翠嵐高等学校を経て、國學院大學法学部法律学科卒業[要出典]。新丸ビル法律事務所(当時)。ポニーキャニオン/NAVレコード(当時)制作部。趣味は料理、ケーキ作り。 本名名義でアニメや映画、様々なアーティストの作曲/編曲を手がけていたが、1993年頃に手使海ユトロと改名。「銀河の魚」「ファンタスマゴリア」「青空画報」「クジラの跳躍」と、相次いで発表されたデジタルコンテンツの音楽担当として脚光を浴びた。
西尾 昭彦(にしお あきひこ)は、日本出身のエコノミスト、国… 西尾 昭彦(にしお あきひこ)は、日本出身のエコノミスト、国際公務員。世界銀行副総裁。 埼玉県所沢市生まれ。横浜市を経て、小学校4年から父の仕事の関係でアメリカ合衆国ロサンゼルスに移る。高校2年のときにJICA作文コンクールで入賞し、副賞のブラジル旅行で、国際的な仕事に興味を持つようになる。 神奈川県立横浜翠嵐高等学校卒業後、1983年一橋大学経済学部卒業(池間誠ゼミ出身)。一橋大学在学中フランス共和国アンジェの西カトリック大学に留学しフランス語のディプロマを取得。帰国後Newsweekでライターのアルバイトを経験し、卒業後は海外経済協力基金(現国際協力機構)に入る。 1986年ケンブリッジ大学ペンブルック・カレッジ大学院修了(ブリティッシュ・カウンシル奨学生)、開発経済学修士。